秋も深まってきた。近所で買ってきた栗、柿の実などを籠ざるなどに盛っておくだけで部屋の中には秋の気分が上積みするようで気持ちがよい。さつまいもの形のよいのも入った、これに蓮根、カボチャをプラスして久しぶりに精進天麩羅でも揚げてみようと思ったが、あいにくゴマ油を切らしている。普通のサラダ油だけではコクが生まれない。三割ほどゴマ油をブレンドするとよいのは過去の経験による。明日の日曜日にはゴマ油を補給する買い物ついでにハゼでも釣ってみたくなる凪日和だ。去年は八景の平潟湾にある舟溜まりで天種か甘露煮を!と思って挑戦したが時期が11月の落ちシーズンに入っていたようで型はよいのに数が出ないで寂しい思いをした。ハゼ、めごち、白ギスみたいな近くの海で釣った小魚を天種に使えるのはいまや素人だけの特権になってしまった。外食してどんなに定評のある天麩羅が美味いと評判の店でもこれらの小魚に関しては不合格が大半と確信している。ホクホクと白身が弾けるやつにお目にかかったことはない。みんなドンヨリと粘体化していて味というものの核心を捜すのに一苦労する。
それなら自分で小物釣りに挑戦して、戻ってすぐに捌いて下手な揚げ温度管理に苦戦しながら粋のよい天種を調達するしか方法はない。近場圏の釣り場を思いめぐらす。茅ヶ崎の小出川は数日前に悪水の酸欠で相当数の魚が浮かんだという記事を読んだばかりだ。相模川の河口はどんなものだろうか?ネットも交えて釣り場案をサーチするが、いずれも時期がずれている情報ばかりで信憑に欠ける。
釣り情報を探っていたらネットのSNSサイトに寄り道してしまった。同じ年齢の仇名をJさんと呼ぶジャズファンの方の私書箱風「伝言板」を覗くのも日課である。この人は単純明快でダイレクトにジャズを名乗っているから同好の趣味人の寄り付きが多いようだ。そのなかに「カンチャン」さんというジャズファンがいて趣味のよさの片鱗をいつも披瀝している。ズート、ハミルトン、アレキサンダーのテナーサックス奏者を私的三大テナーとしてメッセージで賞賛している。そのあとの短い伝言に目が止った。「これからバロンを聴きます。。。」と。そうか!バロンを忘れていた。ここ20年にわたる現代ジャズピアノの私的三大巨匠はケニー・バロン、ビル・チャーラップ、ベニー・グリーンだ。この人の伝言を読んでいたら急にご無沙汰していたケニー・バロンの内省感に富んでいて空疎な叙情趣味にも陥らない瑞々しいピアノの弾力を浴びてみたくなった。まったく影響されやすいものだ。CDの棚にある大切ピアノトリオジャンルからバロンのCDを取り出す。
「LIVE AT BRADLEY'S」というニューヨークにあったライブハウスのライブ録音である。ピアノの資質に喩えるとバロンはトミー・フラナガンに一番近いのだろう。いきわたったスタンダードをとてもモダンな意匠の曲として昇華させる技は並のものではない。デッカの古いスピーカーを大きな音で再生する。マイルス・デイビスの冴えに冴えた名曲「SOLAR」などでバロンの無駄撃ちのないスピーディーな即興を楽しむのもよいが、秋の夜長にはあの「BLUE MOON」「カナダの夕陽」等の素敵に歌うメロディーの豊饒もいいものだ。それにしてもロゴスと情感のバランスを巧みに調和するケニー・バロンのピアノを支えるリズム陣の色彩の溢れ方に驚愕する。こんな連中が出るライブなら、三度の飯をケチっても行ってみたくなるものだ。
それなら自分で小物釣りに挑戦して、戻ってすぐに捌いて下手な揚げ温度管理に苦戦しながら粋のよい天種を調達するしか方法はない。近場圏の釣り場を思いめぐらす。茅ヶ崎の小出川は数日前に悪水の酸欠で相当数の魚が浮かんだという記事を読んだばかりだ。相模川の河口はどんなものだろうか?ネットも交えて釣り場案をサーチするが、いずれも時期がずれている情報ばかりで信憑に欠ける。
釣り情報を探っていたらネットのSNSサイトに寄り道してしまった。同じ年齢の仇名をJさんと呼ぶジャズファンの方の私書箱風「伝言板」を覗くのも日課である。この人は単純明快でダイレクトにジャズを名乗っているから同好の趣味人の寄り付きが多いようだ。そのなかに「カンチャン」さんというジャズファンがいて趣味のよさの片鱗をいつも披瀝している。ズート、ハミルトン、アレキサンダーのテナーサックス奏者を私的三大テナーとしてメッセージで賞賛している。そのあとの短い伝言に目が止った。「これからバロンを聴きます。。。」と。そうか!バロンを忘れていた。ここ20年にわたる現代ジャズピアノの私的三大巨匠はケニー・バロン、ビル・チャーラップ、ベニー・グリーンだ。この人の伝言を読んでいたら急にご無沙汰していたケニー・バロンの内省感に富んでいて空疎な叙情趣味にも陥らない瑞々しいピアノの弾力を浴びてみたくなった。まったく影響されやすいものだ。CDの棚にある大切ピアノトリオジャンルからバロンのCDを取り出す。
「LIVE AT BRADLEY'S」というニューヨークにあったライブハウスのライブ録音である。ピアノの資質に喩えるとバロンはトミー・フラナガンに一番近いのだろう。いきわたったスタンダードをとてもモダンな意匠の曲として昇華させる技は並のものではない。デッカの古いスピーカーを大きな音で再生する。マイルス・デイビスの冴えに冴えた名曲「SOLAR」などでバロンの無駄撃ちのないスピーディーな即興を楽しむのもよいが、秋の夜長にはあの「BLUE MOON」「カナダの夕陽」等の素敵に歌うメロディーの豊饒もいいものだ。それにしてもロゴスと情感のバランスを巧みに調和するケニー・バロンのピアノを支えるリズム陣の色彩の溢れ方に驚愕する。こんな連中が出るライブなら、三度の飯をケチっても行ってみたくなるものだ。