春がきた、春がきた、どこにきた、山にきた、里にきた、野にもきた。。。という唱歌を想い出すような春爛満の一日になった。数日前の晩あたりに沈丁花の香りが漂い始め、今朝は鶯の鳴き声を初めて聞く。メダカの親も孵化して育っている子メダカも水面にばらまいた餌を追いかけている。この陽気に誘われて上大岡のお彼岸参りを寝床の中で思いつく。相鉄線大和駅までのバイクも苦にならない季節がやってきたことを実感する。相鉄、京急線を乗り継いで上大岡駅へ向うが乗った電車は各停の浦賀行き。今は南太田で通過電車をのんびりと待機するらしい。南太田駅の付近には明治初期には真葛焼の本拠があったとものの本で知ったことをふと思い出す。
幕末期・京焼の名手、宮川香山が開設した窯で輸出用の絢爛とした錦手風の磁器を写真などでよく眺めることがある。自分の好みには遠いものでジャズメン用語でいうところの「デーハ」な色柄に特徴があって欧米人にはとても人気があったらしい。眞葛焼の別称が太田焼というのも古い陶磁文献で知った。今は平凡な雑居住宅街しか想像できない南太田界隈のどこに窯跡があったのか?いつか付近を回ってみたい等と夢想していたら、5分待機の各駅停車が出発となる。
大久保町にあるJ院には地蔵尊が祭られていて我が家の墓を参る前には必ず地蔵尊に拝礼している。水桶場の横にある桜が満開になっている。J院では江戸の寛政期の石仏などもあって、ここへ来ると地蔵尊や古い時代の無縁仏等をしばし眺める癖がついてしまった。すっかり整頓されきった現代寺院の中にも風が通る場所はあるものと思いながら、墓に花を添え、墓石を水で洗浄してお線香を灯してお彼岸らしい儀式をすませる。
戻ってからの風変わりな衝動はヨモギ餅を砕いたアラレを揚げることだった。二日間に亘って天日干しを済ませた餅をサラダ油と胡麻油でブレンドして揚げる。火がよく通って黄色くなったアラレは、揚げたてが香ばしい風味でこれだけは市販品を凌駕する鮮度である。ちょうど厚木帰りに座間へバイクで寄った友人への茶うけとして供してみたらやはり喜ばれたからお裾分けにパックへ詰めて土産にしてもらうことにした。
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