今年の真夏は北側のオーディオ部屋の換気に気を使った。九月下旬は座間へ引っ越しして丸二年目の節目を迎える。いつもしめきって音楽に浸る時間以外は空気が滞留してしまう部屋の欠点はカビが生えやすいことだ。部屋を占拠している古本とレコード類はカビの親戚みたいなものだ。梅雨の6月にはやはりカビが発生した。スピーカーや大きな机がカビに覆われて愕然とする。時々、咳込むことがあるのもカビアレルギーのせいではないか?と疑って朝の1時間は必ず窓を開け放つことで真夏を通過した。おかげでカビはなんとか対策できた。
しかし二年間の怠惰による部屋のガラクタ類は其の後も放置。連休の末日は都内にもでかけることがないので、庭のオシロイ花、小笹、毒ダミ等を駆除する。オシロイ花の強い繁殖力には二年間悩まされてきた。明け方の薄明に開く赤い花の風情は素晴らしいのに地中を張り巡らす芋のような根茎のふてぶてしさにいつも落差を感じる花だ。秦野の山で抜いてきた山吹の根っこにも正式の盛り土などして九月の強めな残光を楽しむ。
お隣からはみ出している「ムラサキシキブ」の枝もちょっぴり剪定してこれを故人になった黒田先生の信楽壷に挿して南側の窓辺を彩ってみる。庭の雑草取りにかまけること二時間、次にオーディオ部屋のCD分類、本、雑誌類の整理をしていたら時計は午後2時を回っている。やっとさっぱりした秋晴れの祝日である。
片付いて気分が良くなった部屋では1952年というジャズ年代的には当たり年のSP音源のCDを楽しむ。ビリー・ホリディーの「レディ・イン・オータムン」というノーグラン時代のベッドサイドのヌード背姿イラストで有名なSPレコードをポリグラムで発売したリマスター2枚もの。もう一枚はバディ・デフランコのMGM録音(ヴァーブLPタイトル名「GONE WITH THE WIND」)どちらも文句なしの傑作で深い感動を受ける。
ビリー・ホリディはJATPオーケストラがバックのものと、オスカー・ピーターソン、バーニー・ケッセル、レイ・ブラウン、JCハード等を従えたコンボ編成ものを収録。習性のせいかいつもながら、コンボ編成で歌うビリーのとてつもない哀調と根深い倦怠のトラックを彷徨することになってしまう。「想い出のたね」「ストーミー・ウエザー」「ニューヨークの秋」歌にもバックにもこれ以上の技巧を望むことがない1952年という完全なジャズ的現在である。クラリネットジャズでいつも即興の変幻自在テキストを教唆する永遠のジャズメンがデフランコだ。
現代アメリカにはアナット・コーエンという凄腕の女流がいるが、デフランコの早すぎるモダニズムにはまだ及んでいない。「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス」「ストリート・オブ・ドリームス」「キャリオカ」。平井常哉さんのライナーによればデフランコの「奔放華麗なソロ」を評してMGM原盤の英文解説中には「次々と繰り広げられる想像力に溢れた即興演奏が小鳥のように飛翔する」と引用がある。デフランコのソロはアルトのチャーリー・パーカーに比肩されることが多いけど、いつも聞いて思うのは青空に屹立するポプラの高い梢の上で比類なき囀りを歌う天界の「ホオジロ」にも肩を並べることができるアーティストがパーカーでありデフランコであるということである。
ジャズレコードと純文学系の本が部屋中に雑然とあふれかえっていました。
学生時代の友人の部屋に行った頃を思い出しました。
万年床ならぬ万年青年ですね、nakayamaさんは。
ジャズを語るその口吻に熱き血汐が感じられました。
また聞かせてください。