Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

台風一過

2011-07-21 17:48:20 | 自然
日向薬師から厚木の七沢へ通じる道はくねくねと狭く曲がっている。
他所から訪問した人はこの農道というべきか林道というべきか、複
雑に分岐する道が様々な表情を齎すことに気がつく前に迷ってしま
うことが多い。自分も移住してきた当初は随分と迷ったことがある。
こちら側の間道には、日向川が渓谷の表情から山里の野川に面影を
変えて蛇行し始める。護岸も深めに整備しているせいか、二日間に
及ぶ台風6号の大雨があれだけ降っても、濁流になっていないのが
不思議だ。晴れてきた今日も七沢を下る玉川は汚濁しているのに、
こちらは何事もなかったように清清しい水色へ戻っている。
川の眺望と集落の縁を彩る四季の草花をこれほど満喫できる箇所は
広い神奈川にあっても稀なエリアだと思う。

厚木の奥地にある小野という在に住む横浜勤めの司法書士と以前に
お茶を飲んで雑談したとき、山野徘徊の名手ともいうべき彼は、私
が移住した時は、是非、日向付近の山之辺の路地へ迷いこむとよい
とアドバイスをくれたことがある。その自転車好きな青年との会話
が甦る。
時間を区切ったバイトへの往復は、スクーターで走り抜ける日課が
続いた。溢れかえる樹脂製食器と汗まみれで格闘した辟易の数時間
は、このエリアを通過するたびに心の換気に結びつくようだ。
大雨の前兆時に江戸時代あたりの崩落しかかった馬頭観音の傍らに
綻んでいるヤマユリが気になっていた。
風雨の強さで散ってしまったかと思われたヤマユリは、台風一過の
今日も青空になびいていた。

不景気な話

2011-07-19 21:03:16 | その他
炎天下の新宿へ出かける。午後、中野駅の近くに住む知り合い
が使わなくなった軽四輪をくれるという朗報に飛びついた。
紹介の労をとってもらった友人との待ち合わせ時間には、余裕
があるので御苑の真夏風景でもと思って、甲州街道と明治通り
の交わる信号へ歩いていたら、そこで旧知のジャズバー「サム
ライ」のオーナーMさんと偶然に遭遇する。
Mさんは深夜に店を閉めてから朝方までジャズバーの空間を自在
に一人泳ぎしているらしい。パソコンをいじってネットサーフ
していると朝が来てしまうとのこと。四谷の自宅へは自転車通
勤している。彼の住む付近は自分の四谷3丁目時代の散歩徘徊
名所だ。愛住町、舟町、お寺と路地の坂道が面白い一角である。
丁度、ターリーズカフェがあってMさんと不景気話に昂ずる。
ターリーズカフェは安っぽいシーリングスピーカーから、いつも
ジャズを流している。Mさんとこのギターのピッキングはグラン
ト・グリーンかね?などと脱線しながら、あのマンモスターミナ
ルから数分の繁華街にあっても、ジャズと名がつけば、景気は
最悪!という結論へ帰着する。死に体とも云うべき昼間の営業に
誰か占い師や仙石イエス風の篤人に人生相談コーナーでも開いて
もらいたいという冗談まで飛び出してくる。

しばらく雑談してから、中野駅へ向かう。お目当ての軽が、田舎
の細道で活躍する情景の夢想が膨らむ。しかし現実は厳しい。
走行の4万2千キロは話どおりだが、クルマは雨ざらし、ミラー
は欠けている。ワイパーの鉄錆は崩壊寸前、バックハッチの内張
はパネルがない。整備して車検を取ったらタダより高い物はない
ということになること必至だ。あきらめて炎天を逃れるように、
東京・風月堂へ避暑する。34℃の外気のせいか、正統派の宇治
氷が涼を呼ぶ。
田舎道で知り合いに遭遇はないが、都会はやはり奇縁なる遭遇も
ある。軽四も実らず、旧知の話題も不景気話が主流ながら、人が
犇く都会の味も捨てがたいものがある。


鰻釣りの話

2011-07-13 07:20:04 | 旅行
小田原・厚木道路に大磯の出入り口があってここまでが自宅
から30分、そこから箱根の湯本付近まで20分くらいで到着す
る。先週は強羅付近の紫陽花も高地のせいかまだ花がもって
いることを予想して出かけた。大平台付近のヘアピンカーブ
の崖には自生するヤマユリが綻びかけている。紫陽花は登山
電車の線路沿いでこんもりと量感豊かに箱根路の空に溶けこ
んでいる。

帰りに旧東海道の細い道を入った「箱根の湯」という地味め
な日帰り温泉に入ってみた。さらに奥にはメジャーな賑わい
のある「天山」もあるが、あちらは資本主義の先端が見え隠れ
するが、こちらは零落する前の在りあわせをこじんまりと纏め
あげた旧箱根的感覚が馴染みやすい。
温泉を浴びて大広間みたいな休憩室でゴロンとしていた時に
面白い会話が横から流れてきた。地元の常連老人同士の会話
で、どうやら早川や須雲川の鰻採りのことだ。

細めな竹の先に研いだ釘などを差し込んでそこにミミズをつけ
るような基本は昔読んだ川魚釣りの解説で記憶もある。
片方のベテランが実際の見本を持って手振りを交えながら解説
するものだから、ついつい盗み見をしてしまう。
こちらが釘でよいと思っていた針先は布団などを縫う針を使う
らしい。この針が糸で遊動する時に水中の石穴で捕食した鰻が
暴れて仕掛けが何処へ行ったのか分らなくなる。その目印には
光るものがよいらしく、昔の地下足袋などを留めるコハゼがい
いらしい。ミミズなどの餌に替わって小鮎が鰻の餌になるのも
初耳の話だ。そういえば昔、逗子海岸に田越川があってその河
口で投げ釣りをしていたら、小鰻がかかったことがある。
鰻はとてもタフでアルミのバケツに二週間放置しても死なない。
そこで早川へ渓流釣りに出かける折に、湯本よりも下流な風祭
付近で放流してやったことがある。
その鰻もこうした地元の昔遊びを知っている老人の腹にでも、
納まっていることを想像しながら、ごろ寝の一時間があっとい
うまに過ぎてしまった。



鳥の歌

2011-07-12 22:02:48 | 自然
夜が白むあたりに聴く鳥の鳴き声と名前がなかなか分らない。
低山や田畑に近いところに棲んでいる鳥でよく見かけるのが
、コジュケイ、鶯、ホオジロ、メジロ、コガラ、シジュウカラ
くらいだろうか?鳴き声からその紋様や仕草が思い浮かぶのは。
先日は北側の網戸を開けておいたら、キセキレイがふだん使用
しない和室に一羽迷い込んでいた。蝙蝠が迷い込んできた時の
ようにバタバタ暴れまわったりしない。なにか諦めてジッとし
ている。網戸をそっと大きく開けて窓側へ追いやったら、上手
に逃げてくれて安堵した。

また先日は七沢付近の畑の脇で夏空へホバリングを繰り返して
いる雲雀を久しぶりに見かけた。雉の類も都市の周辺では全く
見かけなくなったが、今年は伊勢原から平塚の方へ南下する、
未だに野川の面影を残している渋田川沿いの畑地でメスの雉を
発見する。黙っていても鳥達と至近距離で親和する自分もいよ
いよ、ピエロ・デラ・フランチェスカが描くアッシジの聖人に
近い境地へやってきたのかとニンマリする。
早朝に喩えようのないハッピーな鳴き声を繰り返す真茶色の鳥
が図鑑でようやく分った。「カワラヒワ」だ。
都市近郊の公園から山里を根城にする雀よりも大きな鳥である。
この鳥は嘴が大きめで草の実や向日葵の種を割って啄ばむらし
い。夏が来てホトトギス、ホオジロ、カワラヒワの複雑なる囀
りを耳にする生活はやはり幸福の一類型だと思っている。
チャーリー・パーカーがあのダイヤル盤のセッションの中で偏執
的に「オーニソロジー(鳥類学)」という曲を何度も繰り返したのも
やはり、彼は鳥になりたかったのだろう。

2011-07-08 20:35:13 | 
昔、伊豆の狩野川中流に位置する大仁付近で鮎の友釣りをした
ことがある。囮の鮎に鼻環をつけて長い竿で流す釣りである。
これは縄張りに侵入してくる囮鮎へ体当たりする鮎の習性を
利用した奥深い釣りだ。このときはコツを体得することに手間
どって二匹という貧果でさみしい思いをさせられた。指導して
くれた渋谷・道玄坂のジャズ喫茶店主ブレイキーのKさんの話で
は、鮎の味わいはやはり北国が勝るということだった。

彼は道玄坂が袋小路になるような場所で、ジャズ喫茶を仲間と
交代しながら経営していたが、水産大学という異質なフィール
ドの学問も習得していて鮎の生態もジャズ同様に熟知していた。
アルテックの604-8Gを激烈に鳴らすことでは、界隈で一番
の店だが、ジャズが風俗街に駆逐される潮時を察知して店を閉め
てしまった。その彼によると狩野川のような温暖なエリアに棲む
鮎よりも、北国の魚野川みたいな水温の温度差が激しい場所で
育った鮎のほうが美味とのことで、その説明は今でも印象に残っ
ている。その後、川釣りから海釣りへと転向してしまい鮎釣りの
機会は一度もない。盛夏が来て二匹数百円程度で売っている養殖
鮎を見かけるが、そのときの話が残っているものだから、脂肪分
の過剰な促成鮎に躊躇してしまうことが多い。
昨日はお茶菓子のお土産に琵琶湖沿岸に本社のある「たねや」の
季節菓子をいただいた。鮎の衣に中身のギュウヒ餡が爽快である。
少し冷ました煎茶との相性がとてもいい。スイカの香りがプンと
たつ天然鮎を思い出しながら、織部皿でお菓子の鮎を味わうこと
も季節の齎す余禄なのかもしれない。