「二学期の終業式を迎えて」
保護者の皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
本日、無事に二学期の終業式を迎えることができました。これもひとえに皆様方のお力添えの賜物と、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
今学期もまた様々な出来事があり、良いことも悪いこともまるで洪水のように押し寄せては流れ去っていった学期でありました。それでも、真人の子どもたちは実に良く遊び、よく見聞きし、分かり、生き生きと日々を生き抜き、大きな成長を遂げてくれたように思います。
しかし、その一方で世の中の流れは多くの問題を山積したまま、何事もなかったかのように静かにこの一年を終えようとしているように私には見受けられます。やり残したことがまだまだたくさんありすぎて、心静かに年を越すことなど到底できそうにもない、というのが今の私の率直な気持ちであります。特に子どもたちをめぐる様々な問題はいっそう顕在化し、哀れで救いようもないニュースが後を絶ちません。子どもたちが日々刻々と死に追いやられている現在の異常な状況を私たちは何としてでも打破せねばならないのです。
誤解を恐れず申し上げるならば、いじめも虐待も、これらはすべて私たち大人の責任であると私は考えます。私たち大人が苦労に苦労を重ねてこの世の中を作り、そこで手塩にかけて子どもを生み育てていくなかで、着々といじめの温床を作り出し、虐待のきっかけを作り出し、罪のない子どもたちを傷めつけているのです。良かれと思ってやっていることが、実は知らず知らずのうちに子どもを駄目にしているのです。悲劇というほかありません。
では私たちはいったいどうしたらよいのでしょうか?
少なくとも私たちの育てているこの真人の子どもたちをすっくりと健やかに育てていくためには、何が必要なのでしょうか?
それを一言で言い表すのは至難の業であり、表現すべき言葉は星の数ほどもありますが、それらたくさんある言葉の中からあえて私が選ぶとするならば、それは、「こだわりをすてる」という一語に尽きると思います。ではこだわりとはなにか? それは子どもに対するこだわりであり、妻や夫や家庭に対するこだわりであり、仕事に対するこだわりであり、自分自身に対するこだわりです。すべてのこだわりを一度すっぱりと捨て去ってみる勇気を私たちみんなが少しでも持てたら、世の中はもう少し住みよくなるはずだと私は真剣に考えています。たとえば、私は仕事でたくさんの人と関わる機会があり、またたくさんの子どもたちと日々暮らしていますが、自分の思うとおりに何かがうまくいくことはまずありません。ほとんど何ひとつ、自分の思うとおりになどいかないのが世の中というものなのです。
あるいはそういった考え方はひどくネガティブであるように受けとられる向きもあるかもしれませんが、人間は大人になったら(あるいは大人になるためには)どこかで一度そんな風にあきらめてみる必要があるはずなのですね。そうだ、きょうで自分の中のすべてのこだわりを捨てて、大人になろう、大人にならなくては、と思う日が必要なのです。そうして人は誰も一度は自分の中が空っぽになったような気がする日を迎える。自分がじぶんでなくなってしまったような日がある。しかしそれは決して不幸なことではないのです。あきらめたその日そこからが、本当の人生の始まりなのです。一度空っぽになってみて初めて自分というものを知ることができるのであり、そこからもう一度自分自身を見つめなおすことができるのです。そしてもし自分なりにもう一度自分の人生を立て直したいと思うなら、何が大切で何が大切でなかったか考えること。自分のために愛する者を犠牲にしていやしなかったか? ただ自分のエゴを押し付けているだけじゃなかったのか?
そうやって考えていくうちに、世の中の大人たちがみな自分や自分以外のことをあるがままに受け入れ、互いに許しあうことができたら、私たちのこの国はもっと住みよい国になるはずなのです。そう、少なくとも子どもたちにとっては。
そしてもうひとつ、これは特に声を大にして申し上げたいことなのですが、
「いかなる理由があるにせよ、弱いものいじめは人間として最低の行為であり、卑劣極まりない。まして、大勢でひとりを攻撃することなど言語道断で、そのような人間はこの社会で生きていく資格がないのだ」
ということを、私たち大人がきちんと言葉で伝え、常に毅然とした態度で子どもたちに示していこうではありませんか、ということなのです。私たち大人が変われば、必ず子どもたちも変わっていくはずです。それは今日言って明日すぐに変わるものではないかもしれません。しかし、私たちがほんの少しずつでもそのようなことを念頭に置いて子どもたちと接していけば、やがてそれはきっといつの日か大きな力になっていく。ひとりひとりの力は小さくても、彼らの心の奥深くにしみこんで、いつか世界が変わるかもしれない。そのために、まずは私ができること、あなたができること、共に考え合っていこうではありませんか。
「子育てとは、親と子が共に未来について語り合うことである」
少なくとも、私はそう信じてこれからも子どもたちと生きていこうと思います。
さて、今学期、そしてこの一年も大変お世話になりありがとうございました。各ご家庭ではお子さんの様子などをどのように振り返られていらっしゃいますか。明日からは冬休みとなりますが、どうぞくれぐれもけがや事故には気をつけられ、楽しい休暇をお過ごしください。新年1月9日にまた元気にお会いいたしましょう。
それでは皆様、よいお年を!
*なお、冬休み中もこのブログは時々更新する予定です。どうぞお暇な時にご覧下さい。(本日一枚目の画像~終業式でサンタ登場!)
保護者の皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
本日、無事に二学期の終業式を迎えることができました。これもひとえに皆様方のお力添えの賜物と、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
今学期もまた様々な出来事があり、良いことも悪いこともまるで洪水のように押し寄せては流れ去っていった学期でありました。それでも、真人の子どもたちは実に良く遊び、よく見聞きし、分かり、生き生きと日々を生き抜き、大きな成長を遂げてくれたように思います。
しかし、その一方で世の中の流れは多くの問題を山積したまま、何事もなかったかのように静かにこの一年を終えようとしているように私には見受けられます。やり残したことがまだまだたくさんありすぎて、心静かに年を越すことなど到底できそうにもない、というのが今の私の率直な気持ちであります。特に子どもたちをめぐる様々な問題はいっそう顕在化し、哀れで救いようもないニュースが後を絶ちません。子どもたちが日々刻々と死に追いやられている現在の異常な状況を私たちは何としてでも打破せねばならないのです。
誤解を恐れず申し上げるならば、いじめも虐待も、これらはすべて私たち大人の責任であると私は考えます。私たち大人が苦労に苦労を重ねてこの世の中を作り、そこで手塩にかけて子どもを生み育てていくなかで、着々といじめの温床を作り出し、虐待のきっかけを作り出し、罪のない子どもたちを傷めつけているのです。良かれと思ってやっていることが、実は知らず知らずのうちに子どもを駄目にしているのです。悲劇というほかありません。
では私たちはいったいどうしたらよいのでしょうか?
少なくとも私たちの育てているこの真人の子どもたちをすっくりと健やかに育てていくためには、何が必要なのでしょうか?
それを一言で言い表すのは至難の業であり、表現すべき言葉は星の数ほどもありますが、それらたくさんある言葉の中からあえて私が選ぶとするならば、それは、「こだわりをすてる」という一語に尽きると思います。ではこだわりとはなにか? それは子どもに対するこだわりであり、妻や夫や家庭に対するこだわりであり、仕事に対するこだわりであり、自分自身に対するこだわりです。すべてのこだわりを一度すっぱりと捨て去ってみる勇気を私たちみんなが少しでも持てたら、世の中はもう少し住みよくなるはずだと私は真剣に考えています。たとえば、私は仕事でたくさんの人と関わる機会があり、またたくさんの子どもたちと日々暮らしていますが、自分の思うとおりに何かがうまくいくことはまずありません。ほとんど何ひとつ、自分の思うとおりになどいかないのが世の中というものなのです。
あるいはそういった考え方はひどくネガティブであるように受けとられる向きもあるかもしれませんが、人間は大人になったら(あるいは大人になるためには)どこかで一度そんな風にあきらめてみる必要があるはずなのですね。そうだ、きょうで自分の中のすべてのこだわりを捨てて、大人になろう、大人にならなくては、と思う日が必要なのです。そうして人は誰も一度は自分の中が空っぽになったような気がする日を迎える。自分がじぶんでなくなってしまったような日がある。しかしそれは決して不幸なことではないのです。あきらめたその日そこからが、本当の人生の始まりなのです。一度空っぽになってみて初めて自分というものを知ることができるのであり、そこからもう一度自分自身を見つめなおすことができるのです。そしてもし自分なりにもう一度自分の人生を立て直したいと思うなら、何が大切で何が大切でなかったか考えること。自分のために愛する者を犠牲にしていやしなかったか? ただ自分のエゴを押し付けているだけじゃなかったのか?
そうやって考えていくうちに、世の中の大人たちがみな自分や自分以外のことをあるがままに受け入れ、互いに許しあうことができたら、私たちのこの国はもっと住みよい国になるはずなのです。そう、少なくとも子どもたちにとっては。
そしてもうひとつ、これは特に声を大にして申し上げたいことなのですが、
「いかなる理由があるにせよ、弱いものいじめは人間として最低の行為であり、卑劣極まりない。まして、大勢でひとりを攻撃することなど言語道断で、そのような人間はこの社会で生きていく資格がないのだ」
ということを、私たち大人がきちんと言葉で伝え、常に毅然とした態度で子どもたちに示していこうではありませんか、ということなのです。私たち大人が変われば、必ず子どもたちも変わっていくはずです。それは今日言って明日すぐに変わるものではないかもしれません。しかし、私たちがほんの少しずつでもそのようなことを念頭に置いて子どもたちと接していけば、やがてそれはきっといつの日か大きな力になっていく。ひとりひとりの力は小さくても、彼らの心の奥深くにしみこんで、いつか世界が変わるかもしれない。そのために、まずは私ができること、あなたができること、共に考え合っていこうではありませんか。
「子育てとは、親と子が共に未来について語り合うことである」
少なくとも、私はそう信じてこれからも子どもたちと生きていこうと思います。
さて、今学期、そしてこの一年も大変お世話になりありがとうございました。各ご家庭ではお子さんの様子などをどのように振り返られていらっしゃいますか。明日からは冬休みとなりますが、どうぞくれぐれもけがや事故には気をつけられ、楽しい休暇をお過ごしください。新年1月9日にまた元気にお会いいたしましょう。
それでは皆様、よいお年を!
*なお、冬休み中もこのブログは時々更新する予定です。どうぞお暇な時にご覧下さい。(本日一枚目の画像~終業式でサンタ登場!)