
いもり池にはその名の通り「いもり」が棲んでいた。「いた。」と過去形なのは、いま棲んでいるかどうかわからないからである。その昔、この池がまだ手付かずの原生林に囲まれていた頃には、確かにたくさんのいもりがいた。しかし人間がどんどん足を踏み入れ、道路が作られ、民家が建てられ、我々のような観光客が大挙して訪れるにいたり、少しずつ自然は壊されつづけていった。自分の趣味のためにその池にはもともといるはずのない外来の魚をこっそり放流するような輩が、私たちがなによりも大切にしなければならなかったものを取り返しのつかないレベルまで損なった。そしてたぶん、私自身もそれと気づかぬうちに、加担しつづけているのだ。
いもりの消息はいまだ不明である。
いもりの消息はいまだ不明である。