100歳以上とされる人で、所在不明な人が何十人もいるそうだ。
このニュースに対して、韓国メディアは「何が長寿大国だ!」というようなことを報じたらしい。(そのように報じたと、テレビのニュースで今やっていた)
それって、長寿大国、すなわち日本の平均寿命と関係あるか?
平均寿命の算出方法を正しく知っているわけではないが、そもそも平均寿命は死亡時の年齢から計算しているものではないのか。
死んだとされない人(生きていることになっている人)はカウントされないはず。
とすれば、今回所在不明の人は日本の平均寿命には何ら影響していないはずだ。
ただ単に統計の母集団からはずれているだけのこと。
仮に、100歳以上の所在不明の人が既に亡くなっていたとしよう。
彼らはいつ亡くなったのか。
少なくとも彼らは所在不明とされる年齢までは生きていたわけであり、死亡時の年齢は平均寿命より高い可能性も十分にある。
統計に組み込めば、平均年齢を上げてしまう可能性が十分にあるということだ。
(実際には、統計の母体に組み込まれていないだけなので、そんなに大きく変動することはないだろうが)
乳児死亡率をごまかしていた、とかいうなら平均寿命に大きく影響するだろうが、今回のことは“長寿”そのものを否定するものではあるまい。
・日本の国民の管理はずさんだ
・高齢化する日本は、高齢化に備えた仕組み作りができていない
という指摘こそが正しい判断ではないのだろうか。
(家族のつながりが希薄って指摘もあるかもしれない)
こういった、統計の数字に対する扱いは危険を伴う。
説明側の巧みな話術で慣れない者を誤った方向に意図的に導くこともできてしまう。
ここで私が言いたいのは、数字のつながりだ。
長寿を示す平均寿命と100歳以上の高齢者という、一見結びつきそうなものが本当に関係あるのかどうか、結びつくものなのかどうかを正しく判断できるかどうかということだ。
最近、世の中が便利になってコンピュータ任せで“結果”の数字を簡単に得ることができる。
コンピュータが勝手に結びつきを考えて計算してくれる。
その結果どうなるか、「結果の数字」に関することは言えるがそれしか言えず、それが導かれる過程(流れ、つながり)にちっとも目を向けられない者がなんと多いことか。
便利なものを道具として扱うのではなく、100%どっぷりと依存してしまっている。
そんな仕事、誰でもできるじゃないか。
そんな仕事、成功するかは運次第でしかないじゃないか。
数字に限らず、それと似たような情けない仕事ばかりを目にして、最近ガックリすることが多い。
※この記事の前提は、「海外メディアが日本の『長寿』を疑ったこと」と「長寿を平均寿命で考え、平均寿命は死亡者の統計から算出されること」である。
その点に私の誤解があったら、この記事の内容はすべて取り消すことになる。
このニュースに対して、韓国メディアは「何が長寿大国だ!」というようなことを報じたらしい。(そのように報じたと、テレビのニュースで今やっていた)
それって、長寿大国、すなわち日本の平均寿命と関係あるか?
平均寿命の算出方法を正しく知っているわけではないが、そもそも平均寿命は死亡時の年齢から計算しているものではないのか。
死んだとされない人(生きていることになっている人)はカウントされないはず。
とすれば、今回所在不明の人は日本の平均寿命には何ら影響していないはずだ。
ただ単に統計の母集団からはずれているだけのこと。
仮に、100歳以上の所在不明の人が既に亡くなっていたとしよう。
彼らはいつ亡くなったのか。
少なくとも彼らは所在不明とされる年齢までは生きていたわけであり、死亡時の年齢は平均寿命より高い可能性も十分にある。
統計に組み込めば、平均年齢を上げてしまう可能性が十分にあるということだ。
(実際には、統計の母体に組み込まれていないだけなので、そんなに大きく変動することはないだろうが)
乳児死亡率をごまかしていた、とかいうなら平均寿命に大きく影響するだろうが、今回のことは“長寿”そのものを否定するものではあるまい。
・日本の国民の管理はずさんだ
・高齢化する日本は、高齢化に備えた仕組み作りができていない
という指摘こそが正しい判断ではないのだろうか。
(家族のつながりが希薄って指摘もあるかもしれない)
こういった、統計の数字に対する扱いは危険を伴う。
説明側の巧みな話術で慣れない者を誤った方向に意図的に導くこともできてしまう。
ここで私が言いたいのは、数字のつながりだ。
長寿を示す平均寿命と100歳以上の高齢者という、一見結びつきそうなものが本当に関係あるのかどうか、結びつくものなのかどうかを正しく判断できるかどうかということだ。
最近、世の中が便利になってコンピュータ任せで“結果”の数字を簡単に得ることができる。
コンピュータが勝手に結びつきを考えて計算してくれる。
その結果どうなるか、「結果の数字」に関することは言えるがそれしか言えず、それが導かれる過程(流れ、つながり)にちっとも目を向けられない者がなんと多いことか。
便利なものを道具として扱うのではなく、100%どっぷりと依存してしまっている。
そんな仕事、誰でもできるじゃないか。
そんな仕事、成功するかは運次第でしかないじゃないか。
数字に限らず、それと似たような情けない仕事ばかりを目にして、最近ガックリすることが多い。
※この記事の前提は、「海外メディアが日本の『長寿』を疑ったこと」と「長寿を平均寿命で考え、平均寿命は死亡者の統計から算出されること」である。
その点に私の誤解があったら、この記事の内容はすべて取り消すことになる。