獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ゼロさんとの「対話」おまけ~その5

2021-05-07 00:00:00 | ゼロさんのブログ

4月30日の朝日新聞に「コロナ不安 侵食する陰謀論」という記事が載りました。
「コロナのワクチンにはマイクロチップが入っていて、5G電波で操られる」などというようなとんでもない陰謀論をやすやすと信じてしまう人が少なくないというのです。

また、Qアノンの主張に影響され、
「世界のセレブが使う薬のために子どもたちが誘拐、虐待されている」
という明らかなデマを、やすやすと信じてしまう映画監督などが紹介されています。

ゼロさんのブログでも、momoko-006さんという方が、さかんに陰謀論を主張していましたね。
ゼロさんのブログのコメント欄に寄せられた文章を、一部抜粋して紹介します。

ちなみに、momoko-006さんはご自分のブログ(桃子の教学勉強室)では「主婦」というジャンルで記事を書いていますが、その正体はご自分でも明かしているように三船小仏さん(男性)です。
また、自分が陰謀論に凝っているという自覚はあるようですが、突拍子もない陰謀論に引きずられて、まともに全部信じたら危ないなという印象を持ちました。

●momoko-006さんのコメント(03月07日 15:28)
今、トランプ革命が進行中となっています。

日本に於いても、菅首相がマスコミから叩かれるなど以前では考えられなかったことが起こっています。また、菅首相の息子が東京特捜部から捜査を受けるなんて、以前では考えられなかったことです。

私のブログの記事が2週間前は婦人部のパトリオットミサイルチームの仕業で表示停止処分の嵐だったのが、この2週間で変わったのか、一つも表示停止を受けません。

トランプ革命の対象は親中国です。菅首相は親中国だったからです。

同じく、親中国の公明党・創価学会・日本共産党はトランプ革命での処分の対象に挙げられています。

マスコミは報道しないから知らなかったと思いますが、アメリカと中国は戦争していました、2月の終わりでアメリカの勝利で終わりました。

ワシントンの地下に数ヶ月潜んでいた20万の中国軍から攻撃を受け、ホワイトハウスが陥落しかけましたが、最後はアメリカ軍が勝ちました。

これらからトランプ大統領は親中国を処分すること本気です。

末端まで、それが波及することは時間が掛かると思ってましたが(昨夜はそう思って、恐怖にビビってました)ブログの記事が表示停止にならない、もう末端まで影響が出始めたのか、と気付きました。

創価学会本部は、〇〇派と池田氏の長男・博正氏を推す婦人部との闘いが起こっていたが、どうやら〇〇派は逮捕になっているようです。

その影響でブログの記事が表示停止にならないのだと思います。

今後(この数ヶ月のうち)、創価学会は急激に力を喪うことは必然と思われます。何故なら、親中国だからです。もしかすると解散宣告を受けることも考えられます。

ですから、心配は余り必要ないようです。マスコミが報道しないため、ネットで政治ブログを読んでいくしか有りません。「るいネット」という掲示板があります。そこを読んで行くと、これから急激な変化が起こることが理解出来ると思います。

社会の大転換点に我々は今、立っているのです。

ですから、心配は余り必要する必要は無いと思います。創価学会が急激に力を喪うのは必然です。

momoko-006

●momoko-006さんのコメント(2021-03-07 18:23:00)
>ゼロさん
ゼロさん、すみませんでした。

“ぶっとび”書いて、すみませんでした。

私は10年前より、いわゆる“陰謀論”に凝っており、ブログの地震予報は綿密な分析の結果、導き出されたことです。

私はつまり学者タイプで、人の心が分からない、のです。
獅子風蓮さんとのトラブルも何回読んでも全く内容が分かりません。私は学者タイプだからです。

獅子風蓮さんとはメール交換してますが、礼儀正しく全く普通に思えるのですが。

でも、“ぶっとび”もネット上のあらゆる政治ブログを読んでの綿密な調査と考察(デマと正しいの分析)の結果です。正しいはずです。

「何故、創価学会は親中国か?」(2月19日)に書いては不味いことを書いていることに今日、気付き、その不味い部分は削除しました。

でも、これを書いても削除されないとは、婦人部のパトリオットミサイルチームは2月19日には既に活動してないのです(4週間前は真夜中も激しく活動してました)。

創価学会は解散宣告を受ける可能性も有ります。親中国だからです。

創価学会の勢力がこの数ヶ月で急激に衰えることは確実と分析しています。
momoko-006

●momoko-006さんのコメント(2021-03-24 17:37:20)
ゼロさん、こんにちは。
連日、ヤバイのを載せてますが、公開停止にならないのは、やはり婦人部のパトリオットミサイルチームは活動力がかなり低下したようです。

今日載せたのに、創価教育学会の設立の意味が載ってます。
私には、この辺は意味が分かりません。

トランプ革命も敵の抵抗が強く、難航しているようで、日本は全然変わらないようで、私も???といった感じです。

youtube でQアノンの対象として創価学会が3番目ぐらいに載ってます。

私も創価学会内部改革派憂創同盟残党として頑張ろう(死ぬ気で戦おう)と思っています。
考古襲来は00氏の残党が遣り遂げたという話から、創価学会内部改革派憂創同盟残党として遣り遂げようと決意しました。

一番熱心に活動していた人は熊本の人吉市でしたが、ガンに成って死にました。私は10年ぶりぐらいに想い出して電話したとき、幼い子供の泣き声とともに奥さんが「主人は死にました。ガンで死にました」と答えられました。

電磁波兵器を男子部は使っていました(電磁波でガンにさせるのです)。それに殺されたと思われます。その創価学会内部改革派憂創同盟の人だけでなく、ヤフー知恵袋宗教カテでRsd37264氏が殺されました。状況証拠しかないのですが(Rsd37264氏の発言、かなり削除されているようです)。ヤフー知恵袋宗教カテのみんなは余りに不審な死に(日蓮正宗批判から急に創価学会批判に変わり、その批判が非常に手痛かった)訴訟を起こすという人も居ましたが、証拠が無い、と止めました。

私の創価学会内部改革派憂創同盟残党として遣り遂げようと思っています。

三船小仏

momoko-006

●momoko-006さんのコメント(2021-03-27 13:52:08)
東京の地下から5万人の幼児の遺体が発見されました。テレビはもちろん言いません。
5万人は何時からのものであるか、現在調査中です。
太平洋戦争前からのものかもしれませんし、太平洋戦争後からのものかもしれません。
数は5万からもっともっと増えそうです。
主犯は創価学会とだけ書かれて有るものから、ベネッセと書かれて有るものまで有ります。
幼児生け贄儀式が毎日行われていて、その数になったのです。
テレビが放送したら日本中がひっくり返りますが、欧米ではエプスタイン島の悲劇があり、欧米がひっくり返りました。
(日本語の壁で日本人は知りません)
これはDuckDuckG0 の検索で検索しないと出て来ないようになってます(google検索などでは決して出てきません)。
DuckDuckG0  で
エプスタイン島
で検索です。
momoko-006

ゼロさんは、ブログの方針として、
お互いを批判しなければどんなコメントでも受け付ける。
対話はしない。
ということらしいですが、明らかに常軌を逸したコメントについては、誰かがそれを批判したりしていかないと健全な言論の場にはならないのではないでしょうか。
このような陰謀論が創価学会批判と結びついたとき、何が本当かウソか分からなくなりますよ。

ちなみに、momoko-006さんから私のブログにコメントが来たことがありましたが、内容的に不適切と考えて、丁重にお断りしたことがあります。
またmomoko-006さんには、時に有用な情報を頂いたこともあり、その点は感謝しているのですが、
それとは別に、陰謀論からは足を洗った方がいいと、メールできちんと忠告しておきました。

あっ、そうか。
ゼロさんのブログ自体、「狩野川物語り」を根拠に「牧口先生と戸田先生が最初から会員から金を巻き上げるために創価教育学会を作った」などというトンデモ学説から始まっているから、陰謀論とは親和性が高いのですね。

余計なお世話でした。

獅子風蓮でした。


ゼロさんとの「対話」おまけ~その4

2021-05-06 00:00:00 | ゼロさんのブログ

最初のころのようにアンチブログに過度の思い入れをしなくなった今なら分かります。
アンチブログに集まる人の言葉には偏りがあるということを。
創価学会にいるときに、あることを見たり聞いたりしたとします。
でも学会をやめた人が、そのことを振り返って、全く反対の評価をしたりします。
そこに同調圧力が加わったりすると、コメントに違和感を抱いたとしても、なかなかそれを言えなかったりします。
勇気をもって違和感を表明した人を袋叩きにしたりします。

そういう目で対話ブログを読み返してみると、公明党の国会議員だった沢たまきさんの死亡について、コメント者の間で意見が分かれた個所を見つけました。
ある人(Aさん)が次のように書いています。

2019年5月13日 23:47
~中略~
女性議員で亡くなったのは元女優の、沢たまきさんです。
創価では幹部でしたし議員にまで昇格しながら、なんと最期は議員宿舎のふろ場でした。
創価で言うところの境涯の高い沢さんも最期は誰にも看取られず結婚もせず、「全裸」でした。
現場検証の間中、全裸状態で多くの警察関係者の目にさらされて、、、これが、成仏の姿なんですかね?

これに対して、別の人(Bさん)が次のようにコメントしています。
2019年5月15日 12:45
お久しぶりでございます。
対話ブログにはもうコメントしないという姿勢は一貫して通してきたつもりでしたが、自ブログから意見を書くのも、陰険な気がして今回ばかりは正面から投稿させていただきます。
どうぞご理解くださいm(_ _)m

Aさん、いかなる思いや正義感からであれ、人様の死に関する冒とくはシンパ、アンチ関係なく失礼ではないでしょうか。
人がどのような場所で亡くなろうと幾つで生涯を閉じようと、その人にとってはかけがえのない人生です。
少なからず、見ず知らずの他人が貶める領域ではないのでは思います。
お風呂場で亡くなる高齢者は多いですが、私の知り合いでも身体をキレイにした直後で理想の亡くなり方だと絶賛される人もいましたよ。

(中略)

古巣を遠目からなんだかんだ言われたくないので、率直に申したところです。
誰にどうこうなんて他意は一切ありません。
これからもよいブログになるように尽力してください。
応援しています。

私としては、Bさんの意見の方が常識的で正しいと思うのですが、その後のコメントの流れとしてはAさんを擁護する意見が多かったように思いました。

それでも、おかしいと思ったことはおかしいと声をあげることを信条としているBさんが発言した意味は大きいと思います。
もともと創価学会では、やめた人を退転者と呼んで「ロクな死に方をしない」などと誹謗することが少なくありません。
アンチとしては、許せない言葉です。
Bさんの発言がなければ、アンチの人たちも同じ誤りをなんの疑問も持たずにやってしまうことになるからです。

新生「対話ブログ」では「論争はしない」とのことですが、このような有意義な「論争」も封じ込めてしまうのでしょうか。

前回引用した私のブログは次の言葉で締めくくられます。

__相手の信仰と信仰の対象に対する最低限の敬意ははらってほしい。
私が投げかけたボールは、けっこう重要なものだったのです。
シニフィエさんは、正々堂々と「対話」でもって、私に打ち返してきてほしかったと思います。
獅子風蓮でした。

こと「信仰」に関しては、それぞれ思うところがあると思うのですが、新生「対話ブログ」において「論争」を封じ込めた場合、シニフィエさん独自の無神論を一方的に押し付ける場になってしまうような気がして、心配しています。

つづく


ゼロさんとの「対話」おまけ~その3

2021-05-05 00:00:00 | ゼロさんのブログ

私もいちおうアンチですから、創価学会の組織悪に苦しむ人が少しでも少なくなればいいと思い、対話ブログに共感を覚え、シニフィエさんのファンになりました。
ですから、今年の1月にはじめて対話ブログにコメントを寄せたときも、本当にみなさんと仲良く情報交換がしたかったからなのです。
けっして、対話ブログを潰すつもりで近づいたなどということはありません。

でも、シニフィエさんから「創価は宗教ではないと思うか」という質問を、踏み絵を踏ませるかのように何回も何回も浴びせられ、困ってしまいました。
シニフィエさんは「創価によって救われた人は一人もいない」と主張しますが、死んだ私の母をはじめ、創価学会を宗教として信じることで救われた人、信じながら安らかに死んでいった人は、確かにいたし、今もいると思うのです。
でも、対話ブログの仲間に入れてもらいたくて、その件は「保留」ではだめでしょうか、と聞いたのです。
でも、それも聞き入れられず、結局、私は、あることないこと誹謗中傷を受けて、対話ブログから出ていかざるを得なくなりました。

その時の経験から、シニフィエさんと周りの人たちのやっていることは、創価学会でやっていることの裏返しじゃないか、と気が付きました。
これまでもROM専で、シンパの人がシニフィエさんと周りの人たちにやり込められているのを読んでいましたが、そのときは気が付かなったのに、自分がやられる立場になると、はじめて分かるものってあるんですね。
その時のことは、アメブロの記事「私の自己紹介に過敏に反応する人たち  対話ブログにコメントをしてみました(12)」に書きました。

少し引用します。

「覚醒」というのは、便利な言葉です。
でも、私自身は、恥ずかしくて使う気にはなりません。

私が創価学会の組織に疑問を持った40年前には、そんな言葉はなかったので、私は「退転者」でした。
胸の奥に、「退転者」の痛みを抱えながら、それでも自分は自分の信じる道を歩いて行くんだという覚悟がありました。
今では、創価学会をやめるとすぐ「覚醒者」になれるので、罪悪感もない代わりに、自分が信仰を捨てたという覚悟も希薄です。
どうしてみんな、対話ブログにやってきてシニフィエさんに背中を押されると、いとも簡単に信仰を捨てられるのですか。
この先、あなたやあなたの大事な人が、不治の病にかかったとき、人生の崖っぷちにたったとき、ふと題目が口に出ることはありませんか。

自分や大事な人のために題目を唱えることは、素晴らしいことだとは思いませんか。
それでもあなたは、シニフィエさんや対話ブログに集う仲間のことを思い浮かべて、必死に信仰から背を向けようとするのですか。
あるいは、シニフィエさんに背中を押されて、信仰を捨てたものの、後に鬱になったり、後悔したりすることは絶対にないと言い切れますか。
そんなとき、シニフィエさんも誰も、責任をとってくれませんよ。

つづく


ゼロさんとの「対話」おまけ~その2

2021-05-04 00:00:00 | ゼロさんのブログ

シニフィエさんの対話ブログがコメント欄を開いて、近々全面再開するそうです。

ゼロさんやレモンさんはご自分のブログで、対話ブログの再開を望む気持ちを表明しています。


ゼロさんのブログ記事
「対話を求めてへの思い」(3月20日)
「宗教について」(4月4日)

レモンさんのブログ記事
「覚醒した場所」(5月1日)
覚醒したあの場所は、創価から覚醒した人にとっても、創価に疑念を持つ人にとっても「陽の当たる場所」であってほしい。
そういう場所だと思えない人がいる事も、わかっています。
それでもあの場所は、創価から逃げる為には希望の場所。

このお二方もそうですし、前回のharu さんもそうなのですが、今回の対話ブログの騒動の中でシニフィエさんやその周囲の人たちが行ったことの是非を、皆さんがスルーしていることが気になります。
パクリ事件では、SGKMKさんよりもむしろシニフィエさんやその周囲の人たちによって当事者や勇気ある告発者が侮辱され傷つけられたことをみんなスルーしています。

レモンさんはこんなことを書いています。

レモンさんのブログ記事「思う事」(4月10日)
魑魅魍魎としたアンチ界隈。
そんな場所で、ブログ書き続けて3年目。
今、そんなアンチ界隈で、あらためて想う事。
関わってはいけない人とは、関わらない。
距離をおいた方がいい人とは、距離をおく。
(中略)
自己陶酔が激しい人、被害妄想の強い人、他人を巻き込んで何かを主張する人とは距離をおきたい。
読んでいて負の感情しか生まれません。
そういう人の周りは、不思議と似たような人が集まっているなぁと思うばかり。

レモンさんのブログ記事「覚醒した場所」(5月1日)
「私は傷ついた」「このブログはこうあるべきだ!」と声高に叫ぶ人に限って、周りを不快にさせ、他人をグサグサ傷つけ、引っ掻き回している事に気がつかないものだ・・・と、個人的には思っています。

名指しこそされないものの、私もレモンさんに批判されているのですね。

残念です。

私自身、シニフィエさんにはひどい目に合わされました。

事実と異なる誹謗中傷をしておいて、いったん謝罪するものの、その謝罪文は目立たないところに置いて、誹謗中傷する文章はそのまま残す。
法的手段に訴えようとしても、WordPressの壁にはばまれて、かないませんでした。
でも、個人の名誉を損なうことをし、なおかつ今も放置しているということは確かなのです。
分かっていただけるでしょうか。

対話ブログという場のおかげで、創価学会組織のしがらみから抜け出すことができて、感謝している人が少なからずいることについては、私も承知しています。
私自身も、対話ブログの再開を望んでいないわけではありません。
しかし、その前提として、これまでシニフィエさんに傷つけられたと訴えている人々や、事実と異なる誹謗中傷に傷つけられた私自身に誠意ある対応をしてほしいと思っているのです。
パクリ事件の当事者である被害者○○さんは、ご自分のブログで、このように明確に、対話ブログの再開を望む気持ちを表明されています。

「シニフィエさんへ、追伸です。(* ̄∇ ̄*) 」(2月3日)
私はシニフィエさんが、春休みを取ったらエナジーアップして、『対話』を再開してほしいです。
そして、できれば「いけ好かない投稿者」にも、スルーしないで一言かけて上げてください。
みんな、ドキドキびくびくしながら『対話を求めて』に投稿しています。

どうして、あんなに強くレモンさんに非難されなくてはならないのか、わかりません。


私も、対話ブログが再開される場合は、多少意見の違う人のコメントも拒絶せず、なおかつ相手の信仰に対しては最低限の敬意を払っていただきたいものだと思っています。

ところが、対話ブログの最新記事を読むと、シニフィエさんはこう書いています。

これからブログを再開するにあたり「論争はしない」ということを徹底したいと思います。
論争したばっかりに、思わぬところでいろんな人がゴタゴタに巻き込まれてしまい、たくさんの人がいらぬ時間を使い、心を砕くことになってしまったからです。

また、ゼロさんは「7つの鐘について」(4月26日)という記事で次のように書いています。

伝えたい気持ちは
幅広く受け止めるつもりです(^_^)
でもここでは
対話は求めませんので
それは
違うんじゃないの?とか(笑)
そういうのはここでは無し!

「論争はしない」という「対話ブログ」。
そして、「対話」を拒むゼロさんのブログ。
そんなことでいいんでしょうか?
反対意見を拒否する「批判拒否体質」は、あなたたちの批判する創価学会の専売特許ではなかったのですね。
創価学会や公明党に対する批判は、その真偽・その意味を問わず採用し、自分たちアンチに対する意見や異論には耳を貸さない。
そんなダブルスタンダードでいいのでしょうか。

つづく


ゼロさんとの「対話」おまけ~その1

2021-05-03 15:57:12 | ゼロさんのブログ

その後、私は「アメブロのコメント欄での「対話」は難しい… (4)」というアメブロの記事を書きました。

その中で、最後にこう書きました。

(ゼロさんがゼロさんのブログにおいて)「個人の批判をしない」などというルールを掲げるのは、さんざん創価学会員や公明党議員の批判をしてきたブログの管理者の言葉としては、どうかと思います。
創価学会員や公明党議員についてなら、どんな悪口や批判をしても構わないが、アンチ同士ではどんな批判も許さないというのでは、ダブルスタンダードもいいところです。
そんな仲間内だけの、批判精神の欠片もないブログなど、続ける意味もないと思います。

しっかりしてください。
ゼロさん。

獅子風蓮

その後、ゼロさんからは反応はありませんでしたが、コメント欄に、haru という人がコメントを寄せました。

その中にこう書いてありました。

個人批判のことですが対話ブログもゼロさんのブログも、創価学会という組織を非難しているのであって、創価学会員の個人の名前を挙げて攻撃したり非難してはいませんね。
池田氏は別です立場が違うし非難を受ける地位にいる人ですから。
ところが獅子風蓮さんはシニフィエさんゼロさんという個人を挙げ攻撃し非難している、このところもよく考えるべきですよ。

この点については、私は返信でこう答えました。

個人批判のことについても事実誤認があるようです。
記憶に新しいところでは、ゼロさんは公明党の前国会議員について実名をあげて非難していました。
ゼロさんが個人批判をまったくしていないわけではないでしょう。
ただ、私の言いたいのは、正当な批判であれば、むしろするべきだということです。
そのためのブログなのですから。
でも、牧口先生や戸田氏の場合のように、最初から金儲けのために創価教育学会を作ったとか、根拠のあやふやなトンデモ学説を流しているのですから、それに関しては黙っていられず、ゼロさんに意見したわけです。
正当な理由のある批判はどんどんするべきだと思いますが、批判の正当性に疑問がある場合は、正々堂々と議論に応じるべきではないでしょうか。

牧口先生や戸田氏にも遺族はいるのです。
たしか、みんな創価学会からは離れていると思うのですが、彼らがゼロさんのブログを読んだら、どんな気持ちになるでしょうか。
そういうことにも思いをはせるべきだと思います。

さて、対話ブログのブログ主さんですが、彼については、私自身がいわれのない罪を着せられて苦しめられた当事者なのですから、私が彼を批判するのは当然でしょう。
詳しい内容は、過去の私のブログ記事を読んでください。

これについては、ゼロさんもあなたもスルーしますよね。
シニフィエさん自身は、後に自分の罪を認めて、私に謝罪しています。
しかし、悪いのは自分ではなくHOPEさんだと責任転嫁をしたので、私は許せないのです。
このことについては、シニフィエさんは公式的な場で謝罪していません。
私も、まだ彼を許していません。

その後、haru さんは返信するでもなく、アメブロのIDを消して、どこかに行ってしまいました。
ゼロさんからも、反応はありません。

もし牧口先生や戸田氏の遺族から訴えられたらどうしますか?
ゼロさん。
WordPressの壁は、あなたを守ってはくれませんよ。

つづく