獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ご挨拶

2022-12-31 01:47:05 | 日記

いつも「獅子風蓮のつぶやきブログ」を訪れてくださり、ありがとうございます。

思えば、昨年の1月にアメブロで初めてブログなるものをはじめ、自分の思うことを気ままに書いてきました。

その後、シニフィエさんの対話ブログにコメントをはじめたことをきっかけとして、嵐のような日々が始まりました。

シニフィエさんから悪意を持った扱いをされ、取り巻きの常連からも袋叩きに会い、凹みそうになりましたが、なんとか反撃できたのは、砂糖さん、海さんをはじめ理性的に私の文章を読んでくださった方々の応援があったからこそです。

この場をお借りして、あらためて感謝の言葉を伝えたいと思います。

 

ひょんなことからGooブログでもブログを始めることになり、最初は気楽なつぶやきをしていこうと考えていたのですが、対話ブログおよびゼロさんや海さんとの対話など、貴重な記録を保存する場として活用して、現在があります。

過去に出版された書籍で現在は入手が困難となった貴重な本をスキャンして載せたりもしています。
著者はおそらく自分の本が広く読まれることを望んでおられると思われますが、何か支障がありましたら、ご連絡ください。


最後になりましたが、かつてのマイヒーロー、シニフィエさん。
ブログの再開、お慶び申し上げます。

2022-10-20に以下の文章を、対話ブログにコメントしたのですが、承認されませんでした。
(獅子風蓮のつぶやきブログ「【みんなの声】対話ブログとシニフィエさんについて」のコメント欄参照)


獅子風蓮です。
元創価で今は法華講に所属。
組織には属さず、信仰は保っています。

シニフィエさんの「対話ブログ」がいつの間にか公開となっていますね。
統一教会のために苦しい思いをした二世の引き起こした事件が、シニフィエさんの気持ちを揺さぶったのでしょうか。
「対話ブログ」が、創価学会の問題に悩んだ人の支えになるのでしたら、再開を素直に喜びたいと思います。
ただ、以前から要求していますように、「しばらく休止します。」(投稿日: 2021年2月5日)の記事の後半の部分は、事実に反して私を誹謗中傷する内容を含んでいますので、削除するか、訂正する旨を表示してくださるよう、よろしくお願いします。
シニフィエさんは、私の言葉がHOPEさんを傷つけたものではないことを承知していながら、HOPEさんの言葉を利用して私をとことん中傷しましたよね。
そのことは明確に、シニフィエさん自身、謝罪しています。
(2021年2月9日 19:05のコメント)
しかし、今となっては、そのコメントはコメントの群の奥に置かれ、一般の人の目に付きません。
できれば、あらためて、誠意をもって、きちんと私に謝罪をしてくださることを望みます。

それはさておき、シニフィエさんの事実に基づかない私への中傷を真に受けて、何人かの参加者が私を批判するコメントをしていました。
たとえば、たらこ唇の天使さんの次のコメント(2021年2月5日 10:54)

>獅子風蓮さんの言葉にHOPEさんが大いに傷つかれたとのこと……彼のそういう一連の「言葉の刃」の中のいくつかを、私のコメントが引き出してしまったかもしれず、あなた様には到底及びませんが、私もまたHOPEさんの御無事を強く念じないわけには参りません。

ところが、そういう参加者は誰も、シニフィエさんの事実に基づかない私への中傷を真に受けて行った自身のコメントを取り消しもしなければ、謝罪の言葉を口にすることもありません。

最近再開した「対話ブログ」には、ハルキさんやたらこ唇の天使さんもコメントしていますね。
ここは一応、礼儀として、私に対するいわれのない誹謗中傷を取り消し、謝罪の言葉を述べるできではないでしょうか。

ところで、SGKMKさんが挨拶をされていますね。
「ブログ閉鎖の原因を作ってしまい申し訳ない」と謝罪の言葉を述べ、以後コメントしないと宣言しています。
その態度はあっぱれだと思います。

しかし、2022年10月20日 01:08 のシニフィエさんのコメントを見ると、「ダサい親父」さんがコメントしたが自己紹介がなかったので了承しなかった旨述べられています。
アンチ界隈では「ダサい親父」さんはSGKMKさんと同一人物だろうということになっています。文体から、私もそうだと思います。
SGKMKさんは、別のHNを使ってでも「対話ブログ」に参加したかったということですね。
なんだかダッセーの。

最後の一行はよけいでした。

お騒がせいたしました。

獅子風蓮


その後、対話ブログの新しいスレッド「このブログのこれからについて」が立ち上がりました。
最後には、

>少しでも創価に疑問を感じることができる学会員さんに対しては全面的に相談に乗れるような場所になればと思っています。逆に完全創価脳さんたちは完全にシャットアウトしていきますので、みなさん、これからもよろしくお願いします。

と書いてあります。
「対話ブログ」のはずなのに、最初から対話拒否ですか?
「対話ブログ」の名前が泣きますね。

私も「創価脳」と分類されているのでしょうか?
私は「創価脳」なんかではありませんよ。
私は、シニフィエさんにいわれなき誹謗中傷を受けた被害者ですよ。
お~い!
聞いてますか。
シニフィエさん。

個人的には、今でもあなたの業績をたたえ、当初の高い志については尊敬しています。
でも、悪かったことは悪かったと認め、きちんと謝罪してほしいです。
そのうえで、こちらの要望を聞いてほしいと思います。
少なくとも謝罪すべき相手をシャットアウトするのではなく、対話の窓口をあけておいてほしかったです。

シニフィエさん。

よろしくお願いします。

 


来年も、新たな出会いがありますように。

みなさま、良いお年を。

獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第5章 その2

2022-12-30 01:25:15 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
■第5章 悪夢は消えた
□あとがき



T子の統一教会への抵抗
私は、彼女から、私がいなくなってからの様々なことを聞いた。
私の失跡が表ざたになる前日の夜中、某スポーツ新聞の記者を東京・松濤の本部に呼んで、勅使河原さんが詳細を説明したのだという。その部屋にはムービーカメラが設置されていて、T子たちは別の部屋のモニターで、その模様を見ていたのだそうだ。
私は、自分も行ったことがあるかもしれないその部屋に、カメラが設置されていたことを思うと、薄気味悪くなった。
彼女は、私の失跡を公表する記者会見は勝手にやらないでくれ、と教会の人に頼んでいた。事が大げさになると、私が大事に思っているスクールに迷惑がかかると思ったからである。
でも、彼女がまた松濤本部に呼ばれた時は、もう各社に記者会見を行う旨のFAXを流したあとだった。
教会はこの「失跡記者会見」の時に、統一教会の敵である「被害者弁護士連絡協議会」の弁護士を会場から追い出した。彼女はそれを見て、私が記者会見をやる時には、反対に統一教会の関係者が追い出されても仕方がないなと思ったらしい。
私の机の上に置いてあった婚姻届は、教会幹部の一人が「書いて出してしまえ」と言ったそうである。さすがにそこまではしなかったが、教会は、私が以前に書いた統一教会を賛美する手記も出版しようとしていた。彼女は、私がいなくなってすぐに、手記を一部でも使ってはならないと、会社の人間として教会の人に釘をさしていたにもかかわらずである。
「本の著作権は、本人にある。いったい、どうなってるんですか」
と彼女はかみついた。教会の人は、
「浩子さんが、どれだけみ言が素晴らしいと思っていたか知らせるべきだ」
という。そして、
「あなたが会社の人間としてそう言うのはわかるけど、御言を聞いている人間としてはどうなの?」
と問いただされた。統一教会員として一番に考えなければならないことを指摘されたのだ。彼女は一瞬ひるんだが、
「統一教会は、山崎が堕ちると思っているんですか? 山崎が出てきてから、“拉致・監禁”まで入れて出せばいいじゃないですか。山崎がいない時に中途半端な形で出すのはおかしいですよ」
と答えた。私の脱会をいちばん信じていなかったのは彼女だったのかもしれない。


教会側の必死の捜索
統一教会は、私の居所を知りたいと、多種多様の手を使った。S牧師には、はやくからあたりをつけていたという。
一度はその場所を発見して、“助けよう”と、人集めのためにその地域にFAXを流したらしい。
「百人ぐらいで行ったんだけど、踏みこんだら、もぬけの殻だったそうよ。どうも内部にスパイがいるみたいなの。対策本部の方もがっかりしているそうよ」
そんなふうに、T子は聞いていた。「内部にスパイがいるようだ」ということを、みんな警戒していて、彼女も誰を信じていいのかわからなくなっていった。
「それねえ、私もちょっと聞いたけど、全然見当違いのところに踏みこんだんだよ。そんなところにはいなかったもん」
私が言うと、彼女は「ア、ソウ」とあきれていたが、私の失跡後は、いつも怯えるようになったのだという。
私がいなくなってすぐに、彼女は、
「(反牧に狙われているのは)次はあなたの番よ」
と、何人もの教会関係者に言われた。24時間体制のボディガードをつけましょうかと言われ、さすがにことわったものの、車のバンを見るとビクビクした。反牧か、そうでなければマスコミじゃないかと不安をつのらせていたのだ。
教会内部も、混乱をきたしていたという。各地からも、いろんな情報が入ってくる。
本部では「お前たちがしっかりしてないから、こういうことになるんだ」と信仰の先輩方から怒られているというし、電話が殺到し、パニックになっていた。
彼女も、神に近いはずの幹部の人たちが、お互いに怒鳴り合っている様子を見て、こういう人たちが中心でやっているんじゃあ、まとまるものもまとまらないなと不信感を持った。
各地で啓示が下りたといって、本部に次々と連絡が入る。
断食をしていて身体が弱っている。黄色い錠剤を飲まされていて、身体が思うように動かなくなって、このままじゃ大変だ。毎日、よってたかって原理を捨てろといわれている。琵琶湖のあたりだ。京都だ。和歌山だ。
各地での“啓示”がおりるたびに、本部ははやく助けなければと翻弄された。
そして霊能師のM先生が、T子に電話をしてきた。
「祈祷してるんだけど、サタンがガードしていて、元信者たちが浩子さんが堕ちるようにと祈っているから、なかなか祈祷が届かないのよねえ。元信者は、元信者だけあって、祈祷してろって言ったら、ずっと祈祷してるからね」
彼女は、「でも元信者より現信者の方が多いんじゃないんですか. こっちには神とメシアがついてるじゃないんですか」と純粋に答えた。
M先生は「あら、そうねえ」と言って電話を切ったという。

 

「自己犠牲」と「出世」の矛盾
別な時、またM先生から連絡が入った。
霊能者にも得手、不得手があるから、必死で祈っているんだけど居場所がわからない。それで、いい霊能者を知らないか、ということだったらしい。
「わかりました。聞いてみます」と彼女は言い、その後ある人に紹介された霊能者を、M先生に紹介した。その霊能者も同じ教会員だった。
M先生はその人に連絡を入れたあと、
「電話をしたら、私もよく知っている人だったわ。その人のお母さんは能力のある人で、私と昔、よく組んでやっていたのよ。その息子さんも知ってるけど、東京にいたかったのに、地方にとばされたのよ。少なくとも彼は霊眼なんか開けてないわ。M先生、霊眼が開けたんですよォってうれしそうに言ってたから、そんなこと言うもんじゃないってたしなめといたわ」
と彼女に説明をした。
彼女はびっくりしたという。地方にとばされたという表現が、宗教の世界にあるものなのかと意外だったのだ。
それは私も同感だった。そして以前、神山名誉会長からも同じような表現を聞いたことを思い出した。
2月末にあった教会内の講演で、神山名誉会長は昔のことを振り返り、御旨を歩んでいる初期の頃、「私の(教会内の)出世はどうなる?」と思ったことがあったと話していた。話はその後、いかに自己犠牲、自己否定が大切かを話されて、感動したものだった。でもその時に、何かひっかかっていたものが、あざやかによみがえる。
(なぜ、宗教の世界で、出世が必要なのだろう)
「私の出世はどうなる?」
「地方にとばされたのよ」
どちらも、この表現は理解しがたいものだった。
それに、霊眼が開けたと喜んでいる人を怒ってたしなめて、あなたは霊眼なんか開けていないと言うこと自体がおかしい。統一教会の教えでは、御言を学び、神の御旨を歩んでいれば、霊眼が開けてくるはずだった。統一教会の考えからすれば、突然霊眼が開けてもおかしくないはずなのにと、私たちは言い合った。
M先生はその後、環故郷(故郷へ帰る)の摂理ということで、和歌山の方へ移られた。
そこからT子に電話をしてきた。
「やっぱり近くにいると、お祈りが通じるのよねえ」
と喜んでいたらしい。
その頃、私は東京にいた。和歌山の近くなどにはいなかった。私が三重や名古屋にいるという情報が流れていたので、近くにいると思いこんだのだろう。
まあ、それもわからないではなかった。

 

 


(つづく)

 


解説
第5章では、山崎浩子さんが脱会記者会見を行ってからのことがていねいに描かれています。

“拉致・監禁”された山崎さんを巡って、教会側が慌てて右往左往するさまが描かれています。霊能者のふるまいが間抜けですね。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第5章 その1

2022-12-29 01:46:17 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
■第5章 悪夢は消えた
□あとがき



■第5章 悪夢は消えた

脱会記者会見
1993年4月21日。
まだ肌寒い清らかな朝だった。
世間に大バカな私を見てもらう大事な日だった。
午前7時15分。
統一教会員が押し入ってくるんじゃないかという厳戒体制の中で、会見が始まった。
「大変長い間、ご心配とご迷惑をおかけして申しわけありませんでした。昨年6月25日に、私は統一原理を真理として信じるということを皆様の前でお話ししたわけなんですけれども、
……すべてが間違いであったとわかりましたので、世界基督教統一神霊協会より脱会することを決意しました。私の本当に軽率な言動で………」
言いながら、そう言えたことにホッとしていた。この言葉を発するまで、誰一人として私の脱会を完全に信じてはいなかっただろう。姉たちも牧師さんも、
(この瞬間に裏切るのではないか)
と、かすかに思っていたに違いない。そして、この私でさえ、自分自身がこう言えるのが信じられなかった。自分ではわからないマインド・コントロールがまだ残っているのではないか、と心のどこかで怯えていた。
会見を終えた時、エネルギーはもうわずかしか残されていないような気がした。
ワイドショーはきらいだと思ってきたが、統一教会の罪悪性を訴え続け、それをお茶の間に浸透させてくれたのもまたワイドショーであった。これだけ大騒ぎになった以上、全局のワイドショーに出演しないわけにはいかなかった。
テレビ出演を終え部屋に帰ってくると、私の身体はガチガチに固まっていた。緊張のまま、しゃべり続けていたせいだろう。


勅使河原さんに宛てた一通の手紙
「すべてが間違いだった」という私の言葉を、勅使河原さんは、T子は、教会員はどう受けとめてくれたのだろう。
彼らが自ら牧師さんのところへ行ってくれることを願った。
私は代理人をたてて、新居に運びこまれていた私の荷物を引き揚げることにしたが、その時勅使河原さんに渡してもらおうと手紙を書いた。今彼に言える想いをすべて書いたつもりだった。
「私の最後の願いは、勇気をもって牧師さんのところへ行ってほしいということです」
便箋一枚だけだったが、心をこめてそう書いた。
それは私の最後の賭けのようなものであり、彼への不信感をとりのぞいてくれる手段でもあった。そして私は、私のこの脱会問題が、ただの男女の悲恋物語になっていくことを恐れた。統一教会の社会的問題が、私たち二人の問題の影に隠れてしまうことこそが問題だった。
しかし、次第に、宗教によって引き裂かれたかわいそうな二人……という話にいらだちを覚え、それは怒りへと変わっていった。何がかわいそうって、いちばんかわいそうなのは、統一原理を信じていること自体である。
そこには自由というものはない。
統一教会側は、私の脱会騒動は「信教の自由」を奪い、人権を奪うものだというが、献身者には職業も住むところも自由ではない。結婚も教会の指示によるのだから、どっちが人権を奪っているのか、と思う。
それに、生まれてくる子供は「神の子」としてあがめられる。三家族で三位基台というのを組んで、どこかの家庭に子供が生まれなかった場合は、他の二つの家庭の中から、その家庭へと子供を養子に出さなければならない。自分の子供は、公の子、教会員全体の宝なのである。
「信教の自由」と叫んではいるが、親が統一教会員なら子供は何を信じてもいいというものではない。神の子として、小さい時からその思想を受けつぎ、文鮮明をメシアとして、神とメシアのためだったら何でもするという二世をつくりあげねばならない。これこそが、統一教会の狙いである。祝福をうけて、子供が生まれて、その子供が別の道へ行こうものなら、それは堕落以外の何ものでもないことになるのだ。
文鮮明一家のために働き続ける大思想集団をつくりたいのだ。そして、自分が信じているだけでなく、伝道をしなければならないのだから、個人の信教の自由という次元の話ではないのだ。
私は、間違いに気づいたのが、結婚して子供が生まれたあとでなくて本当によかったと思った。
子供が生まれれば、反対している人だって「おめでとう」と喜んでくれることだろう。いや、喜ばない人はいないだろう。それを彼らは“神の勝利”とするのである。
「どんなに反対している親でも、子供が生まれれば反対しなくなりますよ。子供はやっぱりかわいいですからねえ」
そんな話をよく聞いた。子供が生まれたことに対して、まわりが素直に喜んでくれることを、神側の勝利、統一教会側の勝利として受けとめるという思考回路をもっているのである。まるで子供をだしに使って、統一教会への反対を少なくするようなものだ。もし、私に子供がいたら、まわりの反対もおさまり、間違いに気づくチャンスさえ与えられなかったことだろう。
「娘が幸せならいい」とか、大の大人が選んだ道なんだから、無理に脱会させる必要はないじゃないか、という人たちもいる。
でも大の大人が、判断をあやまらないと、どうして言えよう。知らずに悪に手を染めているとするなら、それが何歳であろうとどんなことがあってもやめさせるのが親の愛だろう。「娘が幸せならいい」とあきらめるには、統一教会の社会悪に対して、あまりにも無責任である。
「本人たちが幸せなんだったらそれでいいじゃないか」と言ってる間に、本人たちは、喜んで霊感商法に手を染め、加害者になっていくことを親たちはしっかりと知らなければいけないと思う。
私たち“三女王”がマスコミに出て、様々な意見が述べられた。そんな中で、「でも幸せそうですよねえ。こんな結婚もあっていいんじゃないですか」と誰かがコメントしてくれたが、それが私たちにとって、いや統一教会にとって、どんなに励みとなったことか。統一教会は世に認められ始めたとか、神の勝利だとか、大喜びだった。
私自身、一人の人間である前に、統一教会員であると思っていた。だから、仕事がうまくいけば、統一教会が認められることになると思っていた。
そして、かわいい赤ちゃんを生んで、またマスコミにとりあげられて、リポーターの方々が「おめでとうございます」といってくれた時、最高の勝利を確信したことだろう。
自分たちの幸せそうな姿を世にアピールすることが、三女王の使命でもあったのだから。
私は、改めて、婚姻届のサインをしていなかったことに運の強さを感じた。そして、この時期に、私が加害者となっていくことを阻止してくれた姉たちに、深く、深く感謝した。
逆に言えば、勅使河原さんにとっても、今がチャンスのはずだった。牧師さんのところへ行ってほしいという私の願いは、彼の胸に届いたのだろうか。
私は待った----。
----だが、自ら牧師のところへ来たのは、T子の方だった。


親友がうけたショックとは
ちょうど、S牧師(私を説得してくれた牧師のうちの一人)のところに、リハビリがてら滞在していた時のことだった。
T子からS牧師に連絡が入ったことを知り、私は涙が出るほどうれしかった。
真剣に話を聞きさえすれば、心のガードを取り除きさえすれば、絶対にわかってくれるはずだ。
私がいなくなってから、彼女がどんな教育を受けたかはわからない。でも自分一人で来てくれるというのだから、大丈夫だと信じた。
彼女と再会した時、私たちの間にしばらくは言葉はなかった。
脱会宣言をする直前まで、彼女は私の脱会を信じてはいなかった。記者会見の前夜、私の手記を手に入れ、それを見ても信じられなかったという。
彼女は、記者会見場の近くで、神山名誉会長たちと一緒に車に乗り、車の中のテレビで私の会見を見た。会見場に入ってきた私の顔を一目見て、「こりゃ、ダメだ」と思ったという。
「すべてが間違いであったとわかりましたので、世界基督教統一神霊協会より脱会することを決意しました」
その私の言葉を聞いた時、彼女の頭の中は真っ白になったという。
その後のリポーターの質問で、
「会社の方とかには連絡はとられていたんでしょうか」
という問いに、
「内々に信頼のおける人に連絡は入れました」
と私が答えた時、彼女は異常なショックを感じた。
(自分以上に信頼のおけるスタッフがいるの?)
彼女は私が脱会したことよりも、自分が信頼をおかれていなかったということに、言いつくせないやるせなさを感じたのだった。
家まで送っていこうか、という幹部の人の言葉に、「けっこうです」と答え、一人でトボトボと歩いた。
(あれほど信じていたのに、何が間違いだったというのだろう。何をあんなに怯えていたのだろう。自分が信頼のおけない人になってしまった理由を知りたい。山崎は人格が変わってしまったのだろうか。私も真実を知りたい)
彼女はそこから、統一教会との一切の連絡を絶ったという。ホテルを転々としながら考えた。
そして、勇気をふりしぼってS牧師に電話を入れた。
「よく電話してくれたね。怖かったでしょう」
教会内では、相当悪い牧師と言われているのだから、一人で飛びこんでくるのは大変なことだったろう。
「いや、別に」
彼女はそう答えたというが、後に「ホントはすっごく怖かっだんだ」と告白している。
S牧師の話をいろいろ聞いたあと、彼女は脱会を決めた。
やはり、私がいなくなったあと、彼女は集中講義をうけていだが、会社やスクールのことが心配で、頭の中には入っていなかったという。それでも、彼女は自分自身で、ある驚きを持った。統一原理をあまり理解していないのに、がっちり思考回路が組み立っていたことにびっくりしたのである。彼女の表現でいえば、「やられた~」と思ったそうだ。
このことは、口で説明しても紙に書いても、きっとわかってもらえないと思う。本当のところは脱会した者にしかわからないことだ。
ともかくも、この自分でさえ、こんな思考回路を持っていたのだから、献身している人や、ガチガチに統一原理が入っている人は、ものすごいだろうなあというのが、彼女の感想だった。
「これじゃあ自然治癒なんてないね」
と彼女は言った。たしかに、カウンセリングなしに思考回路をくずすことは難しい。
少しして彼女は、私の脱会後、自分が一回だけ統一教会に連絡を入れていたことを思い出した。
彼女は、脱会した私を安心させるために、「一度も連絡をとっていない」とウソを言っていたのではない。都合の悪い記憶は、自分でも知らないうちに語憶から消していたのである。
それは私にも言えることだった。時がたつにつれて、埋もれていた記憶がよみがえってくる。私の記憶は、統一教会用の記憶にすりかえられていたのである。
御言を学び始めた時から、私の頭の中には、実際には私のまわりにたくさんあった温かな家庭、素晴らしい夫婦は存在しなくなった。統一教会で、この世の愛は乱れた愛、どんなに仲の良い夫婦であっても、祝福を受けなければ地獄行き、という言葉で、まわりの温かな家庭は否定されていった。そしてかわりに、不倫をしている家庭や、うまくいっていない夫婦のみが頭の中にこびりつくようになっていったのだ。


(つづく)

 


解説
第5章では、山崎浩子さんが脱会記者会見を行ってからのことがていねいに描かれています。

米本和広『我らの不快な隣人』の中、
「第13章 水面下の攻防」
に次のような記載があります。

今から振り返ると、閉じた循環運動の原型は、山崎浩子の脱会劇によって完成したのだと思う。
……失踪から1か月半後の4月21日、山崎浩子の顔が突然、テレビに映った。
「このたび統一教会から脱会することを決意しました。私はマインド・コントロールされていました」
反統一教会陣営が勝利した決定的な瞬間だった。
説得にあたった杉本誠牧師は陣営のヒーローになった。
信者家族は「マインド・コントロール」を知り、……拉致監禁は年間400件に増加する。
山崎は1年後に出版した『愛が偽りに終わるとき』で、このときの経緯を明かしている。
<姉たちが“拉致・監禁”をするなんて……。到底信じられないような想いだった。けれど、これは間違いなく、統一教会で何度となく聞かされた“拉致・監禁”だった>
<私は、たまらなくなって、泣きわめいた。
「なんでこんなことする! ……」>

ここに書かれている、山崎浩子さんに関する記述をそのまま読むと、彼女はその著書で、“拉致・監禁”の理不尽さを訴えているかのような印象を受けます。
しかし、実際に彼女の著書を読むと、その反対で、最終的に彼女は、家族による「保護説得」と牧師による説得に感謝しているのです。

米本和広氏の『我らの不快な隣人』は、公平な立場から書かれた優れたルポルタージュだと思いますが、唯一、この件だけは違和感を覚えました。

 

生まれてくる子供は「神の子」としてあがめられる。三家族で三位基台というのを組んで、どこかの家庭に子供が生まれなかった場合は、他の二つの家庭の中から、その家庭へと子供を養子に出さなければならない。自分の子供は、公の子、教会員全体の宝なのである。

今マスコミで問題になっている「教団による養子あっせん」は、すでに山崎さんの本で書かれていたのですね。

 


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その6

2022-12-28 01:37:03 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき


親友を入信させた悔恨
私は一刻も早く、私の間違いをみんなに伝えたかった。
とくに私が入信をすすめたT子に対しては申しわけない気持ちでいっぱいだった。彼女はまだ祝福を受けておらず、献金もさほどしてないとはいえ、私が安易にすすめてしまった結果、人生を大幅に狂わせてしまった。
(今、彼女はどうしているのだろう。会社のこと、新体操スクールのこと、何から何まで彼女一人に背負わせてしまっている)
いちばん信頼している友人だった。つらい時、苦しい時をいつも助けてくれた人だった。彼女に連絡さえすれば、新体操スクールの対応もすべて任せられる。
でも、彼女は統一教会員だった。一人の人間である前に統一教会員だった----。
2月ぐらいまでの彼女は、それほど熱心な信者ではなかった。統一原理がのみこめてなくて、様々な質問をぶつけてきたぐらいだ。かえって教会に対して批判的な想いを持っていたほどだ。
けれど今の彼女の状態はわからない。私がいなくなったとわかったからには、統一教会から短期集中的教育をうけているかもしれない。だとすると、もう以前の彼女ではない。
私からの連絡を教会に流さずに、新体操スクールだけにとどめておくことは無理だろう。それは、私の以前の、ほんの少し前までの思考回路、行動パターンを考えてみればよくわかる。
マインド・コントロールの実態を知った今、統一教会員である彼女は信じることができない。
また、彼女が脱会しない以上、これから一緒に仕事をしていくことはできないだろう。
(あんなに二人でがんばってきたのに……)
彼女と知り合ったのは大学3年生の頃だった。彼女はスポーツ・フォトグラファーであり、おもに新体操を撮っていた。
気が合った私たちは、二人で同じ夢を抱いた。
オリンピックを終えた私は、次の目標をみつけるためにさまよい続けた。テレビの「クイズダービー」にも出演していたが、芸能界だけにどっぷりつかる気はなかったし、そんな力もなかった。他に何をやればいいのかと、迷いに迷っていた。高校1年から新体操を始めて9年間、新体操ひとすじでやってきた私にとって、オリンピック後の心の空白を埋めることと、次の目標をみつけることは容易なことではなかった。
テレビに出演したことでアマチュア規定に反し、もう二度と新体操の世界に戻れないと言われた。体操協会や大学とうまくいってないのではと、マスコミから袋叩きの攻撃を受けた。
泣いて暮らした日々に力になってくれたのが、このT子であり、T子の家族だった。
T子の実家に居候させてもらいながら、次第に自分を取り戻していった。苦しい時こそ自分をみつめるいい機会だった。
そして、依頼により週一回だけ、子供たちに新体操の指導をすることになった時、私はあらためて新体操の素晴らしさを知った。子供たちの楽しそうな笑顔、「できたヨ」とかけ寄ってくる得意そうな顔。そんな笑顔のひとつひとつが、私に活力を与えてくれた。
自分が感じてきた新体操の世界、苦しくてつらくて、でもその何倍も喜びがあって、そういう想いと素晴らしさを、この子供たちにもっと伝えることができたなら……と私は新しい挑戦をしたいと思うようになった。
(自分の新体操スクールをつくりたい)
一度消えかけた生きることへのエネルギーが、新たな目標によって再び燃え始めた。

 

二人でかなえた新体操スクールの夢
T子もまた、私が新体操スクールをつくることに大賛成だった。
新体操を撮り続けて、その魅力にとりつかれた一人であり、日本の新体操をもっと繁栄させたいと思っていた。世界の最高の舞台に立った私なら、喜びも悲しみも苦しみも、多くのことを伝えられるのではないかと言ってくれた。私のスクールの中から、いい選手が出てくれればと、日の丸を背負うような選手をまた撮ってみたいと思っていた。
スポーツが好きで、自分自身も陸上のトップに立ちたいという夢を持っていたが、身体が弱く、挑戦することさえもできなかった彼女は、ひとつのことに打ちこむ選手たちの姿を見たかったのかもしれない。
人に感動を与えられるような選手をつくりたい、ただ新体操ができるというだけでなく、新体操を通じて心を学べるようなスクールをつくりたい、そういう私の想いに、彼女も共鳴した。
そこから、新体操スクール開校へ向けて準備を進める毎日となった。私たちは二人で会社をつくることにした。有限会社のつくり方という本を買ってきて、その本を見ながら、ひとつひとつ用紙に書き込んでいく。会社の名称を考え、定款を考え、何度も出張所や登記所に通って、何もかもが手作りだった。どうにか86年4月に会社が設立となり、喜びもひとしおだった。
この日から、私たちの外に向けての活動が始まった。広告代理店を通じて、各企業にアタックだ。
企業が協力してくれるということは、それだけ新体操に魅力がある証明でもある。地域で細々とやるのもいいが、新体操全体を考えた時に、企業を味方につけたスクールをつくりたいと思ったし、新体操の魅力を企業にわかってもらいたかった。
私たちの時代は、小学生ぐらいで新体操ができる環境は少なかった。新体操は子供たちにとっても危険性は少ないし、音楽をふんだんに使うので情操教育にも役立つ。企画書を作って広告代理店との話も盛り上がる。
しかし、問題は施設のことだった。
新体操で使うスペースは相当広い。リボンなどは六メートルあるのだから、一人当たりの使用スペースが広いのも当たり前である。それに、輪などは十数メートル以上投げ上げるし、天井の高さも必要だ。
都内で、そんな施設をみつけるのは至難だった。それに、造るとなると何億円かの話になる。
そこまでして採算が合うのか。新体操というスポーツが企業のイメージアップにつながるとしても、そこまで踏みだす勇気は結局なかったのだろう。
構想は次々と崩れ、話は没になっていった。
そのうち、広告代理店は乗り気ではなくなり、スクール開校の夢は遠のいていく。
頼りになるのは自分たちしかなくなった。
誰かれかまわず、「いい体育館知らない?」と聞くのが口ぐせのようになっていた。
(あきらめちゃいけない)
どこかでくじけそうになる心を、必死で奮い立たせた。
そんなある日、鹿児島県人の集まりみたいなものがあった。そこで私は口ぐせとなっていた言葉を口にした。
「いい体育館知りません?」
「ありますよ」
「ホントですか?」
あまりにあっさりした答えにびっくりしたが、さっそくその施設を訪ねることにした。
広く、大きな体育館だった。プールやアスレチックジムまで完備した複合施設で申し分のないところだった。
きっそく、そのN社の社長さんにコンタクトをとる手はずとなった。
そこからの話はまさにトントン拍子だった。
88年4月2日、スクール開校。会社設立から3年目の春のことだった。
スクール開校当初は何もかも手さぐり状態だった。
何しろ3歳から中学生を対象にしたスクールであるし、若いスタッフと共にやっていかなければならない。ある時は幼稚園の先生のようであり、ある時は恐い先生であり、スタッフとは指導について悩みながら進んでいった。
指導の難しさ、楽しさ、面白さを日々感じるばかりだった。
新体操スクールは私の生きがいであり、夢だった。
その夢を、ここでなくしてしまうのだろうか。

 

なんとかしてT子と連絡をとりたい
もし万が一、私が新体操スクールに戻ることができたとしても、二人で、そしてみんなでつくりあげてきたスクールを、またT子と一緒にやっていくことができるのだろうか。それは絶望的に思えた。
彼女は、今までの私と同様、統一教会の思考回路を持った人間なのだ。
なんとかして彼女にも牧師さんと会って話を聞いてもらいたかったが、しかしその前に世間に向かって私の間違いを表明することが先決だった。
そのためには早く記者会見をすることだと思ったが、自分の考えを言葉にするには、まだまだ時間が必要だった。
私は、綿密な計画の上に、T子ではない新体操スクールのスタッフの一人に連絡を入れた。この時期に連絡が入れば、どこまでマスコミや統一教会の手が伸びているかわからず、かえって迷惑をかけるかもしれない。だから公表する必要はなく、彼女を安心させることだけが目的だった。
このことが後にT子にとってどれほど苦痛になるかはわかっていた。しかし、やむを得ないことだった。
そして、私は、自分自身の心の整理と頭の整理につとめていった。
あれほど信じていたことが、また、世間に公言したことが間違いであったことは、自分でも計り知れないほどショックだったらしい。頭の中がしばし空白になった。けれど、なぜかものすごい解放感と安堵感があった。今までぎゅうぎゅうに縛られていたものがフワ~ッと解き放たれていくような感じだった。
私が脱会を決めてからは、牧師さんも少し顔を見にくる程度となった。姉や叔父たちも私に言葉をかけるでもなく、私は読みたい本を読み、ボーッとしていた。

 

頭の整理のために手記を書く
統一教会は相変わらず、尾行や張り込みを続けているようで、一度はある教会に押し入ったそうだ。そこに私たちがいると勘違いしての行動だった。統一教会の怖さは、何をしでかすかわからないという怖さだった。神のためだったら何でもする、指示されたことは疑いも持たずにやるという怖さだった。
次第に冷静に考える力を取り戻してきた私は、勅使河原さんが私の失跡を公表する記者会見で
「彼女は妊娠している可能性がある」と発言したこと、私が彼に宛てた手紙を公開したこと、その他マスコミに対する言動を見て、
(あ、この人は一人の男性として、私を愛しているんじゃないんだな)
と思った。統一教会員としての言動そのものであり、またそれは、統一教会員として、しごく当然のことだった。
わずかな不信感がつのる中、でも彼にも牧師さんのところへ行ってほしいことだけは伝えたいと思った。マスコミや統一教会が目をギラギラさせている中では、会うことも難しいだろう。
私には、彼のためにも二人の関係をビシッと切ってしまうことがいちばんいいと思えた。少しも甘さを見せてはいけない。彼自身が統一教会を脱会すること以外に道はないのだということをわからせたかった。何か強いショックがない限り、自ら牧師の話など聞こうなんて思わないはずだ。きっぱり決別することによって、牧師さんのところへ行ってくれるのではないかという期待があった。
しかし、私が脱会を宣言して世間に出たあとで、彼が、また統一教会がどんな行動に出てくるのか見当もつかなかった。
そして何より、新体操スクールがどうなっているのか、どうなっていくのかが気がかりだった。
昨年から、新体操スクールにもスタッフにも迷惑ばかりかけてきた。私一人のことで、みんなに、つらく悲しい想いをさせてきた。今、この時だってどんなに荒波の中をさまよっていることか。
これ以上、スクールの生徒の親御さんもスタッフも私を受け入れてはくれないだろう。これからどうなるのかわからない私のもとで、スタッフに働いてもらうわけにはいかないと思った。私の心が自由に解き放たれたように、彼女たちにも苦痛から逃れさせてあげたかった。私はどうなろうと、一番に新体操スクールの存続に全精力を傾け、スタッフの将来に力を注がなければと思った。
(自分はどうなってもいい)
本当にそう思った。でもそれは、悲観的な投げやりなものではなかった。あまりにも事が大きすぎて自分の行動の行く末などわかるはずがない。自分が蒔いた種である以上、自分で刈り取らなければならない。ありのままの現実を、あるがままに受けとめよう。
頭の整理のために手記を書き、せまる記者会見に向かって、次第に心は澄んでいった。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

親友を入信させてしまった悔恨について書いています。胸に刺さります。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その5

2022-12-27 01:23:53 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



信者はなぜ金集めに奔走するか
私は脱会者の方々の話も聞きながら、少しずつ気持ちの整理をしていった。
元信者といわれるその人たちは、皆、純粋に、ひたむきに文鮮明をメシアと信じて、歩んできた仲間だった。そしてその誰もが、今もまだ神のため、メシアのためと自分のすべてを投げうって働いている人たちを、一人でも多く救い出したいと思っていた。
テレビに出る元信者、“青春を返せ”と訴える元信者、彼らはその想いを現信者に伝えたくてたまらないのである。自分たちが知った現実を、この真実を知ってほしくてたまらないのである。
そしてそれは、私もまったく同じ気持ちだった。
けれどそれが容易でないこともまた、私たち元信者にはわかっていた。マインド・コントロールされた私たちにとっては、隔離された世界が必要だった。冷静に考える静かな時間が必要だった。信者をだますための情報ではなく、正しい情報が必要だったのだ。
私が、いくら間違いだったと訴えても、それだけでやめる人はいないだろう。また、それだけでやめてはいけない。きちんと牧師さんたちのカウンセリングを受けなければ、それまでの思考回路を残したまま生活することになる。いつまでも脱会したことへの恐怖に怯えながら暮らさなければならないのだ。
私をカウンセリングしてくださった元統一教会員の牧師さんも、ずいぶん長い間苦しんだと聞いた。
「ぼくは脱会したあと、普通に結婚したんだけど、子供が生まれるまでは、やっぱり心配でしたよ。何しろぼくらの時は、脱会したりしたら、ヘビみたいなウロコのある子供が生まれると言われていたんですから。それを本気で信じてたんです。脱会して、そんなことがあるはずはないと思っても、やっぱりどこかで心配でしたね。だから、五体満足で子供が生まれた時には、本当にうれしかっだですよ」
多くの人たちを傷つけ、歩き続ける統一教会。
元信者の中には、7年間もマイクロにのって珍味売りをしてきた人もいた。インチキ募金をしてきた人もいた。霊能師役を何年も続けて、ウソを何百万回とつき続けた人もいた。その人はテレビに出て反対活動をしたため、「死んだ」と教会内部でウワサされていた人であった。
彼らは統一教会の指示通りに、それが天の救いだと信じこまされて、家も仕事も財産もすべてすてて、ひたすら金集めに奔走し続けてきたのであった。すてたものが大きければ大きいだけ、それがウソであっては困るし、信じないわけにはいかなくなっていたのだ。
TBSに無言電話を何度となくかけたという人もいた。アベルの指示で、それが一日の仕事だったのだという。
私はまたひとつ記憶がよみがえった。
教会の幹部の人が、お父様に電話をかけて、「お父様、TBSの報道がとても悪いので無言電話をかけたいと思いますがどうでしょうか」とお伺いをだてたら「おお、どんどん、やれ」というのが返事だったと語ったのも勅使河原さんだった。その時は私も偏向報道ばかりする憎っくきTBSと思っていたから、「お父様はサタンに厳しいからね」と笑ったりしていた。
でも、それが「恩讐を愛せよ」というメシアの言葉だろうか。冷静に考えれば、そんないやらしい手段をとらせるとは情けない限りである。
「真っ向からぶつかることなく、いやがらせをする」
メシアが指示したということは、神が指示したも同じこと。これが神のやり方だということだ。

 

自らはずしたくすり指の婚約リング
よく考えればおかしいことが、どんどん頭の中にわいてくる。
私は幹部の人との接触も多かったので、いろんな話を見聞きした。
マッチングされたあとで、身長が女性の方が大きいということで、組み変えがなされた。
「身長も関係あるんですか」
私が尋ねると、
「やっぱり男性の方が大きくないと、つりあいがとれないでしょ。お父様は、男性のあごの下に女性の頭が入るぐらいがちょうどいいと言われるのよ」
という答えだった。
(へーェ、そこまで考えてくださってるのか)
と、その時は思った。しかしよく考えると、何で身長なんかが関係あるんだ。それこそ普通の結婚相手だったらそれぐらい考えるかもしれないが、これは祝福なのである。七代前の先祖の因縁を霊的にみて相手を決めるというのに、どうして身長が合わないぐらいで、相手を変えてしまうのだ。
こんなケースもあった。
ある日本人の相手はフィリピン人ということで決まっていた。ところがその日本人の家は、家庭問題がはげしい、つまり統一教会に大反対している家ということで、相手はフィリピン人から日本人へと変わった。
家庭問題がはげしい家ならなおさら、よりよい相手、メシアが一番に選んだ相手とマッチングさせるべきだろう。
そうでなくして、何をもって祝福というのだろう。何をもって、これこそ「真の結婚」と統一教会が誇れるというのだろう。ただの集団見合いとどこが違うというのだろう。そちらの方が、まだ本人の意志が尊重される分ましである。祝福を受けて別れるのは0.7パーセントなんてウソばっかり。たくさんの祝福後の脱会のデータがあったし、逆に脱会してから普通の結婚をして幸せに暮らしている人もたくさんいた。
統一教会では、この世の愛は条件づきの愛だと教えられてきた。しかし、統一教会の愛こそ、条件づきの愛であると思った。それは「文鮮明をメシアとして信じている」という条件である。文鮮明を信じたからこそ、この結婚を受け入れた。使命を果たすためなら誰でもいいと思った。
文鮮明がメシアであるからこそ、相手の人を愛せたのである。
だから、文鮮明をメシアとして信じられなくなった今、その愛自体が不確かなものになっていく。
教義の上に成り立った結婚である。教義が間違いであるのに、結婚は認めるということは私にはできない。このまま結婚するということは、統一原理を認めることに他ならない。
こうして統一原理の間違いを知った今、私は勅使河原さんとの結婚を認めるわけにはいかないと思った。
「結婚とは信仰によってするものじゃなく、信頼によってするものなんじゃないか」
牧師さんの言葉が心の中でこだまする。今は、その当たり前のことがよくわかる。
私は、勅使河原さんからもらって左手のくすり指にはめていたピンキーリングを見つめ、そしてはずした。

 

被害者であり加害者でもある狂気の集団
人の苦しみ、悲しみの上に成り立った幸せなどほしくない。人を犠牲にしてまで、知らんぷりして幸せになどなりたくない。偽りの幸せなど手に入れたくなかった。
私は今まで幸せだった。でも信者だったら、みんな幸せなのである。いや、幸せだと思っているのである。そのために人が傷ついたとしても、それは統一原理を知らないからであって、神の摂理をおしすすめるためには仕方のないことなのだと信じている。
おそろしいことである。霊感商法もインチキ募金も合同結婚式も、統一原理からいえばすべて正しいことなのだから。おそるべきマインド・コントロール集団は、目的のためには手段を選ばず、神のために集金マシーンと化していくのだから。
私は、自分自身が手を染めていなくとも、先頭に立って統一教会の旗をふってきたことを本当に悔いた。幸せそうな笑顔をふりまく私たちを見て、多くの人が勇気づけられ、霊感商法をやっていたかと思うと、怖くなった。私は被害者である前に、知らずに加害者になっていたのだ。
悲しかった。全身のカが抜けていくようだった。人のためにとがんばってきたことが、人を傷つける結果しかつくりだせなかったことを思うと情けなかった。
何のための4年間だったのだろう。統一教会という迷宮に引きこまれて、すでに4年の歳月が流れていた。
テレビに映し出される勅使河原さんや桜田淳子さんの姿を見て、かわいそうでならなかった。
逆の立場であったらと、その苦しみや憤りもよくわかる。“反牧”によって二人の仲が引き裂かれたと思うのは当然のことだった。彼らを見るたびに、胸がしめつけられるような想いがした。
しかし、彼らは知らないだろう。“拉致・監禁”を訴える統一教会のその裏は、盗聴・脅迫・尾行・盗みと、目的のためなら、どんなことでもやる集団であることを。
彼らは何も知らず、ましてやマインド・コントロールされているとは夢にも思わず、すべてを善とし、歩んでいるのだ。彼らもまた、被害者であり加害者であった。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

自分自身が手を染めていなくとも、先頭に立って統一教会の旗をふってきたことを本当に悔いた。幸せそうな笑顔をふりまく私たちを見て、多くの人が勇気づけられ、霊感商法をやっていたかと思うと、怖くなった。私は被害者である前に、知らずに加害者になっていたのだ。

この言葉は重いです。


獅子風蓮