獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その13

2021-06-30 03:53:00 | 対話ブログ

●曽根俊矢(2021年1月25日 23:47)
曽根俊矢です。

獅子風蓮さん。
真正面から誠実に向き合って頂き、私は凄く嬉しく思っています。ありがとうございます??
先のコメントで、獅子風蓮さんのお考えが少し理解できたように感じました。
私の感情的な所も見抜かれていて、理解してもらう事で腑に落ちる事は、私の性分です。
自分を認めてくれる人には、尽くしたいと思う承認欲求の強い人間だと自身を認識しています。
だから、創価にも騙されたのだと自負しています。悪い事だと思いません。

獅子風蓮さんの仰る
意見の違いは違いとして残してもいいのではないでしょうか。
「現在苦しんでいる創価学会員を救いたい」という思いは同じなのですから。
もっと楽しくやりましょうよ。
という意見に賛同しています。
その上で、一つ確認して、教えて頂きたい事があります。
私がいいたい事をコメント欄に打ち込み、確認したら、シニフィエさんのコメントといい回しは多少違いますが、言っている内容は同じと認識して、シニフィエさんのブログをシンプルに読みやすくする為に、シニフィエさんの言っている事が私の言いたい事と、コメントを訂正するのは、私はシニフィエ教の信者のようになってしまうのでしょうか?
心外でしたので、率直にコメントしましたが、獅子風蓮さんに不愉快な感情を与えてしまうのを承知で、恐縮ながらストレートにお尋ねさせて頂きます。
この部分のコメントは、安易だと思いました。
傷つきました。
私は、シニフィエさんの意見に100%賛同するものではありません。
違うと思う事は、違うと認識し自身の視野を広げるネタにならないかと考えます。
ここにコメントされる意見を、貴重な時間を割いて真剣に向き合うのは創価に騙された反省からです。
冷静になってくださいと、獅子風蓮さんが仰る通り、ブログをアップした後も、ここにコメントした後も、冷静ではない自分に嫌悪感を持っています。
分かっちゃいるけどやめられないのが、私の本質です。
不愉快な思いを与えて、申し訳ありませんでした。
今後も、沢山お話をしたいと思っています。
宜しくお願い致します。


●曽根俊矢(2021年1月25日 23:51)
曽根俊矢です

いい忘れた事を追加で連射失礼致しますm(_ _)m
獅子風蓮さんの事を優柔不断と言ってしまい私は謝りたいと思います。
優しさなんだと受け入れて、獅子風蓮さんの今後のコメントを拝見していきます。
生意気ですが、このようにしか表現の方法を知らない曽根を許して下さい。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その12

2021-06-29 03:46:41 | 対話ブログ

●獅子風蓮(2021年1月25日 19:28)

獅子風蓮です。
連投、お許しください。
シニフィエさん、コメント承認ありがとうございました。

「東村山女性市議転落死事件」も「白バラ通信 パンドラの箱」もこのブログの読者は大抵読まれておられるので、よそ様のブログを無断で引用せずとも、それを前提に話されて結構です。

高倉教授のブログを長々と引用した件、申し訳ありませんでした。
高倉先生にも、無断転載してしまい申し訳ありませんでした。

獅子風蓮さんの文章は私以上に理解しがたいです。正直申しまして、獅子風蓮さんのブログも、全部読んだわけではありませんが、結局何が言いたいのか、何をどう思っているのかがわかりませんでした。だからこそ「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと思っているのですか」とお尋ねしたんです。そしてたくさんコメントしていただきましたけれども、それでもわかりません。
レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話は、私も知らないわけではありませんが、ここでそれらの話をされると返って話の内容をぼかしてしまうように思います。

私がたらこ唇の天使さんへのコメントの中で、レヴィ=ストロースや森鴎外やヴィトゲンシュタインの話をしたことに対して、シニフィエさんは、「話の内容をぼかして」しまうためだと批判しましたが、それは違います。
私がレヴィ=ストロースの構造主義の話をしたのは、日蓮の「立正安国論」を原理主義的にそのまま現代に持ってくるのは危険だということを説明するのに有効だと思ったからです。
また、法主に信伏随従できず、大御本尊すら大聖人の真筆であるとは信じられない、私のような不信心者が、それでも正宗の信徒として、心安らかに生き、大きな安心の中で死んでいきたいと思うとき、日蓮大聖人も日寛教学も大御本尊も日蓮正宗も、あたかも帰依の対象として正しい「かのように」信じていこうと思っているのです。そのために森鴎外の小説を持ち出したのです。
ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの話を持ち出したのも、私のような醒めた信者が、宗教団体と折り合いをつけるために必要な理論づけだったからです。
けっして、シニフィエさんの言うように「話の内容をぼかして」しまうためではありません。
そこのところは、ご理解ください。

例えば最後にヴィトゲンシュタインの言語ゲームの話になぞらえて、
『私の場合で言えば、日蓮正宗・法華講という集団の中で、「日蓮大聖人も日寛教学も大御本尊も日蓮正宗も正しい」というルールに従って、信仰をする限り、心の安心が得られるということです。もし、そのルールが社会的にまずいと思ったら、ルールの変更を提案します。それが受け入れられなければ、レッドカードをもらうだけです。』
と書かれていますが、獅子風蓮さんはそのことについてどう思っているのかが読んでいてわからないのです。「ルールに従って信仰をする中で、そのルールがまずくなったら変更すればいい」ということに対して獅子風蓮さんは賛同するという意味でヴィトゲンシュタインの理論を引用されたのでしょうか?もしそうであれば「創価学会も日蓮正宗も時代に即したルールの変更をすればいい宗教になる」と考えているのかなと思ってしまいます。そうなると獅子風蓮さんは創価学会を良し悪しは別にしてもいい宗教に変化する可能性のある宗教であると考えていることになるからです。

再びいいますが、ヴィトゲンシュタインの言語ゲームの話を持ち出したのも、私のような醒めた信者が、宗教団体と折り合いをつけるために必要な理論づけだったからです。
私個人が日蓮正宗・法華講という集団の中のルールを変更しようと思ってもできないと思います。
でも、よっぽどひどいルール、たとえば、信心で新型コロナウイルスに打ち勝つのだから、感染防止対策など必要ない、どんどんお寺に来い、というような(実際にそういう方針は出ていません。十分な感染防止策をほどこすことが指示されています。念のため)ルール打ち出しが出た場合、個人の立場で反対の提言をします。それでレッドカードをくらってゲームの外に出ることになったら、それはそれまでのこと、ということです。
創価学会については、私はその集団に属していないので、ルールの変更を提案できる立場ではないことは承知しています。
それでも、現在の創価学会は詐欺組織と同じような構造になっていて、会員を苦しめ、社会に害毒を流しているので、司法の介入を利用してでも、創価学会の組織悪を暴くべきだと思っています。

何度も同じ質問をして申し訳ありませんが、単純に「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと考えているのでしょうか?」この質問に単刀直入に答えていただかないと、話が先に進まないんです。このブログの皆さんとの相互理解のためにもよろしくお願いします。

何回もお答えしますが、
「結論、今のままでは、創価学会は詐欺だと思われてもしかたありません。創価学会に未来はありません。」
創価学会内部の良心的な部分が、大きなダメージを受けるのを承知の上で、過去の犯罪と現在の詐欺的な組織悪に向き合い、本来の宗教的な団体に再生することを願っています。

「獅子風蓮さんは創価学会を宗教だと考えているのでしょうか?」という質問については、答えを保留させてください。
「創価学会は宗教ではない」と言い切ってしまうのは、今も創価学会内に残って、苦しみながらも自分の信仰と向き合っている会員に対し、冷たすぎると思ってしまうのです。
「創価学会は宗教ではない、詐欺だ」とはっきり言いきってもらえたおかげで、創価学会から離れられたという人も多いでしょう。事実、このブログに集まって来ている方の多くは、そういうふうにシニフィエさんに背中を押されて創価学会をやめることができたと、感謝している人が多いのだと思うのです。
一方で、創価学会は詐欺と言われてもしょうがない。創価学会はやめたい。でも日蓮信仰は大切にしたいと思っている人にとっては、「創価学会は宗教ではない」ということを言いたいがために、日蓮までインチキでとんでも坊主だなどと言われることには耐えられないと思うのです。
私は、すでに書いたように、歴史上の日蓮は、時代的な制約があったので無理もないと思うのですが、一番正しい釈迦の教えとして法華経を選び、その法華経を広めるために、愚直に、どんな弾圧にも負けずに、努力した人だと思うのです。
現在の仏教学の視点からすると間違った選択かもしれませんが、私は、歴史上の日蓮が好きです。
日蓮が残してくれた御本尊に題目を唱えることができることを感謝しています。
学問的な誤りがいくらあろうとも、信仰というのはそんなもんでしょう。
教学なんて、信仰する上のフィクションでいいんですよ。
そんな個人の信仰心まで、シニフィエさんと同じものにしようとしないでください。
個人の信仰心は尊重するというのが、シニフィエさんのコンセプトだったのではないですか。

そもそも、このブログを訪れたのは、こんな些細なことで議論をするためではなかったのです。
意見の違いは違いとして残してもいいのではないでしょうか。
「現在苦しんでいる創価学会員を救いたい」という思いは同じなのですから。
もっと楽しくやりましょうよ。

いつもこのブログの運営をして下さっていること、感謝しています。
このブログに救われた人が沢山いることも承知しています。
ですから、シニフィエさんとはケンカしたくないのです。

獅子風蓮さんの話が多岐にわたり、一貫性がないので判断に苦しみます。

シニフィエさんが一貫性がないと言われるのは、私のホームページについてでしょうか。
https://www.shishi-fu-ren.com/
確かに、私のホームページは、マイヒーローズで、創価学会の三代会長を取り上げたり、さらにはブッダ、キリスト、小林よしのり、えらいてんちょうまで入っていて、支離滅裂ですよね。
また、マイアーカイブでは、40年前の大学生の時に書いた「創価学会を良くするために」などという青臭い文章や、法華講員として30年前に書いた「宗教と倫理の間」など、今と若干考え方の違った部分を含むものを並べていますので、一貫性がないと言われてしまえばそれまでです。
私のホームページを家族に見せたところ「お父さんは何をしたいのか分からない」と言われました。
もともとが創価高校の同期生にアピールするために作ったものですので、自己満足のためのようなものです。
たいしたものではないです。
私のブログ(コメントトップの獅子風蓮をクリックするとジャンプします)も、私自身の考えをまとめるために作ったようなもので、きわめて個人的なものです。
「何をしようとしているのか分からない」と言われてもしょうがないですね。
でも、このシニフィエさんのブログで発言してきたことは、十分に内容を固めてから書いていますので、「一貫性がない」といわれるのは心外です。
どの部分が一貫性がないと思われたのでしょうか?
教えていただけると幸いです。
まあ、皆さんからみれば、私の立場は優柔不断に見えるかもしれませんが、それでも受け入れてはいただけないでしょうか?

獅子風蓮でした。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その11

2021-06-28 03:41:19 | 対話ブログ

●獅子風蓮(2021年1月25日 19:20)

獅子風蓮です。
連投をお許しください。
曽根俊矢さん、コメントありがとうございました。

コメントを拝見して率直に感じた事は、創価の中枢に同窓の方がいらっしゃって、その方の身を案じて創価に未来があって欲しいと考えていられるのかなぁと。
大変恐縮ながら、獅子風蓮さんの優柔不断な部分がそんな所に出ていて、スタンスがよくわからない、獅子風蓮さんの考えている事を理解できかねるので誤解が生じてくると考えます。

前にコメントした内容ですが、繰り返します。
私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。
ですから、シニフィエさんから創価学会に未来はあるかと問われて、
「結論、今のままでは、創価学会に未来はありません。」
と、答えたのです。
創価学会の職員、幹部の多くは、搾取のシステムの存在に気づきながら、その中で甘い汁を吸うことを考えているんだろうと思いますが、中には、そういう詐欺的なシステムに気づいて苦しんでいる良心的な方もいるのではないかと思っています。
そういう創価学会の中の良心的な部分に向かって、創価学会の犯罪性を認め、世間に公表し、反省することを期待したのです。
もし、万が一にも創価学会が再生することがあるなら、そういう内部からの動きにかけるしかないと思っています。
一例として「東村山女性市議転落死事件」についてとりあげましたが、高倉教授のブログの引用を長々としてしまい、シニフィエさんをはじめ、多くの方には煩わしかったことと思います。
でも、はじめてこのブログの内容を読んだ方は、どう思われましたか。
こんなひどいこと、許していいのか、と思いませんか。
なんとか、事件の解明に協力したいと思いませんか。
実は、朝木さんの娘の朝木直子さんが矢野穂積氏と共著で書いた『東村山の闇』には続編があることを朝木直子さんのホームページで知りました。この本『東村山の闇Ⅱ』は普通の書店では取り扱っていないようで、ホームページから注文しました。
その代金支払いなどのための通信で朝木直子さんに高倉教授のブログのことなど知っているか聞いてみたところ、当然すでにご存知でした。
事件の解明にはまだまだ壁が高そうでしたが、これからも頑張っていくということでした。
私も、元創価学会員として、何かお役に立てることがあればお役に立ちたいと約束しました。
そのような事情もあり、このブログの趣旨からは外れるのを承知で、創価学会幹部の野崎至亮氏や東村山近辺の創価学会員で、事件の真相に迫る事実をご存知の方に名乗り出るように呼び掛けることをしました。
創価学会の過去の犯罪はきっちり司法に裁かれて、創価学会組織の闇が暴かれるべきです。
もし創価学会の未来があるとすれば、その後の反省と謝罪の上にたって、内部の良心的な部分が覚醒することだと思います。

日蓮信仰で心が救われる人が居るからいいという考えは、非常に危険だと考えています。
日蓮正宗も創価と手を組み発展した経緯から、社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない事があるはずだと考えますが、そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います。

私にそんなこと言われても……
という感じです。
創価学会と宗門の争いは、結局は信徒とカネの奪い合いという面がありましたから、宗門にもいくらかの非があった(一部の僧侶が贅沢な暮らしにどっぷりとつかっていたことなど)ことは私も認めますが、社会に対して謝罪するほどのことでしょうか。
平成3年からの創価学会と宗門の争いでは、それこそ創価学会が広宣部などが中心になって池田氏の号令のもと行なってきた謀略的な行為の方を、まずは宗門に謝罪するべきではないでしょうか。

少し冷静になってください。
なんでもシニフィエさんの意見が絶対正しいと、そこに依存することは良くないと思います。
曽根さんが自分の頭で考えて自分の言葉で発したコメントには、誠実に対応していきたいと思います。

私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね。
シニフィエさんが私の言いたい事を言ってくださっています。

シニフィエさんのブログのコンセプトは、「自分の頭で考えろ。他人のいうことをむやみの信じるな。このシニフィエのこともむやみに信じるな」だったと思うのですが……

獅子風蓮でした。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その10

2021-06-27 03:36:05 | 対話ブログ

●たらこ唇の天使(2021年1月24日 10:21)
獅子風蓮様:

 医師としてのあなた様は、奄美大島の、それも名瀬市にあって御活躍なさった御様子。では、あの島尾先生、島尾敏雄先生の奥様(ミホさん)の御実家(長田〔おさだ〕】家)が、一族あげてカトリック信仰を受け容れるに際し、ノロ(女性大祭司)としての家柄に伝わっていたお経本や神具類の数々をどう処分したか、奄美のお友達に実情を聞いてみて頂ければと念じております。あなた様の御人徳御人脈をもってすれば、かなり詳しい実情がわかることと信じております。そうです、奄美の名門で「謗法払い」がどう進められたか? ということでございます。

  いわゆる第二バチカン公会議以前のカトリック教会は、アステカで、インカで、膨大な古文書類や神像をば、「悪魔信仰の遺産」として焼き捨てさせたはず。奄美にあっても同様でございましょう。ただ、島尾先生奥様の一族には奄美の高校校長とか、図書館館長とかをしていた方々が複数いらっしゃるようなので、長田家の「謗法払い」に際しては、それなりの細やかな配慮が、家族内にあっても、教会側にあっても、なされたはずであります。カトリック教会もまた、島で最初の女学校を経営して島の文化に寄与したにもかかわらず、戦時中は相当な迫害を受けたので、島内の伝統的宗教(ノロなど)とその背後の政治勢力との調和にはずいぶん心をくだいたことでしょう。

 島尾先生の有名な『死の棘』と、関連作品『「死の棘」日記』は、奥様が夫君(つまり島尾先生)の不倫によって精神状態がまともでなくなった様子が細かに描かれております。とりわけ、後者では、国府台病院精神科病棟での創価学会の折伏活動についてほんの少しですが、触れられております。「不幸な人を狙って折伏する」というのは、やはり創価学会のお家芸なのではないか…と思ってしまいます。島尾先生も相当に心を動かされたようですが、家族で入信しなかったのは幸いでした。
 結局はカトリック作家として(かつはカトリック女子大)の教授として、誰にも受け容れられる素晴らしい作品を多々書き遺しておられます。とりわけ古い文化の上にカトリックという西洋の宗教が布教された土地柄にあっては、今後も光を放ち続け、作品ある限り、奄美の今現在の文化を引き続き豊かにし続けることでありましょう。
 最後に、奄美って、サモアに比せられるんじゃないかと思っております。あそこもやはり、古い文化の上にカトリックほか複数の宗派のキリスト教が仲良く共存しております。ここ20年来は、ハリケーンで破壊された一部地域の復興へ手を貸すという名目でモルモン教が入り込んでいるようですが、あまり島の文化を尊重しないので、眉を顰める人もいるようです(『素顔のモルモン教』より,ネットでも全文が読めます)。奄美の創価学会が、サモアのモルモン教のような感じになっていないことを、あなた様とともに念じとうございます。

●たらこ唇の天使(2021年1月24日 10:47)
獅子風蓮様:

 さっき長文のコメントを投稿しましたが、どうも時間がかかりました。うまく投稿できたか不安なので、要点のみ再度申し上げます。
 ブログを拝するに、あなた様は医師として奄美大島のかたがたと深い御縁を結ばれたことと存じます。あの島が明治以降、カトリック教会を受け容れるに際し、どういう「謗法払い」がなされたか、あるいはなされなかったか、今後機会あるたびに島のお友達へお尋ねになってはいかがかと念じております。
 とりわけ長田(おさだ)家、つまり、島有数のノロの家系で、作家・島尾敏雄先生の奥様(ミホさん)の御実家が、どのようにカトリックを受け容れたか、その際、古文書や祭具をどう処分したか? いろいろ考えさせらることも多いかと存じます。長田家は高校の校長や市立図書館長をも輩出しております。祭具は焼き捨てたかもしれないが、古文書類は、公共の機関(図書館とか博物館など)へ寄贈されたのではないかと見ております。
 創価が破壊した文化財は、もちろんカトリックほかキリスト教がしでかした罪業には遠く及びませんが、「謗法払い」が戦災に勝るとも劣らない文化破壊であったことは、どうか、あなた様だけでも御直視頂ければと存じます。日本最高の学歴の持ち主にして正宗信徒でもいらっしゃるあなた様がそうしてくださることで、焼かれた文化財も浮かばれると信じております。非礼の言の数々、枉げてお許しくださいませ。

●signifie(2021年1月24日 15:55)
先ほど非公開でコメントしていただいたHELL of HOPEさん。
コメント読ませていただきました。ありがとうございます。
非公開なので、こちらからお返事することができませんが、それでよかったでしょうか。

●たらこ唇の天使(2021年1月25日 13:18)
皆々様:

 思うに獅子風蓮様というお方は、日蓮正宗の歴史始まって以来、最高の知識人かと思われます。むろん昭和初期にも三谷素啓のような知識人信徒はおりましたが、三谷氏が一世信徒であるのに対し、獅子風蓮様は福子さんであります。一世と福子とでは学会および宗門に対する感覚もまた違っておりましょうが、福子が信徒の大部分を占めるようになった今、獅子風蓮様のような御方にこそ、宗門におけるオピニオンリーダーとして、宗門から追い出されるまで御活躍頂きとうございます。彼のブログもかなり拝読しましたが、溢れるような知識と品性とを感じます。

 実は私の母校の高校は、医者の息子が過半数近くを占める学校でしたが、私のような文科系人間からすれば彼らの世界は宇宙の果ての別世界であり、私の率直な感想を申せば、もう二度と会いたくない、傲慢が服を着て歩いているような者たちばかりでした。これに対し、’獅子風蓮様は、三人の娘さんのお父様ということもあってでしょう、穏やかさと知性とが行間からにじみ出ております。心地よいです。

 でも、そんな獅子風蓮様が、ひとたび創価や正宗を論ずると、どうにも批判の筆鋒がゆるんでしまわれるように拝されます。彼の経歴を思えば無理もありません。獅子風蓮様にはその知識と知性とを活かし、正宗や創価の歴史について思うところをもっと体系的に述べて頂きたい。そんな彼を、いま現在御在籍の宗門がどう扱うかによって、正宗の本性というものも、いよいよあぶり出されるのではないでしょうか?創価だって正宗の「子ども」だから、まあ似たような体質だと見られましょう。

 クインさんという、モルモン教が作ったアメリカ・ユタ州の大学で歴史学の教授をしていた人がおられましたが、あまりに正直に教会の暗部を暴いてしまったので(教団最高幹部らの一夫多妻や、私設軍隊のことなど)、結局破門されてしまいました。それで、いかにも悪魔的な気持ちですが、私は獅子風蓮様にはこのクインさんと同じようなことをして頂きたい、無傷で信仰生活を送れるのであれば、正宗は世界的に活動するモルモン教よりももっと民主的な組織だということになりましょう。でも日顕さんの花野充道師に対する仕打ちを思えば、ほとんど期待できませんが……。

 日顕さんが代々木上原に建てたという僧侶学校は、1991年当時の学会側出版物によれば、学会が出した文献を棒読みするだけの「教授」たちと、夜になったら御供養を活用して吉原で泡まみれになって遊ぶことしか念頭にない所化さんばかりだった……というふうに書かれております。これが果たして事実なのかどうかは、宗門が正直にものを言う獅子風蓮様をどう扱うかということによって明らかとなりましょう。30年をへて、棒読み「教授」らは宗門の最高幹部となり、泡まみれ所化たちもそれなりの寺院の住職に収まっているけれど、品性、とりわけ知識知性への態度ということに関しては、そんなに変わってはいないことでしょうから。

 とりとめもない文面をここまでお読みくださり、皆々様、ありがとうございます。


解説

3番目のsignifieさんのコメントは、後々重要な意味を持ってきます。


対話ブログ・ラストステージ:獅子風蓮の登場 その9

2021-06-26 03:28:00 | 対話ブログ

●signifie(2021年1月24日 03:21)

創価学会では日蓮正宗と同じく日蓮を末法の御本仏だということを前提にしている点で、世界中の宗教とは決定的に孤立した教義であるところが特徴だと思います。そして日蓮正宗は極端に特殊な教義をもつ宗教であり、その特殊性を道具にして会員からお金を巻き上げるためにできたのが創価学会だと私は思っています。私の考えとしては良い悪いは別にして日蓮正宗はかろうじて宗教ではありますが、創価学会は戦後に戸田が一から始めたときから完全に詐欺集団であり、日蓮正宗の教義は単なる詐欺の道具に過ぎなかった。だから創価が日蓮正宗から破門されても解散することなく、教義をガラリと変えてしまってでも会員からお金を巻き上げることをやめずに今に至っているのは、創価学会が宗教ではなく詐欺だという証拠でもあります。しかし破門されてからの創価に疑問を抱く会員が続出して会員は減る一方で、もはや再生不可能な状況にまで追いやられているというのが現実です。だから「もし創価学会が心を入れ替えて、会員のための組織になることができれば」などという仮定はありえません。それは例えるなら暴力団が心を入れ替えて一般の人たちのために尽くすような慈善団体になったらいいじゃないかぐらいの途方もない仮定に過ぎないということです。意味のない仮定です。創価は初めから宗教などではない。最初は日蓮正宗にパラサイトして、それが限界にきたら日蓮正宗を徹底的に悪者にして、教義を変更して会員を騙し続けてきました。

 

●signifie(2021年1月24日 05:40)

どなたかがおっしゃっておられましたが、創価学会が教義を変更し、邪宗を他宗と言い換えて他の宗教を否定しなくなったり、強引な折伏をしなくなったのは、創価が過去に会員にさせてきた人権無視の行いを反省して改めたのではなく、そんなことが通用しなくなっただけの話です。改善策ではなく、それでは会員を騙せなくなったから止むを得ずソフト路線に切り替えて会員がずっと騙されてくれるようにしたまでのことです。
そもそも日蓮の教義の特徴は、人間の不幸の原因は間違った宗教にあるとするところです。同時に自分(日蓮)の考えだけが正しいというとんでもなく独善的な考えが特徴で、中でも日蓮正宗では仏教なのに教祖である釈迦をさしおいて自分(日蓮)こそが世界を救う力のある末法の御本仏だと言ったことになっています。それが本当だとしたら、私に言わせれば日蓮はただの悩乱坊主です。
こう言うと獅子風蓮さんから「相手が信じている対象について、もう少し敬意を払った表現を」と言われそうですが(笑)、私はそれはちょっとおかしいんじゃないかと思います。話をしている相手に敬意を払うのは人として当然だとは思いますが、その人ではなくてその人が信じている対象、つまり創価や日蓮正宗で言えば御本尊だったり日蓮だったり池田大作だったりするわけです。幸福の科学の信者にしてみれば、全知全能の神の化身であるところのエル・カンターレ大川隆法その人になります。オウム真理教の信者にとってはグルである麻原彰晃になります。私は少なくとも大川隆法や麻原彰晃に敬意を払うことなどできません。同様に、日蓮正宗や創価学会が言うところの日蓮に敬意を払うことはできません。話し相手が池田を人生の師匠と信じている学会員だとしてもその人には敬意を払いますが、だからと言って池田大作に敬意を払う気になどなれない私は人としておかしいのでしょうか。日蓮は悩乱坊主だし池田大作は極悪人だと思っていても言わないのが相手に対する思いやりなのでしょうか。わたしはそこまで人間ができていませんから、必要であるなら思ったことを正直にいうのはちっともおかしくないと思います。
いつも言うことですが、学会員さんが創価を信じていることに対してあれこれいうつもりはありません。創価に少しでも疑問を持っていて悩んでいる学会員さんに対しては「自分でよく考えた方がいいんじゃないですか」と言いたいのです。自分で考えたら、創価は信じるべきものではなかったと自分でわかったからです。自分で考えない人にいくら言ってもわかりっこないということがこのブログを通じてもわかったし、かつての自分も自分で考えることを避けていたから50過ぎまで創価が詐欺だと気づかなかったとわかりました。

 

●曽根俊矢(2021年1月24日 09:07)

曽根俊矢です。

シニフィエさん。いつもありがとうございます。

獅子風蓮さん。
ご丁寧に私に対するコメントにお応えしていただき感謝と、獅子風蓮さんの誠実なお人柄に敬意を持っています。
コメントを拝見して率直に感じた事は、創価の中枢に同窓の方がいらっしゃって、その方の身を案じて創価に未来があって欲しいと考えていられるのかなぁと。
大変恐縮ながら、獅子風蓮さんの優柔不断な部分がそんな所に出ていて、スタンスがよくわからない、獅子風蓮さんの考えている事を理解できかねるので誤解が生じてくると考えます。
私のコメントに対し獅子風蓮さんは

少し誤解があるようです。
私は、現在の創価学会の組織は、学会員の貴重な時間とカネの搾取のシステムの上に成り立っており、公明党という政治勢力を支配することで、日本の政治をもゆがめ、社会に害毒を与える存在でしかないと思っています。
ですから、シニフィエさんから創価学会に未来はあるかと問われて、
「結論、今のままでは、創価学会に未来はありません。」
と、答えたのです。

との事ですが、この今のままでは、という一言に獅子風蓮さんの創価に対する考え方が現れていると見ています。
煮え切らない、どのように考えていらっしゃるのか、どっちとも取れるような発言に誤解がついてくると私は感じています。
そして、宗教として創価は生まれ変わっていい組織運営をするべきだとの考えも読み取れてしまうので、創価は癌のような組織だから取り除かないと社会に悪を撒き散らし続け、それにより苦悩する人々が増えるだけではないかと私は言いました。
日蓮信仰で心が救われる人が居るからいいという考えは、非常に危険だと考えています。
日蓮正宗も創価と手を組み発展した経緯から、社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない事があるはずだと考えますが、そこはスルーしている姿勢が信仰者としてあるまじき事だと思います。
私の考えを書こうと思いましたが、シニフィエさんのコメントと同じ事の繰り返しになるのでやめておきますね。
シニフィエさんが私の言いたい事を言ってくださっています。

獅子風蓮さんを悪く思うわけでは無いとご理解ください。


解説
最初のシニフィエさんのコメント2つは新スレッドに移されていません。
その後の曽根さんのコメントは、上のコメントと切り離されて新スレッドに移されました。
その結果、どういう背景で曽根さんが日蓮正宗に対して、「社会に非を認め謝罪することから、再スタートしなければならない」とまで激しく非難するのか、分からなくなってしまうのです。