獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

「ありがとうばあちゃん」のこと

2023-10-31 01:18:05 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
「ありがとうばあちゃん」のこと(July 24, 2019)
https://plaza.rakuten.co.jp/karagura56/diary/201907240000/

「すたぽ」にも同様の記事がありますね。

freak75- 「ありがとうばあちゃん」のこと


「ありがとうばあちゃん」のこと

忘れてはならない恩人のお一人が、創価学会に入会する前から、また入会後も、その姿で信心を教えてくれた増田緑さんという、数年前に94歳で亡くなった女性です。

20数年前ですか、増田さんのことを池田先生にご報告したら、御直筆(しかも筆で)で、「永遠長寿のみどり桜」という揮毫がご本人に届けられ、また私にも「共戦の友へ」というペン字御直筆の御揮毫が届きました。

もともとは、「船場」の「ええし」の家だったらしいですが、とっくの昔に零落して、家から追い出された増田さんは、生まれたばかりの子どもを連れて、線路沿いを死に場所を求めて歩いていた。
その時に、「仏教大講演会」という、創価学会の「集会」のチラシが落ちているのを発見して、ほんとに「藁にもすがる思い」で、その「集会」に出かけて、進んで入会された。1956年(昭和31年)のことです。
仕事は、「マネキン」さんです。百貨店の食料品売り場で、販売しているあの仕事です。
英語を独学で勉強したり、夜間の大学行ったりで、よう勉強されるかたでした。
個人折伏が200世帯とか。

堺市の「女性活動なんちゃら委員」とかにもなって、80歳を越えても、働いてはりましたね。

晩年は、認知症で病院ぐらしでした。
でも、病院のスタッフが、増田のおばあちゃんにつけたあだながあるんです。
「ありがとうばあちゃん」です。
いろんなことを忘れる、覚えられないのですが、
「今、その瞬間瞬間が、感謝しかない」
いつも、ニコニコして、ありがとうありがとうと、ばっかり言ってる。
こんな人生いいですね。
こういう信仰の人生もあるんです。
こういう「認知症」もあるんです。

 


解説

心の温まる話です。

PS)
以前アメブロで、友岡さんと高山直子先生の対談を紹介しました。
21世紀の宗教を考える~友岡雅弥:高山直子座談集より(4)(2023-06-17)

その中に友岡さんの入会のいきさつが書かれています。
そこに、増田さんというおばあちゃんが登場します。

友岡さんは、その増田さんに会いたいがために、毎月、座談会に通ったそうです。


友岡さんが立ち上げに関わった「すたぽ」というサイトがあります。

有料会員にならないと読めないのですが、まだ音声記録だけで文字になっていない友岡さんの講演記録があるんです。
【友岡講演2】というのがそれなんですけど、私は、有料会員になって聞きました。
友岡さんの声を聴いていると、なんだか心地よいんです。
この講演の最後の方に、おそらくこの増田さんというおばあちゃんのことを話しているところがあります。
これがなかなかいいんです。
感動します。

興味のある方は、是非、ご視聴してみてください。

 

 

獅子風蓮


自治と反抗/大悪大善御書(その1)

2023-10-30 01:07:26 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
自治と反抗/大悪大善御書(その1)(July 1, 2019)


友岡さんがまだ創価学会に幻想を抱いていたころの講演ですから、多少割り引いて読む方がいいかもしれません。

 


自治と反抗/大悪大善御書(その1)
大悪大善御書は、断簡(手紙の一部)だけが残っていて、そのために、誰に宛てられたものか、またいつ書かれたものかは、よく分かりません。建治元年という説がありますが、確定してはいません。
真蹟断簡は、大阪の堺・妙国寺に残っています。
むむっ、何で堺やねん、と思いはるかたもいらっしゃるかも分かりません。

廃藩置県後は、堺県としていまの奈良県も堺県の一部でした。それほどの大きさ。今は政令指定都市で、人口も多い(わずかに100万には足りない)ので、日蓮宗系の寺があるのは当然でしょうが、大聖人真筆が残っているということは、そこそこ由緒ある寺でしょうから、それがなぜ、堺やねんと思われるのも当然です。

キーワードは、「町衆」です。
みなさんは、茶の湯や水墨画などは、「禅宗」の影響とか習いませんでした?もちろん、どの分野にしても「影響」というのは、複層的なものなので、禅宗の影響もあるにはあるのですが、ことに、室町末期から安土桃山、そして江戸初期に於ては、禅宗というより、「日蓮系」なんです。

今、「日蓮系」と述べました。日蓮宗ではなく、なぜ「日蓮系」としたかというと、僕は、「宗派」などの違いもですが、「属人的」な違いが大きいのではないか、というのが、僕の考えなんです。
日蓮大聖人の仏法と言っても、とても呪術的な、また日本のさまざまな世俗的信仰のような「神頼み」みたいな人もいるし、時には、戦闘的で排他的な人もいる。また、磨かれた人格の人もいる。そういう属人的要素が大きいような気がするのです。

時代的要素も大きい。
何と言っても、江戸時代の檀家制度の影響で、一般信徒は、教義を学んだり経文を読んだりすることは、基本的には、禁止されていたわけなので。そのころは、禅宗であれ、日蓮宗であれ、門徒であれ、「村の宗教」を強制されていたわけですよね。

室町~江戸初期は、日蓮系でも、池田名誉会長が同時中継のスピーチで長時間とりあげた、焼けた鉄鍋を頭に押し当てられるという拷問を受けながらも、権威への抵抗を続けた「鍋かぶり日親」の「不受不施派」が興隆したわけで、

権力へ近づいていった日興門流とは、かなり違います。

どちらが「大聖人的」であったか。

ある意味で、それは、「私」が「大聖人」をどう見ていたかの「リトマス試験紙」であると言ってもいいでしょう。

同じ身延派でも、身延の本山のように、国のハンセン病隔離政策の片棒担いだところと、綱脇龍妙さんみたいに、身延派の僧侶なのに、日本人で唯一、ハンセン病療養所(隔離のためのではなく、治療のための)を作った人もいます。

さてさて、応仁の乱(最近は、応仁年間よりもその後の文明年間のほうが、戦乱のピークであったことから、「応仁・文明の乱」と言われますが)の後の一世代、京都の町は長く荒廃していました。1500年ぐらいから、「町衆」と呼ばれる商工業者が交易で力をつけてきて、その人々が、「再び、京都を戦乱におとすものか」と、自治を始めたんです。
その人たちの7割ぐらいが、日蓮系だったんですよ。
現実の社会を自分たちのちからで、よくしていきたいという町衆にとって、日蓮大聖人の考えは、とてもベースとして適していたのです。
祇園祭も、もとは「法華祭り」だったんですよ。題目の声が鳴り響いたそうです。
もったいなくも、ご本尊を掲げた山鉾もあったそうです。

ええっ、祇園さんて八坂神社違うの!神道違うの!と思ったら、それは歴史を忘れている、ということです。
「排仏毀釈」です。

明治維新の「排仏毀釈」で、祇園八坂神社は、神社になったのであって、それ以前は、天台宗系の寺だったのですよ。

「檀家制度」と「排仏毀釈」というものがあった日本で、「宗派」による分類が、いかに、あてにならないかが分かります。

俗に「大文字」とも言われますが、五山の送り火にしても、「妙」「法」の送り火がありますよね。もともとは、法華信仰だったんです。

ただし、この法華町衆たちは、戦国時代に天文法華の乱で弾圧されて、若干下火になりましたが、「気風」は地下水脈として、残り続けます。

「京の町衆」の運動は、「自治」とともに、「文化」も花開かせていきました。
江戸時代のごく初期、本阿弥光悦は、京都の町の北、辺土であった鷹峯に、一族や多くの町衆とともに移住して、村を作ります。アート・ヴィレッジですよ。本阿弥光悦というのだから、もともとは阿弥陀系の信仰の家系だったのでしょうけど、「阿仏房」と同じく、日蓮系です。だから、そのアート・ヴィレッジの中心は、今も残る日蓮系の光悦寺です。
光悦たちは、ここで様々な工芸作品、陶芸、絵画を作り、日本美術史に燦然と輝く琳派の流れをつくったわけです。

さて、「町衆」というと、堺も忘れてはいけません。世界に誇る「自治都市・堺」を作り上げたのも町衆でした。そして、やはり、そこには、日蓮系の思想が基盤となったわけです。
冒頭に挙げた、本抄の真筆が残っている妙国寺。ここは、日蓮系の「本山格」の大寺院で、やはり堺の町衆がつくったものです。徳川家康が大坂夏の陣、冬の陣で、拠点としたところです。

ちなみに、池田名誉会長が、若き日に、頻繁に通った銭湯もこの近くにありました。

 

そんな場所に、この断簡はあるのです。

特別な因果関係はないですが、その延長に、「私の人生」を置いても、面白いかもしれませんね。

 

 


解説

この講義は、「すたぽ」にも載っていました。

freak72 - 自治と反抗/大悪大善御書(その1)

友岡さんの御書講義が読める「すたぽ」はお勧めです。

獅子風蓮


仏種は縁に従つて起る/高橋殿御返事(その2)

2023-10-29 01:56:49 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
仏種は縁に従つて起る/高橋殿御返事(その2)(May 20, 2019)


友岡さんがまだ創価学会に幻想を抱いていたころの講演ですから、多少割り引いて読む方がいいかもしれません。

誤字は訂正しました。


仏種は縁に従つて起る/高橋殿御返事(その2)

本抄は、「断簡」つまり、切れた手紙の一部で、短いので全文を、まず書きましょう。

米穀も又又かくの如し、同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは・仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益するなればなり、故に仏舎利変じて米と成るとは是なるべし、かかる今時分人をこれまでつかはし給う事うれしさ申すばかりなし、釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか。
其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし、又治部房・下野房等来り候はば・いそぎいそぎつかはすべく候、松野殿にも見参候はば・くはしくかたらせ給へ。(御書p.1467)

有名な「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」は、このお手紙にあるのですよーー。
前回も述べたように、このお手紙の宛先が南条時光であるとしたら、とてもリアルですよね。熱原法難の不穏な状況のなかで、しかも大聖人は身体的な困難もあり、身延からは出られないわけです。
「頼むから、信仰を貫いて欲しい、さらに熱原など富士の信徒を守って欲しい」という切迫した雰囲気が感じとられます。「又治部房・下野房等来り候はば・いそぎいそぎつかはすべく候」の一条にも、緊迫感があります。

今回は、その次下の「仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし」というところを巡って、考えてみたいと思います。

なんか、過去の栄光を忘れられないおっさんたちが、「大阪万博」なるものを計画しているようですが、大阪では、1970年の「万国博覧会」の後も、BIE認定の 「国際博覧会」が開かれているのです。「万博」には及びませんでしたが、同じくBIE認定の 「国際博覧会」である愛知万博より入場者数がおおかった「花博」が。

1990年、大阪・鶴見緑地で開かれた「花博」、「国際花と緑の博覧会」。その跡地は、大きな公園となってるのですが、今回の万博を主導したエラい人たちは、不思議にも、この公園を無視したり、また民間に売り渡そうとしたりしていて、「人々が交流する都市型万博(跡地も含めて)」ということを、心の底から信じていないようですね。

結局、騒ぐのが好きなんですよね。

さて、その「花博」での出来事なんですが、一つのパビリオンで開かれたシンポジウムで、ある日本人作家で、しかも大阪では「文化人」として評価されていた人物が、こんな話をしたんです。

「思想的には、日本思想が世界でもっとも高度である。なぜならば、日本には、山川草木悉皆成仏、一切衆生悉皆成仏、生物、無生物を問わず、すべてが仏であるという平等主義の中古天台がある」

これに対して、当時から、今での、世界最高峰の仏教学者であり、登壇していたLambert Schmithausen博士(ドイツ・ハンブルグ大学)から、異議がありました。
「すべてが仏だとしたら、原子爆弾も仏ですか?公害の廃棄物も仏ですか?」
単純に、善悪を二分することもさけるべきでしょう。
とともに、全部が仏だ、それでいいじゃないか、と単純に考えること、さらに、それをもって、「日本が一番」と単純に決めつけることは、もっとも避けねばなりません。

つまり、避けるべきは、「善悪を区別すること」でもなく、「善悪を一如と考えること」でもない。
避けるべきは、「単純に結論をだすこと」なわけです。

このシュミットハウゼン博士の見解は、とても明快で、しかも鋭い。
逆に言うと、その作家、およびその作家が奇しくも「世界一」とした、「日本的物の考え方」は、明らかに、「単純」で、浅薄なものであるかもしれません。

すべてのものが平等であるという意味で、「一切衆生悉皆成仏」と「一切衆生悉有仏性」は、似ているようで、実は、とてつもない違いがあるわけです。

日本の中古天台は、「一切衆生悉皆成仏」だから、仏道修行など要らない、また苦しんでいる人は、そのまま仏だから、ほっといてもいい、とまで行くのです。

しかし、「一切衆生悉有仏性」は、そうではありません。「仏性」はある、しかし、現実的にそれは開いていない、と考えるのです。
もちろん、原爆の仏性を開かせるのが、原子力の平和利用だ、原発だ、というのも、「単純な反応」です。そこは、悩まねばならないところです。

困難にある人は、仏性がない、救いがたい、自業自得の人だでは、「一切衆生悉有仏性」ではありません。同じ人間なのです。
ただし、苦しんでいても仏だから、ほっとけー、というのは、おかしい。
その「仏性」が開花していない。ならば、その仏性が開花するような社会、周囲を作る責任は私たちにあるわけです。

「仏性」は、「仏種」と同じです。人それぞれ、仏になる種がある、それを芽吹かせ、開花させるための、環境を、私たちは作らねばならない。

その環境や社会は、「縁」(ārambha)と呼ばれるものです。その縁に触れて、仏種は開花する。

大聖人は、そのような縁を作るために人生を捧げました。
このお手紙が宛てられた弟子にも、それを期待されたのです。

 


解説

「一切衆生悉皆成仏」と「一切衆生悉有仏性」は、似ているようで、実は、とてつもない違いがあるわけです。

「仏性」は、「仏種」と同じです。人それぞれ、仏になる種がある、それを芽吹かせ、開花させるための、環境を、私たちは作らねばならない。

 

なるほど、その通りだと思います。

 

 

ちなみに「すたぽ」にも、友岡さんのこの講義が載っています。

freak67 - 仏種は縁に従つて起る/高橋殿御返事(その2)

友岡さんの御書講義が読める「すたぽ」はお勧めです。

 

獅子風蓮


同じ米穀なれども/高橋殿御返事(その1)

2023-10-28 01:09:59 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
同じ米穀なれども/高橋殿御返事(その1)(May 15, 2019)


友岡さんがまだ創価学会に幻想を抱いていたころの講演ですから、多少割り引いて読む方がいいかもしれません。

誤字は訂正しました。


同じ米穀なれども/高橋殿御返事(その1)

本抄は、「断簡」つまり、切れた手紙の一部で、短いので全文を、まず書きましょう。


米穀も又又かくの如し、同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは・仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益するなればなり、故に仏舎利変じて米と成るとは是なるべし、かかる今時分人をこれまでつかはし給う事うれしさ申すばかりなし、釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか。
其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし、又治部房・下野房等来り候はば・いそぎいそぎつかはすべく候、松野殿にも見参候はば・くはしくかたらせ給へ。(御書p.1467)


ながく、このお手紙は、「高橋入道」宛とされていましたが、南条時光に宛てられたという説が有力で、少なくとも「高橋入道」に宛てられたものではないようです。
だから、題号も、「『高橋殿御返事』と言い慣わされているご消息」という感じでいいと思います。
拝するときの大きなポイントは「供養」ということです。
平安時代の後期には、古代の班田制度が解体していき、有力貴族(やがてそれは鎌倉時代になると武家)、そして寺社へ、土地が寄進され、荘園制が発達していきます。
鎌倉時代になると、武家は寄進されたり、いくさで勝ち取った土地を、家臣に与えて、ここに「土地を媒介とする主従関係」、すなわち封建制度が確立するわけです。
寺社ヘの寄進は、「封建制度」の主従関係ではありませんが、荘園大地主としての寺社の、世俗的庇護を求めてのものである場合がとても大きい。


ただし、一つ忘れてはならない「潮流」もありまして、それは寺社や高位の僧侶への寄進、供養を通じて、僧侶に祈祷してもらうという「間接的信仰」ではなく、「直接見仏信仰」の信仰です。特に、成仏できないとされた女性たちが、寺の持仏堂に赴き、そこで夜通し、祈るという行為が広がりました。成仏できないと差別された女性たちが、渇仏し、そして、宗教的な精神的高揚のなかで、仏に出会う(見仏)という出来事が、当時の文献にでてきます。


さて、話は「背景」に流れすぎましたが、本抄のポイントは、志しを向ける相手を見極めることです。


日蓮大聖人の門下の人々は、日蓮大聖人が「神秘的な霊力」を持っている宗教者として、大聖人に供養したのでしょうか?
退転していった多くの門下は、まさにそのような神秘的霊力、現世安穏後生善処の不思議な霊力を大聖人や、『法華経』に期待し、それが叶えられなかったので、「約束と違う!」と退転していきました。「法華経の行者」ならば、なぜ、日蓮は難に会うのだ、あんな人についていくのは、金輪際いやだ!と言って。


では、残った門下は、叶えられたから残ったのでしょうか?
違いますね。
門下にも、いろんな困難が押し寄せつつけますね。大聖人の門下であるがゆえの。
だから、供養をしても、このお師匠さんは、霊力では守ってくれなそうですね。
また、有名寺社でも、貴族でも、有力武士でもありません。


旃陀羅が子、罪人です。


だから、この「寄進」「供養」は、いわゆる宗教的(いわゆるですよ、「真の」ではなく)な得にも、世俗的な得にもなりませんね。


でも、「供養」の本質的な意味では、「本当の供養」なんです。


なぜならば、「供養」や「布施」の原語は、dāna、もしくはpūjanāですが、これは、孤児、寡婦、そして貧者に金品を施すことなのです。

財産を自分のものとせずに、他者、特に困っている人に施すこと自体、徳を積むことです。
徳を積んで、金持ちになるのではないですよ。
徳を積む、功徳を積むというのは、金持ちになる原因を積むのではないです。
それ自体が、豊かな人徳を形成して行くのです。


善き人のことを、古語で「有徳人」と読んでいますが、まさに「功徳」というのは、困っている人を見て、ほっとけない、支えようという「善性」のことなんです。


大聖人は、困ってたんです。法華経を身読し、またその人生を他にも生きて欲しいと願い続け、歩きつづけた人生。


だから、そんな大聖人支えようと、門下は自分が鎌倉幕府から目を付けられるかもしれないけど、「米穀」などの品々を供養をしたわけです。


解説
今回の話は、興味深いですね。
私は以前、アメブロで、こんな記事を書きました。

祈っても祈っても病を克服できなかった場合(2021-08-23)

アンチの人の中には、創価学会の信心で願いが叶うと言われたのに叶わなかったといって怒りをご本尊にぶちまけたとブログに書いておられた方もいましたが、祈りが叶わないときこそ、本当の意味の信仰がためされるのではないかと、私は考えます。

ちなみに「すたぽ」にも、友岡さんのこの講義が載っています。

freak65 同じ米穀なれども/高橋殿御返事(その1)

友岡さんの御書講義が読める「すたぽ」はお勧めです。

獅子風蓮


日々を丁寧に生きよう/崇峻天皇御書

2023-10-27 01:57:43 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
日々を丁寧に生きよう/崇峻天皇御書(April 21, 2019)

友岡さんがまだ創価学会に幻想を抱いていたころの講演ですから、多少割り引いて読む方がいいかもしれません。

 


日々を丁寧に生きよう/崇峻天皇御書

「崇峻天皇御書」とも、「三種財宝御書」とも呼ばれる建治三年九月十一日づけの、四条金吾宛の書簡。


次のような一節があり、とても親しまれている書簡です。


設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ

一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ


人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ、


中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけり・よかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ、


穴賢・穴賢、蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし。


日蓮大聖人の文章の特徴は、単に理屈を述べつらうところにあるのではなく、具体的な人の生き方として、結実するような文章、しかもとても日常的なことばづかいで、それが語られていることにあります。

「あなたが、地獄に堕ちるならば、私もともに地獄に堕ちていこう。はて、その場合、そこは地獄だろうか」という意味をいうのに、

設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ

と語られる。


この具体的な、映像的イメージをともなった描写は、なかば強制的な説得力ではなく、あくまで日常的人生のリアリティ、体温をともなっています。ドラマチックな内容なのに、暑苦しくない。すがすがしさを感じるのは、そのためでしょう。


さて、本抄は、大聖人門下の四条金吾が、それまで不興をかっていた主君が病気にかかったことにより、医薬の心得あるものとして呼び出された、その経緯を大聖人に知らせたことに対する返事です。


わりと、四条金吾はこのような「順風」が吹いてきたように見えるときに、判断を誤ることが多いのでしょうか?

領地が減らされるかどうか、と言う不安がなくなった時も、外で酒を飲み歩いて、心許してもいい仲間を遠ざけるという、脇の甘さが目立ちました。

大聖人は、その時も、「酒を飲むとしたら、家で女房と飲むことが、衆生所有楽そのものではないか」というお手紙を認められています(御書p.1143)


この御書(※)をみると、注意を促すことばが、たくさんでてきます。


膝をかがめて手を合せ某が力の及ぶべき御所労には候はず候を・いかに辞退申せども・ただと仰せ候へば御内の者にて候間・かくて候とてびむをも・かかずひたたれこはからず、さはやかなる小袖・色ある物なんども・きずして且く・ねうじて御覧あれ。


又我が家の妻戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か・天井なんどをば、あながちに・心えて振舞い給へ、今度はさきよりも彼等は・たばかり賢かるらん、いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りとも・かたらひ給へ。


しゃべり方、服装などへの注意。

それは、「ブラック校則」ではありません。順風なとき、しばしば得意げになり、家庭や仲間をほったらかしにして、身近なことをないがしろにして、意気揚々と得意げになる、金吾の「オッサン性」


そして、結論がこれです。

殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし


「腹悪き」という言葉は、とてもキツい言い方です。

しかし、日蓮大聖人にとっては、身近な日常をないがしろにする、「オッサン性」「傲慢さ」は、そのぐらいキツい言葉で評すべきことだったのでしょう。

逆が「世間の心ね」です。

これは、世間体を気にせよということではありません。あくまで社会のなかでの、生活のなかでの行為一つ一つに、仏法は現われるものであるというのです。

「心の財」「人の振舞」。


仏教は、おのれのみ貴し、という独善ではなく、あくまで豊かな社会性を持つもの、またその社会性で、社会を豊かにしていくもの、というのが、大聖人が描いた仏教の人間像ではなかったかと思います。

 

友岡雅弥


解説
大聖人は、その時も、「酒を飲むとしたら、家で女房と飲むことが、衆生所有楽そのものではないか」というお手紙を認められています(御書p.1143)
というのは、私の好きな「四条金吾殿ご返事」です。

(※)この直後に、「この御書」とあるので紛らわしいですが、この場合は、「崇峻天皇御書」(御書p.1170)のことですね。

友岡さんは金吾の中に「オッサン性」「傲慢さ」があり、大聖人がそれを指摘し注意したといいます。

私にも、「腹あしき相」があると自覚していますので、この御書を肝に銘じていきたいと思います。


ちなみに「すたぽ」にも、友岡さんの「崇峻天皇御書」講義が載っています。

freak59-日々を丁寧に生きよう / 崇峻天皇御書(その1) 


友岡さんの御書講義が読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮