獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ご挨拶

2021-12-31 01:34:50 | 日記

いつも「獅子風蓮のつぶやきブログ」を訪れてくださり、ありがとうございます。

思えば、今年の1月にアメブロで初めてブログなるものをはじめ、自分の思うことを気ままに書いてきました。
その後、シニフィエさんの対話ブログにコメントをはじめたことをきっかけとして、嵐のような日々が始まりました。
シニフィエさんから悪意を持った扱いをされ、取り巻きの常連からも袋叩きに会い、凹みそうになりましたが、なんとか反撃できたのは、砂糖さん、たかちゃん、海さんをはじめ理性的に私の文章を読んでくださった方々の応援があったからこそです。
この場をお借りして、皆さんに感謝の言葉を伝えたいと思います。

ひょんなことからGooブログでもブログを始めることになり、最初は気楽なつぶやきをしていこうと考えていたのですが、対話ブログおよびゼロさんとの対話など、貴重な記録を保存する場として活用して、現在があります。
対話ブログの記事を、管理者のシニフィエの意向を無視して転載・引用することについてはご批判も浴び、内心思うところもあるのですが、対話ブログが長期の非公開となった現在では、このような貴重な記録を後世に残す意味でも、やり続ける必要があると思っています。

いろいろご迷惑をおかけした、レモンさん、ゼロさん、曽根さん。
不愉快な思いをさせたこともあったでしょうが、自分は自分の思うところを正直にぶつけてきたつもりです。
個人的には、何のうらみもつらみもありません。
また、機会があれば、皆さんのブログが読みたいです。
HOPE(mog)さん、花子さん、お元気ですか。
いつも、ご本尊に、皆さんのご健康を祈っています。
できれば、またネット上でお会いしたいです。

最後になりましたが、かつてのマイヒーロー、シニフィエさん。
精神的には落ち着かれましたか。
個人的には、今でもあなたのことを尊敬していますよ。
でも、悪かったことは悪かったと認め、きちんと謝罪してほしいです。
そして、謝罪した相手をシャットダウンするのではなく、対話の窓口をあけておいてほしかったです。
また、いつかお話ししましょう。

みなさま、良いお年を。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:y さん登場(3)

2021-12-30 01:18:12 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■池田大作創価学会名誉会長およびSGI会長の責任について   投稿日: 2014年5月18日

学会が悪いのは池田氏に責任があるのではなく組織に責任があるという理屈は、私にはどうしても理解できません。今の学会に関して池田氏にはなんの責任もないのでしょうか。
たとえば、福島原発の事故当時の東電の社長や重役は、まるで事故なんかなかったかのように、あるいは自分はまったく関係ないかのように、みな莫大な退職金を受け取ってドバイなどに家族ごと移住して、別のエネルギー関連会社をつくって悠々自適で暮らしています。はたして彼らには原発事故の責任はないということでしょうか。
もし池田氏に今の組織を動かす能力がないのであれば、そうした能力があって、これまでの責任をとれる人物が組織を束ねられる体制にするのが当然でしょう。いったいいつまで池田氏を元気なことにしておくつもりでしょうね。
ということで、ここではもうまる4年も人前に姿を現さない池田大作創価学会名誉会長、SGI会長の責任問題について、みなさんのご意見をお伺いしたいと思います。みなさんの体験にもとづいた忌憚のないご意見をお待ちしています。つまり感情的な憶測だけによるきめつけや、議論自体を目的とした机上の理屈をならべることはご遠慮ください。ご自分の皮膚感覚や実際の体験や、もしくは客観的な事実に基づいた建設的なご意見をお待ちしています。

●call (2014年5月18日 14:27 )
yさんへ
>狂信的な方は別ですが、この猿芝居の件で上層部に対しての不信感は拭えないと思います。
お答えありがとうございます。
そろそろゴーストライターのことや組織的詐欺についての話をしても大丈夫ということですね。お話をお伺いし、少し勇気がでてきました。
>逆にお聞きしたいのですが、宇宙の森羅万象、己心の生命を貫くとされる妙法なる存在のようなものまでも、今は否定される立場なのでしょうか?
妙法というのが何なのかよくわかりません。相対性理論のような宇宙を貫く物理法則のようなものとしてなら信じています。
題目を唱えると功徳が出る法則のようなものなら、脳の機能としてそれも信じています。
ですがそれは南無妙法蓮華経を唱えたから出るのではなく、南無阿弥陀仏でもなんでも、何かを強く信じたから出る、あらゆる宗教で功徳は出るという立場です。
良い結果が題目の功徳の結果なのかは解釈する人によると思います。南無妙法蓮華経に出会わなければ、もっと素晴らしい効果の出る宗教や哲学に出会っていたのかもしれません。
そもそも仏教は功徳を売りにしていません。苦しんでいる人の考え方を変えて人を救うものです。
例えば、創価学会はおかしいと思っているが、役職も降りられず、退会できず、悩み苦しむ人が相談に来たとしましょう。
題目だ、信心だ、信心の足りないお前が悪いんだと余計苦しめてしまうのが組織信者であり題目信者です。
そうではなく、苦しんでいる本当の原因が現在の組織にあるのだと見抜き、組織から抜けなさい、抜けられないなら少しずつ離れて行きなさいと
本当の苦しみの原因を教えてあげるのが仏教です。
題目の功徳を否定するわけではありませんが、こういう悩みに対して、題目の功徳がなんの役に立つのでしょうか。
>罵倒座談会も今はおとなしいですよね。これも会員のクレームの嵐があったからです。
わたしはそうは思いません。会員のクレームは連載当初から相当長く続いていたと思いますが、あの連載が終わることはありませんでした。
本当のきっかけは罵倒座談会をやらせていた池田先生が病気で実権を失ったから終わったのでしょう。大幹部も自分の名前を使われて迷惑だったのでしょうね。手帳事件で裁判を争っていた矢野氏との急な和解も先生の実権の喪失が原因だと思います。
池田先生が出られなくなってから穏健化したのです。
池田先生は悪くない、幹部が悪いのではなく、実は池田先生が一番悪かったという理解が成り立ちますね。
>題目(法)がインチキだってやめるかたはあまり聞きませんよね。
>ただやめた方以上の多くの方が、信仰に誇りをもって課題に取り組んでいる現実も認めていただきい、、、。
事実認識が違います。学会員はすでに1000万人以上の方々が退会しています。
残っている人より、やめた人のほうが圧倒的に多いのが現実です。
創価が誰の目から見ても良い組織になるよう、内部から頑張っていただけるように期待しています。


解説
>罵倒座談会も今はおとなしいですよね。これも会員のクレームの嵐があったからです。
わたしはそうは思いません。会員のクレームは連載当初から相当長く続いていたと思いますが、あの連載が終わることはありませんでした。
本当のきっかけは罵倒座談会をやらせていた池田先生が病気で実権を失ったから終わったのでしょう。大幹部も自分の名前を使われて迷惑だったのでしょうね。手帳事件で裁判を争っていた矢野氏との急な和解も先生の実権の喪失が原因だと思います。
池田先生が出られなくなってから穏健化したのです。
池田先生は悪くない、幹部が悪いのではなく、実は池田先生が一番悪かったという理解が成り立ちますね。

このcallさんのコメントは鋭いですね。
私も、私のホームページ
(獅子風蓮のホームページ「よりよい創価学会をつくるために」の解説)で紹介したことがあります。
下の方の「7)池田先生のご病状について の追記:」というところです。

対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:y さん登場(2)

2021-12-29 01:13:08 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■正義という名の暴力        投稿日: 2014年5月14日

同じテーマが続いたし、すったもんだが一段落したところで、ちょっと気分を変えていきたいとおもいます。
とてもわかりやすい文章を紹介します。
http://www.1101.com/essay/2014-05-14.html
創価の組織にいると常識がどんなものなのかがわからなくなります。二世三世は常識を教えられる前に、創価の非常識を徹底的に心身に叩き込まれるので、そこから脱け出すのも至難の技です。
自分が信じている創価が正しくて、その他はまちがいか劣っているかのどちらかだという視点でしか物事を見れなくなるからでしょう。
上のリンク先にあるように、一般の若者さえ、説得力のある素晴らしい視点で物事を見ることが出来るのに、創価のなかでは宗門を罵倒することで、会員の心をがんじがらめにしています。はたしてこれが宗教と言えるでしょうか。一体創価のどこに信仰者の姿があるのでしょう。創価は宗門を利用するだけ利用して、破門された今でも、また違ったかたちで利用しています。それもみんな池田氏の指令のもとに行なわれてきたことです。おそらく池田氏はもう二度と姿を見せることはないでしょうが、それでも創価学会イコール池田大作であることに変わりはありません。姿を見せない池田氏の言葉よりも、上のリンク先で語っている無名の若者の言葉のほうが、どれだけ人の心に寄り添っているかは明白です。
こんな簡単なことが見えなくなるほど創価は人の心にバイアスをかけている。それは池田氏が会員からいかにお金を吸い上げ、かつ尊敬の念を抱かせ、自分の思い通りの権力をふるうための組織をつくってきたかの証しでしょう。上に紹介した文章にあるように「自分たちこそ正義だ」と思い込んでしまうことは、そのまま相手を否定し、それはいつのまにか暴力になってしまうことを、私たちはよく自覚して戒めなければならないと思います。そして繰り返すまでもなく、創価のMCとは、この「自分たちこそ正義だ」という幻想を信じて、何ものをも否定してしまう野蛮人と化してしまうところだと思います。
それではどうやってその幻想を打ち破ればいいのか。それは自分で気づくしかないわけですが、ここにコメントをくださるほとんどの脱会者の方が体験しているように、どこかの時点で情報を外に求めるということがポイントになると思います。もちろん私もそうでした。常日頃、創価では外部の情報はみなウソばかり。とくにネットを信じてはいけない。あれは正法を妨げようとする魔のはたらきだ。あんなものを信じると罰が当たる。地獄に堕ちる。福運を消す。などと組織は会員に対して必死に情報封鎖をしかけてきました。マスコミまでは金の力で封じ込められましたが、金銭の関わりのないネット上の情報は、さすがにどうにもならないという時代になりました。それだけに創価の慌てようは顕著で、露骨に「ネットを見るな」とまくしたてます。
ちなみにこれはとても有名な創価放送事故の動画です。NHK女子アナのうろたえぶりがハンパないので、いかにマスコミが創価から圧力をかけられているかがわかりますよね。

 
もうひとつ創価とは直接関係ないですが、創価に疑問を感じかけている学会員さんにとっては、とても参考になると思うので内海聡氏のFACEBOOKからの文章を紹介します。
情報の集め方と考え方
よく講演では指摘することですが、どうやって調べればいいのか、何を信じればいいのか、などと聞かれます。まずは自分で調べるのが一番大事ですが何にも信じなければいいのです。そうやって考えながら調べていけば、自分の中に納得として落ちる部分がやってきます。それを自分の情報として取り込めばいいでしょう。
その時に注意してほしい点がいくつかありますが、まずはある事柄に対して必ず賛成派と反対派の情報を両方集めてください、ということです。たとえば原発問題でいえば放射能危険派と安全派の両方の情報を見てください。そうすると両方の穴がみえてきて自分のとらえ方が確立してきます。たとえば流行りの食べ方についても、マクロビオティックや自然療法系の食べ方と、糖質制限食や先住民食系の食べ方の両方を見てください。それぞれ合う合わないが必ず違いますから、最後は自分の体にフィットするものを選べばいいだけです。
情報を集めるのに大事なことは、自分の経験にだけ固執しないこと、しかし自分の経験も参考にするということです。また二つの対立する情報があるとすれば、両方の情報が間違っていると考えながら調べることです。また、情報は誰かが必ず操作しており、事実などというものがそもそも存在せず、それはたとえ史実であっても人が違えば見方が変わる、というような考え方を前提にして情報を集めるように努力しましょう。
私が最も重要視しているのは大人の心と科学に準拠した心を捨て、素人の心や子供の心を重視して情報を眺めるということです。前者を基軸にするとどうしても常識にとらわれ、洗脳されたメディア情報から脱却することができません。たとえば原発問題で考えたときに、アホな大人たちは経済がどうとか日本の国力がどうとか、そういうことからしか考えませんが、子どもの心から考えれば原発などというものはすべて不要であり、さらに闇が明らかにされた今となれば当たり前のことです。子どもは「原発が爆発したのになんで使うの?大人ってバカ?」しか思っていません。
最後に情報を眺めるうえで大事なことは、枝葉末節の情報ではなく本質や構造的なところから考えようとすることです。こういうのがわからない人は原発は悪だがワクチンは善とか、精神薬は悪だが原発は善とか、まさにトチ狂ったダブルスタンダードを平気で訴え続けます。それらの共通点が理解できれば最後は情報を調べる必要さえなくなるのです。ぜひ多くの方にそういう情報のとらえ方をしてもらえばうれしく思います。
以上です。この中の
『私が最も重要視しているのは大人の心と科学に準拠した心を捨て、素人の心や子供の心を重視して情報を眺めるということです。前者を基軸にするとどうしても常識にとらわれ、洗脳されたメディア情報から脱却することができません。たとえば原発問題で考えたときに、アホな大人たちは経済がどうとか日本の国力がどうとか、そういうことからしか考えませんが、子どもの心から考えれば原発などというものはすべて不要であり、さらに闇が明らかにされた今となれば当たり前のことです。子どもは「原発が爆発したのになんで使うの?大人ってバカ?」しか思っていません。』
は、そのまま
『私が最も重要視しているのは師弟不二の心とか学会精神とかに準拠した心を捨て、人としてあたりまえの心を重視して情報を眺めるということです。前者を基軸にするとどうしても創価の常識にとらわれ、洗脳された創価の情報から脱却することができません。たとえば創価問題で考えたときに、学会員は組織がどうとか師弟がどうとか、そういうことからしか考えませんが、人としてあたりまえの心で考えれば創価などというものはすべて不要であり、さらに闇が明らかにされた今となれば当たり前のことです。普通の人なら「池田さんはボケたのになんで元気だって信じてるの?創価ってバカ?」しか思っていません。』
となります。
今まで創価を信じてきたけれども、なんとなく変だなと思い始めた学会員のみなさん。一度、創価の幻想から離れて、あたりまえの一人の人間として外に目を見開いてみてはいかがでしょうか。もしかしたら自分はとんでもない勘違いをしていたということに一気に気がつくかもしれませんよ。ここにコメントしてくださるほとんどの方もそうした経験をしてきた方たちばかりですし、ほとんどの方から気がついて本当に良かったという声をいただいています。一度でいいんです。外に目を向けて確かめてみてください。それでもやっぱり創価は正しい。池田先生は最高の師匠であり、世界の指導者だと思われたなら、それでいいじゃないですか。自分の人生にますます確信を深められるわけですからね。会合でも自信を持って体験発表ができます。きっと拍手喝采でしょう。地域の会員さんにも自信を持って指導できます。
もっとも、それは創価の中だけの話ですけどね。世間の人はなんとも思ってはいません。池田氏が指導者などともこれっぽっちも思ってはいません。学会は創立何周年になりますか?これだけの長い年月をかけて、これだけの会員数を増やし、これだけのお金を動かしている創価学会が、いまだに世間に何の評価も得られていないことに、会員の誰も疑問をもたないのです。というか学会員だけが学会が世間から評価されていると思い込んでいます。普通に考えればなんかおかしいと思ってもいいと思いますが、それさえない。脱会者がおかしいと指摘すると逆切れしたりする。逆切れならまだいいほうで、完全にスルーして何もなかったかのように振る舞う。それこそが会員がいいようにMCされ搾取されている明らかな証拠です。会員が自分たちの非常識に気づかないでいるかぎり、搾取されつづけ、最後は何もしらないまま不幸なままで死んでいくのだと思います。少しだけ変だなと思いかけている学会員のみなさん、どうか一度だけでいいですから、勇気を出して外に向かって心を開いてみて欲しいと切に願います。
脱会者から見れば、学会員は火事になっていることに気づかずに、家の中で遊びに夢中になっている子どものようなものです。この話、聞いたことありますよね。法華経比喩品での三車火宅の喩です。私たちは外から必死に早く家から出てきなさいと叫んでいるのに、学会員は遊びに夢中になって、自分が死に瀕していることに気づかない子どものようなものです。それでその後のストーリーも当然ご存知ですよね。子どもたちは何によって救われましたか?よく考えてみてください。あなた方が創価の中で戯れていると勘違いしているのは、本当はたいへんな火事の家の中にいることに気づかないでいるようなものです。経文で釈迦はその子どもたちに三車をプレゼントするから出ておいで?と、いわば美味しい話で外に連れ出します。残念ながら私たちは釈迦ではありませんから、そんな子どもが飛びつくようなおもちゃなど持ちません。ただただ出ておいでと叫ぶことしかできません。
人が縁に触れるには、自ら行動を起こさなければなりません。その行動とは外に向かって心を開くことだと思います。創価の言いなりになって、新聞に財務に選挙と何も考えずに走り回るだけではなく、自分の人生のことについて自分で情報を求め、その情報に基づいて自分で考えることではないでしょうか。組織から与えられた情報だけで一生を過ごすのと、自分で自分の人生を考え決めることとでは、どちらを選びたいですか。少なくとも創価学会員は前者の人生を選んでいるのです。組織から与えられただけの「自分で考えない人生」を選択していることに気がついていますか。
創価ではよく「正義」という言葉をつかいます。あたかも創価の活動が正義だと言わんばかりの繰り返しで、なんとなくそう思い込んでいます。しかしよく考えてみてください。それではあなたは何に対して闘っているんでしょう。学会が言うところの邪宗ですか、あるいは正法を広めようとしたときに立ちふさがる三障四魔ですか。あるいは折伏や新聞啓蒙やFとりが思うようにできない自分と闘っているのですか。財務を出し惜しみしてしまう自分の心と闘っているのですか。それって信仰ですか。
「闘え」と鼓舞されて、いいように煽動されているとは思いませんか。そんなの牧羊犬に追われる羊ではありませんか。それが仏道修行であるという根拠はどこにあるのですか。釈迦は自ら苦行を実践したあげく、苦行では悟れないことを自覚します。そして菩提樹の下で瞑想に入り得度します。学会の言う仏道修行は折伏、新聞、選挙、財務です。それが仏教とは何の関わりのない、組織の上層部に金と権力を集中させるための活動だということに気がつきませんか。気がつかないまでも、なんか変だなと思ったりしませんか。しないならいいです。これからも組織のいいなりになって一生を組織活動に捧げてください。
ただほんの少しでも変だなと思った方は、自分で考えることから始めてみてください。そうしたら今までの自分がいかに何も考えずに組織の言われるままに搾取されて生きてきたかが、瞬時にしてわかるはずです。たとえ瞬時でなくても、そこから今までどうして見えなかったんだろうと思うことがたくさん見えてくるはずです。いままで組織からあの手この手で心を閉ざされてきたのですから当たり前の話です。是非、自分で火事に気づいて家から出てきてください。そうでなければ気づかないまま焼け死んでしまいます。私たち脱会者はそれがよくわかったからこうしてネットを通じて呼びかけています。対話というのも、そのための方法です。対話は自分で考えなければ成り立ちません。自分で考えない人とは対話が成り立たないことは、ここのコメントを読まれたらわかるでしょう。
対話が成り立つ方と成り立たない方との決定的な違いは、自分で考えているかそうでないかです。学会員は自分の考えで発言しているつもりでしょうが、それはみな見事に組織からの受け売りです。うんざりするくらい皆さん判で押したように同じことを言います。自分で考えていない証拠です。そして人の言うことを聞いていません。ですからこちらから創価の矛盾を指摘しても何もなかったかのように平気でスルーします。このブログでも、池田氏がどうして姿を現さないのに何も疑問をもたないでスルーできるのかと問いかけても、まったく打て合う素振りも見せずに、あいかわらず同じようなことを繰り返すだけです。対話にならないのが当然です。自分の言いたいことばかりを言うだけです。自分の言いたいことと言っても、自分で考えたことではありません。組織から植え付けられたことを機械的言うだけです。まるでロボットです。
人は正義の名の下に暴力さえ辞さない動物です。世界中の戦争はその正義のために起こっています。創価もそんな正義を会員にふりかざして団結力と凶暴性を膨らませて盲目にし、金と権力を思いのままにしてきました。正義とは必ずしも良いものではないということをわかっていただきたい。正義のための闘いが時として悪のために利用されるのです。国家間の戦争も、民族間の争いも、みな普通の人が自分たちの正義を押し通さんがために人を殺していき、自爆テロを行います。もともとはみな平和な世界で家族とともに幸せに暮らしたいのは同じです。そこに一部の権力者が対立をつくり、民衆を煽り、憎しみを増幅させ、正義の名の下に闘いを強要します。破邪顕正と煽る軍歌そっくりの学会歌。聖教新聞にしきりに載る「闘い」の文字。異様なまでの宗門バッシング。それはみな一般会員へのプロパガンダそのものです。そのことに気がつかないで、勢いよく戦地に赴き自爆テロを繰り返す学会員。私たちは外からそのように見えています。人は信じるものによってこうも変わるものかと思います。
創価学会は宗教ではありません。宗教を利用して善良な人たちを食いものにしているだけです。どんなに折伏や新聞啓蒙や選挙活動や財務を頑張っても、功徳なんかありません。そもそも功徳欲しさに何かをするなんて、仏教ではありません。この世界はすべて仮のものであり、いっさいは無に等しいというのが仏教の悟りです。功徳にこだわること自体が煩悩そのものではないでしょうか。人間革命だとか宿命転換とかいっても、結局は功徳欲しさに組織の言うがままに操られているだけではないでしょうか。結果は、組織の上層部に使い道がいっさい知らされない会員のお金が集まるだけです。会員に功徳があったかどうかは、単に会員の気持ちの問題です。逆にこの信心をしていれば功徳がある、幸せになれる、お金に苦労しないで済むなどと言っている学会員は、物欲に囚われただけの人にしか思えません。活動をしてもしなくても、いいこともあれば悪いこともある。それが人生です。
信心している人としていない人のどこに差がありますか。阪神淡路大震災や東日本大震災で学会員だけは助かりましたか。それとも助からなかった人は信心が足りなかったのですか。神戸や福島の人はそんなに信心が足りなかったのですか。今後近いうちに来る南海トラフ大地震で、信心していれば助かりますか。そんなことは100%あり得ませんよね。では創価の信仰とは何でしょう。単なる仲良しグループですか。それが魅力で選挙活動や財務を頑張って、読みもしない聖教新聞を一人で何部もとって、見たくもない民音の公演チケットを買うのですか。毎度毎度、学会の書籍を会員さんに売りつけると功徳があるのですか。昔の池田氏の写真ばかりと宗門に対する口汚いバッシングばかりが載っている聖教新聞を、外部の人に勧めてよく恥ずかしくなりませんね。集団的自衛権や秘密保護法について何も知らずに、よく公明党の票をお願いに回れますよね。原発事故で多くの学会員も苦しんでいるというのに、原発再稼働と海外輸出に反対すらしない公明党をどうして支援できるのですか。そもそもどうして公明党が自民党と連立を組まなければいけないのか、学会員は説明できるのでしょうか。
言い出したらきりがないのでやめますが、とにかく創価学会が実際にやっていることにひとつも疑問をもたないということ自体が、何かおかしくないかと一度自分の頭で考えてみていただきたいと思います。そうでなければ、ここでどんなに対話を試みても、なんの意味もないと思います。創価の組織からの代弁者では対話はなりたちません。私は自分で自分の人生を考え生きようとする方との対話をしたいと考えています。ぜひお待ちしています。


●桃太郎 (2014年5月14日 23:19 )
☆ 白バラ通信から来ました、桃太郎と言います。
シニフィエさん、お久しぶりです、・・・・と言っても、2年ほど前、コメントをお届したことがあるだけですから、すでにお忘れのことと思いますが・・・。
 ( 私は、期せずして創価問題に出会い、ここ5年ばかり、創価仏法、公明党について調べている外部の者です。)
かつて、貴殿のブログが大変な状況になったことがありますが、それにも挫けず、すっかり立ち直られ、落ちついたブログを形成されておられる様子を毎日見て、他人事でなく、本当によかったなーと嬉しく思っております。
そして、ここに心を寄せる多くの方の励ましとなり、心の支えとなっておられる貴殿に心より敬服の意を表するものです。
貴殿のお仕事の関係からなのか、さらに恵まれた人間関係があってのことからなのか、長年に亘って培われた「広い見識」と「豊かな感性」が、こうして秀逸な記事を生み、コメント対応にも温かさと「ゆとり」を生み出しているように感じさせられます。
これからも益々健康に留意され、無理をなさらず、貴殿の豊かな感性を大切にして、このブログが息長く続けられますよう、切に切に願うものです。
☆ 先日、貴ブログ記事の「客観的な視点」で紹介されていたブログ『宗教を語る』を全て読んでみました。
実に膨大な記事で、読破に4日間かかりましたが、大変勉強になりました。
ご紹介有難うございました。
長くなりますが、この紙面をお借りして感想を書いてみたいと思います。
とりわけ、大乗仏教、天台宗と最澄、日蓮と日蓮宗、日蓮正宗と創価学会についての記事は一つの大きなまとまりとして、私にとって新しい発見もあり、大いに参考になりました。
このブログは学術的なものではなく、広く世間一般の人に向けたもののようですが、体系立ったものであり、内容の濃い力のこもった優れたブログであるように私には思われました。
そして、『真の宗教とは何か」について深く考えさせられ、とりわけ、「日蓮仏法の過大評価」と「創価仏法の危うさ」についての指摘は大いに参考となるものでした。
学会の方々は、「世界で唯一最高の仏法は創価学会の他にない!」と確信を持って言われているので、この程度の内容のものは既に卒業されていることでしょうが、まだ読んでいない方がおられたら、ぜひとも読んでいただきたいと感じたところです。
聖教新聞、同時中継、各種創価本、会合での指導等々の情報に縛られ、「大聖人様直結の仏法だ!」「お宅の宗教では幸せになれない!」と叫ばれ、「公明党こそ庶民を守る政党です!」と言って投票依頼されても、世間一般には全く説得力がありませんから・・・・ね。
創価学会員は選民思想でM・Cされ、やれ「地湧の菩薩だ!」、やれ「利他行だ!」
とか、言行が一致しないまま「耳触りの良いこと」を唱えているようですが、その実態としては、自らの「我欲」のために学会活動に狂奔し疲弊しているだけではないかと、世間の多くは理解しています。
また、「宿命転換だ!」「法戦勝利だ!」と選挙に運動を信仰にしたり、組織やトップの批判に対して「仏罰は当然!」とばかりに、査問を指導と称して人権抑圧するなどに至っては( 矢野氏、高倉氏などがその例)、とても信仰のための集団とは考えられません。
キリスト教徒にも、浄土宗、真言宗など他の仏教徒、あるいは神道の信徒にも、人格が立派で、世の為人の為に活躍されている敬服すべき方は数多く居られます。世間一般の人は日蓮仏法・創価学会のことを勉強されているわけではないのですが、身近な学会員の様子から新興宗教・創価学会の「胡散臭さ」を肌で感じ取っています。
ここのブログでも、「詐欺集団であるかないか?」の論議が行われていましたが、創価学会は、やたらとお「金集めをする組織」、限りなく「詐欺的な組織」で、公明党を抱えた「厄介な組織」「うっとうしい集団」であると、世間の人々は全く創価学会のことを相手にしていないようです。
聖教新聞の一面を見るだけで、創価学会を『池田教』とは思っても、「仏教」と考える人は殆んどいないのではないでしょうか。
麻原彰晃を教祖とする「オーム」、文鮮明をグルとする「統一原理」と大差ないと考えられているものと思います。
創価学会の皆さんには、一日も早く、この「創価学会の真実」に目を向け目を覚まし、本当の自分を取り戻して頂きたいものです。
※ 外部の者ですから、テーマから外れた間違いの多いコメントになっているかも知れませんがお許し下さい。

●signifie (2014年5月15日 04:28 )
桃太郎さん、おはようございます。
いつも素晴らしいコメントありがとうございます。
ちゃんと憶えていますよ(笑)。白バラ通信での理路整然としてわかりやすく、そして内容の深いことばにはいつも感服しておりました。このごろは白バラ通信でもあまりお見かけしないので、どうされたんだろうと思っていましたが、お元気なようで安心しました。
ここで紹介させていただいたブログ『宗教を語る』は、ここの常連さんに教えていただきました。じつはまだ全部は読めていません。しかし、桃太郎さんがおっしゃるように、仏教、日蓮、創価にわたる箇所はすべて読みました。私もおおかたのところ知らないわけではなかったですが、ここまできちんと筋道をたてて、冷静に、そしてあくまで客観的に創価の矛盾をあからさまにした文章はほかに見たことがありません。ここまで創価問題に的を射た文章はそうないなと驚いています。学会員さんがこのブログの内容をちゃんと理解できるなら、すぐにでも覚醒できるのになと思いますが、残念ながら学会員さんの心には固い厳重なロックがかかっていますので、まさに「馬の耳に念仏」といったところでしょうか(笑)。なんとももったいない限りです。目の前に覚醒のチャンスが転がっていながら、そのことが目に入らない学会員さんの実情を見ても、やはりこれはたいへんな人権侵害だと思います。
おかげさまで、このブログも以前の荒れ果てた状態からなんとか復帰できたように思います。先日ちょっと雲行きがあやしい場面もありましたが、思い切った決断によって乗り越えられたかなと思います。このブログの一番初めの頃は、何が何でもどんなコメントでも承認して、根気づよい対応によって対話をつくってやるぞと意気込んでいましたが、ネットの世界はそんなに甘くはありませんでした。想像を絶する魑魅魍魎の出来により、私自身の心が萎えてしまいました。しばらく休止した後、もう一度気持ちを整理してブログを始めましたが、今回は進行の妨げとなるコメントは管理者としてきちんと管理しようとの思いで始めたところ、おかげさまでほとんどおかしなコメントはなくなり、とても有意義な内容になったと思います。これは私の裁量などではなく、ここにコメントしていただくみなさんの率直でウソのない心に響くコメントのおかげだと感謝しております。
桃太郎さん、これからもこのブログを応援していただき、みなさまの対話の、そしてひとりでも多くの学会員さんが創価の矛盾と間違いに気がついてもらえるようご協力いただければ幸いです。どうかよろしくお願いします。

 


解説
この時のシニフィエさんは、トンデモ医師・内海聡氏の影響がとても強いようです。

対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:y さん登場(1)

2021-12-28 01:11:08 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか  投稿日: 2014年5月12日

ひきつづき、テーマは「なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか」についてお話しましょう。現在このブログにはお二人の現役学会員さんがコメントされています。カメレオンさんは最初は学会員ということでしたが、途中でじつは脱会していましたとカミングアウトされました。その理由は不明ですが、言ってる内容もあいかわらず不明なので、これ以上深追いしないことにしました。
このテーマについて、みなさんからかなりの数のコメントをいただきましたが、このテーマは創価の矛盾をはっきりさせるわかりやすいテーマだと思いますので、あらたに現役学会員さんのコメントも期待しつつ、もう少しこのまま続けてみたいと思います。よろしくお願いします。
池田氏がまる4年も人前に姿を現していないというのは事実です。そしてその理由など組織からはひとこともありません。にもかかわらず、会員からそのことを疑問に思う声すらあがらない。いわゆるタブーとして捉えているのか、それともほんとうに何とも思わないのか。そのどっちにしても脱会者から見れば会員の態度はミステリーです。外部の方は関心がないのでどうでもいいのはわかります。学会員さんが池田氏を人生の師匠と豪語するならば、なぜ弟子が師匠の健康を気にもとめないのか。これに誰もが納得のできる答えをしてくれる学会員がなぜいないのかを問いたいと思います。このテーマは話がシンプルですから誰にもわかると思います。

震災後、天皇夫妻は積極的に福島を訪れました。被災された住民の方々にの一人ひとりに一生懸命声をかけられていました。
さて、昨日の聖教新聞の1面にはさまざまな花が咲き乱れる写真が大きく載っていました。
http://www.seikyoonline.jp/news/top/1212857_2118.html
その下の文を読むと
「レンギョウの黄色、シダレザクラの桃色、春もみじの赤?。先月5日、創価大学(東京・八王子市)を訪れた後、池田名誉会長は牧口記念庭園へ。柔らかい光の中に踊る“春”を、カメラに収めた。」
とあります。あれあれ?池田氏は創価大学に行ったんですね。入学式に出席したんでしょうか。知りませんでした。新入生に挨拶したんでしょうか。新聞見てないので知りませんでした。で、ネットで聖教新聞のバックナンバーを調べたら、創価大学の入学式は4月3日でした。池田氏は自分が創設した大学の入学式には顔を出さずに、なぜその2日後に大学を訪問したのでしょうか。2日後にしか来れないほど大切な用事でもあったのでしょうか。そのころの新聞のバックナンバーを見ても、4月3日の池田氏の動向は知らされていません。創価大学の入学式の時、池田氏は何をしていたのでしょうか。そしてなぜ4月5日の池田氏のことを書いた記事にそのときの写真が載っていないのでしょうか。
そして、その日は牧口記念庭園に行って花の写真を撮ったと書いていますが、その大きく載せた写真がそのとき撮った写真だとはどこにも書いていません。いつも垂直水平がでたらめな写真はたしかにファインダーを覗かずに撮る池田氏特有の写真であることに間違いはないと思いますが、いかにもそのとき池田氏が撮ったものであるかのような書き方には、ある種の操作の意図を感じないわけにはいきませんね。そして、その横には、何の関係もない1996年のコスタリカでの池田氏夫妻の写真が載っています。下のキャプションを読まなければ、いかにも今でも池田氏が元気で世界の友を激励しているかのようです。これです↓
昨日の聖教新聞になぜか18年前の写真が
どうしてここに18年も昔の写真が載る必要があるのでしょうか。普通に考えたら、4月5日に訪問した創価大学や牧口記念庭園での様子を載せるでしょう。そう思いませんか、現役学会員さん。これもミステリーですよね。これにどんな意図があるのか、どなたか説明していただきたい。
福島で被災された学会員さんは、池田氏がちらっと顔も出さないことを何とも思っていないのでしょうか。それとも「池田先生はご高齢だから」と本気で思っているのでしょうか。天皇さんも手術をしたりして、皇后さんもずっと公務ができないほど体調が悪かったはずです。でもおふたりは被災地に足を運び、多くの被災者の方たちを激励されていました。天皇皇后は東北に限らず、常に被災地には進んで出向き、被災者の方を激励されています。この事実を学会員さんはどう思っているのでしょうか。現役学会員さんのコメントお待ちしています。

●y (2014年5月17日 22:46 )
 モニカさん
 私との認識の違う部分を述べたいと思います。
・商売という一面は否定しませんが、会員をいかに勇気ずけるための生活に即した応用展開と捉えてます。
・秘法、絶対という確信ある言葉に大衆は惹かれるし、そうやって実践したほうが、効果があるからです。化城などもある意味激励のための騙しですから。
・お金に関していえば、すべて出す出さないは大人の会員の判断です。同調圧力があることは否定しませんが、出さない自由も認められています。
・日蓮のカルト的な要素を、時代に即して変えていけばよいことで、当時の権実雑乱の時代背景からすれば、五時八教からの法華宣揚は自然なことと思われます。
・創価学会という宗教法人が組織ぐるみの犯罪で司法に断罪されたことがない限り、それは誇張としか映りません。(法の華やオウムのようなことならわかります)
・上記のことで断罪されれば、賛同、加担ということは認めますし、それ以前に解散させらるでしょう。
 CALLさん
 狂信的な方は別ですが、この猿芝居の件で上層部に対しての不信感は拭えないと思います。書物を通しての池田氏は今の私でも活用するわけですから、不思議なことではないと思います。
 男ならわかると思いますが、下半身と仕事は別、くまら什、ユゴー、後世の思想に影響をあたえた方でも、私生活は決して誉められたものじゃないのが現実でしょう。
 依法不依人の考えからしても人法共に尊いことは理想ですが、過ちを犯すのが人の常との戒めと私は捉えています。逆にお聞きしたいのですが、宇宙の森羅万象、己心の生命を貫くとされる妙法なる存在のようなものまでも、今は否定される立場なのでしょうか?
 私は信じるに値するものと考えているので、信仰は続けるという立場です。題目(法)がインチキだってやめるかたはあまり聞きませんよね。人が絡むことでやめてしまうのがほとんどでしょう。
 
 私が信心はじめたころからすれば、組織も随分常識的になったとおもいます。みなさんのような方が様々情報発信することで、第一線の組織も中枢も今のままではもたないという危機意識がどんどん芽生え、変化せざるを得ないんです。
 罵倒座談会も今はおとなしいですよね。これも会員のクレームの嵐があったからです。庶民は愚にして賢なり。みてないようで、しっかりみているんです。
 みなさんの創価に対する厳しいご意見もわかっているつもりです。ただやめた方以上の多くの方が、信仰に誇りをもって課題に取り組んでいる現実も認めていただきい、、、。


解説
y さんという創価学会員の方が、モニカさんやCALLさんのコメント(詳しい内容は不明)に答えています。
私は、y さんの冷静な意見に、多くの共感を覚えます。
コメントの全体が読めなくて残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:ポラリスさん登場(5)

2021-12-27 01:09:13 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■いま池田氏はどのような状況なのか     投稿日: 2014年5月6日

ということで、コメントは常に最新のページだけにできるように設定変更しましたので、よろしくお願いします。
ここではまずこの「いま池田氏はどのような状況なのか」ということに論点をしぼっていきたいと思います。前のページのコメント欄にテーマを絞る理由は述べましたので、知りたい方は前の「新しいコメントはこちらへお願いします。」のコメント欄の最後をお読みください。
「いま池田氏はどのような状況なのか」という疑問は、脱会者にとってはこの4年間、まったく想像することしかできないという疑問です。そして数百万人の会員にとっての人生の師匠の姿が見えなくなったことに、会員がなんの疑問も抱かないのか、納得のいく説明をどなたかしていただけるとありがたいのです。脱会者としてはよくまあ4年間も池田氏の情報が漏れないなと感心します。一度週刊誌にその手の暴露記事が出ましたが、それは事実関係が確認できなかったということではっきりしないまま終わりました。いったん週刊誌に出たものの、情報提供者があとになって引っ込めたという、なんとも煮え切らない事件でした。裏でどんな取引があったのだろうと勘ぐりたくもなります。私としては前のページでも言ったように、池田氏が4年間も人前に姿を現さないのは、人前に出せる状況ではないというのが本当のところだと思っています。これはあくまで想像ですが、池田氏はもう痴呆が進んで何もできない状況なのだと。かろうじて夫人とツーショットの写真ぐらいは写せるくらいで、それでもその顔は無表情で、痴呆症の方のそれだとしか思えません。とてもだれかとまともに話をしたり、ましてや一般会員の前に出てきて指導をするなどできる状態ではないと考えます。そうすればこの4年間のつじつまはすべてしっくりきますよね。みなさんのご意見をよろしくお願いします。

●signifie (2014年5月7日 03:09 )
これ↓は、創価と法廷で真正面から闘われている香川大学の高倉教授のブログ「白バラ通信」の最新ページです。
http://wrpandora.blog.shinobi.jp/Entry/317/
ここにもありますように、学会内での「改革」の模索がときどきされているけれども、ことごとく潰されているということが述べられています。池田氏のゴーストライターは名前もはっきり明示されています。
私は池田氏の現在の状況がはっきりすれば、創価はガタガタになると思います。当然公明党も分解するでしょうし、創価から恩恵をもらっていたいろんな企業も途端にそっぽを向くでしょう。そして幹部はさっさと逃げ出し、残された一般会員は呆然と立ち尽くすことになるでしょう。それほど創価学会において池田氏の動向は大きな影響力があります。池田氏の痴呆が世間に知らされると、学会員はどうしていいのかわからなくなるでしょうね。ですから、幹部としてそれだけは避けたいものだから、池田氏を人前に出せなくても、めちゃめちゃ無理を承知でも、池田氏が元気でいることを会員にアピールするしかないわけですね。でももう4年以上も幹部が会員にウソをついていたことがわかれば、かなりの脱会者が出るのもしかたがありません。そのような大きな動きがあれば、マスコミも黙ってはいないですから、いろいろ面白おかしくかき立てます。座談会でも不穏な空気が流れるでしょうし、自民党はすかさず公明党を切り離すでしょう。自民党にとって学会票を確保できない公明党は何の存在価値もないですからね。
ほかにもいろいろな影響が出てくると考えますが、とにかく池田氏の現状がはっきりしさえすれば、創価はたちまちのうちに崩壊すると思います。人間主義だとか世界平和だとか、そんなもの関係ないです。宗教とか信仰とかも関係ないです。池田氏の痴呆状態が何らかの形であきらかになれば、創価学会と公明党の崩壊は誰にも止められない。人生の師匠と言っても、池田氏が現実に姿を現さない創価学会はそうしたところまで追いつめられているということだと思います。それがわかっていながらも姿を現せない理由(痴呆)があることを、会員も認めたくないのでしょうね。
繰り返しますが、私は池田氏が痴呆かどうかということを問題にしているのではありません。池田氏もけっこうな歳ですから、痴呆症になっても何も不思議ではないし、べつに恥じることでもありません。そうならそうと会員に知らせないとウソをついていることになります。一般社会では池田氏がどんな状況でもどうでもいいことです。問題はそんなことではありません。何百万もの会員が先生と慕っている指導者がまる4年も姿を現さないことに、何の疑問も感じない会員の思考停止状態が問題だと言っているのです。自分自身の思考停止に気がつかないことが問題だと。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮