獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

「死後の世界」の仕組み その2

2023-02-28 01:39:39 | 宗教・死後の世界

d-マガジンでこんな記事を見つけました。


週刊現代 2023年2月4日号

最新理論「死後の世界」の仕組みが判明!
 __死んだらどうなる 人はどこへ行くのか


驚きの新説が現れた

意識が肉体を離れる。知るはずのない死者の人生を、子供たちが滔々と語りだす。はたしてその時、何が起きているのか。
前出の大門氏は、ふたつの仮説を提示する。
「ひとつめは、いわゆる『超能力』が関わっているという考え方です。人間には本来、自分の認知能力を超えて透視をしたり、知り得ないはずのことを感知する力があるけれど、大半の人はそれに目覚めていない。 一部の人がテレパシーのような能力で、どこかにある死者の記憶にアクセスし、それを語るようになる。このように考えると、必ずしも魂の存続や死後の世界を想定しなくとも、説明ができるわけです」
だが、疑問も生じる。「前世記憶」を語る人々か、単に超能力で「死者の記憶」を読み出しているだけなら、特定の死者だけでなく複数の死者について語る人がいてもおかしくないが、そうした例はほとんどないのだ。
「もうひとつ考えられる仮説は、やはり死後も意識は消え去るわけではなく、肉体から切り離されても何らかの形で存続するというものです。
もちろん現時点では実証困難ですが、実験でこれを検証しようとする研究者もいます。例えば米 アリゾナ大学教授のゲイリー・シュワルツ氏は、霊能者に依頼して部屋に霊を下ろしてもらい、その間の室内の光子(光の粒子)の増減を調べました。すると、霊が室内にいたとされる時間帯には、急激に光子の量が増加した。彼はそれにもとづいて、意識や魂にも物理的な実体があると主張しています」(大門氏)
ただ、この実験も「霊能者」の協力を得ている、つまり「霊」の存在を最初から前提としている時点で、真の意味で科学的とは言いがたいだろう。
そもそも、生物の意識がどのように生じているのかという問いは、最大の未解決問題のひとつ。それを解明しなければ、死後に意識がどうなるのか、死後の世界はあるのかといった問題も解けないことは明らかだ。しかし、医学や生物学、心理学の分野ではその端緒すら見つかっていない。
ところがここにきて、思わぬ方面から「新説」が現れた。宇宙物理学の最新理論が、人間の意識についても説明を与えてくれるのではないか、と一部の学者が主張し始めたのである。
それが「ホログラフィック宇宙論」という仮説だ。米国の理論物理学者、ポール・サター氏が言う。
「プリンストン大やスタンフォード大など、世界有数の学術機関がホログラフィック宇宙論を有望と見て研究しています。噛み砕いて言うと、私たちは自分たちの住む世界(宇宙)を三次元、つまりタテ・ヨコ・高さがある立体構造だと思い込んでいるが、実際には世界は二次元、すなわちタテ・ヨコだけの平面であるという考え方です」


魂が記録される場所

このような世界観が、平面に印刷された模様があたかも立体のように見える「ホログラム」と似ているので「ホログラフィック宇宙論」と呼ばれるようになったわけだ。
理論の詳細を説明するのは難しいが、要するに世界を二次元だと考えると「重力とは何か」や「ブラックホールはどのような性質の天体なのか」といった、宇宙に関する未解決の難問をうまく解くことができるかもしれない。それゆえ、近年注目を浴びているのである。
「この理論によれば、全宇宙のあらゆるできごとは二次元の平面に記された情報として表現できる。しかも、その情報は過去と未来にわたって失われず、全てが保存されているといいます」(サター氏)
たとえると、こういうことだ。この世界の本当の姿は、一本の長い長い映画である。平らなフィルムの上に、過去、現在、未来のありとあらゆるできごと、生と死、感情や記憶までもが記録されている。私たちは再生されるその映像を眺めている観客であり、同時に登場人物でもある。そして再生が終わったフィルム は、どこかに大切にしまわれていて、死んでいっ た人たちの記憶も永遠に失われることはない----。 
「仮に私たちの住む世界が、本当はこのホログラフィック宇宙論が示すような姿であるとすれば、過ぎ去ってしまった人生のひとつひとつの場面や、人の意識、記憶といった形をもたないものも、宇宙のどこかに保存されているのかもしれません。
臨死体験をした人が時間や空間を超えて死んだ肉親と会ったり、知るはずのない死者の記憶を子供たちが語り出したりするのも、いわばこの『フィルム』に記録された情報に、偶然や何らかのきっかけがあって触れたためだと考えれば説明がつきます」(前出・斎藤氏)
最先端の科学がたどりついた宇宙観は奇しくも、これまで多くの人々が体験し、また数々の宗教が説いてきた「死後の世界」に通じているのだ。前出の大門氏も言う。
「長らく『死後の世界』は宗教や文化の問題でしたが、ようやく科学的なアプローチを試みる人々も現れてきています。かつて地動説が天動説を退けたように、ゆくゆくは『人は死んでも魂は残る』という学説が常識になるのかもしれません。
もちろん、私たちが生きている間には、その証明は難しいでしょう。そうだとしても『肉体が滅んでも、そこで終わりではない』と考えれば、死を前向きにとらえ、人生をよりよく生きようという気持ちが生まれてくるのではないでしょうか」
人類の叡智は、ついに命とは何か、魂とは何かという難問まで解き明かそうとしている。昨日の常識は、明日には通用しなくなるかもしれない。

 


解説
「ホログラフィック宇宙論」
難しそうですが、勉強してみたいです。


獅子風蓮


「死後の世界」の仕組み その1

2023-02-27 01:33:43 | 宗教・死後の世界

d-マガジンでこんな記事を見つけました。


週刊現代 2023年2月4日号

最新理論「死後の世界」の仕組みが判明!
 __死んだらどうなる 人はどこへ行くのか


「ある」と考えなければ説明できない。でも、証拠はどこにもない――。何千年もの間、人は霊魂や死後の世界を「信仰の問題」だと考えてきた。だがついに、科学の力がその核心に近づきつつある。

目が見えないのに「見た」

命を失った自分の肉体が、はるか下に見える。人生で出会った人々、見てきた風景が早回しで駆け抜けてゆく。暗いトンネルを抜け、光に包まれると、そこには美しい緑と青い空が広がる……。
「死後の世界」を垣間見て息を吹き返した人々はしばしば、こうした体験を語る。だがそれは、死にかけの脳が見せる幻覚にすぎない。死後の世界など、あるわけがない。そう一笑に付すのが世の中の「一般常識」だ。
では、次のような例はどう考えるべきだろうか。
大破したバンと、路上に投げ出された若い女性。割れた頭から血が流れ、脚はあらぬ方向に曲がっている。救急隊が服を切り裂いて救命措置を施し、担架に載せた。力なく垂れ下がった彼女の左手にきらめく結婚指輪……。
米国シアトルで'73年春に発生した、ある自動車事故。一命を取り留めた女性が後に「事故直後に上空から見た」と語った光景だ。生死の境をさまよった人が、瀕死の自分を見下ろしている。 まさに臨死体験の典型例で、これだけなら「不思議な話」で終わりである。
問題は、彼女が生まれつき「全盲」だったということだ。 広島大学元教授で、臨死体験や死後の意識について研究する斎藤忠資(ただし)氏が言う。
「彼女は0歳のときに光を感じる能力も含め、視力を完全に失っていました。生まれつき全盲の人は、夢の中でも視覚がないことが知られています。つまり、仮に幻覚であったとしても、このような風景を『見る』ことができるはずがないのです。
彼女のように全盲であるにもかかわらず、死に瀕して『体外離脱』をした、トンネルや光といった死後の世界らしきものを見た、と語る人々が存在します。先の事例は米コネチカット大学の心理学者ケネス・リング氏が 記録したもので、リング氏は同様の例を14件報告しています。中には、救命にあたった医療者の数や性別・年の頃、手術器具の形などを正確に言い当てた人もいました」
人は死ねば一巻の終わりで、「その後」は存在しない。死後の世界や臨死体験、まして生まれ変わりなど妄想であり、非科学的なオカルトだ----。
そんな常識を覆す証拠と研究成果が近年、着々と積み上がっている。
「♪月月火水木金金~」
「ヤマトが沈んだ日の朝、僕おにぎり食べたんだ」
そう口にしたのは、'12年5月生まれのある男児だ。死後の世界や生まれ変わりを研究し、『「生まれ変わり」を科学する』などの著書がある中部大学教授の大門正幸(おおかどまさゆき)氏は、その子が小学校1年生のときに直接話を聞いた。
「タケハルくんという男の子で、2歳ごろからお風呂に入るたび 『僕はお母さんより先には死なないよ』『爆弾が降ってきた』『19歳で船が沈んで死んじゃった』『大和にもう一度乗りたい」などと話すようになったそうです。戦艦大和に搭載されていた砲門の位置や数を言い当てるなど、かなり具体的な証言もしています」
タケハルくんは、同じ幼稚園に「むさし」という名前の子がいることに興奮したり、幼児が知るはずのない旧日本海軍の知識を次々に語った。
――この子は前世で戦艦大和の乗組員だったのではないか。
そう考えた両親が、広島県呉市の「大和ミュージアム」に連れていくと、大和の模型を見た彼は、「大和はこんな小さいんじゃない!偽物だ!」と大泣きしたという。


2600人の「前世の記憶」

大門氏は、このような「前世の記憶」を語る人々の事例を集めている。
「'00年生まれのトモくんという男の子は、3歳ごろから『前はイギリスのお料理屋さんの子供だった』『えでぃんびあ (エジンバラ)に住んでた』『僕はゲイリースって呼ばれてたけど、熱が出て死んじゃった』などと話すようになりました。
彼のお父さんは当初、まったく耳を貸していませんでした。しかし、トモくんが4歳のときにテレビで脱線事故を見て『イギリスでもこんなことがあったよ。サウスオールってところ』と言い出した。調べたところ、'97年9月に本当に同地で 大きな列車事故が起きたことがわかり、衝撃を受けたそうです」(大門氏)
彼らが語ったような、あまりに具体的な「前世の記憶」は、人が「死んだら終わり」ではないという可能性を強く示唆している。 最新科学が解き明かそうとしているそのメカニズムについては後で詳しく考察するが、米国の名門・バージニア大学の研究によれば、同様の事例は全世界で2600件以上報告されている。しかも、そのうち7割は「生まれ変わる前の人物」の特定に成功したという。彼らがウソを述べている可能性はきわめて低い。「ミャンマーでは、前世での妻のもとに自力でたどりつき、その人と結婚までしたケースもあります。キリスト教では『生まれ変わり』は異端の思想として否定されていますが、宗教に関係なく全世界で発生しているのも特徴です」(大門氏)
ここで一度立ち止まり、順を追ってじっくり考えてみよう。ここまで紹介した事例からは、 次のような推測が成り立つ。 まず人の精神――いわゆる「魂」は、脳や身体の機能が止まったり損なわれたりしても、独立して機能するかもしれないということである。
例えば体外離脱を体験した全盲の人々は、「見る」という経験を一度もしたことがないにもかかわらず、その瞬間だけはものを見ることができた。つまり、肉体の障害という制約を超えたのだ。「米国で体外離脱と臨死体験を告白して有名になった脳外科医のエベン・ アレグザンダー氏も、重い感染症で1週間にわたり脳の大半が機能停止していたにもかかわらず、まぶしい光を見たり、平和な世界で死んだ肉親と遭遇したり、高い知性をもつ『何か』と対話したりしたと証言しています。
現代科学では『脳も一種のコンピュータなのだから、心の働きは全て脳内の電気信号によって説明できる』『だから、脳が壊れたり止まったりすれば、心も同時に壊れるか止まる』という考え方が主流ですが、その前提が間違っているのかもしれません」(前出・斎藤氏)
また、膨大な数の「前世記憶」の実例は、人間の意識や記憶が死後も何らかの形で保存されている可能性を示している。仮にタケハルくんらの事例が真に「生まれ変わり」ではなかったとしても、少なくとも彼らが未知の手段で、目に見えない死者の記憶に触れていることは疑いようがない。

(つづく)


解説
膨大な数の「前世記憶」の実例は、人間の意識や記憶が死後も何らかの形で保存されている可能性を示している。仮にタケハルくんらの事例が真に「生まれ変わり」ではなかったとしても、少なくとも彼らが未知の手段で、目に見えない死者の記憶に触れていることは疑いようがない。

なるほど。私も生命のエネルギーは何らかの形で「保存則」に従うと考えますので、興味をひくテーマです。


獅子風蓮


統一教会2世に学ぶ、自分の頭で考えるということ その2

2023-02-26 01:00:21 | 統一教会

d-マガジンでこんな記事を見つけました。


サンデー毎日 2023年3月5日号
挑む者たち24 石戸諭(ノンフィクションライター)

旧統一教会「2世」が起業家になった哲学の力
 __「哲学クラウド」代表取締役CEO
       上館誠也(かみだてせいや)

 

教団から離れられたのは
自分で思考し、考えたから

彼の両親を含めて献金を繰り返しても、困窮する信者は珍しくない。神はなんのために存在するのかという問いは、そのまま教義の矛盾と結びつくのである。
信者の中には「矛盾はわかる。でも、だからこそ離れるのではなく、教義をより良くしていくために教団に残る」と語った者もいた。だが、大半は彼の語ったことを理解しようともしなかった。結局、彼らが求めているのは所属することによって自分の存在が承認されるコミュニティーであり、信仰や「神」はそのお題目にすぎない。それが彼のたどり着いた結論だった。
彼は家族の信仰からも、教団からも完全に離れることができた。人生は思考によって、条件を変えることができる。彼は考えることによってのみ、自分の存在を実感することができた。
立命館大学への進学と同時に親に一切頼ることができない学費をどうまかなうか、という課題が現実的なものとして降りかかってきた。時代は最初の学生起業ブームの真っただ中だった。
彼も大学時代から英単語を効率的に学ぶアプリ「mikan」を開発するmikan (Yenom へ社名変更し、2021年に清算した。現在のmikanはYenom から教育事業を切り離して設立した会社)を共同創業し、スタートアップの立ち上げに熱中した。
学費をまかない成長軌道に乗せたところで、経営からは離れたが、ビジネスパートナーに常に問うていることがあった。日本に住む誰もが、英語をネイティブ並みに話せる世界を“ミッション”だと語っているが、なぜそれを自分たちがやらなければいけないのか。学生が威勢のいいことを掲げれば、時代の空気も後押ししてお金を集めることはできた。だが、それだけだった。
人生経験も乏しい若者が、いくらお金を集めたところでうまく組織を作ることに課題は残った。組織をうまくマネジメントできなければ、会社を継続的に成長させることはできないのが現実である。関心は組織作りに向かった。
入社したリンクアンドモチベーションは、心理学や行動経済学などの科学的知見を取り入れ、ビジネススキルや社員のモチベーションを分析することを得意としてい た それには背景もあった。創業者も哲学に関心を持っていることを公言していた。哲学の話ができる上司もいて、仕事を通じてただ学ぶだけでなく、学んだことをすぐに実践できる環境も整っていた。貪欲に学び、経験を積んだ。若いビジネスパーソンらしい発想で、そのまま自分の力を試したくなって個人として独立した。
次の職場は個人コンサルタントとしてかかわることになるリクルートだった。
前職の経験を活かした組織変革に取り組もうとしたのだが、狙いはことごとく外れる。失敗の要因は細かく挙げればいくらでも出てくるのだが、根本にあったのは「方法」のニーズを完全に読み誤ったことだ。端的に記せば、現場が求めたのはすぐに応用可能かつ問題の解決が可能な具体的な方法であり、ある側面から見れば迂遠なことばかりが書かれたマニュアルではなかった。
科学的な方法論は組織全体を見渡せば効果が出るものを教えてはくれるが、個々人が抱えている悩みに寄り添う方法までは教えてくれない。自分の理想を押し付けるばかりでは、ビジネスはうまくいかないのだ。大事なのは「納得」にあった。

 

経営者に根幹から考える力を 
「哲学クラウド」が提供する 

そこで彼はもう一度、自身のビジネス観を問い直すことになった。
ヒントになったのは、彼が直にみてきたビジネスパーソンの姿だった。自己分析の定番的な手法の一つに、モチベーションをグラフに書き込むというものがある。落ち込んでいた時期であるにもかかわらず、会社の目を気にしてか一貫して書き込んでいる人がいた。自分のやりたいことを問われたとき、器用な社員は言葉巧みに会社の価値観に近いことを言うが、う まく取り繕うことができないことに悩む不器用な社員がいた。上司とうまくコミュニケーションをとり、一見するとうまくいっているように見える社員でも、実は自分が本当にやりたいことを見失っていた。
社員としてこういうふうに働かなければならない、という思いばかりが先にあり、理想と現実のギャップに苦しむ。自分で考えることよりも、絶対的な理想や正解を求めて苦しむ。これは彼が人生のなかで接してきた、カルト宗教の教義を絶対の存在と崇め、何も思考しない人々の姿となんら変わらなかった。
社会はカルト宗教の信者をおかしな人として扱ってきたが、彼には一皮剥けば“信仰”の対象が違うだけで、カルトにのめり込む人々と地続きの人々が確かに存在しているように見えた。
彼が旧統一教会と向き合うなかで身につけたのは、哲学を武器にした自己、本との対話だった。
自分は何に関心があり、どうして企業経営をするのか。どんなサ ービスを提供したいのか。 それはなぜ必要なのか。それを言語化するためのヒントを哲学にできるとするならば……、ビジネスプランは一気に固まった。彼のビジネスに協力する哲学者も現れ、かくして机上のプランは現実のものになる。


何も思考しないカルト宗教と
地続きになっている現実

彼が提供する「哲学クラウド」は、開始直後に大手企業からも導入のオファーがやってきた。
実際に使うと思わぬ反応があった。実は幹部クラス、経営者でも自分のやりたいことが見えないという悩みを抱えている。口にするほどの不満はなくとも、このままでいいのかという漠然とした不安が確かに存在しているのだ。そんな人々は哲学者との対話を通じて、はっとした表情を浮かべながら自分を再発見し、次を構想する。パーパス、ミッション、バリュー、ビジョンという言葉が飛び交うビジネス界にあって、あらためて根幹から考える力が見直されていると見ることもできる。
そういえば、と思う。かつての学生起業家ブームを牽引した起業家の多くは、もう残っていない。それはなぜか。彼は「哲学」の不足を要因に挙げた。身近に接してきた経営者の中で、なぜその仕事をやりたいのかを言語化できる者は圧倒的少数派だった。
根幹から問い、考える力がなければ一時のブームで終わっていく。思考への絶対的な信頼が、上館の原動力だ。彼は、生まれながらの逆境を越えていった経験を力に変えていく。今は真価を発揮する途上なのかもしれない。

 


解説
自分で考えることよりも、絶対的な理想や正解を求めて苦しむ。これは彼が人生のなかで接してきた、カルト宗教の教義を絶対の存在と崇め、何も思考しない人々の姿となんら変わらなかった。
社会はカルト宗教の信者をおかしな人として扱ってきたが、彼には一皮剥けば“信仰”の対象が違うだけで、カルトにのめり込む人々と地続きの人々が確かに存在しているように見えた。

創価学会の教えに疑問を抱いてそこから離れても、他のカルト的集団に、絶対的な理想や正解を求めて苦しむ人が少なくありません。
安易な「覚醒」が、人格の向上に結びつかない人も散見されます。
ここはやはり、自分の頭でじっくりと考えることが必要なのです。


獅子風蓮


統一教会2世に学ぶ、自分の頭で考えるということ その1

2023-02-25 01:46:41 | 統一教会

d-マガジンでこんな記事を見つけました。


サンデー毎日 2023年3月5日号
挑む者たち24 石戸諭(ノンフィクションライター)

旧統一教会「2世」が起業家になった哲学の力
 __「哲学クラウド」代表取締役CEO
     上館誠也(かみだてせいや)

「神とは何か?」----。
彼は、西洋哲学の根本にあるような問いを小学生の頃から考えざるを得なかった。起業家、上館誠也(かみだてせいや)は旧統一教会(現世界平和統一家庭連合)信者の家庭に生まれた。
教義に対する疑念と対抗するために考え続けたことは、やがて有名企業も導入するビジネスアイデアの源泉になっていく。ビジネスパーソンが仕事上の悩みを哲学者との対話などを通じて、ビジネスに還元していくというマネジメントプラットフォーム「哲学クラウド」である。
なぜ彼に「哲学」とビジネスが必要だったのか。生まれから紐解いていこう。
両親はともに熱心な信者だった。父はトラックの運転手や新聞配達をしながら献金を続け、母は山口県下関市から上京したときに信者になった。手相占いを装った信者に勧誘され、そのまま布教活にのめり込んでいったという。
そんな両親のもと、彼が生まれたのは31年前の山形県である。ほどなく母方の実家に近い下関市内に引っ越す。最初に疑念が芽生えたのは、小学2年生の頃だった。好きな同級生ができたのに教義の名の下に否定され、母親は彼を国内に置いて、エルサルバドルに布教活動に向かった。父が仕事に出ていくため、下関市内の教会に預けられた。周囲の大人の立ち居振る舞いを徹底的に観察しながら、素朴な疑問が浮かぶ。
彼らは何でも知っている「神」の教えを大切にしろと言いながら、茶菓子を口にしながら、世の中への不満ばかりを口にしていた。その割には何も行動せず、おしゃべりに興じているだけだ。
老朽化した教会の一角で、彼は強烈な違和感を覚える。時を同じくして祖父の勧めで柔道を始めた上館は、家庭や教会とはまったく異なる外の世界を知る。彼には柔道の素養があった。後にオリンピック金メダリストになるような選手と組み合って勝利を収めたり、県代表として県外遠征をしたりと経験を積むことが人生に自信を与えた。
外の世界で結果を出せば、教会の礼拝に行かないことも咎められなくなるどころか、教団関係者は大いに喜んでいた。旧統一教会の世界観では、世界を神とサタンの二項対立で考える。外の世界はサタンの世界なのに、なぜサタンの世界の成果を大人が喜ぶのかが彼には理解できなかった。
小学5年生の頃、授業で出合ったディベートで論理的に考えることを学ぶ。図書館で資料を集め、本と新聞を読み、ロジックを組み立て発表するという授業は、大きな転機を与えた。外で得た自信と言葉を使って論理的に考えること。この二つが結びつき、彼は両親に論戦を挑むようになる。
「神とは何か?」
「文鮮明や神の教えを、考えない根拠にしていいのか?」
「何も考えなくていいように教会に行くのか?」
両親の答えからも教義を読み返してみても、神が存在するという説得的な根拠はどこにも書いていなかった。存在しないものの言葉を信じなければいけないという根拠もない。「神とは何か」が知りたいがために、教会で大人たちが語る言葉を熱心にメモに取ったが、ここにも説得力のある考えはない。

 

最大の支えになったデカルト
「我思う、ゆえに我あり」

彼は小学生の時点で、一つの結論に達する。神とは存在ではなく、一つの判断基準にすぎない、と。そんな彼の考えを肯定してくれたのは哲学書だった。
図書館で何度も読み返したのはデカルトの『方法序説』だった。むろん、内容をすべて精緻に読み取っていたわけではないだろう。だが、「我思う、ゆえに我あり」という言葉は家庭内で孤独を抱えていた彼にとって、最大の支えだった。神について考えてきたのは、自分だけではなく西洋哲学に刻まれていると知った。中学、高校と進学しても我流でカントやニーチェの著作を読み漁った。神の教えを実行するのではなく、自分の人生において大切なのは自らの頭で考え、切り開いていくものだという思いを強くした。
上館の回想……。
「もし神がいるのならば、旧統一教会がファンドを作って、なんでも知っている神に、明日の株価を聞けばいい。信者から献金を集めるより、はるかに効率的にこの世に出回ったサタン側のお金を投資で手に入れることができる。教義に則して考えれば、そのほうが世界をよくする近道だろうと。なぜやらないのか? そんな話をしても親も含めた信者から納得した答えは返ってこなかったんです」


(つづく)

 


解説
神の教えを実行するのではなく、自分の人生において大切なのは自らの頭で考え、切り開いていくものだという思いを強くした。

これは、創価学会の教えに疑問を持ったアンチにも通じる大切な方法だと思います。


獅子風蓮


浜四津敏子さんのご冥福をお祈りいたします

2023-02-24 01:15:43 | 創価学会・公明党

d-マガジンで雑誌を読んでいたら、こんな記事を見つけました。


週刊文春 3月2日号
二年以上伏せられていた死
公明党・浜四津敏子の煩悶

公明党の浜四津敏子元代表代行が2年前に亡くなっていたことが2月16日、公表された。“創価学会最強の集票マシン”婦人部(現女性部)でカリスマ的人気を誇った同氏が亡くなったのは、2020年11月。享年75。遺族の意向で公表を控えていたが、察知したメディアが取材に動いたのを受けて党が発表した。1945年、日本統治下の台北で生まれ、慶應大学法学部から弁護士活動を経て92年の参院選で公明党から初当選。94年には羽田孜内閣で環境庁長官に。政界再編を受けて新進党に移籍、同党解党後の98年には参院議員と地方議員で作る政党「公明」の代表に。程なく公明党が再結成されると代表代行に就いた。 理知的な顔立ちとさわやかな語り口で人気を博したが、激しい一面もあった。
「99年の自自公連立の際は、『私は反自民でやってきた。自民と組むなら代表代行を降ります』と神崎武法代表(当時)に啖呵を切って取りなされる一幕もあった」(政治部記者)
学会員に多大な負担を強いる衆院からは撤退し、参院と地方議員だけの政党であるべき、が持論。また、後々までイラクへの自衛隊派遣を公明党が認めたことへの反省を口にした。そうした姿勢が敬遠されたのか、代表や幹事長には就けず、知名度とは裏腹に党中枢からは外されていた。
2009年の衆院選で野党に転落すると、翌年の参院選を前に党から引退勧告を受けた。「任期中に66歳を超える場合は公認しない」という当時の内規が表向きの理由だったが、「代表代行という閑職にもかかわらず、婦人部の集票力をバックに正論をぶつ浜四津氏に当時の井上義久幹事長らは手を焼いていた」(政治部デスク)
一方で、こんな煩悶も。
「婦人部は嫉妬の嵐が渦巻く強烈な組織でもある。一部からは『私たちがいないと当選もできないくせに』と陰口を叩かれており、本人も気づいていたようだ」(創価学会関係者)
引退後は政界とは距離を置き弁護士に復帰。だが衆院選で落選した同年生まれの太田昭宏元代表は引退せず、浜四津氏は「太田氏は院政を敷くつもりよ。山口(那津男)氏がしっかりしないと」と懸念していた。
公明党はあれ以来、「ポスト浜四津」と呼べる女性議員を作っていない。
「党幹部を見渡しても、古屋範子副代表以外はすべて男性。幹部らが女性部をバックにつけたカリスマ女性議員の台頭を恐れているからだ」(前出・デスク)
最近の公明票の落ち込みは、男性中心の組織に対する女性たちの反感が一因との見方もある。浜四津氏は草葉の陰で何を思うのか。

 


解説
私は、浜四津敏子さんのことを少し誤解していたようです。
これまで浜四津氏は、学会べったりで、組織の上には逆らわないお利口さんで、お人形のような人だったんだろうと勝手に思っていました。

実は、自自公連立の際に、神崎武法代表に対して反対の啖呵を切ったり、気骨のある人物だったのですね。

学会員に多大な負担を強いる衆院からは撤退し、参院と地方議員だけの政党であるべき、が持論。また、後々までイラクへの自衛隊派遣を公明党が認めたことへの反省を口にした。そうした姿勢が敬遠されたのか、代表や幹事長には就けず、知名度とは裏腹に党中枢からは外されていた。

そんな信念をもった政治家を、むしろ押さえつけようとしたとは、公明党のトップのおじさん連中も腐っていますね。
それにしても、党にとっては貢献者だと思うのですが、なぜその死を2年間も公表してこなかったのでしょうか。
竹入・矢野という二人の委員長経験者を、歴史から抹殺するような党ですからね。

なんとも不可解な政党です。


獅子風蓮