獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その48

2024-12-21 01:40:42 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 □変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 ■山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

山本譲司さんインタビュー

(つづきです)

――田島さんをどのように見ているのか。考えや目指す方向性は同じなのか。福祉と田島さんの間に溝を感じる。

率直に言って、いまだ多くの福祉関係者は、この問題に背を向けているようなところがある。その点、田島さんは違う。だから既存の福祉と田島さんの間で、意識の差が出てくるのは当たり前だろう。
私が田島さんを信頼しているのは、なんと言っても、この問題に対し深い反省から入っているからだ。そして行動力も素晴らしい。何事においても、見て見ぬ振りをできない人だと思う。
今、景気低迷の折り、福祉は放漫財政の象徴のように言われている。しかし福祉的ニーズは、まだまだたくさんある。そんな中、絶えず福祉関係者は前に進んでいなければ、福祉全体が衰退していくのではないか。今でも、わが国の障害者福祉は、ADL(日常生活動作)上でいう重度の人に偏重した支援メニューしか用意されておらず、欧米各国と比べかなり予算額が少ないにもかかわらずだ。
これまで隠れていた福祉的ニーズの1つがまさにこの累犯障害者の問題なのである。先に述べた通り、罪を犯した障害者というと、もっとも排除の対象になりやすい人だ。そうした人でも支援することは、すべての障害者を支える姿勢を示すことになるのではないか。姿勢だけではなく、結果としてそれは必ずや、福祉全体の底上げにつながると確信している。こうした考えは、きっと田島さんも同じだと思う。

――検察改革についてどのように考えているのか。

この問題に対し現状を変えようとする検察の姿勢は、本気だとうかがえる。検察も、おにぎり1個を盗んだような軽微な罪を犯した障害者をいちいち刑事司法のルートに乗せて刑務所に送り込むことが、税金の使われ方として本当にいいのか、と考えている。受刑者1人を収容するには、年間300万円くらいのコストがかかるのだ。
今年の2月に長崎地裁で、ある累犯障害者に検察側が、福祉が関わることを前提に執行猶予判決を求めたが、これは検察の本気度を示すいい例だ。

――今後の課題は何か。

これまで私は、刑務所が福祉施設化していることを訴えてきた。しかし今は、「福祉の刑務所化」を絶対に防がなければならないと考えている。全国で講演活動もしているが、その際はいつもこれを強調している。
実は地域生活定着支援センターができた以降も、矯正施設の中にいて、非常に悩ましいことがある。障害のある受刑者に、地域生活定着支援センターを通じ福祉の支援を受けてもらうには、当然のことながら本人の承諾が必要だが、多くの人がそれを断るのだ。特に、かつて福祉の支援を受けた人ほどその傾向が強い。
彼らの意見を集約し、その言わんとしていることを解釈すると、それは「福祉の場には、自由がない」ということになる。「福祉施設に世話になったら無期懲役だ」「福祉に行くと1本のレールの上に乗せられてしまう」「すべて職員に自分のことを決められてしまい、それに従わないとかわいくない人と言われる」「せっかく福祉から逃げ出したのに、また戻るなんて嫌だ」など、そんな発言を頻繁に耳にする。
どうか福祉関係者には、こうした言葉を肝に銘じ、福祉の在り方を変えてほしいと願う。
まず変わるべきは、罪を犯した障害者の人たちのほうではなく、福祉に関わる人たちの意識かもしれない。

 


解説

私が田島さんを信頼しているのは、なんと言っても、この問題に対し深い反省から入っているからだ。そして行動力も素晴らしい。何事においても、見て見ぬ振りをできない人だと思う。

友岡さんの紹介してくれた本書を通して、私は田島さんのことを知りました。

田島さんは、山本譲司さんからの影響や冤罪をはねつけて勝利した村木厚子さんの援助もあって、新しい取り組みを進めています。

村木厚子さんの冤罪事件の解決には、佐藤優氏の「国策捜査」との闘いの記録の影響があったわけで、私の読書のつながりの中で、日本の社会が少しずつ前進しているのがわかり、ちょっと感動しています。


獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その47

2024-12-20 01:30:19 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 □変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 ■山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

山本譲司さんインタビュー

(つづきです)

――累犯障害者の問題について、今はどのような活動をしているのか。

出所後しばらくは、ゼロから福祉の勉強をやり直そうと、知的障害者の入所施設で支援スタッフとして働いていた。重度の障害がある人への生活介助だ。もちろんそれとは別に、 触法障害者といわれる人への支援活動にも取り組んだ。
現在は、2つのPFI刑務所(民間のノウハウを活用した刑務所)で、アドバイザーとして運営に携わっている。いずれも障害のある受刑者を収容する「特化ユニット」というものを設けており、主に私は、彼らに対する福祉的な視点での日常処遇や社会復帰支援に関わっている。
また「東京都更生保護就労支援事業者機構」というNPO法人の役員も務めている。しかし、すぐに一般就労というわけにはいかない人も多く、そこで4年前に、「ライフサポートネットワーク」というNPO法人を作り、就労のみならず、出所者を医療や福祉につなぐ活動もしている。さらには出所後の地域生活も含めずっとフォローできるよう「同歩会」という更生保護法人も設立した。ここではこれまでホームレス支援に取り組んでいた人がスタッフとなり、単に就労や福祉につなぐだけではなく、その後の地域生活支援を活動の中心に据えている。

――南高愛隣会は「入り口支援」として地域社会内訓練事業の制度化を求めている。山本さんは就労支援など「出口支援」に力を入れているようだが、考え方に違いはあるのか。

入り口が変われば出口も変わる、出口が変われば入り口も変わるのだろうから、やろうとしていることに大きな違いはないと思う。特に南高愛隣会が取り組んでいる「入り口支援」は、結果的に刑務所への入所者を減らすことになるから、重要な試みだととらえている。
ただしそこは、あくまでもトレーニングセンターやシェルター的な位置付けにとどめるべきで、絶対に福祉施設を終の棲家にしてはいけない。そうした歯止めがしっかりしていないと「危ない障害者はずっとそこに入れておけばいい」という短絡的かつ本末転倒な話になる。刑務所ではないものの、また別の隔離施設に行くことになるのではまったく意味がない。
私も今、PFI刑務所の中で同じような訓練事業をしているが、いつもジレンマを抱えている。いくらいろいろなトレーニングや回復プログラムを実施しようと、やはり社会の中でやらないと、身につけたスキルを試すことができないという点だ。それでも、より社会生活を送りやすくなるようにとさまざまなメニューを取り入れ、彼らへの社会復帰支援をしている。その成果は今後、綿密に検証しなければならないだろうし、有効だと判断できたプログラムは、福祉の場でもどんどん活用してほしい。だが、そうした訓練の場をつくることは、決して最終目的ではなく、社会生活を送るためのスタートの場にすぎないという意識を常に持っておかなければならない。大切なのは、彼らを支援者の言うことを聞く人に変えるのではなく、彼らが生き甲斐を持って社会生活を送れるように支援していくことにある。
いずれにせよ必要とされるのは、福祉全体の改革だ。さらに言えばこれは単に福祉や矯正施設の問題ではなく、この国全体の在り方が問われている問題なのだ。ちょっと異様なことを言ったり、突飛な行動を取ったりする人を、いとも簡単に切り捨てる世の中でいいのか、という問い掛けだ。「KY」という言葉に象徴されるように、日本社会は今、異質と思えるような人をすぐにエクスクルージョン(排除)してしまう、そんな風潮に覆われているのではないか。障害者の地域移行と言いながら、世の中全体の意識としては、むしろ隔離する方向に動いているのではないか。こうした流れを非常に危惧している。本来なら福祉は、それに真っ向から異議を唱えていくべきだ。
おそらく知的障害者、それに発達障害の人も加えると、その人数は、全人口の1割以上になると思われる。社会や他人と折り合いをつけることが苦手な人だ。しかし必ずしも、社会生活を営めない人ばかりではない。いや、ほとんどの人は働くこともできる。にもかかわらず、現在わが国では、障害者手帳を持っている人の中でも、ちゃんと仕事に就いているのは、十数パーセントにすぎない。要するに、「障害者は障害者年金や生活保護を受けさせておけばいい」という発想で、結局は、障害のある人を社会の外に追いやってしまっている。先進国の中で、こんな国はないのではないか。果たしてそれが国全体にとってプラスになるのだろうか。障害者であろうと、やり甲斐があり、かつ社会にとって有用な仕事はたくさんあると思う。しかし、障害のある人の職場は、なかなか見つからないのが現実だ。
これは福祉にも大きな責任がある。福祉自体が率先して隔離政策をして障害者を施設の中に囲い続けてきたのだから。

(つづく)


解説

いずれにせよ必要とされるのは、福祉全体の改革だ。さらに言えばこれは単に福祉や矯正施設の問題ではなく、この国全体の在り方が問われている問題なのだ。ちょっと異様なことを言ったり、突飛な行動を取ったりする人を、いとも簡単に切り捨てる世の中でいいのか、という問い掛けだ。

重要な指摘だと思います。

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その46

2024-12-19 01:46:08 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 □変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 ■山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

山本譲司さんインタビュー

――ここ数年で累犯障害者に対する社会の支援が進んだように映る。『獄窓記』でこの問題を初めて社会に問うた者として、この変化をどのように見ているのか。

この問題はまだ緒に就いたばかりだ。とはいえ隔世の感がある。2003年の12月に『獄窓記』を出版したが、当時は、福祉関係者や障害者団体から猛烈な抗議を受けた。「被害者になる障害者のことならいざ知らず、加害者となる障害者のことを取り上げるとは何事か」という批判だ。さらには06年、『累犯障害者』を出版したときには、「とにかく、その題名がけしからん」「障害者は罪を犯しやすいと思われてしまう」など、まさに非難の嵐だった。「障害者への誤解や偏見を助長しかねない人権問題であり、あなたには福祉を語る資格はない」という言葉すら突き付けられた。
しかし、それでもこの問題を取り上げることをやめなかった。その原点は、言うまでもなく自分自身の受刑経験だ。01年から02年までの服役期間、私は多くの障害者の人と寝食をともにする中で、日々反省させられた。議員在職中、「障害者福祉の問題についてはライフワークとして取り組んでいる」と自負していたものの、本当のところ、福祉の現実がまったく見えていなかったことを思い知らされた。
彼ら障害のある受刑者は、福祉が機能していれば、あるいはきちんとした居場所があれば、刑事司法の世話になる人ではなかった。多くのケースは軽微な罪であるだけに、福祉関係者や家族としっかりとつながっていることが分かれば、たぶん警察も、彼らを立件しようとすら思わなかったのではないか。そんな人ばかりだった。
刑事司法で裁かれる障害者となると、どうしてもモンスター的なイメージがつきまとうが、決してそうではない。彼らの場合は、矯正施設が居場所をつくってあげないとまた同じ事を繰り返す、もっと言えば、「このまま社会にいても食べていけない、生きていけない」という、そんな生存権に関わる問題を抱えている人がほとんどだ。 本人たちからすれば、刑務所という場所への「避難」である。社会にいたときは厄介者扱いされ、虐待やネグレクトを受け、「変わり者」「生産性がない」などと言われ差別され続けてきた。そういう人がたくさん刑務所に保護されている。それが塀の中の実態だ。
私自身、服役するときは、刑務所の中にはどんな悪党がいるのかと戦々恐々としていたが、実際は障害のある人であふれていた。刑務所が福祉の代替施設になってしまっていたのだ。『獄窓記』や『累犯障害者』を出版するたび、福祉関係者から「まずは被害者になる障害者のことを書きなさい」と言われたが、もしかしたら彼ら塀の中の障害者は、「社会に居場所がないがゆえに受刑者に成り果ててしまった」という意味で、世の中における最大の被害者かもしれない。社会からもっとも排除される人たちだ。
そこで、ここに焦点を当てて考えれば、福祉のさまざまな問題点が見えてくるのではないかと思い、この問題を訴え始めた。すると、すぐに田島良昭さんという福祉のオーソリティーが現れ、この問題を理解してもらい、動き出してくれた。04年の春ごろのことだ。それでも福祉全体としては、厚労省も含め、しばらくは様子見といった状況だった。一方で同じ行政機関でも、法務省は、もっと切実な問題としてとらえていたように思う。「果たして、こういう人たちを刑務所が抱え込むのがいいことなのか」と。
そうした中、05年に田島さんが呼び掛け人となり、私もメンバーになって私的勉強会「触法・虞犯障害者の法的整備のあり方検討会」を発足させた。田島さんが厚労省に、私が法務省に働き掛けた結果、それぞれの役所の担当者も加わってもらうことになり、約1年間にわたり勉強会を重ねた。過去こうした問題について、厚労省と法務省との間にまったく情報の共有がなかったらしく、厚労省からすれば、驚きの連続のようだった。そして06年、この勉強会が「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究」として厚労省の正式な研究班となる。この研究班が、「地域生活定着支援センター」の設立をはじめ、国に対しさまざまな提案をしてきた。
その後の動きは、思っていたよりも速かった。ただしスピードが速い分、問題点がたくさんあることも事実だ。地域生活定着支援センターにしても、矯正施設や更生保護施設におけるソーシャルワーカーの働きについても、多くの課題を抱えていると思う。
しかしいずれもスタートしたばかりなので、それも仕方ない。今後よりよい施策となるために、今は失敗を恐れず果敢な取り組みをしてほしい。

(つづく)


解説

私は別のところ(獅子風蓮の青空ブログ)で、山本譲司氏の『獄窓記』の読書感想文の連載をしています。

長い前置きが終わってやっと「塀の中の掃き溜め」と言われる累犯障害者の収容されている寮内工場の章が始まりました。

併せてお読みくだされば幸いです。

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その45

2024-12-06 01:57:18 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 ■変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 □山本譲司さんインタビュー
□おわりに 

第2章 変わる

変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって

(つづきです)

この章の終わりに、長期連載「居場所を探して」で登場した累犯障害者たちの「その後」を記しておきたい。
第1部の高村正吉(61)=仮名=は、古里・五島市のグループホームに移った後、何度も「失踪」騒ぎを起こした。パチンコ癖は一向に収まらず、今は雲仙市の更生保護施設「雲 仙・虹」に戻って「再訓練」を受けている。
第2部で登場した菊永守(33)=同=は、愛隣会のグループホームを出て、22年6月から実家の近くにある自立訓練施設で生活を始めた。昼間は企業で職場実習に汗を流す。時々、自転車に乗って「雲仙・虹」にやって来る。最近笑顔が増えた。
第5部で取り上げた宮沢春男(33)=同=は福祉につながった後、1年7月に再び警察に逮捕された。今回もスナックでの無銭飲食だった。不起訴処分となり、「雲仙・虹」に入所。「女の人と話がしたかった」という。
無賃乗車を繰り返した第6部の浜村昭久(27)=同=。7月に関西の刑務所を出所し、今は愛隣会のグループホームで暮らしている。面会に訪れた父、秀行(54)=同=が「頑張っているね」と声を掛けると、昭久はこくりとうなずいた。
第7部の森容子(42)=同=は女子刑務所で服役中。今も福祉の支援を拒否し続けている。愛隣会職員の大坪幸太郎は何度か手紙を書いたが、返事はない。「これからも接触を続けようと思います」と大坪は言った。

1年にわたる連載を終えた長崎新聞の累犯障害者問題取材班は解散したが、それぞれの立場で取材を続けている。
「累犯障害者にひたすら向き合う」
そんな取材方針は、今も変わらない。


解説

累犯障害者のその後が、一概にバラ色ではないことが分かります。

関係者のご苦労・ご努力に頭が下がります。

 

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その44

2024-12-05 01:02:12 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 ■変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 □山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって

(つづきです)

累犯問題対策の「先進地」となった長崎。
裁判段階で累犯障害者を支援する「長崎モデル」も、検察捜査という「入り口」の部分に福祉の視点を取り入れる「新長崎モデル」も、南高愛隣会を抜きにしては成立しなかったかもしれない。人も施設も、ノウハウも潤沢に持つ愛隣会という存在があったからこそ、刑事司法や福祉の限界と常識を覆す「実験」をいくつも仕掛けることができた。愛隣会理事長の田島良昭はしかし、その状況を好ましいとは思っていない。
福祉関係者が大勢顔を揃えたある会議で、田島がこんな話をしたことがある。
「どうして、愛隣会が累犯障害者の支援に乗り出したか。それは塀の中で何十年も生きてきた障害者の人たちに「申し訳ない」という気持ちを持ったのが出発点でした。 福祉は、行政から多額の予算を付けてもらって運営している。しかし、ことこの問題については無知で、無様でした。累犯問題について、検察改革も進んでいて、いまや福祉側の取り組みを追い抜こうとしています。これから福祉はもっともっと裾野を広げていかなくてはならない。1人でも多くの障害者たちを救う活動のために、福祉が何を為すべきかを考えてほしい。そのために力を使ってほしい」
いつもはソフトな語り口の田島だが、この時は珍しく顔つきが険しかった。
会議の後、記者が控室に田島を訪ねた。
「今日は特別、危機感がにじみ出ていましたね」
記者が問うと、田島はうんうんとうなずいた。
「福祉の側から司法に放り投げた『ボール』が、いま再び福祉に戻ってきたと僕は思っているんですよ。『入り口』と『出口』の部分で累犯問題の対策が整うということは、福祉で引き受けなければならない障害者がこれからどんどん増えるということ。福祉の人間がきちんと彼らを更生に導いてあげないといけない。福祉の力が試されるのは、これからです」
田島が常々口にすることがある。
「福祉は万能でも、スーパーマンでもない。まして更生のプロなどでは決してない」
長崎新聞の記者たちが取材を始めた当初、それは事前に「逃げ道」を用意しているような言葉にも聞こえたが、そうではなかった。少なくとも取材に応じてくれた福祉の現場の人たちは、真剣に、熱心に、正面から累犯障害者たちの更生という「難題」に向き合っていた。失敗しても、あきらめようとはしなかった。裏切られようとも、差し伸べた手を払いのけられようとも、障害者たちに寄り添うことをやめようとはしなかった。懸命に彼らの「居場所」をつくろうとしていた。
「福祉の人間ができること、それは障害者と一緒になって彼らの幸せ探しの手伝いをしてあげること、『人生の伴走者』になってあげることだと思うのです」
田島はこんなふうに考えている。

(つづく)


解説
「福祉の人間ができること、それは障害者と一緒になって彼らの幸せ探しの手伝いをしてあげること、『人生の伴走者』になってあげることだと思うのです」
田島はこんなふうに考えている。

素晴らしいことだと思います。

 

獅子風蓮