獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:おてもやんさんの活躍(3)

2022-08-31 01:47:53 | 対話ブログ

●の文章は、シニフィエさんの対話ブログ記事「これからどうしますか?」についたコメントの引用です。


●ジョンソン3号 (2017年1月5日 09:09 )
男子部時代は地区リーダー、創価をやって、いや やらされていました
疑問を持ってからやったことは、学会について書かれたことを徹底的に読みました
「創価学会独立独歩」「創価の彼、無宗教の私」から宗教学者 島田さんや矢野さんの本まで
自分で判断できないから他人の意見を求めていました
これからですか?
知り合いの学会員は私を避けているので、関わり合わないように日々淡々と自分の人生を歩んでいきます
不幸自慢に付き合うほど暇じゃありませんので

 

●おてもやん(元栄光地区婦人部) (2017年1月8日 09:11 )
元がっちがちの2世白蓮のおてもやんです。
みなさんが葬儀の話をされてるので、思い出してしまった我が母の葬儀の話です(再連投ごめんなさい!)。
狂信者の父が喪主で当然のことながら学会葬でした。友人葬を仕切っていたのが顔見知りの幹部。お通夜の日には私の会社の人たち多数と、学会の人たちが多数、それぞれ半数くらいだったでしょうか、集まりました。
お通夜はまるで学会の会合のようなノリ。「池田せんせいから、XXXX の栄誉ある称号を頂戴いたしましたー!」と何やら額縁を手に他高く掲げてました。
父親は得意げ。私は腸が煮えくり返る想い。
翌日の葬儀では、一転して、なんと学会員は誰一人いない。私の会社の社長や会長、学会員ではない親戚の叔父や叔母だけでした。寂しいものでした。
やがて、一段落して落ち着き、香典袋の整理をしていた時のこと。
ありがたいことに、私の会社の方々から本当にたくさんのお金が集まりました。続いて学会員からの香典の集計を父がとりました。
なんと、ほとんどゼロ。1万あったかなかったか。
友人葬は香典を持っていかなくても良いというルールみたいなのがあるとは聞いていましたが、「なんだ・・・これだけか・・・」と、父が肩を落としつぶやくのを見てしまいました。
財務で文字通りスッカラカンで、母の葬儀を極力出費を抑えるしかなかった父。
あれだけいた同志の皆さんから頂いた香典がほんのちょびっと!!
大勢で学会風を吹かせ押しかけて通夜振る舞いはしっかりたいらげて嵐のように去っていく学会員達・・・それが学会葬なんだなと・・。
がっくりする父をなんともまた複雑な気持ちで見てるしかありませんでした。
あと、お通夜の時の受付を学会の婦人部が「私たちがやります!」としゃしゃり出てくれたわけですが、「受付の一人が香典をいただかないとか言って受け取ってくれなかったから」と後日香典を渡してくれた会社の同僚がいました。
学会員だと勘違いされたのでしょうが、学会員に葬儀を任せるとトンデモないなと痛感した件でもあります。
今は、グーグルのストリートビューで父の家を検索し、公明党のポスターが家の正面に何枚も貼り付けられてるのを確認し、たまに生存確認する程度です。(便利な時代ですね)
脱会したと嘘をついて婿養子に入った弟が父の面倒を見てますが、父が亡くなっても多分連絡は来ないと思います。
私には、脱会したということで早々に絶縁された兄がいます。
兄達家族と私の家族で、今後の創価の成り行きを見つめていきたいです。


●哉文 (2017年1月9日 10:16 )
こんにちは。脱会→日蓮正宗に改宗した、哉文です。 40 代のいいおっちゃんです。「これから」は、言うまでもなく、法華講員です。メインテーマからは外れてすみませんが、散見される宗教についての皆様のお考えについて、信仰者の立場から書いてみました。
脱会者で私のように法華講員の人は大勢いるし、中にはここを覗いている人もいるでしょうが、投稿はされてないみたいですね。そもそも、我々のような者は傍観が精一杯で、脱会した講員も、他の信仰に行った人も、面倒なことしたくないと、投稿しないことでしょう。(多分あんまり見てもないでしょうが)ここはいわゆる「無宗教」が常識な場で、そうでない者は何か言えば叩かれるかもしれず、黙っているのが賢明なわけです。私も、これを最後にします。 
私のように、脱会したけれど、やはり「無宗教」では済まされないという人もいます。ここにいらっしゃる多くの方と同じように、一度は創価にいて、「詐欺につかまってしまった」と自覚し、人生を大きく反省することになっていたわけです。
ところが、創価の経験だけで「宗教」まで語るわけにはいけません。「創価がダメだ」から「宗教はダメだ」との結論は、「かつてある中国人に騙されたことがある」から「中国人はダメだ」のような偏見に見えて、「もう少し、中国人について知ってください。いろんな中国人がいるんです。」と言う中国人(例です。中国人の方すみません)の気持ちになるわけです。
人類の数千年の歴史の中で、宗教は誕生し、探求され、変遷して今に至っています。その過程差別を生んだり戦争を生んだり、必ずしも良い歴史ばかりではもちろんありませんでしたが、人類が何故に宗教を求め、信仰してきたかと問えば、究極的には、我々の生命がどこから来てどこに行くのかがわからないことへの探求でした(もちろんすべてではないでしょうが)。死んだ後自分がどうなるのかという恐れに発する飽くなき探求心から、宗教は変遷してきたのです。もともと死への恐怖から、人間は命の有限さに気づくことで、他の動物にはできない文化と文明を築いてきたはずです。
それで、学会から目を覚ました後宗教そのものを否定してしまう事は、先人たちの長年の探求の過程も成果も確認せずに、それらに蓋をし、否定することになると思うのです。
この世の中で、信教は自由です。何を信じてもいいし信じなくてもいい。ただその「自由」とはどのような意味での自由なのかと問えば、社会的な意味での自由に違いありません。この社会にあって、何に祈ろうが、何にも対しても祈らないでおこうが、自分で宗教を開こうが、自由ですが、それは社会的な制裁から自由ということで、生前や死後の未知なる世界に対しても、自由かどうかはわからないのです。今の社会の常識や権利、法整備は、長年の苦労の末勝ち取ってきたものではありますが、宗教的真理とは無関係です。一地域の一過性の形態でしかありません。それが正しいわけでもありませんから、「自分の人生は正しかった」と言って死んでいっても、その先何が待っているかとは無関係な「正しさ」です。
この宇宙、生命を貫く何らかの真理があります。その真理に対して、今世の自分の考えや行動は何らかの背徳行為を行っているかもしれません。探求してわかる問題かはわかりませんが、探究しなければわからないことでもあります。そして仮にその真理が一つだとすれば、現在説かれている 1 つ以下の宗教が、その真理を握っていることになります。我々信仰者は、それを探求しています。
その探求は、必ずしも現世利益に直結するものではありません。今世で何か良いことがあれば、それは信仰のおかげで、悪いことがあれば怠惰のせいだと考えることは、創価学会以外にも多くの宗教に見られることですが、なかんずく創価学会の特徴でもあります。第二代会長の戸田先生は、「この世から貧乏人と病人をなくす」と言われ、戦後学会を再興しました。学会をやめた今も、私も大変尊敬する指導者ではありますが、日蓮正宗の信仰からすれば、その信念は価値論を土台とした 1 つの形態にすぎませんでした。正宗はそもそも現世に大金持ちになることを勧めておらず、「必ずお金持ちになれる」とも言いません。それどころか、「必ず病気が治る」とも言いません。信仰の目的は別のところにありますが、正宗の話なのでこれ以上触れません。ただ、信仰は必ずしも現実のこの世の中のためではなく、死後を見つめて行っているものです。だから、「宗教がなければ生きられない弱い人、情け無い人」もいるでしょうが、それはその人の問題であるのと同時に、その人が信仰する宗教の中身の問題でもあります。おしなべて宗教一般が、「弱いから信仰する」などと考えるのは、有史以来の先人たちに大変無礼な偏見に見えて仕方ないのです。
ちなみに、宗教に対する偏見を訴える為に他の宗教まで含めた話を書きましたが、個々の宗教については、知らなすぎて話せません。(匿名さんと管理人様の会話は私にはレベル高です^ ^)ただ、創価を辞めた人たちが、宗教に偏見をもたず、宗教を改めて見つめ直されることを願って書いてみました。
長文失礼しました。
管理人様皆様、しばらくの間でしたが、ありがとうございました。たまに覗いてます。( ^ω^ )

●スマイル (2017年1月9日 10:28 )
幹部の指導についてもう少し記憶を書いときますね^_^
昔、男子部の地区リーダーに任命になったときに『地区リーダーの心得』のようなワープロ打ちの20ページほどのマニュアルをもらいました。
圏単位の研修で配られたものでしたので、県幹部が作成したものか、かなり良くできたマニュアルでした。
『家庭訪問には2人で行く』とかいろいろ事細かに書いていました。
その中に『部員さんの指導については、必ず御本尊様と池田先生につながるように持って行くこと』と書いてありました。
『信心に目覚めることが本当の幸せだ』と当時信じていましたので、特に疑問持ちませんでした。
自身の体験から書き込みます

県の男子部長に、仕事や家族の病気などで指導受けたとき、『池田先生だったらどうされるか?を題目あげなさい』と指導を受けました。創価脳でしたが、さすがに『こいつあかんわ』と思いました。
方面の中心会館で相談室で指導を受けたこともあります。就職の方向性とかの悩みでした。
『そんなもん、自分で決めろ。広宣流布のためにとの一念で題目あげて祈ると必ず良い方向に向く』と。
東京の本部の相談室でも指導を受けたことがあります。
内容は忘れましたが、『あなたが学会活動に頑張ることがそのまま広宣流布になります』とか言ってました。
おそらく本部のマニュアルでもあるのだと思います。
創価の組織はとてもよくマニュアル化されていると思います。
『宗教界の王者』ならぬ『ファーストフード宗教フランチャイズ最大手』でしょう。
創価の信仰なんて質の低いファーストフードレベル。加えて迷惑行為のオンパレード。
『毒入り本尊を、人の弱みに付け込んで売り込み、毎月のみかじめ料としての新聞をしつこく購読させ、財務と言う名のカツアゲを毎年繰り返す』
話それましたσ^_^;
ビジネス書ではマイケル・ガーバーの仕組み化経営の本がベストセラーですが、創価も徹底的に仕組み化に取り組んでいますね。
今まで四つの地域、県の創価の組織を経験しましたが、日本どこでも金太郎飴のような会合、指導、活動内容でした。
ファーストフードフードにはそれなりのメリットがありますが、どうあがいても魂を込めた職人の料理にはかないません。


●おてもやん(元栄光地区婦人部) (2017年1月9日 11:10 )
哉文さんへ
初めまして。元2世のおてもやんです。
>おしなべて宗教一般が、「弱いから信仰する」などと考えるのは、有史以来の先人たちに大変無礼な偏見に見えて仕方ないのです。
仰る意味はわかります。
ただ創価学会や日蓮正宗の信仰は、人間本来の強さを奪うものだと私は思います。
宗教とは何か?は私はよく考えました。なにがしかの強大な力や法がこの世を支配しているのだと想像し仮定し、そうして作りあげた想像の産物に傅き隷属することで、自分は守られ、何をするにも神や法が担保してくれると考えている。
これがキリスト教やイスラム教、創価学会や日蓮正宗などの信者に共通するものではないでしょうか。
これら宗教は、宇宙の法則だの人智を超えただのと言っておくことで不可侵的なものにしていますが、宗教を信じ切ってしまう人間の心理がわかってしまった私には、そんな安全域にある「法」や「神様」など、不要でしかありません。
せっかくなので日蓮正宗に関して言うならば、創価学会と徒党を組んでいた時代もあります。日蓮正宗の教義も、人を呪縛し精神の苦行僧にするものです。
また、第二代会長の戸田の話が出てきましたが、ポルノ雑誌なども出版していたただの飲兵衛です。質問会集を読まれたことがありますか?抱腹絶倒のインチキな教義でいっぱいですよ。私の大事なお宝書籍です。
教学的にも、日蓮の御書はどれが真筆で偽所とか学術分野で明らかではありません。日蓮正宗には、宗派の違いを乗り越えて他の日蓮系宗派とどれが正しいのか共に研鑽される事を願います。
尚、私個人は普通に自然崇拝です。
朝起きて「太陽さん今日もありがとう」、夜になれば「太陽さんおやすみなさい」。ご飯を食べる時は大地の恵みに感謝。魚や肉を食べればそれらに感謝。家族にも感謝。生きてるって素晴らしい。楽しい、腹減った、つらい、悲しい。
宗教を信じていた時より、もっとダイレクトに「生」を感じられて良いです。
対話ブログで議論をぶつけるのは私は避けたいのでこの辺にしておきます。
管理人さんへ。不適切でしたら削除していただいて構いません。


●signifie (2017年1月9日 15:59 )
キリスト教の匿名さんや日蓮正宗の哉文さんのお話、ありがとうございました。創価以外の宗教の話については、このブログではあえて言及しない方針ですが、その場に応じて管理人の私が必要と判断した時に話題に取り上げていこうと思います。匿名さんに関しては、理解が得られたと思っています。哉文さんも、たいへん深い考察の中で宗教について模索されていらっしゃるので、あらためて宗教そのものについて考えるきっかけとなりました。ありがとうございました。
日蓮正宗については、創価と切り離して考えることの方が不自然だと思いますし、創価との問題も継続中ですから、創価問題を考えていく中では、どうしても避けては通れないと思います。個人的には日蓮という鎌倉時代の僧についてや、日蓮正宗の教義そのものについても、いろいろと問題があると思いますが、もっと問題なのは、創価学会を破門するに至るまでの宗門に問題がなかったのかどうか。つまり破門するまでの50年以上もの間、日蓮正宗は詐欺集団創価におんぶにだっこで大きくなってきたことをどう説明するのかということです。つまりここをはっきりしないのは、宗門は創価学会という詐欺集団の実態を承知していながらその片棒を担いでいたことを認めざるをえなくなるために、創価との蜜月の日々については触れないようにしているのではないかということです。もっと言うなら、宗門は創価の実態を知っていたにもかかわらず、学会員が宗門に支払う冠婚葬祭、墓地事業などの莫大な利益に甘んじていたことも否定できないのではないでしょうか。これは日蓮正宗は宗教法人として存続していけるかどうかにまで及ぶ大問題だと思います。だからこそひた隠しにしているのではないかと疑われても仕方ないと私は思っています。日蓮正宗の問題とは、教義の内容に不備があるとか、本来の仏教として矛盾があるとか、そういったことよりも、創価と一緒に何をやってきたのかということを隠し続けているところだと私は思います。このブログで日蓮正宗について話題に挙げるとすれば、日蓮という鎌倉の特異な僧のことや、教義そのものについて議論するのではなく、日蓮正宗は創価が詐欺団体だという実態を分かっていたのかどうかについてだと思います。
日蓮正宗が創価を非難するのであれば、創価が破門されるまで日蓮正宗の外護団体として正しく機能していたのかを、当時の収支を明らかにするなどして明確にしてもらいたいと思います。つまり、日蓮正宗は創価からどれだけのお金が流れていたのか。それは宗教法人として適切であったのかどうかを、明確な証拠とともに示す必要があるのではないかと思うのです。
私は日蓮が末法の本仏であるという前提で語られる日蓮正宗の教義を、ときどきジョークも交えて「地球が丸いことやアジア大陸以外の大陸や文明の存在すら知らないで、全知全能の神であるかのように説法していた日蓮」といった感じて批判してきましたが、そんなことだって信じる人の勝手ですからどうだっていいと思ってます。納得して信じることができるなら、それはそれでその人の「宗教」なのですから、他人から何も言われる筋合いはありません。たまにジョークにするぐらいです。しかし、創価問題の中で日蓮正宗を語るのであればジョークでは済まされないということです。日蓮正宗は創価と組んで何をやってきたのか。このことをはっきりさせなければ、日蓮正宗に創価を批判する資格すらないと私は考えます。この問題は、いずれ独立したテーマとして取り上げたいと思います。

●signifie (2017年1月9日 17:25 )
中学高校の頃、友だちや学校の先生から「シニフィエくんの家の宗教は何?」って訊かれたときに「日蓮正宗です」と答えて、決まって「日蓮宗なんだ」と言われるので「いや、日蓮正宗!日蓮宗と日蓮正宗は違うんだよ。日蓮宗は間違ってて、その名の通り日蓮正宗が正しいんだ」と胸を張って念を押してたことを思い出しました。ほんとどうしようもない子供でしたね(笑)
「宗教とは何か」ということがあいも変わらず答えの出ないテーマとして何千年ものあいだ語られてきました。「宗教とか何か」とは同時に「人間とは何か」「自分はどこから来てどこへ行くのか」といった哲学的命題です。誰しも思春期の頃にぶつかっては打ちのめされる命題です。しかしそんな時に明確な答えを用意している団体があって、生まれた時からその明確な答えの中で生きていくしかない人生がある。それが創価学会の家庭で生まれた子どもたちです。その明確な答えとは「自分で考えてもしょうがない。すべてはご本尊様が決めること。このご本尊様を信じることが幸せになれる唯一の方法だ。そしてこのご本尊様をちょっとでも疑ったら地獄に落ちて、永遠に幸せになれない」これが創価学会の家庭に生まれた子どもが、ものごころつくまでに徹底的に植えつけられる哲学です。
「宗教とは何か」
この疑問はきっとこれからも人間を悩ませ続けるでしょう。先日の匿名さんの話の中でも語られていた「キリスト教において神とは何か人間は知るすべを持たない」といったテーゼ。これはキリスト教に限らず、宗教のかなではよくある話でもあります。言い方を変えれば「人間よりも崇高なものを人間が把握できるわけがない」といういわば思考停止の論法でもあります。「考えたってどうせわからないんだから、そこはそういうもんだって信じるしかないだろうが」ぶっちゃけて言うとこういうことですよね。まあ、それが宗教だと言ってしまえばそうなのかもしれませんが、この論法を金儲けの道具に使ったのが創価学会だということです。「とにかく祈るのよ」「先生と呼吸を合わせて」「すべてをご本尊にお任せするんだ」「信こそ成仏への道」「疑えば地獄」こんなどこに行っても金太郎飴の幹部の指導。こうしたフレーズは御書にもあるので、会員はさもまことしやかに納得せざるをえません。


「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(開目抄)
これ現代語に訳すると
「YO!ブラザー!どんなつれえことがあっても疑ったりさえしなければフツーに幸せになれるんだぜ。サイコーだろ。神様が救ってくれるんだから心配すんなって。今が不幸だからって文句言ってんじゃねえってよ、まったくよ。オレがいくら口すっぱくして怒鳴っても、みんな疑ってばっくれんだよな。結局よ、おまいらみんなその程度だってことよ。いつだってここってときにばっくれやがる」
どうですか。思考停止そのものでしょ。


もう一つ
「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(聖人御難事)

「おまいらいつだって油断すんじゃねえぞ。ちょっとでも緩めば魔がやってくんだぜ。わかってんだろな」
脅してますねえ~


御書もこれくらいわかりやすく書いてれば、そのあたりの暴走族が会員になるかもしれません(笑)。
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」(生死一大事血脈抄)

「俺様の家来ども、よく聞け。俺様の言うことを聞いて、ただひたすらナムナムしとけばいいんだよ。俺様の言うことはこれだけだ。俺様の言うこと聞いときゃどんな願いも叶うってもんよ。ただし、一人でも言うこと聞かない奴がいたら、みんな揃って地獄行きだ、わかったかボケ!」
そういえば学生部時代にこの「生死一大事血脈抄」全文を暗記させられました。
わかろうがわかるまいが関係なく、一文一句をスラスラと言えるまで、何度も何度も声に出して覚えさせられました。まるで軍隊です。徹底的に思考停止人間に仕上がります。(笑)
宗教とは、言い換えれば思考停止とも言えます。「何しろ考えたってしょうがないほど偉大な力に支配されているんだよ。ガタガタ言うんじゃねえ」ってことです。
この世の全てを理論で説明しようとした哲学の天才デカルトでさえ、神に関しては特別扱いしてしまいました。人間が明確に神(キリスト教上の神)を否定したのはニーチェだったと思います。ニーチェ以降の哲学者から、神のいないこと前提で世界を解き明かそうとしたわけです。そう思えば、ニーチェはそれまでの人類2500年の哲学史最大の分岐点を作り出したのかもしれません。
この辺りの話は長くなるのでまたの機会に。

●担々麺 (2017年1月14日 02:52 )
はじめまして。トピックスに合ってるかどうか分かりませんが、自分の気持ちを整理するためにも書き込みをさせていただきたいと思い、文章をつづっています。
私は、学会2世の30代後半女子部です。現役職は公表を控えさせていただきますが、仕事のため実家を離れて一人暮らしでありながら、活動にもきちんと顔を出していたため、周囲はきっとバリバリの活動家と思っています。白蓮も20代前半に、1年だけ経験したことがあります。
ところで、こちらのブログは、現在結婚を考えている、非学会員(学会大嫌い)の彼から教えてもらいました。昨日初めて見たのですが、目から鱗というか、「あるある!」と思えることだらけだったというか、福子でありながら、これまでに幾度となく、もやもやと疑問を持った自分はおかしくなかったんだと、胸のつかえがおりるところがたくさんありました。
ほんの、1,2ヶ月前までは、「ネットに書いてある学会批判など嘘ばかりだ!」と息巻いていた私ですが、彼が根気強くマインドコントロールから抜け出すための風穴を、私に開けてくれました。そうすると、さまざまな学会批判の情報が、そのとおりだと思えるようになりました。
とくに、このブログのみなさんの、以前学会員だったからこそ苦しんだ体験の話、本当のコトだからこそ、これだけ私にも響くんだと思います。
疑問をあげると数多くなるなあと思いながらも、いちばん最近では2015年の勤行要典の御観念文変更ですね。
いちばん最初の、「東に向かって諸天善神の守護」のところが、東も向くことなく「諸天供養の題目」という雑な扱いになったことです。朝一番の大事なところなのに、東に向かなくていいの???と思って、勤行要典が変わっても、前のやり方を通してました。もちろん、初代・二代・三代会長までを「永遠の師匠」としたところにも違和感を感じ、「まだ池田先生死んでないのに!というか、個人崇拝みたい!」と思ったのも、新しい勤行要典を受け入れられなかった理由です。
2014年にも、11月に教義の変更ありましたね。こちらのブログの書き込みを見て思い出しました。当時の聖教新聞を見て「???」と思い、その後幹部の集まる会合で報告みたいな形で説明がありましたが、たぶん末端までは行き届いてないかと思います。
というか、10年ちょっと前に、勤行自体、五座三座から方便品自我げ(漢字変換できなかった)に大幅縮小されたのも「いいのか?こんなことして?」と思いました。
あと、20年ほど前、高等部時代には、その頃の組織名が、地元の地名を差し置いて「大勝支部」「常勝支部」「最勝地区」はてまた「池田支部」「戸田県」などと変えられていったことに疑問を持ち、高等部担当者に尋ねたこともありました。なんだか、自分の愛する地域がないがしろにされている気分だったんです。しかし、担当者からは納得いく理由はもらえなかったと思います(なんと言われたか覚えてないです)。
ところで、私の30代後半という年齢で、なにか感じられた方もいらっしゃるかと思いますが、これまで私は学会員という理由だけで、何度も結婚の機会を逃してきました。幸せになるはずなのに、幸せから遠のいてばかり。そんなときに、学会の人たちから言われるのは「それは良かったのよ。もっといい人があらわれて幸せになるんだから。」と同じことばかりでした。それはいつ?本当に?私はこんなに苦しんでいるのに!どれだけどれだけ、苦しめばいいの?それもだんだん苦しみ方がひどくなっていく!
「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」
この御書の一節が足かせとなり、正法を信ずるが故に自分は迫害されるんだ、仕方ないという考えも抜けきれず、じゃあどうしたら「春」になるんだという苦しみばかりが増幅されました。
そんなときにいまの彼とおつきあいすることになって(詳細は省きますが)、私が学会と知って、ショックを受けたそうですが、(先に学会員と知っていたら付き合ってなかったとハッキリ言われました)、こうして私が学会脳から脱却するための風穴を開けてくれました。感謝です!
以前の人と付き合っていた時のように、学会活動を頑張ったら幸せになれると思って、休日の予定は会合を優先して、丸一日かけて遠方の会館に部員さんを乗せて出かけたり、平日の夜も会合と家庭訪問のために食事のお誘いを断ったり・・・こんなことをしていても春は来ませんよね。
ただ、私は狂信的な池田信者ではなかったです。
日蓮大聖人の教えを守る宗教なら、池田大作氏は師匠ではなく弟子の一人に過ぎないと、思っていました。これは、戸田会長時代に入信した祖父も言っていたそうです。
だから私の中にはもともと、師匠としての池田氏はなかったのです。だから、師弟不二の意味は最後までよく分からないままでした。(なんちゃって青年教学1級もってるのに分かってないという・・・)前述した、新勤行要典の個人崇拝じゃ?との疑問もここから沸きました。
選挙の時とか、同級生とか友達とかに、ずいぶんお願いをしました。会合に誘ったこともあります。けど、幸いなことに、これまで私の友達は、私から離れていません。よかった・・・
このスレッドは、「これからどうしますか?」でしたので、これからのことを書きます。時期はまだ分からないけど、今の、風穴を開けてくれた彼と結婚する方向で動いています。統監は、詳しく方法とか書くといろいろばれるので省略しますが、実家の地区にも戻ることなく、限りなく退会に近い幽霊部員となります。あとは、名字を変えてしまうと、たぶん誰だか分からなくなると思います。実家の両親は、共に学会員ですが、了承しています。「結婚したら相手の家に従いなさい」と言ってくれています。娘の幸せを願う、本当の親心なのだと感謝しています。

 


解説
担々麺さんは、「ゆんちゃんさんの創価男性との結婚の悩み」(8/28)の回にも出ていましたね。
私は、法華講員ですから昔ながらの勤行要点を使用しています。
初座で諸天善神に守られ、一日がんばれそうな感じが好きです。
なので、創価学会員が新しい勤行のやり方で初座をないがしろにしていると聞いて残念な気持ちになりました。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:おてもやんさんの活躍(2)

2022-08-30 01:45:38 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■これからどうしますか?      投稿日: 2017年1月5日

おかげさまで、今年に入ってからのアクセス数が1日8000越えです。かなりの数の人が「創価は詐欺」ということを認識してきたのではないでしょうか。「創価学会」でググってみると、私のパソコン画面では、聖教新聞公式HPよりも先にこのブログが出てきます。「創価学会ってなんだろう?」とネットで調べようとした人のほとんどが閲覧するサイトになりました。
去年は3ヶ月の休止期間があったにもかかわらず、約200万アクセスがありました。今年はさらに上回るでしょう。何度も言いますが、このサイトは創価を知らない人が創価の悪口を言っているのではありません。創価学会員としてまじめに活動してきた方の、真実の声が集まっています。これまでどれくらいの数の人がコメントしていただいたかはわかりませんが、そのほとんどが「創価は詐欺だと気がついた」という結論です。10人や20人じゃありません。少なくとも数百人の方が「創価は詐欺だった」と断言されているんです。それもそれぞれに自分の実体験を通じて出した結論が「創価は詐欺だった」というものです。これを誰が否定できますか?どうやったら数百人の実体験から来ている結論を覆すことができるでしょう。できるわけがありませんよね。このブログに価値があるのは、これだけ多くの信頼に足るコメントが常に増え続けているということです。時間とともに創価が詐欺だったと気づいた方のコメントがどんどん増え続ける。そしてそのコメントを見る方もどんどん増え続ける。あと一月ほどで500万アクセスが達成します。今のペースでいけば1000万アクセスは2年半後。勢いを計算に入れると、2年後に1000万アクセスも夢ではありません。2019年の初めには1000万アクセス到達ということになったら、外国人記者クラブで記者会見しようかな(笑)
ま、それは冗談ですが、一月後に迫った500万アクセス達成記念の日には、やはり皆さんとお祝いしたいですね。先日も書きましたように、池田のXデーが来れば、そこから創価は一気に崩壊すると思われます。多分、その日は突然やってくるでしょう。その日まで、相変わらずメッセージだの小説の連載だのと平然と池田元気説を言っておきながら、突然「池田先生がお亡くなりになりました」と発表こそすれど、その死に顔などは葬儀でも公開されず、喪主になるであろうカネコ夫人も人前に出せるわけがないので、息子の博正が喪主かな。いずれにせよ密葬になるのではないでしょうか。全国の洗脳学会員はしばらく池ロス状態が続くでしょうね。で、それが収まってくると、次第に学会員は夢から覚めるのではないでしょうか。「これから何を支えにして生きていけばいいんでしょう。ダーハラ?まさか(笑)」「俺は今まで何をしてきたんだ?」「私、もう50年も信心してるのに幸せになってないんですけど」こんな声が内部でもポツリポツリと出るようになり、昨年末にここでもテーマにした「活動家時代の本音」が組織内でも出るようになったら、あとはガラガラと崩れていくことになるのでしょうね。「こんなダッせえパステルスーツ着れるかよ。おてもやんの化粧もだよ」「男子部長のどこが偉いんだよ、プー太郎のくせしやがって偉そうに」「仕事休んでまでタダで牙城会やらせるなんておかしくね?」全国の現役学会員のいろんな愚痴が止まらなくなるでしょうね。
どんなに長くても、この10年の間に池田Xデーはやってきます。池田大仏さんが姿を現さなくなって6年半。いくらなんでも100歳まで元気に生きていることにするのは無理がありすぎます。っていうか、今の時点ですでに無理がありすぎるんですが、まだまだ学会員が騙され続けている限りは、元気なことにするんでしょうね。でも本当に亡くなったら、さすがにごまかしはききません。死亡届を役所に出さなきゃいけないし、火葬するにも許可が要りますし、勝手にやったら犯罪ですからね。池田大仏のXデーはいくら創価でも隠すにはリスクが大きすぎる。でもそこから学会員はごっそりと減るでしょう。会員が減ればお金が集まらなくなります。お金が集まらない創価学会は、創価の最高幹部にとっては大赤字を抱えた会社みたいなものです。維持すればするだけ金がかかってしょうがない。だから最高幹部でさえ「やってらんねえ」ってことで、何かにかこつけて去っていくでしょう。それより会員を騙してきたことの責任を問われたらどうしようもなくなるので、そこは東電の社長や役員のように家族もろともドバイなどの外国に雲隠れするかもしれません。学会員さん。創価が斜めになった時の最高幹部の様子をしっかりと見ておいてください。創価学会が宗教ではなくただの詐欺だったことがはっきりとわかりますよ。
創価学会もあと10年の寿命と考えると、ちょっとワクワクしませんか。やっと「創価は詐欺だった」ということが社会的にも明らかになるんです。「創価学会被害者の会」とか「創価学会詐欺事件対策本部」「創価学会訴訟団」などの言葉がニュースを飾るでしょうね。役所には創価学会専用の相談窓口が必要になりますね。もちろん公明党は解散。当然、連立を組んでいる自民党は知らん顔。すっかりなかったことにするでしょう。ニュースはもちろんワイドショーもすごい勢いで特集を組むでしょう。学会員の芸能人が「私も騙されていたんです」みたいな涙ながらのインタビューが流れるでしょうね。聖教新聞を印刷している毎日新聞は大打撃。シナノ企画や創価専門仏壇店は軒並み倒産。他にもたくさんの創価関連企業は窮地に追い込まれます。日本全体が相当なパニックになると思います。反社会勢力とのつながりも相当なものですから、やはり最高幹部は雲隠れするしかないでしょうね。警察や法務省に入り込んでいる創価キャリアも肩身が狭くなるでしょうね。学会員はみんな嫌でも気づかざるをえなくなる。あの3人組も。白いブランコさんも。このブログに殴り込んできた創価スイッチ全開の学会員もです。10年以内にこのブログでずっと訴え続けていたことに間違いはなかったということがはっきりすると思うと、なんだか目標がはっきりしてきていいですね。その頃はこのブログのアクセス数も1億になっているでしょう。ちょうどいいタイミングかもしれません。みなさん、よろしくお願いします。
ということで、今回のテーマは「これからどうしますか?」とさせていただきます。
ちょっと抽象的なテーマですが、創価が詐欺だと気づいた方は、多かれ少なかれ精神的なショックは免れません。特にかなり年取ってしまうまで騙され続けてきた人にとっては切実な問題です。また、まだ創価に未練がある方も「創価をやめてどうなるんだろう?」というのが不安な方もいらっしゃるでしょう。そこで今回は、創価が詐欺だと気づいて、なんとか辞められた方が、その後どうやって人生を立て直すことができたか。人生とまで言わなくても、気持ちを立て直すことができたかを、具体的にお話ししていただけたらありがたいです。もちろんその途中である方が多いでしょうから、途中経過で構いません。要は、まだ創価をやめるか迷っている方へ「創価をやめても大丈夫ですよ」ということを実際の経験を通じてお話ししていただければということです。
時々いらっしゃるのは「創価がダメだったので正宗に行きました」とか「創価はもうこりごりなので、どこの宗教がいいでしょうか」「創価をやめて何を信じて生きていけばいいのでしょうか」などなど、とにかく何かにすがっていなければ生きていけないと言った方が意外といらっしゃるということです。まあ、「創価を信じてお金を貢げば幸せな間違いない」ということを信じ続けてきた人にとっては、突然ハシゴを外されるようなものですから、別のハシゴが見つからないことには不安なんでしょうね。「世の中には幸せになれる秘密の法則みたいなものがあって、限られた人間だけにその法則と巡り会える」みたいな事を本気で信じているような人です。新興宗教はおしなべてそんな絵空事をまことしやかに語って「奇跡」みたいなことを信じさせます。新興宗教に限らず伝統宗教の多くも似たようなもののようです。終末思想とか輪廻思想、選民思想もそんなところから発生してきました。学会員にとって、御本尊も日蓮もいわゆる「神様」なんですね。この世はなんでもできる全知全能の神様がいて、その神様に気に入られれば絶対的な幸せになれる。気に入られるようになるには、自分ではなにも考えず、神様を信じて、言われるだけお金を出すことだと信じてしまう。これが伝統・新興に関わりなく怪しい宗教に共通する詐欺行為です。キリスト教もローマ帝国を維持するために教義さえも変えながら維持されてきました。それに反発したプロテスタントも、その巨大化する組織を維持するために国家権力と結びついたり、国家権力に利用されたりして、戦争までも繰り返してきました。言ったい宗教って何だろうって思いますよね。イスラム教とキリスト教は同じ「神様」を信じているにもかかわらず、何千年にもわたって戦争しているんです。仏教も、それ以前のバラモン教やヒンズー教や土着信仰が合わさり、ブッダの教団によって、ある程度刷新されたにもかかわらず、結局のところは長い時間と伝播していく長い長い距離の中で変容していき、いつの間にやら最初の仏教とは似ても似つかないものになって日本に伝わってきました。さらに日蓮など、そんな変わり果てた仏教をさらに自分の都合のいいように解釈して、あろうことか自分が全知全能の神様だと言い始めたんです。ここは諸説あるところですが、特に極端な解釈をしてきたのが日蓮正宗であり、それを利用して詐欺の道具に使ったのが創価学会なんですね。いつも言いますが、何を信じても勝手ですが、よくまあそんなもんを大の大人が真顔で信じれますねって話です。
こういう私も5年前まで信じてたんですがね。信じていたからこそ、今でも信じている人のそのありえないほどの思考停止がわかるんです。「自分は世界で唯一の正しい信仰に巡り合って、絶対に幸せびなれる方法を知っている」と天狗になっている。しかし心の底では「いつどこでバチが当たって恐ろしい目にあうのかわからない」と震え上がっているんです。他人には上から目線のドヤ顔で威張り散らし、他人を哀れむような目でしか見れないですが、家に帰ればバチが強くて震え上がっているんです。それが創価学会員の本当の姿です。洗脳されているうちは決して認めませんがね。
さて、また話が長くなってしまいました。すみません。
「これからどうしますか?」という問いかけは、信じていた創価が詐欺だとわかったあなたはどうしますか?という意味です。ということは、気づいた方は、その後はどうされましたか?という質問に対して、自分はこうしました。こうしようとしています。実際にはこうだったです。と言ったことをお話ししていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
もう一つお願いですが、このブログに初めてコメントされる方は、一般常識レベルの自己紹介をお願いします。コメントの内容に関わらず、初めてなのに挨拶や自己紹介のできない方のコメントは承認しません。それから多少とも幾つかのスレッドを読んでからコメントしてください。コメントするにあたり、特に難しいことを要求しているわけではありません。人として当然の礼儀をわきまえていれば何の問題もなくコメントできます。それでもコメントが承認されないというのは、よほど一般常識がないのだと判断してくださって結構です。こんなこと書きたくはありませんが、たまにいらっしゃいますので、あしからずということで。


●おてもやん(元栄光地区婦人部) (2017年1月5日 08:15 )
草創期の強烈な信者である両親にどっぷり洗脳されて育った元2世、脱会して10年以上のおてもやんです。(このHNでいきます)
読み応えのあるブログ記事を提供していただいて、とても感謝しています。創価についての考察は私のライフワークみたいなものなので、このようなブログの存在自体が嬉しいです。
私の場合は、「その後どうしましたか?」という事について書く事になります。
脱会後、実は日蓮の仏法は正しいという気持ちはあったので、実は近くの正宗の寺に行きました。
「気持ち良く朗々と題目を上げたい!勤行をしたい!」とふらふら~と吸い寄せられるように・・・。
ところが、出迎えてくれたオバちゃんがこれまた学会婦人部みたいな気迫ムンムンな方でビックリ。創価みたいに行け行けガンガンな信仰のあり方はもうゴメンだと、お寺訪問は一度っきりで終わりました。
また、その時に「宗教なしではいられない情けない自分」に気がつきました。
あと、ネットで学会員との論争に明け暮れること3~4年くらい。
ネットの掲示板の学会員は、みんな創価スイッチ全開で異常な人ばかり。そんなのを相手にしている自分がバカバカしく思えて引退。
精神カウンセリングも受けました。宗教漬けの家庭環境がいかに異常であるかを第三者に指摘してもらって自覚。
この次は逆に、悩み相談掲示板などで、創価に関することで悩んでいる人の悩み相談などをしばらく続けました。アンチ創価ブログも運営していました。
脱会者の方が集まるオフ会にも参加したことがあります。
こうしたことが心のリハビリに私には必要だったと思います。
そうして、吐き出すものは吐き出し、やっと穏やかで落ち着いた普通の生活をすることができるようになりました。
ところがそんな矢先、母が末期ガンで倒れる。
しかも亡くなる直前になって、強情な信者であるはずの母が「私の人生、なんだったんだろう・・」と後悔することをつぶやく。
創価学会に人生そのものを費やし、最後に正気を取り戻した母のこのあり様を見てしまった以上、創価と無縁では済まされない責任のようなものを感じています。
とは言え、もう創価のことで不愉快になるのはまっぴらなので、明るく楽しく、創価を笑いのネタにして行こうと思っている昨今です。


解説
おてもやんさんは学会をやめて、最初は正宗にいったんですね。
そこの雰囲気についていけず、結局お寺にはつかなかった。
私も、法華講の雰囲気になじめず「法華講みかつ」の状態ですので、お気持ちはよく分かります。
このころにもどって、おてもやんさんと話をしてみたいです。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:おてもやんさんの活躍(1)

2022-08-29 01:42:25 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価学会新年勤行会最新情報         投稿日: 2017年1月1日

みなさま、新年明けましておめでとうごさいます。
今年もよろしくお願いいたします。
晴れて創価から去ることができて、身も心も軽くスッキリと新年を迎えられた方。家族の覚醒がまだで、もうしばらくは大変だという方。覚醒したばかりで、まだ洗脳の残骸が頭のどこかにこびりついて、わけのわからない恐怖心に悩まされている方。いろいろだとは思いますが、今年もまた皆さんとともに、創価の詐欺被害から一人でも逃れることができるよに、対話を深めていきたいと思います。どうかよろしくお願いします。
さて、新年最初のテーマは、先日もお知らせしましたとおり「創価学会新年勤行会最新情報」です。
普段はほとんど活動をしていなくても、周りの人間関係のせいで、どうしても仕方なく新年勤行会に行かなくてはいけないという方がいらっしゃると思います。そんな方に、ぜひ最新の新年勤行会の様子を報告してほしいと思います。なんならスマホで会場の様子やスピーチを録音録画したものをアップしてくださっても結構です。参加者の顔ぶれや、人数、式次第、時間や幹部挨拶の内容などなど、具体的にお願いします。
もちろん新年勤行会に行ってない方も、昔の新年勤行会のことなどを遠慮なくコメントください。昔と今の創価学会の勢いの違いを浮き彫りにして、ことしの「世界広布新時代 青年拡大の年」がいかに名ばかりの空々しい洗脳の言葉なのか、ここではっきりさせましょう!よろしくお願いします。


●りんママ (2017年1月3日 19:50 )
私は昭和32年に母と入信しました。未活動になってからまだ五ヶ月です。創価に疑問を持ち始めたのは6年ほど前からでしょうか。ある大きな悩みから幹部に指導を受けながら必死にお題目をあげ、活動に励んできました。配達も20年やりました。毎日三時間五時間お題目をあげても活動を頑張って結果が出ないどころか悪いことが起きるようになりだんだんに不信を抱き始めていました。
それでも幹部の指導のもと頑張っていました。
ある時このサイトを見つけて全くその通りだと共感しました。
私が全ての役職、活動から離れて題目だけに集中したところ思いがけない良い結果が出ました。もう功徳などないかと思っていました。私たち一家は崖っぷちで救われました。お題目の力はすごいと信じています。学会は破門されていて血脈も途絶えていますし、ご本尊さまもかいざんした偽物だともありました。それもネットで見ました。でもこちらの祈り次第で結果は出ると確信したんです。
私は信仰は続けて行きたいのです。でも脱会してお寺に行けばまた別の組織に入らなければならないのが嫌なんです。もう組織はこりごりです。
できれば一人で信心をしていきたいです。
脱会するとご本尊さまもお返ししなければならないのでしょうか?お返しした場合、お寺でいただけたとしても法華講に入るのですよね?そこが知りたいです。
入信が古いので大石寺にも何回も行ったことがあり、お寺にも行きました。今では日蓮正宗大石寺を日顕宗と勝手に呼ぶ創価学会、じゃあ学会の本尊は何宗??と聞きたいです。

●signifie (2017年1月3日 20:23 )
りんママさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
私が生まれる前に入信されて、昨年まで創価が宗教だと信じておられたんですね。
このブログでは、創価が宗教ではなく悪質な詐欺団体であるということを問題にしています。
りんママさんが創価以外の何を信じても、このブログとは関係ないことなので、何とも申し上げられません。ただ私が個人的に思うのは、りんママさんが持っている御本尊が日蓮正宗のものであれば、日蓮正宗の信者として信仰していけばいいのではないでしょうか。もし創価学会が発行した表装まで印刷したペラペラのカラーコピーであれば、破り捨ててから、自分が信じることのできる御本尊を手に入れた方がいいのではないかと思います。それは日蓮正宗の信者になって、日蓮正宗の御本尊を絵に入れるということですが、りんママさんがどこかのお寺の檀家になるのも嫌だというのであれば、自分で御本尊を作って信じていくのも一つの形なのかもしれませんね。ただそれが信仰と言えても、仏教であるかどうかはわかりません。自分の信じる宗教が仏教なのか、キリスト教なのか、イスラム教なのか、はたまた日本だけでもいくらでもある新興宗教なのか、そんなことはどうでもいいから、この曼荼羅を拝んだらいいことがあると信じるのであれば、それはそれで世界でただ一つの「りんママ教」ということになると思います。日本では信教の自由が保障されていますので、他人に迷惑をかけない限りは「りんママ教」は他人にとやかく言われる筋合いはありません。したがってこのブログで「りんママ教」についても何も申し上げることはないということです。
せっかくですので、ついでに申しますと、何かを拝むことによっていいことがあったり悪いことがあったりすることを宗教だとか信仰だという考え方は、りんママさんが長年創価の活動をしてこられた結果だと思います。もっとついでに言うならば、何かを拝んでいいことがあったり悪いことがあったりするような迷信など信じてはいけないというのが本来の仏教です。りんママさんは、せっかく創価が宗教ではないと気がつかれたのですから、何かを拝むことによっていいことがあったり悪いことがあったりすることを宗教だとか信仰だという創価の考え方から抜け出せていないことにも気がついてもいいのではないかと、私は思います。余計なお世話かもしれませんが、りんママさんのコメントを読んで、最初に頭に浮かんだのがこのことでした。りんママさんは何十年も創価学会員としての人生を歩んでこられたのですから、ある日を境にして創価の考え方が抜けてしまうわけがないと思います。何を信じても信仰は自由。ただその信仰が正しいかどうかは別の話だし、信仰によって幸せになれるかどうかも別の話です。宗教とは何か、信仰とは何か。一度自分で考えてから何を信じるのかを決めてもいいのかもしれませんね。すみません。年上の方に対して失礼かつ余計なお世話でした。お許しください。

●哉文 (2017年1月3日 20:39 )
りんママさんこんにちは。
私は、脱会して日蓮正宗に改宗した、法華講員です。
私も、長年学会の緑本尊を真剣に祈り、功徳らしい体験をたくさん積んできました。それ故、学会の正体を知っても、逆に「罰」が怖くて、脱会できずにいました。
その後、様々な苦難にあいました。一度は死を覚悟しましたが、今尚こうして新たな年を迎えています。
御書には、魔は仏と同じくらいの力があり、魔を信じる者には、親の思いでもてなす、と言われています。その偽本尊に祈られて叶った事が、果たして功徳なのか魔の通力なのかは、現証だけでは判別出来ないのです。文証と理証の裏付けが必要なのです。
脱会には偽本尊の返還が必要です。お寺でこ御本尊様をいただくときは、謗法祓いが必要なので、偽本尊は処分しなければいけません。
とはいえど、この場はこの場で、学会への疑問を晴らす上では貴重な場ですが、日蓮正宗に改修するかどうかのお話は、ここでは目的に叶わないかもしれません。良ければご相談ください。kanabun0243@yahoo.co.jp

●りんママ (2017年1月3日 21:46 )
singnifieさん、返信ありがとうございます。そうですね生まれてからずっと創価学会にいたのですから完全に洗脳が解けるには時間がかかって当たり前ですね。自分でも良く気づけたと思います。
信仰していることが、当たり前で育ってきたので切り離せない自分になっているようです。
今までの窮屈で自由の効かなかった人生を返してもらいたいです。
信仰についてもう少し考えてみます。
ありがとうございました。

●カガテツ (2017年1月3日 22:06 )
「新年勤行会最新情報」 >昔の新年勤行会のことなど…
との事ですが、既に50年以上前のことで、新年勤行会だったかさえ記憶はオボロゲなんですが、狭い会館にやたら人間が芋洗い状態で、これじゃー“履物を少なくも数人は取り違えるんじゃないのか?”位しか記憶にないですね。
非活20年脱会後25年と、創価とは無縁(雑誌・書籍等を資料的にはウォッチしてても)の生活を半世紀近く過ごしたら、ほとんどの人においては記憶から消えてると思います。
スポットライト的にはうろ覚えも有りますが(例えば、小学校の修学旅行でまくら投げをして先生に「早く寝なさい!」と、叱られたシーンとか)、去る者日々に疎し。ですね
りんママ さん 2017年1月3日 19:50
>できれば一人で信心をしていきたいです。
丁度私の母親が昭和30年頃入会してますので、戸田時代をご存知なんでしょうね。
私等一家も創価が破門になった直後の平成5年前後にお寺へ戻りましたが、(以前も投稿しましたが)、お寺も創価の“目標○○%達成方式”を取り入れて、世知辛くなっており、年一回は(最低でも)登山せい!、とかふざけてますので母逝去後3回忌をもって脱講し、現在は無宗教です。
>脱会するとご本尊さまもお返ししなければならないのでしょうか?お返しした場合、お寺でいただけたとしても法華講に入るのですよね?そこが知りたいです。
創価本尊はニセ本尊と謂われてる位ですので返すに越したことはないでしょう。
お寺で頂くには(買うのじゃなく預からせてもらうそうです)法華講に入ります。
(月会費千円に、年一回以上の登山、月々5回以上のお寺での寄り合い等煩わしい)
ですので、
御本尊様は普通に仏具屋さんに(身延発行?)売ってますし、通販でも買えるようです。
それで以って、毎日でも、気の向いた時にでも勤行・唱題をされたら宜しかろうと考えます。あとは行学と云う位ですので、仏教全般~御書まで学ばれたら良いのではないでしょうか。
(創価は組織的に悪行を行なってますので(末端は知らぬが仏状態)、在籍してるだけでも謗法与同罪となりますので、私もそこらを心配して「早く離れたが身の為」と言ってます)
オススメは、
祥蘭さんのブログ “わだかまらない生き方”が、参考になると思います。
http://trueshow.blog.fc2.com/
このブログの現在(2016年6月~)
創価教学によるプロパガンダ・洗脳を抜けてなお後遺症に悩んでいた私が
心理学や現代の覚者の教えに触れ、自分を取り戻した経緯を綴っています。
このブログの過去(2013年8月~2016年5月)“don’t trust”
学会3世として、機能不全家庭で育った私の信仰履歴~覚醒へのプロセス・
強固な「創価脳」をもつ母親との対峙について綴っています。
このブログで言いたいこと・スタンス
*組織でいわれているような、仏罰はありません。
 安心してください。
*人間万事塞翁が馬です。
他にも色々有りますが、“ひとり仏教の会”なんてのも見られたら如何
http://park5.wakwak.com/~soka/

●金麦 (2017年1月3日 23:50 )
signifieさま、あけましておめでとうございます。金麦です。今年もブログを拝見させていただきます。りんママ様、創価が、詐欺集団ではないかと、疑問を持った人が
このブログに辿りついていると思います。
私は、りんママ様のコメントを見て、こう思います。
1.新たなオレオレ詐欺ならぬ、新手の創価脱会歯止め班。
4800000人が見ていますので、学会活動を疑問を持って活動をやめたとしても、また、再生させる事が出来る。又、祈りは叶うと、釘を打ておけば、何人かは、また創価脳の戻せる。
なんか臭い匂いがしますが。
りんママ様、間違いだったすみません。
私がここまで疑うのは、創価があの手この手で、勧誘するのを見ていますので、疑います。

●スマイル (2017年1月4日 12:24 )
皆様
明けましておめでとうございます。スマイルです。
創価の男女間、夫婦間の問題で、創価脳の方は『私はあなたの幸せをこれだけ真剣に祈っているのに、あなたはどうしてわかってくれないの?』という言葉が交わされることがよくあります。
創価脳からすれば、理解してくれない相手の事が全く理解できません。だって本気で真剣に相手の幸せを祈っているから。
しかし相手は全く理解しません。
でも下記の動画を見れば、よくわかります。
ttps://youtu.be/6HSAVqiS1WA
(見たい方は↑の頭にhを入れてアクセスしてください)
結局、創価脳の自己満足に過ぎないんですね(^^)
もし、上の動画の内容を変えて、一心不乱に『幸せを祈りながら』十字架に祈っている姿だと、創価脳は『邪宗だからおかしい』としか考えられません。
創価脳は鈍いので『お前のその一心不乱に祈っている姿がキショイんだよ!』『そんなことをするより、具体的に〇〇をしてくれた方が嬉しい』と伝えても全く入りません。
アホだから『宇宙の法理を描いた人類史上最初で最後の無駄に高い紙に、宇宙の法則である南無妙法蓮華経を唱える事が、最高に善の行為』と信じて疑わないので、聞く耳持てません。
学会員のみなさん、上の映像見てどう思いますか?
こんなんで、宿命転換できるのですか?
こんな事で人類の幸福につながるのですか?
アホすぎますよ。

●signifie (2017年1月4日 13:31 )
スマイルさん、今年もよろしくお願いします。
この動画を見て、自分はものごころつく前からとんでもないことをあたりまえのように、50年もやってきたのかとゾッとしました。「どうかしてました」っていえばその通りなんですが、それにしてもあまりといえばあまりのことだったですね。今も200万人ぐらいの人がこうやって思考停止のトランス状態に陥って、大切な自分や家族の人生を失っているんでしょうね。

●元栄光地区婦人部(おてもやん) (2017年1月4日 15:42 )
スマイルさんへ
こんにちは。ちょっと気になるのですが、その動画はもしかして隠し撮りされてないでしょうか。何となく撮影されてる女性には無承諾で撮影された気がしないではありません。スマイルさんの撮影でしょうか。出所が気になりました。
創価批判にする題材には細心の注意が必要かと思います。
私も、引用程度に創価学会の画像を使って動画をアップしたところ、SGI から著作権違反でクレームが入った事があります。即座に削除しましたが・・・。
もし何も問題がない動画でしたらごめんなさい。

●スマイル (2017年1月4日 16:50 )
先ほどの動画の件、申し訳ございませんでした。
新年勤行会の様子を検索したくて
『創価 会合』でグーグル検索

先ほどの動画がYouTubeでヒット

動画を見て『こりゃイカレてる。昔こんな感じだったな~( ´Д`)y━・~~』
で。
確かにアングルがおかしいですね。
以後気をつけます。

 


解説
スマイルさんの提供した動画を見て、なんだかイやな気分になりました。
真剣に唱題をしている女性をへんな角度から隠し撮りしたらしい動画をアップする人も人なら、その女性の姿を上から目線であざ笑うスマイルさんの感性にぞっとしました。
あなたたちの「覚醒」以前の姿がそこにあるわけですよね。
それを「創価脳の自己満足」とバカにする。
信仰そのものを愚弄する、そういう精神には、私はたまらないものを感じます。
こういうのを掌返しというのではないでしょうか。

元栄光地区婦人部(おてもやん)さんが、別の意味でこの動画にクレームをつけています。
他の参加者に忖度せず、思ったことを主張するおてもやんさん、いいですね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:ゆんちゃんさんの悩み

2022-08-28 01:40:32 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価脳の彼氏(彼女)のもたらすもの       投稿日: 2016年12月28日

先のスレッドでの、ゆんちゃんさんからの問いかけは、とても切実な問題だと思います。この問題はあらためて皆さんからのご意見を伺うべきものだと思いましたので、別のスレッドとして作りました。ゆんちゃんさんからのコメントは以下の通りです。
________________________________
こんばんわ。
ブログが再開したときに1度コメントさせていただきました彼が創価学会のゆんと申します。
脱会された方、おめでとうございます☆
今回のタイトルと主旨が違うことをわかっていてどうしても覚醒された方、脱会された方にご相談がありコメントさせていただきます。
signifieさま、もしダメでしたらコメント削除お願い致します。
現在、創価学会3世の彼と婚約破棄手前です。もちろん創価学会が大きな壁となっております。いろいろ自分の意見を言いましたが聞く耳持たず…。『ネットの情報は嘘ばっかりやから自分で見て、やっていいか悪いか判断してほしい。ネットを信じるか俺を信じるか…わからんことがあるんやったらネットぢゃなくて俺に聞いてくれたら答えるし、答えれやんことやったら一緒に会館とかに行って一緒に学ぶから』と言われています。私は彼を(創価学会のこと以外)信じています。なので私が彼にネットで見た疑問に思うことに答えてほしいって話をしました。
実際私は疑問に思うことばかりをネット上で探そうとは思っておらず100%創価悩の彼が創価学会ってもしかしたらなんか変?と1%でも0.01%でも思ってもらえるブログ記事を探しております。
創価学会ではない私がどのブログ記事、どのコメントを読んでも説得力があり納得できるのですが創価悩となれば創価シャッターが…
この”対話を求めて”を読まれてる方は創価学会って変?と思われた学会員の方が完全に覚醒できるきっかけとされるものだということはわかっているのですが、この”対話を求めて”で覚醒された方はどのブログタイトルの記事やコメントがきっかけだったか教えていただきたいです。
________________________________
30年前の私が、ちょうどゆんちゃんさんの彼氏さんのような立場でした。とても他人事とは思えません。創価の詐欺によって人の一生が変えられてしまうんです。本当に創価の洗脳とは恐ろしいものです。ここでは「創価脳の彼氏(彼女)のもたらすもの」というテーマで皆さんからのご意見やアドバイスをいただけたらと思います。
なお、先のスレッド「創価学会の本音」は引き続きコメントを募集します。
二つのスレッドを同時進行させていただきますので、よろしくお願いします。


●ジョンソン3号 (2016年12月28日 12:33 )
ゆんちゃんさんと同じ立場の方のブログがあります
「創価の彼、無宗教の私」
最後は彼も脱会、結婚
家族とも和解「こんな居心地のいい地獄はない」
学会員だからわかる凄まじいバトルが書かれています

●元栄光地区婦人部 (2016年12月29日 03:40 )
ゆうちゃんさんへ
丁寧にコメントに返事をしてくださってありがとうございます。
これは提案なので返信は良いですよ。
教学的な相談は聖教新聞社で受け付けています。外部の人でもこちらが丁寧であれば親身に聞いてくれます。
「付き合っている創価学会の男性との結婚を考えていますが、同居するか入信するかの二択を迫られています。学会ではこんな指導をしているのですか?」と質問をしてみて下さい。意外と常識的な答えをくれます。信心熱心な彼だろうと創価学会本部のちゃんとした答えを聞けば自分がいかに度を越してるか気がつくかもしれません。
学会と言うのは実は世間体を気にします。外部向けと内部向けで本音と建前を使い分けしているので、それを利用してやりましょう。
ゆうちゃんさんの言葉には耳を貸さずとも、学会本部の言葉であれば考え直すかもしれません。

●ジョンソン3号 (2016年12月29日 05:21 )
ゆんちゃんさん
「創価の彼、無宗教の私」を読むとわかりますが、創価学会はおかしいと気づかせるのは生き方を180度変えることです
簡単じゃないですよ
統一教会やオウムと同じと思っていいです。マインドコントロール解けない人いますよね
ネットはデマで、情報操作された新聞が正しいと信じこまされれいるようなので「ネットにこう書いている」でなく「私はこう感じた」の方がいいかと思います
ネットをそのまま伝えるのではなく、「池田先生なんで肥満なの?」「お元気なのになんで姿見せないの?」「ノーベル平和賞いつもらえるの」(犬作と言うとムキになるのでいけません)
一方的に語るのが得意なので、疑問をぶつけると破綻します

●signifie (2016年12月29日 15:13 )
皆さんが自分の体験を通じてのアドバイスなので、とても深く説得力があります。皆さん、ありがとうございます。そして私が30年前に、いかに愚かであったかが、今更ながら思い知らされて、めまいがするくらいです(泣笑)
ゆんちゃんさん、いきなりたくさんの方からのアドバイスで、ちょっと戸惑っていらっしゃるかもしれませんが、ここは是非落ち着いて冷静にことを運んでいただければと思います。「婚約者が創価だとわかった」時の問題は、創価問題の中でも特に深刻なものだということの現れだと理解してください。そして皆さんのコメントは本当に的を射ていると思います。
皆さんからのアドバイスで十分なくらいですが、あえて私から一つ伝えたいなあと思っていることは、いくら創価脳の彼氏さんでも、いつかは自分の間違いに気づく時が来るということです。ただ、それがいつのことになるかは誰にもわかりません。私の場合、30年前の当時の彼女(20代前半)との結婚話が持ち上がった時に、母親から学会員である私との結婚を反対されたというだけのことで、私の方が一方的に彼女に別れを告げてしまいました。私は「創価を理解しない家庭の女性なら、自分に相応しくない」と完全に見下し勝手に判断し、理解してもらおうという努力もしないまま、一方的に別れを告げました。もう彼女の話を聞こうともしませんでした。彼女はその時のショックで、その後すぐに知り合いから紹介されたお見合い相手と2度しか会わないで結婚しました。私との過去を忘れたいために愛のない結婚生活を選んだのだそうです。幸いその相手がとてもいい人で、3人の子供にも恵まれ、なに不自由ない立派な家庭を築いたのです。そんな彼女が30年後、SNSを頼りに私の前に現れました。自分はこうして幸せになったから安心してということを伝えたかったのだそうです。その時ちょうど私は創価が詐欺だと気づき、私が30年前に彼女にとんでもないことをしてしまったことにやっと気づいた矢先でした。今思い出しても膝が震えるくらい最低の男でした。なのでそのとき30年前の自分の間違いを彼女に告げることができただけでも救われました。あのときの自分が間違っていたと告げられた彼女は、それはそれで辛かったと思います。またしても私は残酷な最低の男です。1000キロも離れた電話の向こうとこちらで互いにたくさん泣きました。人はこんなに涙が出るもんなんだと驚くほど泣きました。おそらく私が鬱になったのは、創価が詐欺だと気づいたショックよりも、このときのショックが原因だと思います。
最低男ついでに言ってしまいますが、ゆんちゃんさんの彼氏さんがゆんちゃんさんへ別れ話を繰り出したとしても、それは創価の洗脳ゆえのことです。それは30年間最低男だった私が保証します。おそらく彼氏さん本人は創価の洗脳によって自分で何も考えられないまま「一緒に信心できない相手は自分には相応しくない。結婚すべき人ではない」という考えしか持てなくなっているのだと思います。つまりとても残念ですが今の彼氏さんは、自分の本心ではなく、創価に操られた言葉しか言えなくなっているんだということをどうか理解して欲しいです。とんでもないことを言うようですが、創価の洗脳とはこういうものです。これはあくまで最低男の希望でしかないんですが、そこでゆんちゃんさんが本当の彼氏さんをどこまで信じてあげられるかが問われることになると思います。辛いですよね。言ってみれば今の彼氏さんは創価というゾンビに血を吸われて自分もゾンビになったようなものです。普段の見た目は人間でも、いったん創価スイッチが入ったら手のつけられないゾンビと変貌します。他の方も言ってるように、普通に人を平気で見下します。世間の常識や理屈は全く通用しません。対話は不可能です。何があろうと、創価は正しく創価以外は間違いとなります。このブログの過去にある現役会員さんとの対話を見ても嫌というほどわかると思います。創価に洗脳されていくうちに、毎年宗教団体に100万円でも1000万円でも平気で出すようになるのですから、これ一つとっても異常な世界ですよ。生活のすべてが活動最優先となります。どんなに辛くても、うまくいかないのは自分の信心が足りないからだと、ますます洗脳を深くしていきます。そして前スレにあるように本音では「いやだな」と感じていても、逆らったら不幸になると怯えきって生きていくんです。なのにそれが何よりも幸せなんだという思い込みから離れることはありません。はたから見たら異常な人たちの集まりであることは明らかですが、学会員同士では「自分たちだけは正しい」と日々の活動の中で洗脳しあっているんです。めちゃくちゃですよね。たとえ現実に病気になっても貧乏になっても、創価を信じている限りは誰よりも幸せだと思い込みます。何よりも創価を優先してすべてを捧げるだけの奴隷です。どんなに拳銃の弾を打ち込まれても、いくらでも立ち上がって生き血を吸おうと彷徨い歩くゾンビです。私はそんな最低男だったので、あえてとてもきついことを言いますが、いつ人間に戻るかわからないゾンビを信じていくことができるかどうかを問われているということです。生半可な覚悟ではゆんちゃんさんまでもが不幸から逃れられなくなるという覚悟は必要かと思います。ごめんなさい。決して脅しじゃないんです。
ここの皆さんは、自分自信の辛すぎる体験があるだけに、そしてそのことに悩みぬいてこられただけに、ここまで辛辣なアドバイスになっていると思います。どうか前向きに、それでも覚悟を持って悔いのない答えを出してください。応援しています。

●signifie (2016年12月29日 15:52 )
しかしどうなんでしょう。昔とは違って、彼氏や彼女が創価だったとカミングアウトされて悩むようなことは少なくなっているんじゃないでしょうか。つまり創価の男女青年部の数もどんどん減っている。今いる独身の男女青年部活動家って、ほとんど3世4世ですよね。もう学会員はまともな結婚はできないという常識が世間に行き渡っても良さそうな気もします。創価がいくらソフト路線に切り替えても、学会員の反社会性や非常識さ、気持ちの悪さは変えようがありません。すでに創価は「騙される奴だけ騙しとけ。へんに対外アピールするとボロが出る」みたいな方向ではないでしょうか。
日蓮正宗から破門され、しょうがなしに御本尊を自前で捏造し、教義を180度ひっくり返し、自分たちの悪事を隠蔽するために、露骨に自民党べったりの政治路線を突っ走る創価学会の異常さに、今更若い人たちが創価に入るなんてことは考えられません。学会員がどんどん減っているというのは事実ですし、それは会合での顔ぶれを見れば、何の言い訳もできないほどはっきりしています。これまでのようなブロックや地区ごとの活動ができなくなり、いても年寄りばかり。特に男女青年部となると、言われるがままに従うとんでもないお人好しか、あの3人組のようなとりつかれたような目つきで自分の正義をひたすら連呼するだけの聞かん坊のような人間だけになる。池田大作が姿を現さなくなった時点から、創価崩壊が時間の問題であることは分かっていますが、もう若い男女青年部が先に創価を見限る時代になってもいいのではないかという気もします。その前哨戦として、あの3人組のような現象があるのかもしれません。長年洗脳され続けてきた年寄りならまだしも、本格的に活動して数年という男女青年部であれば、覚醒の環境やタイミングは、以前よりも格段と増えている気がします。
そういう意味では、私が最低男だった30年前よりも、ゆんちゃんさんの彼氏さんが覚醒できる環境は今の方があると思います。もちろん油断は禁物ですが、昔に比べるとということです。もう早いとこ池田のXデーが発表されて、後継者問題で最高幹部が分裂し、組織自体がガタガタになれば、社会的にも創価をかばう必要のある利害関係も消滅して、創価が最初から詐欺団体でしかなかったことが、社会的にもはっきり暴露される日が来ると思います。組織の崩壊が先か、学会員の覚醒が先か。今はもうそんな時期なんじゃないでしょうか。

●担々麺 (2017年1月16日 04:35 )
ゆんちゃんさん
はじめまして!つい先日覚醒しました、担々麺と申します!
学会2世の30代後半女性です。本当に最近までバリバリの活動家でした。
自分でもびっくりするほどの覚醒ぶりですが、それが事実です。
ゆんちゃんさんの彼氏さんの言葉、つい2ヶ月も経たない前に、私の彼氏(非学会員で学会嫌い)に言った言葉と同じすぎて、私の言葉を書いてあるのかと2度見3度見するほどでしたww
『ネットの情報は嘘ばっかりやから自分で見て、やっていいか悪いか判断してほしい。ネットを信じるか俺を信じるか…わからんことがあるんやったらネットぢゃなくて俺に聞いてくれたら答えるし、答えれやんことやったら一緒に会館とかに行って一緒に学ぶから』
もう、本当に「俺」→「私」と置き換えたくらいの違いで、画一的で金太郎飴的な言葉を、創価脳に洗脳されていると言ってしまうものだと感心してしまうくらいです。
創価脳に洗脳されていた私は、ネット上の創価批判を、嘘か本当かを自分の目で吟味して見極めることはおろか、ネットを見ることさえもしていなかったんですよ。それでも、「ネットにある創価学会の批判は嘘」と決めつけて、さらに自信を持って言っていた。覚醒した今となっては恥ずかしい限りですが、それが洗脳ですから彼氏さんを悪く思わないで下さいね。
では、そんな私がなぜネットで創価の批判を見るようになり、ここにたどり着いて覚醒に至ったかというと、現在結婚を考えている彼氏のおかげです。結婚しましょうという話になって初めて私が創価学会員であることを知り(私と彼の出会いはちょっと特殊で興味深い(?)のでそのうち話すかもしれませんがここはスルーでv)、元々学会嫌いだった彼氏はショックを受けました。別れも考えたようですが、ここは困難でも結婚に向かって進んでいきたいと決心したようです(覚醒後にその話を聞いて涙しました)。そしてまずは、ネットでの創価の批判を私に次々とぶつけてきました。そのことに対しての私の返事が、ゆんちゃんさんの彼氏さんと全く同じ「ネットの情報は嘘ばかり」だったのです。
そこで、彼氏はちょっとやり方を変えました。私に、自分で見て気付いてほしいと。
本当に、数日前の夜ですが、いつものように電話で話していると(今は車で1時間半くらいの所にそれぞれ一人暮らししてます)、突然彼氏が、
「いやあ、学会って、本当にすごいねえw」と言い出しました。
私は、「学会のことを褒めてくれてる!!!」と単純に喜んで「なにが?」と返すと、「いやあ、おじいさんとおばあさんの薬の話が分かりやすくて良かったんだ」と。おじいさんとおばあさんの薬の話ってどの話だろう??とか思いながら(創価側の何か逸話かと思ってたw)、彼氏に詳しく聞いてみると、このサイトを教えられました。
おじいさんとおばあさんの話というのは、「創価脳の家族にほんとうに言いたい事」のスレッドに再掲されているsignifieさんのお話です。読んでる途中で彼氏が、「だからね、学会は宗教団体じゃなくて詐欺団体なんだよ」と言ったので、この時点では創価脳の私は「ただの学会批判じゃないか!」と反論して、いろいろそれから言い合って日付が変わる頃になってやっと電話を切って寝たのですが・・・(その前に、いくら創価脳とはいえ、大切なお話を”ただの学会批判”と発言したことをsignifieさん、お詫びいたします・・・)
で、次の日に早く目が覚めてしまい、なぜか前日見たこのサイトを見てみようという気になって、目を向けていくと・・・!!!!!!!
これは、学会にいたからこそ苦悩した人々の、本当の声ではないか!!!
それも、こんなにたくさん!!!!!
そして、私が決定的に衝撃を受けた箇所がありましたので、スクリーンショットまで取りました。その箇所が「いまどきの学会員」スレッドにある2017年1月11日16:35のキリコさんのコメントの後半にある箇所です。
『そして私にとって決定的だったのは、2014年11月の教義会則の変更でした。本尊の定義をひっくり返してしまった。若い人は知らんかもしれんけど、昔学会には『折伏教典』というマニュアル本があって、そこに書かれてあることと真逆な見解になってる。』
最近、教義や勤行要典の内容がコロコロ変わるというのを、創価脳でありながらも疑問に思っていた私でした。私の持っていた疑問は、間違いではなかった!!!
そう思った瞬間に、一気に覚醒しました!
一度覚醒すると、自分がこれまでいかに創価に対して疑問をたくさん持っていたかを思い出して自覚でき、さらに、生まれてこのかた、30年以上も洗脳され、だまされていたという怒りと悔しさとがあふれ出て、涙も止まらないほどでした。
というわけで、私の急転180度回転の、覚醒に至った経緯です。
あまりにも急激かつ大きな変化すぎて、彼氏の方が面食らってしまいました(笑)。以前の学会脳時代のイメージが強すぎるのか「本当は覚醒したように装ってるだけじゃ?」とか疑問に思ったようなので、私は、高校時代に物理の先生から聞いた、こんなたとえ話をしました。
「何か意見が正反対の人がいたとする。だからといって敵視してはいけない。強い味方になるチャンスがある。なぜなら、反対側にある振り子は、きっかけさえあれば一気に大きく振れて、自分の味方側にやってきてくれる。」
つまり、私は、最初にいた「創価脳側」での振り子位置エネルギーが高かった(バリバリ活動家だった)ために、私を創価脳側で止めていた洗脳ストッパーがこのサイトを読むことによって外れると、一気に「正常側」にやってくることができたのです。
ゆんちゃんさんの彼氏さんは、たぶん私よりも位置エネルギーが高いみたいなので、きっかけさえ彼氏さん自身でつかめれば、私よりももっと一気に覚醒するのではないかと思います。
ぜひ、今回のこの、私の覚醒の話を、参考にしていただければと思います。
ちなみに、理科を大学時代に専攻していた私の彼氏には、”物理的に”説明したことで急激な覚醒が本当だったと納得してくれました(笑)。
あ、それと、私の振り子は、もう反対側の創価脳側には戻りませんよw
振り子の玉は、正常側にて回収ですv

 

 


解説
外部のゆんちゃんさんからの問いかけは、大きな反響を呼びました。
まず、シニフィエさん自身の過去の経験からくる反省の言葉がありました。
私自身も外部の女性と結婚したので、創価学会員のぶつかる結婚問題には関心があります。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(13)

2022-08-27 01:37:49 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■活動家時代の本音           投稿日: 2016年12月26日

第3シーズンに入ってから、とくにテーマ設定についていろいろと考えました。それは第2シーズンとまるきり同じでは失速してしまうんじゃないかとか、このブログも6年目に入ったのだから、単にシーズンが更新するだけではなくて、内容的にも変化しなくては続かないんじゃないかとか。それで皆さんからテーマについてのアイデアをお尋ねしました。皆さんからのご意見を参考にさせていただきつつ、第3シーズンの方向性を模索してきたわけですが、その結果、おかげさまで第3シーズンのカラーが見えてきた気がします。これまでと大きな変化はありませんが、まずは創価が詐欺であることの揺るがない事実を積み重ねるというこのブログの本来の立ち位置をより強化する方向で進めていきたいと思います。そしてもっと具体的にそれぞれに創価時代を振り返って、それらのことがいかに理不尽であり、反社会的であり、人間の幸せとは程遠いものなのかを浮き彫りにできたらと思います。
で、とくにこれからの展開で気をつけたいのは、私たちも気づく前までは同じような思考で同じようなことを平気でやっていたのですから、創価とは関係のない人から見れば「目くそ鼻くそ」みたいなものかもしれないということです。でも実際に現役の学会員さんの気持ちがわかるのは、実際に学会員として活動経験のある人間だ思いますので、たまたま自分が先に創価が詐欺だとわかったからといって、まだ気づかない学会員さんをボロクソに批判したところで、何の問題解決にはならないとも思います。そうした意味も込めた上で、みなさんそれぞれが学会員だった頃の本音を積み上げていければと思います。そういう意味でも前のスレッドで話題になっている「池田の顔は気持ち悪い」というのは、言いたくても言えなかった、しかしそれが本音だった。その言いたくても言えないのが創価学会だったということです。池田の顔に限らず、活動の一つひとつが正直なところ辛くてたまらなかったけども、これも人間革命や一生成仏や世界平和のためなんだと、これが自分がこの世に生まれてきた理由なんだ、使命なんだと。一生懸命自分に言い聞かせていた。いつの間にか家族がバラバラになり、近所付き合いが希薄になり、一般常識が理解できなくなり、精神的な病に陥ってしまう学会員がどんどん増えてきたんです。
かといって「自分は気づいちゃったし、気づかないやつに何言っても一緒だということは誰よりもよくわかるから、もう創価のことなんて知りませ~ん」とならないのが創価問題の根の深いところです。創価学会がただの詐欺であれば、詐欺だと気づいて「高い授業料だった」として終われるのでしょうけど、創価の場合は創価に残っている家族がいる人にとってはいつまでも終わりはありません。また、取り返しのつかない年齢まで騙されてしまうと、もういっそのこと騙されたまま死んだほうがマシなんじゃないかという状況も出てきます。それほど創価はほんとうに恐ろしい犯罪です。
このブログにたどり着いて創価が詐欺だと気づいた方もずいぶん増えました。ただ、このブログにたどり着いたという時点で、すでに気づいていたと言っていいのではないでしょうか。あとは皆さんの体験を読んで、自分の考えや感覚は間違いではなかったということが確認できたということだと思っています。
つまりこのブログは覚醒のためのブログではなく、覚醒を確認するためのブログだと思います。例えば今の創価は間違っていると確信している例の三人組がこのブログを読んでも、もとから創価が詐欺だなんて絶対に認めないでしょう。これだけの人たちの声を全部読んだとしても、彼らにとって池田大作は永遠の師匠だと言い張るはずです。サイレントアピールや各地での座談会の開催や、告発本の出版と外国人記者クラブでの会見などの積極的な行動をしても、彼らの中での創価学会は世界平和を目指す世界一の尊い宗教団体なのです。本部職員として働く中で、どんなに理不尽なことが目の前で繰り広げられても、自分が信じた池田大作が間違っているはずはないという思考から一歩も踏み出すことはありません。彼らの外国人記者クラブでの会見をネットで見ました。彼らのブログに書いてあること以上の話はしませんでしたので退屈なものでした。ただとても面白かったのは、後半の記者からの質問と、それに対する回答がしどろもどろだったことです。外国人記者はとても簡潔に問題の本質をつく質問をしてきました。それに対して三人組はほぼ何も答えることができていませんでした。私が感じたのは、彼らは自分たちが主張することの、つまり本来の創価学会は正しいのだということの理論的な考証を行っていないということです。彼らの頭の中にあるのは自分の考えではなく、小説『人間革命』に書かれていたことがそのままの状態であるだけです。つまり「小説『人間革命』に書かれていたことと、今の創価がやっていることが違うではないか」ということを言ってるだけのことです。だから日本の社会の中での創価学会の位置付けを問われても何も答えられません。自分たち以外に現在の創価に異を唱えるものはいないのかという質問にも「いない」としか答えきれない。正確には「知らない」というのが妥当な答えでしょう。考えようとしないから知らないんです。自分たちが理想としてきた小説『人間革命』に描かれていた池田大作創価学会と、目の前の現実である創価学会がまるで違うということしか頭にないようです。ではなぜ自分たち以外に今の創価に異を唱えるものがいないのか。なぜ自分たちが理想とする創価学会と今の創価学会がまるで違ってきたのか。そのことについて考えたこともないから、ただ単に話を聞いてくれない執行部を悪者扱いにして、自分たちの正当性をデモや集会や出版という形で主張する。これでは親から叱られて自分は間違っていないと泣きじゃくる駄々っ子でしかないと思います。
例え話が長くなってしまいました(笑)
要は、学会員はたとえ創価に疑問を抱いたとしても、必ずしも覚醒までたどり着くとは限らないということですね。ここを恐る恐る読んでいる学会員の皆さん。もうすでに創価への疑問はぬぐえない状況ではありませんか?でもまだ創価が宗教だと思い込んでいるので、疑ったら罰が当たって何かしら悪いことでも起きるんじゃないかと半信半疑という方もいるでしょう。べつに無理に気づいてくださいとは言いません。ただ自分の人生について自分で考えることを放棄しているという現実には、きちんと向き合ってはいかがですか?とまでは言いたいのです。それでどうするかは自分次第です。創価の罰が怖くて、やっぱり自分では今までと同じように何も考えずに組織の言う通りの人生を送りますというのであれば、それはそれであなたの人生です。いずれにせよ、答えは自分で出す以外にないということまでをも創価に委ねてしまうのは如何なものかと思いますけど、余計なお世話かな。
ということで、今回のテーマは「活動家時代の本音」ということで、活動家の時に言いたくても言えなかったこと。たとえば「池田の顔が気持ち悪かった」でもいいです。本当は何部も聖教新聞とりたくなかった。配達したくなかった。家庭訪問したくなかった。幹部に文句の一つも言いたかったけど罰が当たると思って言えなかった。などなど、とにかく自分の本音が一切出せなかった学会活動の現実を、かたっぱしから思い出して語ってください。そしてそんな創価の現実から抜け出すことができた今現在の心境を語ってください。もしかしたらこれを読んでいる学会員さんが「ああ、それ確かにあるよなあ。自分のことだよなあ」と思ってくれるかもしれません。また、脱会した人でも「なるほど自分では気づかなかったけど、そうとう我慢したり、自分の心を自分で押し殺してきたよなあ」と今になって気づくかもしれません。
創価がじつは一切本音の言えない組織であることに気づくこと。いや、一切本音を言わせないような組織であることに気づけば、組織がなぜ会員を罰の恐怖で縛りあげてきたかの理由にも気がつくのではないでしょうか。


●楽観 (2016年12月27日 15:35 )
S大卒、元地区幹部の楽観です。
活動家時代の本音ですね~。
実際学会に対しての本音ってなかなか言えない組織でしたよね。
私もいくつか。
1、選挙
選挙の時、Fの報告をあげますが、誰か部員さんと一緒に友人のとこに行ったり、親と一緒に回ったりしてもお互い同じ人でF1とカウントする。そうするとFの報告数は上がる。だけど実際数は違うのに何の意味があるのかよくわからなかった。幹部に質問すると、数が重なればそれだけ友人に選挙に行ってもらえる確率が上がるとのこと。うざがられるだけでは?と思ってました。
選挙の時期は本当に嫌いだったので、結構エアー報告してましたけどね。(悪政党に貢献しなくてよかった~。でも、バチがあたるのではと怯えてはいましたげど。)
2、白蓮時代
白蓮に入ることが決まり、最初の懇談で言われたこと。彼氏いるの?はい、いますよ。そっかぁー、先生と呼吸合わせていくには別れたほうがいいね。。。それは白蓮に入る条件なのよ。え、嫌ですし、聞いてなかったのでだったら、白蓮やめます。エェ~あーそう、んーそうね、だったら別れていく方向で考えてみて。。。。んー嫌ですね、別れません。とはっき伝えましたが、他のメンバーの人は別れた人もいました。これによって女子部ってなかなか結婚できない人が多いんだと思います。この時に機会を逃してる。別れないといけない理由として、彼氏がいるとデートなど彼氏に時間も想いも向かってしまう。そうするとデー作に呼吸を合わせることができず、一度しかない青春時代を無駄にするとのことでした。
3、魔が来る
子供の頃からの疑問。「魔が来る」いつも魔って何?魔が来るってどうやってくるの?ってよくわからなかったです。そして「魔を魔と見破ったらもう魔ではない」。。。意味不明でした。何か悩んだ時に幹部指導を受ける際、魔が来たと思うんです、でもそれが魔だとわかったんで、もう魔ではないですよね?そうするとなぜ私はまだ悩んでいるんでしょう?と質問すると、まだ魔が来てるのよ。。。。魔はね、いろいろ方向を変えてやってくるの。。。(本気ですか?本気で言ってます?)本当にこれは意味がわかんなかったです。この魔が来るって言葉大嫌いでした。
4、幹部
しばらく地区や支部に担当の幹部が入りますよね。そしてその人に指導など受けます。すごく親身に話を聞いてくれ、指導してくれます。しかし、しばらく経って、担当が変わってその人が違う担当地区、支部に入ると途端に、他人のように、全く知らない人のように振舞わられる。もちろん最近どう?などの連絡もない。
いつも、薄情だなって思ってました。
多分、本人たちも担当外れてまで関係ない部員の面倒は見たくないってのが本音でしょうね。
5、身なり
S大時代も女子部時代もパステルカラーが嫌いで、どっちかというとシックな感じを好んでました。ある大きな公明党の会合で受付か何かした時、真っ黒のスーツで行きました。その時代は結構ギャル風(古っ)でしたので、メイクも髪型もそういった感じで。すると、幹部か誰かから、いやーそのスーツと化粧はどうのこうのって言われ、ブチ切れて、じゃ、帰りますっ。やってくれって懇願されたんでやったんですが、と一応嫌味を言って帰りました。みんなパステルカラーでおてもやんチークに嘘くさい笑顔に元々違和感があったので、型にはめようとするそういう体制にはいつも腹立てってましたし、嫌でした。
覚醒して知ったんですが、あのパステルカラーとショートヘアーとあの化粧はデー作の好みだそうです。(笑)
とりあえずこんな感じで。

●金麦 (2016年12月27日 23:35 )
最近ずっと、signifieさまのブログを見させて頂いてます。金麦と申します。入会して17年、バリ活になったり、非活になったり、結局創価学会には深入りしたく無い金麦です。折伏ゼロです。大事な人をダマしてまであんな所に連れて行きたくありません。私は、今年に入ってから創価学会に大いに疑問を増してもつようになりました。内部で色々有りました。バリ活ではございませんが、コメントさせて下さい。
1.特装御本尊授与させていただきましたが、高い仏壇を買いました。お金がうまく回る様になっていますね。
2.内部での飲み会の際、幹部の昔の不良時代の武勇伝を永遠と語るのは別にいいのですが、もうすぐ壮年部の年齢ですよ、精神年齢からして、大丈夫ですか?
3.池田先生、世界から名誉と称号を頂いてますけど、トインビー博士の娘?孫娘さん?が当時の事を暴露してしまいましたね。インターネットが魔ですか?
4.学会は病人と貧乏の集まり。そんな人が、信仰して幸せになって行くと仰せですが、創価学会以外の人でも、苦労した人は救われてますね。神様仏様は、ちゃんと見てますね、生きてればそのうちいい事が、あるのですよ。
脱会すると、周りの対応が、恐ろしい臆病な金麦ですが、私と同じ思いの方が、沢山いると思います。池田先生が貰っている名誉と称号は、寄付金で、貰えますね。signifieさま、暇な日は、ブログ見させて頂いてます。ありがとうございます。

●金麦 (2016年12月27日 23:46 )
金麦です。もう一発ごめんなさい。
トインビー博士の孫娘の日記で検索して見て下さい。
創価学会の熱心な信者は見ない方がいいです。創価シャッターが、降りなくなりますので。

●ゆんちゃん (2016年12月28日 03:49 )
こんばんわ。
ブログが再開したときに1度コメントさせていただきました彼が創価学会のゆんと申します。
脱会された方、おめでとうございます☆
今回のタイトルと主旨が違うことをわかっていてどうしても覚醒された方、脱会された方にご相談がありコメントさせていただきます。
signifieさま、もしダメでしたらコメント削除お願い致します。
現在、創価学会3世の彼と婚約破棄手前です。もちろん創価学会が大きな壁となっております。いろいろ自分の意見を言いましたが聞く耳持たず…。『ネットの情報は嘘ばっかりやから自分で見て、やっていいか悪いか判断してほしい。ネットを信じるか俺を信じるか…わからんことがあるんやったらネットぢゃなくて俺に聞いてくれたら答えるし、答えれやんことやったら一緒に会館とかに行って一緒に学ぶから』と言われています。私は彼を(創価学会のこと以外)信じています。なので私が彼にネットで見た疑問に思うことに答えてほしいって話をしました。
実際私は疑問に思うことばかりをネット上で探そうとは思っておらず100%創価悩の彼が創価学会ってもしかしたらなんか変?と1%でも0.01%でも思ってもらえるブログ記事を探しております。
創価学会ではない私がどのブログ記事、どのコメントを読んでも説得力があり納得できるのですが創価悩となれば創価シャッターが…
この”対話を求めて”を読まれてる方は創価学会って変?と思われた学会員の方が完全に覚醒できるきっかけとされるものだということはわかっているのですが、この”対話を求めて”で覚醒された方はどのブログタイトルの記事やコメントがきっかけだったか教えていただきたいです。
文章が変でしたらすみません。

 


解説
私自身は学生部の時に折伏のやり方に疑問を持ってからずっと非活でした。
なので、活動家だった方の本音を知ることができた、いい機会だったと思います。

獅子風蓮