石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
■第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第4章 東洋経済新報
(つづきです)
明治42年(1909)になると早々に、湛山は「二面」といって新聞の二面に載る政治・学芸担当に異動となった。当面、文部省の取材を命じられた。
「文部省だって……。異動希望は出しておいたが、まさか正月からとはな。それも文部省とは何も分からないのに、さて……」
湛山は取材するにも、何をどう取材したらいいのか、誰に何を聞いたらいいのか、全く見当がつかなかった。廊下をうろうろしていると、後ろから咎める声がした。
「一体どなたですか。何の用事でここにおるのですか?」
振り向くと、見たことのある顔がそこに立っていた。思い出そうとしていると、
「私は視学官の幣原です。あなたは?」
名前を言われた瞬間に、湛山の脳裏に甲府中学校時代の校長室が思い出された。
「幣原、幣原坦先生じゃあ……」
「あなたは?」
「石橋湛山、いや、あの頃は……石橋省三です。甲府中学でお世話になりました。ええと、剣道部でも、それから」
「石橋君? いや、思い出したぞ。4年生を2度やった……」
「はい、落第した石橋です」
「懐かしいねえ。で、ここで何を?」
「あれから早稲田を出まして、今は東京毎日新聞の記者をやっています。ですが」
「どうかしたかね?」
「はい。この正月から文部省の担当になったんですが、西も東も分からなくて」
「何を取材するのかも、だろう?」
「そのとおりです」
「視学官室に来たまえ。いろいろ教えてあげよう。ここでも落第じゃあ困るからな」
二人は顔を見合わせて笑った。湛山は、また昔の人間関係に助けられることになった。
「石橋君、知っているかね?」
幣原は湛山に特ダネをくれた。
「2月に始まった高等商業の騒動を」
すでに春になっていた。思い出したように寒い風の吹く日もあるが、毎日通勤する文部省への道すがら、目につく蒲公英が着実に花をつけて大きくなっている。
「かねてから商業大学への期待を寄せ、そのために専攻部まで設置していた一ツ橋の高等商業だが、どうやら大学昇格が駄目になりそうなんだ」
「文部省の方針でしょう?」
「そうだ。それに校長の松崎蔵之助さんまでが同調してしまったので、教授たちも学生たちも怒ってしまってね」
教授陣は総辞職、学生は総退学を決意した。その間に、校舎には小火が発生するし、小松原英太郎文部大臣には短刀が郵送されてきたりした。
「嫌がらせだな。このままじゃあ、もっと騒ぎは大きくなるような気がする。文部省は今のところ、打つ手なしの状態なんだよ」
幣原の説明のとおりであった。湛山は、取材しながら疑問を持った。
「おい、榎本君、記者といえども指をくわえて騒動を黙って見ている手はないよな」
「東京日日新聞」の文部省担当の榎本という記者に湛山は話を持ちかけた。
「何とか騒動の収拾のために尽力しようではないか」
榎本も即座に了承した。二人は、策を練った。
「大物に動いてもらうのがいいだろう」
「こんな騒ぎに手を出す大物がいるだろうか」
「東京商工会議所の会頭はどうかな?」
「中野武営かい?」
「会議所なら高等商業の卒業生だって多いはずだもの」
二人は中野武営を訪れて、現状と今後の行く方を語った。
「中野会頭が起ってくれなければ、本当に高等商業は潰れてしまいますよ。文部省はかなり強引にやる腹ですよ」
財界の長老でもある中野は、二人の若い記者の説得に耳を傾けた。
「本来、取材して事が大きくなれば書き立てて面白がるのが新聞記者かと思っていたが、君たちは少しそれとは違うようだ。心底、この問題の行く末を心配していてくれるのがよく分かった。君たちのような部外者でさえこんなに心配して、収拾に動いてくれているのに、我々が腕をこまねいているわけにもいかんだろう」
数日後、中野は財界の最長老ともいうべき渋沢栄一を口説いて、共に関係者の調停に乗り出した。
「大学昇格の件は、我々二人が前向きに努力するから任せてほしい」
中野、渋沢二人の説得は功を奏した。「高商騒動」は、こうして収まったのである。
「それにしても、あの石橋という男、見事な感覚の持ち主だ。新聞記者なんかやらせておいてはもったいない。あれ以来、私は『東京毎日』の読者になったよ」
中野は、東京毎日の主筆・田中穂積にそんなふうに語って、湛山を褒めた。
新聞記者時代の湛山は、自分でかなり主体的に行動することで、受け身ではなく、それだけ満足感のある取材活動ができた。しかし、順風満帆とはいかなかった。
この年の春、「高商騒動」と時を同じくして、東京毎日新聞社の内部にも分裂騒動が起きていたのだった。外回りの記者にすぎない湛山が、そういう社の内紛を知らなかっただけのことであった
それは、抱月が危惧したように、政治問題がこじれて二派に分裂しての内紛であった。
そんな折りに徴兵検査の通知が届き、湛山は甲種合格となった。
うっとうしい梅雨が終わって、太陽ばかりの夏になった。だが、晴れ上がった青空とは対照的に、東京毎日の社内はすさんだ空気で澱んでいた。解決に向かうどころか両派の対立は溝を深める一方であった。
8月になっていた。吹き出す汗を拭いながら、良識派を自認していた先輩記者が、湛山に向かって驚くべきことを告げた。
「石橋君、本当にどうしようもない連中だ。派閥に関係ない記者たちが社の幹部を弾劾したんだが、その結果、田中主筆は社を辞めるそうだ」
「えっ?」
湛山には寝耳に水の話だった。
「ほかに編集局長の関和知さんや小山東助さんなど、田中主筆をこれまで助けてきた幹部たちはみんな辞めることになった」
「弱ったなあ」
「君が弱ることはないだろう。君はまだ入りたての新米記者じゃあないか。社内紛争とか、辞めるとかには関係ないじゃあないか」
湛山には、田中穂積に入社させてもらった、という意識があった。その田中が辞めるというのなら自分だって。おこがましいとは承知しながらそんなことを漠然と考えていた。
退社を申し出る湛山に、田中の側近でもあった小山が慰留した。
「会社にとって君なんぞは必要な人材だと思う。ぜひこのまま会社にとどまりたまえ。そのほうが君のためにもいい。辞めることはないよ」
「しかし、小山さん。私は先月、徴兵検査に合格しまして、この年末には入営することになっているんです。それに……。田中先生に使われてきたという思いが強いものですから、この先、今度は誰に使われるのか分からないのも不安なんですよ」
こうして湛山は、田中穂積はじめ28人の退職者の仲間に入った。田中は、湛山まで巻き添えにしてしまったことを、退社するその日まで悔やんでいた。同時に、そこまで自分に殉じてくれる若者に前以上の好意を感じていた。
「石橋君、辞めるんだって? 惜しいなあ。君ね、文部大臣になりたかったら新聞社にいなければ駄目なんだよ。君はその一番手にいるじゃあないか。文部省担当だもの」
湛山が机の整理をしていると、報知新聞社から出向してきていた営業部の主任が話しかけてきた。当時の新聞記者が、その仕事を踏み台にして政界に乗り出そうという野心を抱いていたことは、それ以後も新聞記者出身の政治家が数多く存在することを考えれば、主任の言うことも分かったが、湛山にはそんな野心はなかった。
「東京商工会議所の中野会頭も、君のことを大した男だって褒めていましたよ。もったいない。君には運も実力もあるのに」
(つづく)
【解説】
湛山が東洋経済新報で働くまでには、まだまだ紆余曲折がありそうです。
獅子風蓮