獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その13

2024-01-31 01:47:21 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口

2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
□恋愛、友人関係編
□進学、就職、転職編
□信仰活動編
■信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

信仰活動離脱後編
(つづきです)

Q:過去の自分を思いだしては、自分がゆるせなくなります。 

A:ぼくは、利他を実践することで過去を恨む気もちを整理しました。 


宗教2世のなかには、取り返しのつかない過去を背負わされたと感じている人もいると思います。それは、おそらく事実でもあるのでしょう。
そのような苦悩を抱えている人に、「取り返しのつかない過去なんてない」といっても、気休めにもなりません。

苦境に陥ったとき、みなさんは自分の過去を呪ったりしませんか? 
ぼくは、職場で大失敗に直面したときに、過去を呪いました。
創価学会本部に就職せず、はじめからふつうに仕事をしていたら、こんな苦労を負うことはなかったのではないか。なぜ本部職員になってしまったのか。なぜまわりの説得を振りきって、NASDAに行かなかったのか――。
この思考は、そこから、ときをさかのぼって、
「なぜ創価大学に進学してしまったのか」
「なぜ創価学園を受験してしまったのか」
「なぜ創価学会の家に生まれてしまったのか」
というところにまで至ります。
過去は、後悔ばかり。
恨みたい衝動があるのなら、無理にそれにあらがう必要はありません。そのうえで、ぼくは、恨みを手放しました。
この「恨みからの解放」の具体的な方法については、第1章でふれています。「復讐目標の再設定」という話です(44ページ参照)。
この方法は、たしかに過去の自分と和解するのに有効でしょう。

ですが、ぼくはそれだけでは足りず、苦境のたびに過去を呪うということがつづきました。そこでまず、恨みという感情そのものを見つめることにしました。
恨みは、人の心を、体を、こわばらせます。固くします。その固さは、ときに精神をもろくします。ゴム製の板であれば割れないものが、固い板になるとたたけば割れてしまうように、です。ぼくの場合はそうでした。
心は「固い」より「しなやか」なほうが強い。
ぼくには、そんなしなやかな精神が必要でした。


「利他」の行いでしなやかな心を育て、呪いを解く

そんなしなやかさを自分にもたらしてくれる営みがあります。
なんだと思いますか?
「人のために行動すること」です。大げさにいえば「利他の行い」ということになるでしょうか。他人を利する、他者を幸福にする実践です。
利他といっても、大それたことをする必要はありません。
たとえば、日常生活ではあまりいうことがないような「あなたを大事に思っている」という言葉を、大事な人に投げかけるだけでもいい。愛していると伝えることでもいい。手紙をしたためて、相手を笑顔にするのでもいい。
それにくわえて、社会で「弱くさせられている人」が塞ぎこんでいたら、ともに手を取り合って、ともに顔をあげるような行動を起こすようにしました。
「弱くさせられている人」とは、いわゆる社会的弱者のことですが、ぼくはそういう人たちを「弱い人」とはよばず、「弱くさせられている人」と表現しています。社会構造が、彼・彼女らを弱者に追いこんでいる部分があるからです。
ここでイマジネーションを喚起するために、精神科医・神谷美恵子の『生きがいについて』(みすず書房)から言葉を引用してみましょう。
あなたのそばにも、こういう人がいるはずです。

「平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。」

耳を澄ましてください。
目をこらしてください。
あなたの助けを必要としている人は、じつは身近にいます。
ぼくは、微力ながらそういった取り組みに心血をそそいできました。
たとえば精神疾患を抱えている人、体に障害のある人、極貧の家庭、老々介護で立ち行かなくなっている家庭、ドラッグ中毒者など。そんな、弱くさせられている人とともに行動し、一緒に立ち上がろうとしてきました。
当然、見返りはもとめません。これは第2章で論じた「ギブ・アンド・テイク」の「ギブ」にあたる行為といえるでしょうか。
利他に専念していくと、心がやわらかくなり、教団への恨みが薄れます。
少なくとも、ぼくの場合は、そうでした。


「わたしの人生、なんだったんだ」と思ったら

こういった取り組みは、人と人の間に「つながり」を生み出します。
そこでつながった人には、不思議と弱音も吐けます。
以前、創価学会本部から転職をしようと考え、試行錯誤していたときに、ぼくが「メンタル相談室」を開いていた、という話を紹介しました。
あるとき、そこに来てくれていた相談者に、ぼくのほうが弱音を吐き、気がつけば、相談に乗る側だったはずなのに、相手に相談に乗ってもらっていた、ということもありました。
じつは、あれがまさに、ぼくにとって「弱音を吐ける場」だったのです。
弱くさせられている人と行動をともにしていると、弱さをさらけだせる関係が生まれます。その信頼関係があると、安心が湧き、心がおだやかになる。呪いや恨みを忘れられるのです。
支える人/支えられる人、救う人/救われる人、迷惑をかける人/迷惑をかけられる人、といった二項対立を超えて、「お互いさまだよね」の精神でつながれる関係は、強い。

もしもあなたが苦衷を抱きしめて涙をからしてきた宗教2世であるなら、あなたは弱くさせられている人たちと視線を合わせ、寄り添えるだけの心の奥行きをたずさえているはずです。
宗教2世として、あなた自身が「(自分は)弱くさせられてきた」と感じているのなら、その経験を、ほかの弱くさせられている人に目をむけることに活かしてみるのもいいかもしれません。
他者を利するという利他の思想は、ある意味でどの宗教であっても共有できる普遍的な考えだとぼくは思っています。
仮にそれが建前であったり、美辞麗句として教団内で言葉が躍っているだけであったとしても、利他に反対する宗教団体は、そうそうないでしょう。

ぼくは創価学会のなかで、利他の精神を追求しました。
そしていま、べつのかたちで利他を追求しています。
それを自覚したときに、ぼくは気づきました。
「あ、俺は『利他』という一点で過去の自分とつながっている。連続している」
そう考えたときに、ぼくは、かならずしも過去を否定する必要はないのではないかと思いました。
過去の利他にまったく価値がなかったかといえば、そうではない。
至らないところは多々あったけれど、ぼくはぼくなりに利他を実践してきた。
過去のその経験といまの実践は、通底している。
それなら、過去の経験はむしろいまに活かすべきだ、と。

過去を恨みつづけてきたところから、「いまに通じる価値」をその過去に見いだせた瞬間、ぼくは過去の自分をゆるすことができるようになりました。
それまで、心のどこかで、やっぱり「ぼくの人生、なんだったんだ」と思っていました。その気持ちと、ようやく折り合いをつけることができたのです。

(中略)

まとめ

教団や親などから教わってきたことが、信仰活動から離脱したあとでも、あなたに影響を与えつづける――。
その影響から抜けだすことは、ときに容易ではありません。
ぼく自身、少なからぬ宗教2世が抱く気持ちとおなじように、「俺の人生、なんだったんだろう」と、自分の過去を呪ったこともあります。
この呪いの感情から解き放たれるには、時間が必要です。
また、信仰実践を手放した「いまの自分」をあと押しする知的な理屈をつくり、否定したいと思っている「みずからの過去」にあえて意味を見いだしていくということが、それに役立つケースもあります。ぼくの場合は、そうでした。
カギの一つは、信仰をしているときも、信仰から離れたあとも、知的に考えることをやめないということです。ぜひ実践してみてください。

 


解説
ぼくは創価学会のなかで、利他の精神を追求しました。
そしていま、べつのかたちで利他を追求しています。
それを自覚したときに、ぼくは気づきました。
「あ、俺は『利他』という一点で過去の自分とつながっている。連続している」
そう考えたときに、ぼくは、かならずしも過去を否定する必要はないのではないかと思いました。

ここを読むと、正木伸城さんはあえて信仰を棄てる必要はなかったように思いますね。
創価学会組織から離れても、私のように日蓮仏法の信仰を保つことはできるわけですし。
別に、日蓮正宗にいかなくても、創価学会の非活のままでも信仰を保つことはできたのでは。


獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その12

2024-01-30 01:29:19 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 

2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
□恋愛、友人関係編
□進学、就職、転職編
□信仰活動編
■信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

信仰活動離脱後編


Q:宗教から離れたあとも、教義が心身に染みついて離れません。

A:理論武装しつつ、時間をかけて離脱していこう。


宗教2世のなかには、親から教えこまれた教団の教義や文化、習慣を、教団を離れたあとも忘れられず、影響を受けつづける人がいます。
たとえば性愛禁止の教えのなかで育てられると、信仰を手放したあとも恋愛に恐怖心を抱き、そこから抜けだせないケースがあります。それが、人生設計に大きな影を落としたりするのです。
ぼくにも、創価学会員として身につけた習慣からは、なかなか離脱できないということがありました。

この悩みにたいして、ぼくがどう応じたのか。一例をしめしましょう。
2017年2月に創価学会本部を退職し、信仰活動から離れて以降、ぼくは比較的おだやかな日々を過ごしていました。
それまで毎日毎日、昼夜にわたって学会活動のために動いていた時間を、自分のため、そして家族のための時間にあてられたので、気持ちに余裕をもって過ごすことができました。
もちろん、多少の欠落感はあります。
学会活動をしないことで、まるで自分が不純な人間になったようにも感じました。これは、第1章でふれた勤行をしないだけで歯磨きでも怠ったかのように気分が悪くなった、という話に通じます。
でも、「もう、やらない」と決めたぼくは、徐々に「やらない」生活になじんでいきました。


それでも、公明党以外の候補者に投票できなかった

ところが、同年10月に行われた衆議院議員選挙でのこと。
ぼくは人生ではじめて、公明党以外の候補者に投票をしようと決めました。さまざまな政策や各候補者の人柄、実績を考慮してのことです。
それまでぼくは、ずっと、公明党だけを支援してきました。その流れにここであらがおうというのです。
いつもどおり投票所にむかって、いざ投票用紙に名前を書こうとした、まさにそのときです。
ぼくの手がふるえだしました。それも、小さな振動ではなく、ガタガタとふるえだすのです。とてもではないですが、文字を書けるレベルではありません。
ぼくは、ふるえが止まるのを待ちました。
しかし、ふるえは、おさまりません。
冷や汗もダラダラです。
結局ぼくは、だれの名前も書くことができませんでした。このとき、公明党支援のマインドが、自分の体に深く染みついていることを痛感しました。
ぼくが、ほかの政党の候補者に投票できるようになるには、そのつぎの国政選挙を待たねばなりませんでした。


信仰から離れるには、時間も理論武装も必要になる

これも「宗教2世あるある」として聞かれる話ですが、熱心に信仰してきた教団の教えや、そこで身についた習慣を、信仰活動を離れても忘れられずに、影響を受けつづけるということがあります。
2022年に出た『宗教2世』(太田出版)の言葉を借りるなら、それは「宗教の残響」とよべるでしょうか。その残響は、容易に抜きがたいものでした。

残響から距離をとれるようになるには、やはり「時間」が必要です。長い時間をかければ、少しずつ残響は解けていきます。
そのうえで、
①自分が受けている残響に気づいたときに「あ、これが『宗教の残響』ってやつか」と客観視する、
②残響にたいする違和感に理論武装で応じる、
の2つを押さえておくと、残響からの解放が早まるかもしれません。

②について、具体例をしめします。ぼくの公明党支援にかんする残響からの“脱出”についてです。
ぼくは、こう考えるようにしました。
そもそも、一人の政治家や一つの政党がかかげている政策すべてに賛成できることなんてあり得ない。どんなに自分と考えかたが似ている政治家や政党があったとしても、「この政策には賛成だけど、この政策には賛同できない」「おおかた賛成できる候補者の話でも、この主張には反対だ」という部分はかならずある。
つまり、政党や政治家を丁寧に比較考量しながら毎回の選挙に臨むなら、「支援する対象がいつも公明党や公明党の候補者になる」なんてことは、まずあり得ない。そんな態度は「結論ありき」でナンセンスである――。
理論武装といっても、これくらいでもかまいません。
(中略)

 

Q:社会に出て、大失敗。猛烈に落ち込んだときはどうすればいい?

A:苦しいときは希望を捨てずに耐えて。 自分を信じていれば大丈夫。 


先ほどものべたように、創価学会本部をやめてからのぼくの生活は、しばらくは平穏でした。
唯一、大変だったのは仕事です。
宗教法人の世界ではなく、いわゆる一般的な企業でビジネスパーソンとして働くようになったのは――あらためていいますが――36歳になる年です。
36歳からの社会人デビューは、苦労の絶えないものでした。
一般企業は、当然ながら、営利を目的に経営されます。創価学会にも、聖教新聞社といった収益をあげる部門はありますが、営利を前面には出していません。つまりぼくには、営利をもとめ、稼ぐというマインドで働く経験が決定的に欠けていたのです。
その影響でしょうか。仕事ではたくさんの失敗をやらかしました。
あまりに失敗し過ぎて、周囲から「この使えないオジサンは、なぜわが社に採用されたんだろう」と思われていた時期もあります。
なにしろ、利益を意識しながら働くことがうまくできないのですから、ビジネスにかんするぼくの“エンジン”はポンコツです。

しかも、入社半年ほどたったころに、大事故を起こしてしまいました。忘れもしません。
あれは、ぼくがいたIT企業が長年の技術を活かして新開発したソフトウェアをひっさげて大勝負に出たときのことです。
ぼくは、より多くのメディアに報道してもらうために、たくさんのメディアにアプローチして、そのソフトウェアについて大々的にプレゼンを行い、デモンストレーションを見せながら、なにがどう便利で、それによってどう世のなかがよくなるのかをしめしていく役割を担いました。いわゆる広報の仕事です。
ところが、このプレゼンにコケてしまいます。
デモンストレーションも、ズッコケてしまいました。
メディアの方々になんら訴求することもできず、とぼとぼと帰社するという失態を犯してしまったのです。
結果、メディアの報道は細々としたものになりました。

これに、社長が激怒します(あたりまえです)。
社長が「最終的にお前の採用を決めたのは、俺だぞ! お前は俺の顔に泥を塗った!」と叫んだあの声は、いまも耳朶から離れません。
この話をリクルートの友だちにしたところ、「よくそれでクビにならなかったな。ふつう、そこまでやらかしたらクビだよ。社長さん、寛大だなあ」といっていました。いまからふり返ると失敗の意味がよくわかるので、ほんとうに「よくクビにされなかったな」と思います。


社長の厳しい叱咤に、自分を信じて耐え抜いた

ここからが、地獄のはじまりです。ぼくはその後、社長から厳しい叱咤を受けつづけました。
広報という立場上、社長とマンツーマンで話をする機会がけっこうあるのですが、そのたびに社長から「あの失敗はあり得ない!!」と怒られてしまう。社内でも、つねに厳しい視線にさらされる。このとき、精神的にどれくらいきつかったかというと、血尿が出るくらいです。
毎日、寝るときには朝がくるのが怖くなります。会社に行かなければならないですから。
日曜の憂鬱もたまったものではなく、月曜が永遠にこなければ、と思いました。でも、ぼくにはその会社以外に行き場がありません。ふたたび転職することは考えられない。
ぼくは、どんどん追いこまれていきました。会社に行くことを想像するだけで、動悸や緊張でおかしくなりそうなときもありました。

そんな窮地に陥って、ぼくはどうしたか。
なんの工夫もないですが、「耐える」ことにしました。
亀が甲羅のなかに入ってじっとしているような、完全ディフェンスモードです。「なんだ、そんなことか」という読者の声が聞こえてきそうですが、ぼくはひたすら耐えた。ただ、忍耐という手段をとるにしても、必要なものがあります。それは「希望」です。
ぼくは、希望をもつことだけはできた。
その希望とは、「自分を信じることはできる」というものです。もっと厳密にいえば、「『これから変わりゆく自分』を信じる」ことはできたのです。

苦しい心境のなかで、ぼくは現状と過去に思いをめぐらせます。
たしかに、いまは失敗を犯し、成果も出せず、使えないオジサンとして会社にいる。でも、いつまでもそのポジションにとどまるわけじゃない。
ぼくには「変わることができる」という可能性がある。数年後には立派なビジネスパーソンになっているかもしれない。
現状は「できない」けれど、それは「『いまは』できない」に過ぎない。「『いつかは』できる」ようになるかもしれない。
しかもぼくは、創価学会本部をやめた。それは、一世一代の人生を懸けた決断。まるで清水の舞台から飛び下りるように、その決断を下すことができたのだ。そして、ぼくの人生は変わった。
だから、これからも変わることができる。大丈夫――。


人は“遅れて”変わっていく

ぼくには、自分への信頼を支える、ある実感があります。
B「人が変わるまでには時間差があり、人は“遅れて”変わる」という実感です。B
たとえば、ある「知」を習得したいと思ったとします。
その「知」が、いわゆるハウツーものではなく、思想や考えかた、言葉づかいからにじみ出る知恵などの場合、それを使えるようになるまでには、時間がかかります(ハウツー的な「知」のように、すぐに実践して結果につなげられるようにはなりません)。自分のなかにその「知」が着床し、熟成し、心身になじむまでに、時間を要するわけです。
でも、それは確実に、着実に、自分に変化をもたらします。ぼくは読書を通じて多くの「知」を心身になじませるなかで、そんな経験をたくさんしてきました。
“時間差の実り”を数多く体感してきたのです。
それゆえに、変化が遅れてやってくると信じることができた。ビジネスにおける自身の将来的な変化を信じることができました。

その2年後です。
ぼくは、社長にこういわれるまでに、信頼を勝ちとることができました。
「正木くんは、わが社の最大の武器だよ!」
この一言を聞いたとき、ぼくは涙しました。
希望を捨てなくて、ほんとうによかった。
読者のなかには、いままさに絶望の淵に沈んでいる人もいると思います。「こんなわたしなんて……」と自己否定をかさねている人もいるでしょう。でも、「いまのわたし」のまま死ぬまで変わらない、なんてことはありません。

あなたは、変われます。
状況も、環境も変化します。
ただ、それらは“遅れて”やってくるだけ。

どうか、希望をもって、待ってみてください。耐えてみてください。
わずかににぎりしめたその希望が、芽吹くかもしれないのです。
「巌窟王」とよばれた忍従の人物、エドモン・ダンテスを描いた『モンテ・クリスト伯』(岩波書店)の名句が胸に響いてきます。

「待て、しかして希望せよ!」

 

Q:心が折れそうになったとき、信仰なしで切り抜けられるか不安です。

A:“メタ次元の自分”を通して自分を見れば、気もちがラクになります。 


人には、たたみかけるようにして悲劇がかさなり、打ちのめされるときがあります。ぼくにとって、2021年がまさにそれでした。
そういったときに信仰する神をもつ人は“頼る神”があるため、けっこう強く生きていけたりします。
では、それを手放したぼくはどうしたでしょうか。
その一端を本節で紹介します。

じつはその年のはじめには、ぼくの名前の冠ラジオ番組がはじまる予定でした。
ところが、急遽スポンサーが降板。その炎上が各所に飛び火し、多くの人に迷惑をかけ、心身が削られてしまいます。
プライベートでも、家族をめぐる悲しい一大事や、親友の自死がありました。
それらがあまりにも強いストレスとなったため、ぼくは帯状疱疹を発症。そこにメニエール病(めまいや耳鳴りなどを伴う発作が起こる耳の病気)もかさなります。
しかも、とどめのように財布まで紛失。いつも愛用している図書館で、です。
その帰り道、あまりにも悲し過ぎたためか、ぼくは雨のなか、傘をさすことも忘れて泣きながら歩きました。
このときは、ひさびさに「死ぬかも」と思いました。
ぼくは、うつ病時代に2回、自殺未遂をしています。そのときの体験が頭をよぎりました。

ところが、です。
そんななかでも、ぼくはどこかで、落ち着きを維持していました。
なぜかというと、自分を俯瞰する「もう一人の自分」のつぶやきがあったからです。
イメージ的にいうと、ぼくの頭上2メートルくらいのところに、もう一人の自分がいるのです。その自分を仮に“メタ次元の俺”とよぶなら、その“俺”がこういうわけです。

「俺の人生、マジでネタづくりだな」
「まあ、でも、これで死ぬわけじゃないし」

長い時間をかけて、ぼくのなかにこの“メタ次元の俺”が育っていました。いわば、「自分を客観視する自分」ですが、それは、無数の内省をくり返し、自分のなかに豊かな相談相手としての、もう一人の自分を育ててきたから生まれた“俺”なのかもしれません。
おまじないのようですが、ぼくはこのつぶやきに助けられました。このフレーズは、もしかすると、みなさんにも効くかもしれません。
つらいことには塞ぎこみ、苦難には恐れを抱き、病めば心が沈み、人と別れて悲しむ。
失敗もある。泣きたい夜もある。
でも、心のどこかで、足元がしっかりしているなという手応えを、ぼくは感じている。
そんな実感が、自信につながりました。
「確実に強くなっているな、俺」って。

(つづく)


解説
そんな窮地に陥って、ぼくはどうしたか。
なんの工夫もないですが、「耐える」ことにしました。

信仰者なら、「真剣にご本尊に題目を唱えました」となるところですね。
正木伸城さんは本を沢山読んで教養があるから、苦境に耐えて乗り越えることができたかもしれませんが、そんなに強い人ばかりではありません。
私など、毎日の仕事上の出来事に際して、心の中で題目をよく唱えることがあります。
__この子の採血がうまくいきますように。ナムナム
__このレセプトの返戻作業がうまくいきますように。ナムナム
__このトラブルがうまく乗り越えられますように。ナムナム
もちろん他力本願ではありません。
題目を唱えることで、不安な心が消え、問題と立ち向かうことができるのです。

正木さんほど心が強くない人は、信仰に支えられるというのも悪くないと思います。


獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その11

2024-01-29 01:51:58 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 

2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
□恋愛、友人関係編
□進学、就職、転職編
■信仰活動編
□信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

信仰活動編
(つづきです)


Q:教団の組織運営に、疑問をもつことが増えてきました。

A:信仰活動で、「知的に考える」ことをやめないでください。


これは創価学会という組織にかぎらずですが、たとえば「過度な成果主義」といった組織の課題を見つけた人が、「そういうものだから」「これまでもそうだったから」といってそれらを見過ごしていくうちに、もともと課題にたいして抱いていたはずの「イヤな気持ち」に不感症になっていく、ということがあります。あたかも、成果主義への違和感を忘れたかのように、です。
そして、ほかの人が感じている「イヤな気持ち」を察知することもできなくなっていく。
こういう人が増えると、課題解決は遠のくばかりです。

(中略)

 

Q:「アンチの声には耳を傾けるな」と教団から、いわれました。

A:アンチの声を、自分のなかでうまく活かす方法もありますよ。 


新宗教のなかには、「教団外の人はサタンだ。話を聞いてはいけない」といったことを教えているところもあります。とくに、「アンチの声には耳を塞ぎなさい」というのです。
しかし、それでもアンチに出会ってしまうことがあります。そんなとき、どうすればいいか、ぼくの一例をしめしましょう。
ぼくが学会活動にハマりはじめたころ、インターネットの世界では創価学会にかんする「2ちゃんねる」(当時)などの掲示板やスレッドが立ち上がりはじめていました。ブログでも創価学会の批判をする人が出てきていました。
そういった情報にふれたとき、最初はイヤな気持ちになったことをよく覚えています。学会のことを悪くいわれると、喉の奥がキュッと締めつけられるようになるのです。
ですが、途中でぼくは「2ちゃんねる」などのネットのアンチ情報に価値を見いだすようになります。
よく読んでみると、書きこみのなかには建設的な意見も散見されたからです。一見して暴論のように読める批判のなかにも、耳を傾けるべき組織改善のヒントがあることもありました。
ぼくはそこに気づいてから、積極的に「2ちゃんねる」や批判ブログなどを見るようにしました。
そこで得た考えによって、「違和感リスト」を補強したことも、一度や二度ではありません。


ネットの意見を利用すれば、独りよがりにならない

ビジネスの世界でも、Amazonレビューの低評価のコメントから、商品の改善点を抽出することがありますよね。それに似た作業として、ぼくはネットの閲覧をしていたのです。
また、ネット上でさまざまな批判者に出会うことで、たとえば組織的に「よかれ」と思ってなされたことについて、「そういう(ネガティブな)受け止めかたもあるのか」と、新たな視点を教わることもありました。
わたしたちは、生活のなかで「あなたのため」と思ってさまざまな行為におよびます。
しかし、それがほんとうに「その人のため」になっているかというと、実際にはそうではなかったということも少なくありません。
自分の「よかれ」が、相手にとってはそうとはかぎらない。そういったケースが、学会活動においてもたくさんあります。
そのことを思い知ることで、ぼくは自身の考えかたや意見が、独りよがりにならないための知恵を身につけていきました。

ネットにある情報はもちろん玉石混淆ですけれど、ぼくはネット上の創価学会批判を定点観測し、視野を広げました。
ただし――この取り組みは、精神的に耐えられない人もいると思うので、無理はしないでください。
やはり、所属教団やもといた教団の悪口を見るのは、人によってはつらいものですから。

(中略)

 

まとめ

ぼくには信仰に熱心だった時期があります。そのとき、創価学会のなかで、さまざまな不条理に直面しました。教団の方針をただ無条件に受けいれて、いわれるままに行動するのはもったいない。
本章では、信仰活動をやると判断した場合、そこからどんな学びを得るのかに焦点をあてて、そのメソッドをしめしました。
強調したいのは、元来、コミュニケーションにあふれているはずの宗教実践の場で、相手の心のひだにふれるような対話の仕方を学習することの重要性と、教えを信じつつも知的な活動はやめないことの大切さです。
これらは、仮にあなたが信仰から離れ、教団を退会したあとでも、とても役に立ちます。
本章の内容を心にとどめて、(無理のない範囲で)信仰とむき合ってみてください。

 

 


解説
よく読んでみると、書きこみのなかには建設的な意見も散見されたからです。一見して暴論のように読める批判のなかにも、耳を傾けるべき組織改善のヒントがあることもありました。
ぼくはそこに気づいてから、積極的に「2ちゃんねる」や批判ブログなどを見るようにしました。

ここは意外でした。
正木伸城さんは、対話ブログや気楽非活さんのブログなども見ていたのかもしれませんね。


友岡雅弥さんは本部職員を辞めさせられても、信仰は棄てなかった。
でも、正木伸城さんは信仰を棄ててしまった。


もしかしたらシニフィエさんあるいは気楽非活さんに背中を押されて、日蓮仏法から離れたのかもしれませんね。
その決断は、正しかったといえるでしょうか。
結果的に、再就職にも成功して、今はライターとして立派に仕事をしていますが、それまでにいたる過程ではうつ病にもなり、自殺未遂も繰り返したといいます。
もし、信仰に支えられていたら、もう少し穏やかな心持を保てていたような気がします。

 

 

獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その10

2024-01-28 01:32:42 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 

 

2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
□恋愛、友人関係編
□進学、就職、転職編
■信仰活動編
□信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

信仰活動編


Q:教団の布教活動が、 人に迷惑をかけているようで、やりたくありません。

A:自分がされたくないことは、人にもしないようにしましょう。 


特定の教団を名指しはしませんが、たとえば、親子で連れだって、学校のクラス名簿を片手に、同級生の家々を戸別訪問し、布教に歩く宗教があります。
そういった布教活動に抵抗感を抱く宗教2世も、少なくありません。
布教から帰ったあと、その宗教2世は「友だちに迷惑かけちゃったな……」と思うわけです。
布教は、いいと思う。でも、相手がイヤがることはしたくない。
こういったジレンマを抱える宗教2世も、少なからず存在します。
ぼく自身が、まさにそうでした。

学会活動をしていても、創価学会員ではない人(ここでは「外部の友人」と表記します)がイヤがることをせざるを得ないときがありました。
ぼくが昔付き合っていた彼女に折伏をしてイヤがられたことは先にのべました。
それ以外にも、公明党支援のために外部の友人に電話をかけたり、「聖教新聞を購読してくれないか?」と頼んだりしたとき、やはりイヤがられたことが多々ありました。
人間関係がそこまで深くない人もふくめて、わずかでもつながりのある外部の友人に総当たりをすることが、学会組織では行われていました。
それこそ、卒業アルバムの名簿に載っている同学年の全員にアポイントをとるような感じです。
これで、だれにもイヤがられない、なんてことはまずあり得ません(学会員でない読者のみなさんから「そりゃそうだ」という声が聞こえてきそう……)。
ぼくは、なるべく相手にイヤな思いをさせないよう、せめて信頼関係をしっかりつくってから、折伏や公明党支援の依頼をしようと努めてきました。そのほうが相手からの反発も少ないのです。
しかし、活動の現場は「成果主義」に追われています。外部の友人との信頼関係の構築は、まったく間に合いません。
ぼくはジレンマを抱えつづけました。
また、たとえば創価学会のリーダーは、自分が担当する組織の所属メンバーの家々をまわる「家庭訪問」という活動をしています。仲間のお宅を訪問して近況を語ったり、会合に誘ったりするのです。
その際、相手が学会の信仰に消極的なメンバーだった場合には、アポイントなしで相手の家を訪問することがあります。事前にアポイントをとってしまうと、相手が(学会のリーダーと会いたくないので)外出してしまう可能性があるからです。こうしたアポイントなしの訪問も、メンバーからイヤがられました。


自分がされたくないことは、相手にもしてはいけない

中国の有名な古典『論語』(岩波書店)には「己れの欲せざる所、人に施すこと勿かれ」という有名な句があります。ここではシンプルに「自分がされたくないことは、人にもしてはならない」という意味でとらえてください。
ぼくは、これは真理だと思っています。というか、こんなことはわざわざ書くまでもないレベルの話でしょう。
それだけに、そうできない自分に悩みました。だから、その都度、ぼくは懺悔しました。
学会員のなかには、「いや、折伏という正しい行為をしてあげている」んだから、いつか相手はその真心に気づくよ」という人もいましたが、ぼくにはそういった自己正当化が肌に合いませんでした。
信仰活動から離れたいまも、ぼくは懺悔しつづけています。

 

 

Q:教団の過度な成果主義に身も心も疲れ果ててしまいました。

A:過度な成果主義に疲れ果てたとしても、慣れてはいけません。 


創価学会では、地区や支部、本部といった組織単位ごとに目標を立てて活動を行います。折伏の数や、外部の友人が聖教新聞を購読してくれた数、公明党への支援を外部の友人にお願いした数、実際に投票してくれた数といったものを、「成果」として追いかけるのです。
それが過剰な成果主義となって、少なくともぼくの知る地域では、学会員をかなり悩ませていました。
宗教2世である菊池真理子さんが書いた『「神様」のいる家で育ちました』(文藝春秋)という本には、創価学会員と思われる女性(著者のお母さん=菊池さん)が、ま さに聖教新聞の購読依頼の数に追われる姿が描写されています。
菊池さんが所属していた組織は、その月の目標が未達だったのでしょう。
「数を出さなければ」と焦る2人の学会員の横で、菊池さんが新聞の依頼を4件達成してみせました。
すると、2人の学会員は安堵。「またよろしくね」といいながら、すぐにその場を立ち去りました。
その直後、菊池さんは叫びます。
「私がどんな思いで頭を下げてると思ってるのよ!!」
そう、本の中の菊池さんは目標を達成するために、「なんとか1ヵ月だけでも……」と新聞をとってもらうよう、何度も頭を下げて、お願いしていたのです。
成果主義が苛烈になると、そういったプロセスはあまりかえりみられず、数字だけが注目されたりします。菊池さんは、精神的に不安定になっていきました。
これが、成果主義の弊害です。


過度な成果主義がみんなを不幸にしている

このような状況を、いったいだれが望んでいるのでしょう?
たとえば、創価学会の幹部で集まって飲み会をしたときのこと。
ざっくばらんにみんなで盛り上がるなか、ぼくは「学会の成果主義って行き過ぎだよな」といいました。
すると、その場にいた全員が同意してきます。
つづけてぼくが、「成果主義で数字ばかり追って、外部の友人にはイヤな思いをさせて、創価学会も嫌われて、学会員自身も苦しい思いをして。こんなの、早くやめたほうがいいよ」と語ると、みんなはやはり「そうだよな」「俺もそう思う」と賛同してきました。
多くの幹部は、成果主義に辟易していたのです。

でも、そうはいっても、みんなが「そういうものだからさ」といって済ませてしまう。
「成果主義、変えていこうぜ」というふうにはならない。
多くの人が望んでいない成果主義が、だれも反対しないがゆえに、現場に横行していたのです。
ぼくはそういった現状を見るにつけ、「このままではいけない」と思うようになりました。
少なくとも、この現状に「慣れて」はいけないと感じました。
そう、慣れてはいけないんです。絶対に。

(つづく)

 


解説
活動の現場は「成果主義」に追われています。外部の友人との信頼関係の構築は、まったく間に合いません。
ぼくはジレンマを抱えつづけました。(中略)

信仰活動から離れたいまも、ぼくは懺悔しつづけています。

過度の成果主義が創価学会組織のガンですね。
この体制を作り上げたのが池田大作氏である以上、私は池田氏を手放しで賞賛することはできません。


獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その9

2024-01-27 01:20:04 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 

2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

□親子関係編
□恋愛、友人関係編
■進学、就職、転職編
□信仰活動編
□信仰活動離脱後編


2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル

進学、就職、転職編

Q:信仰一辺倒の生活から脱出したけど、転職活動がうまくいかずにつらいです。

A:苦労はするけど、 ギブに徹すればご縁で道が開けることもあります。


学会本部から一般企業へ。それは、苦しい旅程でした。
手法としては、ごくふつうの方法をとったと思います。
履歴書と職務経歴書をたずさえて、転職サイトに登録。たくさんの会社にエントリーして、書類選考に臨みました。また、転職エージェントにもお願いして、ぼくに合いそうな企業を紹介してもらうことにしました。
ところが――というか、やはりというか、ことは簡単には運びません。転職活動は、父がいっていたとおり地獄でした。この地獄をまったく想像できなかったあたり、ぼくの感覚は相当に一般世間とかけ離れていたと思います。
とくにぼくは、創価学園、創価大学、創価学会本部と進んできました。
創価学会の世界のなかだけで生きてきた人間ですから、自分の強みを一般企業にどうアピールしていいのか、わかりませんでした。世間知の欠如や一部の宗教差別などが、転職をとても難しくしていたのです。

まず、エントリーした会社ですが、音沙汰はまったくなし。どれだけ待っても一向に書類選考が通りません。エントリーした企業の数は、それこそ200社を超えていましたが、鳴かず飛ばずの日々がつづきます。
どうして?
ぼくにはそもそも、新卒時にふつうの就職活動をした経験がありません。
当時、世間でよく聞かれた「書類選考で落ちつづける」という経験もありません。いわば免疫がなかったのです。
だから、ぼくは落選つづきに戸惑い、落ち込みました。
「自分は世間から必要とされていないのでは」と、疑心暗鬼になりました。


苦戦つづきのなか、唯一見えた光明がまさかの……

しかし、天は味方にもなってくれます。
ある日、1社だけ書類選考に通ったのです。思わず小躍りするぼく。入念に準備をし、面接にむかいました。が、面談の場で瞬時につまずきます。
「正木さんは、35歳を超えてマネジメント経験はないんだよね。プレイヤーとしてKPIはどう追っていたのかな」
「はい。えっと、お聞きしてもよろしいでしょうか。KPIってなんですか」
思わず苦笑いをする面接官(ちなみにKPIとは、「重要業績評価指標」のことです)。その後も2、3、質問されるも、ぼくの答えはおぼつきません。
「宗教法人の職員として磨いたスキルで、わが社で活かせそうなものは?」
「正木さんは、わが社でどんな価値を発揮できるかな?」
面接官の問いにたいし、しどろもどろになるばかり。それを見て、面接官が苦笑します。そして決定的な一言を放ってきました。
「君は……布教活動でもしていればいいんじゃないのかね?」
これはショックでした。
社屋をあとにすると、撃沈したぼくに冷たい雨がふりそそぎます。自然と涙が出ました。
そんなとき、携帯電話が鳴ります。エージェントからのひさしぶりの連絡です。じつはエージェントのほうでも、ぼくの転職先を探すのに相当苦労していたようでした。
ですが、「ついに見つかった」と彼はいいます。
胸が熱くなりました。
「正木さん、この会社なら、これまで培ったスキルが活かせそうです」
「うれしいです! どちらの企業さまでしょうか」
「宗教法人○○の専従職員です」
べつの宗教法人……職務的にいえば……競合!?
ぼくは血の気が引き、体がふるえました。


転職活動は八方塞がり、なにをしてもうまくいかない

正攻法だけでは転職は望めない――。
そう腹をくくったぼくは、その後、異業種交流会に顔を出すようになります。
これも淡過ぎる期待なのですが、ヘッドハントされる可能性も「なきにしもあらずだ」と思っていたのです。しかし、思惑はいきなりくじかれます。

ある交流会の2次会が居酒屋で行われました。15人くらいがテーブルを囲んでいたと思います。ひととおり自己紹介が終わり、歓談。
そこで“事件”が起きます。
ぼくがあらためて「創価学会という宗教団体の職員をしています」と語ると、
正面に座っていた弁護士がこうつぶやきました。
「俺は創価学会にいい印象を抱いていない」
瞬間、ぼくは固まります。彼は、かまわずにつづけました。
「創価学会の強引な勧誘は、世間では非常に評判が悪い。不評について、あなたたちはどう思っているのか。迷惑だと思わないのか」
ぼくは、とっさにいい返したくなりました。でも、険悪な空気をこれ以上長引かせたくないと思って、黙ってやり過ごしました。
当然ながら、その後の交流会で「ぜひ、うちの会社に来なよ」といった話は出てきません(いまから考えれば、あたりまえ過ぎることなのですが)。
ただでさえ転職活動で心が折れそうになっていたところに、この一発。
ダメージは相当です。

転職サイトにエントリーしてもダメ。
転職エージェントに頼んでみてもダメ。
異業種交流会に参加して、人脈を広げてもダメ。
友だちのつながりなど八方手を尽くしたけれど、それらも全部ダメでした。
悲しいかな、ぼくには転職市場での需要がなかったのです。
一般企業で活かせるようなスキルを、うまくしめすことができなかったのが原因だったと思います。


宗教とは違う世界の人間関係がご縁を運んでくれた

「教団本部に残るしかないのかな」。そんな思考が脳裏によぎる毎日。
でも――。
「でも、でも、でも、自分に嘘をつきつづけて本部にとどまるなんて、どうしてもできない。教団組織に違和感を抱いてしまった自分にとって、『残留』はつら過ぎる!」
ぼくは、ジレンマに苦悩しました。
そう呻吟しているうちに、ひょんなことから光明がさすことになります。
ぼくはじつは、当時かかっていたうつ病と闘病しつつ、精神疾患を抱える人やメンタルに悩む人たちの相談に乗る「メンタル相談室」を開いていました。心に不調をきたした人の声を聴き、医師や医療機関につなげる活動です。
きめ細かな心配りが必須なため、体力や知力を必要とするけれど、うつ病の経験を活かせることもあり、これがぼくの生きがいになっていました。
そんなぼくが、ある日、いつもなら相談に乗る立場なのに、思いあまって相談者に転職活動について話を聞いてもらったことがありました。
「あまり周囲にはいっていないことなんですけど、じつは転職を考えているんです。でも、行き先がまったく見つからなくて、ほんとうに困っていて……」
すると、相手から思わぬ言葉が返ってきました。
「ぼくの親戚が会社を経営しているのですが、ちょっと聞いてみましょうか。正木さんには、これまでよくしてもらっています。恩返しさせてください。親戚に相談してみます。転職の条件はありますか?」
彼の言葉に、ぼくは耳を疑いました。
そして、すかさず反応。
「えっ! いいんですか!? それはありがたい……。条件なんて、そんな、全然ないです。お話をもっていっていただけるだけで、感謝しかありません」
「では、しばらく待っていてください」


意外なご縁が窮地のぼくを助けてくれた

万策尽きたと思っていたときに、一発逆転の可能性。喜びに胸が高まります。自分を偽らずに生きたい。もとは、この願いからはじまった転職活動でした。この願望は、もしかしたら多くの人にとっての人生のテーマかもしれません。
『死ぬ瞬間の5つの後悔』(新潮社)という本があります。同書によると、死を目の前にした人が抱く後悔は、基本的に、自分の本心にむき合わなかったことに起因するようです。
自分に正直に生きたいという願い、また、そうやすやすと生きられない現実での挫折感には、どこか普遍性があるのだと思います。
ぼくは、その挫折感を宗教的な変性バージョンで味わいました。
ふつうではない経験ではありますが、最後の最後に「おのれ自身に忠実であれ」という道を選び、その第一歩を転職からはじめたのです。
「恩返しさせてください。親戚に相談してみます」という言葉から1ヵ月。
突然、人事の方から電話がかかってきました。
「弊社にて、ぜひ面接をさせてください」
ぼくは、跳び上がって喜びました。気持ちも引きしまりました。きちっとしたスーツに身をつつみ、面接に臨みます。
超高層ビルのなかにある会社のエントランスがまぶしかった。
「こんなところで働けたら……」
それが、この面接の2ヵ月後に現実になります。
初の転職活動が成功し、ぼくは中途入社の社員として歓迎され、仕事を開始することができたのです。

「正木伸城と申します。どうぞ……よろしくお願いいたします!」
入社時に社員のみなさんの前であいさつをしたとき、ぼくは涙をこらえきれませんでした。その前後に確認した話ですが、今回の転職には、(父もふくめ)さまざまな人が尽力してくれていました。感謝しかありません。
「情けは人のためならず」といわれます。ほんとうにそうだと思います。
情けは相手のためではなく、めぐりめぐって自分のためになる。これはじつは、前節でふれた「ギブ」の効能でもあります。
ぼくは、何人もの友人の話を「メンタル相談室」で聞いてきました。まさにギブに徹してきました。
それが、さまざまな縁のなかで化学反応を起こし、転職の成功につながったのです。
それは、一見すれば「そんなことになんの意味があるの?」と感じられるような取り組みです。
ですが、利害やメリット、損得などを気にせずに、利他の行為を展開するなら、潤沢なめぐみがあなたにもたらされるでしょう。


まとめ

信仰を理由に、人生の大切な選択肢を制限されてしまう宗教2世がいます。進学、就職、転職――。
ぼくも、周囲からさまざまな“圧力”を受けてきました。
宗教2世のなかには、信仰的な使命感ではなく、「親を喜ばせたいから」、あるいは「親を悲しませたくないから」と自分の進路に制約をかける人もいます。
ただ、ぼくは自分の来しかたをふり返って、あらためて思います。自分の人生、自分でハンドリングして、自分に正直に生きるべきだった、と。ぼくは、そのように生きられるようになるまでに20年もの時間がかかりました。
自分を偽って生きるのは、つらいです。苦しいです。
あなたは、そのまま生涯を終えると考えるとしたら、どうですか? 本章が、あなたが本音で生きるための後押しになれば、うれしいです。


解説
正木伸城さんはたまたま就職先が見つかったからよかったものの、本部職員を辞めた後の再就職は本当に難しそうですね。
そういえば、本部職員(聖教新聞社)を退職させられた友岡雅弥さんは査問で心的トラウマを受けて、災害ボランティア先の東北で亡くなりました。
友岡さんは、再就職できていたのでしょうか。
少々、気になります。

何にしろ、正木伸城さんが再就職が決まったのは奇跡的なことであり、実際にはつぶしのきかない人が多いのではないでしょうか。


獅子風蓮