獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ゼロさんとの「対話」 その9

2021-05-02 00:00:00 | ゼロさんのブログ

●ゼロさんのコメント(2021-03-05 12:55:25)

>獅子風蓮さん

1-私が総括する理由はなんですか?
最初の返信でも聞いていることです。

2->私が議論から逃げたと言いたいらしい

獅子風蓮さんは
私のコメントにも真実を求めてさんのコメントにも
まともに答えていないと思いますよ。
違いますか?

その事がご理解頂けないので、私も対話を止めたんです。分かりませんか?


この2つについて
お返事頂けますか?


●獅子風蓮のコメント(2021-03-05 14:00:57)
人に質問をする前に、私の疑問に答えてください。

今、スマホは手元にありますか?
ありましたら、スマホでゼロさんのブログを開いてください。
コメント欄を開き、2021-02-26 17:37:23に送った私のコメント(コメント番号115)を探してみてください。
見つかりましたか?
見つかったら、その場所を教えてください。

見つからなかったら、その理由を考えてみてください。
そして、私に教えてください。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮

●ゼロさんのコメント(2021-03-05 14:34:45)
>人に質問をする前に、私の疑問に答えてください

獅子風蓮さんは
過去に質問をされたことを
まったく無視しているのが分かりませんか?

すべて自己都合のやりとりで
これでは
対話など出来る訳が無いんですよ


獅子風蓮さんの
先日のコメントは
パソコンで確認したときには
ありました

ですから消えていませんよと
返信したつもりです

私は獅子風蓮さんの
コメントを
故意に消したつもりはありません
真実を求めてさんとの対話を
消す意味がありませんよ

ですが
夕方には確認してみすので
こちらの質問にもお答え下さいね

宜しくお願いします。

●ゼロさんのコメント(2021-03-05 時刻不明)
2021-02-26 17:37のコメントは
携帯でも見れましたよ
ブログに来られる方にも
聞いてみてはいかがですか?


●獅子風蓮のコメント(2021-03-06 11:51:27)
>2021-02-26 17:37のコメントは
>携帯でも見れましたよ

おかしいですね。
私のスマホからは発見できませんでした。

他の方はいかがですか?

私だけの問題ですかね?

もしかしたら、ゼロさんはスマホではなくガラケーの携帯で確認されたということですか?

スマホで当該のコメントを確認されたということでしたら、誰のコメントの下に隠れていたかを教えていただけると幸いです。

獅子風蓮

_______________________________

その後、私は「アメブロのコメント欄での「対話」は難しい… (1)~(3)」というアメブロの記事を書きました。

その後、2021-03-06 15:00:00のことです。
ゼロさんのブログが更新され、新しい記事「問合せのコメント掲載」が載っていました。
(その後、この記事は削除されていますので、私の覚書を見ながら書いています)
ここには、問題の私のコメントとその前後のコメントがスクショされたものが表示されていました。
確かに、ゼロさんのブログには、私の問題のコメントがその前後のコメントとともに確認できるようでした。
しかし、ゼロさんから、肝心の「誰のコメントの下に隠れていたか」についての回答はいただけませんでした。

その後、私のかかわったコメントのすべてが削除されました。
2021-03-06(土)の深夜のことでした。

ゼロさんにとって、何か不都合なことがあったのでしょうか。
今でも、なぜゼロさんがこんな乱暴なことをしたのかが分からず、不思議です。

でも、確かに言えることは、ゼロさんは「批判拒否体質」だということ。

私は、40年前に「創価学会は批判拒否体質だ」と批判しました。
ですから私は、自分が「批判拒否体質」と批判されることは、死ぬほど辛いことです。
創価学会と同じ「批判拒否体質」と言われて、ゼロさんは平気ですか。
そんなはずないですよね。

ゼロさん、この汚名をぜひ晴らしてください。
よろしくお願いいたします。

獅子風蓮でした。


ゼロさんとの「対話」 その8

2021-05-01 00:00:00 | ゼロさんのブログ

●ゼロさんのコメント(2021-03-01 20:01:04)

>獅子風蓮さん

お疲れ様です
そのコメントは消えて無いですよ~

もしお二人が了承頂けるのであれば
最新記事にはしませんが
ここにスレを立てましょうか?

もしくは
真実を求めてさんが
獅子風蓮さんのところで
話されることも一つだとは思いますけど

みなさんの声は
対話には向かないと思います
真実を求めてさん
獅子風蓮さん
いかがでしょうか?

お返事お待ちしておりますので
ご検討ください


●獅子風蓮のコメント(2021-03-02 08:53:10)
ゼロさんへ

>もしくは
>真実を求めてさんが
>獅子風蓮さんのところで
>話されることも一つだとは思いますけど
>みなさんの声は
>対話には向かないと思います
>真実を求めてさん
>獅子風蓮さん
>いかがでしょうか?

私もその方がいいと思います。
よろしくお願いいたします。

獅子風蓮


●ゼロさんのコメント(2021-03-02 19:22:38)
>獅子風蓮さん

真実を求めてさんから
コメントがあり

獅子風蓮さんから
これまで何もお答え頂けていないので
これ以上の対話は
もはや望まないとのことでした
良かったら読んで見てくださいね

その中で
獅子風蓮さんのブログにあるという
ゼロへの批判の内容を書いてくれましたが

その事については
何も言うつもりはありませんし

獅子風蓮さんが
どのような経緯によって
どのような言葉によって
そのように思われるようになったのかを
少し客観的に振り替えって欲しいのです
私の望みはそれだけですよ

以上、宜しくお願いします。


●獅子風蓮のコメント(2021-03-05 12:40:01)
ゼロさんへ 獅子風蓮より

今、パソコンでゼロさんのブログを開いています。
すると、2021-02-26 17:37:23に送った私のコメントが、コメント番号115 として、検索できます。
しかし、2021-03-01 18:37:08にコメント(コメント番号133) を書いた時には、コメント番号115のコメントは検索してもでてこなかったのです。

また、現在でも、スマホでいくら調べても、コメント番号115のコメントは出てきません。

不思議なことです。

そんなことがあって、2021-03-01 18:37:08にコメント(コメント番号133)を書いた訳です。

自分のコメントが、本来あるべきところにないのですから、対話を続ける気持ちも萎えます。

対話ブログでは、コメントが時系列で、上から下に読めますが、アメブロのコメント欄でコメントの返信をする場合、その元の人のコメントの中に埋もれてしまうので、後で読み返すときに苦労します。
アメブロのコメント欄で「対話」するのは、1対1ではいいのでしょうが、多人数を相手にする場合、難しいですね。

真実を求めてさんは、意見があるなら私のブログにコメントすればいいのに、わざわざゼロさんのブログに出張ってコメントするのですから、ゼロさんや他の人にはいい迷惑だったことでしょう。

その後、ゼロさんから

>もしくは
>真実を求めてさんが
>獅子風蓮さんのところで
>話されることも一つだとは思いますけど
>みなさんの声は
>対話には向かないと思います
>真実を求めてさん
>獅子風蓮さん
>いかがでしょうか?

という話が出たので、私も、それに乗って、
「私もその方がいいと思います。よろしくお願いいたします。」と答えたのです。
これは、2021-03-02 08:53:10のコメント番号136 でのことです。

これで真実を求めてさんとのやり取りもおしまいかと思ったら、その後も私を非難するコメント(コメント番号137)が続きました。
私が議論から逃げたと言いたいらしいのです。

私は、もう真実を求めてさんとこの場所で議論する意思はないのですから、私を逃げたように非難するコメントを載せるゼロさんの態度はフェアとは言えないでしょう。
あるいは、自分に言えないことを代わりに言ってくれるコメント寄稿者を大事にしたということでしょうか。
なんだか、シニフィエさんに似ていますね。

ゼロさんには、最初にお願いしたことを忘れないようにしてほしいものです。
最初のコメントから、引用します

>例のパクリ事件については、ハルキやシニフィエさんの責任を含めて、きちんと総括してください。
>よろしくお願いいたします。

真実を求めてさんは、なにか思うところがあれば、私のブログにコメントしてください。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮


ゼロさんとの「対話」 その7

2021-04-30 00:00:00 | ゼロさんのブログ

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
ゼロさんへ
2/26 か 27日に送った私の、真実を求めてさんに対する返信が削除されています。
意図的なのかどうかは分かりませんが、今一度送りますので、よろしくお願いいたします。
_________________________

真実を求めてさん

>獅子風蓮さんが、対話を求めての管理人さんを攻撃するとする獅子風蓮さんの正当な理由が、わかりません。
>正当な理由があるのですか?

繰り返しになりますが……
私のブログの記事。
「対話ブログにコメントをしてみました」(1)~(13)
をよく読んでみてください。
とくに「冤罪は晴れたのか?」①~⑥
を読めば、なぜ私がシニフィエさんに怒っているのか分かっていただけると思います。

要するに、私は「対話」を求めて「対話ブログ」を訪問したのに、「対話」の入り口にも入れてもらえず、最後にはシニフィエさんは、HOPEさんの非公開のコメント(明らかな誤解に基づくもの)の文章を利用し、私を攻撃してきたのです。
私は、突然、ありもしない罪を着せられました。
こうして、シニフィエさんは私を冤罪に陥れたのです。
その後、HOPEさんが私の呼びかけに応じて私のブログでコメントをしてくれたおかげで、私の冤罪は晴れたわけですが……
シニフィエさんは表面上私に謝罪しましたが、こんどは悪いのは自分ではなく嘘つきのHOPEさんだと、責任をHOPEさんに押し付けました。
また、私に謝罪した後も、シニフィエさんの周囲の人は、私に悪意のこもったコメントを寄せ、シニフィエさんは、それをそのまま垂れ流しました。
シニフィエさんは、私にいわれなき罪を着せたことを認めて謝罪をしたわけでないのです。

本当の意味で、冤罪は晴れていなかったのです。

シニフィエさんのズルい本性を見た思いでした。

今回のSGKMKパクリ事件でも、シニフィエさんは、筆者の〇〇さんと告発者の△△さんに、表面上謝罪しておきながら、その後、ハルキが二人を侮辱するようなコメントを寄せ、シニフィエさんはそれをそのまま垂れ流しました。
お二人が本当に傷つき怒っているのは、SGKMKさん本人よりも、ハルキとシニフィエさんなのです。

>日蓮さんの教えをしんじるといいながら自分の意見も堂々と言えないとなると、日蓮信者の面汚れとおもいます。
>獅子風蓮さん、日蓮信仰のほこりを行動で示してください。


真実を求めてさんが何に怒っているのかよく分かりません。
私は、いつも自分の意見を、その都度その都度、誠実に言っているつもりです。

私は、対話ブログでも、シニフィエさんに「個人の信仰に敬意を払ってほしい」と何回もお願いしています。
別に、対話ブログが休止になったのを見計らって、自分のブログで自分の主張を述べたというわけではありません。
私が自分の主張を述べたくても、あの時点で、対話ブログは休止していたのです。
べつに私が対話ブログを休止に追い込んだわけではなく、あくまでシニフィエさんご自身の判断で休止になったわけです。

私は、対話ブログのみんなと仲良く情報交換したかっただけなのです。
けっして、対話ブログを潰す目的で近寄ったわけではありません。

しかし、あまりに理不尽なシニフィエさんとその周囲の人々の振る舞いに、おかしな構造に気づいてしまったのです。
まるで、みなさんのやっていることは、創価学会の座談会やセミナーで、新来者を取り囲んで、言葉を浴びせかけ、入信を迫るやり方にそっくりだということを。
それまで、日蓮仏法を捨てきれなかった人が、脱会して、創価学会とも日蓮正宗とも縁を切るようになると、みんなで拍手喝采する。
それは、創価学会における、新来者の本尊流布をみんなで祝う姿の裏返しのように思えました。

このへんのことは私のブログ「私の自己紹介に過敏に反応する人たち 対話ブログにコメントをしてみました(12)」に書きましたので、繰り返しません。

この辺でいいでしょうか。

まだご不満でしたら、ひとつづつ、ご指摘ください。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮


ゼロさんとの「対話」 その6

2021-04-29 00:00:00 | ゼロさんのブログ

●ゼロさんのコメント(日付不明)

>獅子風蓮さん

お返事ありがとうございます

>根拠は『狩野川物語』にしかない

獅子風蓮さんがそう思うことは自由ですが
私はそのようには言っておりません
もうそこは
それぞれの視点で宜しいのでは?と思います

それを文献を引っ張り出して
やり取りする意味は私にはありません

牧口会長を尊敬されるのであれば
獅子風蓮さんのブログで
そのように書かれていくことで
読み手は
そう理解するのではないでしょうか
ここもしかりだと思います

ところでですが
最初のお返事に対しては
獅子風蓮さんから
ほとんどお答えがないのですが
そこは無視はなさらないで下さい

私は一つ一つ全てに
お答えしたつもりですので
そこは宜しくお願いしますね

それから
獅子風蓮さんのコメントは
ここに2つ存在しておりますので
時間が出来たときにコピペ移動しますので
宜しくお願いします(^_^)/


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
>ゼロさん

お疲れ様です。
獅子風蓮です。

>ところでですが
>最初のお返事に対しては
>獅子風蓮さんから
>ほとんどお答えがないのですが
>そこは無視はなさらないで下さい

すみません。
どんな内容でしたっけ。
コメントを見返したのですが、よく分かりません。
あらためて、質問していただけますか。

よろしくお願いいたします。

獅子風蓮

●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん、お疲れ様です。


>どんな内容でしたっけ

それであれば・・私はもういいです
お互いに
時間は無駄にしたくないと思いますので(^_^)


それからこの獅子風蓮さんのコメントは
blogシステムの理由から
最初のコメントには移動しないことにしました
携帯端末からだと
一人の方への返信のやり取りは
20回を超えた場合に古い順から見えなくなるみたいで
意味が無くなってしまうので
★このコメントについては一旦クローズして下さい★

もしも新たにコメントされるのでしたら
新規でコメントして下さい

この辺のことも
ルールとして「みなさんの声」に追記したいと思います

そして
momoko-006さん
その都合で申し訳ないのですが
momoko-006さんの書籍ご紹介等のコメントは
古いコメントが消えてしまう場合には
消させて頂きますので・・何卒ご了承ください。

以上、宜しくお願い致します。


ゼロさんとの「対話」 その5

2021-04-28 07:00:00 | ゼロさんのブログ

●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん
お返事ありがとうございます

>私の早とちりですかね?

疑念があるようなので率直に申し上げますが

混乱を招いている人と
混乱している人は違うんですよ

獅子風蓮さんは
最終的には
複数の人によって利用されていまい
混乱した方
これが私の見え方なんですよ


対話を求めてというブログは
そのスタンスであるが故に
多くの方の覚醒に貢献してきましたが
その反面
人によっては遺恨を残すこともある
そんな場所だとも思います

そんな目には見えないものが
アンチ界隈にはシーン・・と漂っていて
好きか嫌いか・・敵か味方か
そんな感情的なものが
きっと誰にでもあると思っています

ネットとは
そんな世界なのかもしれませんが

傷ついてしまったり
怒りに震えるようなことがあったとしても
極論を言ってしまえば
あえて極論を言ってしまうならば

全ては自己責任だと思っています

それは
私自身の考え方ですけどね・・

そして
現在こんな状況になってはいますが

私は自分のブログが
毎日新しく訪問されている方にとって
どうあるべきか・・
そのことしか考えていません

獅子風蓮さんが
どのように怒られているのか
感情的な部分は
記事を読まなくても分かっていますが

でもそれは
ネットで公開しながら
他人を巻き込んですることでも無いと
自分自身は考えていますよ


そして獅子風蓮さんが
ご自身のHPを立ち上げられて
amebaブログを
開始した目的は知っているつもりです

リアルで
獅子風蓮さんの事を知っている方々に
一体どのように映っているのでしょうか?
そのようなことも冷静になられて
考えて欲しいと思っています

余計なお世話ですけどね・・

(続きます)

●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん (続きます)

件の書籍名はご指摘の通りですが、そもそも月刊ペンという会社は、財界が資金を出して作った出版社ですから、その目的は言うまでもありません。権力とべったりだった原田社長も然り、隈部も然りと言ったところでしょう。
そして「邪教教団・創価学会」と言う書籍は、月刊ペン事件の問題となった雑誌と同年に出版されたものですから、つまり質としては同レベルですね?名誉毀損で訴えられたような人物が書いた書籍となれば、印象としてはいかがわしいものと映ります。確かにそう思われても仕方がないです。

しかし逆を返せば、その書籍の信憑性を測るのであれば、それは月刊ペン事件の裁判の内容に重なる内容とも見えます。

これが私にとっての物差しでした。

法律の詳しいことは分かりませんが
現在の名誉毀損罪は
第三者から指摘された内容が事実であっても、それが嘘であっても、条件が満たされれば刑事罰を受けます。

しかし当時は、内容が事実であれば罰則は免責されるもの・・
これが一つのポイントでした

この裁判では、最高裁で池田が公人と解釈されて、1審に差し戻されたり
地裁ー高裁ー最高裁(差し戻し)
地裁ー高裁ー最高裁と巡っているうちに
隈部大蔵が亡くなって終わった裁判です

つまりこの裁判のやり取りから
根も葉もないようなことは書いていない
私はそう解釈するに至った・・と言うことなんです

それともう一つ
親告罪である名誉毀損罪は、亡くなった方の人権も守る法律ですが、それは指摘された内容が”嘘”の場合のみなんです。
★つまり事実に対しては訴えられない。

この「邪教教団・創価学会」の内容を見れば、創価学会にとっては、会の始まりに関わるような大問題ですし、初代・2代会長への名誉毀損も甚だしい内容です。

しかし創価学会は訴えていないんです!
私の最終結論は・・ここです!

そうゆう見え方もあんですよね

ですが色々調べても・・
住所まで書かれている方位学研究家の情報や両方の証言に出てくるコックの情報など
まったく探せない状況でしたので
そこは断念しました、そんな事を調べてから、あの記事は書いていますので

ただのコピペの記事ではないんですよ

>ブログの価値が下がってしまうのを・・
お気持ちはありがたく受け取りました

こちらこそ!
今後とも宜しくお願い致します!

ゼロより


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
獅子風蓮より

ゼロさん
お疲れ様です。
獅子風蓮です。

月刊ペン事件の裁判の経過は承知しています。
創価学会としては、池田氏の出廷を何としても阻止したかった。
そのために、右翼有力者を介して、大金を被告側に渡し、名誉棄損の有罪判決に持ち込んだ。
そういう欺瞞的な経過もよく承知しています。

でも、『狩野川物語』の信ぴょう性の問題と、月刊ペン事件の裁判の経過の問題は、別のものです。
隈部大蔵が謀略的でうさん臭い人物だったことは間違いないと思うのです。
『狩野川物語』を根拠としてゼロさんの主張を展開することは、あまりお勧めしない、というだけのことです。

つづく

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
志茂田景樹の『折伏鬼』という小説があります。
あまりに過激な内容のために長らく絶版でしたがついに電子書籍となって復刻!
とアマゾンで紹介されています。
アマゾンのkindle で読むことができます。
アマゾンの解説を読むと、

>むりやり連れていかれた新興宗教団体の集会で、壇上の会長は中学一年のわたしに「いつか信心することになる」と予言し、哄笑した。十年の後、まさにわたしは巨大な組織の中にいた。が、数年の激しい活動の末、わたしを捉えたのは大きな疑惑であった。傷つき絶望して、わたしはそこを去った……。

とありますが、意外なことに、小説の主人公は多田(戸田のこと)を好意的に描いているのです。

>この人たちの話を総合すると、人情の機微に通じて、情にもろく、剽軽な人物像、つまり、わたしが入信前まで胸にあたためていた多田像とほぼおなじものが浮かびあがる。……

つづく

●獅子風蓮のコメント(日付不明)
それはともかくとして、志茂田景樹の『汚れた偶像』という書籍もアマゾンのkindle で読むことができます。
この書籍の中の『俗物教祖』というのを読むと、あくまで小説ですから細かい事実関係に誤りはあることを差し引いたとしても、戸田氏の生い立ちと牧口先生との出会い。創価教育学会ができたころのいきさつと、戦後の歩みなどの、大体のイメージがつかめます。

牧口先生(小説では西口)は堅物で、戸田氏(小説では岩田平六)と組んで金儲けのために創価教育学会を始めたなどというくだりは、見られません。

ただ、戦後、創価学会の再建のために、資金の援助を頼みにいった先で、岩田平六(戸田氏のこと)はこのように言ったと書かれています。

「宗教ってのは、もうかることがわかっただろうて。出資したくてウズウズしているやつはいっぱいいるんだが、早急にはまにあわん。いまなら月六分の利子を出そう、どうだ?」
「ええ、まあ、乗りましょう」……

これは、学会再建のために新聞・雑誌を出すための資金を得るための営業用の言葉であり、金儲けのために戦後の創価学会の再建を目指した、というのとは違うと思うのです。
あるいは、ねっからの商売人だった戸田氏のことだから、「宗教はもうかる」という気持ちはまったくなかったわけでもないでしょう。

しかし、戸田氏の再建した創価学会は、表向き、会員間の金銭貸借は禁止で、財力のある人のみ財務部員となれる、正真正銘の「金のかからない宗教」であったわけで、ゼロさんの言うように、
「牧口先生と戸田氏は、金儲けのために創価教育学会を作った」というのは、ちょっと違うと思うのです。

お時間があれば、志茂田景樹氏の小説、読んでみてください。

獅子風蓮


●ゼロさんのコメント(日付不明)
>獅子風蓮さん

お忙しい中で
お返事ありがとうございます

色々と情報をありがとうございます。
おすすめ頂いた書籍は読んでみますね!

獅子風蓮さん・・
率直にお聞きします
私の勘違いでしたら申し訳ないのですが

私は根本的には
獅子風蓮さんが尊敬されている方を
このブログで批判されている事が許せないのでは?
・・と思っていますが気のせいでしょうか?

私は獅子風蓮さんが誰を尊敬していても
例えそれが池田大作であっても
そのような内容でブログを書かれていても
私はそこに干渉するつもりはまったく無いんですよ

逆に言えば

★そのような方の
★ブログがあった方が良いぐらいに思っています

確かに
私のブログのスタンスとは異なりますし
矛盾している言葉に伝わるかも知れませんが

その意味が伝わりますでしょうか?


●獅子風蓮のコメント(日付不明)
ゼロさん

コメントの返事ありがとうございました。

>私は根本的には
>獅子風蓮さんが尊敬されている方を
>このブログで批判されている事が許せないのでは?
>・・と思っていますが気のせいでしょうか?

物事の本質をつかむのには、全体の流れをつかむことが大事だと、私は思うのです。
牧口先生と戸田氏が創価教育学会を作った目的が、金儲けのためだったのか、そうではないのか。
多くの学者や評論家の著作、本質をえぐる小説などを読むと、やはり堅物の牧口先生が金儲けのために創価教育学会を作ったとは思えないのです。

ゼロさんの主張は、狭いアンチブログの中では支持され、それがあたかも真実かのようにブログの参加者の中で共有されていきますが、その根拠は『狩野川物語』にしかないわけで、客観的に見たら、危うい現状に思えるのです。

別に、私が尊敬している人物を批判されたことに感情的に反発しているわけではありません。

ゼロさんのブログのいちファンとして、ブログタイトル下の二行がない方がいいのになと思っただけです。
他意はありません。

獅子風蓮