というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。
(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
■三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記
三杯目の火酒
4
__ぼくは、やっぱり〈女のブルース〉で、好きになったんだろうな、藤圭子が。しかし、どうして、すぐ追いかけるように〈圭子の夢は夜ひらく〉を出してしまったんだろう。
「ほんと、あたしも不思議だと思ったけど、その頃はどうでもいいと思ってたから」
__その二つの曲の発売のあいだが、2ヵ月しかないんだものね。
「〈女のブルース〉が最高に売れているとき、〈圭子の夢は夜ひらく〉を出してしまったから、歌えなくなっちゃったんだよね、〈女のブルース〉が。あたしも一番好きだから、もっと歌いたかったけど、短かかったね。普通の人にとっては、〈新宿の女〉と〈夢は夜ひらく〉にはさまれて、どちらかといえば、印象が薄いらしいんだよ。それが、とっても残念なんだ」
__〈夢は夜ひらく〉は、LPからのシングル・カットだよね、確か。
「そう。最初のアルバムに入っていたやつ」
__どうして、あの園まりが歌った〈夢は夜ひらく〉をLPに入れようとしたんだろう。
「それは、沢ノ井さんに夢があったの。あったらしいんだ。なんか、よくは知らないんだけど。園まりさんの〈夢は夜ひらく〉が作られたときに、沢ノ井さんも少し噛んでたのかな。それで、出来上がったのを聞いて、こんなもんじゃない、これは本当の〈夢は夜ひらく〉じゃない、いつか自分が本当の〈夢は夜ひらく〉を作ってやるんだって、そう思いつづけてきたんだって。それで、沢ノ井さんが歌詞を新しく書いて……そうだ、そのとき、一緒に車に乗ってたんだよね、沢ノ井さんと。もう、デビューしてて、テレビ局かなんかを移動中だったんじゃないかな。沢ノ井さんが、こんど新しい〈夢は夜ひらく〉を作るんだ、純ちゃんで、なんて言うわけ。あたしは、そう、なんて聞き流して、何気なく鼻歌をうたったの、〈夢は夜ひらく〉のメロディーで。
昨日ハー坊 今日マミー
明日はジョージかラリ坊か
とか、メチャメチャに歌ったわけ」
__ああ、それは、例のグループ・サウンズの男の子たちの名前だったね。
「そうなの。別に意味もなく、そんな歌詞を口ずさんでたの。そうしたら、いいねそれ、って沢ノ井さんが言うの。えっ、って訊き返したんだ。それでいこうよ、って言うの。もちろん、冗談はやめてよと言ったんだけど……何日かして出来てきた歌詞を見たら、ちゃんと三番に入っていたんだ」
__そいつは、面白い話だね、すごく刺激的なエピソードだよ。
昨日マー坊 今日トミー
明日はジョージかケン坊か
恋ははかなく過ぎて行き
夢は夜ひらく
そうか、ハー坊がマー坊、マミーがトミー、ラリ坊がケン坊になっているけど、そっくりそのまんまだもんね。
「そうなの」
__その子たちは、みんな、いまどうしているんだろう。マミーっていう子は、仙台のクラブとか言ってたね。
「うん。ラリ坊は、RCAからデビューしたの、あたしと同じ頃に。だから新人同士でキャンペーンなんか一緒にしてたけど……。ハー坊はまだドラムをやっていて、このあいだ新宿の店に出ているっていうんで、聞きに行って、久し振りに会ったんだ。昔は、みんな純情でね。一度デートしたことがあるんだけど、喫茶店でお茶を飲むばかりで、あたしなんかも下向いて、ろくに話せもしないで……そんなだった」
__そうか……。
「うん、そんなことがあったなあ」
__〈夢は夜ひらく〉の二番の歌詞、あるでしょう?
十五、十六、十七と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも 夢は夜ひらく
この歌詞に抵抗感はなかった?
「なかった」
__これ、自分のことを歌っているとは思わなかった?
「思わなかった。ただの歌の、ただの歌詞だと思ってた」
__でも、聞く人は、その歌詞をあなたそのものに投影して、感動してたわけだよ。
「人がどう思おうと関係ないよ」
__それでは、そう思われることに対する抵抗感は?
「ぜんぜん、なかった。思うのはその人の勝手だから」
__十五、十六、 十七と、 あなたの人生、暗くはなかった?
「暗くないよ。とりあえず、いまの人生が、幸せなんだから」
__でもさ、そのときはどうだったの?
「食べて、生きてこられたんだもん、それが暗いはずないよ」
__あなたは……実に意地っぱりですね。呆れるというより、感動するくらい。
「フフフッ。そんなに意地っぱりかなあ、あたし」
__それがあなたの身上なんだろうな。それがあったから、あなたは藤圭子になりえたんだろうから。そうだ、訊くのを忘れてたけど、どうして、藤圭子という芸名になったの?
「それはね、やっぱり日本一の山だから、名字は、ふじ、がいいって沢ノ井さんが言うんで、藤となったの。名前は、けいこ、というのが語呂がいいって。日本には沢山のけいこがいるけど、それは響きがよくて、呼びやすいからだって。それで圭子ということになったんだ」
__なんだか、ずいぶん簡単なようだね。
「本当はね、もうひとつ、沢ノ井さんは考えていたんだ。藤のかわりに野々というの。野々圭子。字画がいいとかっていうんで。それで、藤圭子とどちらがいいのか迷って、二人で易者さんのとこに行ったの。新宿の伊勢丹の近くに、よく当る易者さんがいるとかっていうんで、ね。そうしたら、間違なく、藤圭子の方がいいって言われたんだ」
__そうか。もしかしたら、あなたは野々圭子だったのかもしれないんだ。
「そういうこと」
__昭和44年の9月に藤圭子は〈新宿の女〉でデビューして、45年の2月に〈女のブルース〉、4月に〈圭子の夢は夜ひらく〉、そして7月には〈命預けます> まで出している。45年というのは、あなたにとって、本当にすごい年だったんですね。〈命預けます> だって、悪くない歌だもんね。
「そうだね」
__これも、石坂まさを作、か……。藤圭子という素材を得て、持っているものが一気にバッと爆発したんだね、石坂まさを、こと沢ノ井さんも。わずかその1年のあいだに、ね。
「そう、一挙に花ひらいたんだろうね」
__それが過ぎて……枯れてしまったというわけか。
「そういうことなのかなあ」
__その年、昭和45年……1970年、レコード大賞とか、なんとか賞とかいうのは、どうなったの?
「歌謡大賞というのがあって、それが第一回目だったんだけど、〈夢は夜ひらく〉で大賞になって、レコード大賞は〈命預けます〉で大衆賞……」
__もし〈夢は夜ひらく〉で歌謡大賞を取らなかったら、レコード大賞がもらえたかもしれないのかな。
「そうかもしれないね。その頃、その二つの賞が、すごいライバル意識を持っていて、歌謡大賞で〈夢は夜ひらく〉が大賞をとっちゃったんで、わざわざ〈夢は夜ひらく〉をはずしたわけ。それで、〈命預けます〉が大衆賞とかいうのになっちゃったんだ」
__残念だった?
「ぜんぜん」
__嬉しかった?
「ぜんぜん。あたし授賞式があるから行ってください、なんてマネージャーに言われて、そう、なんて言って、そこへ行って歌っただけ。別に感激とか、そんなのはなかったよ」
__しかし、1970年というと、ぼくが大学を卒業する年だったけど、ほんとに、この年はあなたの〈夢は夜ひらく〉の年だったなあ。
前を見るよな 柄じゃない
うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た
夢は夜ひらく
これを聞くと、ぼくにも、よぎるものがある。何だか、はっきりはわからないけど、体の奥の方から泡立つようなものがある。
「そう……」
__あなたの〈夢は夜ひらく〉は、本来の曲と微妙にメロディーが違うんだよね。
「そうらしい。自分ではちゃんと歌っているつもりだけど、小さい頃にそう覚えちゃったんだよね。あたし、譜面読めないでしょ。どんな曲でも、一度弾いたり、歌ったりして教えてもらえば、それで覚えられるわけ。あたしの曲って、みんなそうやって覚えていくんだ。曲のレッスンって、そういうことだけやるわけ。でも、〈夢は夜ひらく〉は小さい頃に覚えて知っていたから、レッスンも必要なかったんだけど、ちょっと違って覚えていたらしいんだよね」
__そういう意味でも、あの〈夢は夜ひらく〉は、あなたの〈夢は夜ひらく〉だったんだろうな。
「そうなんだね」
__しかし、あの歌が、あまりにも強烈すぎたんで、そのあとがつらかったんじゃないだろうか。何を出しても、あれほどの強烈さを持てなくて……。
「そんなことないよ」
__ぼくの友人にね、藤圭子を悪くさせた元凶は、〈夢は夜ひらく〉だった、と言う奴がいてね。藤圭子は〈夢は夜ひらく〉を歌っていなければ、もっともっと歌手としての可能性があった、と言うんだ。
「それは違うね。そういう言い方は意味がないね。たとえばね、前川さんのクール・ファイブについても、そういう言い方をする人はいるんだ。〈噂の女〉がクール・ファイブを駄目にした、って。あまりにも、クール・ファイブの特徴が出すぎてるっていうわけ。だから、そのあと何を歌っても、〈噂の女〉で出切ったものが出てこないと感じられるというわけ。確かに、そういう部分もないことはないんだよ。でも、だからといって、〈噂の女〉を歌わなかった方がよかったかといえば、そんなこと絶対にないんだよ。歌手として、やっぱり、歌った方がよかったんだよ。〈夢は夜ひらく〉だって同じこと。やっぱり歌った方がずっといいんだ。その、沢木さんのお友達っていう人、知らないんだよ。実際に自分で何かをやったことがないんだよ。歌手を悪くした歌なんて、絶対にない、絶対にね」
【解説】
__そいつは、面白い話だね、すごく刺激的なエピソードだよ。
昨日マー坊 今日トミー
明日はジョージかケン坊か
恋ははかなく過ぎて行き
夢は夜ひらく
そうか、ハー坊がマー坊、マミーがトミー、ラリ坊がケン坊になっているけど、そっくりそのまんまだもんね。
藤圭子さんの代表曲〈圭子の夢は夜ひらく〉の歌詞が生まれたエピソードです。
興味深いですね。
獅子風蓮
https://blog.goo.ne.jp/gooyuhueriami/e/bbcc4b18bcd4ec28e716999f2c53e44b
ブログ、読ませていただきました。
「流星ひとつ」の魅力が余すところなく語られていますね。
わたしも、沢木耕太郎さんのインタビュアーとしての力量に関心するとともに、藤圭子さんの純粋さに魅了されました。
これからもよろしくお願いします。
獅子風蓮