獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

いつもお経をあげていた母、樹木希林(3)

2023-04-03 01:54:50 | 信仰・宗教

正木伸城さんのインタビュー記事や菊池真理子さんの対談記事が載っていた雑誌に、伊藤比呂美さんと内田也哉子さんの対談記事がありました。

週刊文春WOMAN Vol.16 2023創刊4周年記念号(2023年1月12日発行)
大特集:宗教は毒か?救いか?


BLANK PAGE Vol.16 enchanted by the buddhist sutras
  伊藤比呂美  ×  内田也哉子
(つづき)

いつか死ぬから、それまで生きるというのが生きる。
死ぬってことは、生きるにつながっている

内田 伊藤さんは1997年にカリフォルニアに移り住んでいますが、その理由は?
伊藤 日本に居づらかったんです。前の夫と離婚し、夫婦ではなくなってからも「我々はー、新しいー、家族をつくるんだー」ということで一緒に暮らしながら子育てをしてみたんですが、関係がぐっちゃぐちゃになっちゃった。もうこれ以上は無理だなと家庭を解散し、逃げたんですよね。私には既にアメリカ人の恋人がいて、子どもたちにも紹介済みで、子どもたちも「アメリカに行きたい」というので、3人で彼のいるアメリカに移住したというわけです。
也哉子さんは19歳で結婚していますよね。そのときの報道を覚えていますよ。当時、19歳で結婚するなんて、この人は何から逃げたんだろうと思っていました(笑)。
内田 夫が29歳で私が19歳。「三十路と二十歳の結婚では、なんかすごい節目の決意で結婚したみたいな感覚になるから、ちょっと未熟そうなうちにスタートにしたい」と彼に言 われて、なるほどと思ったんです。
伊藤 19歳の結婚って犯罪にちょっと抵触していないか(笑)。
内田 (笑)。早く内田家から精神的に独立したかったし、今思えば、パリの大学で学び始 めてみて学業の過酷さが身に染みていたところだったから、逃げたかったのかも。
伊藤 夫の本木雅弘さんが納棺師の役で主演された映画『おくりびと』は日本で観て、アメリカで観て、子どもたちにも観せて、友人にも勧めて。
内田 まあ、ありがとうございます。あの映画は20代の本木がインドを旅した際、ガンジ スの川辺で遺体が焼かれる日常の風景を見て、当時読んでいた『納棺夫日記』という小説に 感化され、映画化を思いついたんです。それから10年を経てようやく実現したんですが、 伊藤さんにそうおっしゃっていただけるのはとても光栄だし、またしてもご縁を感じました。
伊藤さんがご両親の遺骨をコーヒーミルで挽いて粉にして、ご家族と海辺で撒いたら、風で骨が煙みたいに宙を舞い身体にまとわりついたと書かれているのを読んで、それが映像として浮かんできて、私もその場にいるようなうっとりした感覚になりました。
うちは両親とも骨壺に入って、母が購入してあったお寺のお墓に入っています。石をどけたら冷たくてまっ暗な四角い空洞があって、せめて2つ並んでいるからいいかと思いはするものの、なんか心底しっくりこなかった。伊藤さんの本のこのくだりを読んで、これこそがプリミティブな弔いで、自分のやりたいことだったのかもしれないって思って、ちょっと泣けてきちゃいました。
伊藤 ありがとうございます。私ね、手を合わせるというのができないんですよ。
内田 私もそうです。何に向けて合わせているかもわからない。親を思うときも手を合わせないです。
伊藤 でしょ。母の遺体を前にしても、母が生きて死んで死骸になっている。生きてない。 なぜそれに手を合わせるのかがわからなくて。
内田 そうそう。私はなんて情のない人間なんだろうって、実は後ろめたかったんです。
伊藤 こんなに共感してくれたのは也哉子さんが初めてですよ。すっごくうれしい。おそらく、手を合わせるという行為が宗教的な感じだからでしょうね。宗教に対する気持ちというのは、どこかシステムとかルールに沿わなくちゃいけないわけでしょう。その仕方も納得してないし、わかってない。それを受入れるって表明もしていない。そのせいのような気がするんですよ。
内田 だからこそ、ご両親の遺骨をコーヒーミルで(コーヒーミルを手で回すしぐさ)。
伊藤 いや、そんなもんじゃなくてマシンでダーッと。
内田 電動? やだあ(笑)。煙のように細かくする必要はあったんですか。
伊藤 骨だと、見つかったときに、これは人間の骨ではないかと騒ぎになる。
内田 そうか、事件性を疑われる(笑)。伊藤さんは2016年にアメリカで一緒に暮らしていた夫を亡くされ、その2年後に帰国されて熊本で暮らしていらっしゃるんですね。
伊藤 夫とはケンカばかりしていたのに、いなくなるとポカーンとしちゃって、なんで生きているのかわからないような感じでした。帰ってきて、熊本の照葉樹林や星空に元気をもらったような気がします。家の中で室内園芸もしているんですが、連中は私たちが思っているように生きたり死んだりしないんですよ。勝手に生き、勝手に死ぬ。死ぬは死ぬで、生きるは生きるだと思っていたけれど、その植物たちは死ぬは生きるで、生きるは死なないなんだなっていうことがわかってきた。
人間も死ぬは生きるで、生きるは死なないということなんだと思うようになりました。いつか死ぬから、それまで生きるというのが生きる。死ぬってことは、生きるにつながっているような気がするんですよ。DNAがつながっていくという考えもあるでしょうが、でも子どもを産まない人もたくさんいる。だからDNAではなく、記憶なのではないか。その記憶とは、ほんの数人が覚えていたらやがて無意識のようなものになる。それが私たちが共有する記憶というものなのではないか。
内田 ああ、わかる。私の両親は半年間に立て続けに死んだんですけど、その直後は感情が何も湧き出てこなかった。今になってようやく、自分の記憶のなかで生き続けていると実感するんです。うっすらとなんだけど。
伊藤 私もうっすらです。ただ商売が商売なので、それをわかったように書くんですよ。いろいろな人に「死ぬってどんな感じ?」って聞いて回ったことがあるんです。みなさんが異口同音に「死ぬのは怖くないんだけど、死ぬ間際に痛いとか苦しいとか不自由とか、そういうのがあるのが嫌だ」と答えました。法然は「臨終はかみすぢきるが程の事」(臨終は髪の毛を1本切るようなこと)と言っている。なるほど、たぶん死ぬってそういうことなんだろう。
意識がそこで途切れて、真っ暗闇になってしまうと思うから怖いわけで、そうしないために宗教というのがあるような気がします。どの宗教でも天国があったり浄土があったり して、人々が生前の意識そのままで生きていると考えたいのではないか。
内田 いろいろな宗教において死後の世界というのは似通っているんですか。
伊藤 似ていますよ。たとえばキリスト教では、死ぬ瞬間、光の向こうに人がいるんですが、それが迎えにきた天使なんですね。仏教では仏様とか菩薩様が迎えにきてくれるでしょ。たぶん脳内で起こる現象で、死ぬ瞬間に光が見えるのかもしれない。その光が信仰によって天使と思うか菩薩と思うかですよね。
内田 私たちのように信仰に拘らない人は?
伊藤 ただの光と思うんじゃないですか。あ、なんか光ってるって(笑)。


参考:
法華経 「薬草喩品」より

カーシャパよ。譬えれば、こんなふうだ、
この全宇宙の、山や川や谷や平原には、 
草や木や茂みや林が生えている。
それからいろんな薬草も生えている。
種類もちがう。それぞれ異なる。
そこをみっしりと雲がおおう。
すきまなくこの大きな宇宙ぜんたいをおおう。
一時にひとしく雨がふりそそぐ。
その水と草のまじわるところ、
何もかもがぬれそぼつ。
草や木や茂みや林や、
それからいろんな薬草たちが、
小さな根の、小さな茎の、
小さな枝の、小さな葉の、
中くらいの根の、中くらいの茎の、
中くらいの枝の、中くらいの葉の、
大きな根の、大きな茎の、
大きな枝の、大きな葉の、
さまざまの木々、大きな木や小さな木が、
高い場所、中くらいの場所、低い場所に、
生えているそれぞれが、
それぞれの場所でそれをうけとる。
一つの雲がふらす雨だが、
その種の成分や性質にあわせて、
うけとってのびる。
花がさいて実がなる。
一つの大地から生えたものだ。
一つの雨がうるおしたのだ。
でもそれは一つ一つの草木に
一つ一つちがうものをもたらす。
カーシャパよ、みてごらん。
如来というのもまぎれなくこのとおり。
大きな雲がわきおこるように、
この世にあらわれる。
大きな声をはりあげて、
雲が全宇宙をすっぽりとおおいつくすように、
世界にも、天にも人にも阿修羅にも、
声をゆきわたらせる。

    現代語訳:伊藤比呂美

 

 


解説
詩人の伊藤比呂美さんが訳すと、難しい漢文のお経も、こんなに親しみやすいものになるのですね。
伊藤比呂美さんの現代語訳のお経を読んでみたいと思いました。

獅子風蓮


いつもお経をあげていた母、樹木希林(2)

2023-04-02 01:25:34 | 信仰・宗教

正木伸城さんのインタビュー記事や菊池真理子さんの対談記事が載っていた雑誌に、伊藤比呂美さんと内田也哉子さんの対談記事がありました。

週刊文春WOMAN Vol.16 2023創刊4周年記念号(2023年1月12日発行)
大特集:宗教は毒か?救いか?


BLANK PAGE Vol.16 enchanted by the buddhist sutras
伊藤比呂美 ×  内田也哉子
(つづき)


「薬草喩品」の訳を読んでびっくりしたんです。
ああ、母のアドバイスの出典はこれだったんだと

伊藤 いやあ、むちゃくちゃうれしいな。「薬草喩品」って比較的マイナーなお経なんですよ。お母様は本当に法華経をくまなく、よく読んでいらっしゃったんですね。
内田 もう少し私も法華経を知ろうとしていたら、もっと深い話ができたのにと思うと、母が亡くなって既に4年が過ぎましたが、ちょっと切なくなっちゃって。
父の内田裕也はロックンローラーなんですけど、破天荒で、いろいろな無理難題を吹っかけてくる人だったので、母は「私にとっての提婆達多(だいばだった)だ」って言っていたんです。提婆達多はお釈迦様の弟子で、いつもお釈迦様の邪魔をするんですか。
伊藤 チャレンジャーなんです。あんまりよくない挑戦ばかり仕掛けてくるんですけどね。 内田 ああ、まさに父です(笑)。だから結婚生活は無理だったし、母とはたまに会えばケンカばかりしていましたけど、臨終の間際、夜中だったけど電話で父を叩き起こして、電話越しに父が「啓子っ、啓子っ」って母の本名を呼んだんです。その瞬間、母はもう意識はないように見えたのに、母の手を取っていた孫の手をギューッと握り返したんですよ。そして息を引き取りました。
伊藤 素晴らしいご最期ですね。
内田 入院中に3回ほど危篤になるという状態だったのに、ある日、「今日、家に帰る」と言い出して。お医者さんが「今のタイミングがよくわかりましたね」とおっしゃったんですが、それでバタバタと家に帰って、その日の明け方のことでした。
伊藤 そういうのを知死期時(ちしごどき)というんですよね。
内田 伊藤さんも母と同じように、たくさんあるお経のなかでも法華経が最もおもしろいとのことでしたが、では、法華経のなかで特に気に入ってるのはどれですか。
伊藤 まさに「薬草喩品」なんですよ。というか、実は気に入ってるのはこれだけ。大学のときにいろいろ読んで「薬草喩品」だけが自分のなかに残ったのですが、それを超えるものがいまだにないんです。
内田 それはびっくりです。伊藤さんが私たちにも伝わるように訳してくださっていたからこそ、私は「薬草喩品」に出会うことができたわけです。そもそもお経が現代詩のような形になっていることに驚きました。お経は、こういうときはこうするといいよという教えが書かれた指南書だと思っていたんですが、そういうありがたいものではないんですね。
伊藤 仏教ってこういうもんだよ、と伝えているファンタジーなんですよ。『ロード・オブ・ザ・リング』が描く「中つ国」のように、私たちの世界とは別の世界があることを信じようとする。『ロード・オブ・ザ・リング』や『ナルニア国物語」や日本のアニメは読む人、観る人もファンタジーだと思ってそれを観ている。それをファンタジーと思わずに、本当にある世界なんだと思わせるのが、法華経のような気がします。
内田 伊藤さんは純粋に読み物としてお経がおもしろかったんですね。
伊藤 私はありがたいと思わずにファンタジーだと思ったから、何が書いてあるんだろうと引き込まれた。たとえば観音経は、何があっても観音様が助けてくれるから大丈夫よ、というほとんど『アンパンマン』の世界です。
法華経の「常不軽(じょうふきょう)菩薩品」は、いつも人にへりくだって、どんなに嫌なことをされても「あなたはいつか菩薩になる」と言って回っている人の話なんですよ。宮沢賢治が強く影響を受けたんですって。
内田 「雨ニモマケズ」的なお経があります?
伊藤 「虔十公園林」というのがそうです。お経は、野良犬が徘徊し砂塵が舞っているようなインドの地で修行者が、人々がおもしろがるようにと語り聞かせていた。「法華経」にしても「般若心経」にしても、丹念に読んでいくとそれがドラマ仕立てであることがわかります。誰が何して、そこに誰が何を言う、あるいはこの人が何かを考えて、あそこに行って書いてきてというドラマ。つまり説経節のようなものです。私には『平家物語』、あるいはホメロスの『オデュッセイア』や『イリアス』と同じように読めて、だから惚れ込んだんだと思います。
内田 たとえば般若心経は、伊藤さんはあえて現代語訳せずに、「ぎゃーてい。ぎゃーてい。はーらーぎゃーてい。はらそうぎゃーてい。ぼーじーそわか。」としている部分がありますね。
伊藤 「ぎゃーてい。ぎゃーてい。はーらーぎゃーてい……」は英語の説明書では「come closer」とか、何かが渡ってこっちに来るんだとか書かれてある。それで意味はわかることはわかったけれど。
でも、原典のサンスクリットを中国語に訳したものをそのまま読むと、ものすごくきれいなんですよ。鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳がほんとうにきれいなんです。私は現代詩の詩人だから、「きれいですね」なんて言われるような詩は書かない。美しい詩は書く必要ないみたいに思っている。でも鳩摩羅什の美しい詩に、もうキュンときたんだなあ。
内田 どこが好きなんですか、その鳩摩羅什さんの。
伊藤 「小根小茎。小枝小葉。中根中茎。中枝中葉。大根大茎。大枝大葉」とか「妙音観世音。梵音海潮音。勝彼世間音」とか。めっちゃかっこいい。鳩摩羅什はどんな人なのか調べたんです。現在の新疆ウイグル自治区クチャに生まれて、母は国王の妹、父はインドの学僧。鳩摩羅什はお坊さんになったんですが、むっちゃくちゃ頭がいいという評判のせいで、中国の軍隊に連行され、美女と一緒に閉じ込められて「破戒」を強要された。
内田 「破戒」って?
伊藤 セックスをしたんですよ。お坊さんなのに誘惑に負けてしまった。そこで仏典の漢訳に取り組んだわけです。サンスクリットのネイティブでもなく、中国語のネイティブでもない人が、訳して訳して訳して訳してというのが、どうです、かっこいいでしょ。
内田 確かに人知を超えてかっこいい。伊藤さんはさらにそれを日本語の詩にした。英語も堪能だから、日本語にすると伝わらないんじゃないかなという情熱のようなものもお腹にズンと伝わる表現をされるから、すごいなって思ってます。
伊藤 いえいえ、英語は高校の通信簿が2だ ったんですよ。
内田 ええっ。でもYouTubeで伊藤さんが英語で語られているのを聴きましたが、完全に母国語のように話していましたよ。普通は他言語で話すと、声のトーンが上がって、ややよそ行きの声になるけれど、伊藤さんは堂々とご自分の魂をそのまま差し出すような話しぶりなので、スカーッとするんですよね。
伊藤 だからね、英語って必要性があればみんなできるんだっていうことがわかった。
内田 あとは度胸ですよね。うちの旦那さんは仕事以外で人とあまり交流しないし、言葉選びに慎重だから、イギリスに長く住んでいた割にはわずかしか上達しなかったです(笑)。

伊藤 ジェンダーの違いもあるでしょ。男として育てられた人って、なんかこう、自分の殻が厚いでしょ。
内田 もしや世間に「強くあれ」と育てられた分、どこか恥をかくわけにはいかないという繊細さがあるのかな。それで失敗と場数の必要な言語習得も遅れがちなのかもしれませんね。もちろん人にもよるけれど。
伊藤 そのとおり。でも、言語を習得するというのは、ものすごく大変でしたよ。だから鳩摩羅什はかっこいい。

(つづく)


解説
原典のサンスクリットを中国語に訳したものをそのまま読むと、ものすごくきれいなんですよ。鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳がほんとうにきれいなんです。
という伊藤比呂美さんの言葉、うれしいです。
毎日鳩摩羅什訳の法華経を唱える喜びをかみしめています。

獅子風蓮


いつもお経をあげていた母、樹木希林(1)

2023-04-01 01:16:36 | 信仰・宗教

正木伸城さんのインタビュー記事や菊池真理子さんの対談記事が載っていた雑誌に、伊藤比呂美さんと内田也哉子さんの対談記事がありました。

週刊文春WOMAN Vol.16 2023創刊4周年記念号(2023年1月12日発行)
大特集:宗教は毒か?救いか?


BLANK PAGE Vol.16 enchanted by the buddhist sutras
  伊藤比呂美  ×  内田也哉子


母、樹木希林はなぜ
いつもお経をあげていたのか

内田 伊藤さんは現代詩の旗手として長くご活躍ですが、お経を現代語で読み解くということもやっていて、何冊も本を著していらっしゃいます。なかでも私にとって運命的な出会いだったのが『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』(朝日新聞出版)なんです。
伊藤 まあ! すっごくうれしいです! 
内田 拝読して、母にまつわる謎がいろいろ解ける気がします。母は2回結婚していまして、私は2人目の夫との間に生まれた子です。私が知らない最初の結婚について、なぜ離婚したのかたずねたら、母は「あまりにも幸せで、これ以上何を求めて生きていけばいいのかわからなくなったから」と答えたんです。当時の精神状態をブラックホールにたとえていましたけど、虚無感にさいなまれ、息をするのも苦しかったって。それで自分から別れを申し出て、5年間の結婚生活に終止符を打っています。ブラックホールを何とかしようと哲学書や宗教書を読み漁り、母がこれだと思ったのが法華経だったんです。
伊藤 お経は法華経が一番おもしろいもの。私も大好きですよ。お母様が興味を持たれたのは法華経のどの辺りですか。
内田 それが、わからないんですよ。ちゃんと聞いておけばよかったと後悔しているんですが、ただ、阿弥陀経のように極楽浄土の美しさを朗々と説いたものより、お釈迦様がこれから悪世末法の時代になっていくというときに人間の苦しみをわかって、その苦しみをどう乗り越えるかということを説いた法華経が一番わかりやすかったと言っていたのは覚えています。
伊藤 也哉子さんも読みました?
内田 読もうにも、まったく意味がわからなくて。
伊藤 私が初めてお経というものを読んでみようと思ったのは大学生のときで、意味なんてわからなくてもいいのかなと思いながら読んでいたんですよ。
内田 母も「意味なんて、ずっと唱えているうちに時々ポロッとわかればいいの。最初からわかったらつまらないのよ」なんて言ってました。
伊藤 お母様は也哉子さんにもお経を唱えるようにとは勧めなかったんですか。
内田 「読んだらおもしろいよ」くらいは。ただ、私が行き詰まっているときなどに「南無妙法蓮華経って言ってみたら呼吸も整うよ」って言うことはありました。いわば、おまじないですね。
伊藤 「南無妙法蓮華経」は法華経のお題目で、「南無」はお任せしますという呼びかけ、 「妙」は「素晴らしい」、つまり「素晴らしい法華経にお任せしますー」って言ってるんで すよ。
内田 そうなんですか。母の勝手な解釈だと思いますけど、母は「この宇宙の法則に則って私は生きていきたいということだ」と言っていました。
伊藤 ああ、すごくいい解釈です、それは。
内田 母は日常にお経を取り入れていたんですね。私の両親は最後まで離婚はしなかったものの私が生まれたときには既に別居していて、うちは事実上シングルマザーだったんです。母は私を1歳半でインターナショナルスクールに入れたので、私は英語は身につけることができたものの日本語がちょっと怪しかった。そこでインターナショナルスクールが6月で終了すると、7月から半年間、地元の区立小学校に転入しました。
その小学校の校長先生が退職されるので、全校生徒が手紙を送ることになったのですが、何を書いたらいいのかわからない。困り果てた私に母がくれたヒントが「雨はどんな木にも等しく降り注ぎ、木々はそれぞれの花を咲かせたり実を実らせたりする。校長先生もいろいろな子どもに教育を注いで、子どもたちがそれぞれの伸び方をしたんでしょうね」というものだったんです。
伊藤 素晴らしいアドバイス!
内田 よくわかんないけどそのまま書いたら、校長先生がいたく感動して卒業式で読み上げ たんですよ。そんな思い出があるものだから、伊藤さんの本に書かれている法華経の「薬草喩品(やくそうゆほん)」の訳を読んでびっくりしたんです。ああ、母のアドバイスの出典はこれだったんだと。


(つづく)


解説
2018年9月15日に亡くなられた樹木希林さんですが、その個性的な生き方は多くの人に愛されました。
私もファンでした。
その樹木希林さんが法華経を愛読し、題目を唱えていたと知って、驚くとともに、うれしく思いました。

獅子風蓮