獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (9)

2021-10-30 01:41:35 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■ブログでできること          投稿日: 2012年2月22日

ネット環境の普及によって、現代人の生活形態が格段に変化したことは言うまでもないのだけれども、こうして一つの社会問題をテーマにブログを立ち上げたときに、それもより多くの方からのレスを求めたときに、どういったことになるのか見当がつかないでいました。しかし、創価学会の実態に気づいてから、まずはひとりで悶々としているわけにもいかず、いったい世の中の人はどんなふうに考えているのだろうという疑問から、ある意味とても無防備な呼びかけをしました。創価学会について語りましょう。対話をしませんか。そしてとても誠実なコメントが多く寄せられました。なるほど創価学会の表と裏にこれだけの人が騙されているんだと言うことがよくわかりました。そのままこのブログでの対話が続くことが望まれたのですが、やはりそういうわけにはいきませんでした。ネットというメディアの性格上、多くの誠実な方ばかりに窓口を開くわけにはいかず、心ない誹謗や面白半分の妨害などが出てきました。それは単に創価学会に対する批判がこのブログの存在によって広まるということの機具もあるかもしれませんが、それとはまた別の社会的病理現象としてのネット内での暴走行為を止める手だてがなかったということもあるでしょう。ひとつはそうしたことも想定した上での防護策を立てるということも考えなかったわけではありませんが、できればすべてをオープンにした上での「対話」を成立させたいという、今となっては儚い夢のようなものを抱いていたのかもしれません。
今でも他のブログでこの「対話を求めて」の批判が行われています。ブログの批判というよりも私シニフィエに対する批判です。それはこのブログへのコメントを否定されたり削除されたりしたことの恨み節のようにも見えます。ここでは何度も書きましたが、途中まではとても理想的に対話が広がっていたように思います。いわゆる荒らしが介入してから、このブログにも不穏な空気が出てきました。いったい何を目的に批判をしているのかわからないようなコメントもたくさん出てきました。このような状況に対して、自分の立場や考えを述べることなく、ただひたすら他者を批判するようなコメントは削除することにしたところ、これまたそのことに対する暴言が絶えませんでした。もうこうなったら収拾がつかない。心ある人は、そうした状況にあえて目もくれず、真摯なコメントを書き続けていただきました。そうした方にはたいへん申し訳なかったと思っています。
しかしこれがネットの現実なんだと思いました。私は普段はネットにかかわるような生活をしていません。もちろん仕事上でのメールのやりとりなどはしますが、パソコンにはりついて情報を集めるような時間はほとんどないと言っていいでしょう。ですから私のような者からすれば、ネットの世界に依存して、自分の正体を明かさずに言いたいことだけを言うものの気持ちが理解できないのだと思います。また理解する必要などないとも考えます。そんな虚しいことを続けて一体なんになるのだろうと思います。貴重な人生の時間をそんなことに費やして、いったい何が面白いのだろうと。私がブログを立ち上げたのは、創価学会の実態を知りたかったからでした。そして創価学会によってたいへんな思いをしている方がたくさんいることがわかりました。たしかに恐るべき実態が見えました。同時にネット社会のどうしようもない闇の部分も見えました。
私にとってネットはあくまで通信手段です。うまく使えば今までにない効率的なコミュニケーションツールとして役に立つものです。しかし所詮ツールはツールでしかありません。ツールに依存し、ツールが中心の生活になることがどれほど危険かもわかりましたし、世の中にはそれだけが生き甲斐のようにして生活している人たちもいるんだということもわかりました。具体的にいえば、このブログを正常に機能させるためには、「対話」を妨害することを目的とするネット依存者をどうやって排除するかという課題があるということがわかりました。「誰でも話せばわかる」などと思っていません。はじめはできるだけ対話の中で理解を深めていきたいと思い努力もしてきました。しかしそうしたことが通用する人間ばかりがきているわけではないということです。
私への批判の中に「自分と違う意見に関しては徹底的に否定する」というものがあります。自分と考えの違うところをはっきりさせたいがために言葉を尽くしていると考えられないのでしょうか。「そうですね、そう言う考え方もありますね、それではさようなら」では対話になりません。また「なに勝手なことほざいてんだバカ」とも言いません。真剣に「対話を求めて」を貫こうとしてきたつもりです。おそらく毎日あまりにたくさんの人が話をされる。真剣に自分の経験を通じて思いを語られる人もいれば、悪質な妨害もある。これらすべてに対応できないままに、最後は罵詈雑言の応酬となってしまいました。これではこのまま続ける意味はありませんので休止しました。
しかし、このブログもこのままでは終われないと思っています。創価学会の実態が社会に示されることがよっぽど嫌な人たちが私に対して「はやく脱会しろ」とヒステリックに叫びます。このブログが再開するのもきっと気に入らないのでしょう。かといって彼らは対話をしようなどとは思ってもいないようです。対話をする気がないのなら来ないでほしい。来るならひとりの人間として真摯な態度で対話に望んでほしい。これだけがここでの私の願いです。
他のブログでこのブログのことや私自身を批判している方に対して言いますが、所詮ネット上のことなので虚しいだけではないでしょうか。どこの誰ともわからない私を批判していったい何になるのでしょうか?そんあ暇があるのなら、ご自分のリアルの生活を充実させた方がよいのではないですか。
(以下省略)


■「対話」と「対決」                    投稿日: 2012年3月5日

私がこのブログを「対話を求めて」というタイトルで立ち上げてから、まだ3ヶ月ほどしか経っていませんが、いろんなことがありました。いまはこうして対話ができない状態にあります。それはある意味仕方のないことかもしれません。
(以下省略)


■久々の投稿になります。        投稿日: 2012年3月19日

久々の投稿になります。311関連のいろんなことや仕事やプライベートなことで、このブログを開くことさえできないほどの忙しさでした。またぼちぼち書いていくことにします。
(以下省略)


■それぞれの都合            投稿日: 2012年3月25日

創価学会が大きな社会問題であるとの視点から、原発問題にも日本人の対応と言うことの共通性があるということで、いくつか原発関連のわかりやすい動画をあげさせていただきます。
(以下省略)


■近日中に再開します。         投稿日: 2012年4月12日

みなさま、お久しぶりです。シニフィエです。およそ4ヶ月前に始まりましたこのブログ「対話を求めて」が、一部の心ない人たちの意図的な荒らしによって閉鎖同然になってしまってから、もう2ヶ月が経ちます。ときどき記事を書いてはいましたが、仕事の忙しさもさることながら、プライベートでも様々なことがあり、更新する気持ちにさえなりませんでした。しかし、ほとんど更新もコメントもないこのブログへも1日に200から300の来訪が続いていたことは、創価学会の問題が根深いことの現れであると感じていましたが、このブログの立ち位置や、今後の展開方法についても思うところがあり、なかなか再開に踏み切るまでに至りませんでした。
ところが、最近予想だにしなかったことが起こり、それが創価学会と深く関わることであったことに気がつき愕然としました。そして、このことをきっかけに、私はこのブログ「対話を求めて」を再開しようと思うに至りました。
これまでも書いていますとおり、ここでは創価学会に関する問題を中心に、様々な方の体験や思いをコメントしていただく中で、真実の対話が生まれることを期待するものです。創価学会の正邪を客観的事実に基づいて検証するなどといったことをする気はさらさらありません。またそのようなことに関しての議論を誰ともする気はありません。ここでは私は私に関する創価学会員としての体験や、それに関する思いを述べていきます。ここをご覧になる皆さんも、単に感想にとどまらず、よろしかったらご自分の体験や思いを述べていただけるとありがたいです。予想されるのは、多くの場合が学会批判になると思います。しかしそれはあくまで個人の体験や信仰心などからくる創価学会の組織活動への疑問である場合が多いでしょう。ひとりでも多くの方が、ご自分の体験や思いをここに述べることにより、創価学会が善良な人の心を巧みにあやつり、彼らの幸せと引き換えに金と権力を恣にして来た池田名誉会長をはじめとした最上部組織の構成員が行って来た悪行に一人でも多くの人が1日も早く気づいてくれることを願っています。
それでは、近日中にこのシニフィエのブログ「対話を求めて」を再開いたします。
また、また皆様からのコメントもいただけるとうれしいです。ただし、このブログの過去にあったような、品性を欠く書き込みや、攻撃的な表現、明らかに意図的なあおりなどについては、管理人の判断で直ちに削除させていただきます。また、対話を受け入れることのない議論のための議論はここではご遠慮ください。

 


解説
2月22日の記事では、シニフィエさんは他のブログから批判を受けていることを書いています。
アウェイでの批判は相当こたえたことでしょう。

4月12日の記事では、シニフィエさんは、「一部の心ない人たちの意図的な荒らしによって閉鎖同然になって」と書いていますが、「一部の心ない人たち」が誰のことなのかは明示していません。
おそらくは創価学会員の乾河原さんのことなのかな、とは思うのですが、乾河原さんの発言を擁護する元活動家さん、小路さんのことは、シニフィエさんは評価するのです。
また小路さんのインパクトあるコメントとそれを支持するアレックスさんのコメントにもシニフィエさんは、反論をしていません。
またもも(ら)さんの発言は、多くの人の顰蹙をかい、シニフィエさんも引導を渡したはずなのに、もも(ら)さんが希望さんと関係が近いせいか、もも(ら)さんは「荒らし」ではないのでまたコメントしてほしい、というような態度をとったりします。
要するに、シニフィエさんは、議論を重ねた上で、あなたとあなたは「荒らし」ですと言い渡すことをせず、八方美人的なあいまいさを残しているのです。
コメントを受けるだけ受けといて放りっぱなしにしてしまったことも、議論を避けたととらえることもできます。
「荒らし」認定にまつわる混乱は、このあとも尾を引きそうです。

この後、記事の更新は止まります。
ここまでをステージⅠとします。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (8)

2021-10-29 01:38:56 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■現在コメント機能を休止しています。      投稿日: 2012年2月12日

このブログ「対話を求めて」は現在コメント機能を休止中です。どなたもコメントできない状態になっています。
これからも対話(コメント)の再開まで、私が感じたことなどをときどき書いていきます。
「つい偉そうに文化人ヅラして『子育ての環境とは』などという発言をしてしまうことがありますが、たいてい誰も聞いていません。つまり、いくら発言をしてもなんの影響力もないのです。必要なのは、理念を語ることではなくて実際になにかをやることです。」宮崎駿
ふとツイッターで目にとまった宮崎先生のことば。あれだけすごいことをされているのに、いつも等身大で謙虚に言葉をつづられる氏の視点には学ぶことが多いです。
(以下省略)
 

■グリーンアクティブが始動          投稿日: 2012年2月13日

本日、中沢新一さん、宮台真司さん、いとうせいこうさんを中心とした「グリーンアクティブ」が発足しました。日本に本当の意味での民主主義が実現可能かどうかを占う、注目すべき試みです。またこの画期的な方法論も「対話」がベースとなっています。
(以下省略)


■荒しとゴミ屋敷               投稿日: 2012年2月14日

このブログをスタートしてからの2ヶ月の期間で、創価学会についてのいろんなことが分かってきました。そしてもうひとつ、こうした学会批判をネットでやっていると、かならずそれを妨害しに書き込んでくる人たちがいるということもわかりました。それは決して自分のことを学会側の人間だとは言いません。でも学会に不利なことに対して、気が狂ったかのような批判を繰り返します。それもどれも皆おなじような品性を欠く語り口です。なんだかおもしろいほど一緒です。
(以下省略)


■コメント欄を再開しますが…         投稿日: 2012年2月17日

このブログ「対話を求めて」はまだしばらくは対話ができそうな雰囲気ではありません。ただ黙っていても、いつまでたっても再開の見込みはなさそうです。というのも私が他のブログにちょっとコメントしただけで、私に対する熱いメッセージをたくさんいただきました(笑)。いわゆる荒らしなんですが、よそさまのブログだろうがなりふりかまわず私への誹謗中傷をくりかえすこれらの人たちがいるかぎりは、ここのコメント欄も再開するわけにはいきません。彼らはなぜかこのブログを閉鎖しろというのではなくて、再開を望んでいるようです。かまってもらいたくてたまらないんでしょうね。そしてとにかく私が脱会することを執拗に繰り返します。先日ご紹介したブログ「創価学会ノート」にはそんな様子が記録されていますが、そこの管理人さんの寛大な配慮で、こうした荒らしも参考資料として残しておくということになりましたから、今でも見ることができます。
彼らが書いてくることはほんとうに人の道から外れているので誰も相手にしないでしょうが、ここの対話もそうした荒らし対策を講じなければ再開の見込みが立たないということになります。
そこでちょっとだけ実験をしてみようと思います。
まず、これから期間限定でコメント欄を再開します。ただし、ルールをひとつだけ決めます。ひとつだけのとても簡単なルールです。
【コメントルール】絶対にコメントしないでください。
これだけです。コメント欄は解放しますがコメントしないでください。普通の神経の方であれば、これがルールなのですからコメントしないですよね。
荒らしの彼らはここで相手してもらいたくてウズウズして一日に何度もこのブログを訪れています。まあよく読んでいます。ほんとに暇なんでしょうね。私の言葉を断片的にとりあげては挙げ足を取ろうとしてがんばっています。ご苦労なことです。ですから先のブログではジョークで脱会宣言を書いた途端、「明日が楽しみ」とか「馬鹿か」とか「嘘つき」とか「糞」などのコメントがすぐに返ってきました。たぶんここのコメント欄を再開したとしても、そうした言葉が並ぶのでしょう。彼らはとくに「糞」という表現が好きなようなので、私も彼らのことをわかりやすいように「ウンコタレチャン」と呼ぶことにします。これまで「あの方たち」とか「彼ら」などと代名詞ばかりで、なんとなく話をしずらかったので、これからは彼らの大好きな「糞」をリスペクトさせていただきながら、もうちょっとかわいい呼び方で「ウンコタレチャン」と命名します。カワイイでしょ(笑)。これから創価学会に関するブログを荒らしにくる人の総称を「ウンコタレチャン」とします。で、HNが◯◯のウンコタレチャンの場合は「◯◯ウンコタレチャン」と呼ばせていただきます。これはここだけではなく、荒らしの一般的な呼称として全国に定着するともっといいですね。ウンコタレチャンといえば荒らしのことだという一般常識になると、彼らのアイデンティティも確立されて嬉しいのではないでしょうか(笑)。
ということで、これからコメント欄を期間限定で再開しますが、結果的に「コメントしないでください」という唯一のルールを無視してコメントしてしまう「いけないウンコタレチャン」だけのコメント欄ということになります。いいですか、もう一度いいます。ちゃんとした方は間違ってもコメントしないでください。ここではまだ「対話」は成立しません。これはウンコタレチャン対策のための実験です。そしてちゃんとしたみなさんはその様子を遠くから眺めていてください。さあ、はたしてどれくらい我慢できなくてコメントしてくるウンコタレチャンが出てくるか、そしてそれは増えていくのか減っていくのか、みんなで暖かく見守りましょう。
ウンコタレのみなさん、ここはしばらく更新しませんので、毎日来ても何もかわりませんよ。(^∀^)v
これは面白半分でやっているのではなくて、このブログ「対話を求めて」を本来のかたちにするための試みだとお考えください。
みなさまのご協力、よろしくお願いします。
もちろんこうしたことをやるのは本意ではありません。いろいろとご批判もあるかと思いますが、こうしたプロセスに我慢できない方はスルーされてけっこうです。実際に気持ちのいいものではないことも十分承知しています。今回の状況を見てから次のステップへ移るつもりです。


解説
コメント欄を再開するにあたって、シニフィエさんは、ある実験をすることにしました。
「絶対にコメントしないでください。」という【コメントルール】を決めたのです。

ここでシニフィエさんは、荒らしのことを「ウンコタレチャン」ということにしますと宣言し、その後、この呼び方「ウンコタレ」が定着していきますが、私はこの言い方が好きではありません。
シニフィエさん自身、かつては「言い争いと汚い言葉は御法度です」と言っていたのに、自分からこんな品のない言葉を使うとは、幻滅です。

これからコメント欄を期間限定で再開しますが、結果的に「コメントしないでください」という唯一のルールを無視してコメントしてしまう「いけないウンコタレチャン」だけのコメント欄ということになります。いいですか、もう一度いいます。ちゃんとした方は間違ってもコメントしないでください。ここではまだ「対話」は成立しません。これはウンコタレチャン対策のための実験です。

とのことですが、どうなりますことやら。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (7)

2021-10-28 01:33:51 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■もうしばらくお休みします          投稿日: 2012年2月10日

SJさん、心から感謝しています。ほんとうにありがとう。私は元気です。
クロさん、yokoさんをはじめ、このブログを応援してくださっているみなさん、ほんとうにありがとうございます。清らかに流れる川に、いきなり黒い汚泥が押し寄せて来た感じで、私は管理人としてこのドブさらいをしなくてはなりませんでした。ドブさらいにはもう少し時間がかかりそうです。どうかそれまで忘れずにいてください。
元活動家さん、あなたを疑ったりはしていませんのでご安心ください。aiさんが何をもって元活動家さんを疑っているのか見当もつきませんし、結局aiさんは何も言わずに去っていかれました。ここであれこれ詮索したところで何にもなりません。元活動家さんのお気持ちはとてもありがたく受け止めています。またお会いしましょう。
ニノさん、過激な言葉ですが、言ってることは正しいと思います。私にとってはユーモアの範疇です。それも痛快なユーモア。ユーモアには知性の裏付けが不可欠です。ただ元活動家さんは彼らとは関係ないのではないでしょうか。
私はこのブログをやめたわけではありません。わがままな寂しがりやさんたちが面白半分に荒らすので、相手にしないでいいようにちょっと休憩しているだけです。仕事にも影響が出てきましたし(笑)。仕事をそっちのけにして、あんな知性のかけらもない連中の相手をするために大切な時間を割くのはバカバカしいですからね。
それからやはり放っておくと敵と見方に分かれて言いたい事を言い合うだけの場所になりました。まさに疑心暗鬼の修羅の世界です。彼らはリアルでの自分の世界の鬱憤ばらしのためだけに、自分のことは完全に棚に上げながら、どうにもならない自分に向かって叫んでいるだけです。何かを相手にしているつもりでも、何もできない自分に腹を立てて吠えているのでしょう。ですから相手にする価値など微塵もありません。
ここでは対話をしようと言っているのに、はなからけんか腰でいいがかりをつけるだけ。何と言われようが何の価値もないと思います。中には一見巧妙に対話を装って近寄ってきますが、すぐに化けの皮がはがれて無惨な独り相撲をとります。滑稽そのものです。要は頭が悪いからです。わずかな知性がコントロール不能な感情にいとも簡単に負けてしまうからです。
でもこれ以上醜態を晒させるのはかわいそうなので、おなさけでコメントできないような設定にしました(笑)。彼らにとって何も言えない場所はリアルといっしょで面白くも何ともないでしょう。見ず知らずの人間のブログに何が楽しくて夜中まで罵倒しに来るのか理解できません。……ほんとは理解できるんですが(笑)、そんなことで自分の人生を無駄にする神経が理解できないという意味です。きっと暇で暇でしょうがないんでしょうね。リアルでは誰にもまともに相手にされないから何もすることがない。せっかく尊い命を授かっておきながら、何をすればいいのかわからないまま身体だけ大人になってしまった。幼いときの愛情が足りなかったのだと思います。だからわけもわからずさみしいんでしょうね。かわいそうなさみしがりやさんのカマってチャンは幼いときに母親の愛情をうけられなかったんでしょう。
まあ、それもその人の人生。いろんな境遇があります。自己責任だなんて誰も責めることはできません。ただ人に迷惑かけることが生き甲斐の人生なんて寂しすぎますね。いやいや、説教なんてする気はありません。実体のないものに説教するなんて滑稽です。それと同じように実体のない私を四六時中気にしながら罵詈雑言を浴びせるのもご苦労なことだなと思うわけです。彼らはこのブログがなくなると、また別の暴れる場所を探しにネットを徘徊するでしょう。自分の心の空白を紛らわすだけのために、ひとさまに迷惑をかけないでほしいと思います。
私も悲しいかな創価学会の両親の間に生まれて来たばっかりに、人生のかなりの部分において、この世界の大切な事から目を背けてきました。創価学会以外はみんな間違いだと幼い頃から言い聞かされてきました。ちょっと考えればそんな事があるはずはないのに、幼い頃から心の底に植え付けられると、目の前のものさえ見えなくなるんですね。親のせいかというとそうではないと思います。犯人はどうとでも設定できるでしょう。池田が悪い、組織が悪い、社会が悪い……。それはもうどうでもいいのです。これからどうやって生きるのか。私にとってはそれが問題です。各人のこれからの問題です。
これまでここでは様々な角度から創価学会のここが悪い!ということも言ってきました。そりゃ言いたくもなります(笑)。でももうそれもいいかなと。これからは徹底して創価学会の実態について語るということをやっていこうと思います。いい悪いはともかく、これが本当の姿だということを示して、あとはこの真実についての対話をしていく。その事実に基づいた話をどう見るかを見る方にすべてお任せするということです。一方的ないい悪いの判断はしない。しかし徹底して目の前にある実態を語っていく。みんなで語っていく。たくさんの人が語っていく。そこにはいい事もあるだろうし、悪いこともあるでしょう。たぶん悪い事が多くなるとは思いますが(笑)、それは仕方がない。とにかく徹底して粛々と語っていく。ウソだデマだという隙間がない事実の話をしていく。そしてそのことについての対話をしていく。私の目の前の現実の創価学会はこうです、ということを如実に語っていく場所。自分のところではこんなことがありました。彼女のまわりではこんなことがあって、こんなふうになりました。昔、こんなことがありました。いまこんなふうになってます。いろいろあるでしょう。でも実際に自分が見た話、体験した話に限ります。陰謀論がどうとか、他の宗教がどうとか、教義に照らしてどうとかではなく、創価学会の現実を世に示す事に特化した場所にしていければと思っています。憶測やいいかげんな情報に基づく話は即削除。もちろん悪意のあるコメントはみんなで徹底的に無視して削除。こんな感じで再開できたらいいなと考えています。
でも申し訳ありませんが、私はもうしばらくお休みします。前にも言ったように「対話を求めて」はやめません。やめたわけではありませんのでお間違えなく。ここはあくまで対話の場所です。ネットだからこそできる対話の場なのです。気に食わなければ来なけりゃいい。気に食わないからって文句を言われてもしょうがない。どんな立場や考え方であっても、お互いの存在を認め合い、意見の違いを認め合った上での会話を「対話」と考えています。対話の意思のない嫌がらせや一方的な批判に終始する態度は排除されて当然です。対話をする意思のあるもの同士が互いの生き方や考え方を持ち寄って、共感する部分や新たな発見を見つけ出すところに価値があると考えます。これまではできるだけ広い窓口で、多くの人の声なき声も含めた対話の場にできればという、いわば理想論が先に来てしまい、現実の病んだ部分のことをこれほどまでだとは思っていませんでした。彼らの言動はいわば現代社会の病んだ澱だと思います。残念ながらネットのシステムの性質上、そんな世界ともつながっています。なんでもありの野放図なネットの世界にしか生きていけない病んだ部分が、どうしても忍び寄ってきます。しかしそんなものを相手にしている暇はありません。創価学会という化け物に一人でも多くの人が気づくことができるような真実の声が、これからもひとつでも多く集まっていけるような場所にしていきたいと思っています。もっと効率的な体制に整え直した上で、「対話を求めて」は再度スタートします。それまでもう少しお待ちください。
なお、今はコメントはできないようにしていますが、もう少ししたらここのコメントはアドレスと名前を記入してログインされる方のみ可能にして、さらに承認制をとります。もちろんアドレスが表に明かされることはありません。また表示されるかどうかも管理人の判断とします。ですから表に出していいのか悪いのかも書いておいてください。
ニノさん、あなたのHNをみたときから、私もお話がしたいと思っていました。ここから去っていかれた方のお友達ですよね、ニノさん。もうすぐここからだったら秘密のお話ができますとお友達にもお伝えください。是非お待ちしてますと。

 


解説

シニフィエさんの書く文章は冗長ですね。
読むのが大変です。
心が不安定なせいでしょうか。

シニフィエさんは、「わがままな寂しがりやさんたちが面白半分に荒らす」と言っていますが、具体的に誰のことを指して「荒らし」としているかははっきりしません。
元活動家さんのことは疑っていないと明言しているので、おそらく元活動家さんや小路さんは正式には「荒らし」と認定されてはいないのでしょう。
彼らは私から見ると良識派だと思うのですが、乱暴な言葉遣いをする愉快さんやもも(ら)さんは、彼らから見たら「荒らし」そのものです。
でも、シニフィエさんは、愉快さんやもも(ら)さんについて、「荒らし」認定するわけでもなく、去っていくのは残念だという態度を取るのです。
一方、前回登場したニノさんは、乾河原さん、元活動家さん、そして小路さんの三人を「3バカトリオ」と名付け、次のように揶揄しました。

乾河原さま、元活動家さま、そして小路さま、ありがとうございました \(^-^ )♪
みんなあなたたちの三文芝居をニヤニヤして見てたのがわからなかったんでしょうか。

このようなニノさんに対して、

ニノさん、過激な言葉ですが、言ってることは正しいと思います。私にとってはユーモアの範疇です。それも痛快なユーモア。

と一定の評価をしているのです。

こうして、口では元活動家さんを疑っていないといいながら、乾河原さん、元活動家さん、そして小路さんの三人を「荒らし」の中心人物であるかのような雰囲気に誘導していきます。

結局、ブログが荒れて休止に追い込まれていったのは、悪意のある「荒らし」のせいなどではなく、シニフィエさんがどっちつかずの対応をしたため事態の収拾がつかなくなり、さらには管理人の責任を放棄してブログを放置したため、誰が「荒らし」なのかわからないカオスの状態となったからではないでしょうか。
やがて、ブログから良識派の大人たちが去っていき、シニフィエさんも徐々に変質していき、彼の考えに沿わない意見は出しにくい雰囲気に変わっていったのではないかと思います。

憶測やいいかげんな情報に基づく話は即削除。もちろん悪意のあるコメントはみんなで徹底的に無視して削除。こんな感じで再開できたらいいなと考えています。

今後は、上記の方針をとることを考えているようです。
とりあえず、しばらくはコメントをできないようにして、やがては承認制にしてコメントを復活する予定のようですね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (6)

2021-10-27 01:30:46 | 対話ブログ

前回に引き続き「しばらく休みます」のスレッドについたコメントです。


●春田の(2012年2月9日 18:18)
はじめまして。アンチ創価の立場で十年くらいネットで創価学会批判を続けている者です。
創価学会からの脱会方法を案内するサイトを運営しております。
別に命の危険を感じたことはありません。一部信者さんの非常識さにうんざりしたことはありますが。

ただ、デマやガセネタによる創価批判が盛んなことについては、常々憂慮しています。
その一々についてここで述べようとは思いませんが、そうしたデマの検証についてなら、
相反する立場である信者さんとも共通の土台に立って、対話が成り立つのではないかとも考えています。

こちらをざっと拝見したところ、沢山の議題が話し合われているようですが、そのうちの一つについて。
「白バラ通信」のような内容が創価学会に対する名誉毀損となり得るかどうか?ですが、
私は、十分にその可能性があると思います。詳しくは以下をご覧ください。

http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1309101454/239-240

上記のスレは、創価批判に混じるデマの検証のために立てさせて頂いたものでもあります。
また、リンク先のレスを書かれている方も、長年創価学会を批判し、
併せて脱会に関するご相談にも応じてこられた方です。
その上で、しかしアンチ側の馴れ合いを排した自浄作用も必要なのではないでしょうか?

でなければ、「ネットの批判は嘘ばかり」という学会側の言い分に
説得力を与えるだけの結果となってしまいますからね。


●春田の蛙(2012年2月9日 18:21)
すみません、途中で送信してしまいました。名前欄の「春田の」は「春田の蛙」が正しいです。

最後に客観的な創価学会批判について、参考となるブログの一つをご紹介しておきますね。

http://toriaezumitekitayo.blog88.fc2.com/

こちら↑は、私の親友のブログです。
彼も脱会された元学会員さんですが、毎回とても丁寧な記事をupされていますよ。
アンチさんであれバリ信者さんであれ、コメントは歓迎とのことです。

では、長々と失礼いたしました。


●乾河原(2012年2月9日 20:12)
最後のコメントです。
もしどなたかこの種のブログを立ち上げそして運営する時に、一つ二つ気をつけていただければと思います。

1、180度反対意見を、まず大事にする
  「対話」で何かを引き出そうとする場合、同種の意見ばかりのところに建設的なものは決して出せません。ある有名な企業の社長さんは、自分の意見を会議で出した時に、全員賛成した場合はその案を即座に撤回して、再度別の意見を考えるそうです。これは誰にでも出来ることではありません。井戸端ブログにするのなら、星の数ほどあります。それこそ99%のアンチ創価学会ブログがそうでしょう。対話を大事にできない人、人の書いている事に真剣に取り組もうとしないサークルは、もうやめましょう。

2、コメントを出してくれる人を人間扱いしてください
  ここでの経験で、数人以外は全く話の通じない人だと実感しました。「ばり活」というここでの偏見的呼び方、全く一方的な話しの進め方、軽蔑しきった話方…。そんな風に人を見ているのか、とよく解りました。人をそういう目で見るということは、人からもそういう目で見られているということに、そろそろ気がついてもいいかと思います。もし自分と同じ人間がこのコメントを出してくれてると本気で感じたら、こんなブログにならなかった気もしています。

創価学会を盛んに批判していますが、批判とは論点をしっかり持って話さないと、結局タメにする批判に落ちていきます。
また、自分の言葉で書くべきです。気に入っているブログの文章をそのままコピペしてきて、どうだ!!という感じで胸を張っている方が多いですが、なぜ自分の言葉でその内容を要約し、あとはこのURLを、とそう言えないのか不思議です。自分で自信を持って自分の言葉で書けない文章を読まされることは、非常に苦痛です。それは、「なーなーのブログ会」に持って行くべきです。とてもよろこばれるはずです。

では、お体に気をつけて。さようなら。


●あらら(2012年2月9日 20:42)
おいおい、
乾河原さんよ
あんたは一体、何様のつもり

●あらら(2012年2月9日 21:00)
乾河原さんよ

あんたこそが
問題の原点なんだ

あんたを支持してんのは
自称元活動家だけだ

シニフィエさんも希望さんもここの常連だった連中も
あんたの正体に気づいているんだ

あんたこそが創価学会そのものなんだ

最後、最後と言いながら
いつまで、かまって欲しいんだ?

今日は最後だけど

明日になれば
また始まるんか?

本日 10:16のコメントにあんたの本性が全部晒してある
あんたみたいな学会員はきっとたくさんいる
素性を明かさない(そのように訓練されている)

あんたの所属と役職はバレバレ

本当に本当にご苦労

いい加減にしないと

たおしちゃうぞ、創価学会(爆笑)→一度使ってみたかった(笑)


●元活動家(2012年2月9日 21:15)
乾河原さん、建設的なご意見、ありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。

1について
ここはアンチブログですが、訪れてきた学会員さん(アンチとは180度考えが異なる)に対し、
礼節を持って接しなければいけませんよね。すでにここの時点で間違っていたと思います。

2について
まず、私もバリ活という表現を用いたことに対し、お詫び申し上げます。確かに学会員さんから見れば
気分の良いものではないと思います。相手の立場に立った表現が必要だと思いました。

「あらら」氏へ
誰であるかは大体検討がつくが、いい加減にしなさい。シニフィエさんがあなたの
書き込みを見てどう思うと思うかね。


●替天行道(2012年2月9日 21:29)
10:16のコメントを見てまだ擁護している人間がいる

わかりやすいね

本当にわかりやすい


●元活動家(2012年2月9日 21:47)
替天行道さんへ
あなたは創価のおかしさに気づきましたが、まだそこまで至っていない人もいるのです。
あなただって、かつては活動家だったのでしょう。乾河原さんはまだその段階なのです(このような
言い方は乾河原さんに失礼だと思いますが、替天行道さんと話す上で必要な表現なのでご理解願います)。
また、このブログは乾河原さんのような方が対象です。その方を排除してどうするのですか。

それから「10:16のコメントを見てまだ擁護している人間がいる」
というのなら、11:27と14:51と20:12のコメントを見てから言ってください。

シニフィエさんへ
このブログ、もうダメです。一連の流れを見ればお分かり頂けると思いますが
アンチ側に問題があると思います。ここは対話の場ではなく、
アンチが学会員を叩く場になっています。シニフィエさんが絶望する気持ちがわかりました。


●ai(2012年2月9日 22:39)
わたしは、ネット状で創価学会が闇の組織との関わりがあり、人を抹殺することもある、との頻繁な情報を正直、嘘デタラメであると思っていました。

しかし今日、都内へ出かける行き帰りに、いままで体験したことのないような非常な恐怖を感じることが複数あり、正直、身の危険を感じました。
被害妄想の賜物であると思ってくださっても結構です。
ただわたしは、即座にここへ書き込んだ自分の投稿内容へと結びつける以外に気持ちは働きませんでした。

そして、帰って来て、乾河原さんと元活動家さんのあのような書き込みを読み、創価学会はそこまでやるか?と正直、驚いています。
また上記で述べた創価学会の闇の噂もあながち嘘ではないと革新し、また今日体験したことを敢えてここに明記することに至りました。

前の日記で、わたしは既に、乾河原さんの正体を薄々感じており、気味が悪いと書き込みましたが、まさか伏線に元活動家さんがいるとは夢にも思いませんでした。

今思うと、もも(ら)さんや愉快さんの嗅覚とも言える真偽を見分ける本能に敬服致します。
わたしの見方が浅はかでありました。
ここにお詫び申し上げます。

たしかに創価学会は巨大なモンスターでありますが、だからといってこのBlogを軽視してはいないと、わたしの体験上深く実感しました。
どんな小さな蟻でも全力で潰しにかかる、それが創価学会の真実の姿です。

だからと言って恐れることなく、わたしはこの場で敢えて、今目に前で起こっている事実を発信しようと思い、こんな馬鹿なコメントをしています。

人が弱ったところをすかさずつけ込み攻撃する、なんと卑怯な人たちでしょうか。
そして、これはまだまだ創価学会の一部でしかないのだと、わたしはいま気がつきました。
正直、ここまで物凄い団体だとは想いもしませんでした。
一体、なにを守るためにここまでするのでしょうか?


●元活動家(2012年2月9日 22:54)
ちょっとまって下さい。これ、一体どういうことですか↓。

>まさか伏線に元活動家さんがいるとは夢にも思いませんでした。
今思うと、もも(ら)さんや愉快さんの嗅覚とも言える真偽を見分ける本能に敬服致します。
わたしの見方が浅はかでありました。
ここにお詫び申し上げます。

これも意味不明です↓。
>そして、帰って来て、乾河原さんと元活動家さんのあのような書き込みを読み、創価学会はそこまでやるか?と正直、驚いています。

私が創価の回し者で、aiさんを陥れてるみたいではないですか。一体どうなってるの?
こりゃダメだ。私も自分でアンチブログやろうかな。


●通りすがりの2世(2012年2月9日 23:02)
アンチと内部ではそもそも対話が成立しないのではないでしょうか?
このブログで色々な体験やおかしいと思った出来事を発信して、それを見た
方々が独自の判断で自分で調べていくうちにMCがとけていくのかな?と2世の
私は感じてました。このブログを訪れて自分の心が軽くなっていくのと同時に、
今現在少し前の管理人様と同様の方たちにも光というか灯台のような存在のブログだと
思います。シニフィエさんの今までの心労をおさっししますが、少し休憩した後再び再開される
ことを希望します。対話がうまくいかなくても少なくとも私には有意義な存在のブログでした。
シニフィエ様ありがとうございました。


●小路(2012年2月9日 23:11)
>アンチと内部ではそもそも対話が成立しないのではないでしょうか?

しかも管理人は内部アンチときたもんだ。
いまだ心がグラグラの内部アンチ。
内部アンチって自分が言ってるだけで、世間から見ると
管理人氏は「創価学会員」以外何者でも無い。
けじめないと何をしても無理です。


●ai(2012年2月9日 23:11)
透明マントをかぶっているつもりですか?
でも、そのマントは穴だらけで、もう誰もが正体をハッキリ見ておりますが…
非常に狡猾で計算高い方のようですね。
また、その手のプロのようです。


●元活動家(2012年2月9日 23:26)
ブログ管理者が狙われず、1コメント人のaiさんが狙われたというのですか。
そんな話、聞いたことありませんよ。そもそも管理人ではなくコメントしているだけの人物が
特定されるなどということがあるのですか。それにaiさんが創価にとってそんなまずい書き込みしているとも
思わないし、その程度で創価に狙われたというのなら、他にもそのような人がたくさんいるはずでは
ないですか。こんなわけのわからない書き込みを相手にするのだから管理人さんは大変ですね。
再開するときはこれまでと違う方法を考えたほうが良いと思いますよ。本当に。

まさかアンチ側から成りすましみたいなことを疑われるとは思ってもみませんでした。
気分悪いですね。


●小路(2012年2月9日 23:29)
マインドコントールとかいう言い訳も被害妄想の一種ですね。
バリ活学会員は、ネットには書き込みしません。
ネットに出入りする学会員は全員「どうしよかな?やめようか?つづけようか?つづけるのめんどうくさい。やめるとなんかこわい。」
こんな意志薄弱な奴ばかり。
私もその一員です。


●ai(2012年2月9日 23:29)
sinifieさん
考えてみれば、わたしの少しでも学会を組織で悩める人の声をとの想いでのコメントが、狡猾な学会員に利用され、この掲示板を複雑なものへとしてしまったのかもしれません。
もし、そうであるのなら深くお詫び申し上げます。
わたしの投稿は、これで終わりにしますね。


●元活動家(2012年2月9日 23:34)
私も気分悪いので、シニフィエさんが再開するまで書き込みは控えます。
そうやってここを荒らしていれば良いですよ。まともな人物はどんどん去って
残るのは、盲目的なアンチだけになりますよ。


●ニノ(2012年2月10日 00:54)
はじめまして、ニノと申します。
非活の2世です。
わけあってそれ以上の自己紹介はカンベンしてください。
狙われたくないですから(笑)

最初のほうからずっと見てました。
この方たち、やっとバレてるってことに気づいたみたいですね。
これこそが腐った創価学会の真実ですね。
どこまでも汚い、汚すぎるにもほどがある。
しかしそれが池田創価学会です。
この3バカトリオはそれをわざわざ教えに来てくれましたよ。

乾河原さま、元活動家さま、そして小路さま、ありがとうございました \(^-^ )♪
みんなあなたたちの三文芝居をニヤニヤして見てたのがわからなかったんでしょうか。
以前、シニフィエさまが「アンチ学会の旗手は創価の盲信者」とタイトルされたことを
そのまま身をもって証明してくれましたね。おつかれさまでした!
よ?やった! d(^0^)b 

>今まで私のコメントに対してしっかりとした反論(悪口、愚痴ではなく、論証を示した反論)は、
>はっきりと言ってゼロ。これがここのブログの「真実の対話」の実態でした。

という乾河原さまの書き込み。

でも乾河原さまの主張は、すぐにシニフィエさまや
その他の方がいとも簡単に確かな事実を示して論破されているではないですか。
それをまあ、ヌケヌケとよく言えたものです。
みんなちゃんと見てますよ、活動家も非活もアンチも一般人も。
毎日毎日何千人ものひとたちが、あなたたちのマヌケで卑劣なコメントを。
巧妙に騙しているつもりだったのでしょうけど、
はじめから自分たちの墓穴を掘りまくりでしたよ。
あなたたち三人揃いも揃って頭が悪いんじゃないですか?(* ̄m ̄) ププッ
それともアタマ八つに割れてんですか?(爆笑)←
この最後の慌てようといったら吹き出してしまいました。
そしたら宇和島さまがダメ押しですか、ハア??
宇和島だけに 恥の宇和島塗り?! な?んてねv(≧∇≦)v イェェ~イ♪
穴があったら入りたい気分でしょ?
あ、もう入ってるか。
きっとはじめからすっかりシッポを出してるのがわからなかったのでしょうね。
これで脱会者も急増です。
恥ずかしくってやってられっか?!って感じo(`0´)=0 パーンチ!

これこそ悩める創価学会員のみなさんに見てほしい実態だと思いました。
ところで3バカトリオさん、上に何て報告するんですか(笑)
恥の宇和島塗りさんは幹部ですか?
失敗しました?って?
きっともっと上のもっとオバカな幹部から
地獄に堕ちろ?って言われますよ(大爆笑)←これも使ってみたかった?(笑)

今ごろさんざん出していたシッポをまいて逃げているころですか??
もしこの期に及んでここの皆さんに何か言うことがあったら聞きますよ?。
あなたたちが何も言わないならみんなを騙していた証拠だし、
たとえ何か言ってもボロ出しまくりですからね。
さあ、いらっしゃ?い!\(●⌒∇⌒●)

これで一件落着ってとこでしょうか。
シニフィエさまも休んだ甲斐があったというものです。


●元活動家(2012年2月10日 01:22)
>あなたたちが何も言わないならみんなを騙していた証拠だし、

そこまで言うのならば再登場しましょう。まず、管理人さんはIPでニノ氏が本当に
初登場か確認できると思います。おそらく、初登場ではないでしょう。

それからニノ氏の表現。自分で読んでいて恥ずかしくないですか。
管理人さんが以前言っていた内容を全く理解していませんね。

>みんなあなたたちの三文芝居をニヤニヤして見てたのがわからなかったんでしょうか

他の2人がどこに住んでいるかわかりませんが、シニフィエさんがIPを見れば全く別の居住地であることが
わかると思います。

とにかく、その汚い言葉遣いがシニフィエさんを苦しめていることを理解しなさい。
アンチであれば何を言ってもいいと思ったら大間違いです。


●ニノ(2012年2月10日 01:53)
ほらほら、法華経の行者さんが慌てふためくわ、応援部隊は出てくるわ、
ほんとわかりやすいったらありゃしない。
シニフィエさまは、荒れてもいいって言ってましたよね。
そのほうが真実がわかるって。
つまりホントの荒らしが誰なのかってことをはっきりさせるためだったんですよ。
いや違うな。創価学会の真実をこうやって浮かび上がらせるための作戦なんだよね、きっと。
あったまいいわあ?w(°o°)wシニフィエさま
だけど、あぶり出される前に、自分であぶり出されてやんの(* ̄m ̄) ププッ
3バカ行者トリオさんと応援地湧の菩薩団さんたち、
あきらめて報告書を書きなさいって。
自爆しましたって (((((≪ちゅどーん!!!≫)))))
 
だいたいこんな時間に揃いも揃って出て来て、
おまけにすかさず応援部隊まで駆けつけるなんて
話が出来杉良太郎でしょ(笑)


●元活動家(2012年2月10日 02:15)
応援隊かどうかはIPをみればわかるでしょう。

それから宇和島氏と小路氏はシニフィエさんに否定的な見解を述べていますが、私とはこの点で大きく異なります。
それぞれの主張している内容は別方向を向いていますし、何の関係もないですよ。都合のいいようにこじつけてますね。

私はシニフィエさんは模範的なアンチだと思って応援しているのですが、わからないですかね。よく、文章読んで下さいね。
私もこんなくだらないことに答えるのが馬鹿みたいです。


●涼風1号(2012年2月10日 03:34)
面白いぐらい、乱れ、荒らされてきたなぁ。
もはや、誰が正論と言っていて、誰が邪論を言っているのか、分からない世界に成り果ててしまったようで…。
これは対話ではなく、相手の声に、さらに大声で応えるようなもんですね(笑)

管理人さんの綺麗で純粋な思いは、実は結局、誰にも伝わっていなかったんですね(私も、か)。

ただ一つ、この世界で恐ろしいぐらい、はっきりとしていることは…。
「やっぱり、創価学会は、恐ろしい」ってことですかね(苦笑)
この混乱も、自分の発言も、全部、“創価学会”のせいにしている。
自分が吐いた言葉なのに、自分自身の心から発せられたことなのに…そうではない、みたいな。

恐いですね…これが現実。
ますます勉強させていただきました!


●Agent(2013年6月8日 18:55)
春田の蛙って、アンチのふりをしてアンチを叩いているから気をつけな。つまり、”Double Agent”だな。


解説
いやあ、シニフィエさんが放置したせいで、荒れに荒れていますね。
これが「現実」というやつですか。
見たくない現実の姿ですね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:カオスへ (5)

2021-10-26 01:28:23 | 対話ブログ

前回に引き続き「しばらく休みます」のスレッドについたコメントです。


●乾河原(2012年2月9日 10:16)
もう少しだったのに。もうちょっとでこのブログを侵略出きてたのに、残念だ!
閉鎖されちゃ、もう二度と手が出ない。

実を言うとこのブログに記載されている事は全部本当だったのだ。学会は世界征服を牧口初代会長時代から狙っていたのである。毎年入ってくる貢ぎ金を元に裏の学会を創って、やばそうなやつを全員血祭りに上げていたのである。
私は実を言うとその裏学会「世界を頑張って征服しよう~~~~!会」のCEO兼作業員だったのだ。この組織に入る事は難関中の難関。「バカタ大学」若しくは、「陰謀学園MC学科」の卒業程度の知識の持ち主で尚かつ、、社会で全く相手にされないような人材でないと入隊できない。
入隊してからはそれぞれ非常に難解な教育を受ける。

1)「陰謀論拳」…これは1万年前から或るグループに伝わっている門外不出の殺人拳なのである
2)MC理論…「ま」ーまー、「し」ゃーないじゃん、自分がそう思ってるんだもん理論…非常に難解な理論でしかも技術体系はそれこそいい加減といわれている
3)政教分離一辺倒論…簡単な理論だが、恐ろしく難解な風に見せる理論
4)書道3級程度の実力(プラスインテリアデザイナーの資格があればさらによし!)
等の技術を得る等、非常に狭い門を拾得しなければならないのである。何百人もの優秀な人材が脱落していって、残ったのは、カスばかり。(殺されるかもしれないが、話しておこう)

サイバー攻撃もやっている。「空飛ぶスパゲッティマン教」とは密接に連絡を取り合って全世界の情報をやり取りしている。ただ、学会は年間1000兆円の寄付金が集まるのにウチの組織には1ヶ月に580円しか廻ってこない。なので中古の「Windows3.1」一台、「MacOS7.1」二台で頑張っている。しかし時代に合わないような気もする。Macはすぐにフリーズするし、3.1PCはコマンド操作が余りよく分からないのでホコリをかぶっている。予算を増やしてくれと学会本部や池田先生に直訴したこと5000回。この1月にやっと55円(消費税引き)増やしてくれたが、まだちょっと少ない気がしている。(あ、謗法か?)考え得る最高の機材、人材を駆使して反学会サイトを攻撃しているがなぜか全て失敗している。今最新技術のダイヤルアップなのだが、何が悪いのか組織の技術グループが徹夜で調査中である。もう少しお待ちを。

諜報員(暗殺者)は一億人ほど日本にいるが連絡はポケベルなのであまり効率的とは言えない運営だ。脱会者とか反学会組織を潰すために日夜殺人拳の練習をみんながしている。しかし、なかなか上達しない。何が悪いのか?豆腐を手刀で割る事が此の拳法の極意なのだが、私一人しかその技を習得をした人間が居ないところが厳しい。やはり武術は天性の才能がものを言うようだ。

「政教分離一辺倒・議論無視!」グループは、とにかく政教分離を叫ぶ輩に対して「あっかんべー」をすることが仕事となっている。ここの人材は「東京大学」とか言うよく分からない大学から採った人間が中心となって、アルバイト(主に学会宣揚のビラ配り)の合間にやっている重要な仕事である。が、あまり頭のいい連中ではないのでみんなから馬鹿にされているのが現状である。

「MCを元気にやっていこう」という組織は学会でも最重要な組織である。マイクロコンピューター(最新鋭の4ビットパソコンだ!!!!5000台所持)を使用してテレビ、ラジオ、そして様々なマスコミのサーバーに対して、正確に80%の情報を流さないように気をつけている組織だ。この正確にと言うのがなかなか難しい。ともすると2%に落ちるときもかなりの確率で起こる。これも原因不明なので、学会本部近くにある池田電気屋さんに見てもらっているが、未だ解決していない。早く正常復帰しないと、それだけ世界征服が遅れてしまうのに。学会本部の人間は、無能の限りである。

まだいろいろな組織があるが、これ以上話すと消されてしまうのでやめることにする。これは学会からのリークだと思ってもらえると、ありがたい。
乾河原より(あくまで匿名なのである)

●乾河原(2012年2月9日 11:27)
乾河原です
少々悪のりした感がありますが、ただ、反学会といわれる人間の言い分はこういう雰囲気です。はっきり言って失礼だし、論理の飛躍そのもの、反対意見を全く受け付けない、どこかよく分からないブログからコピペしてきたものを出して「真実の状況だ!!」などといわれて、さて誰が真面目に対応できるでしょうか?
ブログは全国に星の数ほどあります。その一つです。学会で組織立って反学会ブログを監視しているなどと言うおとぎ話を、どういう人間が信用するのか考えてみてください。面白半分に見ている人間、全く宗教も知らないけれど何か面白いものがあればと思っている人間、自分では何も考えられない人間等々。そういう人間同士の対話がどういう方向に行くか、想像すればいいです。全くの陰謀論の井戸端会議。この程度のブログは全く無視しています。
「だよね♪そう思うモンね」「だよね」「議論なんかやだもんね」という話が、主でしたね、ここでは。
今まで私のコメントに対してしっかりとした反論(悪口、愚痴ではなく、論証を示した反論)は、はっきりと言ってゼロ。これがここのブログの「真実の対話」の実態でした。

管理人さんの理念は今もすごいと思っています。休むのは非常に残念です。続けてほしいと思っていますよ。大変でしょうけどね。途中で止める事って、さて、どこかでやりませんでした? MCがどうのって理由を付けて、退転。
最後まで貫けなかった自分を責めるべきです。理由を外に探していた自分自身を反省するべきです。
他人を責め続けても、今の日本は変わりません。
では、さようなら。

●元活動家(2012年2月9日 13:23)
乾河原さん
>少々悪のりした感がありますが、ただ、反学会といわれる人間の言い分はこういう雰囲気です。はっきり言って失礼だし

確かに一部にこのような雰囲気はあり、不愉快な思いをされてしまったと思います。そのような表現があると怒るのも無理ございません。この点はアンチを代表してお詫びします。申し訳ございませんでした。

>学会で組織立って反学会ブログを監視しているなどと言うおとぎ話を、どういう人間が信用するのか考えてみてください

上記ですが、これは事実ですよ。アンチブログやっていて職員に見つかった人の話です↓。どこの誰がやっているかわからない訳のわからないブログなどとはおっしゃらないでくださいね。ブログとはどこの誰がやってるかわからないものなのです。その意味では希望さんなんかは実名でやっておられるので、より真実味はあると思います。
http://blog.goo.ne.jp/nonnbiri_2008/e/f4bd9c9a41e67cca5ccb395a45e6edaf

それと、以前の書き込みで

「脱会者は何でも話します。作り話でもね。それを真実と信じる具体的な証拠というものがあるのかどうか、それこそ具体的に示すべきです。」

とありましたが、これはむしろ逆で、学会の本性を知って嫌気がさしてやめたのです。私も以前は必死に活動していて、大本営(学会本部)側ばかりの意見を聞いていましたが、いろいろ疑問がでてきて、退転者といわれる側の情報を調べたら、驚くことがたくさんでてきました。そして、それらの情報は信用のおけるものだと判断したのです。喧嘩する場合は両者の言い分を聞かなくてはダメです。両者の意見を聞いて、初めて判断が下せるのです。学会側だけでも、アンチ側だけでもダメです。私は両方の意見を聞いて、学会はやはりおかしいとの決断を下しました。

脱会した大幹部の本を読まれることをお勧めします。一押しは昨年秋に発売された公明党元委員長矢野氏の「乱脈経理」です。学会の驚くべき実体が記載されています。簡単なストーリーとしては、学会や池田大作が行った脱税を、公明党が竹下登氏らに依頼してもみ消したというものです。

原島嵩氏や山崎正友氏などが書いた本も一読の価値があります。信じる信じないは読んでから判断されてはいかがでしょうか。違うと思ったら信じなければ良いだけです。学会は末端の人間は純粋な信仰心がありますので、まさか上層部があんなに腐っているとはなかなか信じられないとは思いますが。とにかく、両者の意見を聞くというのが基本で、そこから初めて対話が始まるものと思います。


●元活動家(2012年2月9日 13:50)
続きです。
私は今回のシニフィエさんが疲弊した理由を次のように考えています。

乾河原さんのコメントで

>反対意見を全く受け付けない

とありました。一部のアンチ側は、少しでも学会活動者側の人間が来ると、「学会の謀略だ」と考え
失礼な書き込みをしています。

2月4日のブログ「創価学会現役活動家のみなさまへ」の中でのコメントのやり取りを読むとわかります。
乾河原さんの真摯な質問に対し、アンチ側がどのようなコメントを行ったのか読み返してください。
このようなコメントを返されたら乾河原さんが怒るのも無理ございません。
対話以前に、相手を怒らせています。これでは対話なんてできないですよ。

このブログが始まった理由を思い返して見ましょう。シニフィエさんがバリ活学会員のブログで、学会に疑問を呈する
意見を述べたところ、全く聞く耳を持ってもらえず、なりすましまで疑われたことに端を発するもので
ありました。そして、このブログをはじめられたわけですが、今度はアンチ側が学会員に対し
シニフィエさんがされたことと同じ事をしてしまったのです。

これが今回の騒動の本質であると考えています。

●乾河原(2012年2月9日 14:51)
元活動家様
ありがとうございました。初めてです。これだけ自分の言いたかった趣旨をしっかり受け取ってもらった上での、コメントは。非常にうれしいです。これでこのブログに入らせていただいた甲斐がありました。
もし、みんながそれぞれの意見を戦わせる時にこういう気持ちであったら、ここは日本でまれに見るすごいブログになっていたはずだと思います。残念で仕方ありません。
最後の最後にこういう言葉をいただいて、感謝しています。
ほんとに有難うございました。

お疲れ様でした。

●元活動家(2012年2月9日 15:36)
乾河原さん、どういたしまして。乾河原さんがまともな方であることがわかって私もうれしいです。
最初からアンチ側がきちんとした対応をすればこのように普通に対話が成り立ったのにその意味では残念でした。

例えば禁煙のレストランでタバコを吸っていた人がいたとしましょう。
他の客がその喫煙者に
「こんなところでタバコなんか吸わないでくださいね(笑)。あなたは日本語も読めないのでしょうか(笑)。
これだからおばかさんは困るね(爆)」
などと注意したら、言っている内容は正しくても、相手は受け入れるはずがありません。
内容以前に言い方がおかしい。そのようなことがこのブログで見られたということです。
(爆)などという相手を小馬鹿にした文字は、相手を馬鹿にした印象を与えるので真剣な対話を阻害します。
見ている人間も不愉快だ。

丁寧な言葉、真摯な態度があって初めて対話が成り立つのです。対話というものはそういうものです。
その真摯な対話の結果、意見が決裂することもあるでしょう。バリ活さんの中にはアンチを認めない人もいると思います。
そのような場合でも、相手を学会本部の成りすましとか決め付けるのではなく、そのような意見の人もいるのだ
と、一歩引く度量がないといけません。シニフィエさんがされたことと同じことをしてはいけないのです。

ここはアンチの人間が内輪でたむろする場所ではないのです。学会に疑問を持った人をターゲットとし、対話し、
その中で学会のおかしさに気づいてもらう場なのです。
そのメインターゲットである学会員さんに対し、乾河原さん対するような対応をしたら、このブログの存在意義がありません。

 


解説
乾河原さんの最初のコメントには戸惑いました。
これまでは、真面目な創価学会員として創価学会の立場にたったコメントを誠実に書いていたと思うのですが、一転してこのふざけたコメントはなんでしょう。
乾河原さんの名前を騙ったフェイクなのかとも思ったくらいです。
その後のコメントを読むと、最初のコメントは「反学会といわれる人間の言い分」をデフォルメしてちゃかしたおふざけだったようです。
乾河原さん、どうかしちゃったのかとハラハラしました。

獅子風蓮