友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
□第1部「福祉との出合い」
□第2部「司法と福祉のはざまで」
□第3部「あるろうあ者の裁判」
□第4部「塀の向こう側」
□第5部「見放された人」
□第6部「更生への道」
■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに
第7部「課題」
=2012年6月12日~22日掲載=
(つづきです)
10)糸
何度でもたぐり寄せて
今年3月の初公判。窃盗罪に問われた森容子(41)=仮名=は、裁判の冒頭、裁判官から住所を尋ねられ「雲仙市瑞穂町××」と答えた。「起訴状では住所不定となっていますが……」と念を押されても、「(捜査の時に)言わなかっただけ」と言い張った。
それはかつて、彼女が7ヵ月間だけ暮らした更生保護施設「雲仙・虹」の住所だった。ただの気まぐれか、「住所不定」と口にするのが恥ずかしかったのか、それとも、福祉の支援を拒否して飛び出したはずの「虹」での暮らしに、わずかでも心残りがあるのか。「虹」の施設長、前田康弘(56)はそれが心に引っ掛かっている。「罪を繰り返す人の更生のために何ができるのか。『あきらめる』か『何度でもやり直すか』。どちらかしかない。『糸』をつなごうとすることを、われわれはあきらめてはいけないんだろうと思っています」
3月27日、判決の日。裁判官は、森に懲役1年6月の実刑判決を言い渡し、「自立した生活を送りたいのならば、市役所に相談に行くなどしてください」と諭した。彼女は無表情のまま一言も発することなく、法廷を後にした。
森に直接取材できないもどかしさを、私も抱えていた。彼女の生い立ちをたどりながら、森の二つ違いの妹を捜しだした。唯一の肉親で、長らく消息不明だった。古里の甲信越地方で結婚し、家族と「普通」の暮らしを営んでいた。
私は、森が罪を繰り返して刑務所を行き来していること、周囲に背を向け続けていること―を伝えた。
「知りませんでした。障害があるかも、とは思っていましたが……」
それ以上、言葉は続かなかった。
「お姉さんの心の『殻』を解かせるのは、あなたなのかもしれない。書きためた取材メモを送るので、読んでください。そこに『今』のお姉さんがいます。これ以上、こちらから連絡はしませんので」
切れそうな「糸」をたぐり寄せるように、私は一息に話した。受話器から「……はい」と聞こえた。その声は震えていた。
罪を犯して刑務所に出入りする人は年間約3万人。うち、何らかの障害がある人は20%とも、それ以上ともいわれる。福祉の「網」ですくい上げることができた人は、まだごくわずか。日の当たらない場所で今も、多くの人たちがもがきながら、生きている。
季節が巡れば、森は刑務所を出て、また社会に戻ってくる。その時、彼女に居場所はあるだろうか。寄り添ってくれる人はいるだろうか。社会は変わっているだろうか。
【解説】
季節が巡れば、森は刑務所を出て、また社会に戻ってくる。その時、彼女に居場所はあるだろうか。寄り添ってくれる人はいるだろうか。社会は変わっているだろうか。
確かに、こういう人の場合は支援は難しいかもしれません。
親身になってくれる肉親や知人あるいは、信仰を同じくする仲間の存在があれば、少し違ってくるのかもしれないかな、と思います。
獅子風蓮