友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH
ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。
freak19 - 「はじめて本当の教会になった気がします」
2018年5月3日投稿
友岡雅弥
尊敬する建築家に伊東豊雄さんと坂茂(ばん・しげる)さんがいます。
伊東豊雄さんは、ヴェネチア・ヴィエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会ロイヤルゴールドメダルなど、むしろ、海外で活躍される建築家で、国内では、せんだいメディアテークのユニークな建築で知られます。
また、東日本大震災以来、「これからの建築」、つまり「古いものは壊し、新しいものを、巨大な資本の象徴として作る」=「見えない資本の視覚化」としての建築ではなく、
クライエントの欲望や建築家の欲望を超えて、他者、社会と共有できる建築、自然環境に開かれた場所づくりを目指すべきだという建築です。
そして、東日本大震災後、仙台の仮設住宅街に、人々が集えるスペース、「みんなの家」を作ります。さらに、陸前高田や釜石など、次々と「みんなの家」を作られます。
まさに、第13回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展国別参加部門の最優秀賞、パヴィリオン賞(金獅子賞)を受賞したのが、陸前高田に作った「みんなの家」でした。
今でも、高田に行った時には、よく寄ります。
もちろん、コンセプト自体が「社会と人とに開かれている」ものであるので、「みんなの家」は、一つの運動として、広まりつつあります。
そのあたりは、これらのウェブサイトをごらんください。
http://top.tsite.jp/lifestyle/interior/i/28045235/index
http://www.home-for-all.org
さて、坂茂さんですが、なんと言っても、坂さんの建築を世に知らしめたのが、阪神淡路大震災で焼失したカトリック鷹取教会の、仮設教会と、その時の、避難場所づくりでした。
「紙」で作ったのです。主に紙管です。
仮設住宅というと、プレファブ(prefab、プレハブ)が思い浮かびますが、確かに、今は、自治体とプレ協(一般社団法人全プレハブ建築協会)との間で、「災害時における応急仮設住宅に関する建設協定」を結んでいます。
たしかに、プレ協には、大企業が多数参加しています。物量作戦が可能です。
しかし、都市部郊外の倉庫で、災害まで、保管しておかねばならないということと、また、それは、建築現場のプレファブと同じ構造なので、暑さ寒さや湿気、乾燥など、多様な季節と地域的気象が特徴の日本には、少し向いていない部分があります。
保管費と、輸送費がかなりかかり、一戸あたり、数百万円かかります。
しかし、紙管や三五角角材なら、どこでもあります。三五角材をつかって、現地の大工さんが建てるという木造仮設を作った福島の会社を何度か訪問しましたが、汎用性があり、仮設の使命が終わっても、その角材をまた再利用できます。
プレファブは、基本、壊したら廃棄物(将来的には、再利用とかも、試みられていく方向も模索中)。
さて、坂さんの、阪神淡路大震災での「大きな原点」に話を戻します。
阪神淡路大震災で、神戸市長田区のカトリック鷹取教会は聖堂が焼失しました。
坂さんが、立ち寄ってみると。
周辺に住む在日韓国・朝鮮、またベトナム人の人たちが、たき火を囲んで、聖歌を歌っていた。
その時、建築家の坂さんに、神田裕神父が語った言葉。
「教会がなくなって、はじめて本当の教会になった気がします」
その後、世界中の災害現場で、仮設住宅を作り続ける坂氏にとって、この言葉が、建築家としてのコンセプトの中心となったのです。
ここで、坂さんは、紙管で作った「紙の教会」と、政府や行政が作る大きな仮設住宅に漏れていく人たち(ベトナム人が主)のための「紙の仮設住宅」を作っていきます。
「紙の教会」の美しさは、ごらんになったかたは、ご存知だと思います。
また、ご存知ないかたは、「坂茂」「紙の教会」などで検索していただいたらいいかと思います。
UNHCRと協力して、ルワンダ難民シェルター、トルコ西部地震緊急支援、スマトラ沖地震・津波で壊滅したキリンダ村復興プロジェクト、ハイチ地震仮設シェルターと仮設住宅、ネパール地震復興住宅。
そして、東日本大震災の直前に起きたニュージーランド地震で、崩壊したクライストチャーチのシンボル、大聖堂の建設の間、人々の礼拝の場としての、紙の大聖堂(これは、テレビ番組の「美の巨人」で放映されるほどの、美しい建築です)。
今では、仮の礼拝の場ではなく、クライストチャーチの町のシンボルともなっており、また、市民や観光客にも解放され、まさにかけがえのないコミュニティホールになっています。
そして、東日本大震災大震災での、プライバシーのない避難所での紙管をつかった間仕切り、汎用コンテナをつかった女川の三階建て仮設住宅、そして、復興した女川駅。
特に、女川については、間仕切り→仮設住宅→女川駅と、そのさまざまなフェイズを、僕自身が目撃したので、坂さんには、とても畏敬の念を感じていました。
坂さんの考えはこうです。
地震の犠牲者は、ある意味、建築家が建てた家の犠牲になっている。また、国内でも、国外でも、森林を伐採してしまい、二次的な意味で、建築家が加害者であることは否めない。だから、被災者支援は、当然なすべき建築家の仕事である。
特に、大きな支援の枠組みから漏れたマイノリティの人たちのために支援をすることが、建築家の責任である。
ちなみに、東日本大震災での活躍も含めて、坂さんは、建築界のノーベル賞、プリツカー賞を2014年受賞しています(前年が、伊東豊雄さんでした!)。
審査委員長からのコメント。
「自然災害などで壊滅的な打撃を受けて家を失った人々に対して、自発的な活動を展開する坂氏はまさに第一人者だ。深遠な知識によって、最先端の素材や技術を追求する姿勢も絶やさない」
「紙」は、さまざまな加工をすることによって、耐火性、耐水性、強度が確保されます。
坂さんは、「紙って、どのぐらい持つんですか?」という質問に、こう答えます。
丈夫な鉄筋とコンクリートづくりでも、今は、ゼネコンやディベロッパーが作っては壊す。そういう点では「仮」です。
建物の寿命は、住民からどれだけ愛されているかによって決まります。
クライストチャーチの「紙の大聖堂」は、クライストチャーチの市民のコミュニティ・ホールとなり、長田区鷹取の「紙の教会」は、坂さんが設計した新しい教会が出来ても、その寿命を終えず、台湾に渡り、コミュニティハウスとなっています。
【解説】
いい話ですね。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮