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獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「異者の旗」その19)建築家、伊東豊雄と坂茂

2025-03-30 01:06:41 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

freak19 - 「はじめて本当の教会になった気がします」

2018年5月3日投稿
友岡雅弥


尊敬する建築家に伊東豊雄さんと坂茂(ばん・しげる)さんがいます。

伊東豊雄さんは、ヴェネチア・ヴィエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会ロイヤルゴールドメダルなど、むしろ、海外で活躍される建築家で、国内では、せんだいメディアテークのユニークな建築で知られます。

また、東日本大震災以来、「これからの建築」、つまり「古いものは壊し、新しいものを、巨大な資本の象徴として作る」=「見えない資本の視覚化」としての建築ではなく、

クライエントの欲望や建築家の欲望を超えて、他者、社会と共有できる建築、自然環境に開かれた場所づくりを目指すべきだという建築です。

そして、東日本大震災後、仙台の仮設住宅街に、人々が集えるスペース、「みんなの家」を作ります。さらに、陸前高田や釜石など、次々と「みんなの家」を作られます。

まさに、第13回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展国別参加部門の最優秀賞、パヴィリオン賞(金獅子賞)を受賞したのが、陸前高田に作った「みんなの家」でした。
今でも、高田に行った時には、よく寄ります。

もちろん、コンセプト自体が「社会と人とに開かれている」ものであるので、「みんなの家」は、一つの運動として、広まりつつあります。

そのあたりは、これらのウェブサイトをごらんください。

http://top.tsite.jp/lifestyle/interior/i/28045235/index
http://www.home-for-all.org


さて、坂茂さんですが、なんと言っても、坂さんの建築を世に知らしめたのが、阪神淡路大震災で焼失したカトリック鷹取教会の、仮設教会と、その時の、避難場所づくりでした。

「紙」で作ったのです。主に紙管です。

仮設住宅というと、プレファブ(prefab、プレハブ)が思い浮かびますが、確かに、今は、自治体とプレ協(一般社団法人全プレハブ建築協会)との間で、「災害時における応急仮設住宅に関する建設協定」を結んでいます。

たしかに、プレ協には、大企業が多数参加しています。物量作戦が可能です。

しかし、都市部郊外の倉庫で、災害まで、保管しておかねばならないということと、また、それは、建築現場のプレファブと同じ構造なので、暑さ寒さや湿気、乾燥など、多様な季節と地域的気象が特徴の日本には、少し向いていない部分があります。

保管費と、輸送費がかなりかかり、一戸あたり、数百万円かかります。

しかし、紙管や三五角角材なら、どこでもあります。三五角材をつかって、現地の大工さんが建てるという木造仮設を作った福島の会社を何度か訪問しましたが、汎用性があり、仮設の使命が終わっても、その角材をまた再利用できます。

プレファブは、基本、壊したら廃棄物(将来的には、再利用とかも、試みられていく方向も模索中)。

さて、坂さんの、阪神淡路大震災での「大きな原点」に話を戻します。

阪神淡路大震災で、神戸市長田区のカトリック鷹取教会は聖堂が焼失しました。

坂さんが、立ち寄ってみると。

周辺に住む在日韓国・朝鮮、またベトナム人の人たちが、たき火を囲んで、聖歌を歌っていた。

その時、建築家の坂さんに、神田裕神父が語った言葉。

「教会がなくなって、はじめて本当の教会になった気がします」


その後、世界中の災害現場で、仮設住宅を作り続ける坂氏にとって、この言葉が、建築家としてのコンセプトの中心となったのです。

ここで、坂さんは、紙管で作った「紙の教会」と、政府や行政が作る大きな仮設住宅に漏れていく人たち(ベトナム人が主)のための「紙の仮設住宅」を作っていきます。

「紙の教会」の美しさは、ごらんになったかたは、ご存知だと思います。
また、ご存知ないかたは、「坂茂」「紙の教会」などで検索していただいたらいいかと思います。

UNHCRと協力して、ルワンダ難民シェルター、トルコ西部地震緊急支援、スマトラ沖地震・津波で壊滅したキリンダ村復興プロジェクト、ハイチ地震仮設シェルターと仮設住宅、ネパール地震復興住宅。

そして、東日本大震災の直前に起きたニュージーランド地震で、崩壊したクライストチャーチのシンボル、大聖堂の建設の間、人々の礼拝の場としての、紙の大聖堂(これは、テレビ番組の「美の巨人」で放映されるほどの、美しい建築です)。

今では、仮の礼拝の場ではなく、クライストチャーチの町のシンボルともなっており、また、市民や観光客にも解放され、まさにかけがえのないコミュニティホールになっています。

そして、東日本大震災大震災での、プライバシーのない避難所での紙管をつかった間仕切り、汎用コンテナをつかった女川の三階建て仮設住宅、そして、復興した女川駅。

特に、女川については、間仕切り→仮設住宅→女川駅と、そのさまざまなフェイズを、僕自身が目撃したので、坂さんには、とても畏敬の念を感じていました。

坂さんの考えはこうです。

地震の犠牲者は、ある意味、建築家が建てた家の犠牲になっている。また、国内でも、国外でも、森林を伐採してしまい、二次的な意味で、建築家が加害者であることは否めない。だから、被災者支援は、当然なすべき建築家の仕事である。
特に、大きな支援の枠組みから漏れたマイノリティの人たちのために支援をすることが、建築家の責任である。

ちなみに、東日本大震災での活躍も含めて、坂さんは、建築界のノーベル賞、プリツカー賞を2014年受賞しています(前年が、伊東豊雄さんでした!)。

審査委員長からのコメント。
「自然災害などで壊滅的な打撃を受けて家を失った人々に対して、自発的な活動を展開する坂氏はまさに第一人者だ。深遠な知識によって、最先端の素材や技術を追求する姿勢も絶やさない」

「紙」は、さまざまな加工をすることによって、耐火性、耐水性、強度が確保されます。

坂さんは、「紙って、どのぐらい持つんですか?」という質問に、こう答えます。

丈夫な鉄筋とコンクリートづくりでも、今は、ゼネコンやディベロッパーが作っては壊す。そういう点では「仮」です。
建物の寿命は、住民からどれだけ愛されているかによって決まります。

クライストチャーチの「紙の大聖堂」は、クライストチャーチの市民のコミュニティ・ホールとなり、長田区鷹取の「紙の教会」は、坂さんが設計した新しい教会が出来ても、その寿命を終えず、台湾に渡り、コミュニティハウスとなっています。

 

 

 

 


解説

いい話ですね。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「異者の旗」その18)無理せず自分のなかの充実を待つ

2025-03-29 01:45:53 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

freak18 - 「鳴かず飛ばず」で行こう!

2018年4月26日投稿
友岡雅弥

 


紀元前7世紀ぐらい、楚の穆(ぼく)王は、暴君で、家臣はこびへつらい、人々は暴政に塗炭の苦しみを味わっていました。周囲の国々も、穆王による侵略と略奪に疲弊していました。

穆王は急死し、その子が王となりました。これが荘王です。ところが、まだ若かったため、即位直後に、穆王のもう1人の子ども、燮(しょう)が、クーデターを起こし、これが成功。一時は全権を掌握します。

しかし、さらに内乱が起こり、燮は殺されます。

そして、荘王が宮に戻るのですが、ごろごろ寝てばかり、前の穆王が暴君であったため、みな恐れて、だれも諌めません。

ごろごと怠惰に耽って三年め、伍挙という臣下が遠回しに、「三年、鳴かず飛ばずの鳥がいました。その名前はなんというでしょうか?」と問うたところ、「その鳥は怠惰で鳴かず飛ばずなのではない、機が熟すと大きく飛び立つのだ」と、言い放ちました。

こんどは、蘇従という臣下が、死刑を恐れず、直接的な言葉で、荘王を諌めたところ、王は起き上がって、今までのこびへつらう佞臣たちを退け、人格、能力とも立派な人たちを引揚げたのです。

それで、楚は栄え、荘王は歴史に「名君」として名を残すことになりました。

実際、父王の死後、若すぎて内乱をもたらしたこと、そして内乱とその後の、臣下の様子を冷静に長時間見極め、自身の成長と、臣下の本質を見抜けるちからが満ちてくる時を待ち、そして、立ったわけです。

これと同じ話は、『史記』の「滑稽列伝」にも、威王の話として出てきます。

つまり、「鳴かず飛ばず」とは、無理をして見栄えのいい、みんなから大拍手をもらう「外見」をとり合えず取り繕うのではなく、時を待って、長く自分のなかの充実、また周囲の支えの充実を待つことなのです。

飛躍に備える、いい意味なのです。

実は、これと似た話が、民話「桃太郎」の原形とされるものにあります。

よく知られた「桃太郎」は、第二次大戦中、「鬼畜米英」を懲らしめる、武運長久の象徴、桃太郎として使われました。

当時の尋常小学校、国民学校の教材などを見てみると、鬼の姿が、当時のアメリカ大統領トルーマン、イギリス首相チャーチルの顔にしています。

犬、猿、雉は、陸海空の三軍です。

実際、日本が作った短編ではないアニメの第一号が、戦意高揚を狙った『桃太郎の海鷲』、次作が『海の神兵 桃太郎』 です。

(実際、これらを作った監督は、敵国アメリカのディズニー映画を研究するのですが、見ているうちに「戦争に勝てない」と思ったといいます。日本は全力で戦争に向かっているのに、アメリカは高度で予算も膨大にかかった、戦争と関係ないアニメを作る余裕がある)

さて、武運長久桃太郎と違う形の、素朴な原形桃太郎は、

桃太郎さんは爺さまと婆さまと三人で一緒に住んでいたそうです。

ある日のこと、桃太郎さんは近所の友達と山へ柴刈りへ行く約束をしました。二、三日して友達が誘いに来て呼びました。

「桃太郎さん、桃太郎さん、山へ柴刈りへ行かんか」

桃太郎さんはこう返しました。

「今日は草鞋(わらじ)を作りかけよるけん明日にしてくれ」

あくる日、友達はまた誘いに来て呼びました。

「桃太郎さん、桃太郎さん、山へ柴刈りへ行かんか」

「今日は草鞋のひきそを引つきよるけん明日にしてくれ」

またあくる日、友達はまたまた誘いに来て呼びました。

「桃太郎さん、桃太郎さん、 山へ柴刈りへ行かんか」

「今日は草鞋の緒を立てよるけん明日にしてくれ」

更にあくる日になって友達が呼びに行くと、桃太郎さんは「今度はさぁ行こう」と言って、二人で連れ立って山へ行きました。

山に着くと、友達は一生懸命に柴を刈りますが、桃太郎さんは一本の大木にもたれて昼寝ばかりしています。そうこうするうちに友達は一荷拵(こしら)え終わったので帰ろうとしますと、桃太郎さんは凭れていた大木をヤッと引き抜いて、それを荷物にして持って帰りました。

家に帰り着くと、桃太郎さんは「ヤレヤレ、疲れた」と、持って帰った大木を家のひさしにポンと立て掛けました。ところが、あんまりにも大きい木だったので、家はガラガラと崩れて、爺さまと婆さまは下敷きになって死んでしまいました。
桃太郎さんは爺さまと婆さまを助けようと瓦礫の中を探し回りました。すると大きな盥(たらい)を見つけたので、それを舟にして川を下っていきました。

盥は、やがて海の真ん中の島に流れ着きました。そこでは青鬼と赤鬼が相撲を取っていて、見ていると赤鬼がコロン、と投げ飛ばされて負けていました。

「赤鬼、ウワーイ!」

桃太郎さんが野次を飛ばすと、赤鬼は怒って「赤い豆やるきん黙っとれ」と言って赤い豆をくれました。それからまた見ていると、今度は青鬼がコロン、と投げ飛ばされて負けていました。

「青鬼、ウワーイ!」

桃太郎さんが野次を飛ばすと、青鬼は怒って「青い豆やるきん黙っとれ」と言って青い豆をくれました。それからまた見ていると、今度は赤鬼と青鬼が一緒にコロン、と転んでいました。

「赤鬼、青鬼、ウワーーイ!」

赤鬼と青鬼は怒って、桃太郎さんに撃って掛かりました。桃太郎さんは二匹の鬼を束にして、海の中へポーーンと投げ込んでしまいました。それから鬼の住処の宝物を取って、家へ帰ったそうです。これでおしま い。

これは、『日本昔話集成』の讃岐篇にあるものです。

昔話の分類では、「桃太郎・三年寝太郎」系と呼ばれるもので、三年間とか長い間、ぐうたらしていた桃太郎、三年寝太郎が、機が熟して活躍する(この讃岐のは、活躍しすぎて、おじいさん、おばあさんが犠牲になりましたが)ものです。

きれいに、作り込まれた美談の「りりしき桃太郎」ではなく、無理せず、自分のなかの充実を待つ、ぐうたら桃太郎のほうがいいですね。

目立たなくてええやん、自分を育み、育てていきたいと思います。

 

 

 


解説
つまり、「鳴かず飛ばず」とは、無理をして見栄えのいい、みんなから大拍手をもらう「外見」をとり合えず取り繕うのではなく、時を待って、長く自分のなかの充実、また周囲の支えの充実を待つことなのです。
飛躍に備える、いい意味なのです。

なるほどなと思いました。いい話ですね。
私も今、自身のなかの充実を待っています。
充電中です。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「異者の旗」その17)末法こそが仏教本来の精神の時代

2025-03-28 01:35:43 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

freak17 - 正像末と末法為正

2018年4月19日投稿
友岡雅弥

インドでは、正法・像法・末法という言葉や概念はなくて、かろうじて、仏教が衰退して、ヒンズー教の影響を受けてきた密教経典に、それっぽいかな、という話が出てくるだけです。

基本的に、正法・像法・未法は、中国でつくられた概念です。

『法華経』の「譬喩品」(この品も、貧しい人々や病者にすさまじい差別的な言葉を投げつけ、その人たちには法を説くなという、「安楽行」「普賢品」的な品ですが)に、正法と像法ということばは、出てきます。

が、これは、舎利弗が、将来、仏となるであろう、そして、寿命も長く(十二小劫)、教えの留まる期間も、教えに似た教えが留まる期間もともに、三十二小劫と、長いだろう、という、舎利弗授記賛嘆の箇所なんです。意味は、あくまで、それだけ舎利弗はすごーい仏になるぞ、その影響は長ーく続くぞ、という意味の賛嘆の言葉なんです。

『法華経』に五・五百歳とあるではないか?

いえ、原文にはありません。

原文には、「私のparinirv?na(涅槃、入滅)の五百年後」とあるだけです(薬王菩薩本事品)。
五百年後に、私に代わって、私の教えを広めていこう、ということです。

おそらく、ゴータマ・ブッダが亡くなってから、『法華経』が出来るまで、五百年ぐらいですから、これは、まさに、ゴータマ・ブッダはどんな存在だったのだろう、ゴータマ・ブッダの教えとはどんなものであったのだろうと、考え『法華経』を作った人たちの時代だったと言えます。

おそらく、自分たちの行いが、ゴータマ・ブッダの遺志を継ぐものであるということでしょう。

いわんや、像法は前半が500年、読誦多聞堅固、つまり、経典の学習をもっぱらとする時代。後半500年から、多像塔寺堅固、伽藍や仏像が出来る時代などというのは、あとからとってつけた時代区分にしかすぎません。

おっと、ちょうど今、500年経ったぞ、本読むのはやめて、寺たてなあかん!とか、あるはずはない。

でも、それが日本では信じられていた。そして、今は未法で、寺を造っても、経典を読んでも無駄である。すべての経典のちからはなくなった。

おっと、それから、ここの「経典」について私たちが、基本的に認識しなければならないのは、この当時、活字はなかったと言うことです。

経典を学ぼうとすれば、自分でその経典を写すか、右筆みたいな秘書に写させるか、しかない。つまり、かなりヒマと金が有り余ってる人しか出来ない。

いわんや、万巻の経典などは、国家事業としてするか、平家納経みたいに、国家を支配している人しか出来なかったわけです。

単に、岩波文庫に『法華経』があるけど、そんなのは読む必要がないのが、末法なんだということではないですよ。

さて、ゴータマ・ブッダの教えは、もう時代遅れだ。

だから、新しい仏を探せー、ということで、薬師信仰とか阿弥陀信仰とか、毘盧遮那仏信仰とかいう、実在のゴータマ・ブッダとは関係ない、架空の仏(実在ではなく、 架空なからば、寿命なんかないですからね)への信仰が強まったのが、平安末期から、鎌倉時代です。

いわゆる末法思想ですね。

大聖人は、この末法思想を逆手にとります。

大伽藍とか経典とかそんなことが、愚かに見える時代、末法こそ、「隻手のみ」(内村鑑三が日蓮を高く評して使った言葉)という、仏教本来の精神が、明らかになった時代じゃないかなと思うわけです。

生活に必死な一般の人々が「膨大な経典の学習をしなければ成仏できない」とか、「豪奢な寺院を寄進しなければ、成仏できない」とかいう事自体が、もう必要なくなったんだ。

エリート、金持ちしかできない仏教など、仏教じゃないんだ。

末法こそが、社会の片隅で、息をひそめて生きる人々が「成仏当事者」として、浮かび上がる、仏教本来の精神(=正法)の時代だ。「未法為正」だ、と、大聖人は叫ぶわけです。

 

 


解説
インドでは、正法・像法・末法という言葉や概念はなくて、かろうじて、仏教が衰退して、ヒンズー教の影響を受けてきた密教経典に、それっぽいかな、という話が出てくるだけです。
基本的に、正法・像法・未法は、中国でつくられた概念です。

ここは分かります。たしかにその通りなのでしょう。
でも、日蓮仏法は末法思想をベースに展開されたものですから、現代的な仏教学を前面に出すと、日蓮教学との矛盾が生じます。

 

大聖人は、この末法思想を逆手にとります。
大伽藍とか経典とかそんなことが、愚かに見える時代、末法こそ……仏教本来の精神が、明らかになった時代じゃないかなと思うわけです。
生活に必死な一般の人々が「膨大な経典の学習をしなければ成仏できない」とか、「豪奢な寺院を寄進しなければ、成仏できない」とかいう事自体が、もう必要なくなったんだ。
エリート、金持ちしかできない仏教など、仏教じゃないんだ。
末法こそが、社会の片隅で、息をひそめて生きる人々が「成仏当事者」として、浮かび上がる、仏教本来の精神(=正法)の時代だ。「未法為正」だ、と、大聖人は叫ぶわけです。

なるほど、大聖人は「この末法思想を逆手に」とったというのが友岡さんの考えなのですね。
お見事です。
しかし、これは友岡さんのよくやる「こじつけ」ではないでしょうか。
希望を込めたフィクションでしょう。
実際には大聖人は、正法・像法・末法という概念を当然のことと受け入れ、自身の宗教を形作っていったわけです。
学問と宗教は、分けて考えるべきではないでしょうか。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「異者の旗」その16)与えるだけの無償の行為

2025-02-16 01:40:29 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。


カテゴリー: WAVE MY FREAK FLAG HIGH

ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

freak16 - 無償の行為そのものが功徳そのもの

2018年4月12日投稿
友岡雅弥

「大黒舞」は、今では、民謡、およびその踊りとして、とても、ポピュラーです。ほんとに、東北から中国地方まで、あちこちに分布しています。

たとえば、山形の大黒舞はこんな感じ(もちろん、さらに山形でも地域地域で変化あり)

サアー 舞い込んだ 舞い込んだナー
何がさてまた 舞い込んだナー
御聖天が先に立ち 福大黒が舞い込んだナー

四方の棚をながむればナー
飾りの餅は十二重ね 神のお膳も十二膳

代々この家は未繁盛と打ちこむ所はサー 何よりも目出度いとナー

この歌詞と、全国に分布しているということから、次のことがピンと来るかたもおおいでしょう。
――もともと、放浪の門付け芸人たちが各地に広げたのではないか?

そうですね。正月に、放浪の門付け芸人さんが、家々の玄関先で、おめでたい文句(祝詞)を並べ、また滑稽なしぐさで、笑いを誘った芸能です。

「祝詞(のりと)」というと、今は、神社でお参りに来た人が、神妙な態度でうけたまわるものを言いますが、室町、江戸時代、明治、昭和初期までは、万歳(まんざい)厄払い、鳥追い、節季候(せきぞろ)、春駒など、特に正月には、家々の軒先で、めでたい言葉、またその年の多幸を寿ぐ言葉を、節やしぐさをつけて語る、放浪の門付け芸人の祝詞が、津々浦々にこだましておりました。

そして、それを聴く人々は、神妙な顔ではなく、大笑いの顔で。

さて、鎌倉から江戸時代にかけて(特に室町)、庶民の説話が集められて成立・発展したのが、「御伽草子(おとぎぞうし)」です。

この「御伽草子」のなかに、「大黒舞」の由来について語られた物語があります。

おそらく室町時代。
大悦の助(だいえつのすけ)という男の人がいました。親孝行で評判でしたが、貧乏のため、暮らしは思うに任せません。

清水寺に参詣し、観音に親孝行をさせ給えと念ずると、清水寺の楊柳観世音菩薩が現われ、わらしべ(いなわら)をくれる。

なんか、あとは、想像できますね。

それを持って帰ろうとした大悦の助。途中で、三メートルほどの大きな鬼神が現われます。それをよこせ、よこさなかったらお前を殺すぞ、と言われますが、貴い観音菩薩からの頂き物、いかに、わらしべと言っても渡すわけには行かないと、拒否し、先を急ぎます。

すると、道端でありの実売りが、ケガをしている。

「ありの実」って分かりますか?忌言葉を避けたものですね。「梨」のことです。nothingの「ナシ」につながるので、寄席とか、花柳界とかで使われます。

ここは、全体がおめでたいお話なので、「忌言葉」を避けたのでしょう。

主人公も、「大悦」ですからね。

そのありの実売りがかわいそうで、傷の血止めに、わらしべを使います。

そうすると、ありの実売りが、ありの実を三つくれます。
手玉に取りながら(「手玉に取る」というのは、ジャグリングやお手玉みたいにすることです)、家路を急ぐと、何か、人々がワイワイ騒いでいます。

大悦の助が、日ごろみたこともないような「上流階級」の男女が右往左往しています。

立派な輿に乗りたる内裏の姫が、気分が悪くて水が飲みたいと。

大悦の助は、かわいそうになり、「もしありの実でよければ」と、さしだします。

姫は、ありの実を食べて、すっかり気分がよくなります。
「褒美をとらせよう」
と、絹二疋をもらいました。

これは、父母が喜ぶぞと、帰りを急ぐ途中。

三条の橋のたもとで、由緒がありそうな侍と従者たちが騒いでいる。大番役(御所の警備)の任務を終わって帰るところだが、予備の馬が倒れた。予備の馬なので、必要が無いといえば必要がない。
なんと、侍は、馬をほって行こうとする。身分の低い従者だけ、おろおろと馬の看病をしている。

大悦の助は、馬も馬でかわいそう、従者も従者でかわいそう、と思います。

そして、その「立派な」侍に、絹をあげるから、その馬をください、と言うわけです。

大悦の助が、懸命に看病すると、馬はようやく元気を回復します。

そして、とても立派な馬で、大悦の助の生活には必要ない。それで馬市で売ると、とても高い値段で買ってもらえた。

そのお金で、大悦の助は、家を建て、父母と楽しく暮らしていました。

あらたまの新春。まだ夜が明けやらぬのに、窓をコツコツたたく音がする。

でてみると、背が低く、顔は藍染めのように青黒い。
大黒天です。
まだ、この場合は、江戸時代のかなり変化した七福神の「大国様」のような愛嬌のある姿ではなく、もともとのインド神話の「マハーカーラ(大いなる暗黒)」の姿を維持しています。

従者として、ねずみもいます。
大黒天は、大悦の助の善行を愛でて、宝珠や様々な宝物を与えます。

やがて、蛭子(えびす)三郎もやってきました。
まだ、七福神の恵比寿様になる前の、身体に障がいがある存在、もしくは異国人(夷)の異形性も感じられる蛭子です。

ただし、蛭子三郎、大黒天ともに、ニコニコとして、大悦の助の善行を讃えます。

その日は節分でした。

今は、新春、正月は一月初めで、節分は二月ですが、旧暦なので、基本、節分と正月は重なります。

この日は、季節の変わり目で、体調を崩しやすいというところから、鬼神が跋扈すると考えられていたわけです。

やはり、鬼神がやってきました。

それで、大黒天が、「豆を煎って、鬼に投げつけよ」と言います。

それで、大悦の助は、「鬼は外、福は内」と言って、鬼に豆を投げつけると、鬼神は目を隠して、逃げていきました。

それで大団円となり、 舞を舞うわけです。

「節分の豆まき」の由来譚でもありますし、放浪の芸人たちが舞う「大黒舞」の由来譚でもあります。

また、「わらしべ長者」と昔話の類型でいうと、典型的な長者譚となるわけですが、
特に示唆的なのは、大悦の助が交換する「動機」 です。

「換えてくださいな」と頼まれる類話が多いですが、すべて、かわいそうに思っての「無償の贈与」です。結果として、交換になりましたが、動機の段階では、与えるだけの「贈与」です。

与えるだけの無償の行為って、とっても大事だと思いますね。

ちなみに、「功徳」の原語は、主に「guna」で、人徳。時に、punyaで、「善き行い」、稀にanuśamsaで、「人助け」です。

(サンスクリット語の表記は正しくできませんでした)

 

 


解説】】
「わらしべ長者」と昔話の類型でいうと、典型的な長者譚となるわけですが、
特に示唆的なのは、大悦の助が交換する「動機」 です。
「換えてくださいな」と頼まれる類話が多いですが、すべて、かわいそうに思っての「無償の贈与」です。結果として、交換になりましたが、動機の段階では、与えるだけの「贈与」です。
与えるだけの無償の行為って、とっても大事だと思いますね。

賛同します。
勤行唱題も、何かの願い事を「功徳」として求めるのではなく、本尊や本仏に対する「無償の奉仕、善行、感謝」でありたいものです。

それにしても、友岡さんは古典芸能などに造詣が深いですね。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「異者の旗」その15)立派なイエス様、立派な日蓮大聖人様ではない

2025-02-15 01:20:09 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」より

いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。


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ギターの歴史を変えたジミ・ヘンドリクス作曲の“If 6 was 9”の歌詞の中に出てくる言葉をヒントにしています。
(中略)
この曲は、そういう「違う生き方」を象徴する曲とされています。「異者の旗を振ろう」という意味ですね。
このタイトルのもとで、繁栄のなかの息苦しさを突破する「違う生き方」の可能性、また3.11以降の社会のありようを考える哲学的、宗教的なエセーを綴ろうと思っています。

 

 

freak15 - 聖書のことば、経典のことば

2018年4月5日投稿
友岡雅弥

宗教的典籍の言葉は、作られたとき、どのような意味を持っていたかをしることは、とても大事です。

宗教的言葉でなくても、例えば、「影」。これは、「暗いところ」という意味ではなく、「光」という意味ですね。「月影さやかに」というのは、「月の光がくっきりと」という意味です。

日蓮が使う「主師親」ということば。

あれも、日蓮の言葉ではなくて、当時、確立期にあった封建道徳で、

「主」――世俗的権力者(家来とは、ご恩と奉公の関係で結ばれた)、
「師」――世俗的権力者が任命した宗教的権威者、
そして、
「親」――土地相続を媒介とし、一族郎党では、絶対的権力を持っていた家父長。

という、ごっつい権威的な存在だったわけです。

日蓮は、膨大な行数を通じて、それを脱構築していくわけです。つまり、みんなは、こんな権力やそのお友達ばかり尊敬しているけど、ほんとに、尊敬すべきものなのか、と問うていくわけです。

「主師親」は、日蓮の「主張」ではなく、日蓮の「疑問」なのです。

日蓮は「主師親」という言葉を使いながら、「主師親」を否定したわけです。

それで、「私は世間には見捨てられたぼろぼろの地位も名誉もまったくない、存在だけど、人を救おうという誓いに生きてきた」

――と言われるわけです。

俺は偉いぞ、主師親の三徳を持ってるんだ、という自己中心言説ではなく、誰を尊敬すべきか、常に問うて生きていこうという、ラディカルな問いなわけです。

さて、大事なのは、その言葉は、当時、どんな響きを持っていたかです。

たとえば、聖書を例にとります。

「マリアの子イエス」 という表現は、「聖母と神の子の神聖な関係」を表すなどと、伝統的な解釈はなされるのですが、もともとは違います。

「不貞の女から生まれた子は、生涯、(当時、ユダヤ教の伝統であった)父の名ではなく、母の名を以て呼ばれる」ということ。

つまり、「マリアの子イエス」という表現は、「不倫の父無し子イエス!」 という、
生まれながらの宗教的罪、差別的表現であったのです。

他にたとえば、「神は高みより人間の世界を見わたされた」などと、聖書にしょっちゅうでてくる「高み」(ヘブライ語で、???、ギリシャ語訳では、υψόμετροだったか?)

当時、金持ちや普通の市民は、低いところ(簡単にいえば、オアシス)に住んでいて、高いところは、ハンセン病の人、異民族、難民、町を追放になった罪人、ホームレスが住んでいたのです。

だから、???というのは、「立派な天国の御殿から」という意味ではなく、「ホームレスのいるところ、ハンセン病の人たちが追放されたところ、難民キャンプから」という意味なわけです。

立派な神様、立派なイエス様、立派な日蓮大聖人様ではないのです。

ぼろぼろの神、ぼろぼろのイエス、ぼろぼろの日蓮。

だから、立派なのです。

 

 

 


解説
「主師親」は、日蓮の「主張」ではなく、日蓮の「疑問」なのです。
日蓮は「主師親」という言葉を使いながら、「主師親」を否定したわけです。

私のこれまでの「主師親」の理解と違っているので、戸惑ってしまいます。
勉強していきたいと思います。


立派な神様、立派なイエス様、立派な日蓮大聖人様ではないのです。
ぼろぼろの神、ぼろぼろのイエス、ぼろぼろの日蓮。
だから、立派なのです。

ここは、賛同します。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮