獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その33)坂の多い大阪の風景

2024-12-23 01:47:34 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt56 - 日本を背負った人たち

2019年2月18日 投稿
友岡雅弥


大阪市は、東京23区と比べて、首長の傲慢さとかは同じなのですが、地理的に大きな違いがあります。その一つは、東京は坂が多い、しかし、大阪市内は坂が少ないこと。

東京は、あちこちに坂があって、わりと上り下りがあります。

でも、大阪市内は、北部はただただ平坦です。南部は坂がありますが、これがいたって単純。


例えば、新今宮から天王寺、難波から上本町、長堀から清水谷。大阪市内の地理をご存知なかたは、これらが、西から東へ直進する「通り」であるということはお分かりでしょう。

大阪市内の東西の道は「通り」、南北は「御堂筋」「なにわ筋」「四ツ橋筋」「堺筋」と「筋」です。

この大阪南部の「通り」は、すべて、かなりの勾配をともなった「登り坂」です。そして、坂を登りきって、さらに東へ進むと、こんどは、だらだらっとした「下り坂」になります。


大阪市南部は、真ん中を南北に小高い丘が貫いている構造を持っています。この小高い丘を上町台地と言います。

もともとは、この台地は半島で、東西に海が広がっていたのです。海に向かって南北に突き出た半島だったのです。

だいたい、弥生時代です。それが、淀川と大和川が運ぶ砂で、東が埋まり、湖となり、さらに、完全に平野となりました。そして、西側も少しづつ海に向かって陸地が広がっていったのです。

上町台地の上に、四天王寺がありました。ここからガーっと西にむかって下り坂があるのですが、四天王寺が出来たころには(だいたい聖徳太子のころ)には、まだその下り坂の向こうは海で、ここに、大陸や韓・朝鮮半島からの船が着いたのです。


四天王寺は、その人たちを迎える「海辺の迎賓館」の役割を果たしたのです。

鎌倉時代でも、まだ海がかなり近かったと見えて、四天王寺の有名な「石製の鳥居」 は、平左衛門尉の寄進とか言われていますが、平左衛門尉は、各地の「港」の支配権を持っていたらしいので、その関係があるのかもしれません。


江戸時代~明治となると、この四天王寺からの坂の下は土砂が堆積し完全に平野です。そこに「長町(名護町とも)」の巨大スラムが広がっていきました。

だいたい、水はけの悪い、じめじめとしたところには、スラムが広がります。


この四天王寺と長町スラムの間の急な坂は、逢坂。逢坂を下って、長町に入る手前は「合邦ヶ辻」と言われて、文楽や歌舞伎の「摂州合邦辻」、能の「弱法師」の舞台です。「合邦」の地名の由来は、仏教シンパサイザーの聖徳太子と、仏教排斥論者の物部守屋が、法について争った「合法四会」に由来するのではないかなぁと言われています。


ハンセン病となった主人公・俊徳丸の物語で、そのクライマックスが「合邦ヶ辻」で、今もここにある「閻魔堂」の由来記でもあります。もちろん、なんらかの事実が人々の口から口に伝承され、人の涙を誘う要素を付け加えられて伝説となったのでしょう。


さて、この坂、逢坂には、「立ちん坊」と言われる人たちが、うろうろしていました。


「立ちん坊」は、上方落語のマクラ(噺の本題への序章)でよく出てきます。

長ーくて、わりと急な坂です。坂の下のところで立って荷車が来るのを待っているのが「立ちん坊」です。坂が急で長いので、荷車を上まであげるのになかなか苦労する。そこで「立ちん坊」さんは、自分で縄を持っていて、荷車の前にかけて引っ張ったり、また後ろから押したりするのです。

かってに手伝うのです。仲仕からいえば、ただでさえ安い手間賃から、さらにいくばくかを「立ちん坊」にあげないといけないので、いやといえばいやなわけですが、それが 「いや」と断れないほど、苛酷な労働なわけです。

大森貝塚を発見したエドワード・モースが、このような記録を残しています。


「ある階級に属する男たちが、馬や牡牛の代わりに、重い荷物を一杯積んだ二輪車を引っ張ったり押したりするのを見る人は、彼らの痛々しい忍耐に同情の念を禁じ得ぬ」
――エドワード・モース


近代のヨーロッパでは、物流が飛躍的に発展したのですが、そのほとんどが馬(荷馬車)によるものでした。

しかし、残念ながら、日本は牛(岩手の塩や鉄を遠隔地に運んだ「塩べコ」は有名ですが) や馬による物流は未発達でした。


1902年(明治35年)、東京府(当時は東京都ではなく、東京府)の物流ですが、人力の荷車が、11万650台だったのに対して、荷馬車は3839台です。30倍!

一つの人力荷車は、だいたい500キログラムを運ぶのです。


日本の近代化は、司馬遼太郎が言ったようなエラい人たちの肩に背負われていたのではなく、モースが「同情の念を禁じ得ぬ」と語った、無名の人たちの「痛々しい忍耐」の上に背負われていたのです。

 

 


解説
前半は、大阪の街の地理が手に取って分かるような表現ですね。
まるで「タモリのブラタモリ」を観ているかのようです。

 

しかし、残念ながら、日本は牛(岩手の塩や鉄を遠隔地に運んだ「塩べコ」は有名ですが) や馬による物流は未発達でした。
(中略)
日本の近代化は、司馬遼太郎が言ったようなエラい人たちの肩に背負われていたのではなく、モースが「同情の念を禁じ得ぬ」と語った、無名の人たちの「痛々しい忍耐」の上に背負われていたのです。

庶民を見る友岡さんの目はどこまでも優しいです。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「地の塩」その32)累犯障がい者について……

2024-07-27 01:26:10 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


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「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt55 - 罪に問われた障がい者

2019年2月11日 投稿
友岡雅弥
               

2018年12月3日に、マラソンの世界選手権元代表選手のHさん(女性)に、懲役1年保護観察付き執行猶予4年の判決が出ました。

懲役1年。

何をしたと思いますか?

万引きです。

万引きをした、元世界的アスリート。

けしからん!

トップ・アスリートだともてはやされて、傲慢になって、転落したんだ!


そうでしょうか?

いくら万引きしたと思います?

スーパーで、382円のお菓子です。


彼女は再犯でした。

一年前(2017年)2700円相当の化粧品などをコンビニで万引きしたからです。
懲役1年、執行猶予3年の判決がでて、執行猶予中の382円の万引きで
した。


再犯の場合、とてつもなく、刑が重くなるのです。

 

震災の前、累犯障がい者・高齢者の社会生活再開に、何らかのお手伝いができないかと、長崎が先進的なので、その支援の仕組みを調べたり、その活動の中心だった、ある社会福祉法人とか、長崎新聞社とかの、お話を聴きに行ったりしてました。

地域に、累犯障がい者(「詐欺」)のご夫妻がいらっしゃるので、とりあえず、具体的なご支援の経験も積めるかなと思ってました。

でも、東日本大震災にかかりっきりになり、また自分自身うつになってしまったので、まだ果たせずにいます。


服役中の知的障がい者の7割が再犯です。

詳しくは、到底、書ききれないので、長崎新聞のこの本をご覧ください。

『居場所を探して 累犯障害者たち』
e-hon
honto

あえて、 Amazonとは別にしました。


この問題を一番最初に大きく採り上げたのは、民主党の衆議院議員で、政治資金規制法違反で、一年半の実刑判決を受けた山本譲司さんです。


栃木の刑務所に入り、そこで累犯障がい者のあまりの多さに驚いた彼は、そこで触法障がい者、累犯障がい者の世話を積極的に行い、またヘルパーさんの資格をとって、出所後も、触法障がい者、累犯障がい者の支援を行っています。


今、触法障がい者問題に支援者としてかかわっている人の多くが、山本譲司さんの本で、この問題の根深さを知った人たちだと、実感しています。

山本さんも、何冊も本を出しているので、是非、ご覧ください。演歌歌手とは、文字が違うので、ご注意を。


僕の知っている累犯障がい者のかたの例を言いますと、とてもいい人なんです。偽っているわけでもなんでもなくね。

で、障がいをお持ちなので、働いていらっしゃるけど、充分な給料があるわけではないのです。

お金がギリギリ足りなくても、普通に、普段通りの生活を続けるわけです(ただ、言っときますが、贅沢とかではないですよ。普段通りの生活を続けると、何日でお金がなくなる、という予測が立ちにくいのです)。

そこで「ギリギリの生活で、じっと耐えている人がいるぞ。お前も耐えろ」と言っても始まりません。

それで、「寸借詐欺」をしちゃうのです。知りあいに「お金貸して」とね。

それからもう一つ、他人の家に行って、たまたまそこにお金があったら、「それは自分のもの」と思っちゃうのです。実際、主治医にも確認しましたが、ほんとに思っちゃうのです。

それで、詐欺とか、窃盗で、つかまっちゃって、刑務所に入る。

刑務所に見学に行ったことがありますが、僕ならば、三日ぐらいで耐えられないです。かなり、人間性を捨てなければ生きていけない。

でも、そのかたは、どこでも「自分の生き方」ができるのです。

だから、自宅でも刑務所でも同じ。

出てきても、罪の意識がないので(繰り返しますが、障がいなんです。悪人ではないのです)また繰り返す。

累犯になってしまうので、入ってる期間はどんどん長くなっちゃう。

でも、どこか憎めない人なんですよ。


へらへら笑いながら、訳の分からん法律を成立させるエライさんのほうが、刑務所にはいって欲しいです。

 

 

 


解説
詳しくは、到底、書ききれないので、長崎新聞のこの本をご覧ください。『居場所を探して 累犯障害者たち』

さっそく勉強してみたいと思いました。

 

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「地の塩」その31)当事者に近いところに視点がある

2024-07-26 01:53:51 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt54 - 宮本常一の視点

2019年2月4日 投稿
友岡雅弥


民俗学者・宮本常一は、「旅する巨人」と言われていました。生涯に旅した距離は延べ16万キロ。写真だけで10万枚。今みたいに、デジタル・カメラやスマートフォンで、手当たり次第に撮ったら、自動的にパソコンやクラウドなどに保存出来るような時代ではありません。撮ったものはフィルム現像して、選んで、紙に焼き付けねばなりません。

著作集が未來社からでていますが、これもすべての文章ではなく、選んだものだけで400頁ほどの箱入りハードカバー単行本で50冊を超えます。

彼の行動や考え方は、いわゆる「保守」と「リベラル」(もう「保守」の反対語は「革新」ではないのですよね) という区分けの無効性をよく示しています。
彼の著作には、「戦争」の影がほとんどでてきません。「原爆」の影も。
しかし、例えば彼の監修した『日本残酷物語』シリーズを読めば、淡々とした筆致で、社会の片隅に、「最底辺」に、うち捨てられた人たちの姿と、その人たちをうち捨てた「日本」という国の残酷さが、はっきり見てとれます。

彼の著作集のなかで、例えば、第48巻の『林道と山村社会』について、その目次を見てみましょう。シャーっと見てもらったらいいです。

I 林道
はしがき
一 林道の意義
二 国有林道の地元利用
三 伐採林業と林道
四 造林と林道
五 農村救済林道
六 個人 (会社) 林道
七 林道政策
八 林道布設にともなう諸問題
九 林道と森林組合、森林開発公団

II 林道とその効果
はしがき
一 高知県幡多郡十和村昭和地区
一 村の生産の変遷
二 林道改修経緯
(1) 林道開通以前の山地の利用
(2) 山林分割と炭焼き
(3) 林道改修
(4) 林道工事とその費用
三 林道のおよぼす影響
(1) 工事費の地元負担
(2) 林道の効果
(3) 村の経済事情の変化
二 静岡県磐田郡水窪町
一 町の概況
二 林道開通以前の交通と産業
三 材木流送
四 白倉川林道開設と経費
五 林道のおよぼす影響
(1) 林業経営の合理化
(2) 輸送状況の変化と木材、 林地価格
(3) 林道の効用
(4) コミュニティセンターの形成
(5) 奥地山村の変貌
(6) 国有林関連林道
三 和歌山県西牟婁郡中辺路町栗栖川
一 産業の変遷と土地移動
二 人工造林の発展
三 林道の開設
四 林道の経済効果
五 林道に対する要望
四 林道事業に付帯するもの
一 林道の性格
二 林道と経営指導
三 売手市場の確立
四 森林組合の強化
五 戦後林道政策
一 回顧
二 林道対策と林道利用
付表

Ⅲ 林道の投資効果
はしがき
一 林道開設の意義
一 安家川林道
二 白倉川林道
三 大道谷林道
四 五家荘林道
五 多目的林道
二 林道開設地区の経済基盤
一 奥地山村の経済状況
二 安家川林道区域
三 白倉川林道区域
四 大道谷林道区域
五 五家荘林道区域
六 奥地林道開設のおくれた事情
三工事の規模と地元負担
一 幹線林道
二 支線林道
三 僻地林道の不合理性
四 資源
五 経済的効果
一 経済的効果の問題点
二 安家川林道
三 白倉川林道
四 大道谷林道
五 五家荘林道
結び

IV 林道開設と地域開発
一 後進地域の事実認識
一 行きどまりと通りぬけ
二 山地の産物
三 特別地域開発と山村民
四 奥地林道の効果
五 山村の宿命
二 後進地開発のヴィジョン
一 山地における道と産業文化
二 道の利用価値を高める
三 安住の地たらしめよ


すごい細密ですよね。いくつか通ったことのある林道とかもあって、ええ、あんなところまでいったのかとか、感動してしまいます。
そして「後進地開発」というと、現代の目でいうと「経済至上主義」か、と思いますが、それは言葉遣いだけであって、「視点」は、「先進地から後進地を見る」のではなく、「後進地から、未来を見ている」のではないかなと、他の項目を概観しただけで分かります。
「コミュニティセンターの形成」とか、東日本大震災以降のことじゃないかと思いますが、60年前なんですよね。
考えている人は、考えてるんです。

そして、宮本常一の場合は、とても、当事者に近いところに視点がある。「~を見ている」のではなく、「~から見ている」のです。

これって、何らかの支援活動を長くやってたら経験するんです。中途半端な僕でもね。

生半可に分かった顔をしている学生さんとか、行政の人とか、もちろん社会人もですけど、「そんなやり方ではいけない」とか言ってくるのですが、実際、その人たちの考えていることをそのままやったらどうなるか、こちらは、まあ長年の経験で、痛い目にあってるんです。

だから、その人たちの考え方の通り進めれば、どうなるか分かるわけです。
これはええかっこではないですよ。
多くの失敗をしてきたからです。

「御高説はわかりました。では半年でもやってみてください。いや、3ヶ月でもいいですよ」という感じなんですよね。

宮本常一の「庶民の風土記を」という文章があります。これは日本のあちこちの地域の歴史や民俗を紹介した大著『風土記日本』の中に収められた一文であり、宮本は何のために歩いたのかを明確に表した文章です。

「一般大衆は声をたてたがらない。だからいつも見過ごされ、見落とされる。しかし見落としてはいけないのである。古来、庶民に関する記録がないからといって、また事件がないからといって、平穏無事だったのではない。営々と働き、その爪跡は文字に残さなくても、集落に、耕地に、港に、道に、あらゆるものに刻みつけられている。人手の加わらない自然は、雄大であってもさびしいものである。わたしは自然に加えた人間の愛情の中から、庶民の歴史を嗅ぎわけたいと感じている」

さて、こうの史代さん原作の映画『この世界の片隅に』が、異例のロングランとなり、巨大予算のハリウッド映画よりも、人々に観られた(今も観られ続けている)のは、原爆の悲惨さを直接描くのではなく、一人一人の日常の暮らしを淡々と描くことによって、「失われたもの」「奪われたもの」のかけがえのなさを、人のこころに鮮明に刻むことができたからです。

戦争のときだけ、かけがえのない暮らしは奪われるのではありません。病気やリストラやハラスメント、事故、漁師さんだったら、黒潮の蛇行などの自然の変化もそうでしょう。
普通の生活、特に、困難な暮らしを営む人々の、営々とした日常を、宮本常一は記録しようとしました。

福島に通い続けて思うんですが、反原発のデモも大事です(僕も国会前に行きましたから)。しかし、原発事故で、奪われたもの、例えば、戦後開拓で何もないところに入植し、「日本で一番美しい村」に認定され、自分ところにはない原発のせいで、その故郷を奪われた飯舘村の、人々の、「奪われた暮らし」こそが、一番の「反原発」だと思うんですが、どうでしょうか?


解説
宮本常一の場合は、とても、当事者に近いところに視点がある。「~を見ている」のではなく、「~から見ている」のです。
これって、何らかの支援活動を長くやってたら経験するんです。

なるほどなと、思いました。
勉強になります。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「地の塩」その30)「文章が音となって立ち上がってくる」ような文章

2024-07-25 01:36:29 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


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「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt53 - 篠田鉱造翁のこと

2019年1月28日 投稿
友岡雅弥
                

篠田鉱造さん(1871-1965)は、新聞記者として幕末から明治にかけての多くの聴き取りをして、記事にしたかたです。

篠田翁が記者をしたのは報知新聞です。報知新聞は、今では、読売新聞の傘下にあるスポーツ紙ですが、明治以来、戦前までは、政治・社会情勢をもっぱらあつかう新聞として、トップを走っていました。

篠田さんの記事は、「新聞記事」という範疇を超えて、『幕末百話』『明治百話』などの著作となり、今、その激動の時代の第一級資料として貴重なものとなりました。

今では、その後つづく、農村、引き揚げ、ハンセン病、在日外国人、戦争体験などの「聴き取り調査」の「原点」として、高く評価されています。

手製のミニコミをつくって、谷中・根岸・千駄木という地域に生きる人たちの生活を発信し、「谷根千」という言葉を産み出し、そして、そこが東京下町の、落ち着いた風情を残す場所として全国的な人気となる。そんなコミュニティ・ワークをされた森まゆみさんも、篠田翁の文体を「文章が音となって立ち上がってくる」(『明治百話』解説)と高く評価しており、自らも、戦前・戦中・戦後の東北地方の膨大なフィールドワーク・聴き取りをされた横浜国立大学の大門正克さんも、著作『語る歴史、聞く歴史』のなかで、「聴き取り」の原点として、多くのページを、篠田鉱造さんに割いています。

篠田翁の卓越性は、ただひとえに、従来の歴史では記録として残らなかった庶民の言葉を記録した。
そして、従来の記録には残されなかった「時代の雰囲気」が記録された。

この2点につきます。

石川島の人足寄場に、後に主たる貿易輸出品ともなる陶器の絵付けを、囚人に教えた職人のかたり、首切り役人からみた、政治犯たちやその人たちに対する江戸の人たちの共感。

などなど、とてつもない貴重な記録の連続です。

では、なぜ、篠田鉱造翁が、このような貴重な「庶民の記録」を残せたのか?

篠田翁の父や祖父はとても教育熱心でした。息子・孫の鉱造が、全然勉強しないことに悩み、知りあいの床屋(理髪店)のあるじが、自らは読み書きができないけれど、 息子のために、貧しくはあったのですが、当時は考えられない「勉強部屋」を新築し、そこに漢籍などをおき、おかげで、息子は教員となった。「鳶が鷹を産んだ」と近所の評判であった。この床屋に住み込ませ、そしてその勉強部屋で暮らさせたら、鉱造も教師などになるだろう。

――そんな目論みでした。

この「勉強部屋」が、まさに鉱造少年が偉業を成し遂げる「拠点」となったのです。 ただし、祖父たちの目論みとは、正反対のかたちで。

その「勉強部屋」からは、髪を刈るハサミの音とともに、床屋の「おやじ」と「客」の会話が手に取るように聴こえるのです。

しかも、今の「居酒屋談義」みたいな、酒飲みのおっさんたちが、テレビの討論番組の受け売りをして、ヘイト談義をするのではありません。

この前まで江戸時代で、引っ越しの自由も制限されていた。つまり、完全な顔なじみ。だから、単なる「話題」で済む訳はないのです。生活から性格まで、分かっている訳ですから。

それで、「無学な庶民」かもしれませんが、「お天道さまに誓っての責任ある、世間話」が語られたのです。

これによって、鉱造少年は、いろんな職種の職人さんたちや、世間の動向、それが庶民の暮らしにどのような光と影をもたらすかを、毎日、毎日、聴いていったのです。

抽象的な議論は、もうええような気がします。
具体的な生活に根ざした、生活者としての経験と責任に裏打ちした会話は、一人一人をどれだけ賢くするか。

そのことが、居酒屋談義みたいなものがテレビやネットやSNSで垂れ流されている今、とても、大事な気がします。

 

 


解説
抽象的な議論は、もうええような気がします。
具体的な生活に根ざした、生活者としての経験と責任に裏打ちした会話は、一人一人をどれだけ賢くするか。
そのことが、居酒屋談義みたいなものがテレビやネットやSNSで垂れ流されている今、とても、大事な気がします。

同感です。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「地の塩」その29)地方活性化の星、ウィルミントン (オハイオ州)

2024-07-24 01:18:53 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt52 - ある町の復活

2019年1月21日 投稿
友岡雅弥                   

2005年、国際航空貨物大手であるDHL(世界最古にして最大の物流企業)は流通網を再編し、ウィルミントン空港を全米流通網のハブ空港としました。

従業員および関連する雇用により人口が増加し3万人の町となりました。町の未来は、順風満帆に見えました。


しかし、2008年のリーマンショック(2008年9月)をきっかけに、なんとDHLは撤退を決めたのです(11月)。

人口の3分の1にあたる約8,000人の雇用が失われました。致命的打撃です。巨大グローバル企業に依存した町の未来は巨大グローバル企業の撤退に拠って、一瞬に暗雲がたちこめたのです。

同じ、巨大物流企業UPSに来てもらったら、そのままのインフラが使える。いや、景気が悪いから物流はダメだ。じゃあどうする?

つまり、巨大企業や国などの支援を受ける町づくりは、このような突然の撤退もあるわけです。ならば、まったく新しいことを考えよう。

それでウィルミントンは何をしたかというと、五つのコンセプトを立てました。

Local Business

Local Food

Local Energy

Local Visioning

Local People

グローバルではなく、「ローカル」

国際的な変動に影響を受ける、グローバル依存型ではなく、「ローカル自立型」。


地元の歴史的建築物のリノベーション。

地元出身の大学生たちが地元に戻り、地元にかかわる10週間のインターンシッププログラムの実施。

「サードウェーブ」と呼ばれる物品販売より、交流とコミュニケーションにちからをいれたお店。

それで、美しい地方の、農業の町として再生していったわけです。

完全V字回復です。

世界から、見学者が引きも切らずに訪れる、町づくりのモデルとなったのです。


このお話には、個人的な続きがあります。

世界的には、有名な、このウィルミントン。日本の国内で、この町の名前を耳にしたことはありませんでした。大学とかでも、ほとんど教えられていない。

ところが、ある時から、ある場所で、頻繁に耳にするようになったのです。


東日本大震災後の岩手です。ウィルミントンを目標にしているというかたたちに、田野畑村や、岩泉、陸前高田、葛巻で、つぎつぎとであったのです。

実際、ウィルミントンにも行ってる!

地方と地方が、直接繋がっているのです。

未来は、こんなところから始まるのです。


解説
ウィルミントンについては、まったく知りませんでした。
ネットで調べてみると、アメリカには、ウィルミントンという地名が、オハイオ州とデラウェア州にあるようです。

ここでいうウィルミントンは、オハイオ州の方です。

ウィルミントン (オハイオ州)
ウィルミントンは、アメリカ合衆国オハイオ州南西部に位置する小都市。同州シンシナティと州都コロンバスという、2つの大都市の中間に位置する。人口は11,921人。
ウィルミントンは、2005年、国際航空貨物大手であるDHLは流通網を再編し、ウィルミントン空港をハブ空港化したことで脚光を浴びた。流通拠点としてDHLの従業員および関連する雇用者により人口が増加したが、2008年11月、不況のためDHLはウィルミントンの事業所群を閉鎖。このため約8,000人の雇用が失われ、ウィルミントン市および周辺の失業率は増加した。
(Wikipediaより)

地方の活性化を考えるときのモデルが、ウィルミントン (オハイオ州)なのですね。

勉強になりました。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。


獅子風蓮