獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

氷川きよしの「信心告白」

2024-12-09 01:16:07 | 創価学会・公明党

私は、氷川きよしさんを応援しています。
別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、こんな記事を書いたこともあります。

自分らしく生きるということ:氷川きよし 「ボヘミアン・ラプソディ」(2022-01-28)

苦労をかけた母への思い:氷川きよし「ヨイトマケの唄」(2022-01-29)

母への思い:氷川きよし「母」(2022-01-30)

そういえば長井秀和は自分の選挙運動を有利にするため各種のメディアに露出し氷川ら、かつての仲間を売っていました。長井秀和の人間性を疑います。
現在もその習癖は治っていません。

長井秀和に対しては違和感を通り越して軽蔑しています。その1(2022-12-24)


さて、d-マガジンで興味深い記事を読みました。

引用します。


女性セブン2024年12月5日号

氷川きよし
「壮絶いじめと信心」告白
人との違いへの葛藤、活動休止に「留学」――赤裸々に語った理由

スターの長期不在を寂しく思っていた人も少なくないだろう。有言実行の氷川きよしが2年ぶりに帰ってきた。氷川の紅白のテーマは「これからの人生の生きる力」。休養生活で振り返った人生の浮き沈みと恩師への思い――


「必ず帰ってきます!」

'22年の大晦日に放送された『NHK紅白歌合戦』。
不死鳥をイメージした巨大なセットで『限界突破×サバイバー』を熱唱し、圧巻のパフォーマンスを見せた氷川きよし(47才)はそう力強く宣言した。
あれから2年、氷川の予言が現実のものとなる。
「今年の紅白に氷川さんが出場することが決まりました。'00年から23年連続出場した思い入れのある番組だけに、本人も再出場を強く希望していたそうです。当日は紅組でも白組でもない特別企画で、性別を超えた歌い手として美声を披露するようです」(テレビ局関係者)
2年ぶりとなる大晦日の歌唱。その裏には秘められ た思いがあった――
     *
《自分を見つめなおし、リフレッシュする時間をつくりたい≫――そうコメントを残し、'23年1月から歌手活動を休養していた氷川。
今年8月、東京ガーデンシアターでのコンサートでステージ復帰を果たし、12月には2年ぶりのカレンダーを発売するなど、“完全復活”の日が近づいている。
そんな彼の「心の声」が聞ける、と話題なのが、11月14日に発売された雑誌『ワールド セイキョウ VOL.5』だ。冒頭から8ページにわたり《ありのままの私でいる「勇気」》というタイトルの氷川のスペシャルインタビューが掲載されている。
「一般にはあまり知られていませんが、創価学会の活動を広めることを主旨に作られている雑誌です。発行部数は100万部にものぼり、著名人のインタビューも多く掲載されてきました。
創価学会の池田大作名誉会長は昨年11月15日に95才で他界しましたが、その一周忌と重なるタイミングで世に出る“特別号”のトップに氷川さんが登場したのです」(芸能関係者)
氷川にとっても格別な機会だったのだろう。スペシャルインタビューでは、これまで抱えていた苦悩を包み隠さず明かした。
「インタビューのなかで氷川さんは、幼い頃からきれいな物が大好きで女の子とばかり一緒にいたことや、周りの人との違いに葛藤していたことを告白。小学校では『オカマ』『貧乏人』『デブ』といったひどい言葉を投げかけられ、自身の吃音がいじめのきっかけとなったことも明かしました。
時には叩かれたりすることもあったといい、保健室にこもり、誰にも相談できない日々が続き、生きていくことすら嫌になったそう。そんなつらい時期に心の支えとなったのが池田氏の言葉でした。氷川さんは、聖教新聞や学会の書籍を通して池田氏に励まされ、“自分の歌で人に勇気や希望を与えていきたい”と思うようになったとも話していました」(前出・芸 能関係者)
歌手デビュー後には周囲がとらえる「氷川きよし」と自分自身とのギャップに悩んだが、池 田氏に「世界の芸術博士に! 氷川くん! 頑張れ!」と激励されて生涯の指針にしたという。
氷川は池田氏の一周忌について同誌でこう語った。
《今でも私の中には、先生が残してくださった多くの言葉があります。胸中の先生と常に一緒なのです。これからも、いつも見守り続けてくださった先生への報恩感謝の心を忘れず、自分らしく歩んでいきます》(『ワールド セイキョウ VOL.5』)
前出の芸能関係者が語る。
「ほかにも氷川さんは、高齢の両親が病気を抱えていることや、活動休止中にアメリカやイギリスに“留学”して現地の多様な創価学会メンバーと交流し、『自分もありのままでいいんだ』と自己肯定できたことに言及しました。
過去のインタビューでいじめや希死念慮などを部分的に語ったことはありますが、氷川さんがここまで赤裸々に自らの体験や信心を明かしたのは初めてです。これから先、自分の人生の“新たな章”を進めていく決意の表れなのでしょう」

(以下省略)

 


解説

私は、アンチの立場ではありますが、氷川きよしさんのように信仰によって支えられた人の体験を否定するものではありません。

ある巨大アンチブログでは、創価学会は宗教ではなく詐欺である、これを認めない人とは対話しないと言われ、追い出されてしまいました。

確かに、ある時期から創価学会の組織は、会員から時間とカネと票を奪い取る組織に変質していったところがあります。

しかし、そういう弊害を取り除いた、根っこの信仰の部分に救われた人は、少なくないのではないでしょうか。

私の母がそうだったように。


獅子風蓮


石橋湛山の生涯(その74)

2024-09-30 01:40:14 | 創価学会・公明党

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第8章 悲劇の宰相

(つづきです)

「先生、これからは頻繁に派閥の重鎮と会っていただかねばなりません。その際に大事なことは……」
「石田君、ポストの件だろう? 君のほうこそ大丈夫かい。手形の乱発は駄目だよ。もし当選したときに収拾がつかなくなるからね」
「そのことです。よく承知していますから。ポストで釣ること、つまり空手形は出さないことを肝に銘じてやっています」
「石田君、それでいいよ。後々、嘘つきにだけはなりたくないからね」
情勢分析も頻繁にやった。
「投票総数はおそらく500票をいくらか超えるほどだろう。このうちで岸が200以上を取るだろう。これは確かだ。問題はその200をどのくらい上回るかということだ。250を超えたらまずい」
「今現在で、石橋先生の支持は甘く読んで170。 石井が120というところかな」
「いい読みだ。岸210、石橋170、石井120。これで決選投票に持ち込める。そうすれば何とかいける」
「しかし、石井派も同じことを考えているはずだ。読みは自分のところに甘くなる。2、3位連合を持ちかければ逆に、石井を、と言ってくるだろう」
「そこが駆け引きじゃあないか。大会の前日までにそこのところを決めておかなければ混乱する」
石田は「大会の前に石橋・石井両派が候補の一本化を図る」という目的で、石井派の池田らに接触した。
12月13日には、秘密会が公然化した。午前11時半、東京会館で正式な一本化会議が開かれた。その結果、申し合わせが成立した。

一、現状では両候補の一本化こそ最善の道であるから、この実現のために徹夜をしても努力する。
一、両候補を支持している者は14日朝、一カ所に集合し対応を協議する。

だが、湛山は両派幹部に一任したものの、石井は申し合わせに難色を示した。そのために、協議は場所を紀尾井町の料亭「福田家」に移して続けられた。夜半まで続いた話し合いは、石井派の池田が、最後まで「石井で一本化」に執着したためであった。
「石田君、俺は最後まで石井で一本化を主張するよ。そうすれば土壇場までうちの派閥は切り崩されずに一枚岩でいられる。これが2、3位連合への最大の布石だ」
会議の直前に石田は池田からそう告げられていた。石田はこの会議そのものには出席していない。岸派も、この協議を警戒していた。一本化が成立したら、すぐさま一本釣りで切り崩そうと、結果待ちの状態でいたが、やがて「一本化ならず。両派引き上げ」の報に岸陣営の空気が緩んだ。
石田は新聞記者たちを別室に集めて「協議物分れ」の裏などを解説した。その間に、池田と三木だけが残って、2、3位連合の話を秘密裏に成立させたのであった。
14日早朝、午前8時半、石橋・石井両派は東京会館の合同懇親会に出席せよ」という電話が両派の議員全員の寝耳を襲った。
合同懇親会に集まった両派は260人を超えた。
石田と池田は目で合図して軽く頷き合った。
湛山は前夜、新橋第一ホテルに泊まり込み、この朝早くホテル内の理容室で散髪をし、東京会館に現われた。両派を代表して石井派の小沢佐重喜が、2、3位連合を宣言した。
「決選投票になった場合は、石橋、石井いずれであっても上位の者を全力で支援する」
拍手と鬨の声が東京会館の中に響き渡った。

 


解説

「石田君、俺は最後まで石井で一本化を主張するよ。そうすれば土壇場までうちの派閥は切り崩されずに一枚岩でいられる。これが2、3位連合への最大の布石だ」

湛山が総裁選挙で勝てた秘訣は「2、3位連合」の秘策にあったのですね。

先日行われた自民党の総裁選挙では、「2、3位連合」の密約はあったのでしょうか。混沌とした選挙だったので、たぶんなかったのでしょう。

 

獅子風蓮


池田大作の光と影 (その3)

2023-12-12 01:56:41 | 創価学会・公明党

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。


週刊現代 2023年12月2・9日号

池田大作の光と影

創立記念日である11月16日に突如公表された池田大作名誉会長の逝去。享年95。毀誉褒貶の激しいカリスマは、「怪物」 か「聖人」か。その生涯や教えに多角的に迫る。そして公明党の行く末やいかに。

(つづきです)

Ⅲ、もはや選挙も盤石ではない
 公明党はどこへ向かうのか?

〈池田大作先生が霊山(りょうぜん)へ〉
〈仏法史上不世出の大指導者 師弟不二をき世界広布の壮挙〉
11月19日付の聖教新聞は、創価学会名誉会長・池田大作氏の逝去を独特な言葉遣いで報じた。紙面には「池田先生の偉大なる足跡」が細かい表とともにびっしりと綴られている。
池田氏の訃報を受け、公明党の山口那津男代表は、20日の参院議員の党会合でこう挨拶した。
「これからの公明党はどうなるのか、いろいろな声もあるかもしれない。しかし、『大衆とともに』という立党精神を変わらぬ原点として永遠に守り抜いてまいりたい」
集まった公明党議員からは拍手が沸き起こった。ただ、「いろいろな声もあるかもしれない」との発言は、党内が動揺していることをうかがわせた。
池田氏は'64年に公明党を創設した。32歳で第3代会長に就任して以降、創価学会の政界進出に主導的役割を果たしてきた。その池田氏が15日、老衰のため、東京・信濃町の自宅で亡くなった。その死が公に知らされたのは3日後の18日、すでに家族葬を済ませ、荼毘に付された後だった。
「11月18日は創価学会の創立記念日であり、牧口常三郎初代会長の命日でもあります。あえてこの日に発表したのは、学会員にとって11月18日をより特別な日にしようという意図があったのではないでしょうか。逆にいうと、それだけ学会にとって池田大作氏の存在は大きかったということです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)


先生のために頑張ってきた

そんな池田氏が公の場に姿を見せたのは、'10年11月22日、米国の大学からの博士号授与式に出席したのが事実上最後とされる。10年以上、表舞台に出てきていなかったため、その死が政治に与える影響はそれほど大きくないと見る向きもある。
「そもそも池田さんが表に出てこなくなってから、第6代の原田稔会長の下で長い間、自公関係は続けているし、さほど関係性は変わらないだろう」(自民党閣僚経験者)
この言葉を裏付けるように石破茂元幹事長もこう語る。
「(池田氏死去での影響は) ないでしょう。イスラム教にコーランがあるように、創価学会には池田先生が書いた名著『人間革命』があるわけだから」
小説『人間革命』は学会員から聖典として崇められているという。キリストやムハンマドと同様に、池田氏は死後もなお影響力を残すと石破氏は見ているようだ。
一方で、池田氏とじかに接してきた公明党の議員の間には動揺が広がっている。
ベテラン議員は、
「なんと言われようが、池田先生が党の精神的支柱であったことは間違いない。選挙戦への影響は大きい」
と危機感を抱く。
実際、池田氏が表舞台から姿を消してからというもの、公明党の集票力はあきらかに低下している。参院選の比例票は'04年の862万票をピークに減少傾向となり、昨夏は618万票まで落ち込んだ。背景にあるのが、学会員の高齢化だ。
「公明党の選挙運動を支えてきたのは、創価学会『婦人部』でした。婦人部は主に既婚の女性会員の組織で、そこに属する女性たちが『池田先生のために』と懸命に選挙運動に邁進してきた。
ところが、婦人部は一昨年、主に未婚の女性が入る『女子部』と統合さ れ、『女性部』となりました。婦人部の高齢化や女子部の減少が進んだことが影響していると見られます」(ジャーナリスト・ 山田直樹氏)
女性の社会進出が進み、専業主婦のように機動的な選挙運動ができる人材が少なくなっていることも、集票力の低下の一因と見られる。
この現状に、池田氏の死が追い打ちをかける可能性はおおいにある。
「池田大作という人物を崇拝し、選挙活動で、集票の核になっていた特に婦人会員などは、『池田先生のために』と、選挙に鼓舞する人が多かった。その道標が消えて、今後の得票に大きく影響するかもしれません」(ジャ ーナリスト・段勲氏)
そもそも公明党自体が、池田氏を守るための政党だったという指摘もある。ある公明党元幹部は、「公明党議員は池田氏の私兵」という位置づけだったと証言する。
「'90年から'92年にかけて国税庁が学会本部に初の税務調査を行いましたが、このとき国税庁は、学会マネーだけでなく池田氏の個人資産も洗い出そうとしました。池田氏はパニックに陥り、『私を守れ』と公明党議員を怒鳴りつけた。学会にとって池田氏は聖域であり、国税庁が介入してくることは何としても避けねばならなかったのです。
池田氏の資産問題があったために、公明党は国税庁ににらみが利く政権与党に参入することを決めたのです」
公明党が自公連立を組んでいる最大の目的は、国税庁から池田氏を守ることにあったというのだ。しかし、なんとしても守らねばならなかった池田氏はもういない。一部の学会員からは、「政治活動からは手を引き、宗教活動に専念すべきだ」という声も上がり始めた。
公明党内部からも、「衆院小選挙区の撤退論が再び起きるかもしれない」(公明党幹部)という声が聞かれる。
「日本維新の会は公明党が議席を持つ大阪4選挙区と兵庫2選挙区に候補者擁立を検討しており、公明党は最悪の場合、次回の衆院選で6議席をすべて失うことになります。そんなことになれば、公明党は小選挙区から撤退せざるを得なくなる」
公明党や創価学会の集票力が弱まれば、連立を組む自民党との関係にも変化が生じてくる。 自民党中堅議員が言う。
「組織力が低下すれば、これまで学会の組織票が欲しいために要望を聞いていた自民党議員たちもあまり忖度しなくていいことになる。それはそれでいいのかもしれない」
自公関係に亀裂が入れば、政界再編に直結する。憲法改正を党是としている自民党からは、「この際、改正に慎重な公明党は切り捨てて、維新の会や国民民主党と組んではどうか」(自民党幹部)という声まで上がり始めている。麻生太郎副総裁が、公明党幹部を「がん」呼
ばわりして、両者の関係が冷え込んだことも記憶に新しい。
「根っからの公明党嫌いの麻生さんは公明党との連立を解消して、国民民主党など他の野党を連立に引き込み、さらなる防衛力増強や憲法改正を実現させることを目論んでいる」(自民党関係者)


「平和の党」も名ばかりに

とはいえ、そんなに簡単に手を切れるわけではない。公明党にとっては与党でいることのメリットはいまだに大きい。
「公明党は国土交通大臣のポストをあてがわれています。国交省は陸海空の公共事業を発注するかわりに票やカネが入ってくる。地元で受ける陳情の7割は道路や建築に関わるものだから、布教活動にもうってつけです。公明党は国交大臣のボストを決して手放すつもりはないでしょう」(前出・自民党閣僚経験者)
いくら集票力が衰えているとはいえ、自民党にとっても、創価学会はいまだに欠かせない票だ。ある自民党幹部が言う。
「私は若手議員に『公明党は下駄の雪だ』といつも諭している。どんなことがあったってついてきてくれるのだから、こちらから切る理由がない。それに維新の会や国民民主党と組んでも、正確な票数を動かすことはできない。それに比べて、公明党には多少減ったとはいえ、1選挙区で2万票と言われる強固な組織票があるのだから、選挙のときにも計算が立つ」
自民党と公明党はお互いに持ちつ持たれつの関係なのだ。
しかし、安定した関係が池田氏の死後も続くはずがない。創価学会の集票力が低下し、自民党が議席を減らせば、政権を維持するために維新や国民民主党と連立を組まざるをえないからだ。
そうなれば、公明党の発言力は相対的にどんどん弱まっていく。
「公明党はいまでさえ、自民党にやりたい放題にやられて、「平和の党」という大義名分はどこへやら。米国からのミサイル購入や辺野古への基地移設など、軍備増強を自民党と一緒になってやっている。もちろん学会員たちの不満は募っています。それでも、池田先生が聖教新聞で折に触れてメッセージを発表し、そのカリスマ性で矛盾をなんとか抑えてきた。
しかし池田先生の死でそのタガが外れてしまえば、平和主義の学会員たちは自民党から離れるよう、公明党に迫っていくことになるでしょう」(公明党関係者)
それでも自公連立を続けていくのならば、「これ以上ついていけない」と学会をやめる人も出てくるはずだ。集票力はますます下がり、さらに発言力は弱っていく。
負のスパイラルに陥り、公明党と創価学会は共倒れになる可能性がある。
前出の段氏が語る。
「創価学会は、池田氏を組織の象徴として祭り、いわば『池田教』と呼んだほうがふさわしかった。その支柱が姿を消したことで、創価学会公明党の勢いが鈍化していくことが予想されます」
「羅針盤」を失った公明党と学会員の前途には暗雲がたれこめている。


解説
今回の記事は署名がないので、編集部の書いたものと思われます。

各方面の識者の意見をまとめる形で記事にしています。

創価学会・公明党が衰退する方向にいくだろうと、誰もが予想しています。


獅子風蓮


池田大作の光と影 (その2)

2023-12-11 01:31:49 | 創価学会・公明党

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。


週刊現代 2023年12月2・9日号

池田大作の光と影

創立記念日である11月16日に突如公表された池田大作名誉会長の逝去。享年95。毀誉褒貶の激しいカリスマは、「怪物」 か「聖人」か。その生涯や教えに多角的に迫る。そして公明党の行く末やいかに。

(つづきです)

Ⅱ、「池田大作氏は死してなお生き続ける」
 佐藤優 (作家、元外務省主任分析官)

創価学会の池田大作名誉会長が亡くなった。私は直接会ったことはないが、彼が書いた「テキスト」には長年向きあってきた。『池田大作研究 世界宗教への道を追う』(朝日新聞出版)を書いたこともあり、一つの時代を画することになったという感がある。
注目すべきは原田稔会長と池田博正主任副会長が談話を発表した際、喪服を着ていなかったことだ。死をことさら悲劇と捉えない、これは池田の死生観に通じている。池田は生前、臨終を「山頂」に譬えてこう述べている。
〈人生という山登りを終えた、その地点から振り返って、初めて自分の一生が見渡せる。……自分は、この一生で何をしたのか。何を残したのか〉(『法華経の智慧――二十一世紀の宗教を語る』)
裏を返せば、死ではなく、どう生きてきたかが重要なのだ。
かくいう池田大作の人生はどのようなものであったか。海苔屋の子として生まれ、もともとは軍国少年であった。それが出征した兄は戦死し、自分も病弱で長く生きられないと言われて、夜間中学に通いながら猛烈な勢いで読書をし、創価学会第2代会長・戸田城聖の教えを請うた。
苦難の連続だった少年時代の池田にとって、創価学会の根本教義である「宿命転換」は救いだったに違いない。過去世(前世)の行いを原因とする宿命も、現世で正しい行いをすることで変えられる。宿命は不変なものではないところが、「希望の宗教」たる所以である。池田は生涯を通じて、この教義を最重視した。
此岸で宿命を転換し幸福にならずして、彼岸での幸福について話しても説得力がない。まずこの世界の貧困、病気、家庭不和などの現実的問題を解決しなくてはならない。そのためには、平和主義によって戦争のない社会を築くことが必要だ。この思いから政治にも積極的に関与した。池田には、初代会長牧口常三郎を獄中死させ、戸田城聖にも獄中生活を送らせ早逝の原因となった軍国主義への強い怒りがあった。
池田が創設した公明党は、いまは政権の一翼を担っている。自民党に対して一定の歯止めとなり、安保法制における集団的自衛権についても制限を課し、平和を現実的に強化できた。 あえて権力側に入ることによって、教義に基づいた民衆のための社会を作る道を選んだ。創価学会は池田大作に次ぐカリスマ的な後継者を育てられなかったので、これから会員数は減少していくと言う人がいるが、全くの見当違いである。創価学会インタナショナル(SGI)の会員数はすでに全世界に280万人。私は創価学会こそ、キリスト教やイスラームに匹敵する世界宗教となると考えている。
池田により世界宗教としての創価学会は完成している。池田に代わるカリスマを創価学会は作れなかったのではない。あえて作らなかったのだ。
属人的な組織は、個人のカリスマに頼るがゆえに永続的たりえない。牧口常三郎、戸田城聖、池田大作という三代会長によって創価学会の教えはすべて体現される。創価学会において「先生」と呼ばれるのはこの3人だけであり、今後は池田が残した、信仰と教団の規範となる「正典」をその根拠として、この先も数百年、千年と続いていく。
その正典こそが、池田が書き残した小説『人間革命』『新・人間革命』ならびに、池田監修の『日蓮大聖人御書全集』である。正典の必須条件は、常人が読了しうる分量でかつ、変更がない閉じたテキストであることだ。それにより、正典を参照することで森羅万象を説明することが可能になる。この正典がすでに完成しているのだから、池田が死去したことによる動揺はなかったのである。
創価学会は10年以上前から池田が亡くなった後のための準備を着々と進めてきた。池田が表舞台から姿を消すことで、すでに正典による信仰を開始していたわけだ。
創価学会が作り出す世界のあり方について、池田は23世紀までのプランを描いている。今の日本の宗教指導者や政治家で、200年先の計画を立てられる人がいるだろうか。
          (文中敬称略)


(つづく)


解説】】
創価学会の池田大作名誉会長が亡くなった。私は直接会ったことはないが、彼が書いた「テキスト」には長年向きあってきた。

意外ですが、あれほど池田氏を礼賛する佐藤優氏は生前の池田氏に会ったことがなかったのですね。
彼は、テキスト、それも創価学会側から公式に発表されたテキストのみを読み込んで分析するのが常です。
池田大作研究というなら、生前の池田氏に面会し、インタビューを試みるのが当然だと思うのですが、なぜか佐藤優氏は、そういう基本的な仕事はせず、机上のテキストのみを相手に創価学会の「内在的論理」とやらを見出したとうそぶきます。
「内在的論理」なんていうとなにやら小難しそうに聞こえますが、ようするに、相手側の言い分を鵜呑みにして、相手の気持ちを理解するという意味で、氏はこのこの言葉を使っているようです。


注目すべきは原田稔会長と池田博正主任副会長が談話を発表した際、喪服を着ていなかったことだ。死をことさら悲劇と捉えない、これは池田の死生観に通じている。

アンチの論者の中には、11月18日に池田氏のご遺体を荼毘に付したその直後にこの談話が発表されたのは不自然だという指摘がありました。
長谷川理事長の導師でお見送りをして、遺体を荼毘に付したのなら、その参列者である池田博正氏も原田会長もその時は喪服を着ていたはずです。
そのままその姿で談話の動画を撮影してもよかったはずなのに、談話にさいして、わざわざ着替えてネクタイも普段着のものにしたというのでしょうか。
それとも、佐藤優氏が指摘するように、喪服を着ないことに積極的な意味があったというのでしょうか。
今後、創価学会員の葬式は、喪服を着ないというルールができるのでしょうか。
実際のところは、荼毘に付す時よりも前に、周到な準備を経て談話の動画を撮ったのではないでしょうか。
そのときに、単に、喪服を着るのを忘れたとか……。


創価学会は池田大作に次ぐカリスマ的な後継者を育てられなかったので、これから会員数は減少していくと言う人がいるが、全くの見当違いである。創価学会インタナショナル(SGI)の会員数はすでに全世界に280万人。私は創価学会こそ、キリスト教やイスラームに匹敵する世界宗教となると考えている。

ここは、学会が発表する数字を鵜呑みにして、創価学会が今後も世界宗教として発展するなどとたわ言をいっているのでしょう。
佐藤氏は、少しは自分で、実情を調べて発言するべきです。


正典の必須条件は、常人が読了しうる分量でかつ、変更がない閉じたテキストであることだ。それにより、正典を参照することで森羅万象を説明することが可能になる。

創価学会の「正典」たる『人間革命』『新・人間革命』とも、都合の悪い過去の記述は平気で改ざんされています。そもそも、池田氏自身が書いたものではありせん。
その時点で、すでに「正典」の条件を満たしていませんね。

創価学会が作り出す世界のあり方について、池田は23世紀までのプランを描いている。今の日本の宗教指導者や政治家で、200年先の計画を立てられる人がいるだろうか。

この表現も無責任ですね。
池田氏自身は、今回のような嘘とごまかしの「お元気詐欺」ともいうべき、生涯の締めくくり方を望まれたでしょうか。
自分の死に方さえ、プランを立てられなかった、不幸な亡くなり方をした。
可哀想な方だった、と私は思っています。
そうやって、池田氏の晩年を組織維持のために利用しつくした創価学会の執行部のやり方に、憤りさえ覚えます。

獅子風蓮


池田大作の光と影 (その1)

2023-12-10 01:11:45 | 創価学会・公明党

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。


週刊現代 2023年12月2・9日号

池田大作の光と影

創立記念日である11月16日に突如公表された池田大作名誉会長の逝去。享年95。毀誉褒貶の激しいカリスマは、「怪物」 か「聖人」か。その生涯や教えに多角的に迫る。そして公明党の行く末やいかに。


Ⅰ、名誉欲に駆られつづけた「大俗人」の生涯
 溝口敦(ジャーナリスト)

総理大臣になりたかった

池田大作が公の場に姿を見せなくなってから13年。病床にあって数多くの文章を発表し、創価学会という巨大組織を動かしてきた。今年の4月にも、G7広島サミットへの提言を発表していたが、このころにはすでに長文を執筆する体力などなかったと推察される。おそらくは代作者に書かせたのであろう。
その池田大作がようやく亡くなった。
思えば、彼の生涯は青年期に抱いた俗っぽい野心を100%以上満たした人生だったのではない か。東京・下町の貧乏な家庭に育ち、若き日に新聞記者や小説家になりたいと夢見た。
その後、創価学会第2代会長・戸田城聖に出会い、創価学会に入信。戸田の下で、少年雑誌の編集を手がけ、自ら山本伸一郎というペンネームで記事も書いたという。
この雑誌は廃刊になるが、池田は戸田が設立した高利貸しを営む大蔵商事の営業部長となり、業績を好転させ、組織の中で頭角を現す。
'58年に戸田城聖が58歳で生涯を閉じた後、熾烈な抗争を制して、'60年に池田は創価学会の第3代会長に就任した。
戸田はきわめて独創性の高い指導者で、政治進出や出版活動、寺院や会館の建設、文化面への進出など、現在の創価学会につながる構想はすべて彼が考えた。池田は戸田の敷設したレールの上をただ走ればよかった。
池田には、有無を言わせず部下や会員を引っ張ったり、ライバルを蹴落としたりして、戸田の描いた構想を実現する能力はあったように思うが、創価学会の拡大は、基本的には成功を約束されていたといえる。
池田は戸田以来の政治進出を受け継ぎ、さらに強化、拡大させる。'64年に公明党を結成し、'67年に衆議院進出を果たした。当初の公明党は、日蓮正宗(創価学会は日蓮正宗の信徒団体の一つだった)の国教化を目指し、その象徴として国立戒壇の建立を目標とした。さらに池田は自身を「日本の最高権力者」、すなわち内閣総理大臣にするという滑稽なまでに大きな野心を抱くまでになる。
しかし、池田の野放図な野望は挫折する。'69年に出版された政治評論家・藤原弘達の著書『創価学会を斬る』に対して、出版を妨害しようとしたことが発覚。創価学会と池田への世間の糾弾の声が高まり、池田は'70年に国立戒壇を否定し、創価学会と公明党を分離すると社会に対して誓約せざるを得なくなった。


何百もの名誉学術称号

この言論出版妨害事件によって総理大臣の夢は挫折したが、それでも世界各国から何百もの名誉学術称号を授与され、若い頃に抱いた名誉欲は満たされたはずだ。俗人の抱く夢を具現化した生涯だったといえる。
ただ、信者以外の人間を感動させる力には乏しかった。小説『人間革命』をはじめ、膨大な著作を遺したが、彼の書くものはすべて陳腐で、無内容に思える。信者以外に広く長く読み継がれるものにはなるまい。
今後、池田大作という中心核をなくした創価学会は徐々に衰えていくはずだ。たとえば、立正佼成会といった他の新宗教団体のように、往時の勢いは細っていく。社会的には、信者たちの穏やかな集まりといった形態になっていくのだろう。
新宗教の栄枯盛衰というのは、概ね1世代といわれる。そういう意味では、創価学会は3代の長きにわたって興隆し、池田大作が95歳まで長生きしたことによって、教団の衰退を少し先延ばししたことにはなる。
公明党も集票力が衰えていき、今後、自民党に頼りにされることが少なくなるはずだ。自公連立政権は、いずれ別れる、別れないの愁嘆場を演じ、やはり自民党と別れる時が遠からず訪れる。自民党は日本維新の会か、国民民主党と連立を組むことになるかもしれない。
昭和に組織の土台が形作られた創価学会公明党の中心核がなくなったことは、一つの時代の区切りとなった。池田大作の死去は、昭和がいよいよ遠くなりつつあるとの感慨をもたらした出来事であった。(文中敬称略)


(つづく)


解説
ジャーナリストの溝口敦氏は今から半世紀前に『池田大作権力者の構造』を書いて、言論出版妨害事件直後の池田氏を「堕ちる庶民の神」と評しました。
その溝口氏が、池田氏の生涯をうまくまとめています。

獅子風蓮