獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優の研究方法とその胡散臭さ(その2)

2023-12-16 01:09:20 | 佐藤優

田氏の死去に伴う各誌の記事を読むと、論者の意見はおおむね、池田氏の死去によって創価学会の組織は弱体化し、公明党の存在も危うくなるだろうということで一致しています。
ただ、一人の例外を除いて。
それは、これまで創価学会寄りの評論を多数にわたって執筆し、『池田大作研究』(朝日新聞出版)という本まで書いた佐藤優氏です。

なぜ佐藤氏は、創価学会側の発表を鵜呑みにしたような稚拙な論を、恥ずかしげもなく発表できるのでしょうか。

佐藤氏の研究方法をさぐるには、『池田大作研究』を読んでみるのがいいでしょう。

今回、この資料を引っ張り出して、第1回の分を読み込んでみました。


池田大作研究
世界宗教への道を追う 第1回
AERA 2019年12月30日-2020年1月6日号

創価学会の内在的論理
捉えることから始めたい
池田大作。その名は著名ながら、実像を知る人は少ない。
急激に世界宗教化を進める創価学会。
その巨大組織のトップに立つ人物の深部に迫る。

作家・元外務省主任分析官
佐藤 優

(つづきです)

仏教を再確立した日蓮
基点に人間を救済する

仏教は釈尊(ガウタマ・シッダールタ)から始まったというのが常識的理解だ。筆者が同志社大学神学部で1回生のときは、上座部仏教の思想であるアビダルマ、2回生のときは中観、3回生のときは唯識というインド仏教の思想を学んだ。そのため無意識のうちに仏教に関しては、釈尊を基点にすべきと考えていた。
しかし、創価学会の思想を学ぶうちにこのアプローチでは不十分と考えるようになった。
仏教の目的は人間の救済だ。現在は末法の時代であるという時代認識が重要になる。キリスト教的に言い換えると現在は危機の時代であるという時代認識だ。この危機の時代に仏教を再確立したのが日蓮(1222~1282年)だ。日蓮を基点にしなくては、現実に存在する人間の救済はできないというのが、創価学会の基本認識だ。だから、日蓮自身が仏である (日蓮本仏論)という立場を創価学会は取る。〈末法の御本仏日蓮大聖人は、法華経の肝心 であり〉という短い文言で、創価学会の時代認識と救済観を明確に示している。続いて、牧口と戸田の関係についてこう記す。

〈初代会長牧口常三郎先生と不二の弟子である第二代会長戸田城聖先生は、1930年11月18日に創価学会を創立された。創価学会は、大聖人の御遺命である世界広宣流布を唯一実現しゆく仏意仏勅の正統な教団である。日蓮大聖人の曠大なる慈悲を体し、末法の娑婆世界において大法を弘通しているのは創価学会しかない。ゆえに戸田先生は、未来の経典に「創価学会仏」と記されるであろうと断言されたのである。牧口先生は、不思議の縁により大聖人の仏法に帰依され、仏法が生活法であり価値創造の源泉であることを覚知され、戸田先生とともに広宣流布の実践として折伏を開始された。第二次世界大戦中、国家神道を奉ずる軍部政府 に対して国家諫暁を叫ばれ、その結果、弾圧・投獄され、獄中にて逝去された。牧口先生は、「死身弘法」の精神をご自身の殉教によって後世に遺されたのである。
戸田先生は、牧口先生とともに投獄され、獄中において「仏とは生命なり」「我、地涌の菩薩なり」との悟達を得られた。戦後、創価学会の再建に着手され、人間革命の理念を掲げて、生命論の立場から、大聖人の仏法を現代に蘇生させる実践を開始された。会長就任に当たり、広宣流布は創価学会が断じて成就するとの誓願を立てられ、「法華弘通のはたじるし」として、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」「創価学会常住」の御本尊を学会本部に御安置 され、本格的な広宣流布の戦いを展開された。戸田先生は、75万世帯の願業を達成されて、日本における広宣流布の基盤を確立された〉


弟子から師匠が学ぶ
キリスト教より民主的

創価学会は師弟関係を重視する。この点もキリスト教に似ている。
キリスト教では、イエスの弟子を使徒(ギリシャ語でアポストロス)と呼ぶ。ただし、使徒はペトロやマタイなど、イエスによって直接選ばれた者以外も含まれる。例えば、生前のイエスを知らなかったパウロも使徒と呼ばれた。パウロによれば、復活した主イエス・キリストの証人であることとイエス・キリストによって弟子として召されたことが使徒の条件だ。
牧口は獄中死している。池田は生前の牧口を知らない。しかし、池田は戸田と師弟関係であるように牧口とも師弟関係にある。同様に池田と直接面識のない創価学会員も池田と師弟関係に入ることができるのだ。
創価学会では、師匠と弟子が一体であるという師弟不二が重要な概念になる。すべての創価学会員が池田と師弟不二の関係で結びついている。これが創価学会の強さだ。ちなみにキリスト教徒にとってもイエス・キリストは、「道であり、命である」。すべてのキリスト教徒はイエス・キリストの弟子だ。
ただし、創価学会とキリスト教の違いもある。師弟不二の関係にある創価学会では、弟子から師匠が学ぶことがある。師匠である池田は弟子である学会員からも多くを学んでいる。これに対して、キリスト教では信徒はイエス・キリストに服従することが一方的に求められる。キリスト教よりも創価学会の方が民主的なのだ。
会憲では池田についてこう規定する。 
〈第三代会長池田大作先生は、戸田先生の不二の弟子として、広宣流布の指揮をとることを宣言され、怒濤の前進を開始された。
日本においては、未曾有の弘教拡大を成し遂げられ、広宣流布の使命に目覚めた民衆勢力を築き上げられた。とともに、牧口先生と戸田先生の御構想をすべて実現されて、大聖人の仏法の理念を基調とした平和・文化・教育の運動を多角的かつ広汎に展開し、社会のあらゆる分野に一大潮流を起こし、創価思想によって時代と社会をリードして、広宣流布を現実のものとされた。会長就任直後から、全世界を駆け巡り、妙法の種を蒔き、人材を育てられて、世界広宣流布の礎を築かれ、1975年1月26日には、世界各国・地域の団体からなる創価学会の国際的機構として創価学会インタナショナル(SGI)を設立された。それとともに、世界においても仏法の理念を基調として、識者との対談、大学での講演、平和提言などにより、人類普遍のヒューマニズムの哲学を探求され、平和のための善の連帯を築かれた。池田先生は、仏教史上初めて世界広宣流布の大道を開かれたのである〉

ここで重要なのは、池田の主導で創価学会の世界宗教化が始まったという指摘だ。日蓮仏法の思想を普遍的なヒューマニズムの哲学に転換するというアプローチを池田は取り、今日に至っているのである。
(文中敬称略)

 


解説
創価学会とキリスト教の違いもある。師弟不二の関係にある創価学会では、弟子から師匠が学ぶことがある。師匠である池田は弟子である学会員からも多くを学んでいる。これに対して、キリスト教では信徒はイエス・キリストに服従することが一方的に求められる。キリスト教よりも創価学会の方が民主的なのだ。

何の根拠もなく、「師匠である池田は弟子である学会員からも多くを学んでいる」と、佐藤氏は述べていますが、これはどうなんでしょう。
池田氏から離反した側近幹部の著書などを読むと、池田氏はけっして他人の意見を聞こうとはしかなったといいます。
しぶしぶ周りの幹部の意見に従っても、そのことを後々まで恨みに思って、やり返す機会を窺うような執念深いところもあったようです。

日蓮仏法の思想を普遍的なヒューマニズムの哲学に転換するというアプローチを池田は取り、今日に至っているのである。

これは、成功したのでしょうか。
私は、不勉強なのか、よく分かりません。

 

獅子風蓮


佐藤優の研究方法とその胡散臭さ(その1)

2023-12-15 01:47:17 | 佐藤優

前回までに紹介したように、池田氏の死去に伴う各誌の記事を読むと、論者の意見はおおむね、池田氏の死去によって創価学会の組織は弱体化し、公明党の存在も危うくなるだろうということで一致しています。
ただ、一人の例外を除いて。
それは、これまで創価学会寄りの評論を多数にわたって執筆し、『池田大作研究』(朝日新聞出版)という本まで書いた佐藤優氏です。

なぜ佐藤氏は、創価学会側の発表を鵜呑みにしたような稚拙な論を、恥ずかしげもなく発表できるのでしょうか。

佐藤氏の研究方法をさぐるには、『池田大作研究』を読んでみるのがいいでしょう。
私は、アエラに連載されていた記事をコピーして手元においてあります。
いつか本格的に佐藤氏のことを批判的に論評してみたいとおもっているのですが、なかなか時間がとれず、資料はしまい込んでいました。

今回、この資料を引っ張り出して、第1回の分を読み込んでみました。


池田大作研究
世界宗教への道を追う 第1回
AERA 2019年12月30日-2020年1月6日号

創価学会の内在的論理
捉えることから始めたい
池田大作。その名は著名ながら、実像を知る人は少ない。
急激に世界宗教化を進める創価学会。
その巨大組織のトップに立つ人物の深部に迫る。

作家・元外務省主任分析官
佐藤 優

創価学会名誉会長で、創価学会インタナショナル(SGI)会長である池田大作(1928年1月2日生まれ、91歳)について知ることが、現下の日本と世界を理解する上できわめて重要だ。日本における創価学会は会員世帯数827万(公称)の巨大組織だ。
SGIとは見慣れない略称と思うが、創価学会は現在、世界宗教に発展しつつある。この先の連載で詳しく説明するが、SGIとは創価学会の国際的なネットワークと考えておいてほしい。現在、192カ国・地域に組織されている。日本発の世界宗教が形成されつつあることを伝えることも連載の目的なので副題を「世界宗教への道を追う」とした。
この連載で筆者は独自の方法を取ることにした。これは筆者の過去と深く関係している。具体的には、神学とインテリジェンス分析の方法を取る。この点について、少し長くなるが説明することをお許し願いたい。
筆者は同志社大学神学部と同大学院神学研究科で組織神学を研究した。組織神学という言葉は、一般に知られていないが、大雑把に言えばキリスト教の理論のことだ。ちなみにキリスト教でもカトリックとプロテスタントでは、教義も教会組織の形態もかなり異なる。同志社はプロテスタントに属する。従って、筆者の用いる方法はプロテスタント神学のものだ。
組織神学にエキュメニカル神学という分野がある。
エキュメニカルとは「人が住む世界の」という意味だ。キリスト教はイエス・キリストを救済主と信じる宗教だ。イエス・キリストに従うという原理原則に従って、教会は本来一つであるべきだ。しかし、実際にはたくさんの教会が分立し、対立している。それをイエス・キリストの教えに基づき、再統一していこうというのがエキュメニズム(教会再一致運動)だ。


第三代会長によって
この宗教は完成した

このエキュメニズムを理論的に支えるのがエキュメニカル神学である。それぞれの教会には独自の教義や伝統がある。再一致の前提として、互いの立場を知る必要がある。そのためには自分が所属する教会の立場をいったん、括弧に入れて、対話相手の内在的論理をつかむことが不可欠になる。
当初、キリスト教会の再一致を求めることだけがエキュメニカル運動の目的だったが、時代の流れとともにそれが徐々に変化していった。人間が住む世界にいるのはキリスト教徒だけではない。ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、神道など、さまざまな宗教を信じる人々がいる。また、神を否定する無神論者、また自分は宗教を一切信じていないと主張す 無宗教者もいる。これらの人々もエキュメニズムの対象とすべきとプロテスタント神学者は考えるようになった。
繰り返すが、その際重要なのは、対象の内在的論理をつかむことである。創価学会に関しても、その内在的論理をつかむことが最優先されると筆者は考える。池田大作の人と思想を知らずに創価学会を理解することはできない。
創価学会の基本原則を定めた会憲(2017年11月18日施行)という文書がある。創価学会の憲法に相当する規定と考えればよい。会憲第3条に以下の規定がある。

〈第3条 初代会長牧口常三郎先生、第二代会長戸田城聖先生、第三代会長池田大作先生の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である。
2.「三代会長」の敬称は、「先生」とする〉

広宣流布とは、キリスト教の用語で は、伝道や宣教に相当する。死身弘法 とは身を賭して仏法を広めるという意 味だ。牧口常三郎初代会長、戸田城聖 第二代会長、池田大作第三代会長で、宗教としての創価学会は完成しているということだ。
ちなみにキリスト教も救済主であるイエス・キリストがこの世界に登場し、十字架上で死んで、復活したことによって完成している。イスラム教も最後の預言者ムハンマドが出現したことで完成している。創価学会が世界宗教として発展していく前提となるのが、池田によってこの宗教が完成しているという基本認識だ。
「ポスト池田時代」についてさまざまな予測を述べる論者がいるが、そのような論者の基本的枠組みが創価学会の内在的論理と一致しない。
キリスト教において「ポスト・キリスト時代」なるものは存在しない。例えば、イエス・キリスト以外の新たな救済主が存在するというようなことを主張する宗教は、キリスト教を自称しても、キリスト教ではない。イエス・キリストが唯一の救い主であるということはキリスト教の公理系で、これを逸脱した言説はもはやキリスト教と認められないからだ。
同様に「ポスト池田時代」という言説自体が、創価学会の公理系を逸脱しているのである。
牧口、戸田、池田には多数の著作がある。これらの著作を解釈する場合に重要なのが、逆時系列で読むことだ。この場合もキリスト教の聖書の読み方が重要になる。キリスト教には旧約聖書と新約聖書という二つの正典がある。それを解釈する場合、時系列順に旧約聖書から新約聖書という読み方をすると、迷路に入ってしまう。
例えば、旧約聖書では〈そこでサムソンは、「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」と言って、力を込めて押した。建物は領主たちだけでなく、そこにいたすべての民の上に崩れ落ちた。彼がその死をもって殺した者は、生きている間に殺した者より多かった〉(「士師記」16章30節)といった大量殺戮を肯定的に評価している記述が少なからずある。また、一夫多妻制が前提とされている。神の愛よりも怒りの方が旧約聖書では強く打ち出されている。これら旧約聖書の記述を正しく解釈するためには、新約聖書の視座から解釈することが必要だ。


公式サイトや機関紙
公開情報をソースに

創価学会の場合も、池田の視座から戸田、牧口の著作を解釈することが死活的に重要になると筆者は考える。具体的には、今後の連載で政教分離問題について考察する際に論じることにする。
神学的方法とともにインテリジェンスの技法もこの連載で活用したい。
インテリジェンスに「オシント(OSINT)」という分野がある。「公開情報諜報(Open Source Intelligence)」の略語だ。公刊された新聞、書籍、政府の公文書、インターネット空間の情報によって情勢を分析する技法だ。筆者は外交官時代、インテリジェンス業務に従事した。筆者が得意としたのは「ヒュミント(HUMINT、Human Intelligence)」、すなわち人間関係を用いて秘密情報を得ることだった。
イスラエルやロシアのインテリジェンス専門家は、軍事情報以外の政治情報、経済情報ならば、オシントによって、秘密情報の95~98%を得ることができると言っていた。筆者の経験からしてもそれは正しい。ただし、オシントに従事する人が秘密情報を扱った経験がないと、情報とノイズ(雑音)の仕分けがうまくできない。
オシントにおいて中心となるのは政府や議会などの国家機関が公表する情報だ。国家が真実をすべて開示することはないが、公式の場で積極的な虚偽情報を流すことはほとんどない。そのようなことをして、露見した場合、当該国家が失うものが大きすぎるからだ。

池田に関しては全150巻の全集が完結している。この全集の中に創価学会の「精神の正史」である小説『人間革命』(全12巻)が収録されている。また、全集には収録されていない小説『新・人間革命』(全30巻)も18年に完結した。これら池田の著作を基本に創価学会の公式ウェブサイトや創価学会機関紙の「聖教新聞」などの公式文書を基本ソースとして筆者は記述を進めることにする。真偽が不確かな伝聞情報よりも公式文書を分析する方が、調査対象の内在的論理をつかむのに適切であると外務省主任分析官をつとめていたときの経験から筆者は確信している。キリスト教神学には、キリスト論的集中という概念がある。イエス・キリストの行為と言動を読み解けば、世界で起きるすべての事柄がわかるという考え方だ。
それになぞらえれば、創価学会には「三代会長論的集中」がある。「三代会長論的集中」というのは筆者の造語であるが、この構造を会憲前文から読み解くことができる。少し長くなるが、創価学会の内在的論理が端的に記されているので、関連部分を引用しつつ解説する。

〈釈尊に始まる仏教は、大乗仏教の真髄である法華経において、一切衆生を救う教えとして示された。末法の御本仏日蓮大聖人は、法華経の肝心であり、根本の法である南無妙法蓮華経を三大秘法として具現し、未来永遠にわたる人類救済の法を確立するとともに、世界広宣流布を御遺命された〉


(つづく)


解説
牧口、戸田、池田には多数の著作がある。これらの著作を解釈する場合に重要なのが、逆時系列で読むことだ。この場合もキリスト教の聖書の読み方が重要になる。キリスト教には旧約聖書と新約聖書という二つの正典がある。それを解釈する場合、時系列順に旧約聖書から新約聖書という読み方をすると、迷路に入ってしまう。

組織の本質を理解するには、やはり時系列で解釈する方が正しいでしょう。
そうでないと、現状を肯定するばかりで、現実の問題点を指摘したり、反省することができなくなります。
「逆時系列で読むこと」が重要だという佐藤氏の意見は、現状の創価学会を擁護するためには強力な武器になるでしょうが、そもそもそれは、誤った方法論だと言わざるをえません。

 

創価学会の場合も、池田の視座から戸田、牧口の著作を解釈することが死活的に重要になると筆者は考える。

池田氏の行動をまず肯定してから、戸田氏や牧口先生の著作を解釈するなど、本末転倒もいいところでしょう。弟子が師匠の教えを守らなくても、まったくお咎めなしでいいんでしょうか。

 

インテリジェンスに「オシント」という分野がある。「公開情報諜報」の略語だ。公刊された新聞、書籍、政府の公文書、インターネット空間の情報によって情勢を分析する技法だ。筆者は外交官時代、インテリジェンス業務に従事した。筆者が得意としたのは「ヒュミント」、すなわち人間関係を用いて秘密情報を得ることだった。


こう語る佐藤氏は、なぜか生前の池田氏に一度も会うこともなく、創価学会側の公式見解だけをもとに、その「内在的論理」なるものを分析して見つけだろうとしている。
そうじゃないでしょう。
創価学会や池田氏の本当の姿をつきとめようとするなら、創価学会側の公式見解をもとにしても、それ以外の情報や、批判者の意見も幅広く集め、実際に佐藤氏が得意とした「ヒュミント」すなわち人間関係をも駆使してその実像に迫るべきではないでしょうか。

 

獅子風蓮


池田大作の死~佐藤優氏の寄稿(その2)

2023-12-14 01:22:19 | 佐藤優

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。


AERA 12月4日号

池田大作の死と創価学会の今後
佐藤優(作家・元外務省主任分析官)特別寄稿

創価学会名誉会長の池田大作氏の訃報が伝えられた。その影響について、著書に『池田大作研究』がある作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんが本誌に特別寄稿した。

(つづきです)
社会的影響力は維持

さらに沖縄の公明党は、辺野古新基地建設に反対の姿勢をとっているのみならず、在沖米海兵隊の海外移転を主張している。それは沖縄の創価学会が、平和について沖縄の民衆の視座で考え、行動している現実を反映している。東京の公明党本部とは異なる方針をとっている沖縄の公明党の活動が容認されているのも、他の政党とは異なる生命尊重、人間主義という創価学会と共通の価値観で公明党が動いていることを示す証左だ。
池田氏亡き後の創価学会が分裂するとか、教勢が著しく衰えると主張する有識者は、創価学会の内在的論理に無知か、自らの主観的願望を投影しているに過ぎない。創価学会は強靭で、その組織力や社会的影響力は維持されると筆者は見ている。世界宗教の特徴は正典(キャノン)を持つことだ。正典とは、宗教教団が公式に認めている、教義の規準や信仰生活の規範となるテキストのことだ。正典については、一旦、確定したらその後、変更がない閉じたテキスト体系であることが必須だ。キリスト教の「旧新約聖書」、イスラム教の「コーラン」も閉じている。しかも標準的な人でも努力すれば読了可能な量に抑える必要がある。それによってランダムアクセスが可能になり、信徒が共通の土俵を持つことが出来るからだ。
キリスト教との類比で考えると、新約聖書の役割を池田氏の小説『人間革命』と『新・人間革命』が果たしている。この2作品は創価学会において「精神の正史」であり「信心の教科書」と位置付けられている。創価学会は、日蓮を「末法の御本仏」すなわち釈尊ではなく、日蓮を基点にすることで救済が得られると考える。従って、御書(日蓮遺文集)は救済の根拠を示す重要テキストになる。創価学会は独自編集の御書(池田大作監修『日蓮大聖人御書全集』)を2021年に刊行した。御書が キリスト教における旧約聖書の役割を果たしている。


混乱は生じない

カリスマ的指導者が逝去した後の教団分裂を避けるためには、正典を策定しておくことが不可欠であると池田氏はかなり早い時点から認識していたと筆者は見ている。11月18日、池田博正氏は談話で、母・池田香峯子氏の「(主人は)10年以上前に『この後は 妙法に説かれる不老不死のままに永遠に指揮を執る』と語りつつ、幸いすべてを託してバトンタッチできましたので安祥としていました」という発言を紹介している。永遠の指揮は、正典があることによって可能になる。このような体制を創価学会は既に整えているので、今後、混乱が生じることはないと筆者は見ている。(寄稿)


●池田大作氏の歩み 名称・肩書は当時

1928年 1月 東京都で出生
47年 8月 創価学会に入会
57年 7月 参院補選をめぐる公職選挙法違反の疑いで逮捕され、のちに無罪判決
60年 5月 創価学会第3代会長に就任
64年11月 公明党を結党
70年 5月 公明党と創価学会の政教分離を表明
74年 9月 ソ連のコスイギン首相と会談
    12月 中国の周恩来首相と会談
75年 1月 創価学会インタナショナル(SGI)会長に就任
79年 4月 創価学会会長を辞任し、名誉会長に
 91年11月 創価学会とSGIが日蓮正宗から破門される
 92年 4月 ゴルバチョフ旧ソ連大統領と会談
 93年   オウム真理教のメンバーが創価学会の施設にサリンを噴霧
2008年 5月  中国の胡錦濤国家主席と会談
 22年 4月  韓国立恵北大学から名誉教育学博士号を授与される。
      海外の大学などからの名誉学術称号が通算400に
 23年 1月 ウクライナ危機の早期終結を求める緊急提言を公表
※朝日新聞から


解説
沖縄の公明党は、辺野古新基地建設に反対の姿勢をとっているのみならず、在沖米海兵隊の海外移転を主張している。それは沖縄の創価学会が、平和について沖縄の民衆の視座で考え、行動している現実を反映している。東京の公明党本部とは異なる方針をとっている沖縄の公明党の活動が容認されているのも、他の政党とは異なる生命尊重、人間主義という創価学会と共通の価値観で公明党が動いていることを示す証左だ。

この言い方もおかしいですね。
沖縄の公明党は、辺野古新基地建設に反対の姿勢をとっていたのは確かです。
しかし、2018年の県知事選挙に際して、公明党本部は自民党の推す佐喜眞候補を応援する指示を出しました。
それに反対する公明党議員は処分されたのではなかったでしょうか。
せめて自主投票にすべきでした。

結果は、皆さんもご存知のように、デニー候補が当選したわけです。
公明党本部が、現場の意見を無視した結果、創価学会・公明党の団結力を見せつけられないというお粗末な結果でした。
「東京の公明党本部とは異なる方針をとっている沖縄の公明党の活動が容認されている」というのは、事実誤認でしょう。
現実には、創価学会本部と公明党本部の方針に従わない会員は、査問の対象になり、除名の可能性もあります。
恐ろしい恐怖政治がまかり通っているのです。
「他の政党とは異なる生命尊重、人間主義」と正反対の現状があるのです。


永遠の指揮は、正典があることによって可能になる。このような体制を創価学会は既に整えているので、今後、混乱が生じることはないと筆者は見ている。

佐藤氏は、部外者で、創価学会側の公式発表されたテキストをもとに分析を行っているので、こんな非現実的な結論が出ても訂正することなくそのまま寄稿します。
もし、予想に反して、創価学会に混乱が生じ、創価学会・公明党が衰退したとしても、それは正しいデータを公表してこなかった創価学会側に非があると、佐藤氏は言い訳ができるわけです。

獅子風蓮


池田大作の死~佐藤優氏の寄稿(その1)

2023-12-13 01:03:08 | 佐藤優

d-マガジンで、池田氏死去にともなう特集記事を読みました。
引用します。


AERA 12月4日号

池田大作の死と創価学会の今後
佐藤優(作家・元外務省主任分析官)特別寄稿

創価学会名誉会長の池田大作氏の訃報が伝えられた。その影響について、著書に『池田大作研究』がある作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんが本誌に特別寄稿した。

創価学会名誉会長の池田大作氏(創価学会第3代会長、SGI[創価学会インタナショナル] 会長)が11月15日に逝去したことを18日に創価学会が明らかにした。
〈創価学会の池田大作名誉会長は、2023年11月15日夜、新宿区の居宅で老衰のため、逝去いたしました。享年95歳。近親者のみで家族葬を行いました。お別れの会を別途、日時を改めて開催する予定です〉(11月18日、創価学会公式サイト)
逝去から3日後にその事実が発表された理由については、池田大作氏の長男で創価学会主任副会長の池田博正氏の談話で
〈尚、本日まで、このことの公表を控えておりましたが、創立記念日の諸行事、なかんずく学園の行事を予定通り行ってもらいたいとの、家族の意向からです。父も、きっと、その通りだと言ってくれていると思います〉(同上)と述べた。
創価学会創立記念日は、11月18日だ。記念日の諸行事に影響を与えないようにするための配慮という博正氏の説明は十分な説得力がある。ここで筆者が注目したのは、池田博正氏が「なかんずく学園の行事」と述べたことだ。学園とは、池田大作氏が創立した、就学前教育機関(幼稚園)・初等教育機関(小学校)・中等教育機関(中学校・高等学校)を有する学校法人を指す。池田大作氏が創価学会の価値観に基づく教育を極めて重視していたという事実を伝えていると筆者は受け止めた。


世界宗教に発展

報道やブログに書かれた有識者のコメントを読むと、池田氏の指導で創価学会が巨大教団に成長したことと学会を支持母体とする公明党が自民党と連立政権を組み、政治的に重要なプレーヤーになっていることに焦点があてられている。
池田氏の最大の功績は、日蓮仏法に起源を持つ創価学会を世界宗教に発展させたことだ。これは日本の歴史において池田氏以外のどの宗教指導者にもできなかったことだ。
創価学会が世界宗教に発展する上で、重要な出来事が三つあった。その意義はキリスト教の歴史との類比でより鮮明になると思う。

第1は、当初、自らが所属していた教団と訣別したことだ。イエス・キリストは自らをユダヤ教徒と考えていた。この宗教をユダヤ教から分離したキリスト教に再編したのは生前のイエスと一度も会ったことがないパウロだ。ユダヤ教のしがらみから抜けられないキリスト教徒が割礼(男性器の先端の皮膚を除去すること)を義務的と考えたのに対し、パウロは割礼に固執しなかった。パウロ派以外の教会は消滅してしまった。現在存在するキリスト教会はすべてパウロ派の末裔だ。
創価学会も、当初は日蓮正宗の在家信徒集団(講)だった。1991年に日蓮正宗宗門が創価学会を破門したのを契機に創価学会は独立の教団となった。

第2は世界宣教(世界広宣流布)だ。パウロは、キリスト教ユダヤ教共同体の枠を超えて、異教徒に対しても宣教し、教勢を拡大した。パウロ自身が、ギリシアやローマに赴いた。


政府に包摂されず

創価学会も池田氏のイニシアティブでSGIを結成した。そして池田氏が自ら外国を訪ね、 世界広宣流布に積極的に取り組んだ。創価学会公式サイトでは、〈世界192カ国・地域に会員を有し、海外には280万人の会員がいます。(2021年11月現在)〉と紹介している。創価学会はもはや日本に限定されない世界宗教になっている。

第3は、「与党化」だ。キリスト教も当初は反体制宗教だった。コンスタンティヌス帝が313年にミラノ勅令を公布し、キリスト教を公認したことによってキリスト教は「与党化」した。しかし、それは国家権力の一部にキリスト教が組み込まれたことを意味しない。自らの価値観に照らして国家が誤った政策をとっていると考えた場合、教会はそれに抵抗し、まず国家の政策を内側から改めることを試みる。それが不可能と考える場合、国家権力と本気で対峙する。ナチス・ドイツ第三帝国に対して抵抗したプロテスタントの「告白教会」がその例だ。ソ連時代はプロテスタントの「福音主義キリスト教徒・バプテスト会議」という教会が、地下に潜って非合法抵抗運動を続けた。創価学会も基本的価値観を共有する公明党が自民党と連立政権をつくることにより「与党化」した。しかし、創価学会がそれによって政府に包囲されてしまったわけではない。例えばロシア・ウクライナ戦争に関して、創価学会はいずれの国家の立場も支持せず、即時停戦を訴えている。この立場は、本年1月11日の池田氏によるウクライナ危機と核問題に関する緊急提言「平和の回復へ歴史創造力の結集を」で明確にされている。また、日本政府はウクライナに対して殺傷能力を持つ装備品を一切提供していない。これも創価学会の価値観を踏まえたところによる公明党の働きによるものだ。


(つづく)


解説
逝去から3日後にその事実が発表された理由については、池田大作氏の長男で創価学会主任副会長の池田博正氏の談話で
〈尚、本日まで、このことの公表を控えておりましたが、創立記念日の諸行事、なかんずく学園の行事を予定通り行ってもらいたいとの、家族の意向からです。父も、きっと、その通りだと言ってくれていると思います〉(同上)と述べた。
創価学会創立記念日は、11月18日だ。記念日の諸行事に影響を与えないようにするための配慮という博正氏の説明は十分な説得力がある。

「十分な説得力がある」――果たしてそうであろうか。
私などは、最初にこの談話を聴いたとき、違和感を感じました。
創価学会における精神的柱であり、創価学園の創立者である池田先生が亡くなったのなら、なにを差し置いても、その事実を会員および創価学園関係者に速やかにしらせるのが本当のあり方ではないでしょうか。
池田先生を師匠と思うなら、その師匠が亡くなったその日くらいはそのことを厳粛に受け止め喪に服するくらいの気持ちになるのが普通ではないでしょうか。
創立記念日の諸行事、なかんずく学園の行事が大事だというなら、霊山に旅立つ師匠に届けとばかり、立派に行事をやり遂げればいいじゃないですか。
それを、なんですか。
池田氏の死亡を隠すものだから、聖教新聞には、池田先生の作られたという和歌が載るわ、幹部の「お元気な先生」というマヌケな挨拶は載るわ。
池田氏の公式的な死亡を知らされたのは、ごく少数の最高幹部と家族だけということなのでしょうか。何を怖れて、そこまで秘密主義を貫いたのでしょうか。

ここからは推測になるのですが、おそらく池田氏は脳梗塞などで呼吸管理の必要なくらい状態のわるい時期を長くすごしたのではないでしょうか。
創価学会執行部の判断で、15日に生命維持装置を外すことが決定され、17日に家族葬ということにして早々と荼毘に付されたのかもしれません。

池田氏の長男の池田主任副会長の談話、
「創立記念日の諸行事、なかんずく学園の行事を予定通り行ってもらいたいとの、家族の意向から」公表を控えていたというのは、いかにも言い訳じみています。

その不自然な印象を和らげるために、佐藤氏が一肌脱いで、わざわざ解説してみたということでしょう。


創価学会も基本的価値観を共有する公明党が自民党と連立政権をつくることにより「与党化」した。しかし、創価学会がそれによって政府に包囲されてしまったわけではない。

これも、どうなんでしょうか。
公明党は、池田氏と創価学会を守るため、「平和の党」という党是をかなぐり捨てて、自民党の軍拡路線に追従していったというのが本当のところではないでしょうか。


例えばロシア・ウクライナ戦争に関して、創価学会はいずれの国家の立場も支持せず、即時停戦を訴えている。この立場は、本年1月11日の池田氏によるウクライナ危機と核問題に関する緊急提言「平和の回復へ歴史創造力の結集を」で明確にされている。

これは事実と異なると思います。
佐藤氏は、かねてよりロシア寄りの発言をしており、ロシア・ウクライナ戦争に関してもプーチンの肩を持つような論文も発表されています。
そんな佐藤氏が、自分の立場に創価学会・公明党を引き寄せようとする思惑が見える書き方です。

実際の経過を振り返ると、最初にロシアによるウクライナへの軍事侵攻を報じた昨年2月25日付の「聖教新聞」と「公明新聞」ですが、聖教新聞では事実のみを報道。
公明党は、山口那津男代表が侵攻のあった24日午後、「言語道断、許される暴挙」との見解を発表、25日付「公明新聞」にこれを掲載したとのことです。
池田氏はモスクワ大学から名誉博士号を授与されていたこともあり、当初、創価学会はロシアを非難することはなく、山口代表の見解と大きな食い違いを見せていたようです。
しかし、侵攻からしばらくして、ようやく青年部が「戦争反対」との立場を表明したように記憶しております。


佐藤氏がなぜ、ここまで創価学会や池田氏を賛美する執筆活動をするのか。
経済的な理由もあるでしょう。
あれだけの量の原稿をかけば、相当の稼ぎになっているはずですから。
しかし、かつて自分のことを「外務省のラスプーチン」と言っていたように、自分の影響力が創価学会・公明党におよび、さらには政権の方向性に影響力を及ぼすことを目指しているような気がします。

一人の作家の政治的な主張が、創価学会や公明党に影を落とすというのは、ロシアの帝政ならいざ知らず、現代の日本では、非常に危険を孕むことではないでしょうか。

佐藤氏の言動には、注意を払うべきでしょう。


ちなみに、本年1月11日の池田氏によるウクライナ危機と核問題に関する緊急提言「平和の回復へ歴史創造力の結集を」なんてものは、私は読んでいません。
どうせ池田氏が自分で書いたものではないだろうし。
むしろ、今年の1月26日には、それまで毎年掲載されていた「『SGIの日』祈念提言」の発表がなかったことが記憶にあります。


1月11日の池田氏によるウクライナ危機と核問題に関する緊急提言を探して読んでみました。

確かにこの提言では、ロシアを非難する論調はなく、「国連の仲介でロシアとウクライナをはじめとする関係国の会合を開催し、停戦合意を実現させるよう」というような中立的な提言をしています。

この提言の作成にあたって、佐藤氏の意見が影響したということもあるのでしょうか。

 

獅子風蓮