獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その36)

2024-12-18 01:16:39 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

(つづきです)

実は1930年代初頭、大川周明もこれと似た危機意識を抱いた。そして、1932年5月15日に決起し、時の首相らを暗殺した。陸海軍の青年将校がこの決起に加わったが、青年将校たちは軍の武器や兵員を用いなかった。五・一五事件で決起した人々は、軍人も民間人も、あくまで1人の日本人として、社会の側から、世直しを試みたのである。
これに対して、五・一五事件の4年後に起きた1936年の二・二六事件は、官僚によるクーデターだ。二・二六事件の青年将校たちは、陸軍の武器を用い、命令で下士官・兵を動かして世直しを試みたのである。大川周明は二・二六事件に対して極めて批判的である。戦後、1953年に執筆した「北一輝君を憶ふ」の中で大川周明はこう述べている。

〈北君は、二・二六事件の首謀者の一人として死刑に処せられ、極めて特異なる五十五年の生涯を終へた。私は長く北君と往来を絶つて居たから、この事件と北君とのに如何なる具体的関係があつたかをしらない。北君が西田税君を通じて多くの青年将校と相識り、彼等の魂に革命精神を鼓吹したこと、そして彼等の間に多くの北信者があり、日本改造法案が広く読まれて居たことは事実であるから、フランス革命に於けるルソーと同様、二・二六事件の思想的背景に北君が居たことは拒むべくもない。併し私は北君がこの事件の直接主動者であるとは金輪際考へない。
二・二六事件は近衛歩兵第一聯隊、歩兵第三聯隊、野戦重砲兵第七聯隊に属する将兵千四百数十名が干戈を執つて蹶起した一大革命運動であつたにもかからず、結局僅かに三人の老人を殺し、岡田内閣を広田内閣に変へただけに終つたことは、文字通りに竜頭蛇尾であり、その規模の大なりしに比べて、その成果の余りに小なりしに驚かざるを得ない。而も此の事件は日本の本質的革新に何の貢献もしなかつたのみでなく、無策であるだけに純真なる多くの軍人を失ひ、革新的気象を帯びた軍人が遠退けられて、中央は機会主義、便宜主義の秀才型軍人に占められ、軍部の堕落を促進することになつた。
若し北君が当初から此の事件に関与し、その計画並びに実行に参画して居たならば、その天才的頭脳と支那革命の体験とを存分に働かせて、周匝緻密な行動順序を樹て、明確なる具体的目標に向つて運動を指導したに相違ない。恐らく北君は青年将校蹶起の覚悟既に決し、大勢最早如何ともすべからざる時に至つて初めて此の計画を知り、心ひそかに『しまつた!』と叫んだことであらう。支那革命外史を読む者は、北君が革命の混乱時代に必ず来るべき外国勢力の如何に恐るべきものなるかを力説したを看過せぬ筈である、北君は日本の国際的地位を顧みて、中国並びに米国との国交調整を国内改造の先決条件と考へて居た、昭和十年北君は中国行を計画して居たと聞くが、その志すところは茲に在ったと断言して憚らない。果して然らば二・二六事件は断じて北君の主唱によるものでないのみならず、北君の意に反して尚早に勃発せるものである。二月二十七日北君は直接青年将校に電話して「一切を真崎に任せよ」と告げたのは、時局の拡大を防ぎ、真崎によつて犠牲者をできるだけ少くしようとしたもので、真崎内閣によつて日本改造法案の実現を図ろうとしたのではない、現に北君は法廷に於て「真崎や柳川によつて自分の改造案の原則が実現されるであらうとは夢想だもして居らぬ」と述べて居る。北君を事件の首謀者といふ如きは、明かに北君を殺すための口実にすぎない。而も北君は冤枉(えんおう)に甘んじて従容として死に就いた。私は豊多摩刑務所で北君の処刑を聞いたのである。〉(橋川文三編集『近代日本思想大系 21 大川周明集』筑摩書房、1975年、366~367頁)

政党がしっかりせず、社会の側から国家に対する効果的な働きかけができないと、国家の生き残りを考えた官僚が「世直し」を行う。特捜検察による「国策捜査」、海上保安庁保安官による尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオ映像流出などは、官僚による「世直し」の序章なのである。二・二六事件の効果について大川周明は、〈此の事件は日本の本質的革新に何の貢献もしなかつたのみでなく、無策であるだけに純真なる多くの軍人を失ひ、革新的気象を帯びた軍人が遠退けられて、中央は機会主義、便宜主義の秀才型軍人に占められ、軍部の堕落を促進することになった〉と厳しい評価をする。過去の負の遺産から真摯に学び、官僚による「世直し」が国民に不幸をもたらし、日本国家を弱体化させることを自覚し、社会の側から日本国家を立て直す働きかけを強めることが重要だ。
本書が文庫化できたのは、小学館の衣袋丘氏の御尽力によるものです。深く感謝申し上げます。

 (2011年1月3日記)

 


解説
政党がしっかりせず、社会の側から国家に対する効果的な働きかけができないと、国家の生き残りを考えた官僚が「世直し」を行う。特捜検察による「国策捜査」、海上保安庁保安官による尖閣諸島沖漁船衝突事件のビデオ映像流出などは、官僚による「世直し」の序章なのである。

ここまで読んで、ちょっと驚きました。
佐藤氏は自分を陥れた特捜検察による「国策捜査」を、官僚による「世直し」と肯定的に捉えているのかと。


過去の負の遺産から真摯に学び、官僚による「世直し」が国民に不幸をもたらし、日本国家を弱体化させることを自覚し、社会の側から日本国家を立て直す働きかけを強めることが重要だ。

二・二六事件も官僚による世直しであるが、大川周明が指摘するように、この事件は国民に大きな不幸をもたらしました。
官僚による「世直し」は、国民の信託を受けることがないので、失敗したとしても無反省に繰り返されることがあります。
厳しく監視していく必要があるでしょう。

佐藤氏の言いたかったことも、そこなのですね。


獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その35)

2024-12-17 01:13:59 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

(つづきです)

本書を上梓してから5年が経った。その間に国際関係はより帝国主義的になっている。帝国主義国は、相手のことなど考えずにまず自国の利益だけを徹底的に主張する。そして、相手国が強く反発せず、国際社会も沈黙しているならば、そのまま自国の権益を拡大する。これに対して、相手国が激しく反発し、国際社会からも「いくら何でもやりすぎだ」と顰蹙を買うようになると、このままゴリ押しを続けても、結果として自国が損をするという見通しから、帝国主義国は妥協し、国際協調に転じる。一種の勢力均衡ゲームが行われているわけだ。それだから帝国主義国である中国は、尖閣諸島を中国の実行支配下に置こうと種々の画策を展開するのだ。ロシアもメドベージェフ大統領が国後島を訪問し、北方領土の「脱日本化」を進め、不法占拠を固定化しようとしている。中国もロシアも帝国主義の文法に従って行動しているのだ。米国も帝国主義政策を露骨に進めている。現在の「悪い円高」は、米国が事実上、為替ダンピングを行っているからだ。帝国主義の文法に従った近隣窮乏政策である。

帝国主義のゲームのルールは、「食うか食われるか」だ。日本の政治エリート(国会議員、官僚)には、この現実が見えていない。そして、各帝国主義国が建前として掲げている国際協調や戦略的互恵などを額面通りに受け取り、事実上、日本は米国、中国、ロシア、EUによって、「食われる」状態になっている。
客観的に見た場合、日本は一級の帝国主義国である。日本が生き残るためには、品格のある帝国主義政策を展開できるように国家体制を改造する必要がある。社会の力(それは国民の力でもある)によって国家を改造しなくてはならないのである。国民が集合的無意識のレベルでこの改造を強く望んでいるから2009年に自民党から民主党への政権交代が起きたのだ。政党は、社会に基盤を置く。しかし、どうもこの原点を民主党も自民党も忘れているようだ。特に政権党である民主党は、当事者にとっては深刻なのであろうが、日本国民と日本国家の利益とは関係のない権力闘争、政治抗争に明け暮れている。こうしている中で日本の地盤沈下が進んでいく。「何とかしなくてはならない」という危機意識を私を含む多くの日本人が持っている。

(つづく)


解説
本書を上梓してから5年が経った。その間に国際関係はより帝国主義的になっている。

文庫版が発行されたのは2011年2月ですから、現在はそれよりもさらに各大国は帝国主義的になっているといえるでしょう。

政権は民主党から自公連立に代わりましたが、世界の中で日本の地盤沈下が進んでいることには変わりがありません。

 

「何とかしなくてはならない」 という危機意識を私を含む多くの日本人が持っている。

私も同感です。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その34)

2024-12-16 01:02:32 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

(つづきです)

話を元に戻し、本書が私が職業作家になる上でどのような意味をもったかについての説明を続ける。私の第2作は、2005年9月に産経新聞出版から上梓した『国家の自縛』(その後、扶桑社文庫)だった。これは、私が尊敬する産経新聞の斎藤勉氏(モスクワ支局長、編集局長を経て現在産経新聞社常務取締役)が聞き手になってくださり、あの時点でまだ混沌としていて形をなしていなかった私の考えを言語化したものである。『国家の罠』は当事者手記で、『国家の自縛』は対談である。しかし、これだけでは、職業作家になる条件を満たしていない。第三者ノンフィクションを書くことができて、はじめて職業作家として独り立ちすることができるのである。
私の第3作は、2006年に新潮社から上梓した『自壊する帝国』(その後、新潮文庫)で第4作が同年7月に上梓した本書『日米開戦の真実』である。実は原稿は、本書の方が『自壊する帝国』よりも早くできていたのである。『自壊する帝国』は、新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を同時受賞し、私の代表作と見なされるようになった。確かに『自壊する帝国』は私にとって重要な作品だ。ただし、書き進める上での苦労はそれほどなかった。なぜなら、第1作の『国家の罠』と同じ当事者手記だったからだ。本書『日米開戦の真実』は、私が初めて書いた第三者ノンフィクションなのである。

本書の単行本あとがきに記したが、私が大川周明について「書きたい」という強い衝動を持ったのは、2002年9月17日、私が手錠、捕縄(ほじょう)をかけられて小菅の東京拘置所から東京地方裁判所第104号法廷に連行され、傍聴人とマスコミ関係者の好奇の目にさらされながら、検察官による起訴状朗読を聞いているときだった。私以外の3人の被告人は罪状を「認めます」と裁判官に告げることになる。私だけが無罪主張をしているので、公判は分離される。このときテレビで見た東京裁判のときの大川周明の姿が突然、私の脳裏に浮かんだ。
極東軍事裁判(東京裁判)の初公判にパジャマ姿で出廷し、検察官による起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩いた。裁判長が休廷を宣告すると大川周明は「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだ。
今になって振り返ると、私が大川周明についてこのとき思い出したのではなく、大川周明の魂魄は東京地方裁判所に浮遊してきて、私の魂をとらえたのだと思う。

ところで、ダンテの『神曲』を直訳すると「神のコメディー」になる。『神曲』の翻訳者である平川祐弘氏はこう述べる。
〈ダンテ自身はこの作品を単に「コンメーディア」と呼んでいた。めでたい結びを持つ作品はCommmediaなのであり、至高天に昇ることで終わるこの作品がめでたいことは論をまたない。「神々しい」という形容詞はボッカッチョに由来する由だが、 Divina Commediaという題名は1555年のヴェネチア版で決定されたといわれている。日本ではコルリイルの『西洋易知録』(河津祐之訳、明治2年)に「ヂヒナコ メジヤ」の名が見える。「神曲」という訳名は森鴎外が『即興詩人』の中でそう訳したため人口に膾炙した。〉(平川祐弘「ダンテと『神曲』の世界」『神曲 天国篇』河出文庫、2009年、509頁)

確かに私に関しては、逮捕、勾留の経験が「めでたい結び」を持ったといえる。この経験を経て、どのような状況でも私を信じ、支えてくれる本当の友がいることを確認できたからだ。
大川周明があの奇矯な立ち振る舞いをしなかったならば、東京裁判の本質を私は理解することができなかった。「勝者の裁き」という茶番を大川周明が可視化したのである。この意味は大きい。東京裁判をめぐってはシンボルを巡る闘争が展開されている。率直に言うが、すでに有効性を喪失して久しい左翼、右翼というレッテルを貼りながら展開されているこのシンボルを巡る闘争に私はまったく関心がない。しょせん「勝者の裁き」とはこんなものだ、と東京裁判を突き放して見ている。

ここで興味深いのは、A級戦犯を巡って、定義をよく詰めないまま空中戦が行われていることだ。すなわち1946年1月19日付極東国際軍事裁判所条例第5条に基づき、平和の罪で訴追された者をA級とした。そして、通常の戦争犯罪で訴追された者をB級、人道に対する罪で訴追されたものをC級とした。このような見方が現時点における多数派の見解といってよいと思う。念のため『世界大百科事典』(平凡社)の記述を引用しておく。

(中略)

東京裁判が行われていた当時は、極東軍事裁判所条例第5項の規定と関係なく、「平和に対する罪」に問われた国家指導者をA級戦犯 class A war criminal、それ以外のB項とC項の犯罪を犯した者をBC級戦犯class B & C war criminalと呼んでいた。これは米国式の呼称で、英国式ではA級戦犯を主要戦犯major war criminal、BC級戦犯を軽戦犯 minor war criminalと呼んでいる。さらにBC級戦犯に、B級は指揮監督にあたった士官・部隊長、C級は直接捕虜の取り扱いにあたった者、主として下士官、兵士、軍属であるという解釈もある。この点について、何人かの読者から感想と意見を頂いた。文庫化にあたって、読者からの意見を踏まえた改訂を当初試みたが、それを行うと本書の主要論点からはずれると考え、断念した。私の力不足のため、読者の要望に十分応えることができていない部分があることについてお赦しを乞いたい。

(つづく)


解説

私が大川周明について「書きたい」という強い衝動を持ったのは、2002年9月17日、私が手錠、捕縄(ほじょう)をかけられて小菅の東京拘置所から東京地方裁判所第104号法廷に連行され、傍聴人とマスコミ関係者の好奇の目にさらされながら、検察官による起訴状朗読を聞いているときだった。私以外の3人の被告人は罪状を「認めます」と裁判官に告げることになる。私だけが無罪主張をしているので、公判は分離される。このときテレビで見た東京裁判のときの大川周明の姿が突然、私の脳裏に浮かんだ。
極東軍事裁判(東京裁判)の初公判にパジャマ姿で出廷し、検察官による起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩いた。裁判長が休廷を宣告すると大川周明は「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだ。

このような経験があったので、佐藤氏の大川周明への思い入れは強くなったようです。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その33)

2024-12-15 01:33:44 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


今回は「文庫版あとがき」を引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

■文庫版あとがき


文庫版 あとがき   佐藤優

本書は、私が職業作家になる過程でとても大きな意味をもった本である。
私のデビュー作は、2005年3月に新潮社から上梓した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(その後、新潮文庫)だった。2002年5月14日、私は当時吹き荒れていた鈴木宗男バッシングの嵐に呑まれ、東京地方検察庁特別捜査部によって逮捕、起訴され、512日間の独房生活を送ることになった。当初、刑事被告人が書いた本が日本社会に受け入れられることは絶対にないと私は考えていた。しかし、私が見た鈴木宗男事件の真実について、私を信頼して北方領土交渉に取り組んだ外務省の同僚や後輩に手記を書き残しておくべきと思った。幸い、『国家の罠』は世間に受け入れられ、当時、法曹関係者の業界用語でしかなかった「国策捜査」が市民権を得るようになった。
『国家の罠』の刊行から5年経って、検察の正義が揺らぎ始めている。障害者団体向け割引郵便料金を巡る不正事件に関して大阪地方検察庁特別捜査部の主任検事が証拠を改竄した事実が明らかになった。この主任検事は逮捕された。さらにこの主任検事が改竄を行ったときの上司だった特捜部長と副部長も犯人隠避の容疑で逮捕、起訴された。そしてこの事件の責任をとって検事総長が辞任するという前代未聞の事態に発展した。

検察官出身の弁護士や司法記者から、「佐藤さんの『国家の罠』が今回の事態をもたらす発端になったんです」という感想をよく言われる。それに対して私はこう答えることにしている。
「そういう話をときどき聞くのですがどうもピンとこないのです。『国家の罠』を注意深く読んでいただけばわかると思いますが、僕は国策捜査について、善いとか悪いとかいう判断を一切していません。時代の転換点に国策捜査は起きるという認識を述べただけです。今回逮捕された大阪特捜の大坪弘道前部長、佐賀元明元副部長も国策捜査の犠牲になったと見ています。僕は大坪さん、佐賀さんが犯人隠避という犯罪を犯したとは思っていません。検察庁という官僚組織が生き残るために大坪さん、佐賀さんを国策捜査の生け贄に差し出したのです。他の人には見えないかも知れませんが、僕にはそれが見えるのです。そもそも僕が国策捜査を発見したのではありません。ユング心理学の言葉を用いるならば、特捜検察官の集合的無意識となっている国策捜査を言語化しただけです。別の言い方をすれば、確実に存在するのであるが、見えないものを見えるようにしただけです。僕は検察庁は公益を擁護するために重要な機関と思っています。特捜検察も断固残すべきと考えます。特捜検察を廃止しても、今度は警察が国策捜査を行うことになるだけです。検察が行政から一定の距離をもっているのに対して、警察は時の内閣の指示に従う純粋な行政機関です。それだから今よりももっと恣意的に政治的思惑の事件が作られることになる。戦前、戦中の特高警察の再来になります。それだから僕は特捜擁護の論陣を張っているのです」

実は、私は逮捕直後から大阪拘置所の独房に勾留されている大坪、佐賀両氏と文通をしている。2人とも人格的に優れた人で、淡々と無罪主張を貫いている。もちろん検察組織の不条理な対応に対しては憤り、悲しんでいる。しかし、それ故に検察憎しという感情的対応をしているのではない。2人は想定外の状況下で「なぜこのようなことが起きたのか」ということを自分の頭で考え、品格のある闘いを展開しようとしている。

このあとがきを書いている2011年1月3日時点で、大坪、佐賀両氏は大阪拘置所の暖房のないかび臭い独房に収容されている。この2人にも、かつて大川周明が見たのと同じ国家の暴力性が見えていると思う。この暴力性が見えると、だいたいの人は反国家、反体制という気分を持つようになる。しかし、大川はそうならなかった。この大川の国家観から私は多くを学んだ。レーニンは「監獄は革命のための学校」と述べたが、大川にとって「監獄は国家について考えるための学校」だったのである。その意味で、私は大川の同窓生だ。そして、この同窓生名簿には、村上正邦氏(元労働大臣)、鈴木宗男氏(前衆議院議員、新党大地代表。現在、喜連川社会復帰促進センター[民営刑務所]に収監)、石川知裕衆議院議員などが連なっている。大阪拘置所に「入学」した大坪弘道、佐賀元明両氏も、近く私たちの仲間になると思う。私たちは、日本国家を過剰なほどに愛したが故に「国家の罠」にとらわれてしまったのだ。

(つづく)


解説
大坪、佐賀両氏は大阪拘置所の暖房のないかび臭い独房に収容されている。この2人にも、かつて大川周明が見たのと同じ国家の暴力性が見えていると思う。この暴力性が見えると、だいたいの人は反国家、反体制という気分を持つようになる。しかし、大川はそうならなかった。この大川の国家観から私は多くを学んだ。レーニンは「監獄は革命のための学校」と述べたが、大川にとって「監獄は国家について考えるための学校」だったのである。その意味で、私は大川の同窓生だ。

池田大作氏の場合は大阪で拘置所に収容されたとき、どのような風景が見えていたのだろうか。
そのことから氏は反国家、反体制という気分を持つようになったのだろうか。
むしろ、権力の恐ろしさが身に染みて、この屈辱を二度と味わうことのないように、創価学会員の中から検事・裁判官・弁護士などの法曹関係者を多く生み出そうと決意したのだろう。
今後、このへんのことも検証してみたいと思います。

 

獅子風蓮


佐藤優『日米開戦の真実』を読む(その32)

2024-12-14 01:24:06 | 佐藤優

創価学会の「内在的論理」を理解するためといって、創価学会側の文献のみを読み込み、創価学会べったりの論文を多数発表する佐藤優氏ですが、彼を批判するためには、それこそ彼の「内在的論理」を理解しなくてはならないと私は考えます。

というわけで、こんな本を読んでみました。

佐藤優/大川周明「日米開戦の真実-大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く」


興味深い内容でしたので、引用したいと思います。

日米開戦の真実
――大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

□はじめに
□第一部 米国東亜侵略史(大川周明)
□第二部「国民は騙されていた」という虚構(佐藤優)
□第三部 英国東亜侵略史(大川周明)
□第四部 21世紀日本への遺産(佐藤優)
■あとがき


あとがき

2002年9月17日は小泉純一郎首相が北朝鮮の平壌を訪れ、金正日朝鮮労働党総書記と会見した日だが、私の個人史にとっても忘れられない日である。この日、私は小菅の東京拘置所独房から引き出され、手錠、捕縄をかけられて東京地方裁判所第104法廷に連行された。鈴木宗男疑惑に関連して私は背任・偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴されたが、その初公判が行われたのだ。この事件については、拙著『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』に詳しく記したので、ここでは繰り返さないが、この法廷で私は突然、大川周明氏について思い出したのである。


いまここで突然私が立ち上がり、「茶番だ!」と大きな声で叫んだら、どうなるだろうか。きっと退廷させられるだろう。
極東軍事裁判において、脳梅毒で免訴になった大川周明被告は、初公判にパジャマに下駄履きで出廷し、起訴状朗読中に鼻水をたらしながら合掌し、東条英機元首相の禿頭を平手で叩き、ウエッブ裁判長が休廷を宣告すると「一場のコメディーだ。みんな引き上げろ」と叫んだという。私も隣の拘置所職員の帽子をとりあげ、奇声を発してみようか。こんなことを考えていると思わず笑いが込み上げてきた。ここは「劇場」以外の何物でもない――。(佐藤優『国家の罠』新潮社、2005年、28頁)

今も私は公判で大川周明氏のようなパフォーマンスができなかった自分の胆力のなさを情けなく思っている。
現役外交官時代に私が読んだ大川周明氏の著作は『復興亜細亜の諸問題』(明治書房、1939年、中公文庫、1993年)だけだった。ソ連の中央アジア政策について的確な分析をしているという感想をもったが、この時点では思想家としての大川周明氏には関心をもたなかった。2003年10月8日に保釈になった後、私は神田神保町の古本屋を歩き、大川氏の著作を買い漁った。著作を読み進めるうちに、世間一般の常識と大川周明氏の感覚のズレに何ともいえない共感を覚えるようになった。私が東京拘置所の独房生活について、「思索のためによい環境だった。読書とノート作りに専心できたので、全く苦しくなかった」と言っても、額面通りに受け止めてくれる人はほとんどいない。私が何か強がりを言っていると誤解するのである。大川氏の思想的自叙伝とでも言うべき『安楽の門』(1951年)を読むと「人は監獄でも安楽に暮らせる」「人は精神病院でも安楽に暮らせる」といった章が続く。いかに与えられた環境を活用するかというプラグマティズムがユーモアとともに綴られている。


大審院で禁錮5年の判決が下り、既決囚として豊多摩刑務所に入るときは、在所中に『欧羅巴近世殖民史』を書く心算を決めていたから、書斎を自宅から監獄に移した気持ちで、約一年有余を実に忙しくかつ有効に過ごした。この一年有半に私は百二十頁綴りのノート・ブック40冊を書き上げた。(「安楽の門」『大川周明全集 第一巻』所収、729頁)

私の東京拘置所独房生活は、512日間、約1年5ヵ月だったが、その間に書きためた思索ノートは62冊になった。大川周明氏は1936年6月16日の獄中日記に次のように記している。


監獄はこの世ながらの地獄と言われる。なるほど夏は実に熱く、冬は実に寒いところは、焦熱地獄・大寒地獄を想わせるけれど、寒暑に負けない健康をもっている人にとっては、監獄は地獄とは相へだたる遠いものだ。少なくとも寒暑による肉体的苦痛を除けば、監獄はほとんどいかなる苦痛をも予に与えない。いろいろな快楽を奪われてはいるが、天を思い、真理を求め、人を愛する最大の楽事は、どこにいても奪われない。思いかつ愛することを知る者は、獄中なお安楽に暮らすことができる。(同730-731頁)

ここで私は拘置所体験について共通のことばをもった人を見出した。ここから私は大川周明の国家論、国際関係論にも率直に耳を傾けるようになった。そこには「日本ファシスト」「超国家主義者(ウルトラ・ナショナリスト)」という枠には収まらない 「知の巨人」が立っていた。

第二次世界大戦終結から既に60年が過ぎ、ソ連崩壊から今年で15年になる。冷戦のみならず、冷戦後も既に過去の歴史の一時代として括られ、2001年9月11日の米国連続テロ事件以降の時代は「ポスト冷戦後」と呼ばれはじめている。大川氏の『米英東亜侵略史』を読み進めるうちに、世界最強国とそれ以外の諸国は異なった論理をもち、その軋轢をうまく処理しないと戦争が起こるという構造が見えてきた。図式化して言うと、最強国は競争で物事を決めるといつも自国が勝利するので、競争を阻害する要因を極力排除する自由主義を無意識に採用したがる。自由主義は世界を単一原理で統合しようとする普遍主義の一類型である。20世紀初頭までその役割を果たしたのがイギリスで、その後はアメリカに役者が変わった。1930年代に普遍主義に対抗して、ファッショ・イタリア、ナチス・ドイツという一種の「棲み分け」を主張する諸国があらわれた。当時の大日本帝国は大東亜共栄圏という名称でこの「棲み分け」の論理をもっとも洗練された形で提示した。しかし、第二次世界大戦の結果、日独伊は敗れ、普遍主義が世界の主流になった。
ところで1917年のロシア革命で誕生した史上初の社会主義国家・ソ連は、当初、普遍主義的なプロレタリア革命を全世界に起こそうとしたが、1930年代にスターリン体制が確立した後は基本的に「棲み分け」を基本に世界秩序を組み立てようとした。1991年のソ連崩壊後、唯一の超大国となったアメリカの普遍主義が世界を覆うかに見えた。同時にアメリカの市場原理主義とは別の単一原理、イスラームによって世界を覆うことを意図する政治勢力が無視できない影響をもつようになった。さらに最近では、アメリカとの協調体制を壊さないように細心の配慮をしながら、ヨーロッパはEU(欧州連合)、ロシアはコーカサス、中央アジアなどのユーラシア地域に「棲み分け」の世界を作り始めている。
東アジアの現状を見た場合、中国がどのような国家路線を採用するかがよく見えない。そもそも中国人が中華思想を普遍的原理と考えているのか、中国国家と中国人の内在的論理として、他者と自己を区別する「棲み分け」の原理と考えているのかがよく見えない。実は現下日本を取り巻く国際情勢は、大川周明が『米英東亜侵略史』で分析した構図にひじょうに似ているのである。

2001年に小泉政権が成立した後、日本は親米一辺倒の外交路線を選択した。正確に言うとこれは外交のみならず政治経済全般の国家路線としてアメリカが主導する新自由主義政策に追従する選択だ。その負の影響が、新自由主義的改革政策を5年間進めた現在、露見し始めている。弱肉強食の結果、「ヒルズ族」に表象される「勝ち組」とニート、「下流社会」に表象される「負け組」の間の格差が目に見えるようになってきた。都市と地方の格差も広がっている。総中流社会日本という神話は崩壊しつつある。また、マンションの耐震強度偽装事件のような規制緩和の弊害も明らかになった。これらの事件を契機に新自由主義的な経済政策に対する批判も高まっている。しかし、新自由主義政策はアメリカの国益に合致しているので、日本が新自由主義政策を見直すことはアメリカとの軋轢を強める結果になる。

そもそも日本の政府内部には以前から隠れた形での反米意識、嫌米感情がある。例えば、アメリカが「悪の枢軸」と呼んでいるイランのアザデガン油田開発に日本は執心している。エネルギーの独自開発という名の陰に「アメリカに対する独自性を示したい」という意識が見え隠れする。アメリカを含めずに「東アジア共同体」を作ろうとする構想には、より目に見える形で嫌米感情が浮き出している。
私は日米同盟は重要と考える。なぜならアメリカは戦争に強い国だからだ。強い国とは仲良くしておいた方がいい。しかし、親米保守という概念は成り立たないと考える。保守主義とは自国、すなわち日本国家と日本人の伝統の上でのみ成り立つものだから、親日保守しかありえないと考えるからだ。同時にアメリカでは親米保守、中国では親中保守しか成立しえないのである。
一方、普遍主義を採用する最強国は常に横暴で、しかも自らの横暴さに気づかない。この内在的論理をよく押さえた上でアメリカに対処することが日本の国益のために必要なのだ。即時的な反米、嫌米が日本の国益に反するのは論を待たないが、現実的な損得勘定を無視したイデオロギーとしての親米主義も危険である。日本の国益のためにリアリズムに基づいた対米関係を構築する必要がある。このための貴重なデータが『米英東亜侵略史』には含まれているのである。

そのような理由で、私は『米英東亜侵略史』を是非とも復刻したいという話を『SAPIO』(小学館)編集部の平田久典氏にしたところ、「大川周明氏の現代的意味についての佐藤さんの解説とあわせて復刻しましょう」という提案がなされた。当初は私のつたない解説では名著『米英東亜侵略史』の歴史的価値を減殺してしまうのではないかと考えたが、平田氏による何回かの説得を経て大川周明氏に対する偏見を取り払い、「知の巨人」としての地位を復活するために私なりの努力をしようという気持ちになった。
現役外交官時代、ソ連崩壊直後に『SAPIO』と御縁ができたが、平田氏とは全く面識がなかった。もっともその頃、平田氏はまだ高校生だったはずだ。保釈直後に平田氏から手紙を頂き、その後、『SAPIO』を毎号送っていただいたが、人脈を積極的に拡大しようと考えなかった私は特に返事をしなかった。私の公判を支援する人々が学者やジャーナリストを招いてシンポジウムを行うようになったが、平田氏も参加して下さり、意見交換をするようになった。私は日本国家の現状を憂い、同時に編集者としてインテリジェンスの重要性を日本人に知らせたいと考える平田氏の熱意に打たれ、『SAPIO』に「インテリジェンス・データベース」を連載することにした。その後、『SAPIO』の読者から様々な照会や意見が寄せられるようになったが、その中で「日本人としての国家観を確立するためにはどういう勉強をすればよいか」という質問がいくつもあった。私は近過去によく読まれ、大きな影響を与えたが、戦後、忘れ去られてしまった書物をもう一度繙くことが効果的と考える。大川周明『日本二千六百年史』(第一書房、1939年)、北畠親房(文部省蔵版)『神皇正統記』(社会教育会、1936年)、文部省編纂『國體の本義』(内閣印刷局、1937年)等を一切の偏見を排して、テキストとして読み解くことだ。それによって私たちが日本人であることの魂(大和魂)が甦ってくるのである。これらのテキストから明らかになる大和魂とは、他者に自己の原理を強要しない、多元論的価値観で、国際協調の基本となる物事の考え方である。『米英東亜侵略史』もこのような多元論的価値観に貫かれた書物である。

国民(民族)国家(ネイション・ステート)システムに様々な問題があることは確かだ。しかし、本文でも述べたが、予見される未来に民族や国家が消滅することもないであろう。他の民族、他の国家とどうやって付き合っていくかを日本国家も日本人も真剣に考え直さざるを得ない状況に置かれている。あの戦争を太平洋戦争と呼ぶか、大東亜戦争と呼ぶかは本質的な問題ではない。極東国際軍事裁判(東京裁判)についても「勝者の裁き」の論理にわれわれが従う必要はないが、同時に戦勝国が押しつけた「物語」の内在的論理については、不愉快であっても理解しておかなくてはならない。大川周明氏が『米英東亜侵略史』で展開した言説は、国際スタンダードで見ても十分説得力をもつ、知的水準の高い言説であったが、それが歴史的には「敗者の論理」であったことも厳粛たる事実なのだ。これらの点を総合的に勘案した上で、現代に生きるわれわれ日本人は『米英東亜侵略史』から日本国家と日本人の生き残りにつながるヒントを見出すことが課題なのである。『米英東亜侵略史』はラジオ講演の速記録をもとにしているので、難解ではないが、60年以上の時間の経過で、活字文化も変遷しているので、読者の便宜を考え表記を現代風にあらため、小見出しと注釈をつけた。この作業には平田久典氏と本郷明美氏が従事してくださり、筆者としても満足する仕上がりになった。お二人の尽力に深く感謝する。

本書の出版にあたって、2005年7月、私は平田氏とともに山形県酒田市を訪れ、大川家第17代の大川賢明氏の御案内で、大川周明先生の墓参をし、さらにゆかりの地を訪れた。大川周明氏は大川家第15代であったが、子供がなく家督は弟に移り、そのお孫さんが大川賢明氏である。大川邸では大川賢明氏、お母様の大川克子氏より、大川周明氏の貴重な書簡、写真、さらに大川周明氏が上海を訪問した際、北一輝氏が護身用として寄贈した仕込み杖(杖の上部の金属ボタンを押すとキャップが外れ、槍が出てくる)を見せていただき、知的刺激を受けるとともに想像力を膨らました。また、本書カバーの写真も大川賢明氏の提供によるものである。深く感謝申し上げる。

2006年5月

佐藤優

 

 


解説
今も私は公判で大川周明氏のようなパフォーマンスができなかった自分の胆力のなさを情けなく思っている。
(中略)
ここで私は拘置所体験について共通のことばをもった人を見出した。ここから私は大川周明の国家論、国際関係論にも率直に耳を傾けるようになった。そこには「日本ファシスト」「超国家主義者(ウルトラ・ナショナリスト)」という枠には収まらない 「知の巨人」が立っていた。

佐藤優氏は自分と同じ体験(拘置所体験、冤罪事件など)を持つ人に対する思い入れが強いようです。
氏は、公判で大川周明のようなパフォーマンスができなかったと残念がり、大川周明が独房でよく勉強したことと自己を重ね合わせます。
なるほど。
もしかしたら、佐藤氏が池田大作氏を評価しているのも、拘置所体験が共通するからかもしれませんね。

本書の検証はこれでおしまいですが、この本には文庫版があり、その文庫版あとがきにも、注目すべき情報がみられました。
次回、検証します。


獅子風蓮