獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部第2章 その5

2023-04-30 01:54:10 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
■第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに

 


保釈の決定

起訴後は、毎日誰かが面会に来てくれました。夏休みの間は、次女が大阪のウィークリーマンションで一人暮らしをして、毎朝来てくれました。拘置所に寄ってから、予備校の夏期講習に通っていました。面会時間は10分ほど。話題はもっぱら、ごく普通に茶の間で話すようなことばかり。「○○ちゃんがどうした」とか、新しい服を買ったとか、本当に他愛のない話です。娘の話があまりにおかしくて、立ち会いの刑務官が必死に笑いをこらえていることもありました。そうやって明るく励ましてくれた家族には、本当に助けられました。
起訴されてから2回行った保釈申請は認められず、10月になって、弁護団が3度目の保釈の申請をしてくれました。裁判所は一度保釈決定を出したのですが、検察側が準抗告をして、猛烈に反対しました。その理由ですが、被告人はマスコミに追いかけられているので、逃亡する恐れがある、というのです。さらに、調書に署名を拒否したことがあるとか、上司の立場で職員たちに圧力をかけて証拠隠滅をするのではないか、とも書かれていました。私は、自分のことが報道で出てから逮捕されるまでにたっぷり時間があったわけですから、「圧力をかけるつもりでいるなら、その間にとっくにかけているわ」と、怒るよりむしろ笑ってしまいました。残念ながら、保釈決定は取り消されてしまいました。それでも、この時点では私もまだ元気だったのですが、11月になって気温がだんだん下がってくると、この石造りの建物は冬には相当寒くなりそうだというのが分かってきました。1月から裁判が始まるのに、体調管理ができるかしらと、不安に感じ、できるだけ早く出たい、という気持ちが募ってきました。4度目の保釈申請でもやはり検察は反対しましたが、裁判所が保釈を認めてくれました。検察がまたも準抗告しましたが、この時は保釈が維持されました。ただ、保釈金は1500万円という高額。複数の定期預金を解約するなどして、調達してもらいました。

 

ようやく勾留が終わる

11月24日午後7時過ぎ、拘置所を出る間際、職員が「村木さん、ここ(拘置所)を出てからの方が大変よ。ここの生活も大変だったかもしれないけど、ここはほんとに安全なんだから」と声をかけてくれました。実際、そのとおりでした。
タクシーで拘置所を出ると、雨の日だったのに、カメラを持った報道陣がたくさん待ち構えていて、あっという間に車が囲まれました。車の前に立ちはだかる人、車の窓にカメラを押しつけてフラッシュを焚く人……。仕方がないと腹をくくって、できるだけ平然としていようと思いました。運転手さんは、さすがプロで、尾行してくる車はすべてきれいにまいて、ホテルまで運んでくれました。
勾留されていた期間は164日間。その期間を数字でまとめると、こうなります。

面会に来てくださった方 約70人
いただいた手紙 約500通
体重 6キロ減
読んだ本 150冊

ホテルで一泊し、翌日、記者会見を行いました。弘中弁護士が、「記者会見をやるので、その後追いかけ回したり家に押しかけるのはやめてほしい」とマスコミに申し入れたのです。大阪の友人が、プロのメイクさんを連れてきてくれて、髪をきれいにしてもらい、久しぶりのお化粧をしてもらいました。娘が夏休みを大阪で過ごした時も、地元の方には、本当にお世話になりました。
記者会見には、夫も一緒に出てくれました。この時の記者の質問は丁寧でした。事件の問題点が少しは理解されてきたのかな、と思いました。記者たちは約束を守り、その後は追いかけられるようなことはありませんでした。やはり会見はやってよかった、と思います。弁護団は、その後も裁判のたびに記者に論点を詳しく説明するなど、報道の対応も引き受けてくれました。保釈になった時、女性の弁護士さんにこう言われました。
「村木さん、家に戻ったら、子どものお弁当を作ろうとか、掃除をしようと思ってるでしょ?でも、1ヵ月は何もしない方がいいわよ。絶対に疲れているんだから」
そのとおりでした。まず、拘置所の中ではずっと座っている生活だったので、足が弱っていました。駅の階段も一気に上がれないほどでした。人としゃべる機会が少ないので、のども弱っているのには驚きました。それに、本当にマスコミに張られていないかと気になって、外に出るのが怖い状態もしばらく続きました。この間は、買い物は家族にしてもらっていました。私がいない間、ベランダの鉢植えは夫が一生懸命水やりをしてくれていたのですが、最後の1ヵ月、また海外出張があり、すべて枯れてしまいました。植え替えなければ、と思いながら、なかなか気力がわいてきませんでした。実際に体が動いたのは、5月のゴールデンウィークに入ってから。半年間拘置所に入っていて、外に出て身体が回復するのにやはり半年かかったわけです。

 

「身柄拘束」が強いる苦しみ

逮捕、勾留といった厳しい出来事から心が回復するには、さらに時間がかかるようです。無罪が確定して職場に復帰した当初は、マスコミに追いかけられた場所の近くを通ると1年以上たっているのに心臓がドキドキしました。当時、立ち入り禁止区域にまで入り込んで待ち伏せをされ、慌てて走って逃げた場所です。その時に、心臓がドキドキし、息ができず、手足がガタガタと震えたことを思い出してしまうのです。
そういった恐怖感は、日が経つにつれ、仕事の忙しさに紛れて薄まっていきました。ところが職場復帰をしてかなり時間がたったころ、不思議なことに気づきました。悲しいことやいやなことがあっても落ち込まない。大きな経験をしたから動じなくなったのかなと思っていたら、うれしいことがあっても大喜びしていないことに気づきました。どうやら、拘置所にいる間、感情を抑え込んでいたせいで、感情の振れ幅が狭く抑え込まれてしまったようです。そんな状態がしばらく続いた後、大きな法案を担当して、国会対策に走り回る中、アドレナリンがわーっと出て、目に見えないガラスの壁が破れたように、本当の感情が戻ってきた瞬間を経験しました。事件から3年近く経っていました。
「これでもう大丈夫」と思ったのですが、まだそうとも言えないようです。先日、法制審議会特別部会で、身柄拘束の大変さを、自分の経験を紹介しながら話していると、急に声が震え涙が出そうになってしまいました。まだこういうことが起きるのかと驚きました。これが、「身柄拘束」というものだと思います。
私は、起訴と同時に接見禁止が解け、短時間とはいえ毎日面会があり、手紙も来て多くの人と接することができました。とても恵まれた立場でした。それでも、この時のトラウマはずっと残るのです。社会から隔絶されたうえに、接見禁止が続いて、ずっと人と普通に話せない状態に置かれれば、感覚が狂ってしまうでしょう。判断力が通常のように働かなくなる恐れは、十分あると思います。長期間拘束されれば、釈放された後にも、長く影響が残るでしょう。上村さんは、私より拘束期間は短かったですが、40日間連日取り調べがあったので、本当にきつかったと思います。上村さんは、勾留がこれ以上続くのが恐ろしく、断腸の思いで私の関与を認める調書にサインをしたと、その間の苦悩を切々と被疑者ノートにつづっています。それを見れば、「身柄拘束」がいかに厳しい基本的人権の制約であるか分かるはずです。しかも、勾留が虚偽の自白や供述を得る道具として利用されているのは、明らかです。
「身柄拘束」は、それ自体が「罰」だと思います。裁判官や検察官、学者や国会議員など、制度を考える人たちの多くは、身柄拘束をされたことがないので、なかなか実感が持てないかもしれませんが、私は、なぜ裁判も始まっていないうちから、このような「罰」を受けなければならないのかと思います。「身柄拘束」については、もっとルールを明確にし、厳格に行うべ きです。


解説
逮捕、勾留といった厳しい出来事から心が回復するには、さらに時間がかかるようです。無罪が確定して職場に復帰した当初は、マスコミに追いかけられた場所の近くを通ると1年以上たっているのに心臓がドキドキしました。当時、立ち入り禁止区域にまで入り込んで待ち伏せをされ、慌てて走って逃げた場所です。その時に、心臓がドキドキし、息ができず、手足がガタガタと震えたことを思い出してしまうのです。
(中略)「身柄拘束」は、それ自体が「罰」だと思います。裁判官や検察官、学者や国会議員など、制度を考える人たちの多くは、身柄拘束をされたことがないので、なかなか実感が持てないかもしれませんが、私は、なぜ裁判も始まっていないうちから、このような「罰」を受けなければならないのかと思います。「身柄拘束」については、もっとルールを明確にし、厳格に行うべ きです。

あれほど精神的にタフな村木さんですら、逮捕、勾留といった厳しい出来事から心が回復するには長い時間がかかったのですね。

創価学会中枢の方針に逆らったという理由で、創価学会員が組織の上の人から査問を受けたり除名になったりすることが最近頻発しているようです。
今、友岡雅弥さんのことを調べていますが、創価の良心ともいわれた友岡さんは聖教新聞の記者として取材するかたわらホームレスの人や東北の被災地の人のためのボランティアに力を注いでいました。
しかし、学会本部としては、そういうボランティア活動を優先する態度は許せないといって、友岡さんを長時間査問し、友岡さんはPTSDにまでなったそうです。
おそらく、それにより体力を著しく損なった友岡さんは、ボランティアに赴いた東北の地で命を落とすことになります。
ネットの世界で、創価学会執行部による「間接殺人」と呼ばれている事件です。

これまで信頼していた組織から、手のひらを反すような査問を受け、プライドをくじかれ、取材の出張費は不正に得た金だといって返却を迫られ、そうとうなダメージを受けたのでしょう。
ある意味、友岡さんは、創価学会執行部から冤罪を受けたと言えます。
友岡さんについては、亡くなってからネットで知ったので、あまり詳しくはありませんが、彼のことを知れば知るほど、死ぬには惜しい人物だったと思います。

彼をよく知る人たちは、どうして彼の冤罪を晴らすべく、立ち上がらないのでしょうか。
不思議でなりません。

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第2章 その4

2023-04-29 01:37:40 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
■第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


フロッピーに残された、おかしな日時

拘置所の中に差し入れられた証拠類は、必ず2回は目を通すようにしました。まず1回読んで、1日おいて、もう1回頭を空っぽにして読み直す。そうすると新たな発見があったりします。結構根気のいる作業でしたが、おかげでフロッピーに記録された作成時期に関する問題も、そうやって読み直している時に見つけることができました。
それは、國井検事についていた検察事務官が作成した、「公的証明書等データのプリントアウトについて」と題する捜査報告書でした。A4判一枚の文書に、上村さん宅から押収したフロッピーディスクから証明書ファイルのプロパティをプリントアウトした写真が載せてありました。
プロパティには、次のような日時が明示されていました。
▽作成日時 2004年6月1日1時14分32秒
▽更新日時 2004年6月1日1時20分06秒
▽アクセス日時 2009年5月29日
アクセス日時には、時間の表記はありませんでした。
この捜査報告書を見つけたときは、本当に驚きました。というのは、私は、取り調べの時に、証明書の作成記録はない、と信じさせられていたからです。國井検事は、何度聞いても、「そういうものはない」と言っていました。
私はメモ魔で、業務の記録をしっかりつけています。いつ、何が行われたのか正確にわかれば、私の無実を証明するきっかけになるかもしれません。証明書が偽造された事件ですから、その作成日時は特に重要です。だから私は、取り調べの時に、「証明書の作成に関して日付の分かるものはないんですか?」と聞きました。國井検事の答えは、「残念ながら、ないんですね」というものでした。通常であれば、文書の作成はパソコンに記録が残るのですが、たまたま、証明書が作られた時期から捜査が行われるまでの間に職場のパソコンの機種変更があったので、ハードディスクの中にデータが残っていないのは知っていました。それで、國井検事の話を「そうなのか……」と信用しました。彼は、上村さんの家の家宅捜索の様子を詳しく語り、その際押収したものについても話してくれました。証明書などのコピーがあって押収したと言っていました。しかし、フロッピーの話はいっさいしませんでした。保存したいのなら、電子データでとっておくのが普通だと思ったので、不思議に思って聞きました。
「おかしいですね。なぜ、紙で保存しておいたのでしょうか」
國井検事は、素知らぬ顔でこう言いました。
「彼のやり方なんですかね」
フロッピーがあったことには驚きましたが、1回目にこの捜査報告書を見た時には、子細に日付まではチェックしませんでした。当然に、検察のストーリーどおりの日付が記されているものと信じて疑わなかったのです。
翌々日、もう一度この捜査報告書を眺めていて、「あれ、おかしいぞ」とやっと日付のおかしさに気づきました。

 

「バックデート」の意味

なぜ、この証拠が重要なのかというと、検察のストーリーでは、問題の証明書は、04年6月8日から10日の間に作られていないとおかしいのです。つまり、凜の会が8日に郵政公社に行ったら、「申請書類の中に証明書がない」と言われ、倉沢氏が慌てて私に「急いで5月にバックデートした証明書を作ってくれ」と頼みに来て、それから私が上村さんに指示をして作らせた、ということになっています。凜の会が証明書を郵政公社に提出したのは10日です。この10日は、郵政公社側に記録が残っているので、確実です。
プロパティで示されている最終更新日は、私が倉沢氏から頼まれて上村さんに指示をしたはずの日よりも1週間も前です。しかも午前1時過ぎという時間帯は、5月31日の深夜の延長と考えられますから、バックデートしなくても5月中の日付で証明書を発行できるタイミングです。実はこの「バックデート」というのは、検察のストーリーにとって、とても重要な意味を持っていました。当時課長であった私は、証明書を発行する権限を持っていました。だから、私が決裁書にサインをすればいいだけで、わざわざ「偽造」をする必要はありません。そこで検察は日付をバックデートした証明書を発行するよう頼まれたので、正規の決裁手続きが取れず、それで証明書を偽造したというストーリーにしていたのです。
よくよくこのプロパティを見直し、やはりこれは決定的な証拠になるのではないか、と思いました。接見に来てくれた弁護士に説明をし、さらに弁護団宛ての手紙にも書きました。
國井検事が作成した上村さんの調書にも、フロッピーのことはまったく載っていません。後で、上村さんの被疑者ノートを見たら、彼はフロッピーのプロパティを見せられていました。それまで、作成したのは証明書に書いてある5月28日だと思い込んでいたのが、プロパティを見せられて、自分の記憶が信じられなくなり、そこを國井検事に揺さぶられて、検察側のストーリーを受け入れていくようになっていきます。それなのに、フロッピーのことを一言も調書で言及しないのは、意図的に隠したとしか考えられません。その重要性が分かっているからこそ、隠したのです。
隠していたはずのフロッピーの情報を記した捜査報告書を弁護側が入手できたのは、記録がすべて特捜部から公判部に移され、フロッピーを巡る事情を知らない公判部が、うっかり開示してしまったからでしょう。
証明書の偽造の罪に問われているわけですから、そのデータを保存したフロッピーは、最も基本の証拠のはずです。それなのに、それを証拠提出しない。それどころか、フロッピーは上村さんや私への取り調べが終わった直後に、上村さんに還付されていました。その前に前田恒彦検事が改竄をしていたことが分かったのは、私に対する判決が出た後です。
改竄は前田検事一人の行為かもしれませんが、捜査段階でのフロッピー隠しについては、國井検事も同罪と言えるのではないでしょうか。裁判の証言や最高検察庁の検証でも、そこのところは明らかになっていません。私は、どうしても事実が知りたくて、後に最後の手段として国家賠償請求訴訟を起こしたのですが、請求を国に認諾(原告の主張を認めて争わないこと。したがって証人尋問等も行われない)されてしまい、この点について國井検事などに対する証人尋問もできませんでした。
もう一つ、フロッピーを巡って残念だったことがあります。それは、検察はどこかで間違いに気づいて、方針を直してくれるかもしれない、という期待や信頼が裏切られたことです。
プロパティの問題に気がついた頃は、私はまだそういう期待や信頼を持っていました。ところが、公判前整理手続で弁護側がフロッピーの報告書を証拠請求すると、検察側は猛反対したのです。公判部で主任を務めた白井智之(しらいともゆき)検事は、「本当に証明書データが保管されていたフロッピーかどうか分からない」「本当だとしても、この最終更新日は、印刷した日とは違う」などと言って、激しく抵抗しました。私が指示した、という日より前に作られていたということは明らかなのに……。
検察の上層部は、10年1月27日の初公判での弁護側の主張が報道されて、フロッピー問題に気がついて、高等検察庁や最高検も含めて大騒ぎになったようです。でも、問題点は前年秋の公判前整理手続ですべて明らかになっていたのです。
他にも、弁護側が出そうとした証拠に検察が猛反対したことがありました。厚労省職員の中で、政策調整委員を務めていた方が、「村木さんはこういう案件があったと知らないはずだ」という供述調書を作ってくれていたんです。政策調整委員は、各局に一人ずついて、その局の仕事のコントロールタワーになります。とりわけ国会や議員関係の業務は、この政策調整委員がしっかり把握しています。検察ストーリーでは証明書の発行は「議員案件」だということだったので、国会議員との関係をよく知っているこの政策調整委員の供述調書は重要でした。その政策調整委員の役割をルール化した書面が、厚労省の中にあるのですが、それを証拠請求したら、検察側は大反対でした。ルールブックがあるのに、それを無視し、「政策調整委員というのは複数の局の間を調整するのが仕事です」という事実を歪めた供述調書を証拠として使おうとしました。客観的な事実をまったく尊重せず、自らに都合のいい供述調書をつくって証拠にしようとするこの対応に、本当に落胆しました。
公判前整理手続には私も出席しました。どうしても軌道修正しようとしない姿を目の当たりにして、検察に対する失望が広がると同時に、裁判所の対応には希望を持つことができました。私の事件が、大阪地裁第12刑事部(横田信之裁判長)に係属となった時、大阪の弁護士さんたちが「いい裁判官に当たった」と喜んでいました。それを聞いて弘中弁護士は、「事件が起きた場所は東京で、被告人も他の関係者も皆東京周辺にいる人なのだから、東京地裁に移管すべきだと主張しようと思ったが、評判のいい裁判長だったのでやめた」と言っておられました。実際、公判前整理手続の間に、検察にはいくら言ってもなかなか分かってもらえなかった、厚労省の決裁ラインや仕事の手順などについて、裁判長は理解しようとし、検察に資料の提供を求めたりしてくださいました。検察に対して、証人として呼ぶ人と呼ばない人はどういう切り分けになっているのかを尋ねる場面もありました。決して検察の言いなりではなく、裁判官が自分なりに事件の構図を頭の中に描こうとしているのがよく分かりました。私の話も、もしかしてここなら通じるのかもしれない、と思いました。
本来、裁判所に当たり外れがあってはならないとは思うのですが、大阪地裁第12刑事部の裁判官の方々に担当していただけたのは、とても幸運でした。

 


解説
公判前整理手続には私も出席しました。どうしても軌道修正しようとしない姿を目の当たりにして、検察に対する失望が広がると同時に、裁判所の対応には希望を持つことができました。
(中略)本来、裁判所に当たり外れがあってはならないとは思うのですが、大阪地裁第12刑事部の裁判官の方々に担当していただけたのは、とても幸運でした。

そういえば、テレビドラマ、竹野内豊主演「イチケイのカラス」で描かれた破天荒な裁判官・入間みちお、好きでした。
裁判官に当たり外れがあるなんて困りますが、検察の主張に偏らず、少しでも真実に近づこうとする裁判官が増えることを期待します。

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第2章 その3

2023-04-28 01:24:15 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
■第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


密室で作られる調書

事件の「入口」、つまり私が倉沢さんに会って、厚労省の職員を紹介した、という場面は、不法行為ではなく、検事の言うことに従っても心理的な抵抗が少なかったのかもしれません。一方、私が倉沢さんに偽の証明書を渡したという「出口」は、みんな認めるのに結構抵抗しています。それでも、「入口があれば出口があるはずだ。なければおかしいだろう。お前は嘘をついているのか」と理詰めでやられると、まじめな人たちだけに弱い。公務員と教師は落としやすい、というのを聞いたことがありますが、公務員の心理を知ったうえで、巧妙に誘導していったのでしょう。
検察の言うとおりの供述をしないと、「特捜をなめるのか」と凄まれ、「一晩でも二晩でも泊まっていくか」と身柄拘束をされるような脅しを受けたり、「課長が犯人じゃないなら、お前だな」と脅された人もあったようです。
あるいは、同じ公務員ということもあり、一般の方以上に検事のことを信じてしまう傾向もありました。たとえば事件当時部長だった塩田さんは、法廷でこう証言していました。
「密室の取調室で検事から、『あなたが石井議員に証明書が発行されたことを報告する4分数十秒の電話交信記録がある』と言われ、それならば記憶にはないが、きっと最初の依頼も自分が石井議員から受け、村木さんに対応をお願いしたのだろう、と思い込んでしまった」「何度も何度も、『交信記録があるのは本当か? 本当なら見せてほしい』と頼んだが『ある』というだけで検事は最後まで見せてくれなかった。私は、お互いにプロの行政官であるという信頼感があるので『それが嘘だ』とは思わなかった」
ところが、裁判の証人に呼ばれることになり、その打ち合わせの際に公判担当の検事から、そのような記録はない、ということを告げられて、彼は愕然としたと述べていました。
そうやって作られた調書は、よほど強い意志を持ってバーゲニングに臨まない限り、そして検事に負けないバーゲニングの力がないと、修正はしてもらえずに、検察の都合のいい形で証拠になってしまいます。
誘導していくプロセスは、何も記録に残されません。そのため、取り調べを受けた側が裁判で、誘導されたり脅されて記憶と異なる調書ができた、と説明しても、検事がそれを否定すれば、水掛け論になってしまいます。
現に塩田さんの調書を作成した林谷浩二(はやしだにこうじ)検事は、裁判に検察側の証人として出廷して、通信記録の話を否定しています。「塩田氏の方から、通話記録があるなら教えて、と言い出した。自分は通話記録があるとは一切言っていない」というのが、林谷検事の言い分です。
これでは、裁判官もどちらの言い分を信じたらいいか分からないはずです。裁判では、塩田さんの調書は、任意性があるとして証拠採用されました。この事件では、検察側の証人が次々に、調書と異なる証言をしたこともあり、塩田さんの調書も内容には信用性がないということで、判決には影響を及ぼしませんでしたが、取り調べの状況が音声だけでもきちんと記録されていれば、裁判官も判断に困らないでしょうし、判断を誤ることも避けられるのではないでしょうか。
私の事件がきっかけとなって、刑事司法制度改革が議論されるようになりましたが、その中でも取り調べの可視化、すなわち取り調べのプロセスの録音・録画が最も大きな課題になっているのはこういう理由からです。私が無罪となってからの検察改革の中で、特捜部の扱う事件については、被疑者の取り調べの録音・録画が試行されていますが、参考人など任意の事情聴取に関しては、試行さえ始まっていません。


解説
私の事件がきっかけとなって、刑事司法制度改革が議論されるようになりましたが、その中でも取り調べの可視化、すなわち取り調べのプロセスの録音・録画が最も大きな課題になっているのはこういう理由からです。私が無罪となってからの検察改革の中で、特捜部の扱う事件については、被疑者の取り調べの録音・録画が試行されていますが、参考人など任意の事情聴取に関しては、試行さえ始まっていません。

私の好きなテレビドラマに天海祐希主演『緊急取調室』というのがあります。
取り調べのプロセスの録音・録画が取り入れられていますが、なるほど参考人の事情聴取にも録音・録画が必要かもしれませんね。

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第2章 その2

2023-04-27 01:03:11 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
■第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


どうしてみんな嘘をつくのか

この裁判では、公判前整理手続(公判前に検察側、弁護側がそれぞれの主張とその証拠を明らかにし、裁判そのものを効率的に行うための制度)が行われることになりました。最初に、検察官の予定主張が示され、それを固めるための検察側の証拠が開示されます。その後、弁護側が関連する証拠を請求し、これが何回かに分けて開示されます。さらに、弁護人も主張を提示し、それについての証拠開示も求められます。
検察の証拠が弁護側に開示されるたびに、コピーが私のところにも届けられました。私は刑事裁判は素人ですが、厚労省の職場にいるからこそ分かることもあると思いましたし、知りたいこともあったので、一生懸命読みました。開示される証拠のほとんどは、被疑者や参考人の供述調書ですが、そのほかにも関係したところから家宅捜索で押収された書類のコピーや捜査報告書なども交じっています。A4判の紙ですが積み上げると7、80センチの高さになりました。
検察の主張は偽りだと分かっているわけですが、それなら本当は何が起きたのか、まず知りたかった。それから、何が原因で、検察は間違えたのだろうか、ということ。証明書が作られた時、その職員には偽の団体だということが分かっていたのだろうか、という点も気になりました。
一部は國井検事から聞かされていたとはいえ、厚労省の職員たちの調書を読んだ時には、かなりショックを受けました。たくさんの調書に、私が倉沢さんと会ったり、担当者に紹介したり、証明書の作成を指示したりといったことが、あたかもあったように書かれているのです。「ちょっと大変な案件だけど、よろしくお願いします」といった私の言葉まで、いかにもリアルに書かれていました。5年も前のことなのに、何人もがそのセリフを正確に記憶していることになっています。また、当時は障害者自立支援法の制定作業をしていたといった、1年近く時期が違うことまで、検察側のストーリーを認めてしまっている人たちが、なんと10人中5人もいました。
私自身が実は、ジキルとハイドのような二重人格で、悪い人格になっているときの記憶がなくなっているのかしら、それとも、自分が気がつかないうちに、多くの人の恨みを買っていて、みんなで「村木のせいにしよう」と口裏を合わせたのかしら……そんなことまで考えて、精神的にも耐えられない状況になりました。
接見に来た弘中弁護士に、思わず、「どうしてみんな嘘をつくんでしょう」と問いかけました。すると日頃は優しい弘中弁護士が、大きな声で、強い口調でこう言いました。
「誰も嘘なんかついてない。検事が勝手に作文をして、そこからバーゲニング(交渉)が始まるんだ。供述調書とはそういうものなんだ」
私の取り調べも、まさにバーゲニングの世界でしたが、逮捕されていない人の取り調べも、その点では同じだったのです。
厚労省職員の中にも、記憶にないことはないと、最後まで述べている人もいました。こういうものは、性格の弱さなどの問題というより、バーゲニングの力や経験がどれだけあるか、なのだと思います。私も最初は、押し切られてしまいましたが、その後は嘘を書いた調書を作らせずに済んだのは、日ごろ仕事で交渉する場面が多く、鍛えられていたお陰でしょう。
今になってみれば、事実と異なる供述調書を作られてしまった人たちの状況も察することができます。まず、役所を巻き込んだ事件であることは事実で、逮捕者も出てみんな動揺していたこと。5年も前の出来事で、みんな記憶に自信がないこと。一方で省としては捜査に協力しなければならない、という大命題があります。報道もたくさん出ているし、報道や検察が言うこととまったく違うことを言えば、嘘つきと思われるんじゃないか、という警戒心も働きます。それで、いつの間にか、検事の話や報道で言われていることを前提に、それに合わせて話をしようとしてしまうのでしょう。
また、検事は、「こういうことがあったとしたら、どうして起きたと思いますか」などと聞いてきます。仮定の話として、一生懸命考えて答えます。すると、調書では、それが事実であるかのように「こういうことが起きた原因は……だと思います」と書かれてしまう。そうやって巧妙に誘導されていきます。それに、職場の他の人の調書の内容を告げられて、「それを否定するのか」と聞かれれば、仲間を嘘つきにしたくない、という気持ちもある。だから、誰か一人が落ちると、芋づる式に供述が揃えられていくのです。

 


解説
接見に来た弘中弁護士に、思わず、「どうしてみんな嘘をつくんでしょう」と問いかけました。すると日頃は優しい弘中弁護士が、大きな声で、強い口調でこう言いました。
「誰も嘘なんかついてない。検事が勝手に作文をして、そこからバーゲニング(交渉)が始まるんだ。供述調書とはそういうものなんだ」
私の取り調べも、まさにバーゲニングの世界でしたが、逮捕されていない人の取り調べも、その点では同じだったのです。


このようにして検事に都合のよい調書が作られて行くのですね。
それにしても真実を突き止める場であるべき検察が、バーゲニング(交渉)の場であったとは……

 

獅子風蓮


村木厚子『私は負けない』第一部第2章 その1

2023-04-26 01:53:48 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
■第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに

 


■第2章 164日間の勾留

 

拘置所での暮らし

取り調べ、逮捕、勾留を通じて一番ショックを受けたのは、逮捕翌日に勾留の手続きで裁判所に行く際に手錠をかけられ腰縄をされた時です。逃亡を防止するためのようですが、私は犯罪者として扱われているのだと実感しました。この姿は、家族に見せたくない、と思いました。この時、右手の手錠が手首の骨に当たって少し痛みました。初日から文句を言ってにらまれたらどうしようと迷いましたが、拘置所というのはどういう所か分からなかったし、自分の人権がどの程度守られるものか知りたい、ということもあって、意を決して言ってみました。
「すみません、右手がちょっと痛いんですけど……」
すると、女性の職員がすぐに鍵を外してはめ直してくれて、安心しました。
大阪拘置所の職員の方々には大変親切にしていただきました。当初、私は自殺をするのではないかと心配されていたようです。入れられたのは、看守の人の真正面の部屋で、監視カメラもついていました。この日、責任者らしき女性職員から、「気持ちをしっかり持ちなさい。泣いている暇はありませんよ、検察と闘うんでしょう?」と声をかけられました。法務省の職員から「検察と闘う」という言葉が出たことに驚くと同時に、強く励まされました。逮捕された時は泣かなかった私も、思わず泣いてしまいました。ノートに「やさしくされると涙が出る」と書きました。
拘置所での暮らしは、起床7時半、就寝9時。美味しいとまでは言わないものの、栄養バランスの整った麦飯中心の食事が三食きちんと用意され、一日2回の体操の時間があるといった具合に、規則正しい静かで簡素な暮らしです。衣服の洗濯も、枚数に制限はありますがやってもらえます。お布団も時々干してくれます。
一方で、厳しいルールがたくさんあります。決められた時間以外は、座っていることが求められ、勝手に寝転んだりはできません。布団をたたんでおく場所や、机を置く方向なども決められています。入浴は週2回(夏場は3回)、服を脱ぎ始めてから入浴して服を着終わるまでの時間はきっちり15分以内と決まっています。一度、食事をしながら本を読んでいて職員さんに叱られました。職員さんが部屋に入って持ち物検査をすることもあります。
もちろん、特殊な場所ですから、そこが自由や権利を普通に主張できる場所ではないということは分かっていました。なぜこんな不自由なことを、と思うこともありましたが、ここのルールはルールと割り切って受け入れ、トラブルを起こさず、職員さんを困らせず、私自身も不愉快な思いをしないよう、できるだけ気持ちよく暮らそう、と決めました。

 

私を支えてくれたもの

逮捕されたからといって、私がそれほど激しく落ち込まずに済んだのは、生来ののんきな性格に加え、多くの人に応援していただいたこと、そして、夫と娘たちの存在が大きかったと思います。
もともと楽観的な方ですし、ずっと共働きで二人の子どもを育ててきましたので、何をするにも常に「時間がない」という状態でした。なので、今できないことは悩んでいても仕方がない、とりあえず横においておこう、というのがほとんど習慣のようになっていました。逮捕されて拘置所にいるときも、「なんで逮捕されちゃったんだろう」と今更考えてみても、逮捕されたこと自体はいくら私が努力しても変えられない。それだったら今何ができるか考えようと思いました。もちろん、起訴はしないでほしいけど、起訴はされるだろう、起訴されることを前提に対応しなければ、と思っていました。無駄なことを考えず、現実的に何ができるかを考えることが習い性になっていたので、起訴された時も、特にがっかりすることもなく、平静な気持ちで受け止められたように思います。
取り調べの期間は、接見禁止処分が付されたので、弁護士さん以外には会えませんし、手紙のやりとりもできません。家族は、私のことを200パーセント信じてくれていると分かっていましたが、仕事などでお付き合いのある人たちがたくさん応援してくれたのは、本当にありがたかったです。逮捕されて最初に、弁護士さんが接見に来られた時、「私たちも心を痛めています」「がんばってください」「私はあなたの味方です」という応援のメッセージと名前をたくさん書いた紙をアクリル板越しに見せてくれました。みんな信じてくれているんだ、と励みになりました。
いろいろな報道があり、逮捕もされた。私は変わってしまったのだろうか、私はいろいろなものを失ってしまったのだろうかと自問しました。「私は報道されているようなことは何もやっていない。報道が事実と違うことを流しているだけで、私が変わってしまったわけではない。これだけの報道があり、逮捕もされて失ったものはあるかもしれない。それでもこんなに信じてくれる人がいる。私はこんな財産を持っていたんだ」と気持ちを整理することができました。そのことで、それほど落ち込まずに済んだと思います。
特に娘の存在は、心のつっかえ棒になりました。人生は常に順風満帆でいられるわけではなく、何らかの災難に見舞われる時期があります。私のように逮捕されるのはまれとしても、自分には何も責任がないのに病気になったり、事故にあったり、何かの困難に遭遇することはある。将来、娘たちがそういう状況に陥った時、今の私のことを思い出して、『お母さんもがんばれなかったもの、やっぱり無理なんだよなあ』とは思ってもらいたくない。『あの時、お母さんもがんばった。大丈夫、私もがんばれる』と思ってもらわなくては。将来の娘たちのために、ここで私ががんばらないといけないと思った時、私はがんばれると確信が持てました。
20日間の取り調べ期間中は、私はほとんど泣いていないと思います。検事から「執行猶予なら大したことない」と言われてあまりに腹が立って泣いたことはありますが、拘置所の房に一人でいる時には、ほとんど泣きませんでした。泣くのが怖かったのです。泣くことで感情が乱れて、闘う気持ちが崩れてしまうのが、とても怖かった。
取り調べが終わって、安心して泣けるようになったような気がします。接見禁止が解けて、いろいろな方が面会に来てくださったり手紙を送ってくれました。手紙を読んで気持ちのこもった言葉がうれしくて泣くことが何度もありました。Jリーグのチームの応援歌「You'll never walk alone (君はひとりじゃない)」(FC東京・サポーターズソング)の歌詞を書いて送ってくださった方もいました。私にはサポーターがいると実感しました。
上村さんや倉沢さんたちは、起訴と同時に保釈になりましたが、私は起訴後も勾留が続きました。証明書を巡る事件で、起訴後も勾留されたのは、私一人です。弁護士からは、逮捕された人は自白をしないとなかなか身柄を解放してもらえない、否認をしていると検察が保釈に反対し、裁判所も検察に引きずられてなかなか認めない、と聞いていました。「人質司法」と呼ばれているそうです。私が保釈されないのも、否認しているためなのだろうと思いました。無実の人間が「無実です」と主張すると自由を奪われるというのは、とても変な感じがしました。
自分が努力してもどうなるものでもないので、体に気をつけて、とにかく落ち込まないようにしていました。そのためには好きなことをするのが一番です。私は本を読むのが好きなのですが、日ごろは忙しくて思うように読めません。この際、思い切り本を読むことにしました。それを聞いた多くの方から本の差し入れをいただきました。普段、自分では選ばないような本もあって、面白く読みました。勾留が長くなるだろうと覚悟が決まってからは、大長編(『ローマ人の物語』塩野七生著、新潮文庫 全43巻)にも挑戦しました。起訴される直前に読んだ本に当時の私の気持ちにぴったりな文章があったので、ノートに書き写しました。
「あなたが何をしてたって、あるいはあなたになんの罪もなくたって、生きてれば多くのことが降りかかってくるわ(中略)だけど、それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること」(『サマータイム・ブルース』サラ・パレツキー、山本やよい訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)
愛する兄に死なれ、冷たい家族関係の中でひたむきに生きる少女に主人公がかけた言葉です。
逮捕されたり、起訴されることは私の力で変えられなくても、それをどのような形で私の人生に加えるのかは、私自身が決めることなんだな、と改めて思いました。
最初は、裁判というものに実感が湧きませんでしたが、起訴された以上、社会的に無実を証明してもらうのは裁判しかありません。自分のためにも、自分を信じてくれている人のためにも裁判をちゃんと闘わないといけない。そのために、できるだけのことをやろう、と決めました。

 

 


解説
逮捕されたからといって、私がそれほど激しく落ち込まずに済んだのは、生来ののんきな性格に加え、多くの人に応援していただいたこと、そして、夫と娘たちの存在が大きかったと思います。
(中略)いろいろな報道があり、逮捕もされた。私は変わってしまったのだろうか、私はいろいろなものを失ってしまったのだろうかと自問しました。
「私は報道されているようなことは何もやっていない。報道が事実と違うことを流しているだけで、私が変わってしまったわけではない。これだけの報道があり、逮捕もされて失ったものはあるかもしれない。それでもこんなに信じてくれる人がいる。私はこんな財産を持っていたんだ」
と気持ちを整理することができました。そのことで、それほど落ち込まずに済んだと思います。

普段から誠実に生きている人は、いざというときに心が乱れず、落ち込まないですむのですね。

獅子風蓮