車両の顔の第54回です。
今回のお顔は・・・

クモハ54005です。
1940年に製造され、新製配置は淀川区で、京阪神緩行線で使用。
以来1967年5月に仙石線陸前原町へ異動するまで、関西地区で
使用され続けた、関西育ちです。
それを物語るような運転台窓のHゴム化と、窓下には関西型の通風器。
この、少し崩れた感じの顔と、ノーシル・ノーヘッダーのスマートな
車体とのアンバランスさが、大のお気に入りでした^^
仙石線ではうぐいす色に塗られ、4年間使用。
1971年4月、終の住処となった大糸線北松本支所へやって来ました。
以来10年間、大糸線が新性能化されるまで働き、
廃車となったのは1981年9月の事でした。
1978年7月25日撮影。
今回のお顔は・・・
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クモハ54005です。
1940年に製造され、新製配置は淀川区で、京阪神緩行線で使用。
以来1967年5月に仙石線陸前原町へ異動するまで、関西地区で
使用され続けた、関西育ちです。
それを物語るような運転台窓のHゴム化と、窓下には関西型の通風器。
この、少し崩れた感じの顔と、ノーシル・ノーヘッダーのスマートな
車体とのアンバランスさが、大のお気に入りでした^^
仙石線ではうぐいす色に塗られ、4年間使用。
1971年4月、終の住処となった大糸線北松本支所へやって来ました。
以来10年間、大糸線が新性能化されるまで働き、
廃車となったのは1981年9月の事でした。
1978年7月25日撮影。
関西で育ち、杜の都を経て安曇野へ、関東には全く縁が無く各地を渡り歩いた経歴にも惹かれてしまいます。もし片町線や阪和線を走ったことがあるとすれば、オレンジの装いも纏ったのかな。と想像してしまいました。
コメントありがとうございます♪
鳳区に在籍していたのは1946年からの2年間だけでしたので、
残念ながらオレンジの装いは纏わなかったようですが、
それはそれで見てみたかったですよねぇ^^
戦前型旧国に明るい塗色は『◯◯の厚化粧』などと言われていたようですが、
ぶどう色全盛時代を知らない自分には、大いに魅力的に映りました^^;
親の実家が仙石線沿線のため、クロスシートの旧国にも乗った記憶は有りますが形式とか全然知らなかった時代なので、この車両だったのかは定かではないです。気がついたら103系もどきのアコモ改善車と押し込みベンチレーターの72系ばかりになってました。
コメントありがとうございます♪
ご実家が仙石線沿線との事ですが、東日本大震災では大丈夫でしたでしょうか?
仙石線は今も一部が不通のままですね。
地元の方々の不便を思うと、一日も早い全線復旧が待たれますね。
お気遣いありがとうございます。親の実家は立地の関係で津波の被害は免れました。しかしながら、私も連れて行ってもらった場所の幾つかは大きな被害を受け目を覆わんばかりでした。一日も早い復興と防災に強い街造りが待たれます。
大きな被害は免れたとはいえ、大変でしたね。
キンゴローさんのご心労、お察し致します。
震災から2年半が経ち、徐々に関心が薄れ始めてしまってはいるようですが、
まだまだ完全復興には時間が掛かると思います。
一日でも早く復興される事を祈りつつ、近い将来に起きるという
東海地震などについても各自で万全に備えておきたいものですね。