人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

父の祈り(信仰の祈り)5ー2

2023年02月11日 18時57分23秒 | 学習
22

けさは、一九六五年の新年に入って初めて迎える安息日であると同時に、主の降臨、一九六五年目を迎える日です。
数多くの人々は、メシヤの誕生日を自分達の思いどおりに決めて祝い、メシヤがこの地に来て人類と共に、世界と共に、宇宙と共に、どのような因縁と価値を決定したのかも分からず、その方の名声だけを記憶して、メシヤの誕生日を祝いました。


しかし、きょうこのように集まった少数の群れ達は、今から二千年前にあなたの広く高いみ旨と尊厳なる経綸によって送られたイエス様でありながら、かわいそうな立場に置かれていた彼の事情に、心で同情しながら、その時にイスラエル民族が使命を果たせなかったことを、骨身に染みて考えないわけにはいきません。


この地上にあなたの貴い息子として生まれたその方は、天地創造の理念に背いたアダムを失ってしまった悲しみを解怨するため、送られた方であったことを知るものです。
彼を通してみ旨を成し遂げられ、彼を通して栄光をお受けになり、彼を通して幸福の世界を築こうとなさった望みを成就させるため、あなたがお送りになったメシヤであるイエス様は生まれるその日から悄然たる姿でお生まれになりました。


数多くの人々がメシヤを待ち望みましたが、実際にメシヤとして来られたその方が分かりませんでした。
そのメシヤは独りで神様の心情を抱き、神様の望みを持って生きるべき生活的な事情を持たれ、人知れず、みすぼらしい姿で現れ、哀れな身の上で十字架に掛かり、涙と血を流して逝かれたということを考えるとき、私達の先祖達が足らなかったことを、私達がこの時間に謝罪しないわけにはいきませんし、責任を負ったユダヤ教が使命を果たせず、神様に背いた罪悪を、私達が謝罪しないわけにはいきません。
数多くの歴代の私達の先祖達に血を流させた罪の歴史を、神様に背いてきた数多くの人類の罪悪を、私達がもう一度、心深くたどって考え、悔い改める時間となるようにしてください。


お父様!
あなたの悲しみを私達が察しなければならず、イエス様の憤懣やるかたない事情に私達が同情しなければならず、今まで血の路程を歩んできた彼の弟子達の凄涼で、悲惨な事情を悟ることのできる私達とならなければなりません。


歴史的な恨みを抱き逝かれたイエス様を、個人的に慰労し、家庭的に慰労し、民族的に、国家的に、ひいては世界的に慰労してさしあげることが、きょうメシヤの誕生日を記念する全体的な目的であることを、私達が忘却しないようにしてください。


二千年の歴史は過ぎていきました。
その間、悲しい事情がどれほど多かったでしょうか?
お父様も悲しく、イエス様も悲しく、聖霊も悲しく、キリスト教徒達も悲しかったことを知るものです。
また、このように悲しかった恨みを解くための最後の終わりのひと日、すなわち皆が待ち望む審判のその日が、近づいてきているということを知っています。
積もりに積もったお父様の恨みを解くために来られるメシヤを、再び迎えるべき立場にあるこの終わりの日の聖徒達は、メシヤを待ち望んだイスラエル民族のように、来られるメシヤに追われて仕える心と準備を備えられずにメシヤを待ち望むだけではいけませんので、私達各自がこのようなことを自覚するようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1965.1.3)

23
お父様!
二千年前にイスラエル民族をお選びになり、彼らをして心で体でお父様の心情を体恤させようとしましたが、そのみ旨はまだ成されていないということを私達はよく知っています。


不信する人はたくさんいましたが、摂理のみ旨に対する天の生命を抱いている人はいなかったことを私達は知るものです。


イエス様はこの地に来られて、天の生命を表そうとされたのに、彼に従う人がなく独り行かれましたが、きょう私達が全人類のともしびとなって、イエス様の使命を引き継ぐことができ、イエス様のみ旨を引き継ぐことのできる群れとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今まで堕落した不信の社会環境とその実情を眺められながら耐えてこられ、今、この世の中を心配されて私達を選び、世の中が悪くなれば悪くなるほど、いつも天の前に立てるよう許諾してくださった恩賜に感謝を申し上げます。


イスラエルの不信によって悲しみを被るしかなかったイエス・キリストの立場を思わないわけにはいきません。
彼は天の悲しみを身代わりして語られ、彼の行動は信仰によるものであり、お父様を中心としたものであったことを私達は知るものです。


今、終わりの日において、私達が人類の罪を蕩減復帰し、お父様の心情と連結され、私達の体と心でお父様に侍るよう導いてください。


この地上には数多くの信じる人々がいますが、イスラエル民族の中でお父様に心から従った人がいなかったのと同様に、きょう新たなイスラエルを身代わりすべきキリスト教が、お父様のみ旨を知ることができず、摂理の全体のみ旨を担うことができなくなってしまいました。
お父様、そのみ旨を私達が成すようにしてくださり、私達を導いてくださって、お父様の召命を受けて永遠に残され得るよう許諾してください。


お父様が私達を選ぶときには、私達だけのために選んだのではなく、民族のために、世界のために選んだということを私達が知っていますので、お父様、み意のままに導いてください。


袋だたきにされ、引き裂かれ、迫害を受けるとしても、お父様が期待される一つの生命を持つことができるとするなら、いつまでも耐えていき、お父様に勝利を抱かせてさしあげ得る私達となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様! 今、私達の心情を天の心情に連結して、お父様のみ旨を成してさしあげようと誓う貴い時間となるようにしてくださり、摂理のみ旨を許諾し、愛をもってお父様のみ旨に責任を負っていけるよう許諾してくださり、天の心情を体恤して、ただみ旨の道だけを行くことができるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様のみ旨ならば死のうが生きようがお父様をつかみ、私達の心はあなたの生命を求め、私達の体はあなたの生命の道を求め、ただお父様のみ旨を中心として生きていくことができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.4.6)
24

お父様!
統一教団が今まで歩んできた道を思い返してみるときに、その教団は、その誰もが愛してくれなかった教団でした。
国が反対し、既成教会が反対し、父母が反対し、個々人が反対したその立場は、ちょうどイエス様が十字架の道まで追われたのと同じ立場でした。


イエス様は、追われて十字架で亡くなられた後、二千年の路程において、個人を捜し、家庭を捜し、氏族を捜し、民族を捜し、国家を捜し、世界を捜しましたが、霊的基準においてのみ捜してこられました。
この霊的基準を受け継ぎ、実体基準にまで連結させるのが、あなたの望まれた願いの一念であり、あなたが六千年間苦労されたその苦労の結果となることを考えるものです。


今日、統一教会が歩んできたのは、イエス様の恨めしい内情の因縁を相続して、実体的にこの民族の前で追われながらも、死なずに、個人と家庭と氏族と教会をもう一度捜すためでした。
こう考えるときに、この国、この民族におきまして、教団同士、互いに同じ基準をつくり、かえってユダヤ教よりも優位に立つことのできる時代圏を迎えたということを知るものです。
イエス様を反対したユダヤ教の群れより、イエス様の福音を通して一つとなった群れがより強い立場に立ったのと同じく、現在私達をそのような立場に立ててくださったことを考えるときに、心から感謝を申し上げます。


教会を超えて民族基準まで上がらなければならない終生の使命が、私達に残っていることを知り、どのような困難にぶつかり、どのような犠牲を支払うとしても、この道を越えてこそ、初めて私達の生きる道があり、定着することができるということを、はっきり知らなければなりません。
寝ても覚めてもこのためにだけ、私達があらゆる精誠を投入しようと、もう一度決意できるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達の遠くない将来に、必勝のひと日が訪ねてくることを考えるときに、私達はイエス様が与えられなかった愛を与えなければならず、イエス様が受けられなかった愛を受けなければなりません。


このようなことが統一教団で起こることによって、私達を通してお父様の恨みとイエス様の恨みが解怨されるという、このとてつもない歴史的事実を有り難く思い、一生に一度しかないこの貴い機会を失ってしまわないよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.12.25)

25

お父様!
ユダヤ教団と数多くの祭司長達は、自ら天をあがめ、天の内情的因縁を生活に表し、天の規範を立てると言いながら出ていった群れでした。
しかし、生命の中心であり、生命の結晶体であり、愛の中心であり、愛の結晶体として現れたイエス・キリストに対しては、冷淡に知らないふりをしました。
イスラエルの国の精神的な責任を負ったユダヤ教団の中で、イエス様の側に立った者がたったの一人もいなかったという事実を知っています。
それが無念なるお父様の四千年の受難の結果であったということを思うとき、私達は涙でもってお父様に対さないわけにはいきません。


お父様!
最後の道に向かう恨み多いイエス・キリストの側に立って、生命を懸け、泣き叫びつつ、悲しみと恨みの歴史に立ちはだかった兄弟が一人もいませんでした。
母さえもイエス様の死の道を「私が身代わりして行こう」と言えなかったという事実を見るとき、本当にかわいそうなイエス様でした。


イエス様の最期が、こうも憤懣やるかたなく悲惨だった事実を思い返すとき、私達は恨みに達した心で過去のイスラエルの国とユダヤ教を呪いたい気持ちです。
しかし、イエス様は彼らを呪われず、むしろ神様が四千年間苦労し、積み上げておかれたイスラエル圏が崩れそうだといって、死の道を行きながらも、彼らの福を祈ってあげなければならなかったので、そのようなイエス様の無念なる心情を、私達は間違いなく知らなければなりません。


死の道でも、同情を受けられなかったイエス様は孤独な孤児の身の上だったということを、私達が切々と感じなければなりません。
このような、イエス様の友とならなければならず、このような、イエス様の親戚とならなければならず、このような、イエス様の教団とならなければならず、ひいては、このようなイエス様の姉、または弟妹になるべき立場に立った群れが、まさにこの歴史時代にぽつんと残された統一教団であり、私達だということを、はっきり悟るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今日数多くの人々は、クリスマスになればイエス様が万民を救わなければならないメシヤの使命を持って誕生された方だと口から口ヘと伝えながら、賛揚しています。
しかし、実相を知ってみると、このようにイエス様が歴史的悲しみの中で独にお生まれになった方だということを考えるとき、私達は痛哭し、そのようなイエス様の悲しかった内心の情景を、痛哭しながら慰労することのできる者達とならなければなりません。


お父様!
私達はみ旨を知ったその日から、イエス様の悲しい恨みを解いてさしあげるべき責任があるということを知り、お父様の悲しい恨みを解いてさしあげなければならないことを知ったので、この日まで闘いきて、今日この統一教団を形成したものです。
このように悲しかったお父様の事由をあらわにして、教えてあげることができ、聞くことのできる因縁と土台が、この地球星に歴史始まって以来初めて現れたという事実を考えるとき、ここは、それこそお父様の望みに対することのできる所だということを、私達が忘れてはならないので、お父様の心情が、ここで再び結びつけられるのを願っているということを、私達が忘れないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.1.3)


26


愛のお父様!
お訪ねくださって感謝です。
きょう喜びでもって訪ねてこられましたが、あす発たれるお父様の姿が、歓喜の頌詠(ほめたたえる意)の日を約束して発つことのできるお父様の姿となれないのではないかと気がかりです。


会うには喜びでもって会いましたが、別れる日には悲しみでもって別れるのが、人間に対してこられたお父様の曲折の路程であったことを知りました。


きょうよりもあすがお父様の前に慕わしくなるよう許諾してくださり、青春期よりも老年期に入るほど、よりお父様を慕わしく思えるよう許諾してください。


そうして、心の深く高い世界に一歩一歩進んでいこうとする息子・娘となるよう許諾してください。
さらにお父様の恨みの心情を慰労し、イエス様の恨みを解怨し、歴史上の先祖達の恨みを解怨するよう許諾してくださり、今日、終末的な使命、天的な解怨を私達によって成し、お受けくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今日私達は、開拓者の心情で来られたイエス様であることを知りました。
栄光の位置に立つべき者が変わって開拓者とは何たることでしょうか?
洗礼ヨハネが背反したがゆえであり、教団が背反したがゆえであり、民族が背反したがゆえであり、世界のすべての人々が背反したがゆえでした。


これが今日キリスト教史に残された史実であることを知るならば、イエス様が準備期間から実践時間を通して完成基準に向かって越えていったその内的決意の心情が、私達の心の土台の上にわき上がるよう許諾してください。


イエス様は民族的な怨讐、国家的な怨讐に対しましたが、今日私達には民族を越え、世界的な怨讐、宇宙的な怨讐に対すべき責任、すなわち最後の開拓者の使命を果たさなければならない責任がありますので、お父様、私達に能力をお与えください。
この責任を一人負い、世界的なゴルゴタの道を最後まで凛々しく歩いていき、勝利する栄光の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.1)


27


天を見つめながら、万物を見つめながらお父様が願われる望みを成してさしあげるため、そのお呼びになる声に従って戦場に走っていこうとする、お父様が喜ぶことのできる子女達となるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。


お父様の物悲しい歴史的な恨みを私達が知らなければなりませんし、この世界を訪ねてこられた歩みがどれほどもどかしく、悲痛かという事実を私達が知らなければなりません。


私達の体がお父様の行かれる踏み台となり、平坦な道を築くにおいて材料となるということを思うとき、いばらの道だといってひっくり返り、身もだえし、血を注ぐようになるとしても、この道を開拓すべき使命が、私達のなさなければならない真正なる使命であり、責任であることを知るものです。


私達の心と体を捧げてこの民族の行く道を築くよう許諾してくださり、この民族をお立てになって、万民がお父様に向かって進むことのできる直行行路を立てられるようにしてください。
このような愛の恩賜を受けられるわが民族となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達は人知れず、人の歓迎しない道を歩いてきました。
悲しい時も多くありましたし、寂しい時も多くありました。そうではありますが、お父様が行かれた道であるがゆえに、感謝の心で涙をもって歓迎し、心情のこもった声でお父様を呼ぶことが千万回あったことを知っています。
お父様を呼んだ私達の声と共に、私達の涙と共にお父様も涙ぐんだというその事実がどれほど貴いかということも私達は知っています。


このような道であることを知ったがゆえに、その道を行くために生きる統一の役軍達は苦労の道も意に介さず、苦行の道をたどりながらお父様を呼ぶことのできる喜びのひと日を迎えるため、世界的なゴルゴタ路程を基準として訪ねてきた、懇切で、けなげなその者達を記憶してください。


きょうお父様のみ旨のために忠誠を尽くすのに疲れた者がいるでしょうか?
再び哀れみの心をお広げになって、愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、残った恨み多い復帰の道をまた行かなければなりませんので、その歩みを貴く思ってくださり、その姿をお父様が記憶してください。


お父様の保護と権威が共にあり、どこに行っても百戦百勝の勝利を収めてお父様の前に栄光の基盤を築いてさしあげることによって、お父様が親しく多くの民の前にお立てになって、これは私の息子であり、娘だと称賛することのできる息子・娘となれるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


残された復帰の道の上に、お父様が計画されるみ旨の前に、勝利の栄光だけが残されることを懇切に願いながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1965.12.26)

28


お父様!
きょうここに集まったあなたの子女達を哀れにお思いください。
この子女達はみな、本郷の国を訪ねていかなければなりません。
本郷の国を訪ねていくこの道が、このように険しい道であると誰が知り得たでしょうか?
お父様!
恨み多い嘆息の世界の上でこの怨恨の土台を踏みつけ、これを退け新しい境地に向かって誘導弾のように飛んでいくことのできる新しい心の爆弾を備えるよう許諾してください。
心情の爆発力と推進力を持つよう許諾してください。


そのためには、お父様の愛を持たなければならないことを知っていますので、このような人々となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
誰がこの道をふさぎ、反対するとしましても、それが問題ではないことを知っています。
行くべき足どりがあまりにも忙しいがゆえに、休もうとしても休むことができず、自分をむち打ちながら行くべき運命に置かれている統一の子女達であることを知っていますので、どうかこの者達の前途を平坦にしてくださり、行く道の前に一つひとつの峠において闘いを誓わせてください。


上がっていって、どうか落ちることのない者達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
数多くの歴史路程で悲しい胸を押さえながら、耐えてきたこの者達を記憶してくださり、この者達が顔に憂いと失望と敗者の色がこもらないよう許諾してください。


お父様、そのような過去を持ちましたが、希望にあふれ、喜びにあふれ、あすの希望の中にあふれんばかりの心を抱き、進んでいくことができますよう許諾してください。


お父様!
理想世界から脱線しない立場で報告することのできる心情を持ち、一日の生活におきまして勝利者となるよう許諾してください。
一年の生活の勝利者となるよう許諾してください。


私達、生涯路程の勝利者となるようにしてくださいまして、父様が私達に許諾されようとする幸福の土台である本郷の国を創建することができる、建国の勇士達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


その平和の王国を創建して、お父様に侍って千年万年生きたいと言うことのできるあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


残されたその日の上に平和があるよう許諾してくださり、子女達の幸福の路程の上にお父様の加護があるよう許諾してください。


ありとあらゆる忠誠と犠牲を覚悟して進むにおきまして、お父様の同情がいつもこの者達の生活の中にあふれるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.3.10)

29
お父様!
私達はお父様の息子ならば良いとだけ考えて、それに該当するだけの十字架を負わなければならないという事実は忘れて生きてきました。


お父様!
けれども、今、私達がこの世の人々とは、これだから違うのであり、お父様の愛を受けることができるのもこのような内容があるがゆえであり、歴史を背負うことができるのもこのためだという事実を知りました。


今日、サタン世界を眺めますとき、第二の出発を模索するためのお父様の愛が歴史路程と共に今、この時に深く同伴しているという事実を知るのでございます。
これを感謝しようとするあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達が行くべき必然的な路程を前にして、個人的なアベルの道を行かなければならず、家庭、氏族、民族、国家、世界的なアベルの路程を行かなければなりません。


私達がこの道を行き終わるまでは、とても忙しいということが分かるようにしてください。
食べようとしても食べる時間がなく、眠ろうとしても眠る時間がないくらい忙しい私達の行路に、共にあってください。


私達だけでなくカイン世界まで救い、お父様の前に帰るようになりますとき、お父様は初めて私達を見て、安息することができるという事実を知っています。


このような責任を果たす私達となり、お父様の悔しさを蕩減するのに不足のないよう努力し、精誠を尽くし切る私達となるよう許諾してください。


私達のすべてのことにあなたが親しく共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.4.5)


30


お父様!
数千年の間キリスト教歴史を編んでこられたお父様は、内心の変わりない強固なる基盤でもって歴史に対してこられました。


その過程で罪悪なる要素の複雑な段階は蕩減の代価を支払いながら縮小させてこられたのが、お父様が今まで摂理してこられた歴史的な事情であるのを私達はよく知っています。


歴史を縮小させた一つの起点で「これだ」と言い得る起源を備えるために、数千年の間、善なる人々を犠牲にさせてきたのが、お父様のみ旨の道であるのを察します。


その道で数多くの人々が血を流しましたが、心からお父様が願われる立場に立って血を流した人はいないということを、私達は知るものです。


それがお父様の恨みでありましたので、お父様はその決定的な起点を解決するためにイエス様を送られましたが、イエス様さえも地と霊界を中心としてその起点を見いだせない悲しみを抱き、死んでいったということを私達は知っています。


そうして、歴史を延長させていきつつ摂理なさったお父様の苦労の歴史は、加重された十字架の悲惨なる道に落ちていきました。
ですので、お父様はもう一度歴史的な終わりの日にこれを解決するために統一家を立てられ、このような、とてつもない一つの起点をお備えになることを知るものです。


ところが、その起点は無謀なる立場では絶対成されないということを、私達ははっきり知らなければなりません。
強固なるある原則に従い、変わりない内容を備えて初めて、成されるということを知らなければなりません。


この時点でお父様が私達に何を要求なさるかを思うとき、それは外的な勢力基盤を広げることではなく、強固な基盤の上で原理化された一つの個人と一つの家庭と一つの氏族を形成することだということを思うのです。
その運動が何よりも貴いという事実を私達は知らなければなりません。


このようなことを思うときに、今まで私達が原理と一致する生活観をどれほど重要視したかということをもう一度反省してみると、お父様の前に不忠なる自らであることを悟らないわけにはいきません。


原理は原理のまま捨て置いて、生活は生活のままにし、自分は自分のままで行くという立場で今まで歩んできたことを思うとき、私自身のために苦労されたお父様の前に不忠であり、不孝であったことを、私達各自がもう一度自認するようにしてください。


原理と自らの生活が一体化した立場で、お父様と一体となり得る主権を持てなかった過去の悲しみを受け入れてください。
また、このような現在に置かれている私達自身を爆破させてください。


そうして、お父様が一つの起点上にとどまることができると同時に、私達が永遠にお父様を身代わりすることに対して、自信をもつ原理的な内容を備えた人とならなければならないことを、もう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.4.26)


31


愛するお父様!
永遠なる主体であられるお父様の前に、春夏秋冬の因縁を経ることのできる実体を備え、春の節気の文化世界をその胸で十分に追求しながら、あすの勝利の栄光を賛美する勝利の王子王女をお父様が捜しておられるということを知りました。


この聖なる宿命の前に召された自分自身の姿が、どれほど偉大かを自覚しようとするあなたの子女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


人は一度、来ては死んでいくものです。
この生がいくら貴いと言っても、青春の時期に比べることができないことを知っています。
お父様、私達が壮年になれば荷を背負わされるようになり、壮年の時期に闘ってもちこたえられなくなるときには、その結実された後孫が悲惨になることを知っています。


それゆえ、壮年の時代を力強く過ごし、老年の時代を経て新しい春を迎え、新しい夏の節気を見ることのできる後孫を、自分の懐の中にもった家庭であってこそ、その後にやって来る秋の節気を無難に克服できるということを知るものです。


これが人生というものであり、世界の歴史時代においても、象徴的な現象であることを眺めるようになるときに、お父様のみ旨もやはり同じであるのを知るものです。


堕落による絶望のどん底の前で、三十億人類が今、最後の運命を計る線上に立っていることを知れば知るほど、ここにはあすの春を身代わりし、あすの夏を身代わりすることのできる天の王子王女がいてこそ、この人間の世の中で冬の節気を克服することができるということを知るものです。


この事実を推し量ってみるときに、神様の摂理はここから因縁に因縁を連結させて、死亡圏から勝利することのできる決定的起源を成すという事実を私達は知るものです。


お父様!
私達自体が長い歴史路程に悲しみを残していった先祖達の恨みを退け、堕落による運命の中で呻吟する人類の恨みの積もったこの怨讐の根拠地を退け、あすの希望を抱くことのできる姿となるようにしてください。


私達は春の節気と夏の節気を経て、秋の節気の結実的な実体ですので、未来の希望世界を相続するのに不足のない者とならなければなりません。


そうして、近づく冬の節気を恐れず、お父様の勝利の座標として残され得る、天の王子王女の姿を備えた息子・娘とならなければなりません。


ここに集った取るに足らない群れがそのような息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.5.3)


32


お父様!
お命じになったあなたの声がお慕わしいです。
最高の善に向かって行けとおっしゃった悲壮なその声が、この時間私達の心を再び動かすようにしてください。


主がお残しになった迫害の道、苦痛の道、患難の道、ゴルゴタの山頂を越え、歴史的な悲運の道を行けと勧告なさった切ないあなた様の事情が慕わしいです。


お父様!
自分勝手に育ち、自分勝手に生き、わがままになっている私達をお集めになって、この上なく高い主の性相に似ろと言われる、おそれ多い恩賜に頭を下げますので、哀れにお思いください。


本質や性稟をすべて分折してみても、あなたの前に示す何ものもない、罪悪に満ちた私達を呼び集め、限りない祝福の恩賜を施してくださったあなたに感謝をお捧げ申し上げます。
ただ、懇切に信仰と心情だけを要求されるお父様の切ないその事情と心情を、私達が体恤し、実証するようにしてください。


お父様!
私達は、どのような人の言葉も聞くことを望んではおりません。
既に多くの言葉を聞き、多くの人に出会いました。
多くの人を見、恵み多いという場を訪ねてみましたが、達自身と関係を結ぶこともできないまま、すべて通り過ぎてしまいました。
恩恵は恩恵として過ぎ去り、人は人として過ぎ去って、残ったのは一人しかいない、歴史的な孤児のような私達です。


ゆえに、私達は新しい春の風が吹いてくることを願っています。
お父様も、そのような恩賜を許諾し得ることを、どれほど待ち望んでおられるでしょうか?
私達、渇き焦る心と、ありのままに報告したい心情をもち、お父様の性相の前に集まる群れとなるようにしてください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が何を語りましょうか?
語る前に、心の中に自分も分からない徹した感激を体恤するようにしてくださり、自分でも知らずに胸が詰まって、涙を流しながら痛哭することができるようにしてください。
天が動いてくださらなければ、そのような心は起こらないということを知っていますし、千万の言葉よりも一度の体験がより貴いことを知っています。


今、不足な者達がお父様の前に出てきましたので、幼子の心に帰るようにしてください。
人間が学んで知っているといっても、どれほど知り、誇るべき何かを自ら備えたといっても、天上に掲げるものがどれほどあるでしょうか?
何もないことを知っています。


弁明よりは事実事実よりは心情の体恤が、私達の死んだ後に刈り取られるものであり、残されるものであることを知っていますので、歴史的な主人公となるべき私達の上に自ら顕現してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.6.5)


33


お父様!
心と心に橋をお架けになり、心情と心情を連結させて、お父様の事情を通過することができ、お父様の心情を体恤することができるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


歴史路程において、数多くの先知先烈達が生まれては逝きましたが、天の事情がどうだということを知らず、天の心情がどうだということを知らずに逝きました。
終わりの日が近づけば近づくほど、議論し、解決すべき問題は天の事情であり、天の心情であることを、私達が分かるよう許諾してください。


この問題を解決するためには、すべてのものを犠牲にしても喜びの心で出発しようと、私達自身が覚悟し、祭物とならなければならないことを、もう一度悟り、天の前にひれ伏す時間となるよう許諾してくださり、お父様の能力を望む時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天がすべての準備を整えておられるとしても、私達自身はその準備に対応して、心と体に準備の土台を整えなければならないことを知っています。
私達の心の中に、今までのその何ものをも残すことがないよう許諾してくださり、幼子の心情に帰り、お父様の、ほのかな心情の感触を通して、もう一度、天と因縁を結ぶことができるよう許諾してください。


私達が、お父様の命令なさる恩賜に浸って、天と共に和することができ、お父様が自ら私達と共に議論し、私達と共に新しい約束を立てることのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


新しい約束のみ言を通して、お父様の前にもう一度覚悟と誓いをすることのできるこの時間となるよう許諾してくださり、過去のすべてのことを悔いて、お父様の前に聖別された一つの基準を立てることのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.10.11)


34


愛するお父様!
私達の心は千態万象ですが、私達の生活の中にお父様の性稟が現れるようにしてくださり、お父様が動じれば私達も動じることができ、お父様が静ずれば私達も静ずることができる、義の実体となるよう許諾してください。


軟弱な私達がお父様の前にひざまずき、天性に向かっていることをお父様がご存じであられるので、たとえ私達の体が俗なるところに捕らわれ、永遠であられるお父様の恩賜を遮っているとしても、私達の体が、世俗的なすべてのものを屈伏させ、あなたの形状を私達の心と体を通して表すよう許諾してくださり、またそのような摂理のみ旨と、摂理の恩賜と摂理の愛が、私達に連なっていることを心で感じ体で感知することができますよう、お父様、役事してください。
私達の心は、きょうも絶対的な善に向かって走っていますが、体は世俗的なものを得ようと、心に対し絶え間なく反撃を加えているということを感じるものです。


そうですので、お父様、私達の心と体が、お父様のみ旨を中心として一つとなるよう許諾してください。
そうして、お父様と私達との心情のすき間を打開してくださって、サタンが運行することのできる足場を、私達の心と体から完全に除いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天は今日まで、私達の心を中心とした体を抱き締め、愛そうとされましたが、私達は今まで心情がこもったお父様の性相と形状の前に、完全な美の対象体として現れることができずにいます。


お父様の前にひざまずくしかない私達の心と体であり、罪悪に染まった心と体であり、お父様の満ち満ちた恩賜を望む、不足な立場の心と体ですので、今、心と体全体をお父様が捕まえてください。
そうして、お父様の性相の前に喜びを帰し奉り、お父様の心に呼応する一つの姿として現れることができるようにしてください。


今、私達は、お父様が六千年の間願われたその望みの基準を備え、お父様のみ前にひざまずき、お父様に栄光を帰し奉れるよう許諾してくださり、お父様が安息できるよう、あなたの性相を表してさしあげるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


人間がもっているすべての主義主張と、人間がもっている権利、このすべてのものが失われてしまうという事実を知るものです。
ですので、私達の心と体が、永遠に存在することのできる根本の立場に入り、新たに爆発する力と復活の目を私達の心に備えることができるようにしてくださり、自分自身を中心とした生活を捨て、天宙を中心とした生活として取り戻してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様の心を私達の心として、お父様の心情を私達の心情として体恤できる私達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
すべてのことをお任せしましたので、み意のままにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.3.9)

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父の祈り(信仰の祈り)5ー1

2023年02月11日 18時56分50秒 | 学習

1

お父様!
愛する弟子たちを残しておき、十字架の峠を越えて永遠なる世界へ行かなければならないイエス様の心情を分からせてくださり、三年間、喜怒哀楽を共にしながらついてきた愛する弟子たちを、あなたのひざの前に集めておき、案じられ、懇切に請われたイエス・キリストの心情を体恤することができるよう許諾してください。


心で酌み取り、体で体恤し、それに応えることのできる心が天に染みわたり、地上の人間を動かし、その心が動けば共に動き、一つのみ旨に対して謙遜なる祭物として捧げられる愛する子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


苦海のような環境で従ってきた数多くの群れはみな離れ、十二使徒だけ残りましたが、その中にも間もなく自分合裏切るユダがいるということを感じていたイエス・キリストの心情を、私たちが体恤できるよう許諾してください。
人を信じて役事した三年公生涯の路程が、このように寂しい環境で残るようになった時のイエス・キリストの心情を、今日、私たちが体と心で体恤できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
十字架の死の道を前にして、天と一問一答されたイエス・キリストの切ない心情を、今日、私たちが体恤するようにしてくださいまして、お父様の前にひれ伏した生きた祭物として、その心に慰めの対象になり得る子女たちとして立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.5.23)



2


愛するお父様!
イエス様はご自分を信じてくれないイスラエル民族に対し、パリサイ人とユダヤ人達に対し、悔い改めることを何度願われたでしょうか?


追われ追い回され、安らかに眠ることができなかったイエス様の路程が私達の心と体に染み通り、イエス様の心情を感じまいとしても感じずにはおれず、その心情に似まいとしても似ずにはおれない私達となるよう許諾してください。
また、そのような心が私達の中に現れなければならないのが、お父様の願われるみ旨であり、また私達が望む願いではないでしょうか?


今、イエス・キリストが歩んだその路程を、イエス・キリストが残して逝かれたその福音のみ言を身代わりして背負い、億千万のサタンと闘って、勝利の栄光をお父様の前に帰し奉るべき責任が私達にあるということを、感じるよう許諾してください。


天を信じ集まった全体の群れに対し、堂々と立たれたイエス様の凛々しい態度のように、私達もお父様の生命のみ言、真理のみ言を信じ、堂々と立つことのできる態度を備えた子女達となるよう許諾してください。


今日の私達自身を、イエス様の前に誇ったり、今日の私達の事情をお父様の前にさらけ出したりしないようにしてください。
イエス様と同じ立場を取ることができ、お父様の心を身代わりすることができるようお導きください。イエス・キリストのみ旨を身代わりし、万民の前に、いつどの時間にもためらわず現れるのを願うことがお父様の望みであられるなら、お父様、一つ一つ尋ねてくださり、一つ一つ命令してください。
お父様のみ旨を成すために、イエス・キリストを身代わりして闘い行くことができ、お父様のみ旨の前に動じ静ずる聖徒達となるよう導いてくださいますことを、わがお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達、お父様のみ旨を万民の前に堂々と叫びますので、お父様、天の勇士として立ててくださり、お父様の子女として立ててください。
命令してくださり、勧告してくださり、尋ねてくださり、誇ることのできる立場に立ててください。
愛してくださり、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.5.27)


3


復帰の生命を天宙的に因縁づけるため、天倫の法度を立てられ摂理してこられたお父様の苦労の歴史を、私達は心で感じるものです。
お父様、あなたが「生」の価値を立てるため、六千年間苦労してこられたことを切実に悟る私達となるよう導いてください。


個体から全体に至るまで、関係を結ばない宗教は、神様が干渉できないというのが天法であることを知ったので、今、私達がイエス・キリストの望む人生を生きるよう許諾してくださり、イエス・キリストの愛の価値が分かるよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


イエス・キリストがお持ちになった覚悟を、私達も持たなければならないということを知ったので、私達の個体の人生の価値を探すことのできる戦場で、サタンの侵犯を退け、勝利できるよう共にいてください。


イエス・キリストが残された「生」の価値の復帰路程を、私達が身代わりしていくにおいて、サタンの讒訴があるということを知ったので、私達個人の生涯から世界、宇宙の「生」にまで、伸びていく路程において、サタンの讒訴を受ける私達とならないよう導いてください。


堂々とサタンの讒訴を一日の生活で防ぎ止め、歴史的な面で防ぎ止めようという覚悟を持ち、その責任を完遂できるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達が永遠なる生命の価値を持った世界的な「生」を成すためには、地上で万物を主管されたイエス様の完全なる人格に似なければならないことを知っていますので、愛するお父様、キリストの人格に似ることができるよう導いてください。
また、私達は誰に限らず、実際に闘いの路程を歩むべき立場に置かれているので、お父様、社会生活や人格的な面で、あるいは愛の面において、サタンの讒訴を受けないよう導いてください。


永遠なるお父様の愛が成されることを懇切に望んでいた、キリストの愛を実現させることができるよう、共にいてください。
キリストが立てられた生命的な価値を私達が備え、その価値をこの地で実現させられるよう主管してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.1.6)


4


お父様!
私達は、現在の自分の足らなさを案じて、泣くことのできる者にももちろんならなければなりませんが、まずイエス様が志される結実を案じて泣くことのできる息子・娘となるよう、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
私達自体の不完全さを案じて泣く者とならなければならないと同時に、神様のみ旨が成されず、悪なる世の中となってイエス様に対してわめきたて非難するサタンの籠絡を見て、涙することができ、懺悔することができる私達となるよう許諾してください。


イエス様が、彼の生涯路程でいつも神様が眺められる視線を感じながら、蕩減復帰の路程を完結するため、亡くなられる瞬間まで復帰の祭物として自らをお捧げになったように、私達も、いつイエス様が私達を尋ねてこられるとしても、私達を眺められる視線と尋ねてこられたその歩みを忘れないよう許諾してください。
今まで私達が、イエス様の視線と歩みを排斥した時が、到底口では言い切れないほど多かったことを悟らせてください。


お父様!
私達が一度ならず二度、三度裏切るとしても、変わりなく私達人間達を尋ねてこられたイエス様の心情を、どれほど慰めてさしあげ、どれほど天の前に涙を流したかということを、悔い改める私達となるよう許諾してください。


お父様!
寂しいあなたの息子・娘達、世界的な審判の時が遠くなく、宇宙的なゴルゴタの園が私達の目前に近づいているということを知っていますので、私達が自分を中心とした信仰路程を歩まないよう導いてください。


私達の生命は私達のものではなく、私達の生活する生涯も私達のものではなく、私達の望む願いも私達のものではありませんので、私達のために生きる生涯とならないように導いてくださり、私達の能力と私達の要求と私達の欲望、このすべてのものを自分のために持たないよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


私達がイエス様を身代わりして十字架の死の道に行くとしても、結局イエス様の変わりなき信仰を、(私達が)知りペテロが心で嘆息し、神様を信奉する同志として、イエス様が十字架を背負って行かれるのを見て涙したように、ゴルゴタの審判の日が来る前に私達がイエス様の前に悔い改めの涙を流すことができ、宇宙的な悔い改めを引き継ぎ、お父様の前に泣くことができ、自分の過ちを吐露することのできる息子・娘達となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達がイエス様の歩みを身代わりして歩みますので、お父様が私達にこの地の哀れな人達を救うことのできる使命をお任せくださり、残されたゴルゴタの道を私達が歩むよう許諾してください。
そうして、私達が世界至る所のサタンを打ち破って勝利の栄光の土台を築き、私達が死ぬまでに、復活されたイエス様に侍ることができるよう導いてくださいますことを、懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.2.10)


5

お父様!
人間の先祖の堕落によって遠くなったあなたとの距離を縮めるために、永遠なる善の主管者として、また永遠なる理想の主管者としてイエス・キリストをこの地に送られましたが、お父様を身代わりして実体で来られたイエス様を主として侍ることができなかった人間達を受け入れてください。


イエス様を悲しませてしまったことは、先祖達の足らなさによってなされたことであるのを知っていますし、今日私達が足らず、いまだにイエス様の悲しみが残っているということを知るものです。
ですので、善なる牧者の偉業を相続し、万物万象の前に堂々と立つことを願う、お父様の望みを果たしてさしあげられる私達となるよう許諾してくださり、イエス様の望みを果たしてさしあげられるよう許諾してくださり、お父様の生命とお父様の愛とイエス様の生命とイエス様の愛を持って現れることのできる私達となるよう許諾してください。
そのような私達になれないとするなら、善なる牧者として来られたイエス・キリストの悲しい事情を今後、人間世界で永遠に解いてさしあげられないということを悟るようになりましたので、私達の心の門を開いてくださり、私達に向かって叫んでいる善なる牧者の声を聞くことができるよう導いてください。


悲しいお父様の事情を知り、寂しい事情を知り、ご苦労されるお父様の事情を知りましたので、身の置き所がありません。
お父様、どうか私達の悲しみと寂しさを、苦労と苦痛を、イエス様に押しつけるために伏して哀願する、悲惨な者達とならないように導いてください。


私達は今、サタンのすべての秘密とお父様の内的事情とイエス様の内的心情まで知って、お父様のその事情を受け取り、イエス様の悲しみと寂しさと苦痛と不自由さを受け取って、億万サタンと闘うことができるよう力を下さいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達の事情を案じられ、物思いに沈み働かれるイエス様の姿を、私達が眺められるようにしてくださり、イエス様は今日も私達の哀切なる事情によって、十字架に掛かる苦痛を感じておられる主であるということを、私達が悟るよう許諾してください。


私達が天に対して悲しみ天に対して嘆き、天に対して寂しい立場となるとき、これを慰めるために、イエス様はより大きな寂しさとより大きな悲しみとより大きな苦痛を感じられるということを、知らずにいた私達です。


今、イエス様の苦痛よりも「私」の苦痛が大きく、イエス様の悲しみよりも「私」の悲しみが大きく、イエス様の困難よりも「私」の困難が大きくとも、むしろイエス様の悲しみを除去してさしあげるために哀願し、案ずることのできる真の息子・娘の姿となり得るようお助けください。
そうして、善なる牧者の後に従い、善なる牧者の身に染み渡った心情を慰めることのできる私達の姿となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


見えないサタンが私達の生活の中に直接的に侵犯し、患難と恐怖を呼び起こすとしても、これに敵して、黙々と闘い勝利することのできるイエス様の代身使命者達となるようにしてくださり、イエス様の使命を身代わりして続いて行くことのできる息子・娘として、私達を新しく立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.3.31)


6

アダム以降、四千年間苦労してこられたお父様が送られたエス・キリストは、涙と汗と血の結実として、お父様の実体として、お父様の涙を身代わりし、汗を身代わりし、血を身代わりすべき使命と、お父様の恨みを解いてさしあげるべき使命を帯びてこられたことを私達は知るものです。
そのようなキリストが天を身代わりして涙の道を歩み、万民を身代わりして休む間もない苦労の道を歩み、汗を流す公生涯路程を歩んだことを考えるときに、お父様、私達がそのようなキリストに対することができる姿となっているかを、心から反省するこの時間となるよう許諾してください。


そして、四千年間苦労してこられた数多くの先知先烈達の血の祭壇を連ねて、その実体で尋ねてこられて、血を流しながら行かれたその姿をたどり見ることができる私達となれるようお導きください。


イエス様が十字架を背負い、ゴルゴタの山頂に向かって登っていかれるとき、遠くで彼を眺めながら哀悼する弱い女性達を見て、「エルサレムの娘達よ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供達のために泣くがよい*」と語られた(*ルカ二三・二八)
懇切なるキリストの心情を、今日この時間、私達が体恤できるよう許諾してください。


十字架の正しい意味を知ることができない者は、十字架の救いを受けることができず、十字架に向かうときのイエス様の心情を体恤できない者は、真理の場に立つことができないということを知っていますので、お父様、この時間集まった息子・娘達を哀れにお思いください。


私達が、お父様に捧げる物がないとしても、ゲッセマネの園の寂しいキリストの姿を心の中に刻みつけ、侵犯してくる怨讐達を迎えて闘う、善の警備軍となれるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様がゲッセマネの園で叫んだその最後の訴えを、私達が今日、荒れ地のようなこの世に向かって叫びながら、世界的なゴルゴタ山頂を越えるべき時が来たことを知っていますので、キリストを遠ざけ自分のために生きる息子・娘とならないよう導いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
イエス・キリストの心情を身代わりして、困難がある時に自分がまずその困難に責任を持ち、悲しいことがある時にも自分がまずその悲しみに責任を持ち、自分が苦痛にぶつかり倒れようとも、天が願われるみ旨なら、これを喜んで甘受しながら闘い行くことのできる者達となるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.6.30)


7

愛するお父様!
お父様が静ずれば私達も静じ、お父様が動ずれば私達も動じ、ただ一つの心、一つの志となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様が当時、不信の地に対して案じられながら、神様の切ない心情を慰労されながら、やるせなかったその心情を感じるよう許諾してください。
そうして、私達の心がただこの時間にとどまらす、お父様の心情と歴史的なイエス様の心情と連なり、動ずることができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


やるせないお父様の心情を、私達の心に感じるよう許諾してくださり、人類をお救いになるため、切なかったイエス・キリストの心情を、私達が体恤するよう許諾してくださり、心の中に残っている闇のすべての罪悪を清算するよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


いつも私達の前には、お父様の恩賜を遮ろうとするサタンの役事があることを知っていますので、いつどのような立場でお父様の恩賜が臨むようになるのかを悟ることによって、サタンの侵犯を逃れ、お父様の永遠なる愛の懐に抱かれ得る私達となることができますよう、お父様、許諾してください。
六千年間摂理してこられながら、愚かで足らない私達をお捨てにならず、尋ねてくださった哀れみのみ手を感じられるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.1.12)


8

愛するお父様!
私達は、到底言い表すことができない悲劇を、悲しみを残した歴史の事実を知っていますし、エデンの園を眺めながら喜ばれたお父様の心情が、アダムとエバの堕落によって悲しみの心情と化し、それが六千年という長い長い歳月を通じ、歴史的な悲しみとなったということを私達は知っています。
また、私達が心と体を尽くし、お父様の案じられる心情をつかみ、失われたエデンの園を回復してさしあげるべき歴史的な責任を背負っていることも知っています。


お父様!
失われたアダムとエバを再び捜し出すために、お父様が四千年間苦労した果てに、アダムの形状を備えてこの地に送られた方がイエス様であったということを私達は知っています。
イエス様が誕生する時までのお父様の苦労が大きければ大きいほど、その苦労によって誕生されたイエス様の姿は、天の自慢の種にならなければならす、被造万物と人間の誇りとならなければならない姿でした。
そのような事実を天は知っていましたが、地は無知で知らず、天はこれを歓迎しましたが、地は知らずに歓迎できなかったことを、今日、私達が恥すかしく思わないわけにはいきません。


苦労されたお父様の望みの視線が、飼い葉桶に横たわったイエス様の哀れな姿にとどまらなければならなかったこの物悲しい事実を、私達が回想しながら、先祖達が不信し、先祖達が不忠であったことを痛切に感じるものです。
アダムとエバの堕落の過ちを、人類達が再びその場で表したというこのような事実を知っていますので、今日私達は歴史的な物悲しい事実を心で感じ、ひどく悲しむしかないものです。


昔、お父様を慰労してさしあげられなかったそのイスラエル民族、選ばれた選民を身代わりして、私達がお父様の悲しみを慰労してさしあげられるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


イエス様が来られ逝かれてから、いつの間にか二千年が経過しましたが、心情の世界は時間を超越することを知るものです。
歴史を超越しておられるお父様、悲しい心情を抱かれ、天の城に行かれたイエス・キリストの心情を抱き、この時間慰労してさしあげられる私達となるよう許諾してください。


イエス様が来られ逝かれた以後の二千年の悲しみを、きょうこの時まで天と地に残された染み渡った恨みを私達が知り、イエス様が誕生されたその当時の姿を、私達が心で仰ぐことのできるこのひと時となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうその日を記念するこのひと時を、お父様、祝福してくださり、イエス様が願われたその喜びの栄光を表してくださり、二千年前に来て逝かれたイエス様の悲しまれたことが、このひと日によって解怨されるよう許諾してください。
すべての内的心情を知っている私達が、この日を記念しようと思いますので、人間達が知ることができずに残されたすべての過去の悲しみが、このひと時によって蕩減を受けられるよう許諾してくださり、私達がお父様の前に立つことができるよう許諾してくださり、イエス様が喜ばれ、お父様の慰めを受けられますことを懇切にお願い申し上げます。


私達が心を束ね、お父様にお捧げすることが歴史的な解怨の祭物となるよう許諾してくださり、残された天宙の恨みを私達によって解怨することをもって、幸福の起源を尋ねることができる聖なる時間となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.1.3)


9

お父様!
地上のすべての人々はこの日を知ることができず、胸にこびりついた天の悲しみを悟ることができず、限りなく悲しいあなたの心情はもっともっと分からないのです。
その日の嘆かわしい事実を知らない私達に、お父様、この日を許諾してくださり、万民が理解できないこのひと日を、キリストの誕生日として祝うことのできる栄光の恩賜を許諾してくださったことを感謝せざるを得ないものです。


今、この日を祝うことが、二千年間悲しまれたイエス様の心情を慰労することのできる契機となるよう許諾してください。
悲しい立場で誕生し、三十余年の生涯を捧げ、ゴルゴタの道を意に介されず行かれたキリストを回想しながら、彼の戦跡を遺業として受けることのできるこの時間となるよう許諾してください。
その方が生前お残しになった遺業を、私達の使命として引き継ぐことのできるこの時間とならなければならないということを私達が知っています。


お父様!
イエス様が残された恨みが地上にまだ残っているということを、この地上にいる人間達が知らずにいます。今、ここに集まったあなたの息子・娘達、その体と心があなたの心情に捕らわれるよう許諾してくださり、こもったイエス様の心情を知り、死の境地に陥ったイエス様の心情を悟り、慰労してさしあげるよう許諾してください。


貴重なこの日、私達が新しいみ旨をあがめるとしても、一つの条件を立て、お父様の前に勝利の標的を残さなければならない重要な日ですので、この日を記憶してください。
喜びをもって顕現なさることを懇切にお願いし、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.3)


10


お父様!
愛する弟子達を前に置いて、遠からず地上での生涯を終結し、お父様の国へ行くことを語らなければならなかった、イエス様の物悲しい心を洞察することのできる私達となるよう許諾してください。


時間的に見るなら、イエス様と私達の間には二千年という間隔がありますが、心情の世界では時間を超越することができることを知っていますので、きょうもイエス様の悄然とした姿と物悲しい心情に涙ぐみ、一言一言懇々と戒められた聖なる姿を眺めることのできる、直接的な体恤の役事を呼び起こしてください。
このような場面は、人間たる私達として慕わざるを得ない場面です。


この地上の誰がイエス様の心を知ったでしょうか?
物思いに沈んだその姿を見て、心深く染み渡ってくる天の悲しみを体恤した人がー人もいませんでしたので、天はこのような人間達を置いて嘆息するしかなかったことを知るものです。
天の心情を知って「主よ!」と呼ぶ弟子の一人も持てなかったイエス様が、疑心で点綴(一つひとつをつづり合わせる意)された生涯路程を行かなければならず、また疑われ、その物悲しい生涯の終末を迎えなければならなかった悲しみを、この時間私達が心で同情できるようにしてください。


イエス様が懇切なる天の心情を抱き、天のすべての遺業を抱き、人間を尋ねてこられましたが、人間達はそのようなイエス様に自分勝手に対応し、排斥し放題に排斥したものです。
寂しい立場に追い込み放題に追い込んだものです。
しかし、悲しみに沈み嘆息の立場を余すところなく経てこられながらも、イエス様はそのような人間達をお捨てになることができず、生命の圏に向かう一つの道を開拓なさるために、彼らを引っ張りゲッセマネの園に向かわなければならないということと、ゴルゴタの十字架の道を行かなければならないということを思われるイエス様の悲惨なる心の前に、頼もしい弟子一人いなかったやるせない心情を、私達が分かるようにしてください。


きょう私達がこのような事実を考えながら、天上に対することができ、孤児のような立場であったイエス様の心情を持って「お父様!」と訴えることができ、その時に心情と通じることができるようにしてください。
この者達をして、心を開き、信じることのできる弟子達となるようにしてくださり、イエス様を証すことのできる存在となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様の悲しみがどれほど大きかったかということを知ることのできなかった弟子達、このような弟子達を残しておいて一生涯を終結すべき立場にあったイエス様の心情、生涯のすべてを人間のために生きたにもかかわらず、その生涯の結実をみることができず、懇切な心情に沈んで天を案じられたイエス様の心に、私達が同情できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.11)



11


お父様!
時が近づけば近づくほど、復活の主に出会うのをためらう心がわき出てきます。
時が近づけば近づくほど、死の悲しい因縁を抱かれたイエス・キリストの姿が連想されるようにしてください。


刑具に掛けられ亡くなられた彼は、恨みを抱いて逝かれた方であったことを知りました。
彼が徘徊されたゴルゴタの山頂は、因縁の涙の峠であることを知りました。
彼が流された血と汗は、今日まで因縁の歴史に生き残り、人類の一人ひとりの心中に復活し、入っていくことを知りました。
このすべてのものが、因縁の歴史的な摂理のみ旨の中で流された血と汗があったがゆえに、その因縁が存在する間、その血と汗によってすべてのものが動いていくことを知っています。
今日、そのような心情に徹する私達、そのような境地にいる私達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このように行かれた主、新郎であられる主は、因縁の歴史を経て再び訪ねてあげようとおっしゃいました。
主が自分の心、体を傾け、私達を訪ね立てようとする心情が懇切であられることを知っていますので、私達自身を備え、万民の前に装った姿を誇りたい心が懇切でありますよう許諾してください。


その道を行こうとしても、悪なる世の中であり、主が行かれたその道が残っているので、耐えに耐え、また耐えて、民族の残った峠を歩まなければならず、世界の残った峠を歩まなければなりません。
今、地に残された十字架の峠を越えることのできる殉教の歴史を耐えることによって、持ちこたえなければならないことを私達は初めて知りました。


今、新しい心で因縁を感じ、新しい心で待ち望み、新しい心で耐えながら、お父様につかまり痛哭することのできるその日まで進むことのできる私達となるようにしてくださり、積もった悲しみの因縁を越えることのできる私達となるよう許諾してください。
喜びの因縁を誇ることのできるその時間まで、耐えて残され、死亡の権限を押さえ、復活の栄光を歌うことのできる息子・娘達とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.29)



12


お父様!
三十余年間、荒野でいなごとはちみつを食べて修道した、洗礼ヨハネが抱いた願いは何であったでしょうか?
彼の願いのすべては、来られるメシヤを迎えることであったことを知っています。


メシヤを証した彼は、メシヤと一つにならなければならない天倫の因縁でございましたが、彼が私の心にあり、私が彼の中にあって、彼のものは私のものであり、彼の心情が私の心情であり、彼の生涯が私の生涯だという、すなわちイエス様のすべてのものが洗礼ヨハネの心中に反映され、一体をなさなければならなかったのですが、彼はそのようにはできませんでした。


ヨルダン川の多くの群れの前で手を挙げ、天の息子だと証した記憶を持っていた洗礼ヨハネは、悲しく寂しい姿で獄に閉じ込められ、自分の物悲しい身の上を嘆息せずにはおれない立場で、自分が証したメシヤ、天が証し立ててくださったメシヤに弟子達を送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。
それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか*」と(*マタイ一一・三)聞き返した場面は、歴史的な悲しい場面であり、天が越え難い悲しい場面であったことを私達は知りました。


歴史の流れの中に、洗礼ヨハネの路程はそのまま残っています。
新しい理念を見つけるためにあえいでいる私達、新しい歴史を待ち望みながら準備するという私達が、今、洗礼ヨハネを自分と交換して考えることのできる者達となるよう許諾してください。


天の民が天のみ旨を排斥した事実を、歴史を通して知りましたので、今日私達がそのような歴史的な二の舞いを再び踏む私達とならないよう主管してくださり、荒野で装わせ準備をさせられた、そのみ旨を失う者達とならないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょう私達の体と心が、お父様の前に面目ないことを悟るよう許諾してください。
お父様の勧告なさるみ言を聞くことができ、イエス・キリストの悲しい心情を引き継ぐことができるようにしてくださり、天的な悲しい心情を抱き、人間達が知ることのできない新しい理念の主人公を迎えることのできる心と体となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この時代を守りいく主人公は誰であり、この時代に残ることのできる民族はどのような民族であるかを案じ、そのような姿を慕いながら悲しい心情に徹することのできるこのひと時となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
聞こえてくるみ言と聞こえてくる声に耳を傾け、そこに同調し反応する生活をする私達、今、私達が歩んできた道を振り返り、新しく目覚めるべき時が来ました。


混乱と混沌の中に置かれ、生死を決めるべき立場にある自分自身を案じる立場から、私達が抜けられるようにしてください。
信じることのできない社会であり、信じることのできない世界であることを知り、信じることのできる理念の世界に浸り、その理念の世界と因縁を結ぶことができるよう自ら目覚め、自我を認識し天をつかむべき時となり、心の変革を起こさなければならない時になったということを知っています。


このような環境に置かれている自分であることを肝に銘じ、新しい「私」を追求することができるよう導いてください。
恨みの染み渡った悲しみの峠を越えに越えて、歓喜の姿を迎えることのできる私達とならせてくださり、その姿を慕い、その世界に引かれ、その世界と和することができるようにしてください。
今日この社会環境が自由であり得ず、悲しみが染み渡っていることを悲痛に感じて、これを遮って闘うことのできる力を、勇猛さをお与えください。
永遠であられ絶対的なる天がおられるなら、罪悪の一切を押し出すことのできる能力を加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.12)



13


お父様!
二千年前のイエス様の聖なる姿が慕われます。
み言をお伝えになったイエス様の前には、索漠たる世の中が置かれていて、自分を主とし、自分を高くしようとする群れがいましたが、そのような群れを眺められたイエス様の視線に、限りなく悲しい心情が流れていたことを知るものです。


ユダヤ教団は教派同士で闘い、信徒達は信徒達同士で争う実情を眺めておられたイエス様!自分の粗は隠し、人の粗を探して、自分を主張するためにあえいでいたその時の時代相を私達が回顧するとき、やはり世の中と時代に責任を持って来られたイエス様の心が、無限に悲しかったことを知るものです。


それでも、「求めよ、そうすれば、与えられるだろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう*」と叫ばれた(*マタイ七・七)イエス様の心情が推し量られます。
求め、捜し、たたくべき者達は民族であり、教団であり、個人でしたが、求めるべき者達が求めようとせず、捜すべき者達が捜そうとせず、たたくべき者達がたたこうとしないのを眺められるイエス様は、人間を身代わりして求めなければならない立場におられ、人間を身代わりして捜さなければならない立場におられ、人間を身代わりしてたたかなければならない立場におられたので、お父様、悲しいのはこのことでした。


人間が訪ねてくれるのを待ち望んで送ったメシヤが、むしろ訪ねるべき立場におられ、人間達が侍ってくれるのを望みながら、天は長い歴史路程を準備したのに、人間達から侍られない立場におられたイエス様の物悲しい心情を、私達がこの時間感じるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様は地の人間に対するとき、涙して嘆くしかない事情でしたが、むしろお父様が祝福してくださることのできる地となることを待ち望まれました。
イエス様のその聖なる姿が、きょう私達の目前に顕現するよう役事してくださり、私達が彼の命じられる声を聞き、黙々とその内心に流れる天的な心情を思慕し、体恤して、涙しながら敬拝を捧げることのできる群れとならせてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達はお父様に向かって手を挙げ裸同然の姿で現れましたので、哀れにお思いください。
私達の心には、お父様しかいないよう許諾してくださり、私達の望みと私達の欲望と私達の一切の要求条件は、お父様のこと以外にはないよう許諾してください。
無限なるお父様の心情に染み渡ったその心をつかんで生き、その心を体恤しながら生き、その心と共に闘いながら生きることのできる息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.26)




14


侍ちに待った望みのひと日を迎えるために摂理してこられたお父様、不信した人間達をお捨てになることができず、数多くの寂しい群れを抱かれるために、イスラエル選民を祝福しておき、歴史を導いてきて、約束していた一存在を送られたその日は、お父様の栄光が天に染み渡らなければならず、万民の歓喜の心情をもって天上にも地上にも喜びが充満しなければならなかったのに、四千年の悲しみがイエス様お一人に対して加えられたという歴史的な恨めしく悔しい事実を、お父様、私達は知っています。


馬屋で誕生して生きられた三十余年の生涯は、それほどまでに悲惨であり、それほどまでに寂しく、それほどまでに頼る所もありませんでした。地上にそれほどまでに信じる者がいなかったイエス様、地上で自分の胸襟を開いて、その懇切なる心情を伝えることができないまま、恨みの主人公として逝かれたイエス様であったということを、今日私達は知っています。


勧告すべき天的なみ言が残っていましたが、受けるべき人間が信じることができないことにより、そのみ言をすべて語れず、抱き逝かれた悲しみ、二千年前のイエス様の悲しみを知らずにいる万民をお許しください。
それでも、天に従った弟子達を集めて勧告なさり、期待されたみ言と祈祷を私達は聞きました。
あなたの因縁と天の因縁が相合うその瞬間、天の喜びが現れなければならず、ひいては地上に新しい国が建設されなければならなかったのに、その瞬間喜びは消え去り、嘆息と悲しみが始まり、恨みの十字架の道が生じた歴史的な恨めしく悔しい事実を知っています。


私達の先祖達は天の前に負債を負い、私達も天の前に宇宙的な負債を負っているのに、それを蕩減しようとせず、自分の安逸のためにあえぐ群れとなったことを受け入れてくださいますよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
悲惨なる心情を体恤し、地を案じ、天を案ずる心を持った息子・娘達が、この地上にどれほどいますでしょうか?
お父様、とても珍しく貴重であるということを知っています。
哀れな万民を救われるため、数多くの苦労も意に介することなく、寂しい私達に勧告なさるために月日を経てこられたお父様、私達の前に新しい約束をお立てください。
この者達に新しい約束と、新しい時代の使命を任せようとなさる天的なみ旨があるとするなら、お父様、役事してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.5.17)


15


今日私達は、歴史上に来て逝かれたイエス様を知り、信じていますが、その当時イスラエル民族に追い回された悲惨なるイエス様、この村で追われればあの村へ、この都で追われればあの都へと彷徨したイエス様の心情を知って、信じる者はいませんでした。
天の心情を身代わりして現れたイエス様の姿を知る者は、歴史上で見いだすことができませんでした。


メシヤを待ち望んだイスラエル民族が、メシヤを迎える望みを抱き、数千年間耐えながら闘ってきて、メシヤはいつこられるのかと言いながら待ち望んできましたが、いざその望みの的が現れた時には、自分達の事情と自分達の置かれた環境に偏ったあまり、天の心情を知らないまま深い眠りに陥っていたことを、私達は思い起こさずにはおれません。
このように嘆かわしい歴史があったことを思い起こし、きょう私達に、お父様の心の中に染み渡っている恨みを解いてさしあげるべき責任があるとするなら、来られたイエス様を見間違えたイスラエルの罪状を、私達が身代わりして担当し、解いてさしあげられるようにしてください。
イエスを悲しませたイスラエルの失敗に責任を持ち、身代わりして悔い改めることのできる私達となるよう許諾してください。


イエス様は悲しい三十余年の生涯をお送りになられました。
その上に自分のすべてのものを捧げた三年公生涯がありましたが、誰が彼の心情を知り、誰が彼の事情を知っていたでしょうか?
一人もいませんでした。
甚だしくは、喜怒哀楽を共にし、悲しい時、共に悲しみ、寂しい時、共に寂しがり、師と侍っていた弟子達も知りませんでした。
師が死の道を行くことを案じ、懇切なる心情で天をつかみ訴えるべき弟子達が、かえってイエス様が誰であるかと言って問い返す立場にあったので、三年の公事が無駄であったことを感じられたイエス様の心情、悲しみがあるとするならこれ以上の悲しみがどこにあり、悔しいことがあるとするならこれ以上悔しいことがどこにあるでしょうか?


権能をお使いになったイエス様をあがめ侍ることのできるクリスチャンはいますが、踏まれ押しつけられたイエス様のその足跡をつかんで生きようとするクリスチャンはいません。
お父様、かわいそうなイエス様の心情をつかんで立ち上がることができる息子・娘達が、この万民の中にたくさん現れることを私達は血涙で訴えないわけにはいきません。


生きておられ、歴史の背後を操られるお父様!私達に、ほのかに行く所を教えてくださることを知るものです。
お父様、
過去のイエス様を慕う私達とならないようにしてくださり、時代的なイエス様を証すためにあえぐことのできる私達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達、お父様の前に行かなければならなかったイエス様の心情に同情し、その心情の前に頭を下げられるようにしてくださり、イエス様が喜ばれ、願われた何かがあるとするなら、それを成し遂げてさしあげることのできる私達となるよう許諾してください。
二千年前、人類の生命問題を解決しなければならなかったイエス様の心情に徹することができ、彼の心情と関係を結べる息子・娘となるよう、お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.19)


16


選民の権限を誇り、選ばれた民であることを誇りながら、祝福圏内に生きたイスラエルはどこに行ったのかと嘆息なさるお父様の悲しい涙が、この地に残っているということを私達は知っています。


お父様が四千年の間、歴史的な悲しさに耐えながら、選んだイスラエル民族をつかんでこられたのは、メシヤお一人をお送りになるためであったにもかかわらず、彼らはメシヤをほうっておき、サタンの懐に抱かれたがゆえに、それを見つめておられたお父様の悲しさは、その時だけの悲しさではなく、億千万年歴史の悲しさとして残されたという事実を知るものです。


当時、選ばれたイスラエル民族はこのような事実を知ることができなかったということを私達が回想するとき、きょう体をかがめ、心を整理して歴史的な犯罪性を暴露し、その歴史的な罪悪を身代わりして悔い改めるべき責任が私達にあることを、私達は悲しく思わないわけにはいきません。


イエス様は天の物悲しい心情を抱き、倒れていく民族を訪ねてくださり、彼らをかわいそうに思い、自らの生命をも惜しまず、彼らを訪ねてくださいましたが、選ばれた民族であると自称していたイスラエル民族は、天がお送りになったメシヤと準備された洗礼ヨハネを、自分達の勝手に扱い、歴史的な悲しみの陰に隠してしまったという事実を、今日、私達は知っています。


きょう、ここに集ったあなたの息子・娘達をして、その時のイスラエルの人々が私達よりも劣っていて天に背反したのでなく、天のために生きる心情が私達よりも劣っていて天を忘れてしまったのではなかったことを知るよう許諾してください。


新しい時代に対する希望が足らず、新しいメシヤの理念を持ってこられる主の姿が大きいだろうと思っていたのに、いざ現れたメシヤが、あまりにも悄然としてかわいそうで、小さな姿であったがゆえに、彼らが排斥したのだという事実が分かるよう許諾してください。


今、私達自体がどのような立場に置かれているかを察するよう許諾してくださり、今日、私達はよく歴史的なイスラエル民族を誹謗し、当時の事情を批判することがありますが、その時の事情や今日の事情に差がないことを知るようにしてください。


私達がその時にいたなら、彼らと同じ群れであったことでしょうし、私達がその時代にいたなら、彼らと同じ立場にいたであろうことを自認する心を持つようにしてくださり、そのような歴史的な罪の痕跡をもっている自らだということと、サタンの魔の手が私達の体をにらんでいるということを知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.22)


17

今日、私達の生涯路程は悲惨なる路程であり、生活環境は複雑で、私達は善と悪を分別できない混沌状態で生きています。
このような地に一つの生命の道を開拓してくださるために、天は骨折られ、人類の前に一つの真なる人の姿と、真なる理念と天宙の真の姿を紹介するために、数多くの先知者達がこの地上に来ては逝ったのを知っています。


その中でも万民のメシヤとしてこの地上に現れ、十字架上でわらくずのように消えながらも、万民のために福を祈ることのできたイエス・キリストの尊厳なる人格と彼から流れ出たその心情、染み通った彼の理念を慕うべき時が来ました。


自分を軽視すべきこの時であるにもかかわらず、自分を高くし、万物万象を蔑視し、天を蔑視した罪深き自分であったことを受け入れてくださいますよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が真なる心、真なる善に向かい動こうとするなら、天地の前に負債を負った者であり、人類歴史路程で、言うに言えない険悪なる痛手を負った罪悪の氏族であることを悟らせてください。
今、私達にはお父様を尋ね、捜し歩くことのできる心、本然の自我を尋ね、捜し歩くことのできる忠節、それだけが必要ですので、お父様、それを備えるよう許諾してください。


イエス様が生きてきた生涯路程が悲惨なる涙の道であったことを、私達は否認することができませんし、経てきた歴史のひとこまひとこまも、血のにじんだ血みどろの闘いで綴られたことを、私達は知っております。
そうして私達は、歴史的な何かを解明することができず、時代的に誇るべき何ものをも持てなかった宇宙史的な落伍者の立場であることを分からせてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


それゆえに真なる指導者、真なる生命と真なる心情を持った指導者が必要であり、天が人間の前に送られた方が救い主であり、メシヤであると私達は信じています。


しかし、私達がメシヤたるその方の前に出るために、彼にふさわしい志操と忠節と心情を備えたかを、自らたどって調べるようにしてください。
天はメシヤを迎えるにおいて、人間が最高の情熱と最高の忠誠と最高の真心を、すべて傾けるのを待ち望まれることを知っていますし、サタンを相手にしない最高の至誠と燃える心情を要求されることを知っています。
今、私達がそのような立場に達することができなくともその立場を慕う心だけでも持ってひざまずき、贖罪の恩賜を願うことのできる謙遜な幼い息子・娘達となるよう導いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.19)



18


お父様!
きょうこの時間は、イエス様と歴史的な距離のある時間です。
歴史には距離がありますが、心情の世界には距離がないということを知っています。
歴史的なイエス様を信じる私達とならず、心情を通して直接的にイエス様を知り、信じることのできる私達とならせてください。


み言を語られたイエス様の悄然とした聖なる姿を慕いながら、心で悲しみ、その前に頭を下げることができ、訴えたその時の声を聞くことのできる徹した心、懇切なる心、恐れかしこまる心が、私達の体と心にこもるよう許諾してください。


自分でも知らずに「お父様」と呼ぶことができ、知らない間に主の恍惚たる恩賜を感じて感謝を申し上げます。
送られたメシヤの聖なる姿は天上が擁護し、敬うべき存在でしたが、地上に現れ、悲惨なる道を行かれたことを悲しみ、彼の苦労を案じ、彼の悔しさを悔しく思う私達となるようにしてください。
その時の先知達が行えなかったすべてのことを、きょう私達が心情的に引き継いで、彼らを身代わりしてイエス様の慰労者となり、慰安者となるようにしてくださいまして、その方の前に望みの相対となるようにしてください。


イエス様はどれほどかわいそうな方でしょうか?
民族を眺める彼の心は嘆息せずにはおれず、教団を眺める彼の心情は痛哭しか残っていませんでした。
天倫の摂理に責任を持たなければならなかった彼の事情を、人間は知りませんでした。


事情に通じるべき人間達、心情を分かつべき教団、共に生きるべき民族を後に置き、独り夜中に山中をさまよわれた彼の心情を知る者がいませんでした。
きょう私達は、イエス様を知らずに従い、イエス様を知らずに信じる者達と同じにならないよう許諾してください。
かわいそうな彼の心情をつかみ、限りなく泣いてあげることができ、限りなく心配してあげることができ、彼のために死の立場も意に介さない私達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.10.18)


19


お父様!
二千年前に寂しく来て逝かれたイエス様の事情がどうであったかを、私達が察するようにしてください。
彼はこの地上に人間達を救うため、自分のすべてを祭物として捧げて倒れようとも、案ずる心をお持ちになって、その厳しい困難も甘受され、寂しい立場も喜んで行かれました。
そのようなイエス様の寂しい姿を、私達が同情するようにしてください。


イエス様は個人の目的を成し遂げるために闘われたのではなく、罪人である多くの衆生を救うと同時に、死亡圏内にあるこの世界を天の世界、すなわち光明の世界へと導こうという、天的な使命を背負って闘われたことを私達は知りました。


その当時、イエス様のすべての生活環境は、どれ一つとして喜ばしいものがありませんでした。
行く先々でも迫害があり、行く先々で憤懣やるかたないことが、前に横たわっていましたが、彼は嘆息しませんでした。落胆する立場に置かれても、決して落胆しませんでした。


望みの世界のために未来の天国のために、お父様の経綸を眺めながら、耐えてこられたそのみ旨を私達は知るものです。
ここに集まった息子・娘達、たとえ二千年という歴史的な距離はあったとしても、心情的には二千年前のイエス様の心情と通じることができ、天的な責任を背負った立場で、お父様に対することのできる息子・娘とならければなりません。


そうして、お父様の寂しい心情を抱きしめ、この地上の人類を身代わりしてお父様を慰労してさしあげ、この民族と世界人類の前に訴え、彼らをお父様と因縁づけてあげられる息子・娘とならせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.6.12)


20


お父様!
天を抱き地に対する救援摂理のみ旨を抱き、三十余年の生涯を生きられたイエス様が、自分を救い主として対してくれる人、一人を見いだせず、救い主として侍ってくれる一家族を見いだせず、救い主として従う一民族を率いることができないまま、恨めしい運命の日を迎えなければならなかった歴史的な悲しみの日が思い返されるものです。


願わない時に十字架の道を行かなければならず、時ならぬ時に使命を終結しなければならなかったイエス様でしたので、語るべきこともすべて語れず、立てた悲壮なる覚悟と決心の行使もできないままに恨みを残し、また抱いて逝かれましたが、その心情を知る者がどこにいるでしょうか?


お父様!
天を仰ぎ見るイエス様の目には、万民に対する切ない涙がたまり、死を前にした彼の悄然たるお姿は、人類を身代わりした姿であったことを、今日、私達も骨身に染みて分かることはできませんが、当時の人々の中でも、それほど凄絶なる困難にぶつかる人が、神様の息子であることを知っていた人はいませんでした。


イエス様を知って侍るべき民族が、むしろ彼に反対して死の道に追い立てるために跳梁したので、み旨を抱いてきたイエス様は、どれほどかわいそうだったでしょうか?


天の心情に通じ、イエス様の心情に通じるべき民族であるにもかかわらず、むしろイエス様が民族を案じなければならず、怨讐に引かれていくイエス様の悲しみも知らず、怨讐の手のひらの中で戯れている、死亡圏にいる民族を眺め、「アバ、父よ、彼らの罪をお許しください」と言って、祈らなければならなかったイエス様の心情を、私達がたどって感じられるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


十字架と言えば、私達は名前だけで知っていました。
イエス様が行ったゴルゴタ山頂が、イエス様にとっては地獄であり、死の刑場であったことが私達には分かりませんでした。
ですので、今から私達が十字架を考えるときには、イエス様の体が裂かれる痛みより、四千年間積もってきた神様の恨みの心情が裂かれる悲しみが、どれほど大きかったかを知るようにしてください。
イエス様が十字架上で肉を裂かれ血を流したことが悲しいのではなく、心情を絞り出さなければならなかったことがもっと悲しかったことを、知り得る私達となるようにしてください。


きょうここに集まった群れの中に、真なるあなたの息子・娘がいるでしょうか?
イエス様の流した血を無視し、天の福を受けることを願うものがいるでしょうか?
イエス様の心情に倣って、天のみ旨に対そうとする者がいるでしょうか?


泣いて、泣いて、また泣いても恨みの解けない悲しみのひと日を憶え、イエス様の死に対して、果てしもなく痛哭することのできる群れとならせてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.21)


21


お父様!
四千年間苦労して導いてこられたイスラエルの終末を眺めながら、その民族に対して祝いの言葉を語れず、かえって嘆息の言葉を語らなければならなかったイエス・キリストの心情が、どれほどもどかしく、恨めしく、悲しく、どれほど苦しかったでしょうか?


お父様!
死亡線上で身もだえしている数多くの民を眺めるイエス様の心中には、勧告しても聞かず、諭してあげても悟ろうとしない無知な群れに対して、天のもどかしさがその一身に染み渡ったということを知っています。
そのもどかしさが染み渡れば染み渡るほど、地に対し、恨みたい心も共に高まっていったことを私達は知っています。
しかし、これを抑えて耐えられたキリストの心情を知る人は、地上に誰もいませんでした。


寂しい路程を開拓するため、苦労されたキリストの聖なる姿を、兄のように、父のように侍りながら、彼と一つの心になり、彼が涙する立場にいるなら、共に涙し飢える立場にいるなら、共に飢え、ぼろをまとう立場にいるなら、共にぼろをまとい、むち打たれる立場にいるなら、共にむち打たれ、追われる立場にいるなら、共に追われる立場に立つべきでしたが、そうできなかったのが歴史的な恨みであったことを私達は知りました。


心情の世界は、歴史的な距離を超越するという事実を私達は知りました。
それゆえ私達は今、心情の根本を尋ね入り、キリストの聖なる姿を抱き締め、彼の事情に通じることのできる心情の友となって、イエス様を身代わりしてゲッセマネの園で祈ることができ、イエス様を身代わりしてカルバリ山頂に向かって走っていくことのできる、あなたの息子・娘達となるようにしてください。
そのような息子・娘であるとするなら、彼はキリストの友であり、歴史を超えて天の息子に侍った者であるということを、私達が体恤するようにしてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


イエス様はこの地上に来て、数限りなく涙を流されましたが、誰もそれを知らず、血涙の出る哀痛の心情を持って天に対して訴えましたが、それを知る者もいませんでした。
お父様、今日統一の信徒達をかわいそうな立場に追いやり、鍛えてくださったことに感謝を申し上げます。
飢えの中で団結させてくださったことに感謝を申し上げます。
お父様、ぼろをまといながらもみ旨を案じ、むち打たれながらもあなたを案ずる息子・娘となるようにしてください。


これがお父様の願いであり、このような姿を立ててこの民族の前に誇ろうとなさるのが、お父様のみ旨であることを知るものでございます。
今、そのような姿を捜し立てる使命を果たす時が来ましたので、この使命の前に私達が卑屈にならないようにしてくださり、この使命の前にためらわないようにしてください。
私達にあるすべての情熱と誠心を尽くして、あなたの前に実績を残し、あなたの心情に記憶され得る息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.7.17)


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コメント

父の祈り(復活の祈り)3ー2

2023年02月04日 14時54分12秒 | 学習

22


一つの生命がこの地に生まれ、間違いなく逝かなければならないのが、人間共通の路程であることを知っています。
人として生まれ、神様を探し求めていくとき、自ら悟っていくことのできる善を備えることができない、哀れな人々とならないようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


私達が、他人が手にすることのできない宝物を手に入れるためには、他人が経ることのない試練の過程を経なければならないことを知るものです。
涙と苦衷を経ずには、自らの基準を高められないことが、社会生活や被造世界の因縁を通し、事実であるということを私達は公認しています。


私達が神様のご心情を中心として歴史全体を代表し、天宙的な価値を代表して残され得る宝物のような位置を占め、お父様のみ前に孝行の道理をすべて果たすことをもって、歴史に輝き得る聖なる孝子の名前を有するようにしてください。


私達の胸の中には、木も草もありません。空虚な中でも特に空虚であり、空っぽの中でも特に空っぽであり、乾いている中でも特に乾いたものです。
しかし、一つだけもっているものがあります。
それは「アボジ」と呼びたい心、アボジに会いたい心、アボジに侍りたい心です。
その心だけは、天と地を与えても、取り換えられない貴いものだということを知っています。
私達が最後まで、そのすべての価値ある者になろうという心をもつよう、許諾してくださいますことを切にお願いいたします。


私達は、それが至極貴く価値あることであるということを知っていますので、そのためには、悲壮な心と血のにじむ闘争と血のにじむ努力を傾けなければならないという事実をも忘れないよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.12.11)

23


お父様!
尊厳であられるお父様のみ前に、ひれ伏し祈祷するごとに、喜んでおられるお父様のお姿でないことを思えば思うほど、心苦しく申し訳なさを禁じ得ません。
お父様、あまりに広いこの天地の中で、私達韓国の民より劣った民族はありませんが、お父様はこの民族をお選びになり、数多くの人類の中でお父様は私達を尋ねてこられました。
頑是なく振る舞っている私達を、百遍、千遍保護されながら、大事にしてくださったことを思ってみるときに、お父様はこの民族を愛してくださっているということを、私達を無条件に愛してくださっているということを、再び感じるのです。
無知で世間知らずの者達を尋ねてくださって、成し難い天地の福の理念を私達に賦与してくださり、人々が、夢にも思えない聖なる恩賜の土台の上に、無限にほとばしる心情をもって「お父様」と呼び得るひと日を迎えるようにしてくださったことに感謝申し上げ、このすべてがお父様の愛のみ手であることを感じるものです。


お父様が今まで私達をどのように育て、お父様の命令を奉ずる旗手となるようになさったかを考えるとき、また、冷たい霜が吹き寄せるその悲しく過ぎ去った日にも耐えられながら、復帰の道を立てるために行かれたあなたの道が、どのようなものであったのかを考えるときに、千万遍不肖をなした過去を、もう一度、悔やまざるを得ません。
今日まで、あなたが越えてこられた最後の勝利の基準まで、追われながらも進むことのできるこの群れを、この国、この民族の前に立ててください。


自分の体をかがめ、自ら恥ずかしさを感じながら、むち打つことのできるこの者達となるようにしてください。
あなたがとても大きなみ旨に徹してこられたという事実を、こと新しく悟るときに、私達は千万遍お父様のみ前に、感謝に感謝を、賛美に賛美を、栄光なるお父様のみ前に帰す道しかないということを、自ら感じるよう許諾してくださることを切にお願いいたします。


お父様!
私達は国のない民でした。
国を失った亡命者でした。失った国を探し求めるための飢えた乞食でした。
お父様のみ旨が、新しい故郷、本郷の地を探し立てる、真なるものであることを知ったので、私達は失った本然の家庭と本郷の地を探し、サタンにあだを討たなければなりません。
それだけでとどまるのではなく、サタンが付け込まない天的な福の機関である私達のすべての相続権を加え、歴史的な怨讐であり、時代的な怨讐であり、未来的な怨讐であるサタンに対して、どのような困難とどのような苦痛があったとしても、私達はあだを討ち、蕩減しなければならないことを知っていますので、お父様、私達に力を与えてください。
あなたのために忠孝を尽くすことのできる能力を与えてくださいますことを、切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.12.18)




24


お父様!
お父様がお慕いになった本然の創造理想世界は、お父様のみ愛を中心として、真なる子女と真なる家庭が楽しむことができ、すべての万物が和動することができ、幸福がにじみ出るところであることを知っています。
しかし、堕落によって本然の世界、本郷の地が私達人類の前に望みとして残るようになったことを思うとき、これがどうして痛嘆せずにおられるでしょうか。


堕落によってお父様を失い、本郷の地を失い、本然の真の父母を失い、本然の真なる理想的な家庭、理想的な氏族、理想的な国家、理想的な世界、理想的な天宙を、すべて失ってしまいました。
お父様を中心とした権威の世界が、自由な環境で成されなければなりませんでしたが、堕落という悲しい運命にぶつかることによって、人類はお父様と何の関係もなくなってしまい、理想とされたお父様の世界とは関係のない世界となってしまいました。


私達の主人であられるお父様は、主人となることができず、あなたの怨讐であるサタンの血統を受け継ぎサタンが主管する暗黒圏内に私達が引きずられ下りてきたという事実を思うとき、これがどれほど口惜しく、悔しい事実であるかをもう一度私達は回顧しながら、この地球上から数多くの霊人達がとどまっている霊界に至るまで、億千万代にわたり怨讐となったサタンを追放することが、お父様の願いであり、真なる人類の願いであったことを、この時間、私達は肝に銘じなければなりません。


お父様!
サタンの権威と権勢の土台がどれほど残っているかを、生活の中で感じることのできない私達です。
時間、時間を送りながらも、一日一日を過ごしながらも、サタンの権勢と権限が私達の生活圏内にどれほど浸透していて、私達の生活舞台にどれほど浸透しているかを、今まで感じることのできなかった私達の信仰生活であったことを、お父様、思うものです。


汚されたものを清算せずには、お父様のみ前に到底出ていくことができないのが、天理原則であることを考えれば考えるほど、私達は涙の道の中に立って、お父様のみ前に泣き叫びながら、あなたの救いのみ手を願わなければならない、物悲しく哀れな立場にいるということを、再び思うものです。


このような立場にある私達であることをよく知っておられるお父様!
哀れみの心を広げてくださって、私達の行くべき道をもう一度守ってくださり、私達の周囲を清くしてくださって、サタン圏内から私達を分別してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達の体と心は神様と直接関係を結ぶことができません。サタンが支配することのできる罪悪の根が、いまだに残っていることを知っています。
心で願う善を行うことができませんし、願わない悪の行為を楽しむ私達自身と、そのような生活圏内を逃れることのできない私達自身を受け入れてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達は生涯路程において、サタンと隔離されなければなりませんし、また復活路程においても、サタンと隔離されなければなりません。
お父様と一体となって、お父様が願われる生活と生涯を送らなければ、天の民となることができないという事実を、私達ははっきりと知ったので、ここに集まったあなたの息子・娘達が、体と心のすべてを捧げ、新たな生活と新たな生涯を目指して走ることができるようお許しください。


この時間、もう一度お父様のみ前に決意することのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によって切にお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.1.7)




25


お父様!
あなたのみ愛が各自の心に宿るようにしてくださり、愛をもって永遠なる真の人間の姿が天地間に現れるようにしてください。
すべての万象がそのような存在を中心として動じることを待ち焦がれているという事実を、私達は知るものです。
また、お父様がその真なる人間と一つとなって、きらびやかな文化の世界、栄光の世界を創建なさることを知るものです。
しかし、お父様のみ愛が宿ることができなくなったことが恨みであり、そのみ愛を私達が探せども、探せども、出合うことができないことがまた恨みであることを知りました。


堕落の後裔として生まれたために、お父様との真なる愛の因縁を探そうとしても探すことのできない悲しみを抱き、歴史路程を歩んできた私達ですので、哀れみのお父様、本然の愛の心をもち、私達を尋ねてくださり、あなたのそのご心情の前にひれ伏すことのできる子女となるようにしてくださいますことを、切にお願いいたします。


人類が数千年の間、お父様に対する反逆者の後孫として生まれ、またお父様のご心情に反逆する群れとして生きてきたことを受け入れてください。
そのような実体の姿をもってお父様のみ前にひれ伏しましたので、哀れみと愛をもって私達を捕まえてくださり、慈悲のみ手をもっていたわってください。
過ぎし日の不足なることと、過ぎし日の不忠なることと、過ぎし日の不孝なることを、一つ一つお父様のみ前に告げ、悔い改めるこの時間となるようにしてくださいますことを切にお願いいたします。


あなたは、私達が永遠に侍るべきお父様です。
お父様と私達は、その因縁を永遠に切ることのできない本然の関係にあることを、私達がはっきりと知るようにしてください。
ところが堕落して、お父様を失い、お父様との永遠なる因縁が切れてしまいましたので、それが私達の悲しみです。
きょうこの場に、私達がひれ伏しましたのは、失ったお父様を再び捜し出し、切れたお父様との因縁を再び結ぶためです。
しかし、これはお父様の愛でもってなされなければならないことを知っていますので、お父様の愛による復活の恩賜を私達に許諾してください。
直接的な愛の因縁をもって私達を束ねてくださって、一つの統一された祭壇として、お父様のみ前に捧げることができるようにしてください。
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.3.31)



26


お父様!
物静かな中であなたのご心情をくみ取り、私達自身を発見できるよう許諾してください。
私達は、考えれば考えるほど、お父様のみ旨の前から懸け離れている自分自身を発見せざるを得ません。
人間始祖がお父様に背き、敗亡した堕落の道を行く事により、永遠に滅びてしまうべき後孫として生まれた自らである事に嘆息しながら、お父様を探し求めていくのに、縮めるのがとても難しい一つの間隔が残っているという事実を悟るとき、私達としては、到底どうする事もできないという事を、再び発見するのです。


このように死亡の根から繁殖して生まれた自らを、過去においてもそうであり、現在においても死亡の世界にもつれて、押し流されていく自らを考えてみますとき、お父様に属するには、あまりにも懸け離れている自らを発見せざるを得ません。
それゆえ、お父様の愛のみ手が必要であり、お父様の能力のみ手が必要である事を私達は知っています。


お父様!
私達は心の奥深くに本性の因縁をもっています。
これだけはあなたから受け継いだものであり、これによってお父様に通じなければならない因縁が、私達には残っている事を知っています。


この因縁を立てるために、お父様は歴史過程を通して、私達を覚醒させてくださり、きょうこの時間も、そのためのお父様の役事が継続していますので、その事実を私達が忘却しないようお許しください。


私達の本性が切実に泣き叫ぶ願いを、私達が分かるようお許しくださり、本性が実際に、お父様と共に関係を結ぼうとする事が分かるよう許諾してください。
また本性に対立する怨讐の苦々しい罪悪の根が私達を取り囲んでいるという事実を知るようお許しください。


本性は神様の力を身代わりして私達に現れなければならないという事を知るようにしてくださり、私達が神様の能力のみ手によって、もつれたすべての死亡の因縁を踏んで立つ事のできる生命の出発をなさしめてくださいます事を、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達各自を通して、すべての罪悪の要素を除去させる事のできる、新しい役事を巻き起こしてください。
そうして私達は、お父様のご心情に一致し、生活の中で事情が一致し、願いをもった立場で永遠なる未来と一致する事のできるそのような場で、お父様が探し出されたかった真なる息子・娘の姿として、お父様にお捧げできるようお許しください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.7.7)



27


お父様!
万有の主人であられるあなたのみ前に、全天地万物は永遠無窮に賛美を帰し奉る事を願うのです。


あなたの因縁と無関係に造られた存在は一つとしてありませんので、お父様によって、お父様のご心情を通して造られた全天地万物は、お父様の栄光を高め、お父様の神聖さと深奥さを表し、お父様の無限なる価値を示しているという事実を私達は知っています。
その中でも、すべての万物の中心として人間をお造りになるときは、お父様の内性的なすべてと外形的なすべてを兼ねて、万物を代表する事のできる息子の形状、娘の形状としてお造りになった事を私達は知っています。


人間は本来、お父様のお心の中に永遠に残る存在であり、お父様との因縁から離れる事のできない存在でした。


万物もそのような因縁の中で、人間とは相対的な関係をもち、共に神様を中心として、永遠に自由と平和と幸福が宿る事のできる天国で存在しながら、お父様に侍り、永遠なる勝利の座で喜ばなければなりませんでしたが、人類の始祖が堕落する事によって、このように悲惨な歴史の起源となったという事実を知っています。
その結果として、人間だけが悲惨になったのではなく、創造主であられる神様も悲惨な立場に立たれるしかなかったという、このとてつもない事実を私達は知りました。


お父様!
このように悲しみの歴史を出発するようになったすべての要件を、完全に除去しなければならない事が、人間が完遂しなければならない責任分担として、残っているという事を私達は知りました。


この責任分担過程を経ていくために、天上世界にいる数多くの善なる霊人達が、アダムとエバの創造当時に協助した善なる天使世界のように、第二の土台を願いながら、望みの心を合わせ持ち、この地を身代わりして闘ってきているという事も知っています。


お父様もやはり今まで、悲しみの歴史をさかのぼってきておられますが、このようにご苦労されるようになった原因は、私達の先祖が過ったせいでした。しかし、過った事だけで終わるのではなく、これを復帰して、解放をご覧になるためにご苦労なさるので、これがお父様の労苦の歴史である事を私達は知っています。


このように悲しみの歴史を残した先祖から受け継いだ、悲しみの痕跡をもった私達が、きょうお父様のみ前に再び集まりました。
しかし、私達はお父様を「お父様」と呼ぶ事のできない不足な者達です。
このように不肖な罪人の後孫だという事を、私達はよく知っています。


天の生命の因縁を結ぶ事ができず、復活の恩賜を受ける事のできない、悪逆無道で非常識で、あなたのみ旨の前に到底立つ事のできない私達です。
しかし、あなたは哀れみ深く、慈悲なる愛の本体であられるがゆえに、このような私達を、今も召さなければならない立場におられるという事を知りました。


私達はそれを知ったので、不足なる体と心を取り直せないまま、恥ずかしい姿勢で、お父様のみ前にひれ伏しました。
お父様のみ前に、私達は悔い改めの涙と共に心の奥深くお父様のご心情に通じて、「お父様」とお呼びしたい心情をもって出てきましたので、お父様、尋ねてきてくださって、哀れみのご心情で私達を立ててくださり、お父様の生命の因縁を通して「お父様」と呼ぶ事のできる特別なる恩賜を許諾してくださいます事を切にお願いいたします。


私達が生活していく歴史の一部分において、いかなる環境においても、私達の個体の解寃成事をして、勝利の土台を準備しなければ、お父様のご苦労の前に、自らの面目を立てる事のできない不肖なる姿になるという事実を悟る事のできる、あなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいます事を切にお願いいたします。


お父様!
私達は何ももっていません。
また、もつ事を望みません。
私達は、今までサタンの血統を引いてきた痕跡によって、汚れた血と肉をもっているだけであり、私達に属しているすべては怨讐のものとして、あなたの嘆息圏内にあるため、あなたのみ前に祭物として立つ事のできない者達です。


そうですので、私達がこのすべてを忘れ、裸の体と幼子のような心をもち、お父様に抱かれる事のできるあなたの息子・娘達となるようお許しくださいます事を切にお願いいたします。


今まで私達がもった観念と、私達が知るすべてのものを一切除いてください。
私達の知識が、目的が、生活が完全にあなたのためのものとなり得るようにしてください。
そうして、そのような立場でお父様に仕え奉り、敬拝を捧げる事のできるこの時間、この場となるよう許諾してください。
お父様が親しくお命じになるとき、私達のすべてを切り捨てる事のできる心をもち、ひれ伏すこの時間となるよう許諾してくださいます事を切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.7.7)



28


お父様!
私達が行く道は、誰かのために行く道ではありません。
それは私達自身のための道であると同時に、世界、国家のための道である事を知るようにしてくださり、ある個人のために生きるのではなく、世界のために生きていくのである事を知るようにしてください。
「私」が生まれたとき、「私」という存在が、金なにがしなら金なにがしだけのために生まれたのではない事を知るようにしてください。
「私」なにがしは、この道を行くために生まれようとしたと、自ら誇り、それが「私」の生活の道理である事を証していく事のできる者となり、その価値を知るようにしてください。
この問題を明示し、解決して、その価値をより価値化させられる一つの核心的な実体を探し出す事が、統一教会の教会員となった目的である事を知るようにしてくださいます事を、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
この世の何ものよりも、この道を行く事が切実でなければならない事を知りました。
私達が誰のために集まったのかというとき統一教会の先生のために集まったのでもなく、統一教会の何かのために集まったのでもありません。
国のために行こうとするので、統一教会が必要なのであり、また統一教会が願う国と世界があるがゆえに、信じ従っているのであり、またそこに近い道がこの道であるがゆえに、この道に従ってきたのです。
そうですのでお父様、統一教会を通して国に、統一教会を通して世界に、統一教会を通して天宙に前進しようという不変の心情が傷つかないようにしてくださり、その心情が大切に大切に伸びていくようにしてください。


心臓から流れ出る動脈の鼓動の音と、天情の心臓を通して響いてくる動脈の鼓動の音が、私達の体と一致して、私達自身が生活感情を動かし帰る、静脈の役割を果たす事ができるようにしてください。
そうして、その静脈の脈拍が、歴史と共に青史にとこしえに輝く事ができ、生活において万民の同志となる事ができるようお許しください。
これが私達の願いではないかと、お父様が今、この時間においても尋ねておられるという事を、私達が分かるようにしてください。


今、私達の心は、どこに流れていっているでしょうか。
私達の体はどのあたりにとどまっているでしょうか。
過去のよこしまな心の位置にとどまらないようにしてくださり、過去に滅びるしかないものに体を隠し、罰を受け得る位置にとどまる自らとならないようにしてください。


お父様のお心を担い、地上の人類の心を芽生えるようにする事のできる位置に、体と心を備えられるようにしてくださり、お父様のみ前にひざまずいて忠誠を誓い、歴史上に光となり得る「私」を慕いながら、お父様の王子と王女の姿を備える事ができるようにしてください。
お父様を慕う欽慕の情熱が芽生え得るその「私」の立場、あるいは思慕の情熱に輝き得るその「私」の立場が、大切に大切に立てられ、大切に大切に育つ事のできる私達自身となるようにしてください。


私達は輝くあすを望みとし、決起しなければなりません。
輝くあすの「私」を望みとし、決起しなければなりません。
輝く新しい天国のために、決起しなければなりません。
そうするために、私達はそこに合う器とならなければなりません。
輝き得る私達の姿を内外共に備えなければなりません。
また、天情の因縁の前に謹んで頭を下げ、お父様の息子・娘とならなければならず、心から「お父様」と呼ぶ事のできる真の子女とならなければなりません。
そうですので、その愛の中で一日の生活を謳いその事由の中で一日の仕事を神聖に賛美する事のできるあなたの息子・娘に、みながなれるようにしてくださいます事を、愛のお父様、切にお願いいたします。


残された時間が栄光となるようにしてくださり、この場が「私」を賛美するにおいて、真実の場となるようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.8.31)



29


お父様!
私達は悪から生まれた体であるため、善として再び生まれなければなりません。
二度生まれるべき運命、これは悲惨な事です。
この世でも、継子として生活する事は、この上なく悔しい事ではないでしょうか。
私達は養子の程度ではなく、怨讐の子として生まれたがゆえに、本然の父母を探し出さなければなりませんが、その道は決して平坦ではありません。
それゆえ私達は、サタンの矢とサタンの槍と剣の攻撃を無数に受けています。


しかし私達は、このように体を縛りつけているひもを切って行かなければなりません。
□で切るとしても、力で切るとしても、縛りつけている者達とぶつからなければなりません。
そのためには血を流さざるを得ない、悲惨な歴史過程を越えなければならない事を知るものです。


これを眺められながらも、勧告する事もできないお父様、私達のような息子・娘をもたれた恨みがどれほど大きい事でしょうか。
お父様のそのようなご心情を私達は知らなければなりません。罪を犯した息子が裁判官に引っ張られ、絞首台に立つとき、言うに言えない立場で、哀切な心情をもって息子の死を見つめ、悲痛に心を焦がさなければならない父母の心情、お父様のご事情を体得する事のできる息子・娘とならなければなりません。


栄光の息子・娘として生まれた万有の中心価値として、その何ものをもっても身代わりする事のできないその者が怨讐の手に引っ張られ、露のように消えていくのを見つめられ、黙々と望みのひと時を待ち焦がれてこられたお父様のその悲惨なご心情を、私達は感じる事ができなければなりません。


そのように望みの息子を願われるご心情の前に、焦燥したお父様のご心情の前にひれ伏し、数千年、数億万年を経たとしても、失った息子・娘を捜すため、身もだえされるお父様の悲惨なお姿を思うものです。
その悲惨さが歴史路程に事実として展開するときにも、その場においてすら同情をお受けになれなかったお父様であられる事を考えるならば、私達は永遠に呪われるべき立場にいます。
しかし、お父様が私達を呪われれば、お父様が子を呪う立場に立たれるようになるため、そのすべてを耐えて許してこられた事を知るのです。
そうですので、私達はそのようなお父様の許しと忍耐を見倣わなければなりません。


地上にいる誰よりもかわいそうな境地において、天を探し行く人が歴史の中に残された事を知るものです。
この道を知り、この道を行く人々は、やはりかわいそうな人です。
この世の寂しい孤児達です。
誰にも訴える事のできない事由を抱いた者達です。
国があっても、その国を信じる事ができす、世界があっても、その世界に望みをもつ事ができません。
そうして、行く場所ごとに怨讐の槍と矢を受ける立場に立ってこそ、お父様を探し出す事ができました。
これほどにお父様と心情的因縁を深く結ぶ事ができるのは、私達だけがもつ事のできる悲惨な内容である事を知っています。


そのような立場から、お父様の無念なるご心情を相続した息子・娘として、お父様のみ前に、心から「お父様」と呼ぶ事ができなければなりません。
そうですので、血を流さなくては、お父様の道を行く事ができないという事を私達は知っています。


それゆえ、アベルが流した血の歴史を私達は考えながら、お父様のために血の塀を築いて一つのとりでとなり、お父様の同情を受ける事のできる一つの都、永遠なる安息の土台を準備しなければなりません。
そうして、お父様の悲惨さを慰労し、永遠にお父様を防衛してさしあげる事のできる天の真なる子女達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.12.7)




30




お父様!
今まで歴史過程では、お父様を中心として、一人の男性と一人の女性が結合する事はありませんでした。
今までなかったこのような事が、この統一教会で成されるようになったのは、すべてお父様のご苦労の功労と恩徳によるものである事を私達は知っています。


今までの歴史過程が、一人の男性を探し求めるためのものであった事を思うとき、統一理念を中心とした家庭をもって初めて、新しい宗教の土台を備え、新しい世界に行く事ができる道を立て、新しい歴史の門を開く事ができるようになった事が、天の祝福である事を知るようになりました。
お父様のご苦労によって、私達にこのとてつもない祝福を受けられるようにしてくださった恩賜に、心から感謝をお捧げいたします。
今、この者達が、自らのすべてをお父様のみ前にお任せするようお許しください。


結婚という事を考えるときに、私達はアダムとエバの堕落と直結した問題を連想せざるを得ません。
堕落した父母の血統を受けて生まれた私達において、「お父様を中心とした祝福」という事が、どれほどすばらしい事であるかという事を考えるときに、私達は心から、あなたの恩賜の前に感謝をお捧げ申し上げるものです。
このような私達、真なる善を中心とした祭物の実体として、お父様のみ前にまず捧げられる男性と女性にならなければならないという事実を知らなければなりません。


しかし、個人的にはそのような位置に行く事のできない立場にある、私達自身だという事を考えるのです。
このような位置は、堕落した後孫の立場では到底立つ事のできない位置であるという事を知っています。
しかし、今この者達は、真の父母の因縁を通す事のできる子女の名分を備えましたので、そこにお父様が、主導者となってください。
真の父母の因縁を通じてみ業が始まるこの位置においては、そのような恩賜の土台が築かれざるを得ないという事実を、はっきりと悟る私達となるようにしてくださいます事を切にお願いいたします。


今、一人の男性なら男性、女性なら女性が、自らのすべてをお父様のみ前にお捧げしましたので、お父様のものとして永遠に所有してください。
この者達をして、権威を備えるようにしてくださって、サタン世界にあなたの愛の秩序を立てるにおいて、標本となる事をもって善なる先祖となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.3.23)




31


お父様!
私達はお父様のみ前に裸になった幼子と同じですので、あなたが着せてくださらなければならず、あなたが食べさせてくださらなければならず、あなたの懐に抱いて育ててくださらなければなりません。
しかし、私達は今までそのような息子・娘の姿として、お父様に対する事のできるひと時をもつ事ができませんでした。
このような私達の心と体が、そのような立場に立つようにしてくださり、私達がお父様の息子となり、娘となる事ができるよう祝福してください。


私達はこの世でもっているものがなく、何一つ備えたものがない者であり、その何を取っても誇るべきものがない者達ですが、あなたの懐に抱かれ育つ事のできる息子・娘の因縁をもっている事を感謝いたします。
このような因縁は、勝利の権限を身代わりする事のできる特権である事を知り、ここにおいて感謝できる私達自身とならなければなりません。


私達は、見た目には何でもない者達ですが、お父様が誇らしく思う事ができ、貴く感じる事のできる息子・娘となるよう許諾してください。


私達が困難な道を行くとしても、お父様と共に行き、悲しい事にぶつかったとしても、お父様と共にぶつかりつつ、困難な立場に立ったとしても、お父様を慰労してさしあげる事ができるよう、お父様、お導きください。
希望と望みのひと日を、より一層私達の胸深くに抱き、あすに向かって前進に前進を重ねる事のできるお父様の真なる息子達となり、娘達となるよう許諾してください。


私達の行く道がいくら険しいとしても、あなたが行くべき道の前に、絶対に荷物となってはならないという、新たな決意をもつようにしてください。
私達はお父様を知り、お父様の行かれる方向を知りました。
ゆえに、傷を負い、加重された十字架の道を行くとしても、あなたを慰労してさしあげられる時間はほんのひと時しかないという事を知り、精誠の限りを尽くして行く、あなたの子女達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.4.19)




32


高く貴いあなたの性相を欽慕し、お慕いする心情を、あなたのみ前にすべて束ねてお捧げしながら、過去を反省し、現在を批判し、あすの真なる姿を慕い求めますので、あなたの息子となり、娘となる証をお父様が賦与してください。


お父様が探してこられた息子の姿、お父様が願われ、望んでこられた息子の姿となるようにしてください。
私達が宇宙全体の価値を身代わりし、中心の価値を身代わりする存在となる事により、あなたがお慕いになる事ができ、あなたのすべての感情と感覚、あなたの□を通して、私達を「息子」と言い、「娘」とおっしゃる事のできる、真なる子女の姿となるようにしてください。
取るに足らない私達を通して、あなたがそのような息子・娘達の姿を感じる事ができますよう、私達は願っています。


そこはかとなく私達を愛されるお父様、私達の生命の土台を開拓するためにご苦労されるお父様、真なる息子・娘に出会うためのひと日の願いをもって、長々とした歳月を耐えてこられたそのお姿の前に、私達は感謝をお捧げいたします。
私達の心は、ただあなたを根源としていますので、あなたの心が行かれるところに従って、あなたが望まれる世界において、一つの価値を備える事のできる真なる息子の姿、娘の姿を、この時間においても慕うのです。


私達は、神聖で慈悲深く尊厳であられるお父様の前に、呼ばわれる息子・娘となる事を願いながらここに出てきました。
お父様のほのかな依頼のみ言と勧告のみ前に、あすの望みとあすの使命を誓う決意に満ちたあなたの息子となり、娘となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.12.13)



33


お父様!
私達は置かれている位置を確定づけ、あなたの指定される目的地に向かって直行する事のできる、み旨と共に一致する事ができ、あなたの心と共に一致してあなたが願われる真なる息子・娘の姿を、成さなければなりませんので、その事を願いながらこの場に出てきました。
この場は人間だけではなく、天がこの上もなく大切な使命を任せていて、歴史的な新しい起源を誓う事を願っている場である事を思うとき、この場は天が注視する場であり、人間達が注視する場であり、天の側と人間の側の中央で、天に侍り、人間らしい道を行く事によって、偏らずあなたのみ旨に向かって、直行していくべき責任を背負った場である事を知るのです。
そのためお父様、私達ははっきりとした目的観をもたなければなりません。
その目的に対して、一日一日の生活において間違いのない方向性を選んでいかなくては、真なる人生の航路を行き切る事ができないという、この厳然たる事実をはっきりと知る私達とならなければなりません。


数多くの日々を過ごす中において、ただその姿のままで過ごしてはなりません。
何かが変化して、あなたの心性に帰一し得る姿をお慕いする事のできる、またその場に立つ事のできる、あなたの創造理想の一つの実体の姿を代表する事のできる、神聖なる群れとならなければなりません。
このような群れに、お父様があなたのみ旨を通して出会い、探そうとなさるという事を、私達は既に知っていました。
私達が「お父様」とお呼びするとき、そのお父様が漠然としたお父様となってはなりません。


お父様を直視して、お父様が行かれる方向に私達が従わなければなりません。
この道が平坦な道だといって喜ぶのではなく、受難に次ぐ受難の道だといっても、必ずや天が行かれた、父母の道であったので、その道に従う事が子女の義務だという事を感じる事のできる私達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1972.10.8)



34


愛するお父様!
天と地の大主宰であられるお父様の栄光と尊敬と賛美が、お造りになった全万物と共に、あなたのみ前に捧げられる事を願うものです。


お父様!
あなたが多くの歴史過程を通過されながら、私達人間始祖が過った事を復帰なさるために、どれほど、どれほど受難の再創造歴史を経てこられたかという事を、私達はよく知っています。
私達個人個人において、僕の僕の道を越え、僕の道を越え、養子の道を越え、子女の道を越え、真の父母の因縁を越えて、本然のあなたの位置まで帰っていくために、どれほど悲惨で受難に満ちた歴史的蕩減を払ってきたかという事を考えるとき、罪を犯したので、当然罰を受けるべき人間として、恨み深い受難の悲惨な路程を歩んできましたが、あなたはそれと関係のないお方として、全体に責任を負われ、先頭に立って、ありとあらゆる困難を克服する立場で再創造の偉業を加重してこられたそのご苦労の前に、私達は心から感謝をお捧げいたします。


お父様!
私達それぞれに、あなたのみ手を経なかった者のいない事を(私達は)知りましたし、いかなる国であっても、あなたの願いの中で、今まで導きを受けなかった国のない事を知るようになりました。
さらには、万民をあなたが理想とされた本然の世界に導くために、国境を越えに越えながら、現時点までお父様がご指導してきてくださった事を、私達はよく知っています。


最後に残されるべき世界には、あなたと愛する息子・娘、そして天使天軍しかいないという事を考えるとき、この地上には、サタンの権限とサタンの群れがあまりにも多い事を目にするのです。
この事まで、私達がお父様のみ前に、清算していただく事を願う事のできない立場である事を、統一の群れは知っています。


真の父母の名と真の子女の名を備え、その家庭を賛美し、その家庭に侍る事のできる天使世界の本然の姿を、地上と霊界に完成させなければならない、重大な責任が統一教会の群れにあるという事実を考えるとき、私達は息子・娘の偉業を相続すると同時に、父母としての立場の偉業を相続すべき立場にあり、天の本然の創造理想を相続すべき立場にある事を考えるものです。


お父様!
幼い子女達、あなたのみ前に再創造の材料となって、あなたのみ手を経なければなりません。
あなたのみ意のまま造る事ができ、またそこに順応する粘土のような存在にならなければならないという事を、私達は既に知りました。


絶対的な信仰、絶対的なあなたの愛を欽慕する心と、全体的なあなたのみ旨の前に忠僕となろうという心しか、私達にあり得ないという事を知ったので、お父様、引き受けて主管し、あなたが願う器としてお造りください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1975.2.1)



35


愛するお父様!
あなたが願われる世界がどのようなものであるかを知りました。
あなたを慈しむ愛がどのように行くべきかを知りました。
私達が置かれている現象世界がどのようなものであるかを知り、自分が自分のために生きる事のできない人間である事を知り、自分の家庭が自分の家庭だけのために生きる事のできない事を知りました。


今日、統一教会が、統一教会自体のために生きる事のできない統一教会である事を知りましたし、世界の統一教会の群れは、世界各国の統一教会だけのために生きる事ができない事も知りました。


ただ、一つの世界、ただ、一つの天国のために生きなければならないという、とてつもなく、また驚くべき事実を知ったので、今、私達の意識構造においては、民族を超越し、国家を超越し、世界を超越して、神様の意識が自らの意識として変えられていかなければなりません。
そうなる事のできる「私」自身を発見した事が偉大な発見であると同時に、偉大な息子の資格を賦与され得る、一つの基礎となる事を知りました。


全天宙の大主宰であられる神様が、まさに私達の家庭においてのお父様であり、国家においてのお父様であり、世界においてのお父様であり、天の国においてのお父様である事を知りました。
そのお父様の位置を身代わりして歴史時代を経てきながら、家庭の父母が必要であり、国の国王が必要であり、世界の聖人が必要であった事を知りました。
それゆえ、数多くの悟りの道を経てきた事を知っています。


私達は、心から知ったので、今、一つの公式的基準のように、父子の因縁を結び、私達の家庭において、お父様と私達が実際に生活しなければなりません。
国を中心として実際に生活しなければなりません。
世界を中心として実際に生活しなければなりません。
全霊界を合わせて、実際に生活する喜びを探し求めてこそ、お父様と息子の権限をもつ事ができ、お父様と息子の権限をもてなければ、堕落圏を解消させる事ができないという事実を知りました。
それゆえ、お父様と息子の権限を、個人から、家庭、民族、国家、世界のあらゆるところに拡大させる事のできる勝利圏が絶対必要だという事を知ったので、お父様、祝福してください。


神様をお父様としてもつ以上に貴い事はないという事を、私達は今知ったので、お父様との因縁を永遠にもつ事ができ、お父様と永遠に暮らす事ができるようにするために、私達自らが、きょうこの時間、もう一度徹頭徹尾、お父様の息子・娘になろうと、お父様のみ前にお誓いいたしますので、許諾してくださいます事を切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1978.10.28)


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父の祈り(復活の祈り)3ー1

2023年02月04日 14時53分32秒 | 学習
1

愛なるお父様!
愛のみ手を広げて、不足なる私たちの手を取って、お導きください。
私たちが体と心を合わせてひれ伏しましたので、お父様、捕まえてお導きくださり、起こしてくださって、私たちの心を天の心に変えてくださるよう許諾してくださいますことを、切にお願いいたします。


今日、私たちがもっているすべての現世の観念を、お父様のみ前にすべて差し出し、温柔謙遜な幼子の心情をもち、お父様のみ前に出てきましたので、お父様、恩恵のみ手で再創造の役事を巻き起こしてください。
聖霊の炎を表してください。
秘めていた愛を表して、この者たちをして終わりの日に、ふさがっていた死亡圈の門を開き、お父様の勝利の栄光を表すことができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


空の器があるならば満たしてください。お父様の十分なる恩賜に酔って感謝を捧げられお父様に栄光を帰すことのできる生きた子女たちとして立ててくださり、お父様が愛することのできる子女たちとして、尋ねていただく恩賜を許諾してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。
天の動きに私たちの心が動じ、天の動きに私たちの体も動いて、お父様の形状(お姿のよう)に心で、体で倣い、似ていくことができるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.7.1)




2


生命の復活を約束されたお父様!
私達の中に、お造りになった本来の形状を再び探し出してください。
そして、その美をご覧になって、お父様が楽しむことができ、天上天下のすべての被造物の前に堂々と立つことができ、誇ることができる息子・娘として立ててくださいますことを愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様!
永遠の昔から約束された祝福のみ旨を、私達の心に納めることができますようお許しくださり、私達を天倫の前に立ててください。
悲しみを刺激させる哀れな息子・娘とならないようお許しください。


お父様のお心に涙ぐみ、お父様の稟性に涙ぐんで、お父様が立てられた全体のみ旨を、心と体を通して、あなたが語られる前に成すことができ、あなたが願われる前に行動することができ、あなたが願われる前に実践することのできるあなたの息子・娘達となるようお許しください。


万民にお父様のみ旨を教え悟らせてくださり、万民の生命の土台を高くしてくださって、その上に平和を表すことができるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。
今、ひれ伏した息子・娘達が、新しい気持ちでお父様のみ愛と祝福を受けることのできる子女達となるよう許諾してくださり、私達の体がお父様の祝福なさった栄光の美を備え、その愛と美を備えることができますようお許しください。


お父様のみ前にそぐわず、悲しみを生じ得る罪悪の苦い根を抱いている息子・娘達ではないでしょうか。
お父様、この時間に運行され現れてください。
そうして、直接的なみ手をもって再創造の役事を巻き起こしてください。


すべてを、愛する主のみ名によって心からお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.2.25)




3


お父様がエデンの園で「良し、良し」と言われた善のみ言の実体が、地上にないことを嘆息しておられることを知るものです。
失われた善のみ言を再び探し出すべき条件が残っている以上、善の実体を探し出すことができないことを私達は知っています。


お父様!
善のみ言を表してください。
探し出された善のみ言をもって再命令してくださって、善の実体を立てることのできるお父様の特別な再創造の役事が、私達の体と心を通して起こるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達を尋ねてくださって、み言の中心をお立てになり、条件の役事を巻き起こしてくださって、サタンの権限に勝つことができるようお許しくださり、私達の体と心がサタン圏内に捕らわれているならば、み言を通して分別して、お父様の聖別の印を受けることができるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
私達の心を新生させることのできる力が必要なことを知っていますので、力で役事してくださり、能力で役事してください。


悪の全観念を除去し、復活し得る生命のみ言を表して、再創造の復活の役事を巻き起こしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.12.2)


4


我がお父様!
太初にお父様は善のみ旨を置かれ、被造万物を造られ、本質本性の基準として不変の姿でおられましたが、人間達がそのようなお父様の善の相対となってさしあげることができなかったがゆえに、お父様の理想を成してさしあげることができず、善の良心の基準から遠い距離に処するようになったということを知っていますし、またそのことが天と被造万物の嘆息であったということも知っています。


お父様!
私達には永遠の生命を捧げても、探し出さなければならない摂理的な運命の道が残っていて、この道を最後まで行くべき使命が残っていますので、多くの努力をもってこの道を行くことができるようせき立ててください。


体を通して侵犯してくる悪の要素が、善を指向する心の道をふさいでいますので、お父様、この闘いで善を指向する私達の心が、体の制裁を受けて敗北する者達とならないようにお導きください。


(私達が)ひたすら心を導く善の力と愛の力に導かれ、お父様を尋ねて不変の姿で和動することができ、分離できない永遠の実存体として、お父様の形状に似て、永遠にお父様に侍り生きることができるよう、(私達を)つかんでくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


長い歴史過程を経て罪悪と闘ってきながら、私達は傷だらけとなり、罪悪の根が私達の骨肉に打ち込まれています。
これを除去すべき責任が私達にありますが、私達はあまりにも不足ですので、生命の権限をおもちになったお父様、能力の権限をおもちになったお父様、創造の権限をおもちになったお父様、取るに足らない私達の心と体に、もう一度能力のみ手を差し伸べてくださって、死亡の陰に捕らわれているすべての悪の要素を除去してくださり、その最も中心の刺激を受け、勝利の心を生じさせることのできる天の直接的な生命の役事を表してくださいますことを切にお願いいたします。


そうして、私達自体から復活の権能を生じさせてくださり、私達が置かれた環境でその最も中心を身代わりして、復活の役事を巻き起こすことができる、あなたの息子・娘となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


「不完全な立場にいる」と言って、嘆息する私達とならないよう導いてくださり、完全な立場に向かって走っていく路程において、この道をふさいでいる怨讐サタンとの闘いで勝利することをもって、お父様の真の子女の資格を備えることができるようお許しくださり、億万のサタン達の前に誇ることのできる息子・娘達となるよう導いてください。


そうして、天の天軍天使がもっていた武器を私達が身代わりしてもち、億万のサタンと闘い勝利できるようお許しください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.3.6)




5


お父様!
恨み多い六千年のすべての内容とお父様の内的なご事情を悟ることができるよう許諾してください!
そして、心に悟るところがあるならば、これに最後まで責任を負えるよう許諾してくださいますことをお願いいたします。


お父様のみ言を与える者の責任が貴重であることを感じると同時に、受ける者の責任も、それに劣らず貴重であることを悟るようになり、むしろ与える者よりも受ける者の責任が、もっと重いことを知るようになりました。


与える時はひと時ですが、受ける時は永遠を置いて受けなければならないことを知っていますので、天からひと時受けたその真理を、永遠に保存することのできる私達となるよう許諾してくださり、ひと時受けた生命を、永遠に保存することができるよう許諾してくださって、ひと時受けた愛を、永遠に保存することができる私達となるよう許諾してください。
そのような私達となってこそ、神様の真の子女達となれるということが分かるよう許諾してくださいますことを、また切にお願いいたします。


この時間、私達の心が空っぽですので、空虚な私達の心を満たしてくださり、今まで何十回も天に背反したことを、この時間に悔い改めますので、受け入れてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


そして、真理の鍵を探し出し、生命と愛の鍵を探し出して、残っている宇宙的な真理と生命と愛の門を開き、天宙の中心としておられる神様の内的ご事情を解いてさしあげることのできる子女となるようにしてくださり、あなたが信じることのできる真の子女の座まで進むことができるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


残されたすべてのものを分別してくださり、不完全なすべてのものを満たしてくださり、永遠なる天国が完全に築かれる日まで、私達をお導きくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.3.17)




6


愛するお父様!
私達の前に残っているのは、ただ天倫のみ旨だけだということを私達は知るものです。
そしてそのみ旨の中心がお父様と真の父母であるということを知っていますし、また地上に生きている人間達は真の父母の真の息子・娘となるべきだということも私達は知りました。


それだけではなく、お父様が私達に願われることは、万民が一つの兄弟となることであり、万民がお父様の真の息子・娘となることだということを私達は知っています。


お父様!
私達は、またあなたが願われる息子・娘の立場に立とうとする人々を遮り、被らを蹂躙する罪がこの地上のいかなる罪よりも大きいということを知っています。
人間の真の誠実さを蹂躙することも、受け入れられない罪ですが、真の兄弟愛を失わせることが天倫の前にもっと大きな罪となるということを知っていますので、これを忘却しない私達となるよう、導いてくださいますことを切にお願いいたします。


お父様!
深い眠りの中から起こしてくださろうとする天倫の前に、ある兄弟ゆえに起き上がれないと言うならば、どうして牧者の引導を受けて動じる自分だと言うことができるでしょうか。
私達がそのような立場に立たないようにしてください。
その兄弟の分までも、自分が責任を負い、天倫を身代わりして隠れた祭壇を築き得る息子・娘となるようお許しください。


そして、あなたが願われる永遠なる息子の理想を立てるようにしてくださり、いつも見つめておられるお父様の視線があることが分かるようにしてください。
お父様の愛のみ手を感じるよう許諾してくださり、お父様が呼びかけられるみ声を聞くことができるように許諾してくださって、戒めのみ言を語られ、切ないお父様のご心情を体得し、お父様のご心情に似て、お父様の性相に倣って、そのみ旨の前に千万遍死んでも敬礼を捧げ、感謝することのできるイエス・キリストの一番弟子となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


お父様!
この道を遮っている数多くの怨讐達に対して、天倫を身代わりする公義の心情と公憤の心情をもって闘うことができるようにしてくださり、お父様のみ前に勝利のひと日を帰し奉るために、耐えに耐えて前進させてくださって、勝利のその日を迎え、その間耐えてきた私達の恨みをお父様に申し上げることができるようにしてくださり、お父様の貴いみ手をつかんで、慰労を受けることのできる立場まで行くことができますようお導きください。


眠っているこの地上のすべての人類を目覚めさせるようお許しくださり、創造されたすべての世界が嘆息圏内にいますので、私達を動員してこれを回復するようにしてくださって、人類に対して各自が責任を完遂して、すべての者が天国人となることができますよう、天の知恵をお与えください。


どのような闘いの路程であっても、意に介さず、立つことのできる息子・娘となるようにしてくださり、自分のすべてのものを放棄したとしても、み旨のためのみに立つことのできる天の精兵となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.5.19)




7


私達はお父様にお捧げする何ものももっていません。
お父様のご心配の対象として現れましたので、哀れみのお父様、能力のお父様、愛のお父様、私達を現在の私達として、残しておかないでください。
私達を引き受けてくださらなければなりません。


億万のサタン達が私達を包囲し、私達の生命をねらっていますので、お父様、私達をお守りください。
今日、私達の個体がお父様の深いみ愛の中に浸り、お父様の栄光を心から謳うことができるようお許しくださり、ここにひれ伏し、敬拝することのできるこのひと時となるよう許してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


私達の生活の中に、(お父様が)許諾なさらない行動が残っていますし、お父様のみ旨の前に示し得ない要素が多くあることを知っていますので、哀れみのお父様、能力のお父様、勝利の権限をもって現れてくださり、再創造のみ手を施してくださいますことを切にお願いいたします。


お父様のみ前にすべてを依託しますので、生きた祭物としてお取りくださり、一つの生命だにお父様のみ旨を外れることのないようお導きください。
サタンの攻撃を受けたとしても、屈せずお父様を「私の父」と呼ぶことのできる真の息子・娘となるよう許してくださいますことを切にお願いいたします。


きょうも困難な闘いを闘っている孤独な息子・娘達がいますので、お父様の再創造の権能を現してくださり、お父様の息子・娘であることを証すよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.9.15)


8

お父様のみ前に出てきたとき、愛を感じられなかったことを受け入れてくださり、世のために苦労できなかったことを受け入れてください。


お父様のご苦労とお父様の悲しみとお父様の困苦の路程を推し量るとき、私達の心が悲しみを感じられるよう許諾してくださり、私達の心が困苦を感じられるよう許諾してくださって、痛みを感じることのできる息子・娘となるようにしてください。


このような息子・娘とならなければならないことを知っていますので、愛のお父様、神様の生命を備えることができるよう許諾してくださり、生きて天を尋ねるために集まった息子・娘ですので、自分達のすべての罪悪相をもってお父様のみ前に立つことができないとしても、お父様が六千年間闘われながら血の祭壇を積んでこられた復帰の恩賜を見つめ、ひれ伏した者達ですので、受け入れてください。


そうして、私達の心がお父様を喜ばせてさしあげられるよう許諾してくださり、私達の体がお父様を喜ばせてさしあげられるよう許諾してくださって、お父様のものとしてすべてを捧げることができるようお許しくださいますことを、愛する我がお父様、切にお願いいたします。


今、個々人の心中をお父様が洞察してくださり、自分の心の中心に染み通っている要求の目標と望みの中心が何かということをたどり探ることができるよう許諾してください。
自己を中心とする、その何かがあるとするならば、摂理のみ旨の前に、天の中心を探し立てることができない自らであることを悟るよう許諾してくださり、自分自ら察して、天のみ旨に逆らうことがないように導いてください。


ただ罪人であることを自認しながら、自らお父様のみ前にひれ伏して、すべてのことをありのままに報告し、お父様のみ前に涙の悔い改めをすることのできる切実なる欽慕の心情だけが、あなたの息子・娘の心と体にあふれ流れるよう許諾してください。
そうして、その心を中心として復活のみ業を巻き起こしてくださいますことを、我がお父様、切にお願いいたします。


私達はお父様のおひざの前にひれ伏しましたので、お父様、あらゆる心の門を開き、天のみ旨に浸ることができるよう許諾してくださり、お父様のみ愛の懐に浸れるよう許諾してください。
そうして、お父様のご心情を体得するよう許諾してくださり、お父様が願われる栄光の姿で現れるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.1.19)




9


お父様!
私達の心を探るよう許諾してくださり、私達の体を推し量るよう許諾してくださって、心と体がお父様のご心情に合致することのできる息子・娘となるように導いてください。


天上のすべての聖徒達は、摂理のみ旨を奉じてきながら、堕落の子孫となりましたゆえ、お父様のみ前に頭を上げることができず、心苦しいということを私達は知っています。
地上の私達は、お父様のみ前に頭を下げて、お父様のみ意に備えるために努力すべき者達ですので、私達の心の中に高慢さがないよう許してくださり、私達の態度が、お父様のみ前に不忠実とならないようお許しくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様のみ前に近づいていけばいくほど、頭を下げざるを得ませんし、自分の罪を、自らありのままに報告せざるを得ないことを感じるものです。


自ら罪人であることを認め、お父様の哀れみと愛のみ手を待ちながら、頭を下げ、お父様のご心情をお慕いすることのできる切実な心をもつようお許しくださり、私達にもし暗い罪悪の根が残っているならば、お父様、それを除去してくださいますことを切にお願いいたします。


そして、私達が、この時間お父様の命令によって、新しい道を開拓していくことができるよう役事してください。
新しい権能を受けて、新しい行動を起こすことのできる、天の源泉的な力を備えるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


私達がもっているある理論や、私が知っているある知識・主義・主張・観念があるなら、お父様、それをすべて忘れ去り、ただお父様をお慕いすることのできる、心を同じくする者となるよう許諾してくださり私達の体と心に備わっているすべてのものを祭壇の前に、黙々と捧げることができるようお許しください。
そうして、私達を新しいみ言で、再び造ってくださいますことを切にお願い申し上げ、お父様の愛の懐に抱かれる直接的な再創造の役事がここに現れるようにしてくださいますことを、切にお願いいたします。


そして、お父様の悲しみを解いてさしあげ、お父様に喜びと栄光をお返しすることのできる、真実の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.3.2)




10


お父様!
お父様に向かって、私達の心情が無限にわき上がるよう許諾してください。
そのような心情の中で、お父様が万物を創造されたその創造理念を伝えてくださって、お父様が動ずれば私達の心が動じ、お父様が静ずれば私達の心情が静ずることのできるもの達となるようお許しください。


今、私達の心と私達の心情が、お父様によって動じ、お父様のものとしてのみ用いられるようにしてください。
そうして、お父様のもののみをもって和することができ、お父様のもののみをもって本質世界に染まることのできる、私達の体と心となるよう許諾してくださいますことを切にお願いいたします。


今日私達の心は、本然の心情がとても慕わしく、(私達の心は)創造本然の本性となることを求めます。
そのためには、お父様の新しいみ言が必要であることを知っています。


お父様がお喜びになるために造られた人間が、たとえ堕落して邪悪な世の中に生きているとしても、本性は本然の世界に向かって動いています。
本性を呼び起こすための本然の再創造のみ言を待ち焦がれること六千年、そのようなみ言を思慕し尋ねること六千年……。


今や、死亡の都が審判のひと日を目前にしています。
お父様、このような時に際して恐怖の世界であえいでいるこの人類、行くべき道を知らずに彷徨しているこの人類、中心を失ってしまい、処すべき立場を知らず、とどまる所を探し出すことができないでいる人類を哀れにお思いくださっ、
あなたの懐に帰ることができるようお導きください。


ここに集まった子女達は、お父様がお尋ねになることのできる聖殿であり、本質的な土台であることを知っています。
お父様が運行なさらなければ、この地上のすべての被造万象は、審判のひと日を迎えて限りない苦痛を味わいますので、お父様、再創造のみ手を差し伸べてください。


愛するためにアダムとエバを造られた、本来の創造原則があるではありませんか。
その原則に頼って、この人類をお父様のみ前に再び探し立てるために、疲れも意に介されず、憤懣も悲しみも意に介されず、悔しさと涙の道も意に介されず、血の祭壇も意に介されず「私」を捕まえてくださっている、お父様のご心情を知ることができるよう許諾してください。
そうなさるしかないお父様の歴史的なご事情が分かるようお導きください。
お父様の焦るご心情を(私達が)察して、この時間謹んで、お父様のものとしてのみ和するようにしてくださり、お父様のもののほかは一切除去させてください。
お父様が楽しまれるならば、私達も楽しむことができ、お父様が動じられれば、私達も動じることができるよう許諾してください。
そうして、万象の前に、一つの美の栄光を備えた本然の姿として現れ、新しい声をもって伝播することのできる者達として回復してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


今、「私」の心が「私」の心でないことを知り、「私」の体が「私」の体でないことを知り、「私」が暮らしているこの地が「私」のものでないことを知りました。
この宇宙が「私」のものではなく、お造りになったすべてのものが「私」のものではないという事実を知りました。
このすべてのものは、お父様から由来し、お父様のみ旨と連結されたものとして、お父様のために造られたことを知っています。


このように造られた一つの中心に対して、万民が喜びの栄光を探し出さなければならないのが、創造の本性であることを知っています。
お立てになった中心の栄光に和して、心が動じ、全宇宙が動じることのできる、そのような和動の実体、本然の実体として回復してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.12.21)




11


み旨の前にお立てになって子女の名分を教えてくださり、私達の本然の価値を教えてくださったお父様のみ前に、この時間、感謝申し上げざるを得ないものです。


今、私達の心をお父様のお心と連結させ、お父様のお心を身代わりすることのできる心となるようにしてください。
私達が心で感じるすべてのことが、お父様を身代わりした感覚となるようにしてくださり、私達が体得するすべてのことが、人性を越え、天性を身代わりして体得することのできるこのひと時となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様!
お父様と離別した私達は、再びお父様と出会わなければなりませんので、私達の歩みが、お父様を探すためにあえぐ、切実なる歩みとなるようにしてください。
切実なる心情と切実なる忠節と、そこからわき出る品行を備えなければならないということを知っていますので、お父様、私達が新しい覚悟をもち、出発するようにしてください。


このひと日、私達の心中が、お父様のみ前に一つとならなければならないということを知りました。
私達は、お父様のみ手に捕まらなければなりませんので、お父様、親しく尋ねてくださって、私達の心をなだめてくださり、私達の体を抱いてください。
お父様、切にお願いいたします。


今、私達がお父様のみ前に、一つの生きた祭物とならなければならないということを知っていますので、このひと時から、お父様のみ前に生きた祭物として捧げられる私達となるようお許しください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.11)




12


目を上げて、天を見つめなければなりません。私達の目は悪くなるだけ、悪くなってしまいましたが、昼でも夜でも、休まず、何が現れるかを見つめなければなりません。
アダム以後の歴史において、散り散りに残されてきたすべてのものを見つめなければなりません。


このようなことが、私達をして生命の中心と理念の基準を探し出すことができないようにしましたので、これを克服し、天を再び見つめることのできる心、人情を超越して天情に徹することのできる心をもつようにしてください。


私達は、失われた本然の園、失われたお父様の理念を探し出して、万物を主管し、守るべき者であり、万物と共に愛の因縁を結び、それを束ねてお父様のみ前に帰し奉るべき者であり、お父様が天地を創造されたご心情を通して、お父様の愛の花を咲かせ、結んでさしあげるべき全体的な責任を負っているということを知っています。


そうですので、一歩も踏み出すことができないまま、深い眠りの中に入っているすべての世界人類を目覚めさせてくださって、新しい光明の朝を迎え、天を見つめ、再び目覚めることのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


新たに目覚め、天を見つめ、世界歴史の前に新しい意志を示すことのできる、第二の群れとなるよう許諾してくださり、新しい理念と新しい心情でもって結び合う、新たな氏族を動かす私達となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


天に向かって、再び目覚めるようにしてください。
人類が望むことのできない新しい所を、探して立つことのできる群れとなるようにするため、この民族の行くべき道がまず遮られたということを知っていますので、失望することなく、疲れも忘れ、今日もあすも、たゆまず進むよう導いてください。


再び目覚め、天を見つめられる群れが現れてこそ、この地がよみがえるのであり、その動きによって世界がよみがえることを知っていますので、これに責任を負う群れとなるようお許しください。
切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.15)




13


お父様!
私達の心と体を主管してください。
私達には心がありますが、私達のものではないことを知りましたし、体がありますが、私達のものではないことを知りました。
心は善なる方向を指向しますが、体は悪なる方向に進もうとしますので、その間であえいでいる自らであり、天の嘆息圏を脱することができずにいる私達であることを、お父様もご存じで私達に対してくださっているということを知っています。
お父様、このような私達を哀れにお思いになって、私達に天の生命の恩賜を加えてくださり、私達の心中に、強力な復活の力を加えてくださらなければなりません。


体は心を屈服させようとしますが、天のみこころは心が体を打って、心の前に体を永遠に屈服させることのできる、勝利の一基準を探し出すことです。
このような基準を今日、私達自身を通して成就しなければならない必然的な闘いが残っていることを、私達は知っています。


このようなわけで、私達の前に相次いで現れる闘いは、私達が恐れる闘いではなく、このような闘いの環境でぶつかってくるあらゆる悲しみが大きな悲しみではなく、心と体の闘いにおいて、心が体の主管を受けているという事実が、もっと大きな悲しみだということを、今日私達が感じるよう許諾してください。


お父様!
強い心を生じさせてくださり、強い恩賜を加えてください。
私達の心が、体を屈服させることのできる能力を所有できるよう助けてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


このことが私達から成就されなければ、全体の生命の復活を成すことができないということを、私達は心を中心とした生活を通して知っていますので、お父様、私達の心がわき上がらなければなりません。


生命に対する心、恩賜に対する心、復活の役事に和することのできる心、その心に受けた衝撃と感激が、私達の体を包み、私達の環境を包むことができるよう許諾してください。
そのような天的な再創造の役事が、私達の体の中に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


私達の心は、お父様の栄光に向かって無限に燃え上がっていますが、お父様に向かう私達の体は、無限に疲れ、あえいでいる立場にいますので、お父様、このような環境を調節して、心が願うとおりに体を動かすことのできる喜びの園が、この地の万民の前に早く早く現れるよう許諾してください。
そのような息子・娘達がいるなら、歴史に永遠に残してくださいまして、彼らをしてこの地を主管し、天を動かすことができるよう祝福してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.26)






14


お父様!
悲しみに疲れ果て、困難に疲れ果て、行くべき方向すら分からずあえいでいる私達を、哀れにお思いください。すがるところを知らず、彷徨する私達を捕まえてください。
あなたが私達に許諾された恩賜が、素晴らしく、大きいことを感じる私達でしたが、その恩賜を受けても、お父様のみ前に栄光を帰し奉ることができない、不忠なる私達を、お父様、受け入れてください。


お父様は悲しい世の中から、その悲しみを避けていくことのできる道を、私達に前もって提示してくださいましたが、その予告されたみ旨を奉じるのに十分でない私達であったことを受け入れてください。
苦しい行路を行くべき私達でしたが、これを避けることのできる一つの道を、私達に立ててくださったということを知りながらも、お父様のみ前に感謝して、その道を行くことができなかったことを受け入れてください。


今、残された生涯をお父様の喜びとお父様の栄光のために、お父様の意中に任せて生きることを望んでいますが、地上には死亡の権限と罪悪の権勢が、あまりにも強く私達の周囲を取り囲んでいます。これを脱することが困難なことを、お父様もご存じですので、哀れみのお父様、この時間、顕現してください。


いまだに解放された立場でお父様の栄光をほめたたえ、お父様のみ前に喜びを帰し奉る私達となっていないことを、お父様、受け入れてくださり、新しい能力のみ手を差し伸べてくださって、暗やみの権限を制圧してください。
私達が勝利の姿をもって復活の栄光を謳うことができるよう、再創造の役事を巻き起こしてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


死亡の権勢が私達を襲っていますので、生命の感触と生死の判別を経て、これを蹴落としていくことのできる自動的な力と自発的な能力が必要ですので、お父様、それを念願するあなたの息子・娘達がいるならば、彼らに親しく能力を加えてくださり、復活の権限を許諾してくださって、あすの望みを抱き、一日一日の生活を開拓していく天の精兵となるようにしてくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


今まで、歩んできた生活のすべてが足りなかったとしても、お父様、受け入れてください。あすの新たな約束に対して予告し、私達に衝撃を与えようとするお父様のみ意があるとするならば、そのみ意とその理念とその望みを見つめながら、今日もあすも開拓者の責任を果たすことができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願いいたします。


お父様!
お父様のために生きたく、お父様に従っていきたく、お父様のご心情に倣いたい心ですので、これを基盤としてお父様が役事してください。
お父様が動じてくださって、私達に復活の栄光を示してください。
そうして、解放の恩賜圏内に私達を移してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.7)



15


数多くの人々が心で慕い憧憬するものは、望みの園、理念の園でしたが、お父様を抱きしめ、この園が望みのすべてだと賛美する人はいませんでした。
お父様、
今日ここに集まったあなたの息子・娘達に、今何か感じることがあるとするならば、お父様に対する感情を感じるよう許諾してください。


お父様が理念のすべてであり、お父様が生命のすべてであり、お父様が愛のすべてであることを分かるようにしてくださり、お父様のすべてのみ意を身代わりすることのできない私達でありますがゆえに、今日お父様がその威信を立てられる環境で、私達に対することのできないことが悲しみであることを、分かるようにしてください。


今、お父様の威信を立ててさしあげられる私達となるようお許しくださり、イエス様の威信を立ててさしあげられる私達となるようお許しくださいましたので、地上に悲しみがあるならば、それを「私」のものとして引き受けられる者とならなければなりません。
地上に苦痛があるなら、これは「私」が引き受けるべきものであることが分かるよう許諾してください。


地上にいる私達は、本当にお父様のお心に通じなければならず、イエス様のお心に通じなければなりません。
「お父様の悲しみと困難は、私が引き受けよう」という覚悟をさせてくださり、すべてのものを蹴落とし、お父様の生命の恩賜を感じなければならない、歴史的な転換期に置かれているということを知っていますので、今、私達が新しい心の本質をもつよう許諾してください。


今、私達が新しい理念と新しい心情を備え、お父様と関係を結ぶことのできる一つの基準をもつことができなかったとするならば、歴史の審判とともに清算される運命を免れないということを、この時間悟るようにしてくださいますことを切にお願いいたします。


イエス様もこのことのために生きられたということを(私達は)知っていますし、三十年余りの生涯を自分のために生きられず、民族と堕落した人間達のために生きられたということを知っています。
今、イエス様ご自身のために生きることのできる天国の時代が来たということを知っていますし、その国の民として、その時代の選んだ者として立つためには、地上でイエス様が経験された十字架の山また山の道をすべて越え、勝利した実体の姿として、復活の栄光を許諾していただかなければならない最後の課業が、私達に残されているということを知っています。


このような内容を知ったからには、その実体とそのみ旨に自分を符合させ、そのみ旨の目的を成就させるための一つの実体的な祭物を準備しなければならないことを知っていますので、お父様、共にいてください。
お父様が認定できる勝利の祭壇を造成し、本然の聖殿を備えられる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.7)




16


行けども行けども終わりなき復帰の路程であり、恨みが残されたまま、回りに回らなければならない私達人間であることを知っています。
しかし、ご苦労されたお父様の心情世界に通じるようになるとき、回っていた悲しみの歴史が、今日、私達と関係を結ぶようになり、今日の闘いの関係は、未来の因縁を造成し得る土台となることができ、無限なる望み、無限なる幸福、無限なる慕情の園を建設してみせるという、この心情の因縁を私達が知らなければなりません。


お父様がアダムを引き連れ、あちらこちらと回られながら、誇ることのできるその山川がどこにあるでしょうか。
アダムと共に誇りたかった、咲きゆく花がどこにあり、育ちゆく樹木がどこにあり、青々とした草原がどこにあり、流れゆく小川がいったいどこにあるでしょうか。


そのようなご心情に通ずる境地で、お父様に伴った立場に立つことができたはずのアダムは、堕落して、お父様のそばから離れましたが、今、私達自身はお慕わしいお父様の横に侍り、万象と共に、万民と共に、全天宙と共に楽しむことのできる喜びの姿となるようにしてくださいますことを、我がお父様、切にお願いいたします。


お残しになった十字架の怨恨も、慕わしさをもって行かなければ因縁を結ぶことができず、お残しになった栄光の座も、慕わしさに徹して理念の園を欽慕する心がなければ、因縁を結ぶことができないことを私達は知ったので、慕わしい心情をもち、本然の人間として、本然の園で万物に対することのできる息子・娘、堕落の因縁を結んでいない、お父様の祝福を受ける勝利の息子・娘達となるよう許諾してくださって、人類の真の先祖達となるよう導いてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.28)



17


あちらこちらと歩き回り、生命の道を求めてお父様のみ前にひれ伏した私達であることを悟らざるを得ません。


今日、お父様を「アバ、父よ」と呼ぶことのできる立場に立ててくださった恩賜と、私達が知らない間に無限の苦労を意に介さず、私達を保護し、分別してくださって、この立場まで導いてくださった恩賜の前に何をもって報いましょうか。
報いる何ものも備えられませんでした。
体を捧げてもその恩賜に報いることができず、心すべてを捧げても、お父様のご苦労の功績の前に、頭を上げることのできない不足なる者達であることを、この時間に感じざるを得ません。


ここまで導いてくださったお父様に、私達を生かすべき責任もございますが、私達を通して栄光のひと日をご覧になるべきお父様のご事情があり、願いがおありだということを知るものです。
また、このような私達をご覧になり、慰安を受けようとなさるお父様であられることを思うとき、足らない私達に望みをもたれ、歴史路程の山また山を耐えてこられたお父様のみ前に、面目がないことを感じざるを得ません。


私達の血肉がお父様のご心情を思いやることを知り、私達の骨が一つの人格を構成することのできる形態を備えたとするならば、それ自体がお父様の不変の姿を証すことのできる、一つの構成体となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願いいたします。


細胞の一つ一つまでもお父様に属し、栄光を帰することのできる、神聖で、栄光なる実体をどれほど待ち焦がれられたことでしょうか。
歴史路程において、私達の先祖達は、そのような姿をもってお父様に侍ることができませんでした。
天に従いながらも、時には恨みもし、時には背きもし、選民権を誇りつつも、それを放棄してしまうこともあった歴史的な事実を知っています。


お父様!
このような恨み多い血統を受けた私達であるがゆえに、今日は神様を自信をもって信じると言っても、あすには天に背き得る、悪なる世界に近い立場にある者達です。
このような私達を、お父様、哀れにお思いください。
お父様、捕まえてください。
私達の渇いた心に、お父様の生命のご心情を接ぎ木してくださり、新しい生命に躍動する復活の役事を巻き起こしてくださいますことを、切にお願いいたします。


今日まで、地上に生まれ逝った人も多く、今も生まれ逝く人がたくさんいますが、お父様のご事情をつかみ、痛哭する人がいませんので、今日私達が、お父様のご事情とお父様のご心情をつかみ、痛哭することのできる者達となるようにしてください。
天と地を恨み、歴史を恨み、堕落した先祖を恨むことができ、お父様に「私」が侍ろうという、お父様のために生きようという気持ちに徹した息子・娘達が、地上に多くなるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.9.6)



18


お父様はあるうわべの形態を要求なさるのではなく、心中深く染み入っている本然の自分自身を覚醒させ、お父様を欽慕する心を尋ね、お慕いになるということを悟るようにしてください。


歴史路程と、時代的に複雑な闘いの路程を経てこられながら、願われる望みの姿を探し出そうと、ご苦労なさったお父様のことを今日の「私」が、「私」一人きりではなかったということを、感じざるを得ません。


私達がこの地上に生まれたときには、上下・前後・左右の因縁を中心として生まれました。
この因縁が何となく、完全無欠な一つの目的の価値、あるいは全体的な対象の価値を追求するよう、私達をせき立てているということが分かるようにしてください。
このような自我の姿を中心として、上には天があり、下には善の歴史が天倫と共に動いていることを分かるようにしてくださり、前には望みの世界と左右には私達の同志と民族と同胞がいることを感じ、本然の心情をつかみ、このすべてのものを観察することのできる、上下・前後・左右と因縁を結ぼうとする息子・娘達となるよう許諾してください。


自らのすべてのものを忘れてしまい、これが慕わしくてたまらない人がいるとするならば、彼らが時代的に受け入れられず、生活的に反対を受ける路程を歩んだとしても、終わりの日には必ずや天性の前に立てられることを知っています。
お父様、今、お命じください。
お話しください。
私達が心でお父様のご心情を待ち焦がれ欽慕しますので、お父様、悩み苦しまれることがありますなら、私達に体得させてくださり、悲惨で切ないことがあるなら、私達の体を通して実証させてください。
私達の体をもって実証する場で、お父様の実存を感じ、お父様のみ前に頭を下げ感謝を捧げることのできる、望みの息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.9.27)


19


今日、取るに足らない私達が、驚くべきお父様のみ旨の前に現れるようになるとき、まず私達自身が足らないということをはっきりと悟り、天のみ前におそれ多くも立つことのできない堕落した後孫であることを、骨肉に染みて感じなければなりません。
どう見ても、天のみ前に立てて誇るべき何ものももつことのできなかった私達であることを知りました。
先祖から伝わってきた血統も、あなたに背反した血統であり、先祖の血と骨と肉を受け継いだすべての先知者達も、あなたが喜んで、永遠なる愛のご心情をもって、広いそのみ愛の懐に抱くことのできない罪悪の苦い根をもっていたために、今日の私達も天のみ前に受け入れられるにふさわしくない者達であることを、あまりによく知っています。あなたがこの上なく善に造られた者達が、あなたが嫌いになるしかない部分と要素をもち、この地上で生きるというこの悔しい事実を知るとき、私達は痛嘆せざるを得ません。


今、私達の血と肉と細胞の一つ一つに、悪の根性と悪の要素が潜在しているという、このぞっとするような事実をかき分け、踏みつけ、無慈悲に切ってしまうべきことを知りました。お父様の聖なる本性と因縁をもつことができず、本性の心情と本性の血統と本性の骨肉を受け継ぐことのできなかった恨み多い後孫であることを、私達は告白せざるを得ません。


このような私達の中で、あなたが永遠無窮に遺業として残すべきエデンの園に立てて、祝福することのできる息子・娘がどこにいますでしょうか。
しかし、この不足な者達に赦罪の条件、受け入れの条件を立ててくださり、あちこちご覧になって、「罪がない」と言うことのできる立場に立ててくださろうとするあなたの大きな恩賜の前に、身をかがめ、頭を下げ、涙することのできる息子・娘達となるようお許しください。


天を知れば知るほど、お父様のみ前に心苦しい自らであることを悟らざるを得ず、行けば行くほど、頭を下げてお父様のみ前に自らの姿をさらけ出すのに恐ろしさを感じざるを得ませんが、これが天に従っていく道であることを知るものです。


今日ここに集まったあなたの息子・娘達が、息子・娘と呼ぶにはふさわしくないことを知っていますがそれでもこの者達をお捨てにならないあなたのみ意があることを知っていますので、思いやってください。


険しい立場で傷を負いながら生きてきた、この者達のすべての傷を、お父様が覆ってください。
いくら血と肉の因縁が切れた子供でも、本然の心情を通しては、「知らない」と言うことのできない立場にあるがゆえに、あなたはこの者達を真の子供として記憶しようとされるということを知るものです。
お父様、この日を祝福してくださり、記憶してくださいますことを切にお願いいたします。


今日この日を、私達が新しい歴史的な一日として立て、体と心と心情のすべてをお父様のみ前に捧げて、子女の栄光と子女の名分に接することができるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(196011.27)



20


お父様!
今日は、イスラエル民族が、荒野で行くべき道を見いだせず、彷徨した四十年期間と時を同じくし、彼らの不信により、イスラエル民族史が天のむちを受けて終わったのと、時が同じであることを知るものです。
いかなる面から見ても、今がそのような時であることを知るものです。


このような時を、収拾することのできる役事が起こることを、私達も望んでいますが、私達自ら心を収拾し、方向を定めて、ある道を行かなければならないと決心できなければ、(お父様が)行くべき方向を教えてくださり、そこに行けと言われても、(私達は)行くことができないことを知っています。


問題は、この地のすべてがばらばらになっていることではなく、「私」の心の中心がばらばらになったことであり、処すべき位置と進むべき方向を失ったことにあるということを知るものです。
このように自分が処すべき位置を知らず、進むべき方向を知らないまま、終末の現象を見つめる私達は、今お父様が中心であることを知ったからには、お父様が願われる位置と基準に合わせるために、自らひざをつき頭を下げて精誠を尽くさなければなりません。


終わりの日には、頭に油を塗り、密室にこもって祈祷しなければならないことを知っていますので、お父様の心情基準と私達の心情基準が一致する立場に自分を立て、生活において勝利の条件を見いだして、その価値を論ずる私達となるようにしてくださり、そうできないとするなら、お父様のみ前に立つことができないということを、私達が分かるようにしてください。


このような立場に置かれている私達であり、このような社会とこのような世界の現象を眺めている私達であり、このような環境の中で、体と心が苦痛を受けている私達ですので、このような私達を再びお造りになって、心情の基準を立ててくださり、お父様の中心的な役事を提示してくださり、私達の心の中心を聖別してください。
私達の体と環境を聖別して、あなたと出会うことができるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.12.11)



21


万世の栄光を賛揚すべき数多くの存在が、お父様の懐に抱かれ、お父様の栄光と共に、お父様と共に生きなければなりませんでしたが、人間の先祖のひと日の失敗が、このように悲しみの歴史を編み、凄涼とした峠道を越え、涙と血と汗をにじませるようにしたことを思うとき、お父様の恨み多い悲しみを慰労してさしあげる何ものももっていないことを、受け入れてくださいますことを切にお願いいたします。


堕落の後裔として生まれたことを悲しまざるを得ない自分達を、哀れにお思いください。しかし、捨てることのできない因縁をもって尋ねてこられたお父様のご心情の前に、感謝を捧げられる子女となるよう許諾してください。


数多くの民族の中で、韓民族を尋ねてこられたことに感謝をお捧げし、数多くの民の中で、取るに足らない私達を先に呼んでくださったことに感謝をお捧げいたします。


このような福は「私」ゆえのものでないことを知り、多くの民と多くの人類の前に、その福を分けてあげる福の機関の使命を果たす立場、そのような天的な因縁を感じることのできる立場に立てられましたことを、心から有り難く思うものです。


私達が知らない間に、お父様が因縁を結んでくださった因縁の実として、この立場に召命を受けた自分達であることに感謝し、私達が担った責任が私達の一個体にとどまっているという事実を分かるよう許諾してください。


民族を越え、人類と世界の前に影響を及ぼすべき使命が、私達個人個人の双肩にかかっているという事実を自ら肝に銘じ、お父様のみ前に一歩を踏み出して、責任を果たすことを誓うことのできる、愛を受ける息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたします。


アーメン。
(1965.12.26)


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父の祈り(統一の祈り)12ー2

2023年02月02日 12時41分05秒 | 学習

26


お父様!
足らない孝行の心であなたを慕っています。
足らない忠誠の心であなたの真正なる生命と因縁を結ぶことを願っています。
安らかにお抱きになって、受け入れてください。


息子たる私達はイエス様より劣ってはなりません。
お父様のみ旨を中心としては、死ぬべき場に行くとしても、その死を感謝で迎え得る息子となり、娘とならなければなりません。


そのような決意をしなくては、北韓の地に散らばっている悪の徒党を、サタン世界の中心型として現れている北傀を屈服させることができないということを知っています。
これは「統一思想」の結束によってのみ成すことができるということを、ここに集った私達ははっきり知っています。
この思想を民族的に宗教的にキリスト教的に適応させなければならないことを知っていますので、この期間を通して早く早くこの使命を果たすよう許諾してくださいますことを再三お願い申し上げます。


北韓の地を解放して、天が求めてきた願いの国、お父様が祝福した勝利のイスラエル主権国家を整えるようにしてください。
そうして、万邦に本然の姿勢を整えて、国家的統一の運勢圏内で勝利の栄光を賛揚することができるようにしてくださり、天の前に抱かれ得る世界を成すことのできる時代として祝福してください。


お父様!
内的な事情の責任を果たさざるを得ないあなたの立場を私達は感謝に思っていますので、どうか同情と慈悲の心情をいつも私達の前に施してください。
行く道をお父様と共に、勝利の賛揚と栄光の恩賜を全世界と霊界と共に整えていくことのできる統一の動きが、以後から本格的に展開されるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.1.3)



27


お父様!
私達は大韓民国が歩んできた歴史的な過程とともに、その因縁の中に生まれた一個体としてこの国の運命を背負わなければならない希望の実体とならなければならないということを知っています。


この国はあまりにもかわいそうで悲惨な歴史を経てきました。
誰をも見いだせず、誰にも頼ることができず、あなたが運行なさるその方向さえも見失ったまま、自らあえぎながら闘ってきたこの民族の凄惨な歴史をあなたがご照覧ください。


あなたのそのみ旨をこの国の歴史にお置きになり、この民族の背後をたどってこられたお父様の厚遇なる愛があったということを私達は考えるものです。


朝になって光明なる日の光が差す度ごとに、この国の希望もそのように光が差し得るその日が来ることを、志ある私達の先祖達がどれほど待ち焦がれたかという事実を知らなければなりません。


この国のために心を砕き憂えた数多くの愛国の志士達は、あなたの願いが照らされることを望みましたが、照らしてあげることのできるその日々をもどかしく待ちながら、涙とともに推し量ることのできない真っ暗な心情で夕日を送り、夜を迎える悲しみの歴史を歩んできたことをお父様が記憶してください。


この夜が夜として連続するのではなく、朝が来ることを知っていますし、退屈で誰もが願わざる歳月がすべて過ぎ去り、歴史的な新しい光明の時がこの天地に訪ねてくることを知っています。
この国をお守りください。
外的基準を誓う現実的な時点で新しい精神的革新を誓い、新しい春の日を迎えるべき時が近づいていることを考えるときに、この民族のあすに、お父様が責任を負ってくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたが責任を負っているものを、私達が中心たる基業として相続するためにお父様の前に誓い、お父様がご覧になるに頼もしく望ましい息子・娘となって、新しい世界と新しい天国に向かって行進することのできる隊列に立てるようにしてくださり、お父様がすべてのものを相続させてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、私達が集う場は寂しい場となってはならず、悲しみが宿る場となってもいけません。
お父様がいつもおられる所、お父様がいつも干渉せざるを得ない所、お父様と共に生き、お父様と共に行く運命の一祭壇となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.4.4)


28


お父様!
かわいそうなこの民族の前に、私達の持てるすべての精誠を傾けなければならないということを知っていますので、お父様、かわいそうなこの民族をお守りくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様が完全にお守りくださり、あなたのみ旨とともにこの民族が生きられるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


南北が分立された責任は誰にあるのかと問うときこの民にあることを知っています。
この民を中心とした数多くのキリスト教団にあることを知っています。
この教団達の負った責任を私達が負わなければならないことを考えるときに、私達は自信を持ちながらあすの開拓者の使命に張り合いを持って誓わなければなりません。
今日、先駆者の行脚路程におきまして、自ら落胆する者達となってはなりませんので、お父様、諭し励ましてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


南北が統一されるその日、数多くの民族達が賛揚をし、あなたがお喜びになることのできるその日が早く来なければなりません。
三千里半島にあなたの解怨成就が成される勝利の天国を建設することのできる日が来なければなりません。


悪がいくら強いとしても、あなたのために生きる孝行の者が残っていて、忠誠の者が残っている所には、悪が侵犯できないということを知っています。
ここに集ったあなたの子女達、孝行が足らず、忠誠が足らないことに恨を持たなければなりません。
多くの人ですが、一つの体のようにならなければならず、一つの心とならなければなりません。
み旨を中心として一つとなる日には栄えるのであり、分立される日には滅びるということを知っています。


統一というその名は今まで受難の名として呼ばれてきましたが、今からは栄光の名として残されなければなりません。
栄光に向かって行くべき道が、既に定まっていることを考えるとき、今日私達自身が統一の基盤を確保しておかなければならないという重大な使命を感じなければなりません。


この教会が一つとなり、南韓各地に散らばっているあなたの子女達が一つとなり、世界に散らばっているあなたの子女達が一つとなって、最後の教団として統一教会がこの時代の前に、この世界の前に、歴史の前に恥ずかしくないように責任を果たすことができるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.4.11)




29




お父様!
この国の現情勢を悲しくご覧になり、記憶してください。今後の大韓民国の運命に、お父様、責任を負ってくださらなければなりません。


誰もこの国を導くことができず、誰もこの国に責任を負うことができず、あなただけがこの国を天運の方向に一致させることができますので、見守りの中で私達各自の心とこの民族の心情を結び付けてくださり、あなたが願われるみ旨の前に一致するようにこの民族がその方向を備えることができるよう、お父様、役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


いくら優れた人であったとしても、天運を阻み得る者はいないのであり、天運の法度に従って、その軌道に順応しなければならないということを私達が考える度ごとに、この国を指導している数多くの人々の心にあなたの心がこもって、最後の決定的なこの情勢の前に、あなたの摂理のみ旨の前に、必ずや帰結すべき一点をお父様が提示してください。このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.9.5)




30


今、韓国をあなたがお引き受けください。
このようにかわいそうなこの民族を訪ねてこられたお父様、この民族の将来をあなたの掌中に束ねて一つに立てられなくなるときに、あなたは一層かわいそうなお父様とならないでしょうか。


不肖な私達、一つの個人を中心としては心と体が分かれています。
男性と女性が分かれていて、家庭と家庭が分かれていて、氏族と民族と国家と世界が分かれていて、天と地が分かれていて、人と神様が分かれているこの間に、誰が橋を架けるのでしょうか。
個人個人が互いに離れようとしても離れることのできない金城鉄壁のように、あなたと私が一つの食口を成し得る結合が必要なことを知っていますが、その使命を誰が果たすのでしょうか。
堕落した人間は、なすことができません。


それゆえ、私達は霊界にいる千々万の聖徒達の協助を願っています。
お父様がおつかみになり、これを混ぜに混ぜて統一させてくださる前には、統一される道がありません。
既に洪水で流される人と同じ運命に立っている私達の力だけでは到底なされませんので、天に向かって「お父様」と呼び、天に向かって「先祖」と呼んでいる私達を、かわいそうにご覧くださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたがお訪ねになることのできる家庭がどこにあるのかと言うとき、ないことを知っています。
そのような道、そのような家庭を探し出すために、統一教会は新しい意味の家庭を編成しました。
これはこの地上に、ある民族と国が行く前に、あなたが前もってお行きにならなくては民族と国が行けないことを知るためです。
目新しい家庭を編成したのも、あなたが統一的な道を要求なさったがゆえであることを、あなたはご存じのはずです。
二つになったものを一つにして、あなただけのものとして所有なさるためのものではないでしょうか。


このような家庭を集めて氏族を編成しました。
その氏族の中にはアベル氏族とカイン氏族がいることを私達は知るものです。
アベル氏族はカイン氏族を復帰しなくては、父母の理想圏を受け継ぐことができず、神様の愛の理想世界を相続することができないのが原理原則ですので、私達は一生の力を尽くし、ありったけの力を振り絞り、身もだえしながらカインを復帰することのできる氏族圏に向かって駆けていますので、この統一の群れ達を記憶してください。
祝福家庭達を記憶してください。


そうして、一つとなった氏族を成したのちには、それを中心として一つの民族を編成し、アベル的民族としてカイン的民族と一つになるようにすべき責任があることを知るものです。
そうして、この国の独立を、この国の統一を、この国の第二解放を成すのが私達の願いであることをよくご存じであられるお父様、今後の韓国をあなたがお引き受けください。
誰も主人となることができませんので、あなたが共にいてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様は明らかに生きておられるので、あなたが経綸なさるみ旨のままになることを信じ、知り、出ていくこのかわいそうな群れの側にあなたが立ってくださり、あなたが要求するみ旨を成すようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1972.8.20)

31


お父様!
全世界の万民が失った本然の世界を捜し出すために、復帰の道を開拓していくべき、歴史的な恨みの路程と悲しみの路程を私達は知っています。


私達人類始祖の堕落によって、このように嘆息の世界は、霊界と肉界が分立し、私達個人においては体と心が分立し、全世界がサタンを中心として分立に分立を重ね、数多くの国と数多くの民族に分かれるようになりました。


そうして、神様の懐を離れ、神様と因縁を結ぶための愛の基盤を失ったまま、サタンの愛を中心として血統的因縁に縛られたまま、恨みと悲しみの歴史的な血縁を結びながら、繁殖して分立の世界をつくってきました。


このような実情をお父様は収拾して、一つの世界にまとめてこられるためにどれほどご苦労なさり、どれほど恨みの心情を抱きサタンと対峙しながら、希望なる一つの統一の世界を捜し出されるためにご苦労されたでしょうか。
私達人類がお父様の前に面目のないことを、お受け入れくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


しかし、お父様は私達をお捨てにならず、分かれていくすべてのものを一つの世界にまとめて、今正に全世界がお父様の胸に抱かれなければならない、世界的に分立された共産世界と民主世界、カインとアベルの形態を備え、左翼と右翼という世界的分立の姿を、今、お父様のみ旨を中心として一つにするためにこの地に真の父母をお送りになり、左右がその真の父母を中心として一つとならなければならない摂理のみ旨をお父様が立ててこられました。


第二次世界大戦直後に統一された一つの国を立て、万国を連結させようとするお父様のみ旨があったということを私達は知っています。
キリスト教を中心として、アメリカを中心として、さらにはこの世の中を統一の圏として抱くことのできる最後の勝利の版図を備えてこられたお父様の願いが、この人類の中にあるということを思うものです。


カイン・アベルを蕩減し、その基盤の上に新しい国、新しいご父母様の国、新しい祖国の出発、世界的な進出を韓国のキリスト教とこの地が新しい救国理念をもって成すべき歴史的な使命を、今から四十年前、その時に失ってしまいました。


そうして、民主世界はまたサタンの支配下に入っていき、分立された状況に陥るようになり、このような状況下においても、お父様は統一教会をして個人的に家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減の路程をさかのぼらせました。
この混乱状態から、お父様、民主世界の分立が起こりました。


民主世界自体をもってしても、天のみ旨は収拾することができず、共産世界自体をもってしても人間を引っ張っていくことのできない、今すべてが整わなければならない最後の終着点に至りました。
このような基盤を中心として、今日、統一教会をお立てになって、今後整えるべき、整備の状態にとどまっているすべてのものを左右に再び、カインとアベルを中心として蕩減したのち、父母をお立てになって世界を収拾なさろうとするお父様のみ旨が、今、最後の勝利を誓うこのような瞬間を迎えました。


キリスト教を中心としてこの国が一つとなれませんでしたが、アメリカのキリスト教を中心として一つとなることのできる蕩減の運勢に乗って、今ようやくこの大韓民国に新しく四十年前の運勢の基準を備えました。
統一教会を中心として見るとき、今やっと民族を越えて世界と共に連結すべき民族的勝利の版図を、お父様、備えましたので、ここに中心となってくださり、南と北が分かれたこのすべての韓国の実情をご照覧ください。


ご父母様を中心とした統一教会の群れ達が和合してこれを完成することにより、全世界の勝利の版図を定着させ得る起源となることを知り、私達は新しいみ旨の使命をおいて南北統一運動国民連合というとてつもない新しい仕事を始めました。


ここにお父様が中心となり、真の父母が中心となり、祝福を受けた家庭が中心となって、今このすべてのものを束ねてお父様の前に蕩減してさしあげなければならないとてつもない使命を前にして、祝福を受けたすべての家庭が集いましたので、私達の心と体を一つ一つ一体化させてください。


今、家庭を一つにし、父母を一つにし、民族を一つにすると同時に、世界的運勢圏を蕩減基準と連結させることにより、宇宙の新しい勝利の版図を中心としてお父様の国に礎石を置くことができるよう祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
四十余年間、お父様がご苦労されたそのすべての苦労と恨みを解き、今、統一の群れ達が勝利と栄光の双手を挙げて万国に賛揚することができ、誇ることができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達の前に許諾されたこのすべての運勢を私達が受け継ぎ、お父様の前に復帰してさしあげるにおいて、真なる祭物の使命を果たすことができるよう祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、この民族の願いである南北の恨みを解くよう許諾してください。
お父様の願いであるご父母様を中心として南北が統一されることにより、世界的なすべての開門が始まるのです。


お父様、祝福なさった韓国の地全体を支えて、勝利の天国の開門まで一致化させ得る因縁を結ぶようにしてくださり、今実践するすべての動きの上にお父様の永遠なる保護が共にあり、勝利の盾がとこしえに共にあるようにしてください。


私達が行く所ごとに、お父様の生きておられることを現し私達の動きが民族的統合を成すのに少しも不足がないよう、お父様、役事してくださることを懇切にお願い申し上げます。


そうして、お父様に侍り、ご父母様に侍り誇ることのできる天の国の民として姿勢を備え、お父様に地上で侍り、お父様を中心とした万国の統治圏をこの地上に成就させられるよう、最後の目的を私達が完結することができるよう祝福してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様を中心としたすべてのみ旨が日進月歩することにより、民族と全世界人類の解放圏が成されるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残されたその日とその時の前に、恥ずかしいところがないよう使命を完遂し、お父様の息子・娘となり、お父様の懐に抱かれて愛し愛されるに不足のない幸福なる子女と家庭となるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残された使命の前に恥ずかしくない姿勢を備え、前進を誓い、勝利を誓う動きとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1987.5.17)








32


愛の園に向かうことのできる理想の起源がなくては、幸福、理想、平和の世界は存在できないという事実を知りました。本来、神様を中心とした統一的な起源に一致化し得る愛の理想は、神様とアダムとエバと万物が連結されなければならないことを知りました。


この時代におきまして、個人や家庭を中心としてももちろんですが、氏族、民族、国家、世界型にこれを連結させ、祭物的な過程を経て世界の堕落圏、嘆息圏を脱しようとする統一の群れの身もだえを、お父様、哀れにお思いくださって、今後動いていく歴史を、お父様、指導してくださり、世界的な活動を保護なさって、あなたの所期の目的達成に必要要件として登場する民族、国家となることができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
南韓、北韓が分かれてはならないということを知っています。
これを統一することは大韓民国の民族的使命ではなく、歴史的な使命であることを知りました。
摂理史に必ずこのような基準を中心としてアベルがカイン圏を消化させ、天の前に統一的愛の一つの圈を成さなければならないということを知る統一の群れ達が、先頭に立ち、新しい伝統を繁殖させるために努力するのに不足のないよう、総決起することができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、すべての個人的生活、家庭的生活をするにおいて、氏族、民族、国家、世界、天運の役事に従っていく伝統的思想を受け継ぎ、愛の代理者となり、代表者となって、家庭、氏族、民族、国家、世界をそのような立場で愛し、天の愛の相対理想圏を受け継ぎ、神様のものであると同時に全世界のものであり、世界のものであると同時に私のものであり得る愛を中心とした統治圏、統一の圏を成すことができるよう、祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残された世界とすべての被造物の前に恥ずかしい主体的人間になるのではなく、堂々と誇ることのできる主体者となって、神様の懐に抱かれるのに不足のない息子・娘となるよう許諾してくださり、その家庭とその国とその民となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残された時代と責任の前に恥ずかしくないようにしようと誓うすべてのことが、お父様の素心(=平素の心)の中で一体化することができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1987.9.20)






33


過ぎ行く歳月が真なる人を呼んでいるという事実を知らずにいるこの死亡の世界を眺めるとき、今日解放圏を備えて誇る私達においては、南北が行き違っているとしても、これは間違いなく解放されるだろうということを、私達は知っています。


東西が分立されて文化的背景がいくら相反しているとしても、真なる生命と真なる愛を中心とした統一的な血縁の基台の上では、このすべての塀が撃破され、崩壊するだろうということを知っています。


南北の貧富の格差がいくら大きいとしても、兄弟であることを知っていますので、愛の心を持ち、多く持った人は分け与えなければならないということを知っています。


愛を中心とした平和の世界を成すにおいて、生命を根幹としているそのような民族的因縁を、お父様の愛で同化させることのできる驚くべき道を知りました。
この全部が真の父母の因縁によってもたらされたことに、心から感謝を申し上げなければならないことをよく知っています。


神様から、真の父母から、今、新しい文化の世界を創建しようとする驚くべき歴史時代の前に、勝利のすべての基準は既に朝日を望む時代に入ったという事実を知っています。
誰が正しく、誰が間違っているかを見ることができ、誰が悪なる人かも知ることのできる時代となりましたので、全世界の人々が生死の圏を踏み越えて、解放の基準を克服することができ、超越することができるよう導いてくださいますことをお願い申し上げます。


そうして、万民が共にお父様の眷属として、お父様が統治する民として天の国に属することができるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残されたその時とその時間の前に、解放に責任を負った者達が果たすべき責任の前に恥ずかしくない群れとなれるよう指導鞭撻してくださいますことを再三お願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1987.10.4)






34


愛するお父様!
流れていく歴史時代に一つの姿として存在しているという事実は、過ぎていく歴史過程をおいて見るときは悲しく悲惨なものですが、永遠に中心としておられる神様を中心にするなら、お父様と体化され、同化され得る場があるということを考えるとき、感謝しないではいられない事実を知りました。


南北の分断も神様に侍り、よく見てみました。
ここにも思想対決ではなく、ために生きる交流的思想理念を中心として南北が通じなければならないことを知りました。
相互いが受難の道に自ら責任を負って兄さんの立場で弟のために生きるように、夫の立場で妻のために生きるように、父母の立場で子供のために生きるように、この全天地の中心である神様の立場で私達のために生きるように、そのようなために生きる心情圏の世界でだけ南北統一が可能だという論理をはっきり知りました。


私達が見つめるこの目にも二つの種類があります。
自己のためにという視線と全体のためにという視線があります。
言葉にも自分のためにしようとする言葉と全体のためにしようとする言葉があります。
五官のすべての内容が前後を分かち、全体のために生き得る環境をもって包括し、消化させるべき私達の生活圏にできなかったことを嘆息しながら、自らを分析し、自らこれを除去させて主体的立場に立つことのできる中心存在の使命がどのようなものかということを知り、その道に従って出ていくことができるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様のために生きる変わりない因縁を通じた道において、いつも再創造の力の顕現が可能だということを、歴史時代を通してたくさん見て感じました。
お父様、心の門をいっぱいに開け、自分自らを東方、西方、南方、北方、上下を中心として立ててみるときに、どこに行ってもために生きられる自己の生活の要素、生涯の要素だったということを発見するときは、神様と共に同参することができると同時に、すべての相続権を受け継ぐことのできる特権を持てるという自負心を持ち、万宇宙の中心に向かっていくことのできる、恥ずかしくない者達となるようお導きください。
このすべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1988.2.21)






35


お父様は真なる種を蒔いたので、真なる実を探しておられることを知りました。
この地上に私達人間が生まれた立場がどうであれ、お父様が探そうとなさる人は、その国が必要とする国民とその国を治める王宮に住む皇族と王子と王女だという事実も知りました。


そのような立場に到達することのできる人がどのような種類の人であるかと言うなら、知識が豊かな人でもなく、権力を勝ち取るために闘う人でもなく、金持ちでもないということを知りました。
ただ愛の一念を中心として、一国の片隅で騒乱が起これば、それを、私ができなかったために、私が行って収拾できなかったためにあのようになったと心配し得る人から始まるということを知りました。


南北が分かれたこの悲痛な運命を見つめる私達におきましては、この歴史的起源がどうであれ、これを収拾し元どおりにすべき責任があります。
また、
そのような国民となるべき運命的路程が残っていることを知っていますので、この路程は自分達が提示する方向と手法によってなるのではなく、天理の大運勢と連結されなければなりません。


一つの種があって根を下ろし、その根が茎として育つことのできる芽と連結されれば、花が咲き実を結ぶようになります。
そのような木全体の要素を合わせて結集させ得る愛の実体を結ばなければならないという事実を知りました。


南北を収拾して世界に行くべき道を堂々と行くことのできる、間違いのない天の国の民となれるようにしてください。
天の王宮に属した皇族であり、皇太子であり、王女の権利を備えることのできる、愛の代身者だと称賛を受けることのできる群れとなることを願うのが、お父様の願いであることを知っています。
また、歴史時代の背後で摂理してこられたお父様の願いは、この方向に向かって夜も昼も促したものであったことをきょう私達は知りました。


それゆえ、今からの私達の生活と生涯の方向は、ここに焦点を合わせていくにおいて、間違いのない天の愛の同役者となれるよう許諾してください。
そうして、世界的な混乱時代において天の縦的な核を中心として理想的天上世界と横的な地上世界が一つの球形に統合され得るよう、愛の理想圏を主導していくことのできる群れが統一教会の群れであることを自覚させてください。


その行く方向の道を間違いなく守っていくあなたの立て札となるようにしてくださり、番兵達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1988.3.13)


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父の祈り(統一の祈り)12ー1

2023年01月22日 16時37分29秒 | 学習
1


お父様!
この民族は飢えた民族でしたし、頼る所のない民族でしたし、希望のない民族でしたし、誇るもののない民族でした。あるもの一つに頼る度ごとに、この民族はそれに捕らわれ、それに蹂躙されてきたのです。
そのような訳で、この民族に対されるお父様の悲しみが大きかったことを、私達は否認することができません。


この民族の歴史を見つめてみるとき、他の民族達の侵略によって数多くの曲折がごちゃごちゃに絡まり、その時ごとに民達は引き裂かれ、蹂躙され、追われ、凄惨な立場に処したことをあなたはご存じです。


ここにこの民族の血肉を受けた私達が集いました。
私達がこの民族の恨みを解くために、天の前に訴える時が来ました。
この民族が凄惨な境地に置かれ、生死の岐路で右往左往しているこの局面におきまして、中心となる者が誰でしょうか。


今、解放の歌を歌うことのできる時が来ましたし、新しい心情ののろしを揚げ、行軍のラッパを吹かなければならない時が来たことを知りましたので、お父様、志のある青年達を集めてください。
血の涙を流しながら、この民族のために泣き叫ぶあなたの息子・娘達を集めてください。


私達はある主義に従って訴える群れではありません。それよりは私達が先に死ぬことをもって肥やしとなり、この民族の上に新しい芽として芽生えることができるよう待ち焦がれています。
そのような私達になろうと、あなたの前に誓うものです。


ですので、お父様、語る前に前もってあなたの心情を体恤することができるようにしてくださり、あなただけが懇切なる心で私達の胸を占領してくださり、私達の心情を溶かしてください。
私達が自分自身を再鑑定し、自己の存在位置を確定して、新しい復活の姿として現れるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1958.6.19)


2

お父様!
哀れみのみ手と慈悲の恩賜をこの民族に許諾してください。
しかし、追われ追い回される群れを通じて成さなければならないあなたのみ旨があるなら、この民族をさらに追われ追い回されるようにしてください。
そのような中でこの民族の苦痛を身代わりし、の民族の困難を身代わりして、責任感を持っていで立とうとする若い群れ達が出てくることを、望んでおられるということを知るものです。


死亡の一線であえいでいる人類を見つめ、涙されるお父様の物悲しさとこの国この民族の物悲しさを、私達が分かるようにしてください。
その物悲しさが心情的に結ばれ、天の恨みが血に連なった泣き声とともに、ため息とともにこの民族の前に訪れる、恐ろしい時が来ることを私達が分かるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


民族が困難にぶつかる前に、私達がまず困難にぶつからなければならず、人類が困難にぶつかる前に私達がまず十字架の道を越えていくべきことを知りました。
イエス様も混乱した環境の中で、天城に向う道を先に歩んだあとで、その道を行けと言われました。
それがイエス様がお残しになった福音の内容であることを私達が知っていますので、この歴史路程の先端に立って、すべてのものに責任を負うことのできる者達となるようにしてください。


ぶつかって壊れて倒れる者達となることなく、ぶつかる度ごとにお父様と心情的な因縁をしっかり結び、お父様の前に立つことのできる者達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1960.12.11)



3


この三千里半島を訪ねてこられるまで、ご苦労なさった歴史路程には、あなたの血と汗と涙の歴史が染み付いていることを私達は知るものです。


人知れずこの民族をお選びになって、かわいそうな立場に追い立てたのも、あなたのとても大きな摂理のみ旨があったからであることを私達は知るものであり、あなたに万民の前でお父様として侍ってさしあげなければならないことをよく知るものです。


悲しいそのお父様が私達のお父様であり、苦痛をお受けになったそのお父様が私達のお父様であり、この民族が困難な歴史路程を歩みくる度ごとに、血と涙をのんで、倒れる数多くの子供達をつかみ、痛哭されたそのお父様が私達のお父様であることを、知らなければならない私達であるのをもう一度悟るようにしてください。


あなたは親しく愛と生命のみ手を連ねてくださって、あなたの息子・娘達を捜してこられましたし、開拓者の中の開拓者、開拓の王として親しく役事してくださいましたが、今日この三千万民族はあなたを知らずにいるのです。
あなたに侍る日を待ち焦がれるべき民族とならなければならないのに、そうすることができずにいるのです。
お許しください。


昔も今も、お父様のみ旨の前に召命を受ける民族が時代時代を経てくるとき、歴史的な汚点を残したことをよく知っています。
今日この民族の過去の路程を悔いれば悔いるほど、あなたの心情を一層奉るべきであるにもかかわらず、そのような立場にいることができないことをお許しください。


かわいそうなこの民族を探し出してくださったときまでの、あなたのご苦労が大きければ大きいほど、それを知っている私達は、あなたの前に面目のない姿であることを感じないわけにはいきません。


お父様!
かわいそうなこの民族の上に、生命の因縁を結んで役事してください。
全人類の前にかわいそうな民族であったことを誇ることができ、苦痛を受けた民族であったことを誇ることができるようにしてください。
この地上の何ものにも頼ることができず、誇ることができなかったこの民族が、天と共に誇り得るひと日が早く早く臨むよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1961.1.1)




4


今日、この世界を眺めるとき、お父様がお喜びになり得る所がどこにあるでしょうか。
そのような中心の基がどのようなものになるのかを、人類は考えることができずにいます。
その上、歴史的なすべての問題に責任を負って指導すべきこの国この民族も、知らずにいるのです。


お父様!
数多くの人間は、自分だけの幸福を求めていて、数多くの国々も自分の国の国益だけを望んでいますので、そのすべてのものがお父様のみ意のまま成されるのではなく、かえってお父様に悲しみと恨みを加えるものであり、心情を蹂躙するものです。
分からずにいるこのすべての国家と民族を哀れにお思いくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


歴史的な悲しみと歴史的な恨みが、この民族と私達に染み付いていることをあなたは知っておられます。
このような歴史的な悔しさを解くべきあなたの願いが残っているがゆえに、これを知る私達がいで立たなければならないことを知っています。


この国とこの民族のために涙しながら、この民族の新しい歴史のために何かをしてみようという者がいないことを私は知っています。
しかし今、この仕事を担おうとする統一の役軍達を呼び集めましたので、お父様、この者達を通してあなたの摂理を収拾してください。


たとえ頼もしい姿は備えられなかったとしても、お父様がお呼びになる新しい時代のみ声を聞いて真摯でありながらも震える心、もどかしい心を持って、再び願わざる恨みの土台を残すのではないかと心配していますので、お父様、哀れにお思いください。


お父様!
この民族の恨みを記憶してくださらなければなりません。
この民族の凄惨な姿にあなたが責任を負ってくださらなければなりません。
この民族と共にあなたが約束されたその約束を、この民族から奪われることのないよう懇切にお願い申し上げながら、この民族の涙とこの民族の苦衷が、残された復帰の恨みを解怨する条件となりますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
最後のひと日をおいてお望みになるそのみ旨と理念が、私達によって判定されるべき時が近づいていますので、残された復帰の路程で民族的な使命を果たすのに不足がないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1964.12.27)




5


お父様!
数多くの民族を記憶してくださらなければなりません。
その上、この韓民族はかわいそうな民族ですので、この時間あなたが祝福してくださり、この荒廃した三千里半島をあなたがいたわってくださり、新しい世界に向かって前進することができるよう、天的な圏内に追い込んでくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


韓国はお父様がお訪ねになることのできる新しい約束の国であり、新しいみ旨に対してアベルの祭壇を備えるべき国であることを知っています。
お父様の前に忠誠を尽くすことがこの国に対するお父様の望まれるところであり、お父様に対するこの国の本分であり、この地と数多くの国と数多くの善霊達に対する本分であることを知っていますので、お父様、哀れみの愛を施してくださり、この民族とこの国がお父様のみ旨の前にふさわしい民族となり、希望の第三イスラエルとして天国を建設するにおいて、なくてはならない民族となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この国が立てた天に対する忠孝の道理を万国が見習い、お父様の前に忠誠を尽くすことのできるその日が来ることを、お父様がどれほど待ち焦がれておられるかを私達は知っています。
ここに集った多くの子女達はそのようなことを心深く感じながら、そのみ旨が成されることを懇切に願っています。


お父様、あなたが保護してくださり、はぐくんでくださいまして、最後の闘いに勝利してお父様の栄光の場に参席することのできる、この民とこの民族となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、韓国を通して成される世界的な新しい歴史が全人類に捧げられるようにしてくださり、同時に人類が望んできた目的を達成し、お父様が望んでこられた目的を達成することができるようにしてください。
この国、この民が責任を果たして、人類の行くべき道を開くことができるようにしてくださり、そのようなこの国、この民となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この地の人間はもちろん、霊界の数多くの霊人達も地を中心として再臨復活して、自分達の解怨成就を待ち焦がれていることを知っています。
お父様、彼らの願いを聞いてくださり、この地球星が彼らの願いを成すことのできる勝利の基となるようにしてください。
そうして、彼らの協助のもと、お父様の栄光の世界を成したその場、カイン・アベル全体が一つとなるその場でお父様に侍らなければなりません。


お父様!
全天地がお父様の愛と幸福の中で生きることができるようにしてくださり、平和の場でお父様の栄光を賛揚することのできるそのような国、そのような天宙を成してさしあげられるよう、力と能力を加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1966.1.2)



6


お父様!
韓国の歴史は悲しみの歴史として続いてきたということを知っています。
それがこの国の運命だったので、出発の時から今まで、あなたが志向なさる最高のゴルゴタの道を歩んできたことを知っています。


お父様!
この民族が願う度ごとに、この民族が悟り得る度ごとに、へし折られる歴史として続いてきたこの民族史を思うとき、八・一五解放から今まで、困難な環境を克服し、私達自身を完全にお父様に捧げることのできる圏内にまで入ってきたと思うものです。


この民族の前に新しい希望がなく、この民族を立てる出発の起源がお父様からでなかったなら、この民族において神様はいなかったでしょうし、この民族は悲惨な終末を迎えたことでしょう。


お父様はこの民族に国を失うようになさり、義も失うようになさり、またこの民族を三八度線ですっかり引き裂いてしまわれました。
しかし、これが私達にすべてのものを完全に取り戻させるための、あなたのみ旨であったことを知るものです。


お父様の摂理のみ手がこの民族の背後に介在していることを知っていますので、今、もう一度私達が姿勢を整え、お父様の前に贖罪の祭壇を築き、先祖達のすべての罪の許しを受けて、この時代の前に新しい正装をし、いで立てるようにしてくださり、福地が呼ぶこの時代の勇士としていで立てるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1966.3.13)






7


お父様!
三千万民族を記憶してください。
この民族は事情と事情が絡み合っている内情的な民族であり、お父様を慕い、お父様の愛に和合することのできる民族です。


お父様、幼い子女達が三千里の津々浦々で冷遇されながら注いだ血の涙の跡が、サタンに呪いの基盤として占領されることのないようにしてください。
聖なるその基盤の上にお父様が名をお呼びになり得る後世達をお立てになって、栄光のひと日を迎えて聖なる至聖所を備え、お父様に侍って幸福の勝利を賛揚することができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


これが願いですので、今日もそのために、あすもそのために、余生の全部もそのために捧げられなければなりません。
ですので死んでも、捧げられたその場で死ぬべきです。
しかし生死の問題は自分が案ずべきではないことを知っていますので、残されたみ旨のための心配だけが私達の全部となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1967.8.13)


8


お父様!
数多くの民族と数多くの地の中で追われたかわいそうなこの民族を記憶してくださり、三千里半島の寂しいこの山河を選定され、摂理の焦点をお立てになろうとされるあなたの聖なるみ旨の前に、まず感謝を申し上げます。


このみ旨の前に忠誠を尽くし得る群れがとても貴いということを考えれば考えるほど、一層面目のなさを感じずにはいられません。


しかし、お父様の愛の心情は、完全な子供よりも不具の子供に一層宿るということを思うとき、お父様が心配なさるしかない歴史的背景を持ったこの民族をお許しくださいますことをお願い申し上げます。


お父様!
統一の子女達は今日まで七年という限界線を掲げ、人の知らない中で血の涙の出る闘争の歴史を歩んできました。
時には追われ、時には胸を打って痛哭し、時には飢えたはらわたを抱え、お父様の事情を論議してとめどもない涙も流しました。


このようにすべての過去のことが涙で始まりましたが、それが涙で刈り取られるのでなく、笑いで刈り取られ、お父様の前に感謝を申し上げ得るひと日を持てるようになったことは、すべてお父様のお助けと保護ゆえだということを考えるとき、一層感謝を申し上げずにはいられません。


お父様に侍り、私達が誇りたい心をすべて吐露することのできる自由天地が早く早く成されますことを私達が一心で哀訴いたしますので、お父様の前に身をかがめて敬拝を捧げた、私達のすべての事情を受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


誰が何と言いましても、私達は何も持たない寂しい者達です。
あなただけが私達の味方であり、あなただけが私達のものであり、あなたのために生きているというその事実が、世の中の億千万金を与えても取り換えられない貴いものであることを知る私達とならなければなりません。


お父様!
足らない私達ですが、先祖達が全生涯を通して築き上げた功の基盤と時代的な恵沢により、今日このような立場に立てられましたことを、心から感謝に思えるようにしてください。
その感謝する心が、私自身だけの立場でない、過去と現在と未来を通した歴史的な立場で感謝することができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


万々事にあなたの恩賜と勝利の栄光があるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1967.12.24)

9

愛のお父様!
アダムを失ってしまったその日から、あなたはあなたが信じることのできる一人を探すためにどれほどご苦労なさいましたでしょうか。
また、お父様を身代わりして責任を負い、闘ってくれる者をどれほどお探しになり、お父様の全権を相続することのできる一人をどれほど待ち焦がれつつ探してこられたでしょうか。


これを考えるとき、この地上にそのような人がいなかったことがお父様の悲しみであり、人類歴史の恨みだったということを、私達はもう一度痛感せずにはいられません。


お父様はこのように悲しい歴史の峠道を、六千年という長い長い歳月の間歩んでこられました。
悲しいときには悲しみをこらえ、すべてのことに責任を負われた立場で今日まで少しも休むことなく来られました。


人間達は暗い夜道であえいでいますが、お父様はそれよりもひどい暗闇の中で、人類歴史を摂理してこられるために心労し心を砕いておられるということを、私達がもう一度思い起こすようにしてくださり、私達がお父様の前に面目なく心苦しい自分達となっていることを、悟るようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。


またお父様が六千年間歴史の裏道をさまよいつつ探しこられたその歩みが、どれほど悲しかったかを悟るようにしてください。


数多くの民族と国家の前に追われながら、この国あの国、この都市あの都市をさまよいながら探しこられたお父様の苦労の歩みが、今日この韓国の山河にとどまるようになった事実を私達が知るとき、私達がお父様の前に真実に面目ないことをまた感じるものです。


この三千里半島と三千万民族を中心としてお父様の摂理のみ手があったという事実を、この民族は知ることができませんでした。この地に来ては逝った私達の善なる先祖達も知ることができませんでした。


しかし今、時を迎えてみると、お父様の摂理のみ手がこの民族を中心として動いてきたという事実を知るようになりました。


このようなことを考えるとき、この民族は過去から現在まで、お父様の前に面目なかったことを申し上げずにはいられません。
その上、お父様の哀れみと愛のみ手におそれ多くも対することさえ不足な私達を、お父様がその愛の恩賜圏内に立ててくださいましたので、私達が真実なる心でこの民族とこの山河と万民を代表した立場で、お父様に謙遜に敬拝を捧げるあなたの子女達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1967.12.31)


10

お父様!
高く貴く聖なるあなたの摂理歴史は、長い長い人類歴史を手探りで来たのです。
お父様、今日も私達を立ててくださり、世界的な責任を追求なさるあなたの立場がどれほど凄涼で哀れかを、私達が感じることができるようにしてください。


はるか遠くのこの韓国の一角を慕いながら、今この時間にもこの師を案じつつお父様の前に涙で懇切に訴える群れが世界に散らばっているという事実を思うときに、この韓国の地の統一祭壇の責任がどれほど恐ろしくとてつもない立場であるかを私達はよく知るものです。


お父様! 韓国を慕う統一の群れの上に祝福をお与えください。彼らは韓国を自分の祖国だと心で仰ぎながら、この地のために血と汗と涙を流しています。


この地のためには骨でも埋めたいと思う数多くの群れが統一の理念とともにあるということを思うとき、彼らを一か所に束ねてあなたが願われる一つの国を建てなければならず、一つの世界的な理念を成就しなければならないので、そのみ旨を成す時まで、私達は耐えて耐えてまた耐えながら行かなければなりません。
六千年のうんざりとするような歴史過程を黙々と耐えてこられたお父様に倣い、私達は無言で耐えながら行かなければなりません。


お父様!
私達は今また行かなければなりません。
この民族の寂しい事情を抱いて行かなければならず、この国の荒廃した実情をもう一度手探りして行かなければなりません。


この民族はかわいそうな民族になるしかない成り行きでした。
そうですが、世界の万国に誇るべきお父様の摂理のみ旨が統一の群れの中にあるという事実を、誰も知らない中で私達が先に知るようになったことを、お父様の前に真実に感謝申し上げます。


お父様!
その間あなたがどれほど苦労してこられたかを、私達が分かるよう許諾してください。
お父様に向かう慕わしさに徹し、お父様の心情を感じながら、民族を抱き締めて身もだえする彼らの懇切なる願いが決して無駄にならないようにしてください。


そうして、この民族がこのひと時を克服して越えて、世界に向かって駆けていくことのできる解放の民族となるようにしてくださり、ひいては全世界に天国を創建することのできる第三のイスラエル民族となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によって懇切にお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.5.2)



11


お父様!
数多くの国の中で、この韓国が今後人類の心の中に宿る国となることを私達は知っています。


今日私達が世界人の本郷となり得るこの地に生まれ、ここでお父様を慕いながらみ言を聞き、教育を受け、またここで涙しながら鍛練されるというこの事実が、どれほどとてつもなく貴いものであるかが分かるよう許諾してください。


お父様!
今、このような事実が、言葉だけでなく私達の目の前に現実として展開される時が来ました。
今、数多くの人々が本郷を慕う心にあふれてここを訪ねくるようになるとき、彼らの心に新しい炎を加えてくださり、この本郷のために骨髄が溶けるほど精誠を尽くし、もう離れたくなくて、足が離れずに涙し得るようにしなければならないという事実を、ここにいる子女達が分かるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


彼らがここに来て帰ってからは、ここを観念的に慕い想像する立場ではなく、実際に見て感じた体験を根本として、もう一度実感を持って慕うことができるようにしてください。
そうして、また訪ねてこようと、再度決心することのできる動機と因縁をここで彼らの前に残してあげることのできる、加えてあげることのできるあなたの子女達とならなければならないということを、この本郷の地、韓国の食口達がはっきり分かるようにしてください。


言葉が通じず、生活環境が互いに違うとしても、私達は表情と感覚でもって彼らをしてこの本郷の地が一層慕わしく、一層見たく、一層暮らしたい内情的な因縁を感じることができるようにしなければならないことを、もう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


本郷がどれほど貴く、どれほど価値があるかということを分かるよう許諾してください。
本郷に暮らしながら、お父様が記憶することのできる歴史的な価値を千倍万倍賛揚し、また、万民の前にこれを誇ることができ、現すことのできる息子・娘とならなければ、私達は悲しみの対象として残され、またその本郷は本郷としての価値を失ってしまうということを分かるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達は韓国民族を中心としてだけみ旨が成されることを望む立場で働いてはなりません。
自分を中心として、自分と関係している人々にだけ幸福の基盤が築かれなければならないという観念を持ってはなりません。
民族と国境を越えに越えて、世界人を抱き、世界人と共に授け受けることのできる因縁を結ぶため、心におきまして、生活におきまして、鍛練するようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.5.11)



12


お父様!
永遠に安息できる本郷の国がどこなのかを知ることのできない人々がどれほど多いか、言葉では言い尽くすことができません。
数多くの人々が自分の国が本郷だと賛揚しながら生きていますが、子孫万代に永遠なる幸福と安息の土台であると誇ることのできる国がありませんし、お父様が永遠に安息できるであろうと主張することのできる国がこの地上にありません。


お父様!
あなたが待ち焦がれ訪ねてこられた本然の国と本然の世界が、あなたの苦労された基盤として残っていますが、その基盤の上にあなたの苦労の代価として立てようとされた一つの中心、全歴史と共に、全時代と共に、また未来と共に誇ることのできる真なる息子・娘がどれほどいるかを考えるときに、あまりにも不足な数にとどまっていることを私達はよく知るものです。


あなたが誇り得る一つの国を建てるために、数千年の歴史過程を通して先知先烈達の口を通して証しましたが、イスラエルの国家はイエス様に悲運のひと日を迎えさせることによって、痕跡を失ったまま数多くの国家と民族の前に追われ追い回されました。


今、遅まきながらお父様の祝福の因縁に従う数多くの人々を中心として、一つの祭壇を束ねて、イスラエルとエルサレムを再びお父様の前に奉献することができるよう民族的な解放を受けたのです。
そうですが、その民族は世界の前にお父様の祭壇を備えてお父様に侍り得る使命を果たせなくなったことを私達は知るものです。


現時代の実情を推し量ってみるとき、お父様の摂理歴史はどのような立場、どのような国、どのような人々をして始まり、運行され終結されるかを考えてみるとき、この地上の数多くの民族を主導している先進国家ではないことを、あなたの心情の歴史を通して如実に知っています。


世界のどのような民族より悲惨な歴史過程を通じながらも、お父様に向かう一片丹心、忠誠の心と志操を備えた民族、あなたのために生きるにおいて不変の姿を備えたそのような民族、時期と環境は変わっても、お父様に対する忠誠だけは変わらないそのような民族、そのような国でなくては、あなたと人類が求めている理想の民族と国になることができないという事実を私達はよく知るものです。


第三イスラエルの顕現を私達はみ言を通して知り、その第三イスラエルの民達は歴史的などのような偉人よりも、時代的などのような有名人よりも貴い立場にとどまるようになるという事実を私達は知っています。


しかし、真なる意味でそのような価値を骨肉に染み込むほど知り、お父様の前にそのような立場を探してさしあげるためにあらゆる精誠と犠牲を尽くし、その国とその民を成すために忠誠の道理を尽くそうと、いで立つ人々がどれほどいるかということを考えるとき、この時間、私達はもう一度反省しなければなりません。


お父様!
この韓国を中心とした新しい歴史的な因縁を、今日私達を通して証し、私達を通して表し、私達を通して成就なさりたいお父様の内的な事情があるとするなら、今日私達の個体がどれほど慎重でなければならない立場であるかを知り、お父様の前に忠孝の道理を尽くすことのできる子女達となるべきことをはっきり知るようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.5.25)




13




恨み多い復帰の峠をそれほどまで越えることが難しいとは誰も知らなかったのです。
その道を今までお父様はどれほど往来されたでしょうか。来られるときは、希望の息子を見いだそうという希望を持って来られ、帰られるときは、ひどく落胆して行かれるあなたの姿、何をもって形容し、どのような言葉で慰労することができるでしょうか。


お父様!
私達はあなたがこのかわいそうな韓国の民を、哀れにお思いくださっているということを知りました。
今までは誰も知りませんでしたが、今私達は悲惨な歴史過程を通じ、涙と血の歴史を編んできた倍達民族(=韓民族)の背後にお父様がおられたということを知りました。
今、私達は歴史を回顧するとき、この民族の悲惨な歴史はお父様の悲惨さを象徴したものであり、この民族が世界の強国に囲まれて侵略されたのは、お父様の寂しい立場と似ていたことを思うものです。


お父様がそれを痛嘆なさってお訪ねになった一国がありましたが、それはその国に因縁づけられた一人のお方を祝福なさろうというものであるのを私達は知っています。
私達は大韓民国の歴史と因縁づけられたお父様の心情を中心として、突撃し得る立場に立ったことが不幸だと思ったのです。
しかし今、私達はそれがとても幸いであることを知りましたので、お父様の前に感謝を申し上げずにはいられません。


この民族は解放以後に行くべき道を行くことができませんでした。
この民族を代表したキリスト教が責任を果たすことができず、この民族はいまだに国連に加わることのできない名のない国です。
ですのでお父様、この国の苦難が終わるようにしてください。


私達はお父様の子女でもあり、この世の国々がこの国に対して頭を下げ得るその日のために、厳粛な天の密命を受けたあなたの密使達でもあることを知らなければなりません。


お父様!
私は五十年の生涯を通して、死んでもこの民族を捨てられない運命を持って生まれたということを知りました。
それゆえ、今日まで排斥される道にあっても、悲しく寂しく悔しい立場にあっても、かえってお父様をつかんで慰労したのです。
私にそうすることのできるひと時を持てるようにしてくださったお父様の恩賜に感謝を申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.10.4)




14




お父様!
恨みが積もった天の歴史的なみ業を相続させ得る課題が残っている現実におきまして、厳粛にこの業績を賛揚し、引き継ぐことのできるあなたの息子・娘であることを自任し、いで立つ群れとなって、あなたが満足に思うことのできる子女達となるよう許諾してください。


八道(韓国全土)から群がってきた大学街の若いあなたの子女達です。
この者達が行く道がどのような道でしょうか。今後、大韓民国の運命に責任を負うべき大学街が混乱状態にあります。


しかし、今はここに突撃戦を提示して勝利の立て札を立てるべき時代ですので、このような時代に私達は使命を成すべきお父様の密命を受けた者として、責任を果たすことのできる天の王子王女達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


ここに来た時は、ただ流れていく若者の姿として、意志なき歩みで来ましたが、今帰っていく胸には誰も運ぶことのできない荷を抱いて行かなければなりません。


民族の恨みを踏み越えていくことのできる祭物として、血涙の祭壇を経なくては統合の因縁を結ぶことが難しいということを、私達は歴史を通して学びました。
また、私達は今日私達の時代にそうしなければならないことを学びました。ですので、時々刻々とその使命が促されるこの時代に、ここに集った若者達が彼らの血と肉をこの民族の前に、この国の津々浦々にいかりとして下ろすべき責任を果たすために、お父様に順応しながら、のろしを揚げていで立つことのできる天の勇者達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


これが私達の時代において越えなければならない、これがこの時代の若者達の使命であることをはっきり知りこの責任を果たすために力の限りを尽くすことができるよう許諾してください。
こぶしをぐっと握り、新しい光明の朝を建設しようと、いで立つことのできる天の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残された日々が私達を呼び、かわいそうなこの民族が私達を呼んでいることを知っていますので、学びの環境においてもその責任を果たそうと、ありとあらゆる精誠を尽くすあなたの子女達となるよう許諾してください。
きょうのために生きるのでなく、あすのために生き得るあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あすの希望の前に小心者となることなく、強く雄々しい天の勇士達となるよう許諾してくださいますことをお願い申し上げます。
世界の前に勝利を残し、また勝利を引き継がせてあげ、行くことのできるあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、決心した心を強く雄々しく持つことができるようにしてくださり、岩にぶつかるなら岩が砕け、鉄鋼にぶつかるなら鉄鋼を断ち切ることのできる心で、全生涯をお父様の前に捧げようと誓うようにしてくださり、その信念を固くして帰っていくことができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あすの天国でお父様の保障を受けることのできるあなたの子女達となり、あなたの称賛を受けることのできる子女達となるよう許諾してくださいますことをお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1964.10.4)






15


お父様!
この民族を天が刈り取ってくださったことに感謝を申し上げます。
今、私達は天の新しい中興の機会がこの領土の上に訪ねてくるという事実を知らなければなりません。


お父様の隠れた歴史がこの民族の上に共にあった因縁を知るときに、私達はこの民族がかわいそうな民族ではなく、世界のどのような民族よりも貴い民族であることを知るものです。


この民族の姿が見た目には傷だらけであり、この領土が見た目には荒廃した三千里の領土ではありますがこの領土とこの民族の中に天が染み入っているという事実を知り、私達はこの民族を愛さなければなりません。
この三千里の領土をつかみ、お父様の聖なる祭壇としてすべてを捧げ奉ろうと、血涙を注いで神聖に聖別することのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


お父様!
この国この民族を私達は守っていかなければなりません。
私達が番人となって、この国この民を守らなければなりません。
現在この国この民族を守ることのできる人がいないことを知っていますので、私達が血涙を流すことを覚悟してこの国を守ろうと身もだえしてきましたし、この民族を世界的な民族にしようと、先頭に立って叫んできました。


ですので、このみ業が偽りとして烙印を押されてはなりません。
聖なる天のみ業が善として出発しましたが、結果が悪として結ばれるようになるときに、天が行く道はすべてそうだと、サタンが讒訴した事実がどれほど多かったでございましょうか。
それを私達が知っていますので、きょう統一の子女達が歩んできた道も、ただ単に過ぎていく私的な事件として残してはならないことをはっきり知るよう許諾してください。


お父様!
今、私達はこの民族を愛し、この三千里半島を防御しなければなりません。
私達の体が防弾となり、私達の体が土城となって、これを守って保護すべき責任を感じることのできるあなたの息子・娘となり、そのような統一教会となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1964.12.14)






16




お父様!
人々はこの世の環境で天を忘れてしまい、あなたのみ名を忘れながら不幸にもみ旨と遠ざかった生活をしています。
このような事実がこの堕落した人間世界におきましては、あまりにも客観的になっているということを知るとき、私達が天の使命を忘れる立場に立つようになるまいかと心配です。


自分自身の前に近づく環境の誘惑に怨讐のように対することのできる心を持ち、名誉も権威もすべての全体的な威信も完全に忘れなければなりません。


お父様!
私達は誰のために涙し、誰のために苦労をしたのでしょうか。
あるいは自分のために流した愚かな者がいましたでしょうか。
自分の出世の方便としてこの道を行く人がいるとするなら、この者は遠くない将来に必ず失敗するということを私は知っています。私達はこのような愚かな人となってはなりません。


自分が滅び得る立場でも、祖国を思いながら祖国の主体であられるお父様と共に責任を負ってきながら、「私がこのような境界線を越えますので、お父様、勝利の跡をここに残してください」と言えなければなりません。


すべての民族と心情を通じることができず、連結することができないこのような哀切な立場においても、これを克服し、民族のために奉仕することのできる息子達となるようにしてください。
私達がそのような立場に立つとき、誰も受けることのできない全体の心情をすべて引き継ぐことができるという事実を知らなければなりません。


そのような内的な因縁を通してのみ、お父様の前に祝福を受け、保護を受け、愛を受け得る立場に立てるということを知っています。
自分がそのような立場に立ったとしても、先祖の歴史的な功績の土台があったがゆえにそのような立場に立ったということを知り、謙遜な姿勢を持つ私達とならなければなりませんし、先祖がそのような使命を果たせなかったならば、私達が身代わりして千万倍その使命を果たそうと、身もだえすることのできるあなたの息子達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.2.16)






17




お父様!
最後の祭壇を決定するための立場は、祭物を必要とする立場ですので、死ぬか生きるかという民族の悪と善を判決すべき摂理のみ旨を中心として、善悪の基準点が備えられなければならないということを知るものです。


私達は国家の運命を中心としてこのような立場にあります。
私達には既に南北が分かれたことをどのように今後一致させるかという障壁が残っていますので、私達三千万民族の心深く根付いた天のための民族精神を中心として、新しい国民運動として挙国的な思想運動が必要だということを知りました。


ですので、この国、この民族が生きるためには私達が先に「統一思想」で思想武装をしなければならず、力の武装をしなければならないということを私達は知っています。


悪は力の対決を中心として相対的な権限を備える前には、議論できない立場に立っているということを歴史を通して学びました。
悪は歴史を通していつもそのような結果をもって現れたのです。
それゆえ、私達が彼らを凌駕することのできる力の基準を立てなければ、絶対に彼らは相対的に運行することのできる環境を譲歩しないということを知りました。
これが悪が歴史的に歩んできた歩みであることを知るものです。


お父様のために内的に心情一体を成し、外的に力の基準を備えなければならないと考えたことが、今現実として近づいています。
このようなときに、私達はアジアを中心として結束させるべき使命に責任を負っているので、この使命を成就させるためには一身の疲れを超越しなければならず、持っている物質もすべて投入しなければなりません。
私達はお父様のみ旨のために生命まで捧げることのできる導火線とならなければならず、そうすることのできる動機とならなければなりません。


怨讐の国をお父様に帰し奉ることができ、その国を好きになることができなければなりません。
その国のために、かいのある仕事をするために日本の統一戦線で苦労しているあなたの息子・娘がいます。
そこには霊界があり、統一教会があり、勝共連合があるのです。
この者達を中心として挙国的な活動を開始していますので、お父様、祝福してください。
懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.3.8)






18


今後現れる民族の運命を見つめるなら、絶望が漂っています。
あすのアジアの運命の中で、最終の使命を決断すべき線上に置かれているのが、きょうの韓国の運命であることを思うとき、私達の運命が世界人類の中で最高に悲惨だとしても、ここに訪ねてきた歴史的な秋の節気の限界線を越え、あすの希望にあふれて春を迎えることのできる生命力を持ち、新しく生きていくことのできる歴史的な生命力を持った一つの結実体がこの地上に現れたとするなら、私達に絶望はなく、あすの新しい朝を迎えることのできる希望にあふれた巨歩の出発をなすことができるという事実を、思い起こすようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


悲しみと喜び、死と生命が交差しながら、堕落世界が今まで歴史的に編まれてきたことを推し量るとき、この民族が処した悲惨な運命を悲惨なものとして受け継ぐのではなく、喜びの歴史として連結させ得るあすの寵児の姿を慕わなければなりません。
今まで追われ追い回される中でも耐えてきた群れ、闘いの路程で残された群れが、この韓国に集まってきたあなたの子女達であり、統一の勇士達であることを思うのです。


私達には民族のために流した涙があり、世界のために流した涙があり、未来の世界のために案じる涙があります。
お父様がそうされたがゆえに、主体であられるお父様の前に対象の価値を持ち得る自らの姿であることを自負することのできる実体の権限を持ち、私達でなければならないという自我の信念を自覚し、再闡明し得るこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今まで経てきた歴史を回顧してみるなら、悲しみの歴史ではない、お父様の保護の歴史でした。
私達の悲しみ以上にお父様の悲しみが残されたことを感じれば感じるほど、あすの希望の前に自信を持っていで立つために、お父様に侍って行かなければならない私達の立場です。
その立場は怨讐の矢を受ける立場であり、悲しみの闘いが漂う立場ですので、お父様を栄光の中で迎えることができずに嘆いています。


しかし、お父様、
耐えてください。
あすの希望の基盤のために冬の節気を克服して越えるべき運命の道に立ちましたので、私達自体が結合して生命の代価を損傷させることなく大切に装い、大切に結集しなければなりません。
このような私達が春の節気の限界線を越えて立つことのできるその瞬間のために、生命力を集結し、外的な実力を備えるようにしてください。


一つの生命を結合してその限界線を越えてこそ、天と地が保障することのできる主体的基盤となるように、そのような基準を備えて新しい春の日の起源を願うことのできる群れとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.5.3)




19


お父様!
この国は南と北に分かれています。
民主主義と共産主義の対決の起点になっています。
ですので、大韓民国が必然的に行くべき運命の道をあなたが守ってください。


私達はお父様の血の十字架を背負っていくべき受難の道に踏み入ったのです。
まず打たれる立場に立って悲しみと寂しさを抱き、身もだえしながらもあすの勝利を前においていますので、お父様、この民族に強さと雄々しさを許諾してください。


落胆と絶望のようなものは一瞬も許さない、緊張した時点だということを私達は知っています。
外的に全国的な情勢がそうですが、内的に教会のみ旨を中心としてもそのような時点が私達の目前に見えています。


私達がカイン国家を屈服させ、アベル国家の使命を果たさなければ天国に行くことはできませんので、このような運命の道を行く私達を、お父様、お守りください。


民族的正気が堕落した世界を脱して、あなたの心中に埋められていた愛国愛族の心情を持って現れるべき時が私達に近づいてきました。
しかしお父様の心を引き継いで国を愛し民族を愛する息子が何人ほどいるかと尋ねるとき、私はお父様の前に涙を流しつつ悔い改めなければならないことを感じなければならないのです。
お父様、お許しください。


今まで数多くの血のにじんだ途上において、民族の恨みを解こうと、先頭に立って進むその歩みに従ってくる群れ達を眺めるとき、お父様の心配の対象となる数は多いのですが、お父様の心配に責任を負うことのできる者は多くないことを知るものです。
このような者達を眺めるとき、私が行くべき未来に十字架の道がまだ残っているということを感じるものでございます。


お父様!
行くべき十字架の道が残っているために、今後の路程で力強い歩みでもって、民族を身代わりして闘いの道を開拓しなければならず、私達が行くべき運命の道を開拓しなければなりません。


民族が南と北に分かれており、民族の分裂とともに悲しい心情の因縁を持つしかない恨みがありますので、この恨みを解き、南と北を糾合すべき責任が私達にあるということが分かるようにしてくださり、その責任を果たすようお導きください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.5.31)






20


お父様!
取るに足らない私達を、あなたの聖なるみ旨の前に立ててくださいますことに感謝を申し上げます。
あなたのみ旨の前に立った私の一存在が、歴史的な一つの時点で責任を果たして残され得る人となるようにしてください。


私達はひと時来てはそのまま流れていく者ではなく、歴史的な現時点に影響を及ぼすことのできる内容を提示して、時代、時代を新しく呼び起こすことのできる主体的な使命を果たさなければなりません。


お父様が私達を呼び立てておき、任せたいと思われるその懇切な心情的事情を感じられない私達の姿であるなら、勧告してください。今まで捜してこられたあなたの事情を、愛する子女達の心の奥深くに感じるよう許諾してください。


お父様!
この民族はかわいそうな民族ではないでしょうか。今後この民族が行くべき道はただ一つの道だけですが、その道を知ることのできない立場に立つとするなら、この民族は真実にかわいそうな民族であり、この民族の将来は暗澹となるのです。
このような現実的な情勢を把握し、未来のアジアと世界の情勢を眺るとき、私達はこの民族と大韓民国が行く道を心配せずにはいられません。


お父様!
今までの歴史が、この民族を通してアジアと世界の前に顕現なさる、蕩減の路程を終わらせるために訪ねきたあなたの歩みであるなら、この民族の心に生きていてください。
また、この民族の心にあなたの願いが復活し、あなたのみ旨とともに一つとなった民族として立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
この民族をして国を愛すまいとしても愛さざるを得ない心を持つようにしてくださり、また北韓も愛すまいとしても愛さざるを得ない心がほとばしるよう役事してください。


自分自身のために生きる人は歴史でただ流れていってしまいましたが、後孫のために、後代の民族のために、世界のために生きようという人は一つの勝利者の姿で現れ、その歴史を主管する中心として残されるようになるという事実を知りました。
ですので、私達は歴史時代で涙の路程、血のにじむ闘争の路程を避けようとする群れとなってはなりません。


どのような困難の中でも私でなければならないという主体的な責任を負い、この民族とこの国をつかんでアジアに影響を及ぼすことのできる新しい群れが、私達統一家の群れ達とならなければならないということを知っています。


そうすることのできる私自身をお父様の前に呼び立て、そうすることのできる私だということを覚醒するためにこの場に参席した私達だとするなら、自らの姿があまりにも足らないということを悟るようにしてください。


かわいそうなこの民族は、過去に血をたくさん流しました。
誰も願わない犠牲の道をこの民族が行ったのは、この民族をアジアに残そうとしたあなたのみ旨があったがゆえであることを知っています。
そのようなお父様の願いに、私達の願いが一致するようにしてくださり、統一されるようにしてください。
そうして、あなたがこの民族に対して願われたそのみ旨の前に、忠誠を尽くし得る者達を統一の群れの中で見いだしてください。


お父様、
あなたが親しく望み、捜してこられたそのかいを感じることができ、安息なさり得るこの場となるべきことを、新しく感じることのできるあなたの息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.6.21)




21


お父様!
この民族を哀れにお思いください。
解放以後、あなたがこの地上に摂理のみ旨を表されたその日から今まで、この民族は行くべき所を知ることができず、あなたの前にどれほど多くの悲しみを残したかを考えるものです。
お父様、この民族をもう一度受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


地で解くことは天でも間違いなく解かれると語られました。
同じように、この民族に対する私達の念願があり、世界人類に対する私達の悲しみがあるとしても、あなたが望みをおいているこの国この民族であり、この世界であることを考えるときに、私達も新しい望みを持たなければならないということを感じるものです。


今までの足らなさと過ちに対して、身代わりして贖罪の祭事を捧げるべき責任者がいなくてはならないので、悲しみの姿を押さえて祭司長の血のついた服を着て、至聖所に向かってお父様の前にひれ伏さなければならない私達だということをもう一度感じなければなりません。


お父様!
この民族を愛されるあなたの深い心とこの民族のために訪ねこられたあなたの苦労多き路程を奉り、今日私達がどれほどお父様を賛揚することができ、侍ることができるかを考えるとき、いつも足らなさを感じるべき私達自身であることを悟らないわけにはいきません。


私達は天のお父様を信じていくにおいて、この民族とこの世界を忘れてしまったのですが、あなたはいつこの民族とこの世界をお忘れになった時があり、いつ人類をお忘れになろうとした時があったでしょうか。
寂しさに胸が痛む度ごとに、前では人類から否定を受けますが、後ろではその人類をまたつかもうとするお父様であられました。


これがまさしく父母の心情を持ち、父子の因縁を探してこられたお父様の立場であることを、私達は言葉だけではなく、直接体恤しなければならないので、これを私達一人一人がもう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.6.28)


22

お父様!
この国の運命をお守りくださったことに感謝を申し上げます。
北傀が侵略してきて、この地を荒れ地にした六・二五事変により、この国の数多くの民達が犠牲を払い、この国を案じた友邦の多くの青年達までもこの国で血を流しました。


それは一時代の環境と政治的な変化による闘いではなく、あなたの経綸なさるみ旨がこの地上にいかりを下ろさなければならないがゆえに起こった、勝負を決める闘いだということを知るものです。


このようなことを知る私達、今内心の決意と覚悟を再びすべき時が訪れたことを、もう一度感じるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


大韓民国がこのような過程を経て、主権を所有したその日から今まで受難の道を繰り返すのは、背後にお父様のみ旨と願いの一起点を立てるためのあなたの経綸があったからであることを私達はよく知っていますので、大韓民国の行くべき道を、お父様がお守りください。


今後、この国の三千万民族がお父様を見つめ、お父様のためにアジアの前にいで立つことのできる民族となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
そうするためには、私達があまりにも遠い距離にいることを知っていますので、この距離を短縮させなければなりません。この責任がまさしく私達にあるということを考えてみるとき、足らない者達をご覧になりながら願われるお父様に、
心苦しく、おそれ多い心ばかりです。


わが民族は自体で解決することのできない非運の歴史の中にいることをよく知っています。
それを解決するために、この民族はアジアの列国と手に手を取って和合しなければならないので、体に体を結んでくださり、心に心を結んでくださいまして、一つに団結するようにしてください。
今後来る数多くの受難の道を克服すべき責任が私達に残っていることを知っていますので、どうぞお父様が経綸なさり、望まれるみ意のままにすべてのことが成就されるようにしてください。懇切にお願い申し上げます。


お父様!
ここにあなたの息子・娘だと命名してくださり得る子女がいますなら、彼らが心の奥深くあなたを欽慕するようにしてくださり、あなたのすべての事情を自分の事情として心に刻み込むようにしてください。
この者達の心情があなたの心情と一致するようにしてくださいまして、思慕の恩恵が激しく降るようにしてくださり、完全にあなたの力で導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あすのために準備せず、きょうの無事安逸だけを追い求める群れは滅びるしかないことを知っていますので、この場に集った私達はあすの世界のために、後代のための勝利の基盤を立てるために集まりましたので、きょうの困難を、あすの望みに変え、きょうの悲しみを、あすの希望として克服することのできる者達とならなければなりません。


そうして、お父様の願いのままみ旨の前に勝利の基盤を備え、お父様に捧げる時まで耐えに耐え、闘いに闘って残される群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.8.16)



23


お父様!
三千万民族の今後の行くべき道をお守りください。
南韓と北韓が分かれて、悲しい血の歴史を編んできたこの民族の凄惨な姿をあなたは知っていらっしゃいますので、この者達が三八線で分かれたこの国を愛する心が、三八線より高く深くなければなりません。
北韓の地を自分の手足のように考える心の姿勢を持たなければなりません。
この国に責任を負うべき者は何も知らない統一教会の群れであり、この者達でなければならないということを考えるとき、私達は恨み多いこの民族の恨みをつかみ、切り開いていく群れとならなければなりません。


今後、三千万民族が残されるかどうかの運命を案じながら、私達が精誠の期間を定めて精誠を尽くしていますので、この民族をお守りください。この国この民族は誰を信じるのではなく、お父様を信じなければなりません。
お父様の前に近く立たなければなりません。
誰よりも私達がそうすることのできる統一の群れになろうと、身もだえしなければなりません。


お父様!
かわいそうなこの民族をお守りください。
希望を訪ねていかれるお父様の前に、恨みの歴史を残したこの民を哀れにお思いください。
人間の誤ったことが、人間の生活におきまして、いつもサタンに引っ掛かる材料のようになっていることを私達が知っていますので、この民族の過ちをお許しくださらなければなりません。


今、あなたが訪ねてこられるその道に、対備することのできる群れとならなければなりません。
他の人々の前に軽蔑されるとしても、涙をもって過去を悔い改め、現世におきまして新たにあなたの前に一つとなることのできる心で、あなたをもう一度求めるこの民族となるようにしてください。
いまだにそのような民族になっていないので、この民族をそのような民族にすべき統一教会の使命が残っていることを私達は痛感しなければなりません。


統一教会、この教団を中心として私達が最後の死の道を越えていくその瞬間、お父様の前に何を残してから逝くべきでしょうか。
自分の息子・娘を集めて、あるいは自分に従っている弟子を集めて、あるいは同役者と民族に対して何を残すかと言いますときに、私はこれこれのことを残した息子だと、娘だと言うことのできる私達統一教会員となるようにしてください。


お父様!
私達はこの時代の環境にむやみに従っていく人ではなく、この時代を導いて新しい歴史を創建すべき群れですので、私達を記憶してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今まで歩んできた私達の足跡と、今まで闘ってきた私達の姿があまりにも貧弱であったことを私達は知るものです。
疲れてつらい私達の体と心を再び収拾して、あなたの前に帰っていく姿になるべき私達だということを知るものです。


それにもかかわらず、自分自ら一身の気力も備えることのできない立場にいるなら、お父様、あなたが責任を負ってくださり、再び気力を備えられるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.9.27)



24




今、私達の教会が個人的には勝利したかもしれません。
家庭的にもある勝利の基準を持ったかもしれません。
また、教会的にも勝利的な基盤を立てたかもしれません。
しかし、このようなことが私達の目的ではありません。
私達は国を救い、南北を統一するために祭物が要求されているという事実を知らなければならず、祭壇を備えなければならないという事実を知らなければなりません。


お父様、かわいそうなこの韓民族をお守りくださり、愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
この者達を愛してください。南韓と北韓にお割きになったあなたのご経綸の中には、歴史的な悲しみが宿っているということを私達が知らなければなりません。
私達の先祖達と私達の先輩達が責任を負った使命を果たせなかったことにより、数十年苦難の歴史が延長されたという事実を考えるとき、私達はヨナが悔い改めたのと同じ心情を持ち、この民族の将来のために責任を果たさなければなりません。


南北に分かれている民族全体を、お父様の懐に抱いてください。
私達は愛の心情を持ち、あなたの権限を広げることのできる勝利の国を見いだすときまで行かなければならないのです。
ただお父様のために生きる私達の心が懇切になるようにしてくださり、世界のために生きる心と国のために生きる心が懇切になるようにしてください。


私達が逝き、また私達の後孫達が逝くとしても、その国とお父様の愛だけは残して逝かなければなりません。
このような歴史的な使命が私達にあるということを考えるとき、私達は千回万回滅びて死ぬとしても、あなたが願われる創造理想の国を成さなければなりません。


これを願われたイエス様であるので、私達に勧告なさるのに「あなたがたは何を食べようか、何を着ようか、何を飲もうかと思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が願っているものである。
あなたがたはまず神の国と神の義とを求めなさい」とおっしゃいました。
切望されたその国を残すべき使命に対する、燃える願いと切ない心情を通告なさったその事情を身代わりすることのできる、孝子孝女の忠節と志操を持ち得る私達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.11.1)



25


南北が行き違う悲惨なこの韓半島の運命を、あなたは既にご存じです。五千年の歴史を歩んできながら、いまだに受難の道を抜け出せないまま暗い終わりの日の最後の障壁に対しているこの国を、お父様、哀れにお思いください。


南と北が分けられ、互いに一つになろうとしても一つになれない立場に置かれていて、互いに慕いながらも会うことができず、行きたくても行くことのできない障壁にふさがれているこの国の運命を、お父様、哀れにお思いください。
ここではただあなただけが勝敗を主管なさることができるということを私達は信じるものです。


この民族の将来のために、この民族の統一のひと日のために、数多くの人々の中から取るに足らない私達を選んで育ててこられたことを思うものです。


そのような歴史的な運命を前にして、私達の心がお父様の心と一致しなければならず、私達の願いがお父様のみ意と一致しなければならず、私達の理想がお父様の創造理想と一致しなければなりません。


孝子となれなかった歴史を越えて立ち、あなたの前に真実な孝子とならなければなりません。
あなたが主管なさることのできる国を持つことができず、忠臣の道理を果たすことができずに逝った、歴史的な私達の先祖達がいることを私達は知っています。


お父様、あなたが主管なさることのできる国におきまして、私達が忠臣になり得る道があるとするなら、その道は人間として生まれて最高の望みを成すかいある道であることを知っていますので、国と主権のために一身をすべて捧げ、その国をあなたの前に探してさしあげる忠孝の道理を果たすことができるよう、そのような道を私達に開いてください。


私達は誰よりも天を愛する立場でこの国を愛さなければならず、この民族を愛さなければならず、この国の主権を愛さなければなりません。お父様が親しくこの国全体を主管してくださり、あなたに侍ることのできる聖なる韓国となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この民族があなたの民としてお父様の前に捧げられ得る民族となるようにしてくださり、この国があなたの地としてあなたの前に永遠なる勝利の足場として捧げられ得る領土となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によって懇切にお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.1.1)


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父の祈り(復帰の祈り)10ー2

2023年01月20日 19時59分11秒 | 学習
23

愛するお父様!
全国に散らばっているあなたの子女達が、各自の置かれている場所で精誠を込めて、この「万物の日」を記念していることを知っています。
本部にいる子女達も、九回目を迎える「万物の日」を記念するためにこの場に参席いたしました。


このように私達がこの日を毎年記念するようになったのは、あなたが旧約時代を通して祭物を条件として人を連結させたのちに息子を送られて新約時代を準備するようにされましたし、新約時代を通して新しい成約時代の父母の因縁を立てようとなさる恨み多い復帰の歴史があったからです。
万物は人間より天の前に近い立場で、中間的な祭物の使命を果たしてくれたということを思うとき、人が万物より恥ずかしい立場に立ったということを感じるものです。


今日このような縦的な因縁に従って、万物を媒介とした立場から息子を媒介とし、息子を媒介とした立場から父母を媒介として、父母の愛を中心として縦的な歴史が横的な出発をみることのできるこの時代圏を迎えることによって、父母から子供、子供から万物、このような順次的な過程の秩序を反対に編んでおかなければならないという事実を私達が知るとき、あなたがつくられた被造世界がどれほどどれほど貴重かということを、私達はいま一度感じるものです。


このような受難の道を経てカイン・アベルの因縁を、きょう私達の時代におきまして、家庭を通し、氏族を通し、民族を通し、国家を通し、世界を通してもとがえしておかなければならないのです。
そうしなければ父母の恨みが解かれないという事実を思うとき、この道を分けていくべきなのが統一教会の使命であり、統一信徒達の生活哲学だということをはっきり知らなければなりません。


足らない者達がこの場に集いましたが、この場は世界が注視する場であり、全霊界が注視する場だということを私達ははっきり知っています。


善ならぬ自らとなってお父様の心配の対象となり、お父様の悲しみの要件となってはならない立場ですので、お父様、この日が福となるようにしてください。
この日を快くお迎えください。
この日、足らない精誠を込めて式を行うこの場は、歴史を身代わりする場であり、時代を身代わりする場であり、天宙を身代わりする場であり、父と息子の因縁を結んで過ごすことができ、あなたを仰ぐことのできる場だということを知っています。


またこの日は、今まで歴史時代に来ては逝った数多くの先祖達が待ち焦がれ望んだ日であり、万物達が犠牲圏内で嘆息していたものが解放を迎え、栄光を現すことのできる日であり、暗闇の中にあった全世界が、新しい光明をもって自ら恥ずかしい姿勢を脱ぎ捨て、厳粛なる姿勢でもってあなたをお父様と呼びながら敬拝することのできる、体面を備えることのできる日だということを思うとき、私達は真実に心を尽くし、精誠を尽くしてこの日を祝わなければならず、息子たる権威と主人たる権威を備え、お父様の前に孝行の道理を果たす姿とならなければならないという事実を、この時間心深く感じることができるようにしてください。


お父様!
きょうこの日を神聖にお受けください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.5.24 第九回「万物の日」)




24


愛するお父様!
来ては逝く多くの世代の中で、恨み多い歴史の流れの峠道がどれほど多かったかを知っています。
その中で真なる志を抱いた私達の先祖達がたくさん死んでいきました。


善なる血を注ぎながら、ひと時の勝利の日が来るであろうと、天上を仰ぎみながら死を誓った歴史的な時代時代を回顧してみるとき、きょうの縦的な歴史を横的に総蕩減すべき現実的な使命が、ここに集った統一教会の教会長達と、統一教会に責任を負った私にあるということを思うとき、この場はお父様の前に不足であり、お父様の前に申し訳ない場であるのを私達は知らなければなりません。


きょうの喜びの場が、天上の因縁を引き継ぐことのできる場となれないなら、その喜びの場を私達は避けなければなりません。
きょうの生活がいくら凄絶で悲惨だとしても、あなたの血統的な因縁が連結され、移され得る土台であるなら、私達は歯を食いしばっても克服してその場を守るべき使命があることを知りました。


三時代の使命を、一点を中心として決定することのできる瞬間は、私達の人生の深刻でありながらも確固たる立場で決定されなければならないのに、決定的なチャンスを見いだせなかった私達自身となったということを、この時間もう一度感じなければなりません。


お父様はいつもそのような立場で今まで歴史を収拾してこられ、数多くの私達の先祖達を導いてこられたということを思いますとき、あなただけがやはりかわいそうな方であることを知りました。
あなたの心の谷間から流れ落ちる悲しみと、動きいずる動脈の脈拍が私達の心を通して、心情を通して、心臓を通して響きいずるべきことも私達は知っています。


私達の血はあなたの血によって動かされ得る血とならなければなりません。
私達の感情もまた、私達自身の感情によって動いてはなりません。
あなたの聖なる感情に同化されて動き得る自らを発見しなければなりません。


私達は悲惨なる涙の場でお父様の心を抱き締め、お父様の首を抱き寄せ、身もだえしながらこの恨みを解くためにお父様に訴え、お父様は「お前を捜してきたり」とおっしゃりながら、互いが話し合う場を持たなければなりません。
あなたの愛する息子・娘がそのような場を持たずには、霊界に行っても自分自らの面目を立てることができないということを、この時間はっきり分かるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


三時代の復活圏を備え、その責任完結を誓うべき現在の価値圏内におきまして、お父様が喜ばれ得る実績を持たなくては、私達は帰ることのできないかわいそうな群れであることを、はっきり分かるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.8.13)


25


お父様!
私達がこのような場に立つようになりましたのは、私達が優れているからではなく、背後で善なる先祖達がとてつもなくも驚くべき血と汗と涙の代価を支払ったがゆえであることを知るものです。
それゆえ、今日、時代的な因縁の中で、このような場であなたと出会うことのできる恩賜を受けるようになったことを思うとき、心から心から感謝を捧げなければなりません。


お父様!
この時代をどれほど待ち焦がれ、あなたが慕う家庭をどれほど侍ち焦がれ、子女を抱くためにどれほど骨を折られたでしょうか。
このようなことを思うとき、もう少し輝き、もう少し価値があり、もう少し栄光を持った姿をあなたの前に捧げられないことが、一代の恨みだけでなく、天宙の恨みになりそうで、心配せずにはいられません。


お父様、世間知らずのこの者達をここにこのように集めておいたのは、それ自体が優れているからではなく、この者達が歴史的な因縁を貴く持っているためですので、先祖達を動員してくださって、時代的使命を促すにおいて、休まずこの者達を協助するようにしてくださいますようお願い申し上げます。


今日、私達が氏族を代表し、民族を代表して、天運が望む厳粛なる使命を各自の肩に背負わされたことを分かるようにしてください。
年を取った人は年を取った人として、若者は若者として、老若男女を問わず、イエス様の恨みとともに人類の恨み、そして天の恨み、この三大恨みを解怨成就するのが統一家の使命であり、真なる食口の名を誇る私達が死んでもやり抜くべき本分であり、使命であり、責任であるのをよく知っています。


その価値が無限なるものであるがゆえに、無限なる世界もその価値内に包括されようと動いてくることを思うときに、私達はお父様を呼ぶ前にお父様という名前すら思うことのできない申し訳なさを感じなければならず、おそれ多さを感じなければなりません。
呼び難いお父様であり、侍り難いお父様であられるのを私達は全く知りませんでした。


あなたは私達に対して厚意と、広く大きな愛の心と許しの心情を持ち、万回の犠牲もお恨みにならず、むしろ私達の足らなさを心配していらっしゃいます。
そのようなあなたの恩賜の前に、足らない自分を発見する度ごとに、申し訳ない気持ちとおそれ多い気持ちに徹しなければなりません。
そのような立場で勝利の栄光を占有して息子の愛を受けることができ、娘の愛を受けることができるなら、人間としてそれ以上の願いがどこにあるでしょうか。
そうすることのできる立場が、人類歴史を身代わりするどのような価値よりももっと貴い価値ある立場にあることを、私達がはっきり悟るよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.8.22)




26


お父様!
この地上にいる統一の群れはもちろんですが、このみ旨を成すために歴史路程で苦労して霊界に行っている数多くの先祖達と、み旨の内なる事情に従って血を流していった数多くの祖先達を記憶してください。


この地の拠点を通らなくては、あなたの本然の世界に臨むことができないということを知っている霊人達の勝利の解放を、お父様は取るに足らない私達を通して促していらっしゃるということを知れば知るほど、私達がどれほど重大な責任を背負っているかをなお一層感じなければなりませんし、私達の生活が私達自身だけのために暮らす生活ではなく、立体的な世界のための生活だという事実を、私達はもっとはっきり知らなければなりません。


霊界にいる数多くの霊人達と天軍天使達が、今まであなたの勝利のひと日を望みながら苦労の路程を克服してきたということを思うとき、彼らの苦労は私達によって刈り取られなければならず、私達が望む願いは全世界の人と共に結実されなければならないということを思うものです。また、現在この地上に生きている私達は、上下に連なり得る責任を果たさなければならないということをもう一度感じるものです。


お父様、あなたの心情を体恤し、あなたの生命の因縁を高めることのできるその道を、この地上で決定できなければ、お父様と数多くの先烈達が関係を結ぶことができないということを思うものです。


相互いに孤立した数多くのあなたの子女達がこの地上にいますが、この者達を生命でもって連結させてあげ得る真なる指導者がいないことを思うとき、そして前後左右でこの者達の行く道に同行しながら、天に侍っていくべき生活的な基盤を持っていることができないことを私達が悟るとき、それでも天が願う基盤を持つことができ、あなたの心に慰めの対象となり得るのは、取るに足らない統一の群れであることを感じさせてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.8.29)




27


きょうまで私達が残されたのは、誰の苦労によるものでもありません。
一切があなたの無限なる愛によるものであることを、私達はよく知っています。
過去にもそうでしたし、今もそうであり、今後もそうであるべきことを望んでいます。


今後に来る摂理的な使命の分野はだんだん広げられ、だんだんに大きくなることを思うとき、過去よりも今よりも、今後、私達がお父様の前に精誠を尽くすにおいて、より一層高く大きな心で精誠を尽くさなければならず、このような時点にいる私達自身は、不備な姿を持ち、過去を追求しながら現実を批判する群れとなってはなりません。


過去を忘れてしまい、大きな希望を抱き、現実に迫るすべての障害を押し進み、すべてのことを処理するのに忙しくあることのできる自らを備えなくては、天の前に覚えられる群れとはなり得ないのが当然ですので、きょう強く雄々しく自分自身を備えて、悪の世界に対抗し、最後の激戦場を勝利に導くことのできるさまざまな準備を備えた天の勇士達として、あなたに信任される兵士達として、現れるに不足のないよう許諾してください。


私達にこの国、この民族を任せて安心することができ、この地上にあなたの息子をお立てになって、この世界の受難の路程を任せて安心することができることを、どれほどどれほど待ち焦がれたお父様であられたかを私達が思うときに、いつも足らず、不孝極まりない私達の先祖達であったことを悟っています。


私達も後代の後孫達から、天の道の前に忠誠を尽くせなかったという讒訴を受ける人々となっては絶対になりませんので、残った人生をお父様のみ旨の前にすべて捧げて最後のひと日を輝かせ、この地を離れてお父様の前に行くことのできる息子・娘達となることを願うのが、終生の要求となることができるように誓うこの時間となり、生の路程となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.10.24)




28




流れていく歴史路程の上で、あなたの摂理のみ旨はいつも曲折の運命を避けることのできない復帰摂理の途上であったことを思うものです。


カイン・アベルを中心とした蕩減復帰において、アベルの使命を果たす代表者が、この地でカインを収拾して行かなければならないということを私達は知りませんでした。
彼が父母の望む解放の基盤を拡大させなければならないことを私達は知りませんでした。
天と地を統一させ得る神様の心情的解放を備えてさしあげなければならないということを私達は知りませんでした。


お父様!
今日統一の群れがこの地上で暮らすのは、偶然なるあなたの苦労の結果ではないことが分かるようにしてください。
アベルの伝統的な歴史を引き継ぐ統一教会は、厳粛な使命において、民族的解放を促すと同時に善の主権を成就させ、世界的な解放を完成させるべき使命があるということを考えないわけにはいきません。


今まで歩んできた道も困難でしたが、今後私達が走っていくべき使命路程がどれほど膨大かということをより一層感じるものです。
今、私達は見る目を広げて、世界に向かって走っていくその基準の前に、その隊列の前に恥ずかしい姿を現してはならない時が来ました。


お父様!
私達が必ず行くべき運命の道は、世界を復帰するためのものです。
この道をあなたのみ旨とともに出発しますので、とこしえに福を施してください。
私達が行く舞台、戦場で百戦百勝させてくださり、あなたの勝利的天国を解放するに必要な烈士達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達が民族を目覚めさせると同時に、世界を覚醒させ、未来の天国の門を開くにおいて、中心的な使命を果たす子女達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


万々事の恩賜と愛が、あなたのみ旨のために心配する群れ達にいつも共にあることをお祈りしながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1972.5.18)




29


愛するお父様!
歴史の過程がどのように行き違っているかを知らなかった私達を覚醒させてくださり、あなたが探してこられた恨み多い復帰の道をたどり得る立場に立ててくださったことに心から感謝を申し上げます。


今、お父様が存在することをはっきり知らなければならず、本来お父様がつくられた、本然の堕落しなかった私達の先祖の基準がどうだということを知らなければなりません。
家庭と民族と国家と世界がどうかということを考えるとき、私達はお父様の怨讐であるサタン圏内に処していることを知りました。
その父母を通して子供となり、その血族となり、その国家と世界人類となっていることを知っています。


この悔しく恨めしいこの立場から、私達は勇断を下し、この世界を切ってしまい、いで立たなければなりません。
そうだといって、善なる世界、切ってしまった代わりにそのような価値の基準が現れるのではありません。
悪なる世界を切ってしまい、いで立つようになるときには、私だけ残ることをはっきり知らなければなりません。


寂しくても天をつかんで寂しがらなければなりません。
歴史時代に私達の先祖達が行った道がそうであったために、私達もそのような寂しい立場を堅固に守り、天の願うその願いが何であるかをはっきり知り、行くべき道を走り抜いていくよう許諾してください。


あなたの前に僕として忠誠を尽くせなかったその道を、私達は復帰しなければならず、養子として責任を完結し切れなかったものを、私達は復帰完成しなければならず、息子と新郎新婦としてあなたの愛を受け継ぐことのできる父母の立場に立てませんでしたが、あなたの愛を私達は受け継がなければなりません。
それが二つとないあなたのみ旨として願う道であることをはっきり知りましたので、この道を純粋に行くよう許諾してください。


今、私達が体を手探りで明らかにするとき、私達の手がお父様が手ずからお造りになったアダムとエバを身代わりした手であることを感じなければなりません。
私達の手の中にはお父様の精誠がこもっていることを知らなければなりません。
私達の姿の中にはお父様の願いとお父様の理想が宿っていることをはっきり知らなければなりません。
私達のすべての四肢五体にお父様の愛の手の跡が残っており、お父様の精誠と心情のすべてのものが宿っていることを知り、自分自体を貴く思うことのできる人とならなければなりません。


この価値があまりにも貴いがゆえに、悪とは相手になり得ない自らであることを発見するよう許諾してください。そうして天だけを仰ぎ、天にだけ属し得る自らとして残るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1972.10.22)


30

お父様!
今、世紀末的な最終点が私達の前に近づいています。
今、「私」という一存在は、私一人の運命として解決し得る何の力もないことを知るものです。
個人の勝利の道は民族と通じなければならず、民族の勝利の道は世界と通じなければならず、世界の勝利の道は天宙とお父様の勝利と通じなければならない決定的な時代を、私達が目前に直視しています。


息苦しい一場面が私達の前に近づいているこの時に、私達自身はあなたのお望みになるそのような目的と一致し得る立場に立たなければ、かわいそうな者達となり、かわいそうな国、かわいそうな世界となるということを思うものです。
ですので、心からあなたを慕わなければならず、あなたに仕え奉りながら最後の終着点に向かって進むために、厳粛に努力することのできる自らを発見しなければなりません。


悪なる世界と善なる世界が行き違っているという事実を、私達は知っています。
悪なる地で悪なる人の後孫として生まれた私達は、悪なる道を行っていたものを清算し、善なる道に入らなければならないのが復帰の道であることを知っています。


帰る道がないがゆえに、その道は受難の道であらざるを得ません。
行く道の前には個人が遮っており、家庭、国家、世界が遮っています。
それだけでなく公衆権勢を握ったサタンの権限までも行く道を遮っているという事実を思うときに、一生を通してこれをさかのぼっていくということが、どれほどどれほど不可能に近いかということを思えば思うほど、私達には持てる心と精誠を尽くし、死を覚悟したとしてもこの道を克服し抜かなければならない義務と責任があることを知りました。


越えていくべき山がいくら高いとしても、私達の先祖が滅び、私達の先代のすべての国々がこの峠を越えられずに行ったことを思うときに、私達は歴史上にない最大の決意をし、この頂上に向かって走っていかなければならないことを知っています。


それゆえ、心と思いと精誠を尽くしてあなたを愛さなければなりません。
あなたの前に、私達は狂わなければなりません。
あなたと一つとならなければなりません。
私達が不可能なこのような段階から、可能の役事を起こすことを望むのがあなたの願いであることを知っていますので、私達はこれを克服して突破することのできる、あなたが誇り、あなたの愛を受ける堂々たる息子・娘となることを心で待ち焦がれています。


待ち焦がれる心の位置はたやすいかもしれませんが、実体を越えるためには生死の判定をつけなければ、最後の闘いに決着をつけなければならないということを思いますとき、私達自身が備えるべき心の姿勢はできているか、私達の体の武装はできているかということを反省すれば反省するほど、足らない私達自身であり、丸裸の私達自身です。


ですので、お父様、私達の体にあなたの力と能力でよろいを着せてくださり、私達の心をあなたの心で一体化させてください。
あなたの身代わりの実体とならなくては、勝利の克服を誓うことができないという事実を思うときに、もしそうなれなければ、私達のようにかわいそうで悲惨な群れはないという事実を、私達は知らなければなりません。


サタンの前に最頂点に立ちましたので、天の前に最大の協助をすることのできる立場にいますが、そこは敗北と勝利が行き違う位置であることを知るものです。
ここで敗れる立場に立つときには、天の前にも怨讐となるという事実を思うときに、失ってはならない立場であることを知り、必ず勝利の結果を持ってきて、あなたが信じていたその基準を越えなければならない各自の責任があるという事実を、はっきり悟るこの時間となるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1972.11.5)




31


誰が歴史を保障することができ、誰が時代に責任を負うことができ、誰が未来の一つの新しい関門を開けることができるかという問題を見るとき、それは他の人ではない、私がしなければならないということを思うものです。


このような重大な起点をおいて考えるとき、これを解決するためにはあまりに微弱で、あまりに及ばず、あまりに足らない者達です。
そのような姿で現実の運命、生活的な運命、生涯的人生路程を持っているのには間違いありませんが、そのような私として選んでいくべき行路のみ旨を解決することができずにひっくり返るという事実は、個人の悲惨ではなく、歴史の悲惨な姿であることを知らなければなりません。


一人が敗亡することは個人の敗亡で終わるのではなく、歴史的に関係性を持ち、時代と未来と関係を持つという事実を、今、私達ははっきり知りました。


「三時代のための責任」というこのとてつもない課題が、きょう「私」一人を中心として、前後、左右、上下に関係しているという事実を思うときに、神様がおられるならば、私達は神様を探さなければなりません。
神様と関係を結ばなければなりません。神様は現在の中心点でも関係を結んでおり、過去の出発点でも、未来の出発点でも関係を結んでいるために、神様をつかんで行く道のほかには、この道を無難に突破することのできる道がないということを思うものでございます。


私達は、悪くても神様、悲しくても神様、苦しくても神様、死地に出掛けても神様と、すべてのものを天と共に調整し、天と共に関係を結び、天と共に選んでいかなければなりません。
このような価値的な道があるなら、どれほど輝く行路であろうかということを私達は全く知りませんでした。


私達は過去の神様の心情を学びました。
現実的な神様の心情を学んでいます。
未来的な神様の心情がどうかということを学びました。
それだけでなく、創世前の神様の心情までも私達は論じました。


このような事実を思いますとき、この立場がとてつもないと言えば本当にとてつもない立場であることを知るものです。
このようなとてつもない立場を任されているにもかかわらず、このとてつもない立場を守れなくなるなら、このすべての福が災いとして私を打っていくという事実を知らなければなりません。


この立場がこの上なく福なる立場であると同時に、この上なく恐ろしい立場であることをいつも思いながら、一日一日、一生の方向の焦点を合わせて進むのに、あらゆる努力をし、あらゆる精誠を尽くす群れとなるべきことをはっきり知りました。


三時代を代表した立場で生きていかなければならないということを、私達はいつも感じなければなりません。
私一人が誤れば霊界の道がふさがってしまい、歴史的な方向がふさがってしまいます。
それだけでなく過去のすべての道もふさがってしまうという事実を、私達ははっきり知らなければなりません。


私一人、歴史を代表した心情を持ってお父様を慰労してさしあげ、時代を代表した心情を持って時代的な立場で寂しい目に遭うお父様を慰労してさしあげ、未来に対する絶望と失望に包まれている現時点で、そのようなものを片付けてさしあげなければなりません。


そうして、過去に輝く、現実に輝く、未来に輝く息子・娘、お父様が愛するだけでなく前に立てて誇る堂々たる息子・娘として、すなわち三時代に輝くことのできる勝利的条件を備えた息子・娘として残され得るよう、祝福してくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1973.8.1)




32


愛するお父様!
きょうは一九七六年二月五日、陰暦では一月六日、この日はこの息子が五十六歳を迎える誕生日であり、あなたの愛する娘が三十三歳を迎える誕生日です。


一九六〇年度に真の父母の名によって、この地上に新しい出発をみたわが家庭が、あなたのみ旨の中に立てられ、十六年が過ぎるこの期間に、あなたが計られたとおりの経綸に従って勝利のひと日を迎え、歴史的な一九七六年、きょうこの誕生日を祝えるようになりましたことを、まずお父様の前に感謝申し上げます。
このすべての環境とこのすべての式をお父様がお受け入れください。


この地上に住んでいる数多くの人類が、真の父母の生まれた日を祝えないのが恨みであることを知っています。
霊界にいる数多くの霊人達も、真の父母の生まれた日を祝えないのが恨みであることを知っています。


きょうこの日は、歴史的などのような日よりも、数多くの人が生まれたその日よりも、天と地において一つの連結を成す「父母の日」でございます。
父母が生まれたことを祝い、記念するひと日となるという事実を思うとき、霊界と肉界が一つとなる、新しい歴史的な転換時期を代表した日であることを天と地が知り、照覧するこの場であることを知っています。


お父様!
この式典をどれほど期待したかということを思うとき、お父様が快くこの日を祝ってください。
お父様の名を中心として、霊界に行っている数多くの善なる霊人達を祝福してください。
彼らの功績を引き継いで地上に生まれた数多くの後孫達の上に祝福をしてくださいまして、彼らが手ずからこの地上で真の父母の生まれた日を記念できなかった恨みを、この時間解かせてください。


この地上に生まれたすべての後孫達も真の父母の生まれた日を知ることができませんが、この地球上で共に神様を中心として、その先祖達を中心とした基盤のもとで、この日を祝うことのできる恩賜を施してください。


お父様の愛の中で真の父母を中心として、真の父母の愛の中で人類と全霊界を中心として願われた創造理想を完結されようというあなたのみ旨の前に、新しい歴史的なこの時間となったことを思いますとき、お父様、お喜びください。
全霊界も歓喜し、万民の心と心を動かして喜ぶことができるように、地上世界までその栄光が及ぼされるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


ここに集ったあなたの子女達を祝福してください。
万国を代表し、万民を代表し、全天宙を代表して、一つになった立場でこの真の父母の生まれた日を祝うこの喜びを、霊界にいるすべての霊界達と、地上でみ旨を知らない者達の恨みの蕩減条件としてお立てになって、今、真の父母の名前の圏内で統治され得るよう、あなたの主体的な権限をお広げください。


直接的にカインとアベルが入れ替えられ、悪なる父母の後孫達が善なる父母の後孫達の前に復帰されて入っていくことにより、長子の権限を行使することのできる時代に転換させてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょう、ここに真の父母の名を持って生まれた日に、すべての霊界の霊人達と地上の後孫達が一つとなることを、お父様の許諾の中に宣布いたしますので、一体的な一つの家庭の因縁に従い、真の父母の家庭の因縁に従い、神様を代表した真の父母の愛の因縁に従って、怨讐達が糾合し、あるいは分裂した氏族と国々が一つとなって統一の世界に前進、進軍することができるよう、霊肉でお父様が直接主管してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたがご計画されたとおりに成してくださり、この日を親しくあなたと全天宙が喜ぶ中に、栄光の中にあなたの祝福を受けながら記念することのできる日となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
この日のために祈祷し、欽慕するすべての者達の上に、千万倍の祝福を加えてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょうをお父様の名とともに喜びで迎えるよう許諾してくださいましたことに感謝申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1976.2.5 ご父母様ご聖誕日)




33


愛するお父様!
このように復帰歴史が涙で相次いだ歴史であることを、この息子はよく知っています。
誰も知らない心情の世界をたどり、知ったその日から誰にも言うことのできない希望のひと日を慕い、この場まで来ました。
一九七七年二月二十三日、陰暦で一月六日を期して、あなたが願われたその道をこの地上に設定し、サタン世界を防御し、新しい攻勢の時代を迎えました。


流れ落ちていた潮水が、反対に流れていくべき新しい歴史的時点に置かれています。
お父様、あなたの創造理想の中、あなたとアダムとエバと天使世界が一つとなり、あなたの愛を中心として、あなたの息子たることを誇ることのできる、あなたの愛とあなたの相続権を誇ることのできる本然の基準を、歴史時代を通して捜しこられるためのお父様の苦労をたたえるものです。


取るに足らない韓民族の前に、取るに足らない幼い子女を呼び立て、曲折の道をたどらせるのが、この日を捜してこられたお父様の願いであったということを思うものです。


その間、あなたを慰労してさしあげられず、あなたの前に栄光のひと日を備えてさしあげられず、悲しみの心を残した過去の数十年間の歴史をもう一度回顧するものです。
しかし、死なず滅びずこの日を持たせてくださったお父様の愛の前に感謝を申し上げます。


今、お父様の名と真の父母の名をもって、あなたが望んだ創造理想世界において、アダム圏世界基準、アダム圏を中心とした天使圏世界基準、イエス以下全霊界が一つとなってサタン世界の讒訴基準を防御するという新しい宣布をいたしますので、お父様、この日を快くお受け入れくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、統一の群れ達、原理の道に従ってこの内容を抱き、この内容をはっきり説明することのできる者達には、サタンの讒訴の防御の道を賦与することを宣布いたしましたので、この世界人類の前に許諾してください。
これにより、きょうの特赦を下してくださり、あの地獄のどん底まで光明なるあなたの愛の光と真の父母の愛の光を照らしてください。
その世界でもあなたを賛揚するよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達の行くすべての歴史路程におきまして悲しかったことをみな忘れ、愛で許しますので、人類を抱いてくださり、反対したキリスト教徒、反対した韓国、反対した世界、反対した共産党まで抱いてください。
あなたの愛で一つにし、あなたの愛でお残しくださって、特別にお許しくださいますことをお願い申し上げます。


そうして、人類歴史は一つの大家族を成し、一つの国を成し、一つの世界を成して、あなたの愛の主権でもって統治することのできる天国として開門し、入門できるようになったことに感謝を申し上げます。
歴史的なこの時間を快くお受けくださいますことをお願いしながら、真の父母のみ名によって宣布し、お祈りいたします。


アーメン、アーメン、アーメン。
(1977.2.23 ご父母様ご聖誕日、「地勝日」と天紀元年宣布)




34


愛するお父様!
歴史の流れは悲痛であり、あなたの摂理歴史は絶望の歴史でした。
このような原因を提示したのは神様でもなく、万物でもありませんでした。
ただ万物の主人たるアダムとエバと、天使世界でアダムとエバを管理して成熟させるべき責任を負った天使長の失敗により、このように悲惨なる流れを残すようになりました。


このような事実を思いながら、神様がどれほど悲しかったかを思うときに、許すことのできない人類の亡国の情を嘆かずにはいられません。


しかし、お父様は愛であられたがゆえに、再創造歴史を経るようにして、本然の創造理想基準を立てるために、また返す返す歴史時代の悲しい道を千回万回後戻りしながらでも捨てずに、投入に投入、ために生きる立場を中心として、愛の痕跡のその心が、千個万個に裂かれたとしても、自らを忘れ、きょうまで耐えてこられました。
このような偉大なる神様がいることに、私達は感謝を捧げずにはいられません。


このような摂理の心情は、人間が失敗することによって生じたものなので、人間が悟らなければならないのです。
歴史時代に数多くの先知聖賢達が現れ、宗教指導者達がたくさん来ては逝きましたが、この心情の谷間に隠れた事情、この包まれたふろしきを解くことができませんでした。


天のこの悲痛なる原因がどのようになっており、悪魔の出所の動機がどのようになっており、歴史時代にサタンが讒訴するそのすべての攻撃の条件がどのようになっているかを知らないことによって、これを除去し防御することのできる道が今まで宗教世界にはありませんでした。


宗教を信じながら、天を欽慕し、忠孝の道理を誓いながら命を懸けて闘っていったすべての人々が、最後になってわなに落ちてサタンの祭物として消えていったという事実、蕩減の峠道、八段階を越えるべき峠で、多くの人々が犠牲になったことを知っています。


ですので、歴史時代に宗教の関門を経ていきながら犠牲になった人々に、霊界を悟らせてください。
そうして、天に向かい合った忠情の心を再び継承して、地上のご父母様のために忠誠を尽くすことのできる心で振り返って、ご父母様の家庭と一つとなり、ご父母様の国、ご父母様の世界、ご父母様の立てられた勝利の天国の大道に寄与することによって、ご父母様の子女達とご父母様のご家族の因縁を中心として、絶縁された血統的なすべてものを清算し、接ぎ木する役事が起こるようにしてください。


彼らの苦労したことと、彼らが天の前に忠誠を尽くしたすべてのものを、忘れることのできないその何ものかを条件として、一つの眷属が彼らを見失うことなく、天の眷属が行く所に彼らを連れていこうと、天の前に、父母の前に、兄弟の前に懇切に願うことのできる内的な心情的紐帯、一体感を持たせてください。
そうでなくては、そのようなことが成されませんので、そうし得る因縁を賦与してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


霊界に先に行ったすべての先祖は長男のようなものであり、今日地上で暮らす私達は次男のようなものですので、一体化を成させてください。
霊肉が一体となり、カインとアベルが一体となって、本然の長子権を立てていく縦的なカイン・アベル圈で、勝利的な足掛かりをつくり、お父様の解放の求道の道が連結されることを知っています。


そうですので、宗教の道を行って、犠牲になったすべての哀魂達を呼び起こして、地上世界の宗教全体の前に再蕩減することができるようにしてください。
それで、その宗教指導者と一つとなり、天が協助することによって、父母に侍ることのできる版図と、カイン・アベルの長子権を復帰することのできる基準を立てることにより、これに伴って解放、解怨することができ、地上に再臨して統一され得るすべての権限をご父母様が願われますので、彼らに賦与してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


かわいそうだった宗教指導者達を解放してください。
それだけでなく地方で良心的な道理を備えながら、その良心どおりに生きようと、歴史的に道義的な道を残した先祖達の道を生きようと、身もだえしながら犠牲になったすべての良心的な人、善なる人々よ、みな再臨してください。
それで、地上の実体対象を中心として霊が協助することにより、ご父母様に侍り、天上世界に従って入っていくことのできる門をお開きください。


今、サタンが後退し得る時代となりましたので、宗教圏内に、良心圏内に、それだけでなく今までサタン世界の懐にいたすべての人々を収拾して、神様の愛の圏内の眷属として立ててくださり、真の父母の血族の因縁を結んで、求道の恵沢を受けることのできる世界的な運勢圏として立ててください。


大韓民国がオリンピックの時に統一的な外的基盤が一体化されたのと同じく、きょう内的神様の心情と一体となったことにより、カイン・アベル圏勝利の版図を中心として、外的解放と内的解放が統一圏に前進することを願いますので、お父様、この日、この時間、共にいてください。


真の父母の名を持ったこの息子がこの立場に来るまで、四十余年間身もだえしてきました。
どうしてあなたの苦労の基準に対することができ、あなたが望んだ願いの基準の前に行動することができるでしょうか。
そうすることのできない足らなさを自ら感じながら、日陰のもとで育ちつつ暮らしてきました。
お父様がお捨てにならず、夜も昼も行くべき道を正してくださり、環境の困難を開拓して、峠道を越えさせてくださった多くの隠れた功労の恩賜に感謝を申し上げます。


お父様!
ここまで導くのに、あなたがどれほどご苦労されたでしょうか。
この息子をお許しください。
それと同じく、私が統一教会を立てる過程で従ってきた統一の群れ達の過ちを、この時間お許しくださいますようお願い申し上げます。
今、七日間悔い改めの祈祷をいたします。
私と共にお許しください。
哀れな立場に置かず、この者達を抱いて、どうかあなたの願われる旗手の勇士として、あなたの願われる愛の王子として、天の祝福を受けて生きていくのに恥ずかしくない子供達として立ててくださいますようお願いします。


父母の名をもって神様の心情を身代わりし、手を挙げ祝福した恥ずかしさを補ってくださいますことを、お父様、お父様、懇切にお願い申し上げます。


現れた現象を収拾することのできる道を知らずに身もだえする事情をご存じのお父様、私自ら楽することのできる道を行くことができないことをご存じのお父様、この者達に施してくださった愛でもって抱いてくださり、求道の道を広げてくださり、この者達の将来を引き受けてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私、真の父母の愛によりまして、天上世界のすべての先祖以上の基準から、優れた先祖達と、地上にいる五十億人類を連ねたすべてのもの、共産世界を越えて共産世界の責任者ゴルバチョフ、その次に鄧小平、アメリカのレーガン大統領は言うまでもなく、すべてを許すことを宣言しました。


それゆえ、天に対して必要な条件物を提示しましたので、これが無駄に終わらないよう許諾してくださり、両世界を結合することのできる宣布の内容とともに、お父様の心情圏の中にこれが刻まれ、解放の世界に突進することのできる原動力として受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


復帰摂理に通じ得る統一の転換式を経て、一週間目に、今南北が統一され、世界が統一され、地上天国と天上天国が統一され得る日を、真の父母の心情的統一圏を全天地の中心にして、画期的な一点を中心として、その基盤によって万国の解放、「世界統一国開天節」を宣布いたしますので、天と地で耳があり、目があるすべての人々は聞いて知り、このことに協助して統一の解放世界に来るようお導きください。


まずは南北の解放からアジアの解放、世界の解放、地上世界の解放はもちろん、天上の地獄解放まで成してください。
そうして、真の父母の願い、解放とともに神様の真なる解放世界まで至り得るために、すべてのものを捧げ、残された統一の過程を愛を中心として闘っていかなければなりません。


そのような課題を引き受けましたので、百二十か国に愛の旗を高め、今新しい統一の灯台を立て、火をともしますから、その火が消えないごとくに、私達がお父様の前に誓った愛の心が消えないようにしてください。
共に統一王国世界に前進することを誓いますので、すべてのものをお父様がお受け入れください。


きょう宣布したものを神様が宣布すると同時に、霊界と肉界の統一的な宣布として受け入れてくださることを、真のご父母様のみ名によって再度宣布いたしますので、真の父母と真の子女を中心として永遠に生き、永遠に総統治することのできる国として、千年万年永遠に続くべし!
すべてを真のご父母様のみ名によって祝願とともに宣布いたします!


アーメン。アーメン。アーメン。
(1988.10.3 「世界統一国開天日」)




35


今まで、歴史は流れ流れて、ここまで訪ねてきました。
真の父母から始まった創造理想が偽りの父母の顕現によって悲惨な惨状を歴史的過程に残し、数多くの人々の背後には死亡の血のにじんだ闘争の歴史が編まれてきたという事実を、いま一度、回顧しながら、これを収拾しようとする天が存在すると同時に、その収拾しようとする事実を台なしにしようとする悪魔がいて、その悪魔の版図が地上を占領したという事実を知るとき、天がどれほど寂しく、孤独な立場だったかということを、私達は知りました。


地上に水平、平面的な父母の権限をもち、天使世界まで指導し、収拾して、天の前に護衛の栄光を帰すべき責任を果たすことができなかったことにより、人類はサタンの僕となり、サタンの血統を受け継いだ息子・娘となって、逃れようとしても逃れることのできない恨みの、恨みの、恨みの歴史を編んできたという事実をいま一度思うとき、堕落した後孫として生まれた人類は、恨みの実を受け継いだ群れであり、天の逆賊の血を受け継いだ群れであることを自認しながら、自分自らを収拾し、天の眷属の立場をあがめる心をもち、真の父母の血肉の因縁を取り戻すための恨めしい路程が残っていることも知るようになりました。


父母を失った孤児のような立場にある人類は、悪魔の子女の立場で生まれました。
悪魔の子女の立場に立ちましたが、悪魔はこの者達を愛さず、この者達を天道に背反しかねない道に追い立てたことによって、地上地獄と天上地獄が生じるようになりました。
それを恨めしく思われる天を知ることなく、不孝不忠していた歴史的な人類のすべてをお許しくださるよう懇切にお願い申し上げます。


これは、偽りの父母となったアダムとエバが真の愛の因縁に従うことができず、偽りの愛によって編まれ、一つの木のように育ち、数多くの実をこの地上に拡張させたからです。


再びこれを刈り取り、本然の基準に戻すということは不可能に近いことでしたが、条件的な基準を立て、真の父母の道理を立てるために血統的に個人から家庭、氏族、民族を代表して、天が選民圏を探してきたすべての群れを通して兄弟から腹中世界、根源の立場までこれを反対に結び、真の父母の因縁の道理をこの地上に発生させるための天の苦労がどれほど大きかったかということを、私達は知るものです。


イスラエル民族が二千年歴史を血のにじむ闘争と殉教の血をつなぎ合わせる恨めしい歴史を踏んできたのちに、イエス様が本然的に聖別された子女の立場にひとり子の権威をもち、天から初めてこの地上に送られ得たその日が、人類の前にどれほど喜びの日であり、どれほど解放の日であり、どれほど希望の日であったでしょうか。


しかし、イスラエル民族はそれを知らず、彼をまた十字架にくぎづけることによって、天の恨みを加重させると同時に、サタンの版図を拡張させることによって、二重に困難な峠を残す歴史路程になりました。


これを復帰するためにキリスト教信者達が殉教の血をつなぎ合わせ、祭司長の役割を身代わりするために孤独と悲しみと迫害の道を耐えながら、二千年の間、国のない民族、イスラエル圏を失った国のない民族として四方に流浪の民となりながら、多くの犠牲と血を流してきました。


そのような殉教の鮮血をつなぎ合わせ、今日、歴史時代をもう一度天の圏に至ることのできる世界版図まで拡張し、第二次世界大戦を中心として、キリスト教文化圏が初めて世界を代表した一つの定着地、王権国家を再臨時代と共に備えることのできる立場に立ちましたが、使命を果たせなかったことで、キリスト教とキリスト教を指導していたアメリカは地に落ちるようになりました。


このようなわけで今日、統一教会と真の父母の因縁に従うすべての歴史的な願いのみ旨の前に召されたこの群れは国を失い、世界を失い、立つべき場を失い、寂しい荒野に追い出され、教会を再び立て、再び民族を解放し、世界的版図圏を代表していたキリスト教を再び結んで、自由世界を代表したアメリカを訪ねて勝利し、共産圏にまで反対に上がっていき、迫害の路程で倒れることなく、今日まで天の保護によって勝利しました。


今、一九九一年七月一日を中心として、恨めしい歴史的な蕩減路程を片付け、新しく創造主なる神様と本然の父母となり得る横的な真の父母に侍り、左右が一つになり、南北が一つになり、すべての宗教圏と政治圏と全部が一つになって、長子権を受け継ぎ、父母圏を受け継ぎ、王権を受け継いで、本性世界の解放圏を復帰しようとするすべての宣言が必要なことを、私達は知るものです。


それだけでなく、本性を中心として、真の愛を中心として、個人的中心であり、家庭、氏族、民族、国家全体の中心である真の愛の道理に従い、絶対的な一つの方向による、絶対的な目的の帰結である本然的天国は、地上を代表し、地上で生活した家庭の基盤とならなければならないことを知ったので、統一教会は今、氏族的メシヤを宣布し、定着しなければならない、統班撃破という厳粛な使命的課題を前にし、前進命令を天からお受けしました。


自分達が立つべき場は、ある教会の責任者ではなく、連合会の会長ではなく、今、ご父母様に侍り得る孝子の立場を探さなければならず、国に侍り得る忠臣の立場を探さなければならず、世界に侍り得る聖人の立場を探さなければならず、天地に侍り得る聖子の道理を探さなければならない立場であることを知りました。
今、このような伝統を家庭から植えなければならない厳粛な各自の五パーセントの責任分担の完結を宣言できる時代になりました。


父母の責任所行は既に完結されました。
今日を迎え、自由世界や共産世界、あるいは北韓や南韓において私がすべき責任を果たしました。


今、残されたのは、統一家の群れが、子女達が、祝福家庭の子女達が伝統を受け継ぎ、それを実践躬行するのに、徹頭徹尾でなければなりません。
それを原理的教育を中心として、実践できる舞台は、国でもなく、世界でもありません。五パーセントの責任を完成すべきその責任分担の路程が家庭基盤であることを、はっきりと宣布するこの時間です。


ですから、お父様、今、これを強固にしてくださって、家庭の勝利的覇権をもてない者は氏族の前に立つことができないのであり、氏族の前に勝利的覇権をもてない者は民族の前に立つことができないのであり、民族の前に勝利的覇権をもてない者は世界の前に立つことができないのであり、世界の前に勝利的覇権をもてない者は天宙の前に立つことができないのであり、天宙の勝利的覇権をもてない者は天の前に立つことができないのであり、天のみ座、王宮に参席できないということを厳然たる事実として受け入れるようにしてください。


各自の権威を行動すべき五パーセント完結時代が訪れました。
今からは、サタンの版図も私達の左右からすべて消え去ります。
統一家はにょっきりと左右世界の推戴の象徴として、全人類が推戴すべき環境に追い立てています。
これに侍り、これを受け入れるためには本然的アダムとエバの家庭において一族を代表できる群れとなり、祝福の因縁によって血統を転換させ、家庭的基盤を新しくし、革新的な基盤の上に天の血族の土台から天の国の基盤になり得るこの場を準備しなければなりません。


各自が恥じることがないよう、体と心が一つになり男性と女性、父母が一つになり、父母が一つになった家庭を探し立てるここでのみ、新しい基地の出発が可能だということを、統一家のすべての群れは今まで知らずにいました。
今、七月一日から決定的この峠に向かって進むべき、自分の家庭と自分の一族を収拾するにおいて総進軍すべき世界史的時代が訪れることを分かるようにしてください。


七月一日を中心として全世界的に氏族的メシヤを宣言する、そして申請をすることのできる日として策定しましたので、それを申請したすべての群れは、前後左右を気にせず天の眷属の因縁に従いアダムとエバが失った長子権復帰と父母権復帰と王権基準を家庭から鉄柱を打ち込み、誰も動かすことのできない勝利の覇権を確立すべき祝福家庭の使命を忘却しないようお許しくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


このような家庭基準を守ることのできる起源が生まれることによって、そしてこの土台によって氏族を結び、民族を結び、国家を結び、世界を結び、天宙を結んで、天以前まで到達できる道を開放するようお願いしますので、天のお父様、この時間、お許しください。


今、この式典に天のために敬礼したすべての三人ずつの代表達をお父様がそのまま任命してください。
真の父母の名と共に全宇宙に宣布いたしますので、このすべての権限を天が直接掌握してください。
恨み多い歴史的時代で天の全権全能、全体的行事をすることができなかったのを真の父母を通して、真の父母の完成の一条件を立てたその基準を通して復帰し、万国を治めることのできる時代に越えられるようお許しください。


天の前には自由世界、共産世界が存在し得ず、南北が存在し得ず、サタンが存在し得ません。
すべての悪の役割を清算し、歴史と共にこれを埋葬してしまい、勝利と解放の天国が地上に到来することを、真の父母の名で地上世界と天上世界に宣布いたしますので、万代に長く盾としてくださり、主導してくださいますことを、今日、七月一日この時間に、真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。
真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。
真の父母のみ名によって宣布いたします。アーメン。


(1991.7.1 第一回「七・一節」、神様祝福永遠宣布式)




36


愛するお父様、きょう、一九九八年五月二十六日、「真の万物の日」午後二時を期しご父母様を中心として、ご父母様としてこの地上で越えるべき蕩減の峠をすべて越えるようになりました。


六月十三日を期し、三億六千万双の祝福を中心として、一年七か月後には三億六千万双全体が、国家代表、父母の国と長子の国が一つとなって全世界が方向を整えて行くべき、一つの国、宗主国を復帰し、天国に向かっていくことのできる高速道路に乗るべき時代が来ました。
ここに地獄で嘆息していたすべての人達や天上世界と地上世界の人達が解放され得る時代を迎えるようにしてくださいました。


これはご父母様の恩徳によって、天が愛することによって、今、父母の国を立て、韓国の十二人、日本の四十名をはじめ、エバ国の母の国の責任を果たせなかった者を連結させました。
彼らが決心し、一つとなることによって四位基台的条件を復帰し、初めてアメリカを祝福することのできる時代になったので、今、韓国と日本と台湾とフィリピンとカナダを中心として連結させました。


これは第二次世界大戦直後に英国をはじめとするすべての国々が勝利し、真の父母を中心とした統一王国時代を開くことができたというその家庭的王国編成をするために、祝福の道を開拓なさるご父母様の苦労を助けられたお父様の前に、心から感謝を申し上げます。


夢のような事柄を開拓させる路程を、お父様がご苦労なさって開拓してくださったその日々を私が知り、誰も知ることのできないこの道を、お父様、山を越え、海を渡り、このことのために完成しました。


今まで統一教会の人達は冷遇され、涙する路程を歩んできました。
その涙の功によって、ご父母様の国を条件的に代わりに捧げ、子女の国を代わりに捧げ、キリスト教を中心とした統一王国圏を立てることのできる解放的世界を建設することによって、南北統一はもちろん、日本と韓国が一つの国になり、台湾、フィリピン、カナダが人種を超越するようになったその基準にアメリカを中心として、一つの家庭的子女の因縁を立て、神様の愛をいっぱいに受けた上下の愛、左右の愛、前後の愛、家庭的理想の愛の基準を中心として定着できなかったすべてを、天下の国を中心として成されることを、定着、安着できる基盤をご父母様が宣布し、これを成就させた基盤をお父様の前に奉献いたしますので、お受けくださいますよう切にお願い申し上げます。


今、お母様が韓国の十二人と日本を中心とした台湾、フィリピン、カナダの三十六人と連合させ、一つになる立場に立って、初めてご父母様の前に神様の前に父母と子女が一つになったこの全体の条件的勝利の限界線を越えることのできる約束の時を迎えて、このような式を挙行いたしますので、喜んで受け入れてくださるよう、切にお願い申し上げます。


進行するすべての条件が歴史的な宣言となり、摂理史的な勝利の盾の圏となるようにしてくださり、愛主権完成の世界に家庭を越え、国家を越え、天宙全体に神様が自由往来できる、サタン世界の痕跡を除去し、解放的な全体圏内で愛の覇権を持った主権を持ち、実行できる愛の大王となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


このような「奉献転換式」を宣布いたしますので、お父様、お受けください。
真のご父母様のみ名によって、再度再度再度、宣言、宣言、宣言いたします。


アーメン。アーメン。アーメン。
(1998.5.23 第三十六回「真の万物の日」、奉献転換式)


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コメント

父の祈り(復帰の祈り)10ー1

2023年01月15日 16時41分47秒 | 学習
1


お父様!
私達は堕落した世の中で暮らしながら万物に負債を負う生活をしており、家庭において夫婦同士でも互いに負債を負った者の立場にあることを私達は知りませんでした。
父母と対するにおいても負債を負った者の立場にあることを知りませんでしたし、永遠なる神様の前にも口では言えない大きな負債を負っている私達であることを知りませんでした。


堕落世界の立場から見ても当然死ぬべき、負債を負った私達でしたし、万物の前にも負債を負っており、新郎新婦の理念を立てたイエス・キリストの前にも負債を負っている私達でした。
永遠であられる神の愛を身代わりして負債を返すべき私達ですのに、負った負債を返そうとはせず、私一人を中心として心配し嘆息して、地に対して呪い、万物に対して呪い、天に対して呪った私達です。
どの一部分も、受け入れてもらうことのできない私達です。


このような人間を再び立てるために、イエス様は死の道も意に介さずに闘われ、十字架で殺されました。
それによって、天倫に積もった負債を返すための二千年の闘いがまだ終結されないまま、「審判」という名詞が残るようになったのです。


お父様!
審判の峠を私達が越えることができるよう、今までの誤った歴史過程で負った負債をすべて清算できるよう許諾してください。負債をすべて返しても余りある者となってこそ、永遠であられるお父様の前に立つことができるということを分かるよう許諾してください。


真の父母の負債を返し、真の夫婦の負債を返し、真の万物の負債を返した者としてサタン達の条件を逃れ、お父様の愛に対する負債、お父様の願われる生命に対する負債を返すことのできる生活となり得るよう
早く早く私達をお導きください。
お父様、
懇切にお願い申し上げます。


天での役事が地上で成され、天でのサタンとの闘いが地上の私達を通して勝利できるよう許諾してください。


そうして、永遠であられるお父様の愛を喜びと栄光をもって感じるあなたの永遠なる子女達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、お父様の前に、イエス様と聖霊の前に、数多くの先知先烈の前に、地上の人類の前に、万物の前において、恥ずかしくないお父様の愛する子女として、万物を堂々と主管することのできるお父様の真の息子・娘として立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1965.6.10)



2


死にあえいでいた私達が、お父様が慕わしくてこの日、再び集まりました。
今、私達の心がお父様の心にとどまることができるよう許諾してください。
そうして、私達の体と心がお父様のものとして動くことができるようにしてください。


お父様は無限の苦労を意に介されず、時代時代と世紀世紀を経てこられるとき、私達の先祖達と共にありたいとどれほど骨を折られ、先祖達の行く道を開拓してあげるためにどれほどご苦労なさったでしょうか。


それにもかかわらず、私達の先祖達は、天の苦労の功績を蹂躙し、気掛かりな心情を抱かせた面目のない者達だったことをお許しください。
先祖達が誤った罪状が、千秋の恨みとして残ったことを知りましたし、恨めしい堕落の行動によって、六千年の間数多くの人類を塗炭の苦しみの中に追い込んだことを私達は知っています。


お父様の心情に背反して悲しませた、歴史的に先祖達が誤った心を私達が再び相続するのではないかと心配です。
堕落による恨みの峠を越えなければならず、先祖達が残した恨みを踏んで立たなければならない終わりの日に処している私達ですので、今、私達の心がお父様の心にとりこになるよう許諾してくださり、私達の体がお父様の体を身代わりすることのできる栄光のひと時を許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様の心情に和して涙を流しながら訴える者は、お父様の事情を身代わりして闘う者は誰でしょうか。
この地に住んでいる人は多くいて、行動している人類の形態はたくさんの姿を備えていますが、お父様の胸に抱いている事情と心情について議論の相手となり得る一人がいなくて、悲しみと嘆息の歴史を重ねてこられたお父様であられることを知っている者が少ないのです。


このような物悲しく口惜しいお父様の内的心情を私達は知っていますので、きょう心を開いてすべてのものを父のものとして接ぎ木することのできる時間となるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.7.5)



3


天の歴史路程は解く歴史路程であることを知るものです。
また、天が解く歴史路程において、見えない数多くのサタン達は反対に縛り付けるための役事をしているということを私達は知りました。
解く歴史だと言いましたが、反対の世界では縛り付ける、再び新しい所に出ていけないようにするために縛り付ける歴史の一面もあるということが分かるようにしてください。


縛るための悲しみの歴史と解くための喜びの歴史が交差する環境に処している私達、体は縛るのを待ち焦がれ、心は解くのを待ち焦がれる嘆息圏内にいる私達、心を掲げ、体を打って、体が心の前に屈服する喜びのひと時を持つべき悲しい歴史の終点を見つめている私達です。
このような自分達であることを忘却しないようにしてくださり、このような天運圏内にいる自分達であることを忘却しないようにしてくださいまして、このような復帰摂理の解怨過程に入っている自分達であることを忘れてしまわないようにしてください。


今日、お父様を知らない人々の中には、理念に縛られるのを願う者達もいますし、主義や思想、あるいは人倫道徳に自分の良心と体が縛られるのを願う者達もいますが、本性を通して推し量ってみるなら、彼らが永遠にお父様の前に立つことのできない物悲しい環境に処しているのを知るものです。


このような路程を前にして、進んでいく人類の中にはわれ知らず染み入る焦りと不安と物悲しい心情を体恤した者達が多いのですが、それを遮る者がいませんので、お父様、歴史と共に、時と共に、主義と共に喜ぶことができず、生の原則を知らず、生の方向を知らず、生の路程を知らず、生の目的を知らずにあえぐ人類に、誰が責任を持ってくれるでしょうか。


私達は、私達同士、互いに解かなければなりません。
しこりがあるとするなら、解くことが歴史路程の原則であるがゆえに、イエス様は怨讐に対して積もった恨みの心情を表すことのできる立場で、怨讐に対して解こうとなさったので、怨讐世界を解く解怨の園を建設することのできる資格者となったということを私達は知っています。
天もこのことを喜ばれ、イエス様を復活の場にお立てになったことを知っています。


民族の前で排斥され、民族が怨讐の立場に立つとしても、その民族を怨讐視する私達とならないようにしてください。
世界が私達に反対するとしても、怨讐視せず、彼らの前に開放された天の心情だけを残しておくために、怨讐の心情を越え立つことのできる天的な心情の所有者となるようにしてくださり、天的な生命の指導者となるようにしてくださいまして、生命の主管者となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたします。


アーメン。
(19596.14)


4


この上なく尊い天の主人たるお父様!
あなたがおつくりになった万象は、あなたの理念と共に永遠に共になければならないものであることを私達は知るものです。


お父様の理念の前に集ってお父様に侍り、歓喜にあふれて栄光と共に、そのおつくりになった天宙が喜びの対象として捧げる賛揚と共に、永遠無窮に神様の真の息子・娘となって、その栄光の中に浸って生きる人間となれなかったのが、この上なく大きな恨みであることを私達は随分前に悟りましたし、長い間後悔してきました。


私達はお父様を呼ぶ度ごとに悲しまれるお父様の事情を感じずにはいられず、お父様の聖なる姿を仰ぎ見る度ごとに気遣わずにはいられません。
罪悪ののろしを上げ、天に背反してきた後孫であることを告げずにはいられないのが限りなく口惜しく嘆かわしいのです。


このように罪悪を持った私達をつかむために、あなたは栄光の心情を希望として残しておかれ、長い六千年間を耐えて待ち焦がれてこられました。
一日ではない、恨み多い六千年を私達のために、私達の先祖達のために、今日地上に住んでいる多くの人間達のために、そして天上世界の嘆息圏内にとどまっている数多くの霊人達のために苦労してこられたお父様のその偉大な恩賜を思いますとき、お父様の前におそれ多く不肖なる罪人であることをもう一度告げずにはいられません。


お父様!
私達はとても大きなお父様の愛の前に、苦労なさるお父様のみ手の前に、傷つき訪ねてこられたお父様の足跡の前に、こうべを上げることのできない不肖なる者達です。
あなたはこれほどまでに血涙の道を歩んでこられました。
お父様はこのような道に人間達が同参してくれることを待ち望まれましたが、人間達はその道を避けてきました。
このような悲惨なる事情を共にしたいのがお父様の心情でしたが、子供となるべき人間達は、希望のそのみ旨を知ることができず、その心情にくぎを打つことがしばしばでした。


このように不孝極まりない私達がお父様の前に再び出てきてひざまずき、「お父様」と呼んでいるのです。
お父様のその声には無限の悲しみがにじんでおり、お父様の心情には痛嘆で胸の詰まる口惜しい事情が積もっていることを、私達は知るものです。
かわいそうなお父様であることを私達は知るものです。
しかし、お父様のみ旨が残っており、お父様がそのみ旨を捨てない限り、私達もこの道を行きながらお父様を再びつかまなければなりません。


死亡の波はきょうも休む間もなく私達の生活環境を濁らせていますし、私達の周囲を占領して天の栄光を遮っています。
このような時に私達は自分がどのような立場にいて、その立場がどのような位置なのかを再び肝に銘じなければならないことを知っています。


きょう私達はこのようにとても大きな摂理のみ旨の前に召命を受けたのです。何の功績もなく召命を受けたのです。
何の苦労の業績もなくこの場に来たのです。
お父様の前に捧げる何ものも持つことができず、この場に来たのです。
しかし、私達の足らなさを涙でもって、私達の悪なるを悔い改めをもって告げ、お父様を再びつかもうとする懇切なる心情を持って来たのです。


放蕩息子の事情を哀れにお思いになった、お父様の歴史的な苦労の因縁を知る私達、その因縁を願い哀れみの心情を侍ち焦がれながら訪ねてきましたので、もう一度お父様の深い心情で私達を縛り付けてください。
そうして、この世に出て闘うことのできる私達として立ててくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達はお父様から新しい世界史的な役割と使命を引き継ぎ、私でなければならないという立場で、責任と使命を背負わなければならないことにもう一度目覚めなければなりません。
苦労の過ぎし日のすべての歴史を、この世の罪とともに蕩減してしまい、新しい希望の園を望みながら、心と体を再び引き締めて審判の旗を掲げ、怨讐世界に向かい整えられた天の精兵として、行列を成して総進軍しなければならない時が
私達の前に近づいています。
このような責任と使命が私達の双肩にかけられていることを肝に銘じ、一日、一時間を惜しんで闘うのに、私達のすべてを尽くすことのできる真なる天の精兵達となるようにしてくださり、天の勇士達となるようにしてくださいまして、天の孝子になろうと誓う真の息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1963.8.11)



5


お父様が待ち焦がれられた栄光の基台は、悲しみもなく、嘆息もなく、恨みもなく、お父様の愛を中心とした真の父母の因縁が染みわたっている所であったことを私達は知りました。


歴史的な願いであり、創造理念の中心である真の父母を、私達人類の始祖であるアダムとエバが誤ることによって失ってしまったその日から、私達は孤児となり、怨讐の懐に抱かれて呻吟する身の上となりました。


お父様は歴史路程を経てこられながら、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な父母の因縁を立てるために苦労し、六千年史を橋渡しに天宙史的な終末期を準備して、再度、平面的に個人的な勝利の実体父母の価値、家庭的な勝利の実体父母の価値、氏族、民族、国家、世界的な勝利の実体父母の価値まで捜し立てるため、復帰の恨みのこもった路程を越えてきていることを知りました。


私達が知らないうちに来られる真の父母が、開拓者の立場で恨み多い生涯を送ったことを知りました。
個人、家庭、氏族、民族のために闘争することのできる現実の舞台を準備してくださったことを考えるとき、感謝を申し上げます。


お父様!
残った歴史に責任を負ってくださったことに感謝を申し上げます。
お父様、今まで私達の前途を行かれながら開拓者の苦労をなさり、真の父母をこの地の私達の前に立ててくださったことをおそれ多く思うのです。


お父様が苦痛を渡してくださったのは、私達を人間の世の中を代表した基準に連結させてくださるためであり、真の父母の苦痛を私達の前に渡してくださったのは、私達を覆っているサタンを屈服させるためであったという事実を私達が知りましたので、その責任を果たそうという、宣誓をするこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


いつ、私達がひざまずいて個人的な父母に侍り、家庭的な父母に侍り、氏族的な父母に侍り、民族的な父母に侍ったでしょうか。
また、父母に侍ることのできる真なる自らとなったでしょうか。
そのような自らとなれなかった過去を後悔しながら、きょうにでもその恨みを復帰する道、涙の道、怨讐世界に向かっていく道に私達が責任を持つようにしてくださり、民族的な十字架の道を開拓し、国家的な十字架の道を開拓して、父母が来られる道を備えようと決意することのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、残された道は喜んで行きますので、お父様、心配しないでください。
十字架に私達が責任を持ち、世界をサタンから奪うために忠誠を尽くし、お父様が喜んで私達のあとをついてくることのできる道を準備できるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


すべての霊界と地上で真を願う善なる民達が、み旨のために生きる天の民となって協助することを宣布しますので、天と地が公認するようにしてください。
勝利の栄光と賛美と幸福と愛を中心とした平和の世界が私達を通して、真の父母の名とともに成されることを望んでいますので、お父様、その日が早く早く来て、全天宙的な勝利の日を復帰し、天宙的なお父様の日を復帰するよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1964.4.12 第五回「父母の日」)



6


お父様!
天地万物をおつくりになったあなたの心情を、きょうこの時間おそれ多くも推し量ってみるものでございます。
万物の中心であり、幸福と喜悦の中心である心情を土台とした家庭の因縁が、全宇宙の前に結ばれなければならないのが創造本意の希望であり、目的だということを思うとき、今日この地はあなたの願いとあなたの事情と、またあなたの心情を中心として一体となれないまま堕落の歴史を重ねてきました。


このようなことを思いながら、歴史的なすべての足らなさをもう一度悔い改めることのできる私達となるよう導いてください。死亡の世界からまだ抜け出られないまま、あすの希望のために闘いの道に走っていくべき数多くの人間達を、お父様、哀れにお思いください。


また、現世をはねのけ、お父様が成そうとされた創造理想の地である、本郷の地に向かって走っている今日の数多くの聖徒達を哀れにお思いくださいますようお願い申し上げます。


過去・現在・未来に責任を負って役事してこられ、逆境の中の逆境を経てこられたお父様の心には恨みが多いということを、お父様、私達は知っています。


お父様の心情と理想の前に、数多くの人々がその永遠なる理念と心情を賛揚し、歌わなければならなかったにもかかわらず、あなたの心にくぎを打ってしまった悲しい過去をたどってみるとき、あなたの心情がどれほど悲しかったかを感じながら、あなたの前にこうべを垂れてひざまずき、贖罪の祭壇を積むべき私達であることをもう一度心深く銘記するようにしてください。


お父様!
長い長い歴史路程の中に数多くの日々が流れてきましたが、そのどのひと日に、あなたが喜ぶことができたでしょうか。
このような歴史の流れの中で、この地上に真なる「父母の日」を捜し立てられ、また真なる「万物の日」を捜し立てられました。
お父様、きょうがちょうどあなたが苦労して捜し立てられた「万物の日」でございます。


お父様!
あなたが苦労してこられた摂理をもう一度回想しながら、きょうこの日を迎えてみると、感慨無量の心を禁ずることができないものです。
流れていった路程の中、悲嘆と悲しみの悲惨なる逆境を歩んできましたが、あなたの大きな摂理のみ旨の前にただ必勝のひと日を約束しながら準備してきた日々であったということを改めて感じるものです。


お父様!
過ぎし日の逆境が大きければ大きいほど、それが今日のとても大きな感謝の条件として現れるということを思うとき、千回万回、感謝しなければならない私達であることを悟るようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


喜びと栄光のひと日であるきょう、十分なる恩恵で満たしてくださいますことをお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1966.6.19 第四回「万物の日」)






7


お父様!
カインとアベルの闘いが始まったその日から、死亡の土台が居座ったその時から今日まで、その死亡の世界は消えずにあるのです。
そして、人間達がこのような環境の束縛を抜け出せない中で、お父様の闘争の歴史が編まれてきたということを現在、私達は感じているのです。


今、嘆息の条件が残っているとするなら、その条件を解かなければならず、私達のすべき苦労が残っているとするなら、それは誤ったこの土台を整備し清算すべき苦労であることをもう一度感じなければなりません。


悲しみの歴史は善を基本として峠道を続けながら、今まで起きてはまた悲しみにぶつかって倒れ、倒れてはまた起き、またぶつかる歴史として連なってきましたし、この悲しみの障壁が現世の目前に現れ、世界的な障壁として残っているということを思うのです。


お父様、この障壁を退けるためには、個人だけでは駄目でございます。
志のある数名の同志だけでは駄目です。
そうするために、お父様は個人を呼び集めて家庭を築かせ、家庭を呼び集めて氏族を成させ、氏族を呼び集めて民族を編成させ、民族を呼び集めて国家を編成させたのです。
国家を成しても、さらに一つの統一された世界に向かって行軍していくことを望むのが、お父様の願いでした。


しかし、お父様の志された目的どおりに罪悪を清算し、あなたのことに責任を負うことのできる個人と家庭と氏族と民族がなくてはならないということを私達は考えなければなりません。


人によって外的な悲しみの歴史となったにもかかわらず、この地上にそのすべてのことに責任を持ち、世界のために身もだえするお父様の息子・娘がどれほどいるでしょうか。


各自の心情を通してもう一度問い返し、お父様の前にいま一度新しい姿勢を備えるこの時間となるようにしてください。
「哀れみの条件と哀れみの態度を持った」とお父様が記憶することのできる自分となったかを、もう一度悟ることのできるこの時間となるようにしてください。


お父様!
あなたは苦しくても私達の要求にお答えになって、あるひと時に福を与えることのできる時を待っておられるお父様であることを、私達は知らなければなりません。


このような日々を連結されて、六千年の間悲しい歴史に対されるお父様の心にどれほど傷がひどく、お父様のその心情にどれほど苦痛がひどかったかを思うものでございます。


このようにゆがんで積もっている心情的な恨みを解いてあげる者が、どこにいるでしょうか。
真なる孝子でなければならないのであり、真なる孝女でなければならないのです。
しかし、
家庭を中心とした孝子をもってしても駄目であり、氏族を中心とした孝子をもってしても駄目であり、民族を身代わりした孝子をもってしても駄目だということを知っています。


世界を身代わりし、天と地を身代わりしてサタンの前に表し、誇ることのできる真なる孝子とならなくては、お父様の心の中に深く刻まれている隠されたその心情を現すことができないという事実を、私達が分かるよう役事してください。


このようにとてつもない内的な苦衷を背負った立場におられるお父様を思うことができなかった、過去のことをお許しくださいますことを懇切に願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1967.6.8)



8


お父様から召されて行く道は平坦な道ではないことを知りました。
今日、私達の目の前には死亡の世界と生命の世界が交差しているという事実を知るようにしてください。


この歴史的な交差が私達の行く方向を混乱させているこの時において、世界的に宗教者達が、みな落ちていくこの時において、天がこのようなものを処理されるときは、善なる基準を立てておいてお打ちになるということを知っている私達は、天の時がある基準に到達したということを知っています。


今、私達が表情と姿勢を引き締めて青天白日のもとにお父様を呼びながら、「私達の時が来た」と大手を振り、踊りを踊りながらお父様の前に走っていくことのできる自由の天地が私達の前に近づくことを思い、悲しかった過去が喜びに変わることができ、悔しく悲痛な事実が燦爛たる天の権威を誇ることのできる時として変わって訪ねくることを思いますなら、このすべてのことが、私達をこのような立場に追い込まれたそのすべてのことが、私達にあなたの心情を相続させようとなさるお父様の愛であることを知ったのです。


生命と死亡が交差されるこの瞬間に、生命の権限を持ち、死亡の主権を屈服させることのできるあなたの息子・娘達となるようにしてください。


お父様が蒔かれた善の結実を刈り取るための、収穫するためのその場を、私達が突破しようとしています。
韓国でもそうであり、日本でもそうであり、世界の数多くの国家でもそうであることを知っています。


そのような統一の役軍達の額には汗が流れなければならず、目には涙が流れなければならず、その手と体から血を流し、お父様の前に捧げるべき使命が残っていることを知っていますので、私達がこの道をすべて行き、お父様が安息することのできるその日を迎える時まで、死んでまた死ぬことを待ち望む息子・娘達となるようにしてください。
闘いで疲れる者達とならないで、闘いに闘おうと決意するあなたの息子・娘達となるようにしてください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


恨み多い歴史の悲しみを忘れ、生命の深い心情を抱き、自由な天地であなたを「お父様!」と、のどが張り裂けるほど呼んでみることのできる喜びの日をこの地で迎え、万民の前に誇ることができ、お父様を高めてさしあげることができ、
勝利の凱歌を歌うことのできるあなたの息子・娘となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1967.6.7)



9


お父様!
きょうは一九六八年十一月二十日、陰暦で十月一日、九年前この地上に新たに「子女の日」を宣布した日です。


その後、数多くの日を送り、たくさんの年を過ごしてきました。
み旨に従っていく路程で、お父様の捜される真なる子女の姿を慕いながらこのような場所に参席する度ごとに、お父様が願われる基準から見ますとき、私達の姿はあまりに差があるということを思えば思うほど、お父様にお目にかかる面目がありません。
お父様、私達を哀れにお思いください。


お父様!
きょうこの日を記念するために南韓各地に散らばっている多くの子女達がこの本部に向かって、精誠を集めてお父様の前に懇切なる心情で敬拝を捧げていることを知っています。


ただ国内だけでなく、海外に散らばっている数多くのあなたの子女達が、寂しい開拓路程で疲れた体を引きずり、このひと日に参席する価値を心深く思いながら、自分達も韓国の地でこの日を迎えることができることを懇切なる心情で待ち焦がれ、この日のために涙を流しながら祈祷していることを知っています。


たとえその立場と環境が各々違うとしましても、親しく共にあってくださいまして、彼らの心を察してくださり、解怨成就してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


悟りの道を行き、精誠を尽くす宗教者達がこの地上に多くいますので、彼らが願う位置を探し出し、子女の栄光を備えるようにしてくださいまして、解放のひと日を標榜して進む彼らの望みが必ずこの地上で結実されなければなりませんので、そこを欽慕し、思う彼らの心を収拾してくださって、彼らが実際にこの地上でお父様と巡り会い、私達と共にこのような日を祝う場に同参できるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この地だけでなく、霊界に行っている数多くの先知先烈達と私達の先祖達が、この地のために今まで復帰の蕩減路程を歩んできたことを知っています。
お父様は一個体が責任を果たせなければ、次の後孫をお立てになって蕩減復帰の路程を開拓してこられたことを、また知るものです。


霊界に行った数多くの私達の先祖達が、み旨に従い苦労し、公義の土台を立てましたが、この地上で解怨成就のひと日を持つことができませんでした。
今日、私達がこの地上で「子女の日」を迎えることにより、解怨成就することができるという事実を思うとき、きょう私達が「子女の日」を迎えたことが、宇宙史的な意義を持つことを、はっきり悟るようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


このような式典に参席する度ごとに、形式的で、この世の在来のような集い、式典として考えないよう許諾してください。
歴史が生じて以来、初めてこのような記念日が現れたことに心から感謝し、心から記念申し上げます。


お父様の愛の心情をたどって、今までとてつもない苦労をされながら復帰摂理の道を開拓してこられたという事実に対し、感謝しようとするあなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン
(1968.11.20 第九回「子女の日」)



10

お父様!
今、この民族を通して私達が果たすべき責任がどのような段階を越え、世界の情勢と天地がどのような時点を越えていく瞬間に置かれているかを、私達がはっきり分かるようにしてください。


私達には心があり、意志があり、骨があり、肉があるのに、正しい感情を持ち、天倫の道理を考えることができませんでした。
お父様、私達が天の忠の道理を、天の孝の道理を、天の烈の道理を立てることにより、お父様が私達を立てて誇ることのできるその基準をつくることができるよう許諾してください。
そのためには、私達が父母の心情を連結させることのできる基準を越えて、世界を通して実を結ぶことのできる心を持つようにしてください。


今までは、アベルだけを愛することのできる父母時代であったことを知っています。
しかし、私達はカインも愛さなければならない心情を持ちましたので、ここに他の時代になかった、この世界を救うことのできる新しい父母の心情が芽生えるという事実を知るものです。
そうして、お父様が新しい歴史的実体の基盤をここに立ててくださるという事実をはっきり知り、不変の姿を持つようにしてください。


自分自身を愛すると同時に世界をより愛し、アベルを愛すると同時にカインをより愛することのできる立場に立たなくてはならないという事実を、はっきり知るようにしてください。
カインなしにはアベルがあり得ず、カインを屈服することのできる立場に立たなくては祝福の因縁をこの地上に立てることができないという事実をはっきり知って、自分自らが行くべき道を行くようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


これからは、自分一人だけの知識や功績によってお父様に賞をもらい、推戴されるのではなく、家庭を中心としてどれくらい天の前に心情的な生活をし、その家庭でどれくらいお父様の息子・娘として教育の基盤を備えたかということによって、お父様から賞をもらい、推戴されるようになるという事実を分かるようにしてください。


それが、今までこの地上の歴史になかった新しい横的な家庭の因縁が連結され、お父様の望みの天国がこの地上に建設されていく基盤であることを分かるようにしてください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.5.25)


11

お父様!
私達人類の先祖がお父様の愛の因縁とともに父母の愛を成し、一体とならなければならなかったということを知りました。


お父様と人類の先祖と一致した愛を中心として、そこに万物が四位基台の因縁の中で一致しなければならなかったということを知りました。
ところが、人類の先祖が堕落することにより、万物が嘆息圏内に入り、神様も嘆息しておられるという事実を知っています。


復帰摂理歴史の路程を回顧してみるとき、人類を復帰するためには必ず万物を前に立てました。
その万物と共に一つとなり、そこで神様を中心として一つとなることができるよう連結してきました。


しかし、個人個人を中心としてそのような因縁を連結させてきましたが、今日におきましては個人だけでは駄目です。
人類の始祖が夫婦を成す前に堕落したために、夫婦を中心として神様と連結させることのできる一つの基準を完結させなければならないということを知るのでございます。


その夫婦を中心としたすべての物は必ず神様の名を通過しなければならず、真の父母の名を通過すべき新しい課題が残っていることを、私達がはっきり分かるよう許諾してください。


それを経なくては、今日私達が創造され得なかったという事実を知らなければなりません。
また、善なる物を通して、神様に属した物を通して私達がつくられたのと同様に、万物が神様と共に一致することができ、真の父母と共に一致することのできる立場でだけ、万物の解怨成就が成されるということを知っています。
今日、平面的なこの世では、世界的な基準の源泉が家庭を中心として成されるという事実をはっきり知るよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうなり得る物のために私達は今まで精誠を尽くすことができず、物を食べ、使い、残し、管理する一人の人として、その物をお父様の前に完全に捧げ奉るべきひと日のために精誠を尽くす生活ができなかったことを、きょう、もう一度感じるようにしてください。


これらを一つの家庭の因縁から国家の因縁を経て世界の因縁まで連結させ、順次お父様の前に奉献することのできる奉献の日がこの地上に必ず現れなければならないということを知っています。


その時には家庭を通し、氏族を通し、民族、国家、世界を通して、挙国的に人類全体が自分のすべての所有権限と自分の家庭のすべてをお父様の前に捧げ奉る祝いの日が成されなければならないということを知るものです。
言い換えれば、天の家庭として入籍される日が成立しなければならないということを知るものでございます。


お父様!その日を迎えるために、自分が持っている一切をお父様の前に根こそぎ捧げ、自分の体と家庭のすべてをお父様の前に捧げるよう許諾してください。
そうして天の父母、すなわち真の父母と因縁を結び、その愛の懐を通して再び私のものとして分配され、永遠なる財産の相続者として残されなければならないということが分かるようにしてくださり、このようなとてつもない使命が私達にあるということが分かるようにしてください。


このようなことが個人的にも起こらなければならず、家庭、氏族、民族、国家、世界的にも起こらなければならないということを知っております。
このことが全世界的に成されるために、私達が聖別式を挙行して、すべてのものを天のものとして連結させていかなければならないということを、はっきり知る子女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.6.15 第七回「万物の日」)


12


お父様!
人間は無限の価値と因縁を持っているという事実を、私達はもう一度感じなければなりません。


お父様がご覧になるには、足らない私達が出てきてお父様を呼んでいます。
私達個人がきょうの時代的な存在となるためには、背後に数多くの先祖達とお父様の涙の因縁があったということを私達は忘却してはなりません。


今日、世界人類の中から因縁を中心として私達が召されたということを思うときに、見た目には何でもないような存在であり、みすぼらしい存在ですが、歴史を代表し、時代を代表するとてつもない自分自身だということを発見することができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


天があるのも人を愛するためであり、地があるのも人を愛するためであり、またお父様が人間をお造りになったのも、愛するためであることを私達は知りました。
ですから、お父様が最高に目標とすることは、全人類を胸に抱き愛したい気持ちが制裁を受けず、自由の天地、自由の環境で誰にでも行き届くことのできる愛の圏ではないでしょうか。


このようなお父様の摂理的な内容を私達が相続し、直接的な立場で全人類に向かって叫び、号泣することのできる者達とならなければなりません。
そうして、天の役事がここから全世界に広げられ得る動機を私達が備えるという事実を、はっきり知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今日、私達の教会は新しい歴史的な因縁を中心として、新しい関係を成して世界的な発展を遂げています。
このすべてが過去を誇るのでなく、現実的な社会組織と形態を誇るのでもありません。
歴史的な人を愛し、時代的な人を愛し、未来的な人を愛するための立場で、私達がこの道を踏み出したということが分かるよう許諾してください。


真なる愛を受けてみることのできなかった歴史上の先知先烈達、あるいは数多くの先祖達の恨みを私達一代で解かなければならず、きょうこの時代の人を愛せなかったことを、身代わりして愛し得る立場で万民が追求する一つの中心とならなければなりません。


そして、未来に新しい出発の因縁をここから連結してあげることのできる一つの決定的な条件として、人を愛する根本的な内容を持ち出発できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1965.10.5)

13


愛するお父様!
きょうは九年目を迎える「子女の日」です。
全国に散らばり、ここに向かって心を込め祈祷する子女達の上に、あなたの愛が臨むようにしてください。


お父様!
この日を期して、万民の上にあなたの聖なる愛のみ手をお広げになり、祝福してください。地上にいる万人類だけでなく、今までの歴史過程でお父様のみ旨に従った数多くの人々、またみ旨のために死んでいった数多くの霊魂達を祝福してください。


この地上に復活して、蕩減路程を歩んでいくべき必然的な運命の道が残っていることを知っていますので、きょう統一教会の活動を中心として、私達の動きを中心として背後で彼らが因縁を結ぶようにしてください。
そうして、霊界にいる数多くの霊人達が私達と一致し、肉的な基準を中心として彼らの後孫達までも一致させて、あなたの願われる統一の国を成すことができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
あなたのみ旨のために復帰途上において責任を負い、来ては逝った数多くの先祖達の上に、親しくあなたが解放の役事を起こしてくださり、地で成されるように天でも成されるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


そうして、
真の父母の因縁を中心として真なる子女となり、真なる子女の因縁を中心として真なる家庭を成し、真なる家庭によって、真なる氏族と真なる民族と真なる家と真なる世界と真なる天宙へと、あなたを中心として前進していくことができるよう許諾してください。
真の父母のみ名によって懇切にお祈りいたしました。

アーメン。
(1969.11.12 第十回「子女の日」)



14


エデンの園でアダムが堕落した時、無念であられたお父様の心情を私達は知りました。
そして、それを復帰するために歩まれたお父様の四千年の苦労の峠道も私達は知りました。


また、この地上のイスラエル民族の前に犠牲のかがり火、希望のかがり火としてイエス・キリストを送られたお父様の深い心を知りました。
復帰のひと日を侍ち焦がれ、希望の中でイエス様を送られましたが、民族が反対し環境が歓迎できなかったために、彼が十字架で死んでいった姿を眺めなければならなかったお父様の無念の心情も私達は知りました。


その日から続いてきた血の歴史は、今までこの地球星の歴史を染めてきて、人類の心にその痕跡を残していきました。
そうして、歴史過程に来ては逝った数多くの先知先烈と殉教の烈士達は霊界で勝利のひと日と解怨成就のひと日を侍ち焦がれておりますが、彼らが侍ち焦がれている希望の時が正に今この時代、この瞬間だということを悟り、この荘厳でとてつもない歴史的な時代に生まれたことを心から感謝しなければなりません。
そうして、厳粛な使命感に燃えて、お父様に忠孝の道理を尽くそうと誓うあなたの息子・娘達とならなければなりません。


今、統一教団には地球星で消えようのない基盤が立てられています。
このために、今まで苦労した子女達がたくさんいます。
誰とも事情を分かつことのできない歴史的な悔しい心情を抱き、三千万民族とこの国この地を中心として、世界の行くべき道のために今まで多くのことを克服してきました。
そのような中、私達を守ってくださったお父様は、どれほどどれほどご苦労なさいましたでしょうか。
心から感謝を申し上げます。


私達、か弱い手をみな集め、か弱い体をあなたの前にかがめましたので、新たにお命じください。


私達が天の使命を背負い全国各地で血の汗を流した過ぎし日々を記憶しながら、今後もこの民族を身代わりしてわが教団全体がまた動かなければならないということを知りましたので、今こそ私達の働くべき時が来たことが分かるようにしてください。
今こそ私達の闘うべき時が来たことが分かるようにしてください。


そうして、すべてのものをお父様に捧げ、ためらうことなくこの国とこの民族の解放のために駆け出していくことができるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1970.1.1)

15


お父様!
お父様の願われたそのみ旨が今日の私達によって実を結ばなければならず、イエス様の願ったそのみ旨がきょうの私達によって実を結ばなければならないこの歴史的な使命を、私達が悟るようにしてください。


これが数多くの血の代価を支払って私達に相続されたことを思うとき、ここから新しい光明の天国を開門し、入城すべき責任が私達にあるという事実を分かるようにしてください。


これを願いながらお父様は今まで耐えてこられ、イエス様と聖霊も耐えてこられ、また死の道を行き、数多くの先知先烈達も暴悪なる怨讐達の手に殉教の血を流しながら、この日を待ち焦がれ耐えてきたという事実を私達が分かるようにしてください。


このように歴史的な焦点上に処している私達個体の使命がどれほど重大であるかを悟るようにしてください。ベツレヘムの一つの郡で寂しく生まれたイエス様も、お父様から因縁づけられていたことを知っています。


そのみ旨を今日、韓国の地を中心として世界に横的に発展させるべき責任が私達にあることを思うとき、この位置がどれほど緊張し、深刻な位置であるかを私達が悟るようにしてください。


エデンの園でアダムの失敗によって失ってしまったそのすべてのものをイエス様をして蕩減復帰させ、あなたのみ旨を結実させようとした六千年のお父様の聖なる復帰摂理歴史を私達が回想しながら、きょう私達自身の心と体を新しく備え、完全にお父様のみ旨の前に一致することのできる子女達として残されるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.1.3)



16


お父様は今まで、言葉に言い表せない事情を抱いてこられながら、その事情をどれほど吐露されたかったでしょうか。
万国家と共に勝利を賛揚することができ、賛揚とともに栄光を高めることのできるその日が来ることを願いながら耐えてこられたお父様の前に、きょうも私達が謙遜なる姿勢でアベルの姿を訪ねて進み出ましたので、記憶してください。


アベルはその心全体で、ただお父様に侍ることだけが目的であり、お兄さんであるカインを復帰することだけが目的だということを知りました。
ここで必要なものは自分に対する自覚ではなく、お父様に対する新しい自覚であり、世界に対する新しい自覚だということを知りました。


お父様は絶対的な方であり、世界の中心であるのを知るものです。しかし、アベルがカインを屈服させなくては、お父様が世界の中心の立場に立てないことを知りましたし、それを自覚した立場でお父様を世界の中心として侍ることのできる動機を、アベルがつくらなければならないという事実を私達は知りました。
これが復帰の起点でした。


お父様!
統一教団がこの民族の前においてアベル的な立場に立っているでしょうか。
今、私達はわが教団を中心とした意識よりも、お父様のために生きようという意識が強くなければなりません。
教団のために生きる意識よりも国のために生きようという意識が強くなければなりません。
そうして、私達がお父様とその国に心から侍ることができるとき、カインも屈服させることができるのであり、お父様にも侍ることができるという事実、これが復帰の起点だということを私達は知らなければなりません。


カインが主管するこの世界を眺めるときに、お父様、世界は行くべき道を失ってしまいました。
民主世界の先端に立ってこの世界を指導しているアメリカも行くべき道を失ってしまいました。
先進国もそのような立場におかれています。


それゆえ、世界は青少年から壮年、老年に至るまで、中心をつかめず四分五裂の障壁にぶつかっています。
ここで私達がアベル的な新しい信念の主体となって、カインを自然屈服させることができなければなりません。
このような環境が世界にやって来ていることを知るときに、お父様は新しい世界観を持ったアベルの姿を見ればとても喜ばれるということが分かるよう許諾してください。


私達がこのアベルと一つとなるよう許諾してください。
私達個人がお父様と一つとなり、私達の家庭がお父様と一つとなるとき、カイン世界は屈服するということを知りましたので、統一教団は「祝福」という名詞を掲げて個人をお父様の前に結束させ、家庭をお父様の前に結束させ、天の側にならせるために今まで闘ってきました。


この家庭がお父様と一つとなるとき、サタン世界は自動的に屈服できますし、この家庭を中心として一つのイスラエルを創建するために旗を掲げていで立つとき、世界は自動的に屈服することができるのです。


お父様!
カインを自然屈服させ得る環境が私達の目前に至りましたので、ここで私達が失望してはなりません。
私達は自分自身の自覚はもちろん、カイン世界までも自覚させることのできる自らとならなくては、世界を一つにすることができないという事実を、はっきり知る私達とならなければなりません。
これがアベルの立場であるのを知らなければなりません。


このような事実を知る私達に、アベルが備えるべきプライドとアベルが捜し立てるべき権威、お父様と共に同居することのできる立場がどのような立場であるかが分かるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.3.15)


17


お父様!
今、私達が行くべき道は漠然とした道ではありません。
より公的な道を探していく生活をする人々が、歴史を支配することのできる勝利者となるということを知るものです。
この地上で主権を支配できなかったとしましても、永遠なる歴史をおいて支配することのできる特権が与えられるということを知るものです。


このような厳粛なる時間、時間が、私達の生活舞台で決定されるという事実を思うなら、きょう私達が立っている立場が恐ろしくおののく立場であり、私達の一生もまた恐ろしくおののく行路であるのを感じるものです。


お父様!
今日、私達は公的な蕩減路程を行かなければなりません。
個体を投げ捨て、公的な蕩減路程を行かなければなりません。
あなたは私達をして最大の勝利をすることのできる道だけを残させるために、公的な道を行けとお教えになりました。
この公的な道を行くためには環境を超越しなければならないがゆえに、相互いに奉仕し、ために生きながら行かなければならないことを知るものです。


目的に向かっていく必然的な過程で迫害と受難の道に遭うとしても、私達がより公的な立場に立つようになるときは、お父様が必ずより強い力を下さって、それを克服することができるようにしてくださることを知るものです。
私達には、そのような永遠なる背景があり、永遠なる一線があるということを私達が忘却しないよう許諾してください。


私達が死ぬとしても、千倍万倍、栄光の価値で葬ってくださり、抱いてくださるお父様であることを知りました。
このように私達の未来には勝利できる道だけがあることを知るとき、感謝を捧げざるを得ません。


今、統一家全体が糾合して、残されたこの民族の運命と世界の運命を身代わりして、最後に公的な使命を果たすことのできる聖なる群れとなるよう許諾してください。
このように進む私達が日がたつほど力が衰えていくのではなく、あすの希望の前に加重された力を持つ群れとなるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1970.5.24)


18


お父様!
この「万物の日」が設定されるときまでの一九六〇年代を中心として、誰も知らない闘いの分岐点で、左に行くのか右に行くのか、蕩減の因縁を決定しなければならなかったその時をもう一度回想するものです。


その時祝福した場、その時因縁を結んだその場はもどかしい場であり、谷間の中の谷間でした。
その場は愛する父母が反対し、兄弟が反対し、愛の因縁を持った親戚達が反対した場でした。


このようにすべてのものを失ってしまった谷間に立ち、お父様に侍り、身代わりして探し出した価値を持ち、お父様を中心とした希望の中で統一教会の家庭の歴史が始められました。


その因縁に従って「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」が定められました。このような日を基盤として立てられた日が「神の日」でございます。
この「神の日」がすなわち「万物の日」となり、「子女の日」となり、また「父母の日」とならなければならなかったにもかかわらず、一日に成されるべき栄光の日が間隔をおいてつぎはぎに繕われ、備えられたという事実を思うものです。


このような日を迎える度ごとに、その背後にある人類の始祖が失敗したことを、心から悔い改めないわけにはいきません。
お父様、お許しください。
あらん限りの絹をただそのまま裁断してつくった服のように、この上なく価値がなければならないにもかかわらず、つぎはぎの見劣りした服のようになったということが恥ずかしい事実だということを、私達は感じなければなりません。


この日を迎える度ごとに、ひざまずき涙を流しながら、かわいそうなあなたに心から同情し、他の人は孝行できないとしても、私だけは孝行を尽くすと、歯を食いしばり、忍耐しながら誓うことのできる私達とならせてください。
この日を迎える度ごとに、多くの人々がこのような誓いをするところにこの日を記念する本意があるという事実を悟る、あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうこの場に集ったあなたの息子・娘達が、「万物の日」を文字どおりにだけ理解することがないようにしてください。
万物が問題ではなく、万物が従うことのできる人が問題であり、その人がお父様に従うことができるかが問題であることを分かるようにしてください。
そうすることのできる真なる人に治められたいし、管理されたいのが万物だということを分かるようにしてください。


世の中を愛し、万物を愛するあなたの息子・娘達となるようにしてください。
誰よりも万物の価値を深く悟り、万物を管理することのできるあなたの息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.6.4 第八回「万物の日」)


19

「神の日」を迎えるこの時点におきまして、栄光の位置におられるお父様、全体を主導なさる主人であられるお父様、全能の実体であり絶対者であられるお父様、生命と愛の理想であられるお父様!
きょう地上にいる足らない群れを既にあなたの血族として選び定められ、あなたの後裔として既にお立てになりましたので、どうか心に抱き、愛してください。
お捨てにならないよう懇切にお願い申し上げます。


お父様がこの者達をお捨てならないので、統一教会がアベル的な教団となるのではないでしょうか。
それによって既成教会を抱くのです。
私達と彼らが一つとなることによって、アベル基準を通して、民族がお父様の懐に抱かれるようにしてください。
そうして、この国の解放の土台を成すことのできる韓民族と三千里半島(=韓半島)とならなければなりません。


そのためには今日、統一教会員達は師を中心として一つとならなければなりません。
自分の欲望のために生まれ、自分の欲望のために生きる群れとなってはなりません。


私達は未来のために生まれ、お父様のために生まれましたので、私達をして未来の世界のために生き、お父様のために生きることのできる聖なる息子・娘達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょうひと日、私達の足らない心を一か所に結んであなたの前に捧げますので、お受けください。
きょうこの時間、私達はあなたを中心として生命を越えて一体になろうと誓う心を持って集まりましたので、お父様、ここに共にいてください。


授け受けるところでは繁殖が起こると言いますし、授け受けるところにはお父様が臨在なさると言いますので、お父様、今、師の家庭とお父様の祝福を受けた家庭が一つとなって授け受けることによって、目覚めることのできないこの国が新しい運気を受け、解放の門を開けることのできる祝福の土台が、宗教界とこの民族の上に連結されるようにしてくださり、この国とこの領土の上に連結されるようにしてください。
アジアにおきまして日本と中国を祝福してくださり、アメリカとドイツを中心とした世界的な蕩減路程が早く早く成されるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.1.1)


20


お父様!
私達、時を知る者とならせてください。
摂理の時を知るということは、本当に骨の折れることであるのを知るものです。
時を知る者となるためには、罪人の中の罪人の姿をしなければなりませんし、寂しい者の姿をしなければならないことを知るものです。


悲しい者の立場で、おなかをすかせた者の立場で、おなかをすかせた子供がお母さんの乳を思慕する、そのような思慕の心情を持たなければ、時を合わせるということがとても難しいことを私自身がよく知っています。


ここに集っているあなたの息子・娘達が、一生において天の時に何度も合わせましたし、お父様をして、訪ねてこられては涙を流し、背を向けさせたことがどれほど多かったかを悟るようにしてください。
不孝者となった過去を清算し、今からは孝子孝女になろうと身もだえすることのできるあなたの子女達となるよう許諾してください。


孝子にはなれないとしても、孝子となることに恋い焦がれながら自分の一身を忘れ、お父様の前に身もだえする者として残されようと、覚悟だけでもしなければならないのがお父様に従い、時の使命を受け継がなければならないお父様の息子・娘であることを、切実に分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あるひと時に私の生死の問題が決定されることが分からない人間ですので、いつも注意し、いつも謙遜に、いつも犠牲になる心で進む道だけが、自分を保障し、保護することのできる立場であるのを私達は知らなければなりません。


一つの時が過ぎれば、また一つの怨讐がカインの立場で私達を責め立て、私達の道を遮りますが、私達が精誠を尽くしていくようになるときは、打たれて奪っていくことができるという証拠的な、発展的途上を眺めるようになるとき、お父様はやはりかわいそうな方であり、天の時を知り、天の使命を背負っていく人々は、お父様が愛さずにはいられないかわいそうな群れであるのを感じるものです。


お父様がそうであられますがゆえに、そのような立場にいる息子なら息子、娘なら娘にいつも同情し、同じ運命の環境圏の中で立ち居振る舞いを共になさろうとすることを知るものです。


そのようなお父様に負債を負った立場で侍るのではなく、慰労する立場で侍るべき責任が、今日の人間達にあるということを知るとき、このような責任を果たすべき使命が私達自身にあるということを知らなければなりません。


時に合わせ、時を知る者となることによって、お父様が賛揚し、霊界の数多くの先祖達が私達に栄光を帰しながら、この地上に誰それの名前を賛揚することができ、記憶することのできる貴い群れが、統一の群れの中にたくさん現れるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


時を知る者となって、必ず時を逃さない、天と地が記憶することのできる群れとして残され得るよう祝福してくださいますことを再三お願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.1.31)


21


愛するお父様!
私達は、お父様の取り戻してこられた基盤が四位基台の復帰だということを、原理を通して学びました。
一つの完全なる正から分立されたものが、再び合一することによって、四位基台が成されるということを悟るようになりました。
四位基台の圏を外れては、お父様の望まれる創造理想の世界を、他のどのようなものでもっても成すことができないことを、原理を通して私達は知っています。
お父様が望まれる創造目的の完成が何かと尋ねるとき、私達は四位基台の完成だと言っています。


お父様!
今、夫と妻が一つとなった立場にいてこそ、その息子と娘が一つとなるということを知っています。
お父様の前にきれいに捧げられ得る責任を成すための使命が統一家に任せられましたので、お父様、この群れを愛してください。


お父様!
統一家の家庭があなたの信頼することのできる家庭とならなければなりません。
お父様が数千年間受難の道を克服してこられたのも、このような家庭を掲げて、家庭が勝利することのできる決定的な相対を見いだすためであったということを思うとき、今日、統一家の家庭が全員動員され得る時代を迎えるようにしてくださったことに心から感謝を申し上げます。


家庭として越えるべき蕩減路程を越えてこそ、初めてお父様が喜ばれ得る自由の天地で支派編成が展開されるようになるということを、私達ははっきり知りました。
私達が寝ても覚めても、どのような立場にいるとしても、自らの生涯に生きがいのある価値の一時代を結実することのできる、最後の時を迎えたということが喜びです。


数多くの先知先烈達がこのひと時のために希望を持ち、現れては死んでいきました。
彼らが国と世界のために、み旨とともに闘うことができずに死んでいったのが天宙の恨みになったことを私達は知るものです。
そうですので、私達は誰よりも恵まれ得る立場に立った家庭となり、勝利の因縁を持った家庭となりましたことを、この上なく感謝しようとする息子・娘となるようにしてください。


一線に出て闘っているあなたの愛する子女達、ただお父様だけを思い、お父様だけのためにすべてのものを捧げ奉ることができなければなりません。
彼らが夫と子供をあとに置き、一線に責任を負い、一日一日開拓していくのは、証拠的な実績を備えるためですので、お父様が必ずここに共にあってくださらなければなりません。
彼が伝道するのよりも、お父様の前に孝行を捧げ奉ることが、価値がより大きいということを知らなければなりません。


お父様!
この者達が全人類を身代わりし、この民族を身代わりして怨讐の世界に行く道におきまして、結び、切ろうとする聖なる娘達となるようにしてください。
六千年の恨みによって女性達が権威を見いだすことのできなかった恥ずかしい歴史を、今、踏み上って、勝利のひと日を迎えることのできる特権を、今度の期間を通してお父様からもらい受けるという事実を分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1971.2.1)


22


お父様!
統一教会が今まで存続してきましたのは、誰の力ゆえでもないことを知っています。
それはまずお父様の力によるものであり、歴史時代において、血の代価を支払ってきた数多くの先知先烈達の功績の土台によるものであることを知るのです。


イエス・キリストが生涯を捧げていった忠孝の道理の土台が残っていることによって、今日このような因縁が成立したことを思うものです。
また、歴史路程の受難の道において、あなたが私達の前でどれほどご苦労なさったかということをよく知っています。
私が寂しい前にあなたが先に寂しかったし、私が悲しい事情に処する前に、先に悲しみに遭遇されたお父様であることをよく知っています。


今、そのような逆境を経て、今日統一教団を形成し、統一氏族を編成して、数多くの家庭を前におき、きょうあなたのみ旨とともに真なる家庭の因縁を知ることのできる立場に立ったことが、どれほど高貴なことであるかということを知らなければなりません。


真なる家庭、それほどまでにあなたが望んだ真なる家庭、その真なる家庭を築くことによって真なる民族が形成されるのであり、真なる家庭の伝統が広がっていくことによって真なる国家が形成されるのであり、真なる家庭の因縁を通して
国家を越え、世界に流れていくようになるときに、真なる世界が形成されるというとてつもない事実を思うときに、お父様が記憶なさることができ、お父様が安息なさることのできる真なる家庭の基を築かなければならないということを、この時間はっきり分かるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達の一身が倒れる所はどれほどの価値があるのかを考えてみるとき、私達の体をすべて捧げて天の解怨成就、地の解怨成就、真の父母の解怨成就、この三大解怨成就だけでなく、この民族を解怨成就し、後代の私達の後孫達を解怨成就することのできる、立体的な所願成就の内情が決定されるこのとてつもない立場が、今日祝福を受けた家庭の立場であることを分かるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.4.29)


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父の祈り(決断の祈り)8ー2

2023年01月15日 15時54分04秒 | 学習

22


お父様!
きょうこの時間私たちは新しい覚醒をしなければなりません。
天宙的なひとときが私たちに向かって近づいていることを知らなければならず、み旨が私たちにひとときを望んでいるということを知らなければなりません。


み旨の望むことが私たちの一瞬間と連結され、大きく遠い歴史時代が教会と因縁づけられるようにしてください。
そのために私たち各自が瞬間を中心として、自らを生活圏内で天の側に立たせ得る主体的な立場に立たなければならないということを、もう一度はっきり悟らせてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


世界に散らばっている統一教会員たちが受難の道を行っているのは、決して滅びるためではなく、新しい寵児としてあなたの息子・娘となるためであることを知るものです。


罪を脱いで新しく誕生するために、この道はなくてはならない必然的な運命の道であることを知っていますので、感謝の心で消化させて越えていくようにしてください。


そうして、歴史をつかんであすの希望を成すために責任を負って立つあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


生活全体を天化する運動におきまして、この時間以後にも瞬間瞬間が天に侍ることによって喜ぶ圏内で生活するようにしてください。


そのような生活圏内の一瞬間を中心として、無限に精誠を尽くすあなたの息子・娘となるとき、天国はその生活圏内で自動的に定着するようになるということを知っています。


私たちが十くらいの受難の道を瞬間瞬間勝利の基準をもって築いていくときには、九くらいの天地の内容が宿らなければならないということを知って、私たちすべてが生活の勝利圏を備えて、善なる結実体としてお父様に全部を捧げなければなりません。


私たちの生涯がお父様の誇りとなって、お父様が忘れることのできない息子・娘となるときには、天上世界の王子王女となる特権を受けることができるということを確信させてくださり、各自の生涯路程を疎かに考える愚かな息子・娘とならないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あすのために、きょうの一瞬間にすべての精力を傾けて、あすを占領できる核をつくるために無限に努力することのできるあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.5.31)



23


お父様!
私達は、あなたの歴史的な宿怨を解怨成就してさしあげられる孝子孝女達が、この地に生きている息子・娘の中に現れなければならないということを知っています。


お父様!
あなたが長い歴史過程の間、それほどまでに数多くの峠道を耐えて来ることがおできになったのは、会いたい息子と互いに会おうという内情的な力があったからだということを知るものです。


そのようなことを知るとき、果たして私達がそのようなお父様をお迎えすることができ、また歴史過程においてのすべての困難を忘れさせてさしあげられる、お父様が会いたいと思う息子・娘になったのかを考えてみるとき、あなたの前に済まなさと恥ずかしさを禁じる道がありません。


そのような私達は、体と心のすべてを捧げてあなたのみ旨に生きた祭物になるとしても、そのように長々しくも悲しい逆境を克服してこられたあなたの事情を慰労してさしあげ、あなたに報いてさしあげられる何の条件も備えることができない私達です。
このような私達の姿を考える度ごとに、かわいそうなお父様であられることをまた感じるものです。


このような息子・娘を、サタンの前に私の愛する息子・娘だと誇らなければならないお父様の立場が、どれほど寂しく悲惨であるかをもう一度考えるものです。


ですので、この地上には必ずやお父様が心を許すことのできる息子・娘がいなければなりません。


お父様!
私達はお父様の体面と威信と事情を案じることができなければなりません。私達がどんなに内外にその何かを備えたとしても、あなたのみ旨の前に現れるにはあまりにも足らず恥ずかしい姿であることをよく知っていますので、お父様が探してくださった恩賜の前におそれ多い心、感謝する心を持たなければなりません。


そのような心が私達の生活の中に、あるいは生涯路程の中にこもり、自らこうべを垂れ、僕のような立場で生活しなければならないということを悟ることのできる、あなたの息子・娘となるようにしてください。


このような立場に立ってこそお父様の慰労の対象となることができ、お父様が私達の謙遜さを称賛なさることができ、私達がお父様のみ旨の前において順応するその姿を見て誇ることができる条件になることを知っていますので、お父様、そのような立場に至ることのできない私達をもう一度哀れにお思いください。


終わりの日に残されるようになる最後の十字架を背負い、生命をすべて捧げてでも、その使命を果たすにおいて不足のないよういで立つ息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.7.12)






24


お父様!
今日、私達はあなたと因縁づけられたその場を再び持ち得ない堕落の後孫であることを感じる度ごとに、涙なくしてはあなたと向かい合えず、あなたの悲しい事情を知らずにはあなたに侍ろうとしても侍べることができない自分達であることを見いだすのです。


これを考えるとき、千万回死んでも当然な私達であり、一人寂しく死んでいくとしても恨むことのできない私達自身です。
これを悟る度ごとに、高く尊いあなたの恩賜のみ手がいつも私達と共にあることをはっきりと知るものです。


孤独な道を行く人がかわいそうな者の事情をよく知っているのは、そのような場で生活をしながら感じてみたからです。
民族の悲しみをふさぐために身もだえし、人類の悲しみをふさぐために身もだえする開拓者の道を行く人々は、かわいそうな人ではないということを私達は知らなければなりません。


私達のお父様がそのような道を行かれたので、私達がお父様の息子となり、お父様の後嗣となるためには、そのような道を行かずにはいられないという事実を知らなければなりません。


お父様!
この時間私達がここにきましたのは、自分の生命を救うためでしょうか。行くべき運命の道を開拓するためでしょうか。


でなければ自分の家庭のために、自分の氏族のために、自分の民族のために、自分の国のために、この世界のために来たのでしょうか。
どのような使命を持って、どのような目標に向かってこの場に来た自らであるかをもう一度見つめなければなりません。


そのためには、自分の散漫だった姿と、虚偽と卑劣さで飾られた自らを自嘆しようとしなかった過去をもう一度批判し、過去における自分の正体を赤裸々にお父様の前に現して、お父様から批判と判定を受けなければなりません。
自らがそのようなかわいそうな立場に処しているということを悟ることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


お父様!
この時間訪ねこられて私達に勧告なさりたい事情があるとするなら、そのすべてのものを勧告してください。


私達の心に描かれ、心に感じられるすべてのものをあなたの心情と一致するようにしてください。


そうして、あなたが望まれるみ旨の前に不足がない姿を備えて、み旨の前に直行することのできる息子・娘とならなければなりませんし、あなたが信任なさることのできる息子・娘とならなければなりません。
お父様はそのような息子・娘となってくれることを、どれほど待ち望んでおられるかという事実を私達は知らなければなりません。


それだけではなく、捜し出された私達でなくては行くことのできない復帰の行路と復帰の路程におきまして、責任を背負って歩んでくれることを侍ち望まれるかわいそうなお父様であることを知らなければなりません。
全知全能であられる創造主たるお父様がそのような悲惨な立場に立っておられることを考えるとき、これは誰も想像できない悔しく恨めしい事実であることを私達は知っています。


お父様!
私達は襟を正し、「ご苦労なさるお父様」と呼んでみようとしなければなりません。
無限なる世界の価値の本体であられるお父様だということを、私達は心に描いてみなければなりません。あなたの無限なる愛の内容は、生命を抱いても余りある永遠なものであることを、私達は知らなければなりません。


私達の行く道が難しい道であるとしても、お父様の前に結実すべき勝利だけを見つめながらこの道に従っていかなければなりません。


お父様!
今、私達の心身に、静かにお父様のどこからともない命令の声が聞こえるようにしてくださり、復活の新しい生命の脈拍が私達の心の中でわき立つようにしてください。


新しい因縁を自ら体恤することのできる勝利の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.12.6)






25


愛するお父様!
恨み多い復帰路程において前を遮る事件がどれほど多かったかを私達は知っています。


お父様はこのような場面に対されるときごとに、どれほど寂しく、私達がこの峠を越えてくれることをどれほど懇切に願われたでしょうか。


あなたのみ旨に従ってきた数多くの人間達が、数多くの峠の道において、それを越えることを願われるあなたの渇望にもかかわらず、越えることができずに自ら流れていってしまったことを私達は知っています。


人々がいくらすべてのものを要求するとしても、それが人間の欲望を中心としたものだとするなら、あなたのみ旨が成されないということを私達はよく知らなければなりません。


いつも謙遜な心を持ち、自分自らをお父様の前に捧げに捧げながら、あすの願いの前に祭物の場を引っ張っていかなければなりません。


そうして、正義の場で祭物となることを願う生活を自らわきまえるために、お父様の知恵と聡明さに倣えるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


寝て朝起きれば、すでにきのうの継続ではないことを知らなければなりません。
一日を送るとしても、習慣的な一日ではないことを悟らなければなりません。


きのうよりもきょうがあなたの前により近く親しさを感じるようにしてくださり、善と悪を判断することのできる基準が高く鋭くなるよう許諾してください。


すべてのことを処理するにおいて、み旨とともに考え、み旨とともに行うようにしてください。
そうして、私が生きる生涯の路程が、み旨とともに生きたという基準をいつも備えなければならないことを分かるようにしてください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.1.24)






26


お父様!
私達が新しいひと日を迎える度ごとに、朝の太陽の光が新しく私達を照らしてくれる度ごとに、み旨を中心として新しい日となることを願わなければならず、光明な太陽の光のようなあなたの望まれるみ旨を思慕し得る私達自身とならなければなりません。


毎日の生活においても、あなたと私達の間に隔たりがあってはならないことを私達は知っています。


あなたが行く道は私達も行くべき道であり、あなたがとどまる所は私達もとどまるべき所であり、あなたが闘う場もまた私達が闘わなければならない場であり、あなたが怨讐と対決している場もやはり私達が怨讐と対決しなければならない場であることを、私達は体恤しながら行かなければなりません。


あなたが要求なさる場はあなたが私達と接しようとなさる懇切な場であり、歴史的な使命を追求する場であるにもかかわらず、私達は個人的な願いを中心としてカイン的な生活をしながら、お父様と話し合うことを望む愚かな人間であることをよく知っています。


お父様!
ここにひれ伏した子女達、この者達の行く道がどこであり、この者達がとどまっている場がどこであるかを知らなければなりません。


あすに向かって進んでいく姿勢が、正しい姿勢となっているでしょうか。
お父様が東方に向かっているならば、私自身も東方に向かって責任を負うことのできる立場に立っているでしょうか。
お父様が経ていかれる環境がどこに行くのかを知り、その環境に同参する立場に立ったのかを知らなければならず、もしその立場に立っていなかったとしたなら、性急な心を持ってまた従っていかなければならない立場であることを、自ら悟るべきだということがはっきり分かるようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。


生命の道は誰かが勧告して行く道ではなく、誰かが導いてくれて行く道でもありません。
自分自らこれを消化しなくては行くことができないという事実を、私達はことさら分からなければなりません。


受動的な立場に立ってはならないということをはっきり知り、自分自ら誓いながら生命の力を加えていくことのできる、あなたの息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この時間私達がお父様の前に率直にひれ伏しましたので、あなたが私達自身を眺めるときに、悪なる立場にいるならむち打ってくださり、善なる立場にいるなら私達の手をつかんでくださって、あすの希望のみ旨の前に活気を帯びた息子・娘として現れるようにしてください。


そうして、あなたの戦場を引き継いで、あなたのみ旨の前に妨害となるすべての与件に自ら責任を負って立ち、あなたが信じることのできる忠孝の場を開拓することのできる息子・娘となるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.2.28)






27


人にはいつも変化が必要であり、自覚が必要であることを知っています。
そのような刺激を受けることのできる自らとなるためには、思慕の心情と欽慕の心情と懇切なる心がなくてはならないことを知っていますので、自ら懇切なる心を持って、お父様のみ旨の前に、あすの希望をきょうの生活圏内に実現するよう導いてください。


あすに輝くことのできる実績をきょうこの瞬間圏内においてもたらさなければ、お父様にも自分自体にも刺激となることができず、喜びとなれないということをよく知っていますので、ここにひれ伏したあなたの子女達を見て、お導きください。


人間達は歳月を流れるままに送っています。
一年が過ぎればまた一年が来るとだけわきまえていますが、そのような中で十年が達二十年が達、半生あるいは全生涯を流れるままに送り得るということを私達は知らなければなりません。
このような短い人生行路におきまして、私達は絶対にあなたのみ旨に逆らう立場に立ってはなりません。


きょう一日が喜びで消化されるのは感謝なことですが、この喜びがあすの喜びと連結されないなら、きょうの喜びは私に悪い要素となることを知らなければなりませんし、悲しみと困難と嘆息の条件にしかなり得ないということが分からなければなりません。


喜びがいいとは限らず、悲しみが悪いとは限らないことを知るものです。
問題は喜びと悲しみを連結するにおいて、自分の目的成就のために内的闘争がその環境にどれほど連結されているかということが重要であると知るものです。


このようなことを知るときに、私達がみ旨とともに生涯路程を行くにおいて、み旨とどれほど一致したか、み旨の価値に私達の喜びと悲しみがどのように連結されていくかということを考えるようになるのです。


み旨は私達の一生を支配し、永遠の生命と因縁を支配しているということを考えるときに、み旨はきょうだけでなく永遠なる歴史的時代を主管しているという事実を知るものです。


お父様が直接実体となられて、歴史的な中心としてこの時代を観察し洞察しておられるという事実を考えるとき、その中心であるお父様と一致することは喜びであり、一致できずに遠のくことは悲しみとなるという事実を知りました。


お父様!
あなたの悲しみを私達は知らなければなりません。
あなたがどのような立場で私達を呼んでおられ、どのような内容を持って私達を訪ねてこられるのかをはっきり知らなければなりません。


行き来するすべてのことが役に立たないものとして計画されてはならないので、死のうと生きようとあなたの権威に食い違わず始まるとともに、過程を経て、結果まで行くべき姿となるようにしてください。


このような現在の環境において最後にはお父様の前に行かなければならない私達の人生ですので、私達の全体をお父様と共に話し合い、お父様から忠告を受け、お父様の最後の勝利と歩調を合わせ得る姿を自ら備えることを栄光として分かるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.4.18)






28


お父様!
今、私達はこの死亡圏の世界を超越しなければなりません。
これを突破していかなければなりません。


あなたはこの時代的環境で生きるべき人を探すのではなく、この時代的環境を克服して残ることができ、未来の伝統を現実の基盤の上に堅固に立てることのできる人を探しておられるということを考えてみるとき、死亡圏を克服してさらに勝利の圏を永遠に備えることのできる人とならなくてはなりません。


お父様がそのような立場に立った息子・娘達を探すため、死亡圏でどれほど身もだえしてこられたかを考えるとき、「お父様の前に召され得る息子の中の息子となり、娘の中の娘になろう」、「あなたの栄光の国であなたが喜んで立てることのできる息子となり娘になろう」と、誓うことができなければなりません。


それだけでなく、あなたが全被造世界を相続させて、お前のために私がいて、お前のために私が喜びを享受することができるとおっしゃることのできる、あなたの愛をすべて相続して喜ぶことのできる私達自身とならなければなりません。


そのような子女達が現れるときまで耐えてこられるあなたのご苦労が、今日まで私達の背後に絡み合ってきたという事実を私達は全く知りませんでした。


あなたがそのような受難の代価を支払って捜しこられたのに、捜し出された私達がこのように無価値な姿で現れたということを考えるとき、自分の姿をこの天地の間に表すことができず、目を上げて山を見ることもできず、湖を見ることもできず、地を見ることもできない恥ずかしさを感じるひとときがなければなりません。
自分の手を伸ばして一株の草にも一握りの土にも触ることのできない恥ずかしい自らであるのを発見することのできる場がなければなりません。


千代万代恨みを抱いてきたお父様の前に、その恨みを解くことのできる道は何でしょうか。
このように足らない私達を肥やしとして、その恨みを埋めることのできる道があるならば、その道が死の道であっても訪ねていかなければなりません。
その道が信仰の道を行く人々の伝統的な道であることを、私達は全く知りませんでした。


聖なる性相(=神様)がお命じになる路程を襟を正し声がかれるまで痛哭して従っていかなければならないにもかかわらず、あなたより先に涙を納め、あなたよりも先に安楽な場に立ったという事実を考えるとき、これ以上軽挙妄動することがないようにと、自ら感じることのできる私達とならなければなりません。


耐え忍び克服しなさいという言葉を聞きました。
「私」を克服しなければなりません。
「私」が耐えなければならず、「私」を克服しなければなりません。
さらには家庭を克服し環境を克服する主体とならなくては、あなたの前に立つことができないということを考えるとき、ひざまずいて夜通しお父様の前に「私は滅びるとしても民族が願うひとときを持てるように許諾してください」、「個々人を身代わりすることのできるあなたの息子が現れるようにしてください」と哀訴することのできる私達とならなければならないということを、もう一度悟らなければなりません。


また、そうすることのできる家庭が現れなければならないといって、涙を流してあなたの前に精誠を尽くす群れとなるべきなのが、ここに集った統一の群れであることを知らなければなりません。


そうして、誰よりも受難の道を走っていって、誰よりも最後の勝利を決定する英雄となるよう許諾してください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.5.23)






29


お父様!
私達の心の主人であり、私達の体の主人はあなたでなければなりません。
この教会の全体の中心があなたでなければなりません。
その誰も中心となることができないということを知っていますので、お父様が親しく主人となってください。


あすの行くべき方向の旗手にあなたがなられて、この者達が行く道においていつでも標的となり、いつも中心となって行くとしても疲れないように激励してくださり、訓示し、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達はその誰かの命令を受けて忙しい道を行こうとするのでなく、人類がかわいそうなことを知り、あなたが人類を取り戻すためにどのような受難の道を歩んでこられたかということを知っていますので、行くまいとしても行かずにはおられない道に、宿命的な路程として行くことを決心しています。


行く道に、いくら熾烈な闘いがあり、怨讐の矢が飛んでくるとしても、今まで守ってくださったお父様をよく知り、今まで激励してくださったあなたをあまりにも知っていますので、倒れる場におきましてもあなたの名とともに、嘆息する場におきましてもあなたの名とともに、あなたと共にあることを考えながら、きょうまで勝利の道を歩むようにしてくださったことに感謝を申し上げます。


今までの勝利の道も感謝しますが、今、今後行くべき運命的な路程をあなたと共に話し合いながら、これを統一教会の輝く勝利の未来の道に残していかなければならない生涯の運命が待っていることを知っています。


人がこの地上に生まれるときには必ず使命を背負って生まれるのです。
その使命は自分個人の幸福を追求する使命でなく、歴史的な公的な使命に責任を負うという事実が、どれほどかいのある私の生涯となるかを知り、私が行く道端におきましては個人のために弁護し得る□を持たないようにし、個人を守るために見る目を持たないようにし、個人のための耳を持たないようにしてください。
公義の法度と公義のみ旨を保護し弁明するために私自身の体を持ち、前進するその道において、天の同情と人類の同情が染みわたり得る歩みをするよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


行き来する歳月に向かって、信じられない人生の道であることを知り、きょう生きている世の中において混乱した環境を自ら収拾できない、このようなかわいそうな環境にあることを知りました。
ですから、あなただけが私達の中心であり、あなただけが私達の標的であり、あなたの保護だけが私達の過程的行路であることをよく知る統一教会の群れを守ってくださり、保護なさって、的中すべき目的に向かって直行する銃弾のように走っていくことができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


標的とともに撃破して自らすべての勝利の歓声を残すことのできる一つの砲弾となり、散り散りばらばらになるとしても、勝利を民族と世界の前に持ってきて余りある、あなたの幼い子女達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


万々事の恩賜と愛がとこしえに共にあってください。
あすの祝福を期待するのに恥ずかしくない子女達となるよう、お父様、追い立ててくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1978.10.4)






30


愛するお父様!
切迫した最後の歴史的な決定の運命が私達自身の運命とともにぶつかり合おうとするこの瞬間、あの霊界とこの肉界におきまして、数多くの宗教圏内におきまして行くべきところが分からず渦中で呻吟する人類の情状を眺められるお父様、ここを救おうとなさる忙しいお父様の心の前に、統一の群れが一つの望みの焦点になったという事実を考えるものです。


お父様!
死んでいく者を救おうとするなら、死んでいく場に入っていかなければならないのであり、受難の道にいる人を救ってあげようとするなら、受難の過程を経なければならないということを知りました。


統一の群れが世界史的な責任を背負うにおいて、安逸な自己自体の巣をつくり、自分自らの基盤を楽しむ愚かな者になってはなりません。


国家が復帰されない限り行くべき道が忙しいのであり、世界が復帰されない限り行くべき道が忙しいということを知りました。
今まで天が先立って開拓の道を歩み、この息子もこの道に従ってくるためにあたふたと一生の歳月をすべて経てきました。


今、六十に近いこの年齢の時代において、ひとときを見つめ、最後の息詰まる、総整備すべき責任を前にして行くべき道が残っていますので、お父様、行く道をお父様が引き受けてください。


あなたが行き、あなたが歩み、あなたが残すことのできる道となり、そうしてあなたの輝く誇りとなり、あなたの輝く栄光の条件となり得るよう、お父様、統一教会を追い立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、行くべき道の前にも試練の道が多いことを知っています。
北アメリカ大陸だけではなく、南アメリカ大陸が残っており、アフリカ大陸が残っており、民主世界だけではなく共産圏が残っていることを考えるとき、また人類が行くべき歩みをせきたてつつ、自ら体と心を引き締め、その道に向かって全体が力を尽くして総進軍することのできる群れがいないことを考えるとき、天の行くべき道が暗澹としていることを感じるものです。


お父様、
今、この若者達はあなたのみ旨がどのようなものであるかということを知りました。
私達が行くべき道と、すべきことが何であるかをはっきり知りました。


家庭を中心としますが、その家庭は民族、国家を代表した家庭となり、国家を代表するだけでなく世界と天宙を代表した家庭となって、家庭の愛があふれて国家を越え、アジアを越え、世界を越えて天宙のすべてのもの、霊界にいる霊人達まで解怨成就できるようになることによって、彼らすべてがその恵沢を受けようと、その家庭を欽慕することができる、そのような基準を持たなければならないということを知りましたので、お父様、祝福してください。


あなたの行く道にこの者達が同行し、喜びの一勝利圈を成して、万代にあなたの息子・娘となったことに対し称賛を受けることができ、あなたの探してこられた理想的家庭を立てて歴史を編んできたことを詠ずるようになるとき、万民が痛哭し霊界のすべての霊人だけでなく神様まで痛哭の涙とともにそれを聞くことのできる、そのような家庭とならなければならないということを知っています。


苦難の道で耐え、ぶつかる場で耐え、倒れる場で耐えて克服し再起しながら、日々、あなたの前に公的な道を残すためにすべての精誠を傾けて忠誠を尽くすことのできる、一片丹心の心情を加えることのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


残されたその日と残されたこの時とこの世界の人類の前に、あるいは神様の前に、霊界の霊人達の前に恥ずかしくない息子・娘の姿、恥すかしくない夫婦の姿、恥ずかしくない家庭の姿、恥ずかしくない氏族、民族、国家の姿を備えて、天の前にすべて捧げても余りある統一の祭壇となるようにしてくださり、万国の解放とともに教会という名詞を取り消し、神様の愛の天国だと賛揚することのできる栄光の時が早く早く来るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


万々世の恩賜と愛がとこしえに共にあってください!
すべてを真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。


アーメン。
(1978.10.22)




31


愛するお父様!
流れていく歳月の中で、あなたが経綸なさるすべての時代的使命を、誰も知りませんでした。
あなただけが一人知って、時を待ってきたうんざりするような復帰の歴史、誰も慰労することのできなかった歴史時代をもう一度回想しながら、この息子は、お父様の前に涙でもって生命を奉献する道しかないということをよく知っています。


あなたの悔しさとあなたの無念さとあなたの悲惨さを解怨してさしあげ、この体をすべて捧げて侍り奉り、あなたの公義の道理を天道として正すことのできる、その日に向かって直行する路程を守ってくださいますことに感謝を申し上げます。


押し流されるしかなく、後退するしかなかった歴史的時代を今日まで継承して、今、世界の頂上の位置に立って世界を論じ、世界の運命を判断することのできる直接的時代まで到達するようにしてくださったことに感謝を申し上げます。


今、一つの峠を越えて行くべきその道を見守ってくださるお父様の前に恥ずかしさを感じず雄々しく豪胆な男として行きますので、お父様、その道を見守ってくださり誇り高く考えてくださいますことをお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1985.2.25)

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父の祈り(決断の祈り)8ー1

2023年01月08日 16時51分41秒 | 学習
1


私たちをつかまえてお集めになるためにご苦労されたお父様!
ひれ伏した私たちの心と体が一つになり、お父様の命令を身代わりすることができるよう許諾してください。
ひれ伏した私たちの体が聖なる聖殿とならなければなりません。


長い期間嘆息しながら捜しきた希望の者たちが私たちであることを悟るとき、お父様は本当にかわいそうな立場に処しておられることを知るものです。
今まで摂理歴史を導いてこられつつ、さまざまな蔑みを受けられたお父様の事情も知るものです。
さまざまな蔑みを受けられたお父様、さまざまな苦難を経験されながらも希望の息子・娘を望み、耐えてこられたお父様であられることを思うとき、私たちはこの上なく取るに足らない者たちであることを知るものです。


ですが、そのみ旨の前におそれ多い心を持ってきましたし、お父様の恨みを解いてさしあげるために忠義ある志操を持ってきました。


それゆえに、きのうもきょうもあすも闘いの路程を経ていくべき立場に置かれている私たちであり、私たちが行こうとする路程がただお父様の栄光だけのための路程であることを、お父様がご存じであられると信じていますので、この時間お訪ねください。
天だけを中心として動くようお導きください。


信じることのできないこの地上でお父様だけを信じ、頼る所のないこの地上でお父様の命令に頼ってこの場までまいりました。


お父様、きょうの摂理を心配せずにはおられず、あすの摂理を心配せずにはおられないので、きょうの感謝が永遠なる感謝となり、きょうお父様を呼ぶ声が永遠にお父様を呼ぶ声となるようにしてください。
万物と共に栄光の歌を歌えるときまで、親しく保護してくださり、お守りくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
心配な気持ちをお解きください。
天の気掛かりがこの上なく大きいということを知って、今その気掛かりを私たちが身代わりして抱き締め、残された復帰のみ旨のために、あらゆる力を尽くして闘うことを願っていますので、お父様、私たちをご覧になり、慰めをお受けください。
民族の悲しみと教団の悲しみが私たちによって慰労されますように。


お父様!
喜び得る一条の生命の光に向かっていくことができるよう、あちこちに散らばっているあなたの息子・娘たちを早く早くひと所にお集めになり、勝利の祭壇と栄光の祭壇を、そして義の祭壇を築くよう許諾してください。


民族を通して、この世の中の人類を通してお父様のその一つのみ旨を成すよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1956.11.25)


2


愛するお父様!
今日、私たちは走っていかなければなりません。
力が足りませんが、一度に数十段階を飛び越えなければならない、このようなとてつもない歴史的終局を目前にしています。


審判の過程を越えるべき立場に立っているにもかかわらず、今日私たちは深い眠りに落ちています。
お父様!
私たちは世俗に酔っています。
罪悪と共にあります。


このような私たち、すべての悪の要素を全部清算したのちに、天宙の中心であられるお父様の前に勝利の栄光を帰すことのできる一つの勝利者として立ててくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


歴史的なすべての事情が今日私たちの一身に絡みついていますので、それを切って解放の中心を備えてイエス・キリストの友の立場に立ち、お父様の前に敬拝することのできる喜びの一個体として立ててくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天国復帰のために選ばれた私たちが、私たちの一個体を中心として天国理念を足げにして生きる者たちとならないよう許諾してください。
天国理念に導かれてその理念を成就するときまで進みに進み、犠牲に犠牲を重ね、闘いに闘っていくことができるよう許諾してくださり、あなたに宇宙的なお父様として侍るときまで耐え、闘って勝つことができるよう許諾してくださいますことをお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちの心を永遠に主管してください。
今、新しい宇宙的な生活基準を通じて、全体の中心であられるお父様の前に感謝の敬拝をすることができ、お父様の愛に浸ることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1956.12.30)


3

先に召された私たち、一つの形状をつくるための結晶体のような要素として、宇宙的な全体の摂理のみ旨の前に立てられたとするなら、全体の目的を成すために生きなければならないということを忘却しないよう許諾してください。


今日、公的な摂理の道に立ち入った私たちが祭物の峠を越えることができず、あなたが私たちの周囲にあるものをお切りになったのに、私たちは自ら落胆し、自ら嘆息し、恨みました。


愛するお父様!
私たちが物質的な峠と人倫的な峠を越えていくとき、あなたがこれを打つとしても私たちがこれを甘受することができるよう許諾してください。


私たちが持っているすべてのものを取り去られるとしても、私たちの生命が残っている限りそれに感謝を捧げなければならず、私たちの体を打たれるとしても、生命が残っている限り感謝することができなければなりません。
このような私たちになれるようお導きください。


昔の預言者たちと、歴代の先祖たちが歩んでいったその歩みに、私たちも倣って行くことができるようになることを願いますので、導いてください。


アブラハムもそうでしたし、ヨブもそうでしたし、イエス様もそのような道を行かれたことを知るものです。
今日私たちもそのような道を経るべきことを知っていますので、お父様、長い時間がかからないよう導いてください。


必然的に近づいてくる恨みの峠を越えるための準備を整えられるようにしてくださり、あなたが叱りお打ちになるとしましても、一人感謝しつつ越え立つことができる善の祭壇を積んで、栄光の主を賛揚する天の忠僕たちとなるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


怨讐たちが遮る祭物の峠まで越えに越え、家庭を導き家庭の峠を越え、民族を導き民族の峠を越え、ひいては世界を導き世界の峠を越え、天まで導き越えていき、永遠にお父様に真なる生命と真なる平和と真なる喜びと真なる栄光を許諾してくださいと自信を持って訴えることのできる息子・娘となるようお導きくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。

すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1957.3.10)

4


愛するお父様!
エデンの園を失ってしまったアダムの悲しみが私たちの悲しみであり、天の恨みであることを知っています。


また、エデンの園の理想を楽しむべき人間の先祖がその理想を楽しめなかったことが天の恨みだということも知っています。


お父様!
堕落の逆境を踏んでいる私たちの責任が重いので、私たちをもう一度分別された立場に立てて再創造のみ手を広げてくださらなければ、私たちほどかわいそうな者たちはいないと思いますので、愛のお父様! 哀れみのみ手を伸ばしてください!


私たちの心と体をこの時間お父様に捧げようと思いますので、お受けくださり、お父様の性相のままにつくってくださって、あなたのみ旨を担い得る私たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
寂しい息子・娘たちがあちこちでこうべを垂れながらあなたのみ名を呼んでいますので、彼らと共にいてください。
人間の力だけでは何も成すことができないということを私たちが知っていますので、お父様、私たちの心と体を主管してください。


この者たちをして、突っ走りながら前進しなければならない路程において落後者とならないよう許諾してくださり、闘いの路程において敗北する者たちとならないよう許諾してくださり、あなたの栄光を永遠に歌い、あなたの愛を誇ることのできる息子・娘たちとなるよう許諾してください。


環境が困難であるとしても、その環境を克服するよう許諾してくださり、闘いの路程において倒れるとしても、私たちを呼ばれるお父様の声を聞いて立ち上がることのできる息子・娘となるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.6.9)




5


愛するお父様!
あなたは義の先知先烈たちをお送りになって私たちを訪ねてくださり、イエスをお送りになって私たちの心の基を培ってこられました。


今からは、私たちの体をもってお父様のみ意を実体的に成すべきみ旨が残っていることを知るものです。
私たち一個体は家庭を通してお父様のみ旨を成し、また万物までもお父様の前に立ててさしあげなければなりませんので、お父様、共にいてください。


私たちにとどまる天国だけを建設することがお父様のみ旨ではなく、万物圏内にまでもお父様が臨在し得る実体的な天国を建設すべき責任が私たちに残っていることを知るものです。


このような天宙的な責任を消化すべき私たちが堕落世界に残っていることをお父様がご覧になるとき、私たちの行路が案じられ、もどかしくお思いになられることを知っていますので、足らなく弱き私たちをお父様が再びつかんでくださって、永遠の生命を持つことができるよう導いてください。


お父様が導いてくださるなら私たちは落胆しないし、躊躇しないことでしょう。
ですので、お父様の生命と栄光を所有するために怨讐サタンを退けて、お父様が運行なさることのできる個体となり、お父様が運行なさることのできる教会と国、世界と天国を建設することのできる天の勇将たちとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私たちの心ではお父様の心情を、私たちの体ではお父様の生命を感じて、万物圏までお父様の前に立てることのできる息子・娘となるよう、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今日の数多くの人類にもあなたの喜びの知らせを聞かせるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.3.9)




6


お父様!
天のみ旨を必ず成就させるべき歴史的な運命の路程が私たちの前に横たわっていることを知りましたので、私たちに能力のみ手を伸ばしてください。


私たちの体と心にただお父様のみ旨だけがみなぎるよう許諾してくださり、この地上に天のある責任を担っている人がいるとするなら、その天のみ旨を人間的な考えだけで推し量らないよう許諾してください。
心の動きに従って行動する息子・娘となるよう許諾してくださり、体が先に動く息子・娘とならないよう許諾してください。


そうして、心と体を通してお父様の栄光の心情を感じることができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様が定められた天理法度と復活の理念が私たちと関係を結ぶようになるときには、歴史過程を通して摂理してこられたお父様の心情を体恤できるということを知りましたので、そのお父様の心情に通じることのできる愛の心を備えるよう許諾してくださり、お父様の復帰の心情が分かるよう許諾してください。


そうして、この地に対して心配なさるお父様の心情が分かるよう許諾してください。
私たちは足らない者たちですので、お父様がつかみ悟らせてくださり、お父様の民として立ててくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


そうして、私たちの心にお父様の心情だけが染みわたるよう許諾してくださり、私たちの体がお父様の歴史的なすべての心情を体恤して、お父様の前で嘆息の涙を流すことができるよう許諾してくださって、お父様に心から仕える私たちとなるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.3.23)






7


お父様!
行き、また行く道が険しいと言えるでしょうか。
私たちの心はお父様のその心情の切なさと比べることができませんし、私たちの悔しさは幾重にも横たわったサタン圈を歩まれたお父様のその足跡と比べられないことが分かるよう許諾してください。


険しい道を行きながらも天のみ旨に責任を持つための使命感が私たちの心にわき上がるよう許諾してくださり、悲しみながらもお父様の悲しい歴史の友となって、あなたの路程に同伴することのできる息子・娘となるよう許諾してください。
歴史的な苦痛を共に感じて苦痛を受ける心情の友となるよう許諾してくださり、悔しい心情に同伴して友となることができ、お父様の内的悲しみの友となると同時に、外的悲しみの友となって永遠なるお父様の喜びの対象となることができるよう許諾してください。


今日すべてのものが問題となる前に、福を受けるためにさまよう私たち自身が問題だということを知りました。


しかし、私たちの心の中にある悲しみを悟れない人間だとするなら、幸福の道を捜し出す道理がないということも知り、苦痛の道を歩まなければならない人間がその苦痛の道を避けようとしても、彼らは決して苦痛の道を避けられないということも知りました。


悔しさと無念さに打ち勝つ忍耐を失ってしまった数多くの人々、その忍耐がなくてはどのような苦痛も避けることができないということを悟らせることができるよう役事してください。


悲しみの峠を越えてこそ、苦痛の峠を越えてこそ、悔しい心情の峠を越えてこそ、その日の福が決定される天倫の原則を私たちは知りました。


今、お父様の心情をつかみ、地をつかみ、万物をつかんで涙を流し、「お父様の悲しみが私の悲しみであり、お父様の苦痛が私の苦痛であり、お父様の苦難が私の苦難ですので、そのすべての苦痛を私に任せてくださり、お父様は幸福な場に立ってください」と言うことのできる私たちとなるよう許諾してください。


離そうとしても離すことのできない情と、ほかのすべてのものが動じ得る父子関係の因縁があることを知っていますので、お父様の認定を受けることのできる私たちとして導いてください。


千差万別の愛の中で勝利した息子たちを立てて、万宇宙を復帰したいと思っておられるお父様の心情を知りましたので、その心情を私たちの一身に備えて現すことができるよう導いてくださり、祭物としてどのような犠牲になるとしても、またどのような死の道をも、感謝しながらお父様の道を守っていくことのできる息子・娘となるよう許諾してください。
お父様との因縁を切って裏切る者たちとなることなく、間違いなくお父様のみ旨を成してさしあげる私たちとなるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.9.14)




8


お父様!
私たちの歩みが天に向かってもとがえっていくべき時が近づいてきています。


お父様の苦労が大きかったことを私たちは知り、お父様が定めたみ旨が何かということも知りました。
またお父様が私たちに行うことをお望みになる子女の責任がどれほど難しいものであるかということも知りました。


お父様のみ旨を知る人、お父様が許諾した園に住むべき人、その一人はお父様に向かって無限に涙しなければならないことも知りました。


その一人がお父様に向かって進んでいくようになるときに、傷を受けなければならないということも知り、その一人はお父様と共に同行しなければならないということも知りました。


またその一人は体にもそのような痕跡を残さなければならないということを知ると同時に、心にも悲痛な心情を持ち、限りなく痛嘆し、お父様の審判のひと日に対備して訴えなければならないということを知りました。


また私たち、そのような息子・娘を捜し出そうとなさるお父様と、永遠に因縁を結ばなければならないということを知りました。


今、心を開いて天上の心配を知り、お父様の心情を体恤する人がいるとするなら、その人はお父様とこの民族の悲しみを身代わりして痛哭せずにはいられず、人類の悲しみを身代わりして痛哭せざるを得ないことでしょう。
その人はすべての人間たちと共に、天と地に染みわたっている悲しみを共に分かち合うことのできる友になるであろうということを、私たちが知っています。


私たち自体がそのような立場に立ったかと考えてみるとき、お父様、ご苦労されたお父様の前に、ご心配されたお父様の前に、苦難の道を歩みこられたお父様の前に体面を立てることができないとするなら、おそれ多いという心だけでも持つことのできる者たちとなるようにしてください。
わがお父様、懇切にお願い申し上げます。


万民はこの道を行くことを嫌がっています。
きょうもあすも多くの人々はこの道を心では願っていますが、行動に連結できないままとどまっていることを知っています。


これを解決すべき責任がお父様にだけあるのではなく、ある指導者にだけあるのでもなく、私たちにもあるという事実を悟るよう許諾してください。


しかし、この厳然とした事実に責任を持とうとする人々があまりにも少ないということを私たちが知りましたので、安逸な私たちの心にお父様の懇切なる心があふれ流れるようにしてくださり、お父様の物悲しい心情があふれ流れるようにしてくださり、天の勧告の道を探していくことのできる群れとなるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天の福を願う人はたくさんいますし、お父様の子女になるために精誠を尽くす人はたくさんいますが、六千年歴史が経過した今日は、お父様の真なる息子・娘、お父様の前に祭物になろうという忠実な人を捜し出すことが難しいときであると思います。


私たちがひょっとしたらお父様の摂理路程を混乱させる哀れな群れになるのではないかととても心配していますので、私たち自身を案じる者たちとなるよう許諾してください。


きょう闘っている私たちの足跡とそのとどまっている位置が、本然の理想の園とどれほどの距離をおいているかを自ら分折するよう許諾してくださり、その心配の基準を突破するための闘いにおいて、勝利することができるように導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.11.9)






9


今日、世界に散らばっているキリスト教徒たちは、心で天国を待ち望み慕っていますが、天国を捜し出すにおいて闘いの行路が残っているということを忘却しています。


その上、終わりの日である今日においては、歴史も変わっており、信仰も変わっており、人の心も変わっており、伝統も変わっており、周囲も変わっており、これでなければ死ぬといった愛の心情も変わっているこのとき、変わらない理念、変わらない姿、変わろうとしても変わることのできないそれ自体、その園、その世界、その主権、その指導者、その声、その生活、その環境が慕わしいのでございます。


お父様!
積もり積もった心を開いてください。
統一の信徒たちの歩みに迫害があるとしても、その迫害を、私たちが行く道を遮る悪の要素として受け入れるのではなく、私たちを天の心情に一層近く追い込んでくれる刺激的な作用として利用することのできる信徒たちとなるよう許諾してください。


その迫害は迫害ではなく、心情を連結させるためのお父様の役事であることが分かるようにしてください。
お父様の恩賜の前に道を遮る自らであったことを嘆息する心がわき出るようにしてください。


今、心情の刺激を受けて使命感に燃え、来いとおっしゃるときに喜んで来て、行けとおっしゃるときに喜んで行くことのできる者たちとなるよう許諾してください。


お呼びになった声に感謝をしたとするなら、命令なさる声をも有り難く思いつつ、怨讐たちの陣営に向かって突進することのできる天の勇者たちとなり、天の世界の主人となるよう許諾してください。


ここには矢を受けて倒れる者もいることを知っていますので、このような場面でも敗北し後退する者たちとならないよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


幸福に浸りお父様と話し合う瞬間がある反面、戦場で血涙を注いで天の恨みを訴えつつ倒れる瞬間がこの息子・娘にあるということを知るようにしてください。


喜びにも責任を持ち、悲しみにも責任を持ち、闘いにも責任を持ち、無念さにも責任を持ち、終わりの日の審判台の前で歴史的なものを拒否して「お父様、み手を挙げて私たちを祝福してください。
お父様、私を見て悔しさに耐えてください。
お父様、私を見て苦痛と無念さに耐えてください。
お父様、私を見て苦労を終わりにしてください」と言うことができるようにしてください。


このような息子・娘が現れることを望むこと六千年、注意深く捜してこられること六千年でしたので、お父様、恐懼この上ありません。


捜しこられるその視線、捜しこられるその姿、注意深いその足跡を私たちが忘却したのです。


今、私たちがお父様の前に立ち、お父様と因縁づけられた生活をし、お父様を身代わりして注意深く探していくべき道を行くようにしてください。


この道をすべて行ったのちに、この道を知らない他の人々に注意深く探していくことのできる方向を教えてあげるべき私たちです。
そのような天的な命令を受けた私たちですから、ここで悲しい涙を流して後退する者たちとならないよう許諾してください。


今日この時は、多くの群れが必要でないことを知っています。
今この時は越え行くべきときであり、今この時は清算して行くべきときであり、今この時はすべてのものを結び越えて行くべきときであり、今この時はありのまま現れるべきときです。


この道は不平を言う者は行けない道であり、自ら弁明する者は行けない道であり、自らを立てる者は後退する道であることを知りました。


この道はイエス様が血を流して行かれた十字架の道、延長されたゴルゴタの道であることを知りましたので、弁明すべき立場でも弁明しようとせず、自分自身を立てて誇りたくても誇ろうとせず、悔しさを知りながらも踏まれ行くべき道であることを知りました。
六千年摂理路程でこのような道を歩んだ天の聖徒たちを考えるとき、口惜しいのです。


しかし、彼らよりはお父様の心情がもっと口惜しいということを知るとき、悔い改めるべき私たちです。
悲しみの中の悲しみであり、無言で悔いるべき事情であると思うのです。


私たちの一切の願いがお父様のものであり、私たちの一切がお父様の所有であり、私たちの心情と愛の中心にお父様がおられるのに、こういうことを感じられない者がいるとするなら、その者は哀れな者であることを知るものです。


イエス様も十字架で血を流しながらも、そのようなお父様を知り、捕まえたので、死も恐ろしくないと言われました。
かえって怨讐に対して福を祈られたその凛々しい余裕ある人格が慕わしいのです。
その歩みが慕わしいのです。
きょうもあすも歴史の変化、生活の変化と自分一身の変化をあざ笑うことのできる勝利の王者はどこにいるでしょうか。
お父様、とても慕わしいです。


歴史的な主人公、時代的な主人公、未来的な主人公が分かれるのではなく、一つの実体として現れ、あなたの心情を人間たちに伝えてあげることのできるそのとき、その世界、その園が慕わしいのです。


お父様をお父様と呼ぶことのできる群れが現れなければならず、教団が現れなければなりません。
すべてのものを忘れ、それを捜し出すために準備し、真心を傾けて責任を果たすことができるよう許諾してくださり、すべてのものを蕩減し、お父様の前に立つためにどのような犠牲も意に介さず走ることのできる息子・娘となるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.4.12)






10


取るに足らない私たちが、追われ追い回された群れとしてここにひれ伏しました。


人が知ることのできない一つの目的地に向かって出ていく道には、とげの刺激が残り、傷が存在するようになることを知るものでございます。


しかし、これを意に介さず越えていくべき私たちであることをご存じであられるお父様、私たちがこの道を行くためには、徹頭徹尾の覚悟と誓いと決心をしなければならないということを知るようにしてください。


天との真なる心情的な関係がこの場で結ばれなければならないことを知っていますので、お父様、あなたのみ手で親しく私たちを捕まえてくださり、お父様の両腕で私たちをあなたの愛の懐に抱いてください。


どれほど待ち焦がれ願われたことでしょうか。
今、その心情をまさにくみ取ることができ、その切なさをまさにくみ取ることができるのです。


お父様と呼ぶことのできない不肖なこの者たち、数多くの預言者たちが積んできた血の祭壇によって、贖罪を受けられるようになった驚くべき恩賜を受けても感謝しようとしなかった過去の生活をもう一度悔いながら、実績を持ってお父様の前に捧げることができなければならないのに、手ぶらで出てきたことを受け入れてください。
この世のその何かを要求するお父様ではあられないので、懇切なる心、懇切なる心情だけをお父様の前にお捧げします。


お父様のお顔が慕わしく、会いたくて涙するその姿をお父様にお捧げしたくて出てきましたし、傷ついたお父様のみ手をつかんで涙を注ぎたく、またそのみ手が慕わしくて出てきました。


その心と体の傷がひどいのも意に介されず、失った子女を捜し出すために彷徨なさるお父様の物思いに沈んだ姿、やつれたその姿をつかむために私たちは出てきました。


このような心にあふれてお父様と呼ぶあなたの息子・娘たちがここに集まったとするなら、お父様がそのようなとき私を呼んでくださり、私を捜してくださったように、この者たちもそのような立場に処するようになるとき、お捨てにならないということを知るものです。


お父様!
行けと言われる道が物悲しい道ではなく、行ってみればおそれ多い恩賜の道でした。
死ねと言われ、追い立てられた道も殺すために準備された道ではなかったことを知りました。


その内面の曲折を知るとき、私たちがこの上に何を願うでしょうか。
これがすべて私たちのために先にご苦労なさった、お父様の苦労の証を見せてくださるための役事であることを知ったものです。
私たちがそのような感覚を体恤して感激の涙を流せるよう許諾してくださったことだけでも感謝です。


今、この者たちは何を探すためにここに来たのでしょうか。
何を見るためにここに来て、どのような因縁を結ぶためにここに来たのでしょうか。
見せてあげるべきものは涙と切ない事情しかなく、因縁を結ぶべきものはふびんなものしかないことを知っています。
それでもこの因縁でなければ、この事情でなければ、私たちが行くべき道が分からずにサタンの祭物として消え去り、嘆息するようになるのではないかと心配してきた群れですので、この時間捕まえてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたが捕まえて涙することのできる子女がいて、「誰それよ」と名前を呼ぶことのできる息子・娘がいるとするなら、ここから天の役事はこの民族を導くでしょうし、眠っている世界人類の心情を動かして天の前に向かわせる起源となることを知っています。
ここに若者の一人ひとりの胸が燃え上がって、互いに手に手を取り合って「誰それよ、み旨のために行こう」と叫ぶ動きがあるとするなら、この民族には生きる道が開けるでしょうし、死亡の園に生命の軍隊が来て共に闘ってくれることしょう。


私たちはそのような群れが慕わしくて集まり、そのような道を行くために闘い、そのような立場で勝利の祭壇を立てて、お父様と共に万宇宙の前に見せるために出てきましたので、最初に覚悟したこの心が変わらないようにしてくださり、決心して捧げようとするこの一片丹心、この志操を曲げることのない息子・娘となるようにしてください。


覚悟したこの忠節を、天倫が変わらない限り変わらずに守るあなたの息子・娘となるようにしてください。
懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1960.5.8)



11


天がお任せになった偉業を果たせず、疲れて落ちていく者たちとならないようにしてください。
倒れ、また倒れたとしても、血を吐いて死ぬとしても、この使命を果たしたのちに倒れ得るあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


このことのために寂しく険しい場で涙を流しつつ、祈祷し闘うあなたの息子・娘たちが四方八方に散らばっていることを知るものです。
お父様、その場にも共にいてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたは無関心ではあられないことを知るものです。
寂しいときに捕まえてくださり、み旨を抱いて物悲しい場で訴える者たちを強くしてくださり、彼らの心情を慰労してくださったことを知っています。


お父様、この時間も同じ心情で同じ役事で同じ能力で働いてください。
残された最後の障壁を占領するときまで、終わりまで耐え、終わりまで闘い、終わりまでこの人類のために責任を負っていくことのできる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この三千里江山(=韓国全土)だけではなく、遠き海外でも数多くのあなたの息子・娘たちがここに向かって涙を流しつつ訴えています。
彼らはたとえ皮膚の色が違い生活環境が違ったとしましても、み旨に対しては一つの血筋で因縁づけられた兄弟ですので、彼らが集まる所ごとにあなたが共にいてくださり、恩賜の炎で抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


距離は離れているとしても、心情の世界においてはお父様を中心として永遠なる因縁を歌うことができ、生命的な動きが現れるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1960.9.25)






12


お父様!
すべての罪悪を清算すべき最後のときですので、今日私たちの心はひどく焦燥感を感じています。


この地には苦痛の呻吟がいっぱい満ちています。
ここに天の貴重な息子が誕生するようになさり、歴史的な苦痛と罪状を清算できるようにすることによって、創造当時のお父様の心情を新しく花咲かせることのできるひと日が来るよう許諾してくださり、勝利的な新しい園が彼によって出発するよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
そのような世の中にならなければならないことを私たちは知っていますので、現実的な苦痛に耐えることができるようにしてください。


行くべき道にはいまだに血のいくつもの峠が残っており、遠くつらい険山峻嶺が横たわっていることを知っています。
しかし、この道は私たちだけが行く道ではありません。
お父様が私たちよりも先に数十回、数千回、数万回往来された道です。


今、この難しい道をお父様が整えるのではなく、人間たちが整えていかなければならないという事実も知りました。
険しい道を来られ、ご苦労なさったお父様のために、私たちが最後の一歩を踏み出すことができるようにしてください。


行くべき道が残っていますので、行って倒れるとしても、お父様が歩んでいかれたその足跡を踏み、お父様が残された血の跡に倣いながら行くことができるようにしてください。


引き裂かれ傷を負ったこの体を、お父様の前に生きた祭物として捧げるようになるとき、お父様が満天下に子女の名分を立ててくださり、祝福してくださるということを知りました。
そのような場まで行かなければならないということを知りましたので、そこに行くときまで、疲れないようにしてください。


疲れる度ごとにお父様が私たちのそばで助けてくださり、落胆して寂しく思う度ごとに天が私たちをせきたててくださり、私たちが苦労する前にすでにお父様が数百回、数千回私たちのためにご苦労なさった事実を忘れないようにしてください。


この道を休む間もなく開拓してこられたお父様であられました。
休みなく反対してくるサタンがいますがゆえに、この道を開拓するために休む間もなく苦労の役事をしてこられ、私たちの一個体の生命のために疲れも知らず闘いこられたお父様であることを知り、おそれ多い心でお父様をつかみたい心に
徹するようにしてください。
切ない心に徹して狂ったようにお父様を呼ぶもどかしい心情が、私たち各自の心に爆発するようにしてください。


そのような者をお父様が慰労してくださり、そのような者を収拾してくださって、新しい約束の世界、天的な偉業を約束してくださることを知っていますので、その場を確定するときまで、最後まで耐えて勝利の栄光と勝利の凱歌を全宇宙の前に高く上げることのできる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1960.10.2)






13


お父様が悲しい心を抱いて行かなければならないとは、無念で非常に悲しいことです。


お父様はかわいそうな方であられます。
お父様は悔しい方であられます。
人間たちには裏切り背を向ける道もありますが、お父様には裏切るべき道も背を向ける道もありませんので、行きに行かなければならないことを私たちは知っています。
後退という名詞を要しないお父様の道であることをおそれ多くも知ったものです。


お父様の心がどれほどいらだち、どれほど深刻で、どれほどお急ぎでしょうか。
真正なる孝子・孝女となり、忠臣烈女になろうとお父様の前にひざまずき、こうべを垂れました。
十字架の道を行くことのできる一つの岩となり、一つの衣の裾とならせてくださいと訴えることのできなかった私たち、過去を悔い改めることのできる息子・娘となるよう許諾してください。


各地にいる寂しい統一の群れが、お父様の前に訴えています。お父様の命令を知っています。
この群れは行くべき行路を知っていますが、この者たちの歩みを再び促し、むち打たなければならない苦しい事情がお父様にあることを知っています。


ここで耐えて残される者はお父様の福を受けるでしょうが、
落後する者は後代に讒訴を受けるでしょうし、嘆息するようになるだろうということを知っています。
お父様、どうぞ強く雄々しい心を持つようにしてくださり、最後まで耐えて残される群れとなるよう許諾してください。


お父様のその歩みは私たちには見当がつかないほど速いということも知るのです。
千のことをしたなら万のことをしなさいと命令なさりたいのがお父様の気持ちであり、助けとなり得る立場に立った息子・娘を探すのが、お父様の心であることを知りました。


今日、私たちにお命じになるすべてのみ言を心から受け入れることができ、み旨の前に真正なる息子・娘となり得る私たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様を捜し出すために私たちは孝子孝女とならなければならず、その国を捜し出すために忠臣烈女とならなければなりません。


その理念は神聖ですが、行く道は悲惨です。
その内容は美しいのですが、現れた現象は死の道でした。
死の道を行きながらも、心のうちでは望みを持つべき道でございました。
お父様がそうであられるので息子・娘たる私たちもそのようにし、お父様がそのような道を行かれるので私たちもそのような運命の道を行かなければなりません。


ですので私たち、この途上で疲れずに百折不撓の心情を持ち、最後の勝利者として定められるようにしてください。


今からは、勝利したと言うことのできる安息のひと日、お前たちは私のものであり、この天下は私の息子・娘であるお前たちのものだという祝福を受け得るそのひと日まで、耐え忍び残される群れとなるようにしてください。


その日を迎えるまで苦難に同参する群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1964.3.22)




14


私たちは今までこの民族を身代わりして、この三千里半島を身代わりして涙し、寂しい道を耐えてきました。
そのような物悲しい道で多くの迫害とあざけりを受ける場で、私たちは何百万回、何千万回、お父様を呼んだことでしょうか。
私たちが徹した心情でお父様を呼ぶたびに、お父様も涙なさったということを知っています。


きょうお父様が涙される場に同参したこの息子・娘たちを、後代に喜ぶことのできる世界的な勝利の場にまで同参させてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この道を行くこの者たちの前途には数多くの怨讐たちがいます。霊的な怨讐たちも数限りなくいます。
しかし、お父様のみ旨に対して行くこの道に、霊肉をもって怨讐たちが反対の条件を提示するとしても、ご苦労なさるお父様の心情に倣って行こうという信念と決意だけがあるならば、このすべてのものは取り除かれることを知っています。


今日まで私たちを立てて導かれるときの原則がそうであったということを私たちはよく知っています。
神様が先に悲しみを越えてから、その悲しみを私たちに下さったことを知り、神様が先に苦痛の場を越えてから、私たちに苦痛を受けなさいとおっしゃったことを知りました。


お父様!今日韓民族を中心とした統一の祭壇がこの民族の前に現れました。
きょうこのような環境を備えて私たちのすべての理念を堂々と叫ぶことができるのは、偶然になったことではありません。


そのような道理のまま、きょう自由に胸を張り、顔を上げて数多くの人々を眺めながら自由な環境で語ることのできる私たち自身となるまでには、神様の六千年の苦労があったということを忘れないようにしてください。


このように歴史的な神聖なる城跡の上で、神様と歩みを共にすることができるということはどれほど栄光なることであり、どれほど感謝なことでしょうか。
ですので、お父様の前に心から感謝しながら動ずるよう許諾してください。


私たちが叫ぶこの声が、昔イスラエル民族が荒野で叫んだその声を身代わりするのだと考えつつ、天を背負い、歴史を背負い、望みの天国を背負い、真の世界を胸に抱き、矢と迫害と爆弾が落ちる所に突進する天の勇士となって、愛しながら行くことができるよう祝福してください。
懇切にお願い申し上げながら、すべてを愛する主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1964.4.12)






15


天を仰ぐ人は多いのですが、天のために責任を負おうという人は多くはありません。
天の道がよいということは知っていますが、その道に横たわっているいばらの道を避けようとする人々が多いということを知るものです。


お父様!
あなたは私たちのために億千万代ご苦労なさいました。
ところが、今日人間たちは天の道、真なる道を行くために越えていくべき苦労の道を避けていこうとし、人間の悲しみと苦痛もお父様の前に任せようとしていますので、受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょう統一の群れがお父様の前に集まりました。
私たちは他の人とは違い、お父様の心情を知りましたが、お父様の事情とは別に、お父様が残された希望の道を私たちの思いどおりにし、生命の一切を捧げることを拒否した私たち自身を、今このひとときお父様の前に率直にさらけ出すようにしてください。


どうせ行くべき人生の行路ですので、お父様のみ意のままに行くことを祈っています。
死の道もお父様と共に、いばらの道もお父様と共に、捨てられる道もお父様と共に行かなければなりません。
お父様と共に生きたい気持ちを持っていますので、お父様、哀れにお思いくださり、抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


誰が何と言おうと私はあなたの息子であり、娘だという事実を否定することができないと、身もだえしようとする子女の姿として立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様と愛の因縁が結ばれていて、お父様と離れようとしても離れることのできない血肉の関係が結ばれている子女の名分を私たちが持っているとするなら、その何ものもあなたとの関係を否定することができないということを知っています。


お父様の真正なる息子になることができず、娘になることができなかった過去を自ら悔い改め、謙遜にお父様の前に出ていき許しを請う者たちとなるようにしてください。


お父様がいくら醜く哀れに見えるとしても私たちのお父様であることには違いなく、お父様がいくら悲しい心を抱き憂いを抱いておられても私たちのお父様であることには違いないと言いながら、そのお父様をつかんで慰労することがで、お父様のために孝行を尽くせなかったことを嘆くことのできるあなたの幼い子女たちとなるようにしてくださいますことを懇切に願いながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1965.12.26)






16


お父様!
この地は中心のない歴史過程を経てきたことを私たちは知っています。
全世界にはキリスト教徒たちがたくさんいますが、果たしてどのような教派を中心として、どのような氏族を中心として、どのような家庭を中心として、どのような個人を中心として、天の錨を下ろされるでしょうか。
そうすることのできる基台がないことを私たちは知ったものです。


今日統一教団がこの地上に現れたのは、このような基台を立てて新時代の世界的な使命を果たすためであると私たちは確信しています。
それゆえ、現在、未来の歴史過程において、私たちは押し出されていく人となってはなりません。


ですので、この地上で天を代表し、悪の世界を踏みつけ悪の世界をのみ込むことのできる権限を持つためには、天の勇者の姿を備えなければならないということが、はっきり分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私たちは復帰の過程がどれほど悲しい路程であるかを知るものです。
ですので、きょう私たちはエデンの園においてのアダムとエバを身代わりした自らとして、今まで六千年間死なずに生き残った実体であることが分かるようにしてください。


アダムとエバの家庭で起こった事実が、私たちの家庭、私たち自身に起こった事実であり、カインとアベルの間に起こった惨状が、私たち自体を中心とした惨状であり、ノアの家庭も私たち自身を身代わりしたものであり、アブラハム、モーセ、イエス様以後今までの六千年の歴史過程のすべての事実は、私たち自身がぶつからなければならなかった悲惨な出来事だったことが分かるようにしてください。


そうしてその悲惨な出来事の中で殺されるとしても、復活の実権を備えて復活の実体として残されるべき自分たちだと自認しなければならないということが、この時間はっきり分かるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げます。


イエス様がそのような歴史的な運命を経てこの地上に来られたことを知っていますので、その後継者となりその因縁を相続するためには、そうすることのできる勝利の覇権を持たなければならないということを確信させてください。
そうして、そのような勝利の場を決定づけて出ていくことのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げます。


私たちはさまざまな風霜と、さまざまな試練と、さまざまな患難と、さまざまな迫害の中でも滅びませんでした。
そのような中でも私たちは一片丹心にお父様のみ旨を中心として進んできました。


この復帰の過程を基準として進んできましたので、今私たち個人もこの過程を通過しなければならず、地上のすべての家庭もこの過程を通過しなければならず、氏族、民族、国家もこのような家庭的な因縁を通してお父様が願われる望みの国に入らなければならないということをはっきり分かるようにしてください。


そうして、お父様のみ意のままに平和の世界を創建してさしあげ、喜びの天国を成すことのできるあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願いし、ひいては全人類があなたの民となり、全世界があなたの世界となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1968.9.1)




17




お父様!
お父様が子女に対する父母の心情で私たちに対されるように、私たちもお父様に対して父母を思慕する心情が満ちるよう許諾してください。


そうして、お父様の心と私たちの心が一つとなったその場で、今まで恨み多かったお父様の事情を共に分かつことができるようにしてください。


私たちがお父様をつかみ、慰労してさしあげ得るそのひと日が早く来なければなりません。
そのような中でお父様の高く尊いことを自ら悟りながら感謝申し上げ得る私たちとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
どうせ世界に向かって出ていくべき私たちですので、早く世界各国に出ていくために、必要な準備をすべて整えるよう許諾してくださり、行くべき道が忙しいその目的地に向かって直行することのできる知恵深い子女たちとなるよう許諾してください。


数多くの人々は休んでいくとしましても、統一の群れたる私たちは休むことなく行くべき所に直行することができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今行くべきそこには、試練と苦痛と苦労の道が横たわっているという事実を私たちは知らなければなりません。
また、怨讐の銃剣が私たちの前に立ちはだかっているという事実も知らなければなりません。


それゆえ、そこに直行しようとするその心が懇切であれば懇切であるほど、そこに現れるすべての外的な環境をたやすく乗り越えるためには、お父様を愛する心、お父様のために動こうとする心意気がなければならないということを知っています。
そのような心を持たずにはこの道を直行することができないということを私たちは知っています。


お父様が長い長い六千年の歳月の間摂理してこられたのも、この道を直行することのできる一人に出会うことができなかったためであり、蕩減すべき条件を越えることができなかったためであるという事実も私たちは知っています。
その一人と蕩減の条件が私たちの前途に横たわっているということがはっきり分かるようにしてください。


お父様がこの道を探してこられるにおいて、真の人格と真の蕩減の条件が必要であったように、お父様を捜していく私たちも真の人格を備え、真の蕩減の条件を立てなければなりません。


私たち自身がサタンの前に解放され得る自ら、すなわちサタンを屈服させ得る自らとなると同時に、万民を導いて祭物をお父様の前に捧げておき、サタンから侵害されない立場に立たなくては、お父様の前に行こうとしても行くことのできない、関係のない身になるということを知っています。


私たちの行くべき道が遠く忙しいということを知るとき、遠く忙しいこの道を遠回りしてはならず、直行しなければなりません。
この遠い道を私たちが突破するためには、時間があまりにも切迫しているということを知っています。


お父様!
そのような場でみ旨のために完全でなければならないという、このような刺激的な心情を感じるようになるときに、お父様と呼ぶことができ、懇切な心情がほとばしるようになることを知っています。
その場ではいつでもお父様が役事してくださることを知っています。


そうですので、お父様の前に懇切なる心情で解怨の目的地に向かって走っていこうと身もだえするあなたの子女たちとなるよう許諾してくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1968.11.24)




18


六千年の間、お父様がアダムとエバという一個体を捜してこられたのは、それによって世界を復帰せんがためではなかったでしょうか。
天上に行っている数多くの霊人たちの哀魂をご覧になるお父様の痛みが、どれほど大きいものであるかを私たちが知らなければなりません。


その群れを解放させることがあなたの聖なる使命であり希望であったということを、私たちが分かるよう許諾してください。


世界を越え立つ勝利の一つの基盤を、世界圏内のすべての人が共に持つことのできる日が来てこそ、天上世界の復帰と地上世界の復帰はもちろん、怨讐を屈服させることができるということが分かるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


徹頭徹尾世界を愛することができ、世界のどこにでも行くことのできる息子・娘とならなければなりません。
今までは韓国をつかんで闘ってきた統一教会の群れでしたが、十分に世界をつかみ世界のために闘う群れとならなければなりません。


ですので、私たちが涙を流しても世界人類のために流すよう許諾してくださり、私たちが大韓民国の一息子として生まれたとしても、大韓民国の人々だけでなく世界人類を愛することのできる心情を持つようにしてください。


そのような心情を持って立つことのできる私の個体となり、そのような後孫も持たなければなりません。
私たちはお父様に侍り、二つの世界を抱いて理念的統一世界を捜し出す努力をし尽くさなければなりません。


飢えた者には当然食べさせなければならず、ぼろをまとった者には当然着せなければならず、軒先で寝ている者には当然安らかに寝る所を準備してあげなければならないことでしょう。
恨み深い事情にも当然ぶつからなければならないことでしょう。


このように失われた世界と、失われた国家と、失われた家庭と、失われた個人を捜し出さなければならない運命が私たちにあるという、このとてつもない事実を考えるときに、私たち一人では持ちこたえられないということを知りました。


今、私たちは心だけは生き残ることのできる因縁をつかみ、死を覚悟して行かなければなりません。
私が倒れるとしても世界は倒れてはならないのであり、私が滅びるとしても世界は滅びてはならないという統一史観を持つことのできるあなたの息子・娘となるよう許諾してくださり、これが統一思想だということが分かるようにしてください。


国を滅ぼしても個人を生かそうというのはお父様の思想ではないことを、この者たちが分かるよう許諾してください。


この国まで売るとしても、世界を捜し立てようと言いながら、いで立つことのできる群れとならなくては、世界に向かい合えないということが分かるよう許諾してくださり、そうすることのできるひと日をこの者たちが迎えられるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.3.11)






19


理想世界というものは抽象的な観念圏内で成されるものではなく、刺激的で実証的な現実で成されるものです。
これが人間の最後の要求ですが、それが自分の家庭を中心として成されるということを、私たちは本当に知りませんでした。


今日統一家が背負っていくべき使命は、家庭を主とした世界です。
その家庭は世界のためにあるのであり、国のためにあるのであり、民族のためにあるのであり、氏族のためにあるのだという信念に燃え、その家族全体がその目的を遂行するために生きていくことのできる群れとならなければなりません。


私たちがこのように動くようになるとき、全世界は近い将来にあなたが愛することができ得る主管圏内に完全に抱かれるという事実を、私たちは確信しなければなりません。


祝福というこの聖なる名詞の前で、私たちは恥ずかしい自らを発見しなければなりません。
私たちの過去の生活は個人的な生活でした。
天宙史的な人格を中心とした生活ではなく、没落してしまった個人的な生活でした。


このような自らを打破してしまうことのできる各自とならなければなりませんので、お父様、祝福してください。


今、私たちは一個人のために行くのではなく、家庭の幸福の土台を開拓し、これを動機として民族の前に示しておくことのできる家庭とそのような愛の圏を成すために行かなければなりません。
そのような責任者たちとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
そして、統一氏族を捜し出し、民族を代表した家庭を成すのが万世のみ旨であることを知るものです。
今、私たちは襟を正し、姿勢を整えてお父様の前に出ていかなければなりません。


そのためには、男性と女性が一つとなり、父母に侍り子女を抱いた四位基台を成さなければならないということを知るものです。
これが創造理想の実現であることを知るものです。


四位基台完成という言葉は千回万回聞きましたが、実際にその決定的な内容を愛することができない自分たちであったことを嘆息するものです。
お受け入れください。
そうすることのできる愛の刺激を感じるよう許諾してください。


そのような使命を完結させて民族と世界を導いていき、お父様と連結させなければなりません。


絶対的な主体と絶対的な対象が一つとなるその力の要件を受け継ぎ、これを愛の主管圏として世界の前で行使するのに不足がないようにしてくださり、美しく円満な自らとして堂々と出ていくことのできる、一つの家庭圏が成され得るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.3.17)






20


お父様!
今、私たちの前には個人を動かしていくべき責任路程よりも家庭を動かしていくべき責任路程が残っていることを知るものです。


統一教会が願うみ旨は個人だけを救うためのものではなく、家庭を救うためのものであることを知っています。


それゆえ、お父様の聖なる祝福のみ手とお父様を永遠に賛揚することのできる家庭を慕い、お父様の懐に抱かれたい懇切な心でこの道を歩んでまいりました。


今までここに歩みを共にすることができずみ旨の前に過ちを残した人々も、理想の価値を持っていで立つことのできる天の息子・娘たちとならなければなりません。


私たちは「私は誰々だ」と自らを主張する立場に立つことよりも天の事情をつかみ、お父様のみ旨の前に熱意を傾けることのできる真実な心を持ち、民族の一つの基となり世界建設の基準となって、全体的な起点を準備することのできる内外両面の責任者とならなければなりません。


個人においては個人の立場で家庭を身代わりし、あるいは団体においてはその団体の家庭を代表し、国なら国の家庭を代表し、世界の摂理を代表することのできる家庭とならなければなりません。


そうして、お父様が頼ることのできる一つの平和の家庭を模索しながら、世界を抱き天と地を抱いていく私たちの家庭となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


その場に行けなかったことを考えれば考えるほど、今、開拓者の家庭として行くべき路程が残っているということを知るものです。


今、神様が個人であるノアに百二十年の間箱舟をつくれと言った時は過ぎました。
アベルを通して祭物を捧げることを侍ち望んだ時は過ぎました。
アブラハムをカルデヤのウルから呼び出したような、個人を通した時代は過ぎました。
モーセを個人的に呼び出した時は過ぎました。
イエス様を個人的に送り、公的な路程を立てた時は過ぎました。


今、個人ではなく、新しい統一家の家庭をお呼びになりましたので、家庭としていで立つことのできる時が来たことを知るものです。
必ず夫婦がお父様に対して孝の道理、忠の道理を尽くすことだけが家庭の果たすべき究極的な責任であることが分かるようにしてください。


自分の生活に絶対的な起源を残すことができ、永遠な一つの歴史性を天的に備えられる思想的な基を立てることのできる道は、家庭が孝行する道であり、忠誠を尽くす道にあるということが分かるようにしてください。
また、これが国家を身代わりし世界を身代わりすべき家庭的な願いであることが分かるよう許諾してください。


家庭が行くにおいて、世界の舞台を克服しようと身もだえしながら、夫婦が手に手を取ってみ旨を思い、日に日に天の愛を賛揚すると同時に、祝福を受けた家庭としてお父様の前に根こそぎ祭物として差し上げることができるよう懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1770.3.17)






21


お父様!
きょうもあなたの摂理のみ旨は進行しています。
あなたのみ旨を細胞に感じ、誰が何と言ってもあなたが願われる頂上に向かって真実に一歩一歩歩んでいくべき責任を負った自分自身とならなければなりません。


このような自分だということを忘却するときが多いことを、私たちは知るものです。
必ず人間が行くべき開拓の路程を経なくては行くことができない復帰の道があるということを私たちは知るものです。


今、残された個人の峠、家庭の峠、氏族の峠、民族の峠、国家の峠まで、ありとあらゆる力をもって越えていくべき統一教会の食口として、その使命を果たすにおいて、この者たちが荷物になることなく、プラスになり得る立場に立つようにしてください。


教会が「行こう」と言う前に先に立って出ていかなければならないのが正常な行路の足取りであることを知り、み旨の前に順応する子女たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今まで耐えて残されたあなたの子女たちを記憶してくださり、その心の中であすの希望のために再び誓うことができるようにしてくださり、人生行路において将来近づいてくる峠々をみ旨とともに力強く越えることのできるお父様の息子・娘たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、最後の勝利の場でもう一度互いにまみえ、お父様の喜びとなり、お父様が立てて誇ることのできる息子・娘となるよう福を降らせてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょうのすべてのことを、あなたがお引き受けくださり、今後のすべての生涯もまた、あなたがお引き受けくださって、あなたが主導なさる歴史的なその峠を越えていける子女とならせてくださいますことをお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.4.8)


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父の祈り(心情の祈り)4ー2

2023年01月05日 13時18分53秒 | 学習
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私達はみ旨を成すためにご苦労されたお父様のみ前に面目ないことをこの時間もう一度申し上げないわけにはいきません。
お父様が営まれる摂理は栄光の摂理となり、善の園で楽しむ息子・娘を眺め、歓喜しながら楽しむ生活をなさるべきでしたのに、考えもしなかった堕落によってお父様の摂理は喜びの摂理となることができず、悲しみと苦痛と嘆息の摂理となりました。


このような摂理を編んでこなければならなかったお父様!
そのような摂理の動機となり、原因となった私達、足りない者達はこの時間、お父様のみ前に歴史的な罪状を悔い改めないわけにはいかず、時代的な罪状を悔い改めないわけにはいきません。


また、永遠なる平和の世界を慕いながら摂理されるお父様がそれほどに願われる未来のその世界のために、私達がこうべを垂れて悔い改めた基準の上に、福を請わなければならない摂理のみ旨が残っていることを私達は知っています。


お父様と私達、私達と万物、お父様と万物との関係から見るときどれ一つお父様の愛の心情から抜け出て造られたものがないということを私達は知っています。
お父様と永遠なる父子の因縁をもって心情が通じ得るその関係が、堕落したその日から壊れてしまい天は天なりに、人間は人間なりに、万物は万物なりに行くべき目的地を失ってしまったまま今まで嘆息圏内にとどまっているということも
私達は知っています。


愛のお父様!
あなたは堕落の恨みと堕落の仮面を脱ぐことができずにかわいそうな運命の道であえぐ私達の事情をよくご存じできょうの福を許諾なさるために数千年の歴史を準備してこられました。


しかし、私達の姿を振り返ってみるときあなたのみ前で許諾を受けるべきことができると同時に祝福の基準を立てるべき責任が大きいことを知っています。


今、天と人間の間で分けられていたすべての心情的な因縁を再び探し出すべき時が来て、人間同士で結ばれて、天を歌うことのできる心情の因縁が壊れたものを再び結ばなければならない時が来たということを知っています。


それのみならず、永遠なる因縁圏内で和動の条件物であり勝利の条件物として、理念的な生活の材料として、万物を取って和動の万象を成さなければならなかったのに、その万物を失ってしまったことを嘆息しないわけにはいきません。


哀れみのお父様!
心情の因縁を探し求めてさまよう群れは多いのですが、お父様のご心情もそうだということを知る群れは少ないのです。
お父様のご心情を知ることができず、暗黒世界であえぎながら復帰の道を行っているこの人類を再び抱いてくださることを切にお願い申し上げます。


お父様!
きょうは聖なる日です。
恨めしい運命の道を避けずお父様が残された足跡に従って進もうとする覚悟と決心をもってこの場に集ったあなたの息子・娘をこの時間に祝福してください。


勝利のひと時を約束なさったお父様のみ旨を見つめ、私達がもったすべてのものを、お父様のみ前に祭物として捧げることを誓う者達ですので、そのみ旨の目標に向かって前進の一歩を踏み出して勝利の凱歌を歌い、お父様の栄光を高める時まで屈することを知らず、敗北することを知らない息子・娘達となるようにしてくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


この聖なる日、万民の上に祝福をしてくださり、天が探してこられたその因縁をきょう数多くの地の数多くの群衆、数多くの民族、数多くの群れに連結させてくださいますことを切にお願い申し上げます。


切られた因縁を再びつなぐため復帰の恨みをお解きになりたいのが三位神のご心情であることを知っていますので、そのご心情の土台の上に復帰を完結させてください。


そうして私達の一身から私達の家族、民族、国家、世界、天地の万象にまで心情的な因縁が結ばれることを私達は待ち焦がれつつ、不忠、不足なる姿を意に介さずお父様のみ前にこうべを垂れたのです。


それゆえ、お父様のみ前に涙の祈祷を捧げなくてはいられない私達ですので、受け入れてください。
お父様、すべてを勝利の基準で契ってくださいますことを切にお願いしながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.4.10)


26


お父様が怨讐の世界に対されたご心情を感じながら、私は悲しみの立場を体験してきました。
日の当たる所で生きてこられなかったお父様の悲しみを、日の当たらない所で働かれたお父様のご事情を、私は知りました。
今日まで、そのような生活の中で、ある時はお父様に反論し、お父様を恨む息子になりはしないかと焦燥しながらきました。
また、あなたも焦燥なさるお立場で、そのような私を探してこられたことを知っています。


お父様は、私が悲しい以上にもっと悲しく、私がつらい以上にもっとつらいお立場で、ご自身の責任を感じながら、行くべき道を準備しておられるということを知りました。
それゆえ、私は追われ、追い回される立場、手錠に両手を締められる牢屋暮らし、奴隷の身の上、僕の身の上を経たとしても、絶望したりお父様に落胆させないと決意いたしました。
そのように決意したその時から今日まで、死なずにお父様のみ前に残るようにしてくださった恩賜に感謝をお捧げいたします。


このような姿を立てられるために、お父様は、どれほどご苦労されたでしょうか?
私が行くべき道のために、私が行くべき家庭のために、どれほど犠牲になられたでしょうか?
私が率いるべき氏族のために、どれほどご苦労され、私が率い指導すべき民族と国のために、どれほどご苦労されたでしょうか?
この国、この民族が指導すべき世界のために、またどれほどご苦労しておられるでしょうか?


私達の動・静脈が二十四時間絶え間なく動いているのと同様に、お父様はそれ以上のことをしておられるという事実を知ったのちには、寝ていても目覚めても、罪人のように「許してください」とお父様に請わずにはいられませんでした。
ご飯を食べていても、さじをとめ、涙でお父様に過去の過ちに対して許しを求めずにおられませんでしたし、疲れた体を支えることができず、床に横になる時ごとに、あなたを心配する心をもつことのできなかった自らをしからずにはいられませんでした。
そのような過去の生活を哀れにお思いください。


今までの数多い怨讐達を除去させるために、お父様はどれほど多くのさげすみを受けられたでしょうか?
どれほど多くの憤懣やるかたないことにぶつかられたでしょうか?
追い回され、追い込まれた悲惨な群れ、死の道で嘆息と絶叫の中で身もだえした群れ達を、このように培ってくださるために、どれほどご苦労されたでしょうか?
民族に対して、国家に対して、世界に対して、こうべを上げて眺めることのできる時間圏内に私達を導かれるために、どれほどご苦労されたでしょうか?
このような私達の姿となるまで、あなたの内的悲しみが大きかったという事実を、千遍万遍死んだとしても、忘れてしまう私達となってはなりません。


天の側の内的悲しみを中心として見るとき、かわいそうな方はお父様です。
いくら統一教会の文なにがしがかわいそうだといっても、それは何でもありません。
あなたがどんなにおかわいそうかということを、私は知りました。
今日、統一教会に従っている子女達がいくらかわいそうだといっても、お父様の悲しみとは比べられないということを知っています。
このようなことを考えるとき、お父様の加重された恩賜を受けることは到底できないので、千遍万遍襟を正し、千遍万遍敬拝を捧げながら、哀れみを請う心でもって謝罪を求めるべき自分であることを知るのです。


このような姿となるときに、私達は滅びないということを知りました。
自分を中心として行く道は滅びる道であり、世界と国のために、自分の氏族と自由世界の万民のために、自分自身を犠牲にする道は、復活する道だということが分かるようにしてください。
自分が犠牲になった以上の復活圏を準備しておられるお父様であられることを知り、強く大胆な心をもち、怨讐に向かって直行することのできる、あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.3.29)




27


お父様!
今まで私達に飛んできたすべての悪の矢をへし折ってください。
私達は彼らを怨讐とは思いませんので、彼らを許してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様の行路は善であられますので、善の結果が現れなければならないことを思うとき、そのためには許しと寛容が本質的に現れなければならないということを私達は知っています。
あなたは善の本体であられるので、無限なる愛と寛容でこの国の数多くの宗教者達が統一の子女達を迫害した過去のことをお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


その間、統一の門をたたきましたが、迫害の道、涙の苦難の道を開拓する途上で、慰労を受けることのできる一人を迎えることができなかったがゆえに、孤独に苛まれて落ちていった者もいます。
また、この道を行っている多くの人々が疲れていることも知っています。


このように離れていき、疲れているのは、私達の過ちよりも備えることのできない環境によってそのような立場に立つようになったということを知っています。


そうして、きょうも道々で、あるいは置かれている場であなたに向かってこうべを垂れ、許しを祈っているであろう彼らの姿を思いますとき、恨みの積もったお父様のご心情を解いてさしあげたい耐え難い悔しい心情もございますが、怨讐の子供を訪ねてこられたお父様の哀れな復帰の道を思うならば涙をのんでこの者達を再び祝福するしかないということを知っていますので、この者達を許してくださいますことを切にお願いします。


善であった本然の子供として美しい本性、お父様の驚くべき本性の栄光を慕う私達の心に、ただ善だけが反映され、善自体でもって和合することのできる真実なる姿が私達の心と体に現れるよう許諾してください。


そのような心情で真なる姿勢を備え、すべてのものを信じ善だけを追求する完全なる実体となって、お父様と呼ぶことのできる息子となることを恋い焦がれるこの時間となることができるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.12.28)


28


お父様!
あなたが行かれるその道は、私達が想像することのできない苦難の道であり、辱めを受ける道であり、恨み多い復帰の道であることを知るものです。
私達が自分自身を中心とした考えは多くもちながらも、お父様を中心として考えることを躊躇した事実を発見する時ごとに、今私達は個人だけではなく、個人が集まった家庭と社会と国家と世界を救うべきお父様の凄惨なご事情を、同情してさしあげなければならないと誓うものです。


この世界を置いてあなたがお慕いになるものは、あなたが願われる国であり、あなたが願われる民族であり、あなたが願われる家庭であり、あなたが願われる数多くの人類であるということを考えるときに、その人類をすっかり抱き、一国の民のように愛したいあなたのお心があることを感じるものです。
私達は個人として存在していますが、個人を越えてお父様が探そうとされる家庭を慕わなければなりませんし、家庭を越えて氏族、氏族を越えて民族、民族を越えて国家、国家を越えて世界まで慕わなければなりません。
いつも慕わしさの基準を見つめ、その個人からその国まで追求なさるあなたの聖なるお姿とそのお心を、まねることのできる自分達となることをもう一度誓わなければなりません。


生命のない木石のようになって、そのような自分達の哀れさを嘆くことのできない人々となってはなりません。
私達の心に感情があり、感覚があるなら、お父様がこのように驚くべき内容をもって探してこられたことを直視し、体得することのできる息子・娘とならなければなりません。
困難にぶつかるときも、その中で「私」だけが一人いるのではなく、お父様が共に寂しがっておられることを悟り、悲しみにぶつかるときも、「私」一人だけ悲しむのでなく、お父様が共に悲しんでおられることを感じ、憤懣やるかたなく悔しい立場に一人落ちたとしましても、「私」だけがそのような立場に落ちたのではなく、お父様もそのような立場におられるということを感じなければなりません。
これが孝の道を行く者達が感じる心であり、孝子の位置を探しゆく息子がもつ心であることを、私達が知らなければなりません。


ゆえに、体得信仰を強調いたしました。
お父様が生きておられるということを、毎日毎日感情的な過程を通して体得する生活が必要だということを、私達がこの時間もう一度体得するよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によてお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.11.5)




29


愛するお父様!
統一教会がこの場まで残されたのは、あなたの愛があるゆえであることを知っています。


その愛の原則をどのように私達が生活環境に適用し、蕩減路程に適用するかという問題を中心としてもとがえし、そこに悲しみもあり、苦痛もあり、悔しさもあり、悲惨さもありましたが、愛が現れ愛が成されるようになるときはそのようなことが賛美となり、刺激的な追憶の対象になったがゆえに、それをむしろ感謝することのできる内容で消化させることのできる歴史を過ごしてきたがゆえに、今まで統一教会が残されたことを知っています。


ここに立っているこの息子も、誰も分からない、歴史的な内なる事情を知ったその日からこの道を信じ、この道を歩んでくるとき、実践するにおいてすべてのものを捧げて闘ってきたのはあなたの愛ゆえに、あなたの愛のためでした。


また、今日のこのような実質的な基盤を備え、敗者の悲しい立場に立って、この世と天地に対して失望し、嘆くのではなく、むしろその反対に世界と全天宙に対して希望の対象として、より愛したい気持ちをもち今日立つことができた事実もすべてあなたの愛であることを感じるものです。


すべてのものが存在するのは愛の目的ゆえであり、移動するのは、愛ゆえであるということを知るものです。
そうですので、愛をプラスさせるために行って、見て、感じて自ら動くという本性的姿勢を整えようとする私達自身とならなければなりません。


私達によって始められ、私達によって結果が出されるものは、国や私達のための天国にはなるかもしれませんが、神様と人類のための天国にはなり得ないということを思うときそのような立場は天国と分立されている、地獄に近い場となるしかないということを私達が分かるよう許諾してください。


それゆえに信仰の世界では傲慢を怨讐視しました。
固執を怨讐視しました。
自主的な立場を主張することを怨讐視しました。
神様は愛であり、神様の息子・娘達も愛だと教えた目的はただここにあったということをはっきりと知り、生活の中でこのすべての心情的原理のみ業を、伝統を活用しようとする息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1973.6.1)




30


恨み多い歴史時代に神様がどのような方であるかを知らない中でこの不肖なる息子があなたを発見し、あなたを知ったその日からは私の目から涙が止まることのない日々が続きました。


そうなったことに感謝しながら走ってきてみますと七十歳近い老身の時代が私の目前に近づきました。
そのように血気旺盛な青春の時節に、すべての情熱を燃やし尽くし天に侍り、天のみ前に栄光を帰すべきその時をすべて忘れ、民族の背信者として、人類の反逆者として追われてきたその日から、統一教会が言葉なく打たれて奪ってくる戦法を通して今まで耐えてくるようにしてくださったことに感謝を申し上げます。


これを知らなかった私も誰にも負けない性格をもった男性としてそれを振り回し、処断してしまうこともできた歴史時代を再び回想しながら悔しさと無念なるご事情の中で、耐えてこられた広く大きなあなたを知りました。
そのようなあなたの姿とその因縁に従ってきてみると、きょうこの場まで来るようになりました。


しかし、かわいそうな天を思うたびに胸が詰まり、気のふさがるご事情がどれほど多いかを知ったがゆえに、今日難しい峠、峠の道を越えるようになったことに感謝を申し上げます。


お父様!
あなたは愛であられました。
あなたが鉄の窓に追い出すのは、私のために歓喜に満ちた環境の水準を準備し、福を与えるための相続的な場を下さるためであることを思うとき過ぎてみればすべてのものが愛であり、あなたの広い厚徳のみ手でありました。
それを思うとき、感謝申し上げます。
すべてを真のご父母様のみ名によって祝願申し上げました。


アーメン。
(1987.4.17)


31


お父様!
歴史的な罪を犯し、それほどまでもあなたの胸にくぎを打ち、あなたの人格とあなたの体面にそれほどまでも許すことのできない傷を負わせた人類であるにもかかわらず、あなたは、その誰にもご事情を吐露することのできない寂しいご心情を一人抱いてこられ、天と地をあなたの喜びの土台をもって踏むべきであるにもかかわらず連続的な日々を恨みと悲しみの土台をもって踏んでこられたあなたのご事情を今、この地上に取るに足りない少数の群れ達ですが分かるようになりました。


過った歴史を正すためイスラエル民族を探し求め、ノアを経てヤコブに至る二千年期間の間、天が抱いてこられた悲しい恨みを誰も知りませんでした。


エサウとヤコブを中心として繰り広げてきた闘いの逆境の中で隠れた摂理の一点を眺められながら肉を裂くような痛みの心情を抑えて二十余年生涯をたどってこられなければならなかったお父様のご心情を誰も知りませんでした。


ヤコブが毅然とあなたの心情に従い、その心をあなたのみ前に捧げ、千辛万苦、二十一年ぶりに故郷を訪ねていく路程におきまして、一つの勝利の痕跡を残したことが歴史に復帰の運を運んでくることのできる一つの土台となり、その中で
イスラエル一民族を探し求められたお父様は希望のひと日を占有することができたということを思うのです。


そうしてイスラエル十二支派を中心として二千年の歴史を過ごしてこられながら再び、血のこもった代価をもって、サタン世界にいる人類を救うためにイスラエル選民を犠牲の立場に立てながら育ててこられたということを知っています。


しかし、このイスラエル民族を大切に育て、あなたのみ前に奉献すべきユダヤ教の使命が歴史時代においてどれほど大きな使命であるか、彼らは分からなかったにもかかわらず彼らを眺め、メシヤを送って復帰のひと時を期待されたお父様のお心を思ってみるとき、四千年の歴史がどれほど恨めしい歴史であったかを誰も知りませんでした。


お父様!
人間の事情が通じない環境に生まれるしかなかったイエス様・・・。
父親が誰なのかも分からない立場で、誰にも表現することのできない立場で、悲惨なる環境の中で身を保たなければならなかったイエス様の生涯があなただけが知る寂しい立場であり、寂しい道だったということを、今知りました。


イエス様の誕生を民族と共に栄光をもって迎えなければならず、彼の一生があなたの栄光を身代わりし、全歴史の中で悪なる世界のどのような王者ももてなかった栄光の日々でなければならないにもかかわらず、その栄光の願いを嘆息と絶望に変えさせた許されざるイスラエルの妄動に対してお父様は痛む心に耐えられるためにどれほど骨を折られたかということを私達は全く知りませんでした。


ゴルゴタの山頂に向かって十字架を負っていく路程において倒れるのが悲しいのではなく、あなたのみ旨に傷を負わせ、お父様の胸にくぎを打たなければならない、子女の道理を果たすことができずに逝くイエス様の荷が一層大きかったということを誰も知りませんでした。


このような歴史的な使命を残して逝ったイエス様の恨むべき行路は、血と共にこの地の人類の足に踏まれる歩みとなり、歴史時代におきまして四百年間迫害の中で凄涼に血を流す代価を支払ったキリスト教の歴史となったことを思うときに、メシヤを迎えられなかった民族のひと日の失敗がこの世界にこのように残され、蕩減しなければならないという事実を知るのでございます。


イスラエル民族はイエス様と共にこの地上で肥料とならなければならず、数多くの人々の嘲弄と非難を受けなければならず、あるいは人の知らない中で一人死んでいく人とならなければならなかったという事実を私達は知っています。


二千年の歴史を経ながら、あなたの願いのひと日、「再び来てあげよう」という約束の日を探してこられたお父様のそのご心情を誰も知りませんでした。


世界に散らばっている数多くのキリスト教国家を中心として成すべきあなたのひと日を選ぼうとされたあなたのご心情を、誰も知らなかったのです。


そのようなあなたがかわいそうな韓国、韓半島を訪ねてこられたことを思うとき、あなたはこの韓国を育てるために多くの苦労をなさり、韓民族はかわいそうな民族として歴史にない凄涼な歴史過程を経てくる中、あなたのご心情の因縁を残してきたという事実を誰も知りませんでした。


キリスト教の文化を受け入れた短い歴史過程におきまして、アジアで世界的な使命を果たすべきこの韓民族が悲しい道を歩み来て、近世に入っては重なる試練の路程におきまして、歴史時代の縦的なすべてのものを横的に蕩減すべきあなたの内なる事情を背負わされましたがゆえに、その内なる事情を知らない韓民族はかわいそうな歴史の運命を背負って死の道を、受難の道をあえぎながらたどってきたことを私達は知っています。


人の知らない中であなたは一筋の生命の因縁をたどり、今日この統一の因縁を立てるためにあまりにご苦労されたことをその因縁をあなたがあまりに待ち焦がれ、探してこられたということを思うものです。


お父様、私達は今、襟を正し、あなたのみ旨のために千万年願われたみ旨の前におきまして忠僕になろうと決意し、誓わなければならない気持ちを再び取り戻すようにしてくださいますことを切にお願いしながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1973.7.1)




32


愛するお父様!
あなたが創造の偉業をこの地上で成就できなかったという悔しい事実を、私達は知っています。
アダムとエバの失敗がそのようにあなたに悲しみと悔しい恨みをもたらしたことを知っています。


その悔しい恨みを解くことのできるひと日を迎えるために、あなたが前に立って苦労され、数多くの私達の善なる先祖達を導きながら、犠牲になってこられたということをもう一度考えるとき、今、真の父母の因縁を立てようとするそのみ旨を、この地上で長い歴史を経て、この韓国の地にこの統一教会を中心として立ててくださった恩賜の前に感謝を申し上げます。


ここにいる息子・娘、この二つの体がお父様のみ前に召されて、責任を果たし、この場に立ちました。
恨み多い復帰路程で、どれほど苦痛に遭われたかというお父様のご心情をたどってみるとき、人類の祖先となるアダムとエバが失敗したときのお父様のその悲痛なる事実をよく知り、その心情を受け継ぎ、天を裏切った道を振り返って、お父様のために忠誠を誓い得るその日を誓いました時から、天のみ旨に従ってきましたその時から三十年の歳月が過ぎました。


その間、誰にも表すことができず、誰にも望むことのできない内情的な心情の苦衷が、あなたのお心から、きょうこの息子の心にまであったことを、あなただけが知っておられます。
どのようにしても民族の限界を越えてあなたの恨みを解いてさしあげ、イエス様がこの地に来て十字架で亡くなられた非運のひと日を解怨する希望の日が、まさしく一九七五年五月一日、この日だというこの驚くべき事実を思うとき、感謝を申し上げます。


協会を創立してから二十一年になる、また世界的なキリスト教に対する蕩減路程においての第二次七年路程も締め切られるこのような時期を迎えました。
この息子を中心として見るときには、三十年歴史を終えるこのような期間となるのです。
このすべてがお父様の勝利的な復帰の路程を備えてきたという事実を思うとき、おそれ多いのです。


お父様!
堕落した人類の祖先を迎えたその日の悲しみと、イエス様を送ってあなたの願いを成就しようとしたのにその息子に従っている数多くのキリスト教信徒達が虐殺されたその悲しみ、そのほかに傍系的な宗教が犠牲の道をたどって、確実ではありませんが、天を仰ぎながらきたその過程で犠牲になったすべての者達を眺めるお父様の悲しみが大きかったということを知りました。


この宗教の背後においてのあなたのみ名とあなたの義を身代わりする中間位置に立ち、アダムとエバの完成の基準を協助しなければならないのに、そうできずにかわいそうな立場にいた天使世界のすべての群れ達も、あなたの心と共に、あなたのみ旨と共に同調してきたことを知っています。


今、お父様!
あなたが取り戻そうとされた真の父母の家庭であり、真の父母の体であることを自ら知るときに、この日をお父様のみ前にこの一息子とこの一娘が奉献いたしますので、またこの息子・娘を中心とした子女達がこの場とイーストガーデンにいますので、お父様、お受け入れください。


家庭を中心として、失ってしまった恨みの土台を解怨し、家庭を中心としてあなたのみ前にこの時間、この国家、民族を基盤として、お父様のみ前に奉献することのできるひと日をもたせてくださったことに感謝を申し上げます。


家庭の堕落によって天使世界の曲折が大きくなったというこの事実を、お父様、あなたもご存じですので、あなたのお心が解怨されることによって真の父母の心が解怨され、天使達も解怨されることのできるこの日となるよう許諾してください。


神様と真の父母と天使世界が解怨されることにより、真の父母の背後に連結されているイエス様を中心としたキリスト教と、儒教と孔子、そして仏教徒達と釈迦、イスラム教徒達とマホメット、その他全世界に散らばっている民族と民族の背後を中心として内的に収拾してきた宗教と宗教を連結させてくださって、この式がお父様の解怨となり、真の父母の解怨となり、天使世界の解怨となり、地上にいるすべての宗教者達が解怨されるこのような一つの因縁を許諾する式となり、この日となったことに感謝を申し上げます。


宗教の解怨の権を占有することによって、今、お父様の国の主権的権限を立てて、お父様を賛美することのできる群れが生まれました。
その他の良心的な人士と哲人、そして各国の善君と文官と武官、その国が善なる天の国に向かって前進する過程で、立場と環境は違いましたが、その民族と国々の前に忠臣となり、善君となり、あるいは民族を中心として聖賢・賢哲達となり、良心的な人士達となって、善なる所に行くために助けとなった数多くの霊達をこの喜びの日に、お父様が、連結させてください。
今まで彼らが行くべき所が分からずに、切なく解怨のひと日を待ち焦がれた日が、まさにこの日となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


天が探そうとなさる父母を探し出し、天使世界の解放をもたらし、宗教世界の解放をもたらし、良心世界の善君、善王、忠臣達の解放をもたらしましたが、それ以外に今まで天に反対しようとし、宗教に反対し、良心に反対したかわいそうなカイン世界が残っていることを知っています。
歴史をたどってみますと、メシヤを中心としてイスカリオテのユダとネロ皇帝をはじめとして共産主義が、今、天に反して進んでいます。


きょうこの時間、天宙で勝利した一つの因縁を備えて総解怨するこの時間、この者達を天の審判台で整理してしまうことができないという事実を知りますときに、この者達に真の父母の名をもって、あなたがお立てになった尊厳なる宇宙の勝利的権限をもって、この者達までもあなたのみ名でもって因縁を結ばせてください。


また、真の父母の前に寄与し、数多くの宗教と数多くの良心的人士の前に寄与することのできる一つの道を模索してあげなければならないことを知りますので、お父様、永遠に許諾してください。


今まで、あなたのご心情の前にくぎを打ってあなたの息子イエスを殺した、数多くのあなたの愛する人々を殺したその恨みの怨讐でしたが、怨讐を愛する立場となるよう許諾してください。
天地の門をお開けになって、あなたの厚徳なる愛のお心をお開きください。
この者達を解放することによって地獄の門が開かれるのであり、地獄撤廃の道が徐々に築かれることを知っています。


このような恵沢圏内に立っているカイン圏内の人間達が、善なる霊達が、あるいは神様の息子・娘が、忠誠を誓いつつ、血を流しながら死の道に従ってきたのと同じように、立ち返って悪なる世界に対して反旗を掲げ、天のみ前に忠誠を誓い、悪なる世界のすべての霊達を収拾し、悪なる人間達を収拾して、あなたが願うその世界に、神様の願う世界に行くことを誓うこの時間となるよう許諾してください。


これによってお父様の特権的恵沢を賦与しようとなさいますので、喜びの心をもち、全世界に散らばっている悪霊達の統率下にいる悪の主権全体が、この時間、神様の主管圏の前に、真なる真の父母の前に、善なる天使世界の前に、善なる宗教者達の前に、善なる善君と良心的人士達の前にこうべを垂れ、この者達がすべき仕事を代身して決意し、天の善なる版図を開拓することにおきまして、お父様のみ前に、あるいは天のみ前に責任を果たそうと誓うこの時間となるようお願い申し上げます。


愛のお父様!
イエス様が十字架の途上でも自分の生命を捧げていきながら祈られたその祈祷を、きょうこの時間に成就させてくださいますことを切にお願い申し上げます。
ここに立っている真の父母にもやはり三十余年間、この民族と世界のキリスト教と数多くのサタン世界の群れ達の前で、挙国的に反対されたこのような歴史が残っています。


そうですが、私が彼らを怨讐とみなすのではありません。
あなたの天倫の道理を完全に開くための陰であっても、その陰は実体を離れてはあり得ないという事実を思うときに、実体について回る陰となり得るこのような立場で、厚徳なる愛をもって、真の父母として今まで闘ってまいりましたので、今までの悔しさをすべてお解きください。


お父様、この時間に成して、あなたのお心に積もったものを解いてくださいますことを切にお願い申し上げます。


イエス様も死の道に消えていきながら、内的に自分だけが知った恨みの心を抱いたことを知っています。どうぞ、その心もすべて解き、怨讐のために祈祷したそのことが、この地上に成されなくてはあなたも解放され得ないということを知っていますので、イエス様の解放がこの時間に起こり、キリスト教の解放がこの時間に起こるようにしてください。
お父様を中心として存在するすべての存在にも解放が起こるようにしてください。


万物はもちろん、人間、天使世界、サタン世界のルーシェル以下の数多くの悪霊達までもお父様のものとして、この時間に真の父母の名をもって奉献いたしますので、お受けくださいますことを切にお願い申し上げます。


あの霊界でお父様に侍っている数千万聖徒、二十四長老を中心としてお父様の宝座に属している数多くのすべての宗教者達、この時間、ここで真の父母の訴えに順応して、みないっしょにお父様のみ前に切に訴えますので、今まで悲しかった事実をすべてお受けくださいますことを切にお願い申し上げます。


このことが起こることによりまして、混乱の渦中のこの世界に新しい転換点を備え、天の勝利の旗じるしを高めることができるということを私達は知っています。
お父様も知っておられます。


一九七五年五月一日八時五十分、この時間を期してお父様のご命令で全天宙世界に発表してください。
宣布してください。


「神様のみ名をもって天使世界の解怨を喜べり。
真の父母の解怨を喜べり。
真の父母を中心として今まで犠牲になってきた宗教を解怨することを喜べり。
それのみならず、地上の善君・善王、良心的人士、哲人達のすべての所願成就をしてくださったことを喜べり。
サタン世界の哀れな恨みまでも忘れてしまい、この者達を解放することを喜べり」という宣布を、お父様のみ名をもってしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


今、この子女、この息子と娘はお父様の宣布を受け、この実体世界に神様のみ名と共に、ご父母様の名と共にこのような総解怨の日をお父様のみ名によって宣布いたしますので、万有の存在はこの宣布の言葉と共に天の法度に順応することができ、天の起源の前に順応すべきなのでございます。


すべての国がそうであり、すべての民がそうでございますので、すべての霊界がそうであり、善の霊もそうであり、善の民もそうであり、悪だった民もそうであり得る恵沢圏内に、自分の基準による一つの功績に順応し、その実績を通して
お父様の懐に帰ることのできる道を、この時間、開こうと思いますので、もろてを挙げて許諾してください。


それによりまして、今からそのような条件を成就させる式典をもちますので、お父様、喜びのお心をもたれ、愛をもってお恵みくださり、今あなたの権能をお広げになって、善を掲げて悪を押さえ、その悪も善の前に屈服することによって、本然のエデンにおきましてのカイン・アベルを中心として蕩減復帰したものを、今、この民族あるいは世界をかけて成就するよう許諾してください。
それによりまして、今、天が行くその行路の前に共産世界がこうべを垂れ、勝利の価値の前に順応することのできるひと日をもたれることを切にお願い申し上げます。


今、神様のみ名と、天使世界と真の父母の名と、善なるすべての霊人達を動員して、このことを宣布いたしますので、これを神様を中心として擁護し立てるのに、数多くの霊界が動員され、良心的な人々が総動員されるべし!


きょうこの時間を全霊界が注視し、全天使世界が注視し、神様が注視し、真の父母が注視し、地上にいる数多くのキリスト教とその他のすべての宗教が注視し、数多くの善なる国と善なる忠臣達が注視し、数多くの息子達が注視し、共産世界まで注視するこの場におきまして、お父様の懐に残らず抱かれ得るこの日として奉献されることを願いますので、お受けください。


順次的な式典を、あなたの霊魂とあなたの勝利の基盤としてお受け入れくださいますことを切に切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお捧げし、宣布申し上げます。


アーメン。
(1975.5.1)


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父の祈り(心情の祈り)4-1

2023年01月02日 16時31分46秒 | 学習
1

お父様!
私達は、人類を創造されたお父様の本然のご心情を知ることができないでいて、私達の悲しみを追い払うことのできるお父様の愛を感じることができないでいるということを知っています。
今、私達のすべてを犠牲にしても、お父様の愛を探し出さなければならず、お父様と私達との本然の因縁を回復しなければなりません。
お父様!
私達が今、心の門を開きに開いて、あなたのご心情が何であり、あなたの愛が何であるかを、自ら探し出すことができるよう許諾してくださり、また耳を開いて、お父様の声を聞くことができるようにしてくださり、天が許諾される恩賜を受けることのできる息子・娘を探しておられる、お父様の姿を望むことのできる目を開くようお許しください。
そうして、見ることができ、聞くことができ、私達のためにご苦労されたお父様のみ手が分かるよう許諾してくださり、忍耐のご心情を体得することができるようお許しください。
苦労され、耐えてこられたお父様のご心情を、私達も少しは知っていますので、私達の心と体を完全にお父様のものとして主管してください。
何も分からず死亡圏内に囚われている息子・娘達がいるなら、お父様、親しく恩恵のみ手をもう一度伸ばして、全体の創造のみ業を呼び起こしてくださり、本然の訴えの心情に対することができ、お父様のお心の前に、
和動することのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
心を尽くして摂理なさった、お父様のみ旨があることを知り、天の定めた路程をたどってこられた、歴史路程があることを知りました。
これはただ天と通じることができ、天に対することができる価値観を探してきた人々を通じて成されたということを知っています。
歴史的なすべての罪悪と、時代的なすべての罪悪と、未来的なすべての罪悪の源を、根絶させるべき使命が私達にあるとするなら、罪悪に引かれて呵責を受けないで、お父様のみ愛の中で感謝を捧げたい心の衝動が起こり得る、お父様の直接的な愛のみ業が現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
天倫の真理に通じなければならない時となり、天倫の人格に通じなければならない時となり、お父様の愛に通じなければならない時となったということを知りました。
お父様!
すべての人類に、お父様の愛を紹介することのできるみ言が現れるよう許諾してくださり、お父様の愛を証すことのできる人格者が、今日この終わりの日の、多くの民の前に現れるよう許諾してくださることを切にお願い申し上げます。
その真理に従うことのできる、私達の心の準備と基盤を整えるよう許諾してくださり、お父様のみ旨の前で、すべてのことがあからさまにされ得るその日が、歴史の前に早く早く現れるよう働いてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.2.16)




2


創造の理念は、特定な個人だけを探し出すことではなく、すべての人類を探し出すことだという事実を知るものです。
この地上の人類を探しこられるのに、ご苦労されたお父様!
万宇宙を善の理念の中で探し立てるべき、摂理的なみ旨が残っていることを考えるとき、私達、千万遍死んだとしても、そのみ旨を成す肥やしとなって、少しでもお父様をお助けできるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様の悲しみは、この地上にお造りになった万物のゆえに生じたのではなく、お父様の創造理念を身代わりして、成すことのできる人間自体がいないがゆえに生じたという事実を、私達が分かるようお許しください。
今、私達にある心、ある精誠をすべて傾け、み旨のために闘うことができるよう許諾してくださり、この被造万物をお造りになった創造主が、まさしくあなたであられ、私達のために限りなくご苦労された方も、あなたであることが分かるよう許諾してください。


お父様のご心情が分からない者は、お父様の生命が分からない者であり、お父様のご心情を体得できない者は、お父様のご事情が分からない者であることを、分かるよう許諾してくださり、この時間にもお父様は、お父様のお心と共にあることのできない私達をご覧になり、悲しんでおられるということを悟るよう、許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


そうして、私達の心が完全にお父様のみ旨と一つになるよう許諾してくださって、お父様の親しい友のように生きるよう導いてくださり、お父様が運行なさり得る私達となり、生活することができるようお導きください。
イエス様は、まさしくそのような神様のみ旨を抱き、ユダヤの民のために現れた方であられたことを、私達は知るようになりました。
お造りなった人間もそのまま残っていて、お造りなった万物もそのまま残っているのに、お父様が臨在なさることのできる実体の人間達が見いだされずにいることが、お父様のもどかしさであることを、私達が悟るようにしてください。
愛するお父様!
今、私達に臨在なさって、そのような私達となれるよう、私達の心と体を聖別してください。
そうして、父と共に楽しむことができ、お父様と共に創造の理念を成していく、新時代の先駆者となるよう、導いてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.3.16)




3


お父様!
お父様に侍り、謙遜に敬拝を捧げたい心がない者は、永遠なるあの世において、お父様と因縁を結ぶことができないということを知るものです。


今私達が、心の門を開き、お父様を探し求めるようになるとき、その心の中心にお父様のご心情を感じて、「私」の心の主体的な命令に「私」の体が従うことのできる、慕わしいその日を探していますので、きょう私達の心からわき上がるあなたのみ声を聞き、失ってしまった自分の体を見いだすことができ、お父様が私達一人を探し出すために、私達の背後で艱難と苦労の歴史過程を経てこられたことを感じ、自らこうべを垂れることのできる私達となるよう許諾してください。


また、お父様に対するおそれ多い心を、自ら心と体で感じることのできる私達となるよう許諾してください。


私達をお尋ねになるお父様は、いつも栄光のお父様としてだけお尋ねになると思っていましたが、お父様は悲しみの主人公として、そして苦痛の主人公として尋ねられ、悲運の表情で尋ねてこられました。
このようなお父様であられることを知らなかったがゆえに、私達の悲しみをお父様にゆだねることを願い、私達の困難をお父様にゆだねることを願い、私達の悲運をお父様に押しつけることを願ったことを受け入れてください。


このような歴史路程を歩みつつ、悲しみを抑え、嘆息し、尋ねてくださったお父様を「お父様」と呼ぶことのできない堕落の氏族であることを私達が悟り、千万年のお父様のご苦労を和らげようとするからには、お父様の悲しみの路程を知らない息子・娘がいないよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.9.14)


4


お父様!
恨めしい歴史が今日、私達自体を取り巻いて動いています。
この恨めしい生活環境に置かれている私達に、恨めしい歴史を収拾し、恨みの積もった天のご心情を解いてさしあげるべきとてつもない使命があるということを知っています。


このような使命を背負った私達は、天と地の心情を抱き悲しみを体得し、苦痛を感じて千万回死ぬとしても、お父様を慰めてさしあげられる立場で死のうとする息子・娘とならなければなりません。


イエス様がこの地上に来られた当時、多くの教団と信者達はメシヤを待ち焦がれていましたが、彼らはメシヤが自分達の望む以上の姿で来られると思っていました。
ところが、来られたメシヤは喜びのメシヤではなく、人類の悲しみを総合した悲しみのメシヤであられ、人類歴史の苦痛を合わせた苦痛のメシヤであられました。


その当時には全国の代表者として来られるメシヤがそのようなお姿で現れるだろうと思った人は、一人もいなかったということを私達は知っています。


歴史は見せられたとおりに成されるということを知っています。
歴史に現れた事実を、終わりの日にそのまま再現させて蕩減復帰するという原則を学んでいますし、エデンの園で悲しんだ感情、歴史路程で悲しんだ感情、縦的に流れてきた歴史の悲しい感情を私達自体を中心として横的に展開させ、横的に収拾させて横的な真の喜びをお父様のみ前に帰し奉るべき責任が終わりの日の聖徒達にあるということを私達は知っています。


お父様!
今、私達が世界のために忠誠を尽くすようお願い申し上げます。
全人類のために天の福地を建設するようお願い申し上げます。
そうしようとするなら、天に染み通った悲しみと苦痛を相続する主人公とならなければならないということが分かるようにしてください。


苦痛と悲しみをすべて消化する立場に立ってこそ、天的な喜びの相続者として登場できるということを知り、悲しみがあっても苦痛があっても耐えて「全体の生命のために私が死にます」と言って立つ、歴史的な祭物となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.5.24)


5


失われた真の子女を捜すため、復帰の物悲しい路程を踏み分けてこられるお父様のご心情と、お父様のご事情と、お父様の形状を、心と体でたどり、体得することのできる息子・娘達となるよう許諾してください。


ご心情に染みわたった愛の心をもって、アダムとエバを愛することができず、六千年の長い長い歳月を愛に飢えてこられた、お父様のご心情を体得することのできるお父様の息子・娘となるようにしてくださり、物悲しいお父様のご心情を抱きしめ、慰労してさしあげることのできる、懇切なる子女達となるよう許諾してください。


今、この心と体をお父様のものとしてお捧げすることができるよう許諾してください。
私達の心と体を私達のものと考えず、永遠であられるお父様のものとして誇ることのできる、勝利の祭物となるよう導いてくださいますことを切にお願い申し上げます。
そうして、六千年間、真の愛の心情で抱き締め愛することのできなかったご心情を、解怨してさしあげられるあなたの血族達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


地上に数多くの人が生きていますが、お父様が「私の息子・娘だ」と言って愛し、サタンの前に「私の息子・娘だ」と弁明し、抱き締めて愛し得る息子・娘がいないことを知っています。
二千年前、イエス様がこの地の万民を救うため、闘いの路程を歩まれた時にも、お父様が親しく抱きしめ、愛することがおできにならなかったということを、私達は知っています。


父が愛する子女は、誰であっても奪っていくことができないという事実を知っています。
お父様のご心情に徹したイエス様でございましたが、あなたのみ愛を受けることができなかったということを私達は知っています。
愛することができなかったお父様のご事情も、私達は知っていますので、栄光のひと日をお立てになり、天の息子・娘をお立てになって、染みわたった心情を解かれ、抱き締め、愛し、すべてのご心情を吐露してください。
そのような天の息子・娘がこの地に現れることがお父様の願いであることを、私達が分かるよう許諾してください。


きょう私達は、持つものもなく、すべてのものを失ってしまったとしても、お父様の愛の懐に抱かれ、永遠なる愛を受けることのできる息子・娘となることを願うものです。


愛するお父様!
私達を祝福してください。権能のみ手を広げてくださって、私達を聖別してください。
悪の要素を除いて、完全にお父様のものとなることのできる私達の心と体となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.12.14)


6


お父様!
誰も知ることができなかった摂理のみ旨だということを、私達がもう一度心の奥深く回想してみるとき、私達の先祖が堕落したのち、六千年という長い歴史を経てきましたが、人類がお父様のその心中に通じることができなかった事実を、私達はあまりにもよく知っています。
またお父様のご事情が困難で、痛々しいということも知りましたし、お父様の願いが今日、地と全人類と天の前にとどまっているということも、私達は知りました。


今日、私達がお父様の所望圏内に立って、お父様のご心情の園に立って、「お父様! 私がいますので慰労をお受けください」と言うことのできる、尊厳なるお父様のみ前に、称賛を受けることのできる息子・娘の節義と気概をもったのかを考えてみるとき、私達はあまりにも遠い距離に置かれていることを自認せざるを得ません。


お父様のそのご心情を身代わりすることのできる、願いの実体として来られたイエス・キリストが地上にまた現れるときに、天倫の心情を探してさまよう者は、そのイエス様の心情に通じなければならないでしょう。
そして、天倫の事情に通じてさまよう、選ばれたイスラエルにおいては、彼らの事情がイエス様の事情と一つになるべきことも、私達は知っています。
イエス様を送られたお父様の願いが、万民のためであったということを、イスラエル民族は知らなければなりませんでしたが、願いの実体であるイエス様を見間違えることによって、この悲しみが今日、私達にまで延長されてくるようになった、この歴史的な悲しみを、また感じるものです。


四千年間、探してお立てになったユダヤ教団はどこに行き、イスラエル民族はどこに行ったでしょうか?
お建てになったエルサレム聖殿も、イエス様のために準備されたものでしたが、イエス様とは関係を結ぶことができず、準備したユダヤ教団もイエス様と関係を結ぶことができませんでした。
準備された民族もイエス様と何ら関係のない立場で、かえってイエス様を責め立てる立場に立ちました。
しかし、そのような寂しい立場に一人立ち、責め立てるその人々のために祈祷しなければならなかった、イエス様の事情を知る者となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、お父様に対して叫びたいことが何であり、お父様に向かって見いだしたいものが何であり、求めたいものが何でしょうか?
今日、私達の先祖達がもつことのできなかったお父様のご心情を、イエス様が身代わりしたように、私達にもそのご心情を所有させてください。
イエス様の事情と願いを所有して、終わりの日にお父様のご心情と同じ心情をもった存在とならなければならないということと、今までのあなたに対する歴史的なすべての負債を、蕩減すべき責任があることを、私達は知っています。


今、私達の行く歩みに十字架の道が残されていることを知っていますし、涙ににじんだ視線をもち、罪悪の世の中と闘わなければならない時が来ましたし、お父様のご心情に通じるべき時が来たために、私達をお呼びになられたことを知るものです。
それゆえ、お父様のお心を私達の心として、お父様のご事情を私達の事情として、お父様の願いを私達の願いとして、お父様の怨讐を私達の怨讐として、お父様の闘いを私達の闘いとして、お父様の願いを成就してさしあげられる、勝利の祭物として捧げられ得る息子・娘達となるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.1)


7


お父様!
お父様が本然の園を失って悲しまれたそのご心情を、この時間に私達が悟るよう許諾してください。
お父様は私達が知ることのできない中で涙を流され、限りない悲しみと、限りない苦痛の中におられたということを、私達が心と体に感じるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


アダムとエバの堕落によるお父様の悲しみも大きいのですが、復帰摂理のみ旨に責任を負い、地上に来られたイエス・キリストがご自身のすべての使命を完遂することができず、十字架で亡くなられたことも、お父様の到底言うに言えない大きな悲しみであり、寂しさであり、苦痛であったことを、この時間、私達が悟って、そのすべてのもの悲しいご心情を心と体で体得するよう許諾してください。


私達の先祖がお父様を裏切ったために、恨み悔しがるしかない、悲しい歴史路程を経てきたことを考えながら、今日の私達自身が、お父様のみ前に悲しみをさらに加える、哀れな立場に立つことのないよう許諾してください。
アダムとエバの悲しみに対することのできる、イエス・キリストの悲しみに対することのできる者達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、私達の心と体が、単純な私達の心と体としてのみとどまらないようにしてくださり、私達の心がお父様の心を身代わりし、私達の体がお父様の形状を身代わりすることができるよう許諾してください。
私達が悲しいご心情をもっておられるお父様を証すことができるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.8)


8

お父様!
この地上に悲しいことが起こるたびに、天も悲しまれ、私達の先祖も悲しみ、万物も悲しみ、今日、私達も悲しいのです。
この悲しみが除去される解放のひと日を願いながらも、行く道が分からず、その何かを探しながらも悟れないまま、彷徨し、あえぎつつ、六千年という長い長い歳月を経てきたという事実を知るようになった私達は、今、お父様がお見えになったなら、捕まえて大声を張り上げ、果てしなく泣きたい心情です。


今、このすべてのことを知り、本然のご父母様を探し出した私達が、悲しい涙に代わってうれしい涙を流し、悲しみを除去し、喜びだけが残り得るひと日が早く早く来ることを、心と体で願っています。


今、私達は行く所がどこであるかを知り、私達がどこに所属しているかも知り、本然の子女の価値も知りました。


お父様!
今、復帰の稜線に向かって走っている私達が、傷ついた足を引きずって、アダムとエバが望んだその頂上に向かっています。
私達が今、最後の力を加えてこの線を越えることができるよう、お父様の衝撃を私達の心と体に表してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様がお話しされたいことがあるとするなら、それは、お父様がうれしいことではなく、限りなく悲しかったという事実、お父様が限りなく困難であったという事実、お父様が限りなく苦しかったという事実であることを知るものです。
これを私達が心で悟り、体得して、お父様の本然のご心情を身代わりするようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.15)


9

お父様!
私達は孤児のようにうろうろ、目的も方向も知らず、どのような環境に置かれているのかさえも分からないまま、歴史の流れに従い倒れながら、生命の中心をつかむことができないまま、押されに押されながら、今日まで来た哀れな者達であることを知っています。


反面、このような私達をおつかまえになり、私達が悲しむ時、共に悲しまれたお父様がおられるという事実も知りませんでしたし、死亡圏内に囚われて呻吟する私達を探し出すため、昼夜を忘れてご苦労してこられた主人公がおられるという事実も知りませんでした。
このような事実を知ることができ、感じることのできる喜びの心情が、天と地に通じることよりも貴いということを、私達が分かるよう許諾してください。
天は、私達がまどろんでいる時間にもまどろまれず、眠っている時間にもお眠りにならず、この一つの群れを悟らせ、この一個体一個体を導かれながら苦労されたお父様のみ前に、不肖なる私達が再び出てまいりましたので、受け入れてください。


私達の事情を知られるお父様であられ、その事情の主人公であられ、受け入れ得ないすべての困難な事情までも、受け入れてくださるお父様であられたことを、私達は知ることができませんでした。
今、心中に染みわたったすべての苦難と悲しみと心配を、お父様のみ前にすべて取り出し、お父様のものとして、取り換えてもつことのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達のために心を砕かれた天のお父様がおられ、私達の生涯を心配なさる、より大きな天がおられるという事実を私達が知り、心と体でお父様に対し、おそれ多く考えることができるよう許諾してください。
私達が傷つく前に、お父様が先に傷つく立場に立たれたという事実、私達の体が疲れて倒れるときに、私達をつかみ抱いてくださり、慰めてくださって、行く道を再び勧告してくださったお父様のご心情を、私達が分かるよう許諾してください。


今日まで生きてきたとは名ばかりの自分達を、自覚させてください。
今からお父様を知り、お父様のご事情を知ることのできる息子・娘として、お父様と心情一体となることができるよう許諾してくださり、離れようとしても離れることができない、別れようとしても別れることができない、お父様と私達を引き離すどのような存在もない確固たる位置で、天の悲しみを私達の悲しみとして、天の喜びを私達の喜びとして、天の仕事を私達の仕事として、天の責任を私達の責任として感じるようにしてください。


今日、私達が永遠に変わることのない位置に立って、億万のサタンと闘わなければならない責任者の立場に立ったことを知り、全体を生かすためには祭物の立場に立たなければならないという、この峻厳な事実を体得することのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達の心から正しくない一切の要素を除去してくださり、お父様の心性に、お父様の性相に和してお父様と一体となり得る、確固たる覚悟と決心をすることができるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


自我の観念でお父様の性稟を推し量ろうとする息子・娘がいないようにしてくださり、完全に順応し和合してお父様の願われるみ意のまま、お造りになるひな型どおり造られ、現れることのできるお父様の息子・娘達となるよう許諾してください。
お父様が受け入れることのできない要素があるとするなら、一切を除去してくださり、親しくお座りになって命令してくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.8)


10


人類に対してこられたイエス様と神様には、悲しみが晴れる間がなかったということを知っています。
二千年前のイエス様を回顧してみるとき、彼は人知れない涙も流され、人知れない飢えの生活もなさり、人知れない迫害の路程で悲しくお泣きになったことも知っています。


イエス様がこのような路程を歩まれ、そのあとに従った数多くの聖徒達も、血の道を意に介さず歩み、死の道も意に介さず闘っていったという事実を、私達は知っています。


天の城に行く道は十字架の道です。
それゆえ、自分の十字架を背負い、ゴルゴタの山頂まで行かなければならず、十字架の血を流した立場まで進み、迫害を受けなければならないということが分かるようにしてください。
自分自身を忘れてしまい、自分の悲しみを忘れてしまい、自分の苦痛を忘れてしまい、きょうもあすも、このゴルゴタの道を行くのに全力を尽くす群れを、天が探しておられるということが分かるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
今日この時代に悲しい心情を吐露なさったイエス様の悲しみが分かるよう許諾してください。
イエス様を歴史的なイエス様としてだけ知ることは必要ではなく、私達の環境の中で現在的なイエス様を知らなければならない時となりましたので、その高く尊厳なるご心情の前に、その愛のみ前に、私達の心と体を祭物として捧げようという、ただその一つの心情に徹して、死んでも生きても天のみに向かって泣き叫ぶ群れとなるようにしてください。
ここに集まったあなたの息子・娘達が、そのような立場を死守することのできる群れとなるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。


天の心は、一人の方の心として現れ、四千年の歴史を統合するための心情の基準を立てましたが、人間達がそれを蹂躙し、背反することによって、今日、人類は凄惨なる状態に置かれています。
彼らの悲しみがお父様の悲しみであることが分からない、この地上の数多くの人類を、お父様、顧みてください。


彼らのために涙を流し、祭壇を築くことのできる寂しい群れとなるよう許諾してください。
ヤコブも荒野路程で悲しみの祭壇を築き、モーセもそのようにし、エリヤもそのようにしたことを知っています。
天のみ旨に責任をもった私達の先祖が、誰一人としてそのような路程を歩まなかった者がいなかった事実を知っています。
彼らの伝統を受け継ぐ私達となろうとしますので、残された祭壇を積み、崩れた城を再び築き、お父様の至聖所を整えてお父様に侍り得る息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.15)




11


お父様!
私達は悲しみと嘆息の死亡圏内に押し流され、天と因縁を結ぶことのできない不孝の子供達でしたので、お下しになられた恩賜の前に、おそれ多い心をもち、自分の本性を収拾することのできる一つの姿となるよう許諾してくださって、お父様に侍ることができますことを切にお願い申し上げます。


お父様が来いとおっしゃる、その道があることを知ったその時から、涙の道にもお父様が共におられることを知りましたし、十字架の道、苦難の道、悲しみの道、鎖につながれるその道までも、共におられることを知りました。
そして、愛する息子・娘の背後でご苦労なさり、歴史路程を踏んでこられるお父様のそのいばらの道をも知っています。


私達のために、私達が知ることのできないご苦労の歴史を重ねたことを知って、このようにご苦労されたお父様のお姿を心で慕い、敬拝を捧げる私達ですが、身の置き所を知らないものです。
お父様の悲痛なるご心情で、私達自体を捕らえてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


天のみ旨があり、天の望みがあることによって召命を受けた私達でしたので、今日私達に追ってくる十字架の道も、私達によるものではないことが分かるよう許諾してください。


千秋万代の後孫までも、先祖達が苦労した歴史的なその因縁の道が分かるよう許諾してください。
この時間、私達が無限の喜びと無限の幸福と無限の望みを抱くことのできる心をもったとするなら、それは私達自身によって始まったものでもなく、ある人間によるものでもなく、すべてのものが天から始まり、天から動じたという事実を私達の心と体に深く納め、天が動じたその土台を慕い、これをつかみ涙ぐむことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達が行くべき方向をあなたは知っておられ、私達が取って進むべき道もあなたは知っておられます。私達の心の始まりも自分から始まったのではなく、私達が勧告の立場に立つことも自分のためではなく、人のためであり、お父様のためですので、最後までその心情が変わらないよう主管してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
残された苦難のこの一期間を通して、お父様に不孝をして離れる者達とならないよう許諾してくださり、摂理してこられたお父様の悲しみを感じても、この難しい時期を乗り越えることのできないような息子・娘達とならないよう許諾してください。
最後までお父様のご心情をもつため、自己を捨て、お父様を心配し、お父様のご心情を慰労することのできる、お父様のご事情を理解することのできる息子・娘達となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


この時間、私達の心に、お父様のもの以外に要求するものは一切ございません。
今私達は、きょうの苦難を踏み越えて、約束の園を望まなければなりませんし、永遠なる祝福の天の国を慕わなければなりません。
現れるべき神様の祝福は、言葉で表すことができないほど大きな栄光の立場だということを私達は知っていますので、きょうの私達が、お父様に対する心情を変えず、最後まで耐えて残される群れとなるよう許諾してください。
最後まで闘い、お父様のみ前に立つことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.29)




12


お父様!
人間達をご覧になり、人間達を探し出すために傷心されるお父様を見つめる息子・娘がいるなら、お父様のみ前に自分の福を祈ることはできず、自分の主張を広げることができないことを知る者でございます。
このような歴史的な悲しみが残っていることを千遍万遍忘却した、この不忠不孝な子供達を受け入れてください。


今、心情からわき出てお父様を呼ぶことのできる、天と地が喜ぶことのできる、お父様と私達が一つになる、その一瞬間に新しい歴史が始まり、望みが成就することを知っていますが、きょう私達の心の基が、そのような心情に徹することのできる立場に立つことができなかったことを見て、落胆せざるを得ず、嘆息せざるを得ません。


地上に悲しみがあるとするなら、悲しい者を慰労なさるお父様の悲しみ以上の悲しみがどこにあり苦痛があるとするなら、お父様に背反する人を捕まえ、慰労なさるお父様の苦痛以上の苦痛がどこにあるでしょうか。


お父様はご自身の威信と体面と権限を立てられず、望みを残したまま歴史路程を経てくる間、数多くの善なる先祖達を捕まえ、「私の心情を分かってくれ」と、「私の事情を分かってくれ」と泣き叫び、切に訴えられたという、歴史的なみ言を私達は聞いた者です。
しかし、今日の私達は歴史を代弁することができず、歴史的な実体を証して善なる自らであると誇り得る、その何ものをももてなかった者達として、お父様のみ前にひざまずきひれ伏しましたので、面目ない自らであることをこの時間暴露し、ありのまま報告させてくださり、サタンに蹂躙された自分達であることを悟り得るこの時間となりますことを切にお願い申し上げます。


残された摂理のみ旨の前に、不忠な者は多いけれども、忠誠を尽くす者がおらず、きょうも心配なさり、あすも心配なさり、摂理のみ旨と心情を打ち明け、勧告なさることのできないお父様のご事情を、この時間に私達が見抜くことができるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.12)




13




お父様に侍るべき本然のアダムとエバが堕落することにより、今までの歴史が悲しみの路程となったという事実を、私達は知っています。
罪を犯したアダムとエバの後孫である人間達が残した罪のふろしきを背負ったまま、追われ追い回され、試練を受けながら、今日まで来たこの人類歴史を前にして、私達が悔しく思うことができるようにしてください。


このような立場に落ちた人間達を、天は忘れようとしても忘れることのできない、創造主としての責任があるがゆえに、どの時代、いつを問わず、この人間達を再び探し出すために、苦労の歴史路程を経てこられたということを、私達は知っています。


きょうこのような立場に置かれている私達が、自分達を置いて嘆息すると同時に、お父様が無限のご苦労と苦痛の道を歩まれたことを、心痛く思うことのできる姿となるようにしてください。
お父様に対しては、面目のない自分達であることを感じ、歴史的な罪の血統を受け継いだ人間に対しては、悔しく思うことのできる心をもつようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達の心にはいまだ罪悪の根性が残っていて、私達の体はいまだ罪悪の鎖につながれているということを感じています。
哀れみのお父様が、力と能力をもって現れてくださることを私達は待ち焦がれていますし、真の息子・娘となれることを待ち焦がれています。
罪悪の金網を切って、染み込んでくる罪悪の因縁を切って闘う姿となることができないまま、失敗している息子・娘をご覧になる時、お父様が一層悲しまれることを知っています。


今、心の門を開き、体の拘束から逃れて、新しい心、新しい体を整えて本然のお父様を「私のお父様」と呼ぶことのできる、一つの姿が現れることを待ち焦がれるお父様のみ前に、「お父様! あなたのみ旨を身代わりした自らでございますので、お受けください」と言うことのできる息子・娘となるようにしてください。
そのような歴史的な勝利者、怨讐達と闘って勝利し、お父様の悲しい心を慰労してさしあげることのできる息子・娘が現れることが、お父様の願いであることを私達は知っています。


今、私達自身がそのような立場でお父様を「私のお父様」と呼ぶことができ、お父様を慰労してさしあげることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


これが私達の願いであり、お父様の願いであることを知っていますので、私達を激励してくださって、その立場まで導いてください。
導いてくださるお父様のみ手をつかみ、いかなる逆境の道をも行くことを願う、切実なる心をもった息子・娘達となるようにしてくださいますことを、切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.19)


14


お父様と共に生きることのできる、そのひと日が慕わしいのでございます。
お父様を慕い、お父様に向かって走る私達、お父様と共に生きることのできる栄光のそのひと日を迎え、お父様のみ前に感謝と喜びの賛美を返すことをもって、お造りなった万物を和動させることのできる息子・娘達となるようにしてください。
私達の心と体は、お父様の形状(み姿)に似せて造られたものですので、完全にお父様に似た息子・娘となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
あなたの悲しいお心が地上に立ちこめていることを、人間達は知らないでいますし、天の物悲しい涙の跡が人類歴史の足跡ににじんでいるということを知らずにいます。
限りない天の嘆息が、私達の心と体に漂っているということを知らずには、天のみ前に面目を立てることもできず、天の信任を受けることもできない、悖逆(信任にもとる)な人間の後孫であることを自認せざるを得ません。


お父様!
地上にはあなたの涙を収めてさしあげる者がいませんし、あなたの悲しみをつかみ、慰労してさしあげる者がいませんし、あなたが行かれるその道を守る者がいません。
そうですので、この地に恨みがあるとするなら、それは天の恨みが染みわたった地だということであり、悲しみがあるとするなら、天の悲しみが染みわたった地だということであり、怨恨があるとするなら、天の怨恨が染みわたった地だということです。


それゆえ、この地に生きている人間達は、悲しみの祭物になるまいとしてもならざるを得ない運命に置かれていて、恨むべき自分を越えまいとしても越えざるを得ない運命に置かれています。


落胆する中で、最後の声でもって天に向かい、「お父様!私達を助けてください」と泣き叫ぶべき時となり、「お父様!愛のご心情をもって、人類を尋ねてください」と泣き叫ぶべき終わりの日が到来しているのに、このような時に誰がお父様のご心情をつかんで悲しみ、誰がお父様のお心をつかんで痛哭するでしょうか?
そのような者がいるとするなら、彼はお父様の真なる息子・娘だということができ、またお父様の実体的な対象だということができるでしょう。


私達の心に力を生じさせてくださったお父様!
哀切で、恨めしく、悔しいお父様のご心情を感じることのできる心の動機が慕わしいし、ご心情の源泉に接したいので、接することのできる恩賜を加えてください。
そうして、そのご心情に和するとするなら、その立場では自分の不足なことを暴露すまいとしても、暴露せざるを得ず、人間の罪状を身代わりして悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ないということを知っています。


お父様!
不肖で不足な私達、磐石となれない私達をお立てになり、心配なさるお父様のみ前に、心苦しい心をもち、お父様の恨みのご心情と悲しいご心情を慰労してさしあげることによって、栄光の中に顕現なさることのできる土台を整える聖徒達とならなければならないので、お父様の力と能力をもって不足な私達を主管してください。
絡み混ざった罪悪の形状をもっている者がいるとするなら、愛のみ手を伸ばしてくださって、再び主管してくださり、異なった姿にお造りください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.5.24)



15


お父様!
人間達がお父様を探すために歴史路程であえいだとしても、今までお父様に侍って生きた者達が地上におりませんでした。
この地のどこの一角がお父様のものであり、どの一家族がお父様のものであり、どの一民族、どの一国家がお父様のものでしょうか?
お父様のものとして、どれ一つこの地上に探し立てることができなかったお父様のその悲しいご心情をおそれ多くも察することができるものです。


あなたに悲しみがあるとするなら、この地の主人であるあなたが、主人の立場に立つことができず、この地に責任をもつべきであられるあなたが、責任をもつことができない立場におられたことを知っています。


地上の人間達に責任をもつべき立場におられますが、責任をもてない摂理を導いてこられたお父様、私達の心情を通して直接主管なさり、直接命令なさるべき立場であられるにもかかわらず、そのような立場に立つことのできなかったお父様、私達の生活を通し、私達の全部を主管なさるべきお父様であられるにもかかわらず、私達の内的な生活と事情を主管なさることのできないお父様、私達を置き、善の結実だと賛揚すべきお父様であられるにもかかわらず、そのようなひと日、ひと時、一人をお探しになれなかったお父様、このような物悲しい立場におられたお父様であることを私達は知りませんでした。


今、私達がこの地上のすべてのものを失うとしても、お父様の物悲しいご心情に通じることのできる息子・娘となるよう許諾してくださり、お父様のご事情と曲折を実の子女の立場で感じることができ、お父様が涙を流されるとき、共に涙を流し、困難にぶつかるとき、共に困難にぶつかることのできるあなたの息子・娘達となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様!
私達の心が足らないことを知り、私達の体が世俗的であることを知り、私達の欲望がサタンと共に動いていることを知りました。


このような内的な要素をもった私達、天を身代わりして許諾なさったひと時、一時代、一時期に来られる一人の主人公を待つことのできない悲惨な者達ですので、哀れな自分を置いて嘆息し得るようにしてくださり、哀れな家庭と哀れな社会と哀れな人類と哀れな天と地を置いて嘆息し得るようにしてください。


悲しい心情をもって、天と地の前に贖罪すべき時が来ましたので、お父様!私達の心の門を開いてください。
私達の心情は、お父様、あなたのご心情に対することを知らない、対し得ない立場ですので、このような私達の心と体を、お父様のご心情とお父様の形状に和することのできる実体として、再び造ってくださいますことを切にお願い申し上げます。


天が受け入れることのできない、今までもってきた一切のこの世的な観念や主義主張を除去させてくださり、そのすべてのものがお父様のもののみとして和することができるよう、本質的な感性の基準を高めてくださり、良心的な基準を高めてください。
私達の心情を連結させて、お父様のご心情と通じることができるようにしてくださり、天的なご事情と通じることができるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


天にいる数多くの聖徒達をお送りになって、私達の周囲を聖別させてくださり、私達の心情を覚醒させてくださり、お父様の能力のみ手で再び造ってください。
そうして、私達が再創造のみ言と共に再創造の性稟を受け、死亡の実体である私達が生命の実体と化し、栄光と歓喜と喜びの中で、お父様をお招きする喜びの時間を迎えることができるようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.14)




16


人類において一番大きな悲しみは、お父様の愛と縁を結ぶことができなかったことであり、お父様のご心情に通じることができる本然の良心を失ってしまったことであり、そのご心情と良心が和することのできる、心と体が和合することのできる立場に立てなかったことであることをよく知っています。


堕落したがゆえに、お父様のご心情に通じることのできる感覚が、私達から去り、お父様のご心情を体得し万象を愛することのできる心が、私達からなくなってしまいましたので、お父様、その心情を回復することができるよう導いてくさい。
私達の心と体が一つになり、私達のものがお父様のものとなるようにしてください。
私達のものをすべてお父様のみ前に備え、誇らしい姿として、愛の羽を広げて万物を抱くことのできる広い雅量の心情をもつことができるよう、お父様が、導いてくださいますことを切にお願い申し上げます。


私のお父様!
このような心情に通じさせることのできるみ言が切実に必要なことを知っています。
私達が失ってしまったものは、み言であり、その次は実体であり、その次は心情であることを知っていますので、お父様、み言を通して失った私達の本然の心情を呼び起こしてください。
本然のみ言にこうべを垂れることのできる心を備え、本然のみ言に耳を傾けることのできる体を備えて、お父様の栄光の懐に抱かれる恩賜を許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


み業を始められた方があなたであられたので、これを成就なさる方もあなたであることを知っていますし、善で始められたので善で締めくくるべきことをも知っています。
お父様は「アルパであり、オメガである」と言われ、「最初の者であり、最後の者である」と言われ、「初めであり、終わりである」と言われましたが、初めに本然の心情を失った人間ですから、終わりに来ても天的な心情に通じません。
今、終わりの日には本然の心情を掴み、心情を連結しなければならないのに、堕落の怨恨のどん底で喘いでいる私達を、受け入れてくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達の心は私達のものではなく、あなたのものであることが分かるようにしてくださり、私達の体は私達のものではなく、あなたのものであることが分かるようにしてくださって、私達の心情、感性、このすべてのものが私達に属さず、お父様に属し動くという事実を、実体的に、実証的に体得できるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.14)


17


お父様!
心情を通して天を体験するよう許諾してくださり、感じまいとしても感じざるを得ないお父様のご事情を体得できるよう許諾してください。
お父様のみ前に悔い改めまいとしても悔い改めざるを得ない心情をもつことができるよう、お父様が導いてください。


人と人同士集まる所は、解こうとしても、かえってもつれることが起こりますが天を中心として集まる所では、心にしこりになったことが解けるという事実を知っています。
今、罪悪の氏族によってもつれてしまったすべてのものが根本的に解かれ得る、蕩減のみ業、悔い改めのみ業、感動のみ業によって、私達自身を反省し、過去を悔いて新しい日を憧憬することのできる、徹した心を呼び起こしてください。
そうして、その心を抱き、自我をもう一度悔い改めることのできる再創造のみ業が起こるよう、お父様が、許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


今日、私達は体だけの幸福を待ち焦がれてはいませんし、心にだけ酔って生きることも願ってはおらず、ただ心情を置き、永遠に生きることのできる園を願うものです。
生活の中でも心情的な因縁の一条件が、各自の心中から暴発して、心情深く内在することのできる因縁が結ばれるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
お父様!
この聖なる日、万民の上に祝福の恩賜を与えてください。
み旨を身代わりして心情を抱き、天のみ前に訴えて、隠れた祭壇を築き祈祷する息子・娘達が多いことを知っていますので、彼らにも祝福を与えてください。


天上の寂しい心情を抱き、あえいでいる群れ、蕩減的な解怨のひと日を願っている霊界の数多くの霊人達までも、私達と関連があるので、お父様、彼らの業も、私達によって良い結果として現れるよう許諾してください。


三位神が私達を取り囲み、見つめて、待ち焦がれるその心情の基準に私達が足らないで、その量を満たせないままお父様を呼ぶことのないよう導いてください。
自分が充足した立場で「お父様」と呼ぶことのできる、喜びの姿としてお立てください。
そのような恩賜をもつことができなかったとするなら、幼子のように温柔謙遜にお父様の哀れみと慈悲のご心情を引き寄せる息子・娘となることができますよう、このひと時、導いてくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主の名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.5)




18


お父様!
来いとおっしゃった道が、困難ではないと思って立ちましたが、困難であるということを知り、喜びの道であると思いましたが、行ってみると涙の山また山であることを知りました。


お父様!
私達に悲しみがあるとするなら、お父様をつかんで悲しみたいのです。
人間をつかんで悲しんでは、落胆しやすい事実を知り、人を信じていっては、傷つくことを知りました。


変わることのない方はお父様でした。
お父様をつかんで泣いた時間があまりに幸福な時でしたので、イエス様もお父様をつかんでお泣きになるために山道を尋ねたのでしょう?
お父様をつかんで泣き得る人々、人生行路が物悲しく寂しいので、人類の前にイエス様を立て、先にこの道を開拓するようになさったお父様のご心情を知り、お父様のために泣いてさしあげることのできる真の息子となることを、娘となることを願っています。


私達が悲しいという前に、先にむごいむちを受け、むごい迫害を受け、すべての重圧をお受けになる天がおられたことを知ったなら、どうして天のみ前に自己を弁明することができるでしょうか。
天のみ前には、自己を中心として悲しむべき条件がないということを知ったので、ここに置かれたあなたの息子・娘達を哀れに思ってください。


お父様!
私達は、私達が泣く前にお父様が先に泣かれ、私達が打たれる前にお父様が先に打たれたことを知り、私達がぶつかる前にお父様がぶつかられたことを知り、私達が痛みを感じる前にお父様が先に痛かったことを知り、私達が倒れる前にお父様が先に倒れられたということを知りました。


これを知り、天に向かって黙々と行き、また行っても、足らない自分であることを発見しながら、天のみ前に頭を下げ「お父様」と呼ぶことのできる息子・娘達を、あなたはどれほど待ち焦がれられたでしょうか?
私達の心情に、そのような感情が動くよう許諾してくださり、この国に対するとき、世界に対するとき、天に対するとき、そのような感情が動くようにしてください。
そのような感情が動いてこそ、「個人から全体の世界的な理念圏まで自信ある信仰をもった」と言うことができ、自分の理念を立てるための、最高の心情をもった天の立場となることを知っていますので、このような環境の道を開拓していくことができるよう、私達の心を呼び起こしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


行くべき人生行路において、物悲しかった自分を批判し、幸福に酔って暮らすことができ、また私の一身を天と因縁づけることを高く評価しながら、頭を下げてお父様の栄光を高らかにし得る子女達となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.5)




19


お父様!
今日、お父様のご心情の園で私達の体が動じ、心が動じ、すべての考えが動じるよう許諾してください。
お父様のご心情は、無限なる愛のご心情であることを私達は知りました。
お父様のご心情は、限りなく悲しいご心情であり、限りなく傷を負っているご心情だということも私達は知りました。
限りなく悲しまれたお父様、限りなく苦労されたお父様、今も限りなく気遣われるお父様!
そのお父様が創造主であられ、そのお父様が全万象の主人公であられるということを分かるようにしてくださり、お父様がお受けになる限りない悲しみが、私達の胸に染み通るようにしてくださり、限りない悔しさと無念さが私達の心中に流れ込むようにしてください。


これを体得した者を、身の置き所を知らないため、自分の身を支えることのできない悲しみに浸るようにしてくださり、その心を収拾することができず、天地の区別もつかないまま痛哭する息子・娘達となるようにしてください。


六千年も悲しみの祭壇が続いたのは、先祖達の過ちのゆえであることを知るものですが、今日、私達がまたも責任を果たせず、悲しみを後代に残すのではないかと心配です。
今日私達は、私達一代で悲運の歴史をふさぎ、天のご心情をここから収拾して、新しい喜びのご心情に変えるべき責任があるということを知りましたので、この時間に頭を下げた私達が、お父様のご心情の同伴者となるよう許諾してください。


人の姿をした人間はたくさんいます。
ところが、地上に何がなくて天が悲しまれるのかと言えば、あなたと心情が通ずることができ、あなたの愛を慕うことのできる息子・娘がいないためであることを知っています。
天はそのような息子・娘達を探しておられるということを私達は知りましたので、今、精誠を尽くし、この心と体をすべて捧げ、そのご心情の前に不足がないということのできる、認定を受ける息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達は、天がどのような物質を下さることも願っていませんし、事情を知ってくださることも願っていませんし、恩恵を下さることも願っていません。
それよりは、恩恵を下さったのちに悦楽しようとなさるお父様のその内情を私達が知るよう許諾してください。
そうして、悲しまれたお父様を「お父様」と呼ぶことができ、苦痛のお父様を慰労してさしあげることのできる息子となり、娘となることを願うものです。


これを目標として、私達は険しい道も意に介さず、追われる道も意に介さず、迫害と嘲弄の矢がこの一身に襲ってくるとしましても、お父様に向かう一片丹心の心情だけをもたなければなりませんし、このすべてのものを忘れてしまい、天に向かってより近づいていくことができ、それを内的な忠告をもって消化することのできる息子・娘達となるよう、許諾してくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.2.7)




20


今まで私達は、お父様を栄光の中で喜びをもっておられる方として認識していました。
すべての福と富貴栄華を自由自在に私達に与えることができ、私達に解放の喜びと目的を達成させてくださる方であると思っていました。
しかし、天の背後の事情を知ってみますと、福を与えたくても、福を与えることのできない内的な曲折があるということを知りましたし、恨むべき六千年の悲しみの歴史を蕩減復帰しなければならないという、とてつもない事実を私達は知りました。
今、そのような事情を知りましたので、行うことのできなかった人間の愚かさを、嘆息する者となるようにしてください。
お父様はこの民族を探してこられたお父様であり、世界人類を探してこられたお父様であることを分かるようにしてください。
この歩みには、今までの悲しみの涙が染み付いていますし、今までの苦痛の障壁が残っているということを知りました。
きょう私達は、そのようなお父様の苦痛の城壁となり、悲しみの都城(=中心地)となって、お父様の憤りと恨みを抱き、その責任と使命を果たすため、怨讐との決戦途上において、血と涙を注ぎ、闘うことのできる私達とならなければなりません。


お父様!
私達が天情に徹して人類愛の心情を抱き、あえぐことのできる者達となるようにしてください。
山河を眺めるときにも、お父様のご心情を抱き、涙で見つめることができ、民族を見つめるときにも、やはりそのようにし、人類を見つめるときにも、やはりそのようにできる私達とならなければなりません。


私達はお父様が願われる個体となり、お父様が願われる家庭を築き、その家庭を中心として、お父様が願われる理念的な世界を建設しなければなりません。
建設すべき範囲が大きければ大きいほど、より多くの血涙を流さなければならないということを知りました。
個人を探すためにも、家庭を探すためにも、民族を探すためにも涙を流さなければならないということを知りました。
この道は、人間的に見るときには、悔しい道であり、憤懣やるかたない道であり、苦しい道ですが、あなたが歩んでこられた道ですので、これを喜びの道、感謝の道、栄光の道に変えて行くべき曲折の路程であることを知りました。
生命が尽きる時まで、お父様に侍ることにおいて、すべてのものを消耗させることを誇りとするようにしてください。
あなたと共に、最後までこの道を駆けていくことのできる私達となるようにしてくださいますことを、切にお願い申し上げます。
そのような立場で、涙でもってお父様の栄光を謳うことのできる私達となることを、もう一度決心させてくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1961.2.12)




21


この上なく善であられ愛に満ちたもうお父様!
この上なく栄光にあふれるべき私達のお父様が、悲しいこの地に対してこられるために、お心とご心情にどれほど大きな傷を受けられたのか、どれほど憤り、どれほど悲惨な立場に立たれるようになったのかを、私達はおそれ多くも考えることができません。


善の子女をお立てになり、善の天国、善の理想世界を心の中に描き、望みのひと日を慕われたお父様!
人間の先祖アダムとエバを通じて望みのひと日が成されることを願う心が、切実であれば切実であるほど、アダムとエバを愛したいお心がどれほど大きく、その目的に対する責任を感じれば感じるほど、アダムとエバを保護したいお心が、どれほど大きかったことでしょうか。


そのようなお父様の保護と、お父様の愛の懐を、人間の先祖が裏切り、背を向けた恨み多い歴史を振り返って考えるとき、私達が堕落した先祖の後孫として生まれたことがとても憤懣やるかたなく、とても悔しく、とても恨めしいのです。


私達の心と体は罪悪のきずなから抜け出すことができず、死亡の波に押し流され、すっかり死亡のどん底で破壊されるべきものとなりました。
しかし、お父様は数多くの歴史路程において一日のように思い、そのような私達を心配なさるのに数多くの苦痛を受けてこられました。
お父様は人類の歴史的未来を心配なさる心が大きかったので、悲しい心をもたれ、私達不足なる人類の足跡をついてこられましたが、一日として、どこの誰にも、あなたのご心情を哀訴できなかったお父様であられることを知りましたし、一日としてあなたのご心情を慰労してさしあげられる子供をもつことのできなかったお父様であられることを知りました。


このように困難な復帰路程を経てくるのに六千年!
今、この終わりの日を迎え、三千里半島(=韓国)の上に、この民族を代表して、哀れで取るに足らない私達をお父様が集めてくださったので、この因縁が決して偶然なものではないことを私達は知るものです。
私達はみ言を通して学びましたし、事実を通して証を受けましたが、そのみ言と証を私達のものとして消化できなければ、そのみ言と証が私達を審判するようになるという恐ろしい事実を、私達が分かるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


この統一の群れを集めてくださったお父様!
歴史の途上でご苦労されたお父様の悲惨なお姿は、言うに言えないものであることを知るものです。
取るに足らない弱々しい群れを集められ、ひと日の勝利を約束なさり、苦難の道に私達を追い出されるお父様の切実なるご心情とご事情を、私達が夢にも忘れることがないようにしてください。
困難な立場でも、それを心の深くに銘記させてくださり、悲しい立場で悲しみの涙を流されるお父様を、先に考えることのできる息子・娘となるようにしてください。
また、この者達が凄涼(=すさまじい)で悲惨なる立場に落ちたとしても、十字架路程を越えられるお父様の悲惨なるご心情を忘却する息子・娘とならないようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


二千年前、お父様がこの地上に送られた天の皇太子、万民の救世主、メシヤが、悲しい生活をして逝かれたことを私達は知っています。
その方は、生まれるときもお父様のご心配の中でお生まれになり、成長するときもお父様のご心配の中で成長されました。
また、責任を担った公生涯路程で、お父様を身代わりして迫害の途上において怨讐達と対決し、苦難の路程を責任を負っていかれたことを私達は知っています。


このようになったすべては、私達の先祖達が責任を果たすことができなかったゆえであることを知り、歴史的なすべての罪状を探知して分かりましたので、今日この地上に実体を立て、歴史の恨みを解いてさしあげるべき全体的な責任が、私達にあるということを忘れないようにしてください。


過ぎし日の嘆息の歴史が、私達をせき立てているということを忘れないようにしてくださり、時代的な使命を知らせるために、先にお立てになった私達を通じ、与えようとなさるお父様のお心が存在するということを、忘れないようにしてくださいますことを切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1964.5.3)

22


恨み多い長い長い歴史をたどってこられながら、悲しみの日々を抱き、踏んでこなければならなかったあなたのそのご心情を誰が知り、あなたのそのご事情を誰が知り、あなたのその望みを誰が知っているでしょうか?
お一人知っておられるそのお心、お一人おもちになったそのご事情、お一人抱かれたそのご心情とそのみ旨を知ることのできない人間達に対して、その望みと事情と心情を教えてあげることのできる一人の子女を探してこられるため、苦労されたお父様がどれほどかわいそうな方であるかを、私達がこの時間にもう一度感じることができるよう許諾してください。


その方は他人ではなく、私達と永遠に共に暮らすべきお父様であられ、その方はご苦労なさるべき方ではなく、宇宙を創造された主人であられることを、私達が知るようにしてください。
私達のお父様であられ、私達の真の主人として宇宙全体を抱かれ、愛されるべきその方が、そのような歴史的な曲折を残されたという事実を、悔しく思うことのできる子女達とならなければなりません。


私達の先祖の一度の過ちが、このように億千万代をおいても受け入れられない罪となったという事実を考えるとき、涙と血と汗を流し尽くしても、償う道理がなく、生命を千万遍犠牲にするとしても、償う道理がないことを、この者達が悟るようにしてください。


お父様!
どこにあなたが分かるという者がいて、どこにあなたのみ旨を立てようという者がいて、どこにあなたのために死を覚悟していく者がいるでしょうか?
誰もいないということを知るとき、ここに集まった私達、たとえ哀れで、取るに足らない群れであっても、あなたのために忠誠を誓い、あなたのために生命を捧げようと誓った群れですので、疲れた者達がいるなら、力を加えてくださり、失望した者達がいるなら、抱いてくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達は怨讐達の籠絡に何度も踏み付けられ、悲しい過去の歴史に、言うに言えない切ない事情をもっています。
そのすべての恨み多い心情を失ってしまう私達とならないようにしてください。
お父様の悲しみと、お父様の恨みを失ってしまう者達とならないよう許諾してください。
この罪悪の世を審判なさる時、間違いなくお父様のみ前に、栄光を帰し奉る勝利者の姿として現れることのできる、あなたの子女達となるようにしてくださることを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1965.12.26)




23


堕落したこの世の父母達の心情であっても、子をむち打ったあとは、むち打つ前に愛した以上の心を抱き、彼のためにしてやりたいものであるのに、まして復帰の路程において私達に責任を負えと命令なさったその立場において、私達が打たれ追われる時、慰めたいお父様のご心情がどれほど大きいかということを、私達が分かるようにしてください。


そうして、その立場でお父様を「お父様」と呼び、お父様を慰労してさしあげることのできる孝子として立て、私達に心情世界で永遠にお父様を賛美させたいのがお父様のお心であられますことを、私達が忘却しないようにしてください。


今まで、統一教会の路程は、悲しい路程でした。
人々が理解し難い中におきまして、お父様のご命令どおり従ってくる歩みが、どれほど凄惨であったかということを、私はよく知っています。


今日、統一の群れを集めてこのような祭壇を動かす時まで、お父様はどれほど多くのご苦労をなさいましたでしょうか?
遊ぶ者はむち打って勧告なさり、居眠りする者は起こしてくださって、行けと命令なさったことを知るのです。


今もそのような逆境の中で私達に誓わせ、私達を追い立てるべきお父様のご事情が残っていることを知るのです。
このような悲しみが、宇宙史的な蕩減の路程として残っていることを知っていますし、個人を収拾しまとめては家庭を、家庭を収拾しまとめては氏族を、氏族を収拾しまとめては民族を、民族を収拾しまとめては国家を、国家を収拾しまとめては世界を身代わりし、行けと命令なさるべきお父様であることを分からせてください。


そうして、その道において、つらい蕩減の路程を経ていかなければならない復帰の路程が残っていることを見つめられる、お父様のお立場がどれほど苦しいかということを私達が分かるようにしてください。


お父様のその立場を知っている孝子がいないため、命令しようとしても命令することのできない、お父様の切ないお心を私達は知るのです。
今私達が、命令なさるその目的に向かって、命令を受ける前に自ら準備し、お父様を「お父様」と呼ぶことのできるあなたの真の子女となるようにしてください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.7.3)




24


我がお父様!
私がお呼びするお父様は、あまりにもかわいそうであったことを知るものです。


お父様!
大多数の人間は、お父様が栄光の服を着て万世を統治し、全栄光に心を奪われ、「万民を愛する」と宣布なさるのだと思い、そのようなお父様の懐に抱かれたいと思い、そのようなお父様を抱きたいと思っています。
それが今まで、人間達の欲望でした。
しかし、統一教会の教会員が抱いているお父様は、死の立場において、昼夜、望みの未来を見つめ、歯を食いしばりながら耐えていかれるお父様でした。
お父様のそのような憤懣やるかたない心と、数多い苦難の道で、あるいはいばらの道で傷を受けられたそのみ手を抱き、胸痛い涙を流したいと思うのが、統一の信徒達の望む願いです。


この世の誰が何と言おうと、自己の体面と威信が問題ではありません。
お父様のご家庭の法度がしわくちゃになり、お父様のみ旨の前に、このすべてが雲に覆われるようになるときには、私の体が引き裂かれ、私の体面が踏みつけられる恨みがあるとしても、感謝しながらそこへ必ず行くことのできる群れとならなければなりません。
このような群れを、お父様は統一の群れの中に探し立てようと、どれほど手探りしてこられたかを、忘却する群れとならないようにしてくださいますことを切にお願い申し上げ、真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.11.6)



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父の祈り(希望の祈り)1-2

2022年12月29日 15時06分49秒 | 学習

21


私達の人となりが、果たしてお父様のみ前に捧げられるようなものであるかを案じざるを得ませんし、許諾してくださったお父様の恩賜を受け取ることのできる心と体になっているか、私達自らを反省してみるとき、申し訳ない気持ちで頭を下げずにはおられませんので、哀れにお思いください。


お父様のみ前におそれ多くも誰が立つことができ、お父様のみ前に誰が自信満々に立てると言うことができるでしょうか。
行けば行くほど、知れば知るほど肉をえぐるような天の悲しみを感じない者はいないことを知っています。
おそれ多くて顔を上げられず、おそれ多くて身の置き所を知らなくさせるおそれ多いお父様の性相があり、お父様の心情があり、お父様のご苦労の痕跡があるということを知る者がおりませんでしたが、
そのような事実を知ることができるように私達を育ててくださいましたことに感謝申し上げます。


これは誰のためにそうなったのでしょうか。
私達が優れていてそうなったのではなく、私達が備えるものを備えてそうなったのでもありませんでした。
歴史的に善を欽慕してきた数多くの先祖達の天と結んだ因縁が、私達の知らない間に私達に及んでそうなったということが分かるようお許しください。


今日の私達は今日の私達だけではないことを知るよう許してくださいまして、その因縁を尊重することができ、その因縁とともに喜ぶことのできる人となり、その因縁を裏切る者とならないように
主管してください。
お父様!
私達の心はどのような位置にあるでしょうか。
私達の体は何を待っており、何によって動いており、どこに置かれることを望んでいるのかを自ら考えるようにしてください。
静寂の中からお父様は、この時間にも生命の価値を感じるようにせき立てていらっしゃるということを、私達が心で感じるようにしてくださり、人類が自分の生命だけにつかまり、あえいでいる悲惨な事情のゆえに、それを眺めながら悲しまれるしかないお父様であられることが分かるようにしてください。


私達の心情や心の世界を支配されるお父様、親しく臨まれ、この時間、私達全体を本性的に支配してくださり本質的に主管してください。
本性の人、本質の人、善に対して楽しみながら善のみ言に和する人となり、心と体でお父様と和することのできる立場に立つようにしてくださり、私達に新しいみ言を許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


優れた人がどこにおり、劣った人がどこにいるでしょうか。
心情を通しては一つであることを知っていますので、天の心情に動じ静ずることができ、和し応ずることができるようにしてください。
そうして、お父様の栄光だけが私達全体の生命の前に現れまして、お父様の生命の恩賜が私達の心中奥深くに染み入るよう導いてください。


私達の心と心情を動かしてくださり、永遠なる生涯路程を開拓し、復帰の恨みを晴らそうという新しい覚悟と決心が、私達の心中から爆発するこの時間となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
この時間、頭を下げた億兆蒼生(=数多き民)の上にも生命の権限を許諾してくださり、天上にいる数多くのご自身の息子・娘達にも、私達と和合し、勝利的な栄光の一土台を建てるために助けるようにさせてくださいますことを、心からお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.10.25)


22


お父様!
お父様を欽慕する私達がお父様にお会いして、お父様に侍り、お父様と共に議論できることを待ち焦がれ、足らないのを押し切って集まりましたので、捨てておかないでください。


お父様!
私達の心と共に和してくださり、私達の体と共に因縁を結んでください。
お父様の切実な心情の流れが、お父様のものとしてのみとどまらないようにしてくださり、実存なさるそれ自体の生命の流れが私達の心中深くに染み入ることができるこの時間となるようにしてください。


幾千万の聖徒を指揮なさるお父様の性相を見つめながら、無限なるお父様の愛の懐に抱かれることができ、慕わしさに浸ることのできる私達となるよう許諾してください。
自然のふくよかな住まいにいることに対し、天のみ前に感謝を捧げることができ、自ら頭を下げるその心と体でお父様を呼ぶことのできるこのひと時となるようにしてください。


お父様!
私達は、闘いの路程で私達を呼んでくださり、案じ、尋ねてくださるお父様であられる前に、静けさの中、心中の深いところから、感じまいとしても感じざるを得ない、考えまいとしても考えざるを得ないお父様であられることを知っていますし、お父様が私達を息子と呼ぶことができ、私達もまた、お父様を私のお父様と呼ぶことのできる因縁が、私達の生涯において必ず結ばれなければならないことを知っています。


私達がいつ内密にお父様と議論をしてみたことがあったでしょうか。
いつお父様のそこはかとなく聞こえる声とお父様の栄光に酔い、私達自身が体の内にいるのか体の外にいるのか分からず頭を下げ、お父様のみ前に敬拝を捧げた時があったでしょうか。


信仰路程にはこのような時間が必ず必要であることを、私達は知りました。
またそのような時間を私達に与えるためにお父様が今日までご苦労されたことも知りましたので、今この体と心が本然のお父様に親しみ侍ることができ、本性のお父様に親しみ侍ることができ、本質のお父様に親しみ侍ることのできるこの時間となるようお許しください。


ある条件をかけておいて対されるお父様ではなく、心の流れに従って共に流れ、心の動きに従って共に動くお父様であられるので、本然の思い、本然の感情に和し、動ずることだけが、私達が生命をもってこの地で生きる間もつべき望みであり、理念であるということを知っています。


見えないところですべてのことを営まれ、実績を表されるためにご心労されるお父様であられ、いないようでも実在されるお父様であられ、私達と関係がないようでも心を主管しておられるお父様であられ、無限の世界を管轄しておられるお父様であられることを私達は知りました。


その管轄圏内、その主管圏内の動きに和し、静じ、動ずることのできる本然の姿を慕っていますので、お父様、私達を捨てておかないでください。


心の門が閉じた者がいますならばその門を開いてくださり、死の陰に捕らわれて心的に、肉身的に苦痛を受けている人がいますならば彼らをもまた哀れにお思いください。


お父様、
捨てておかず、実存されるお父様を慕う真なる心がないとするならば、天上のお父様であられ、実存のお父様であられるあなたのみ前に恥ずかしい者となることを自ら悟るようにしてください。


今日、私達の心がそれぞれ違うとしても、事情事情がそれぞれ違うとしても、置かれている環境と内的な慣習、心中にもっている主観と主義、観念がそれぞれ違うとしても、本然の心情世界に和そうとする心だけは同じであり、悪なる人でも善なる人でもそこに和することができるということを知っていますので、この時間そうできるように私達をお導きくださいますことを、切にお願い申し上げます。


すべてのものをお父様のみ前に打ち明け、無我の心情で本然の心情を尋ねて、お父様に侍ることができ、み言を通して自分を再び新しく造ることのできる恩賜の時間となりますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.11.1)


23


お父様!
この心が自分のとどまることのできる位置を失ってしまったことが嘆かわしく、自分の価値を全世界と全天宙とともに論議することのできる資格を喪失したことが嘆息であることを知っています。


本来の人間は、自分の行く方向を整え、天上の大主宰であられるお父様と関係を結んだ自由の環境で、お父様の価値と、高く善なることを歌わなければならず、お父様の心情を通してお父様と共に和し、楽しまなければならないことを、
私達は知っています。


失ってしまった本然の位置を再び探し出すためにさまよう人類、失ってしまった本然の価値を再び探し出すために、今日も苦しんでいる人類です。


心情を中心として、心と体が和し喜ぶことのできる目的の園で、主人と共に永遠に歌うことが私達の望みです。その園に向かって歩みを変えるその日から、どのような困難と悲しみが迫るとしても、そのすべてのものを獲得するその日まで、躊躇することを知らないあなたの息子・娘となるよう許してくださいますことを、切にお願い申し上げます。
それと同時にお父様に対する一片丹心の心情だけは、松と竹のようにいつも変わりなくわき立ち、天上、あるいは地上の全存在世界を変えてしまっても余りある、不変の価値で装わせてくださいますことを心からお願い申し上げます。
創造主がいるとするなら、そのような姿をお慕いになるであろうことを私達の推測ででも知ることができますし、あなたもやはりそれが望みであられることを知っています。
そのような基準からお父様と因縁を結び、堕落した世の中、凶悪な罪悪の世に勝ち抜くに不足のないあなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.4.10)


24


お父様が願いに願われた望みのひと時が近いことを私達は知っています。


お父様!
ここに集まったあなたの息子・娘達が、幼子の心情に帰るようにしてください。
人間がその何を知っているとしても、それが天上のものとは比較にならないということを知りました。


あなたの懐に抱かれるその瞬間の満足があってこそ、時間の観念を超越して永遠に喜ぶことができ、時間の観念を超越して永遠に感謝することができ、永遠に幸福を歌うことができるということを知っています。
そのような世界、お父様の願われた創造理想世界がこの地の上に立てられなければならないこともまた知っています。


今日、私達は社会でつくられる曲折によって傷つけられていますが、これをふさぎ、時間を超越できる永遠の自由と幸福と平和の世界を待ち望んでいますので、そのような世界と因縁づけられるようにしてください。


そのような世界に導いてくださるお父様であられることを知っていますし、そのような世界を造るためにすべての犠牲を覚悟して行くべき私達であることを知っています。
ですから、このために行く歩みとなるようにしてください。
お父様の祝福を受けるに不足のないよう導いてくださり、お父様の子女たる名分を立てるに不足のない姿となるようお許しください。
お父様、心からお願い申し上げます。


今、私達には死が波打つ環境をかき分けていくことのできる生命の船が必要です。
その生命の船に乗り、救いを受ける恩賜を歌うことができるようにしてくださり、勝利の凱歌がこの天地に響きわたり得る日が早く早く臨むようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.6.19)



25


死亡の痕跡を逃れられない罪悪の後孫であるために、これほどまでも多くの曲折を天に残すようになったことを考えるとき、今また新年を迎え、お父様に壮語し建議と誓いをする資格もありません。


しかし誓って行き、また誓って行くべき復帰の恨みの山々が残っているために、この日再び、新しい光明の朝日を見る前に、明け方から、私達は新しい誓いをしなければならないことを感じるものです。


新しい年に新しい心、新しい心情でこの民族と人類に代わる先鋒者の責任と先覚者の責任と開拓者の使命を果たすという誓いを捧げますので、私達がしたこの誓いが天を動かすようにしてください。


私達が暗闇の勢力に対する時ごとに、天の権威をもち、愛の権限をもつことのできる新しい自我となるようにしてくださり、きょう誓いの一つの光を立ててくださって、一年三百六十五日のすべてがこのような日になるようにしてください。


この一年の新しい決心と新しい覚悟がお父様の栄光の基盤となるようにしてくださり、私達をして死亡の世界から苦難の川を渡る帆船のかじとなるようにしてください。
そうして、お父様が望まれる願いの園、その福地まで到達するにおいて障害を感じず、被害を被らないよう切にお願い申し上げます。


この明け方にもここに向かい、み旨を抱き、お父様のみ名を呼ぶ兄弟姉妹達がいますので抱いてください。
涙ぐむような心情で新年を迎える彼らに、新しい光明の光が宿るようにしてくださり、お父様の栄光の基盤を高め、輝かすことのできるお父様の日を許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


統一の群れをしてこの民族の過去の罪を受け入れてくださり、この民族をして世界人類の罪をお許しくださり、世界人類をして天上天下のすべての哀魂達の罪を受け入れてくださり、過去から現在まで行き来した先祖達の罪をお許しください。


お父様の喜びのひと日を、私達とこの民族が世界万邦に生命の光として表す時まで、守り保護してください。
残された勝利の日々が早く早く私達に訪れ、残った戦場の凶悪な条件が、生命の光と共に消えるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様の栄光が全天宙にみなぎり、祝福された家庭と共にこの民族と数多くの人類の上に共にあることを願いながら、聖なる真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げます。


アーメン。
(1964.1.1)


26


あなたの栄光のために天地万物を造られたお父様!
あなたの望みと喜びと愛の心が、全被造万物の中にこもっていることを、私達がもう一度感じるよう許諾してください。
高く貴いその望みのために、どの一存在でもお父様のみ手を経ない存在はないということを悟ることのできる息子・娘となるようにしてください。
あなたの永遠なる貴さと栄光のために、全被造万物をお造りになり、被造万物は恩賜の懐に抱かれるために現れたということを、そのような喜びのひと日があったことを、私達が忘れないようにしてください。


無限なる生命の源泉と永遠なる生命の権限を立てられ、あなたと造られたすべての被造物が離れようとしても離れられず、一つに集い生きることのできる永遠なる幸福の土台、無限なる愛の土台があったことを忘れないようにしてください。
あなたが願われたその望み、あなたが望まれたその栄光、あなたが切に待ち望まれたその愛が、万物の中にこもることがあなたの望みであり、創造の目的でありましたが、その望みが悲しみと落胆で結ばれるようになると、誰が考えてもみたでしょうか。
栄光をお受けになるべきあなたが、怨讐達の前で嘲弄され憤懣やるかたない身の上になると、誰が思っていたでしょうか。


あなたの無限なる愛の前に、天の栄光をほめたたえ、地の栄光をほめたたえて勝利の栄光を表さなければならないにもかかわらず、悲しみの涙とともに恨みの復帰歴史路程の上に、血と肉を注ぐようになると、誰が思っていたでしょうか。
このように、望みの世界は今日この地上に行くところがなくなり、この天地にこのような土台は余すところなく消え去り、悲しみで満ちるようになったということを私達が知るとき、今日あなたの心を慕い、あなたの心情を手探りする私達は、過ぎし日の過去を恨まざるを得ず、人類の悲惨なる歴史を嘲笑せざるを得ません。
このような立場に立ったこと自体が、どれほど無念なる事実であるかということを私達が悟るようにしてください。


あなたが抱きたかった万宇宙であり、あなたが愛したかった子女であったにもかかわらず、今日この地上に散らばっている被造万物は悲しみの象徴体となり、万民はお父様の愛に背いた後孫であり、お父様の心情の土台を蹂躙した後孫となりました。
このような事実を知るとき、お父様の悲しみを慰労してさしあげるべき各自の責任がどれほど貴重であるかということを、この時間ここに集った幼い者達が心の中で感じてひざまずき、過去のすべての罪悪を悔い改め、お父様の悲しみを慰労してさしあげることのできる自分達になろうと、誓うことができるようにしてください。


本然のお父様に侍り生きることのできる幸福なこの天地となるよう許してくださいますことを心からお願い申し上げ、このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1964.3.15)


27


お父様!
長い歴史路程を経てくるときに、偽りの真理の路程に逆らいくるために、今までお父様とわが先祖達が苦労してきたことを知っています。


偽りの人格基準を取り壊し、真の人格基準を立てるためのわが先祖達の苦労が、長い歴史に宿っていることを知るものです。
そうしながら、真の真理へと、真の人格へと、真の心情の世界へと、お父様が今まで数多くのわが先祖達を指導してくださったことに感謝を捧げないわけにはいきません。


お父様!
私達は真理が枯渇しているこの地上に天の真理のみ言を広めなければならず、天の真なる子女達をこの地上でたくさん因縁づけなければなりません。


あなたの愛を受ける子女達をして、新しい家庭を成し、新しい氏族と新しい民族と新しい国家を編成する過程にありますので、お父様、あなたの心情を通して因縁づけられる真なる血族を中心として、新しい世界史的な民族的出発、あるいは民族的大移動が起こらなければならないことを知っていますので、共にいてください。


今、この終わりの日にあって、私達が真の真理のみ言と真の人格と真の心情を通して、歴史的な怨讐サタンをこの地球上で屈服させ、この基準を通して社会悪を浄化させることができるようにしてくださり、天の全体的な権限を代わって担うことのできる恩賜を許諾してくださいまして、勝利的な主管者の権限を立てることができるように、力と能力を加えてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様が必ず万宇宙全体を、愛する子女達の前に譲り渡し相続させてくださることを私達ははっきり知っていますので、その過程で疲れきることなく、お父様の栄光の前に勝利の凱歌を歌い奉る時まで、耐えて残る者達となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


今からこの一年を私達が出発しますので、福を祈ってください。
悲しいことも多いのを知っていますし、孤独な立場、あるいは困難にぶつかることもあると思っております。


この一年にあなたが勝利の栄光で私達を抱いてくださり、あなたの願うその園に私達を導いてくださいますことを、切にお願い申し上げます。


万々代に栄光が共にあり、あなたの願われる勝利の歓喜が共にあるようにしてくださいますことをお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.1.1)


28




お父様が願われる勝利、お父様が願われる喜びをお探しするために私達が存在するということを新しく認識し、自らを尊重しなければなりません。
また、すべての存在の様相を通して、お父様を称賛することのできる環境を築かなければなりません。
そのためには、私達が主体的なその何かをもたなければなりませんので、お父様、お父様の愛を感じる心を保護してください。


残された復帰の路程を見つめるときに、この路程に誰が責任をもつのかと、お父様はこの時間も気が気でなく訴えておられるということを私達が感じるようにしてください。
そうして戦場で、どのような犠牲が伴おうとも、この責任だけは最後まで負い、お父様のみ前に勝利の凱歌を歌い奉ることのできるあなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


私達が復帰の戦場で勝利の栄光を備えて、お父様が万有の前に、万民の前に立てて誇ることができ、お父様から称賛を受けることのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


そのためには、私達がこのように座ってだけいてはなりませんので、天を動員させ、地を動員させることのできる悲壮なる覚悟と決意のもとで、闘いの行路に向けて前進しなければならないということを私達各自が感じるよう許諾してくださいますことを、お父様、心からお願い申し上げます。


本郷の地を探していくことができるようにしてくださり、本然の兄弟を捜すことができるようにしてください。


そして本然の父母と本然の子女達をもつことのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださり、お父様が愛で経綸なさろうとされた喜びの目的を成してさしあげられるあなたの息子・娘となるようにしてください。
このすべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1967.5.28)




29


お父様!
私達は空手で出発しましたが、今は何もうらやましいもののない立場に立っています。


私達はお金が必要なのでもなく、権力が必要なのでもなく、世の中のある文化が必要なのでもありません。


それよりももっと必要とし、渇望しているものは神様の愛であり、父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛であります。


慕わしい天と地が喜ぶことのできる本郷の地で、天のお父様を中心とした家庭を私達は追求しています。


お父様、そのような家庭以上に価値あるものがこの世にまたとあるでしょうか。
金銀宝物が泰山のように多いとしても、父母の愛を中心としたその家庭の因縁、父母を中心とした兄弟の因縁、それ以上価値のあるものがどこにあるでしょうか。


これをお父様が探してこられたことを知りましたので、私達がここで無限の価値を残すために、ここで楽しみ、ここで誓い、歴史を創建することのできる動機を連結させる一つの張本人となるために、統一の働き手となったことがはっきり分かるようにしてくださいますことを、切にお願い申し上げます。


お父様!
長い歴史過程において悲しみの涙を流してまいりました。
男女が出会う環境ごとに悲しい事情が触れ合い、歴史の峠道では天の嘆息を呼び起こしたことを知っていますので、今日私達は男女が真の夫婦となり、家庭を成してお父様の恨みを解き、怨讐を防衛することのできる鉄石のように固い橋頭堡となるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げます。


そのような立場で私達自身を尋ね、家庭を尋ね、氏族を尋ね、民族を尋ね、国家を尋ねて、新しく自覚された世界に私達は駆けていかなければなりませんので、不足することがないようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.12.8)




30




お父様!
きょうこの時間、あなたはどこに臨在なさいますか。
あの高い空間にある、ある王座でもなく、ある燦爛たる文化の歴史をもった伝統の座でもないということを知りました。


創造の当時にあなたが願われたのは、真に神様を愛し神様を思慕する一人の男性の心に臨在されることでしたし、そのような一人の女性の心に臨在なさりたかったお父様であったことを知りました。


そのような男性と女性の心に臨在なさり「あなたはわたしのすべてだ!」とおっしゃりたかったお父様であられ、新しい因縁で出会いたかったお父様であったことを知るものです。


その男性と女性が真の父母の因縁を中心として、歴史的な先祖の心情的な土台を備えた立場に立つようになれば、その上に直接臨在なさりたかったお父様であることを知りました。
そうして、その家庭の中心にあなたが臨在しようとなさったことを知りました。


そのような父母の血統的因縁を経た子供を愛したかったお父様であられ、広く高く深い愛のみ手でその息子・娘を抱きたかったお父様であられ、涙のにじんだ愛と、涙のにじんだ心情で愛することのできる立場を備えようとされたお父様であったということを知りました。


そのような平和の家庭の上に、その子女達の上に、愛を根深く植えて、その家庭を中心として四位基台を築き、福地の土台をこの地の上に築こうとされたことが、千代万代の恨みとして残されているということを、統一信徒達はよく知るものです。


このような福地の土台を築くことのできるひと日を迎えるために、六千年の間、つらい死の道が続いてきたという事実を知りました。
数多くの人々が、嘆きとやるかたない悔しさと悲惨なる立場で犠牲となったことを知っています。


「私」自体を呼んでこのすべての代価を支払うようにするのは、模範的な一人の男性と一人の女性と一つの家庭を成させるためのお父様の愛であることを知るものです。


そして、お父様がその家庭の上に主体的な中心として臨在なさり、万代万民の家庭の上に宿ろうとなさったのが、あなたの願いであることをはっきりと知りました。


ですから、私達は一万回死の道を行こうとも、お父様の慈悲を慕い、お父様の同情のみ手を渇望することのできる姿とならなければならず、天に向かって手を伸ばし、のどが張り裂けるほど、細胞が麻痺するほどに狂ったように「お父様」と叫ぶことのできる子女とならなければなりません。


あなたが願われた愛を、自ら備えた男性と女性になることができない堕落の血族であることを嘆きながら、来られるメシヤを愛し、そのメシヤを迎えるために準備することのできるあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.1.26)




31


お父様!
あなたは聖なるお方です。
かわいそうであってはならないお方です。
あなたは創造主として、権威と永遠なる栄光の象徴であられるのに、どうしてこのようにかわいそうなお方となられたのでしょうか。
あなたにどうして敗者の苦い杯を一人飲むべき、悔しい事情が残されたのでしょうか。


人類始祖の軽挙妄動な行動が、このように億千万代の歴史を誤らせ、恨みの根源をつくったという事実を私達は知るものです。


これは、ただアダムとエバにだけ限られたことではなく、彼らの後孫である私達も代々、先祖の血を受け継いできた堕落の後裔として、同じ堕落した後継者の体をもっておりますので、それを思うとき、歯がみするほどの憤りを感じられない者は、天に帰ることができないという事実を分かるようにしてください。


朝の日の光、その燦爛たる光明の光を眺めるときには、お父様のみ前に歓喜の光となり得るあなたの息子・娘となりたく思います。
お許しください。お父様の愛の世界には、強い心情なしには入ることができないということを悟り、親不孝極まりなかった先祖達が誤ったすべての罪をぬぐうことができるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


この地上に人類がどんなに多いといっても、お父様の傷ついた胸を抱き締めて慰労してさしあげることのできる一人の息子がどこにい一人の娘がどこにいるでしょうか。


あなたに侍り、千年史の解怨成就のために精誠を尽くす人がいませんでした。
「数千万代の後孫が偉くなれ」という遺言をした人はいても、天のみ旨がこうであるから、このように生きなければならないと勧告した人は一人もいませんでした。
数多くの先祖達が、死の道でその民族を祝福する遺言をたくさん残しましたが、そのすべてが消えていくしかない遺言であったことを私達は知っています。


今日、統一の群れは、そのような群れになってはなりません。
人類が消えていっても、その遺言だけは残されてこそ、威信が立てられることを知っています。
このような道が、人類が経るべき道でありますので、今まで私達にそのような道を行くべき心を植えてくださったことを知っています。


私達は、お父様のみ旨の前において祭物となります。
目的に向かうお父様の事情の前に、最後の勝利を覚悟し、その誰よりも肯定的にその道を通過することのできる群れとならなければなりません。


そうして、天の光明たる太陽の光に代わることのできる基盤となり、千年史の恨みを抱き、その光を探し求めるにおいて一つの橋を架ける礎石になるとしても、それを幸福として受け止めていく統一の群れとなさしめてくださいますことを、心からお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.10.12)


32




私達が父母を見るとき、父母は全体の願いであり、慕わしさの表象であり、幸福の起源でありました。
動機にもなり、過程にもなり、結果にもなるのが父母でありました。


父母と子供の因縁を考えてみるとき動機もお父様であり、過程もお父様であり、結果もお父様であります。
お父様に会いたく思い、お父様を求め、お父様のみ旨を慕い、お父様を愛の起源とし、お父様と共に和動の因縁を結ぶ、その聖なる座に私達を抱くことのできるお父様の心情があるということを、私達は知らなければなりません。


そうして、お父様に対して言うに言えないほど喜ぶその姿、お父様の懐が恋しくてお父様の心情に深く入っていく息子・娘を、どれほど願われたかを私達は知らなければなりません。


父の懐に抱かれ、母の懐に抱かれ、父と母の生命の糧を子供が余すところなく受け、その父と母の心の座と望みの座を相続し、子供を通して未来を望むことのできる位置が、お父様が探して来られた父子の因縁が結ばれる位置だということを知らなければなりませんし、その聖なる位置を私達は追求しなければなりません。


私達は心からお父様を呼びながら、慕わしいお父様を放さず、お父様のほおに私のほおをつけ、お父様の涙と息子の涙が一つになる中で悔い改め一つの世界を探し求めるために訴えながら行く犠牲の歩みをその誰が阻むことができましょうか。
サタンもここには屈服せざるを得ず、サタンもこの場に参加しなければならないのが、本来の創造の原則であることを知っていますので、そのような息子とそのような娘になるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.11.23)


33




お父様!
あなたの聖なる生命力が私達自体に連結されるようにしてくださり、あなたの権威ある姿が私達自身と一体になるようにしてくださり、怨讐に対し耐えてこられたお父様の悔しい心を私達の心に受け継がせてください。


堕落の因縁によって失った子女を捜してこられながら、最後の勝利を望み、あえぎこられたお父様の歩みとその心情が私達の心に体得されるよう許諾してください。


お父様が私達を息子であり娘であると呼ぶことのできる親と子としての因縁を越えて、本当にお父様とーつとなり、私達がお父様の表象として現れることのできる、その位置を慕うようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


父と子は一体であると言われ、あなたは心であるがゆえに私達は体となって、私達の行いがあなたの喜びに連結されるべきことを知っていますので、この位置がそのようにできる位置となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


暗黒のようなこの地でありますけれど、私達があなたに向かって「お父様」と呼ぶことのできる新しい姿となるとき、初めてこの地がお父様の望まれた願いの地であり、願いの園となるのではないでしょうか。


そのような息子・娘の姿を見ることがお父様の願いではないでしょうか。
そのような願いの地で、全身全霊を込めて息子・娘を抱き、愛し、また、世界をそのように愛したかったのではないでしょうか。
そのようなお父様の愛の心が、私達の願いの園に込められていることを知るものです。


その中であなたに敬拝を捧げ、あなたの恩恵を叫び、あなたの勝利を欽慕できる姿が現れることをどれほどに待ちわびてこられたでしょうか。
また、あなたか無限に無限にほめたたえたく、無限に無限に称賛したく、全世界のすべてを相続させてあげたい愛の息子・娘が現れることをどれほど待ちわびてこられたでしょうか。
そのような姿となるには、あまりにも不足であるということを、この時に感じるものです。


ですからお父様、あなたの広いご心情と哀れみの慈悲のみ手で私達を抱いてくださり、あなたの高く深いその玄妙な道理を感じさせてください。
また、その何をもっても屈服させることのできない強い力によって、私達を縛ってください。
切にお願い申し上げます。


お父様!
この時間、私達一人ひとりを抱いてください。
困難の中に身を置くとき、あなたの能力で私達を自覚させてください。
そうして、明日の希望の世界の前に恥ずかしくない息子・娘となるようにしてください。


怨讐の前に強く雄々しい勇者の姿を備えるために、この地上に天国の理念を立てるためにこの道を踏み出した私達と、お父様、共にいてください。


開拓者としての使命とお父様の息子・娘としての使命を果たすために、備えるべきすべてのものを私達が備えることができるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.12.7)


34


お父様!
私達をお父様の絶対的な内容を分け与えることのできる一つの対象となるようにしてください。
そのような人になろうと身もだえするあなたの息子達となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


明日の希望の世界が、私達の前に近づいています。
明日のこの国は、どのような先進国家もできないことをする国であり、歴史を通じて誇ることのできる国として私達の前に訪れることを知らなければなりません。
また、この国の国民は、世界的な解放の旗じるしを揚げ、万国、万民の前に勝利を誓う国民になるという事実を知らなければなりません。


解放のその日を欽慕しつつ、その日を追求し提示しようとする群れがまさに統一教会員であることを悟るよう許諾してください。


私達はその中でも責任者であることを感じますときに、全人類歴史に一度しかないそのような責任をもって生まれたことを万宇宙の前に感謝しなければなりません。
また、父母の因縁をもったことを感謝しなければなりません。


私達は、行くべき道を知らない群れでしたが、新しい価値の基準を残すことのできる時代に生まれたことを感謝しなければなりません。


お父様の人格体となり、和動の中心体となるべき、このとてつもない使命を私達は知らなければなりません。


そうすることができる人格者となり、そうすることができる愛の実体となる立場に立つようになれば、お父様のみ旨が「私」のみ旨であり、「私」のみ旨がお父様のみ旨になるという事実を知らなければなりません。


このようにお父様と私達が一致し、内外に因縁を備える日には、全宇宙を解放することのできる権限が成り立つという、このとてつもない事実を知らなければなりません。
そうして、歴史的であり、宇宙史的な使命が私達の肩に負わされているということを知り、力強く行軍することのできる自らの姿を備えるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


この道を行くにおいて、私達が和動の中心体となり、あなたのみ前に孝の道理を尽くし、忠の道理を尽くすことができるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.2.26)


35




愛するお父様!
あなたがとどまることのできる国がこの地のどこにあり、あなたが率いることのできる民族がこの人類の中でどこにいるかと尋ねるとき、あなたがいまだにそのような国と、そのような民族に出会うことができないでいることを私達は知るものです。
国がある前にまず民族がなければならず、民族がある前に氏族がなければならないということを、氏族を編成するためには家庭が、家庭があるためには「私」個人が完成基準に達していなければならないということを原理を通して知っています。


国のないあなたの子女達がこの地上にどれだけいるかを考えますとき、お父様に対して「お父様」と呼んでいる人は地上に多くとも、あなたが慕い願われるその国と民を探し求めるために自覚し、心を砕く人は多くないことを知っています。


この地上にお父様の国がなく、民族がなく、氏族がなく、家庭がないとしましても、その国を代表し、民族を代表し、氏族を代表し、家庭を代表することができ、あなたの心の中にあるすべてのものを代表して受け継ぐことができる愛する息子・娘がいると言うときには、そのような息子・娘によって、そのような個人が連結されることをもって、あなたの心の前には希望の国が始まり、希望の民族と希望の生活的な土台が展開されるということを知っています。
そのような栄光の立場に立つことができる息子となり娘になろうと、この時間もう一度誓うことができますよう許諾してください。


お父様は数千年の歴史過程を経てこられながら、ただの一日も愛する子女を慕わない日はなかったということを私達が知り、その子女達を永遠無窮にあなたの栄光の国の民として存続させたい心が、愛したい心と共にあったということを私達が知りますとき、今日、何の値打ちもない私達自身に対するお父様の愛の心が限りないということを感じるようになりました。


そのようなことを感じれば感じるほど、お父様は体と心を通して、その国とその民を探しておられるということを知らなければなりません。


お父様のみ前に生命を捧げるのは、その国に対する忠臣の道理を果たすためであり、望みの民を編成し怨讐に籠絡される悲しみの環境を清算してしまい、あなたが栄光の父としてこの地に顕現なさることのできるその日のために探し求めてこられたのですから、今これを実際として感じることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


そうですから、お父様、あなたの子女達を心にかけてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.3.21)


36




私達の目が、お父様を見ることのできなかったことが口惜しい事実であり、私達の耳が、お父様の聖なる愛の声を聞くことのできなかったことが口惜しい事実であり、私達の鼻が、罪のないエデンでのお父様の愛の香りと花の園に漂うすべての香りをかぐことのできなかったことが恨みであります。


罪悪圏内にある万物ではなく、善であり聖なるあなたの解放の園にある万物を食べることのできなかったこの口が恨みを抱いています。


この感情として感じた一切、この触感に感じられた一切が、あなたと反対の立場で感じ接触したという事実を思いますとき、私達は汚れ汚れた堕落人間の後孫であることを自覚し、聖なる解放された善の姿を切に仰ぐ心でそこに到達し、そこに立って天を仰ぎ見てほめたたえ、あなたの勧告を聞き、あなたの命令を受けることのできる日を慕わなければなりません。


自然を、あなたが許諾なさった香気がかおる祝福の園で眺めながら、自らが感じる一切の感情があなたのみ前に帰化することのできる立場に立てなかったことを自嘆しなければなりません。


今まで愛好した退廃的なものを捨て、自ら天が守護したかった本然の自分を慕いつつ行くことができなければなりません。


私達の一切の感情が汚れていることを知っていますので、今、私達の心と感情全体がお父様を動機とし、お父様と因縁を結び、お父様による結果を結ぶことができるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.10.3)


37




お父様!
この世でも自分を中心として愛そうとすれば、孤独な身として残されてしまうことを、私達の日常生活の環境を通して感じ、知っています。
しかし、人のために無限に世界的な価値の内容を提示し、人を愛そうとする人は、一人寂しい立場に立とうとしても、環境がその人を寂しい立場に立つことができないようにすることを私達は知っています。


お父様!
私達はあなたが探してこられた真の男性とならなければならず、真の女性とならなければならないということを知りました。
また、そのような男性と女性が一体化することのできる、愛の起源を成立させることのできる所が家庭であるという事実も知りました。


その家庭において上は父母に侍り、下には子女を率いる本来の四位基台圈を追求することが、原理が尋ねていく道であるということを思いますときに、この時間私達がその立場とどれほど遠い立場にいるかを知って、自らを批判しなければなりません。


神様と共に一体化できる相対的な絶対圏、その立場を通して世界的な横的国家観と世界観が形成されるということを、すなわち、天国は男性と女性が天を中心として一つとなる家庭から始められるということを知りました。


人格の価値もその立場で決定されるということを思いますときに、私達はその立場を中心として考えなければなりません。


そのような立場にいるようになるときは、「私」自体の心の中に天国があるようになるということを、「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ*」と( *ルカ一七・二一)言われたイエス様のみ言が証しているということを知りました。


きょうこの場に来た子女達が、子女の名前を備え、天を父と呼び、地を貴い母として仕える心をもちましたなら、お父様、これからはこれらの者達が子女として行くべき道理をはっきりと悟るようにしてください。


天の父母を慕い、天の夫婦と天の子女の価値を慕わなければならないということを悟るようにしてくださり、今日、堕落した人間の後孫達にそのような価値ある立場を受け継ぐことができるようにしてくださいました恩賜は、その何をもっても返すことのできない感謝の因縁であるということを、私達が切々と感じなければなりません。


お父様!
今後の動き一切をあなたのみ前にお任せいたします。
きょうこの時間、天国の起源と私達の価値基準が一致すべきだということを改めて感じるものです。


今から家庭を中心として新しい三大愛の因縁を立てなければならず、それを全体の生活的動機として活用できる立場で、一つの世界を追求していく群れになるべきことをこの者達が既に悟ったということを知っていますので、そのような決意の上にあなたの無限なる愛と恩賜でもって共にいてくださいますことを再三お願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.11.21)


38




お父様!
主人のいないこの天地で、お父様が主人にならなければなりません。今後行くべきこの国の運命に責任をもち、指導することのできる中心にもあなたがなられなければなりません。


私達の家庭や個々人が望む願いの中心にもお父様がなられなければなりません。


世界でも必要とし、国でも必要とし、家庭でも必要とし、個人も必要とするのが、全天地をお造りになった主人であられるあなたであり、お父様であられることを私達ははっきりと知らなければなりません。


あなたは無限なる能力をもたれたお方であり、時間と空間世界のどのような制裁もお受けにならない全能なるお方であることを私達は知っています。
あなたによって造られなかったものはなく、あなたがすべてのものの原因となる内容をお備えになった主体であられることを知っています。


存在するものすべてがあなたとの因縁によって存在するということを私達は知り、存在するものは、主体であられるあなたのみ前に相対的目的をもっていないものがないということを知っています。
そのような立場に立った個人であり、家庭であり、国家であり、世界とならなければならないことも知っています。


日の光が差せば、すべての存在がその日の光を通じて生命を開かせ、それと一致しようとするのを見ますときに、微物も一つの中心に向かってそのように動くその現象を見るとき、私達もそのような立場で、あなたを私達の生命の主体として、私達の行く道と方向を照らしてくださるお父様として侍り、あなたと一体となり、あなたとーつとならなければなりません。


まず、あなたを主体とし、私達自身を永遠なる対象の実体として立て、主体と対象が分立できない一つの統一された姿を備えなければならないのが、私達個人の人生の願いであり、行くべき道の終着点であることを知っています。
そのような日を模索するために歴史が動員されてきたのであり、そのような自らを形成するために個々人の生活と生涯路程が設定されていることを私達は知っています。


お父様!
私達少数の群れがあなたのみ前に出てきました。
あなたが主体であられますので、私達は対象とならなければなりません。
あなたが主人であられますので、私達は主人の指示を受ける追従者とならなければなりません。
あなたが父母であられますので、私達は子女とならなければなりません。


あなたが主導的な能力とすべての生命の源泉であられるので、あなたを通す道だけが、私達においてはかいある生涯の行路であることを知り、そのように行くことができますよう許諾してください。
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1972.7.9)




39




愛するお父様!
恨みの多いあなたの心情に分け入ってみるとき、その心には誰も知ることのできない隠れた理想的愛がわき立っていることを、私達は知らなければなりません。


人をどうしてお造りになったのかと尋ねてみるとき、神様が愛したくて造られたということを、今まで考えることができませんでした。
今日まで、人間存在の本然の価値を知りませんでした。男性として生まれたなら、真の対象である女性を永遠の女性として愛すべきであり、家庭を立てたなら、家庭を永遠なる家庭として、神様の代わりに愛すべきなのです。


愛するその基準は、氏族と民族の土台となり、その民族の土台は、自然に国家の土台となるのであり、国家の土台は、自然に世界の土台になるだけでなく、天宙的土台になり得るのです。
そのような一つの方向に一致した不変の世界があってこそ、ひとえにお父様の本然の愛を中心とした新世界が成されるはずですので、今日、堕落によって痛手を受け、堕落によって恨みの圏内であえいでいる全人類を、お父様、哀れにお思いください。


時代時代の個人を調停し、家庭を調停し、民族を調停し、国家を調停して東西四方、この世界という舞台を中心として、背景の異なる各文化圏を収拾し、統一的な一つの宗教形態を、統一的な一つの新しい愛の体系を、お父様の愛を中心として成就させようとするお父様のみ旨があるがゆえに、それに従い、それを望んでいくのが宗教の目的であることを、今私達は知りました。


お父様!
このような観点において、新しい時代の宗教、お父様の愛の深い骨髄を切り開き、万民の心情心情、事情事情に、あるいは希望の中に移してあげることのできる、その道を立てるために現れたのが統一教会であることを知っています。


ここに立っている子供が、どのように迫害が加重されるとしても、その迫害を乗り越えることができるのは、深いあなたの愛を知ったからであり、今日、疲れもせず中断しないまま、明日の希望に満ちた歩みをしているのも、あなたの新しい愛を知ったからです。
死の道を逃避せず、それを直視しながら、直行することのできるこのような権威と、そのような自らの自信を備えたのも、あなたの愛の驚きを知ったからであることを、悟るようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


統一教会を信じて、過去の自分と違うことを発見できないというのは間違いです。
そうでない統一教会員は、この統一という名詞に対して罪を犯しているという事実を、私達が悟らなければなりません。
統一の信者というのであれば、どんな所にとどまっても、その環境において愛の主体性をもって現れなければなりません。


文なにがしが本物か偽物かということをどこで見いだせるかといえば、その結果を見て分かるといいましたので、統一教会員達が天の真の新しいまた一つの愛の主体として、とどまる環境環境を輝かすことができるようにしてくださり、われ知らずほのかに、標準的な対象として、あるいは主体として現れることができる価値的な内容をもってこそ、統一教会の信者らしい権威を備えた自らであることを悟るようにしてください。


天が今までこの教会を立てて働かれたのは、このような基盤を横的に世界化するためだということを私達は知っています。


民族を超越し、国家と国境を超越して、一つの心情圏を成し、一つの新しい血族と新しい文化世界の創造を目指して前進する隊列に立ったことを私達は知っていますので、どうぞ西欧に散らばっているすべての統一教会の群れ、アジアあるいは五大州に散らばっているすべての群れが、あなたの心情に従い、このようなろうそくの光にならなければならないのと同時に、大海に対しては灯台の使命を果たすべきなのです。


そのような使命がこの者達の上に負わされていることを知り、きょう、明日、未来に向かって進む愛の化身として、あなたの深い心情を証すことのできる証し人となるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1976.3.7)


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父の祈り(希望の祈り)1-1

2022年12月25日 17時25分00秒 | 学習
1

創造主なるお父様!
あなたの美しさがすべての万物万象に現れ、あなたのみ手が伸べられた形状の上には、玄妙なる顕現の美が満ち満ちています。


人間に対する創造目的である美を、きょうも休まず探し求められるお父様の切ない心を、私達が体と心で体得でき、あなたの愛のみ前に美しさをもって対することができますようお許しください。
私達の心が、お父様がお造りになった時の本然の心でもって現れるよう許してくださり、私達の体が罪に染まらない創造直後の体として、その美を表せるようお許しください。


私達の心と体が神様の愛と心情に代わり、神様が動ずれば私達も動じ、神様が静ずれば私達も静ずることのできる、完全無欠な本然の姿として立つことができますようお許しください。
これが、お父様が今まで復帰摂理歴史を経ながらご苦労された、一つの目標であったことを知るものでございます。


今、私達が探すべきものは自らの心であり、成すべきものは体でありますので、それを探し立てることができるようにしてください。
そうして、お父様の本性の美を代表し、敬拝を捧げることのできる一個体として立ててください。


お父様のみ前に感謝と栄光の歌を捧げることができますよう許してくださり、これがご苦労されるお父様の目的であったことを、私達が骨身にしみて感じることができるよう許してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達は堕落の血統を受け継いだがゆえに、自分でも分からない間に天を離れ、自分を重視する生活をするようになり、天倫を離れ、自分を中心として動く者となりましたので、これを回復して天倫に対することのできる本然の心の叫びに導かれるよう許してくださり、本心の動きが私の体を刺激し、天が取ることのできる本熱の自我を探し出せるようお許しください。


そうして、億兆蒼生(=数多き未完成の霊人達)に対する嘆息を私達が解怨し、天地のすべての嘆息を解怨して、お父様のみ前に謙遜にひれ伏して敬拝を捧げることができ、お父様の愛を受けることのできる子女として立ててくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.6.10)


2

愛するお父様!
私達に残された運命の道が、幾重にも重なった険しい道であることを知りますとき、今日私達が信じている範囲はあまりにも狭いのです。
あまりにも狭く、あまりにも消極的に、あまりにも不備のままにみ旨の道をついてきた私達であったことを、お父様のみ前にありのままに告げざるを得ません。


お父様!
天資の摂理の全体を導いていかれるお父様のみ前に、主管を受けることができますよう許してください。
お父様の形状を望むことができるように、お父様、哀れみを許してくださり、助けてくださり、立ててください。
地の上にある万物を代表するにおいて不足のない姿として、自然に善悪を分別することのできる本然の実体として整えてくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
今、「自分」という観念を忘れることができるようにしてくださり、私達の体からサタンの所有権を取り除いてください。


私達の心が神様だけを所有することができ、神様だけを呼び求めることができ、神様だけを誇ることのできる、万物に対する不変の個性体として復帰されるようにしてください。


そうして、私達がお父様に栄光を帰し奉るようになるとき、万物も和勤し、天にいる数千万の聖徒も和動して、一つの叫びが、感謝、感謝、ハレルヤが天地の上に一律に起こるようになるとき、サタンが自然屈服するということを知っていますので、そうできますよう、お父様が導いてください。


お父様のすべての主管性を、私達の体で終結できるよう許してくださり、勝利のホザナと凱歌を、お父様のみ前に歌ってさしあげられるようお許しください。
万物万象が和動する中で天を代表した勝利の子女、証の主人公達となれるよう許してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.6.27)


3

お許しくださったこの日、お父様のみ前に敬拝を捧げるためにひれ伏しましたので、私達の心霊を洞察してくださり、非のない心を奮い起こしてください。


この時間に捧げる敬拝が、お父様の切ない心情を慰労してさしあげ得る敬拝となることができますよう許してくださり、あなたが経綸なさるみ旨を私達に命じ、任せることのできる時間となるよう許してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達を呼び集めてくださったのもあなたでしたし、私達に勧告し、生命圏の中で動くようになさったのもあなたのみ業であることを知っていますので、あなたが約束なさった聖霊の炎を許してくださって、各自の体と心が和動し、全体の喜びとして現れるのに不足のないよう助けてくださり、お父様が要求なさった神性の全体が、この時間に現れることができるよう許してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達に哀れみの愛を注いでくださり、天の栄光に向かって全体の心が傾き得るよう、聖霊の働きによって導いてください。
そうして、私達すべてが民族を代表し、人類を代表し、天上天下の全被造万物を代表して至聖所の門を開き、お父様のみ前近くに行き、勝利の生きた祭物を捧げることのできる敬拝の時間としてお受けくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達の敬拝によって、この民族がお父様のみ前近くに立てられるよう許諾してくださり、ひいては全人類が罪悪圏から逃れ、お父様が主管なさる、善主権の世界に越えていける機会をもてるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


今この時間、すべての体と心が、お父様に向かって敬拝し得る心と、伏して従う心を、お父様のみ前に表しましたので、約束なさった成すべきすべてのみ旨を、余すところなく命じてくださいますよう
心からお願い申し上げます。


聖なる三位神の働きがすべての人の上に満ちるようにしてくださいますように願いながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.7.1)


4

愛するお父様!
涙と涙が交流するそのひとところに、切っても切れない天倫の情理が通ずるようにしてください。


天倫の情が通ずるところには、生命の因縁が連結され、天上に秘められていた愛の因縁が現れるようになることを知っていますし、また、それが地を通じてつながらなければならないのが天倫の法度であることも知っています。


お父様!
天が願われる復帰された園は、全体が愛の園であり、勝利の園であり、栄光の園であることも知っていますし、そのような園を築くために、今日、私達が一身で奉仕する生活を通じて、神が喜ぶことのできる生命と愛と栄光を再び探し出すと同時に、自分自身を整えなければならないということも知っています。


ですのでお父様、創造以来抱いてこられた理想の基準を、私達を通じて立ててください。
そうして、その基準を土台として千年王国を建設し、お父様の理想圏まで進むことによって、億兆万年、永遠無窮に与えてくださるお父様の内的心情を、この地上にいる人間達が完全に受け継ぐことができますよう許諾してください。


私達が天と地を代表した存在として、サタンの前に讒訴され得る一つの条件も残さず、完全復帰をなして完結してさしあげられるように導いてください。
お父様の全体価値に対する栄光をすべて探してお捧げできる子女達となるようお許しください。
愛するお父様、心からお願い申し上げます。


人間が知らない生活において、心において、生命力において、愛の路程において勝利の主人公になることができなければ、そのようなことが完結されないということが分かるようにしてくださり、サタンとの闘いにおいて最後まで勝利しない限り、そのことが完結されないということが分かるようにしてください。
今、私達が最初から最後まで、すべての闘いの過程を経て、お父様のみ前に立ってお父様の心を私達の心として受け継ぐために、祝福のみ言を奏上することができるように導いてくださり、勝利の因縁を造成してお父様のみ旨を代わって担えるよう許諾してください。


私達のすべてのものをお父様のものとして帰し奉り、サタンに対して闘い勝利することによってお父様の栄光の遺業を継承できる者、万物を完全に復帰して勝利的な主人公の資格を備えた者となる時まで、お父様、保護してくださり、聖なる三位神が助けてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.7.3)


5

お父様!
きょうここに集まったあなたの息子・娘達すべてを主管してください。
私達の心と体に、お父様の喜びのみ旨が現れるようお許しください。
お父様の顕現とお父様の働きによって、私達の誤った考えと誤った主義と誤った観念を除いてください。
そうして、私達によって、天性にしみた恨みがこの時間にすべて清算され得る感動の働きが、全体の上に起こるよう、お父様、お許しください。


悔い改めの働きが私達の心に起こるようお許しください。
能力のみ業でもって私達の体を打ってくださり、悪の要素が除かれ、善の要素だけが、永遠に実存なさるお父様のみ前に堂々と現れるよう許諾してください。
そうして、私達が本質、本性によって、お父様の善に応答でき、お父様の愛のみ前に和動できるようになることによって、このような美自体をご覧になり、お父様が楽しまれると同時に、天上にいる聖徒達まで、この時間、私達によって和動し、栄光の歌をお父様のみ前に帰し奉れるよう祝福してください。
お父様、
心からお願い申し上げます。お父様!きょうこの時間、私達に任せてくださった使命が、私達自体の救援と、私達自体の解放のために任せてくださったのではないことを、銘記するようお許しください。


今日の私達に、この民族の運命がかかっていることが分かるようにしてください。
今日の私達によって、全世界人類が天と地に哀訴の条件を立てられるようお許しください。


お父様!
荘厳で深刻な生死の道に立っている私達が、右手では天をつかみ、左手ではサタンを打って勝利を収め、両手を挙げてホザナの栄光をお父様のみ前に帰することができる時まで、お父様、捕まえていてください。


時でない時に、時のみ旨に対するあなたの孤独な息子・娘達が、サタンとの闘いで疲れないよう許諾してください。
今まで保護してくださったお父様、この時間以後にも保護してくださる恩賜を、子女達がお願いすると思いますので、どこにいてもあなたのみ旨を代わって担い、あなたの深い恨みを晴らしても余りあるよう許諾してください。


私達すべてが、私達の生命を祭物としてお捧げしたとしても、お父様の恨みの心情を晴らし、天のみ前に感謝の敬拝を捧げることができるよう許諾してくださり、私達を、お父様がお喜びになり得る、ホザナの栄光を帰し奉る美自体としてお立てになり、早く早く、天のみ旨を余すところなく成してさしあげることのできる姿となるようお許しくださいますことを、愛のお父様、心からお願い申し上げます。


この時間、喜びのみ旨だけが働いてくださることを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.12.2)



6

愛のお父様!
私達の心の園の上にあなたの幸福が植えられるよう許諾してください!
あなたの生命が植えられるよう許諾してくださり、あなたの愛が植えられるよう許諾してくださり、あなたの栄光が植えられるよう許諾してください!


お父様の幸福と生命と愛と栄光が、私達の永遠の心の基礎となり、地の上の不幸なすべてのことを踏み越えることができるよう許諾してくださり、暗闇の世を踏み越えることができるよう許諾してくださり、分裂と闘争がはなはだしいこの世を踏み越えることができるよう許諾してください。


嘆息とそしりと涙を踏み越えることのできる息子・娘となり、幸福を多くの人々に分け与えてあげられる人にならなければならないので、不足な私達を導いてください。


お父様!
きょう私達自身が、
お父様のみ前に真の子女として立たなければならず、悪の立場で幸福を享受したり自分を中心として幸福を享受してはならないことを知っています。
また、キリストがこの地に来られて生活されたのも、自分を中心とした生活ではなかったことを知っています。


そうですから、お父様!


自分が幸福である前に兄弟達が幸福であるようにしてくださり、自分か楽しい前に兄弟達が先に楽しむことができるようにしてください。


自分を越えて天宙的な生涯路程を歩むことのできる心をもたせてくださり、キリストの生涯路程を模範とし、真の兄弟同士善でのみ対し、互いに愛し合うことができるよう許諾してくださり、神様の幸福と生命と愛と栄光を占有することができるよう許諾してくださり、真の兄弟達の因縁を中心として切っても切れない一つの中心として立ててくださいますことを、愛するお父様、心からお願い申し上げます。


真実に他人を愛する人がいるならば、本然の園はその人を通じて永遠の価値を表すことを知っていますので、どうぞ、どうぞ、お父様の愛の圏内で、お父様の願われた天の息子・娘となって、恥じらいなくお父様の栄光を歌うことができるように導いてください。


お父様のみ前に美の対象として個体的な価値を表し、お父様に感謝と栄光をもって敬拝できるよう許諾してくださり、どうか永遠の勝利の子女達となるようお許しくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げます。


アーメン。
(1957.6.9)


7

愛のお父様!
私達は今まで前だけあると思っていましたが、後ろがあり、きょうだけだと思っていましたら、あしたもあり、上だけあると思っていましたが、下もあるということを、この時間、知るようになりました。


また、それが
永遠のみ旨を中心として関係を結んだならば、右側が左側になり、左側が右側になる、すなわち前後左右がそれぞれその位置を変えても、お父様のみ前に立つことができることを知るようになりました。


ところが、いまだに人間自体にある根本罪悪の根を抜き取ることができずにいるので、今日この時代は前後、左右、上下がそれぞれ混沌となり、正しく授け受けできないでいることを、また感じるようになりました。


愛のお父様!
今こそお父様の永遠の理念を中心として前後、左右、上下が完全に一つになる喜びのひと日が、早く早く臨むよう許諾してください。
今、私達が、今まで自分を捨てようという心がなく、自分を立てようという心だけがあった私達自身であるならば、あるひと日には、お父様の審判を逃れられないことを悟るようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


そうして私達が、上が下の身代わりとなり、下が上の、右が左の、左が右の身代わりとなる、このような一体不可分の関係を築き、お父様のみ前に誇ることのできる者として、お父様の栄光を歌うことのできる真なるお父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
今日、この時代は、見えない脇道が私達の前に横たわっていることを知っていますので、今、私達が、その道を分別し、天に向かって黙々と前進しながら、
勝利的なひと日のみ旨を成し、お父様を慰労することのできるお父様の息子・娘となれるよう許諾してください。


今まで一つの目標として願ってきたすべてのことが成され、一つの目標が成され、一つの目標で実が結ばれるそのひと日のお父様の喜びが早く早くこの地上に現れるようお許しくださり、お父様が喜ぶその心に動じ、私達も喜ぶことができるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.11.1)


8

お父様!
真を求めさまよっている人類の前に、私一個体は神様の代表であり、夫婦の代表であり、父母の代表であり、子女の代表であり、兄弟の代表であることを知っています。
また、このような偉大な根本的な存在の位置を決定できる心の安息所を、私の一個体を通じて、宇宙に成しておかなければならない必然的な歴史路程があるということを、私達は知っています。


今、私達一個体において、男性は真の姉を、真の妹を求めており、真の母を求めており、真の相対を求めており、また、女性も真の相対を求めているということを知っています。


このように同じ理念を求めさまよっている人類であり、同じ立場に置かれている人類であり、怨讐にしようとしても怨讐にできない人類であり、創造理念によって結ばれるべき人類であることを知っています。
ところが、人類の堕落によって父母の愛が壊れ、夫婦の愛が壊れ、兄弟の愛が壊れました。
したがって、今日私達がこれを探していくためには、先に兄弟と兄弟同士が、愛の感情を感じなければなりません。
ひいては神様の六千年の悲しみを代わりに担って愛することのできる相対を探し出してこそ、天と地を代表できる原則的な基準が復帰されるという事実を今、知りました。


今日、私達一人の姿は単純な存在ではなく、四方性を備えた、どの一面も欠乏してはならない存在であるがゆえに、私達に兄弟がなければ悲しいものであり、友達がなければ悲しいものであり、父母がなければ悲しいものであり、子女がなければ悲しいものであることを知るものでございます。
それは人間が四方性を備えて、互いに愛し合うのが天理原則であり、それが永遠の本心として神様が許諾してくださった生の第一基準になるので、現生活でそのような原則を忘れてしまえば悲しむようになるということを、ここに集まったあなたの息子・娘達が分かるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げます。


今、人類を神様の身代わりに抱くことのできる心、御子の身代わりに抱くことのできる心、聖霊の身代わりに抱くことのできる心情を備えるようにしてくださり、私達が天の子女として、人類を抱けるよう許諾してくださり、そのような心を備え、天を思い地を思うことのできる私達となるよう許諾してください。
悲しみ、苦痛に当面しながらも、喜ぶことのできるひと日を迎え、永遠の万物世界の前に一つの中心として復帰され得る喜びの日が、早く臨むよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げます。


このような絶対的な鉄則によって、私達の体から肉の父母、肉の兄弟、肉の夫婦、私達の心から心の父母、心の兄弟、心の夫婦、永遠の理念世界から霊を中心として、霊の父母、霊の兄弟、霊の夫婦として備えられた、すなわち三大父母、三大兄弟、三大夫婦の三位型を平面的な私達の個体で築くことができるよう許諾してください。
このような実体的な結実体として証となり、神様の認定を受け祝福を受けることのできるひと日を迎えなければなりません。


今、私達の肉身の真の父母を、心の真の父母を、霊の真の父母を探し求めてさまよわなければなりませんが、霊の父母はお父様であり、心の父母は再び来られる主であり、肉の父母は私達を産んだ父母ですので、これに相対となる私達の子女、兄弟、相対を探し出せるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げます。


アーメン。
(1958.12.21)


9

お父様!
地上に生きている万民を哀れにお思いください。
み旨を完結すべき日が近づいてきているということを、私達は知っています。
その日はお父様の解怨の日であり、イエス・キリストの願いの日であり、人類が懇切に待ち焦がれた日であることを、私達は知っています。


その栄光の日を迎えて、私達がお父様に心から侍らなければならない時になったのであり、その恐ろしい審判の日を迎える前に私達が罪悪歴史を逃れなければならない時が来たということを知っていますので、今、お父様、私達の心を再びお造りになって、あなたがお喜びになることのできる心性を備えられるようにしてください。
私達の体を再びお造りになって、あなたがお働きになり得る形状体となるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げます。


そうして、お父様がお造りになった心で、体で、本然の願いを歌うことのできる、あなたのものとして所有され得る真の息子・娘となるようお許しください。


そうして、その栄光の中で一つになり、お父様の楽しみが私達の楽しみであり、私達の楽しみがお父様の楽しみであると同時に、天上にいる数千万の聖徒達の楽しみであり、被造万象の楽しみとして現れることのできる日が、お父様の願いの日と、お父様の栄光の日と、お父様の喜びの日が、早く早くこの地上に現れることを私達は切に願っています。


今、心が未熟な者がいるならば、お父様の本然の心に従って走ることができるよう許諾してくださり、お父様の性相を代表してお造りになった人間本然の形状をもつことのできない者がいるならば、体を屈服させ、すべての悪の要素を除去することができるようお許しください。


お父様が動ずるときに、心で、体でお父様の心情に和して動ずることのできる天の息子・娘達がとても慕わしいので、お父様、私達の心があなたの本然の心に動ずることができないとするならば、その心を除去させてくださり、本然の形状に似ることができずお父様の心情に動ずることのできる形状体となることのできない体があるならば、その体を屈服させてくださり、本然の形状を備えることのできる一つの美自体として現れるのに不足のない体となれるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


今、私達の体と心をすべてお捧げしますので、お父様、受け止めて主管してくださり、サタンが付け込むことのできる一切の要素を除去させてください。
お父様が親しく命令なさり、和することができ、善の栄光を表すことができるよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.11)


10

お父様!
暗闇の権勢と闇と深い眠りから目覚めるべき人類ですが、目覚めようとしないでいます。
どのような障壁が私達の前途に立ちはだかるとしても、新しい光明の旗に向かって走ることができるように、お父様の哀れみのみ手を私達に表してください。


お父様!
幼い私達のためにご苦労された、お父様の歴史的な苦労を私達は知っていますし、闇の根性が潜在している自分達を見るとき、悲しまなければならない私達であるということも知っています。
お父様が地を眺めて悲しまれたように、きょう私達も自分を眺めて悲しまなければならないのでございます。
ひいては私達自身を越えて、悲しんでいる万物に対する負債を清算し、悲しまれるお父様の心を慰労してさしあげるべき責任が、私達に残されているということを心では知っていますが、この責任を成し遂げられないまま、きょうこの場まで出てきたことを受け入れてください。


お父様は喜びの歴史と喜びの実体を立てようとなさいましたが、悲しみの歴史を悲しみでもって継承し、悲しみの実体をつくってしまいました。
恨みと嘆息の結実体となったので、これがどうしてお父様の悲しみにならず、これがどうしてお父様の心情の曲析にならないでしょうか。
きょう、このような悲惨な姿、再分析され再創造のみ業でもって再び造られることを願わなければならないかわいそうな立場にいる私達を、お父様、一層哀れにお思いになり、お父様のものとしてお取りくださり、お父様の理念でもって再び造られ得る実体としてお取りください。
願われるみ意のままに私達が天の本性の美を備えることができるように、本然の創造の法度によって私達の心と体を再びお造りください。
わがお父様、切にお願い申し上げます。


悲しみの障壁を切り開いて新しい朝の光明を望み、ハレルヤの凱歌を歌い、万宇宙の主人を探し出した喜びを歌うことができ、万宇宙を創造されたお父様に侍ったことを喜ぶことができるようお許しください。
そうして、お造りになった万象に対して本然の慕わしさを感じることができ、本然の誇りをもつことができるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


人間の堕落以後、万物まで悲しみ嘆息してきたということを知っていますし、真の息子・娘の手によって本然の被造物の立場に近づくことを願っているということを、私達は知っています。
お父様を慰労してさしあげ、万物を本然の立場に復帰させてあげるべき使命が私達にあることを考えるとき、きょう不足な私達であることをお父様のみ前に申し上げ、再びお父様の苦労を待ち焦がれなければならない事情に置かれていることを受け入れてください。


このようにしてでも、お父様の願いとお造りになった万物の願いを成就して、誤った六千年の嘆息を終結し、恨みを晴らさなければならない責任が私達各自にあるということを知っていますので、哀れみ深いお父様、愛のお父様、私達の心がお父様と遠い距離で動かないようお許しください。
お父様の性相、形状と遠い距離で動く私達とならないようお許しください。
お父様がお遣りになったがゆえにお父様と心も通じ、体も通ずることのできる創造の因縁があることを知っていますので、ちりにも劣り微物にも劣る私達をお父様、本然の能力の権限圏内に導いてくださり、本性の姿として再び立ててくださいますことを切にお願い申し上げます。


そうして、お父様のみ前に誇ることができ、天的な威信を立てられる一人の息子として、一人の娘として、暗い世の中に光明の光となるようお許しください。
また、暗いこの地の上に新しい天の喜びを伝えることのできる、東方の光の身代わりとして現れることのできる小羊の群れとなるようお許しください。


このすべての使命と責任を私達が引き受けられるよう、力を許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.15)



11

私達の生死を主管されるお父様のみ前に、不肖な者達が訪ねてきましたので、お父様、受け入れてください。
あなたのみ意のままに取ってください。


生命圏に属し、お父様のみ前に賛美をお捧げすることを願っておりますが、死亡圏に属した罪悪の根性が、今日まで私達をとりこにしていますので、新しい圏内にお導きになるために救援摂理をしてこられたお父様が、顕現して死亡の権限を除去させてくださり、生命と復活の恩賜を許諾してください。
永遠であられるお父様!
創造の価値を備えた一つの生命体として動ずることができるようお許しくださり、ひれ伏した者達が、お父様の至極善であられることを歌うことができ、至極美しいことを称賛することのできる賛美の姿となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


人間始祖の堕落により、天と地の生命の因縁が断ち切れるようになり、天使世界を代表して頌栄を捧げなければならなかった天使長が、天を裏切ることによって、頌栄の責任を果たせなくなった事実を知っています。


きょう私達をお呼びになりましたので、頌栄をお受けになれないことによって積もったお父様の恨みを、私達を通してお晴らしください。
話し合うことのできなかった内的事情を私達と話し合ってくださり、万民と天を連結させることのできる因縁の存在として、私達を立ててください。
お父様、切にお願い申し上げます。


創造の楽しみを私達と共に分かち合おうと侍ち焦がれてこられたお父様のみ前に、すべての忠節を捧げ、お父様を助ける生命の実体として、お父様と因縁を結べる私達となるよう導いてくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


天は、この上ない心で賛美を捧げようとする者を求めておられるという事実、きょう私達がこの上ない手助けの対象としてお父様のみ前に立つことを待ち焦がれておられるという事実を、私達が悟るようにしてください。


私達をして、すべてのものを主管させるために創造理念を立てられ、今までご苦労されたお父様の心情をたどってみて、お父様のみ前に無限なる手助けの存在として、無限なる賛美の存在として、無限なる恩恵の存在として立つことのできる私達となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.8)

12


お父様!
イエス様がこの地に来られて、真理をお知りになったその日からもたれた彼の願いは、日がたてばたつほど、家庭を越え、民族を越え、国家を越え、世界を越え、無限なる霊界まで越えてお父様とー体とならなければならないということであり、またすべての初めも終わりも、お父様と共に動じなければならないということをお知りになり、難しい道、悲しい道、十字架の道を意に介さず行かれたということを私達はよく知っています。


お父様!
私達の目の前に見えるすべてのものは美しいようですがそれらはただ単に私達と共に過ぎていく現象にすぎないということを、私達が悟るようお許しください。


私達がよいと思い、私達が信じ、私達がよりどころにした世の中の一切は、私達の心の世界と永遠の望みの世界には助けにならないということを知っていますので、お父様、このすべてのものを捨て、ただお父様を中心とした望みが私達の生命全体となるよう許諾してくださり、生涯のすべてとなるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様のために生き、お父様に向かう望みが、私達のどのようなものよりも一層貴重であり、私達の生命よりも一層貴重でありますので、それを捕まえ、闘っていく者にならなければお父様の息子・娘になれないという事実を私達は知っています。


死の峠までもあざ笑い、越えて立つことのできる強い望みを私達に許諾してください。
それが望みとしてだけ終わるのではなく、この望みに燃える衝撃の心が一層強くなるよう許諾してください。
そうして、その心と体がこの道に向かって走り得る息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様のために生きようとする望みの一念が強い者でなくては、死の道まで越えることのできる望みをもった者でなくては、あなたが信じることができないという事実を、私達が悟るようにしてください。
今日私達の望みは、数年間もっていて途中でやめる望みではなく、永遠に捕まえていくべき望みであることを知り、ひいてはその望みがなければ生きがいがないということを悟る息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様!
私達がお父様を思えば思うほど、お父様が慕わしくなる望みの心情、お父様の生命を慕う望みの心情、お父様の愛を慕う望みの心情をもつよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。
そうして、お父様の約束とともに祝福を受けることのできる息子・娘として立てられる時まで、切実なる望みの心を私達の生涯路程から、生活から奪われないようお許しください。


数多くのサタン達がこれを奪うために、私達を侵犯していることを知っていますので、あなたが許諾なさった望みの心を終わりまで捕まえ闘って、お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる息子・娘となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
最後に残された戦場でお父様の望みを捕まえ、サタンと闘って勝利し、お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.22)


13

私達の心と体がお父様の肢体として認定され得る立場まで、私達を導いてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


多くの人々が天性に向かって出発をしておりますがお父様の心中を望んで行く真の息子・娘達がどれほどいるかを考えるとき、案じる心をもってお父様のみ前に立たざるを得ません。
お父様が私達をお呼びになりお捜しになられてから六千年になりました。万物の主人として、親しく私達をお呼びになりお捜しになられましたが、私達がしかるべき喜びの実としてお父様のみ前に出てきているのかを自ら考えるときに、私達自身が生きてきた過去のすべてのことを、お父様のみ前に再び悔いなければなりません。
平素に私達が行動することのすべても反省しなければなりませんし、きょうを契機としてあすまた行動するすべての姿を、物悲しく眺めながら悔いなければならない立場に立っていることを受け入れてください。


天が待ち焦がれられる本来の姿は栄光の姿であり、捜し立てようとされる姿は誇らしい姿でありましたが、今日、私達はそのような姿となることができず、お呼びになる真なる本然の姿を備えることができませんでした。
このように自嘆するしかない自我を発見するとき、お父様のみ前に面目のない自分を悔いる切実なる心なりとももつことができるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、私達は、お父様が共に手を捕まえ、地を望み、涙することのできる真の息子を恋しがられることを知っていますし、娘を恋しがられることを知っています。
多くの人々がお父様の手をつかんでから背く立場に立つことによって、お父様から忘れられるようになったことを知っています。
しかし、今日私達は、天に向かう一片丹心でもって私達の体を従わせ、私達の生命を捧げてお父様の手を捕まえ、事情を申し述べることができ、残され得る息子・娘となることができるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


多くの人が天を恨み、天を排斥し、天に背反する立場に立つとしても、私達だけは不変の心情を抱き、お父様がお喜びになることのできる歓喜のひと日を探していく息子・娘達となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


心でだけ動ずる私達とならないよう許諾してください。私達の体を、聖なる生きた祭物としてお父様のみ前に捧げ奉ることによって、お父様の栄光を表せる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


残された本郷が理想としてだけ残っていることを知った私達が、今お父様の心情を一身に備え、その理想を地上に実際に果たすべき責任と使命も残っているということを悟るようお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様は不足な私達人間を救うために摂理してこられました。
今、最後の勝利のひと日に向かっていく私達、祈祷する心が変わらないよう許諾してくださり、親不孝な立場に立たないよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.29)



14


私達をお捨てにならず、新しい愛でもってお導きになることを休まれないお父様!
私達の姿がみ旨の前にふさわしくなく、お父様の心にかなわないとしても、哀れみの心をもって対してください。
それでも険悪な世の中を逃れ、お父様の心情の世界に尋ね入ろうという切実な心がありますので、この心をご覧になり、お父様の哀れみの愛をお加えになって受け入れてくださり、尋ねてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


切実な心情でお父様を捜し出し、お父様の事情を心配しながら現れた者は、お父様がお捨てにならないということを知っていますので、私達の心がお父様の心に向かって走るよう許諾してくださり、私達の体がお父様の懐に抱かれるために走るよう許諾してください。


悔しく悲しく無念なる罪悪史を退け立つことのできる動きが、私達の体と心に満ち満ちるようにしてくださり、私達の体と心に衝動を与えてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、私達の心はお父様の性相が慕わしく、私達の体はお父様の形状を見つめたく、私達の手はお父様の手をつかみたく、お父様の体を捕まえたいのです。


そのような真の息子・娘、あなたの愛を歌うことのできる息子達を迎えようとなさることは、人間に対するお父様の中心的な願いであることを知っていますので、私達の心だけでもそのような心情に徹することのできるこの時間となるようにしてください。
お父様、切にお願い申し上げます。


過去の誤った自分を譴責し、今日の不備な自分を恨む物悲しい心情が私達の心中から爆発し、お父様を呼ぶことができてこそ、お父様が私達を捕まえるのであり、お父様が私達を見つめるのであり、お父様が私達を抱いてくださるのを知っていますので、お父様、そのような心情を備えるよう許諾してください。
そのような心情に徹し、不足な自我を認識して、お父様のみ前に一切を捧げることのできる切実な心が、私達に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


天に向かうべき心が混乱の中で彷徨して、体がとどまる場所を見いだせない環境に置かれているとしても、お父様は私達をお捨てにならず、恩賜の手でお父様の懐にお導きになることを知っていますので、私達を哀れにお思いになり、お父様のみ前にひれ伏し訴えることのできる心を生じさせてくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.12)



15


天の栄光をお探しになるために、長い歴史過程を耐えて闘ってこられたお父様!
その摂理の栄光をお父様お一人で享受することのできる日が、早く早くこの天地間に現れるようお許しください。
お父様が立てられた本然のみ旨は、人間が失敗したその日から無数のサタン達の前にすっかり蹂躙されてきたという事実を、私達はよく知っています。


この地上の人間を中心として成すべきみ旨が蹂躙されることによって、そのみ旨に対し得る人を見いださなければならない立場に置かれた、天の事情を私達は知りませんでした。
み旨に対し得る人がいないので、お父様お一人で数多いご苦労の路程を経てこられながら、心を砕かれ、お父様の心中にしみわたったみ旨を人間の前に伝えてくださるために無数にご苦労された歴史が今日までの救援摂理歴史であることを私達は知っています。


お父様!
今私達が、現れた救援摂理のみ旨を通じ、歴史路程を通じて、お父様がお喜びになることのできるそのみ旨を心に所有し、お父様の栄光の道を尋ねていくために、すべての精誠を棒げることのできる天の息子・娘となるようお許しください。


お父様のみ旨は真の息子・娘を捜すことであるのを知っていますので、今私達が、お父様のお喜びになる真の息子・娘として、お父様に侍り得るその国、その世界、その天地を成せるよう共にいてくださり、またこれがお父様の願いの国であり、願いのみ旨であることを悟るようにしてください。
真の息子・娘達が万物全体を和動させ、賛美を捧げることが、六千年を闘ってこられたお父様の最大の喜びであり、願いであることを私達が知り、その国を建設するためにすべてのものを捧げて立つことのできる天の息子・娘達とならなければなりません。


お父様!
きょう私達がお父様のみ旨を知り、お父様のみ旨の中で選び立てられた息子・娘であることを知り、今、お父様の栄光のひと日のために、きょうも、あしたも闘いの道、重苦しい道、死の道を物ともせず、生命を捧げ立つことのできる天の息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


真のみ旨を抱いた真の息子の姿としてお父様に侍り、お父様に敬拝を捧げることのできるこの時間となるようお許しください。
このみ旨を成就するために集まる所々ごとに、無数のサタンの勢力が侵犯しているということを知っていますので、私達各自の心と体に侵犯してくる闇の勢力を除去してくださり、私達をお父様の寛大な懐にお抱きになって、生きた姿でもってお父様の栄光の時代を築いてくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1976.4.26)


16


本然の園を造っておき、本然の真の子供達を抱き、本然の心情を通して楽しむべきお父様の理念が、まだこの地の上に現れていないという事実を私達は知っています。


私達人間が、死亡に捕らわれたその日から今日まで、本然の心情で天を歌う時がなかったことを受け入れてください。


本然の一個体として、お父様を呼ぶことのできる栄光の位置に立てなかった哀れな私達を受け入れてくださり、本然の心情を備えて、切実な心情を込めて「わがお父様」と呼ぶことができなかったことを、お父様、哀れに思ってくださいますよう切にお願い申し上げます。


本然の園を失ってしまった人類は、死亡の世界に落ちて暗闇と闘い、怨讐達の掌中に捕らえられ嘆息と絶望の中におりましたが、本然の心の痕跡が残っている良心を通しては、本然の故郷を懐かしがっています。


歴史的な闘いを経てきながらも、時間ごとに感じられる天の感触を通して、天の生命の一つの流れを探してきた私達を助けてくださったお父様に、感謝いたします。
この上なく幼く不足な私達が、この一路程に悩まされ疲れていることをお父様がご存じなので、再び哀れみの手を広げてください。


再創造の能力を許諾なさり、本然の心情を回復させてください。
本然の姿としてお父様に近づくことができるよう捕まえてくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


私達はこの地上のすべてのものを切ったとしても、天が願われる本然の世界に向かっていかなければなりませんので、今私達が、本郷を慕う切実な心に徹するよう許諾してくださり、私達の体が、私達の足が疲れるとしても本郷に向かって走ることのできる立場に、お父様、押し出してくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達の体と心が一つになって天の心情を思慕するよう許諾してくださり、お父様が最後に私達人類と共に楽しむことのできる幸福の園を私達をして建設させてください。
この時代の億千万人が妨げることがあるとしても、愛の心をもってそれを信じていくことのできる私達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
堕落した群れ達ですので、どうせ復帰路程を経て本然の自分を見いださなければならないのであり、本然の故郷を求め、本然のお父様に侍り、本然の世界を建設しなければならないことを知っています。


今日、堕落した私達は、お父様の愛の心情を知らず、本然の故郷を知らず、本然の人格と本然の姿を知りませんでしたので、お父様、再びみ言を通し、人格を通し、愛の心情を通して本然のその姿となることのできる全体要素を具備して、お父様に侍り、生きるにおいて不足のないよう、私達自身を栄光の姿として立ててくださいますことを切にお願い申し上げます。


このようなことを阻むため、数多くの怨讐サタン達は、歴史的な路程で先祖から今日の私達自体に至るまで、時と時期にかかわらず侵犯してきたということを知っています。


今、これを拒否しこれを制裁すべき責任が私達にあるということを知って立った私達が、お父様の心情で武装し、お父様のみ言で武装して、怨讐達の前に堂々と立つことのできる天の真の息子・娘となれるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


今、私達自身が、本郷を探していかなければなりません。
私達の家庭と私達の社会とこの領土の上に生きている三千万民衆、地球上に散らばっている数多くの人類、霊界に行っている数多くの霊人達まで、失ってしまった本郷を探してさまよっていることを知っていますので、お父様、私達をお父様の心情と通ずる本郷を建設することのできる責任者達となるようにしてください。


私達が怨讐の世界で真の息子・娘達を探し、彼らを糾合させ、本然の園を建設することのできる天の働き手、天の精兵達となるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.14)



17


お父様!
真の心をもった人がいるなら、本然のその世界が慕わしくない人はおらず、真の体をもって生きる人がいるなら、本然のその世界の生活を慕わない人がいないことを私達は知っています。


堕落前、お父様に直接対することのできた本然のアダムとエバの姿、天が生じ、地が生じ、万物が生じたのち、初めて人間として造られたアダムとエバの姿、その姿はどれほどお父様がお喜びになる姿であったでしょうか。
お父様に対することのできる栄光の立場に置かれていた私達の先祖のその姿はどれほど貴い姿であったでしょうか。


今、私達が心で本然の世界を欽慕することのできるこのひと時となるようお許しください。
お父様の心情を直接反応させることのできる善の心情がとても慕わしくなり、お父様の手を捕まえることのできる本郷の善の姿がとても慕わしくなりますので、本然のその先祖を慕うことのできる私達となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


心情の世界は、歴史的な距誰もなく、時間と空間の限界もないということを、私達が地上に暮らしながら知っていますから、無限の愛の心情によって生まれた本然の先祖のその姿、本然の「私」の姿を、今、死亡圏内で眠り方向を失いあえぐ私達でありますが、慕うことができるようお許しください。
そのような「私」の姿が慕わしく、とめどなく涙し、そのような「私」をお造りになったお父様を探すためあえぐ姿となるよう許諾してくださり、みすぼらしい姿になるとしても、その世界の雰囲気、その世界の環境、その世界の万物、その世界の万象と和動できる美自体が、この時間私達の体と心に体得されるよう許諾してくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達はお父様を呼びますが、堕落の歴史路程で苦労されたお父様を呼ぶことには慣れ親しみましたが、堕落の悲しみなく善の園で楽しむことのできる、本然のお父様を描いてみることはできず、そのお父様を捜しさまよった時もありませんでした。
真の救い主を信ずるにおいても、私達人間は、十字架におかかりになったイエス様だけを知っており、十字架の苦難に当面せず、苦痛と迫害を受けず栄光の主として顕現できるイエス様としては、信じることができなかったことを受け入れてください。


お父様!
きょう私達に本然のそれ自体と共に、本然のその理念と本然のその善を中心として生きることのできる和動の世界を慕う心があふれ流れるようお許しください。
本然の心情でお父様を呼ぶことのできる喜びの立場をお許しくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。
エジプトでさまよっていた六十万イスラエル大衆を導きたかったモーセの心中を私達が悟るようにしてくださり、モーセが悲痛なる心情で民族に対したという事実を私達が悟るよう許諾してください。


今日、世界に散らばっている第二イスラエルの祝福を引き継ぐべき、世界のキリスト教徒達が望んでいるカナン福地が残っていることを知らせるべき責任が私達にあり、この使命を成就すべき責任が今日、私達にあるということを知っていますので、お父様、残された恨み、残された悔しさ、残された痛憤が私達一身の骨肉に染み通るよう許諾してください。
この体と心が百回死んで倒れることがあるとしても、お父様のあだを必ず討つという天の節義と気概を備えたあなたの息子・娘達となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お召しになる命令を奉じてきてみると、十字架の路程が残っていることを知りました。
困難な道を自ら進みいで立っている孤独なあなたの息子・娘達ですので、彼らの心の友となってください。


お父様が永遠に永遠に私達の中心となるとき、私達の体と心もお父様を模範として、不変の中心存在としてお父様の身代わりとなれるという事実を知っていますので、今、私達の体と心を、親しくお父様のものとして再びお取りください。


すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.28)


18


私達がみ言を受け天を知る者達となるのでなく、心情を通して天を知る者達となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
み言によって救いを受けようとする私達ではなく、心情を通してお父様のみ前に救いを受け、生命の歌を歌うことのできる私達となるようにお導きください。
そうして、まずお父様がどれほどご苦労され、苦痛に遭われたかをお父様の姿を眺めながら知る私達となって、頭を下げ、お父様を慰労してさしあげられるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


生涯の目標があるとするなら、心情で生涯の目標を追求するようにしてくださり、生活の内容を備えなければならないとするなら、神様の心情だけが私達の生活の内容となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
多くの人々がお父様のみ前に出てきましたので、この者達が誰のためにとどまり、何のために動いて、どこに向かって進んでいるかを、自ら探し出すようにしてください。
あなたから「お前は永遠に私の心情と共にある者だ」と認められる者がいるとするなら、それ以上幸福な人はいないということを知っています。


お父様!
永遠の生命と永遠の理念と永遠の愛の心情をもって尋ねてくださるお父様は、私達の心の中に共におられ、お父様のものは私のものであり、私のものはお父様のものとして、二つではなく一つの理念を中心として、歌い喜ぶことのできる息子・娘の姿を慕われることを知りました。


私達も、お父様に侍り、お父様のみ前にすべての栄光の要素を探してさしあげたのち、歓喜しながら全天下に誇ることのできる時が到来するのを待ち焦がれております。


お父様はこのようなすべてのことをご存じですので、心と心を連結させて、過去の天上のすべてのものと地上のすべてのものを動かし、心情世界ですべてが和するようにしてください。
そうして栄光の刺激を起こすことのできる衝撃と喜びの境地で、私達が覚悟し決心できるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.26)


19


お父様!
私達に、「私」を中心としたある主義主張や自分が感じている意識的な観念があるとするなら、このすべてを除去させてください。


再び創造されなければならない運命に置かれている私達であり、復帰の恨みを晴らすことができない私達でありますので、堂々と天のみ前に主張できる何かをもったと言おうとも、それがお父様のみ前には何の条件にも対象にもならないということを知りました。
私達がいくら天のみ前に自分を弁明し、自分の困難を申し立てるとしても、お父様の無限のご苦労の前には比較できない、物悲しく哀れな私達の姿であることを知っています。


今、「私」は自ら「私」になったのではなく、「私」が「私」でないことを知ったとするなら、「私」が「私」となれるようにした本然のそれ自体を慕いながら、本然の心の中に「私」が染み込み、本然の主人公のみ前に頭を下げることができるようお許しください。


万宇宙の絶対的な主人公がいるということを心は知っています。
またそれが私達の行動一切を制御していることを知るとき、これは無目的的な因縁の中でそうなっているのではなく、絶対的な目的によって制限された環境の路程を経ていくべき運命に置かれた自分達であることを、心で感じることのできる息子・娘になるようお許しください。


今、お父様の栄光の宝座を心で慕いながら、お父様のみ前に集まりましたが、この者達の心がどこに流れていき、この者達の心がどこに向かって動いているのか分からずにいますので、お父様、願わくは、本然の私達自身が天と共に喜ぶことのできる方向に導いてください。


私達の面目ない顔と面目ない視線であるとしても、お父様の心情が慕わしくてお父様を見つめることができ、お父様のみ前に頭を下げることのできるこの時間となるよう許諾してくださいまして、不足なる手であっても差し出すならば、その手をお父様がつかんでくださるという、約束のこのひと時になりますよう切にお願い申し上げます。


ひとえにお父様の心情をつかみ、お父様と同居することのできるその一つの約束、その一つの生活的な事実だけを願うものです。
そのようなことが、永遠に永遠に誇ることのできる栄光の標的になることを願いながら、私達がお父様のみ前にひれ伏しましたので、この日私達に足らない何かがあるとしても、お父様、受け入れてください。


立てようとなさる心情をお立てになり、お父様と私達に切ることのできない父子の因縁を結んでくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.8.9)



20


お父様!
捜し出したかった息子・娘達をこの地上に見いだせなかったお父様の悲しみを悟り、泣くことのできる私達とならなければなりませんのに、自分の満足を求めてさまよう哀れな立場に処していた私達を受け入れてください。


イエス様も
このような境地にいる自分の母親と弟妹を見つめ「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである*」とおっしゃいました。( *マタイ一二・五〇)


本然の父母をもてなかった私達、本然の兄弟をもてなかった私達、本然の子女をもてなかった私達、本然の夫婦になれなかった私達です。


今、望み侍ち焦がれるべきものは、本然の父母、本然の兄弟、本然の子女、本然の夫婦ですので、本然の父母が慕わしく、本然の兄弟が慕わしく、本然の子女が慕わしく、本然の夫婦が慕わしく、自分の威信を忘れてそれらを求めさまよう息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様に侍って、親しく天国家庭の生活を楽しむことのできる動きが、天地に起こるようにしてください。
その理念に和して楽しみながら、行くまいとしても行かざるを得ず、応じまいとしても応じざるを得ない心的な革命、情的な革命が、天地の間に起こるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


それらを生の指針として、一生の転換点となるよう許諾してくださいますことを心からお願いしながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.9.27)



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父の祈り(孝心の祈り)6-2

2022年12月25日 16時34分40秒 | 学習


21


お父様!
あなたが、永遠に離れようとしても離れることのできない私達のお父様であることを知りませんでした。


あなたの悲しみは何でしょうか?
子供を失い、歴史を失ったことがあなたの悲しみであったことを、私達は知りませんでした。


しかし、今あなたの哀切に命じられる理念に従い、この場にひれ伏しましたので、心から感謝をお捧げ申し上げます。


歴史的な恨みが残っている限り、あなたの恨みも残っており、歴史的な悲しみが残っている限り、あなたの悲しみが残っているということを知る、真の孝子孝女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このような歴史の流れを遮り、あなたの前に祭壇を積むことを、民族と世界に連結しなければならない、世界的なゴルゴタの道が残っているということを痛感する、あなたの子女達が現れるべき時が参りました。


ここに集まったあなたの子女達は、きょうまで誰のために生きてきたでしょうか?
また、何を眺めて進んでいるでしょうか?


天がお残しになった歴史の全体的な運命に、責任を負うべき使命が私達にあり、その使命を果たそうと、覚悟し誓い立った私達の歩みですので、躊躇したり、途中で放棄しないようにしてください。


怨讐である悪と対決して、決して敗れてひざまずく群れとならないようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうも数多くの民族を代表して、お父様の祭壇にひれ伏した寂しい群れを覚えてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


その上、三千里(=韓国)津々浦々の寂しい追われた道でも、かえって天と人類を案じ、民族の嘆息を身代わりしようと身もだえするあなたの子女達が、きょうもここを仰ぎながら涙ぐんでおりますので、彼らを覚えてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このすべてのものが、お父様の悲しい歴史の因縁であったことを知りました。
私達の前に残された悲しい因縁と悲しい歴史が清算されない限り、この道から逃避したり、この道を避けていく恩知らずな子女達とならないようにしてください。


孝子の道理を学び、忠臣の節義と気概を学ぼうとする真のあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(196603.13)


22


お父様の前に父母への誠心を誓うことができ、あなたの心の中にとどまることのできる息子・娘の姿となるようにしてください。


お父様!
お父様を愛さずにはいられない恋しい心と欽慕の心がつのり、自分の意識を失い、倒れて死んでいくとしても、お父様を慕う息子・娘となるよう許諾してください。


お父様のみ旨を成就すべき目的を持ち、ありとあらゆる忠誠と犠牲を捧げても足らない自らであることを、恥じようとする多くの子女達となるよう、お父様が待ち望んでおられるということを、私達は知りませんでした。


統一の子女達が、自分自らの喜びをお父様の前に見せそうなので、その顔を覆い、自分の喜びを押さえつけながら、天のお父様の喜ばしい姿を見るために努力しようとする、あなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
み旨の前に立った先鋒の勇士として、現実的関係で引っかかる内容が何もないようにしてください。


完全なお父様の愛を中心としては、個体も一つの血統を受けた貴い兄弟であることをよく知っておりますので、お父様の悲しみに共に動じ静じようとする子女達となるようにしてください。


お父様のくびきを身代わりして背負い、そのくびきを解いてさしあげることのできる真の孝子孝女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
ここに集まったあなたの子女達は、既にお父様の前に誓った子女達でございます。
その体と心をあなたの前に捧げると千万遍誓いましたので、その体をお父様の前にきれいに捧げるよう許諾してください。


体を聖別して、お父様の前に永遠に捧げ奉り、お父様の愛を身代わりして表す息子・娘になろうと努力する、あなたの子女達となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1967.5.14)


23


お父様!
春はやはり解放を象徴するがゆえに、私達がお父様の愛の懐に抱かれる喜びをもう一度慕わなければなりません。


春は出発を約束しておりますがゆえに、私達はお父様の愛の懐に抱かれ、新しい出発をしなければなりません。


春には森羅万象が和動するように、私達がお父様の愛の懐に抱かれて、万宇宙と和動することのできる主体性を復帰できるよう許諾してください。


春は歌と踊りの因縁を醸し出すように、私達もお父様の愛の懐中で、お父様の愛を中心としてそうできる時を慕わなければなりません。


お父様のみ旨を中心として、この春は一つの安息の土台となるように、私達もお父様の愛の懐に抱かれて安息する者となることを、慕うことができるよう許諾してください。


お父様!
そうして、お父様の内的な事由をすべて相続することによって、エデンの園において望みの中に新しい出発をすることができ、望みの中でお父様の愛に浸ることができた、その本然の人間を、もう一度
内的に慕うようにしてください。


この春を迎え、そのような因縁を感じ、お父様の前に無限に感謝を捧げることができるようにしてくださり、そのような心の園となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
春が持っているすべての要件を、各自の心の園にもう一度再現させてくださり、お父様が自らそこにとどまられるよう許諾してください。


人間だけの解放ではなく、人間だけの出発ではなく、人間だけの和動ではなく、お父様が解放されなければならず、お父様が出発なさらなければならず、お父様が和動の中心体とならなければなりません。


それこそ、お父様が腕を広げて踊りを踊られ、歌をお歌いになることのできるお父様として、私達が敬ってさしあげなければなりません。


お父様が安息なさる永遠の土台を築いてさしあげることのできる私達とならなければなりませんので、この春を通して、そのような知恵を学ぶことのできるこの時間となるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.4.21)


24


お父様が天地創造の理想を中心として、果たそうとなさった願いのひと時が、いまだにこの地上に現れ得ないことを知っております。


万物をお造りになり、人間をお造りになるときのお父様の喜びは大きいものでございましたが、人間を中心として永遠の生命と永遠の愛をもって築かれた、善の家庭を慕われるお父様のその心情を、いまだに酌み取った者もなく、体恤した者もこの地上にはいないということを、私達は知るものでございます。


人間の始祖がお父様に仕えることができず、お父様のみ意の中で抱かれ得ないことが恨めしく、悔しく無念なことであることを、私達が心から悟らなければなりません。


お父様が私達と出会って事由を分かちたい所は、私達が今まで生きてきた現実の環境ではなく、次元が高いお父様の心情の世界だということを、私達は悟らなければなりません。


その世界は、堕落によってからみ合った事由を中心としてなるものではなく、すべての事由を越えに越えて、真情なる本然の因縁を中心として感じ、挙動することのできるそのひと時をお慕いになっておられる、お父様の心情を中心としてなされることを、私達が心から理解できるよう許諾してください。


私達が言葉でだけ感じるというのでなく、心情をもって体得できる場に立てるよう、許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達の動脈に血が流れることをもって、お父様が生きておられることを感じようとし、呼吸の音からもお父様の息遣いを感じようとし、皮膚の感触からも無限なるお父様の慈悲のみ手を感じようとする、あなたの子女達となりますよう懇切にお願い申し上げます。


お父様!
深く気高いお父様の慈悲深い心情の中にたっぷり浸り、あなたの慰労を受けることができ、天真な幼子のような心情を備えることのできるひと時を持てなかった私達が、どれほど悲しい者達であるかということを分かるようにしてください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.11.17)


25


お父様!
この世界には数多くの集まりがありますが、その中で取るに足らない環境の中にある不足なる子女達が集いました。


私達はお父様が求められる基準を備えたものでもなく、お父様を所有するために集ったのでもございません。
足らない自分を抱き締め、真に深い心の流れを通して、お父様の前に悔い改めようとしますので、私達の心を動かし、お父様の事情の因縁を渇望することのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様は無限なる権威と能力をもって、この地と数多くの人々を支配してこられましたが、私達はお父様の能力よりも、お父様の慈悲の恩賜を待ち望んでおりますので、お父様のみ言を回顧しながら「お父様」と呼びますとき、お父様の心情の懐に抱かれたい懇切な心が爆発し得るよう、私達の心に革命を呼び起こしてくださり、心情の変化を呼び起こしてくださいまして、私達が神様のものとして取られ得るようにしてください。
その姿を心から願っておりますので、お父様、ここに訪ねてきてください。


あなたの事情が私達の事情となり、あなたの願いが私達の願いとなって、あなたの心情と私達の心情が一致しなければなりません。


そうして、お父様が悲しみに処されれば私達も悲しみ、お父様が喜ばれれば私達も喜ばなければなりません。


私達はあなたを主として、あなたの相対たる実体として、あなたと共に一致化できる姿を渇望しながらこの場に集いましたので、そこに該当しない一切のものを除去させてくださり、そこに完全に符合することができ、吸収され得る本性の心を呼び起こしてくださいまして、お父様の息子たる自覚と娘たる自覚を持つことができるよう、この時間役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、お父様のみ旨の前に立てられたあなたの子女達として恥ずかしくない、天の権威を持って現れることができるよう懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.11.17)


26


お父様!
きょうは安息日でございます。
子女達と共にお父様の栄光に接することができるようにしてくださり、高く貴いあなたの人格に接することができるようにしてくださり、あなたの所願成就の勝利的一念を、私達が体恤できる今朝となるよう許諾してください。


お父様!
この全宇宙を創造なさったあなたの聖業が、私達人類の始祖によって、このように蹂躙されたという事実を考えますときに悲しいことが重なれば重なるほど私達はあなたの前に面目ない者達となるということを、はっきり感じなければなりません。


私達の責任をお父様が独りで負い、歴史路程をこの上なく悲惨に、この上なく凄涼に、この上なく寂しく歩んでこられたということを、私達は知るようになりました。


今、これを知った私達は、力を尽くしてお父様のみ名を高く賛揚しなければならず、精誠を尽くしてお父様の貴い心情に倣い、私達のすべてのものを犠牲にしなければならず、あなたが今まで開拓してこられた開拓者の犠牲の道を、私達が余すところなく相続しなければなりません。


お父様!
ここに集ったあなたの子女達をご照覧ください。私達は幼い者達でございます。
私達は足らない者達でございます。
私達はこの地上に何の望みもなく生きた群れでございました。


それにもかかわらず、お父様の名を呼ぶことのできる聖なる場に同席させてくださったお父様の前に、本当に感謝をお捧げ申し上げます。


私達が襟を正し、お父様の名を呼ぶごとに、あなたのすべての苦労を相続することができ、深い心情の流れを通してお父様を呼ぶことのできる真の孝子孝女となるよう許諾してください。


数千万代悲しかったお父様の恨みの積もった心を押し開き、私達がすべての事由を打ち明け、お父様の悲しかった恨みを相続し、数千万代もつれていた怨讐に対するすべての恨みを、完全に解怨成就してさしあげる、あなたの子女達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によって懇切にお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.12.8)


27


残された復帰の道の前に、私達は忠誠を尽くすことを誓いました。
その誰も知らない善の結果を捜してこられたお父様の行路が、それほどまでに悲惨であり悲しかったという事実を、私達は知りました。


私達がお父様に対するとき、「お父様」と呼ぶことができ、堂々と息子の姿を備え、娘の姿を備えたと、自信を持って言うことのできる息子となり娘となって、お父様の名を呼ぶことのできる子女達となるよう許諾してください。


今まで、歴史過程におきまして、数多くの人々がお父様の名を呼びました。
けれども、継子にさえなれない立場でお父様を呼んだ人が多いのでございます。


私達だけは、骨髄に通じる心情の因縁を持って、お父様を呼ぶことができるようにしてください。
お父様が私達に対して「うん、わが息子よ、娘よ」と言われながら、直接応対することのできる立場に、私達が立つようにしてください。


今、父母の因縁と子女の因縁を持ち、一つの家庭を中心とした中で、お父様を思慕できる聖なる統一教会の食口となったことを、はっきり分かるよう許諾してください。


その誰も知らない心情を深く掘り下げて入り、お父様のために存在しており、お父様のために生まれた体であるので、お父様の目的のために消え去るべき自分であることを自認しながら、お父様だけのために行くといって、努力しようとするあなたの子女達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


統一の子女達がこの場に集っておりますが絶対に私達自身を誇るために集った場ではありません。
自分の何かを誇るために集った者達では決してありません。


裸の体であっても、いくらむさくるしく、みすぼらしい服を着たとしましても、お父様をより高く愛し、お父様が求める民族と国と世界と一つになろうという心で、その誰よりも先に決意できるようにしてください。


そのような心を持ち、お父様の前にひれ伏す息子・娘になったとするなら、この中にお父様の心情が連結され、この中にお父様の愛が芽生えることを、私達がはっきり分かるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。


そうできる場、その誰も知らない場で「お父様、私は行きます。
私は行かなければなりません。
私はお父様のために闘います」と決意できるあなたの息子・娘とならなければなりません。


そうしなければ怨讐の障壁を突破していくことができないということを、自認できるよう許諾してください。
ひいては私達が怨讐の障壁を突破して、勝利の旗をお父様の名とともに間違いなく立てるという、天の勇士達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達は誰のために生まれたのでもありません。
ただあなたのために生まれ、あなたのために生まれたがゆえに、あなたのために生きるのであり、あなたのために生きるがゆえに、あなたのために死ぬことができるので、世界的な勝利を成すと、はっきりした信念を持ったあなたの息子・娘となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.6.29)


28


お父様!
流れ行く歴史とともにあなたが残された必勝の使命をやり遂げなければならないのが、この地上に生きている本然の人間達の生活であり、生涯でありますのに、天の前に残すことのできる実績を持てず、歴史的な恨みを残したということを知るものでございます。


今日、この時代に生きている私達自身も、恨みになり得る立場にありますがゆえに、お父様が案じているということを、私達がもう一度悟るようにしてください。


お父様!
ここに集ったあなたの子女達を記憶してください。
お父様だけに頼り、お父様が残された使命を果たしていくべき、重大なる使命を背負った群れでございます。


取るに足らない姿であり、自分自身を批判し分析してみますとき、お父様に何かを帰し奉り得る存在となれなかったことを、私達はよく知っております。


しかし、お父様とはもう離れようとしても離れることのできない子女の因縁を結んでいることにより、お父様は私達自体をご覧になり、悲しみと喜びの分岐点で私達に対しておられるという事実を忘れてはなりません。


父母が子供を愛するように、子供が父母を愛さなければならないのが天倫の道理であり、すべての人類の原則でございました。


そのような愛を授け受けできる一つの起点を、生涯を通して残していくべき人間でしたが、人間自身がそうすることのできる生活の土台を備えることができず、そうすることのできる環境を備えることができなかったがゆえに、そのような伝統を立てられなかったという事実を、私達はよく知っております。


このように流れいく悲しみの歴史路程を私達が反省し、きょう私達に残された使命を果たすことを追求する、この時間とこの場となるようにしてください。


自分自身を聖なるお父様のみ前に出して、新しい使命を命じられ、新しい命令を受けることのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達は裸同然の姿でございます。
いつでもサタンの侵犯を受け得る限界圏内に置かれているという事実を、はっきり悟らせてください。


今、私達がお父様を知り、死ななければなりません。
また、お父様を知った後には、お父様に侍り、生きて、逝かなければならないこの天的な使命が、私達に残っているという事実を感じなければなりません。


私達自体を備えてお父様の厳粛なるみ前に立つとき、私達が果たしてお父様を正しく見ることのできる目を備え、お父様に対することのできる恥ずかしくない顔を備え、またお父様の前で行動するに恥ずかしくない自らを備えたでしょうか?


このようなことを考えますとき、お父様の前に恥ずかしくて、面目のないことを感じるものでございます。


こう感じれば感じるほど、このように哀れで、ろくに立つことのできない足らない者達に対されるお父様の立場が、悲しみを避けることのできない立場であることを、私達は本当に知るものでございます。


本当に私達の心の中からお父様を呼びたい気持ちがほとばしり、時を越え歳月を越えて、お父様の前に駆けつけようという気持ちが懇切でなければなりません。
そのようなものがなくては、お父様と息子・娘の因縁を維持し得ないという事実を、悟らせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.8.24)


29


お父様!
あなたは今まで動いてきました。
地も今まで動いてきました。


しかし、あなたの動く方向と地の動く方向が、互いに一致できなかったことが悲しみとなりましたがゆえに、これを一致させなければなりません。
これを一致させるべき存在は、天でもなく地でもない、この中間にある人間であることを知っております。
人々が自分を中心として神様に背反し、歴史的な進路の土台を越えられないことによって、この悲惨な闘いが今日、自分自身を中心として連結されているという事実を、私達ははっきり知らなければなりません。


ここから私達は、天の怨讐よりも地の怨讐よりも、一層恐ろしい怨讐が人であることを知らなければなりません。
人によってお父様は悲しみと恨みを積んでこられ、人によってこの地には今まで悲惨な血の歴史が編まれて参りました。


このすべてが、真なる一人の人を立てられなかったがゆえであることを知りますとき、私達は真の基準を立て、真の人を探さなければなりません。
探して、彼と完全に一体とならなければなりません。


そのためには、私達がお父様の前に絶対従順をもって行かなければならないのが、復帰の路程であることを知りました。


体と心をすべて捧げ、あらゆる精誠を尽くすことによって、天がここに頭を下げることができ、地がここに頭を下げることができなければなりません。


お父様と一体となり、お父様に侍ることができ、お父様を身代わりできる息子と娘の姿を備えて、怨讐であるサタンに嘲弄されない姿とならなければなりません。
そのような姿をお父様がどれほどお慕いになったかという事実を、私達が忘れないようにしてください。


私達の心の中に血わく情熱があるとするなら、この情熱がある個人のための情熱として終わらないようにしてくださり、この情熱があなたの情熱として連結されなければならないことを、私達が分かるようにしてください。


青年達にもそのようなものがありますなら、彼もまた同様であり、壮年、老年にもその情熱の心情がありますなら、それがあなたと共に一体化できるようにしてください。


尋ねるべきその場を、きょうもあすも慕いながら行かなければならない、運命の道に処しているのが堕落人間の後孫であることを、私達がはっきり知らなければなりません。


お父様!
今、私達が心の門をすっかり開き、お父様に謹んで侍り奉らなければなりません。
お父様のみ前に体を低くして、過去の歴史的な罪を悔い改めなければならず、許しを切に求めなければなりません。


お父様、
お訪ねください。
私達に哀れみの心をお広げになって、私達を忘れないでください。


私達はあなたの願いと一致し得る、真の対象とならなければなりません。
そうして、あなたを欽慕の対象とし、あなたを慕う私達とならなければなりません。


お父様!
天が認定することのできる情熱の心と、地が認定することのできる情熱の心を合わせ、あなたを「お父様」と呼ぶことのできる一つの完全なる基準を、私達が立てなければならないことを知っております。


ですので、
私達がそうすることのできる自らとして、お父様の前に謙遜な群れとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りし、お捧げ申し上げました。


アーメン。
(1969.8.31)


30


お父様!
私達が対象を狂ったように愛してもまた愛したい気持ちに何度でも狂うことのできる愛の動機を持てなかったがゆえに、決定的な愛の権限を持つことのできない自らだということを、自嘆するようにしてください。


夜を明かし日を続けながら、天を欽慕したひと日を持つことができなかった自らを慨嘆しそのような動機を持つことができるよう、「私」をつかんでくれと訴えながら駆けつける息子となり、娘となり、家庭となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が
この世の家庭とこの世の国とこの世にいる人々の前で、その理想の価値を持ち、彼らを喜びで祝福してあげる子女達とならなければなりません。


そうして、より高いものを新しく創造する子女達となるとき、万事が意のままになるという事実を分かるよう許諾してください。


神様を身代わりした父母の立場で現れる場には、霊界が動員されるということをはっきり分かるよう許諾してください。


また、私達が世界の中心となって、主体的権限を持ち、相対的な環境を動かし尽くす使命を果たすよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


「お父様」と呼ぶときも、今日この世の人々が懇切な心で「お父様」と呼ぶのよりも、何十倍ももっと懇切な心で、千万遍でもお父様を呼びたい思いですので、前よりも今が一層懇切で、今よりも以後が一層懇切であるようにしてくださり、お父様の内情を体恤できるよう許諾してください。


あなたの息子であるという立場に立つことができるようにしてください。
放蕩息子も息子であり、忠臣も息子でございますが私達はお父様の偉業を継承することのできる息子となるよう許諾してください。


あなたからすべての偉業を余すところなく相続できる孝行な子だと、皆が公認する息子となるため、身もだえする姿となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、あなたから「お前が私の愛する息子だ」という認定を受けることができるよう許諾してください。このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.2.26)


31


お父様!
私達がいくらお父様を呼ぶとしても、お父様が私達をお呼びにならなければ、私達はお父様と因縁を結べないという事実を知っております。


長い長い歴史過程を通して懇切な心を持ち、凄惨な場で、あるいは苦労の場で、私達を何遍も何遍もお呼びになったお父様であることを、私達はもう一度心中から感じなければなりません。


そのお父様の前にふさわしい息子の姿勢を備えなくては、「お父様」と呼ぶことができないということを考えますとき、そのような息子の姿を、あなたはどれほど慕われたでしょうか?


慕わしさに徹した息子に出会い、あなたの路程の中にあった事由を分かち合う場を、あなたはどれほど待ち望まれたでしょうか?


あなたのすべての使命を命じることのできる、最後通牒を下し得る場を、あなたはどれほど望んでこられたでしょうか?
私達がそうすることのできる一つの場を準備しなければなりません。


そうして、あなたのそのすべての命令すべてに順応することのできる自らとなって、「お父様! み意のままにしてください」と言うことのできる息子・娘となり、歴史時代において蕩減の使命を背負った先祖達の気迫を相続するに不足のない息子・娘とならなければなりません。


この時代にあなたは称賛し誇ることのできる息子の姿、娘の姿をどれほどお慕いになられたでしょうか?


お父様、
あなたは内的に約束なさり、祝福して命令なさいましたが、歴史過程に来ては逝った私達の先祖達は、いつもあなたの心にくぎを打ち、お父様を孤独の場に追放したのが一度二度ではないことを、私達は知りますときに、私達がお父様の息子となることのできる因縁は喜ばしいことですが使命的な面においては、悲しい内容が宿っているということを、私達は、先祖達が歩んだ復帰の恨み多い道をたどってみる時ごとに、考えないわけには参りません。


私達は内的には「お父様」と呼ぶことができますが、同時に、外的にはお父様から責任を命じられなければならないということを知っております。


そして、あなたは喜ばしい場で、私達にその責任と使命を命令されお達しになるのではなく、悲しく寂しい死の交差路で命令なさりお達しにならなければならない悲惨な立場におられるということを、私達は考えるものでございます。


そのお父様と出会うためには、そのお父様のその悲惨さを治癒してさしあげなくては出会えないのであり、お父様と相対するためには、この世のすべての因縁を越えて立たなくては、相対することができないことを分かるようにしてください。


このような因縁が誰によってなされたのかを考えますとき、お父様によってなされたのではなく、私達人類の先祖、人間によってなされたという事実を悟りますとき、恥ずかしさを感じることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


そうして、千遍万遍死んで当然の私達自身を、お父様の前に通告しますとき、今までかわいそうであったお父様の事情と通ずることができ、その事情が同じであり得る立場に立つか、それよりも一層悲惨な立場に立つとき、悲しかったお父様が、私達を慰労してくださり得るのであり、そのようなひと時がありますなら、ここからお父様と因縁が結ばれ得ることを知るものでございます。


私達がお父様を呼び、お父様に要求する立場で因縁が結ばれるのではなく、あなたが私達をつかみ、事由を分かつことのできる立場で因縁が結ばれるということが分かるようにしてください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.3.15)


32


愛するお父様!
私達が尋ね、上りに上り、また上るとき、その帰着点はただお父様と私達が対面する場となることを知るものです。


お父様が語ることのでき、私達が語ることのできる最後の決定的な言葉が何かと言うとき、それは「お前は私の息子だ」「私はあなたの息子です」という言葉でございましょう。


それだけが、人類が望み願う言葉であり、あなたが捜しこられた人類に出会うための決定的な言葉であることを知っております。


息子と娘として互いに会うだけで終わるのではなく、その息子と娘はあなたの骨の中の骨であり、肉の中の肉として入れ替えることができ、その内縁的な願いが私達に現れ、私達に現れた一個人の欲求が一家庭に現れ、家庭の欲求が社会と国家を越え世界万民を越えて、それがお父様の本当の内情的な体恤の感情となって、普遍妥当な世界的基準まで、みなぎり流れることができなければなりません。


その世界があなたの探しこられる望みの世界であり、人間達が探し行くたった一つの世界であることを知っております。


このような立場から見ますとき、今日この歴史時代におきまして、果たしてこのような道を探す群れがいるのか、私達は探してみなければなりません。
調べてみなければなりません。


イエス様とすべての聖人達がお教えになったその道理の起源を暴き、私達自体においてはどのくらいの価値をもって天の価値を探さなければならず、天と私達がどのような対等な位置に立たなければならないのかということを、分析し批判してみなければなりません。


そうして、これでなければならないという決定的な立場に立ち、万民と全世界と新しい思潮の前に現れて、これらを収拾できる一つの真の基準を立てなければならないことを、この時間私達は知らなければなりません。


お父様は私達自身を立証することができ、私達自身は、お父様の息子であり、娘であるということを、如実に証すことのできる信念を持たなければなりません。


信念だけでなく、体恤的な立場でお父様と「私」は前後関係、左右関係にあることを立証し、そのような立場で永遠に共にあり、永遠に共に生きており、永遠に共に生きるだろうという、変わりなくそうだと言うことのできる論証の起源を、自ら立て得る自分を発見できるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.2.11)


33


真の父母という名が、どれほど貴いものであるかを知らなければなりません。


お父様の恨みを解くことのできる母体であり、人類において所願成就の中心であり、理想世界の出現の起源となるこの真の父母こそ、歴史を与えても取り換えられないものであり、時代を与えても取り換えられないものであり、私達が家庭を与えても取り換えられないものであり、私達が子供を与えても取り換えられないものであるということを、私達はいつも肝に銘じなければなりません。


その真の父母の思想を身につけなければなりません。
真の父母のみ旨は、世界を救うことでございます。
真の父母の思想は、未来の創建と歴史的伝統を残すための思想であるのを知るものでございます。


私達は過去の結実を結ぶために現在にいるのであり、現在の目的の中心となるために現在にいるのであり、未来の目的の中心となるために現在にいるのでございます。


このように三時代の決定的な運命を左右し得る聖なる立場に立ったことを考えますとき、そのような人間であることを、私達は全く知りませんでした。
ですがお父様、もう分かりました。


今、私達は精誠を尽くし、千秋万代に善なる先祖としての名分を立て、とこしえに尊称されるに不足のない伝統を立てなければなりません。


私達がいつご父母様の前に孝行し、いつ花咲く春にお父様に侍り、あるいは夏、秋、冬に、いつ共に闘い、いつ共に死ぬことを覚悟したでしょうか?


三年間ご父母様に侍らなければならないにもかかわらず、侍ることのできない私達に、ご父母様と三年間運命を共にすることのできるこの期間を付与してくださいましたことに、本当に感謝を捧げなければなりません。


昼にもお父様であり、夜にもお父様であり、寂しくてもお父様であり、うれしくてもお父様であり、天と地を眺める時も父母様であり、「私達はご父母様に侍り、千年万年生きよう」という懇切な涙がにじみ得る生活路程が生活環境にこもるときには、数多くの民族がここに感動を受けることができ、数多くの民族だけではなく、数多くの世界人類が感動を受けるという、神聖でとてつもない事由がここに宿っているという事実をはっきり悟り、力強く力強く、もっと力強く前進するあなたの娘達となるようにしてくださることを、懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.4.29)


34


哀れみ多いお父様!
慈悲と同情の因縁を持ち、今まで損害を受けてこられた天よ、足らない私達をご照覧ください。


お父様の本然の権威とその位置をみますとき、あなたは、堕落した人間としてはおそれ多く、対することのできない聖なる方であることを思うものです。


そのようなお父様が、受難の道において独り責任を持ってこられた憤懣やるかたない事実を、私達は非常に悲しく思わなければなりません。


ですので、私達が天と地の前に通告できる機会があるなら、かわいそうな人間を通告する前に、かわいそうな天の父母を通告しなければならない私達であることを、知らなければなりません。


たとえ天国に到達できる場に臨んだとしても、私達は天の権威を望むことよりは、天を慰労し、耐えて越えていかなければならず、そのような行路が私達の人生路程にさらに残っているということを、痛感しなければなりません。


その闘いの行路を自ら守りながら、あすの開拓者として勝利の姿を慕い、克服することを誓う、悪条件の生活環境でも疲れることを知らない、お父様が誇ることのできる凛々しい息子・娘とならなければならないということを、もう一度自覚するようにしてください。


お父様の内縁に従って動き、お父様の事情に連結された実体となり、善の結実体としてこの地上の足場とならなくては、お父様が歩行できないという事実を私達は感じますので、私達をして一日でも早く、寂しい道を行かれるお父様を慰労し侍って生きる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.8.29)


35


いつも、取るに足らないか弱いこの群れと共に苦労なさるお父様、寂しい立場でもいつも耐えられながら、私達を勧告なさるお父様、悲しみの環境に独り責任を負われ、私達の慰安のひと日を開拓するために先頭に立ってこられたお父様、そのようなお父様であられることを思いますとき、お父様を心情の主人として侍ることのできない、不孝極まりない私達を受け入れてください。


無限に無限に永遠なる生命をもって、私達自体を復活させ、きょうも創造歴史を継続なさるお父様であられることを、全く知らなかった足らない私達を、お父様、受け入れてください。


今、襟を正し、あなたの聖なる性相を見つめながら、欽慕と思慕の心情に徹することのできるひと時を待ち望んでおりますので、お命じになりたいことがあるなら、お尋ねになって、私達の体と心に染み渡るようお命じくださり、新しい命令の因縁を通じて、あなたが願われる所に向かって行くことができなければ、そこに向かって、お父様、むちを取り上げ打ったとしましても、その場に行けるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様の前に祭物として捧げられるべき私達自身であるにもかかわらず、そうできませんので、お父様が追いやってでも、引っ張ってでも、あなたの祭壇まで私達を導いてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


分別のつかないイサクを連れ、モリヤ山に向かっていくアブラハムに、その子供のイサクが、祭物として使う羊はどこにありますかと聞いたときに、「それはお前が心配することではない」と言ったアブラハムの心を察する時ごとに、その父母の心を察する時ごとに、私達を導いてくださるお父様の心に、そのどれほど悲しみが前に立っているかを感じるものでございます。


私達はお父様の心を案じる前に、自分自身と自分の周辺の事実を案じる時が多かったということを考えますとき、今、私達は自分を越えて、まずお父様の心を案じ、お父様の主流を守ることができる、真情なる孝の中の孝を尽くし、忠に忠を尽くす、お父様の前になくてはならない息子・娘となり、その国の民とならなければならないということを自覚する、この時間とならなければなりません。


自覚だけではなく、信念とともに誓うこの時間となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.9.5)

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