22
けさは、一九六五年の新年に入って初めて迎える安息日であると同時に、主の降臨、一九六五年目を迎える日です。
数多くの人々は、メシヤの誕生日を自分達の思いどおりに決めて祝い、メシヤがこの地に来て人類と共に、世界と共に、宇宙と共に、どのような因縁と価値を決定したのかも分からず、その方の名声だけを記憶して、メシヤの誕生日を祝いました。
しかし、きょうこのように集まった少数の群れ達は、今から二千年前にあなたの広く高いみ旨と尊厳なる経綸によって送られたイエス様でありながら、かわいそうな立場に置かれていた彼の事情に、心で同情しながら、その時にイスラエル民族が使命を果たせなかったことを、骨身に染みて考えないわけにはいきません。
この地上にあなたの貴い息子として生まれたその方は、天地創造の理念に背いたアダムを失ってしまった悲しみを解怨するため、送られた方であったことを知るものです。
彼を通してみ旨を成し遂げられ、彼を通して栄光をお受けになり、彼を通して幸福の世界を築こうとなさった望みを成就させるため、あなたがお送りになったメシヤであるイエス様は生まれるその日から悄然たる姿でお生まれになりました。
数多くの人々がメシヤを待ち望みましたが、実際にメシヤとして来られたその方が分かりませんでした。
そのメシヤは独りで神様の心情を抱き、神様の望みを持って生きるべき生活的な事情を持たれ、人知れず、みすぼらしい姿で現れ、哀れな身の上で十字架に掛かり、涙と血を流して逝かれたということを考えるとき、私達の先祖達が足らなかったことを、私達がこの時間に謝罪しないわけにはいきませんし、責任を負ったユダヤ教が使命を果たせず、神様に背いた罪悪を、私達が謝罪しないわけにはいきません。
数多くの歴代の私達の先祖達に血を流させた罪の歴史を、神様に背いてきた数多くの人類の罪悪を、私達がもう一度、心深くたどって考え、悔い改める時間となるようにしてください。
お父様!
あなたの悲しみを私達が察しなければならず、イエス様の憤懣やるかたない事情に私達が同情しなければならず、今まで血の路程を歩んできた彼の弟子達の凄涼で、悲惨な事情を悟ることのできる私達とならなければなりません。
歴史的な恨みを抱き逝かれたイエス様を、個人的に慰労し、家庭的に慰労し、民族的に、国家的に、ひいては世界的に慰労してさしあげることが、きょうメシヤの誕生日を記念する全体的な目的であることを、私達が忘却しないようにしてください。
二千年の歴史は過ぎていきました。
その間、悲しい事情がどれほど多かったでしょうか?
お父様も悲しく、イエス様も悲しく、聖霊も悲しく、キリスト教徒達も悲しかったことを知るものです。
また、このように悲しかった恨みを解くための最後の終わりのひと日、すなわち皆が待ち望む審判のその日が、近づいてきているということを知っています。
積もりに積もったお父様の恨みを解くために来られるメシヤを、再び迎えるべき立場にあるこの終わりの日の聖徒達は、メシヤを待ち望んだイスラエル民族のように、来られるメシヤに追われて仕える心と準備を備えられずにメシヤを待ち望むだけではいけませんので、私達各自がこのようなことを自覚するようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1965.1.3)
数多くの人々は、メシヤの誕生日を自分達の思いどおりに決めて祝い、メシヤがこの地に来て人類と共に、世界と共に、宇宙と共に、どのような因縁と価値を決定したのかも分からず、その方の名声だけを記憶して、メシヤの誕生日を祝いました。
しかし、きょうこのように集まった少数の群れ達は、今から二千年前にあなたの広く高いみ旨と尊厳なる経綸によって送られたイエス様でありながら、かわいそうな立場に置かれていた彼の事情に、心で同情しながら、その時にイスラエル民族が使命を果たせなかったことを、骨身に染みて考えないわけにはいきません。
この地上にあなたの貴い息子として生まれたその方は、天地創造の理念に背いたアダムを失ってしまった悲しみを解怨するため、送られた方であったことを知るものです。
彼を通してみ旨を成し遂げられ、彼を通して栄光をお受けになり、彼を通して幸福の世界を築こうとなさった望みを成就させるため、あなたがお送りになったメシヤであるイエス様は生まれるその日から悄然たる姿でお生まれになりました。
数多くの人々がメシヤを待ち望みましたが、実際にメシヤとして来られたその方が分かりませんでした。
そのメシヤは独りで神様の心情を抱き、神様の望みを持って生きるべき生活的な事情を持たれ、人知れず、みすぼらしい姿で現れ、哀れな身の上で十字架に掛かり、涙と血を流して逝かれたということを考えるとき、私達の先祖達が足らなかったことを、私達がこの時間に謝罪しないわけにはいきませんし、責任を負ったユダヤ教が使命を果たせず、神様に背いた罪悪を、私達が謝罪しないわけにはいきません。
数多くの歴代の私達の先祖達に血を流させた罪の歴史を、神様に背いてきた数多くの人類の罪悪を、私達がもう一度、心深くたどって考え、悔い改める時間となるようにしてください。
お父様!
あなたの悲しみを私達が察しなければならず、イエス様の憤懣やるかたない事情に私達が同情しなければならず、今まで血の路程を歩んできた彼の弟子達の凄涼で、悲惨な事情を悟ることのできる私達とならなければなりません。
歴史的な恨みを抱き逝かれたイエス様を、個人的に慰労し、家庭的に慰労し、民族的に、国家的に、ひいては世界的に慰労してさしあげることが、きょうメシヤの誕生日を記念する全体的な目的であることを、私達が忘却しないようにしてください。
二千年の歴史は過ぎていきました。
その間、悲しい事情がどれほど多かったでしょうか?
お父様も悲しく、イエス様も悲しく、聖霊も悲しく、キリスト教徒達も悲しかったことを知るものです。
また、このように悲しかった恨みを解くための最後の終わりのひと日、すなわち皆が待ち望む審判のその日が、近づいてきているということを知っています。
積もりに積もったお父様の恨みを解くために来られるメシヤを、再び迎えるべき立場にあるこの終わりの日の聖徒達は、メシヤを待ち望んだイスラエル民族のように、来られるメシヤに追われて仕える心と準備を備えられずにメシヤを待ち望むだけではいけませんので、私達各自がこのようなことを自覚するようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1965.1.3)
23
お父様!
二千年前にイスラエル民族をお選びになり、彼らをして心で体でお父様の心情を体恤させようとしましたが、そのみ旨はまだ成されていないということを私達はよく知っています。
不信する人はたくさんいましたが、摂理のみ旨に対する天の生命を抱いている人はいなかったことを私達は知るものです。
イエス様はこの地に来られて、天の生命を表そうとされたのに、彼に従う人がなく独り行かれましたが、きょう私達が全人類のともしびとなって、イエス様の使命を引き継ぐことができ、イエス様のみ旨を引き継ぐことのできる群れとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今まで堕落した不信の社会環境とその実情を眺められながら耐えてこられ、今、この世の中を心配されて私達を選び、世の中が悪くなれば悪くなるほど、いつも天の前に立てるよう許諾してくださった恩賜に感謝を申し上げます。
イスラエルの不信によって悲しみを被るしかなかったイエス・キリストの立場を思わないわけにはいきません。
彼は天の悲しみを身代わりして語られ、彼の行動は信仰によるものであり、お父様を中心としたものであったことを私達は知るものです。
今、終わりの日において、私達が人類の罪を蕩減復帰し、お父様の心情と連結され、私達の体と心でお父様に侍るよう導いてください。
この地上には数多くの信じる人々がいますが、イスラエル民族の中でお父様に心から従った人がいなかったのと同様に、きょう新たなイスラエルを身代わりすべきキリスト教が、お父様のみ旨を知ることができず、摂理の全体のみ旨を担うことができなくなってしまいました。
お父様、そのみ旨を私達が成すようにしてくださり、私達を導いてくださって、お父様の召命を受けて永遠に残され得るよう許諾してください。
お父様が私達を選ぶときには、私達だけのために選んだのではなく、民族のために、世界のために選んだということを私達が知っていますので、お父様、み意のままに導いてください。
袋だたきにされ、引き裂かれ、迫害を受けるとしても、お父様が期待される一つの生命を持つことができるとするなら、いつまでも耐えていき、お父様に勝利を抱かせてさしあげ得る私達となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様! 今、私達の心情を天の心情に連結して、お父様のみ旨を成してさしあげようと誓う貴い時間となるようにしてくださり、摂理のみ旨を許諾し、愛をもってお父様のみ旨に責任を負っていけるよう許諾してくださり、天の心情を体恤して、ただみ旨の道だけを行くことができるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様のみ旨ならば死のうが生きようがお父様をつかみ、私達の心はあなたの生命を求め、私達の体はあなたの生命の道を求め、ただお父様のみ旨を中心として生きていくことができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1958.4.6)
二千年前にイスラエル民族をお選びになり、彼らをして心で体でお父様の心情を体恤させようとしましたが、そのみ旨はまだ成されていないということを私達はよく知っています。
不信する人はたくさんいましたが、摂理のみ旨に対する天の生命を抱いている人はいなかったことを私達は知るものです。
イエス様はこの地に来られて、天の生命を表そうとされたのに、彼に従う人がなく独り行かれましたが、きょう私達が全人類のともしびとなって、イエス様の使命を引き継ぐことができ、イエス様のみ旨を引き継ぐことのできる群れとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今まで堕落した不信の社会環境とその実情を眺められながら耐えてこられ、今、この世の中を心配されて私達を選び、世の中が悪くなれば悪くなるほど、いつも天の前に立てるよう許諾してくださった恩賜に感謝を申し上げます。
イスラエルの不信によって悲しみを被るしかなかったイエス・キリストの立場を思わないわけにはいきません。
彼は天の悲しみを身代わりして語られ、彼の行動は信仰によるものであり、お父様を中心としたものであったことを私達は知るものです。
今、終わりの日において、私達が人類の罪を蕩減復帰し、お父様の心情と連結され、私達の体と心でお父様に侍るよう導いてください。
この地上には数多くの信じる人々がいますが、イスラエル民族の中でお父様に心から従った人がいなかったのと同様に、きょう新たなイスラエルを身代わりすべきキリスト教が、お父様のみ旨を知ることができず、摂理の全体のみ旨を担うことができなくなってしまいました。
お父様、そのみ旨を私達が成すようにしてくださり、私達を導いてくださって、お父様の召命を受けて永遠に残され得るよう許諾してください。
お父様が私達を選ぶときには、私達だけのために選んだのではなく、民族のために、世界のために選んだということを私達が知っていますので、お父様、み意のままに導いてください。
袋だたきにされ、引き裂かれ、迫害を受けるとしても、お父様が期待される一つの生命を持つことができるとするなら、いつまでも耐えていき、お父様に勝利を抱かせてさしあげ得る私達となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様! 今、私達の心情を天の心情に連結して、お父様のみ旨を成してさしあげようと誓う貴い時間となるようにしてくださり、摂理のみ旨を許諾し、愛をもってお父様のみ旨に責任を負っていけるよう許諾してくださり、天の心情を体恤して、ただみ旨の道だけを行くことができるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様のみ旨ならば死のうが生きようがお父様をつかみ、私達の心はあなたの生命を求め、私達の体はあなたの生命の道を求め、ただお父様のみ旨を中心として生きていくことができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1958.4.6)
24
お父様!
統一教団が今まで歩んできた道を思い返してみるときに、その教団は、その誰もが愛してくれなかった教団でした。
国が反対し、既成教会が反対し、父母が反対し、個々人が反対したその立場は、ちょうどイエス様が十字架の道まで追われたのと同じ立場でした。
イエス様は、追われて十字架で亡くなられた後、二千年の路程において、個人を捜し、家庭を捜し、氏族を捜し、民族を捜し、国家を捜し、世界を捜しましたが、霊的基準においてのみ捜してこられました。
この霊的基準を受け継ぎ、実体基準にまで連結させるのが、あなたの望まれた願いの一念であり、あなたが六千年間苦労されたその苦労の結果となることを考えるものです。
今日、統一教会が歩んできたのは、イエス様の恨めしい内情の因縁を相続して、実体的にこの民族の前で追われながらも、死なずに、個人と家庭と氏族と教会をもう一度捜すためでした。
こう考えるときに、この国、この民族におきまして、教団同士、互いに同じ基準をつくり、かえってユダヤ教よりも優位に立つことのできる時代圏を迎えたということを知るものです。
イエス様を反対したユダヤ教の群れより、イエス様の福音を通して一つとなった群れがより強い立場に立ったのと同じく、現在私達をそのような立場に立ててくださったことを考えるときに、心から感謝を申し上げます。
教会を超えて民族基準まで上がらなければならない終生の使命が、私達に残っていることを知り、どのような困難にぶつかり、どのような犠牲を支払うとしても、この道を越えてこそ、初めて私達の生きる道があり、定着することができるということを、はっきり知らなければなりません。
寝ても覚めてもこのためにだけ、私達があらゆる精誠を投入しようと、もう一度決意できるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、私達の遠くない将来に、必勝のひと日が訪ねてくることを考えるときに、私達はイエス様が与えられなかった愛を与えなければならず、イエス様が受けられなかった愛を受けなければなりません。
このようなことが統一教団で起こることによって、私達を通してお父様の恨みとイエス様の恨みが解怨されるという、このとてつもない歴史的事実を有り難く思い、一生に一度しかないこの貴い機会を失ってしまわないよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.12.25)
統一教団が今まで歩んできた道を思い返してみるときに、その教団は、その誰もが愛してくれなかった教団でした。
国が反対し、既成教会が反対し、父母が反対し、個々人が反対したその立場は、ちょうどイエス様が十字架の道まで追われたのと同じ立場でした。
イエス様は、追われて十字架で亡くなられた後、二千年の路程において、個人を捜し、家庭を捜し、氏族を捜し、民族を捜し、国家を捜し、世界を捜しましたが、霊的基準においてのみ捜してこられました。
この霊的基準を受け継ぎ、実体基準にまで連結させるのが、あなたの望まれた願いの一念であり、あなたが六千年間苦労されたその苦労の結果となることを考えるものです。
今日、統一教会が歩んできたのは、イエス様の恨めしい内情の因縁を相続して、実体的にこの民族の前で追われながらも、死なずに、個人と家庭と氏族と教会をもう一度捜すためでした。
こう考えるときに、この国、この民族におきまして、教団同士、互いに同じ基準をつくり、かえってユダヤ教よりも優位に立つことのできる時代圏を迎えたということを知るものです。
イエス様を反対したユダヤ教の群れより、イエス様の福音を通して一つとなった群れがより強い立場に立ったのと同じく、現在私達をそのような立場に立ててくださったことを考えるときに、心から感謝を申し上げます。
教会を超えて民族基準まで上がらなければならない終生の使命が、私達に残っていることを知り、どのような困難にぶつかり、どのような犠牲を支払うとしても、この道を越えてこそ、初めて私達の生きる道があり、定着することができるということを、はっきり知らなければなりません。
寝ても覚めてもこのためにだけ、私達があらゆる精誠を投入しようと、もう一度決意できるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、私達の遠くない将来に、必勝のひと日が訪ねてくることを考えるときに、私達はイエス様が与えられなかった愛を与えなければならず、イエス様が受けられなかった愛を受けなければなりません。
このようなことが統一教団で起こることによって、私達を通してお父様の恨みとイエス様の恨みが解怨されるという、このとてつもない歴史的事実を有り難く思い、一生に一度しかないこの貴い機会を失ってしまわないよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.12.25)
25
お父様!
ユダヤ教団と数多くの祭司長達は、自ら天をあがめ、天の内情的因縁を生活に表し、天の規範を立てると言いながら出ていった群れでした。
しかし、生命の中心であり、生命の結晶体であり、愛の中心であり、愛の結晶体として現れたイエス・キリストに対しては、冷淡に知らないふりをしました。
イスラエルの国の精神的な責任を負ったユダヤ教団の中で、イエス様の側に立った者がたったの一人もいなかったという事実を知っています。
それが無念なるお父様の四千年の受難の結果であったということを思うとき、私達は涙でもってお父様に対さないわけにはいきません。
お父様!
最後の道に向かう恨み多いイエス・キリストの側に立って、生命を懸け、泣き叫びつつ、悲しみと恨みの歴史に立ちはだかった兄弟が一人もいませんでした。
母さえもイエス様の死の道を「私が身代わりして行こう」と言えなかったという事実を見るとき、本当にかわいそうなイエス様でした。
イエス様の最期が、こうも憤懣やるかたなく悲惨だった事実を思い返すとき、私達は恨みに達した心で過去のイスラエルの国とユダヤ教を呪いたい気持ちです。
しかし、イエス様は彼らを呪われず、むしろ神様が四千年間苦労し、積み上げておかれたイスラエル圏が崩れそうだといって、死の道を行きながらも、彼らの福を祈ってあげなければならなかったので、そのようなイエス様の無念なる心情を、私達は間違いなく知らなければなりません。
死の道でも、同情を受けられなかったイエス様は孤独な孤児の身の上だったということを、私達が切々と感じなければなりません。
このような、イエス様の友とならなければならず、このような、イエス様の親戚とならなければならず、このような、イエス様の教団とならなければならず、ひいては、このようなイエス様の姉、または弟妹になるべき立場に立った群れが、まさにこの歴史時代にぽつんと残された統一教団であり、私達だということを、はっきり悟るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今日数多くの人々は、クリスマスになればイエス様が万民を救わなければならないメシヤの使命を持って誕生された方だと口から口ヘと伝えながら、賛揚しています。
しかし、実相を知ってみると、このようにイエス様が歴史的悲しみの中で独にお生まれになった方だということを考えるとき、私達は痛哭し、そのようなイエス様の悲しかった内心の情景を、痛哭しながら慰労することのできる者達とならなければなりません。
お父様!
私達はみ旨を知ったその日から、イエス様の悲しい恨みを解いてさしあげるべき責任があるということを知り、お父様の悲しい恨みを解いてさしあげなければならないことを知ったので、この日まで闘いきて、今日この統一教団を形成したものです。
このように悲しかったお父様の事由をあらわにして、教えてあげることができ、聞くことのできる因縁と土台が、この地球星に歴史始まって以来初めて現れたという事実を考えるとき、ここは、それこそお父様の望みに対することのできる所だということを、私達が忘れてはならないので、お父様の心情が、ここで再び結びつけられるのを願っているということを、私達が忘れないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1971.1.3)
26
愛のお父様!
お訪ねくださって感謝です。
きょう喜びでもって訪ねてこられましたが、あす発たれるお父様の姿が、歓喜の頌詠(ほめたたえる意)の日を約束して発つことのできるお父様の姿となれないのではないかと気がかりです。
会うには喜びでもって会いましたが、別れる日には悲しみでもって別れるのが、人間に対してこられたお父様の曲折の路程であったことを知りました。
きょうよりもあすがお父様の前に慕わしくなるよう許諾してくださり、青春期よりも老年期に入るほど、よりお父様を慕わしく思えるよう許諾してください。
そうして、心の深く高い世界に一歩一歩進んでいこうとする息子・娘となるよう許諾してください。
さらにお父様の恨みの心情を慰労し、イエス様の恨みを解怨し、歴史上の先祖達の恨みを解怨するよう許諾してくださり、今日、終末的な使命、天的な解怨を私達によって成し、お受けくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
今日私達は、開拓者の心情で来られたイエス様であることを知りました。
栄光の位置に立つべき者が変わって開拓者とは何たることでしょうか?
洗礼ヨハネが背反したがゆえであり、教団が背反したがゆえであり、民族が背反したがゆえであり、世界のすべての人々が背反したがゆえでした。
これが今日キリスト教史に残された史実であることを知るならば、イエス様が準備期間から実践時間を通して完成基準に向かって越えていったその内的決意の心情が、私達の心の土台の上にわき上がるよう許諾してください。
イエス様は民族的な怨讐、国家的な怨讐に対しましたが、今日私達には民族を越え、世界的な怨讐、宇宙的な怨讐に対すべき責任、すなわち最後の開拓者の使命を果たさなければならない責任がありますので、お父様、私達に能力をお与えください。
この責任を一人負い、世界的なゴルゴタの道を最後まで凛々しく歩いていき、勝利する栄光の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1959.2.1)
27
天を見つめながら、万物を見つめながらお父様が願われる望みを成してさしあげるため、そのお呼びになる声に従って戦場に走っていこうとする、お父様が喜ぶことのできる子女達となるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。
お父様の物悲しい歴史的な恨みを私達が知らなければなりませんし、この世界を訪ねてこられた歩みがどれほどもどかしく、悲痛かという事実を私達が知らなければなりません。
私達の体がお父様の行かれる踏み台となり、平坦な道を築くにおいて材料となるということを思うとき、いばらの道だといってひっくり返り、身もだえし、血を注ぐようになるとしても、この道を開拓すべき使命が、私達のなさなければならない真正なる使命であり、責任であることを知るものです。
私達の心と体を捧げてこの民族の行く道を築くよう許諾してくださり、この民族をお立てになって、万民がお父様に向かって進むことのできる直行行路を立てられるようにしてください。
このような愛の恩賜を受けられるわが民族となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私達は人知れず、人の歓迎しない道を歩いてきました。
悲しい時も多くありましたし、寂しい時も多くありました。そうではありますが、お父様が行かれた道であるがゆえに、感謝の心で涙をもって歓迎し、心情のこもった声でお父様を呼ぶことが千万回あったことを知っています。
お父様を呼んだ私達の声と共に、私達の涙と共にお父様も涙ぐんだというその事実がどれほど貴いかということも私達は知っています。
このような道であることを知ったがゆえに、その道を行くために生きる統一の役軍達は苦労の道も意に介さず、苦行の道をたどりながらお父様を呼ぶことのできる喜びのひと日を迎えるため、世界的なゴルゴタ路程を基準として訪ねてきた、懇切で、けなげなその者達を記憶してください。
きょうお父様のみ旨のために忠誠を尽くすのに疲れた者がいるでしょうか?
再び哀れみの心をお広げになって、愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、残った恨み多い復帰の道をまた行かなければなりませんので、その歩みを貴く思ってくださり、その姿をお父様が記憶してください。
お父様の保護と権威が共にあり、どこに行っても百戦百勝の勝利を収めてお父様の前に栄光の基盤を築いてさしあげることによって、お父様が親しく多くの民の前にお立てになって、これは私の息子であり、娘だと称賛することのできる息子・娘となれるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
残された復帰の道の上に、お父様が計画されるみ旨の前に、勝利の栄光だけが残されることを懇切に願いながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1965.12.26)
ユダヤ教団と数多くの祭司長達は、自ら天をあがめ、天の内情的因縁を生活に表し、天の規範を立てると言いながら出ていった群れでした。
しかし、生命の中心であり、生命の結晶体であり、愛の中心であり、愛の結晶体として現れたイエス・キリストに対しては、冷淡に知らないふりをしました。
イスラエルの国の精神的な責任を負ったユダヤ教団の中で、イエス様の側に立った者がたったの一人もいなかったという事実を知っています。
それが無念なるお父様の四千年の受難の結果であったということを思うとき、私達は涙でもってお父様に対さないわけにはいきません。
お父様!
最後の道に向かう恨み多いイエス・キリストの側に立って、生命を懸け、泣き叫びつつ、悲しみと恨みの歴史に立ちはだかった兄弟が一人もいませんでした。
母さえもイエス様の死の道を「私が身代わりして行こう」と言えなかったという事実を見るとき、本当にかわいそうなイエス様でした。
イエス様の最期が、こうも憤懣やるかたなく悲惨だった事実を思い返すとき、私達は恨みに達した心で過去のイスラエルの国とユダヤ教を呪いたい気持ちです。
しかし、イエス様は彼らを呪われず、むしろ神様が四千年間苦労し、積み上げておかれたイスラエル圏が崩れそうだといって、死の道を行きながらも、彼らの福を祈ってあげなければならなかったので、そのようなイエス様の無念なる心情を、私達は間違いなく知らなければなりません。
死の道でも、同情を受けられなかったイエス様は孤独な孤児の身の上だったということを、私達が切々と感じなければなりません。
このような、イエス様の友とならなければならず、このような、イエス様の親戚とならなければならず、このような、イエス様の教団とならなければならず、ひいては、このようなイエス様の姉、または弟妹になるべき立場に立った群れが、まさにこの歴史時代にぽつんと残された統一教団であり、私達だということを、はっきり悟るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
今日数多くの人々は、クリスマスになればイエス様が万民を救わなければならないメシヤの使命を持って誕生された方だと口から口ヘと伝えながら、賛揚しています。
しかし、実相を知ってみると、このようにイエス様が歴史的悲しみの中で独にお生まれになった方だということを考えるとき、私達は痛哭し、そのようなイエス様の悲しかった内心の情景を、痛哭しながら慰労することのできる者達とならなければなりません。
お父様!
私達はみ旨を知ったその日から、イエス様の悲しい恨みを解いてさしあげるべき責任があるということを知り、お父様の悲しい恨みを解いてさしあげなければならないことを知ったので、この日まで闘いきて、今日この統一教団を形成したものです。
このように悲しかったお父様の事由をあらわにして、教えてあげることができ、聞くことのできる因縁と土台が、この地球星に歴史始まって以来初めて現れたという事実を考えるとき、ここは、それこそお父様の望みに対することのできる所だということを、私達が忘れてはならないので、お父様の心情が、ここで再び結びつけられるのを願っているということを、私達が忘れないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1971.1.3)
26
愛のお父様!
お訪ねくださって感謝です。
きょう喜びでもって訪ねてこられましたが、あす発たれるお父様の姿が、歓喜の頌詠(ほめたたえる意)の日を約束して発つことのできるお父様の姿となれないのではないかと気がかりです。
会うには喜びでもって会いましたが、別れる日には悲しみでもって別れるのが、人間に対してこられたお父様の曲折の路程であったことを知りました。
きょうよりもあすがお父様の前に慕わしくなるよう許諾してくださり、青春期よりも老年期に入るほど、よりお父様を慕わしく思えるよう許諾してください。
そうして、心の深く高い世界に一歩一歩進んでいこうとする息子・娘となるよう許諾してください。
さらにお父様の恨みの心情を慰労し、イエス様の恨みを解怨し、歴史上の先祖達の恨みを解怨するよう許諾してくださり、今日、終末的な使命、天的な解怨を私達によって成し、お受けくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
今日私達は、開拓者の心情で来られたイエス様であることを知りました。
栄光の位置に立つべき者が変わって開拓者とは何たることでしょうか?
洗礼ヨハネが背反したがゆえであり、教団が背反したがゆえであり、民族が背反したがゆえであり、世界のすべての人々が背反したがゆえでした。
これが今日キリスト教史に残された史実であることを知るならば、イエス様が準備期間から実践時間を通して完成基準に向かって越えていったその内的決意の心情が、私達の心の土台の上にわき上がるよう許諾してください。
イエス様は民族的な怨讐、国家的な怨讐に対しましたが、今日私達には民族を越え、世界的な怨讐、宇宙的な怨讐に対すべき責任、すなわち最後の開拓者の使命を果たさなければならない責任がありますので、お父様、私達に能力をお与えください。
この責任を一人負い、世界的なゴルゴタの道を最後まで凛々しく歩いていき、勝利する栄光の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1959.2.1)
27
天を見つめながら、万物を見つめながらお父様が願われる望みを成してさしあげるため、そのお呼びになる声に従って戦場に走っていこうとする、お父様が喜ぶことのできる子女達となるよう、許諾してくださいますことをお願い申し上げます。
お父様の物悲しい歴史的な恨みを私達が知らなければなりませんし、この世界を訪ねてこられた歩みがどれほどもどかしく、悲痛かという事実を私達が知らなければなりません。
私達の体がお父様の行かれる踏み台となり、平坦な道を築くにおいて材料となるということを思うとき、いばらの道だといってひっくり返り、身もだえし、血を注ぐようになるとしても、この道を開拓すべき使命が、私達のなさなければならない真正なる使命であり、責任であることを知るものです。
私達の心と体を捧げてこの民族の行く道を築くよう許諾してくださり、この民族をお立てになって、万民がお父様に向かって進むことのできる直行行路を立てられるようにしてください。
このような愛の恩賜を受けられるわが民族となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様!
私達は人知れず、人の歓迎しない道を歩いてきました。
悲しい時も多くありましたし、寂しい時も多くありました。そうではありますが、お父様が行かれた道であるがゆえに、感謝の心で涙をもって歓迎し、心情のこもった声でお父様を呼ぶことが千万回あったことを知っています。
お父様を呼んだ私達の声と共に、私達の涙と共にお父様も涙ぐんだというその事実がどれほど貴いかということも私達は知っています。
このような道であることを知ったがゆえに、その道を行くために生きる統一の役軍達は苦労の道も意に介さず、苦行の道をたどりながらお父様を呼ぶことのできる喜びのひと日を迎えるため、世界的なゴルゴタ路程を基準として訪ねてきた、懇切で、けなげなその者達を記憶してください。
きょうお父様のみ旨のために忠誠を尽くすのに疲れた者がいるでしょうか?
再び哀れみの心をお広げになって、愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、残った恨み多い復帰の道をまた行かなければなりませんので、その歩みを貴く思ってくださり、その姿をお父様が記憶してください。
お父様の保護と権威が共にあり、どこに行っても百戦百勝の勝利を収めてお父様の前に栄光の基盤を築いてさしあげることによって、お父様が親しく多くの民の前にお立てになって、これは私の息子であり、娘だと称賛することのできる息子・娘となれるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
残された復帰の道の上に、お父様が計画されるみ旨の前に、勝利の栄光だけが残されることを懇切に願いながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1965.12.26)
28
お父様!
きょうここに集まったあなたの子女達を哀れにお思いください。
この子女達はみな、本郷の国を訪ねていかなければなりません。
本郷の国を訪ねていくこの道が、このように険しい道であると誰が知り得たでしょうか?
お父様!
恨み多い嘆息の世界の上でこの怨恨の土台を踏みつけ、これを退け新しい境地に向かって誘導弾のように飛んでいくことのできる新しい心の爆弾を備えるよう許諾してください。
心情の爆発力と推進力を持つよう許諾してください。
そのためには、お父様の愛を持たなければならないことを知っていますので、このような人々となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
誰がこの道をふさぎ、反対するとしましても、それが問題ではないことを知っています。
行くべき足どりがあまりにも忙しいがゆえに、休もうとしても休むことができず、自分をむち打ちながら行くべき運命に置かれている統一の子女達であることを知っていますので、どうかこの者達の前途を平坦にしてくださり、行く道の前に一つひとつの峠において闘いを誓わせてください。
上がっていって、どうか落ちることのない者達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
数多くの歴史路程で悲しい胸を押さえながら、耐えてきたこの者達を記憶してくださり、この者達が顔に憂いと失望と敗者の色がこもらないよう許諾してください。
お父様、そのような過去を持ちましたが、希望にあふれ、喜びにあふれ、あすの希望の中にあふれんばかりの心を抱き、進んでいくことができますよう許諾してください。
お父様!
理想世界から脱線しない立場で報告することのできる心情を持ち、一日の生活におきまして勝利者となるよう許諾してください。
一年の生活の勝利者となるよう許諾してください。
私達、生涯路程の勝利者となるようにしてくださいまして、父様が私達に許諾されようとする幸福の土台である本郷の国を創建することができる、建国の勇士達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
その平和の王国を創建して、お父様に侍って千年万年生きたいと言うことのできるあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
残されたその日の上に平和があるよう許諾してくださり、子女達の幸福の路程の上にお父様の加護があるよう許諾してください。
ありとあらゆる忠誠と犠牲を覚悟して進むにおきまして、お父様の同情がいつもこの者達の生活の中にあふれるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1968.3.10)
29
お父様!
私達はお父様の息子ならば良いとだけ考えて、それに該当するだけの十字架を負わなければならないという事実は忘れて生きてきました。
お父様!
けれども、今、私達がこの世の人々とは、これだから違うのであり、お父様の愛を受けることができるのもこのような内容があるがゆえであり、歴史を背負うことができるのもこのためだという事実を知りました。
今日、サタン世界を眺めますとき、第二の出発を模索するためのお父様の愛が歴史路程と共に今、この時に深く同伴しているという事実を知るのでございます。
これを感謝しようとするあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、私達が行くべき必然的な路程を前にして、個人的なアベルの道を行かなければならず、家庭、氏族、民族、国家、世界的なアベルの路程を行かなければなりません。
私達がこの道を行き終わるまでは、とても忙しいということが分かるようにしてください。
食べようとしても食べる時間がなく、眠ろうとしても眠る時間がないくらい忙しい私達の行路に、共にあってください。
私達だけでなくカイン世界まで救い、お父様の前に帰るようになりますとき、お父様は初めて私達を見て、安息することができるという事実を知っています。
このような責任を果たす私達となり、お父様の悔しさを蕩減するのに不足のないよう努力し、精誠を尽くし切る私達となるよう許諾してください。
私達のすべてのことにあなたが親しく共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.4.5)
30
お父様!
数千年の間キリスト教歴史を編んでこられたお父様は、内心の変わりない強固なる基盤でもって歴史に対してこられました。
その過程で罪悪なる要素の複雑な段階は蕩減の代価を支払いながら縮小させてこられたのが、お父様が今まで摂理してこられた歴史的な事情であるのを私達はよく知っています。
歴史を縮小させた一つの起点で「これだ」と言い得る起源を備えるために、数千年の間、善なる人々を犠牲にさせてきたのが、お父様のみ旨の道であるのを察します。
その道で数多くの人々が血を流しましたが、心からお父様が願われる立場に立って血を流した人はいないということを、私達は知るものです。
それがお父様の恨みでありましたので、お父様はその決定的な起点を解決するためにイエス様を送られましたが、イエス様さえも地と霊界を中心としてその起点を見いだせない悲しみを抱き、死んでいったということを私達は知っています。
そうして、歴史を延長させていきつつ摂理なさったお父様の苦労の歴史は、加重された十字架の悲惨なる道に落ちていきました。
ですので、お父様はもう一度歴史的な終わりの日にこれを解決するために統一家を立てられ、このような、とてつもない一つの起点をお備えになることを知るものです。
ところが、その起点は無謀なる立場では絶対成されないということを、私達ははっきり知らなければなりません。
強固なるある原則に従い、変わりない内容を備えて初めて、成されるということを知らなければなりません。
この時点でお父様が私達に何を要求なさるかを思うとき、それは外的な勢力基盤を広げることではなく、強固な基盤の上で原理化された一つの個人と一つの家庭と一つの氏族を形成することだということを思うのです。
その運動が何よりも貴いという事実を私達は知らなければなりません。
このようなことを思うときに、今まで私達が原理と一致する生活観をどれほど重要視したかということをもう一度反省してみると、お父様の前に不忠なる自らであることを悟らないわけにはいきません。
原理は原理のまま捨て置いて、生活は生活のままにし、自分は自分のままで行くという立場で今まで歩んできたことを思うとき、私自身のために苦労されたお父様の前に不忠であり、不孝であったことを、私達各自がもう一度自認するようにしてください。
原理と自らの生活が一体化した立場で、お父様と一体となり得る主権を持てなかった過去の悲しみを受け入れてください。
また、このような現在に置かれている私達自身を爆破させてください。
そうして、お父様が一つの起点上にとどまることができると同時に、私達が永遠にお父様を身代わりすることに対して、自信をもつ原理的な内容を備えた人とならなければならないことを、もう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.4.26)
31
愛するお父様!
永遠なる主体であられるお父様の前に、春夏秋冬の因縁を経ることのできる実体を備え、春の節気の文化世界をその胸で十分に追求しながら、あすの勝利の栄光を賛美する勝利の王子王女をお父様が捜しておられるということを知りました。
この聖なる宿命の前に召された自分自身の姿が、どれほど偉大かを自覚しようとするあなたの子女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
人は一度、来ては死んでいくものです。
この生がいくら貴いと言っても、青春の時期に比べることができないことを知っています。
お父様、私達が壮年になれば荷を背負わされるようになり、壮年の時期に闘ってもちこたえられなくなるときには、その結実された後孫が悲惨になることを知っています。
それゆえ、壮年の時代を力強く過ごし、老年の時代を経て新しい春を迎え、新しい夏の節気を見ることのできる後孫を、自分の懐の中にもった家庭であってこそ、その後にやって来る秋の節気を無難に克服できるということを知るものです。
これが人生というものであり、世界の歴史時代においても、象徴的な現象であることを眺めるようになるときに、お父様のみ旨もやはり同じであるのを知るものです。
堕落による絶望のどん底の前で、三十億人類が今、最後の運命を計る線上に立っていることを知れば知るほど、ここにはあすの春を身代わりし、あすの夏を身代わりすることのできる天の王子王女がいてこそ、この人間の世の中で冬の節気を克服することができるということを知るものです。
この事実を推し量ってみるときに、神様の摂理はここから因縁に因縁を連結させて、死亡圏から勝利することのできる決定的起源を成すという事実を私達は知るものです。
お父様!
私達自体が長い歴史路程に悲しみを残していった先祖達の恨みを退け、堕落による運命の中で呻吟する人類の恨みの積もったこの怨讐の根拠地を退け、あすの希望を抱くことのできる姿となるようにしてください。
私達は春の節気と夏の節気を経て、秋の節気の結実的な実体ですので、未来の希望世界を相続するのに不足のない者とならなければなりません。
そうして、近づく冬の節気を恐れず、お父様の勝利の座標として残され得る、天の王子王女の姿を備えた息子・娘とならなければなりません。
ここに集った取るに足らない群れがそのような息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.5.3)
32
お父様!
お命じになったあなたの声がお慕わしいです。
最高の善に向かって行けとおっしゃった悲壮なその声が、この時間私達の心を再び動かすようにしてください。
主がお残しになった迫害の道、苦痛の道、患難の道、ゴルゴタの山頂を越え、歴史的な悲運の道を行けと勧告なさった切ないあなた様の事情が慕わしいです。
お父様!
自分勝手に育ち、自分勝手に生き、わがままになっている私達をお集めになって、この上なく高い主の性相に似ろと言われる、おそれ多い恩賜に頭を下げますので、哀れにお思いください。
本質や性稟をすべて分折してみても、あなたの前に示す何ものもない、罪悪に満ちた私達を呼び集め、限りない祝福の恩賜を施してくださったあなたに感謝をお捧げ申し上げます。
ただ、懇切に信仰と心情だけを要求されるお父様の切ないその事情と心情を、私達が体恤し、実証するようにしてください。
お父様!
私達は、どのような人の言葉も聞くことを望んではおりません。
既に多くの言葉を聞き、多くの人に出会いました。
多くの人を見、恵み多いという場を訪ねてみましたが、達自身と関係を結ぶこともできないまま、すべて通り過ぎてしまいました。
恩恵は恩恵として過ぎ去り、人は人として過ぎ去って、残ったのは一人しかいない、歴史的な孤児のような私達です。
ゆえに、私達は新しい春の風が吹いてくることを願っています。
お父様も、そのような恩賜を許諾し得ることを、どれほど待ち望んでおられるでしょうか?
私達、渇き焦る心と、ありのままに報告したい心情をもち、お父様の性相の前に集まる群れとなるようにしてください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。
私達が何を語りましょうか?
語る前に、心の中に自分も分からない徹した感激を体恤するようにしてくださり、自分でも知らずに胸が詰まって、涙を流しながら痛哭することができるようにしてください。
天が動いてくださらなければ、そのような心は起こらないということを知っていますし、千万の言葉よりも一度の体験がより貴いことを知っています。
今、不足な者達がお父様の前に出てきましたので、幼子の心に帰るようにしてください。
人間が学んで知っているといっても、どれほど知り、誇るべき何かを自ら備えたといっても、天上に掲げるものがどれほどあるでしょうか?
何もないことを知っています。
弁明よりは事実事実よりは心情の体恤が、私達の死んだ後に刈り取られるものであり、残されるものであることを知っていますので、歴史的な主人公となるべき私達の上に自ら顕現してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1960.6.5)
33
お父様!
心と心に橋をお架けになり、心情と心情を連結させて、お父様の事情を通過することができ、お父様の心情を体恤することができるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
歴史路程において、数多くの先知先烈達が生まれては逝きましたが、天の事情がどうだということを知らず、天の心情がどうだということを知らずに逝きました。
終わりの日が近づけば近づくほど、議論し、解決すべき問題は天の事情であり、天の心情であることを、私達が分かるよう許諾してください。
この問題を解決するためには、すべてのものを犠牲にしても喜びの心で出発しようと、私達自身が覚悟し、祭物とならなければならないことを、もう一度悟り、天の前にひれ伏す時間となるよう許諾してくださり、お父様の能力を望む時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天がすべての準備を整えておられるとしても、私達自身はその準備に対応して、心と体に準備の土台を整えなければならないことを知っています。
私達の心の中に、今までのその何ものをも残すことがないよう許諾してくださり、幼子の心情に帰り、お父様の、ほのかな心情の感触を通して、もう一度、天と因縁を結ぶことができるよう許諾してください。
私達が、お父様の命令なさる恩賜に浸って、天と共に和することができ、お父様が自ら私達と共に議論し、私達と共に新しい約束を立てることのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。
新しい約束のみ言を通して、お父様の前にもう一度覚悟と誓いをすることのできるこの時間となるよう許諾してくださり、過去のすべてのことを悔いて、お父様の前に聖別された一つの基準を立てることのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1959.10.11)
34
愛するお父様!
私達の心は千態万象ですが、私達の生活の中にお父様の性稟が現れるようにしてくださり、お父様が動じれば私達も動じることができ、お父様が静ずれば私達も静ずることができる、義の実体となるよう許諾してください。
軟弱な私達がお父様の前にひざまずき、天性に向かっていることをお父様がご存じであられるので、たとえ私達の体が俗なるところに捕らわれ、永遠であられるお父様の恩賜を遮っているとしても、私達の体が、世俗的なすべてのものを屈伏させ、あなたの形状を私達の心と体を通して表すよう許諾してくださり、またそのような摂理のみ旨と、摂理の恩賜と摂理の愛が、私達に連なっていることを心で感じ体で感知することができますよう、お父様、役事してください。
私達の心は、きょうも絶対的な善に向かって走っていますが、体は世俗的なものを得ようと、心に対し絶え間なく反撃を加えているということを感じるものです。
そうですので、お父様、私達の心と体が、お父様のみ旨を中心として一つとなるよう許諾してください。
そうして、お父様と私達との心情のすき間を打開してくださって、サタンが運行することのできる足場を、私達の心と体から完全に除いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天は今日まで、私達の心を中心とした体を抱き締め、愛そうとされましたが、私達は今まで心情がこもったお父様の性相と形状の前に、完全な美の対象体として現れることができずにいます。
お父様の前にひざまずくしかない私達の心と体であり、罪悪に染まった心と体であり、お父様の満ち満ちた恩賜を望む、不足な立場の心と体ですので、今、心と体全体をお父様が捕まえてください。
そうして、お父様の性相の前に喜びを帰し奉り、お父様の心に呼応する一つの姿として現れることができるようにしてください。
今、私達は、お父様が六千年の間願われたその望みの基準を備え、お父様のみ前にひざまずき、お父様に栄光を帰し奉れるよう許諾してくださり、お父様が安息できるよう、あなたの性相を表してさしあげるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
人間がもっているすべての主義主張と、人間がもっている権利、このすべてのものが失われてしまうという事実を知るものです。
ですので、私達の心と体が、永遠に存在することのできる根本の立場に入り、新たに爆発する力と復活の目を私達の心に備えることができるようにしてくださり、自分自身を中心とした生活を捨て、天宙を中心とした生活として取り戻してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様の心を私達の心として、お父様の心情を私達の心情として体恤できる私達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
すべてのことをお任せしましたので、み意のままにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1958.3.9)
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私達はお父様の息子ならば良いとだけ考えて、それに該当するだけの十字架を負わなければならないという事実は忘れて生きてきました。
お父様!
けれども、今、私達がこの世の人々とは、これだから違うのであり、お父様の愛を受けることができるのもこのような内容があるがゆえであり、歴史を背負うことができるのもこのためだという事実を知りました。
今日、サタン世界を眺めますとき、第二の出発を模索するためのお父様の愛が歴史路程と共に今、この時に深く同伴しているという事実を知るのでございます。
これを感謝しようとするあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
今、私達が行くべき必然的な路程を前にして、個人的なアベルの道を行かなければならず、家庭、氏族、民族、国家、世界的なアベルの路程を行かなければなりません。
私達がこの道を行き終わるまでは、とても忙しいということが分かるようにしてください。
食べようとしても食べる時間がなく、眠ろうとしても眠る時間がないくらい忙しい私達の行路に、共にあってください。
私達だけでなくカイン世界まで救い、お父様の前に帰るようになりますとき、お父様は初めて私達を見て、安息することができるという事実を知っています。
このような責任を果たす私達となり、お父様の悔しさを蕩減するのに不足のないよう努力し、精誠を尽くし切る私達となるよう許諾してください。
私達のすべてのことにあなたが親しく共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.4.5)
30
お父様!
数千年の間キリスト教歴史を編んでこられたお父様は、内心の変わりない強固なる基盤でもって歴史に対してこられました。
その過程で罪悪なる要素の複雑な段階は蕩減の代価を支払いながら縮小させてこられたのが、お父様が今まで摂理してこられた歴史的な事情であるのを私達はよく知っています。
歴史を縮小させた一つの起点で「これだ」と言い得る起源を備えるために、数千年の間、善なる人々を犠牲にさせてきたのが、お父様のみ旨の道であるのを察します。
その道で数多くの人々が血を流しましたが、心からお父様が願われる立場に立って血を流した人はいないということを、私達は知るものです。
それがお父様の恨みでありましたので、お父様はその決定的な起点を解決するためにイエス様を送られましたが、イエス様さえも地と霊界を中心としてその起点を見いだせない悲しみを抱き、死んでいったということを私達は知っています。
そうして、歴史を延長させていきつつ摂理なさったお父様の苦労の歴史は、加重された十字架の悲惨なる道に落ちていきました。
ですので、お父様はもう一度歴史的な終わりの日にこれを解決するために統一家を立てられ、このような、とてつもない一つの起点をお備えになることを知るものです。
ところが、その起点は無謀なる立場では絶対成されないということを、私達ははっきり知らなければなりません。
強固なるある原則に従い、変わりない内容を備えて初めて、成されるということを知らなければなりません。
この時点でお父様が私達に何を要求なさるかを思うとき、それは外的な勢力基盤を広げることではなく、強固な基盤の上で原理化された一つの個人と一つの家庭と一つの氏族を形成することだということを思うのです。
その運動が何よりも貴いという事実を私達は知らなければなりません。
このようなことを思うときに、今まで私達が原理と一致する生活観をどれほど重要視したかということをもう一度反省してみると、お父様の前に不忠なる自らであることを悟らないわけにはいきません。
原理は原理のまま捨て置いて、生活は生活のままにし、自分は自分のままで行くという立場で今まで歩んできたことを思うとき、私自身のために苦労されたお父様の前に不忠であり、不孝であったことを、私達各自がもう一度自認するようにしてください。
原理と自らの生活が一体化した立場で、お父様と一体となり得る主権を持てなかった過去の悲しみを受け入れてください。
また、このような現在に置かれている私達自身を爆破させてください。
そうして、お父様が一つの起点上にとどまることができると同時に、私達が永遠にお父様を身代わりすることに対して、自信をもつ原理的な内容を備えた人とならなければならないことを、もう一度悟るようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.4.26)
31
愛するお父様!
永遠なる主体であられるお父様の前に、春夏秋冬の因縁を経ることのできる実体を備え、春の節気の文化世界をその胸で十分に追求しながら、あすの勝利の栄光を賛美する勝利の王子王女をお父様が捜しておられるということを知りました。
この聖なる宿命の前に召された自分自身の姿が、どれほど偉大かを自覚しようとするあなたの子女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
人は一度、来ては死んでいくものです。
この生がいくら貴いと言っても、青春の時期に比べることができないことを知っています。
お父様、私達が壮年になれば荷を背負わされるようになり、壮年の時期に闘ってもちこたえられなくなるときには、その結実された後孫が悲惨になることを知っています。
それゆえ、壮年の時代を力強く過ごし、老年の時代を経て新しい春を迎え、新しい夏の節気を見ることのできる後孫を、自分の懐の中にもった家庭であってこそ、その後にやって来る秋の節気を無難に克服できるということを知るものです。
これが人生というものであり、世界の歴史時代においても、象徴的な現象であることを眺めるようになるときに、お父様のみ旨もやはり同じであるのを知るものです。
堕落による絶望のどん底の前で、三十億人類が今、最後の運命を計る線上に立っていることを知れば知るほど、ここにはあすの春を身代わりし、あすの夏を身代わりすることのできる天の王子王女がいてこそ、この人間の世の中で冬の節気を克服することができるということを知るものです。
この事実を推し量ってみるときに、神様の摂理はここから因縁に因縁を連結させて、死亡圏から勝利することのできる決定的起源を成すという事実を私達は知るものです。
お父様!
私達自体が長い歴史路程に悲しみを残していった先祖達の恨みを退け、堕落による運命の中で呻吟する人類の恨みの積もったこの怨讐の根拠地を退け、あすの希望を抱くことのできる姿となるようにしてください。
私達は春の節気と夏の節気を経て、秋の節気の結実的な実体ですので、未来の希望世界を相続するのに不足のない者とならなければなりません。
そうして、近づく冬の節気を恐れず、お父様の勝利の座標として残され得る、天の王子王女の姿を備えた息子・娘とならなければなりません。
ここに集った取るに足らない群れがそのような息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願いしながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1970.5.3)
32
お父様!
お命じになったあなたの声がお慕わしいです。
最高の善に向かって行けとおっしゃった悲壮なその声が、この時間私達の心を再び動かすようにしてください。
主がお残しになった迫害の道、苦痛の道、患難の道、ゴルゴタの山頂を越え、歴史的な悲運の道を行けと勧告なさった切ないあなた様の事情が慕わしいです。
お父様!
自分勝手に育ち、自分勝手に生き、わがままになっている私達をお集めになって、この上なく高い主の性相に似ろと言われる、おそれ多い恩賜に頭を下げますので、哀れにお思いください。
本質や性稟をすべて分折してみても、あなたの前に示す何ものもない、罪悪に満ちた私達を呼び集め、限りない祝福の恩賜を施してくださったあなたに感謝をお捧げ申し上げます。
ただ、懇切に信仰と心情だけを要求されるお父様の切ないその事情と心情を、私達が体恤し、実証するようにしてください。
お父様!
私達は、どのような人の言葉も聞くことを望んではおりません。
既に多くの言葉を聞き、多くの人に出会いました。
多くの人を見、恵み多いという場を訪ねてみましたが、達自身と関係を結ぶこともできないまま、すべて通り過ぎてしまいました。
恩恵は恩恵として過ぎ去り、人は人として過ぎ去って、残ったのは一人しかいない、歴史的な孤児のような私達です。
ゆえに、私達は新しい春の風が吹いてくることを願っています。
お父様も、そのような恩賜を許諾し得ることを、どれほど待ち望んでおられるでしょうか?
私達、渇き焦る心と、ありのままに報告したい心情をもち、お父様の性相の前に集まる群れとなるようにしてください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。
私達が何を語りましょうか?
語る前に、心の中に自分も分からない徹した感激を体恤するようにしてくださり、自分でも知らずに胸が詰まって、涙を流しながら痛哭することができるようにしてください。
天が動いてくださらなければ、そのような心は起こらないということを知っていますし、千万の言葉よりも一度の体験がより貴いことを知っています。
今、不足な者達がお父様の前に出てきましたので、幼子の心に帰るようにしてください。
人間が学んで知っているといっても、どれほど知り、誇るべき何かを自ら備えたといっても、天上に掲げるものがどれほどあるでしょうか?
何もないことを知っています。
弁明よりは事実事実よりは心情の体恤が、私達の死んだ後に刈り取られるものであり、残されるものであることを知っていますので、歴史的な主人公となるべき私達の上に自ら顕現してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1960.6.5)
33
お父様!
心と心に橋をお架けになり、心情と心情を連結させて、お父様の事情を通過することができ、お父様の心情を体恤することができるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
歴史路程において、数多くの先知先烈達が生まれては逝きましたが、天の事情がどうだということを知らず、天の心情がどうだということを知らずに逝きました。
終わりの日が近づけば近づくほど、議論し、解決すべき問題は天の事情であり、天の心情であることを、私達が分かるよう許諾してください。
この問題を解決するためには、すべてのものを犠牲にしても喜びの心で出発しようと、私達自身が覚悟し、祭物とならなければならないことを、もう一度悟り、天の前にひれ伏す時間となるよう許諾してくださり、お父様の能力を望む時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天がすべての準備を整えておられるとしても、私達自身はその準備に対応して、心と体に準備の土台を整えなければならないことを知っています。
私達の心の中に、今までのその何ものをも残すことがないよう許諾してくださり、幼子の心情に帰り、お父様の、ほのかな心情の感触を通して、もう一度、天と因縁を結ぶことができるよう許諾してください。
私達が、お父様の命令なさる恩賜に浸って、天と共に和することができ、お父様が自ら私達と共に議論し、私達と共に新しい約束を立てることのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。
新しい約束のみ言を通して、お父様の前にもう一度覚悟と誓いをすることのできるこの時間となるよう許諾してくださり、過去のすべてのことを悔いて、お父様の前に聖別された一つの基準を立てることのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1959.10.11)
34
愛するお父様!
私達の心は千態万象ですが、私達の生活の中にお父様の性稟が現れるようにしてくださり、お父様が動じれば私達も動じることができ、お父様が静ずれば私達も静ずることができる、義の実体となるよう許諾してください。
軟弱な私達がお父様の前にひざまずき、天性に向かっていることをお父様がご存じであられるので、たとえ私達の体が俗なるところに捕らわれ、永遠であられるお父様の恩賜を遮っているとしても、私達の体が、世俗的なすべてのものを屈伏させ、あなたの形状を私達の心と体を通して表すよう許諾してくださり、またそのような摂理のみ旨と、摂理の恩賜と摂理の愛が、私達に連なっていることを心で感じ体で感知することができますよう、お父様、役事してください。
私達の心は、きょうも絶対的な善に向かって走っていますが、体は世俗的なものを得ようと、心に対し絶え間なく反撃を加えているということを感じるものです。
そうですので、お父様、私達の心と体が、お父様のみ旨を中心として一つとなるよう許諾してください。
そうして、お父様と私達との心情のすき間を打開してくださって、サタンが運行することのできる足場を、私達の心と体から完全に除いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
天は今日まで、私達の心を中心とした体を抱き締め、愛そうとされましたが、私達は今まで心情がこもったお父様の性相と形状の前に、完全な美の対象体として現れることができずにいます。
お父様の前にひざまずくしかない私達の心と体であり、罪悪に染まった心と体であり、お父様の満ち満ちた恩賜を望む、不足な立場の心と体ですので、今、心と体全体をお父様が捕まえてください。
そうして、お父様の性相の前に喜びを帰し奉り、お父様の心に呼応する一つの姿として現れることができるようにしてください。
今、私達は、お父様が六千年の間願われたその望みの基準を備え、お父様のみ前にひざまずき、お父様に栄光を帰し奉れるよう許諾してくださり、お父様が安息できるよう、あなたの性相を表してさしあげるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
人間がもっているすべての主義主張と、人間がもっている権利、このすべてのものが失われてしまうという事実を知るものです。
ですので、私達の心と体が、永遠に存在することのできる根本の立場に入り、新たに爆発する力と復活の目を私達の心に備えることができるようにしてくださり、自分自身を中心とした生活を捨て、天宙を中心とした生活として取り戻してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。
お父様の心を私達の心として、お父様の心情を私達の心情として体恤できる私達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。
すべてのことをお任せしましたので、み意のままにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。
(1958.3.9)
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