人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

御言葉選集1(10、11)

2023年06月18日 15時46分45秒 | 学習
文鮮明先生 御言葉選集 1 - 10


「新たに成し遂げなければならない新しい契約(1956年7月8日)」
1956年7月8日(日曜日)、総本部教会
聖書拝読 ルカによる福音書22章14-34節


<祈り(Ⅰ)>
 愛のお父様! 慈悲深い愛を注いでください。私達は頼るべきものがわからず、ただお父様だけを頼りにして、すべてを忘れてここに来ました。私達の心すべてがお父様の姿を描くことを許してください。私達の身体が父のかたちを尊敬することを許してください。それによって天上に閉じ込められていたお父様の愛と私たちが調和し、求めている天国の栄光を現すことをお許しください。愛するお父様、切望し願っております。
お父様、ここに集まった群衆を慈悲で包んでください。彼らの身体と心をお守りください。彼らが持つ概念を、あなたが御導き下さり、意図に沿った概念へと変えてください。そして、終わりの時に、あなたが全人類に対して求める総合的な概念が、彼らの心の奥深くに根を下ろすことをお許しください。また、この概念を終末時代の新たな理念として確立してください。お父様、切に願っております。
お父様、ここに集まった子供達を完全に主管してください。もし死後に欠点があると言えるものがあるなら、お父様! 聖霊の力により、三位一体の力により、それを取り除いてください。炎のような目で洞察し、尊厳ある御前にすべてを差し出すことのできるこの時間をお許しください。お父様の前で贖罪の解放を受け、自由の祝福を受けた者となり、万民の前に立ち、ただ独りでおられるお父様を誇ることができるように許してください。
そうして真のお父様を祀る事ができる様にお許しくださり、そのお父様の前に栄光を帰する事の出来る子ども達として立ててください。
この時間に集まった全体の群れを主管していただき、民族を代表した数多くの祭壇の上、世界人類を代表した全体の祭壇の上に、お父様がおいで下さい! 同じ歴史を示して、その祭壇が終わりに摂理の中心の意志を示す事を許可してください。愛するお父様、切に願っております。


    1
 
私達の心をお父様の祭壇の前に出したので、カインとアベルの立場を見分けてください。そうしてカイン的な供物にならず、アベル的な聖別された供物になる様にお許しください。お父様が摂理が終わるまで万民の前に訴える様に、この時間積み上げる祭壇を全世界に対する皆さんの全体の意志が成り立つまで天上を訴える代表的な祭壇として立てて下さる事を、愛するお父様、切にお願いを致します。
この日のすべての恩寵を主宰されるお父様、御旨のままに現れてください。御許可いただける恩寵を許してくださいし、避けるべき場所を避けさせてください。そうして、あなたの永遠の御心に適う不足のない子供となるように導いてください、お父様! 切望しております。すべての言葉を、あなたの御名によってい祈り致しました。アーメン。


<祈り(Ⅱ)>
お父様!ご指示を受け入れたいと思う者に対して許可されるべき意志を示し、お父様のお考えを理解し求める者がその目的を達成できるように、お父様が歩んでこられた道の意味を明らかにしてください。お父様、心からお願いいたします。
今日下さる御言葉は、今現れた御言葉ではなく、長い歴史を経てきた御言葉である事を知っています。また、この御言葉には、イエス様と彼の愛する弟子達の間に結ばれた忘れられない悲しい事実がありましたので、歴史的に私達の先祖達もそれを考え、死の道も気にせず行ったという事実を知っています。
残された新しい契約を受ける為に、イエス様の使徒達とそれ以来、これまで2千年間イエス様を信じてきた聖徒達は、涙の道も厭わず、残された約束の意志、悔い改めた願いの意志を地上に成し遂げる為に戦ってきたと言う事も私達はよく知っています。

    2

お父様、私達を哀れに見てください。今心を開いて2千年前にイエス・キリストに出会った使徒達の心に代わる事ができる様にしてください。私達が、昔の使徒達が抱えていた困難の事情を通して立ててくださり、終わりに残った全体摂理の目的を成し遂げる事ができる様にしてください。

その後の全てを主管してくださり、聖なる全体の意志を成し遂げて喜びの一日を迎える栄光を味わってください。御言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


<御言葉>
今日お伝えしたい話題は、「達成すべき新しい契約」についてです。このタイトルを持って、少し話をさせていただきます。

4千年間、復活の摂理を通して救いの働きをしてきた神様は、イエス様を復活させる摂理だけでは天上と地上の御意を合わせて完結する事ができないので、新しい契約を立てておき、これによって天上と地上の御心を合わせて約束された本来の園を探す摂理をしてきた事を皆さんはよく知っているはずです。

ここで述べられているように、イエス様が授けてくださった杯とパンは新しい契約そのものです。イエス様がこの世を去った後、私達はイエス様の身体と血を受け取りました。これは、私達が代わりに生命全体を受けたことであり、また真理全体を代わりに受けたことを皆さんは理解する必要があります。

    3

イエスの血とイエスの肉を受ける事は何を象徴していますか? それはイエス・キリストの肉と血を語るものではありません。言い換えれば、天と地を意味し、小さく言うと中心と個体を意味します。また、肉は真理を象徴し、咲きほこる神霊を象徴します。
これら全てはイエス様が私達に無条件に与えられました。その様に主なる神様とイエス様の一体化した内容は、それ自体に限られた問題ももちろん問題ですが、彼を中心にしている天上天下のいかなる存在する問題も全て彼の問題であった事を皆さんは知らなければなりません。
神と人間の間にある問題は何ですか? 天の意が地上に現れ、地上全体の状況が天の意に帰結し、一つの目的で動かなければならない事、これが問題です。そうして愛の主人公であったイエス様は、勝利的な天の栄光に代わって現れるその一つの意志を表象し、これまで苦労しておられます。
神が4千年間働いてイエス様を立てたのは、天全体を所有する事ができ、地全体を所有できる事を表わされたのです。ですから、イエス様を信じる人は天の全てを所有する事ができ、地全体を所有する事もできるのです。ところが、その様に所有したものを自分のものだけに帰結するのではなく、所有して再び天の前に返さなければならない全体的な摂理の意を私達には委託されています。
イエス様が新しい契約を立てて行かれたので、彼が亡くなった後、霊的な世界と肉的な世界が人、すなわちイエス様に従う使徒達を中心に連絡しなければならない条件が残りました。イエス様が亡くならなかった、イエス様を中心に天と地が連絡された事でしょう。

    4

それでは、天と地の中間の立場に立ってイエス様の御心に代わる事ができる人、聖霊の意志に代わる事ができる人は誰でしょうか。今まで地上で新しい約束の言葉を信じて出てくる使徒達か私達である事を皆さんは忘れてはなりません。
イエス様の願いはどこにあるのでしょうか? その願いは天にはありません。人間の願いはどこにあるのでしょうか? それもまた地上にはありません。イエス様の願いは地上の意志と結びつき、地上にいる人々の願いは天上の意志と結びつくべきです。従って、皆さんは天を中心に据えてイエス様から分け与えられたその身体と血を代わりとし、天地に代わる一つの供え物となるべきです。
そうは言っても、イエス様と聖霊は永遠に一つになることはできません。聖霊はそのまま地上で歴史を続け、イエス様はそのまま天上で歴史を続けるしかありません。
イエス様が弟子達に言われた「あなたがたは私の血を飲み、私の肉を食べなさい」という御言葉は何を意味しているのでしょうか? それには、「私が去っても天上の摂理の中に入っている全てを完全にあなたがたが受け取り、私の願いを達成してください」、というイエス様の切実な思いが含まれています。これを皆さんは忘れてはいけません。
弟子達がイエス様から受け取った血は、イエス様の霊的な側面を象徴し、肉は肉体的な側面を象徴し、それはすなわち聖霊を表します。それによって、イエス様と聖霊はその血と肉によって一つの体を持ち、一つの目的に向かって進むための中心存在とされたのです。また、イエス様の血は天を、肉は地を象徴していました。従って、皆さんはそこにイエス様の大きな希望と志が表れていることを理解する必要があります。

    5

今、皆さんは聖霊を通して聖なる身体となった後、心がイエス様の体と結びつく必要があります。これは帰還の過程を象徴しています。神様がアダムとエバが創造されたとき、先ず体を形作られ、後から鼻に命を吹き込んでアダムとイブを創造したことを思い起こしてください。このように、二つの条件の原則を結合して一人の人を造り出したのと同様に、帰還の摂理の中でもイエス様を中心にした聖霊が新しい契約を確立し、その後の天上と地上が結びつく歴史が進行しているのです。
これを考えると、今日私達にはどれだけ重要な責任が課せられているかを皆さんは理解する必要があります。
取るに足らない使徒達、取るに足らない私たちの行動によって天が左右されることを知るべきです。使徒達に代わる皆さん! イエス様の体を受け取った皆さんには、神様に代わって奉仕できるイエス様の生命力が現れなければなりません。天に代わって感動的な聖霊の歴史が現れなければなりません。そして、イエス様の意志に従って全世界を復帰するために、皆さんが一致して進んでいくとき、あなた方が左に向かえば天も左に向かい、あなた方が右に向かえば天も右に向かうでしょう。天があなた方の動きに応じて動くでしょう。
天が人間を通じて動くことができる基準を皆さんが確立しない限り、イエス様と聖霊は皆さんに訴えるでしょう。イエス様が残された宇宙的な使命が皆さんを非難するのです。今日、これを考えると、取るに足らない不足な私達を通じてイエス様が天を左右し、地上を左右する絶対的な意志を成し遂げようとしていることを感じる必要があります。
イエス様には人間なしに決定できる権限はありません。聖霊にも決定する権限はありません。決定の権限はただ私達人間にあるのです。
ここまでの福音書の歴史は、天が与えて下さいましたように、私達の希望の範囲内での歴史でした。限界を超えることができない場所にとどまっていたのが福音書の歴史でした。私達はその福音の言葉を超えなければなりません。限界を超えて、天の賜物を受け取ることを知らなければなりません。自らが考える様に天と地のすべてを主管しようとしたイエス・キリストの全体的な価値観を持ち、それ以上の福音書の限界を超えるように、「お父様、私に新しい約束を与えてください」と言える人にならなければなりません。

    6

イエス・キリストの血に訴え、十字架で肉体を引き裂かれながら訴えられた訴えを、今日皆さんは生活に現さなければなりません。私達が天に向かって進むためにも、完全に果たさなければならない人間の責任は、イエス・キリストによって約束されています。しかし、それが約束に終わることは許されません。ここまでのすべての恵み、すべての希望、すべての命を私の一つの実体が所有し、私の一つの生命の理想を持ち、その限界を超えて、問題無い基準を地上に確立できなければ、イエス・キリストの願いは果たされないことを知らなければなりません。
私達は現在、希望の達成過程にとどまっています。目標を見据え、その希望を実現する過程にいます。この過程で動くならば、皆さんは立てた信仰の約束を果たさなければなりません。そのような限界を超えた存在は、最後の時に主の血と肉を受けたことに応える存在であることを皆さんは知らなければなりません。
このような意味で、私はどのようにすべきでしょうか? イエス・キリストの前後左右、聖霊の前後左右、神の前後左右を代わりにすることができるほどの覚悟が必要です。天の御意と同時に地上の意志となっている人間を通じて結実する日を地上に確立できないと言えるならば、イエス・キリストの意志も、神の意志も成就されることは無い事を知らなければなりません。そして、そのような意志を考えると、今日の不足な私たちの価値がいかに大きいかを知らなければなりません。
イエス・キリストは、弟子達に対して血と肉を与え、一つのことを求めました。イエス様は杯を取り、彼らに示し、言われました。「これを取って、互いに分かち与えなさい」(ルカ22:17)。この御言葉を忘れてはいけません。私達はイエス・キリストの血と肉を受けたのですから、イエス・キリストの使命を代わりに果たし、天の問題にも責任を持ち、神の御心が成就されるよう努めるべきです。これこそが天の希望です。
現代の私達には、イエス・キリストの血と肉を受けるという条件で、私達同士の関係を築き、勝利の祭壇を目指すための最終的な責任があります。このような私達の責任を皆さんは痛切に感じる必要があります。

    7

天から降りてくる原則は変わりません。では、この変わらぬ上下の原則と、左右につながるべき関係は誰が見つけるのでしょうか?  皆さんが見つける必要があります。イエス様と聖霊は、歴史や時代が変わろうとも変わらない中心を向かう一方向に進んできました。イエス様と聖霊が交わしたように、私たち自身もそのような関係を結ぶ必要があります。もしもそのような関係を築けなければ、神が働かれる祭壇は地上で実現することができないことを皆さんは理解する必要があります。
イエス様が御自分の血と肉を分かち与えてくださったイエス様の心情をご存知ですか? それは言葉では言い表せないほど悲痛な心情でした。現代の世界でも、意図を理解し、その意図のために尽力する人は、悲痛で哀れな立場で孤独に試練を乗り越えながら、意図を表現しようとします。従って、それを感じることのできない人々や、このような意図に対処する知識がない人々を見つめるイエス様の心情がどのようなものか、皆さんは知る必要があります。
このような歴史的な状況を理解できないというならば、皆さん同士での水平的な聖餐式も分かち与えることができません。そのため、今日の私たちには、イエス様が神と通じ合うとき、またイエス様が聖霊と通じ合うときに分かち与えていたあの愛の心を私たち同士で分かち合うことができる、つまり聖体の愛を示す生活が必要です。
個々人を結びつけ、教団と教団を結びつけ、そして教団を超えて、どのような形であれ天の愛を中心にした一つの権能の中に入るために、「あなたたちが互いに愛の心を分かち合うように」というイエス様が願われた意味を理解する必要があります。
今日、皆さんの中に、自分自身を捧げ、その代わりに恵みを受け取ることができる仲間を持たない人がいることを、彼は哀れな存在であることを知る必要があります。また、イエス様の前での聖霊は、人は変わるかもしれませんが、聖霊は変わらないため、人々は彼と交わり、彼から出て行きます。したがって、皆さんは彼との交わりにおいて与えられる基準から、霊的な世界の歴史に立ち向かう必要があります。

    8

今、イエス様が私達に残してくださった最後の一つの希望を私達が成し遂げる時が来ました。この一つの希望を皆さんが左右に結びつけるためには、どうすれば良いのでしょうか? まず、地上で仕えることを知る人にならなければなりません。地上で戦い、殉教する人にならなければなりません。地上で正義を奉仕することを知る必要があります。
今日、皆さんはイエス様が言われたことを心に留める必要があります。すべての人に仕える者は仕えられる者となる、と仰いました。自分自身を高めようとする者は低くされる、とも仰いました。これは、今日の私達が平面的な面で感じる生活の中心です。したがって、私達は誰でも奉仕することを知り、皆の友人になることができ、また彼らを守ることも知る必要があります。
新しい契約の言葉が約束された今、私たちはイエス様が指示された彼の内面の心情を感じなければなりません。そして、彼の心を読み解くと同時に、彼の理想や実践的な側面まで理解する必要があります。そのため、イエス様と聖霊の意思を代わりに成し遂げるべきです。もし私達からそれが成し遂げられない場合、終わりの日にはイエス様と聖霊の歴史が結実されます。
イエス様と聖霊の歴史が結実されるその日、一人で立ち、イエス様の望みと聖霊の望みを知り、イエス様が行かれた実践的な使命を代わりに果たせる自分となり、イエス様と聖霊を代表して新たな理想を持ち、それを支持して進んでいけるような立場にならなければなりません。
私達はイエス様の新たな約束の血を受けた者達です。このような私達に残された使命は何でしょうか? それは新しい契約を成し遂げることです。そのためには、私自身が終わりの日においても三位一体の協力がなくても、悪魔に対して勝利できるようにならなければなりません。では、悪魔に対して勝利できる中心とは何でしょうか? それは、悪魔が行えない行動を知っていることです。悪魔ができない行動を実行できるようになる必要があります。

    9

悪魔の本質は傲慢です。悪魔の本質は嫉妬です。悪魔の本質は自己中心的なものです。そのため、イエス様と聖霊の教えは柔和で謙虚であること、犠牲を払うこと、自己犠牲的な生き方であることです。これらはすべて、悪魔ができないことです。悪魔が柔和になるためには、神の前ですべての罪を悔い改め、離れなければなりません。もし悪魔に嫉妬の心がなければ、今日の世界はすべて天の前に早く戻ることでしょう。
従って、皆さんは悪魔に対抗する要素を自己に備えなければなりません。そして、皆さんは自分の限界を超えて新たな契約の領域に入るべきです。それによって、皆さんが変わらない一つの中心を確立するとき、イエス様の血を受けた者として新たな契約の意思を実現することができるでしょう。
もしも皆さんが、神がイエス様と協議できなかったこと、イエス様が聖霊と共有できなかったことを皆さんによって再び協議できない立場に立つのであれば、つまり皆さんが天地のすべての基準を代わりにする中心存在として立てないのであれば、イエス様の約束の意思は達成されず、また神が望む新たな約束の意思も達成されないことを皆さんは明確に理解しなければなりません。
今日、私たちは世界のどんなものを持っていなかったとしても、イエス様の体と心を完全に持つべきです。天地に代わる一つの中心的な価値を天から認められなければなりません。そして、その認められた私たちの価値はどんな限界領域にも留まってはなりません。天上のどんな存在も私たちを歓迎せざるを得ない、そのような価値的存在となることが必要です。
イエス様の血とイエス様の肉は地上だけで有効なものではありません。地上に限定されたものではありません。信仰のあり方が天上でも有効であるように、それらは天上でも有効です。したがって、私達がイエス様の血と肉を完全に受け入れたと言えるならば、私達の願いは天上で完成し、地上でも完成するようになります。そして、それが完成したものが天上でイエス様の願いを代わりに行い、地上で聖霊の願いを代わりに行うことです。

    10

それによって、私達が一つになり、イエス様と聖霊が行っていた御旨を引き継ぎ、イエス様と聖霊に休息を与え、また神様と再び約束を結ぶことができる基準に達しなければなりません。そうすることで初めて新たな神の歴史、全体的な天の計画が皆さんを通じて進行し、勝利の基準が確立されることを皆さんは心に留めておかなければなりません。

<祈り>
 お父様! 私達は地上では真実の戦いが繰り広げられていること、そして天上では愛の競争が行われていることを知っております。
地上での真実の戦いはイエス様の体を象徴し、それを成し遂げるための一つの目的があることを私達は知っています。また、私達が天上を目指し尊敬すること、愛を称えることも、イエス様の御心を完遂するためのものであることを知っております。
愛と真実が交差する一つの基準は、イエス様が宿ることのできる基準であり、聖霊が宿ることのできる基準であり、神が遂行される勝利の基準であることを私達は知っております。お父様の勝利の基準は、イエス様を中心として捉えられるのではなく、聖霊を中心として捉えられるのでもなく、地上にいる私を通して、私達を通して捉えられるように許されることをお願いします。
そして、その一つの基準が永遠に変わらず、一つの結論の終点または原点を描きながら回転する一点に向かって進むべき私達の使命が残っていることを知っております。

    11

お父様! ここに集まったあなたの愛する子どもたちが、今や父の前に立ち、イエス様の前に立ち、聖霊の前に立っておりますので、「おお、父よ!主よ!聖霊よ!」と叫ばせてください。また、その声が天上にまで響くようにお許しください。地上が動くことをお許しください。心から望むことを許してくださり、「お父様!」という声が、天から地上の全てにまで響き渡り、動けるように許してください。お父様、切に望み求めます。
今、私の心にイエス様の血を若々しく注いでください。私の心がイエス様の身体に絡みつけるようにお許しください。私の希望と意志が天上の希望と天上の御意を代わりに果たすことができるようにお許しください。
私達はイエス様を殺害した血縁的な罪の結びつきから解放されておらず、今日も悪魔の本質的な要素を清算することができていません。お父様、このすべての悪の要素を消し去り、命の恵みだけが満ち溢れるようにお許しください。
すべてを主管し、私達が命に代わるイエス様の血の価値を示すようにして下さい。また、イエス様の勝利の栄光の領域を示して下さるようにお願いします。お父様、切に望み求めております。
これらすべてをお任せいただいた恵みに感謝し、主の名によってお祈りいたします。アーメン。

    12










文鮮明先生御言葉選集 1 - 11. イエスはなぜ世の罪を負った子羊になったのか(1956年7月11日)
1956年7月11日(水)元本部教会
聖書拝読 ヨハネによる福音書 1:24-34


<祈り(Ⅰ)>
 愛する私のお父様! お父様の愛を敬いながら、散り散りになっていた子供達がお父様のひざの前に集まり、ひれ伏しました。今、私達の心を主管してください。私達の心には、お父様の聖なる御姿を敬う心だけが残るようにお許しください。また、私達の実体はお父様の御姿の美を備え、どんな状況でも感動的な恩寵に浸ることができる実体となるようにお許しください。お父様、切に望み求めております。
この地は暗闇に閉ざされています。この暗闇に閉ざされた地を責任を持って引き受けなければならない使命も、今日の私たちに委ねられ、残されていることを知っております。
愛のお父様! 慈悲のお父様! 私たちだけでは、私たちの力だけでは決して善と悪を判別し善を高めることができませんが、天に隠されていた善の力と天に秘められていた愛の力を現されて、復活の力によって働いていただき、不足している場所でも善を行う能力を示すことをお許しください。復活の栄光を持ち、お父様に心と身体を捧げて敬礼できるようにし、心と身体を捧げて栄光を示すことができるこの時をお許しください。愛するお父様、切望しております。
今、ひれ伏した多くの子供達の心を、お父様!清めてください。一人一人の心に対して、聖別の手で触れてください。個々の心と体を清めてください。お父様、個々の心を清めてください。正しくない要素を一つ残らず取り除かなければなりませんので、お父様、ご自身が分別の主役となってください。心情の主役でもあり続けてください。

    13

善悪を判別し、悪を取り除き、善だけを持った地の供物として、一つの中心を通じてお父様の前に捧げられるようにお許しください。私のお父様、切望しております。
お父様! 今、集まりましたので、お父様の御前に、不完全な自己を認識できるこの時間としてお許しください。過去の罪と悪の力を受けて死の権限に包まれている自己を見出し、お父様の御前で、善の栄光の祭壇の前で自己を清らかにできるこの時間を与えてください。過去の正しくない習慣や、お父様を信じられない概念を取り除いてください。新たな善の刺激を受けて、お父様の御姿の新たな価値を感じ、心と身体で衝撃を感じることができるこの時間として与えてください。悔い改めと感動の歴史を織りなしてください。愛するお父様、切望しております。
お父様、少数が集まりましたので、主管してください。ここに集まった子供たちの中に、一人でも悪魔の支配を受ける子供がいないようにお許しください。お父様の再創造の労苦の歴史と全能の歴史を経て、今日の低次元の内容を捨てることができる様にこの時間をお許しください。お父様、切望しております。
不適切で正しくないあらゆる罪悪の要素をこの時間、お父様、取り除いてください。ご自身が主管し、主導できる栄光の要素だけが集まった聴衆全体に満ち溢れて働いてください。満ち溢れて主管してください。愛するお父様、切望しております。
お父様、この夜は孤独な群衆が広がり、民族を代表して天の前で礼拝する時間であることを知っております。孤独な群衆を友として受け入れ、交流し、歴史を作り出すお父様、彼ら共に歴史を作り出す私のお父様、彼らが置かれたどんな環境や立場にあっても、お父様、彼らの天に向かった忠誠と献身だけは変わることがないようにお許しください。

    14

悪魔の嘲笑に打ち勝つために、大山のように立ちふさがる障壁を踏み越えることができるように、天の勇者として立てて下さい。最後の使命を果たし、お父様の願いが達成され、残せるものがあるように導いて下さい。闘い続けることのできる変わらない天の力が共にあるようにして下さい。私のお父様、切望しております。
この夜、民族を代表して集まる数多くの祭壇の上にも、人類を代表して集まる数多くの祭壇の上にも、聖三位一体のような歴史として臨んで下さい。終わりの時に果たされるべき使命を彼らの前に予告し、立てて求められるお父様の本来の意志を早くこの24億人の前に明らかにするようにお許し下さい。この地球上に現せるようにお許し下さい。愛するお父様、切望しております。
初めから終わりまでただ一つの使命として、お父様に捧げられる犠牲の祭壇を築き上げて下さい。喜びの体現となる歴史、力、栄光が現れるようにお許しください。主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


<祈り(Ⅱ)>

愛するお父様! 私たちを主管してください。私たちが天の意味を代わって現れたキリストの姿を見て、ヨルダン川で天に向かって叫んでいたヨハネの姿の前に立つイスラエルの立場を代表できる環境を整えてください。
私たちの心は歴史の彼方にあるかもしれませんが、お父様を中心にした切ない心情で叫んでいた洗礼者ヨハネの声を私たちが再び聞くことができる感動的な恵みを許して下さい。「見よ、世の罪を取り去る神の小羊である。」と言われた言葉は、確かに驚くべき、畏れ多く、威厳ある言葉でした。

    15

この地上には数多くの人々が行き交い、数多くの聖賢が現れ去りましたが、誰一人として大胆に立ち上がって全人類の罪を代わりに負ったと叫んだ者はありませんでした。しかし、洗礼者ヨハネがイエス様を立証した言葉は、歴史的な新たな再創造の基準を確立したことを私たちは知っています。万民の憎むべき罪を引き受けることができる唯一の存在を求めた洗礼者ヨハネの心情を私たちは知り、私たちのすべての罪をイエス・キリストに委ね、天を仰いで礼拝する喜びの恵みを許して下さい。
今日、私たちの環境を解放の恵みを受けたイスラエルの民族の環境に変えて下さい。彼らの心情を私たちの環境に表現して下さい。自分自身のすべての罪を託せる主人公を見つけた者がいれば、それ以上に幸せな者はいないことを私たちに自覚させて下さい。
私の命と私のすべてを委ね、自由な環境で自ら感謝することができる、天を所有する者の喜びを私たちに感じさせて下さい。そして、イエス様がこの地上に来られて私たちの罪を引き受けたことを、今日私たちが再び認識することをお許し下さい。
今日この時間に集まった者たちのすべての罪をお受け取り下さい。善だけが残り、善だけが満ち溢れるように許して下さい。すべての罪の要素をイエス・キリストに委ね、父の前で栄光を称え、キリストの悲しみを慰める刺激的な衝動が私たちから生まれるように許して下さい。愛するお父様、熱望し、願っております。
今日集まった全ての子どもたちを憐れみ見守って下さい。伝える者の心と受け取る者の心が一つになることを許して下さい。私たちを再び生かすことのできる復活の力を許して下さい。私たちを復興させることのできる再創造の言葉で歴史を創って下さい。私たちの心と身体が罪の鎖から解き放たれ、再創造の言葉に頼って本来の姿に回復する喜びの恵みをお許し下さい。愛するお父様、切望し、願っております。すべてをあなたに委ねましたので、あなたの御旨に従って許して下さい。愛する主の名に寄ってお祈り致します。アーメン。

    16

<御言葉>
 今夕に話そうとするタイトルは、『イエス様がなぜ世の罪を負った小羊となったのか』です。イエス様がなぜ世の罪を負った小羊となったのかというタイトルで、少しだけお話しいたします。
神様は自分の内的な理想を実体的に感じる事ができる一つの中心存在で人間を造られました。それで、それから隠された天の美と隠された天の愛と隠された天の栄光を人間であるアダムとエバの生活を通して、生涯を通して、永遠の命の路程を通して成し遂げ、いつでもギャップのない喜びの世界を作ろうとしました。
人間が堕落する事で神様の御心がこのような本然の意志は根本的に断ち切られ、人間達は望ましくなかった悪魔を神様の代わりに立てておき、その悪魔の主管圏内に住む様になりました。神様に栄光と喜びを与え、神様を祀る生活をしなければならない人間が、神様の代わりに悪魔を中心として、彼を祀って従い守りの働きを重ねて来ていると言う事です。これは皆さんがよく知っている事です。

 そして神様は人を中心として探さなければならない御旨が残っており、人を中心として愛すべき意志が残っており、人を中心として勧告すべき事が残っており、今まで摂理されておられますが、悪魔は逆に神様の栄光を破壊するための戦い、神様の愛を破壊するための戦い、天の命を破壊するための戦い、今日人間を自分の手元に結びつけ、これを神様の側に引き渡さないという戦いを続けているという事実を皆さんはよく知っています。

 ですから、今、神様は人を立てて悪魔を讒訴できる一つの条件を立てなければならず、人を立てて神様に返さなければならない栄光を中心に、悪魔に抗議できる条件を立てなければならず、神様の代わりに人間から愛されている悪魔に対して抗議できる条件を立てなければならないと言う事です。また、神様に代わって悪魔が全体の命の権限を持っているので、神様はこれも抗議できる人を立てておかなければならないと言う事です。この責任は神にあります。

    17

 神様が求める創造本来の人間、悪魔に対して攻撃できる一つの主人公が出なければ、再び神様に栄光を向ける道がなく、愛を為す道がなく、命を回す道がないと言う事です。

 この一つの中心存在を立てる為に、神様は4千年の間ご苦労され摂理をされました。それで、初めて神様が万民の前に探し求められた一つの信仰の中心、人間の代表的な中心、神様の栄光を証し、神様の愛を証し、神様の命を証しする為に立てられた方が誰かというと、イエス・キリストでした。

 イエス・キリストがこの地に来て果たすべき責任とは、神の栄光を回復し、神の愛を回復し、神の命を回復することでした。しかし、その達成を妨げていたものは何だったのかと言えば、それは罪でした。

 罪は、人々が神の前で栄光を帰することができないようにし、神の愛を真に感じることができないようにし、天の命を自分の命として感じることができないようにし、永遠の命の中心を築くことができないようにしました。それは何が原因で起こったのでしょうか? それは堕落によって起こり、血統的な罪と個人的な罪が人間を中心にし、全ての創造物に浸透しているからです。

 ですから、イエス・キリストがこの地に来られて最初に果たさなければならなかった責任とは、神の栄光を回復する前に、神の愛を回復する前に、神の命を回復する前に、全ての人々と創造物の中に存在する罪の根源と戦わなければならなかったことでした。

    18

 そのため、イエス・キリストはこの地に来られて、この罪の根源を取り除くために、人々の罪を自ら負う事を受けられました。

 では、なぜイエス様が罪を代わりに負う必要があったのでしょうか? それは人々が罪を抱えていたからで、そしてさらに重要なのは、人々が真理を知らなかったためです。

 イエス・キリストは、この地上において神の栄光、神の愛、神の永遠の命を持ち、全ての人々を救うために来られました。しかし、彼の道を妨げる条件がありました。それは、人と言う全ての人、集団と言う集団、全ての社会、国という国との間に、網の目のように張り巡らされた罪でした。

 この罪が清算されるまでは、この地上で神様の栄光も見ることができず、神様の愛も見ることができず、神様の命も見ることが出来ない状態でした。

 神様は人々にこの罪を清算するように与えられました。人々がこの罪を清算すると、それによって彼らは神様によって栄光を授かることができ、神様の命を授かることができ、神様の愛を授かることができます。人間の立場から見ると、神が人々にこの罪を清算するようにされたのは、人々にそれまで知らなかったこの世界の主人である事を知らせるための目的でした。

    19

 従って、私達がその主人になり天の栄光を代わりに奉仕し、天の愛を代わりに奉仕し、天の命を代わりに奉仕できるならば、私達はそうなった場合、何も天と私達を分ける力はありません。イエス・キリストが天を中心に立てられた私達との関係を悪魔も断つことはできません。

 しかし、堕落の原因として、この世界が終末を迎えるまで、私達とイエス様、聖霊との間には除去しなければならない罪の重荷が残っています。この罪の重荷は、個人を中心とした家庭、社会、国家、世界、天に残っており、この世界全体の罪の重荷を負うことができる存在が来られることは、何よりも喜ばしい知らせであり、救いと勝利の福音です。

 では、今日私達自身はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? また、私達の家族はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? 私達の社会や国家はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? 私達が生きているこの世界はイエス・キリストの前に罪を委ねたでしょうか? まだ罪悪の支配下にある聖徒がこの地上に何人残っているのかが問題なのです。

 日常の信仰生活において、皆さんがすべきことは何でしょうか。それは、自分自身の罪をすべてイエス・キリストに託すことです。皆さんは自分の罪をすべてイエス・キリストに委ねましたか? 自問してみる必要があります。実際に、「お父様! 私に残されている罪は私自身では解決できません。私の罪をあなたに託します。」と言える存在がこの地上に現れなければ、イエス・キリストの理想は実現されないのです。

 私自身にまだ罪の重荷があり、私の家庭にまだ罪の重荷があり、私達の社会、私達の国、私達の世界、天にまだ罪による嘆きの要素が残っていると言えば、イエス・キリストの十字架の苦しみは延長されることを意味します。

    20

 皆さんは、この時間もイエス・キリストの十字架の苦しみを延長させることを繰り返しているという事実を知る必要があります。

 今日、私達はイエス様に私の罪をすべて託すという悔い改めの祈りを捧げる必要があります。「主よ、私の罪をお許し下さい」と言わなければなりません。

 私の心と身体を合わせて、イエス様の心と身体を合わせ、イエス様に委ねられた罪の荷物を背負い、イエス様の手を通し、私の手を通して罪の闇を貫けなければ、聖霊を通じて、イエス・キリストによって罪が完全に清算された人とは言えないのです。

 では、イエス様がこの地に来て罪を託されるという意味は何でしょうか? 私達は堕落によって命の主である神を失い、真の両親を失い、私を守り、愛してくれる中心存在を失ったのですが、この中心存在としておいでになったのがイエス様でした。そして、イエス・キリストが世界のすべての罪を許された後、天と地、悪魔はイエス様一人に対して最終的な審判を行う時を迎えるでしょう。

 皆さん自身が自分の罪をすべてイエス様に託し、神に託さなければ、イエス・キリストが皆さんの主として主管して欲しいとしても、主管してくれないことを知る必要があります。このことを理解する必要があります。

    21

 私達はイエス様の心情を理解する必要があります。この世界においてイエス様が抱かれた心情を理解する必要があります。その心情は、宇宙全体の罪を負いたいという願いであったと言えます。人間的に見ると、イエス様は憐れみ深い方であったことを皆さんは知る必要があります。イエス様がこの地においでになったとき、イエス様と同じく祝福を受けた人はいなかったことを皆さんは知る必要があります。

 イエス様が私達を尋ねるため、恩寵を与えるためにこの地においでになったにもかかわらず、誰一人としてイエス様の願いを知り、イエス様を私達の永遠の理想、不変の主として受け入れる者はいなかったのです。

 民族のためにおいでになり、国家のためにおいでになり、世界のためにおいでになり、天の為においでになったイエス・キリストは、語り尽くせないほどの祝福者の中の祝福者であったことを皆さんは知る必要があります。この地においでになって語られた御言葉や行動を見て、「ようこそおいでくださいました!」と言っても、信じる者は一人もいなかったのです。同様に、人間的に見ると、イエス様個人の置かれた環境は言い尽くせないほど不安定な環境でした。

 イエス様もまた、人間として、皆さんと同じような感情を持つことでしょう。しかし、自らの罪さえ解決できない人類の罪を背負い、全人類の過去と未来の罪を引き受けたイエス様は、苦労を忘れ、孤独な立場で自分の罪を責める個々の人々を慰める立場におられたことを皆さんは知る必要があります。そして、人類の罪をお負いになるためにおいでになったイエス・キリストの内なる努力、苦悩、悲しみを私たちが慰めるべきであることを忘れてはなりません。
もちろん、私達は自分たちの罪を悔いるべきです。なぜなら、この悔しさが直接天に響かないようにするためです。この悔しさを慰めてくださるためにおいでになった方が聖霊です。

 従って、私達はイエス様と聖霊の協力を受けて私達の罪を捨てなければなりません。そうしなければ、私達のために罪を負ったイエス・キリストの苦悩はこの地上でも天上でも解消されないことを意味します。

    22

 では、皆さんが知るべきことは何でしょうか? 聖霊は私達の罪を天の前で償う役割を果たしています。これは人間が天におられる神様やイエス様と直接的な関係を持っていないためです。従って、地上で活動されている聖霊の協力を受けなければならないのです。

 そして、私達が知るべきことは、イエス・キリストの十字架によって贖罪される道が開かれたということですが、実際に私達の罪を引き受けて労苦されるのは聖霊です。聖霊は私達のために、私達が罪人のようにかわいそうな身の上を代わりに引き受け、仲介者として労苦されていることを皆さんは知るべきです。

 聖霊の労苦とはどのような労苦でしょうか?十字架にお帰りになったイエス様の労苦は私達の罪を引き受ける労苦であり、聖霊の労苦は皆さんが泣けば共に泣き、皆さんが十字架につけば共につかれる労苦なのです。そして、十字架の難関を乗り越える労苦の歴史は今日も皆さんのために続けられているということです。これを皆さんはよく知るべきです。

 したがって、イエス・キリストの労苦と聖霊の労苦が私を仲介にして一つになり、天が求めるその労苦の基準を超えるとき、私達が犯した地上の罪はすべて贖(あがな)われるのです。

 私達は今までイエス・キリストに会うために私だけが労苦したと思っていましたが、私の背後で私以上に労苦されている聖霊がおられることを知るべきです。

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 イエス様が望まれるのは、人間の労苦よりも聖霊の労苦が大きいため、聖霊を立ててイエス・キリストの栄光を代わりに現し、全人類を主管しようとされることです。そのような日が訪れない限り、イエス様がこの地に再びおいでになって万民の主として立つことはできないということです。

 従って、私達が悪に立ち向かうとき、私たちが犯した罪によって聖霊が代わりに地上で労苦され、イエス様が十字架にかかることになったことを知るべきです。また、天のどこに行っても私達は天の怒りから逃れる道理と術のない罪人であることを知るべきです。

 この罪を悟り、私達は今や心と体を捧げなければなりません。そのためにまず、聖霊の労苦に頼ってイエス・キリストの労苦の不足を埋め、その労苦の重荷を取り除かなければなりません。こうして私を通じて聖霊の労苦が終わり、イエス様の労苦が終わり、神の労苦が終わって初めて、私達のために罪を負担し御苦労された天の復帰計画が完了するのです。そして、私達自身がその時にようやく主役を見つけることになるのです。これを皆さんは理解する必要があります。

 イエス様は人間としてこの地においでになりました。イエス様は普通の人間としてこの地においでになりました。皆さんが霊界を通じて見ると、イエス様は私たちと対話する体を持っていますので、皆さんの霊眼が開かれれば私達のために亡くなられたイエス様を慰め感謝することができますが、聖霊に対してはこのようなことはできません。なぜなら、聖霊は具体的な体をお持ちではないからです。

 イエス様は実体を持った天の主役として、霊界の中心としてこの地においでになりました。しかし、聖霊はまだ体を持たないため、直接的に聖霊の労苦を慰めることはできません。このような不和を解消するために、2千年以上の労苦の歴史を経て花婿と花嫁の理念が確立されましたが、現代のクリスチャンたちはこれを知らないのです。

    24

 では、花婿である天のイエス様の前に花嫁となることができる地上の実体を持つ聖霊はいつ現れるのでしょうか?

 私たちが犯した罪は、イエス・キリストだけでなく、聖霊に対してもその労苦の高みを越えさせたものです。しかし、私自身を通してその労苦の恨みを解消する事で、その喜びと栄光をイエス様に返すことができますが、聖霊には返すことができないということです。

 私達が罪を委ねると、まず最初に聖霊が私達の罪を引き受けます。その後、イエス・キリストが引き受け、そして神様からの清算を受けるのですが、現代の私達はこれをよく理解していません。この使命を知る聖徒達が現れれば、聖霊の感動的な歴史は彼らを通じて全人類に現れるでしょう。

 では、イエス・キリストがこの地に来られた後、今の私達は何をすべきでしょうか? 私達はイエス様と同じ立場の花婿的な主役と、聖霊と同じ立場の花嫁的な主役を見つけなければなりません。したがって、贖罪の恵みを受けなければなりません。そして聖霊とイエス様を迎え、聖霊と聖者と神様に対して、「祝福してください」と言えなければなりません。そうでなければ、イエス・キリストの2千年の労苦や聖霊の2千年の労苦はこの地上で完結することはできないのです。

 イエス様はなぜこの世の罪を引き受けられたのでしょうか? それは私達のために、私達が自由を持つことができるようにするためでした。そして主人を見つけ、人間が本来の姿を持ち、悪魔の支配を受けていた立場から、悪魔を支配する立場に移すためでした。従って、あなた方はその試練を乗り越えて自由の子とならなければなりません。

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 私達を自由にするのは罪です。しかし、罪自体が私達を自由にする事はできません。私達が犯した罪を条件として、悪魔が私達を自由にしない様にしているのです。

 主人を探す事は私達がしなければならない使命であり、罪を脱ぐ事も体と心を中心に戦わなければならないが、自由を探すには悪魔と戦わなければならないと言う事です。

 悪魔と戦うとき、私の一人だけでは悪魔を撃退する事はできません。聖霊だけでも悪魔を撃退する事はできません。そしてイエス様だけでもサタンを撃退する事はできず、神様だけでもサタンを撃退する事はできません。こう言うと、「何も出来ないのか」と言うかもしれません。

 しかし、神様自体だけで悪魔を撃滅できるなら、どうしてこの地に立ってイエス・キリストのご苦労された30余年の命と十字架の犠牲が必要だったのでしょうか。

 今、私達は悪魔との戦いを展開しなければなりません。そして戦いを展開するには、誰の為に戦うのかをよく知らなければならないのです。

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 私達は最初に聖なる父、聖なる者、そして聖霊の為、次に私の為に戦うという事を知らなければなりません。私達の知っているクリスチャンは、天の為に戦っている事を知っていますが、私の為に戦っているという事実を忘れています。それでは、天の為に戦うのは何のためですか? 悪魔の攻勢と侵犯を防ぐためです。

 天は皆さん一人一人が神聖な道を見出すために動員されていることを知らなければなりません。地上もまた動員されていることを知らなければなりません。つまり、天には神様が動員されており、イエス様も動員されており、聖霊も動員されています。そして地上には、皆さんが知らないかもしれませんが、皆さんのために多くの先駆者が動員されているのです。皆さんはこれを知らなければなりません。

 ですから、皆さんはこの様に数多くの方々が天上と地上で動員され、皆さんに自由を与える為の戦いをしているという事実を知り、それに応える事のできる皆様にならなければなりません。

 今日、この時間も皆さんの心と体を自由の場に導く為に多くの方々が苦労していると言う事です。天上で長い間、神様が苦労しておられ、イエス様と聖霊が苦労しておられると言う事です。それだけではなく、千千万聖徒と天軍天使達が苦労していると言う事です。皆さんはこの事を忘れてはいけません。また、人間が拘束されている暗い環境を収拾する為に死を覚悟して責任を果たす聖徒がいる事を忘れてはいけません。

 地上で聖なる使命を果たし、努力することは、私たちの国では栄光を受けるということを私たちは知っています。ですから、私たちは天の前で名誉を保つことができなければなりません。

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 そして、審判の日が近づいてくると、イエス様の努力によってあなた方を自由にするための努力と同じような努力を求められるでしょう。聖霊の努力と同じような努力を求められるでしょう。そして神の努力と同じような努力を求められるでしょう。さらに、あなた方を解放するために多くの賢人たちが努力したような努力を求められるでしょう。

 あなたがたは、自分だけが快適で、自分だけが安穏で、自分だけが楽しく満足する信仰生活を送ってはいけません。そんな生活をしても、自己中心に陥る困難は避けられるかもしれませんが、聖霊、イエス様、神様、そして数多くの信徒たちが要求する苦労の歴史は避けることはできないでしょう。

 ですから、今日私たちが自由を見つけ、自由の一心となり、自己の一心を持って「お父様、感謝します」と言いたいのであれば、イエス様を中心において感謝しなければなりません。天からは聖霊と数多くの信徒たちは自分たちの努力の報いをあなたがたが神の前に返すことを望んでいます。あなたがたはこれを知らなければなりません。

 イエス様の願いは地上のすべての人々が癒されることであり、イエス様の目的は地上のすべての人々がこの目的を成就することです。そしてその目的を地上で完結させると同時に、天からも完結させる使命が人々に与えられているということです。

 イエス様を通じて贖罪し、自由と解放を得たと言う事は、イエス様が望むことを成し遂げることができなければなりません。それが可能な人を見つけることが天の願いであることを皆さんは知るべきです。

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 地が罪に染まり、邪悪であり、背信行為を犯すとしても、神様の心を通し、天倫の心を通し、賢者の心を通し、人類を代表して悪魔の前に堂々と立つことを知るべきです。だから、悪魔に対してどれほど強く攻撃し、皆さんの力が強くても、悪魔を支持しないで堂々と攻撃することを知るべきです。このような自由の心を持ち、あらゆるものの前で誇ることができる人が現れなければなりません。このような主人が出てこない限り、天の栄光と天の愛と天の生命は私たちに結びつかないということです。

 現代は、私達は自由な環境を作り出せなかったことから、神様の理念やイエス様の理念、聖霊の理念が私達と結びついていない状況です。しかし、この理念が結びつかない限り、天から働く神様の命、神様の愛、神様の栄光は私達と関係がないものとなります。

 そこで、現代のクリスチャンたちは自由な信仰によって解放の祝福を受けている立場にあると言っても、なぜ永遠を見据えて前進できないのでしょうか?喜びと自由の環境にあるとしても、それだけでは全てではありません。永遠の命を受ける必要があるのです。現代の皆さんは、その時々によって変化し、数年で終わってしまう自分自身を嘆き悔やみ、不満を抱えている立場にいますか? この立場から脱出できなければ、神の善意の命との関係が遠ざかることを皆さんは知るべきです。

 皆さん自身は貴重ですが、自分たちの貴重な価値を考える前に、まず神様の尊い価値を認めて神様を解放し、天の自由の主人を立てることを地上で責任を持たなければなりません。そのような主人が現れれば、彼はイエス様の前で他に類を見ない特別な新婦にならざるを得ないことです。

 今、皆さんは時間や場所を超えて戦いを通じて神様の内なる愛の基準を見つけて立つ必要があります。そして他人に何かを与えようとする愛の心を永遠を中心に感じることができなければなりません。また、その真の主人に対しては一時的に止まらずに接することが必要です。

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現代には一日の自由と喜びのために生きる人々が多くいますが、皆さんは永遠に変わらない喜びと自由の基準を心の基盤にしっかりと確立しなければなりません。皆さんはその基準を立てることでのみ永遠の命に参加することができるのです。このような永遠の基準と一方への環境ではなく、四方に広がる環境を作ることで聖霊の愛が実現し、聖者の愛が実現し、父なる神の愛が実現するのです。

 イエス様が私たち自身の罪を負い、世界の罪を負われた理由は何でしょうか。 まず第一に、神様の栄光のためです。次に、神様の命と神様の愛のためです。そして人類の主人として、自由の主人として、生命の主人として、愛の主人として、和解の仲介者として、皆さんとともに永遠を規範とし、共有するためです。

 従って、私たちがイエス様を信じ、従うならば、この地上にいる間にも神様の栄光を受け、神様の創造の理念を実現することができるでしょう。そして、皆さんによって創造の理念が達成されれば、神様は自ら悪魔を打ち破った永遠の勝者として祝福し、愛されることでしょう。


<祈り>
 愛するお父様! 天がこのような切望の心情を宣言される際、私たちが通過しなければならない関門がこんなにも多いことに気づきませんでした。今日ここに集まった愛するあなたの子供たちに、心の扉を開いてイエス様を受け入れることができるようにお許しください。また、天からの嘲笑の的にならないように許してください。

    30

 地上でサタンの前に立ち出る群れとならないように許してください。そうすることで、永遠の命を中心にし、愛を中心にし、栄光を中心にし、私が受け入れることのできる私の主であり、愛することのできる私の主であり、歌うことのできる私の主となり、喜びの栄光をこの地上で受けることができるように許してください。切望し、願っております。

 今日ここに集まった愛する子供たちの心に目を向けて力を与えてください。彼らの身体を癒してください。

 彼らがお父様から力を求めるとき、その力を与えてください。彼らが無限の命を求めるとき、無限の命を与えてください。彼らが無限の戦いの道を歩んで天が歩んできた努力の道が彼らの一生で完成するようにしてください。

 残されたあなたの子供たちを立て、天の軍勢に加え、サタンとの戦いに立ち向かえる子供たちとして立ててください。不足のない子供たちとして立ててください。切望し、願っております。

 お父様、すべてをご存知ですので、すべてのことも成してあげてください。心と心が繋がり、天の絆が彼らの身体にまで繋がるように許してください。
切望してお願いし、主の御名に寄ってお祈り致します。アーメン。


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御言葉選集1(8、9)

2023年05月19日 08時27分06秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 1 - 8. 神様の主管世界を探しましょう(1956年6月27日)
1956年6月27日(日)、元本部教会。
聖書拝読 マタイによる福音書22:15-22


<祈り(Ⅰ)>
 愛するお父様、私達はお父様の抱擁を慕い、哀れなる者たちに同情の念を抱いて参りました。どうか、私達の身体と心を導いてくださり、私達全体をお導き下さい。私たちの心身が、お父様に喜ばれる心身であることを知ることができますよう、お許し頂ける様にお願い申し上げます。お父様の栄光と正義に賛美の歌を捧げることができる恵みの中に、この時間を過ごすことができますよう、お許し下さいませ。


 愛するお父様! お父様が慕しくて集まった子ども達を憐れんでください。彼らにお父様がいない時は、哀れな者の中の哀れな者です。これら全てを主管してください。彼らの願いで彼らが実践してくれる主人公として、この時間の歴史をお与え下さる事を、愛するお父様、切に願って参りました。


 この一時、散らばった私たちの心を集め、あなたの聖なる御前に供え物をささげるために、謙虚に臨みますので最初から最後まで、あなたが許可されないすべての要素を除去し、和やかであることができる要素だけを残して、全体の雰囲気を整え、私達の心を動かして頂けるよう、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


 今日、私たちの祝福を求めて集まる多くの人々がいることを知っておりますので、各地で聖なる三位一体が同じ恩寵を注いでくださるようにお願い申し上げます。終わりの日に託された全体的な使命を果たすために、私達が集まる場所ごとに、あなたの栄光を讃える人々が同じ恩寵を受けることができる時が、この民の前に早く訪れように、愛するお父様に切に願い求めます。


 最初から最後まで、悪魔に奪われる時間が訪れないように許して下さい。勝利に満ちた栄光のお父様、保護して下さる様に心からお願いいたします。愛する主の御名によってお祈り致します。アーメン。

     1

<祈り(Ⅱ)>
 愛するお父様! 何も持たない兄弟たちがお父様のひざの前に出て参ります。彼らの心情が自己中心的な心情とならないようにして下さい。天のため、お父様のために自己を中心とせず、お父様のみを尊いものとするように明らかにして下さい。お父様の摂理の御旨のために全体が献身的になされるように許して下さい。

 私たちは心と体が暗い影に包まれているかわいそうな存在です。愛するお父様、どうか憐れんで下さい。力もなく、気力もない手を天に向けて広げています。お父様どうか憐れみの手を差し伸べ、私たちを抱きしめて下さい。悪魔に引きずられていた姿が天に向かって両腕を広げ、叫んでおりますので、お父様、どうか私たちを抱きしめて下さい。

 たとえ悪魔が支配するこの荒れた地上に生きていても、天の盾として、戦いの勇士として、天の誇りとなる子供たちとして立てて下さい。愛するお父様、切に願い求めます。

 お父様、今、お父様の愛する子供達がここに集まりました。集ったこれらの子供達の心は様々な形で表れているかもしれませんが、お父様の心に似たいと切望する姿を持っています。一つの心で私達を受け入れて下さい。そして、お父様の御言葉に従い、指示に従い、天の心を証明することを許して下さい。

     2

 この時間、お父様が呼ばれた子供達が集まりました。世界中に広がっている敵である悪魔と戦い、押し寄せる苦難を勝利の盾で防ぎ切る力が不足しないように導いてください。奪う者の立場ではなく、与える者の立場に立たせて下さい。私一人の価値を明らかにし、お父様の栄光となることを許して下さい。お父様、切に願い求めます。

 お父様、困難に疲れ、悩みに巻き込まれたお父様の愛する子供達がいます。もし、お父様が彼らを支えて下さらないならば、彼らよりも悲しい存在はこの世に存在しないでしょう。彼らが歩む一歩ごとに、彼らが身を置く環境ごとに、試練と苦難と悲しみが前に立ち塞がっています。どうか、彼らを守り、保護して下さい。

 お父様が今日まで共に苦労し、共に心配して下さり、一緒に戦うことができました。彼らはお父様の苦難を受けており、お父様の涙を流しています。お父様、永遠に守って下さい。最後の勝利の領域で、勝利の喜びを持ち、すべての創造物に代わってハレルヤを歌い、ホサナの栄光をお父様の前に返し、感謝と敬意を捧げる日まで守って下さい。

 今この時、お父様の許しを受けてお話しをしようとしています。誤った儀式や概念を排除し、お父様が命じられる全体的な再創造の感動的な時間となるようにして下さい。また、活気ある時間が現れるように許してください。

 それ故に、私達の身も心もみな、お父様の愛に満たされて感動せずにはいられません。敬虔(けいけん)な崇拝を捧げずにはいられません。従わずにいられません。悔い改めずにはいられません。どうか、この時が許されて、天の心情を受け入れることができる時となりますように、お許し下さい。心から願い求めながら、愛する主の御名によってお祈り致しました。アーメン。

     3

<御言葉>
 聖書の本文を中心として、今日伝えようとするタイトルは「神様の主管世界を探しましょう」です。このような内容でしばらくお話しします。神様が六日間にわたって創造されたすべてのものは、まだ神を主として祀られることない状況にとどまっていました。


 これは私たちが悔い改めて信仰を持つ過程で必ず解決しなければならない運命として残っています。したがって、私たちの一人一人が天の前で誓い、勝利することができる供え物として立つことを望むなら、神様が求める主体的な復帰を完結させなければなりません。それができないならば、決して勝利の供え物となることはできません。人間の前にこのような過程が存在するのは、堕落の後に誰も望まない、悪魔が主導する世界が生じたためです。


 アダムとエバを通じて喜びを共有するために万物を創造されたお父様は、アダムとエバの堕落によって創造されたすべてを失いました。アダムとエバ自身も失い、万物も失いました。そして、考えもしなかった悪魔が創造主なる神様の立場に代わって万物を支配し始めています。これが神様の悲しみであり、これまで復帰の歩みの中で神様の心に似るために天に向かって祈っていた良心的な人々や聖徒たちの悲しみとして残っています。

 もし、ある創造物に彼らの願いが何であるか尋ねるとしたら、その創造物たちは何を望んでいるのかと答えるでしょうか? 彼らは、どんな存在も主体的な神様を求めていると答えるでしょう。このように、万物の存在は真の主体である神様を求めています。神様自身もよくご存じですが、神様はこのような万物を直接的に主管することはできない立場にあります。これが天の悲しみであることを皆さんは知るべきです。


 現代の私たち人間は、主体的な神様を失った創造物の一部として、身体と心のどちらの希望を抱いているのでしょうか? それは、万物全体が求め、願っている通りに主管してくださっていた創造主なる神様が、再び直接的に主管してくださることです。


     4


 今日、私たちにはこのような希望と御旨を実現する使命があり、その使命を達成するための使命を受けています。したがって、私たちは神の主権を回復しなければならず、また万物の主としての主権も回復しなければなりません。そして、神が主管してくださる恵みに感謝し、栄光を捧げなければなりません。


 この責任は万物にあるわけでも、天の軍勢や天使たちにあるわけでもありません。今日の私たちには何もないように見えるかもしれませんが、この責任が私たちにあることを認識する必要があります。


 そのため、私たちが一度も責任を果たさなければ、天の全体の統治権を失うことになります。本来の天を失えば、すべての創造物の希望を失うことになるのです。そのため、私たちが生活を通じて、生命を通じてその歴史的な運命を代行する責任を果たさなければ、神の前に立つことはできませんし、また創造物の前に創造物の姿として現れることもできないのです。


 そして今、皆さんは被造世界全体の中心であり、同時に神の創造性を持つ、内的な世界の中心として創造された私自身が進むべき路程は、今日の私の一つにとどまるものではない事を知らなければなりません。


 皆さんが天の意志のために生きる中で、自己のことだけを考えて生活するならば、神の創造的な主管はそのような行為によって中断されるでしょう。また、万物が皆さんによって主管されることを望むその希望も中断されることを、皆さんは認識する必要があります。


     5


 そのため、今では皆さん自身が天が全体を主管する立場を代わりにし、万物の主管者としての価値を示さなければなりません。そして、あなた自身が求める存在、全体を代表する本来の主管者として立ち上がっって、「主よ、命じてください」と言うべきです。


 このような立場に立つ存在は、6千年の歴史の中で現れた神の求める存在です。したがって、神の6千年の歴史の中で苦難と戦い、逆境に立ち向かい、敵である悪魔を打ち破り、人間を復帰させることが私たちの総合的な義務です。


 その様に、全体を代表する私たち自身が探すべき主管性の権限について考えると、今日の私たちが具体的に何を求めるべでしょうか? 人間は堕落のために全体を主管される神を失ってしまいました。


 私たちが考えなければならないのは、全体を主管し、全体の源である神を失ったということです。したがって、今日の私たちが探すべきものは、創造主である神であるということです。ですから、皆さんが神様の被造物を自分の主管とする人にならなければなりません。


 それでは、今日の私達の悲しみは何ですか? 私達の悲しみは何であり、私達の嘆きは何ですか? これまでの6千年の間に復帰歴史過程に隠された 切実な願いは何だったのか。それは私が、万人が、万宇宙が、天地が失われた神を探す事でした。神様は私達が求めなければならない希望の本体であり、同時に全体の価値を代表する栄光の本体です。


     6


 そのため、今日皆さんが神様の全体の主管性を復帰する為には、皆さん自身で神様を所有できなければなりません。神様を迎える事ができる人にならなければならないと言う事です。


 では、その神様はどのような方なのでしょうか。億万万象を造られた神様であり、万物に対する全体を主管する為に復帰に投入して下さる神様である事を皆さんは知らなければなりません。したがって、今皆さんが神様を所有しているならば、その神様は皆さんの神様ですので、彼が永遠であれば皆さんも永遠になり、神様が全体の被造世界に対して主管性を持つ様になれば、皆さん自身も実体を持って神様の場に立っています。万物を主管できる様になると言う事です。そうする事ができる皆さんでなければ、皆さんは神様を所有したとは言えないでしょう。


 今日、この地上の全ての悲哀と死がある様になったのは、基の神様を失ってしまった事からもたらされます。そして神様を失う事で、悪魔が主人の行為をする様になりました。人間はもともと創造原則を中心としてみると、神様を主人として祀られなければならない被造物でした。


 今皆さんには愛の神様を再び所有しなければならない運命的な責任が残っています。指摘されたこの被造世界で神様を主人公として祀られなければならないその意志に反対している者は誰ですか。今日皆さんに罪悪を抱かせている悪魔と言う事です。


 ですから、今皆さんが自分の心にとどまっている罪の根を抜き出し、万民に代わって今日まで6千年間天を裏切って戦ってきた悪魔を屈服させ、神様の世界を成し遂げられなければ、この地上で神様の主管的な行事をできないと言う事です。


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 それでは皆さんが心で自由を探していますが、どのような自由を探していますか? 皆さんが神様を求めなければ悪魔の僕になると言う事です。したがって、皆さんが神様を所有できず、サタンを所有する事になれば、皆さんは天理原則に対抗する力になる存在なのです。これを皆さんは知る必要があります。


 それでは、神様が天倫の法度を教えてくださった理由はどこにありますか? 神様を見つける事ができる方法、神様が分かる方法を教えてくれるためでした。そしてその方法を教えていただく為に摂理して出た路程が6千年の歴史路程でした。


 今日皆さんは信仰によって、神様が実在している事を知っており、神様の本性が被造万物の中心の性質として現れている事を私達は誰もが全てよく知っています。ところで知っているその神様が皆さんのものにならなければならないと言う事です。皆さんが神様と永遠に絶えない関係を結ばなければならないと言う事です。


 その様になれば、皆さんが東に走っても互いに走っても、南北のどこに走っても、いかなる過程にあるとしても神様が変わらない限り、皆さんが持っている神様の所有権は変更されません。皆さんがそのような場所に立つ事ができなければ、皆様に対する神様の要求と神様の願いは、それまで未完成の状態にあり、不備な立場に置かれる事になります。その様になれば、そのような私として、悪魔が讒訴する条件が残る様になり、神様の悲しみが残る様になる事を皆さんは知らなければなりません。


 このような立場にある私たち人間が現代において行うべきことは何でしょうか? まず最初に、悪魔の誹謗中傷から離れなければなりません。そして、あなたが実際に神の子であり、神様を所有する資格があり、神様と一体となった関係を持つ神の子であるとイエス様と同じく証しを受けることができる日を迎えなければなりません。もしもそのような日に戻ることができなければ、全創造物を支配する神の前で、皆さんは創造物の主役として立つことはできないことを理解しなければなりません。


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 人間は堕落によって神を失った同時に、何を失ったのでしょうか? それは創造本来の本性を失ったということです。そして、自己分析すると、神様を失ったと同時に本来の心を失ってしまったということです。皆さんが意識するべきことは、自分自身の心を主管する事です。自分自身の心を思い通りにできないならば、皆さんは神様を所有することもできず、神様もまた皆さんとの関係を持つことができません。


 皆さんの心が神様と永遠の相対基準を造成するとき、皆さんは神様を所有する事ができ、神様は皆さんの心を自由に主管されます。ですから、神様とイエス様の心が一つになる様に、今日皆さんがイエス様の心と一つになり、神様の心と一体的な関係を成した立場に立たなければなりません。もしそのような立場に立つ事ができなければ、皆さんのそのような心にはサタンの惨訴条件が残る様になるのです。


 もともと人間は、神様が求められる御心の中で、私の心が望む目的どおりに生き、神様の全体的な理念に代わる事によって、第二の神様の立場に立たなければならなかったのです。しかし人間はそのような本性の心を堕落によって失う事で、今日人間達は憂いながらこの本性の心を求めなければならない条件として、悲しい運命の路程を歩かなければならない条件が残る様になったと言う事です。


 ですから、私達はイエス・キリストを通して自分の心を取り戻さなければなりません。そうして、悲しみに惹かれている心ですが、天の願いを成そうとする時に新しい心を起こし、暗闇を乗り越える事ができる本性の心を立てなければならないと言う事です。それで天上におられる神様の心情を通じて死亡権に包まれた人間達の心まで関係を結び、起き上がれる心の形を見つけて立てなければなりません。そのような皆さんにならなければ,皆さんは神様が永遠に所有する事ができる心を持たない事を知って悔い改めもしなければなりません。


 私達が神様に対して誠心を尽くすにあたっては、ある特定の時にだけ真心を尽くす生活をしてはいけません。神様が変わらないこの上、皆さんが自分の生涯路程において天に対して変わらない不変の心情で立てなければならないと言う事、つまり悪魔のいかなる条件でも侵犯できない心の土台を立てなければならないと言う事です。それが今後は不変の体系で立てられなければならないでしょう。


     9


 今、皆さんが神様に誇りを持てる心を持っていないとするならば、神様が皆さんに対して憐れむことができない立場に立っていることを理解する必要があります。


 今、人間がこの本性の心を探す事によって全体の主管権を復帰する事になるときには、万物の中のどんな存在物でもその心の働きを通して命じられる権限が立てられる様になりますが、誰もまだこのような心の主管を完成できません。


 また、まだ神様がお望みの様に、人間が神様の代わりに体系的な権限を立てて行動する事ができない寂しい立場にとどまっています。そうする振る舞いは、人間がとどまっているだけに悪魔が楽しむ舞台を残す事になると言う事です。そして、神様の悲しみの条件として残るというのです。これを皆さんは知る必要があります。


 天地の理は、二つが合わなければ一つになる原則を、あるいは一つの新しいものを作り出す事はできません。それでは、神が4千年にわたって準備して送られたイエス・キリストを通して成し遂げようとされた願いは何でしたか。4千年の歴史過程を経てきても誰も失われた神様を所有した人がいません。人間が彼を通して失われた神様を所有できる事を望んだのです。


 ですから、神様を所有した者として完結されて立てられた方が誰だったのかというと、まさにイエス様でした。また、人間世界において人間の心に代わって神様の心情の外的部分に代わる形をとった存在、霊界の無形世界と実体的な世界において万物を主管できる存在として送られた方がイエス様だったというです。


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 イエス様が来られてから2千年が経過していますが、今どのような民族、いかなる種族、いかなる個人であっても、彼らが栄光の条件として持たなければならないのは何ですか。それはまさに神を所有する事です。そのような人が現れるのがイエス様が望まれた事であり、イエス様を送られた神様の願いである事を皆さんは知らなければなりません。


 イエス様はこの地上に来て神様を所有し、さらに彼の心が人間と相対基準を造成する事によって、彼の体は神様の体の身代りなのです。 神様の心を所有し、万物を所有できる基準を立てて現れたイエス様は、その体が原則的な所有権を持って現れたので、彼が現れた日は天倫に代わる神様の日であったと言う事です。


 それでは、今日の聖徒達がイエス様を信じて神様を知り、神様の全体的な所有権、不変の所有権を持つ為にはどの様にすべきでしょうか。その所有権を中心とした価値的な基準と皆さんの心が結合し、イエス・キリストが地上に残して行かれた、肉身を中心とした全体的な所有権の価値を全天上天下に表わさなければなりません。そのような日が来る事を望む事が今日の再臨思想である事を皆さんは知る必要があります。


 それでは、この地上に再臨主が来て為すべき使命は何ですか? 終わりの日のクリスチャンが果たすべき最後の目的は何ですか?キリストの信徒達がどんな心で神を所有していたのか、皆さんが自分の心を所有したとしても、一つの 条件が残っているので、それは体を自分のものとして所有できなかったのです。ですから、今皆さんが体の所有権を終結させ、神様の愛の実体、神様の本性を実証できる実体として現れなければなりません。そのような存在はどの年に現れるのでしょうか?そのような存在を探し出す為にイエス・キリストが来られた事を皆さんは知っておく必要があります。


 その為にイエス様が行った後、この地上に聖霊を送られました。ですから、今皆さんがイエス様が持っていた心の主管性と神様の全体主管性と一つになり、自分の所有権と神様の所有権と一つになって現れるので、自分の体が聖なる価値を示さなければなりません。ところが、霊が分離されたため、実体的な価値を示さなかったのですが、イエスの心情的な部分と、神様と一つの価値観となる聖霊が現れた事を皆さんは知らなければなりません。


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 ですから、4千年の歴史が何だったのかというと、人間が持つ事ができる心の所有権を天的な本来の所有権に転換させる事でした。これはそれほど難しくありません。しかし、その認識を通じて身体から完結させ、その認識の価値を相対的な価値で表わそうとするのが摂理路程での困難さである事を知らなければなりません。


 この為に、イエス様自身は33年の生涯を通して神様を所有し、その心を所有していましたが、まだ2千年の歴史の中で悪魔の讒訴圏を抜け出せずにいます。まだ悪魔の認定試験を受けて完全な席に立っていないと言う事です。いくらイエス様であっても、いくら聖霊と言っても、イエス様は霊界で悪魔の讒訴を受けており、聖霊は肉界からサタンの讒訴を受けていると言う事です。


 これは人間が肉的に創造の原則である3段階基準を超えない過程が残っているので、悪魔が今日までイエス様に対して戦う事ができる条件を持っているのです。これを皆さんは知らなければなりません。また皆さんは、イエス様が30年余りの生涯を通して心情的な面では神様を所有していましたが、肉体的な面では神様を所有できなかったため、まだ私達の体を神様が主管していない事を知らなければなりません。


 今日、人間は信仰路程において自分の体を打つべき立場に置かれています。それでは、体を打つのは何のためか? 体を打つのは悪魔を取り除こうと言う事です。さらに、この体を誰が占領できるかというと、聖霊が占領する事ができます。それで私達が体を打つのは、聖霊が体を占領させるための条件でもあるのです。私の体を打つのは、結果的に悪魔を打つ事になるので、私の体を打って悪魔を叩き、悪魔が占領したのを代わりに聖霊が占領させようと言う事です。でれで神様を所有でき、本来の良心を所有でき、体を所有できると言う事です。その時、そこから初めて天上天下の全ての万物に代わる永遠不変な一つの所有権を初めて完結させたといえる価値を取り戻す事になるのです。


 したがって、そのような境地を見つけられないと、皆さんは自分の体を打ったとは言えません。それを探せれば、皆さんは悪魔の邪魔できない全体の主管的な基準を立てて、神様の代わりに栄光を受ける事ができるのです。また、このような意志があったので、イエス様は亡くなって以来、これまでも働いておられ、神様も苦しんでいる歴史もあるのです。ですから、霊肉を持ったどんな人、悪魔圏内にいる人でも、聖霊が占領できるその日を願って摂理してきたのがイエス様以来、神様の寛大な2千年摂理歴史だったのです 。


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 今、この内容に基づいて私たちは私たちの過去を振り返る必要があります。神を所有する権利が残っている限り、自分自身を所有する権利が残っている限り、主体としておられるお父様の悲しみが残っています。したがって、神様と被造世界にあるその悲しみが、皆さんに起因するものであると考える時、今日、皆さんは自身の罪を悔い改めなければなりません。


 自分が犯した罪に悔い改めることは、自己の心の価値を見つけるためのものです。全体の主管主である神様を所有していると言えるような、そのような価値ある悔い改めをしなければなりません。


 そして今まで信仰する聖徒達が自分の体を打つ生活をしてきたのですが、霊的にそうではないはずです。体を打つ目的は、聖霊にその体を占領させ、体が神様の愛を受ける様にしようと言う事です。そうする責任がある事を今日、キリスト教徒は忘却しています。2千年間これを忘却しています。肉の愛が道外視された中で、霊の愛は完全ではありません。


 なぜなら、神様と心が一つになり、心と体が一つになれば、体は自然に動き、心と体が神様を中心とし、完全にやりとりする上で発展するのが天理原則だからです。相対的な基準を造成し、互いに一つになってよく与え、よく受ける受受作用がなされるところでは、実証的な一つの実体が創造されるのが創造の法です、そう完全なのです。


 神様が万物を創造する様になった原因がどこにあるのかというと、神様自身が喜ばれるためでした。人間の心と神の心が一つになる事ができるその関係を成し遂げる為に実践を尽くすときには、神と一つになり、さらには地上の人間と一つになれる基準を持つ様になるので、地上に天の摂理が新たに展開されるのです。したがって、今日皆さん一人においても心と体が一つになって聖霊と縁を結ぶ様になる時、神様の勝利的な全体主管性を復帰できる事を皆さんは知らなければなりません。


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 今知ってみると、神様の御心に向かって進むに当たっては一つの方向だけがあるのではありませんでした。前後左右四方です。ところが今日、人間には悪魔に向かう方向だけが残っています。だから皆さんが心が主管できる体を見つけようとしても、また皆さんの体の心が縦的な面を備え、横向きの面を揃えようとしても四方に悪魔がいて、さらに前後左右上下6方向で悪魔が闇の幕屋を打って遮っていると言う事です。


 ですから、今皆さんは悪魔の幕屋を突き抜け、私が自分自身を立れば、神様は永遠の私の所有です、私の心は神様の所有です。自分を万物の前にさらす事ができなければなりません。天上と地上で三位神が共同で探しているこの一つの実体が出て来なければなりません。


 これらの価値のある存在、聖霊が彼に臨む事ができ、イエス様が臨む事でき、神が臨む事ができる価値のある存在がこの創造の世界のどこにありますか。その一つの存在が神様が6千年間にわたって惜しみなく望まれた実体です。
 ですから、そのような価値のある存在がこの地上に現れれば、神様はそれに対していかなる不備な条件も許さないでしょう。悪魔でも、神様までも彼を掴み、慰めの涙を流します。したがって、今日私達は私の存在目的がどの環境にあるのかを知る必要があります。皆さんは、このような全体的な責任権内にある皆さん自身を無視してはならず、そのような大きな責任を痛感しなければなりません。


 今、私たちが神様を心の中に所有すると言えるのであれば、私たち自身の心を永遠の中心として確立することができると言えるでしょう。また、私たち自身が永遠の命を形成できる存在として完全に所有されていると言えるのであれば、東に行こうが西に行こうが南に行こうが北に行こうが、方向は問題ではありません。あなたがたが滞在する場所ならば、そこには勝利のホサナの声が響くでしょう。すべての創造物は、あなたがたが光栄において神の御子であることを確信しています。これによって、自然の従属の立場が生じるのです。これを理解する必要があるでしょう。


 そして今日、そのような事が一部だけに現れてはならず、全体に現れなければなりません。ところが、まだ全体の主管権に代わる人間として原則的な所有の問題を全て終結させ、その価値の栄光を備え、万物の前に現れた存在がないため、そのような一人の存在になる事が皆さんの願いとして残っているのです。


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 このような立場に置かれた人間に一緒にいて、私も悲しみ、皆さんも悲しみ、神様も悲しむのです。 今日、私達がそのような価値を持った立場で万物万象に代わって、全体に代わって天の栄光を備え、神様の前にホサナの栄光を返さなければなりません。そんな時に初めて天上にいる天軍天使と千千万聖徒達が喜びの一日を迎える様になり、さらに私達は神様の前に栄光を返す様になるのです。このような事が完結しなければ、このための道を人間は億千万年でも行かなければなりません。


 まだこれを完結させていません。それでは、これは誰の為にそうなりましたか? これはもちろん、私が不完全で、自分自身が悪くてそうでもありますが、私よりも天に対して懇願する悪魔がいて、そうなった事を皆さんは知らなければなりません。


 全体の主人、全体の主管主になる方がいらっしゃったら、その方一人で宇宙万象を主管できたら、彼が全体の復帰を完成できなかったとしても大丈夫です。全体的な力を利用して集中的に新しい事ができると言う事です。この様に、神様は全体の働きを一つの方向に出て行く様に導こうとされましたが、悪魔がいたので、その事を全て完結させる事ができませんでした。


 それで、神様はその悪魔を無条件に屈服させる為に、また完成する事ができずに行った天上の全ての霊人達が完成の場に進む事ができる賜物を下さる為に一人を送る事を約束されました。


 それでは、皆さんが神様の栄光を求めるべき立場に立っている事を考えるとき、今私が持っているべき事は何ですか? もともと人間に対する天の理想は、天の所有権、心の所有権、体の所有権を持つ事でした。したがって、皆さんがそのような理想圏に進まなかった場合、皆さんは悪の所有権と善の所有権を見る事ができるという目を持っているはずです。また、そのような目を持っていたら、次は善の所有権と悪の所有権を分別して聞く事ができる耳を持たなければなりません。さらに、そのような五感を全て持っていなければなりません。


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 ところが皆さんが一日の生活において悪魔が近づく事を防ぐ事ができる自分にならなければ、皆さんは再臨主が来られても分からなくなります。 皆さんは「再臨主」と聞くと、うっとりして喜びますね。喜びの理由は何でしょうか? イエス・キリストはイスラエルの人々、具体的にはパリサイ人や祭司たちには直接見えませんでした。ローマの兵士たちも彼を見ることができず、反対していた人々も彼を見ることはありませんでした。自分の心と心が通い、体が通じて全体を代表する価値基準が確立された人だけがイエス様を見たのです。見ることや聞くことは、人間の自己の心性による一面があるのです。


 ですから、今や皆さんは人々の前で正義と価値を持つべきです。しかし、肉体はそれに反対します。それが悪魔の本質です。ですから、秘密裏に、他の人が知らない中で神様を所有している人、他の人が知らない中で本来の心を持っている人、そんな人はどこにいますか? そのような人を求める者は、永遠なる神様が共にいてくださるでしょう。

 ですから、現代の私たちは、悪の主管圏と善の主管圏を見極めることができるようにならなければなりません。それらを心と身体で見極めるだけでなく、深く考えずに見極めることが出来る様になる事が必要です。したがって、皆さんが天の価値を理解しなければ、イエス様とはまったく関係がありません。ですから、悪魔の全てを見極めることが必要です。天と地に残された悪のあらゆる主観的要素を見極めることができない人は、神の前で勝利的な完全条件を築くことができないということです。

 もしも皆さんがそのような条件を築くことができるなら、この地上で苦しみはなくなるでしょう。神を所有する人として、心はキリストに固守され、体は聖霊によって保持されるからです。これまでは、精神的な領域に関する探求の過程で、身体の苦痛が共存していました。身体は苦痛を経験しました。心と体が分裂していたのです。

 しかし、現在ではそれが統合され、霊的な領域が肉体の領域を探求し、肉体の領域が霊的な領域を探求する様に相互に統合し進展しています。さらに、父なる神、御子、聖霊が共に働いています。ですから、今や皆さんはこのような状況でイエス様の前で崇拝できるだけでなく、聖霊の前で崇拝できるだけでなく、神様の前で崇拝する存在自体とならなければなりません。

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 さらに、皆さんは生涯を通じて信仰において体験して理解するために、分別された原則に基づいた規範を確立し、創造物の前で永遠を代表し不変の勝利者として誇る基準を確立しなければなりません。そのような基準を確立できなければ、この地上に悲しみの条件が残ることになります。そして、悲しみの条件が残っている限り、天に行っても神の内なる心を見出すことは困難です。ですから、皆さんは心的なイエス様と聖霊を通して生命体として現れ、神の栄光の実体として現れなければなりません。その時に初めて皆さんは信仰の実体となるでしょう。

 ですから、今や皆さんが三位一体の協力なしにその使命を代行できる栄光の存在として復帰したと言えるなら、この天地が運行する法則と同様に喜びに満ちた心が皆さん全体を支配するでしょう。そのような生活は一瞬ではなく、永遠に続ける必要があります。そして、父は私のものであり、主は私のものであり、聖霊も私のものであり、私自身も私のものであると言いながら、万物の前で堂々とその主管者として立ち上がることができなければなりません。さらに、天に向かって「おお、お父様! ありがとう御座います」と言えるようになるべきです。

 天地の運命に関しては相反する存在はありません。人間は創造主の全体的な理念を代表し、創造主の主管者を代表できる存在として立てられています。したがって、心と体が存在する限り、これらの関係から逸脱する存在はありません。ですから、皆さんはこの地上で天上の全てと関係を持つことができる主管者としての世界を形成する必要があり、それによって神の栄光を表現することができることを心に留めておかなければなりません。



<祈り>
 愛するお父様、私たちに残された運命の道がこれほど複雑で山高く、谷深いものであることを知った時、今日の私たちの信仰の範囲は非常に狭いことに気付かされます。私たちはあまりにも狭く、消極的で、意気消沈してこの道をたどってきたことを、お父様の前で懺悔(ざんげ)せざるを得ません。

 お父様、この日、この時から天の法則を導かれるお父様の前で主管権を受けることをお許しください。お父様の姿を見ることができるように、お父様、憐れみを与えてください。イエス様、私たちを守ってください。聖霊よ、臨んでください。この地上のすべてのものを代表するに足る形で、自然に善悪を判断できる本来の実体として備えてください。私のお父様、熱望し求めます。

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 今夜集まったお父様の子供達に、お父様、今こそ自己という概念を忘れさせてください。そして、私たちの体から悪魔の所有権を取り除くことを許してください。それによって、私たちの心から神様だけを所有し、神様だけを呼び、神様だけを誇ることができる、万物に対する不変の個性体として復帰させてください。

 ですので、私たちがお父様に栄光を帰し奉るとき、万物は歌い、天にいる数え切れない聖人たちも歌い、一つの叫び声、一つの呼び声、感謝、感謝のハレルヤが天上に一斉に現れるでしょう。悪魔が自然に従うことを知っているので、勝利を勝ち取れるように、お父様、導いてください。

 お父様の全体的な主管権を私たちの実体で完結させるように、許可してください。私たちが代わりに立って、建てられた勝利のホサナの旗印を父の前で高らかに宣言できるように、許可してください。万物が響く中で、天を代表する勝利の子供たちが証しの主人公となれるように、許可してください。お父様、熱望し求めると共に、すべての御言葉を主の御名によってお祈り求め申し上げます。アーメン。








文鮮明先生御言葉選集 1 - 9. 根付いた者の責任(1956年7月1日)
1956年7月1日(日)、元本部教会。
聖書拝読 創世記18:22-19:12、イザヤ6:11-13


<祈り(Ⅰ)>
 愛するお父様! ここに集まった子供たちの心情を知って下さる様に願っております。彼らの身体の細胞一つ一つまで、慈悲深いお父様に向かって動かして頂けるようにお願い致します。

 この一人一人の身体と心が、お父様の主管される愛の手に捕らえられるようにお許し下さい。彼らを全体の調和の要素として表現し、お父様の御言葉を証明するために、命を捧げて走り回る天の勇士たちとしてこの時を聖なるものにして下さい。

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 お父様、ここに集まったお父様の子供達を慈悲深くお守り下さい。私たちはお父様が許される生命の御言葉に頼らなければならない運命の復帰の道が残っていることを知っております。愛のお父様、愛の手を伸ばして、私たちの弱い手を握りしめ、導いてください。私達は身も心も結びついていますので、お父様、私たちを抱きしめ、導いて下さい。私達の心を天の心に変えて下さるようお許し下さい。切望し、願っております。

 本日ここに集った多くの人々をお父様、祝福して下さい。神様の生命の歴史、感動の歴史、復活の歴史が現れるようにお許し下さい。今日、私達が持っているこの世のあらゆる概念をお父様の前に捧げ、柔和で謙虚な子供の心情を持ってお父様の前に立ちました。お父様、恵みの御手で再創造の歴史を起こして下さい。聖霊の炎を示して下さい。隠されていた愛を現して、彼らが最後に行き詰まっていた死の権限の扉を開き、お父様の勝利の栄光を示すことができるようにお許し下さい。愛するお父様、切望し、願っております。

 今は多くの御言葉が必要ではないことを知っております。ここに集まった子供たちが多くの御言葉を受け取っていなくても、お許し頂いた御心の祝福を適切に受け入れ、それに応えることができるようにして下さい。父なるお父様、お許し頂いた約束の御旨を成し遂げるために、天に向かってこの時を約束し、決意しましたからそれぞれの器を満たして下さい。私たちをあなたの満足される御心によって感謝し、あなたに栄光を帰すことができる聖なる子供達として立てて下さい。あなたが愛される子供たちとして、この時に許される恵みをお与え下さい。父なるお父様、切望し願っております。

 伝える者の心と受ける者の心を一つに結びつけて下さい。私達の心が天の心に共鳴し、私たちの身体が天の動きに合わせて動き、心から体現される父なるお父様の姿を学び、似ることを許して下さい。切望し、願っております。残された時間もお父様の御言葉で働いて下さるよう願いながら、愛される主の御名によってお祈り致しました。アーメン。



<祈り(Ⅱ)>
 許されたこの日、お父様の前に崇拝する為に参りましたので、ここに集まった個々人の心霊を洞察して下さり、傷のない心として下さい。この時間に捧げる崇拝が、お父様の愛深き心情を慰める事ができる崇拝になる事をお許し下さい。切にお願い申し上げます。

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 お父様! 子ども達を集められたのも、お父様であることを知っております。そして彼らを導き、命の権利の中で活動できるようにすることも、お父様の御業であると知っております。お父様が約束された聖霊の炎を許され、個々の体と心が躍動し、全体の喜びとして現れるために不足がないようお支え下さい。お父様が求められた神聖な全体がこの時に明らかになることを許されますように、愛するお父様、熱望しております。

 お父様、ここに集まった子ども達の上に憐れみの愛を下さる様にして下さい。天の栄光に向けて全体の心が傾く様に聖霊の働きとして成して下さい。そうして私達全員が民族に代わって、人類に代わって天上天下の全被造万物に代わって至聖所の扉を開き、お父様の前に近づいて、勝利の頂上の供え物を差し上げる事ができる崇拝の時間として下さい。

 そうして私達の崇拝をして、この民族がお父様の前に近づける事を許して下さる様に切にお願い申し上げます。 この時、民族を代表して天の前に心を込めた祭壇が各地に広がっていることを知っております。どの場所であろうとも、同じ祝福を注いでください。そして終わりの時に予告された全体の歴史を踏まえ、お父様がこの民族を通じて確立すべき全体の御意を知って、この民族が証明する使命を通じてお父様が喜ばれる基盤を築いて下さい。お父様、切望し願っております。

 今、この時を迎え、全身全霊を以てお父様に敬意を表し、従順な心をお父様の前に捧げます。お約束に基づき、この集まりの中で成し遂げられるすべての御意志を、彼らに明確に示して下さい。切望し願っております。 聖なる三位一体の歴史が全体の上に満ちることを願いながら、主の御名によってお祈り致しました。アーメン。


<御言葉>
 この時間は皆さんに「根付いた者達の責任」というメッセージを伝えます。イザヤ書6章11節以下の聖書の言葉を見ると、「もしこの中に十分の一が残されても、それも焼かれてなくなるでしょう。しかし、柏や樫の木が切り倒されても、その根が地に残るように、聖なる種はこの地の根です」と書かれています。ここでは神様は、残された根があるなら、その根を通じて新しい芽を芽吹かせ、新たな歴史を始められると繰り返し述べられています。

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 人間の先祖であるアダムとエバは、天地の永遠に変わらない一つの根として人間の全体の希望と理想を成し遂げなければならなかったのですが、できなかった事で、その根本の根が打たれて抜かれて悪魔の世界に移された事を皆さんはよく知っています。

 従って、神の摂理の意味を受け入れて歴史の進行に従事してきた多くの先人達は、天の計画についてはよく知らなかったかもしれませんが、彼らが努力してきたのは、摂理の目的として失われた根を不変の実体として迎え入れるための基盤を築くことでした。

 ですから、摂理の御意を受け入れてきた歴史過程の数々の先烈達も、天倫の事情はよく分からなかったが、彼らがその意志に対して苦労してきたのは、摂理の目的として成し遂げなければならないその失われた根を不変の実体に迎えるための土台を築いて来たのです。

 そうして摂理歴史を始めてから4千年が経過する中で、エデンの園で失われたその根を再び探し立てる為に立てられた方が誰だったかというと、皆さんが信じているイエス・キリストでした。

 ですから、この地に来られたイエス・キリストの使命は、神様が永遠に残る根として受けとり、この根を根拠として摂理展開する事ができる一つのブドウ園のような形を堕落した地上に再建する事でした。これがまさにこの地にイエス・キリストを送られた神様の目的でした。

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 天の摂理が出発してから4千年が経過してイエス様が現れるまでは、数多くの預言者達が天の御心を中心にして涙を流す苦労の道があった事を皆さんは知らなければなりません。

 すなわち、種族を代表した摂理の意味もあり、民族と国家、世界に代わる摂理の意味もあり、歴史に代わる摂理の意味もあったが、その種族と歴史を中心とした摂理の御意に代わるその一地域であれば地域、環境であれば環境を経て、根の要素になる事ができる数多くの先知先列達の苦労があった事を皆さんは忘れてはいけません。

 そして、個人として建てられる根を完結させ、民族として建てられる根を完結させ、さらに世界として建てられる根まで完結させる実体として送られたのがイエス様でした。

 今日イエス様を信じている私達が知っておくべき事は、イエス様の30余年の生涯のその苦労と亡くなって以来、これまでの2千年の歴史の全ての苦労は世界を代表して苦労したと言う事です。そして、イエス様が完成した一つの根として、神様の前に建てられるまで、その背後に隠された根として、歴史の難しい摂理を代行し、悪魔と戦ってきた先知先列達の苦労を皆さんが知らなければなりません。

 イエス様がこの様に一つの完成した存在として立てられた歴史的な背後の存在が誰だったのかというと、アブラハムでした。 アブラハムは他人が気づかない環境の中で、つまり悪魔圏内の敵の国に捕らえられ、天倫の御意を裏切る事ができる立場でも、天を裏切らなかった隠れた人格の所有者だったのです。この様に隠された根のようなアブラハムは、時代が悪く、歴史が混乱し、環境が乱れたとしても、そのような全ての境遇を避けずに克服していきました。

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 たとえ悪しく邪悪なものであっても、人間は自分が持っているものを誇ることを欲する傾向があります。アブラハムは長い時間をかけて神の御意志を受け入れるために、心に約束された偉大な目的を持ちながらも、この事実を明らかにせず、ただ一つの根として希望の中で立ち上がりました。彼はどんな迫害や苦難の中でも、詰(なじ)られても引き抜かれようとも、揺るぎない基準を築くためにあらゆる試練を乗り越え、隠れた努力の人生を生きていました。

 アブラハムは、彼自身の唯一の神への不変の期待を天に立てるだけでなく、彼の犠牲的な生活がまかれた種として、全世界の人々を超えて、邪悪な民族ですら天に立ち返ることができる環境の中で、不変の期待を持つ日が来る時までこの基準を守り、変わることなく持ち続けるという熱い思いを抱いていました。

 ソドムとゴモラの町は、神から審判の罰を受けるべき場所であり、アブラハムがいる場所とは関係のない地域でした。しかし、アブラハムはソドムとゴモラの町が天の意志を知ろうと知るまいと、その民が滅びようともなんの関係もない人ではありませんでした。彼は天の前で使命感を持ち、それに耐えなければならない責任を感じたからこそ、昼も夜もソドムとゴモラの町について心を痛め、憂いました。聖書に書かれた言葉は、アブラハムの内面の思いが表れています。

 今日、6千年の歴史の終わりにあたる今日、皆さんが快適な睡眠をとり、良い服を着て、美味しい食べ物を食べることは、皆さんが優れているからではありません。もしそう思っているならば大変なことになります。

 今日、世界がこんなにも栄えていくのは、皆さんが知らない人達が背後で隠れた根となって、涙の懇願の祭壇を築いているからです。皆さんはこれらの事実を全ての人に知らせるべき使命があります。

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 もしソドムとコモラの町中にアブラハムの切実な祈りが天上に通じて神様と一問一答しているという事実を知る群れがあったなら、またその群れの中でアブラハムを知る義人が何人もいたら、アブラハムは天の前に切に訴えてソドムとゴモラに降りる審判を免除できる条件を提示したでしょう。義人が数人でもいたら、アブラハムはソドムとゴモラ城がどんなに悪いとしても、「そこには義人がいる事を条件として公義で判断され、裁かれるお父様であって、義人と悪人を一緒に火で審判する事はお父様のされる事ですか?」 と呼びかけられたはずです。

 しかし、自分自身だけが、自分だけがソドム・ゴモラを代表して祈る事になる事を感じたとき、アブラハムの悲しみがなんとも言えず大きかった事を皆さんが知っておくべきです。 それでは、アブラムがアブラハムになった原因がどこにあるのかを知っています か?

 アブラハムには神様の幸福,神様の安寧を世話するよりも,種族の為に命をかけて訴えた隠れた基準があったという事実を皆さんが忘れてはなりません。

 イエス様が信仰の実体として現れたのは、アブラハムのような方が天の摂理の前に建てられ、地上に現れなかった隠れた根の役割を果たしたからです。言い換えれば、摂理歴史の過程で他の全てが崩れたとしても、天上に対して永遠に変わらない不変の信仰を実証できるアブラハムのような方があり、信仰の根の役割を果たす事によって、その実績の上でイエス・キリストが誕生する事ができた事を知らなければなりません。

 アブラム(大叔父という意味)の個人的な立場から、信仰の祖先となることが決定されたアブラハム(国の父という意味)自体よりも、彼が他人に知られていない大変な苦労の道を経験したとすれば、私たちは今日の歴史を振り返り、私とアブラハムを一対一の立場で比較し、自己反省しなければなりません。そして、アブラハムの立場を思いやることが必要です。

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 アブラハムがソドムとゴモラの町に対して隠れた祭壇を築いたように、自分たちが住む地域とそこに住む人々に対して切望し、祈りを捧げるアブラハムの燃えるような心情を、皆さん自身も持つべきです。アブラハムの努力によって築かれた信仰の希望や、隠れたルーツと同じ基準を、皆さん自身が受け継がなければならないことを、絶対に忘れてはいけません。

 信仰の祖先であるアブラハムの家族は祝福の約束を受けました。この約束はイサク、ヤコブを経て、モーセを通じて民族的な形態を成し、そしてイエス様を通じて世界的な範囲に拡大されました。もしアブラハムが天に向かって真摯な忠誠心と信仰を持っていなければ、この地上に天との繋がりを築くことができる関係は存在しなかったでしょう。

 今日、人々は自分にとって良いことがあると、それを示そうとします。それを公にし、自慢したいと思います。しかし、これらを公にし、他人に知らせようとする人々は、一つの枝のような責任を果たせるかもしれませんが、一つの根としての責任を果たせないということです。

 アブラハムが信仰の祖先となることができた隠れた鍵は何だったのでしょうか? それはただ天に向かって熱望する心と、地上のことに情熱を注ぐ心が極めて強かったからです。それによって天の父との広く深い関係の礎を築くことができ、信仰の祖先となることができたのです。

 モーセもそうです。モーセ自身が民族の前に立てられるまでは、当に一つの隠れた根として過ごした宮中での40年の苦労の期間があったのです。モーセは豪華絢爛な宮中にとどまっている間でも、演劇をみて食べて歓喜にあふれる生活をしなかったのです。彼が宮中にとどまっている間、一日中観て、食べて、着て、寝ているその生活のいずれかの瞬間においても、イスラエル民族を心配しなかった事はありませんでした。

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 エジプトにいたイスラエル民族の中で、モーセ一人だけがその民族だと知っていたのかは分かりませんが、天に向かった忠誠心は変わらなかったのです。

 モーセは敵対する者の中にありながらも不変の核として、自分を制し、天の意志に向けた彼自身の心を阻む何かがあったとしても変わらないと誓いました。モーセには天に対する不変の気持ちと熱意があり、それは40年間の経験によって培われました。それが彼が後に民族への愛の力が爆発することができた理由です。

 皆様にとって、モーセは勇ましい人物に見えるかもしれませんが、実際にはそうではありません。エジプトの人々とイスラエルの人々が争っているのを見て、エジプトの人間を殺す決心をしたモーセの意志は、その瞬間に衝撃的に生じたものではありませんでした。

 その光景を目にしたとき、モーセは40年間にわたり心の内に秘めた悲しみが爆発し、民族のために神に向かって嘆願していた内的な悲しみの感情が溢れ出たのです。つまり、イスラエルの選民が不当な扱いを受けるのを見て、抑えられない憤りが湧き上がり、エジプトの人々を攻撃したのです。これは、イスラエル民族への愛とエジプト人への憤りが、モーセの行動の内的な原因であったことを意味します。そして、そのようなモーセの行動には神意が含まれていたのです。

 モーセが憤りに負けてエジプト人を殺したのは、イスラエル民族の運命を心配し責任を負っていた立場から行ったものであり、それはエジプト人がイスラエル民族に対して行った迫害と比べれば些細なものであったため、神は民族のために心配するモーセを民族の指導者として立てられたのです。しかし、イスラエル民族はモーセを誤解し、エジプト人を殺したことを暴露したため、モーセは自分の行動がばれてしまったことを知り、避難するしかなく、ミディアンの荒野に身を隠すこととなったのです。

     26

 ミディアンの荒野で生活していたモーセは、かつて豪華な宮廷で贅沢に暮らしていたことを恥ずかしく思い、王の娘が自分のためにあらゆる要求を叶えてくれる自由な環境で過ごした昔の栄光を完全に忘れました。そして、モーセは羊飼いの姿で羊を追い、名もない牧羊者としての身分でしたが、その羊を見つめながら、かつての先祖アブラハムによって約束されたカナンの地を懐かしく思いました。

 今は羊を追いながら歩んでいるが、いつかは羊を導くように民族をカナンの地に導くという使命感を持ち、天に向かって訴えるモーセでした。モーセは食べることも飢えることも眠ることも目覚めることも惜しまず、そのすべての情熱を注いで、アブラハムがソドムとゴモラの人々のために知らない間に祈りを捧げたように、民族のために心配し祈りました。

 モーセはエジプトの迫害と苦難の中でイスラエル民族が受ける困難を目にすると、骨が溶けるような悲しみを感じ、天に向かって「主よ、私を見てこの民族をあわれんでください。」と訴えました。そのため、神はこのような訴えの真摯な心を持つモーセを60万の大衆をエジプトの地から導き出す指導者とし、他人には何もないように見えるミディアンの荒野で一人の牧人として生活していたモーセに、先祖から受け継いだ隠された起源の使命を継承させ、民族の代表者としました。そして、イスラエル民族がこのようなモーセと一体となり、カナンの地に進入することができるようになったのです。

 モーセが天から許された約束を受けて、エジプトの宮廷に入って行くことになった時、彼は喜びに満たされました。しかし、モーセは決してその喜びに満足していませんでした。彼は自分の民をカナンの地に導くために、生涯を捧げると天に訴えたその意志が実現し、民の道を切り開くことになりましたが、そのような喜びに満足しているだけではなく、これからは第二の責任を忠実に果たす使命感と責任感を持つようになりました。

 その時から、モーセは自分を中心に置かず、小さなことでも大きなことでも、どんな一つの仕事であっても神との結びつきなしには行いませんでした。

     27

 こうして、モーセは邪悪なエジプトの宮廷に入り、彼らの神の前で10回以上の奇跡と神迹を行い、イスラエルの民を険しい荒野から導き出すことになりました。イスラエル民族はモーセと一体とならなければなりませんでした。

 つまり険しい荒野から自由な環境への脱出を果たしたイスラエル民族は、カナンの豊かさへ向かうためには、モーセの心が彼らの心そのものでなければならなかったのです。彼らは自分たちをエジプトの宮廷から救い出してくれたモーセと心を一つにする必要がありました。しかし彼らはモーセと一体となることができず、天意に反する道をたどることで滅亡する結果となりました。では、彼らがこうして滅亡する原因は何処にあったのでしょうか?

 彼らは、モーセが民族の指導者となる過程で天に訴えた隠れた熱意の基盤を知らなかったのです。そして、彼らはモーセが彼らを導いて熱心に脱出したその日から、さまざまな困難に直面しながらも、自分たちのために尽力し苦労したモーセの努力と苦労を認めませんでした。そのため、彼らとモーセは荒野で分かれ、結局、彼らは荒野で倒れる運命に瀕しました。

 こうして、イスラエル民族がモーセに対して不信感を抱いていた歴史的事実は、今日の終末の聖徒たちにも再び現れています。 イエス・キリストがこの地上に来て30余年の命を人類の為に苦しみ、亡くなって以来2千年間、人間を求めてくださり、愛と賜物として働かせてくださったにもかかわらず、人間はそのようなイエス様を生活の中で真に祀られなかった事にあると言う事です。

 そして、イスラエル民族がモーセを不信心することで、モーセがイスラエル民族をカナンの地へと導こうとする神の意志を完全に受け入れられなかったように、終末の聖徒たちにも同様の恐ろしい出来事が起こるかもしれません。イスラエル民族と自分自身が一体となれないという事実に直面したとき、モーセは不信心な民族を責める前に、自身の不足を天に訴えました。つまり、彼はシナイ山に登って40日間の断食と祈りの中で言いました。

     28

 「父よ、どうしてこの民族は許された地が目の前にあるのに進むことができないのでしょうか? 責任は誰にあるのでしょうか? その責任は私にあります。私が責任を果たせなかったからです。だから私を犠牲にして、民族の滅亡の道を阻止してください」と。こうして彼は訴えました。皆さんは、モーセの秘められた熱意の期間があったことを知る必要があります。

 もしイスラエル民族が、モーセが優しい心を持って断食するのがモーセ自身のためではなく自分達のためである事を知っていたならば、彼らはモーセの40日断食期間に金の子牛を作って崇拝する不信仰はしなかったでしょう。また、彼らが民族の祝福に代わるモーセが一つの隠れた供え物として天の前に捧げられたとき、モーセの心を同情し、彼の苦労を心配して、シナイ山のモーセの様に涙を流して天の前に訴える事ができたし、神様の懐を離れなかったでしょう。

 この様にモーセが一人で民族を代表して孤独な道を行った様に、イエス様もそのような道を行きました。すなわちアブラハムの歴史的な犠牲とモーセの民族を代表した供物の路程を通じて世界の中心に建てられたイエス・キリストは、アブラハムが家庭を代表して悪魔の条件を防ぎ、モーセが民族を代表して悪魔の讒訴条件を阻止したのと同様に、世界人類に代わって一人で悪魔の全ての讒訴条件を防ぎ、勝利的な蕩減の基盤を築かなければなりませんでした。

 皆さんはイエス様にこの責任があった事を知る必要があります。ですから、世界的に勝利して不変の場を備えるまで、イエス様の神は自分一人の神として終わってはならないと言う事です。ですから、イエス様は4千年の歴史の中で天の前に忠実だったどんな信仰の中心人物よりも忠実であり、全体の為に自分の一身を犠牲にしたのです。

 この様に、イエス様は30余年の命を通して、自分の使命分野で歴史上、誰も備えられなかった全体に代わる中心としての実体を成し遂げたのです。もしそのような中心人物にならなかったならば、イエス様は世界的な摂理の責任を負った救世主になる事ができなかった事を皆さんは知らなければなりません。

     29

 今日の信仰者は、イエス様が一代の十字架を背負われた方と信じていますが、皆さんはそのようなイエス様だけを信じてはなりません。イエス様の十字架の死の前には、アブラハムが築いた苦労の祭壇があり、モーセが努力した犠牲もありました。そして、イエス様は苦難と荒廃の中にある民族や世界人類の苦しみを感じ、「彼らの苦しみの重荷を私に取り除かせてください」と天に訴えただけでなく、実際に彼らの苦しみを負うために、一日たりとも気の休める生活を送れなかったのです。

 この様にイエス様は悪魔の懐にある人々までも心配してくださり、自分の喜びよりも全体の意志を持った責任ある立場で生活したので、悪魔の世界との戦いに勝利した中心存在で、万民の救世主として立てられたというのです。

 では、終末に立たされている私たち信仰者が悟るべきことは何でしょうか?私たちはこれまでに悪人のために涙を流し、心配し、祈りをささげる生活を送れなかったことを反省しなければなりません。終末に審判を受ける人が多ければ多いほど、私たちは彼らのためにより一層祈りを捧げる必要があります。

 そして私達の為に心配して祈って下さるイエス様がおられる事を忘れてはいけません。私達がそのようなイエス様を忘れて不信するなら、私達は終わりの裁きを免れないでしょう。

 もし昔ソドムとゴモラの民がアブラハムとロトを通して予告してくださった神様の裁きに対する警告を受け入れ,自分達の悪行を反省して悔い改めた者達ならば彼らは裁きを免れる事ができたでしょう。歴史的な事実は今後に起こる事を実証的に教えてくれる事なので、週末に処している今日の私達も先の自分の生活を反省して悔い改めなければなりません。ですから私達はモーセがシナイ山に登り、不信のユダヤ民族の為に祈ったのと同じです。イエス様が今この時間も霊的シナイ山上で私達の為に祈っておられるという事実を確かに知らなければなりません。

     30

 イエス様が2千年間天の御座におられながら人間の為に祈られるその心は、モーセがシナイ山に上がって不信のユダヤ民族の為に祈っていた寂しい心以上でした。ですから今地上にいる皆さんはこれを知ってイエス様の御心通りに生きなければなりません。昔、アブラハムが義人10人がいたら、彼らを見てソドムとゴモラの裁きを免れてほしいと神に祈りましたが、そのソドムゴモラには義人の十人がいないので、神様の裁きを受けました。

 ですから、皆さんはイエス様が十字架で亡くなられて以来、今日まで天上におられながら人間の為に祈っておられる様に、またモーセがシナイ山頂で祈った様に、その寛大な心情を受け入れてこの時代を握り、イエス様の代わりに心配して祈らなければなりません。そして皆さんは、イエス様の世界的な御意志に代わる事ができ、歴史上の預言者の列に加わる事ができる天が立てられた者がどこにいるのか、目を覚まして祈り、誠実に探す事を忘れてはなりません。

 終わりにこの地上にこの様に根として残る者がたった一人もでなければ、イスラエル民族が荒野で倒れたのと同様に、私達が生きているこの地も世界的な終末期を迎える事になると言う恐ろしい審判を免れる事ができないでしょう。

 では、今日私たちはどのように行動すべきでしょうか? 皆さんは隠れた存在であるため、キリストの精神を持ち、歴史的な経験を通じて現れてきた祖先たちの願いに応える存在となるべきです。そして、これまでの2千年間を再臨の一日として重視し、苦労してきたイエス・キリストの心情を共感できる存在となるべきです。これが問題です。

 ですから、今後は自分自身を歴史的な中心人物たちの相対的な立場に置いて検討し、分析する必要があります。つまり、自分自身をアブラハム、モーセ、イエス様との相対的な立場に置き、彼らの心であり、自分自身の心であり、彼らの願いであり、自分自身の願いであり、彼らの怨みであり、自分自身の怨みであるかどうかを分析する必要があるということです。

     31

 今、私たちは悪魔に立ち向かって天の前に立ち、請願の祭壇を高く築く方法を知る必要があります。アブラハムがソドムとゴモラのために天の前に請願した心情を理解する必要があります。アブラハムがソドムとゴモラのために祈ったのは、彼の息子や娘、甥であるロトのためではありませんでした。しかし、アブラハムがすべてを忘れて隠された心の祭壇を築いたため、アブラハムと関係のあったロトは審判を免れることができたのです。

 今日信じるという人々は「私の意志を成し遂げてください。」と祈ります。私達はそのような祈りをせずに、むしろ「私の御心より神様の御心がなされる様にしてください。」と祈らなければなりません。天の意志がこの様になる時は、私が楽しみにしていた事も成し遂げられるのです。だから 「私の意志を成してください」とする祈りはしないでください。私達は今ある心を尽くして「父親であり、私を立てられ,私を呼んだので、その意味を通してお父様の意志を成していかなければならない」と言う事です。

 それでは、皆さんが知っておくべき事が何であるかというと、皆さんが受け継いだ御旨は皆さんだけの唯一の御旨ではなく、アブラハムからモーセとイエス様を通って下ってきた御旨です。

 この時代に生きている皆さんは、モーセ以来の全ての部族に代わるべきであり、イエス様が必要とした部族に代わって天が求める御旨を成し遂げなければなりません。ですから、この地は邪悪であっても、この地は暗くても、この地は滅びても、皆さんは天が立てた隠れた根にならなければならない事を知らなければなりません。

 天は今、個人の信仰を基盤として宗教の使命を果たすよう私たちに要求しています。その願いとは、アブラハムが果たした責任と同じような責任を果たしたかどうかです。そして次にモーセがイスラエルの民のために献身的な心情を持ち、努力したように、皆さんが韓国の三千万人の民が苦難に直面した時、モーセのように皆さんの意思と心を込めて献身し、努力したかどうかです。さらに、イエス様が創世以来現在までの万民を救うために努力されたように、同じ意図と心情を持ち、万民のためにイエス様の代わりに尽力したかどうか尋ねられるでしょう。

     32

 そうすれば、この様にアブラハム、モーセ、イエスのような人生を生きたのかと反問を受ける様になった時に、正しく生きたと言えるのです。皆さんは「私達を知っていますか? 隠された神様の根は私達だけにあるのではなく、神の中にもあるのです。」と言える人にならなければなりません。

 そうなった時、アブラハムが彼の信仰を通じて築いた意志が、皆さんを通じて結実するでしょう。モーセが民衆を通じて嘆願した意志が、皆さんを通じて達成されるでしょう。また、イエス様が世界に対して抱いていたすべての悲しみの要素が、皆さんを通じて解放されるでしょう。

 もしもそのような人がこの地上に存在するとしたら、アブラハムが昔から心から願った心、モーセが昔から心から願った心、そしてイエス様がこれまでに心から願われた心が解放されるでしょう。そのため、もしもそのような人がいるのならば、あなた方は心を尽くしてその人を支えるべきです。もしもそのような人が存在しないのであれば、あなた方自身がそのような人となる必要があることを認識する必要があります。

 そして、もしもそのような人がいる場合は、その人をアブラハムの代わりに、モーセの代わりに、イエス様の代わりに高く尊び、受け入れることを知る必要があります。さらに、民族のためにさらに祈り、さらに活動することを求めるでしょう。そして、あなた方が天の前に捧げることができる犠牲が、祭壇ではなくても、その祭壇を築く人となるべきです。

 したがって、今日のあなた方は神に対して「私たちの父よ!」と呼ぶべきです。そして、創造以来の歴史の進行において、まだ主人の役割を果たしていないそのお父様を実感できなければ、あなた方は真の解放を受けることができません。したがって、あなた方はアブラハムが祈ったように、モーセが祈ったように、イエス様が祈ったように、祈りの祭壇を築かなければなりません。


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御言葉選集1(5、6、7)

2023年05月04日 14時30分42秒 | 学習
文鮮明先生御言葉選集 1 - 5. イエスの様に復活の栄光を神様に向けよう (1956年5月27日)

1956年5月27日(日)、元本部教会 
聖書拝読 マタイによる福音書22:34-40


<祈祷>
 愛するお父様、イエス様は信仰のないイスラエル民族に対して、パリサイ人とユダヤ人達に対して悔い改める事を何度望んだのでしょうか。

 安息の睡眠を成せなかった程に追い込まれたイエス様の路程が私達の心の中で、イエス様の心情を解らないと言う事が言えず、その心情に似なくては行く事ができないこの時間になる様に許して下さい。また、そのような心が私達の中に現れれる事が、お父様が求められる事です。また私達が望む願いではないでしょうか。

 今イエス・キリストが歩んできたその路程を、イエス・キリストが残して行った神の福音の御言葉を代わりに背負って億千万のサタンと戦って勝利の栄光をお父様の前に返す責任が私達にある事を、この時間心の中に感じる様にしてください。そうして、イエス様が天に対して切実な心情を抱いた様に、今日私達も天に向かった切実な心を持たせてくださいます様に。

 天を信じて集まった全ての群れに対して堂々と出てきたイエス様の凛々しい態度の様に、私達もお父様の命の御言葉、真理の御言葉を信じ、堂々と出ていける子供達になる様に許してください。

 今日の私自身をイエス様の前に誇らない様にしてくださり、今日の私の事情をお父様の前に示さない様にしてください。この時間、お父様の前に不平を言う者が多いので、恥ずかしい者にならない様にしてください。
   1
 イエス様のような立場を取る事ができ、お父様の心に代わる者と成れる様に導いてください。イエス・キリストのご意志に代わって、万民の前にいつでも、いつまでも恐れずに現れる事を望むのが、お父様の願いであると言われる様に、お父様、ここに復活した子供達を覚えてください。毎日呼んでくださり、毎日命令してください。

お父様の御心を成し遂げる為に、イエス・キリストの代わりに戦っていく事ができ、父の御心の前に同行する聖徒達になるよう導いて下さる様に、私のお父様、導いて下さる様にと願っています。

お父様、イエス様は反論を受けた時にも天の為に言われました。いつお父様を置いて反論した時がありましたか? 父の意志一つを握って心配しながら、その意志を立てるために戦われました。

お父様、これらの私達を許してください。今、私達のお父様の意志を万民の前に堂々と叫びましょう。お分かりください、お勧めし、探して来て、自慢できる場所に立ててください。それを愛してくださり、導いて下さる様に、お父様、切にお願い致します。

この時間の初めから終わりまで、父の力ある御手が一緒にいてくださり、私達が優しく謙虚な子供のような心を持たせてください。尊厳のある父の前に生きた供え物としてささげられる子どもになり、本来の自我で再創造できるこの時間になる事をお許しください 。

   2

この時間多くの御言葉が必要ではありませんので、命の感動の歴史が心の中全体に響く様にしてくださり、父の喜びを歌う事ができ、父の栄光を証しできるよう、御言葉で私達の体の中心を目覚めさせてください。懇切にお願いし、主の御名によってお祈り申し上げました。アーメン。


<御言葉>
 この時間の皆さんと考えようとする御言葉のタイトルは、「イエス様の様に復活の栄光を神様に向けよう」です。イエス様の様に復活の栄光を神様に向ける為に、このような題名でしばらくお話しします。

エデンの園は永遠の神様が栄光を享受し、被造万物が神様に歓喜の崇拝をささげて喜んで生きる園です。このような園を作る事が神様の創造目的でした。また人間は神様が望む希望の栄光を地上に現わさなければなりませんでした。この様に、神様の栄光を実体で表さなければならないのが、私達の先祖アダム・エバの責任でした。

神様が創造理想を成し遂げて喜ばれようとした本然のその園は、人間が堕落する事によって成し遂げられませんでした。それで、これまで全人類は復活の栄光を願いながら闇の勢力と対決し、戦いの道を経ているのです。これが6千年の歴史の路程でした。

神様はこれまでの歴史を経過しながら、全体的な復活の栄光と全体的な復活の大業を成し遂げ、この地上の被造創生と霊界の千千万天軍天使、そして被造万物までも神様の栄光を歌って感謝の礼拝の日を迎えようとしました。その一日を迎える為に、神様は数多くの預言者達をこの地上に送られ、4千年の歴史が経過した後に神様自身の内的心情と外的実体を備え栄光の実体に送ってくださった彼がまさに独り子イエス・キリストだったのです。

   3

この様に、神様の栄光の存在が現れたので、全世界は楽しく感謝を返さなければなりませんでした。その結果、イエス様は悲しみの嘆きと恨みの嘆きを残さなければならなかった事を皆さんはよく知っています。

イエス様が残した御言葉を今日私達が見る様になる時、彼の御言葉を信じない民のみについて叫んだ御言葉ではありません。万民について仰ったのです。イエス様は神の為に死を覚悟しました。残りの道ではなく、行く事ができない運命の道である事を知り、堕落した人間が、ある時、ある歴史の過程で神様の為に心を尽くし、精誠を尽くし、愛を尽くせませんでしたが、これを知ったイエス様は堂々と叫びました。「皆さんの心を尽くし、愛を尽くし、思いを尽くして皆さんの神を愛してください」と堂々と言われました。皆さんはこの一言の言葉が皆さん一身のみに該当する御言葉としか考えてはいけません。

それでは、この一言の言葉は何を表す言葉ですか? イエス様は4千年の歴史の過程に染み込んだ神様の切ない内的心情を切実に感じました。そうして、自分が神様を解放しなければならない責任を感じ、いつの時でも、自分は今まで4千年の歴史過程になかった心を尽くす代表者にならなければならず、命を尽くす代表者にならなければならず、心を尽くす代表者にならなければならない事をここで改めて天の前に明らかにされたのです。

天の栄光がイエス様の栄光として現れ、イエス様の栄光が万民の栄光として現れ、万民の栄光が生きた被造万物のどれにも及ばなければならなかったのです。ところが、イエス様とイスラエル民族が断たれた事で、イエス様一身になされるべき復活の栄光、感謝の栄光は、今日人類の希望として残された事を皆さんは知らなければなりません。

イエス様は神の栄光に代わって現れました。神様の為に自分の心を尽くして思いを尽くし、御心を尽くされた一つの存在、歴史の過程になかった勝利の結果が、まさにイエス様だったのです。ですから、イエス様一身には神様の心情が籠っている事を知らなければなりません。さらに、皆さんはイエス様が心を尽くす前に、まず神様が心を尽くされた事を知らなければなりません。イエス様が御心を尽くす前に、まず神様が御心を尽くされた事を知らなければなりません。そしてイエス様が精誠を尽くす前に、まず神様が精誠を尽くされた事を知らなければなりません。この様に、福音として貴重な存在として現れた方がイエス様であったと言う事です。

   4

ですから、イエス様のこの真理の御言葉は、絆で感じられる事を通じた言葉ではなく、人間創造理念を通じた御言葉でした。これを皆さんは知る必要があります。

今日、皆さんは神様が送られた御言葉が自分だけを愛して下さったと考えてはなりません。そしてイエス様がそのような御言葉を下さったのは、神様が自分を立てる為に苦労されたその御心を自分が今実体的に成し遂げなければならないと考えました。神様がイエス様を尽くしたのと同様に、人間が神様に対して尽くす責任があると証したその御言葉をまだ成し遂げられないまま残っているのです。

したがって、今私達は心を尽くし、愛を尽くし、精誠を尽くして神様を敬う必要があり、神様自身がまず心を尽くし、心を尽くし、精誠を尽くして私達を見つけ出された事を知らなければなりません。

神様は4千年間、人間についてどんな心を持って来られましたか? 自分の為に心を持ってこなかったのです。すぐに死んでしまう人であり、苦しんでいる人間でしたが、神様は人間達に対して心を尽くす立場から、我慢の4千年の歴史路程を歩んできた事を皆さんは知らなければなりません。

この様に不変の愛の心を持って4千年間我慢し、戦い、愛して来られた神様の心情を知らなければなりません。このような神様の前に現れたイエス様は、イスラエル民族を中心とした神様の国を築く為に、自分の心を尽くしました。ですから、イエス様の30余年の路程は、心を尽くす犠牲の期間だったのです。30余年の路程において、民族の前に自分を表わさず、黙々と4千年間我慢してきた天の心情を掴もうとしてきました。

   5

こうしてイエス様は4千年の歴史過程においてサタンと関係した紆余曲折の歴史事実を感じ、それを霊界で内的に証拠を受けて明らかにされたのです。さらに、4千年の歴史の中に隠されている天倫の秘密を明らかにし、神様の内的な我慢の実体を成し、外的な実体を30余年に立てなければならない責任を担ったイエス様であった事を皆さんは知らなければなりません。

ですから、イエス様は難しい立場に置かれれば置かれるほど自我を求める立場にありましたが、探して考える事はできませんでした。イエス様は、神様が4千年の歴史を経てイエス様自身を探す為に忍耐して来られたその一つの心、人間一人一人を探す為に忍耐されたその神様の心を感じ、その心を解放するための実体として現れる為に30余年準備の生活をされた事を皆さんは知らなければなりません。

神様はこれまで誰に対しても自分の立場を言い表しませんでした。万民に対して言い訳ができず、敵のサタンについても言い訳をしませんでした。神様のこのような全体の心情を相続しようとするイエス様であったので、孤独な立場に置かれても、誰にも言い訳せず忍耐されました。このようなイエス様の忍耐の生活を皆さんは学ばなければなりません。

ところが、神様はイエス様の為に忍耐され、イエス様は自分の為に忍耐されたのではなく、お父様の為に忍耐されたのです。つまり、イエス様は神様が自分を探す為に時間を掛けて歩んできた事を感じ、自分の為に忍耐されたのではなく、神様の為に忍耐されたと言う事です。

この様に、イエス様が30余年間自身を離れ、神様の為に忍耐された天使長サタンの忍耐を上回りました。サタンはこれまで神様が4千年間我慢してきた道、その道を破壊する為に活動してきました。しかし、サタンが忍耐した以上のお父様の心情があった事を知っていたイエス様は、そのお父様を信じてお父様の様に忍耐したため、心情の化身となったのです。

   6

この様にイエス様自ら神様が4千年間我慢してきた心情の基台の上に立って、それを勝利の基台としてサタンと戦うにあたって、忍耐心を持って戦って勝ったが、実体的な勝利の基盤を持てなくなったときには、神様が4千年間我慢して来られた心情は破壊される様になった事を皆さんは知らなければなりません。

イエス様が30余年の寿命を通して自分が我慢できない環境に置かれる様になっても神様の御心をめぐって忍耐したので、またサタンが我慢できない立場から神様の御心を受けたので、また我慢した者の表象として立てられました。ですから、イエス様はサタンに対して戦う事ができる主人公になったと言う事です。

神様はイエス様を探すのに4千年の歴史の流血の路程を経られました。また、人間は自分の個人の欲望を成し遂げる為に生きる様な中でも、神様は人間の為に戦いの歴史路程を歩んできました。この様に神様は4千年間サタンと戦ってきましたが、神様は自分を中心に戦わなかったのです。

ところが、サタンが今日まで戦ってきた目的は、自分の栄光のためでした。また、これまでも自分を中心に神様と戦ってきていると言う事です。しかし、神様は自分の為に戦わなかったのです。神様が戦う目的は、サタンの下にある貧しい人類のためであり、選ばれた民族を通してイエス様を打ち出す事でした。

それではイエス様はどのような存在として現れましたか。神様が4千年間サタンと戦って勝った勝利の代わりの実体であり、化身として現れたのです。イエス様はこの様に神様に代わる戦いの主人公としてこの地に来られたのです。それでイエス様が内的に勝利の基準を立てた神様の御心を継承し、外的に勝利の基準を地上に立てなければならない責任を負い、実践していた路程がまさに3年共生の愛の路程でした。

   7

 この3年の愛の期間において、サタンは自分一人の勝利の為にイエス様と戦ったが敗北したので、再び民族を動員してイエス様と戦わせたのです。

 しかしイエス様は、3年の愛の期間に、いかなる困難な戦いの場にも決して自分を中心として戦った時が無かったと言う事です。イエス様は「父が行った事を見て行なう」と言われました。神様の代わりに戦う化身であり、神様の内的な心情を吐露する、神様の代わりの実体として3年の生涯路程を歩んだのです。イエス様は自分を言い訳する様な戦いをしませんでした。

 神様が自分の為の言い訳をする事ができなかったのと同じ様に、イエス様自身も万民の前でサタンと戦う立場では自分の為の言い訳をしませんでした。神様が4千年間摂理して来られたその苦労について変わらない心を持って神様を受けいれたイエス様でした。

 神様の御心の摂理の戦いの路程で現れたこの事実を悟ったイエス様は、神様が内的に立てられたその全体の御心を外的にも成し遂げる為に戦いを展開されたのです。ところがイエス様とサタンの戦いにおいて、サタンは自分の為に戦いましたが、イエス様は天の為に戦ったと言う事です。ここで勝利の基準が立ったと言う事です。

 それでは、サタンが敗北した原因は何ですか? 自分の為に戦ったからです。サタンの戦いの目的は自分にありました。しかし、イエス様は戦いの目的を天に置きました。そしてイエス様は、「神様が変わらないこの摂理の終わりまで変わらない」という心を持って精誠を尽くして戦ったので、勝利の基準を立てたのです。また、神様が心を尽くし、精誠を尽くしたのと同様に、イエス様も人類の前にそのような姿勢を見せてくださったというのです。

   8

 そして、イエス様は神様の内的な心情に代わって、すべての困難と悲しみに耐えながら愛された神様の心情を引き継ぐ事ができました。ですから、イエス様は自分がどこにいても、神様の御心、神様の愛に代わる実体としてサタンと戦っていきました。

 イエス様はサタンとの戦いの過程で、サタンが自分の目的を中心に攻撃する様になったとき、その影響はイエス様だけに及ぶのではなく、神様にまで及ぶ事を知っていました。ですからイエス様はどんな受難に遭われても神様が私の為に我慢された様に、また万民の為に我慢された様に、そして当時までの摂理路程でサタンに対して神様が戦ったのと同じ様に、30年余りの生涯を一人で忍耐しながらサタンに対して戦ったのです。この様に、十字架上で亡くなるその瞬間までのイエス様の生涯は、神様の実体として、ずっと神様の愛を体恤し実践して示された生涯なのです。イエス様の生涯路程、神様の愛を実践された路程は、サタンと戦いながら歩いた試練の路程だったと言う事です。

 しかし、なぜ神様はイエス様をサタンに与えたのでしょうか。それは神様がイエス様を愛していなかったからではありません。神様がイエス様を愛しているのに、どれくらいまで愛されたのか、皆さんは知っていますか? 神様の最高の愛は実際の死を越えた場で受ける事を皆さんは知らなければなりません。ですから皆さんは神様の代わりに来られたイエス様の愛を受ける為には、死の峠も越える事ができるという切実な心を持たなければなりません。そんな時にはサタンが屈服しなければならないからです。

 4千年の間、神様は一人で全世界を眺めながら悲しみ、心配されてご苦労されました。それでイエス様は自分のすべてを忘れて神様の為に戦っただけでなく、死の場でも自分のための欲望を持たなかったため、復活の力を表わす事ができました。今日、私達もイエス様のような勝利の過程を経なければなりません。

 イエス様は神様の永遠の命を所有し、神様の栄光を示す為に自分のすべてを捧げました。そして罪ある人間の為に自分の命を供え物として捧げました。私達は、サタンが反対する事を忘れるほどの立場で、人類の為に手を挙げて祈ったイエス様の愛を知る必要があります。
   9
 サタンの世界で表現できない愛をイエス様は示したので、サタンが彼の愛の前に屈服しなければならなかったのです。サタンは自分を表すばかりでしたが、イエス様を通して恥ずかしさを感じる事になったのです。その様にして、十字架によって4千年間摂理されてきた神様が苦しくなり始めたばかりでなく、人間も堕ち始め、そしてサタンも苦しみ始めたというのです。これを皆さんは知っておくべきです。

 イエス様が亡くなった事をめぐって、神様と人間だけが悲しんだわけではありません。 イエス様の愛の死をめぐってサタンも悲しむ様になったというのです。ですから、サタンの悲しみが大きくなればなるほど、イエス様の愛の実はより多くなる事でしょう。

 イエス様は、自分の愛を実証して十字架の勝利で、最後に4千年の間摂理してくださった神様と不変の縁を結び、不変の勝利、不変の愛の実体となったのです。イエス様は天と地、人間の代わりに神様と一つになったので、神様が変わらない限り、イエス・キリストも変わる事ができなかったと言う事です。

 神様は4千年間栄光を示そうとされましたが、その御心が成されなかった為にイエス様を立てて初めてその御心を成し遂げようとされたのです。それでイエス様は人間を通して、その意志をこの地上に表わそうとされました。そのような神様の4千年摂理の証拠としての実体として現れなければなりませんでした。

 しかしイエス様は神様の永遠の実体であり、4千年の間摂理してきた神様の栄光を見せてくださったのですが、それが何かというと復活の栄光だったというのです。これを皆さんは知る必要があります。

   10

 その復活は4千年の歴史において初めて天の栄光に代わったものであり、4千年間のサタンとの戦いに勝利した栄光に代わったものでした。イエス様がこの様に勝利的な基準を霊的にも実体的に見せてくださったので、神様は死んだイエス様を再び起こし、新しい摂理を展開する様になったのです。イエス様が十字架に掛けられる事によって4千年の摂理歴史の責任を引き受け、先祖達の責任を引き受けて天の栄光に代わって霊界に行ったのが復活昇天だったと言う事です。

 この様に、イエス様は内なる神様の栄光をこの地上に実体的に成し遂げるため、すなわち神様の完全な栄光を示す為に来られた方です。なぜなら、完全な栄光は内的な栄光と外的な栄光が一体とならなければならないのです。イエス様はまさにこの使命を完成する為に来られたのです。

 神様の栄光が完全に成し遂げられる為には、神様の内的な栄光の実体として来られた独り子イエス様とユダヤ民族が離れず一つになって、イエス様の中にある神様の内的な栄光が地上の栄光にならなければなりませんでした。しかし、神様の4千年の摂理歴史を引き受けて、神様の栄光を地上で実現させなければならないイエス様がユダヤ人の不信によって十字架に掛かる事によって、天の内的な栄光は霊的な栄光になったと言う事です。ですから、イエス様は未完の栄光を持って昇天されたのです。

 イエス様は昇天した後、霊界で神様が4千年間サタンに対して繰り広げられた天の戦いと、人間を復帰する為に繰り広げられた地の戦いと、御心を成し遂げるための摂理の戦いを聖霊に代わって愛の戦いをしておられるのです。つまりイエス様は霊界に行って神様がしてくださったこの戦いを引き継いで神様の代わりに戦っておられるのです。

 それでは、4千年間摂理してきた神様の前に人間に代わって万物に代わって、天の愛に代わられたイエス・キリストが真に勝利しなければならないのはどこですか。変わらずこの地だと言う事です。

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 それでは、今日地上に残っているこの戦いの路程を誰が責任を負わなければならないのでしょうか。イエス様が霊界で神様の内的な戦いを引き継ぎ、戦っておられますが、聖霊と私達は地上で力を合わせ、内的な戦いと内的な摂理を実体的に完結するための愛の戦いで勝利する為に全部が協力しなければならないと言う事です。

 この戦いは精神的にしか戦えない戦いではありません。霊界と共に戦わなければならないと言う事です。そして、その戦いで勝つべき運命が私達人間に残っている事を皆さんは知る必要があります。つまり、イエス様が霊界で神様の内的な戦いを引き継ぎ、これまで戦ってきた事と、この地で30余年の命を犠牲にして、人類の救いの為に戦って来た事を、私達が引き継がなければならない事が私達の運命であると言う事です。

 だから今、皆さんは、「父よ!イエス様よ!聖霊よ、私に力を与えてください。」と祈り、叫びながら、地上で天の歴史的な願いを叶える為に全力を尽くさなければなりません。

 イエス様はこの地上に神様の4千年の苦労の結実体として来られ、神様が望んでいた最初の完成体として来られた方です。しかし、イエス・キリストは約30年の生涯にわたって成してきた道が残っていました。そして3年の期間、共に生きて愛で戦った路程にも、神様の栄光を完全に果たせなかった恨が残り、また十字架で血を流された愛の心情が地上に残っていると言う事です。そのような中で、今日、私達はイエス様が地上でできなかった使命を引き継ぎ、神様とともに行かなければならないと言う事です。そして私達は私達の生涯の努力をすべて捧げ、イエス・キリストの道を継承していかなければならないと言う事です。

 それでは、今日私の一人の人生をお父様の前に立てて批判してみるとどうなりますか?イエス様は神様の御心を成し遂げる為にサタンと戦いました。そのようなイエス様に皆さんは似ていかなければなりません。そしてイエス様はお父様の前に自分の一生を立てて勝利の戦いを展開したのがある一日ではなく、30余年の命の期間であった事を知らなければなりません。6千年間摂理されたお父様の心とその意志を成し遂げる為に切なくなっていたイエス様の心、聖霊の心を知らなければなりません。
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 そうして今日、皆さんが忍耐しなければならない路程に心を尽くして忍耐できないなら、皆さん一人の故に、6千年間悲しんでいた神様の御心、イエス様が生涯捧げられた事、イエス様が亡くなって以来、聖霊が2千年間苦労した意味がすべて挫折してしまいます。これを皆さんは確かに知っておくべきです。ですから今、皆さんはこのみ旨のための戦いを展開しなければなりません。

 イエス様は敵の反論をたくさん受けました。その城から追われたら別の城に訪ねて行き、ここで説教をすると言うようにあちこちに避けて行きました。そのような中でもイエス様は自分の一身を言い訳する事ができませんでした。天の運命全体を持って来られた為に、そのような事を示す事はできなかったのです。そうして、無言の戦いの路程を経てきたイエス様、さらに十字架に掛けられても自分の働きを忘れて神様の御心と愛を中心として証しする為にサタンと戦われたイエス様でした。

 ですから、今あなた方がイエス様を探し求めて愛する心があるなら、それはイエス様を悲しませるものではなく、喜ばせるものです。あなた方はこのような事を思い浮かべて、今日、あなた方がイエス様の代わりに30年以上の使命を果たし、そして今日まで耐え続けてこられた神様の心を代わりに感じ取らなければなりません

 4千年間、神様の御心を実現するために祭壇を築き、民族を通じて使命を果たしてきた預言者たちの心を代わりに感じ取らなければならず、また人間を愛したイエス様の心を見習わなければなりません。そうして今日あなた方はイエス様が自身を立てず、自分を愛せず、勝利の基準を立ててサタンを屈服させたことと同じ行動をする必要があります。そして、6千年にわたるすべての闘いを終わらせなければなりません。

 皆さんは、真理のすべての戦いの路程で勝利しなければなりません。また、天の御意を証する戦いで勝利しなければなりません。皆さん自身がイエス・キリストに代わらなければなりません。4千年の間、神様が忍耐された御心、忍耐された栄光、忍耐された愛の勝利の心情を支えなければなりません。イエス様が自分自身を忘却し、ただ天の御心だけを成し遂げる為に苦労された様に、皆さんも自分自身を忘却し、神様が望む全体の栄光を実らせなければなりません。心と体で勝利の結実を結ばなければならないと言う事です。
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 そうしてこそ心ではイエス様の栄光を歌う事ができ、体では聖霊の栄光を歌う事ができると言う事です。そして私達が心ではイエス様の復活の栄光に代わって、体では聖霊を通した復活の栄光に代わらなければ、聖霊は復活の栄光の場に出る事ができないと言う事です。イエス様は復活昇天できる栄光を備えましたが、聖霊はまだ復活昇天できる栄光を持っていません。

 今日まで6千年間摂理してきた神様の栄光に代わる、栄光を備えた一人の実体が出てこなかったのです。今はイエス様の愛による勝利の栄光に代わる人が出てこなければならず、聖霊によってイエス様が復活の栄光の場に立つ事ができる人が出なければなりません。皆さんがイエス様が神の4千年の摂理の目的を成し遂げる為に体と心で戦う一つの実体として現れなければ、6千年間摂理してくださった神様の御心は栄光として現れない事を知るべきです。

 それでは、今後私達はどうすべきか。皆様の意志と、皆様の心と、皆様の愛を備えた聖霊がこの地に来られた事を知らなければなりません。ですから、天の御心に代わっていたイエス・キリストの代わりに実体、 聖霊の代わりに実体がこの地に現れなければ、神様の御心は成されません。皆さんはこれを知る必要があります。今日、皆さんは命を与えてくださったお父様の前に感謝しなければなりません。そして皆さんはこの地上で聖霊まで解放させなければならない責任を担っている事を知らなければなりません。

 ところが今日この事が成されなければ、神様の6千年摂理の目的は成されません。ですから今日皆さんは神様とイエス様、聖霊が望む御心を成し遂げる為に、すべての戦いの路程に勝利しなければなりません。三位神の復活の栄光を示す為に、その戦いの限界、忍耐の限界を越えなければならないと言う事です。





文鮮明先生御言葉選集 1 - 6. 統一しようとする神様の愛の御心を成し遂げよう (1956年6月6日)
1956年6月6日(水)、元本部教会。

 今日ささげようとする御言葉のタイトルは、「統一しようとする神様の愛の御心を成し遂げましょう。」です。このようなタイトルでしばらくお話しします。この御言葉は皆さんが自分の信仰生活で最も重要な御言葉としてよく知り、よく覚えており、よく暮らすための生活の中心と考えている御言葉です。
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 アダムの堕落によって神様の御心が成し遂げられなかったため、今日まで歴史の路程を経て復帰摂理は繰り返されています。

 神様と人間が一つの御心を中心とし、一つの愛に調和して生き、全天地が神様の愛を受けながら、その愛を実際の命の中心に立てて全てが一つになって生きる事が神様の創造本然の願いでした。ところがアダム・エバが堕落する事で、神様の愛は神様の愛だけに残る様になりました。つまり、人間と関係を結ばなければならない神様の愛は、人間と関係を結べず、人間から離れる様になり、全被造界から去る事になりました。

 それで、神様は皆さんが立てようとするその愛を中心にしてきた万物を統一し、神様と万物が一緒に楽しむ事ができるその一日を望みながら、今まで6千年の歴史を経てきました。しかし、まだ神様の愛を中心として被造万物が一つに統一されていないまま、その神様のこの理念は理念通りに残り、探さなければならない希望の愛もそのまま残っていると言う事です。ですから、神様はその御心の願いを成し遂げる為に、これまで摂理されておられます。

 この様に、神は人間の堕落以来、これまである時代を問わず、神の希望を成し、人間を信じる事ができる心と愛する事ができる一つの心を探す為に長い間摂理されて来られましたが、まだそれらを成し遂げられず、見つけられずにいらっしゃると言う事です。

 私達が天の摂理歴史を振り返ってみると、神様はアブラハム一人を立て、人間に対する希望と理想と愛の変わらぬ基準を立てようとされた事が分かります。このような神様の御心が成し遂げられる日が来なければなりません。そのような愛の中心が立てられる日が来れば、神様と人間と関係が結ばれる様になり、その結ばれた関係の土台によって神様は新しい理想の喜びを味わう事ができるのでアブラハムを選んで立てたのです。ところが、アブラハムが愛の中心を立てる事ができなかった事により、神様はそれ以来イエス様の時代に至るまで、天の愛の意志を立てるための足場を作って来られたのです。
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 ですから、イエス様までの4千年の歴史は、全摂理の御心の前において、神様の願いと信仰と愛を成し遂げた一つの実証的な存在を立てなければならない期間でした。そのような存在を立てなければ、神様の願いと信仰と愛はそれぞれ別々に分離され、いつの時期にも統一が見られない働きになるので、神様はまず希望の基盤を準備されました。そうして、その基地の上に信仰の基地を置き、その信仰の土台の上に愛の地位を置こうとしたのです。

 それで後にはこのすべてを結実した一つの実体、すなわち、全体の希望の実証体、全体の信仰の実証体、全体の愛の実証体を天の地の前に立てる事ができる一日を迎えようとしたのです。しかし、もしそうした一日を迎えられなければ、神様の愛を中心として統一の理念は、この地上に成就する事ができなくなるのです。

 その一日を立てる為に、神様はアブラハムから始まり、モーセを経て洗礼ヨハネに至るまで、4千年の摂理歴史を3段階に分け、願いの場を準備しながら苦しんだのです。そのような希望の土台の上に一つの実体として現れた方が誰だったのか、まさにイエス・キリストでした。イエス・キリストは、神が4千年にわたって望まれた一つの実体として現れた存在であったので、神様が4千年間にわたって希望を持って摂理してきた総ての実体でした。

 それからイエス様がそのような結実体でこの地上に来られたのは何か、それは神様が路程で建てられた新約の福音、すなわち信仰の福音でした。その後、この信仰の福音を中心として、今日まで2千年の歴史が経過しました。

 そうすると、その信仰の福音を失した基盤の上に天の地に代わって、全体の愛の実体として現れる一つの存在が誰なのかとすれば、すぐに来ると言われた再臨主である事を皆さんが知らなければなりません。では、神様は再臨時代に何をされますか。来られる再臨主を中心として、これまで準備してきた信仰の土台の上に一つの命の種を蒔いて結実させるためのものが、神様の6千年摂理歴史の目的である事を皆さんが知っておくべきです。
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 今日、私達は神様を自分の希望の主人公として見ており、信仰の主人公として見ています。また、私達の愛の主人公として見ています。この希望と信仰と愛の主人公としておられる神様は、人間が歴史の過程で希望に代わる旧約時代、信仰に代わる新約時代を経たので、今後は愛に代わる成約時代を経なければなりません。

 では、そのような成約時代、すなわち再臨時代において永遠の不変の一つの中心要素として残る事ができるのは何ですか? それは神様の愛なのです。それは全体の中心要素であると同時に全体の理想要素になるのです。

 そのため、これまで人間はこの愛の為に希望の摂理路程と信仰の摂理路程を経てきました。しかし今愛の摂理路程を皆さん一人が歩まなければ、神様がこの地上に愛を中心として、この地上に築かなければならない統一の足場は崩壊してしまうという事実を皆さんが知らなければなりません。

 希望の基盤の上に信仰の中心として現れたイエス・キリストは、この地上に信仰を立てるための御言葉を伝えました。もしこのようなイエス・キリストをその当時人間が信仰の実体として受け入れたならば、すなわちイエス様を神様の4千年摂理歴史の望みの結実体、永遠無窮な信仰路程における信仰の中心存在、また永遠な神様の愛を証し統合する事ができる一つの実体として知られていたら、その当時の人間達はイエス様の様に一人の人として永遠に愛の神様の願望を持つ事ができ、永遠に無窮な神様の信仰を持つ事ができ、永遠に無窮な神様の本然の愛を体恤できたでしょう。

 ところがユダヤ民族の不信でイエス・キリストが亡くなったので、今日、私達は信仰路程で霊的な希望の実体だけを完成し、霊的な信仰の実体だけを完成し、霊的な愛の実体だけを完成する様になったというのです。
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 それでは、神様の愛の勝利の基準は何ですか? 天上天下のどんな人物でも神様の愛を中心に動かすのです。ところが、その神様の愛の実体として来られたイエス・キリストが十字架で亡くなられて、そのすべての御志が崩れてしまいました。

 イエス様は、神様が4千年間のご苦労を伴った希望の存在です。もともと人間の先祖が神様と一体になる事を望んだのが、アダム・エバの堕落で目が覚めました。ですから、イエス・キリストを中心として神様の理念と一つになって、霊的に大切な信仰の実体として現れるべきだったのですが、霊的な面でのみ完結しました。

 ですから今日、私達はもうイエス様が残していったそのみ旨を受け継いで成し遂げなければなりません。イエス様の一身が霊肉を持った一つの希望の実体になったのと同じ様に、私がそのような人になって彼に代わる事ができなければなりません。また愛を中心とした一つの実体だった様に、私がそのような人にならなければなりません。そうして、神様の前に立ってイエス様の希望と信仰と愛に代わって進み、聖霊の希望の実体として、聖霊の信仰の実体として、聖霊の愛の実体として、その使命に代わらなければなりません。

 これがイエス様が来た道の後の、今日この地上の人間がお父様の前に成し遂げなければならない使命であると言う事です。したがって、私達がその使命を果たす様になると、イエス様の希望の終結、聖霊の希望の終結を見る事ができます。さらに、イエス様の信仰と聖霊の信仰、イエス様の愛と聖霊の愛の終結を見る事ができると言う事です。そうすれば、皆さんがそのすべてを終結する事ができるその日を成してこそ、この地上に再臨主が現れるのです。

 神様の希望は神様自体のものではなく、人間のための希望でした。神様の信仰も神様のものではなく、人間のための信仰でした。また、神様の愛も、神様自身のための愛ではなく、人間のための愛だったと言う事です。そのため、人間がそのような神様の願いに代わり、信仰に代わり、愛に代わる事ができなければなりません。そんな時に、そのような人間一人自体を、全体の希望、全体の信仰、全体の愛に代わる存在として、神様が万物万象の前に誇る事ができるというのです。
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 言い換えれば、それ自体を、このすべての物が望む希望の中心体である事を誇る事ができると言う事です。また、被造万物、つまり天地にあるどんな存在物でも信じて生きる事ができる主人公として自慢できると言う事です。それだけでなく、すべての存在が愛する事ができる一つの個の中心体として誇る事ができると言う事です。

 イエス・キリストが神の愛に代わる中保的な存在として現れたのと同じ様に、今日私達はイエス・キリストの希望と信仰と愛を受けて、この地上のあらゆる邪悪な人の前に一つの希望の実証体、信仰の実証体、愛の実証体として現れなければなりません。

 そのような存在にならなければ、どこに行ってもイエス・キリストの希望の基準、信仰の基準、愛の基準を蕩減する条件を成立させる事ができないと言う事です。ですから今日、私達はこのサタン世界の前に神様の願い、神様の信仰、神様の愛の実体として現れたイエス・キリストに報いなければなりません。

 しかし、イエス・キリストの部分的な願いについて答えるのではなく、イエス・キリストの部分的な信仰について答えるのでもありません。全体に応えることができなければなりません。人々は今まで、この地上にひとつの基準を見つけて建て、それに応えようとしてきましたが、全体に応えることができませんでした。しかし、イエス様は三人の弟子を通してそのような過程的な形を表現したかった事を皆さんが知らなければなりません。

 それでは、信仰の結実体として現れた人は誰だったのか。それはペテロでした。また希望の結実体として現れた人は誰だったのか? これはヤコブだったのです。そして愛の結実体として現れた人は誰だったのか? これはヨハネでした。
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 この三人がイエス・キリストの福音の一部の部分を責任を持って持つ様になって進み、今日私が希望の実を譲り受け、信仰の実を譲り受け、愛の実を譲る事ができる様になり、そして摂理歴史はその様に流れてきたと言う事です。そのため、三人が和合して一つの完成体で完結しなければならないのが最後の道です。これがイエス・キリストがこの地上に残した最後の教えだったと言う事です。

 ですから、今日皆さんが最後の完成者として現れる為には、イエス・キリストの代わりにならなければなりません。ところで、もし皆さんがキリストの三弟子を根にした一つの不変の実体として立たなければ、三弟子を立てて行かれた新郎になったイエス様の前に出る事ができなくなります。これを考えると、今日私達は私一人でペテロを建てた信仰の希望を成し遂げなければなりません。ヤコブを立てた希望の実を出した自らで成し遂げなければなりません。ヨハネを立てたその愛の実を出した自分自身で収めなければなりません。

 このような皆さんになるならば、つまり皆さんが終わりのイエスの前に立つ一つの花嫁になるならば、皆さんは神様が6千年間にわたって憂いて来たみ旨が自分自身で結実されたと言う喜びを感じる様になり、父の前に感謝を捧げる様になるでしょう。

 さらに皆さんは、神様がこれまで6千年間望んできたみ旨が、イエス様の愛を中心に成し遂げられたという、全宇宙に代わって成し遂げられたというその喜びの事実を示さなければなりません。そうして神様が喜んで愛する中で、その愛の喜びを感じ、父の前に感謝できる皆さんにならなければならないというのです。この事が今日の皆さんに歴史的な責任として残っている事を知る必要があります。

 では、皆さん自身が「アバ、父よ!」と呼びながら希望の結実を備えなければならない時、信仰の結実を備えなければならない時、愛の結実を備えなければならない時となりましたが、今皆さんに求めるものは何ですか? 神様は6千年にわたって希望を抱き続けました。その愛情を感じることが大切です。また、6千年にわたって信仰を築くために努力されたその努力を感じることが大切です。そして、神様が愛を実現するために繰り返し犠牲を払われた6千年の苦労を感じなければなりません。
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 イエス・キリストによって、神の4千年にわたる希望の実現にかわって実践的な功績を打ち立てたことが信仰の歴史であり、その信仰を実践的な業績に置き換えたものが霊的な歴史でした。そして、その後に愛を実践的な業績に置き換えたものが統一の歴史でした。

 この様にイエス様は希望として摂理の道を立て、神霊としてそこに種を植えて繁殖させ、それを統合しようとしたのです。

 従って、今皆さんは神の愛、イエスの愛、聖霊の愛を実現しなければなりません。そしてイエス様の希望が神の希望に変わる時代が再臨時代であり、イエス様の信仰が神の信仰に変化する時代が再臨の時代である事を知る必要があります。

 もしもイエス様の希望の結実、イエス様の信仰の結実、イエス様の愛の結実が皆さん自身で果たされていないとするならば、皆さんは再び神の新たな希望の中心を探し出して建てなければなりません。神様の新しい信仰の中心を見つけ、神様の愛の中心を見つける必要があります。これが皆さんに与えられた課題です。

 それでは、それらを見つけるために、あなたたちはどうすればいいですか?あなたたち自身がイエス様の希望を実現し、聖霊の希望を引き継ぎ、イエス様と聖霊の信仰を引き継ぎ、イエス様と聖霊の愛を引き継がなければなりません。そして、「父よ、私たちは聖霊の苦労を知っています。聖霊の希望を知っています。聖霊からの信仰を受け入れてきた歴史を知っています。」と言えるようにならなければなりません。
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 そうなのです。私たちは、イエス・キリストの希望、信仰、そして愛を理解し、その教えに従って生きることが重要です。これによって私たちは、自分自身と周りの人々に対してより良い影響を与え、神との関係を深めることができます。このように、父なる神の前に立つことができる唯一の存在が今日この地上に現れなければならないことを、皆さんは知る必要があります。

 その唯一の存在はどのような存在でしょうか?その唯一の存在が持つ希望はキリストの希望であり、信仰はキリストの信仰であり、愛はキリストの愛です。しかし、その唯一の存在がこれらを神の希望、神の信仰、神の愛によって終結させるとき、神はキリスト・イエスの希望として残された目的を達成し、その意志を確立することができます。

 それ故、その唯一の存在は神の代わりに、イエス・キリストが祈っていた歴史、そして今でも私たちのために神の右側に立って祈っている方のそのような歴史を超越し、更に肉体を持った完成体として天の前に立つことができなければなりません。また、そのような存在がキリストを通して天国の喜びを共有することで、ようやく神と人が一つになれるのです。実体を完結する必要があることを知る必要があります。

 そのため、今日私たちは、神が4千年間苦労して建てられたキリストの心、またキリスト以降2千年間苦労された再臨主を建てようとした心を知らなければなりません。

 そして今日、私たちは、イエス・キリストが精神的な完成の立場を超えて、肉体的に完成させなければならない希望の実体を完成させられず、信仰の実体を完成させられず、また愛の実体を完成させられなかったその実体を完成させる責任があることを知る必要があります。
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 イエス・キリストの愛を中心にして来られる再臨主を立てておき、神様と関係を結ばなければならないと言う事です。それでは、今日私達はこの為にどの様にすべきですか? 実証的な 希望の実体として現れ、信仰の実体として現れ、愛の実体として存在しなければなりません。そのような皆さんの土台の上に再臨主が来られるなら、神様がイエス・キリストを立てて望んでいたその望みが皆さんで決まる事になります。ですから、その再臨主は私の全体の希望として現れ、私の全体の信仰として現れ、私の全体の愛として現れると言う事です。

 ところが、再臨主がその様に愛と望み、信仰として現れる様になったとき、皆さんは皆さん一人で喜べる事ではありません。その喜び、希望がイエス様であったので、イエス様に感謝しなければなりません。私が信仰の実体となったと言う事に感謝しなければなりません。その時、天地全体が皆さんに応え、皆さんは愛の実体となることができるようになります。これによって、天地全体が動いているという感覚を皆さんは持つ必要があります。

 そのような状況の中で、あなたたちは神様がイエス・キリストに対して希望されたことを希望を実現するための実践の努力を通して開拓しなければなりません。また、信仰を代替する心情の歴史を開拓しなければなりません。そして、愛を代替する思いやりのある生活を実践し、統一の歴史を成し遂げ、全ての人々が栄光に値する人々となるべきです。

 そのため、最後に神様の愛を成し遂げる為には、実践的な希望、心霊的な信仰、心霊的な愛をすべて備えなければなりません。その時、私達は主を迎え、永遠に生きる事ができると言う事、神様を祀って永遠に生きる事ができると言う事です。

 そして、今日の私たち自身は、天国の喜びで満たされ、地上のすべての生き物の前に喜びで満たされ、人間の前にも喜びで満たされるべきです。そのようにして、世界中が同じように感じながら、永遠に生き続けることができる時代を皆さんが建設する必要があります。
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 ゆえに皆さんがいる場所ごとに、そこは神の希望の実践の場であり、信仰の実践の場であり、愛の化身的な場であるべきです。そして、神が望まれることが地上で実現され、イエス・キリストを通じて神が達成しようとされた希望が私たちによって実現され、地上のすべてのものにつながらなければなりません。また、神の喜びが人間を通じて万物につながるようになったとき、神が望んでいた統一の歴史が成就することになります。

 それゆえ、今日、皆さんは自分が神の前に希望の存在として立つために、まず天地万物を代表して希望の実りとして喜ぶことができたか自問自答しなければなりません。さらに、今まで地上の数多くの人々が信じてきた信仰の全体を代表して喜ぶことができる存在になり、そして神から愛され、愛するその愛の感覚を感じることができる存在になれたかどうかを問いかける必要があります。

 しかし、全てのものの完成形として現れる存在は誰でしょうか? それは当に再臨主です。つまり、再臨主は全体の希望、全体の信仰、全体の愛を代表して現れる方なのです。しかし、再臨主が現れる時、皆さんは彼の希望、彼の霊的な信仰、彼の愛を所有するために準備をしなければなりません。また、その時には、神の御旨を成すために、行くべき所に行かなければならず、行わなければならないことを行わなければならないのです。ですから、皆さんは今この地上の腐敗した世界に住む人々の感情を超越した希望の実体、信仰の実体、愛の実体として現れなければならないのです。もし、このような存在がこの地上にいるのであれば、再臨主はそのような存在を探しに来るのです。

 それでは、そのような存在を訪ねる目的は何ですか?イエス・キリストが残された使命を実体で完結しなければならない使命の為に訪ねて下さるのです。6千年前から神様が望まれた霊肉を中心としたその御旨を成し遂げようと訪ねて来られると言う事です。

 したがって、そのようなみ旨を条件として隠れた存在がこの地上に現れる様になるとき、どんな存在でも彼を希望の存在として、信仰の存在として、愛の存在として祀る事ができなければなりません。愛を中心に統一の理念が成し遂げられた一つの世界は、希望も過ぎて、信仰も過ぎ去った世界です。ですから今、皆さんには愛を中心とした自分の生活に天上天下が答える日を成し遂げなければならない重大な責任があると言う事です。
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 いくら再臨主がこの地上に来るとしても、人間の実践的な足場がなければなりません。いくら永遠の神様の愛に代わる存在であっても、人間、まさに皆さんの足場がなければならないと言う事です。これらの重大な責任が皆さんにあると言う事です。したがって、今日、皆さんの個人は24億人類に代わって、今まで天上にある億兆の先祖に代わっている事を知る必要があります。さらに、私の一人の存在は、天地のすべての存在が望む存在であると言う事です 。

 したがって、今後はそのような気持ちを持って、食べたり飢えたり、病気にかかったり死んだりしても、あなた方は生活の中心を証明し保護することができなければなりません。そして、自然界を通じて神に栄光を捧げることができるこのような歴史をあなた方が果たす必要があります。あなた方は今日、この重大な責任を負っています。

 それでは、皆さんの過去の信仰生活を見たとき、希望を成し遂げる事ができる個体になっているのでしょうか。信仰であると言える実体、愛の完成者であると言える実体になっているかという事が問題です。

あなた方がそうなった時、イエス・キリストの希望、イエス・キリストの信仰、イエス・キリストの愛が、あなた方から神の希望、神の信仰、神の愛に対して一体になるでしょう。ですから、今後はイエス・キリストを通じて残された神の希望、残された神の信仰、残された神の愛を感じることができるようになるべきです。

 その様に感じる人がいるなら、彼は神様の直接の賜物を得ている人です。また、そのような人は神様の願いを示す事ができ、神様の信仰を示す事ができ、神様の愛を示す表現ができる方です。もし皆さんがそのような存在になれば、皆さんがどこに行っても神様の希望を分かち合う事ができ、どこに行っても 神様の信仰を分かち合う事ができます。
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また、あなた方がそうすれば、再臨される主を地上で神の代わりに迎え入れることができることを忘れてはなりません。


<祈祷>
 愛するお父様、天地が秘めた意志の世界が実現できなかったのは、全て神の責任だと思っていましたが、人間の堕落によって私達にも責任があることを知りました。

 神の永遠の希望が残っている限り、今日私達にも永遠の希望が残っており、神の永遠の信仰の意志が残っている限り、私達にも永遠の信仰の意が残っており、神の永遠の愛の実践が成し遂げられます。負けない限り、今日私達にも永遠の愛の実体を成し遂げる責任が残っている事が分かりました。

 この日に蕩減的な歴史を受け継ぐ為に、私達は4千年の願いを受け継いで6千年の願いとして、4千年の信仰を受け継いで6千年の信仰として、4千年の愛を受け継いで6千年の愛として表さなければなりません。神様の前に立って6千年の願いを永遠の願いで、6千年の信仰を永遠の信仰で、6千年の愛を永遠の愛として立てなければならない責任が私達に残っているので、今日、私達の不十分と不足をお許しください。この私達の不十分さと不足さを容認してください。私一人自体を高めて立てる事を容認してください。

今、万民の希望を結実させなければならない時となり、万民の信仰を結実しなければならない時となり、万民の愛を一つの実体として表わすべき時となったのですが、その一つの実体がどこに存在していますでしょうか?まともな私達であっても、新しく花嫁に重生しなければならない自分達である事を知って覚醒させてください。
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そうしたときに内的な面で完結を成し遂げたイエス・キリストの苦労の歴史が外的な私達を通して結実でき、再臨以降を実践でき、外的な歴史を展開できる事を知っています。

今日、天地の中心的な役割を担当しなければならない人が誰なのかというと、終わりの再臨の歴史を前にしている聖徒達だと思っています。お父様はそのような人々に永遠のお父様の願いを任せたいと考えても、彼らがその望みを引き受ける者になったのか、永遠のお父様の信仰を任せようとしても、その信仰を引き受ける者になったのか 、永遠の神の愛を任せたいと望んでも 、引き受ける者になったのか心配されます。

その全てを主の代わりに引き受けて、お父様の前に永遠に不変な姿として、お父様の愛に属する人になる事で、今は永遠の希望の種族になった者として立たなければなりません。永遠の信仰の種族になった者として立たなければならず、永遠の愛の種族になった者として立たなければなりません。これらの責任が私達に分担されている事を知ってください。

選択されたイスラエルの一つの勝利的な中心実体としておられるイエス・キリストの目的を今日、私達一人一人で成し遂げ、全体に代わる希望の実体を備え、信仰の実体を備え、愛の実体を備えなければなりません。今再臨の歴史の後には、キリストがこの地上に来て行かれたその全てに代わる、すなわちイエス・キリストの希望の実体として立たなければなりません。信仰の後継者にならなければなりません。愛の後継者にならなければなりませんのでこれをよく知ってください。

今、堕落の峠を越えなければならない復帰過程に置かれている私達がお父様の希望を引き受け、お父様の信仰を引き受け、お父様の愛を引き受けますと言えなければなりません。そしてその希望、信仰、愛をお父様の前に返せなければなりません。そうしてお父様の前に愛され得る勝利的な存在になってこそ、最後に最後の栄光に代わる資格者となるのです。今日ここに集まった子ども達に、お父様が皆さんは私の願いの存在、私が信じられる者、私が愛する事ができる者といえる姿になる事を許してください。
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さらに、天地万物の前で宣言し、判決の恩恵を受け、和平の条件を設定できる勝利の子どもたちに導いていただきたく、切に願っております。父よ、どうか私達を導いてください。

そのため、お父様の喜びがこの地の喜びに移り、お父様の愛がこの地の愛に移り、お父様の希望と信念がこの地の希望と信念に移される必要があります。再臨を迎える中で、平凡な喜びをお父様の前にもたらすことができるように許してください。そして、お父様の意志が地球を中心とした私達によって達成される栄光を、全ての世界に示すように歴史を導いてください。

私達の生活を通じて、生涯を通じてモーセの栄光を讃えることができるように、モーセの愛によって私達全員が一つになることを許してください。そして、全世界の24億人を含め、天にいる数多くの聖徒たちをも統合して、神の御心を達成することが自慢となるように、達成された希望、信仰、愛を永遠に自慢できる条件として、天地の中心に立てるように許してください。このように祈りを捧げ、全ての御言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。





「文鮮明先生の選集1-7:私達は負債を全額返済する人になろう」(1956年6月10日)

聖書拝読 マタイによる福音書18章21-35節

<祈祷>
 お父様の美しさが全てのものに表れ、お父様の手が触れたものは神秘的で輝きに満ちています。人間の美という創造目的を追求し続ける父なる神の心を、私達は共感し、お父様の愛の前に美しさで応えることを許してください。

 私達の心がお父様によって創造された本質的な心として現れることを許してください。私達の体が罪に染まらず、創造直後の純粋な体として美を表現することを許してください。私達の心と体が神の愛と心を代表して、神が動けば私達も動き、神が決めれば私達も決められる完全無欠な本質を持つように許してください。
   28
 これがお父様が今までに復帰説歴史を歩んでこられた一つの基準であったことを知ることができます。

 今私達が求めなければならないのは私達自身の心、達成しなければならないのは私達自身の体です。それを見つけ、実現できるようにお許しください。そしてお父様の本性の美を代表して礼拝できる存在として立たせてください。お父様の前で感謝と栄光の歌を歌うことができるように許し、私達がこれがお父様の目的であったことを骨身に感じることを許してください、お父様、切に願い申し上げます。

 私達は堕落の血統を受け継いで、自分自身が気づかないうちに自分を中心とした生活を送ってきました。天地を離れ、自分を中心に動く存在になってしまったのです。これを振り返り、天地を見据える本来の心の叫びに従って導いてください。本心の動きが私の体を刺激し、天が取り戻せる本来の自我を見つけられるようにお許しください。

 私達は腐敗の血統を継いでいることに気づかず、自分自身が中心となる生活を送ってきました。天運を離れて自分自身が中心となり動く者となってしまいました。このことを反省し、天運に対応するための本質的な心の叫びに従って導いてください。本心の動きが私の体を刺激して、天が取り戻すことができる本質的な自我を見つけることをお許しください。

 そして、私達が喘息する人類のために嘆き悲しんで、天地の全ての嘆きを和らげ、謙虚になってお父様の前で礼拝できるように、私達をお父様の愛する子供たちとして立ててください。愛するお父様、切にお願い申し上げます。
   29
 ここに集まった全ての子供たちを、一人一人手厚くお受け取りください。彼らは1週間中、世界と戦って傷跡が残っているかもしれません。彼らの心と体は、お父様の意志を完全に信じたいと思っていますが、サタンの策略によりサタンの犠牲者になった人々もいますが、それを容認してください。

 彼らが受けた傷を癒すことができるようにお許しください。お父様の慈悲の愛で抱きしめてください。愛の油を注いで、完全にしてください。お父様、切にお願い申し上げます。

 今、私達がお父様に差し出す贈り物がなくても、柔和で謙虚な心をお父様の前に出し、体と心に染み付いている全ての罪を告白して悔い改めることができるように、この時間をお許しください。お父様の前に真っ直ぐに立てる様にこの時間をお許しください。尊厳あるお父様の愛が運行する力に自然に吸収され、お父様と一体化した波動の歴史を体と心で感じることができるこの一時をお許しください。お父様、切にお願い申し上げます。

 今日ここに集まった僅かな群れを育ててくださったお父様、これまで私達が困難な道を歩むときに一緒に歩んでくださったり、孤独な時に友達になってくださったり、争うときに盾になってくださったのは、私達が優秀であったからではなく、お父様の隠された愛の大きな光と大きな慰めが共にあったからです。ですから、今日この命を託してお願い申し上げます。

 お父様、お父様の望まれる意志をこの時、愛で表現してください。お父様が主張される意志を、私達がお父様に代わって尊敬し、称賛することのできる恵みをお許しください。私のお父様、家族があちこちに散らばってお父様に向かって礼拝の祭壇を築き、天の前で祈っておりますから同じ恵みと愛で現れてください。それによって、最後に残され、任命された使命を与えられた場所で遂行することができるように許可してください。全体が繁栄の中心を崇拝できるように許可してください。
   30
 三千万の人々の前に、新しいみ旨を伝えることができるように許可してください。刺激的な新しい衝動を引き起こして、悪い道に行かないように、善い道へと導いてくださりお父様の愛の手を現してください。愛の力の歴史を示してください。私の愛するお父様、熱望し、望んでおります。

 集められた子供たちを一人でも捨てない様にしてください。お父様の愛の腕に抱かれ、許された全体の指導的な歴史を彼らが同じ恵みとして感じることができるようにしてください。愛するお父様、熱望し望んでおります。残された時間をお預けいたしますので、主管してください。
主の御名によってお祈りいたします。アーメン。

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人生訓読 総合トップメニュー

2023年04月28日 15時51分49秒 | 学習

 人生訓読の総合トップメニュー      

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1.  原理講論 

2 天聖経 全16編 メニュー    

3 平和神経    

4 天国を開く門 真の家庭    

5 平和の主人 血統の主人    

6 世界経典    

7 家庭盟誓    

8 文鮮明先生御言葉選集 メニュー(編集中)    

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 ・父の祈り

 ・栄光の王冠

 ・完全投入

 ・聖歌

・主の路程

第四十四回「真の神の日」を迎えた天基二年天暦一月一日(二〇一一年陽暦二月三日)  

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注) 
このサイトは自己学習の為に制作しております。

「御言葉選集」は独自の翻訳ですので間違い等が有ればご指摘頂けると幸いです。

 また日本語の文中にも誤字や脱字等が見受けられる事が残念ながらあります。お気づきの時は「何処の章のどの項番に有る」旨をコメントにてご指摘下さると助かります。

より良い文面作りにご協力を感謝申し上げます。


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御言葉選集1(2、3、4)

2023年04月25日 14時31分33秒 | 学習

それでは、このイエス様、今日私達が信じているイエス様を祀るためには、どうすればよいでしょうか。いつもイエス様の責任を消す者になってはいけません。


それでは、私達はどんな人になるべきですか? イエス様は4千年の歴史を担当し、当代の人類を担当し、亡くなってから2千年の間人類を担当してきました。私達は今イエス様の責任を消す様な生活をしてはいけません 。


そして私達は自らのお父様に、「2千年間責任を持ってきたイエス・キリストの難しさを知っています。」と言いながら、今日も私達のために、世界のために責任を負っておられるイエス様を第一に考える事と知っておくべきです。


これらの事が誰のためだったのでしょうか!
間違いなく私達のためです。ですから、私達はこれを踏まえてイエス様の前に頭を垂れることを知っている人にならなければなりません 。主よ!と呼びながらも骨が溶けるような心情、肉が溶けるような心情を感じてみなければなりません。


神様は初めて4千年のみ旨に責任を負うイエス・キリストを抱いて、「あなただけが私がしなければならない責任を負っているのです」と言えたということです。それで、全てを信じて全てを任せることができました。全ての責任の内容を覆すことができる場で、神様はイエス様を扱われたのです。

   1

 それと同じ様に、神様の前に立てられたイエス様と同様に、私達も全体の責任を余儀なくされると知っておくべきです。責任あるそのことが難しいなら「難しいそのことを私に任せてください。」と言える心情で、神様とイエス様の前に現れ、「念願されるその心情を私を通して示してください。私をご覧下さい。」というべきことを知らなければなりません。


 こういう人達が終わりに残る群れだということです。このような群れが出ていないとしたら、神の一人子イエス・キリストが2千年にわたって人類のために責任を負ってきたその目的をどこで成し遂げるのでしょうか。神様の一人子として命をかけて責任の路程を歩んだイエス様が責任を負うことを知っている人々を見つけられないならば…。


 ですから、私達は『イエス・キリストが「十字架上の歴史に対する責任と現実に対する責任と未来に対する責任を負う」と神の前に誓った責任を私達に任せてください。』と祈るべき時が来たということです。


 私達はこの日まで生きて、天の前に責任を返すことが多かったのです。しかし、今は4千年にわたって残念な思いを持って来られた神様の心情に代わって、地上で責任の王として歴史的なすべての責任を果たしてきたイエス・キリストの代わりにその責任を負って戦う時です。


 「サタンと数千万人の人間が歓迎しなくても、私が代わりに責任を持って戦うだろう。」と祈る人が出なければならないということです。こういう人々が出てこそ、イエス様が安息の園で休むことができるのです。

   2

 今日の終わり、この時に聞こえてくるのは、私の命のアピールを聞く者が誰だと? という言葉です。神の命を受け継いだイエス・キリストの命の懇願を聞く人は誰ですか。天はそんな人を探しているということです。


 これまでイエス様は万民のために神様の前で祈ってきました。ところが、イエス様が休んでおらず、まだ祈っておられるのは、イエス様に対する何かが間違っているからです。また、イエス様が父の前に立てない場でおられるからではありません。これら全ては私達の故です。ですから、2千年間活動されたイエス様のために、皆さんは何よりも生命を断っても命の責任を果たそうとしなければなりません。


 イエス様が十字架上から帰ることによって、命の責任がこの地上に残っているというのです。この残された命の責任を果たさなければならない時が再臨時代だということです。この生命の責任を持てる人が現れることで再臨時代は始まるのです。彼は歴史的な生命の責任と未来の命の責任を持てる人なので、皆さんは最後の戦いで彼と共に戦わなければなりません。


 神様は愛されるイエス様を立てて、信仰のイエス様を通して、あるいは真理のイエス様を通して人間達を愛することを願っておられます。私達を愛することを願っています。


 今日、私達は心で信仰のイエスを模倣しようとするとき、「はい。そうだ」と言えるはずです。勝利されたイエス様を模倣しようとする時、「そうだ。」責任を持っているイエス様を模倣しようとするとき、「はい。そうだ。」と言えるはずです。皆さんがこんな人になれないとしたら、これまでどれだけの時を、どんな時間も休めなかったイエス・キリストがどうして休むことができますか。

   3

 ですから、神様が自慢され立てられたこの条件を皆さんが代わりに引き受けなければなりません。そして霊界に行ったイエス様の誇りの条件をこの地上で成し遂げる皆さんにならなければなりません。神様が自慢できる皆様にならなければなりません。


 まずは信じられない世界で信じることを誇らなければなりません。そしてサタンとの戦いで勝利したことを誇らなければなりません。責任のないこのような世界で責任を負うことを誇らなければなりません。


 ですから、神様の誇りが霊界のイエス・キリストを通して地上の私達に現わされ、地上の私達を通して万物にもその誇りが及ばなければなりません。そうしてこそ、神様が創造の理念、人間を万物の主人公として立て、万物の前に誇ろうとしたという意味がなされるのです。そうすれば、初めて人間と万物が誇る神様に感謝の礼拝をささげることができるのです。このような全体的な責任が私達にあるということです。


 今日、私達はあまりにも不便です。私達が持っている信仰も見えません。ですから私達は今後、人間がサタンと戦わなければならない時、「お父様、この世界の万人がサタンと戦って勝てる様に力を与えてください。全人類が責任を負うことができる様にしてください。」と祈らなければなりません。そして全ての敵を迎えて一人で戦って勝利して、「お父様、喜んでください。」と言える様になるはずです。


 世界の全ての責任を負っていく姿を神様にお見せするのです。億千万人、あるいは千千万聖徒達と被造世界の前に責任を持っていく中心を誇ることができる人を通して、地に対する神様の恨みを解怨することができ、そのような人を通して神様の御心を広げることができるということです。これを皆さんは確かに知る必要があります。
 祈りましょう。

   4

<祈祷>
 お父様! これは私の責任であり、私を見ても私の責任であり、世界の邪悪なことを見るとき、涙が止まっていないのがイエス・キリストの生涯だったことを知っています。


 今日、私達は邪悪なものを見ても感覚がなく、迷い悩み悲しみに苦しんでいる若い心情を抱いて責任を感じざるを得ません。敵を倒そうとする心とその思いと苦しみがなかった私、また戦おうとしなかった私、全能の神様を信じられなかった私でした。天に対するイエス・キリストの忠誠を知らなかったのです。


 お父様、この夕方の一時、少数の群れを前に置いて勧告しました。イエス・キリストを立てて誇りに思っていたお父様の御心が使徒達を通して、歴史を経て今日の私達につながり、その意志が私達から伝播されることを望んでいることを知り、生命を得たという歓喜に加えて千千万聖徒達が歓迎できる中心的な責任が今日私達に任せられていることを知っております。


 今、私達を、天地と万物、イエス・キリストの恨みを解くための供え物になる様に許してくださり、誠心誠意を尽くす慈しみのある子とになる様に許して下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。


 十字架の道を通って新郎新婦の理念を立てられまし た。この内容をどの程度まで深く知る事ができるかということが問題であることを知りました。

   5

 お父様がこの時間を勧告してくださったので、今日私個人と、私達に天の解怨ための責任が任されており、天の恨みを解放するための戦いが私達に終結しなければならない事情があることを知って頂くようにお願いします。これを知り、誰よりも実践するという心、お父様に感謝できる心だけを持たせてください。


 十字架を持っても感謝させてくださり、億千万サタン達と戦うとしても父の前に卑屈な者にならない様に許してください。十字架につく場所に立ってもお父様! 私がいるので、心配しないでくださいと言える子ども達になれる様に導いてください。難しい場所に置かれている子供達を見て、寂しいお父様を慰めることができる子供達になることを許してください。


 御言葉が彼らの生命と道になる様に働いてくださり、彼らの生活中心に訴えて生きていく中心と標準を見つけることを許してくださり、不変の信仰と命の中心を持ってお父様の前に進むことができる様に導いてください。どうか、そうできる様に御言葉の創造の歴史をかけた心情を許して下さる様にお願い申し上げます。
 この御言葉を主の御名によってお祈り致しました。アーメン。







御言葉選集 1 - 3. イエス様は私達を探しています (1956年5月20日)
1956年5月20日(日)、前本部教会
聖書拝読 マタイによる福音書 18:1-14


 この時間に話そうとする内容は、この様に「イエス様は私達を探している」と言うことです。 このようなタイトルで申し上げます。


 神様が4千年間働いて準備された人として、地上に来られた方がイエス・キリストです。このイエス・キリストは神様の御心に代わって、神様の切ない心情に代わって地上に残された数多くの人類を生かすために来られました。

   6

 堕落した後、私達人類は神様の前にいて、どのような場所に立ったのかというと、四十九頭の羊の中にはなく、迷子になった一匹の羊と同じ立場に置かれています 。


 天にある千千万天軍天使も一匹の羊のようなアダムとエバを失ってしまい、神様の前にうれしい賛美をささげていません。この様に天軍天使達が喜びの賛美をささげることができなかった人間を再び探すために、神様はこれまでにご苦労を重ねておられます。


 イエス・キリストは、神が4千年にわたって探して見つけられた存在として地上に送られました。そのようなイエス様は、万民の前に善の先祖として、死亡した中にある私達人類を生き返らせるために真の父母の立場に立って苦労の歴史を重ねています。


 今日、私達がイエス・キリストを神の4千年の摂理歴史の過程で神の唯一の独り子として建てられた方です。


 それでは、イエス・キリストを中心に立てるために、神はどの様にされましたか? 世界人類について摂理されたそのすべてをイエス様に任せられました。こうしてイエス・キリストは新たな中心に立てられて、万民を責任を持って救うべき立場に立つ様になりました。イエス様がこういう立場に立つ様になった時、彼の心と体は言えない寂しさに浸りました 。

   7

 それでは、イエス・キリストが今日私達を見つけてくださるのにどのような過程を経て、求めてこられたのでしょうか。神様は4千年の歴史を通して人間を救うための御言葉を立てられました。


 そのため、ユダヤ教の信者達は、預言者達が訴えていた証の言葉を通して、メシアを迎える準備をしてきました。それが旧約聖書の歴史です。この様に準備された地上に来られたイエス・キリストは、神様の前に旧約聖書の4千年の歴史を善の歴史として終結させなければなりませんでした。ですから、彼が話される新しい御言葉は、神様の4千年復帰摂理路程に絡み合った苦しみが込められた御言葉であり、同時に、億祖創生達が信仰路程を行く上で知るべき千輪の法度を明らかにした御言葉でした。


 しかし、イエス様が発表されたこの新しい御言葉を、多くのユダヤ教の信者達が耳を傾けて聞いて信じなければならないにもかかわらず、信じて貰えずに、この信じられない群れを眺めるイエス様の心情はどのようなものでしょうか。イエス様は悲痛な心で訴えられたことを皆さんが知らなければなりません。


 今日まで、天は私一人を探し、罪の中に陥っている私達人類を再び探し立てるために長い間苦労してきました。旧約時代には,預言者達を通してイスラエル民族に旧約律法の言葉を与えました。そして 4千年の悲しい歴史を解怨するためにイエス・キリストを送って、新しい真理の言葉を発表しました。しかし、その御言葉をユダヤ民族が信じてくれ ないことで、神様の心情を慰めることができず、神様の穏やかであるべき心情を自分の心から慰めなければならない結果になったことを皆さんが知らなければなりません。


 ですから、イエス様は、行くべき方向を知らずサタンの中にある群れの前に現れて行くべき方向を示し、生きる道を教えてくださいました。しかしイスラエルの民はその言葉を受け入れませんでした。そうして私達人類は人生の方向も失われ、神様が立てられた4千年の苦労の祭壇も崩壊してしまったということです。もし神様の御言葉の上でイスラエルの民族が一つになったならば、彼らは神がくださった御言葉によって結実され、神は彼らを再び子として抱かれたでしょう。

   8

 イスラエル民族がイエス様がくださった新しい御言葉を信じずに一つにならなかった故に、イエス・キリストは悲しみの御言葉を残していきました 。ですから、百匹の羊のような立場に立つべきイスラエル民族がどのような立場に立ったのかというと、迷子の一匹の羊のような立場に立てられており、私達も同様の立場に置かれています。


 私達は、一匹の迷子の羊と同じ立場にあるイスラエル民族を扱ったイエス様の心情を知る必要があります。失われたイスラエル民族を捜し立てるために、イエス様は悲しい心情をもって御苦労されました。


 今日、私達が知る必要があるのは、天は一人の人を探したてるために4千年の間、儘ならぬ心情を抱いて摂理されてきました。


 それでは、イエス様は30年以上の生涯にわたってどんな御苦労の道を経ましたか。イエス様は神様の御心が現れることを願いながら、30年間の私生涯期間に準備してくださったのです。その期間が過ぎた後、新しい御言葉を持って現れて伝える様になると、イエス様は喜びを感じる中で御言葉を伝えたのではなく、天の悲しみを抱いて御言葉を伝えました。


 「私に従ってください。」という言葉、「私を信じなさい。」という御言葉など多くの御言葉をしましたが、その悲しい心で訴える声を聞いてくれる人々は極めて少なかったのです。

   9

 そのような環境で、イエス様は悲痛な心情を抱いて30年の生涯を過ごしました。神様の御言葉を求めている人を探して来たという事実を知る必要があります。


 ですから、今、皆さんはイエス様が訴えていた御言葉の内容が何なのかを知って、自分が行かなければならない方向を見出さなければなりません。


 皆さん自身が天の前に失われた一匹の羊のような立場にあるにもかかわらず、自分が行かなければならない方向も知らず、自分がどんな所にいるかも知れず、世界がただこのまま続くと分かっているなら、皆さんは大きな誤解をしているのです。


 皆さん自身はよく分からないかも知れませんが、イエス様は生まれて以来、これまでの2千年の歴史過程を経て、悲しい声で叫んでおり、その召しの声の音は皆さんの願いになっているということです。


 切実に訴えるイエス様のこの声を皆さんは無視しますか? 聞けない者がいるなら、同じ恨みの心でも持っていなければなりません。皆さんの中で呼ぶ声を懐かしく思わない者がありますか? この声を見分けるためには心を分別しなければなりません。あるいは呼ぶ声を皆さんが聞いたとしても、体が丈夫でなく動けない時は、そこに向かって心を集めることができる私にならなければなりません。

   10

 神様は、失われた羊と同じ立場にある今日の私を探すために孤独であり、その歩みが一日でも、一年でも、百年でも、六千年をかけて訪ねて来られました。天地の上の失われた羊の群れを探すために努力してきた6千年の歴史は、天の大贖罪史でした。


 私達人間への神様の召しは、声を聞くことができない場合は、実体の神様となったイエス・キリストを通して見せてくださり、実体となるイエス様に神様の無形の心情を示す様に宣言された御言葉が現わされた福音の御言葉でした。


 人間が無形でおられる神様の心情を知らず、神様の声を聞くことができないので、これを解決するために神様の実体として現れたイエス様でした。また、彼が伝える御言葉を聞いてイスラエル民族がイエス様に来て、4千年間知らなかった神様の真の意志を知り、神様の心情を感じて悔い改めるべき立場であったにもかかわらず、イスラエル民族は悔い改めずにイエス様を遠ざけました。


 ですから、今、皆さんはイエス様の悲しい声を聞くために準備しなければなりません。そのためにはどうすればいいですか? 皆さんが世の中のすべての言葉をよく聞く様に、本当に神様の心情を代わりにして、神様の御心の代わりに万民の前に現れたイエス様を信じる心を持たなければなりません。

 イエス様は無形の神に代わって来られ、4千年の間、天の前に寂しさだけを与えて来た無知な人間に代わって贖罪の道を歩みました。この様に、イエス・キリストを悲しい場に立てて再決心させられた神様の心情を皆さんは計り知らなければなりません。

   11

 イスラエル民族が心を広げて、切ない神様の内的心情に代わって訴えるイエス様を聞きき入れていたら、実体として現れたイエス・キリストの悲しみにさらされて叫んだ御言葉を問題なく聞いたことでしょう。しかし、イスラエル民族はどうでしたか? 旧約聖書に現れた言葉だけで満足しようとしました。神様の最後の御言葉が旧約聖書にすべて記されていると思いました 。


 神様の悲しみはこれだけではありません。イエス・キリストを立てて神様の内的心情を実体に見せて証しする時にこれを悟れなければ、天の愛が地上の悲惨さにつながることをイスラエル民族は悟りませんでした。


 無形の神様が4千年にわたって苦しんだその憐れみを地上で喜びとして解怨しなければならなかったイエス・キリストでした。それを皆さんは知らなければなりません。

 神のご意志に代わって、4千年の働きに代わって地上に来たイエス・キリストは喜びの御言葉を発表できませんでした。ですから、イエス様以来2千年の歴史が経過しましたが、今日6千年の歴史を通して考えると、まだ神様の悲しみとイエス・キリストの苦しみは地上に満ちているのです。

 今日、私達はこれらの神の悲しみとイエス・キリストの苦しみを知り、今、神の喜びの御言葉とイエス・キリストの御言葉を伝えることができる筈です。イエス様が私達を見つけた目的は御言葉を伝えようとする事だけではありせんでした。

   12

 失われた羊の群れのような私達を見つけるために御苦労される過程では、悲哀の御言葉だけではありません。6千年にわたって悲哀の御言葉が溢れていた中で、失われた羊の群れを訪れるその瞬間には、6千年の悲しみを忘れることができる喜びの御言葉が現れなければならないのです。皆さんはその喜びの御言葉が天から現れると思いますが、それは大きな誤解です。

 今、私達は2千年にわたって苦しんだイエス・キリストの心の前に、私達を訪ねて来て下さった主の前に愛されることができる羊の群れになるべきです。悲しみのイエス・キリスト、傷ついたイエス・キリストが叫ぶ声を聞いても、叱られ、方向も解らない者になってはいけません 。

 イエス・キリストが悲惨な思いで訪ねて来られて悲しみの声で皆さんを呼ぶ時、皆さんは眠っていてはいけないということです。それではどうすればいいのでしょうか? イエス・キリストの悲しみの声が聞こえる前に、皆さんが最初に叫ばなければなりません。私が最初に、「あなたは私の羊飼いです! 主よ!」 という声が天地に木魂しなければならないということです。

 そうすれば、皆さんを訪ねて下さるイエス様は、皆さんが叫んでいる声を聞き、再び叫ぼうとする時、悲しい声ではなく喜びの声で叫ぶでしょう。皆さんはそのような立場に立たなければなりません。

   13

 今日、私達はイエス・キリストの悲哀の心情を証明しなければなりません。羊飼いを失ったことを悲しむだけではなく、失われた羊飼いを探すために叫ぶことを知らなければなりません。

 この様に叫んで呼び集められたイエス様の前に一歩であっても責任を負うことができる存在となってこそ、このイエス様の前に喜んで頂けることができるでしょう。今日、イエス様は悲哀の声で私達を探しており、また私達を見つけるために苦しみの生活を重ねているという事実を皆さんは知る必要があります。

 人類を救うために4千年の歴史に代わって歩まれたイエス様は、人類全体の救いの摂理によって良い生活もできませんでした。苦しみの生涯を経て今日私達を訪ねてきているのです。

 皆さんが知っている様に、イエス様の30年以上の生涯は苦しみの生活でした。大工のヨセフの息子としての30年の準備期間における彼の生活は、外的にも内的にも苦痛の生活だったということです。

 皆さんの様に快適にも自由にも生活できませんでした。万民の様に生きたと知っているのは大きな誤解です。義父のヨセフとマリア、そして弟達にまでも非難される位置で、イエス様は御言葉があってもやりきれない苦しみの生活を送ったというのです。イエス様の苦痛はイエス・キリストの神のための苦痛ではありませんでした。

 4千年の間に苦労された神様の心情に代わって、私でなければ失われた家庭を再び探す者がいないことをご存知で、一片丹心の天に対する心だけで切実だったのです。そしてその様な環境のなかの自分として、凄惨な環境で闘争する群れを見て、イエス様は困難と悲痛の生活のなか、4千年間、神様に代わって御言葉を持って理想世界を成し遂げるために命を捧げて戦ったのです。

   14

 生まれた時からきちんとした扱いを受けなかったイエス様は死ぬまで荒野の生活のような孤独で大変な生活をしました。こういうイエス様の外的な苦痛も苦しみですが、外的に現れなかった内的心情の中に隠れた苦痛というのは、神様のみが知っています。

 イエス様を信じて従うべきイスラエル民族にみ旨を知るべき人はおらず、知らなくてもいい人が集まりました。このようなイスラエル民族の中で、イエス様は本郷の生活を見逃したのです。

 彼が食べて着て飲んだ生活は自分のための生活でなく、一身の安息のための生活ではありませんでした。彼の食べて身に着けて飲むことのすべては、イエス様自身を越えて神様のために、世界の人類のため、民族のためのものでした 。

 ところがそのようなメシアの事情を知った人は一人もいませんでした。孤独なイエス・キリストの心情を抱き、イエス様の心を私が知り、イエス様の心情を私が知り、あらゆる場所に従い、イエス様の心を慰める友達になろうとする人がいなかったということです。まさに慰めなければならない弟子達も、イエス様の隠れた内的心情を慰めてあげられなかったのです。

 ですから、イエス・キリストの30年余りの生涯は、苦しみの生活で占められました。福音を宣べ伝えた3年の公的愛の路程が始まった日から、彼が伝えた御言葉は私的な御言葉ではありませんでした。自分の利益のための御言葉ではなく、自分のいかなる能力を示すための御言葉でもありませんでした。神様の御心を成し遂げる為の御言葉だったのです。

   15

 ところが、これらの御言葉とみ旨を持って来られたイエス様を、民族全体に代わって知り、友達になる人がいなかったのです。ですから、イエス様は村で一人きりであり、民族全体でも一人きりだったのです。今日、皆さんは快適な場所で神様の御言葉を聞くことができる環境にいます。皆さんはこの様に自由な環境で神様と接することができるこの時を逃してはいけません。

 イエス様の当時は御言葉を伝えるのにもこっそり伝えなければならず、御言葉を聞くのにも隠れて聞かなければなりませんでした。ですから、彼らが行くところが荒野だったのです。そんな中でもイエス様は数多くの群衆を荒野において神様の御言葉を伝えようとしました。それでも、神様の御言葉を宣べ伝え、神様の御心を成し遂げようとしたイエス・キリストの心情を皆さんは知らなければなりません。

 この様に、イエス様は多くの人の群れに福音を広めましたが、それを歓迎する人は一人もいませんでした。福音を伝える心がいくら伝えても分からない人が多かったのです。イエスが与えられた使命と責任を果たすために苦労すればするほど、それを妨害する者が多かったということです。

 その様な状態で、一日中この群れに荒野で叫ばれていた哀れなイエス・キリストは、再び天の前に訴えるためにオリーブ山の険しい道を訪ねていきました。従う弟子達はまばらであり、一人で神様の前に進み、自分の傷ついた心を癒しながら、再び第二次にサタンと戦う力を補うためのイエス様の苦労を皆さんは考えなければなりません。

 イエス・キリストは30年余りの生涯を費やして苦痛な生活をしたことを知る必要があります。ただそれだけではありません。イエス様の苦しみが30年余りの生涯の苦しみだけで終わったと言う事は大きな誤解です。今日、霊界に行ってもイエス・キリストは苦しみの中にあるのです。

   16

 2千年の歴史が延長され、神様の御心を成し遂げなければならない一つの目的を持ち、摂理の中で神様の御心を代行するイエス・キリストは、今日この時間までも苦しみの生活をしています。その苦しみの生活が繋がり、今日に繋がっています。

 それでは、この一つの苦痛をどこに行って解決するのでしょうか。今日、この地上だけではありません。この地上だけが絶対ではありません。今日を責任を持つことができる皆さんを通して、その苦痛と苦労の中での恨を解かなければならないということです。

 ですから、イエス様は永遠の摂理路程での苦しみを皆さんの前に歴史的な時間的距離を置いて示されたのです。皆さんがこの事実を知っているなら、皆さん自身はイエス様の苦しみの手を握って慰めることを知るべきです。そうして憎しみと悪口を言われていたイエス・キリストの心情の恨みを代わりに背負って慰めるべき責任が今の皆さんにあるというのです。

 しかし、皆さんがそのような立場に立つことができなかったならばどうすればよいでしょうか。皆さんの環境でイエス様の苦しみを感じる事が出来る様にならなければなりません。皆さんの生活の中でイエス・キリストの苦難の生活を知らなければならないということです。

 それではイエス様はどんな罪があったから、30年余りの生涯の苦難の生活、苦痛の生活をしなければならなかったのでしょうか。罪があるなら、神様の前に万民を救わなければならない救い主として立てられた罪しかありません。こういうイエス様が万民のために苦しんで。万民のために哀れでであった事を知らなければなりません。そのようなイエス様について今日、私達は悔い改めの心を持たなければならないということです。

   17

 皆さんの生活の中でもイエス・キリストの30年余りの生涯の苦難の跡が残っています。皆さんがこれを収めなければなりません。馬小屋で生まれた時の苦難からゴルゴダ山上までの苦難、そして復活後の2千年の苦難の跡まで全部収拾しなければなりません。このような全体的な意味を皆さんは知らなければなりません。

 イエス様の悲しみは激しく叫ぶことで終わりませんでした。苦難と苦労の生涯を経ても終わらなかったのです。今日、人々はイエス様が苦しみの生涯を経て、十字架にて終わったことを知って、皆さんは死を覚悟し、イエス様を悲しみから救うべきです。

 この様に、イエス・キリストは私達を探し出すために6千年の歴史が過ぎた今日まで苦しみ、恨みに綴られた道を行きました。

 イエス様は30年余りの生涯を終結する十字架の死の道に進み、死が迫ったとしても、「天のお父様、出来る事ならこの杯を過ぎ去らせて下さい。」と訴えました。4千年にわたって苦労した多数のクリスチャン達が叫んだ血の訴えは、イスラエル民族によって解怨されなければなりませんでしたが、それに応える道理すらなかったということです。

 ところが、これを民族に代わって歴史的な血の訴えの代価を払って蕩減された方がイエス・キリストでした。アベルの血が流され、訴えたときに血を流された時と同じ様にそれまでの多くのクリスチャン達が、血にまみれてイスラエル民族に対して訴えた条件がイエス様によって解怨されたのです。4千年にわたって訴えていた声が、4千年にわたって数多くのクリスチャン達の訴えの目的がイエス様の死で終わり、死んだ後の復活によって完成されたということです。

   18

 イエス・キリストの復活によって、この地上に血を流して行った先祖達の恨みの解怨が成し遂げられたのです。その様にして、初めてイエス様を前に立てて天の前に崇拝することができる様になりました。

 イスラエル民族が天を信じて受け入れることができず、それまでに犠牲になった預言者達の血の訴えを完結したイエス様は、同時に後代に何を残したのでしょうか。イエス様は後代に十字架の死によっての「血の道」を残しました。それで今日、皆さんの心にイエス・キリストの死の血が残っているのです。

 ですから、皆さんがイエス様の前に立つ様になったとき、また皆さんの一生を見ると、皆さんの一生にも血の跡があったことを感じるでしょう。これは、預言者達の血の懇願に対する答えであり、イエス・キリストの血の訴えに対する答えであることを知っておくべきです。ですから、十字架の死を通してもイエス様が私達に来る様に言われた時には、私達は逆に十字架の歩みを通してイエス様を探しに行かなければならないのです。


 今、皆さんはイエス・キリストがゴルゴダ山の十字架で疲れて果てながら訴えた情熱が皆さんの体の中で脈打っていることに知らなければなりません。

 イエス・キリストが十字架をかけて皆さんを探し出してくださったのですが、皆さんは今までその様にやって来たイエス・キリストの苦労を知らなかったし、十字架をかけてイエス様を呼んでもいませんでした。死の道を歩んだイエス・キリストは、十字架を通して私を訪ねて来られ、今もなお私の為に叫んでおられ、私の為に無限に訴えており、苦しみ、死の道を歩み、私の為に苦労しておられます。

   19

 今、私達は十字架を通してのイエス様を知っています。今日、私達はイエス様の恨を解怨しなければなりません。この恨を解怨せずには、イエス・キリストを掴んで「私の新郎」とは言えません。

 ですから復活直後にマグダラのマリアが「ああ、主よ!」と言った時にイエス様が否定した理由がここにあったということです。そのため、マグダラのマリアが復活の主に会ったその日から天国生活をしたかったのですが、天国生活が2千年間遮られていたということです。このような残された十字架の恨みを知り、残された十字架の恨みを私達が解怨しなければなりません。

 この様に十字架を越えて私達を探してくださったイエス・キリストが残したものは何ですか。イエス様はこの地に新郎新婦という名詞を残されました。それで今、皆さんの祈りの中で、主は新郎として現れます。皆さんは花嫁で主は新郎として、そんな姿で皆さんに現れるのです。新郎として現われる主にお会いするとき、皆さんはいつも十字架の血の対価を考えなければならないということです。

 今残ったことが何でしょうか? 私達に主がもう一つ探して下さるべきことは、十字架を廃して万代の後孫に祝福を与えることができる道、十字架を越える道を探さなければならないのです。十字架を越えてイエス様が自由に私達に現れることができなければ、十字架を切り離してしまい、この一つの恨みを解放しなければならないのです。「わたしの働きを通して、祭壇を通して、天地を通して十字架による恨を解怨する」と言う一つの不変の基準を立てる迄は再臨の歴史は完成しないのです。

 この様にしてくださったイエス様は、今日私達に何を残しましたか。悲しい生活を通して、苦しみの生活を通して、十字架の死を通して私を探し出した後に私達に残したのは何ですか? イエス様は私達に命の光を残しました。イエス様が命をかけて私達を訪ねてくださったのですが、どんなプレゼントを持って来られたのかというと、暗い世界を照らす事のできる光を持って来られたというのです。それで、私達がイエス・キリストの死について感謝の涙を流してイエス・キリストの心情を知り、イエス・キリストの事情を知ったのです。

   20

 次にイエス・キリストは私達に何を残しましたか。水と油を残しました。苦しめられ、傷つけられた私達を癒す為に、イエス様は私達に何を残して下さったかというと、水と油を残してくださったというのです。

 私達はイエス様が残してくださった光をして、自分の傷を知って水と油でそれを洗わなければならず、自分が罪人であることと裸の体であることを知って礼服を備えて着なければならないのです。こういう時代になったということです。この様に、皆さんが自分の心情に、心に灯りをもって自分の罪をきれいに洗い、傷を治し、礼服を着た後で、2千年前に亡くなったイエス様の願いを、今日の皆さんが成し遂げることができるということです。

 今、私達は心の灯りをもって水で体をきれいに洗い、傷に油を塗った後に許された礼服を着て、イエス様が十字架を越える事なく、私達自身が十字架を越えてイエス様に礼拝をささげなければなりません。これが地上で人類がしなければならないことです。

 イエス様が十字架を越えて来られることを望まないでください。イエス様が来られるのではなく、皆さんが命の光を放つ存在となり、次にすべての力を備えて永遠に不変な価値の光に代わって、礼服を着て十字架を越えて、イエス様と一つとなって、神様が永遠に安息出来る様にしてあげてください。そして崇拝することができる愛する花嫁とならなければなりません。神様はこの様な花嫁が出て来てほしいと願っておられるのです。

 皆さんは今イエス様が残した恨を解放しなければなりません。イエス様から心の光を継承し、イエス様から水と油の賜物を受け、その後はイエス様の服を着て…。この礼服は皆さん一人一人にとどまるのではありません。皆さんに留まるのではなく、皆さんをして生命の光を受け、水と油の賜物を受け、礼服を着ることで、神様の前に花嫁になることができる人が多くならなければならないということです。

   21

<祈祷>
 愛のお父様! 6千年の歴史がこの様に険しいと感じながら、お父様のその心情、お父様のその心の前に恐怖を感じる者になる事をお許しください。罪の中でどんな罪が一番大きいのかを知らなかったのですが、知ってみると、お父様がくださった光を私のものだけと見なすのが大きな罪でした。礼服を着れなかった事が大きな罪で有る事が解りました。

 今日この場に集まったお父様の子ども達が自分が直接罪を犯すよりも一人の生命に犯罪させること、イエス・キリストの前に残された光と水と油と礼服を残せなかった、これがより大きな罪であることを悟る様にお許しください 。

 お父様、伝えたばかりの御言葉を通して去っていった子供達にイエス・キリストの姿を見せてくださって、呼び集める声を聞かせてください。歴史的な御苦労と苦難、十字架の苦難まで責任を負わなければなりませんから、彼らが足りない座にあり、天の御意を知らず、父が望む御意を知らずにおりますので、お父様、励ましてくださって、まず彼らに御意を明らかにしてくださり、お父様の直接的な声を聞くことを許してください。善の生活をしようとするので、彼らが善なる様に生きていける様に導いて下さる様に、愛するお父様、切にお願い申し上げます。

 主の花嫁となれるようにし、すべてを越えて天の栄光を表わすことができる子供達として導いてくださり、新しい歴史的なみ旨を担当させて下さる様に、愛するお父様、切にお願い申し上げます。

 すべてをお任せしますので、思いのまま主管してくださり、集まった人々の心に現れてくださって、永遠の勝利の栄光に代わることができる子供達として立ててください。アーメン。

   22


文鮮明先生御言葉選集 1 - 4.  天地の為に来られ、帰っていかれるイエス(1956年5月23日)
1956年5月23日(水) 前本部教会
聖書拝読 ヨハネによる福音書 14:2-12


<祈り(Ⅰ)>
 幼い子供達が再び生きる道を訪ね、お父様の膝の前に出てきましたから、お父様、お受けください。私達は、宇宙よりも皆さんだと言ってくださったことを知っています。多くの群れがお父様を求めて御前に集まりましたから、お父様、集まったこれらの群れがお父様の栄光に代わることを許してくださり、喜びの祭壇に代わってお父様の御心を知ることができ、お父様の御心情を体恤できるこの一時として許して下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。

 お父様は正しく信じなければならないことを知っておられ,必要な歴史を起こさなければならない立場におられることを知っておられます。今日まで天が私達を信じなければならない、信じて立てなければならない立場におられることを知りながら、お父様は私達を信じる事が出来なかった過去の事実をお許しください。

 御意を知って差し上げなければならない責任も余裕がなかった私達でしたので、お父様、この時間許して下さる様にお願い致します。お父様を信じて頼り、私の命までも捨てることができ、私の生涯までもお父様に率直に置くことができ、お父様が受け取られるのにふさわしい供え物としてこの時間受けて下さることを、愛する私のお父様、切にお願い申し上げます。

 お父様、多くの人の中から見知らぬ私達を呼んでくださったので、お受け下さりお父様の憐れみの愛で抱いてください。
 お父様にこの時間、体と心をすべてお捧げし、お父様の心配される心情を持って振舞うことができる様にお許し下さる様に切にお願い申し上げます。

 6千年間解かれずにきた哀しい天の事情が今日まで続いており、嘆息が今日まで続いている歴史を見ていく時、今日も私達自体がお父様の嘆息の源となっていることをお許しください。お父様の命と願いを理念の実体としてお与えになってくださり、お父様が喜べる命の根として立てる様にお願いします。

   23

 今日ここに集まった子供達を誇りに思って頂き、この時間、今ある心情を全て捧げてお父様の愛を賛美し、千千万聖徒達の前に立った子供達として恥ずかしくないお祝いの供え物になることができるこの時間になる様にお許しください。お父様、切にお願い申し上げます。

 すべてを委ねますので、主管してください。主の名前によってお祈り申し上げます。アーメン。


<祈り(Ⅱ)>
 お父様! 孤独な環境の中でも、それぞれの十字架を背負って天に向かって険しい道を歩いていた子供達が、この時間もお父様の膝の前に集まり、お父様の大きくて高かった愛の賜物を望んでおりますので、お父様、親しく訪れて愛で包んで頂き、疲れた心を慰めてくださり、難しくも新たな心霊を起こして立ててください。

 お父様が私達を親しく接してくださらなければ、私達が行く場所がどこにありますでしょうか? 貧しい子供達ですから、お父様、親しくしてくださり、私達の行く道を親しく導き、注視して下さり、お父様が願われる意志に向かって動いていける子供達になれる様に助けてくださるようにお願いします。

 この時間集まった子ども達の心を、お父様、親しく主管してくださり、各者の心をお父様の前にお出ししますので、お父様、新しい歴史を起こしてくださり、思いやりの心を持って導いてください。

   24

 各自が過去に行動したすべてを父の前に立てて悔い改めることによって、この時、お父様の大いなる愛の歴史が起きる様に、神の賜物を施してください。
 お父様! 私達の前にはまだまだ険しい道が残っておりますので、お父様が親しく主管してください 。

 今見たばかりの幼な子のような子供達を抱きしめてくださる様にお願いいたします。 眠っているすべての子供達を起こし、お父様の前に導く責任を持つべき聖徒達が集まったので、彼らが背負った使命を果たすのに不足がない様に導いて、協助してください。過去のどんな聖徒よりも一層高く歩める子ども達になれるように助けてくださり、サタンまでも愛することができる子どもになる様に導きください。

 お父様の抱きしめに応じてふさわしい歩みをなす子供達として、サタンの嘲笑になる子供達にならない様に助けて下さることを望んでおります。自分を中心に天倫を計る愚かな者にならない様にしてください。

 この時間、父の名前で集まるすべての子供達の上に特別な賜物を施してください。子ども達を早く呼んで下さる道、切にお願い申し上げます。

 この時間にも、お父様を呼び、隠れた祭壇を築き、お父様を求めて渇望する子供達がどれくらい暮らしていますでしょうか。彼らが求めなければならない使命も、この場に集まった子ども達が背負っているので、お父様、そのような使命を果たすに足りる様にしてください。その意を高めてあげられる日が早く早く臨む様にしてください。

   25

 眠っている24億人類をお父様の前に見つけて立てなければならない使命が私達にありますので、お父様、私達にくださった御言葉を持って自信を持って進んでいく際に、随所に生命の炎を起こしてくださり、復活の歴史を起こしてください。お父様の喜びと栄光をこの地上に高めることができる子供達として助けて下さることを切にお願い申し上げます。

 今日まで、何千年もの間、この地の人類の為に苦労しておられるキリストの悔しい心情と、私達の為に父の前に訴えるキリストの嘆きを解怨する責任が私達にあることを強く信じさせてください。

 人類がしなければならない責任を果たす前に、天の基準を捨ててはならない様にしてください。お父様、この時間この場に臨んでくださり、責任を尽くして天の賜物を受けることができる子ども達として下さる様に切にお願い申し上げます。

 すでに背負った使命を再び地に捨てる子供達にならない様にしてくださり、お父様の栄光を最後まで表わすことができるお父様の愛する子ども、お父様の力を表せる子どもとして立てて、結果を表せる様にしてください。

 難しい環境の中で孤独な祭壇を築き、お父様の前に叫び訴える子ども達を、お父様、親しく抱いていただき、記憶してください。そうして見事に御意を受け入れて現れる天の子ども達になる様に許して下さる様に請い願っております。

   26

 お父様、この時間親密に働き、見つめて下さり、永遠の命の歩みを歩いていける命の御言葉を受けてることができる賜物をお許しください。

 この時間の終わりまで一緒にあってください。
 すべての御言葉を愛する主の御名によってお祈り申し上げます。アーメン。



<祈り(Ⅲ)>
 お父様! 愛する弟子達を残し、十字架の峠を越えて永遠の世界に行かなければならないイエス様の心情を知らせてください。その心情を理解することができるこの時間になることを許してください。

 イエス様を心で知り、体で理解して、それに応じることができる私達の心が天にとどまり、地上の人間を動かし、彼の心が動けば一緒に動いて、一つの御意に対して謙遜な供え物で捧げられる愛する子供達になる様に許して見守って下さる様にと切に願っております。

 苦しみの立場で従った多数の群れはすべて落ちて12使徒だけ残りましたが、その中でも近く、自分を裏切るユダがいることを感じたイエス・キリストの心情を私達が知る事ができる様にしてください。人を信じて過ごした3年間、過ごした愛の路程がこの様に寂しい環境に残った時のイエス・キリストの心情を、今日、私達が体と心で感じ取れる様に許して下さる様に願っております。

   27

 お父様! 十字架の死の道を前にして天と一問一答されたイエス・キリストの苦しみの心情を今日、私達が体験できる様にしてくださり、お父様の前に溢れる程の供え物として、彼の心の慰めの相手となれることができる子ども達として立ててください。切にお願い申し上げます。

 今、私達だけを残さないで、お父様と一緒にして下さって、集まったこの一時に訪れてきた一歩が嘆息を醸し出す一歩にならない様にして下さい。そうして私達の命のすべてを、お父様、引き受けて主管して下さる様に切にお願い申し上げます。

 サタンが周りに広がっていることを愛する子ども達が知ることが出来る様にしてくださり、サタンに譲る心の隙を持つ子ども達にならない様にしてください。お父様に向かう正しい身体と心を持たせてくださり、使命感を持って知性と精誠を尽くして勝利の祭壇を築くことができるこの時間になる様にお許しください。

 人間的な認識と人間的な観念を私達の周りの環境の中から除いてくださり、伝える者の心と受け手の心がひとつになって、お父様に喜びと栄光になることを許して下さる様に切に願いながら、愛する主の御名によってお祈り致しました。アーメン。



<御言葉>
 今日捧げようとする御言葉は「天地の為に来られ、帰っていかれるイエス」です。このようなタイトルでしばらくお話しします。

   28

 神様が天地万物を創造されたのは、神様が喜びたいと考えられた事は間違いありません。そのため、まず無形の天使世界を創造し、次に無形実体世界の象徴として有形実体世界を創造しました。そして霊界と実体世界の中心であり代表としてアダムとエバを創造されました。

 このアダムとエバは天地が変わらない限り天地と運命を共にしなければなりませんでした。つまり、天地が動く通り一緒に動かなければならない運命を持ったアダムを創造されました。それでアダムとエバが変わると天地も変わるのです。そして全天地の中心が分裂すると、創造主の中心も分裂する必然的な条件を持って造られたアダムとエバでした。

 このようなアダムとエバが堕落することで、天地の中心がずれ、其れに寄り、創造主の中心もずれたということです。ですから、神様は天地の中心を再び立てて、被造世界にその正しい中心を据えて、創造主の中心と創造された被造物の中心が二つではなく一つになる様にしなければならない立場におられます。そうなると、再び天が嬉しく、地も嬉しく、地が嬉しいなら天も嬉しくなるのです。

 創造主の運命が間違っていない限り、被造世界の運命は変わらないのです。このような被造世界の中心であるアダム・エバが堕落することで、他の万物が乱れ、万物も各方向と中心がずれる様になりました。これを再び回復するための歴史が復帰摂理歴史であり、復帰摂理歴史を重ねて、長い6千年の歳月を経て今日に至りました。

 今日まで、神様の愛の摂理は数多くの預言者を通して現れ、預言者を通して象徴的に愛を示したとともに、その全体的な愛の結晶体として現れたイエス・キリストを通しては実証的な摂理の愛を内外的に見せてくださったのです。

   29

 ですから、彼の心は無形世界の中心に代わり、彼の体は実体世界の中心を代表したのです。このようなイエス・キリストである事を知るべきイスラエル民族が知らなかったので、イエス・キリストを十字架に掛けてしまいました。それ故に、残された天地が暗闇に浸ったという事実を皆さんは知っておくべきです。

 イエス・キリストが来られた唯一の目的が何でしたでしょうか。天地を創造されたお父様の心情を備え、天と地に変わらない永遠の中心を築くことでした。この中心を築く為に、イエス・キリストがこの地に来られたのです。

 ですから、彼が伝えた御言葉は、自分を中心に立てることではありませんでした。エルサレムのどんな民族やイスラエルの一族の部分的な中心を立てようとしたのではありません。

 彼の行動も彼一人だけの行動ではなく、彼の希望も彼一人だけの希望ではなかったのです。彼が望む事は、全天地万物全体を抱える不変の中心として立って、万物を越えて無形世界を経て創造主である神様の心情に代わる所まで進むことであったことを皆さんが知らなければなりません。

 そのような希望を持ったイエス・キリストの御言葉、イエス・キリストの生涯、イエス・ キリストの実践的な行動であった事を皆さんは知っておくべきです。彼の行動は、天と地を新たに建設する出発としての行動であり、彼の御言葉は、その一つの意志を成し遂げるための再創造の歴史を起こす為の御言葉だったことを皆さんが知るべきです。

   30

 30年の準備期間を経て3年の実践生涯路程でアダムが失った天地の不変の中心を再建する為に語られましたが、語られたその御言葉をイスラエル民族が信じられず、霊界と肉界の中心として立たなければならなかったイエス・キリストは霊界の中心としてのみ立てられ、実体的な肉身世界の中心としては立てられずに亡くなったことを皆さんは知っておくべきでしょう。

 イエス・キリストは十字架の峠を越えるまで何を行いましたか。この地に来て30余年の寿命を何の為に苦労したかというと、一次的には地の為に苦労したのです。

 ところが、地の為に苦労した彼の功績で、地上に収めようとした目的が成し遂げられ、霊肉を合わせて地上で成し遂げなければならない一つの中心を一つの実体で完結しなければならないことでしたが、地上で実体の中心とならなければならなかったイエス・キリストの体は十字架に付けられてしまいました。そうして霊的な世界を代表してイエス様の霊だけが完成することによって、復活以来今日まで2千年の歴史は霊界を中心に復帰摂理をした期間になったことを皆さんは知らなければなりません。

 イエス様は十字架で亡くなられた後に復活され、復活して40日間地上で活動された後、再び霊界に行かれました。この様にイエス様が亡くなられてから復活し、復活して再び昇天されたこの事実は、神様の創造の働きを象徴的に見せてくれたのです。

 創世記では、夕方になり、朝になるので、これは最初の日です。(創 1:5)には御言葉があります。そこには夜の時間があるのです。イエス様の墓の3日の期間は、まさに夜の時間と同じ期間です。30余年の寿命は昼間でしたが、イエス様は弟子達を立てる為に30余年の寿命を働かせました。この苦労の過程を経た後に復活されたのは、夜を過ぎて新しい朝を迎えたのと同じことです。

   31

 復活したイエス様は地上に灯りを立てる為に苦労しましたが、地上に灯りを立てられませんでした。ところが地上に灯りを立てる為に復活されたようですが、実像は霊界の中心として復活されたので、イエス・キリストは地上におられず、再び霊界に行かれたということです。これは何を意味するのかというと、夜の期間を過ぎて昼の期間を迎えたイエス・キリストは、再び夕方を迎えて永遠の世界に行ってしまったことを意味するのです。

 それでは、イエス様が人類の為に神様に祈ると言ったのですが、どんな祈りをしていますか。血の汗をかいた祈りをするということです。人類が地上でイエス様を知っていると言いますが、イエス様が霊界に行っても彼らを知らないと言われるのです。

 この様にイエス様が神様の前で知っていると言える立場を作っておかなければ、人類が行ける霊界が父なる前で認められないので、イエス様は今日まで霊界に行って神様の前に私達を知らずに祈りをしておられるということです。これを皆さんはよく知らなければなりません。

 このことを経た後、イエス様が再び来るとき、どうやって来るのでしょうか。来る時には地の仕事と天の仕事を合わせて持って来られます。地の仕事と 天の仕事に神様に代わって責任をもって来られます。ですから、今日、私達も十字架の死から復活し、昇天して天上におられるイエス・キリストが再び来られるまで、そのイエス様が越えられた峠に沿って越えなければならないというのです。

 また、2千年の夜の期間を経て復活の朝にあたるこの時において、イエス様が天が歓迎する一つの中心を立てて再び来られるとき、皆さんはそのイエス様が地に向かって来られることを心で感じなければなりません。

   32

 これまで、私達の信仰の形は、天を眺めながらイエス様を捧げてきました。これが今日までの私達の信仰の基準でした。

 今私達が私なすべきことが残っていますか? 私達は、地の為に代わりに働いている聖霊を慕わなければなりません。皆さんはこれを知る必要があります。これまで数多くの人々がイエス様を2千年間霊的に捧げてきたが、今は聖霊も拝慕しなければならないということです。そうするべき聖徒達であり、私達人類であることを皆さんは知らなければなりません。この様に聖霊を拝慕しなければならない時代があり、花嫁の実体を完成しなければならない時が来ました。

 聖霊は花嫁の神なので、花嫁の形を取り、花嫁の形を成し、私達は敬拝することを知らなければなりません。そうすれば、イエス・キリストは霊界に行って休むことができるということです。そして天地に一つの中心を立てて、再び私達がこの地を中心に探して行くのです。

 心で礼拝を捧げていた私達は、これからは私達自身に働かれる聖霊を拝慕しなければなりません。ですから、私達は霊的な象徴であるイエス様を慕い、肉的な象徴である聖霊を慕って、私達一人の個体から霊的なイエス様をささげる心と肉的な聖霊をささげる体をひとつにする事です。地の中心が私の心と体から合わせられるということです。そうすることで、イエス様も私の代わりに立つことができ、聖霊も私の代わりに立つことができます。これを皆さんは知る必要があります。

 それでは、今この地上に来なければならない主はどんな意味を持って来るのでしょうか。皆さんはイエス様と聖霊の中心を皆さん自身にしておかなければなりません。肉体を持っている皆さんが霊界を象徴し、肉界を象徴したイエス様と聖霊をして霊肉を合わせた一つの実体の中心体として完成しなければなりません。そうでなければ、神の全体の創造の理念が皆さん一つで完結することはできません。このような一つの中心の使命がイエスと聖霊の使命であるということです。この中心を成し遂げる為に、イエス・キリストは再臨されるのです。

   33

 では,今日,私達が今この一つの意志を受け取るにはどうすればよいでしょうか。イエス・キリストがガリラヤの浜辺に愛する弟子達を訪ねて行ったことを考えてはいけません。イエス・キリストは皆さんをいつも見つけて下さるものではありません。皆さん自身が一人の花嫁になり、イエス・キリストを祀られなければなりません。

 イエス様と聖霊は天の中心なので、皆さんの心がイエス様と聖霊と一つになることができる中心を備えることで、地の中心となり、一体として扱えるこの一つの基準を立てなければならないというのです。この時はいつもイエス様を思慕する時ではないということです。今は聖霊の分別された心情を備えており、私達一人一人がイエス様を地上で代わりに探し求めることができなければならないということです。こういう一つの中心を皆さんが見つけて決意して立たなければならないということです。

 この一つの中心を願うイエス・キリストは皆さんの為に聖霊を立てて今日まで2千年間働いてきました。今、皆さんはこの苦労に答えなければなりません。天が霊と肉を代表する中心として、イエス・キリストをこの地に送られ、霊的にのみ完成したという基準を立てましたが、皆さん自身がイエス・キリストを求めて祀って、この残された地の未完成部分を完結させなければなりません。皆さん一人がそれを完結すれば、今日まで苦しんできたイエス・キリスを皆さんの心に祀ることができるということです。

 今日、人類は今イエス様の前に訪れ、イエス・キリストの心に似て、イエス・キリストの体に似て、聖霊の心に似て、聖霊の体に似てきた天地万物の前に自信を持って現れなければなりません。そうならなければなりません。

 そしてイエス様と聖霊の前に誇れる私にならなければなりません。また、次は使徒達の前に自慢できる私にならなければなりません。そうしてお父様の前に出て、これまで6千年間お疲れ様でした、お父様! 6千年の間に敵であったサタンを私の一身から屈服させますので、お父様、今日この時からは私からサタンに対する心配を除いてください、と自信を持って叫ぶことができなければなりません。

   34

 また、この全ての被造の園を覆っている罪悪の嘆息が私には終わりましたので、お父様! 天地に被した嘆息を取り去ってやって下さい。と言える心を持たなければなりません。

 また、堕落以降は神様が6千年間愛する息子・娘を立てても、 一度も愛されませんでした。今日でも、神様は私達自身を愛したい心があっても、心から私達自身を見つけても愛することができないというのです。イエス様と聖霊は私達を訪ねて愛することができますが、神様は私達がその言葉を信じる前に愛することはできません。

 ですから、今日、私達がイエス・キリストの代わりに一つの中心を備えて、「お父様! 今日、この地の人間のすべての罪の嘆きを私が責任を負うので、6千年間人間を愛してあげたかったお父様! 今初めて創造本然の愛で私を愛してください。」と言える存在にならなければなりません。皆さん、自分がお父様の前に進んで「お父様!私を愛してください。お父様!私を愛してください。」と堂々と言える人にならなければなりません。そうしてこそ、天地を創造された神様の御心がイエス・キリストを経て皆さん自らで成し遂げられると言う事です。

 ですから、今日私達、信仰者の責任というのは…。イエス様はこの地の為に来て、天の為にご苦労されて行かれました。この様に天の為に苦しんだイエス様、天地の中心として現れたイエス・キリストの前にある被造世界に代わって、無限の霊界に代わる中心存在で堂々と立つ事ができる存在でなければ、イエス・ キリストが天地の喜びを持って現れる時は栄光の世界に出席し、神様とイエス様と聖霊と皆さんが合わせて喜びの世界で生きる事ができないと言う事です。これを皆さんは心に留めておくべきです。



<祈祷>
 愛のお父様! 6千年の歴史を見ると、大きく見ると今までは夜の期間でした。 大きく見ると、夜の期間を超えて今朝が堂々と明ける時期にとどまっており、全体的に朝の時期を迎えるべき今日、私達にとっては暗い夜の期間を過ぎて復活の賜物を備えなければならず、天に行かれたイエス様の前に心を置いて再び来られる心に沿って、地を考えるイエス様を、私達が代わりに心情を備えて、訪ねて下さる聖霊と一体を成し遂げ、外的な中心を成し、そうしてその中心にイエス・キリストを祀って霊的な中心を成して、天地を創造されたお父様の本然の心情を備えたひとつの中心存在として立てられる事を、この時間知る事ができる事を語って下さいました。

   35

 今、私達が地の為に生きていますか? これは半分しかできない人生である事がわかります。それとも、永遠の為に私達が生きていますか? 半分しかできない事がわかります。

 これまでは、私達がイエス様に沿って上がる生活をしてきましたが、今は従って下ってきて聖霊を慕い、一体の花嫁に仕える事を望むイエス様の願いを成し遂げてください。この地で聖霊の花嫁の品性を慕い、彼の心情が、彼の徳性を心と体に満たしてくださり、イエス・キリストが地上で外的に完成できなかった事を聖霊の働きに、聖霊の協力で、完成した存在で立って創造の理念全体に代わる一つの中心存在として立ててください。

 そうして天の本然の中心として天地に通じ、創造主の中心を通じた心の中心として来られた事を被造万物の前に自慢できる様にしてくださり、全被造物の中心に立てていただき、父の前に堂々と出て行き、「失っていた6千年の愛の心情を自分一人で回せる自分がいるのですから、お父様!愛してください。」と言える息子の位置まで導いてください。

 今日までこれを成し遂げる為に苦労の歴史を経てこられたので、苦労の歴史を経て出てきたお父様のご苦労の前に呼びかけを信じ、立てた心を信じ、探した心を信じて愛する事ができる存在として立ち、今お父様が眺めておられる場所に立って万物を眺める事ができる子供の立場に立ててください 。

 この時間に集った皆さん、愛する子供達、しばらく聞いた御言葉が心の力になり、命の中心に立つ事ができる様にしてください。どこに行ってもこの中心を失わない様に導いてください。夜になっても心だけは昼間に居られる様にしてくださり、いつの時かある時に主が臨み、聖神が訪れ、お父様が顕れても、足りない姿であっても導いてくださり、どんな時に臨んでも準備を完結した子供として立ててください。

 御言葉を終わりますので、彼らの生涯の路程の道を一緒にしてください。主の名を通してお祈り致します。アーメン。

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御言葉選集1(1、2)

2023年04月15日 15時25分56秒 | 学習
文鮮明先生 御言葉選集 1-1
1956年4月8日(日)前本部教会
聖書拝読 :テモテ 2:1-13

<祈り(Ⅰ)>
 お父様、堕落前に持っていた本性の命が注入されるこの一時となる様にお許しください。お父様の愛があふれる生命の祭壇になることをお許し下さい。

死の塀を前にしている事をこの時間、私達が体の心で感じることができる様にしてください。そうして復活の賜物を受けて栄光の祭壇を築き、乱れたすべての祭壇に新しいろうそくを掲げることができる私達となれる様にお許し下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。

心に傷ついた人がいますか? 気をつけてください。体にサタンに捕まった痕跡が残っているならばそれを除いてください。そうして堕落前の本然の姿を表せる様に許して下さる事を、愛のお父様、切にお願い申し上げます。

お父様、能力を御言葉として現われるようにしてください。私達の全てを投入し、再創造の歴史を起こして下さる事を愛するお父様、切に請い願うもので御座います。

難しい環境で私達を呼び集めて下さいましたので、今私達はこの試練と困難の峠を越えてまいります。もう残された戦いで勝利の凱歌を上げなければならない時になりましたので、お父様が、我々に更にお力を加えてくださり、能力に更に力を加えてくださり、復活の力を現わしてください。

                       1

闇に閉じ込められていた心霊達が解放される様に許してくださり、希望の炎で復活させてください。真理で埋め尽くされた園として下さり、悪が主管していたこの世、6千年のお父様の恨みの跡を明らかにして下さり、お父様の命の炎が残される様にお許し下さる様に、私のお父様、切にお願い申し上げます。

新しい歴史はお父様を中心として始まることを知っております。そして、歴史の基準を天に置かなければ、全体的な歴史の基準になることができなかったのが歴史的な事実であった事もわかりました。

私達のお父様!
私達を呼び集め立てて下さったので、新しい歴史を成就することをお許しくださり、新しい時代に天の精兵を立ててご覧頂き、新しい園を建設して歓喜の栄光をお父様にお返しできる様に賜物を許してください 。愛するお父様、切に請い願い申し上げます。

戦いの障壁を乗り越えて、先知先列が行った同じ道を探して参りました。難しい道という道を探して来たのです。振り返らず戻れない道におります。一つの目標に向かって主体的な勇気を持って戦わなければならない時となったことを知っております。最後の情熱をすべて傾けてサタンに対して先頭に立って、他の人より先に旗を持ってサタンに向かって突進できる天の精兵になる様に許してください。

                         2

お父様、残された戦いの祭壇を勝利の祭壇として収め、父の安息の祭壇、栄光の祭壇として収拾できるまで、お父様、私達が行く道を守ってくださり、私達が留まる所を聖別してください。お父様、嬉しい勝利の白い旗をこの民族と24億人類の前に差し込んでも残れる様に導いて下さる様に、お父様、切に請い願い申し上げます。

お父様、この時間少数の家族も心集めて父の愛に浸るために集まりました。愛なるお父様、この一時だけでも隠された父の愛に浸ることができる様にお許しください。

6千年間閉ざされた天の愛と真理の歴史を示してくださり、復活の歴史を示してくださり、心から、体から自由の解放を受け、お父様の「私の子」になることを許してください。勝利の歓喜でお父様にお会いすることができ、勝利の栄光でお父様を奉じることができる子供達として立ててください。
この日は聖なる日となります。3千万民族に代わって集まる祭壇達に、お父様、成らせてくださいませ。死んでいる祭壇があるなら、命の歴史をお示しください。時、環境、処所を問わず、お父様、復活の歴史をお示しください。

眠っていた命の炎を起こしてくださり、良心的な子供達、父に従う子供達を通して新しい命の旗を持って出て行くことができる様にお許しくださり、隠された祭壇を守ることができる子供達が多くなる様にお許しください。お父様、切に請い願い申し上げます。

この時間集まりましたので、お父様、私達の心霊を聖別して下さり、自我を中心とした観念や罪悪の要素、浄化できなかった暗い恨が残っているなら、お父様の炎のような聖霊の働きとして現れて、導いてください。お父様、懇切にお願いを申し上げます。

                       3

私達に任せてくださった使命を不足することなく遂行し、この一つのみ旨のために心を捧げて千千万聖徒達とその国の家族の前に面目を立てることができる、使命を果たす息子娘になる様にお許しくださる様に切に請い願い申し上げます。

この時間、最初から最後の時間までサタンの讒訴条件にかかる者がいなくなる様に守ってくださり、一命でもさらに復活の賜物に感激し、新しい命の歓喜を味わって、新しい命の賜物を受ける様に許してください。そうして、新しい命が復活の栄光をお父様に返すこの時間になる様にお許し下さる様、愛するお父様、切に請いお願い申し上げます。

もう全てを委ねますので、生命の根源的な歴史が最初から終わりまでに現れる様に許してくださり、喜びの内容だけが現れる事をお許して下さる様にお願い申し上げます。
主の御名によってお祈り申し上げます。アーメン。


<祈り(Ⅱ)>
 お父様、今日も不足なる罪の多い者が参りましたから、父の聖なる前に少数の家族が復活しました。

今まで預言者達を立てて伝えられ、聖霊を通して伝えられ、キリストを通して伝えられたので、まだお父様が親しく伝えられて来なかったことを知っています。親しく分からなかったお父様のこの御言葉がここに現れる様に許してください。そうして聖霊を通して、イエス・キリストを通して成し遂げようとされていたお父様の意志がここに現れる様にお許しください 。

                   4

お父様が喜びの意志を成し遂げようとすることを知っています。お父様の御意の前に、私達は不十分な誠心であったとしても捧げたいと思っております。
私達の手足にはサタンの矢の跡が残っていて、私達の体には戦いの傷が残っています。

愛のお父様!
あなたの手を差し伸べてください。お願い申し上げます。一言の新しい御言葉を望んでいますので、お父様、語ってください。切に請い願い申し上げます。心と罪が属していたすべての心情を除いてくださり、属してひたすらお父様を傷つける堕落の心情をお許しください。

お父様、呼び集めてくださって、私達に命じてください。お父様が知ってほしい摂理の中心が何かを知る様にしてくださり、お父様が知りたい天倫の中心が何かを解る様にしてください。お父様、この時間降臨してください。私達は穏やかで、お父様が私達に下された御言葉に答えるためにひたすらに待ち望んでおります。お父様、切に請い願い申し上げます。

この時間すべてを、お父様、主管してください。いま御心の前に訪れてきた私達、命で結実しなければならないことをお父様、終わりが近づいているこの時、お父様、命の手を差し伸べてお許しください。世の中と歴史は変わっても父の命は変わらないことを、お父様、永遠の命、不変の標準に向かって走ることができる様にお許しください。

この時間、その一つの標準の前に合わなかった子ども達がいる様に、この日を分かってくださり、能力の手を差し伸べて許してくださり、お父様の性相に似た歴史となる様にしてください。お父様、切に請い願い申し上げます。聖なるお父様と聖者と聖霊の前に集まりましたので、彼らの主観的な観念を除いてくださり、命の歴史作る事をお許しください。お父様だけが彼らの心の中心になり、集まった全体の中心になって頂き、勝利の盾になってくださって 喜びのこの一時になる様にお許しください。

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この日から見られる命の要素として永遠の命の血を成し、永遠の勝利の盾を造成して、サタンと正面衝突をしても傷つかない子供達として立ててください。すべてを委ねますので主管してください。
主の御名によって祈り申し上げました。アーメン。

 
<御言葉>
 今日ささげる御言葉は、 「勝利する神様の傭兵になりましょう。」と言うこのようなタイトルを持ってしばらく話をします。

精兵という言葉は本来からあった言葉ではありません。人間が堕落したときに初めて生まれた言葉です。つまり、戦いが残っているので、神様の代わりに戦いを余儀なくされる息子娘が必要だったから生まれた言葉です。

こういう息子娘を立ててある時期まで戦いの過程を経なければ神様の御心が完成することができないので、このような息子娘を選ばれたので、変わる歴史を重ねて6千年という長い歳月を神様が親しく地に対してサタンと戦ってくださったのです。

しかし、神のこの戦いの働きを代わりに責任を持って第一線に出て、実際の戦いをしなければならない責任者はどんな存在ですか。神様が直接戦うのではなく、イエス・キリストが直接戦うのではなく、聖霊が直接戦うことでもありません。イエス・キリストと聖霊と神様を背景によく信じる聖徒達が、この戦いの直接的な責任を担っていることを皆さんがよく知っています。

                      6

この戦いは必然的に終わらなければなりません。ところが、イエス・キリストがやってきて2千年が過ぎたのに、まだこの戦いは終結していません。この私がこの戦いの範囲を広げ、勝利の土台を作らなければならないが、この責任を負う存在は誰なのか? まさに何もない私達だということです。これを考えてみると、神様の希望は神様自体にあるのではないことが分かるのです。そして、イエス・キリストの願いもイエス・キリスト自体にはなく、聖霊の望みも聖霊自体にはありません。他ではなく、今日この地上に残っている私達だけにあるということです。

それでは、地上の皆さんを天が呼んでいます。神様は6千年の摂理の全体を通して皆さんを召されておられるのです。ですから、皆さんは6千年、さらには億千万年の間続けてきた人類歴史を勝利で終結させなければならない責任を負っていることをよく知る必要があります。

そしてこの様にお父様が私達を呼んでおられるということをよく知らなければなりません。それだけでなく、時代を担当し、歴史を担当し、永遠の摂理を担当する天の真の精神にならなければなりません。偉大な摂理の運命を直接開拓していくのもイエス・キリストがしなければならないことではなく、聖霊がしなければならないことではなく、神様がすべきことではなく、まさに私達がしなければならないことです。

私達はこの様に大きな使命を背負っている自分を置き、第三者の立場から批判してみることができなければなりません。お父様が親しく現れて質問しても、素晴らしく答えられる私になったのか考えてみなければなりません。摂理の全体を責任を持って戦うことができる、勇気と誇りと信念を備えた天の傭兵になったのか? とお父様が尋ねても、はい!成りましたと。 だからこそ、うっすらと答えることができる私になったのか…。神様は素晴らしく答えられるそういう存在を探しています。

それでは、このような精兵になることができる条件は何ですか? 私達自体では、天の精兵になることができる条件を探すことはできません。それでは、私達はどうすれば天の傭兵になることができますか? 私達が天の精兵になるには、すでに代表的な天の精兵として現れた人、つまり私達が信じているイエス・キリストに似なければなりません。

イエス・キリストの降臨の背景から、彼の生涯と彼の理想すべてはサタンについて誇ることができる内容です。そして私達が天の精兵になるためには必ず通らなければならない内容であり条件です。皆さんはこれを留意する必要があります。彼の言葉も同様ですが、彼が亡くなって見せてくださった十字架の痕跡も同様であり、彼が残した復活の痕跡も同じです。 これらすべては、私達が歴史的なすべての戦いを終結させ、天の精兵になるために必ず備えなければならない絶対的な条件であり、法の道なのです。私達はこれらの条件を備えなければなりません。

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しかし、ここで私達が知っておくべきことは、イエス・キリストも天の傭兵が備えなければならないすべての条件を備えるまで、30年以上の生涯にわたって準備し、努力し、苦しんだということです 。一日で出来たわけでもなく、一瞬で出来たわけでもありません。30余年という長い試練の過程を経なければならなかったということです。それでは、イエス・キリストがこの地に来て歩んだ路程は何ですか?

天の精兵として地上でサタンに対して勝利するには、越えなければならない試練の条件、試練の路程を見せてくださったのです。イエスは十字架上で働いた、と言われましたが、これは十字架でのみなされたので、そう言われたものではありません。天の精兵として備えなければならない条件を十字架に至る前にすべて成し遂げたので、そう言われたのです 。そして天の精兵としてしなければならない使命を果たしたという意味でそう言われたのです。

不足のない天の精神を持たれたイエス様であったので、十字架に戻り、神様はイエス様を復活させることができました。それでイエス様の復活以来、イエス様は天から、聖霊は地上にて働き、2千年間サタンと戦いをしてきたのです。今、天から呼ばれた私達が守っていかなければならない試練の路程が残っています。イエス・キリストの30余年の寿命の路程を計ってみると、30年の個人の人生の愛の路程を歩き、3年の公生涯の愛の路程を経て、3日の墓中期間に試練を終結させたのです。

私達の一人一人が十字架の道をたどり、復活の道をたどるのはもちろんです。
イエス・キリストが十字架にて亡くなってから復活の賜物を受けたのです。一日に受けられたこの賜物ではなく、数時間にて受けられた賜物ではありません。長い4千年の歴史を経られた神様の心情とイエス・キリストの心情が合わさって、30余年の生涯苦難の道を歩んで勝利してなされた道理であることを皆さんが知らなければなりません 。

私達は信仰生活をしており、聖書を読んでいますが、聖書をそれぞれの思いどおりに翻訳してはいけません。よく信じる人々は、十字架の道理が 十字架上でのみなされたことを知っていますが、そうではありません。30年余りの生涯でよく食べることができず、よく着ることができずに、知らない苦難の生活を経た末の十字架であることを皆さんは知らなければなりません。そしてイエス様は、残された天の精兵の条件を完備した神様の一人子であることを皆さんは知らなければなりません。

今、私達はイエス・キリストの一生が与える教訓が何かを分析し、イエスを信じ始めてからキリストの苦難の路程を再び行かなければなりません。皆さんも試練の過程を経なければなりません。イエス・キリストの試練の過程を経ている間には戦いもあります。そして10年でも20年もなく、30年間戦われたキリストを模倣し、死ぬことも恐れないイエス・キリストの不変の心情を模倣しなければなりません。 今、私達が知る必要があるのは、残された苦難の道と死の道を余儀なくされ、十字架を守り、十字架の道理を守っていく人が皆さん自身であるということです。

イエス・キリストがやって来た後、イエスがこの地上に積み重ねた十字架の城を守り、激戦の第一歩を踏み出す責任が使徒達にありました。今、残された十字架の生を守る責任が終わりの聖徒達にあることを皆さんは知るべきです。
最後の決戦で勝敗を決めなければならない時となったのですが、ここに残ることができる精兵になったのか、キリストが亡くなって復活したかの様に私も再び蘇ることができる、第2の復活の歴史を起こすことができるのかということが重大な問題だということです。

イエス様は霊界に行っても戦いを展開しておられます。数多くの善い聖徒達を代表してサタンと戦っておられるということです。霊界で戦うイエス様を模倣して地上で戦いを展開するために来られた方が聖霊です。その聖霊の協力を得て、実際に戦わなければならない責任が私達にあるということです。つまり、実際にその戦いを引き受け、余裕のある空の精兵にならなければならない私達だということです。

今、最後の戦いが行われましたが、今日、あなたはあなたが戦う戦いがあなたのための戦いではないことを知る必要があります。その戦いは、天から聖霊を通してあなたに繋がった戦いであることを知る必要があります。そしてその戦いの目的はサタンを追放する事です。ですから、今、私達は戦いの頭を越えて本郷まで行く、残された キリストの十字架を担当する精兵となり、歓喜のお叫びをするべきです。6千年の恨みを解いてしまい、6千年の願いを成就した勝利の精兵、歓喜の精兵にならなければなりません。

キリスト以後残された十字架の生を担当した、代表的な精兵として現れた群れが12使徒でした。12使徒は死を越えて十字架の城壁を守り、体と心を全部捧げ、血を散らしながらも錆びずに十字架の城壁を守りました。神様はこのような傭兵を探しています。預言者達は福音の道を歩き、散りばめられた血の跡が十字架の城壁に残っています。そしてこの地は、先祖達の恨みと血が難しい地であり、血の訴えが残っている地です。

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この恨みを解く人が誰なのかというと、まさに私達だということです。イエス・キリストの死も恥ずかしいことですが、預言者達の死も恥ずかしいことです。皆さんは,イエスの死とあわせて,預言者達の死も恥ずかしいことを知っておかなければなりません。今、私達は恨みを持つ時が来たことを知る必要があります。6千年の間、我慢していた天の恨みを解き放たなければならない時になりました。この時に必要なのが天の精兵です。この時代に求められているのは天の精兵です。

お父様! 6千年の恨みを私を通して爆発してください! と言える神様の我慢の子にならなければなりません。こういう我慢の子が三千万民衆の中に多くなると、三千万民衆の暮らしが開かれるでしょう。また、そのような人々が祭司長になって十字架の城壁を守り、戦う精兵になれば、この民族は滅亡しない でしょう。今日、神様を信じる人々はこの様に天の精兵にならなければなりません。

この地に来て十字架で亡くなられたイエス・キリストは霊界で勝利の神殿を築き、その神殿を広げました。あなたが霊界を通して見るとわかりますが、堕落の暗やみが神の御座の下にまで迫っていたことがわかります。戦いを重ね、時間に時間を加えることでイエス様以来初めて一つの基盤が設けられました。さらに、この戦いを広げるための戦いが今日まで続き、地上でもサタンとの戦いが続けられました。今、この戦いを終えることができる天の精兵が出てくるのを天は望んでおられるということです。

今、私達は怒らなければなりません。イエス・キリストは、30年以上の生涯、この地に来て死の十字架の頭を越えるまで苦労し、戦われただけでなく、2千年間の戦い続けたということです。この戦いを知らない無知なる人間達…。あなたはあなた自身に訴えなければなりません。民に訴える前に、家庭や社会、そして世界と地に訴える前に、皆さん自身に訴えなければなりません。

皆さんは,2千年間の神様のみ旨のために戦ったイエス・キリストを真似て、神様のみ旨のために戦わなければなりません。それで天で勝利し、地で勝利して天と地が答え、神様の心情に代わって、創造本然の美を現わせなけれ ばなりません。これが神様が6千年間摂理された目的であり、イエス・ キリストを送られたのです。

今、私達は天の傭兵になり、十字架の城壁を守らなければなりません。皆さんはこの様に天の精兵にならなければなりませんが、皆さんは自分がどの隊列に属している精兵であるのかを分別することを知らなければなりません。 地の歴史は天の歴史を形状的に展開する歴史であるため、天に12使徒を中心とした12隊列の傭兵達がいるのと同様に、地上にもイスラエル12支派のような12教派と無数の支派的な隊列があるのです。

2千年の歴史を経てこのような隊列が形成されましたが、皆さんはどの隊列に属しているのかを知る必要があります。小隊や中隊と大隊、連帯、 師団などで編成されている世界軍隊と同様に、組織的に編成された空軍隊のどの部隊に属している自分なのかを皆さんは知る必要があるということです。そして今、あなたはどんな使命を中心に命じられているのかを知る必要があります。

さて、戦いの過程を経た後に一つの中心を中心として全被造世界が喜ぶことができる時を迎えなければなりません。その中心は誰かとすれば、私達が信じているイエス・キリストと聖霊なのです。空の精兵の究極の目的は何ですか?サタンとの戦いを完結させ、神様とキリストから賞を受けるのです。戦いで勝利をして、地上で天の賞を受けるのです。

今、戦いは各方面で行われています。世界どこでも起きています 。また天地全体に摂理の意志が展開されています。皆さんは個体的な戦いで勝利し、家庭的な戦いで勝利し、社会、国家、世界的な戦いで勝利し、天地で起こる戦いで勝利する精兵にならなければなりません。

イエス・キリストは天地で起こっている戦いを終結させることはできません。そのため、皆さんは各方面の部署を守護し、各方面の戦いを終結させる精兵にならなければなりません。キリストを頭にした部隊として勝利して持って、体と心が一つになった後に天の前に崇拝させなければ、天地万物が嘆き悲しむというのです。

皆さんは今、かつての使徒達が残した血の跡を経て行かなければなりません。 さらに、イエス・キリストと聖霊が負われている責任を取って代わるべきです。

(天の精兵の究極の目標)

 天は地上に戦いの土地が残ることを望まないし、地で願いが結ばれた繋がれた地で勝利して恨みを解かなければ、イエス・キリストの戦いが終結し、キリストが再び来られる事ができないのです。再び来た後は何をしますか?6千年間行われて来た戦いを終結させ、神様から祝福を受けるのです。神様が親しく双手を挙げて祝福されお祝いされるのです。勝利の精兵達が集まって一緒に祝福される祝宴が子羊の祝宴ですが、この子羊の祝宴をされるというのです。

皆さんは、総司令官である神様がくだされる御言葉を直接受けなければなりません。皆さんはイエス様に代わって、神様の命令を直接受ける場所まで進まなければなりません。

ヨハネの黙示録14章に「また、私が見ると、見よ子羊がシオン山に立って彼と一緒に十四万四千人が立ったが、その額に子羊の名前とその父の名前が書かれている」。(1節)と記されている様に、皆さんはお父様の祝福を受けなければならないということです。

これまで、皆さんは聖霊の導きを受け、イエス・キリストの導きを受けてきましたが、これがすべてではないということです。お父様の祝福を受けてこそ、 地上だけでなく天国に行っても永遠に無窮な精兵になるということです。その場まで進まなければならないことに留意してください。皆さん個人がこのような精兵になった後に全人類がこのような精兵になる様にしなければなりません 。

皆さんはすべての戦いで勝利してキリストの精兵になると同時に、神様が喜ばれる本然の人間、創造理想を完成した息子・娘にならなければなりません 。そんな天の精兵達が返すホサナの勝利の雄叫び全地を振動させる時が来れば、サタンに対する神の恨みが一時に解放されることになります。これを皆さんは確かに知る必要があります。まだ戦いは残っています。ですから、皆さんは最後の攻撃を敢行し、戦いの先頭に立って神様の印を受け、神様の前にサタンを屈服させられる精兵にならなければなりません。そうしてこそサタンとの戦いが終結するということです。

聖霊の前にサタンを屈服させ、イエス・キリストの前にサタンを屈服させても戦いは終わりません。神様の前にサタンを屈服させなければ、戦いが終結しないのです。

このような勝利の精兵を作るために、6千年の摂理歴史を経ながらお父様が苦しんだのです。こういうお父様を知って皆さんが勝利の天の精兵にならなければなりません。




御言葉選集1-2 神様の誇りとなったイエス・キリスト (1956.05.16)
1956年5月16日(水)元本部教会。
聖書拝読 コリント第8:16-24

<祈り(Ⅰ)>
 愛するお父様、今日は万民に贖罪の賜物を許された日です。戦う歴史を経ていく中で、この足跡を残しながら摂理を進めて来られたお父様の路程と先に行った先賢達の殉教の足跡をこの時間忘却しない様にお許しください。

この日、この一時にお父様の前に崇拝する事がアベルが血の訴えをした様に、懇切に供物を差し上げる時間となる様にお許しください。腐敗する体を中心に集める姿にならない様に導いてくださり、聖別の祭壇になってアベルがお父様と全体の万物の前に香る生け贄になった様に、僅かな少数の群れでも三千万の民に代わって アベル的な祭壇を築くことを許可してください。

是非、集った人達がアベルが血を流された事を踏まえて、カインの立場で自分自身を誇る為に立たない様にお許し下さる様、愛する私のお父様、懇切にお願致します。

天心に対する心情と血の訴えの心情を供える事が出来る様にお許しください。この地上にはまだ多くの民が残っていて、愛すべきこの地上であり、億千万年の嘆息の足跡が残されたこの地ですから、このためにお父様の前に喜びの供え物として現れて感謝の礼拝を捧げることができる子供達として三千万の民衆の中にその様な心情を持つ多くの人が現れる様にお許しください。24億人類の中から多くの人が現れる様にお許しください。

億千万年の積み重ねられた罪悪の塀を壊して歓喜の園を成し、お父様を喜びと 栄光の中で享受できる子どもの群れが防房曲曲に現れる様にして下さる様に、愛するお父様、切に請い願い申し上げます。

天が私を訪ねる下さる時、私を立てるために6千年の間に苦労した御跡が残っていることを私達は今日まで忘却して生きてきました。私が今日快適に暮らすことができ、快適に信じることができるのは私がうまくいっているからではありません。その様に考える事の無い様にしてください。

穏やかで謙遜な一つの供物として、捧げられる一つの供物として、捧げられる一つの喜びの供物として、お父様に崇拝できる子供達として立ててください 。

お父様、眠っているこの聖なる民衆を目覚めさせてください。暗闇の中で方向を知らずに迷っているこの民族を哀れに見てください。このために立てるべき天の子供達が早く立つ様にしてください。天に向けた中心を立てて全体に代わることができる愛の祭壇として、一早く成し遂げることが出来る様にお許しください。

この民族全部が勝利出来る様にしてくださり、全てに感謝し、聖光のために賛美できる様に導いて下さる様に、愛するお父様、切にお願い申し上げます。

お父様、今日少数の群れがこの場に集まりましたので、御前に委ねますので、主管してください。各個人の心情をお父様が洞察してくださり、自分で立てた心の中心が、自我の心情が自分で始まり、自分で終わる事の無い様にお許しください。自己に対する認識と観念を通じて、自分の理念を形成し、自己満足に陶酔する者にならない様にお許しください 。

自分のすべての観念や注意、主張を正直に出して、親の心情の前に優しく謙虚な供え物になることを許してください。尊厳のある父親の前に自分の不足を痛感し、自分のすべてをお父様に根本的にお捧げするこの時間になることをお許し下さる様に、愛するお父様、お願い申し上げます。

お父様、あなたが彼らを集め、彼らを立てて、すでにこの聖なる中心に新しく警鐘を鳴らされたので、お父様は全体的な責任を負って下さる様お願い致します。全体的な使命を果たさなければならない事を知って、全体的な仕事を引き受けなければならないので、彼らが来てこの時代を踏まえて上がらせてくださり、お父様、先峰に立って進んで戦うことができる天の精兵達になる様にお許しください。

この三千万民衆に代わることができる精兵達として、千千万聖徒達の前に立ち、天の天使達の前に立ち、この地の聖徒達の前に立っても不足のない姿で立ててください。切にお願い申し上げます。

3日間を過ごす中で私は一つの事だけを考えた時間が多かったし、一つ事を愛するために使った時間も多く、一つ事を現わすために多くの時間を費やしました。しかし、私を忘れてお父様を探すために、私を忘れてお父様の願いを叶えるために、お父様の全体的な価値を示すために、私を超えて行く為に動じ、静ずる、お父様が望む場所で生きなければならないことをお許しください。

この時、お父様を訪ねてきた人には、観念的な信仰姿勢で祝福されるという心だけを持って出てきた姿にならない様にお許しくださり、恵みを受けるという心だけを持つ者にならない様にお許しください。「生かしてほしい」という訴えの歴史が6千年を経過したので、私を受け取ってください。祈りの泣き声が地から聞こえて天に達する時となったので、「父よ、私を受け取ってください」、「私のすべてを差し上げますので、お受けください」と祈ることができるこの時間になることをお許しください。

私達自体がお父様にふさわしい贈り物になったのか、自分で反問できる様にしてくださり、賢くなったお父様の聖体の前に立つたびに自分の不足を切実に感じ、自ら罪人であることを感じ、お父様に頭を下げて崇拝できる様にお導きください。この時間、私達を目覚めさせてくださり悔い改めの心が起きる様にしてくださり、善の本性と善の実体を感じて、お父様の栄光に代わって崇拝できるこの時間となる様にお許しください。

 このことが天が願うことであり、この一つの意味のために天が動員されていることを知っているので、三位神が動いてくださって聖霊の働きを現わしてくださり、全体を主管されて全行事を、お父様、主管してくださる様にお願い致します。お父様の意を逸脱した観念や認識を持たず、ひたすら全体を父様に捧げる聖徒の祭壇と成ることができる様に導いて下さる様に、お父様、切にお願い申し上げます。

 この時間孤独な群れが天に向かって悔やみ切なる訴えをあげた全てを祝福してください。平坦な道も、逆境の道も、ゴルゴダの山程も気を付けずに行くと誓い、現わした子供達を保護してください。

 難しい道を行く人の後に従う者達も難しいでしょう。彼らをお父様の代わりに供えてくださって、最後には許される様、お父様の心情と愛の賜物を許してください。

 喜びの中で眠り、お父様の喜びを感じられる直接的な主観の歴史が、それぞれの心の上に一緒にあってくださり、彼らが置かれている所ごとに環境の十字架に囚われない様に、親しく臨んで慰めてくださる様にお願い致します。

お父様。 長き戦いの中でも、残った者達が更に進軍できる様に直接的な勧告の歴史が彼らの上に一緒にある様に、お父様、切にお願い申し上げます。

 この時間、お父様にお会いするために心を結んで訪ねて来てくださり、崇拝の時間を持ちたいと願いましたから、初めてから終わりまで愛の保護と愛の心の賜物として全体の集まりを主管してください。お父様が望む賜物の供え物になれる様に祝福して下さる様に、愛する主の御名によってお祈り申し上げました。
アーメン。


<祈り(Ⅱ)>
 創造の園は善の園であり、愛の園であり、一つの園であり、煌めく華東の園であることを知っています。神様の愛に沿って善がなければならないのが私達の責任であり、一つでなければならないのが私達の責任であり、和動しなければならないのが私達の責任であることを知っております。


 一日の生活も善くなければならず、天の御意に対して、喜び勇んで華動して進むべき子どもの路程が残されています。お父様! この時間を聖別して下さり、許されたこの道をすべて歩くことができる様に、戦いで疲れず行ける様に導いてください。

 お父様の心情の標準に外れない様にして下さい。お父様、堕落の子孫なので、私達には力がなくて嘆息していますので、天に隠しておいた完全さをお示しください。万物が喜び活動、華動できる様に許してくださり、将来には被造物が愛を通して父の前に栄光をお返しできる一つの本来の姿を立ててください。

 天の恨みが人間に結ばれており、万物の恨みも人間に結ばれており、億千万民の嘆息がクリスチャンに結ばれていることがわかります。ですから、今自分の個体の価値を完成し、天輪の嘆息を取り除かなければならない責務が彼らにありますので、お父様、彼らを立てて本来の価値を完成する姿に成れる様にしてください。

 彼らに望む愛の全体の理念をお許しくださり、彼らが失ったお父様の全体の価値を大切に出来る様にしてください。隠されていたお父様の心中を開いて下さり、彼らに現れて相談できる様にして下さる様に、愛するお父様、切に請いお願い申し上げます。

 私達のお父様! 穏やかな群れを集めておられるのに苦労されたその苦労のすべてを知りたいので、お父様! 再び現れて傷ついた心を握ってくださる様にお願い申し上げます。

 億万サタンが戦いを歩んでくる過程で、彼らが天の恨みを代わりに背負う者達になる様に許してくださり、天の道を歩むことにおいて全体の志の前にひたすら一線を中心に一つになることをお許し下さい。お願いし、お父様の立てられた意志を中心に、和動できるこの時間になる様にお許し下さる様、 愛するお父様、切に請い願い申し上げます。

 今私達の心が疲れてきましたでしょうか? 体が疲れておりますでしょうか? 心に神様の愛の炎を許してくださり、体に神様の心情の熱気を加えてくださって、私達の心と体が動いて、天にある天軍天使とすべての霊が動いて、地にある全体の存在が動く事ができる様に許してください。

 そうして万物に対して一つの中心を復帰し、全被造万物の前に神様の息子娘として現れることに不足がない様にお導きください。そして6千年間お疲れになったお父様の前に、億千万のサタン達の前に自慢の存在として出てくることを許してください。

 死に捕らえられ嘆息している群れと悲しみの場を抜け出せない哀れな群れがありますので、お父様が掴んで知ってくださり、天輪を扱うことができる中心的な心をお許しくださり、知恵と信仰の活動をお許しください。懇切にお願い申し上げます。

 三千万民族に代わって天の祭壇を築かなければならない時になり、善いお祝いの供え物を捧げなければならなかったし、合わせて一つの群れにならなければならなかったので、今日この場に集まったあなたの息子娘に、お父様、臨んでくださって、彼らの心情を主管してくださり、彼らの心を主管してくださり、彼らの全体を主管してください。

 そうして過去の悪の要素が残らない様に、愛の神様、能力の神様、全能の神様、炎のような目で現れて熱い天の聖霊の力と命の火で彼らの心を見てください。懇切にお願い申し上げます。

 お父様、今日も行くことを知らず、生き方を見つけることができず、脆いガラスの様にさまよう多くのあなたの子供達がいます。彼らのために命の祭壇を築き、涙を流した者がおりましたでしょうか? お父様、速やかに彼らを見つけて立ててください。お願い申し上げます。

 歓喜の知らせを握り、この民族の前に残ることができる実践の祭壇をたくさんお許しくださり、懇切に誠意を築く群れが多くなる事をお許しくださり、この民族が闇の苦難を乗り越えて世界に満てる光になることができ、愛の光を放つことができ、お父様のお許しされた意思を受けて出て行ける様に働いて下さる様に、お 父様、切にお願い申し上げます。

 愛するお父様、今日この時間、私達のお父様の賜物を望んで参りましたので、まずは私達をご覧下さい。これまでの私達の観念を除き、ひたすらお父様の御心の前に捧げられた供え物であり、現わされた一つの要素としてのみ残る様に許してくださり、本性の美の姿で温柔謙遜に私達の体の心に現れることができ、お父様が私達を中心に再創造の歴史を起こすことができる様に、お父様の愛の歴史がこの時間現れて許して下さる様、お父様、切にお願い申し上げます。

 私のお父様! この民族、信仰を持っている子ども達が困難な環境と十字架の道を乗り越えてこの時間訪れましたので、この一時だけでも6千年間隠しておかれたお父様の愛の御意を見せてくださって、お父様に崇拝するこの時間、億千万金を与えても変えられない大きな喜びになる様に許してくださり、この日の愛なる賜物として生涯を開拓し、生活を開拓し、千輪の大道を明かすことで私達にお父様の御意の前に感謝することができる供物になることをお許しください。

 私達がこの場所にいるとしても、お父様が呼ぶなら、いつでもその場所に向かって行く覚悟をしておりますので、お父様の心が動く標準としてあなたの愛の標準を通してくださり、またあなたの心を通して私達が心からの善を成し、その善が種になり、私達の体から栄光の善の園を成し、それが家庭、教団、社会、国家にまでなせる様にお許しください。

 そのような全体的な責任が私達にあることを知っておりますから、お父様の残された使命を担当し、サタンと戦わなければならない責任が私達にあることを知っておりますので、私達が疲れていても、お父様、力を与えてください。

 穏やかな時も、お父様、勧告してくださり、倒れる時に起こしてくださり、分かってくださって最後の障壁を乗り越えて行き、勝利の群れを導き、お父様の前に出て感謝して栄光をもてるその時間まで導いて下さる様に、私のお父様、切にお願い申し上げます。

 お父様、今日も三千万民族に代わって築いている数多くの祭壇の上に、父の愛と恵みの炎を一緒にしてください。彼らが無知で6千年の意志を見分けられないとしても、それで天の祭壇を恨む 場所に立たない様に許してください。

 イエスがエルサレムの神殿を握って泣いていたという意味がなされる時となりました。石の一つも石の上に残さない様に言われた御言葉が今日教会と 教団の中に現れているので、心を一つに縛ることができない現実的な過程に置かれている祭壇を、お父様、握って注視し、再度悔い改め、天の命につなげて下さる様に懇切にお願い申し上げます。6千年の歴史に代わってキリストの十字架の苦難を代わりに背負って栄光を歌うことができる祭壇になるまで、お父様、一緒にしてください。

 お父様、元からのすべてを直接主管し、私達に父の国を起こすことができ、父が祝福することができる勝利の使命者として立ててください。今日、この時間までもサタンが打って出てきてるので、お父様! 疲れ果て倒れた者にならない様に許してください。最後まで背後に立って祭壇を守り、暗いサタンの矢を防ぐ供物になって、例えおられずとも感謝できる群れとなる様にお許しください。お父様!切にお願い申し上げます。

 お父様、この時間すべてを委ねますので、私達が父を傷つけず、父の愛を傷つけず、生涯を捧げ、父の道に従う者となる様にお許しください。父の意義ある基準を失わない様に許してくださり、天の終わりまで成すことができる天倫の意が人間の中に現れる様に許してください。不足無く共に飲食する友達の様に愛として現れ、親しい父として現れ、保護者の姿で現れてください。

 人間が本来の姿を失った姿で、お父様は6千年の間、孤独であり、私一人を立てるために、私自身を探すために苦労されたことを私達は知りませんでした。ですので、お父様、私達の手を握ってくださり、私達が悔い改める賜物の時間を持つ様に許してください。お父様が私達を握んで、首を抱きしめることができる賜物をお許しください。不足な自分達が父の愛に感謝しながら涙して反省し、悔い改める賜物がこの時間、それぞれの心と体と全体の頭の上に満たされる様にしてください。

 この時間に出席した全体の群れは、お父様の前に愛として現れることを望んでおりますので、悪の条件にかかる姿にならない様に許してください。ここにこぼれた群れがあなたの希望を代わりに担当することをお許しされ、サタンの非難と罠に落ちる者にならない様に導いてください。最後までお父様の愛の前に謙虚に崇拝できる子ども達でいる事のできるこの時間としてくださり、お父様、握って下さるよう切にお願い申し上げます。

 許された賜物が全体の心の体の上に現れる様に許して下さるよう願いながら、愛する主のみ名によってお祈り致しました。アーメン。


<祈り(Ⅲ)>
愛するお父様!
 パウロがディドを一つの改革者に立てるために切実なる心で訴え、彼の心を感動させた切実な内容のある事を知りました。このパウロの天に向かった切なる心情を知る時、既にその心が無くなったのではなく、地上に痕跡に残って祭壇を築くことが背後に映された神様の働きであることをこの時間、私達は感じております。

お父様!
 新しい御意のために新しい世界を眺め、歴史的な複雑なすべての障壁を越えて天輪の前に立たなければならなかったのです。私達自身が複雑な過去を清算し、複雑な現実を超えて天が取ることができる愛の心情の中で、安心して父親に対して崇拝できる心で定着するまで、お父様、導いてください。

 死んでも残された6千年の恨みの盾として最後の勝利の栄光を父の前に回復し、それによる歓喜を迎える事ができる様にお許しください。お父様のご指導の中で、私達が力を集めてこのみ旨を成し遂げる様に許して下さる様、お父様、切にお願い申し上げます。

 今日、私達が御意に対して、お父様の前に悔い改めることができ、お父様の前に近づいて依頼することができ、お父様の前にもっと身近に自分自身を現わして誇りを受ける心を持てる様に、お父様、この時間をお許しください。この心情で、キリストの聖像の前ですっきりとした姿を模倣し、再び望む再創造の世界を整えることに不足がない様にしてください。そうしてすべてをお父様の御心の前に任せ、お願いし、父の前に素直な供え物になる様に祝福してください 。

 この時間に集まった子供達を覚えて下さい。この時は多くの御言葉が必要ないことを知っておりますので、一言にも心が動く様にしてくださり、体で風合いを許し、歓喜することができる憐れみの賜物と感動の歴史をお許しください。

 聖霊の炎で私達を主管してください。 お父様の賜物の働きを、私達の一人一人が感じ、一つの御心の前に動くことができ、授受できる貴重な雰囲気を、お父様、お許しくださり、お父様が許される場に立ててください。

 残されたこの時間主管してください。主の御名によってお祈り申し上げました。アーメン。



「御言葉」

聖書拝読「だからあなたがたは多くの教会の前で、あなたがたの愛と、あなたがたに対する私達の誇りの証拠を私達に見せなさい」。(ココ 8:24)
 今日は「神の誇りとなったイエス・キリスト」というタイトルでお話しします。

 天地万物を造られた神様はアダム・エバを天地万物に対する神様の誇りの実体として造られました。またアダム・エバを天使世界に対する神様の誇りの実体として造られました。そしてアダム・エバが万物の前に立つと、万物はアダム・エバに崇拝しなければなりませんでした。

 こうして建てられた被造の園が人間の堕落で変わってしまったのです。つまり人間の堕落で人間の前に誇らなければならなかった万物の価値がきちんと現れず、無形世界の価値の中心として現れた人間がその資格を喪失する様になり、神様の誇りの意味として、神様の代わりに万物の前に現れ、被造万物の中心としての栄光を受けなければならない人間の位置が根本的に変わってしまいました。

 ですから、人間の堕落から6千年が経過した今日まで、神様が訪ねて来た標準は何だったのでしょうか。神様の心に代わって、形状に代わって、 神様の性格に代わって、天倫の行事に代わる全体の代表者、神様が誇れる一人の代表者を訪ねてきました。

 また、これまでこの一つのみ旨のためにイエス・キリストも働いてきました。それではアダムとエバの堕落以来、4千年ぶりにこの地に来られたイエス・キリストはどのようなお方でしたか。彼は神の内的心情に代わり、外的形状に代わった方でした。それで神様はこの創造の理念で立てた誇りの基準をイエス・キリストを通して示そうとしたのです。これがイエス・キリストが遂行しなければならなかった本来の使命でした。

 ですからイエス・キリストは、彼の生活を通してどんな事においても神の心情と形状に代わる神の子として現れなければならない重大な責任者の場に立っていたことを知るべきです。

 この様に、イエス様は神様が自慢できる実体として現れなければなりませんでした。最初に万物の前に誇ることができなければならなかったし、その後はサタンの前に誇ることができなければならず、千千万聖徒達の前に誇ることができなければなりませんでした。そして神様がアダム・エバを中心として喜んで栄光を味わおうとしていたことを復帰する一日を迎えなければなりませんでした。これが中心存在であるイエスを立てて、働きながら摂理された神様の御心でした。

 神様はイスラエル民族にイスラエルの国を建設させ、その中に中心となるべきイエス・キリストを送られたのです。ですから、イスラエル民族が一つになってイエス・キリストを讃え、神様が誇りたいと思われたその基準で感謝の心情でイエス・キリストと共にあった人々の様であるならば、歴史的な悲しみが6千年まで延長されなかったでしょう。

 神様の誇りとして現れたイエス・キリストが目に見たものと、イスラエル民族が願っていたものとは異なっていたということです。つまり、神様の復帰摂理の御心を出てきた兄としてのイスラエル民族は自ら神様の善民であることを誇っていた立場の姿と、神様の復帰摂理の御心を受けながら戦っていたイエス・キリストが、神様の御心のためにと願った兄の姿とは異なりました。それでイスラエル民族は、神様に代わって御言葉を語られるイエス様の前に出て、イエス様を自分達がそれまで立ててきた民族的な誇りを捨てて信じなければならなかったのです。

 自分達の習慣を捨て、神様の御心に代わって新たな御言葉を持って現れたイエス・キリストの前に、穏やかに謙遜になっていたならば、十字架の厳しい関門がイエス・キリストの前に現れる事はなかったでしょう。 キリスト教の歴史に十字架の道ということはなかったでしょう。イエス様の言葉を聞くことによって、救われたという言葉はあっても、十字架の信仰によって救われたというこういう言葉はなかったでしょう。

 今日、私達はイエス・キリストの死を祝福し、十字架に贖罪の権利があると信じていますが、それがすべてではありません。今日、キリスト教徒はイエス・キリストが生きて語っておられたみ言葉に贖罪の権限があったことを忘れています。私達が知る必要があるのはもちろんキリストの十字架を信じることで霊的な贖罪が可能ですが、イエス様が生きて語られた御言葉を信じてみ言葉どおりに実践したならば、繁栄と共生が成されたでしょう。

 それでは、イエス・キリストはこの地に来て、まず何を語らなければなりませんでしたか。アダムとエバは堕落することで神様の御言葉を立てることができませんでした。御言葉を信じませんでした。それで、人間が神様の御言葉を信じることができずに堕落し、4千年間にわたって摂理歴史が延長されたので、イエス・キリストがこの延長された4千年の歴史を取り戻すためにサタンの前に立てた一つの中心が何と言えば信仰でした。つまりイエス様は信仰の王としてこの地に現れたのです。

 イエス様はどんな方ですか? またイエス様は、神様の誇りで立つことができる一つの価値の基準をどこで立てたのでしょうか。4千年の歴史が流れてくる過程で、誰も信じられず、神様の御心を知らなかった全人類の前に、イエス様は信仰の王として現れたのです。それで神様がイエス・キリストの信仰を信じることができたのです。

 多くの人々が神を信じると言われていますが、そのような信仰としては、神の天輪の心情を通じた上下の内的な関係を結びつけられないということです。また、数多くの預言者が来て行きましたが、彼らが信じて従ったことを通して、神様の中に有る愛の原則を知ることはできません。さらに、イエス・キリストは、多くの聖徒達が歩んできたその歴史的な信仰の過程全体を引き受け、単身ですべてのサタンの歴史を断ち切ろうとしました。4千年の信仰を総結実する立場のイエス・キリストは、宇宙の中でただ一人、信仰の主人公として来ていきました。

 この一つの基準のために、神はイエス・キリストを信仰の王として立てられました。イエス・キリストは神のご意志に代わって神の言葉を宣べ伝えました。旧約聖書を持って信じたものではありません。預言者達が言って預言したその一つの権利内で信じたものではありません。言い換えれば、イエス様はイスラエル民族が信じて出てきた旧約聖書の言葉圏内でのメシアの思想を持っていませんでした。

 イエス・キリストはどのような信仰を持っていたかというと、旧約聖書にない、それまでの歴史上になかった信仰、それまで現れなかった新しい信仰、世界のどんな環境、どこにも現れなかった信仰を持った信仰の代表でした。ですから、旧約の歴史がイエス・キリストの前で終わらなければならないということです。

 それでは、神の誇りとして建てられた信仰の王イエス・キリストを信じている私達は何を知る必要がありますか? 私達は、私達がある限界内で イエス・キリストを見れば、イエス・キリストが降臨する前の4千年の歴史と、イエスの30年以上の生涯と永遠の未来に及ぶ彼の価値を知ることができなかったことを知る必要があります。

 また、私達は神様のご意志を知らず、反対する側に立っていても、私はその意志一つだけを知る必要があります。誰も信じないことですが私は信じます、といえる信仰の基準が立てられてこそ、イエス様が万民の救い主、信仰の王として立てられたという事実を知らなければなりません。

 それでは、今日私達が信じているイエス・キリストは生きている間にみ言葉を語ってくださったのでしょうか。もしみ言葉を全部話てしてくださっていなかったら、私達にはまた来る主が下さるみ言葉が必要なのです。イエス様はアダムとエバの堕落以来、4千年ぶりにサタンの前でも、すべての被造世界の前で誇ることができた信仰の王であり、神様が求めようとした信仰の王でしたが、ユダヤ民族の不信により彼を敵に渡すしかなかったのです。

 それで、イエス・キリストがこの地に再び来て被造物の前に誇れる基準を持って来て、皆さんに新しい御言葉を与えて下さる様になっているのです。イエスは信仰の代表者であり、信仰の王として旧約聖書になかった新しい言葉を発表しました。その言葉は新約聖書の言葉として今日私達に伝えています 。

 今私達が踏まえるべきは、今日この時代は新しい時代であり、今後栄光の時代が来るのですが、その栄光の時代に残ることができる信仰を持てなければなりません。イエス・キリストの希望と信仰は、人間が4000年にわたって信じてきたレベルの信仰ではありませんでした。彼の一代を経て遠い後代、すなわち永遠まで及ぶ信仰や神様が考えられず、その当時に現れなかった愛と善を表した信仰でした。

 それでイエス・キリストは、歴史上になかった信仰の王であり、神様が誇ることができる方でした。イエス様と同様に、皆さんもこの信仰を持たなければなりません。


 それから2番目に、イエス・キリストを神が誇ることができたのは、多くの人が何千年もの間サタンと戦ってきましたが、イエス・キリストが愛で天の勝利の王として立つことができたからでした。それで、イエス・キリストを神様が誇ったのです。

 4千年間、多くの祖先がこの地に来てサタンと戦いました。メシアを送ろうとする神様の御心のために、数多くの預言者達が来てサタンと戦いました。しかし、彼らはサタンを屈伏させることができませんでした。4千年間サタンと戦ったがサタンを排除できず、サタンを屈服させることはできなかったが、イエス・キリストはこの地に来て、すぐにサタンを主管して屈服させた。

 イエスは何を持ってサタンを屈服しましたか。天の愛の原則を持って屈服させました。皆さんはそれを知らなければなりません。今日、私達キリスト教の人々が知っておくべきことは、サタンを屈服させることは愛の原則でなければならないという事実です。

 愛の原則はどんな原則でしょうか? イエス・キリストは万民の前で亡くなりました。また、この地上に数多くの人々が来て行きましたが、イエス・キリストは神様が極めて愛された一人の子であるということです。ですから、イエス・ キリストの約30年の生涯の生活を見ると、いずれかの部分、孝行者の生活ではない部分はありません。

 神様の前における一日の生活は、夜でも昼でも何の時間も切り離せない、神様の心にふさわしい生活でした。神様がご覧になるとき、「この地上にあなたは一人しかいないのです」といわれるほど、孝子の生活をしたということです。

 イエス様は自分の一生のすべてが消えても、ひたすら神様のための心だけでした。自分の肉身は無視されても、万民の救い主としての使命を果たすという心しかなかったということです。お父様! 私は私が消えて、あなたが4千年間にわたって訪れた愛の代わりに存在し、あなたの愛を受ける息子としてその愛の代価を返すことができる孝行者になります。というこの一つの心以外何もありませんでした。

 それで、億千万民がイエス・キリストを神様の子ではないとしても、神様はそうしてこそそうできなかったということです。天地の中心に結ばれた、神様の愛に引き寄せられた天輪の力は、誰も防ぐことができません。イエス様はいかなる困難の中でも環境に屈しませんでした。ゴルゴダ山上の孤独な場所でも十字架を持っていました。イエス様はその場に神様のご意志があることを知り、4千年の間楽しみにされた神様の愛の心情をよく知っておられたのです。

 ですから、神様の意志が変わらない限り、父の愛を受けることができる息子としての誇りは永遠です。神様はイエス・キリストを独身者として、神様の変わらない愛の化身体として来られた被造万物の前に誇りました。サタン世界の前に自慢しました。

 今日までの6千年の歴史上には、自分を産んだ両親に孝行を尽くした人が多いです。サタン世界の中での孝子孝女は多いということです。しかし、神様がイエス・キリストを誇り、イエス様の前に神様の愛を受けることができるためには、歴史上のすべてのサタン圏内の孝子孝女を合わせた以上の価値と実績がなければならないというのです。そうしてこそ、神様はこれは私の愛する息子と言え、天上天下で唯一天倫に代わる孝行者になることができるということです 。

 こういう基準を持ってイエス様が数多くの群衆を眺める様になった時、子どもがいなかったということです。そのようなイエスの心情だったので、自分の価値とその価値の間に天地の違いがあることを感じました。ですから、イエス様は、自ら凛々しく天の前に彼らのために祈ることができたというのです。

 また、神様と愛で結ばれた関係から出てくる力によって、サタンまで滅ぼすことができたということです。なぜなら、サタン圏内の多くの人々がサタンに同調することと、イエス・キリストが神に仕えて愛する基準とは比較にならないからです。イエス・キリストが神様の愛を持って現れるそこには、敵の前に撤退のような盾になったのです。それで、イエス様を中心に集まる各所ごとにサタンを屈服させることができるのです。

 イエス様は、4千年の間に先祖達が勝利したことと敗れたもののすべてを合わせて、自分の足場とすることができる一つの基準を勝ち取ったので、神様が誇ることができました。今日私達が考えるべきことは何ですか? これまで人類が6千年間サタンと闘ってきたのですが、どうしてイエス・キリストが4千年の間に多くの預言者達が勝利したことをすべて合わせた価値以上の勝利の実績を収めることができたのかを皆さんは考えてみなければなりません。

 また、わたし達の先祖達がどの様にサタンに対して勝利できたのかを考えてみることを知らなければなりません 。天が今、この地上の聖徒達に願うことは何でしょうか。イエス・キリストだけがサタンを屈服するのではなく、今日終わりの日には全ての聖徒達がすべてサタンを屈服させ、イエス・キリストの愛を通して神様の愛を感じることです。

 イエス・キリストは30年以上の生涯勝利の生活をしました。イエス様は勝利できない言葉は避けたということです。勝利できない言葉は避けました。イエス様が負けてサタンが近づいてくる言葉は避けたということです。男としては一人の人でしたが、一旦全体を責任を持てば、彼の言葉や行動や希望は全体を勝利の期待の上に載せることができる言葉と行動と希望でした。

 今日、皆さんはイエス様がこんなに苦労し、固めた勝利の足場の上に立っています。皆さんはイエス様からこのような賜物を受けているということです。今、皆さんがイエス・キリストがこの地上で勝利して成し遂げられた勝利の足場の上に立って、どうすればさらに高く上がるかというのが問題です。皆さんは天が皆さんのためにこの地に降りてきたことを知って、天に上がるまで勝利の汗を流さなければなりません。

 私達は私達の心に神の愛を満たさなければなりません。イエス様と聖霊の愛を感じ、天の愛を体験しなければなりません。イエス様は個人的に勝利しましたが、十字架にては霊的にのみ勝利の期待を拭きました。それで、2千年の歴史を終結しなければならない私達は、イエスの霊的な期待の上に立って、イエス様の体に代わって勝利の場を成しておかなければならないのです。また、私達には霊的な救いを完成させてくれる新約聖書の次元を超えて、実体的な救いを完成させてくれる新たな御言葉を天がこの地に宣言することになると、サタンがこれを反論するのですが、これまで責任を負います。戦って勝つ責任があるということです。

 また、次にイエス・キリストはどんな条件によって神様の愛を受けることができましたか。イエス様は責任を持つ王子になったので、神様の愛を受けることができました。イエス・キリストは、生まれた縁からヨセフの家で大工の働きをしましたが、責任を果たすために努力しました。ヨセフの家庭で大工の仕事を手伝いながら親が引き受けている家族の生計を助けてくれるこのような生活をしましたが、イエス様の心にはそれだけが生活の全部ではなかったということです。また大きな意志を心に抱くと同時に、小さなことにも責任を果たされたイエス様でした。このようなイエス様であったことを皆さんは忘却してはいけません。

 イエス様の生活はすべて自分の責任と使命を果たす生活でした。彼は永遠に残ることができる責任を地上に果たしたということです。イエス様の30年以上の生涯の生活は永遠不変の実績、責任を果たした実績をこの地上に成し遂げた生涯でした。ですから、イエス・キリストの御言葉が、キリストの信仰の福音が残っている以上、彼の生涯も残るのです。

 イエス様は自分一代においては言うまでもなく、歴史的な面でも責任を負ったというのです。そして、神様が4千年間働いてくださった御心に対しても一人で責任を負ったというのです。イエス・キリスト以外に、神様の責任に代わって出る者は、この地上には一人もいなかったということです。イエス様は単身で責任を果たしたことを皆さんは知らなければなりません。

 イエス様は、自分が一人で神様の御意に責任を負うことについて孤独でしたが、より大きな責任を感じました。それでイエス様の一日一日の生活は、全体的な責任を果たすための足場を置く生活でした。そして30年の準備時代と3年の実践時代、3日間の完成時代まで、イエス様の視線の前にはサタンを屈服させることと、その土台の上に神様の御心を成就させることしか考えませんでした。この責任を減らして生きようとか、イエス様は、ある瞬間にもこの責任を忘れたことがなかったのです。

 また十字架をもってゴルゴダの判定に出る時も、全万民が誹謗してサタンが嘲笑するそのような最後の瞬間にも、イエス様は引き受けた天輪の責任を一人で持って行くいう心は変わりませんでした。イエス様が責任完成の一念を持って十字架の峠を超えたため、復活の歴史を起こすことができたというのです。そして地上に残っている弟子達を再収拾しなければならない責任があったので、イエス様は天国に行ってから再び降りてきて、神様の力に頼って復活の働きを起こすことができたというのです。

 イエス様は死んでも散らばった弟子達を心配し、墓中の3日間にもこの弟子達を永遠に守ろうという気持ちを持っていたので、復活された後にガリラヤ等様々な場所にいる弟子達を訪ねられました。

 今日私達が人間的に考えてみると、責任感がなかった彼らについてイエス様が何故そうできたのかと考えやすくなります。難しい場所で排斥した弟子達ですが、イエス様は復活後にまずガリラヤを訪れて、自分の責任を果たし始めました。この様に死の峠を越えた時に変わらない弟子達として立ててくれたイエス・キリストの人格こそ、今日私達が学ばなければならない人格です。

 それだけではありません。当時の弟子達とそれ以降の数多くの聖徒達や2千年が経過した今日にいる私達にまで責任を持っていたことを知る必要があります。救いの歴史は全体の歴史でした。天の意志は全体を救うことなので、イエス様は全人類まで責任を持っているということです。

 それではイエス様はどのような責任を負っていますか。イエス様は世の中のことに対する責任を負っておられるのではなく、よく生きることの責任を負っておられるのでもありません 。私達の命を担当しておられるということです。皆さん、この世には難しいことが多いのですが、これ以上難しいことがないということです。生死の問題を担当したので…。

 今日、信仰者達は厳しいとすれば、難しいとすれば生死が行き来するという路に立っています。刃のようなギリギリな線上に立っている人々をすべて救い出す責任をイエス様は負っているということです。この様にイエス・キリストは昔30余年生涯を過ごした時もそうであり、死の道に入った時もそうであり、いつの時代にも同じ心でした。人間はこういう責任感と使命感を感じることができなくても、イエス・キリストはこの責任と使命、この一意を成し遂げるために今も活動しておられるということです。


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父の祈り(勝利の祈り)11ー2

2023年03月17日 20時10分10秒 | 学習
24


お父様!
私たちはあなたが求められる勝利の国を立てるため、この体を克服して導き、すべてのものを捧げていく覚悟をしなければなりません。
あなたがそれほどまでも求めてこられた勝利のひと日を、私たちは必ず見てから死ななければなりません。
あなたが望まれた勝利の国を、私たちが必ず建国してから逝くべき責任があることを痛感しなければなりません。
また、私たちはその国を立てる勝利の民族となることを願って進まなければならず、私たちがそのような民族を創建することのできる、一つの氏族の姿を身代わりし得る聖なる群れとならなければなりません。


少数の群れでもって全体の価値を身代わりしようとするお父様のみ旨の前にあっては、苦労の過程を経ないわけにはいかず、鍛練と試練と受難の過程を経なければならないというのが、歴史過程の実情であることを考えるとき、私たちがこの道を正当に歩んでいくことができるようにしてくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちにお命じください。
今、私たちの心は焦燥しなければならず、体は一つの所に向かって忙しく走っていかなければなりません。
自ら覚悟し、行きに行くべき姿であることを悟り、あすの遠い道に向かって走っていかなければなりません。


行くべき道を行くことだけが私たちの責任ではなく、開拓者の行路を手探りしていくべき責任が私たちにあるというこの悲しい事情を、私たちは知らなければなりません。


私たちの前に喜びと栄光と歓声が待つのではなく、闘いと悲嘆の曲折と、開拓すべき未開地が展開されていることを知り、それを凝視しながら行かなければなりません。


私たちが耐えてきた過去を誇るのでなく、今から耐えていくべき自らを誇ることのできる立場でなければ、この道を克服していくことができず、勇士としてあすの勝利を誓うことができないという事実を知らなければなりません。


私たちは、その国を主管なさり、その国を愛され、その国で権限を持たれるお父様に侍ることのできる日を望みながら行かなければなりません。
私たちが今、そのような環境は持つことができないとしても、これから近づく試練を越え、心の世界ではお父様に侍り、その国を望まなければなりません。
私たちは生活舞台で、開拓者の使命を遅らせる群れとなってはならないので、この時間、再び覚悟するようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今まで私たちはひ弱な群れでした。
ですが、私たちは手をつなぎ、体と体を合わせ、心と心を合わせ、心情と心情を一つに束ねて、あなたが運行なさることのできる一つの強固な基盤とならなければなりません。
私たちは千里万里まで飛ばすことのできる一つのミサイル基地のような者とならなければなりません。


お父様!
私たちに力をお与えください。
ひ弱な者たちを同情の心でもって抱き育ててください。
あなたが願われる目的の前に加担することのできる価値的な内容を私たちに付与してください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.11.1)


25


お父様!
あなたが願われるみ旨を、きょう統一教団と共に、この民族と共に成就してください。


あなたが望まれる創造理想を、全人類が一つとなって成就しなければならないということを知っています。
一つにするためには、主役を担う責任者たちがいなくてはならないでしょうし任せられた責任が大きければ大きいほど、その責任を果たすべき中心的な存在たちがそこに対応し、克服の路程を行かなければならないであろうと思うものです。


今、私たちに任せられた使命が大きければ大きいほど、現在の立場で強固な土台を築き上げ、周囲からどのような試練の路程が押し寄せてきたとしても、これを克服して消化し、吸収し、除去することのできる主体的な力の母体とならなければならないということを思います。
お父様、それゆえに私たちはお父様に頼るものです。


お父様は歴史路程を経てこられながら、私たちが受けている受難と患難よりももっと難しい受難の峠道を耐えてこられたことを知っています。
そのようなあなたから教訓を受けながら、あなたが指示なさる命令に従って、あなたの目的を勝利的に成してさしあげるために生きていく私たちが、環境に偏る度ごとに、私たちを主管なさり、管理してくださるお父様の手厚い愛を望みながら従っていますので、お父様、このような子女たちを記憶してください。


今後近づく試練の舞台が小さくなるのではなく、だんだん大きくなるであろうということを思うとき、私たちが統一すべき力の比重も大きくなるべきことを知っていますので、お父様、私たちが行く道にあなたの大きく広い愛の心で、あなたが先に成されながら、哀れみの心で導いてくださいますことを、再三お願い申し上げます。


流れていく歳月とともに自分の位置を失ってしまい、流れる波濤に押し流されていく人となってはなりません。
流れていく波濤がいくら強いとしても、それを切り開いて越えていくことのできる一つの磐石の土台となって、激しい流れの中でも自らの姿をはっきり表すことができ、正体がはっきりしたあなたの子女とならなければなりません。


そうでなくては、私たちが達成すべき所期の目的と行くべき道をすべて走破することができないという事実を知り、一心団結してお父様が残されたみ旨のために正道の基準を見つめながら、毎日毎日開拓者の使命を遅らせないよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.3.7)


26


悲惨な歴史を解怨成就するのか、できないのかという問題が、今日私たちの進退にかかっているという、とてつもなくもおそれ多い立場に私たちがいます。
その立場においては、生きようとしては神様を身代わりする勝利の将兵として現れることができないことを知っています。
勇猛な天の勇士が必要な時です。


ヨシュアとカレブを覚醒させ天がカナンの地を望ませながら、強く雄々しくあれと促した時が、正にこのような時でした。


ゴリアテの前にひ弱なダビデを立てたとき、ダビデは天を信じていで立ちました。
彼の着たものはぼろぼろでした。
牧童の身であり、家もなく村もなく、文化と伝統も備えていないみすぼらしい姿でした。


今日、統一教会の群れもさながらそのような身です。
世界の共産党の前に裸ん坊のような私たちは、ゴリアテの前に現れたダビデのような群れです。
私たちは棒切れも持っていませんでした。
ぼろの服を着たほかには何もありません。


しかし、お父様を愛する心、お父様を信ずる心は、その国に主権を持っている誰よりも強いのです。
その主権を持っている国民の強い力よりも、お父様をもっと信じています。
お父様、保護してください。
お守りください。
私たちの運命に決着をつけるべき時が近づいていますので、行く道をお守りくださり、お導きください。


あなたが自由の天地を見つめ、あなたがこの地にお座りになって蘇生するこの地を、天地を主管なさり得る日が来ることを望むものです。
これが孝子の心であり、この道に従うあなたの子女たちの心であることを知っています。


行くべき道だけが私たちの道であり、行くべき使命が私たちの使命であることを知ったがゆえに、今、私たちはまた行かなければなりません。
統一戦線守護のために、またいで立たなければなりません。


この民族をつかみ、涙でもって私たちが訴えなければならず、最後の日が来ると言って、覚醒してあげるべき責任があることを知っています。
その責任を私たちが果たせない限り、栄光の国、栄光の場は近づき得ないことを知っています。
真の栄光のひと日を恋い焦がれた大韓民国の民をお父様が記憶してください。
この者たちを捨てることなく探し求めてこられたあなたのみ旨が、恨みを残すことのないよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1972.11.5)


27


私たちは神様とサタンが怨讐となったそれを解決すべき主人公とならなければならず、媒介体となるべき立場にいるということを考えるとき、逆境と試練を問題にしない強く雄々しい群れとならなければならないので、お父様、力をお与えください。
強く粘り強い力をお与えください。決意に燃えても、直ちにそれが消える人とならず、一日の炎が千年を燃やして余りある、このような意欲に燃える天の勇者にしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


幼いダビデの視線には希望の光が差し、その心には天の感化を残すことのできる同族愛の心情が民族を越え、天にまで至ったことを知っています。
そのように、ここに集ったあなたの幼い子女たちの胸にも「天を求める道の前に何ごともできないことがない」という信念に燃えることのできる、すべての感覚を許諾してください。
五官を許諾してください。


ぶつかって行い、消化させられないもののない、そのような自主的な人間にしてください。
環境がこの者たちを占領するのでなく、環境を占領することのできる主体的な人間として、お父様、育ててくださらなければなりません。
そうすることのできる人を、あなたが必要とすることを知りました。
時が過ぎる前に、それをすべき歴史的な使命が私たちの目の前に横たわっています。
これ(=環境)をおいて後退するのでなく、これを打って押しのけ、除去し、前進すべき私たちの使命があります。


残されたそのひと日とそのみ旨が私たちを呼んでおり、人類の解放のひと日を私たちのために準備なさるお父様の心情が、私たちを保護しています。
最後の勝利の盾を取り、天と地を身代わりして勝者の権威を備えた勝勢のある者を、お父様が誇りたいということを知っています。


それだけでなく、お父様は私たちを万民の前に立て、サタンの前に立て、「私が愛することのできなかった者を、私が今、このように愛した」と語ることのできる、神様の愛を根こそぎ受けるに不足のない息子・娘となる時まで、いろいろな受難の道を通して耐え、闘い、勝って残されなければならないということを悟る群れとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


重要な人となるためには、より犠牲になり、より公的であり、より自分自らを放棄する立場に立ち、そうしながら冒険を断行することのできる人とならなければならないことを悟るよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1973.6.10)


28


お父様!
長たらしい歴史的な蕩減時代は過ぎていき、歴史的な新しい時代が私たちの目前に近づいてきました。
そのように手ごわく、そのように威厳を持ち、私たちに攻勢だったすべての怨讐たちは、既にみな斜陽の道に近づきつつあるのを目の当たりにします。


天が怨讐たちをそのような立場においておかれるのは、ひと時に全体を救うため、摂理の版図を広げるためであり、清算することのできる一時代の分別基準を立てるためであることを思うとき、私たちは彼らのために、彼らにまでも生きる道を開いてあげなければなりません。


イエス様が十字架で亡くなられるとき、十字架にくぎを打つローマ兵のために福を祈ってあげたのと同様に、私たちは実体的な現場で実体的に彼らを救ってあげる救世主の使命を代役することのできる私たちとなることを、新たにお誓い申し上げます。
出発を誓う時間となったことを心から感謝申し上げます。


教会が問題でなく、国が問題でなく、世界が問題でなく、私自身が問題であることを知り、私自身の罪を自ら清算して、天国まで向かうことのできる福地の土台を準備しなくては、その天国は私とは関係がなく、いくら統一教会の理念がいいとしても、この理念と私とは関係を結ぶことができないということがはっきり分かったと思いますので、どうか自らを批判しながら、昔アダムとエバがエデンで堕落したその基準を越えて、天だけを思うことのできる子女たちとなるようにしてくださり、光り輝く新たな歴史時代に入るようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


始めを正しくすることにより、過程が正しくなるのであり、終着点が正しくなることを思います。
今後、私たちを導いてくださるお父様のみ旨が、どれほど歴史時代を見つめながら現れたみ旨であるかを知り、お父様が最後の激戦場に立てた私たち自体が、どれほど強く雄々しくなければならないかということを知りました。


ゴリアテの前に現れたダビデは、たとえ牧童のみすぼらしい姿であったとしても、天を貫き、地を貫いて、天の保護を信じていで立ったがゆえに、ゴリアテが屈服したことを私たちは知っています。
今日、統一教会はこの上なく小さいものですが、思想的な基調で見ても、何で見ても、このゴリアテの前のダビデのような姿を身代わりしようと、身もだえする群れとならなければならないことを知っております。


私たちは強く雄々しくなければなりません。
徹頭徹尾一貫した信念を持ち、世界のどのようなものであったとしても、突破していくことのできる、直行することのできる信念に燃える統一教会の青年男女たちとなるべきことを強調しています。


その位階に連なっている分子たちが私たちだということを考えるとき、歩調を合わせ、同じ呼吸と同じ脈拍の鼓動の音を聞きながら、命令の前に順応し、自ら誓って一線に向かって駆ける天の勇士たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1975.1.5)

29


万宇宙の中心であられる天にましますお父様!
あなたの理想とともに全被造世界は顕現されましたので、あなたの愛とともに連結されて、万宇宙の中心たる人間とあなたが望む愛の巣を、この天宙に実現するための聖なるみ旨の完成を表してください。


このような使命を目の前にして、創造の偉業を成就させようとされるお父様の前に、地上の父母として責任を果たすべき人類の始祖たちが堕落することによって、悲痛なる歴史を編み、あなたの理想の世界は蹂躙され、愛の世界は十字架にくぎ付けられましたので、お父様の歴史的な労苦の前に、先祖たちを身代わりして謝罪申し上げます。


それだけでなく、この世界に広がっている人類は、神様はいないと言い、神様を知らず、神様に背く者が多く、神様はいないという共産主義が膨張する中、善の基準を混乱させ、あたかもうそと不義がすべてのものの中心であるかのようにのさばるようになった、このすべての悲しみの結果に処した人類をかわいそうにお思いになり、統一教会をお立てになって、個人を収拾し、家庭を収拾し、氏族、民族、国家、世界、天宙まで、混乱したすべての人間像を収拾するために、今まで地上で苦労されたお父様の労苦を思いながら、このために来ては逝った歴史的なすべての聖賢たちとイエス様と再臨時代の真の父母にまで受難の道を行かせた人類のすべての罪をお許しください。


また、それだけでなく、今、連結される後孫たちにまで現世の苦痛と経てきた過去の苦痛を中心として、蕩減条件の因縁が残されるという恐ろしさを知っているがゆえに、私たちはホーム・チャーチを中心として、それぞれ個人から家庭、氏族、民族、国家を越えて世界の前にこれを広げ、蕩減条件の環境をなくすために、全面的な前進をすることを誓っていますし、この運動を提示するようにしてくださった恩賜に感謝を申し上げます。


このような使命を果たすために、統一教会のこの場に集った各国のすべての中心家庭が先頭に立ち、伝統を見せてあげ、行うすべての実例を教えさせてください。
その次には、すべての世界がここに従って行動することのできる環境的与件を望まなければならない責任を遂行するにおいて、先頭で走っていくよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様がホーム・チャーチのために動ずるように、地上のホーム・チャーチを中心として全部が一心となって、お父様の前に孝行の道理を果たすことにより、お父様が喜び、霊界が自ら協助することのできる環境を成させてください。
そうすることによって、すべての国境を越え、悪なるサタン世界、悪なる共産主権までも、良心の召しに従って、お導きに従ってお父様の国とお父様の家庭に入ってくることができるよう、祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、韓国、日本、アメリカ、ドイツを中心とする全世界の国家が一つとなって、お父様の栄光を賛揚することのできる時を許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょう成されるすべてのみ業をお父様が祝福してくださり、この全体の上に祝福してください。
勝利を賛揚するきょうとなり、今月と今年となり、八〇年代となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
この式典を快く受け入れてください。


万世無窮であられるあなたの勝利が、きょうから長く伸びていくよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1982.1.1)


30


愛するお父様!
事由も多いあなたのみ前に手探りで立つ度ごとに、私たちの先祖たちが誤った罪状を、推し量ることのできないほど多くの痕跡を残した罪を考えるとき、彼らの後孫として生まれ、この地上に立つようになった事実を嘆かざるを得ませんでした。


歴史的な過誤も過誤ですが、現実に生きている四十億の人類たちが、厳然と存在しておられる神様を前にして、神様が死んだと叫ぶこの凄惨さを見つめ、数多くの宗教が自らの任務と使命を果たせないそのような立場に立っていることに対し、悲痛にくれておられるという事実を知ったがゆえに、私たち統一教会員はこの者たちに対して反論の旗を世界に高く掲げ、防御の領域を広げていかざるを得ませんでした。


国境を越えに越え、あなたの天意によって歩みながら、その国、その民族の前に残っている恨み多い歴史的な塀を壊すために、夜も昼もなく、前進命令とともに闘争している統一の群れを記憶してください。


歴史路程に燦然と輝き得る若い世代の伝統を残すべきその道を知りましたので、追われ追い回される立場におきましても、統一の群れが人類を代表して、このような伝統を後代の前に残すために身もだえしています。
そのような若い動きが原理研究会という名の動きであることを知っています。
若者たちが未来像の力の源泉として見せてあげることができるよう、天の力が共にあることを知り、前進を誓いましたので、この者たちを守り、祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


願わくは、激しい風がこの者たちの前に吹きつけるようにしてください。
暴風と台風の風がこの者たちをかすめていき、吹き寄せるようにしてください。
その風霜の中で堂々と残り、勝者の姿を備えた磐石のような若き青年男女たちとなって、三千里半島の大学街から出発し始めるとき、この大韓民国の未来は絶望ではなく、希望が近づくのを知っています。


きょうを契機として、一人でも、一つの生命でも、一人の若者でも決心するよう許諾してください。
そうして、正しい伝統を立て、未来において恥ずかしくない先祖の使命を果たすことのできる義人の父母、祖先たちとなることを誓う日となるよう祝福してください。


そうして天意によって、天意に従って自らの力量に従う権威の価値的代価を地上に残し、地上天国実現を永遠なる偉業として受けていくことのできる若き学徒たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この者たちが希望に燃えると同時に、大韓民国の未来に希望を加え、それだけでなく、アジアと世界と天宙の天意の道に前進する力強いその力とともに、国境を越え、アジアを経て世界をリードすることのできる若者たちとなることができるよう、守り、激励し、教え、導いてくださいますことを再三お願い申し上げながら、このすべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1982.10.24)


31


お父様!
心の門を開き、あなたの召命がどれほどとてつもないものであるかを一身で知りました。


私たちの体と心を整え、あなたの召命の前に、お命じになる命令の前に自らに誓い、勝利の王子になろうと宣誓することのできる厳粛な時間となりましたので、ここにお父様がお座りになって、一つ一つチェックしてくださり、あなたの子女たる名分をその心にもう一度再認識するようにしてください。


そうして、残る最後の頂上の峠を越えるにおいて、過去のすべての失敗と足らなかったことを忘れ去り、このひと時の勝利の記録として全体を身代わりすることができるようにしてくださり、厚遇なさったあなたの勝利の勝利圏が、私たちに連結されるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私たちの意志で消化させることのできる勝利のひと日を迎えることにより、ご父母様が備え、神様が備えてくださった永遠不変の天国企業を相続することのできる驚くべき事実の前に、感涙しながらひれ伏すのみである自らを発見することができるよう許諾してください。


言葉もなく恐れかしこまり、感謝する涙の生活、迫害の渦中においても、孤独な立場においても、あなたのために涙しながら、心に幸福の喜悦を体恤することのできる天の一族とならなければなりません。


そのような出発を予告するこの瞬間に、この者たちの希望と、この者たちの心にたけるあふれんばかりの決意の心情が再び爆発するようにしてください。


民族の環境を越えてアジアに、アジアの環境を越えて世界に、世界の環境を越えて天宙のお父様にこの地上で侍り奉る一つの王国建設の大道を明らかにすることのできる天の国の精兵であることを自覚するこの時間ですので、お父様、どうか各個人をつかんでくださり、自らの志として消化することのできる、主体であるあなたの前に子女として、愛を中心に対象圏を備えることのできる群れとなるようにしてくださることを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1983.5.8)


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父の祈り(勝利の祈り)11ー1

2023年03月17日 20時08分49秒 | 学習
1


お父様!
能力のみ言をもって現れてください。
私達全部を再びおつくりくださり、再創造の役事を起こしてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


難しい環境におきまして、私達一人一人を呼び立ててくださいましたので、今、私達は試練と困難の峠を越えていきます。
今、残っている実践の闘いで勝利の凱歌を歌う時となりましたので、お父様、力に力を加えてくださり、能力に能力を加えてくださり、復活の権能をもって現れてください。


暗闇に閉じ込められていた心霊が解放されるよう許諾してくださり、希望の炎でもって復活させてください。
ふさがった真理の園、悪が主管したこの世の中、六千年のお父様の恨みの土台を明らかにして余りあるお父様の生命の炎を許諾してくださいますことを、わがお父様、懇切にお願い申し上げます。


新しい歴史はお父様を中心として始められるということを知るものです。そして、歴史の基準を天に置かなければ、全体的な歴史の基準とはなり得ないという事実も知るものです。


お父様!
私達を立ててくださいましたので、新しい歴史を成就することができるよう許諾してくださり、新しい時代の天の精兵として立ててくださって、新しい園を建設して、歓喜の栄光をお父様に帰し奉ることができるよう恩賜を許諾してください。


闘いの障壁を切り開き、先知先烈達が行ったのと同じ道を尋ね入りました。
困難な道だという道を尋ね入りました。
立ち戻ろうとしても立ち戻ることのできない道に入ってしまいました。
一方的な目標に向かって、自主的な勇気を持って闘わなければならない時となったことを知るものです。
最後の情熱をみな傾け、他人よりも先に旗を揚げ、サタンに向かって突進することのできる天の精兵達となるよう許諾してください。


お父様!
残された闘いの祭壇を勝利の祭壇として刈り入れ、お父様の安息の祭壇、栄光の祭壇として収拾することのできる時まで、お父様、私達の行く道を守ってくださり、私達のとどまっている場所を聖別してくださり、喜びの勝利の白い旗を、この民族と全人類の前に立てても余りあるよう導いてください。
主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.4.8)


2


一つのみ旨を成すための路程が、万民の知ることのできない寂しい路程であったことを知るとき、ヤコブが歩んでいった二十一年の生涯が私達の信仰の行路として残っていることを思うとき、私達もハラン荒野を前にしてラバンの家に向かって歩んでいったヤコブの路程を手本として、み旨の道を歩んでいくよう同情してくださり、私達の友となってください。
私達の行く道を保護してください。


私達の行く道の前に多くのサタンが立ちはだかっていることを知っています。
暗闇の権勢が立ちはだかっていることを知っていますので、愛するお父様、ヤコブが歩んだ路程を手本として歩もうとする子女達の心に、鉄石のように変わらない一つの中心だけが残るよう許諾してください。
一片丹心、すべて傾け、天倫のみ旨だけを心に抱き、肉身のすべての条件を忘れてしまい、力いっぱい走ることのできる子女達となるよう許諾してください。


そうして、最後の凱歌をお父様の前に帰し奉る時までは、耐えながら闘っていかなければならない道が残っていますので、天よ、力を許諾してくださり、能力を許諾してくださり、ヤコブの寂しい心情を受け継ぎ、地から天の端まで架かったはしごを、天の天使達が上り下りするその栄光を眺める恩賜を、この場に許諾してください。


私達が最後まで協助なさる天のおられることを知るよう許諾してくださり、お父様の忍耐してこられた心情を知るよう許諾してくださいまして、お父様の永遠のみ旨が成されるその日まで、闘いの勇者として、忍耐の勇者として最後まで闘い、勝利するよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.7.3)


3


お父様!
シオンの一つの中心を捜し立てるために、数多くの先祖達が血を流しながらお父様の前に心配をかけ、負債を負った事柄を蕩減するために、今まで闘ってきました。


お父様!
この時間、私達の心と体にシオンの栄光が臨むよう許諾してくださり、永遠にお父様が臨在なさり得るシオンの喜びが私達の心に満ちあふれるようにしてください。


私達が、お父様が体と心を主管なさり得る栄光の息子・娘となるとするなら、私達にはそれ以上望むこともなく、それより望みがないことを知っています。


しかし、永遠であられるお父様のみ手に捕らわれることができなければ、この地上に私達のように寂しくかわいそうな者達はいないでしょうし、凄惨な者達もいないことでしょう。


この時間、傷ついた体と心そのままでお父様の前に出てきましたので、お父様、哀れにお思いくださって、闘いで引き裂かれた私達の傷を治療することができるようにしてくださり、お父様の心の中に秘められた愛の味が分かるよう許諾してください。


そうして、天の心に似て、天の栄光を中心として全体が歌うことができ、天の栄光を中心として全体が楽しむことができ、天のみ旨のために全体が頭を下げることができるよう許諾してください。
わがお父様、真実にお願い申し上げます。


きょうから持つ希望、きょうから持つ恨み、そしてきょうから感じるようになるお父様の愛に感動して、希望を持ってあすの闘いの峠を越えるようにしてくださり、生涯路程を行くにおきまして数多くの怨讐達の呪いの塀を越えるよう許諾してください。
そうして、平和の心だけが私達の心の中心となるよう許諾してください。
勝利を目指したもどかしい心情だけが、私達の生命の中心となって、この民族を身代わりして闘いの旗を掲げていくのに不足がないよう許諾してください。


今は終わりの時であり、人の言葉は必要なく、人を通したみ言は必要なく、人を中心としたみ旨は必要のない時であることを知っています。
ただ永遠なる生命の脈拍を通して働いてくるお父様の愛のみ言だけが必要なことを私達は知っていますので、私達がたとえ愛を体恤できない不安定な立場に処しているとしても、お父様、役事してくださり、火花のような目で監察してくださり、私達の心に秘められた喜悦の核心が現れるようにしてください。
あらゆる恐怖に捕らわれた私達、お父様の前に出ていって悔い改める子女達となるよう許諾してください。


お父様のみ手に捕らわれて、お父様の恩賜に感謝をしようとする者がいるなら、変わりなくそのような心をとどめるよう許諾してください。
聖なるお父様の前に、愛の息子・娘だという印を受けて余りある息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


生命の動きも一つであり、恩賜の動きも一つであり、栄光の顕現も一つであるとするなら、お父様、散らばった祭壇を垣根として、お父様のみ旨を中心として追い立てて、早く早くこの民族が一つとなることのできる喜びの祭壇を成してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを愛する主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.11.11)

4


数千年の間、先祖達が悲しみの城壁を積んできましたが、この城壁は、日がたてばたつほど低くなるのではなく、サタンが多くの知恵を使ってこの城壁を高くしています。


今日、全世界人類が、先祖達の誤ったこの恨みの城壁を崩すべき責任を負い、また私達もその責任を負っていることを知らなければなりません。


イエス様一人が悲しい道を行かれたのは、イエス様だけの悲しさであると思っていましたが、その悲しみが私達の悲しみとして残っていることを知るとき、今涙を流しながら天に向かって進むべき自分自身を発見するものです。


今、罪に対する切ない心情を抱いて、先祖達が犯したすべての罪の城壁を眺めるとき、あまりにもか弱い自分達であることを知るようになりましたので、お父様、これを押し出すことのできる、お父様の力を受け継ぎ得るよう許諾してください。


お父様!
寂しい立場にいるとしても、涙の障壁を開拓し、和動の園を成すようにしてくださり、お父様が心で心配してくださっているということを知っている以上、私達は躊躇する立場を離れて、休むことなく前進する者達となるよう許諾してください。


今、お父様の命令を奉じていで立った道ですので、死のうと生きようと所願成就の道に向かって突っ走ることのできる天の善なる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、「すべてのものを捨てて私に従いなさい」と言われたイエス様のみ言に応じることができ、そこに召しを受けることのできる息子・娘となるよう許諾してください。


お父様が喜ばれるみ旨の前に、願われる願いの園に向かって命令されるとき、躊躇することなく、すべての準備を備えてためらわずいで立つことのできる、天が愛してつかんでくださることのできる息子・娘達とならなければなりません。


そうして、六千年の歴史的な恨みを私達が担い、サタンと闘わなければならない責任がありますので、新たな覚悟と新たな決心と新たな誓いを備えて、百折不屈の心、善なる心を持って闘うことのできる勝利の勇者達となるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.12.23)


5


お父様!
天と地が一つの体のようになっていることを、私達はみ言を通して知りました。
天は主体であり、私達は枝葉であることを考えるときに、あるひと日、ある一瞬におきましても、天の愛と生命の津液(=体内からにじみ出る液)を受けなくては生きることのできない私達ですのに、今日天のひと枝と葉として生きるべき私達自体が、永遠であられる神様からにじみ出る愛の津液を受けながら生きることができなかったことをお許しください。


お父様!
今終わりの時となり、審判の日を予告するこの時に、私達自体が完全な根であられるイエス・キリストを中心としてお父様の愛に接ぎ木され得るよう許諾してください。


永遠であられるお父様の愛とイエスと聖霊の愛を通して結ばれる愛の実を、私達自体で刈り取ることを侍ち焦がれるお父様であられることを知っておりますが、私達自体がそこに到達するためには、あまりにも及ばず、不完全で未熟で、お父様の収穫の刈り入れをふさぐ者となるのではないかと恐れるものです。


今、私達自体をお父様にお任せしますので、お父様!私達を育ててくださり、見守ってください。
試練と患難の中で演壇をお守りくださって、一つの成熟した結実として完結し得るよう許諾してくださり、永遠であられるお父様の愛のみ手を経て、永遠の天国を成す結実体となり、刈り入れてさしあげることのできる収穫者となるよう許諾してください。


今、私達を通してキリストの日を成すことを促しておられることが分かるよう許諾してくださり、私達を立て、キリストの愛を表そうとなさる時であることが分かるよう許諾してください。


また、私達自体を立てて、二十世紀である今日におきまして、キリストの患難をつかんでいで立つことを待ち焦がれておられることが分かるよう許諾してくださり、お父様、天城に向かって走っていく私達の歩みが、自分を中心としないようお導きくださり、自分を中心として祈祷する場にとどまることがないよう許諾してください。


すべての悪が侵犯することのできる要素を退け、いで立つことができるよう許諾してください。
お父様が運行なさり、お父様が願われるそのみ旨を成すために、どのような険しい闘いの道だとしても、倒れ落胆するしかない道だとしても、耐えていくことができるよう、お父様がつかんでくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今日私達がイエス様を身代わりして、イエス様が地上において成すことができなかったことを身代わりして成すようになるとき、この民族の前に迫害を受けるようになるとしても、そのすべてのものを耐えることができるようにしてくださり、天のために生きるようになるとき、この地上の人類から侮辱され、困難を受け、悲しみを受けるようになるとしても、十分に克服し、残ることができるようにしてください。


六千年が経過した今日、イエス様が収穫のひと日を待ち焦がれながら私達を呼んでいらっしゃいますので、私達を通して歴史的な悲しみと十字架の血涙の跡を刈り入れられ、私達が勝利の盾となることができるように導いてください。
希望の実体であるイエス様が、きょうも私達がサタンを主管することのできる資格者となることを待ち望んでいらっしゃることを忘れないよう許諾してください。


そうして、お父様の喜ばしいみ旨を心に抱き、きょうも天を身代わりして闘わなければならず、生涯路程を捧げてお父様のみ業を行って、私一代において使命が終わらなければ、後孫達を通してでも怨讐サタンを屈服させなければならないという決心を抱く息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.12.30)




6


神様は善の司令官であると同時に、悪に対して闘っている、お一人しかおられない私達の総司令官であることを感じるよう許諾してください。


六千年の間変わりなく休むことなく闘ってこられたお父様の形状に似て、またイエス・キリストの精誠の路程に倣い、あなたの体面を立てることのできる私達聖徒となるよう許諾してください。


きょう、闘いの過程にとどまっている私達、自分を中心とした神様となってくださることを望み、自分を中心としたイエスと聖霊となってくださいと祈る愚かな者達とならないよう悟らせてください。


天の闘いを身代わりし、その闘いに勝利することのできる天の精兵として現れるべき私達であることを知るものです。
ある民族を中心とした精兵や、ある世界を中心とした精兵となってはなりませんので、永遠なる天の理想と不変の愛と天のみ旨のために、不変の志操を守る天の精兵達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


六千年の間耐えてこられたお父様が、私達に命令をお下しになるときに、私達があなたの心中を察することのできる価値のある人格者となっていないとするなら、お父様が親しく私達に命令をお下しになることができないことを、私達がこの時間知るよう許諾してください。


二千年の間苦労されたイエス・キリストも、真正で公平で義理堅く、法度にたがうことなく、天を身代わりすることのできる不変の姿を備えた栄光の資格者でなければ、親しく命令なさることができなかったということを私達が知るよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達に残された宇宙的な願いがあるとするなら、その願いは、私達が宇宙万象の全体的な責任を負うことのできる精兵となって、全被造万物を解放し、万人を喜ばせてあげることであると知るようにしてくださり、天の命令を奉じて責任を果たすことができ、使命感に酔うことができるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天のみ旨をこの地上に探し立てるために、天の法度を知り、宇宙の闘いの法度を知って、不変の中心を身代わりして、永遠であられる神様の理想と復帰の栄光が全被造万物に現れる時まで、私達は変わろうとせず、休もうとせず、ただ闘おうとだけする息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


すべてのものを超越して、お父様の喜びと栄光だけのために死の道をも意に介さず、勇進していく天の精兵達となるよう、私達をお導きくださいますことを祈りながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.4.14)


7


私達の心が望む希望は、永遠であられるお父様の理想の園でしたし、私達の体が望むことは、サタンと闘って勝利した栄光の姿を、お父様の前に誇ることのできるひと日を見いだすことでしたので、私達の心がお父様の栄光をまとい、私達の体がお父様の形状に似て、私達の体と心がお父様の喜びの対象となり、栄光の姿として現れるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


そのような勝利の息子・娘の形状を備えるべき私達だとするなら、その心をお父様の栄光の前に、その体をお父様の性相の前に、自らのすべてのものを差し出し、おそれ多くかしこまった姿でもって過ぎし日の足らなかった自我を悔い改め、反省することができるよう導いてください。


お父様!
私達に心からお父様の愛を欽慕し、お父様の人格に似ようという心があるとするなら、きょうのお父様のその悲しみが私達の悲しみであり、お父様の切なさが私達の切なさになるべきことを知っていますので、愛するお父様、そのような私達となるよう役事してください。


愛のお父様!
私達の中に、体と心が死亡と暗闇の道に行きつつあるのを知りながらも、いまだに悔い改めることができずにいる息子・娘達がいますでしょうか。


お父様、能力をもって現れてください。
お父様、力をもって現れてください。
お父様、再創造の復活の役事を起こしてください。
そうして、私達の体と心に、お父様の無限なる愛の懐に向かって駆け込むことのできる能力を備えるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
時間がたてばたつほど、最後の闘いの日が私達の目前に来ていることを知るよう許諾してくださり、その闘いの場におきまして落胆する者達となることがないよう許諾してください。
お父様を身代わりして最後の勝利の一基準を立てる時までは、闘いに闘っていくことのできる天の精兵達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうまで私達と共に悲しまれ、私達と共に闘われ、私達と共に困難にぶつかってこられたお父様、今、お父様の望みのひと日を眺めて闘うべき新たな闘いが、私達に残っていることを知っていますので、お父様、私達に無限なる能力を注いでくださり、その闘いに勝つことができるよう役事してくださり、どうか足らない姿とならないようお助けください。


そうして、この民族がお父様の愛の懐に抱かれ、さらには、民族を通して、この地の数多くの人類がお父様の栄光のひと日を迎えることができるよう許諾してください。
また、人類を通して天の千々万聖徒達まで和動する、二つではない一つの世界を成し、お父様の栄光を賛揚し、お父様の愛を体恤して生きる新しい復帰の園が、早く早くこの地上に成され得るよう役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.10.13)


8


死んだとしても、あなたの遺業を継承しなければならない闘いの歴史が私達に残っていることを考えるときに、とどまっている私達自体をお父様の前に差し出し、果たして闘うことのできる天の精兵、闘って勝利することのできる天の精兵となっているのかを、私達自らが反問することができるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が闘うべき怨讐は、地上のある一人ではなく、六千年という長い長い歴史過程を経ながら神様に対して反旗を翻し、神様を讒訴した、公衆権勢をつかんだサタンだということを私達は知っています。
きょう、このとてつもない怨讐をお父様の前に屈服させるべき責任と使命が私達にあることを思うとき、私達は今まであまりにも安逸な生活を願い、あまりにも恩賜に清かってお父様の愛ばかり受けようとしたことを悟るものです。
お父様、お許しください。


怨讐達を屈服させるためには、激しい荒波と闘いと十字架の逆境におきましても、その精神と心が変わってはならない立場にあるということを、今まで私達は忘却していましたが、今からは変わらない心をつかみ、億万のサタンに対して一人闘うことのできる天の精兵となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


このみ旨を奉じていく中、闘いに疲れてしまった息子・娘がいるでしょうか。
お父様、力を許諾してください。
躊躇する者がいるでしょうか。
お父様の勇気を許諾してください。
そうして、勝利の目的に向かって走ることができ、闘いの目標に向かって真っすぐ走っていくことができ、突進することのできる愛する息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


最後の接戦を経て、勝利をもってゴルゴタの峠を越えるべき責任が私達にありますので、お父様の力と心と覚悟と決心を持ち、このすべての戦場に向かって走っていくことができ、恨みが積もり勝利することのできるお父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


心がとどまるところがどこなのかを、お父様の前にあらわにするようにさせてください。
お父様のみ旨を一つの目的体として現し、サタンと対決して勝利の基準を現すべき使命を持った息子・娘達が、お父様、ひ弱な立場にいるでしょうか。
力をお与えください。
お父様の前に祈祷し、天の悲しみをそそる者がいるでしょうか。
お父様、喜びを許諾してください。
天を見いだそうと心を砕く者がいるでしょうか。
善と公義の役事をもって現れてください。


今、私達が進むべき闘いの路程におきまして、障壁が前をふさぐとしても、一人これに責任を負い、お父様のみ旨に向かっていくことのできるお父様の息子・娘となるよう許諾してください。


イエス様が十字架を前にして、無限の苦痛をお受けになりながらも、これを克服していかれた勝利の姿に倣い、私達も最後の生命をみな捧げてでも、勝利することのできるお父様の息子・娘の基準を立てることができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.10.27)


9


霊界では第二イスラエルの名で位階が編成されていますが、今日世界に散らばっているキリスト教が第二イスラエルの位階を成すことができずにいます。
お父様!
眠っている民族を目覚めさせ、眠っている世界のキリスト教徒達を目覚めさせて、地上で第二イスラエルの祝福を身代わりすることのできる位階を造成し、霊界が一つとなり、今日第三イスラエルを世界的に建設することのできる選民権を私達に許諾してください。


そうして、位階をもって組織された氏族を通して、民族を通して、国家を通して世界型まで経ていくべき天的な使命を私達が引き継ぎ、モーセが闘った路程を私達が引き継ぐよう許諾してくださり、イエス様が闘われた路程を私達が引き継ぎ、サタンの非難と讒訴を退け、さらにはお父様に侍ることができるよう許諾してくださり、お父様の栄光を私達に許諾してください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


神様が選んだ選民イスラエルの苦難に打ち勝つことのできる喜びの息子・娘として立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
私達が世界カナン復帰路程を成就するよう許諾してくださいまして、今、サタンとの闘いの路程で、私達が一つに結束して勝利するようにしてくださり、一つの中心的なイエス様のみ意の前に反逆する群れとならないよう許諾してくださり、苦労させる群れとならないよう許諾してください。


今、私達は天にご心配をかけず、第三イスラエルを成就しても余りある息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.2.9)



10


お父様!
自由の園を失ってしまった人間、解放の園を失ってしまった人間、統一の園を失ってしまった人間達を哀れにお思いください。
失ってしまったすべてのものが、外的世界において解決されるとだけ思っていましたが、外的には一定の基準を備えてきながらも、内的には分裂してきた歴史的な悲しみを私達は知りました。


今、問題となる内的な自由の世界、内的な解放の世界、内的な統一の世界を勝ち取ることのできる神様に対する生命の力が、愛の力が、理念の力が私達にみなぎって、死亡までもあざ笑い、苦痛と悲しみと悔しさをすべて踏み越えることのできる一つの心情の基準が、私達の心に立てられるようにしてください。


そうして、心情の世界では全体の聖徒の自由さを感じることができ、全体の環境も感じることができ、全体の生命までも動き出し得るということを私達が知るよう許諾してください。


お父様!
きょうの歴史的な世界を眺めるときに、内的には分裂を助長しながら、外的にはいかにもそれらしく統一の形態を備え、物質を中心として動いてきているということを知るものです。
しかし、内的に見るなら、それとは反対に精神の窮乏を避けるために、生命の窮乏を避けるために、愛の窮乏を避けるために歴史が流れてきたということを知りました。


お父様!
今日この地上に生きている人間の心と心に、今、物質的な飢饉と枯渇だけでなく、物質的な追及だけでなく、精神的な枯渇と精神的な追及を受けていますので、これを満たしてやることのできる聖霊の炎、お父様の生命、お父様の愛の力を許諾してください。
そして、それが爆発するところにおいてのみ、得ることのできる内的なすべての生命、追求した自由の理念までも消化することのできるお父様の自由の心情、お父様の解放の心情、お父様の統一の心情を私達に許諾してください。


捜しさまよわれた苦労の歴史路程の前において、今、私達の心情にお父様の心情が爆発するよう許諾してくださり、お父様の生命力、お父様の理念、お父様の愛を中心とした、生命を基盤とした自由、理念を基盤とした自由、愛を基盤とした自由、そしてまた、それらを基盤とした解放と統一が成されたその全体を所有して、「お父様!今こそ慰労をお受けください。あなたの心がこうだということを知りました」と言いながら、歴史路程で苦労されたお父様の願いを解怨してさしあげることのできる、心情的な基盤を備えるよう許諾してください。


そうして、お父様に侍り、栄光を受けることのできる生命と理念と解放を歌うことのできる立場で、復帰の悲しみと復帰の苦痛と嘆きを解怨する自由の回復運動を摂理されたお父様の心までもすべて解怨し、世界の人類全体がお父様に侍り、自由を歌うことができ、解放を歌うことができ、統一を歌うことができるお父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.10.12)

11


きょう、私達がお父様のひざの前に再び集いましたが、悲しいお父様に栄光を帰し奉れないのではないかと心配であり、お父様が望まれるみ旨の前にとてつもない過ちを見せるのではないかと心配ですので、お父様、ふさわしくない私達であるとするなら、自ら低い立場に処してお父様の哀れみを望むことのできる懇切な心だけでも持つよう許諾してください。


お父様が助けてくださらなければ、どうして私達がこの地上でお父様の栄光を眺めることができ、お父様の心情に残される私達となることができるでしょうか。
そうできなければ、どうして私達が許された園のみ旨を眺めることができるでしょうか。


お父様!
あなたの心の中に残され得る群れ、あなたの心情に和することのできる群れ、あなたと共に生活することのできる群れとなることを、私達は最初から心に描き、またそのみ旨を見つめてきました。
お父様の前に誓った私達、お父様の前に決心した私達、そのお父様の命令に従順になり得る私達自体となっているかを、自ら反問してみるこの時間となるよう許諾してください。


終わりの日は近づいていますが、お父様のために責任を負う群れがいないことをご覧になり、お父様が嘆息しておられることを知っています。
私達、お父様を求め、お父様の栄光を見つめ、お父様の息子だと、心では自任していますが、お父様のお残しになったみ旨、お父様の許諾された摂理、お父様の闘いの路程におきまして、ある一分野に責任を負い現れる群れがないことをご覧になり、お父様が嘆息していらっしゃることを知っていますので、お父様、私達がこの時間再びお父様の前に贖罪の祭壇を築き、痛悔の涙を流すことができるよう許諾してください。


荒野路程で安息を望む心を持ち、お父様を恨みながら荒野で倒れてしまったイスラエルの群れを、私達は知っています。
今日、私達はそのような姿とならないために、この時間お父様のみ手をつかもうと集いましたので、お父様の栄光に参与する群れとなるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


地に対して苦労するお父様の息子・娘を探し求めているこの時、単にお父様に対して自分だけをつかみ、とどまる者達とならないよう許諾してください。
自ら足らなさを感じる私達、お父様の祭壇の前に現れることのできない足らない自分達ですが、み旨のためにゴルゴタの道を最後まで死守できるあなたの息子・娘となるよう許諾してくださり、最後まで残される群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.10.19)


12


お父様!
永遠なる生命を動かすためには、生命は生命でもって動かなければならず、愛は愛でもって動かなければならないということを知っています。
お父様、そうですので、生命の主体であられるお父様が生命として現れてくださり、愛の主体であられるお父様が愛として現れてください。


私達はその生命の枯渇を被っていて、愛の枯渇を被っています。
そうでありながらも、すべての理念的な面で窮乏なる立場におきまして、一日の生活すら保護することのできない足らない者達です。
天と地に背反して理念を失ってしまった堕落の恨みを、私達が胸に抱いてきょうも悲しみ、お父様の前にひれ伏しますので、かわいそうなこの者達を、お父様、抱いてください。


お父様が知らないと言われれば、誰が私達を引き受けてくださり、お父様が捕まえてくださらなければ、誰が私達を捕まえてくださるでしょうか。
私達の前には指導者もなく、師もありませんので、ただお父様だけが私達と共にいてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達が困難なことにぶつかるときや、悲しいことにぶつかるときごとに、お父様が私達の心を慰労するために苦労なさることを知るとき、お父様の前に面目ない私達であることを申し上げざるを得ないものです。


「行け」と言われる道に従って、私達が迫害される歩みをたどるのをご覧になり涙されるお父様、申し訳ございません。
「来い」と言われるお父様の召しに応じて、お父様が歩んでいかれた足跡に従っていで立った私達であり、死の道をも覚悟した私達ですので、お父様、死の道が現れるとき、死亡線を怖がって、その手前で退く者達とならないようにしてください。


私達の体が引き裂かれ、心がずたずたに引き裂かれる痛みが迫るとしても、お父様の嘆息が残り、お父様の恨みが残り、お父様の愛が残っている限り、すべてのものを克服していで立つことのできる天の真なる勇士、天の真なる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.12.21)


13


今、宇宙的な悲しみの歴史路程を清算し、新しい喜びの歴史を創造しなければならない時がやって来ました。
お父様、私達の力が足りませんので、強い力をお与えくださり、強い欲望を持つよう許諾してください。
新たな勇猛性を備え、目標に向かって自信を持って前進することのできる、天の精兵の姿を備えるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


カナンの地を眺めるヨシュアとカレブにお父様は「強く雄々しくあれ」と言われました。
怨讐に対しているヨシュアの前に立てられた一つの基準は「強く雄々しくあれ」というものでしたので、今日、私達の姿も強く雄々しくカナンの都城に向かって総進撃しなければなりません。


最後の決戦が目前に迫ったこの時、闇の勢力に対して、この地上で責任を負って闘うことのできる息子・娘が必要なことを知っています。
お父様、ここに集ったあなたの息子・娘が、そのような責任者となることができるよう許諾してくださることを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


ここに集った息子・娘達の心と心を主管してください。きょう、自らを立てて主張する者がいるでしょうか。
自らのある主義や思想や自らの観念を通し、自らの認識を通してお父様に対する者がいますでしょうか。
こうした者はお父様の絶対的な権限が分からない者であり、お父様の背後の苦痛が分からない者です。


恨みと悲しみで六千年間ふさがっていた死亡の障壁を、切り開くことができるようにしてください。
そうして、千々万の聖徒達が動ずることができ、三位神を中心とした霊界の数多くの霊人達がこの時間、歓喜の誦詠を捧げるようにしてください。
万有万象のすべての存在の前に、復帰と解怨の日を約束し得るこのひと時となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.12.21)


14


今まであなたのみ旨のために来ては逝った人々が多くいましたが、取るに足らない私達を呼んでこの場に集わせてくださったのは、あなたのあまりにも大きな恩賜であることを知っていますし、あなたが私達をお集めになったのは、命じようとなさるみ意があってであるということを知っています。
お父様!
この時間、個々人の心霊の上にあなたの生命のみ言と生命の恩恵をお与えくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達はきょうもあすも、希望の園を見つめながら闘いの一路を開拓しなければならない戦場が残っていることを知っていますので、私達の体と心が強く雄々しく死亡の波をさらって追い出すことができるよう導いてくださり、生命の権限を持って復活の恩賜を誇ることのできるあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


愛するお父様!
この民族を代表して集う数多くの教団を祝福してください。
特に寂しい中であなたの前にひざまずき、懇切に祈祷している食口達にも、お父様、祝福の恩賜をお与えください。
一律的な恩賜のみ手をもって彼らを保護してくださり、一律的な役事をもって彼らを勧告してくださいまして、残された闘いの場において、サタンとの最後の激戦で敗北する者達とならないよう保護してくださり、栄光の凱歌を高く叫び、お父様の息子・娘だと誇ることができるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


多くの群れがお父様のために努力しましたが、終わりまで耐えて勝利することができなかったことにより、その努力と苦労が結実しなかったという事実を知っていますので、お父様、終わりまで耐え、終わりまで努力し、お父様の前に最後の結実を結んでさしあげる時まで、きょうもあすも、いや一生をかけたどのような闘いも意に介さず、前進することのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.3.22)

15


お父様!
今まで私達は、お父様のみ旨が何であるかを知りませんでした。
歴史的なみ旨も知らず、時代的なみ旨も知らず、個人の生涯と生活に対するみ旨も知りませんでした。
しかし、おそれ多くも歴史的なみ旨を知ることのできる恩賜を許諾してくださいましたので、感謝を申し上げます。


時代的な心情、生涯的な心情、生活的な心情、時間的な心情までも教えてくださいました恩賜に、お父様、本当に感謝をするものです。
この心情を抱いて、私達は使徒の門を通過しなければならず、キリストが行かれたその道に従って、狭い門から入らなければなりません。


そうして、死の峠におきまして闘って勝利し、復活の恩賜を得ても余りある者となり、再び地上に復活した善の氏族を残し、実を結ぶようにして初めて審判を避けることができるというみ言を知っています。


善なる実を結べない木は、すべて切って捨ててしまうと言われましたので、善なる木とならなければなりません。
善なる木となって、善なる実を結ぶ者達となるよう許諾してください。


イエス様も善なる実を刈り入れるために二千年の間闘ってこられたので、今日の私達も復活の恩賜に浴して、善なる木として善なる実を結ぶことができるようにしてください。
地上にその種を蒔いておき、逝くことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


これがお父様のみ旨であり、これが地を訪ねてこられたお父様の目的であり、これがお父様が闘ってこられた内容であることを知り、そのみ旨、その目的、その内容に徹して生活することができ、闘うことができ、お父様をつかむことのできる私達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お残しになったみ旨をすべて成し、駆けていくべき道をすべて行って、主を慰労することができ、お父様を慰労することのできる最高の孝子孝女達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.4.26)



16


死亡の波が逆巻く塗炭の苦しみの中にいる私達人間は、この地上に哀れみのひと日をお開きになるために長い長い歳月の間苦労され、悔しさにぶつかられながら闘いの歴史を摂理してこられたお父様の前に、面目を立てることができず、お父様が信じようとしても信じることのできない罪人達であることを悟るものでございます。


今、エジプト苦役時代のような六千年の歴史を解放させてください。栄光のひと時とひと日を約束されたことに感謝を申し上げます。
数多くの先知先烈達をして、先に血涙の道を歩むようになさり、行くべき道はこうだと、その行くべき方向を指示された時が一、二度ではなかったことを、私達は歴史を通してよく知っています。


哀れみのお父様!
愛のお父様!
慈悲のみ手をもってこの地をおつかみになるのは難しいことを知っている私達です。
不忠で不備なる者達ですが、あなたの哀れみを欽慕し、あなたの愛が慕わしくてお父様のみ前に出てきましたので、お受け入れください。
嘆息と悲しみが残っているこの地に生を受けている私達を、哀れにお思いください。現実の生活にあえいでいる私達を哀れにお思いください。


天の心情を抱いて心配する者がいるとするなら、この地を涙と悲しみをもって見つめないではいられないはずです。
また、天のために痛哭しないではいられない心情を、私達は痛嘆しないわけにはいきません。


願わくは、そのような心情に徹し、カナン福地を望むエジプト苦役路程のような六千年の試練の歴史の嘆息圈を、お父様、除去させてください。


人間は望み信じ従ってきました。
行く道は苦役の路程であり、行く足取りは悲しみを促すものであることを知っていますが、恨みの堕落行為を犯した人間であるために、行くまいとしても行かざるを得ないのです。


絶望のどん底であえぐ人間は、天の約束を知ったその日から、この死亡のどん底から抜け出すためにあえいできましたが、今日までサタン隷下から抜け出すことができずにいることを知っています。
また、その中に、誰よりも私達自身が存在しているということを知っています。


今、生きるために、ただ生きておられるお父様を呼ぶべき時が来ましたし、摂理のみ旨をお立てになったお父様のために忠誠を尽くす息子・娘達が現れなければならない時が来ましたので、不備なる自らを怨嗟し、不完全なる自分を嘆息し、不忠なる自らを打ちながら、きょうもあすも、その国を立てるためにあえごうと、懇切なる心情だけでも持つよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
イスラエル六十万大衆が宮中を脱出した時には、喜びの歓呼の声が天を突きましたが、その後パロの戦車があとを追ってきた時には嘆息し、天を恨んだ先祖達の歩みをよく知っています。
今日、私達がお父様の前にいで立つとき、喜びの心情があるでしょうか。
その心情に反して天を恨む心情が大きくなるのではないかと心配です。


どのような曲折とどのような悲しみにぶつかるとしても、怨讐達が罪悪の洞穴を掘って待っているとしても、粘り強く闘って、天の精兵らしい志操を喪失しないようにしてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


行く道には峠もありましょうし、砂利の多い土地もあるでしょうし、荒れ地もあるでしょうし、怨讐達が私達をねらうときもあるはずですので、既に覚悟した決心でもって、すべてものを意に介さず、きょうもあすも闘いの一路を開拓し、約束したカナンの地を解放する時まで、その心と心に責任を感じ、突進することのできる天の勇兵達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.5.17)


17


お父様!
歴史路程を経てきた私達が、自らの反映を世界に転じ、世界の反映を私達の一身に備え、この世界を動かされるお父様に侍ることのできる孝子、孝女、忠臣となるよう許諾してください。
これがお父様の願いであることを知りました。
私達、今からでもみ旨のために犠牲になろうという新たな覚悟のもと、天のみ旨の前に凛々しく立つことのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達の前に険しい道が訪れ迫害が連なるとしても、お父様を思い、寂しさに涙があふれ出るとしても、お父様を思い、悲哀の曲折に浸って、身の置き所のないときでもお父様を思い、この道は私が行くべき道、一生の仕事とすべき道と思い、有り難く思いながら行くことのできる息子・娘となるなら、私達は滅びることがないことを知っています。


そのような私達を通して、この民族は新たな方向を知る時が来るでしょうし、世界人類の新たな文化の基準、新たな視点を立てる時が来ることを知っていますので、私達、天情の因縁を備え、天的な心情の園を建設するためのラッパを高らかに吹き、行軍する勇士達となるよう許諾してください。


サタンの終末を見るために、敵陣に向かって総進軍するあなたの息子・娘となるよう許諾してください。
そうして、天が失ってしまった人間達を取り戻し、天の懐に再び帰らせ、勝利の凱旋歌を歌って余りある息子・娘となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天が任せようとなさる時代的な偉業、世界的な偉業、さらには天宙的な偉業を担うに不足のないよう、お父様が抱いてくださり、鍛練してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1960.10.16)



18


お父様!
行けと言われた所を訪ねてきました。
来てみると、最後の闘いが残っていることを知るようになりました。


約束の地、カナンの福地を喜びをもって見つめながら進んだイスラエル民族の前に、ヨルダン川が横たわっていたように、私達の前途にも最後の闘いが残っていることを知りました。


時を迎え、一地域に向かって行けという命令を受け、希望の拠点に向かっていったその群れの前に、ヨルダン川を渡るための三日の闘争路程があったことを知りました。


今日まで綿々と続いてきた凄惨な歴史の血痕が、きょう私達から勝利のものとして刈り取られるべきことを知るものです。
お父様!
今は最後の特命を受けて悲壮な覚悟を持ち、父なる神様の宝座に向かって厳粛に歩みを踏み出さなければならない深刻な瞬間であることを知るものです。


私達の体と心が私達自身のものではないことを知りました。
私達は誰のものであり、誰のためにこの場にいるのでしょうか。
私達はお父様のものであり、お父様のために存在しています。


私達の補給地は地上ではないことを知りました。
体の補給地は四方性を備えていますが、心の補給地は困窮と苦痛と悲しみと悲哀であることを知りました。
これを突き抜け、定着しなければならない最後の城壁に到達し、最後の突撃命令を待つ瞬間であることを知りましたので、この瞬間に、私達が実を結んで倒れようという悲壮な覚悟と誓いと信念を持つようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


み旨に背反し、悲しい歴史路程に一層悲しみを加えた者達を打たれるお父様を、恐れることのできる私達となるようにしてください。
肉がそがれ、骨が折れるとしても、心に決めた決意が変わることなく、最後まで残され得る私達となるようにしてください。
不変の中心のためにこの体と心すべてが捧げられるとするなら、何の恨みがあるでしょうか。


寝ようが覚めようが、食べようが飢えようが、神様の一線を守るべき精兵であることを忘れないようにしてください。
飢え渇き、病んだ流れ者のような身であるとしても、お父様に向かう誓いを破ることのない群れとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
お父様のみ意のままに成してくださり、勧告なさったみ旨が私達によって結実されるようにしてください。
主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1960.12.11)



19


お父様!
特別に時代的な困窮が私達の前に近づき、時代的な飢えが私達の前に近づき、時代的な絶望と嘆息が私達の前に近づいてくるとしても、これを無難に越えていで立つ天の息子・娘となることができ、死亡の世界から復活の権勢を備えて、勝利の旗を立てることのできる統一の役軍となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達の中に、足らなくてお父様のみ意のままに動ずることのできない者がいるなら、打ってでもお父様が願われる希望の地の上に立たせてください。
死をもってでも、勝利を立ててみせるというのが天のみ旨であることを知っていますので、私達もそこに歩調を合わせて、死を覚悟してついていこうという信念だけは捨てないようにしてください。


イスラエル民族がカナンの地に向かって行軍するときに、モーセが倒れる者達にむちを取り、打ってでも荒野路程を越えさせていたなら、イスラエル六十万大衆は、荒野ではげたかのえさになりはしなかったでしょう。


この民族全体が心で信じ生活で一つとなって、離れようとしても離れることのできない因縁の中で、むちを取って打ってでも私を導いてくださいという決意と誓いをすることのできる民族的な運動を展開しなければならない時が来たことを、私達はあまりにもよく知っています。


統一の群れ達は、既に死を覚悟していで立った群れですので、お父様、むちを取って打ってでもカナンの地にお導きください。
死ぬとしても、その場所に行って死のうという者とならなければなりません。
荒野で倒れてはげたかのえさとなって、千秋の恨みを残し、歴史的な汚点を残した先祖達の二の舞いを踏む者達とならないようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


今、私達が天のみ旨を継承し、新しいイスラエルの旗を掲げていで立ち、彼らが行くことのできなかった十字架の峠に責任を負っていくことのできる天の息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


習慣的な信仰観念の中にとらわれないようにしてくださり、日がたてばたつほど、お父様のための忠誠心と孝の心が心の中に深く流れるようにしてください。
厳しい環境であればあるほど、一層懇切であり得る真の心情だけが私達を主管できるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1962.2.23)


20


お父様!
人々は、韓国の一角から始まった歴史的なこのみ業が追われ、追い出され、流れいく水のように消えてなくなってしまうと思っていましたが、今、世界的に広まっていき、日本とアメリカとドイツ、全世界に問題を巻き起こしています。


しかし、これはこの世界を滅ぼさせるためのものではなく、サタン世界を滅ぼさせるためのものであることを知っています。
サタン自体をこの地上から追放するための歴史的な事件であることを知っています。


このようなとてつもない復帰の使命を背負った天の勇士達ですので、どうか強く雄々しくあり得るようにお導きください。
お父様がいつも共にいてください。


私達の背後にはいつも天の千々万聖徒達が背水の陣を敷いているということを知りました。
私達にはただ前進あるのみですので、この国のために行かなければならず、この世界のために行かなければなりません。
全天宙にいる霊人達までも解放すべきとてつもない使命が、今日、私達の復帰路程にあることをはっきり知りましたので、この道に最後まで従っていくようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
とてつもない歴史の新しい正道がこの地上に現れました。新しい組織がこの地上で波及し始めたので、全世界を感動の渦中に追い込み、勝利の旗を掲げてお父様を賛揚することのできる世界が早く早く来なければなりません。


私達は生命とすべてのものを投入し、そのために決意した者達ですので、お父様が願われるままに言い付け、命令してください。
大洋も躊躇することなく越えていくでしょうし大陸も横断することでしょう。


私達が行く道にあなたの平和のみ手が共にあってください。
勝利の盾が私達の周囲にあることを知っていますので、私達が行く所ごとに、お父様の栄光とお父様の実証的な姿を見せてあげることのできる事件が起こるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


数多くの国を訪問する度ごとに、私達の使命がどれほど忙しく、どれほど切迫しているかを知りますので、私達はお父様のために、より一層忠誠を尽くさなければなりません。


今、この民族のためにだけ生きる時は過ぎ去りました。世界のために、天宙のために生きるべき時が来たのです。
ですので私達の個人的な生活環境を越え、生命の源泉であり、愛の源泉であり、理想の源泉であられるお父様を中心として、生活圏内で私達の全体がお父様と接して、勝利者となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.5.4)


21


お父様!
私達を送られたあなたの願いが何であるかを、はっきり知るべき時がやって来ましたので、お父様のその願いと私達自身が一致し、私達がその願いの結果を持ってお父様の前に帰っていかなければならない重大な責任があるという事実を、はっきり悟るよう許諾してください。


お父様!
ここに幼い子女達が集いましたので、あなたが歴史時代を経てこられながら悲しかった事情がありましたなら、私達一人一人の心中に訴えてください。
怨讐と対決する中で、悔しく口惜しい事実がありますなら、そのすべてのものを復讐して蕩減し得る一念を、私達に移してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様によって始まった私達でありますがゆえに、お父様によって生きていくことを願うものです。
ですので、お父様の前にすべてのものを捧げて従ってきた私達各自の心に、あなたの能力と生命の力がほとばしるこの時間となりますよう許諾してください。


私達はこの民族の困難を踏み越えていかなければなりません。
また、私達はすべての混乱した環境を収拾していくべき天の命令を受けた者としての責任がとても大切なことを知りましたので、今こそ目的意識に徹頭徹尾徹しなければなりません。


怨讐がこの目的をふさぐときは、その怨讐を取り除いていかなければならず、環境が応酬するときには、その環境を除去していかなければなりません。
このような決意に徹している一個体が必要だということを、痛感することのできるあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


数多くの人々の中から私達を呼び集められたときは、あなたの大きなみ意があったことを私達は知るものです。
格別にあなたの使命を付与なさり、新しい使命を命令するためのみ意があったことを知っています。


お父様、そうですので、私達各自の体と心をお父様の前に完全に捧げて、最後の前線に向かって駆けていく天の勇士の姿を備えるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.5.11)


22


お父様!
ここに集った統一の子女たち、統一の息子・娘だと自任しているこの若い胸の中に、何を吹き込まなければならないでしょうか。
統一の名前を嫌い、統一の道を嫌い、統一がとどまる場を嫌っては、統一の子女の威信を立てることができないということを、はっきり知るあなたの子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


人生は流れいく歳月とともに、瞬く間に過ぎていくことが分かるようにしてくださり、流れ者の境涯が私たちの人生行路に必ず訪ねてくるということを、私たちが忘却しないよう許諾してください。


朝、太陽が東方から昇るときには、すべての万物が歓喜してその光に満ちあふれていますが、数時間以内に夕日の物悲しい影とともにその光が痕跡を消すということを知るものです。


同様に、きょうこの青春時代のすべての貴いものを誇るのもいいのですが、それよりは、夕日を迎える前に、この青春時代に何かをこの地上に残してから逝こうと身もだえすることのできる、志ある若者たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


統一の理念を通して歩いていく若い者たちが、その何に向かっていくのか、その何に責任を負うのかを考えるとき、あなたが探し求める人々は気の小さい者たちではないことを、もう一度感じるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


若き胸と胸に世界的な実力を備えなければならない時が来て、新たな道義に燃え、義侠心と意欲に燃えることのできる勇猛心を中心として闘い、勝利の決定を備えなければならない時がやって来ました。
このような時に、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙にまでお父様に侍り得る王国の起源をつくらなければならない、とてつもない使命が残っていることを知っています。
このような使命がきょう、時間とともに私たちを促しているのに、私たちが無感覚な木石のような立場で、感じることができず、行動することのできない哀れな者たちとなることがないよう許諾してください。


きょう、私たち自体をこの地が呼んでいますので、その声を聞くことのできる人々となるよう許諾してくださり、韓国の未来像と世界の未来像が私たちを呼んでいることを知るよう許諾してください。


進むその歩み歩みごとにお父様が勧告してくださり、お父様が同行する事実が分かるようにしてくださいまして、全体のすべての結果をあなたと共に感じながら、あすの希望にあふれんばかりの胸を抱き、開拓者の使命と開拓者の楽しさを賛揚していくことのできる若者となるようにしてください。
また、そのような姿をあなたが待ち焦がれていらっしゃることを知るよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.7.6)


23


お父様!
歴史過程で数多くの暴風雨と怒涛を押し分けてきながらも残された、この統一の群れをお守りください。


私たちが行くこの行路の前に、幸福の港が私たちを待っていることを知るものです。
歓喜と喜びの日を迎えるために、行く途上にどうして風波がなく、どうして試練がないといえるでしょうか。


しかし、私たちがどのような試練と苦痛を受けるとしても、目的と目標を忘れないようにしてください。
いつも方向を透視する立場に立つことができるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
漆黒のような暗闇の中に処しているとしても、お父様に向かうその心だけは忘れてはなりません。
外的な基準ではすべての方向を失ってしまったとしても、内的な基準ではその方向を備えることができるようにしてください。
このような方向を備えなくては残され得ず、困難な苦海のようなこのサタン世界を決して渡っていくことができないということを、私たちがはっきり分かるようにしてください。


眠るときにも、休むときにも、自分自身を忘れ、心の方向をお父様と一致できるようにしてくださり、自らを収拾し、導いて、お父様の協助とともに私たちが一致して共に行動し、その結果を見ることができるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


流れいく歳月とともに、私たちが間違った歴史の流れを阻み、天の流れを連結させて、新たな歴史を創建すべき重大な使命が、私たちの前に置かれていることを知っています。
この使命のために生まれたので、ただこの使命のために闘い、この使命のために死ぬことのできる勇兵となるようにしてくださり、最後の勝利をお父様のものとして決定し、捧げることのできるその日を迎えて、お父様の前に行くことのできるあなたの子女たちとなるようお導きくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.7.27)


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父の祈り メニュー

2023年03月11日 17時08分17秒 | 学習
【父の祈り】

1(希望の祈り)

2(求める祈り)

3(復活の祈り)

4(心情の祈り)

5(信仰の祈り)

6(孝心の祈り)

7(忠誠の祈り)

8(決断の祈り)

9(献身の祈り)

10(復帰の祈り)

11(勝利の祈り)

12(統一の祈り)


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完全投入

2023年03月08日 11時48分06秒 | 学習

完全投入

同じ闘うなら目標を立ててやるんだ.
神と中心の前に必ず成し遂げる事を誓ってやれ.
やらなければしんでしまうという真剣勝負の心が必要、冒険的、挑戦的生活が必要.

一心不乱に祈れ、気狂いのごとくやって見よ.
そうすれば先生が啓示して教えてくれる.
霊界が先生を証しようと準備している.

み旨の為死んだ覚悟で飛び込め.
そうすれば生きる.
ふらふらしていると本当に死ぬ.

先生はみ旨の為何時も無理をしている.
有る時はたまらない程体の調子の悪い時が有る.
しかし疲れて死んだとしてもそれはみ旨だ.
だから死んで尤もだと思う.

ありったけの力を尽くせ.
力が完全に尽き果てた時神の前に完全にマイナスとなって再び生きてしまう
それが原理だ.
だから絶対的信仰を持ってやれば後の責任は神が持つ.

故に自己の限界に挑戦せよ!
  自己の限界に挑戦せよ!
  自己の限界に挑戦せよ!

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栄光の王冠

2023年03月08日 11時25分53秒 | 学習
 
栄光の王冠

 
私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。
私が人を審判する時 私は耐えられなくなります。
私が人を憎む時 私は存在価値を失ってしまいます。
 
しかし もし信じれば 私はだまされてしまいます。
今宵 私は手のひらに頭を埋め 苦痛と悲しみに震えています。
私が間違っているのでしょうか。
そうです。私が間違っているのです。
 
たとえ だまされたとしても 信じなければなりません。
たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません。
憎む者までも ことごとく愛してください。
涙を拭いて 微笑みで迎えてください。
人をだますことしか知らぬ者たちを 裏切りながらも 悔い改めのできない者たちまでも・・・。
 
おお主よ! 愛するという痛みよ!
私のこの苦痛を御覧ください!
熱きこの胸に 主のみ手を当ててください!
私の心臓は 深き苦悩ゆえに 張り裂けんばかりです。
 
しかし 裏切った者たちを愛した時 私は勝利を勝ち取りました。

もし あなたも 私のように愛するならば
私はあなたに 「栄光の王冠」をお捧げします。




(Rev. Sun Myung Moon  1935年)
文鮮明師が16歳になった1935年に書いた詩です。

 2002年に米国で開催された国際詩人協会会議にて、文鮮明師が16歳の時に創られたこの詩が最優秀作品に選ばれました。

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父の祈り(献身の祈り)9ー1

2023年03月05日 16時53分25秒 | 学習
1


この時間、お父様の前に敬拝を捧げることが、アベルが血の叫びをしたごとくに、懇切に祭物を捧げる時間となるよう許諾してください。


朽ちていく体を中心として集まった者達とならないようお導きくださり、聖別の祭壇となってアベルがお父様と全体の万物の前に香ばしい祭物となったのと同様に、この民族を身代わりしてアベル的な祭壇を築くよう許諾してください。


温柔謙遜にひれ伏す一つの祭物として、捧げられる一つの祭物として、供えられる一つの喜びの祭物としてお父様に敬拝を捧げることのできる子女達として立ててくださいますことをお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
眠っているこの国を目覚めさせてください。
闇の中で方向が分からずにさまよっているこの民族を哀れにお思いください。


そのためにお立てになるべき子女を早く早くお立てくださいまして、お召しになる子女を早く早くお召しください。
天に向かった中心を立てて、全体を身代わりすることのできる愛する祭壇として、早く早く成すよう許諾してください。


お父様!
自分のすべての観念や主義主張を率直に表し、父母の心情の前に温情謙遜な祭物となることができるよう許諾してください。


尊厳であられるお父様の前に自らの足らなさを痛感し、自らのすべてのものをお父様に根本的に出してさしあげられるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


観念的な信仰姿勢で福を受けようという者達とならないよう許諾してくださり、恩恵を受けようという心だけを持った者達とならないよう許諾してください。


「助けてください」と叫ぶような歴史が六千年を経過しましたので、「私を祭物としてお受け取りください」と言うことのできる祈りの泣き声が地から聞こえ、「天に伝わる時となりましたので、お父様、私をお受け取りください。
私の全部を捧げますのでお受けください」と祈ることのできるこの時間となるよう許諾してください。


私達自体がお父様にふさわしい献げ物となったかを、自ら問うことができるようにしてくださり、顕現されたお父様の聖体の前に立つ度ごとに自らの足らなさを切実に感じ、自ら罪人だということを感じて、お父様にこうべを垂れて敬拝を捧げることができるようお導きください。


私達を目覚めさせて、悔い改めの心が起こるようにしてくださり、善の本性を感じ、善の実体を感じて、お父様の栄光を身代わりして敬拝することのできる時間となるよう許諾してください。


このことは天の願うことであり、この一つのみ旨のために天が動員されているということを知っていますので、三位神が働いてくださり、聖霊の役事を現して、全体をみ手のもとにおいてくださり、全行事を担ってください。


お父様のみ旨を離れた観念や認識を持たないで、ただ全体をお父様に捧げ奉る聖徒の祭壇を築くことができるようお導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.5.16)




2


伝統的アベルの道を私達が引き継ぐためには、祭物の過程を通して勝利を決定しなければなりません。


本来、人間は神様の変わらない愛の場で、神様の愛を中心として一人の息子となって、一つに統一された基準を備えなければなりませんでした。


しかし、堕落によってその基準を備えられず、二つの愛の結実を持ってきましたがゆえに、あなたはそれを本然のその一つの基準に結束させるための歴史的な闘争路程で、今まで血を流してこられたことを私達は既に知っています。


アベルが行くべき道は、カインを取り戻すことです。
そうして、カインと一つとなって捧げられるその場所には、父母が顕現することができるのであり、世界を代表して父母を中心として四位基台を形成するようになるとき、神様が顕現するというこの原則的原理の前に一致することのできる各自の生涯と、各家庭の生涯と、氏族、民族の生涯路程が展開されるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この道のため数十年間闘ってきた統一教会の運命は悲惨でしたが、今、漆黒のような暗い夜が過ぎ去り、光明なる新しい日の光を受けることのできる朝がやって来るこのときにおきまして、新しい服に着替え、新しい使命を背負って新しい希望を持たなければならず、その平面的な希望よりは立体的な希望を持ち、総進軍しなければなりません。


そのような隊列が今、世界から連結されて入ってくるのを知るとき、今、この道の前に同参することのできる栄光を、この民族の前に、統一教会の群れの前に許諾されたことを心から感謝いたします。
そのような群れが多くなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


夜も昼も意に介さず、私達は行くべきアベルの道を立てていかなければなりません。
ですので、私達はこの道で滅びてはならず、この峠を越えるにおいて敗者の悲しい苦い杯を飲む群れとなってはなりません。


この峠を越えに越えて、最後の勝利の月桂冠を神様からもらうのではなく、私達が神様の前に提示してさしあげることができなければなりません。
個人はもちろんのこと、家庭、氏族、民族、国家、世界全体がお父様の前にそうでなければならないということを、終生の使命と知って行かなければなりません。


このような群れが統一思想を中心として立っている統一の勇士達であることを知っていますので、その思想に処して終わりまで有終の美を飾り、お父様の前に称賛され誉れを受ける息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この日、万国に散らばっている数多くの統一の群れを記憶してくださり、あちこちで神様の名を賛揚する数多くの宗教者達の前に祝福してくださり、塗炭の苦しみの中で暮らしている人類をお父様が記憶してください。


私達には天上世界にいるすべての哀魂達を蕩減復帰すべき使命があることを思うとき、立体的に加重された責任が、今日、私達の一身に連結されているという事実、とてつもない歴史的な焦点に立っていることを自覚し、きょうの行脚の路程において、堂々たる姿を備え、あす勝利を賛揚しようとする群れとして、最後まで行くよう許諾してくださいますことを再三お願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1972.5.14)




3


お父様!
お父様の懐の中で生きなさいと許諾なさったみ意に向かい合っていましたが、心で、体で、み意とは違った中にいるときが多いことを知っています。


足らなくて、天と地の前に、あるいはサタンの前に讒訴されるべき条件があるとするなら、今、再びお父様の愛の力でその条件を遮ってくださり、能力のみ手でこれを補ってくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


性急な心と体となるようにしてくださり、天上に閉ざされていた愛を欽慕することができるよう許諾してくださり、天が喜び得る一つの祭物として捧げられ得るよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


私達の心と体がお父様の喜び得る祭壇の祭物となるよう主管してくださいまして、お父様が親しくお取りになるにふさわしい子女となれるようお導きください。
そうして、お父様のすべての忠告のみ言と命令のみ言を残すところなく受けることができるよう許諾してください。


お父様の勧告と愛の恩賜を嫌々受ける者達がないよう主管してくださいまして、全体が一つの心と一つの喜びをもって、お父様の心を身代わりして一つとなることのできる貴い時間として導いてくださいますことを、お父様、また懇切にお願い申し上げます。


お父様!
自分を中心としたある事情があるとするなら、お父様が火花のような目で洞察して、これに勝つようにしてくださり、この者達が平和と感謝の心を呼び起こして、お父様の実存なさることを悟るようお導きください。
そうして、自らの足らなさを事実のままあからさまにし、悔い改めることのできる感動の役事が現れるよう許諾してください。


お父様!
その感動で私達の心と体が動ずるようにしてくださり、全体が動ずるようにしてくださいまして、私達自体がお父様に感謝の祭物、栄光の祭物として捧げられ得るこの時間となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
救いの能力をこの民族の上に加えてくださり、民族を代表したアベルの祭壇が勝利の条件を備えて全体を復帰することのできる勝利のアベルの祭壇として捧げ奉ることができるよう許諾してくださいまして、天が要求される祭壇を積むことができるようお導きくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天に向かった切ない心情を持ち、隠れた祭壇で万民を身代わりして人知れず贖罪の祭壇を積む子女達がたくさんいることを知っています。


また洞窟、あるいは山や荒野でお父様の心情を身代わりして叫ぶ切ない子女達がたくさんいることを知っていますので、お父様、彼らの前にも終わりの日に約束されたみ旨を現してください。


許諾なさった恩賜を降らせてくださって、早く早くこの民族が天の前にひざを連ねて栄光の祭壇を積むよう許諾してください。
この民族が喜びと勝利を歌うことができるよう、この民族の祭壇全体を身代わりした一つの祭壇を造成し、天上天下に栄光なる真理ののろしを揚げていで立つことができるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.7.3)



4


天上に染みわたった恨みの塀を壊してさしあげるべき使命を背負った全人類のために、この日まで苦労の役事を展開してこられたお父様!
今、私達が心で天の染みわたった恨みの塀を壊してさしあげなければならないことを知り、その恨みを地上で解いてさしあげることによって、天上と因縁が結ばれるということを私達は知りました。


天はこの時間も私達を忘れてはいらっしゃいません。
私達を呼んで、私達に対して望まれ、願われるみ旨を命令していらっしゃいますが、今日私達はその呼びかけにこたえることのできる自らとなり、お父様の前に和動の祭物となり得る自らとなっているでしょうか。そのことを考えてみるとき、そのような自らになるにはいまだ及ばず、不完全で足らない立場にいることをお受け入れください。


今、私達が心の門を開いて再び悔い改め、聖別された祭物となることによって、天上に染みわたった恨みが私達をして解怨され得るよう許諾してください。
またそのような喜びのひと日を迎えることのできるあなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


終わりの日の最後の困難な障壁が私達の前に横たわり、死を懸けて闘うべき路程が横たわっているのに、この闘いの路程で天の恨みを抱いて倒れる、物の分からない卑屈な者達とならないよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この体と心、既に覚悟したことがあり、祭物として捧げようと思いますので、足らないとお思いにならずお受けくださり、捧げられた祭物としてすべてのものをお父様に任せ、お父様の命令を望むことのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
恨みの塀を壊すことのできる息子・娘が多くなるよう許諾してください。
そうして、集まる所ごとに隠れた祭壇となると同時に、現れる祭壇となって、宇宙的な闘いで勝利することができるよう、お父様、許諾してくださり、天の直接的な命令にこたえて宇宙的な闘いで勝利し、勝利ののろしをお父様の前にまで揚げることのできる私達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈りいたしました。アーメン。


(1956.12.2)




5


取るに足らない私達が聖なるお父様の前に出て、「お父様!」と呼ぶことのできる恩賜を許諾してくださったことを考えるとき、お父様、心から感謝を申し上げます。


死亡の呻吟の声がやむ日のない恨みに徹して生きるべき私達に、救いの恩賜を伸ばしてくださったことに感謝をお捧げせずにはいられません。


このことのために数千年の歴史を経過しながら、変わることなく苦労をしてこられた聖なる三位神の恩賜の前に、闇のこの地に光明の光を照らしてくださったお父様の苦労の前に、まず体と心を捧げての恩賜に報いることのできる子女達となるよう許諾してください。


お父様の驚くべき恩賜を心で体恤しながら、闇に浸っていた私達の体が天に秘していた生命の流れに浸り、死亡に浸っていたこの一つの体が、宇宙的なお父様の愛の動脈に連結され得る恩賜を許諾してくださいますことに感謝をお捧げ申し上げます。


お父様!
体と心をすべて捧げてもお父様の恩賜に報いる道のないことを、この時間体恤するようにしてください。
体と心をすべて捧げても、自らおそれ多さを感じる者達となるよう許諾してくださり、自ら足らなさを感じる者達となるよう許諾してください。


お父様!
持てる力と持てる精誠と持てる体と心を尽くしてお父様の前に出てまいりましたので、哀れにお思いください。


お父様の前に一つの生きた祭物として捧げられるべき私達であるにもかかわらず、この日、この時間までそのようにできなかったことをお許しくださいまして、お父様が喜んで受け入れることのできる、永遠に誇ることのできる一つの祭物の姿を早く早く備えることができるようお導きください。


お父様!
お父様がこの民族に対して勝利の祭物となるよう要求しておられるということを、私達が分かるよう許諾してくださいまして、この民族が死亡の波に押し流されるのを食い止めようとしますなら、多くの祭物が要求されるということが分かるよう許諾してください。


お父様が案じられるすべての分野に責任を持つことのできる祭物、お父様の気がかりのもとを解怨してさしあげることのできる祭物、善悪の戦場を清算して天の前に勝利の栄光を帰し奉り得る祭物として、取るに足らない私達をお立てになって導いてくださる恩賜の前に、感謝する心を持ってひれ伏したのでございます。


お父様!
生きた祭物として喜んで受け入れてください。
その次に、お父様が捜し出そうとされる一つの勝利の祭壇を積むことができるようお導きくださり、さらにお父様の哀れみのみ意をこの民族と全人類の前に現してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
時と時期を知ることのできないあなたのかわいそうな息子・娘の上にも、哀れみと愛ののろしを現してくださり、哀れみのみ言ののろしを現してください。


抱こうとされるお父様の愛の懐に早く早く抱かれて、全体が一つの姿として喜びと栄光を帰し奉り、勝利の祭壇を備えてサタンを屈服させることのできる栄光の祭壇を早く早く築いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.12.23)




6


お父様! 私達が、私達の心と志と力をお父様に純粋なまま捧げたときがいつございましたでしょうか。
人類と民族と国家と世界と天宙を代表してそのような時がなかったとしますなら、自らこれを悔い改めて、お父様の前に自分自身の足らなさを痛感する息子・娘達となるよう許諾してください。


今、私達は、私達のすべての生活を純粋なまま捧げなければなりませんし、私達にあるすべての力を純粋なまま捧げなければならず、私達の体と心を純粋なまま捧げなければならず、私達の性稟を純粋なまま捧げなければなりません。


純粋でなければ取ることのできないお父様の事情を知りながらも、私達は使って残ったものを天の前に捧げ、生活をいいかげんにしてきましたので、足らない私達をお許しください。


今、私達は天のみ旨を成すためにご苦労なさったイエス様に倣い、心情的な面ですべてのものを純粋なままお父様の前に捧げますので、祝福してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
イエス様の心に倣って生死を意に介さず、天を思慕なさったイエス様の心情を体恤するよう許諾してください。
新しい愛を中心とした天の性稟とみ旨に倣う私達となって、愛を中心としたイスラエルとならせてくださり、愛を中心として天の生活を営み、天に侍ることができるようにしてください。


天が喜び得ると同時にイエスと聖霊が喜ぶことができ、千々万聖徒達が喜び、全地上の被造万物まで永遠に喜び得る理想世界を建設すべき聖徒、またサタンを屈服させてお父様の前に誇らしく立つことのできる、真なる勝利の新婦とならなければならないということが分からない私達とはならないよう、目覚めさせてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今私達、悔い改めて涙を流すとしても、世界的に流すようにしてくださり、心を尽くすとしても宇宙的に、志を尽くすとしても宇宙的に、性稟を尽くすとしても天宙的に尽くして余りあるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


また私達、純粋なまま捧げる生活をし、個人のものを集めて全体のものとして、氏族と民族と国家、人類を身代わりして捧げることのできる栄光を得るよう許諾してくださり、新しい心と体を装ってお父様の前に出ていけるようお導きくださいますことを懇切に願いながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたします。


アーメン。
(1957.2.24一九五七・二・二四)




7


お父様!
私達は今、神様のための勝利者となる道を行かなければならないということを知ったのです。


この道は涙の道であり、血と汗の道であり、またこの道は自らの血と肉をすべての元素に分立して、万民の前に分け与える祭物の道であると知りました。


この道を外れるとき、私達はお父様の望まれる宇宙的な勝利の園で生きることができないということも知りました。


お父様!
私達の生命は私達のものではなく、私達の愛は私達のものではなく、私達の子女も私達のものではなく、私達のすべての物質も私達のものでないことを知るのです。


私達が、私達の欲望によって自分のためにすべてのものを所有しようとするなら、私達に所有されるものは何もないということを知っていますので、私達のすべてのものをお父様に捧げることのできる祭物たる立場に立つよう許諾してください。


人間であるなら誰でも六千年の恨みを蕩減し、勝利者とならなければならないということを知りましたので、お父様、きょうここに集った息子・娘達、この道を行くために、涙の道も、汗を流す道も、死の道をも意に介さず、ただお父様を身代わりして世界的で天宙的な使命を果たし、復帰された立場でお父様の栄光を歌うことができるよう許諾してください。


そうして、怨讐サタンを主管し、喜びの涙でもってお父様の前に万物万象を帰し奉り得る子女達の姿として立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


このすべてのものをお父様にお任せしましたので、私達をして勝利のための涙の道、汗の道、血の道を行かせてください。
この勝利の道を開拓すべき使命がきょう私達に賦与されましたので、私達がこの歴史的な勝利の使命を果たし、十字架の祭物として捧げられるよう許諾してください。すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.6.30)

8


お父様の望まれる勝利のひと日がいまだに現れていないことを私達は知っています。
最後の勝利のために、今日までお父様が血のにじむ闘いの路程を歩んでこられたことを考えるときに、私達は身の置きどころを知らないものです。


私達は真理で武装してお父様のみ旨を守らなければならないということを知っていますし、お父様が願われる善のみ旨を広げるためには私達のすべてのものを捧げて闘っていかなければならないことを知っていますので、私達の心と体が動員されるよう許諾してください。
そうしてお父様に栄光を帰し奉り得る日が早く早く臨むよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このひと日を捜し出すために、私達の先祖達が歴史路程を経てきながら疲れもし、苦しみにもぶつかりながら、骨髄に染みわたるように主の時を待ってきましたが、私達人間によって今まで成されなかった悲しみが、地と天に染みわたっているということを知っています。


足らない私達、取るに足らない私達、無能力な私達をお父様がお呼びになって、お望みになったその栄光の日を取り戻すための血のにじむ曲折があったということを私達に分かるようにしてくださり、み旨のために心と体をすべて捧げて闘い得る、覚悟と決心を持つようにしてくださったお父様の恩賜の前に感謝をお捧げいたします。


お父様、私達の心を再び聖別し、私達を祭物として受け入れてくださいまして、サタンの讒訴条件を完全に分立し、お父様だけがお取りになり、お父様だけが誇り得る息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、願うみ旨に対して、私達が心と体で忠誠を尽くし、私達の心で新しい恩賜を感じるよう許諾してください。
体と心にあふれ流れるお父様の栄光の恩賜を体恤するよう、お父様、役事してください。


今まで私達が生活した内容と責任を果たせなかったことを、お父様の前に表し、ひれ伏すよう許諾してください。
矛盾した人間の矛盾した子供がお父様の真理を身代わりできないことを自認するとするなら、自らのすべてのものをお父様の前に表し、自らお父様の恩賜に徹するよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.2.23)




9


私達は一からすべてのことに至るまで、お父様に要求しなければならない足らない立場に立っていますので、お父様、哀れみの手でお導きください。


また、先祖達から受け継いだ罪悪の力と性稟が、私達の心の門を閉じていますので、能力の恩賜を現して暗い心の門を開いてくださり、善に向かって走ることができるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


天が私達に任せた使命は、私達一個体だけのための使命でなく、民族と人類のためになり、千々万聖徒達の恨みまで解いてさしあげなければならない使命であることを私達は知ったものです。


取るに足らない私達ですが、そのような天倫のみ旨を成就してさしあげなければならない使命がありますので、この場にひれ伏したあなたの息子・娘達の体と心を祭物になさって、願われる宇宙的なその一つのみ旨を成してくださり、そのみ旨を成すに少しも不足のない私達自体として立ててくださいますことを、愛のお父様、懇切にお願い申し上げます。


天のみ旨に向かって進むことを願うあなたの息子・娘の前に、さまざまな困難が立ちはだかっていますので、お父様、力を許諾してくださり、能力のみ手をもって私達をつかんでください。
この者達に、あなたが闘われた全体の闘いをお任せになり、勝つよう許諾してください。


そうして、億万のサタンの前に、神様のみ旨を高く賛揚することのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


取るに足らない私達に、この民族を身代わりして闘うことのできる天の使命を任せてくださったことに対して、感謝をお捧げいたします。


私達には闘いの旗印を掲げて天に向かっていかなければならない宇宙的な責任がありますので、お父様、あなたの能力をお与えください。


お父様のみ旨に向かって、行くまいとしても行かざるを得ないように、あなたの感動の役事とあなたの直接的な動きを私達の生涯を通して現し、永遠不変の路程に向かって走ることができるようお導きください。


そうして、億万のサタンと闘って勝ち、すべての群れの前にお父様が共にある息子・娘であることを証しても余りあるようお導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.2.17)




10


お父様!
この場にひれ伏したあなたの息子・娘達をお捨てにならず、体と心全体をお父様に捧げるにおいて、ためらわない息子・娘となるよう許諾してください。


ご覧になるのに、不足で不忠な点、ふさわしくない点がたくさんございますが、お父様が私達を捜し出すために苦労してこられた歴史的な心情にすがって私達の体と心をすべて捧げますので、親しく主管してください。


足らない部分をお父様、聖霊の炎で燃やして聖別させてくださり、お父様がお取りになるにふさわしい私達となって、体と心全体を一つに束ねて捧げ奉ることができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
あなたの息子・娘達がこの場まで従ってきた険しい足跡は、お父様の涙の跡を身代わりした足取りでしたし、物悲しさがにじんだ、血と肉を引き裂くようなお父様の路程を身代わりした歩みでした。


お父様、私達が心で覚悟したことと、体を動かし行動することをお知りになって、この時間私達をあなたの深い愛の心情で親しく抱いてくださいまして、サタンの讒訴条件に引っかかる生命が一つもないよう許諾してくださいますことを、
お父様、
懇切にお願い申し上げます。


お父様、私達を立ててこの民族の前に、新しいみ言を伝えようとなさるみ旨を私達は知っていますが、私達の不忠と足らなさによって、お父様の願われる使命と責任を果たすことができずにお父様を悲しませることがないであろうかと焦る気持ちを持っています。
お父様のみ旨に対してきた今までの足らない事実をお察しくださいまして、それを補うことのできるお父様の生命の力と愛の力を加えてください。
どのような使命と責任であっても果たし抜くことのできる直接的な恩賜を私達に下してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が行く路程には、その道を遮るために億万のサタン達がうごめいていますので、これに備えた私達の体と心の決心が完全となり、私達がお父様の前に生命の祭物となり、最後まで耐え忍んでサタンとの闘いに失敗しないよう、お父様、お導きください。


最初に持っていた覚悟と決心をもって前進し、ただお父様の栄光を表すために努力し闘っていくことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.10.12)



11


お父様!
私達の心をお父様がご存じであり、私達の体をお父様がご存じですので、この時間、お父様のみ前にひれ伏した私達のこの一つの体と心に足らないものがあるとするなら、お父様、能力を現してくださり、能力のみ手、再創造の役事を起こしてくださって、聖別された姿となるよう許諾してください。


お父様だけが運行することができ、お父様だけが主管することができ、お父様だけが勧告できるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


多くの人がこの地上で生きていますが、その中で取るに足らない私達をお選びになり、何もない私達を呼んでくださったお父様の前に、責任と使命を果たせないのではと恐れる気持ちを持っていますので、お父様!この時間私達を勧告してください。


モーセが杖で紅海を打ったとき、紅海が分かれたのを知っています。
お父様が私達の杖となってくださり、私達がお父様のみ手が動ずるままに動ずることのできる天の棒となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


既に、闘いの場に向かって行軍しなければならない最後の時となりましたので、今、自分を見つめ、自分がどこに処しているのかを見分けるよう許諾してください。


お父様のものとして捧げられる私達となるよう導いてください。
各自の立場で、処した所々でお父様の前に祭物として捧げられる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が新しい生命の爆弾となって投げられることにより、死んでいた生命が生き返り、お父様の安息の基を取り戻してさしあげることのできる喜びの日が、早く早く地球村の中に現れるよう許諾してくださり、この民族の中に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達の不忠な体と心を一つに束ねて、お父様の前に捧げることを願いますので、自ら罪のすべての要素を捨て、純潔な体と心として、お父様だけのものとして捧げられ得るよう祝福してくださいまして、サタンの侵犯がないよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.12.14)




12


愛のお父様!
愛の理想の園を眺めながらお父様の愛を欽慕すべき人間達が、愛の理想の園を建設なさろうとされるお父様の心情を排斥したのち、物悲しい血涙の足跡を残しつつ、数千年の歴史路程を経てきたのでございます。
このような私達人間を受け入れてください。


失ってしまったお父様の愛を慕わなければならない時が来ましたし、お父様の心情をたどってお父様の側に立たなければならない復帰の終わりの日が近づいているのを私達は知っています。


愛のお父様、きょう私達をお立てになって新しく勧告してください。
私達をお呼びになられましたので、新しく戒めてください。
復帰の悲しみを取り除き、歓喜と栄光の姿でお父様の前に敬拝を捧げることのできる私達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達の心が私達の心だけにとどまらないよう許諾してくださり、私達の体が自分だけの体とならないよう許諾してください。
私達が感じる感情から、私達が持っている観念や主義主張まで、すべてのものが私達のものとならないよう許諾してください。


私達から始まったものは一つもなく、すべてのものが天を根拠として成された事実を私達が知っていますので、この時間、お父様のものとしてすべて提示し、お父様のものとしてすべて帰し奉ることのできる私達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


私達の一個体は私の心を主張するとしても、その心だけをもって万象の前に現れることはできないのであり、私の体といっても誇らしく万民の前に現れることのできない自らであることが分かるよう許諾してください。
自分が持っている何をもっても、自ら万宇宙の前に誇って立つことのできない自らであることを認定するようにしてください。


そうして、自分のものをすべて差し出し、お父様の復活の心情を受けてお父様の心情に和するようにしてくださり、お父様の心情に深く食い込むことができるよう導いてください。


再創造の命令のみ言を歓喜の心情で受けることのできる懇切な心を許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様の前に捧げるべきものはただ懇切なる心だけですので、この心をお父様のものとしてすべて受け入れてくださり、この体をお父様に捧げますので、一つの生きた祭物とならせてください。
主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1958.12.21)


13


お父様!
あなたのために生きるべきこの地の万民を復帰しようとなさるあなたは、どれほど悲壮な事情が多かったことでしょうか。


お父様!
み旨を知ったのち、あなたのために生きようという心が懇切であり、凄涼で切ない心情が積もりながらも、そのみ言のままお父様の前に忠誠の道理を立てる者がこの地上に多くないということを思うものです。
天地を創造されたあなたにそのような事情があると、誰が思ったでしょうか。


お父様!
数多くの民族の中でかわいそうな統一の群れを守ってくださいましたことに心から感謝を申し上げます。
私達がついていくこの道、他人が排斥し、他人が違うと言うこの道は、涙なくしては行けない道であり、死を覚悟して行かなければならない道であることを知るものです。


遅れてではありますが、涙とともにお父様の前に訴え、現れるようになった私達自身であることを思うとき、一面では悲しく悔しいのですが、あなたの心情と近い立場に立ち得るということを思うとき、心から感謝を申し上げます。


お父様!
今、最後の時期は急変しています。このような時に歴史的な因縁で私達が集められたことを知っています。
ゆえに、きょう勝つべきであり、あすは開拓すべきですので、きょうの勝利とあすの開拓を誓うことのできる天の勇士達となるようにしてください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


患難の中でもこの身を守ってくださった私のお父様!困難な中でお命じになり、絶望の途上でも「私がいるから、また行け」と命令されたお父様がいらっしゃったことを、私ははっきり知るものです。


今、お父様の前に忠誠の道理を果たし、お父様のご命令どおり従ってきて、厳しい環境も既に越えてきましたが、お父様の営まれるみ旨は奥深く、お父様の摂理は奇妙だと言うしかありません。


お父様!
困難が近づいてくるとき、その背後ではあなたがいつも贈り物を持ってこられるということを知りました。


お父様は打たれる者を愛され、迫害に耐えて勝利する者を祝福してくださることを知りましたので、きょうの食口達が心を尽くし、あなたを見つめる至誠を、お父様、記憶してくださり、この者達を捨てておかないでください。
懇切にお願い申し上げます。


涙がにじんだこの者達の行動が、お父様の心情の園に花を咲かせるようにしてくださり、お父様がお残しになった十字架路程で、勝利の盾となることができるよう役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、行くべき復帰の途上に立ったので、死んでも行かなければならず、生きたとしても行かなければなりません。
ここにお父様だけが共にいてください。


あるいは倒れてしまうとしても、あなたを証することができ、あなたから証され得るあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、このすべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1964.10.3)



14


お父様!
この三千万民族を哀れにお思いください。
悲しみの谷間を越え、長い歴史路程を経てきて、道を失って彷徨しながらも行くべき目的地が分からずにあえいでいたこの民族の前に、天の義なる新しい便りが伝えられるよう許諾してくださいまして、新しい復活の祭壇を積むことのできるひと日を許諾してください。
新しい栄光の時間をこの民族の前に許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


足らない私達をお集めになって、お父様が民族の前に祭物となれと命令なさったのを知っていますので、天の前に責任を果たせなかった足らない自らを自嘆する立場にとどまるのではなく、お父様のみ旨の前にすべてのものを捧げる祭物、一つの爆弾としてサタンの都に攻め込み、爆発することのできる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


行くべきところが分からずに彷徨する群れはこの民族だけではありませんので、この地上に生きている数多くの人類の上にも新しい黎明の鐘の音を鳴らしてくださり、生命の光を現してください。
お父様の栄光のひと日を紹介することのできる時間が早く早く来るようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達を呼んでお立てになり、天の全体的な摂理のみ旨を教えてくださったお父様!きょう私達はお父様のみ旨を知りましたので、私達がそのみ旨のために行動できるよう、直接的な能力を行使してください。


躊躇する私達の足取りを促してくださり、ためらうこの体を、お父様、突き動かしてくださり、お父様が願われる善の福地に向かい、新しい覚悟と決心を持って前進また前進することのできる天の息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.3.8)




15


「私はお残しになった善の園に向かっていく人であり、お残しになった使命のために闘う天の勇士だ」と言えるようにしてください。


お父様が捜していらっしゃる姿が自らであることを知って、捜し出されるために努力していることを、お父様の前に明示できる各自となるようにしてください。
自ら覚悟し自ら聖別することのできる姿となりますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
散らばった心を収拾して本郷を慕うことのできる、再創造のみ手が加えられ得るようにしてくださいまして、お父様の祝福を相続する前に、まずお父様の悲しみを相続し、その悲しみの主人公となって、お父様の前に壮語して、いで立とうという覚悟と決心をする姿となりますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょう統一の理念を備えて、人が「そうではない」と言うこの立場に私達を追い立てられたお父様、自分が願わないそのひと所に歩みを促すよう追い立てられたお父様、善なることを始められる方もお父様であり、善なることを成就される方もお父様であられることを知っています。


お父様のみ旨と通じなくては、お呼びになりお集めになるみ旨が成就し得ないということを知っていますので、このみ旨の前に水となり、人となり、油となることができ、きょうもあすもみ旨の前に謙遜な祭物となることができるよう懇切にお願い申し上げます。


悪なる世の中を燃やすことのできる油とならなければならず、善に対しては温柔謙遜でなければならないことを知っています。


お父様がこのような法度で私達を訪ねてこられるために、イエス様が高くする者は低くされ、低くする者は高くされると語られ、犠牲と奉仕と温柔謙遜をもって天道を立てていかれたということを知っています。


私達もその中心に徹し、自らの足らなさを知ってお父様の前に無限に謙遜になることができ、自分自身の一切のものを祭物として捧げることのできる心情が、各自の心と体を通して天の心にまで達することができるよう、許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達の心がお父様に向かって無限に走ることができるようにしてくださいまして、お父様が恋しくてしがみつきたい心と子供のような心情を備えて、お父様を無限に欽慕し得る姿となり、罪悪に染まった一切の主義や一切の観念、一切の意識が私達から離れるようにしてください。


願わくは、この時間、本心が発露され、本性が発露されて本然の姿が現れるようお導きください。そして、お父様がお喜びになることができ、お父様が再び抱くことができ、万宇宙とサタンの前に立てて誇ることのできる私達となるよう役事してくださり、さらに一段階を越えてお父様の前にこうべを垂れる者達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


不義と悪に対しては、激怒して我慢することのできない公憤の心情を持ち、この体が祭壇に上がったとしても、天倫の開拓者の姿、立てられた天の精兵として屈することなく闘う者達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1959.4.12)



16


お父様が来いと言われる道にいで立った私達、その道が喜びの道だと思いましたが、行ってみると限りなく涙を注ぎながら行く道であることが分かるようになりましたし、人が知らない中、天と地を身代わりして恨みの心情を抱かなければならない、物悲しく寂しく憂いの多い道だということを知るようになったものです。
その道は生きようとする者が生きられない道であり、死のうとする者だけが残される道であることを体恤しないわけにはいきません。


お父様!
ここに集ったあなたの寂しい息子・娘達を哀れにお思いください。この者達の心に天的な理念が動いているでしょうか。
その理念は自分を中心とした理念でなく、歴史的な理念であることが分かるようにしてください。


理念を通して動く心情があるでしょうか。
その心情は自分一代でとどまる心情でないことが分かるようにしてください。


受ける恩賜と感じる恩賜をこの者達が体恤したとするなら、今自分を中心として、自分一人でだけ天の国を成して生きるのではないことが分かるようにしてください。


このことをお始めになった方があなたでしたので、自分のすべてのものをお父様のものとして捧げ奉ることのできる私達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様が来いと言われるその道にいで立ちましたときに、私達はすべてのものを既にお父様の前にお捧げしました。
私達が持っているすべてのもの、私達の心情までもお父様のものとしてお捧げしました。


全体を捧げても喜ぶことのできる一つの姿をお父様は慕っておられますが、なくなるものを見て悲しむ私達となっていることをお許しください。
すべてを委ねても無限に喜ぶことのできる心を持つよう許諾してください。


このような心を所有した者はお父様の全体を所有する者であり、このように天に対する懇切なる心情を抱いて行く者は天と地で勝利するであろうことを知っています。


お父様!
私達の生活環境からすべてのものを奪っていくのは、お父様がお喜びになるためではなく、お父様の全体を私達に受け継がせるための摂理のみ旨があったことを知ったものです。
そのような曲折のみ意を持って私達を訪ねなければならず、呼ばなければならず、来いと言わなければならないお父様の心情を知ったものです。


まだ自分を中心とした意識や感触が残っているとするなら、今それをみな、お父様の前に出させてください。


そうして、天と地に存在するすべての万象を眺め、お父様の前に無限に感謝を捧げることのできる心だけを私達の体と心に満たしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1959.5.17)


17


お父様!
私にお父様がいなければ、やはりかわいそうな者であると言えます。
寂しいとすれば、これ以上に寂しい立場はないことを知っています。


友もなく、事情も通じることのできない荒漠とした荒れ地にお父様が追いやるようになるときに孤児のような心情で見つめていたお父様の視線を私が知ったものです。


失った父母の心情をもち、子供を探すために苦しまれるお父様の姿を私が見つめました。
それゆえ、今日、この場まで倒れずに来たことを思うとき、お父様、おそれ多いものです。


世の中で誰も私を分かってくれなくとも、私はお父様をつかんでいることが誇りです。
悲しいときも、私のお父様であられ、うれしいときも、私のお父様であられました。


しかし、私よりももっと悲しい立場におられるお父様であることを知りましたので、もてる力を尽くそうと……。
行く道を振り返り、私が今まで余力の残っている立場で忠誠を尽くせなかったという恨が残るかもしれないと思って、悲しい心がいつもこの体から離れないようにしてください。


きょうもそうであり、あすもそうであり、ひと日の休む時間にも自らをむち打ち、お父様の心情をつかんで涙を流し、お父様と呼ぶことのできるその時間を慕うことをあなたはご存じです。


ここにひざまずいた人々の中にはかわいそうな寂しい群れもあります。
お父様。この者達は若い青年達です。
人よりももっと食べたいし、人よりももっと自慢したいし、人よりももっと尊敬されたいのが若者の気質であることを、私はよく知っています。


しかし、この青春時代のすべての欲望をみな地に埋め、お父様の懐が慕わしくてあえぎながら走ってきたあなたの息子・娘ですので、今、手をつかみ、「わが子よ!」と呼ぶことのできるお父様となってくださり、今、直接関与なさって私達の前途をお守りくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


残されたこの民族的使命と残されたこの世界的使命が私達の前にありますので、どうかここで倒れることなく最後まで残る者となって、お父様のみ前に解放の自由と栄光をうたうことのできる息子・娘となるようお許しくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


復帰の使命を完結するための子女の名分をもちましたが、今、再び帰らなければならない私達の道が残っていますので、行くまいとしても行かざるを得ない使命的な基台に向かっていくこの者達とならなければなりませんので、行く道をお守りくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


私をそのような場で保護してくださったので、この者達もそのような場で保護してくださるお父様であることを私が知っています。
そのような試練の中で心配されたお父様であることを私が知っているので、この者達もそのような試練の場で保護してくださることを知っています。


そのような試練とそのような塗炭の苦しみの中で勝利の場を備えお父様の前に捧げるときに、万福の福を加えてくださっても、不足ではないかとお尋ねになるお父様であることを私が知りましたので、この者達もそのような場で祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。


お父様、時は、この地上で長くはないことを知っています。
一度しかない、私達においては無限な価値の時期を迎えましたので、この価値の道を逃し、千秋万代に、あるいは永遠の世界に行って嘆息する者達とならないよう、お許しくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


生きている間に、肉を着ているこの期間において、すべての精力を傾ける孝子・孝女となるようにしてくださり、忠臣・烈女になるようにしてくださって、新しい天地の歴史路程においてこの者達が行った道を孝誠といってくださり、この者達が行った道を忠誠といってください。


そうして、お父様の永遠の栄光がこの者達の土台の上にとこしえにとこしえに宿るようお許しくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


万々世の栄光と祝福と権威がこの者達と愛する子女達と全天地に散らばっているあなたの息子・娘達の上に、そして、今後、み旨の前に立てられるべき数多くの人類の上に、天上の復帰の解怨の前において、悲しみの心情を抱き、見つめている数多くの千々万聖徒達がいる天上にまでお父様の栄光が共にあってくださり、特権的恵沢を現してくださって、新しい栄光の土台で私達の群れと全天地を追い立ててくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、お父様は真なる真の父母と真の子女と真の食口達と真の天地の中心となられて、心情的な一体を成すことのできる一つの世界を早く早く成すようお許しください……。
主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1963.3.25)


18


お父様、恨み多い復帰の道がこのように複雑だということを、私達は知るものです。
しかし、複雑な道をすべて過ごし、お父様の安息することのできる一つの峠を残し、踏み越え、闘いきた私達が今、希望の日を賛揚することのできる時が近づいたということを隠然とした中、感じるようになりました。


このすべては私達が苦労したものではありませんでしたし、人が知らない中、無限な苦労の土台の上に、私達を召して立てるためのお父様の苦労のゆえであることを知っています。


今日、私達の前に、父母の日を与えてくださいました。
子女の日を与えてくださいました。
万物をつくることのできる、お父様を中心とした心情に通じることのできる基盤の上で、一つの家庭を主とした一つの氏族と民族と世界と天宙を身代わりしたお父様に侍ることのできるこの驚くべき因縁圏内に私達を立てられたことに感謝いたします。


この因縁が私を導き得る場で自分が嘆く者にならないようお許しください。
自分がこの因縁を収拾することができ、この因縁を導いていける一つの責任者にならなければならないことを、私達が知りましたし、このような目的を達成するためにこのような日々が必要だったことを知りました。


こうして、億千万の神様の恨み、人類の恨み、万物の恨み、天上の恨みを晴らし、この怨讐の降伏文を受け、お父様の前に帰し奉るべき息子・娘の責任を果たすべきなのが私達の使命であることを知りました。


今、失ったすべての万物圏内において立ててあげるべき全体的な内容を自ら復帰させるにおいて私達が責任的活動をしなければならないことを知りました。


今からはお父様を安息させ、すべての悲しみの歴史は私達の時代において横的な基準の上に、人間達同士責任を負い、縦的な基準で栄光だけを帰し奉ることのできる私達となるようお許しくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


今、摂理路程の最後の峠に向かって越えていくこの時において、天と地とすべての万物がここに一つになるようにしてくださり、心情がある所を中心としてすべての勝利の決定的な基盤を築いてくださって、お父様の栄光の永遠な基準の上に勝利的な栄光として現れるようお許しくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このために数多くのあなたの息子・娘達が、きょうも闘っていますし、この時間にも、あなたに向かって訴えていますので、この訴える全体的な内容の心情を自らお聞きくださり、勝利の成就のひと日をみ旨全体の前に成してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


このことのために海外に散らばっているすべてのあなたの息子・娘の上にも等しい恩賜の圏内で保護してくださり、その激しい闘いの前に疲れないようお許しください。
最後の栄光のひと日を共に迎える時まで最後まで耐えて残る群れとなるようお許しくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


今日、この時間まで共にいてくださったことに感謝し、帰っていく私達の心と体を通して私達が各々もう一度、新しい決心を抱き、再び新しく収拾された基盤の上に、栄光を身代わりして、再び天の勝利的な勇士として立つに不足のない自分自身を見いだすために努力するようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


すべてのことをみ意のままに成してください。
お父様の計画された勝利の栄光だけが全天宙間に成されるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1963.5.15)


19


お父様、ここの幼い花のような青春の時期にあるこの者達を記憶してください。
この者達の唇は汚されてはいません。
この者達の目はまだ天の悲しい光を好まない立場にあります。


この者達の心情から響いてくる鼓動とそれを通して伸びてくる動脈と血肉はまだサタン世界と接しないでいますので、この者達をお父様、あなたのものとしてお受けくださり、民族のために蒔き、民族のために見、民族のために語り、民族のために闘うことのできるあなたの息子・娘となるようお許しくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


三十歳を過ぎ、四十歳を越せば、人生の残りの日が縮小されることを心配するのが人間ですが、行く所を心配せず、希望を描くことができるよう若い時節にとても大きな希望をたっぷりとその心に込めお父様と無限にささやき、お父様と無限に同居しながら、深く高く広く生きることのできるこの若者達となるようお許しくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


ここにいる成和の若者達を、お父様、記憶してください。
この者達が統一教会を代表することのできる生きた祭物、三千万を代表することのできる生きた祭物、三十億人類と天下を身代わりすることのできる生きた祭物になるようにしてください。


また、後代の多くの人の手本となることのできる生きた祭物となることを新しく誓い、新たに決意することのできるこの時間となるようにしてくださって、あすから新しい私として出発することのできる自分達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、統一教会が、統一教団が今後、お父様の前に勝敗の鞭を持ち、最後の盾として責任を果たすのか、果たせないのかというこのような重大な時期に置かれていることが分かるようお許しください。
自分がこの地にいなくてはならないということが分かるようにしてください。


私達は取るに足りませんが、人間的な使命を身代わりして天と共に立ったし、天の因縁と共に立ちましたので、小さい者でも強く雄々しいことを悟るよう許諾してくださり、無力な者でも勇猛なことを悟ることのできる者となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


残っている三千万民族、残っている三十億人類、残っている数多くの霊界の先祖達に誰が責任を負うでしょうか。


涙を落としながらひざまずき、両手で合掌し、心からわき上がる、血肉が動ずることのできるこのような前進の炎と共に、天を仰ぎ見、清い口でお父様の前に「私を送ってください」と言うことのできる群れをあなたはどれほど待ち焦がれたことでしょうか。


ここで訴えるこの息子も、それを待ち焦がれたのに、あなたはどれほど待ち焦がれていたでしょうか。


ここにひれ伏したあなたの息子・娘達は、どうか表面だけの群れにならないよう許諾してください。
卑劣な群れにならないよう許諾してください。
お父様のみ前にひれ伏して捧げる祈祷の言葉がのちの日に、讒訴を受けかねない言葉とならないよう許諾してください。


お父様の栄光を表し、お父様の誇りを表し、お父様の尊い価値を表すことのできる、幼い息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この者達は恵みを受けた者達でした。この者達は悲しい立場においても、悲しい者ではありませんでした。
なぜなら、この者達が悲しくて涙を流すようになれば、三千万を痛哭させることのできる者であり、三十億人類を痛哭させることのできる者であるがゆえに、悲しい者ではありませんでした。


この者達が死の場に出ていくとしても、個体が死ぬとしても、三千万をみ旨のために死なせることのできる者であり、三十億人類をみ旨のために死なせることのできる者であるがゆえに、今後、いくら苦痛の場に行くとしても、この者達はかわいそうな者ではないことを悟り、残された責任と使命舞台において天がとこしえにとこしえに求めていたただ一つの存在として、信じ、誇ることができ、信じ、愛することのできる息子・娘となるようお許しくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


万々世の栄光が成長しているこの者達の両肘に共にあるようにしてくださり、三千万とこの人類の前に及ぶ新しい世界の運勢は、この者達と共に因縁を結んでください。


目的となさるお父様のみ旨の園の上に大切に抱かれ、お父様の誇りの懐に抱かれ、万宇宙を身代わりして立つことのできる息子・娘達となるに不足がないよう、お父様、お守りくださり、保護してくださいますことを、懇切にお願いしながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。

アーメン。
(1963.3.15)



20


無数の国の中、無数の人々の中、無数の地域の歴史を経てこられたお父様!


そのうち、一国一民族をお立てになって、一人を探してこられたお父様の苦労の歴史を私たちが知りました。


多くの民族のうち、この民族を記憶してくださり、多くの民族のうち、今日、私たち個体を記憶してくださったし、個体のうち、とりわけ天が記憶しようとされ、格別な心情のみ旨を広げようとされるのを知りました。


今まで、そのみ旨の前において、喜びの実体になれなかったということを知りました。


今、この一基準において、お父様が喜ぶことのできる実体として捧げることのできる天の勝利の息子・娘とならなければならないということを、いま一度、覚悟し、いま一度、天のみ前に誓わなければなりません。


この三千里半島を舞台にし、数多くの人類が暮らしているこの地球星を自分の掌中に収めることを希望の目標として、力強く出発することのできる息子・娘が必要だということを知りました。


この国家の情勢が混乱したこの時に今日、私たちだけでも団結し、この民族の前において心情を暴露し、行くところの道を誓うことのできる私たちとなりました。


残されたこの民族の前に守るべきこの祭壇と残されたこの民族の前に捧げるべき祭物たる価値を私たちが刈り取り、お父様のみ前に実体として捧げるに不足のない者たちとなるよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


きょう、このひと日全体をお守りくださり、志された摂理の中で、私たちを残すために無限にご苦労されたお父様のみ前に感謝を申し上げます。


私たちを導いてこられたみ旨を私たちが裏切らない限り、み旨が成されて、残され得る群れの立場に喜びの中、同参できるよう祝福してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


再び出会う時まで、お父様の深い愛の懐に保護してくださることを、懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1963.3.3)


21


お父様!
お父様が行かれる道がどうして私たち個人の行く足取りと同じであり得ましょうか。
また、お父様の内情がどうして私たちの個人的な内情と通じ得ると感じましょうか。


恨み多い曲折と悲しみの中でも耐えてこられた私たちのお父様!
そのお父様を眺めることのできない私たちでございます。
お父様を知ることができずに走っていた愚かな過去の日々を、お許しくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、世界を審判して新しい歴史を創造していくべき重大な使命を中心として、私たちが行くべき方向と個人的に取るべき生活態度を知っていますので、お父様、そのような日を待ち望んでこられたお父様の心情を、私たちが忘れないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
統一の群れをここまで追い立てるために、あなたはどれほど苦労なさいましたでしょうか。
今、これから行くべき私たちの行路にはさまざまな試練が残っているということを知っています。


天がこのように曲折の中で耐えられた心情を私たちがたどる度ごとに、お父様を抱き締めて身もだえしても取り留めようがないという事実を知り、涙を流しながらお父様を呼んでいるのでございます。


お父様!
きょうも各地に散らばってひと日の勝利を期して出ていく彼らの上に力となってくださり、盾となってください。


世界に散らばってここに向かって祈祷する群れがいるとしますなら、その群れが天の願われる所のために行く群れとなって、あなたの前に祭司長の責任を果たし、香を焚くことのできる祭壇となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


あなたの事情に通じることのできる多くの子女たちとなるようにしてください。お父様がお立てになった群れに従って怨讐を屈服させ、勝利の王子王女として祝福を受けて誇ることのできる子女を、どれほど侍ち望んでおられるかということを、私たちが忘れないようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


統一の祭壇がたとえひどくみすぼらしく、何もないように見えるとしましても、お父様の心情を中心として身もだえする所となるようにしてください。
また、神様の事情を中心としては避けることができず、分かれられない因縁がここに宿るようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私たちは、何も所有したもののない裸ん坊だとしても、この地上の排斥する群れによって倒れるとしても、あなたの理念と心情と愛だけを抱き締めてひっくり返る所となれば、ここは必ずあなたの訪ねてくることのできる所であることを知っていますので、この因縁に従っていくあなたの子女たちが一人も落後する者がないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1966.12.4)



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父の祈り(献身の祈り)9ー2

2023年03月02日 10時57分25秒 | 学習
22


お父様、この統一教会をこの地上で発展させるために、あなたがどれほどご苦労なさったかを思うとき、私たちは涙なくしてそれを考えることはできません。


私がきょう、この場に立つ時まで、私はいかなる栄光も要求しませんでした。
自らの姿を主張して宣伝し、自分を弁明し、誇りたい心は一つもありませんでした。


ただ一つ、恐ろしいことは……。
歴史的な新しい責任を負ったその場を通して、過去・現在・未来を経ながら、お父様の心情を抱き、涙を流した人が過去にいなかったことを嘆きましたし、兄弟にそのような人がいないことを嘆く心をもち、今まで数十年の人生をお父様のみ旨に従ってきたと申しました。


私がお父様のみ前に恥ずかしくないのは、お父様の威信を立てるために人間の威信を余地なく放棄してしまったし、お父様の威信とお父様の権威を立てるために自分の位置と環境と、立場もみな放棄してしまったからです。
それをあなたはよく知っていらっしゃいます。


世界の人間の誰も行くことのできなかった事情の道を求めていかなければならないと、身もだえする歴史過程において、あなたは一つ一つ慰労なさり、一つ一つつかみながら、「この道を行くお前以上に寂しい者がこの地上にいない。
再び行くべき寂しさが残っている」と勧告なさったお父様のその声を忘れることができません。


反対する声が高まり、周囲の混乱した環境にぶつかる度に、その中で涙を落とし、血を吐く立場にあればあるほど、その涙を握りしめ、その血管を握りしめ、天を見つめ、お父様を恨む者にはならないと身もだえしたその事情が今日、統一教会を養成してきたという事実を、今日、集ったあなたの息子・娘たちが分かるよう許諾してください。


胸が裂けるかのように、はらわたがねじれるかのように、語ることのできないお父様の事情を、私たちは知ったので、千年の事情をすべて解くことができず、恨みのため息を抱いています。
この日もお父様に向かって忠孝の道理を誓わざるを得なかったその事情を、私たちがいまだに解くことができないでいることをあなたはよく知っています。


この気持ちをすべて吐き出し、そのような心情をみな解き、お父様の息子・娘として勝利を万邦に誇ることができ、万世に賛揚することのできるその日を迎え、お父様が喜ぶことのできるその日、お父様が誇ることのできるその日を迎えて忠孝の道理を果たそうというこのような息子・娘たちをあなたがご覧になってください。


かわいそうな場にあっても、あなたが捨てなかったことを感謝し、寂しい者の後ろについてきた彼らも寂しい者に違いないため、涙のにじんだ懐でもって保護してくださるのでそれ以上苦労したあなたのみ前に本当に感謝を捧げざるを得ません。


このような心情は民族を越え、世界のいかなるサタンの運勢を越えるとしても、私たちだけがもっている誇りであり、私たちだけがもっている財産であり、私たちだけがもっている生命の源泉であることを誇りたく思うものでございます。


周囲から聞こえてくるその話が私たちの心の感激を一時促すにとどまらないようお許しくださり、生命の源泉と生命の動機を振り返ってお父様のみ前にもう一度、あすを約束し、もう一度、忠孝の道理を果たそうと決心することのできる新しい約束の動機になるようお許しくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


ここにいるあなたの子女たちが新しい世界に向かって新しい人生の炎を再び抱き、帰っていくことのできる契機となるようお許しくださり、この息子たちを生き証人としてくださって、後代の前に誇ることのできる、今日、自分の責任を果たして後孫たちの前に残してあげることのできる礼物を持とうと、ますます身もだえするあなたの子女たちとなるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


今、あなたの愛する息子が滞在するその期間まで一切を自ら主管してくださり、統一の群れが行く道の前にあなたの保護と加護をより一層加えてくださって勝利の基盤を広めることによってあなたが地上の願いを成就し、解怨成就するにおいて、なくてはならない群れとなるようにしてください。
私たちが必要なら、私たちを涙のある場にお送りくださり、迫害のある場にお送りください。


民族を身代わりし、踏まれ、打たれ、追われる場でお父様を身代わりし、彼らのために恵みを祈ることのできた聖なる、イエス様が十字架で亡くなられるときに、怨讐のために祈祷したその思想を成してさしあげることのできる、世界史的な使命を果たす天の息子・娘となるようにしてくださり、天の精兵たちとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この全体の事情をとこしえにとこしえに深い心に大切にしまい、個体が私のお父様に侍り、私の世界と私の後代の前に残すことのできる、一代においての使命だけでなく、氏族に通じることのできる使命としてとこしえにとこしえに誇り、とこしえにとこしえに敬うことのできる天的なみ旨として残してあげるために、あらゆる忠孝の道理を果たさせてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべての事情を真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1968.1.28)



23


お父様! 私たちは何も持ったものがございません。
あなたの前に現れた姿を見ますとき、丸裸の者たちであり、お父様に顔を上げることのできない恥ずかしい者たちでございます。


しかし、そのような事情に従って、かわいそうな事情の中で摂理のみ旨を立ててこられたあなたの内心と通じ得る、一つの姿として記憶してくださいますことをあなたの前に申し上げないわけにはまいりません。


何も持ったもののない裸の身を持った私たちが、お父様の全体的な責任を前にし、行こうとしても行くことができず、来ようとしても来ることのできない自らを発見し、落胆と絶望の中で身もだえしなければならない時が来たことを私たちは知っています。


お父様に対するとき、両手を挙げて「お父様」と呼ぶべき自らであるにもかかわらず、自分自身を推し量ってみるとき、「お父様」と呼ぶことのできない恥ずかしい者たちであることをよく知っているものです。


あなたが要求する使命は大きいのですが、私たち自身はあまりに小さく、あまりに卑劣であり、あまりに悲惨であることを悟りますとき、足らない私たちを呼び集められたお父様のかわいそうなことを心深くに感じながら、涙しないわけにはいきません。


しかし、私たちは「この体と心をすべて捧げて生きた祭物となります。
死ぬとしてもみ旨をつかんで死に、生きるとしてもみ旨をつかんで生きます。
すべてのものをお父様に委ねますので、この体と心をお受け入れください」と祈祷を捧げることのできる自分たちとなって、残された使命と責任を果たし、恥ずかしい姿を立て直すことのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


アダムとエバが、お父様の前に恥ずかしい姿として立つようになったことが千秋の恨みとなり、後孫たちに恨みの対象として今まで嘲弄されてきたという事実を知っています。


今日、統一教会が韓民族の前に現れ、今まで排斥され、迫害され、悲しみを味わったのです。
私たちは親戚、あるいは兄弟、父母、子女たちに追われてきた群れでした。
しかし、これはお父様を見いだすためのものであったという事実を知ったものです。


今、私たちがお父様も失ってしまい、父母も失ってしまい、親戚も失ってしまい、国も失ってしまい、世界も失ってしまう者となるのではないかと恐れるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私たちはこの世の栄光とこの世のすべての人々の喜ぶ道もみな捨てたものです。
ただ、お父様がお残しになった偉業一つを眺めて、そのみ業を慕う場所に立ったものです。しかし、これすらもお父様の前に自信を持って立つことのできない恥ずかしい姿であることを知るものです。


足らない私たちが再びお父様の前に召しを受け、命令を受けるようになるとき、恥ずかしい姿であることをもう一度感じながら、死のうと生きようと最後のこの生命をお父様の前に捧げようと決心するあなたの息子・娘たちとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1968.7.14)




24


この世が反対し、この世が理解できない環境的な基準を打破するために、私たちは多くの涙の峠を越えました。


物悲しく恨めしい心を持って復帰の路程を行ったその時の事柄は、過去のこととしてすべて流れ去りました。


しかし、残された私たち自体は、お父様の愛の実体として、そのような結実体として残されなければならないのです。
流れいく歴史とともにこの世の反対に遭って倒れ、いなくなる群れとなってはならないことを、私たちははっきり悟らなければなりません。


きょうの「私」は私のための「私」ではないことをもう一度悟らなければなりません。
私は、歴史を背負うべき私であり、世界史を開拓すべき私であり、天情の因縁に責任を負って証すべき私であることを思うものです。


足らない姿ですが、お父様、あなたに捧げるための供え物として、謹んで捧げられるべき「私」だということを悟るあなたの息子となり、娘とならなければなりません。


訪ねてこられるお父様の歩みの前に、落胆の条件と悲しみの条件を加えるあなたの子女たちとならないよう許諾してください。


お父様は希望と生命の因縁をお加えになってお父様がお喜びになり得る子女、お父様の栄光を賛揚し、必ず後代に無限なる福を受け継がせてあげようとして全世界の前に忠誠を尽くす息子、そのような娘をその心でどれほど待ち望んでおられますでしょうか。
これを感じようとする私たちとならなければなりません。


私たちは滅びる群れとなってはなりません。
そのためには怨讐のすることを見物し鑑賞だけしていてはなりません。怨讐と闘わなければなりません。
彼らを打ち、彼らと怨讐になってこそ、滅ぼうとしても滅ぶことのできない立場に立つようになるということを知るものです。


悪を許すのがお父様のみ旨ではなく、悪に属している人を許し愛するのが、悪を取り除くためのお父様のみ旨であることを私たちは知っています。


ですので、私たちの責任がどれほど重要であるかをもう一度感じるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


真は永遠を立証するものであり、真は永遠とともにあるものであり、真は永遠なるお父様のすべてのものを相続するものであることを知ったものです。


それゆえ、お父様は今まで真なる人になれと言われました。
真なる人となるためには、真なる言葉を語らなければなりません。
真なる五官を通して感じる感情全体が、お父様の前に捧げ奉り得る真なる祭物とならなければなりません。


そうでなくてはならないということを、原理を通して学んだ私たちですので、過ぎた日もそうであったし、現実もそうであり、未来もそのように捧げ奉り得る道を、私たちは従って行かなければなりません。


自分一人でも悲しみを知って寂しい心情を持ってお父様を慰労しなければならないということを感じる息子・娘、自分の悲しみがあるとしても、お父様の悲しみがあるのを知って自分の悲しみを隠し、恥ずかしさを感じることのできる子女たちとなるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン
(1970.6.7)


25

お父様!
み旨の道を眺め、私たちがもどかしければもどかしいほど、苦労なさるお父様がかわいそうだということを感じながら痛哭することのできる息子・娘の姿を、夢にだに忘れてしまわないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


蕩減復帰の路程は受難の道であることを知りました。
涙なくしては行くことのできない道であることを知りましたがゆえに、涙を流さなくてはみ旨に向かい合えず、涙なくしてはお父様を呼ぶことができないということも知りました。


この国、この民族が滅ぶときは、この国、この民族全体の悲しみ以上の悲しみを持たれるお父様であり、世界が滅ぶときは、世界の国々が悲しむ以上の悲しみを持たれるお父様であることを知りました。


それゆえ、その国を栄えさせ、その世界を栄えさせるとしましても、すぐにお父様の悲しみを納めてさしあげることはできないということを知るものです。


ですので、お父様はとてもかわいそうな方であり、十字架の中の十字架を負った方であるということを知りました。
そのようなあなたにお父様として侍った私たちが、十字架を負わなかったことが不幸であり、数多くの怨讐の前に立つべき場を定められなかったことが不孝な身だということを知る息子・娘たちが、統一家の中に多くなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


統一家の伝統はお父様が歴史路程を通してこの地上に主張した伝統であることを知っています。
この伝統を立てるためにたくさんの受難の道も厭わず、生涯を捧げて一日のようにあなたのあとに従っていこうと約束した私たちですが、まだ形と形式を備えられず、また再びお父様の前に現れたことを受け入れてください。


私たちの姿が足らず、私たち自体が恥ずかしいのは当然ですが、私たちによって民族が滅び、世界が滅びるようになるとするなら、このとてつもない責任をお父様が負わなければならないということを思えば思うほど、お父様は言葉にできないほどかわいそうな方であられることを知るものです。


そのお父様の前に心情的に気がかりとなる私たちは千万回死んでも当然ですが、今からは一つの祭物となって、あなたのみ旨の前に支え石とならなければなりません。


そうして、あなたの心を推し量ることのできる一人の子供であると叫ぶことのできる立場に立たなければなりません。


このような立場で蕩減の祭物としてすべてを捧げられ得る道を訪ねていくのが、統一の子女が行くべき道であり、勝利の道だということを、私たちが分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.6.21)

26


愛するお父様!
今日私たちが家庭を捜し立てるのは、家庭の中で安楽に生きる私たち自身となるためではありません。
家庭を祭物として氏族を捜し立てるためであり、またその氏族の中で私たちが安楽に生きようとするのではなく、氏族を祭物として民族を捜し立てるためであり、その民族の中心の位置で安逸を要求するのでなく、民族を祭物として国家を捜し立てるためでございます。


このように国家を捜し立て、その国家を万国の前に誇るのでなく、この国家を祭物として捧げて、世界を捜し立てなければなりません。
世界を捜し立てたのちにお父様の息子とお父様の娘という称号を受けるという、このようなとてつもない事実を私たちは知りました。
私たちは世界的でなければなりません。
きょう統一教会で主張するものは、世界的であるだけでなく、天宙的だということを学びました。
天宙主義の心情に連結され得る核心的な一つの家庭的な起源をつくらなければなりません。


きょう私たちには、希望の家庭と希望の世界を身代わりすることができ、死んだ世界を覚醒させることができ、世界の基となり得る家庭が必要です。
私たちがそのような主義と思想を持つことのできる姿となるよう許諾してください。


そうして、他のどのような民族よりも世界のために、自分の民族と自分の親族を越えて世界をより愛し得る心を持った、それこそ歴史時代になかった神様の息子・娘の価値を身代わりすることのできる群れとなるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私たちは善人の道理を凌駕して、お父様の前に愛を受けることのできる息子・娘とならなければなりません。
全宇宙の前に立てて称賛され得る勝利のひと日を迎えて、その家庭が世界より貴く、その個人が世界より貴いということを知らなければなりません。


イエス様も「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」と言われました。
このように神様の愛を受けるその位置は、世界を与えても取り換えることのできない息子の位置であり、娘の位置であることをはっきり悟るようにしてください。


私たちがこのとてつもない道理を探していくにおきまして、生命を捧げる覚悟をすべきときが一度や二度ではないということを知らなければなりません。
私の生命よりも世界をもっと愛さなければならず、私の生命よりも神様をもっと愛すべき私たちだということを知らなければなりません。この路程を避けては行く道がないということをはっきり悟るようにしてください。


近づくすべての試練と困難を不平不満で受け入れるのではなく、感謝の心で消化しなければなりません。


お父様の立場で悲惨だった歴史時代を思いながら、きょうの幸福を賛揚し、歴史のために生きてあげることができ、新しい時代を創建することのできる息子・娘となれるよう祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.8.21)


27


いつもあなたが愛と哀れみと慈悲と許しをもって、私たちの行く路程の上に共にいてくださったことを思いますとき、心から感謝をお捧げいたします。


お父様、この場に集ったあなたの息子たちは、統一の運命を分けるべき重大な使命が両肘に背負わされていることを自覚する群れです。
歴史上になかった真の路程を心から悟り、真の実体の祭物としてあなたの前に奉献しようとする姿を、お父様、貴くご覧ください。


万民に自分が責任を負っていで立った立場、民の生命に責任を負っていで立った立場、あるいは自分が処している所の多くの生命に責任を負っていで立った立場は、一人お父様と相関を結ぶべき祭物の立場であることを知っています。


本当に、お父様の前に捧げられ得る自分の価値がどういうものであるのかを確定し、全知全能なる方であり、完全なる方であられるあなたの前に、完全なる一つの祭物として捧げられることを望む心を持って、ありとあらゆる精誠を尽くし、ありとあらゆる忠誠の心を持って生活する生涯路程とならなければならないということを私たちは知っています。


私たちは、福を受けるためにこの道を行くよりは、福を与えるために歩んでいるということを悟らなければなりません。


民族を通して私たちが幸福な立場に進むために生きるよりも、私たちを通して民族を幸福にしなければならない責任を背負ったことを悟らなければなりません。


私が良くなるために行く道ではなく、全体を良くするためにいで立った道であることを私たちは知らなければなりません。


この道を自ら行くにおいて、私たちが失望し寂しがる立場に立つときごとに、寂しい民族と寂しい人類と、寂しい天を身代わりして捧げられ得る体ですので、私たちは当然寂しくなければならず、当然孤独でなければならず、当然犠牲の道を行かなければならないということを、はっきり悟らなければなりません。


私たちがその誰よりも豊かに暮らすことが価値のあることではなく、誰よりも自由な環境にいることがいいのではございません。


全体を身代わりして祭物的な立場に立って、自らかわいそうであり、自ら悔しさにぶつかり、自ら苦痛にぶつかる立場が、私自身が滅びないと同時に、すべての民も天も滅びないようにする立場であることを私たちは知らなければなりません。


あなたの前に渇望することがあるとするなら、その渇望は自分一個人に限ったものでなく、全体を代表してお父様の前に捧げられ得る祭物圈のための祈祷でなければならないということが分かるようにしてください。


そうして、自分の個体を通して自分の家庭が、自分の家庭を通して自分の教会が全体を身代わりして祭物となる立場に立つようになるときは、ここから民族の新しい道が開かれ得るのであり、世界の新しい光が現れ得るのであり、お父様の恨めしかった歴史的な路程が開放され得る起源が造成され得るということを、私たちがはっきり悟るよう許諾してください。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.8.30)


28


お父様!
私たち自体の体と心を謹んでお父様の前に捧げ、祭物の実体となるようにしてください。

その祭物の実体はサタンの条件として残るのでなく、完全なる祭物、勝利の復活体としてお父様の前にすべて捧げられなければなりません。


そうして、お父様が喜ばれ、私たちが喜ぶことのできるその日を持たなければならないのが、きょう統一教会の群れの行くべき運命の道であることが、はっきり分かるよう許諾してください。


私たちは今まで受難の道を克服してきました。
そのような私たちの前に倍加した受難の路程が置かれるとしても、私たちは再び精誠をもってお父様の前に誓っていくべき者たちです。


私たちがこの道に責任を負わなければ、その誰も責任を負うことができないということを知っていますので、前にどんどん置かれいく試練の舞台に向かうために、誓った心を忘却した私たち自身をもう一度収拾しようとするよう許諾してくださり、決意した実体としてもう一度表して、あなたがご覧になるときに、誇ることのできる、信じることのできる息子・娘となるようにしてください。


お父様の心情的な内面に一致した孝子孝女を捜し出してくる途上において、お父様の心を慰労してさしあげることのできる子女とならなければなりませんし、今からはお父様の苦労の道を引き継がせてくださいと言うことができ、受難の道を相続することのできる統一教団の群れとならなければならないということを知りました。


それゆえ、私たちはもっと苦労できないのが悲しみであり、もっと受難の道に立てないのが心痛であることを感じるべき群れであることを思うものです。


この者たちはかわいそうな群れです。
この群れは孤独な群れであり、寂しい群れです。

寂しい天の道を死守して天の道に従う者たちでありますがゆえに、寂しくないわけにはいかない共同的な運命を持ちました。ゆえに、あなたが必ずこの者たちと共にあることを私は知っています。


あなたを背負って倒れ、あなたに侍って倒れなければならないのが私たちの生活であることをはっきり悟り、勝利のひと日を眺めて、千秋万古の栄光をあなたを身代わりして私たちが力いっぱい、精いっぱい、のどが裂けるほど賛揚し、勝利の凱歌を歌うことができるようにしてください。

その日のためにそのひとときのために千年の歳月を投入し、一生を投入することのできる偉大なあなたの息子・娘たちとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.9.5)


29


お父様!
韓国の情勢は切迫した時点におかれております。
アジアの情勢ももちろんであり、世界の情勢も渦の中に方向を失い回っています。


あなたが一本のひもを下ろされ、私たちがそのひもをつかんで方向を把握し、上から下までこの渦の中から抜け出なければならないことを知っています。


しかし、気を引き締めて方向を見いだし、自分の位置を整頓すべき立場に立っていることをこの民族は知ることができずにいます。
この方向の道案内を誰がしなければならないでしょうか。分かっている者がすべきであるということを知っています。


この息子は人が知ることのできない道を知りましたがゆえに、生涯を捧げて受難の道を耐えてきました。
知っていることが罪でしたし、あなたのために生きようということが罪でした。


お父様が愛でもって誰も来ることのできない位置までお導きくださいましたので、ここで敗者の苦い杯を飲んで悲しみの道を行くことはできません。


韓国にいる統一の若い群れたちをもう一度整備してあなたの前に結束させ、あなたを中心として南北統一することを宣言できるよう許諾してください。

東洋と西洋に分立されたものが、あなたを中心として一つになるよう許諾してください。


天と地が分けられたのを、天を中心として統一させるべきかわいそうな祭物の祭壇が残っていることを知っています。

悲惨なこの道を祭物が連結させなければならないことを知っています。
その祭物が正にかわいそうな統一教会の群れであることを知っています。


お父様!
個人として分けられた歴史的な個人のすべてのものを、祭物をもって連結させなければならず、家庭として分けられた悲惨な家庭のすべてのものを、祭物をもって連結させなければならず、民族の分裂相を祭物でもって連結させなければならず、国家の分裂相を祭物でもって連結させなければならず、世界の分裂相を祭物でもって連結させなければなりません。


お父様、これらに責任を負わなければならない宗教の群れを訪ねてきておられるという事実を私たちは知っています。

そのような厳粛なる使命を受け継ぐべき群れが正に統一の群れであることを、私たちはもう一度自覚しなければなりません。


今、遠からぬ期間にこの驚くべき使命を果たすべき外的、内的基盤を統一教会が立てていますので、この厳粛なる使命の前にあらゆる忠孝の道理を誓う群れとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてのものをみ意のままに成してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


最後の一角まで生きた祭物として捧げ得る統一の祭壇となるようにしてくださいますことを、もう一度お父様の前にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1975.12.28)


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父の祈り(忠誠の祈り)7ー2

2023年02月11日 19時06分05秒 | 学習
22


お父様!
この場に集ったあなたの子女達の心の中に訪ねてきてください。


私達、お父様を欽慕することのできる懇切な心の土台を備えてはいないでしょうか。
今、私達は心でお父様に侍っても、背を向ける悲しい姿勢を持つようになるのではないかと、恐れなければなりません。


本当の意味でお父様に侍り、ありとあらゆる忠誠を尽くすあなたの息子・娘達がいますでしょうか。
無限なる愛と慈悲と哀れみと許しをもって彼らを祝福の恩賜圏内に抱いてください。


あなたの高く貴い愛の心を無限に感じることができるよう祝福してくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。


この時間、お父様のみ旨を心配しながら、残されたそのみ旨のために戦場に向かって駆けつける勇士、自分のすべてを無限に投入して、闘いに必要な装備を備えるために努力するあなたの勇士がいるでしょうか。


お父様、
彼らをお守りくださって、その国と世界を守り得る一人の代表者として祝福してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたの聖なる祭壇で、多くの生命のために犠牲の祭物を捧げる祭司長の職責を負ったあなたの息子・娘達がいるでしょうか。


また、人が寝る時間に精誠を尽くし、人々が楽しむときに苦難の路程を行き、受難の道を歩みながらも、その道が自ら行くべき道であると知り、民族と人類の背後で祭壇の基台を広げていくために、人の知らない中で数多くの受難とぶつかってきたあなたの息子・娘達がいるでしょうか。
お父様、彼らを祝福してください。


彼らが世の中の根であり、その根の影響を受けて世界は生きているということを、彼ら自らが分かるようにしてください。


人が認めてくれないとしても、お父様に感謝できる心、むしろ誰かが認めてくれることを心苦しく思う心を彼らにお与えください。
あなたと一致し得るその場は、このような因縁を経なくてはならないということを知り、人の知らない中で感謝する心を持ってお父様に侍ることのできる息子達となり、娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.3.8)


23


お父様!
今までのすべての日々は、悲しみを抱いてみな流れていきました。
それゆえ、私達は今後来る日々を悲しみを抱いて流れていくようにしてはならない責任を負ったのです。


私達はこの国に悲運が宿るこのときに、その悲運を取り除いてしまい、望みと希望を植えてあげるべき使命を持った統一教会の群れです。


絶望と落胆と悲哀と嘆息が漂う現歴史の思潮におきまして、これを克服することができ、新しい望みと希望を残すことのできる統一の主流とならなければならないという事実を知りました。
その道を行くためには、より公的な価値を探し求めて生活しなければならないということが分かる、あなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今まで統一教会があなたの経綸のみ旨に従ってくる過程には、悲しい事情もたくさんありました。


その誰にも話せない痛々しい事情に追われ、足をばたつかせながら、「お父様はいない」と呪いたいときが一度や二度ではありませんでした。


このような過ぎ去った日々を考える度ごとに、言うに言えずにもどかしく、慌ただしく時間、時間を経てこられたお父様が、どれほどかわいそうなお方であられたかを私達はもう一度感じるものです。


私達のために顔を傷つけ、私達のために手足を傷つけたあなたであられました。
それだけでなく、千万回苦労の公的な因縁を備えられ、私達のために涙と血と汗を流されたお父様であることを知っています。


このようにお父様が私達の生活圏内で私達と共に生きておられるという事実を思うとき、お父様の手をつかみ、永遠に放したくない懇切さが私達の心から込み上げてこなければなりません。お父様の首をつかみ、山道であっても、どのような道であっても従っていきたい心が込み上げてこなければなりません。


そのような因縁を備えて、力が足らないとしても、お父様をおぶっていく生活をしなければならないという心が私を支配し、生涯にみなぎるようになるとき、初めて孝と忠の道理を果たした立場に立つということを知る私達となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.6.4)


24


父母の恩徳を受けた子供ならばその恩徳に報いるのが道理であり、国の恩徳を受けた者ならば君王のために忠孝を尽くすのが臣下としての道理であるということを、私達は知らなければなりません。


あなたが私達の生命全体をこの地上に残してくださったことを思いますとき、この受けた恩賜に私達が報いるためには、孝の道理、忠の道理を果たし、統一された心情を備えてあなたが願われる世界を身代わりすることのできる祭司長とならなければなりません。
これが統一教会の群れが行くべき道であるのを知らなければなりません。


責任を負った者達の生活は、人が寝ているときに寝ることができず、人が遊ぶときにも遊ぶことのできない生活だということを私達は知っています。


今日、統一教会は自分自体の責任だけでなく、歴史的な責任を負っています。
私達が忙しい歩みを促し、み旨のために駆けつけるその途上におきまして、早く行くことのできない自らの歩みを、恨めしく思う心を抱いて行くべきなのが統一の群れの行く道であることを知りました。


お父様がそうであられたために、お父様のみ旨を奉じる息子・娘たる私達もそうでなければなりません。
私達がこれを残そうとするなら、自らが祭物とならなければならないということを知りました。


それゆえ、私達は出ていっても、そこで悲しみを感じて再び私達のみ旨に向かって歩みを促さなければならないことを感じるものです。


個人を捜し出したときの喜びよりも家庭を捜し出したときの喜びが大きいことを知ったなら、あなたも個人を捜し出されたときよりも家庭を捜し出されたときの喜びがもっと大きいことを知るものです。


また、家庭を捜し出されたときの喜びよりも氏族を捜し出されたときの喜びが、氏族よりも民族、民族よりも国家、国家よりも世界を捜し出されたときのその喜びがもっと大きいことを知るものです。


このようなことを考えるとき、そのような世界を捜し出されたときの喜びを天宙万象の前に表す標示として、歌と踊りで万宇宙を抱いて祝福することのできるその日を迎えることが、あなたの内心でどれほど焦がれた願いであったかを私達は知らなければなりません。


この地上に生きている数多くの群れは、誰も恋い焦がれることができず、想像することもできませんでしたが、これを心だけでなく実際の生活過程に進軍する統一の教団を通して、私達に体恤できる現在の立場を備えさせてくださいました。


このすべてはあなたの愛であり、あなたの哀れみであり、あなたの慈悲であり、あなたのあふれる恩徳であることを知り、もう一度感謝申し上げなければなりません。


このように世界的な峠を越え祝福を持ってきてくださったことを考えるとき、自分の処した立場を誤って知り、そのまま通過しようとするかわいそうでみすぼらしい敗者の悲しみを相続するに似つかわしい姿となってはなりません。


お父様が下さるあまりにも大きな恩徳を、千年万年、自らの後孫万代を通して美しく輝かせ相続させてあげるためには、精誠を尽くし忠誠を尽くして誇らしく伝えようと身もだえすることができなければなりません。
そうでなくては、自分自らお父様の前に威信すらも立てることができないということを知らなければなりません。


自らの過去をもう一度回想し、現在をもう一度批判しながらお父様の恩賜と厚徳の前に涙を流し、お父様の高く尊いことを賛揚することのできる息子達となり、娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.10.11)


25


お父様!
今、誰よりも尊いあなたに、私達は心の中において侍らなければなりません。


その誰もが侵犯できない心の座におきまして、絶対者であられるお父様に侍って、お父様と共に相談し、お父様と共に相応的な立場で、主体的なお父様と共に相対的な私自体の無限なる価値の立体性を発見し生きていける人生があるとするなら、世の中がいくら悪いとしても、その悪なる圏内で無限なる価値を倍加させることのできる歴史創造の新しい土台をつくっていく異なった何かを発見できることでしょう。


そのようなことを考えるとき、その人が受ける苦痛は苦痛でなく、幸福として消化させ得るものであり、彼は死亡の波が充満したこの地上において不幸な人ではなく、幸福に生きる人であり、幸福のために生きる人であると、私達は知るものです。


統一教会の群れ達はこのような道を行くべきことを知ったために、今まで歩んできた道は受難の道であり、迫害の道であり、寂しい道でありました。しかし、その迫害と寂しさが行き交う交差路に立つそのときごとに、私達が行くべき道は明白でした。


人間が持つべき価値の因縁を植えるために、自らの行路だけでなく四方に伸びて交差するその道まで流れて越えていける善の因縁を残したいと、四方に身もだえしてきました。そのような統一教会の歴史的な事実を考えますとき、悲惨ではありましたが、その中で人の知らない感謝の心情を持つことのできる立場に立ててくださったことに感謝を申し上げます。


そのような場で根を打ち込み練磨して、世界的な足場を築き、あふれんばかりの希望とともにアジアを眺め、世界を行き来する新しい一つの世界を夢見ることのできる愛国者の心情を持つだけでなく、世界人類の中で誰も持つことのできなかったあなたの愛を中心とした、お父様の家庭とお父様の国に対する愛国心を持って生きようとするのです。
天情に従って、忠臣の道理を学ぼうとし、天情に従って孝行の道理を学ぼうとする、より高い次元の価値を探し求めていくこの者達の行く道の前に、祝福のみ手が永遠に共にあるようにしてください。


その生活において加重された価値は、今日、平面的な世界を中心として生きる人のどのような価値とも比較できない高次的な内容であることを知って進むこの者達の上に、あなたの哀れみと愛がより一層共にあってください。


世の中がいかに悪いとしても、この悪なる世の中を導いていくべき主体的な力はより強くなければならず、弱くては駄目であるということを、私達は誰よりもよく知っています。


寂しいときもお父様の能力を身代わりして、私達は寂しがってはならないことを知っていますので、私達がこの世の中の前に影響を及ぼす群れとなるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


その誰も分立させることのできない世界を中心として絡み合い得る家庭となり、民族となり、国家となり、世界人類とならなければならないということを、誰よりも強く感じた群れがきょうこの時代の統一の群れです。


過去に怨讐であった日本人達も、食口(=家族)の名前を持つときには兄弟となるのであり、色の違う数多くの人種達も食□という名前を中心として、どの民族の中でも見いだせず、見いだすこともできない兄弟の友愛を持って生きる動きが広がっています。


そのような動きがきょうこの地上において基盤をつかみ、実践的段階に向かって突進していますので、お父様が哀れにお思いになってここに無限の能力を加重してくださり、私達のみ旨の勝利の局面に向かって前進するにおきまして、気の小さい者となるのではなく、勝利者の姿を備えて強く雄々しく直行し、前進する天の勇士達となるように許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.2.11)


26


お父様!
駆けていっているこの世界の流れを誰も停止させられないのを、私達は知っています。


今、世界の終末が私達の前に近づいてきていることを知るものです。
共産世界も既に終末を告げ、民主世界も既に終末を告げました。


この終末の中にお父様がお座りになり得る、直接的でありながらも新しい動きがこの天地の間に現れなければなりません。


そうでなければ、全天地は暗澹たる暗黒世界から永遠に解放され得ず、呻吟と病苦と災いの中に包まれるしかないということを私達は思うものです。


今、私達が失ってしまったお父様を再び捜し出さなければなりません。
私達は歩んだ足取りを振り返り、人本主義や物質主義などすべての思想の体制と、現実的なすべての与件を引っ張って、お父様の前に帰らなければなりません。


そのためには、強力な力の主体であられるお父様を知らなければなりません。
無限なる価値の中心であられるお父様をはっきり知らなければなりません。


あなたとあなたの子女達が一つの内容を中心として、時間、時間の生活圏内でどれほど密接な関係を結んで生きるかが問題であるのを知っています。


第二解放、第三解放を必要とするこの歴史的な環境圏の中で、これを克服に克服を重ねることのできる力と価値を自ら備えていくことができるよう許諾してください。


お父様!
統一教会員達は、今、あなたがおられるということをはっきり知らなければなりません。
生活感情を通して知らなければならず、各自、体の細胞の作用を通して感知しなければなりません。


そうして、私達皆が高貴なるお父様の名を呼び、お父様に侍り、お父様のために血の汗を流すことのできる聖なる息子・娘とならなければならないので、お父様、許諾してください。


あなたが動けば私達も動かなければならず、あなたが静ずれば私達も静じなければなりません。あなたが喜ばれれば私達も喜ばなければならず、あなたが悲しまれれば私達も悲しむ息子・娘とならなければなりません。


平和の国に向かって、平和の天国に向かっていくべき希望の息子・娘が凛々しく活気に満ちた姿勢を備えて進むようにしてくださり、天の勇士達となり、天の精兵達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.8.16)



27


お父様!
この地上を訪ねてくるために、どれほどご苦労されたでしょうか。


誰も分からないこの復帰という悲しい路程を経てくるために、どれほどご苦労されたかを、私達が原理を通して学びましたので、それを忘れないよう許諾してください。


あなたが自ら行われた、その足跡に従いながら、あなたの胸の中に積まれた恨みの土台を私達が闘って克服し、勝利の一路を開拓すべき使命が残っているということがはっきり分かるよう許諾してください。


あなたのために足らない私達が仕え奉り、忠孝の道理を果たすとしても、限られた体であるために、限界線を越えられずにいることを知っています。


しかし、お父様はいつも私達を訪ねてこられ、つかんでくださり、私達に行くべき目的を達成させるために激励なさいました。


しかし、私達が倒れ、お父様の前にご心配をかけたときがどれほど多かったか、言葉ですべてを表現することができません。
そのような度ごとにお父様を悲しませ、お父様の背に苦痛を負わせた事実を、お受け入れくださいますよう懇切にお願い申し上げます。


きょうもあなたのみ旨のために身もだえしながら、ひと日の勝利のために精誠を尽くした家庭があるとするなら、その家庭に千倍万倍、福を施してくださいますよう懇切にお願い申し上げます。
地上で精誠を尽くす群れが天上世界の群れと一致して、天と地が授け受けることのできる勝利の土台を備えられるようにしてください。


そうすることによってお父様の顕現と、お父様の行使なさることが、実体としてすべての横的世界に起こることを知っていますので、そうすることのできる統一の運勢がこの地上に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


(1969.6.29)


28


お父様!
きょうこの場にいる私達、果たしてお父様が慕わしくて涙が先立ち得る個々人となり、統一家の繁栄のために自分の一身を自ら祭物にしようと、あえぐ生活をしている群れとなったかということを反省しなければなりません。


来ては逝く人生の行路におきまして、食べて寝るという日常の生活環境におきまして、善い悪いという感情生活におきまして、善いことはお父様によって善く、悪いこともお父様によって悪く、来ては逝くのも食べて生きるのも、人生の生活一切がお父様によってなされなければなりません。


お父様を抜きにしては、私達自体が存在することができないという立場で生きるべきなのが私達の人生であるということを思うとき、私達はあまりにも私を中心とした所有圏が大きかったことを知るものです。
自ら恥ずかしさを感じ、いつもお父様のむちを受けるべき子供であると感じ、あなたの同情だけでも受けることのできる心の姿勢を備えなければならないということを悟るよう、今、お父様が直接現れてください。


イエス様が愛する弟子達を集めて、彼らを代表し得るペテロに「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人達が愛する以上に、わたしを愛するか」という質問を、二度、三度繰り返されたとき、ペテロが「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」と言ったその場面は、イエス様が尋ねる回数を加えるに従って、ペテロをして強い立場に立たせるのではなく、自分の足らなさに自責の念を感じさせ、新しい決心を誓わせようという教え諭しの場であったということを知るものです。


今、私達自身にお父様がそのように聞かれたときに、「私がお父様を愛し、み旨を愛することは、あなたがご存じです」と答えられなければなりません。


お父様がそれを問われ、問われ、また問われるときに、自信を持って「はい、あなたを愛しています」と答え、その質問の前に涙を流しながら、過去に足らなかった私自身を考え、なぜそのように問われるのかということを感じることのできる立場に立ったなら、「この姿をもって息子の道理を果たす人となります」と言えなければならないのです。


お父様が私達をお呼びになって「お前は天の息子として世界を代表して責任を果たしてくれ」と願われるとき、「お父様を愛し、お父様の命令を望む息子の立場でその日が来るのを望んでいますが、あなたが願われることを今やっと成就するようになりました」と言いながら、千万回死が行き交ったとしても、祭物として犠牲になる行脚の路程が連結されているとしても、行くべき必然的な運命の道であることを知って行かなければなりません。


倒れてしまう場におきましても、お父様の同情のみ手を望むのでなく、自らサタンの嘲弄を受けないために、お父様の前に忠孝の道理を果たそうと誓い、「お父様、心配しないでください。お父様が協助してくださらなくても、私の個体はサタンの因縁を越え得る自信があります。いかなる受難があるとしても、あなたの協助を必要とせず、その場を私自らの責任圏と知って死守いたします」と決意しなければなりません。


同情を望むのではなく、むしろ天を慰労することのできる息子になろうと身もだえするなら、血を吐き倒れる運命に至ったとしても、その人は滅びないということを私達ははっきり知るものです。


そのような息子がいるなら、彼が倒れた場が怨讐の陣営だとしても、お父様がためらうことなく駆けてきて慰労なさるとき、サタンが讒訴することのできない勝利の圈として残されるということを私達がはっきり分かるようにしてください。真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1971.10.9)


29


お父様!
今から統一教会の教会員達は行くべきとてつもない新しい時代の騎手の使命を前においています。


すべてがあなたの願うみ旨の前に一致し得る精誠のこもった態度と、すべてのものをあなたの前に捧げ得る犠牲精神だけが、この使命を支えられることを知っています。


ですので、くれぐれもそうすることのできる素心を抱き、あなたが導くその道に従って行き、厳粛にあなたが地上で成就なさろうとするみ旨を引き継ぎ、実践公約をするよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、私達の姿勢がいかに大切かということが分かるよう許諾してください。
民族の前にあらわになればなるほど、主体的責任を果たさなければならないということを知っています。


そのようなことを考えるとき、一切の行動を注意し、統一教会の歴史を通して立てられた人格的な基準を万民の前に見せてあげ、彼らが行くべき方向と座標をはっきり提示して余りある、あなたが立てて誇り、あなたがいつも称賛することのできる、不足のない子女達にしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今、全世界に新しい運勢の旗を高く揚げ、天国に向かって直行する時がやって来ました。
私達が「天国実現」というとてつもない目標を立てました。
この国この民族は、名実共に私達が行く方向の前にいつも心をもって従ってくることのできる立場に立ちました。


今から、私達は一致団結してこの運勢とこのブームを殺すことなく、一つの懐に抱いて勝利の祭壇をお父様の前に民族と共に結んで捧げるべき重大な責任があるということを忘却してはなりません。


過ぎ去ったすべての歳月を、天のお父様の名前とともに洗い流すようにしてくださり、今まで韓民族が責任を果たせなかったことをお許しくださり、再びこの民族を愛してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


かわいそうな既成教会を抱いてください。
彼らを捨ててはならないということをよく知っています。
二千年の間、お父様が苦労され、キリスト教徒達が血を流して立てたそのキリスト教です。
今、私達と共に舞台裏で手を取り合い、一つの網を張って全世界人類をお父様の懐に抱かせるにおいて、なくてはならない存在であることを知っています。


ですので、主体と対象の基準を備え、お父様の国を建国するのに必要な群れとしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。
彼らの将来のすべてを指導してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


万々事の恩賜と愛が、あなたのみ名とともにとこしえに共にあってくださいますことをお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1975.6.8)


30


愛するお父様!
流れていく歴史の中のすべての出来事で、あなたの摂理と関係なく起こるものはありません。


悲しい歴史、サタンを中心としたものを克服するための過程において、個人の壁を壊し、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の壁を壊すべき復帰の運命の道があったということを知りませんでした。


この壁を壊すためには、堕落した愛の種が蒔かれて根が打ち込まれたこの世の中で、理想的愛の起源を通ることのできる心情圏を尋ねていかなければならないということを、そうでなくては復帰することができないということを私達統一教会員は知りました。


イエス様もこのような心情を中心として教えるのに、誰でも私をより愛さなくては私の弟子になれないだけでなく、自分に勝って自分の十字架を負ってついてこないものは私にふさわしくないと通告したみ言は、歴史的な宣言でした。
隣り人を愛するのに、自分の体のように愛さなくては救われないと言われました。


真の父母と真の天に侍る位置にいるならば、世界が隣り人ですので、世界をご父母様以上に愛することを望むのが神様の願いであり、ご父母様の願いであるのを知るものです。


父母に侍る孝子の立場で、父母に孝行する以上の心をもって全体の兄弟達を愛するその子供を天が愛され、すべての相続者の代表として立てようとなさることを知ったので、今ここにいる統一教会のすべての子女達は、父母を愛する以上に人類を愛する孝子・孝女の立場を身代わりしなければなりません。


そうすることによって、天上世界であれ地上世界であれ、サタンの心情圏によって因縁づけられたすべての塀と壁を一時に壊し、勝利の覇権を持って天の国を相続するにおいて恥ずかしくない息子・娘となることをこの時間宣言しましたので、この者達がそのような立場でお父様の祝福を受けるに不足のないよう、自らを磨くことにおろそかにならないよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


ご父母様と世界を愛することのできない者は、天国に入れないということをはっきり知りましたので、このことを中心としてここに反対するサタン世界があるとしても、それを愛し消化し得る立場に立たなければなりません。


そうならなければならないことを知ったので、私がそのような者となるか、ならないかを実験、実践するにおきまして、一片丹心、忠孝の心情の道理を備えるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そのようにする者だけが最後の勝利者であり、最後の栄光に同参できる者であり、すべての愛を中心とした相続権を持つ者であり、祝福を受けることのできる立場に立った者であるということをはっきり知り、その道を行くためにすべてのものを犠牲にし、猛進することができるよう祝福してください。
すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1986.2.1)


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父の祈り(忠誠の祈り)7ー1

2023年02月11日 19時05分35秒 | 学習
1


 神様の永遠なる希望が残っている限り、今日、私たちにも永遠なる希望が残っていますし、神様の永遠なる信仰のみ旨が残っている限り、私たちにも永遠なる信仰のみ旨が残っていますし、神様の永遠なる愛の実践が成されない限り、今日、私たちにも永遠なる愛の実体を成すべき責任が残されるということを知りました。


このひと日に蕩減的な歴史を継承するために、私たちは四千年の希望を継承し六千年の希望として、四千年の信仰を継承し六千年の信仰として、四千年の愛を継承し六千年の愛として表さなければなりません。


神様の前に立ち、六千年の希望を永遠なる希望として、六千年の信仰を永遠の信仰として、六千年の愛を永遠なる愛として立てるべき貴任が私たちに残っていますので、きょうの私たちの未熟さと足らなさを受け入れてください。
きょうの私たちの不忠と不孝を受け入れてください。
私たち自体を高く立てたことを受け人れてください。


今、万民の希望を結実させるべき時となり、万民の信仰を結実させるべき時となり、万民の愛を一つの実体として表すべき時となったのに、その一つの実体がどこに結実しているでしょうか。
取るに足らない私たちですが、新しく新婦として装うべき私たち自身であることが分かるようお諭しください。


今日、天と地の中心的な役割を担当すべき人が誰かと言えば、終わりの日の再臨役事を目前にしている聖徒たちであることを知っています。
お父様はそのような人々に永遠なるお父様の希望を任せようとされますが、彼らがその希望を任せることのできる者となったのか、永遠なるお父様の信仰を任せようとされますが、その信仰を任せることのできる者となったのか、永遠なる神様の愛を任せようとされますが、その愛を任せることのできる者となったのかが案じられます。


そのすべてものを担い、お父様の前に永遠に変わらない姿で、お父様の愛に属する人となることによって、今や永遠なる希望の氏族となった者として立たなければなりません。
永遠なる信仰の氏族となった者として立たなければならず、永遠なる愛の氏族になった者として立たなければなりません。
このような責任が私たちに分け与えられているということが分かるよう許諾してください。
選ばれたイスラエルの一つの勝利的な中心実体であられるイエス・キリストの目的を、今日、私たち個々人から成さなければなりません。
すなわち、全体を身代わりした希望の実体を備え、信仰の実体を備え、愛の実体を備えなければなりません。


今、再臨の役事以後には、キリストがこの地上に来られて行動したそのすべてのものを身代わりする、すなわちイエス・キリストの希望の実体として立たなければならす、信仰の後継者とならなければならず、愛の後継者たちとならなければならないので、これがはっきり分かるよう許諾してください。


今、堕落の峠を越えるべき復帰過程に処している私たちが、「お父様の希望を担います。
お父様の信仰を担います。
お父様の愛を担います」と言えなければならず、その希望、信仰、愛をお父様の前に帰し奉ることができなければならず、ひいては万民の前に不変の愛の中心として立たなければなりません。
そうして、お父様の前に愛を受けることのできる勝利的な存在となって初めて、終わりの日の最後の栄光を身代わりできる資格者となることを知っていますので、どうぞお父様が「お前は私の希望の存在であり、私が信じることのできる者であり、私が愛することのできる者」と言える
者たちとなるよう許諾してください。


ひいては、天上天下、全万物の前に宣布して判定の恩賜を受け、和動の一つの条件を立てることのできる勝利の子女たちとなるようお導びきくださいますことを懇切にお願い中し上げすべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.6.6)


2


愛するお父様!
お父様が生命の園を眺めることが創造の目的であり、お父様の栄光を歌う真理の園が理想的な園でありました。
永遠不変の愛を中心として、あなたの性相の前に全体が和動してお父様の内的性相や外的形状を表しながら、それに酔って生きなければならない所が本然の園であったことを知るものです。


愛するお父様!
今日、私たちが願う希望の園を感じることができるよう許諾してください。
本然の園を体恤して心で欽慕すると同時に、体を動かして敬拝することができるよう許諾してくださり、心でお父様のみ旨を高めると同時に、また体が祭物として捧げられるよう許諾してください。


お父様が私たちを捜し出すために苦労なさったそのすべての苦労を、今からは私たちに任せてくださり、お父様は栄光だけを受けられますよう懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちの一生命もお捨てにならず、まずこの者たちの心がお父様の永遠なる生命に連結されて火がつくよう許諾してください。
そうして、お父様の愛の心と一つになるよう許諾してください。


お父様の生命に私たちの体と心が一つとなり、全体が一つとなって祭物として捧げられるこの時間となるよう許諾してください。
そうして、お父様が喜んで受けることのできる、不足のない祭物となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちをお守りください。
分別の役事において責任を持ってください。
サタンが侵犯する私たちとならないよう許諾してください。
ただ、お父様のみ旨のとりことなって、お命じになるみ旨を中心として応じることができるよう許諾してくださり、ここに心と体で順服することができるよう許諾してください。


そうして、自らのすべての足らなさと正しくないすべての要素をお父様の前にさらけ出し、正直に告白し悔い改めることができると同時に、お父様の愛を受けることができるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


この民族が暗闇の中に捕らわれていますので、これを悟らせても余りあるお父様の直接的な役事を表してください。
お父様が働かれる各教会を通して、あなたの息子・娘たちを通して役事を表してくださることを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


約束された終わりの日が近くなり、許諾なさるべき恩賜の時期が来ましたが、私たちはまだ不完全で未熟で足りませんので、私たちをお導きください。
奉じてさしあげるべきお父様のみ旨を、奉じることのできない私たちとならないよう許諾してください。


不備なる私たち自身を嘆息し、お父様の前にひれ伏そうとする私たちとなるようにしてください。
そうして、真なるお父様のみ旨を奉じる忠節の子女たちがこの民族を身代わりした教団の中に多くなるよう許諾してください。


そうして、散り散りばらばらになった教団を一つに結ぶことができるよう許諾してくださり、お父様の全体的な恩賜を身代わりすることができるよう導いてください。


この民族に天の秘められたみ旨を表してくださり、人類の前に、お父様がお楽しみになることができ、そのみ旨を誇ることのできる祝福の日が早く早く臨むよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、心と体に、お父様が願われるみ意以外のものがないよう許諾してくださり、サタンの痕跡がないよう許諾してくださり、罪悪の細い根が残っていないようにしてください。


聖別に聖別を重ねて完全無欠な善を中心として、その心と体がお父様の本性の前に自慢することのない謙遜な群れとして、温柔なる姿でひれ伏すことができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
この民族のために私たちをお立てになり、勧告なさり、私たちと共にお父様がおられるとするなら、私たちをして生きておられるお父様の息子・娘であることを誇ることができるよう許諾してくださり、生命の中心に立っている息子・娘たちであることを証できるよう許諾してください。


お父様!
あなたのみ手に捕らわれた事実を証し、この民族を覚醒させて、サタンの魔の手からこの民族を救うことができるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、民族的な恩賜を許諾なさろうとするお父様の全体のみ旨の前にこの民族が恥ずかしくないよう、私たちを立ててくださって、お父様の前に導いていくよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.11.11)


3


お父様!
お命じになったみ言によって万民の前に越えるべき峠が残されていることを知るようになりました。


今日、私たちはお父様の完全性の前に、私たちの不完全性を除くための闘いをすべき立場に立っていますし、不変の真理の原則基準を越えるべき運命が残っているのです。


今や万宇宙の前に、私たち自身を現すべき時がやって来ました。
完全であられるお父様の性相に似て、被造万物を主管しなければならない歴史的運命が残されていることを思うとき、きょうの私は永遠であられるお父様の嘆息を身代わりすべき私であり、きょうの私は永遠であられるお父様の愛を証すべき私であり、きょうの私はお父様のみ言を暗い世の中に伝播して復帰の使命を成し遂げなければならない私であることを知るものです。


ところが、きょうまで信じてきた私たちの信仰生活は、お父様の前に掲げることのできない生活でしたので、この時間、自ら悔いると同時に悔い改めることができ、自ら覚醒することができるよう許諾してください。


今、私たちが持っているすべての観念と主張、主義を、尊厳であられるお父様のみ旨の前に投げ出し、「私」という実存を完全になくして、永遠なる実存体である本性の私を回復し、完全であられるお父様の性稟に似て、お父様の栄光に浸ることのできる私を復帰すべき闘いの路程が残っていますので、きょうこの闘いの路程から後戻りする者たちとならないよう許諾してください。


一日一日の生活を通してそして生涯を通して、お父様の楽しみと栄光となることができ、お父様がお取りになるにおいてふさわしい、美しい息子・娘たちとなるよう許諾してください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


今は復帰の時期を反映させる時であり、昔のイエス様当時と同じく歴史的な審判の基準を越えるべき時期です。


ユダヤ教の前に新しいみ意を提示し、ヨルダン川の川辺での証の役事、洗礼を与えた洗礼ヨハネの役事が世界的に起こっている時期であることを思うとき、洗礼ヨハネの使命が後代の私たちの使命として残されたことを知るものです。


今、天倫の安息の基盤を私たち各自が備え、洗礼ヨハネが証する中、イエス・キリストが罪とサタンの侵犯のない中でお父様の前に栄光を帰すことができなければならなかった一つの善の園、私たちが手に手を取って、心に心を合わせて歌を歌うことのできる一つの安息の園を建設しなければなりません。


このような責任のために、きょう私たちをお召しになり、このようなみ旨のために、きょう私たちを選んでくださいましたので、選んでくださったみ意の前に、寂しさと悲しみを残す息子・娘たちとならないよう許諾してください。
洗礼ヨハネの失敗によって、千秋の恨みが歴史に深く刻まれたことを知っている私たちは、今、天の召しを受け、天の選びを受けたので、きょう私たちがお父様の玉座の前にいで立ち、万宇宙の全体的な摂理のみ旨を完結すべき摂理の足場を造成することができるよう許諾してください。
そうして、完全な土台の上で残された使命を完遂できるよう許諾してください。


そうして、喜びの園で悦楽の栄光を歌うことができ、万宇宙に対してホザナの勝利の栄光を歌うことができ、来られる主の前に栄光を帰すことのできる息子・娘となるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1956.11.25)


4

時代を越え、世紀を経て、終末のときまで苦労し摂理してこられたお父様、お父様の摂理のみ旨がこの地上に早く成されることを望む私達が、お父様のそのご苦労に、地上で責任を持っていで立つことができるよう許諾してください。


お父様の聖壇を中心として天的な使命を引き継ぎ、地上でイエス様を身代わりしてサタンと闘うことのできる、凛々しい息子・娘となるよう許諾してくださるよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


自分一個体をお父様の前にあからさまにできるよう許諾してください。
自分一個体を衆生の前に掲げて、世紀末的な神様の使命を身代わりして苦労する者達となるよう許諾してくださり、この時代に天が要求なさる天的な使命と召しのみ言に従順に従う忠僕達となるよう許諾してください。


今、私達が心の門を開いて天の内的な祭壇を築くよう許諾してくださり、私達の体をサタンに対する勝利的な祭物として、お父様の前に自信を捨って差し出すことのできる息子・娘として立ててください。


天は、自信をもった勇猛な勇士をお探しになります。
卑屈で卑劣で怨讐達の前にひざますく者達を願ってはおられないことを知っていますので、ここに集ったあなたの息子・娘達、み旨のためならば生命をも投げ捨てることのできる勇士となることができるよう許諾してください。


今、そのような勇士達が必要な時が来たことを知るものです。
天倫のみ旨に向かい合っていた洗礼ヨハネと彼に従った群れが、天の内的心情に燃え上がり、腐敗したユダヤ教全体と対立して新しい事実を展開させたように、今日私達を通してこの民族の前に哀れみの愛の光を現してください。
どうか、お父様の摂理のみ手を引っ込めないでください。


多くの人々の中から呼んでくださったお父様!
行くまいとしても行かずにはおれずに従ってきてみると、難しい道であることを自覚するようになりました。
開拓者の闘志で闘いの一路を開拓し、天の闘士として進まなければならないことを知っていますので、お父様、私達の行く道がお父様のみ旨の道であるならば、いばらの道も意に介さず、険しい山々をも意に介さずに、体が引き裂かれ傷つくとしても、み旨一つだけを中心としてすべてのことを開拓するようにしてください。
ただ、お父様の勧告の恩賜だけを表してください。


お父様!
み旨のために生命を投げ出し、闘いに闘って勝利のひと日を勝ち取るときまで、変わらない信仰をお与えください。
変わることのない一つの中心を備えて、敵地に投げられた爆弾のように、環境を意に介さずに進み、お父様のみ旨の勝利のために爆発することのできるお父様の息子・娘となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.12.16)


5


お父様!
この地球上に住んでいる四十億人類が、いつあなたの懐に抱かれ得るでしょうか。


私達の先祖のひと日の過ちが、このようにとてつもない歴史的曲折をつづってきたということを思うときあなたの心情には悲しい涙と悔しい事実しか積まれていないことを悟るものでございます。


「私」という一生命を救うために六千年という長い歳月を一日のように、失った子供を捜そうとされる心情を持って歴史路程を経てこられたお父様、きょう私達を呼ばれる、あなたの心情をつかみ、痛哭する心情でもって、あなたのみ前に立っている私達のかわいそうで寂しい姿を
哀れにお思いください。


私達は何一つお父様の前に表すべきものを持っていません。
ただあなたを慕わしく思い、どのような困難があったとしても、あなたのおられる所に行こうという一念でこの場に出てきました。
あなたの口惜しい歴史的な事情を学んだため、そのような事情の土台の上で倒れることなく、あなたを裏切ることのない真なる姿を慕わしく思いながら、この場に出てきてあなたの前にひれ伏しましたので、哀れみのお父様、私達を愛してくださり、私達の心を慰労してください。


弱々しい私達に勧告してくださり、落胆の境地であなたを恨んでいた自分達を発見し、涙でなければ悲しみのお父様を知ることができず、あなたに対することのできない足らない自分達であることを発見することができる時間となるようにしてください。


また、この民族の凄惨な姿を身代わりして祭物にならなければならない私達であるということを発見するようにしてください。


万民を身代わりして、お父様の訪ねてこられるその道の先鋒に立って、怨讐サタンと対決する天の勇士とならなければならないことを、悟るようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げます。


この時間、各自の体を自分達の体として考えないようにしてくださり、自分を中心として考えないようにしてくださって、ただ天と地を思い、残された復帰のみ旨に責任を負うべき私達であることを発見できるようにしてくださいますよう、お父様、懇切にお願い申し上げます。


自分自身の目的を追求する立場に立たず、公的な目的を追求してあなたのみ旨を身代わりし、あなたの全体的な使命を果たし抜けるようにしてくださり、お父様の聖なるみ前に贖罪の焚香を捧げる祭司長を身代わりする聖なる者達となるようにしてくださいますよう懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1965.10.17)


6


復帰の路程の上にどれほど多くの曲折があったかを思えば思うほど、私達が行くべき心情の峠が残っているということを思わないわけにはいきません。


お父様の路程にこのように曲折が多かったことと、お父様の事情がこのように悲惨だったのは、私達の先祖の罪によるものだったことを知っています。アダムとエバの過ちによるこのすべてのゴルゴタの恨みを私達も踏み越えていかなければならない時が来ました。


あなたが歩んでこられた道に従ってきてみると、十字架の道でした。しかし、人知れないその道を開拓者の心情で身もだえしながら従ってきてみると、その道が滅びの道ではないことを知りました。


人間達は嘲弄しましたが、あなたは激励なさいました。
数多くの人間達は反対しましたが、あなたが慰労してくださいました。
「私がいて、霊界にいる千々万聖徒達がお前の行く道を擁護する」とおっしゃり、何度も勧告されたことを私達は知っています。


私達はあすの黎明を迎えるために、この渦中にも暗闇の道を手探りして行かなければなりません。
この暗闇の道を経ていってこそ、新しい黎明を迎えることができるということを知っているために、統一の役軍達は、人々が嫌だという明け方の道をたどりながら、今まで闘ってきました。


この路程で私達が涙を流すとき、涙を流されるあなたと共にあることを願い、汗を流し飢えるときにも、あなたの苦労の路程を慰労することのできるひと日を立てるために身もだえしたことをあなたは知っていらっしゃいます。


恨み多かった過去を思い出として残し、涙とともに神様を案じる者達となるようにしてください。
恨み多い思い出と、涙でもって歩まれた恨み多い過去を清算してください。
あすの善を探してお笑いになる希望のお父様の姿が慕わしいのです。
きょうの自分のみすぼらしく、かわいそうな姿を忘れたまま、孝子の道理を果たそうと身もだえしようとする、あなたの息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1968.12.26)


7


長い歴史を経ながら苦労してこられたお父様に、私達が侍ることができるよう許してくださり、長い歳月私達を心配され、サタンに対して闘ってこられたお父様の事情が分かるよう許諾してください。


未来の希望を置いて選んだ息子・娘達を抱いて栄光の座にお導きになるために心配しておられるお父様の心情を知る私達となるよう許諾してください。


きょうの私達が存在するようになったのは、私達自体の意志ではなく、私達が享受している生の栄光も、私達をして持つようになったものではありません。
きょう私達がお父様の前で喜ぶことができるのも、私達の苦労によるものではなく、すべてが数千年の歴史を経て、苦労してこられたお父様が哀れみを施してくださる恩賜によるものであることを、私達が分かるよう許諾してください。


私達がお父様の恩賜の能力を身代わりすると同時に、世界の人類を身代わりして天倫の全体的なみ旨を示すことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


人間を立てて栄光を受けることを望まれるお父様であられることを知り、そのみ旨を成してさしあげようとする群れがこの地にいるでしょうか。


そのような群れは、あなたが万民を祝福することのできる足場となり、全宇宙を祝福なさることのできる栄光の土台となるということを、私達がすべて悟るよう導いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうの「私」を私達一個体の中で探ることがないよう許諾してくださり、歴史を身代わりし、全体宇宙を身代わりし、未来の世界を身代わりして、天倫のみ旨の前に恥ずかしくないお父様の息子・娘となるよう許諾してください。
そのような息子・娘となったことを誇ることのできる、喜びの栄光を私達に許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!きょうここに集ったあなたの息子・娘達、自らをお父様の前に率直にさらけ出したでしょうか。
自らお父様の許諾された祭壇の前にひれ伏したでしょうか。


また、自分達を犠牲にして歴史的な罪悪を蕩減できる生きた祭物となっているでしょうか。


現実の罪悪に責任を持った新しい祭物となって十字架を負い、ゴルゴタを越えていかれたキリストの人格に倣う私達となっているでしょうか。


未来の栄光のためにお父様を身代わりしてサタンと闘い勝利した栄光の実績を、私達は持っているでしょうか。


お父様、このような息子・娘達となって、あなたの栄光を歌うことができるよう許諾してくださり、この一つのみ旨のためにお父様に従い得る忠実な子女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.6.23)

8


お父様!
私達が困苦な立場に置かれているとしても、眠っているこの民族を身代わりして立ったからには、それがお父様の楽しみと栄光になるべきものであることを知っていますし、私達の悲しみと私達の失望と私達の嘆息が、私を中心とするのでなく万物と天宙のためのものであるならば、それ以上栄光にあふれたことはないということを知っています。


天のために心配することができ、地のために心配することのできる心だけが私達に充満するよう役事してくださり、自分自ら、天から任せられた使命を感じまいとしても感じざるを得ないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、私達自体が天上のみ旨に向かい合って立っているということを、はっきり悟るよう許諾してくださり、私達が動ずるのも天を身代わりして動ずるという自覚的な心情を持つようにしてくださり、民族を身代わりしてサタンと対抗して闘い、あなたの任せられた責任を完遂するよう許諾してください。
あなたが許諾された祝福を民族を身代わりして受け、消化することのできる息子・娘となるよう導いてくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


そうして、眠っているこの民族を悟らせるよう許諾してくださり、暗闇にのみ込まれていく全世界人類を救うために、お父様の前に訴えることのできる息子・娘となるようお導きください。


私達が責任を負うといって、私達一個体の生命だけに責任を負う立場に立たないようお助けください。私達の生命をお父様の前に差し出し、民族を身代わりし人類を身代わりした責任者として立ち得る、神様が望まれる私達となれるようお導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1957.8.4)


9


本然の真の人を失ってしまったお父様が、長い長い歳月を通して復帰摂理をなさるために、どれほどご苦労なさったかということを知っています。


その本然のアダムとエバをお慕いになりながら、歴史路程の血のにじむ数々の峠を越えてこられたということを、私達が心で、体で体恤するよう許諾してください。


このことを継承して摂理のみ旨を奉じてきた私達の先祖達も、行く所々ごとに十字架の物悲しい路程を歩んできたということを知っています。


今、行こうとして残されているこの十字架の道を、今日終わりの日に処している私達が、残らず行かなければならない歴史的な責任と摂理的な責任が残っているということを知っていますので、あなたの力とあなたの勧告をもって私達に再び衝動をお与えください。


そうして、残されたこの十字架の峠をすべて越え、願われた本然の園の中でお父様の栄光を歌うことのできる喜びの姿となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このことを成就するために私達が悲壮な覚悟をし、銃剣を取って戦場に出ていくごとくに、出発しなければならない時がやって来ましたので、お父様、摂理歴史の前にふさがっている十字架の数々の峠を蹴散らし、いで立つことのできる天的な覚悟をする私達となるようにしてくださり、その進みゆく道をふさいでいる数多くのサタンに対して、闘っていくことのできる力を私達に許諾してください。
お父様、懇切にお願い申し上げます。


その戦場で勝利した姿として現れ、お父様の栄光の園でお父様に親しく侍って生きることができるよう許諾してくださり、お父様が願われた全体のみ旨を成し、お父様の愛を歌うことのできるあなたの息子・娘達となるようにしてくださり、サタン世界と全万物万象の前に立てて誇ることのできる、お父様が探し求められた息子・娘となるよう許諾してください。


そうして、お父様の前に捜し出された息子・娘としてお父様と永遠に同居することができ、お父様のみ旨とお父様の思想とお父様の願いを成し遂げた者として、喜びと栄光の歌をもってお父様を慰労してさしあげることのできる、真の子供となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.2.22)


10


お父様!
カインとアベルの闘いが始まったその日から、死亡の土台が居座ったその時から今日まで、その死亡の世界は消えずにあります。


そして、人間達がこのような環境の束縛を抜け出せない中で、お父様の闘争の歴史が、編まれてきたということを、現在、私達は感じているのです。


今、嘆息の条件が残っているとするなら、その条件を解かなければならず、私達のすべき苦労が残っているなら、それは誤ったこの土台を整備し清算すべき苦労であることをもう一度感じなければなりません。


悲しみの歴史は善を基本として峠を越えながら、今まで起きてはまた悲しみにぶつかって倒れ、倒れてはまた起き、またぶつかる、そのような歴史として連なってきました。
この悲しみの障壁が現世の目前に現れ、世界的な障壁として残っているということを思うのです。


お父様!
この障壁を退けるためには、個人だけでは駄目なのです。
志のある数名の同士だけでは駄目なのです。


そうするために、お父様は個人を呼び集めて家庭を築かせ、家庭を呼び集めて氏族を築かせ、氏族を呼び集めて民族を編成させ、民族を呼び集めて国家を編成させられたのです。


国家を成しても、さらに一つに統一された世界に向かって行軍していくことを望むのが、お父様の願いでした。


ゆえに、お父様の志された目的どおりに罪悪を清算し、あなたのことに責任を負うことのできる個人と家庭と氏族と民族がなくてはならないということを私達は考えなければなりません。


人によって外的な悲しみの歴史となったにもかかわらず、この地上にそのすべてのことに責任を持ち、世界のために身もだえするお父様の息子・娘がどれほどいるでしょうか。


各自の心情を通してもう一度問い返し、お父様の前にいま一度新しい姿勢を備えるこの時間となるようにしてください。
「哀れみの条件と哀れみの態度を持った」とお父様が記憶することのできる自分となったかを、もう一度悟ろうとするこの時間となるようにしてください。


お父様!
あなたは苦しくても私達の要求にお答えになって、あるひとときに福を与えることのできる時を持っておられるお父様であることを、私達は知らなければなりません。


このような日々を連結されて、六千年の間悲しい歴史に対されるお父様の心の傷がどれほどひどく、お父様のそのご心情はどれほどの苦痛であったかと思うものです。


このようにゆがんで積もっている心情的な恨みを解いてあげる者が、どこにいるでしょうか。
真なる孝子でなければならないのであり、真なる孝女でなければならないのです。
しかし、
家庭を中心とした孝子をもってしても駄目であり、氏族を中心とした孝子をもってしても駄目であり、民族を身代わりした孝子をもってしても駄目であるということを知っています。


世界を身代わりし、天と地を身代わりしてサタンの前に表し、誇ることのできる真なる孝子とならなくては、お父様の心の中に深く刻まれている隠されたその心情を現すことができないという事実を、私達が分かるよう役事してください。


このようにとてつもない内的な苦衷を背負った立場におられるお父様を思うことができなかった、過去のことを受け入れてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によって懇切にお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.6.8)


11


ここに集まったあなたの子女達を哀れにお思いください。
「私達の責任」というものが、とてつもない歴史とともに相続されたという事実を私達はみ言を通して知りました。


そこには、まだ個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の蕩減路程が残っているということも知りました。


しかし、私達一個体の余生でもってこの道を行くにはあまりに足らないことを感じながら、青春の時代にその責任を果たせなかったことに対し、自ら反省し、自らを責めることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


私達に負わされた十字架を避けていくのではなく、残されている十字架まで負っていこう、負っていって死んだとしても、「すべてを行って死ぬ」と言うことのできる立場で倒れるようになるならば、その一人によってあなたは三人を刈り入れるという天理の原則に従い、善なる世界の版図を広めてきたという事実を私達は知りました。


あなたはこのように、先に打たれて奪ってくる作戦をし、死んで繁殖させてくる作戦をし、自ら失って全体を取り戻してくる作戦をしてこられたということを知りました。


今日、わが統一教会は、統一教会自体のための統一教会となってはなりません。
国を生かすための統一教会とならなければならず、大韓民国は大韓民国のための国となるのではなく、世界を生かすための大韓民国とならなければならず、世界は世界のための世界ではなく、高貴なる生命の起源であられる神様の愛に接する世界とならなければなりません。
民主主義の生命の道がそこに結びつけられるときに、人間が喜びを迎えることができるというとてつもない事実を、私達は悟らなければなりません。


私達はたとえ低く卑しい身であったとしても、高く貴い、心が指向するその背後には、とてつもない歴史的な因縁が横たわっているという事実を知りました。


このようなことを思うときに、心の孤独さと私達が一つの友となり、心が指向するものに歩みを合わせて進んでいかなければなりません。
外的なすべての因縁を切ってしまうとしても、そこに仲間になって行くことが、私達の行くべき道であることを知りました。


今日、悟りの道を行くためには、心の主体と対象の因縁を尋ねていかなければならないことを、私達は知りました。
ここに集まったあなたの子女達を記憶してくださり、お父様の愛を中心として、対象の位置に立つよう許諾してください。


夜を明かしながら、お父様に向かって大声で泣いて訴えることのできる娘の姿、息子の姿となるようにしてください。


お父様が慕わしくて涙を流しに流す息子・娘がいますなら、その息子・娘の涙は無駄なものではないという事実を、私達が悟るよう許諾してください。


私達が今立つべき位置は、神様の息子・娘の位置であることを知っています。
その位置で私達の個体だけでなく、世界を懐に抱き、世界を生かして死のうという心でもって息子の責任を果たし、娘の責任を果たすよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


あなたの望まれることは世界的であるために、この世界を超えて飛翔するのが息子・娘の責任であるということが分かるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.2.14)



12


お父様が生命の道を開拓してこられた路程はこの上なく厳粛な路程であり、この上なく聖別された路程であったことを私達は知っています。


残された摂理の路程が悲しみの路程であるならば、この悲しみをふさぐべき責任が私達にあることを知っていますし、天の無限なる悲しみを感じることのできない者は、その悲しみに責任を負うことができないであろうということも知っています。


残された天の悲しい心情と残された天の闘いに責任を負わなければならないことを知っていますので、残された天の悲しい心情と闘いに、責任を負おうとする者達となるよう許諾してください。


このみ旨を成就するためには、誰よりも大きな悲しみを体恤しなければならないことを知っていますし、誰よりも悔しい立場の戦場でも落後者となってはならないことを知っています。


お父様!
イエス様が来て逝かれてから二千年の歴史が経過しましたが、イエス様がカルバリ山上で積まれ、天が共に泣かれた真の勝利の祭壇はこの地上に現れていません。


天が動かずにはいられず、地上の人間達が動かずにはいられない、天と地が接する世界的なゴルゴタ山頂が現れるべき時となり、ゲッセマネ山頂が現れるべき時となったことを知っています。
このような責任を消化する数多くの聖徒達がいなければなりません。


しかし、天が訪ねてきて喜ぶことのできる群れがいないのを知れば知るほど、お父様の心情を心配する息子・娘達は、この地を眺めて痛哭せざるを得ない現実であるということを、私達は知っています。


きょう私達が心と体をすべて捧げて、お父様のみ手に捕らわれることができ、お父様の心中に立てられ得る息子・娘となって、歴史的なすべての悲しみを担うことのできる姿となるよう許諾してください。


お父様が親しく役事されるその役事を通して、私達の心と体が新しく復活するこの時間とならなければならないことを知っています。


私達に任せられたところの責任をすべて果たすことができなかったことをお許しくださり、お父様の前に忠誠を尽くせなかったことをお許しくださり、お父様の心情をつかんで、涙ににじんだ生活ができなかったことをお許しくださり、私達一個体一個体を訪ねるために、あなたが苦労の歩みを意に介されなかった事実を忘却してしまったことをお許しください。


新たな覚悟と新たな決意をし、各自が過去のすべての足らなかったことを悟り、お父様の心情を中心として、自らの心をつかんでいで立つことのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この民族の前に許諾なさった祝福を、この時間を通してお下しくださいますことを懇切にお願い申し上げます。勝利のひと日に責任を負ったあなたの息子・娘達、その使命と責任を果たすことができるよう許諾してください。


このみ旨をなし、お父様の栄光を表すべき責任が、この民族にあることを知るものです。
その責任を完遂していく過程には、無限の試練があることを知っていますので、その試練の路程においても責任を果たして、お父様を身代わりして出発することのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このみ旨を知ることのできない数多くの人類にも祝福をお与えください。
生命と死亡の波が一度にさらっていくこの時に、お父様をつかんであなたの息子・娘となることのできる群れが、この人類の中に多く現れるよう許諾してください。


人類を審判のむちから逃れるようにしてあげる全体の責任を果たし、お父様の前にいで立つことのできる息子・娘がこの地の人類の中に多く現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このような使命とこのような時とこのような責任を知ることのできない者達がいるとするなら、私達を通して警告させてくださり、彼らをして終わりの日の責任と使命を消化させることのできる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1959.3.15)


13


お父様!
あなたの懇切な事情と悲しい心情をかき抱き、「自らが責任を負います」と言う娘達がいるでしょうか。
彼女達を激励してください。
そのような息子達がいるでしょうか。
彼らをつかんでください。


あなたがお残しになった最後の戦場で勝利の栄光を勝ち取り、お父様の前に凱旋歌を高らかに響かせ、お父様の栄光を賛揚する誇らしい姿をお見せすることのできる真なる息子・娘達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
あなたが喜ぶことのできる家族と兄弟達が現れることを、どれほどお望みになられ、その氏族とその民族とその国家をどれほどお望みになられたでしょうか。


そのようになるとするなら、このすべてのゴルゴタの山頂は平地とならざるを得す、サタン勢力は倒れてしまわざるを得ず、天はみ旨のむちを取って打たざるを得ないという事実を私達が知って、残された路程を従順に行くことのできるあなたの子女達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達にはお父様を愛することのできない恨みが残っていますので、その恨みを解かなければならず、お父様の前に孝行の道理を果たせなかった恨みが残っていますので、その恨みを解かなければならず、お父様の前に忠臣の道理を果たせなかった恨みが残っていますので、その恨みを解かなければなりません。


そのためには闘いの路程で孝行の道理を果たさなければならず、忠臣の道理を果たさなければなりません。
お父様に侍り、親孝行を尽くし、忠臣の道理を果たしながら、お父様に仕え奉ることのできる平和の天国が早く早く成されなければなりません。


その日のために、私達はきょうを誇り、あすを準備しなければならず、喜びの中に行く道において疲れてしまわないようにしてくださり、また天に背反する者とならないようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


天が呪う立場に立たないようにしてください。
私達が流す涙は万民の生命の源泉となり、多くの生命がその涙の道を行かざるを得ない生命の動機となるようにしてください。


多くの民が神様の前にひれ伏して忠臣の道理を果たし、感謝することのできる因縁を残す私達の行路となるようにしてください。


私達の逆境の道がそのような道となるようにしてくださり、私達の悲しい生活がそのような生活となるようにしてくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
この民族の前に福を施してくださり、世界万民に福を施してください。


天上で再臨のひと日を待ち焦がれている数多くの霊人達の恨みを解怨してくださり、お父様とイエス様の恨みが解怨され、この地に平和の王国が建設されて、お父様が統治することのできるその世界が早く早く成されるようにしてください。
懇切にお願い申し上げます。


万々世の栄光と勝利がこの地上に充満して、お父様と共に喜び、お父様に栄光を帰し奉り得るそのひと日が早く早く来ることを懇切に懇切にお願い申し上げながら、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1965.12.26)


14


お父様!
お父様は私達が、真なる孝子孝女となることを望んでおられることを知っています。


今、真なる家庭、真なる氏族、真なる民族、真なる国家、真なる世界を成すべき私達であることが分かるよう許諾してください。


お父様!
今日まで、あなたが足場とすることのできる地がこの天地のどこにあったでしょうか。
そのような氏族があり、そのような国があり、そのような世界があったでしょうか。


お父様はいつも異邦人であられました。
東風が吹いてくれば西の方に追われなければならず、北風が吹いてくれば南の方に追われる、このような流浪の生活を六千年も続けてこられたということを知っています。
私達人類始祖が、ひと日の失敗によってお父様に曲折の歴史を経るようにしたことを私達は知っています。


お父様!
堕落した歴史を再創造、再編成すべき真なる理念を望む統一教会がありますので記憶してください。


歴史的な先狙達のそのすべての失敗が、歴史の路程の上にどのような結果をもたらしたのかということをよく知っていますし、悲しく恨み多い歴史が継続してきたということもよく知っています。


お父様、
二度とそのような歴史が繰り返されてはならないということを、骨髄に染み込むまで体験しました。
神様のために生きることのできる忠誠と孝行の道だけが、私達の生涯の最上の目的となるようにしてください。お父様の前で、忠孝を誓うこのような立場を有り難く考えることのできるお父様の役軍達となるようにしてください。


そうして、ついて来たサタンもこれ以上ついて来ることができず、別れを告げるようにしてください。
これから私達が越えるべき険しい山々を喜びをもって越えていくことのできる、お父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
聖なるひと日がこの国、この地上に立てられたことを感謝申し上げます。このひと日が現れるまで、お父様がどれほどご苦労なさり、また嘆息していた万物がどれほど待ち焦がれていたかを知っていますので、このすべてのものを喜んでお受けください。


そうして、この地球上で世界的な勝利を果たし得るその日を早く成すことができるよう役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真のご父母様のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1966.6.19)


15


お父様!
どんなに東奔西走するとしても、私達の行くべき道は既に決定されています。
そこに向かってきょうも行かなければならず、あすも行かなければなりません。


蕩減復帰路程を行きつつ、私達は落胆するときが多くありましたが、落胆せずに耐えるようにしてくださったお父様の恩賜を有り難く思います。


六千余年、長い長い歳月を過ごしてきながら、私達の先祖達がお父様の前にどれほど懇求し、また私達も自ら進んでお父様の前に集ったときがどれほどあったでしょうか。


しかし、お父様はいくら困難であっても、背を向けることができないために耐えに耐えて、信じてきた息子達が侮辱を浴びせる場でも、歯を食いしばり、思いを抑え、耐えなければならなかったお父様の事情に接するものです。


そうですので、私達はお父様のために身もだえする子女とならなければなりません。
そのようになるとき、お父様が私達を「愛する息子だ」と言われるでしょうし、「愛する娘だ」と言われるはずだと思うのです。


そのような群れが一つとなって一氏族を成すようになれば、お父様が愛さざるを得ない氏族であり、そのような氏族が一つとなって一民族を成すようになれば、お父様が愛さざるを得ない民族であり、そのような民族が国家形態を備えて世界の舞台に立つようになるとき、お父様はその国家を祝福せざるを得ないということを、私達が分かるよう許諾してください。


人の知らない蕩減復帰の路程を歩いている私達が、昔はお父様の前に忠誠を尽くすことを願いましたが、どのように忠誠を尽くさなければならないかを知らず、ある日お父様に対し得る位置に立たなければなりませんでしたが、その位置を捜し出せませんでした。


しかし、今の私達はお父様を呼ぶことのできる位置を捜し出し、お父様のために忠誠を尽くし得る環境の基盤の上に立っています。
お父様のために働くことができるということを栄光に感じ、有り難く思い、進むことのできる天の勇士の姿を備えたあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達は、漠然と信仰生活をするのではなく、お父様のみ旨の前に定められた行路をたどって、一歩一歩進まなければなりません。
これが復帰路程を行く私達子女の行くべき道であることを知ったものです。


み旨が成されるその日までは、私達が平坦な道を行ってはならないということを知ったので、感謝する心で各自任せられた責任を果たし、お父様の前に忠誠を尽くし、足らない自らを責めながら進むことのできる、あなたの息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様と私達が望む理念の世界が早く早く全天地間に成されることを懇切にお願い申し上げます。
そのためには、私達各自が蕩減的な祭物過程を経なければなりません。


今の力では足らないとしても、忠誠を尽くしていつかはお父様のみ旨を成してさしあげる、あなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1967.6.8)


16


お父様!
あす、あさってになれば新しく月初めを迎え、あなたの愛する娘達がみ旨のために南韓の各地に出ていきます。
この者達の行く道を、お父様、お守りください。


この者達のためにあなたが前もって準備なさり、お命じになった決定的な日が近づいていますので、この者達の行く道をあなたが担ってくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この日を中心として、新しい天の運勢がこの国に訪ねてくるよう許諾してくださり、寂しい統一の群れが訪ねていくことのできる一つの契機が備えられるようにしてください。


この者達が活動をして、追われ、追い回され、一人残るようになっても、お父様の前に心からの感謝と栄光と賛揚を帰し奉ることができるようにしてくださり、その期間が聖なる期間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
人々が眠るときに、家庭を飛び越えて敵軍に向かって立つその歩みを、お父様、お守りください。


この者達が寂しい立場に処すのは、あなたの寂しさを身代わりするためであり、この者達が凄涼なる立場で闘うのは、あなたの戦場を相続して、あなたに近づくことのできる安息の場を見いだそうとするためですので、この者達が寂しいときには友となってくださり、この者達が悲しいときには同行してください。


そうして、この者達がお父様のみ旨を成就することができるよう、毎日、内外においてお守りくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この者達は平和の国を相続しようという女性達として、新しい旗を高く掲げ、天の国の光復のために血涙を流しながらも、お父様に感謝することのできるあなたの愛らしい娘達ですので、あなたがつかみ、役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この者達が通っていく所ごとに、この者達が流す血と汗と涙の跡の残される所ごとに、生命が復活することのできる源泉となるよう許諾してください。


そうして、あなたの恩徳によって勝利の土台を獲得し、奪われた群れをしてこのように愛され得るひと日があるということを万天下に誇ることのできる期間となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達はかわいそうと言えばかわいそうな立場に立ちました。
国を持てなかったかわいそうな私達であり、民族を持てなかったかわいそうな私達です。


今まで数多くの宗教者達が民族を分けてくるために行った凄惨な最後の障壁に決着をつけ、この地上に天国を創建すべき厳粛な使命を背負っているということを知っています。


地上のもののためにも生命を捧げる、この地の実相を目撃し得るこの時ですので生命を捧げ、自分の家族を祭物として捧げるとしましても天の国を建てるために身もだえすることのできる聖なる婦女子達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


この者達が全国を縫っていく一歩一歩に、あなたの悲しみを根絶やしにするための心が滲み出るよう許諾してください。


また、この者達が望む基準は、勝利の旗を掲げ、天に向かって勝利の凱歌を歌うことですので、お父様のみ名とともにそれに徹した心を持ち、そのような心に埋もれ得る生活となり、そうすることを信条とするよう許諾してくださいますことを、わがお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、お父様を思慕した足取りが、お父様の国のために限りなく泣くことのできる足取りとならなければなりません。
お父様のひざと裾をつかみ、生涯をかけて進んでいかなければなりません。


そうして、過ぎし日に編んできた誤った歴史を、お父様を身代わりして一刀のもとに切って、復帰してさしあげられる勝利の日を待つよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


この国に対するお父様の願いが成される日が、私達の前に近づいてくるのが分かりますので、白い衣を着てひざまずき、世界をお父様の前に導くために誠心誠意を尽くす統一の役軍達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(197011.29)


17

お父様!
昔から数多くの聖人・賢哲達が天国を語るとき、怨讐と闘う激しい場で、自分の憤怒と自分のすべての血気をあらわにして怨讐と争う場で語ったのではなく、怨讐の刀の前でも自分自身を忘れ、静かに天を慕い参拝する場、安らかに天の懐に抱かれる場、怨讐の環境を超越する場で語ったということを知るものです。


今日、罪悪が入り乱れて、サタンの群れが周囲を包囲しているこの現実において歴史的な怨讐が私達を狙うこの場において怨讐を物ともせず、あなたの聖さを賛揚し、あなたの気高い貴さに酔って千年万年生きたいと思いながら心の喜び、体の喜びを持って進む者がどこにいるでしょうか。


私が持った選民の権限を奪う者がどこにいるかと言いながら、堂々と立つことのできる群れだけが天国の一員であることを、私達は知らなければなりません。


十字架の患難の道において、孤独単身で寂しく涙された物悲しいイエス様のみ意に従うために、先烈達は飢饉と飢えが連続する生活の中でも、自分一身が悲惨な淵に追われる立場でも、天地の苦難にもへし折られなかった歴史的な事実を私達は知らなければなりません。


イエス様は天国を建設されるためにすべてのことに耐え、むちを受け殺される場でも、その決意がへし折られなかったという事実を知るものです。


そのような場で耐えて残され、勝利の盾を取っていで立つ者だけが、天国と因縁を結ぶことができ、天国を所有することができるという事実を、私達は本当に学ばなければなりません。


どんなにいら立たしく、どんなに物悲しく、どんなにかわいそうな立場に置かれている私達だとしても、私達よりもっとかわいそうなお父様がおられることを思うとき、その前に私達が祭物となり、私達よりもっとかわいそうなお父様を慰労してさしあげるべきであることを知りました。


そのお父様に侍り、孝の道理を追求するにおいて、お父様の威信とお父様の立場とお父様の事情を私達を通して通告することのできる……。
父母の心情を備えた一人のお方が私達に対して孝子になれと言うのは、死の道を行けということであり、忠臣になってくれと言うのは、裂かれに裂かれるいばらの道を行けということであると思うとき、父母の立場におられるお父様が地を訪ねきた歩みが、どれほど物悲しい姿であっかを私達は感じなければなりません。


そのようなみ旨を抱いてこられながらも、そのみ旨を成してくれと言うことのできないお父様であられることを知り、私達の心情の奥深くに甚だしい痛みを感じなければなりません。


その内情の一片を引き継ぎ、お父様を慰労することのできる姿となり、三百六十度、どの方向においても真なる一人の姿を備えて、お父様だけが必要とすることのできる子女となろうと、身もだえする私達となるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.9.28)


18


お父様!
私達をこの場に立てて、私達を通して解怨成就なさろうとするお父様の聖なるみ旨があることを知るものです。


あなたが解怨成就なさろうとするそのみ旨の前に忠誠を尽くして、なくてはならない子女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


きょう私達が存在するようになったのは、私達自身によるものではないことを知っています。
始まりもあなたであり、終わりもあなたであることを知って、あなたの前に全体をお任せいたしましたので主管してください。


私達によって勝利の個人と、勝利の家庭と、勝利の国と、勝利の世界を復帰なさり、さらには勝利の天国を成してくださって、お父様お一人が栄光をお受けになられますことを懇切にお願い申し上げます。


犠牲になり、祭物となられたあなたのすべての悔しい事情を、私達が身代わりに担い、必すあなたの恨みを解いてさしあげ、喜びと栄光を帰し奉り得る子女達となることをお誓い申し上げます。


お父様!
私達を中心として、三時代の因縁が結ばれていることを知っています。
過去に来ては逝った数多くの先祖達が、私達によって解怨成就され得ることを懇切に望み、世界中に散らばっている人類が解放のひと日を待ち焦がれ、未来の後孫達が解放のひと日を待ち焦がれていますので、彼らを解放してあげることのできる私達となるようにしてください。


そうして、天のみ旨を奉じ、地のみ旨を奉じて人類の道理を探し立てることのできる息子・娘達となるよう許諾してください。
懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によって祝願いたしました。


アーメン。
(1969.10.19)


19

お父様!
お父様の道は、個人と家庭、民族と国家、そして世界を通して行かなければならない旅人の道です。


お父様のその道を守ることができ、その道を歩まれるお父様の前に、孝子孝女となり得る真なる子供がここにいなければならないため、お父様、ご照覧くださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様が行かれる家庭の十字架の道を、私達がついて行かなければならず、氏族の十字架の道を私達がついて行かなければならず、民族の十字架の道を私達がついて行かなければなりません。
国家を経て世界、ひいては天宙復帰のとてつもない課題を背負ったその十字架の路程を私達がついて行かなければなりません。


その道を行くにおきまして、お父様を先頭に立てて行ってはなりません。
お父様の前に立って、お父様の前に置かれた十字架を、私が身代わりして背負っていこうと言える天の孝子と忠臣の姿になるよう許諾してください。


そのような姿とならなければならないことを私達は知っています。
そうならなければならないことを私達が学びましたので、私達をして、そうすることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達にとって最も貴いことは、お父様が行かれる道をお父様と共に行くことであり、お父様が生活される生活の舞台で生きることであり、お父様が行かれるその道で死ぬことです。


これが私達の一生の目的であり、人間としての最大の幸福であるということがはっきり分かるあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達の心は完全に空とならなければなりません。空となって、お父様の前に完全にお捧げしなければなりません。
私達自体の主観、私達自体の一念全体を一掃してしまい、お父様の観念と思想だけが私達の心の中に注入されるようにしてください。


そうして、お父様によってつくられた心となって、その心が体を主管し得る新しい姿として、お父様のみ前からもう一度出発できるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1969.12.14)

20




お父様!
私達がお父様の息子となるために、お父様の前に不孝の因縁を残さないようにするには、不幸であったあなたより一層不幸な道を尋ねていかなければなりません。


そうして、お父様の立場に代わって立ち、お父様を身代わりして実を結び得る子女となって、お父様と共に残り得る追憶を持つようになるとき、それが孝の中の孝であり、忠の中の忠ではないでしょうか。
そのような道に向かって私達は直行しなければなりません。


あなたが十字架を負えば、その十字架を身代わりして負おうと身もだえすることのできる孝の姿と忠の姿を備えるようにしてくださり、自らの生命を失っても感謝することのできる立場に連結されるようにしてください。


私達は生命を捧げてお父様の前に孝行をしようという立場にいたのであり、お父様はそのような孝行息子・娘を捜し出そうと今まで身もだえしてこられました。


私達がお父様に対して忠の道理を果たそうと生命を捧げることを願えば、お父様がその道を開拓してくださるということが分かるようにしてください。


妻がこの道を遮るなら妻を捨ててもでも行かなければならないのであり、子供がこの道を遮るなら子供を捨ててでも行かなければなりません。
また、親戚、氏族、民族、国家がこの道に反対したとしても、それらを捨てて行く私達とならなければなりません。
お父様が死の峠から私達を導いてくださるので、私達も死を覚悟しなければならないということを知らなければなりません。


お父様は、私達が自ら祭物となる場に出ることを願われるのです。
私達はその場が父子の関係において、愛をつかんでくる場だということを知らなければなりません。
子供が死の場にいれば、父親が先に死のうとするのが愛の道理であることを知っています。
そのような場に残されるようになるとき、お父様はそのような追憶の日を永遠に記憶なさることでしょう。


そうなり得るひと日が統一教会の群れを中心として成されますので、残されたその日を、お父様、お忘れにならないでください。


追憶の日として残すために闘うこの者達は、その日が長く長く残されることを望んでいます。
その息子が進む道を伝統として相続しようとするあなたの子女達もいます。
その場の因縁を相続することのできる息子・娘になるようにしてください。


復帰路程において永遠にお父様と共にあり得る追憶の日をお父様の前にお捧げすることなくしては、忠臣の因縁をもってお父様の国に行くことができず、お父様の息子・娘として決定され得ないということを私達は知っています。
ですので、孝の道理を立て、お父様の前に追憶のひと日を残すことのできるお父様の息子となり、娘となるようにしてください。


そのような場において私達が追憶の因縁を残すことができるなら、死の場に置かれるとしてもその場は喜びの場であり、お父様の前にプラスとなり得る場であることが分かるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.2.15)




21


大韓民国で統一祭壇が進んでいく道の前におきまして、今まで密使の進路を開拓してきた愛する息子の事情を知っておられるお父様、あなたが今までどれほどもどかしく気をもんでこられたかということを私達は知っています。


お父様!
私達は生命を懸けて考えざるを得ないときが多くありました。
自然の微妙さを見つめながら、お前(=自然)が私の言葉を聞かないかもしれないというそのような心で蕩減の道を経てきました。


このようなことを考えるとき、私よりも歴史時代にお父様が威信を立てることができず、そのような場においてどれほどご苦労なさったかを知るものです。
百年にも満たないこの生涯は、歴史時代を経てきたお父様の犠牲と比較することができないということを知るものです。


私達の日常生活全体が密使の使命で始まり、絶対的に自らの犠牲で終わるとしても、当然そうであるべき自分であることを知り、お父様の前により一層忠孝の道理を果たそうと、身もだえし、気遣うことのできるあなたの息子とならなければなりません。


食べるのも、これが最後になるかもしれないと考えつつ、天の前に怨讐の条件を残すのではないかと心配しながら食べ、いい服を着、いい物を食べることができなくても、お父様のみ旨を思い「心配しないで」と祈る姿があるなら、お父様がご覧になるのにどれほど愛らしいことでしょうか。


けれども、密使の行路圏内にいる息子であるために、その愛を天上世界では気高く表しても、人間の世の中では隠すしかないということを知らなければなりません。
今まで統一教会が歩んできた道は、そのような道でした。


お父様、
あなたがご苦労された功績によって大韓民国に愛する息子を立てたい時が来るならば、過去に責任を果たせなかったことによって悲しまれたお父様の心を深く胸に刻み、心自体で恨みとなり得る要件を完全に取ってしまい、お父様に侍ることを願っています。


お父様!
日陰で生きてきた男の姿も凄涼でしたが、お父様がそれほどまでにご苦労なさっているとき、お父様のために忠孝の責任を果たせなかったことをもう一度、呵責を感じることのできる時間とならなければなりません。


歴史的なこの時間が存在するまで、お父様が開拓してこられたことを考えてみるとき、きょう私達が立っているこの場は、誰も持つことのできなかった福なる恩賜の土台であることを知るものです。


お父様!
密使の使命と責任を引き継ぎ、国家と世界に向かってその責任を果たすことのできる息子になろうと、お父様の前にもう一度深く約束するようにしてください。


このたびの機会を通して各自の胸に新しい決意をして帰ることができるようにしてくださり、お父様の認定を受ける息子達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈りいたしました。


アーメン。
(1970.2.16)


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