モーセとイエスを中心とする復帰摂理
第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理
第一節 サタン屈伏の典型的路程
第二節 モーセを中心とする復帰摂理
第三節 イエスを中心とする復帰摂理
アモス書三章7節に、「主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と記録されているみ言のように、聖書には、神の救いの摂理に関する数多くの秘密が隠されているのである。しかし、人間は神の摂理に対する原理を知らなかったので、聖書を見ても、その隠れた意味を悟ることができなかった。
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聖書においては、一人の預言者の生涯に関する記録を取ってみても、その内実は、単純にその人の歴史というだけにとどまるものではなく、その預言者の生涯を通して、堕落人間が歩まなければならない道を表示してくださっているのである。ここでは特に、神が、ヤコブとモーセを立てて復帰摂理路程を歩ませ、それをもって、将来、イエスが来られて、人類救済のために歩まねばならない摂理を、どのようなかたちで表示してくださったかということについて調べてみることにする。
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第一節 サタン屈伏の典型的路程
(一)イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由
(二)ヤコブ路程を見本として歩いたモーセ路程とイエス路程
イサクの家庭を中心とする復帰摂理において、「実体基台」を立てる中心人物であったヤコブが、アベルの立場を確立して、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるために、サタンを屈伏してきた全路程は、ヤコブによるその象徴路程を、形象的に歩まなければならないモーセ路程と、それを実体的に歩まなければならないイエス路程とを、あらかじめ示した典型路程であった。そして、この路程は、イスラエル民族と全人類が、摂理の目的を成就するために、サタンを屈伏させながら歩まなければならない、表示路程でもあるのである。
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(一)イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由
復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。
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ところが、神にも屈伏しなかったサタンが、人間祖先として来られるイエスと、その信徒たちに屈伏する理由はさらにないのである。それゆえに、神は人間を創造された原理的な責任を負われ、ヤコブを立てることによって、彼を通して、サタンを屈伏させる象徴路程を、表示路程として見せてくださったのである。
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神は、このように、ヤコブを立てられ、サタンを屈伏させる表示路程を見せてくださったので、モーセはこの路程を見本として、その形象路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのである。そしてまた、イエスは、ヤコブ路程を歩いたモーセ路程を見本として、その実体路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのであり、今日の信徒たちもまた、その路程に従って歩み、サタンを屈伏させることによって、それを主管するようになるのである。モーセが、自分のような預言者一人を、神が立てられるであろうと言ったのは(使徒三・22)、モーセと同じ立場で、モーセ路程を見本として、世界的カナン復帰の摂理路程を歩まなければならないイエスを表示した言葉である。
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そして、ヨハネ福音書五章19節に、「子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである」と記録されているのは、とりもなおさず、イエスは、神が、既にモーセを立てて見せてくださった表示路程を、そのまま歩まれているということを言われたのである。ゆえにモーセは、次に来られるイエスの模擬者となるのである(使徒三・22)。
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(二)ヤコブ路程を見本として歩いたモーセ路程とイエス路程
ヤコブ路程は、とりもなおさず、サタンを屈伏してきた路程である。そして、サタンを屈伏させる路程は、サタンが侵入したその経路を、逆にたどっていかなければならない。そこで今ここに、我々は、ヤコブ路程を見本として歩まれた、モーセ路程とイエス路程について調べてみることにしよう。
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① 人間は、元来、取って食べてはならないと言われた神のみ言を、命を懸けて守るべきであった。しかし天使長からの試練に勝つことができないで、堕落してしまったのである。それゆえに、ヤコブがハランから妻子と財物を取り、カナンに戻って、「メシヤのための基台」を復帰し、家庭的カナン復帰完成者となるためには、サタンと命を懸けて闘う試練に勝利しなければならなかったのである。ヤコブが、ヤボク河で天使と命を懸けて闘い、勝利することによって、イスラエルという名を受けたのも(創三二・25~28)、このような試練を越えるためのものであった。神は天使をサタンの立場に立てられ、ヤコブを試練されたのである。
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しかし、これはあくまでも、ヤコブを不幸に陥れようとしたものではなく、彼が、天使に対する主管性を復帰する試練を越えるようにして、アベルの立場を確立させ、彼を家庭復帰完成者として立てられるためであった。天使がこのような試練の主体的な役割を果たすことによって、天使世界もまた、復帰されていくのである。モーセも、イスラエルの民族を導いてカナンに入り、民族的カナン復帰完成者となるためには、神が彼を殺そうとする試練に、命を懸けて勝利しなければならなかったのであった(出エ四・24)。
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もし、人間が、このような試練を神から受けないで、サタンから受けて、その試練に負けたときには、サタンに引かれていくようになるのである。それゆえに、神の方から試練をするということは、どこまでも、神が人間を愛しているからであるということを、我々は知らなければならない。イエスも、人類を地上天国に導くことによって、世界的カナン復帰完成者となるためには、荒野四十日の試練において、命を懸けてサタンと闘い、それに勝利しなければならなかったのである(マタイ四・1~11)。
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② 人間の肉と霊にサタンが侵入して堕落性が生じたのであるから、ヤコブはこれを脱ぐための条件を立てなければならなかった。それゆえに、ヤコブは、肉と霊とを象徴する、パンとレンズ豆のあつものを与えて、エサウから長子の嗣業(家督権)を奪うことによって、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、アベルの立場を復帰しなければならなかったのである(創二五・34)。この路程と対応するために、モーセ路程においても、イスラエル民族に、肉と霊とを象徴する、マナとうずらとを与えてくださり、神に対する感謝の念と、選民意識とを強くさせることによって、彼らをモーセに従わせ、「堕落性を脱ぐための民族的蕩減条件」を立たせようとされたのであった(出エ一六・13、14)。
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イエスが、「……あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった……人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ六・ 48~53)と言われたのは、イエスも、この路程を見本として歩まれたということを意味するのである。これは、すべての堕落人間たちが、洗礼ヨハネの立場におられる(本章第三節(二)(1))イエスを信じ仕えることにより、霊肉共に彼と一体となり、「堕落性を脱ぐための世界的蕩減条件」を立て、彼をメシヤとして侍るところまで行かなければ、創造本性を復帰することができないということを意味するのである。
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③ 人間は堕落により、その死体までもサタンの侵入を受けたのであった。ところがヤコブは、祝福を受けて、聖別された体であったから、彼の死体も、サタンと闘って分立したという条件を立てるため、その死体に、四十日間、防腐剤を塗ったのである(創五〇・3)。したがって、この路程を見本として歩いたモーセも、その死体をもってサタンと闘ったのであり(ユダ9)、またイエスも、その死体をめぐって問題が起きたのであった(マタイ二八・12、13)。
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④ 人間始祖は、堕落により、その成長期間において、サタンの侵入を受けてしまった。それゆえ、これを蕩減復帰するために、次のようなその期間を表示する数を立てるための摂理をなさるのである(後編第三章第二節(四))。すなわち、ヤコブがハランからカナンに復帰するときに、サタン分立の三日期間があり(創三一・22)、モーセが民族を導いて、エジプトからカナンに復帰するときにも、やはりこのような三日期間があり(出エ五・3)、また、ヨシュアも、この三日期間を経たのち、初めてヨルダン河を渡ったのである(ヨシュア三・2)。そして、イエスの霊的世界カナン復帰路程においても、サタン分立の墓中三日期間があったのである(ルカ一八・33)。
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サタンに奪われたノアからヤコブまでの十二代の縦的な蕩減条件を、ヤコブ一代において横的に蕩減復帰するために、ヤコブに十二子息がいた(創三五・22)。ゆえに、モーセのときにも、十二部族があったのであり(出エ二四・4)、イエス路程においても、十二弟子がいたのである(マタイ一〇・1)。また、七日の創造期間に侵入したサタンを分立する蕩減条件を立てるため、ヤコブのときには、七十人家族が(創四六・27)、モーセのときには、七十人長老が(出エ二四・1)、そして、イエスのときには、七十人門徒が、各々その路程の中心的な役割を果たしたのであった(ルカ一〇・1)。
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⑤ 杖は、不義を打ち、真実なる道へと導き、人の身代わりとして身を支えるものの表示物で、将来来られるメシヤを象徴したのである(本章第二節(二) (2)・)。したがって、ヤコブが、このような意義をもっている杖をついて、ヨルダン河を渡り、カナンの地に入ったということは(創三二・10)、将来、堕落人間が、メシヤを捧持して不義を打ち、彼の導きを受け、彼を頼ることによって、罪悪世界を越え、創造理想世界に入るということを、見せてくださったのである。それゆえに、モーセも杖を手にして、イスラエル民族を導いて、紅海を渡ったのであり(出エ一四・16)、イエスも彼自身を表示する鉄の杖によって、この苦海の世界を渡り、神の創造理想世界へと全人類を導いていかなければならなかったのである(黙二・27、黙一二・5)。
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⑥ エバの犯罪が罪の根をつくり、その息子カインがアベルを殺すことによって、その実を結ぶようになった。このように、母と子によってサタンが侵入し、罪の実を結んだのであるから、蕩減復帰の原則によって、母と子が、サタンを分立しなければならないのである。したがって、ヤコブが祝福を受けて、サタンを分立し得たのも、その母親の積極的な協助があったればこそである(創二七・43)。モーセもまた、その母親の協助がなかったならば、彼が死地から脱して、神の目的のために仕えることはできなかったはずである(出エ二・2)。そして、イエスのときにも、また、彼を殺そうとしたヘロデ王を避け、彼を連れてエジプトに避難するという、その母親の協助があったのである(マタイニ・13)。
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⑦ 復帰摂理の目的を達成する中心人物は、サタンの世界から神の世界へと復帰する路程を歩まなければならない。それゆえに、ヤコブはサタンの世界であるハランからカナンへ復帰する路程を歩いたのであり(創三一~三三)、モーセは、サタン世界であるエジプトから、祝福の地カナンに復帰する路程を歩いた(出エ三・8)。そしてまたイエスも、この路程を歩まれるために、生まれてすぐエジプトに避難したのち、再び国に戻るという過程を経なければならなかったのである(マタイ二・13)。
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⑧ 復帰摂理の最終の目的は、サタンを完全に滅ぼしてしまうところにある。ゆえに、ヤコブは、偶像を樫の木の下に埋めたのであり(創三五・4)、モーセも、金の子牛の偶像をこなごなに砕いて、それを水の上にまき、イスラエル民族に飲ませたのであった(出エ三二・20)。またイエスは、そのみ言の権能をもって、サタンを屈伏させ、この罪悪世界を壊滅させなければならなかったのである(前編第三章第三節(二)(2)参照)。
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第二節 モーセを中心とする復帰摂理
(一)モーセを中心とする復帰摂理の概観
(二)モーセを中心とする民族的カナン復帰路程
(三)モーセ路程が見せてくれた教訓
(一)モーセを中心とする復帰摂理の概観
モーセを中心とする復帰摂理は、アブラハムを中心とする復帰摂理において既に立てられた「メシヤのための基台」の上で達成されなければならないのであるが、「信仰基台」と「実体基台」とを蕩減復帰して、「メシヤのための基台」をつくらなければならないという原則は、彼においても、何ら異なるところはなかったのである。なぜなら、その摂理を担当する中心人物が代わったならば、その人物自身もそれと同じ責任分担を改めて完遂しなければ、復帰摂理のみ旨を継承することができないからであり、またその摂理の範囲が、家庭的な範囲から民族的な範囲へと拡大されたためであった。しかし、モーセを中心とする復帰摂理においては、次に述べるように、その基台をつくるための蕩減条件の内容が、以前のそれと比べて異なるところが多いのである。
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(1) 信 仰 基 台
① 信仰基台を復帰する中心人物
アブラハムの象徴献祭の失敗によって生じた、その子孫たちのエジプト苦役四〇〇年期間が終わってのち、イスラエル民族がカナンの福地に復帰する路程において、「信仰基台」を復帰する中心人物は、モーセであった。ここで、我々はモーセがこの「信仰基台」を、どのようにして立てたかということを知る前に、復帰摂理から見たモーセの位置について詳しく調べ、モーセ以前の摂理路程において、「信仰基台」を復帰しようとした他の人物たち、すなわち、アダム、ノア、アブラハムなどと比べて、モーセの異なる点が何であったかということについて、調べてみることにしよう。
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その第一はモーセが神の代理となり、神として立てられたということである。それゆえに、出エジプト記四章16節を見れば、神はモーセにイスラエルの預言者アロンの前で、「あなたは彼のために、神に代るであろう」と言われ、また、同じ出エジプト記七章1節では、「見よ、わたしはあなたをパロに対して神のごときものとする」と言われているのである。
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第二に、モーセは、将来来られるイエスの模擬者であった。既に論じたとおり、神はモーセをアロンとパロの前で、神の代理として立てられたのである。ところが肉身をつけた神は、イエス一人に限られるため、神がモーセを神の代理として立てられたというみ言は、とりもなおさず、モーセを出エジプト路程において、イエスの模擬者として立てられたということを意味するものとしか考えようはないのである。
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このようにモーセは、イエスの模擬者として、将来イエスが歩まれる路程を、そのとおり、先に歩むことによって、あたかも、洗礼ヨハネが、イエスの道を直くしなければならなかったように (ヨハネ一・23)、彼もイエスが将来歩まれる道を、前もって開拓したのであった。それでは、モーセがこの路程をいかに歩んだかということに関して、調べてみることにしよう。モーセは、「メシヤのための基台」をつくったヤコブの子孫であって、復帰摂理時代の摂理歴史を担当した中心人物であったばかりでなく、将来イエスが来られたとき歩まなければならない、ヤコブの典型路程を、形象的に歩いたのである。
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そしてまた、モーセは、ヤコブ家庭がエジプトに入る路程で、ヨセフがつくった基台の上に立っていたのである。ところが、ヨセフもまた、一人のイエスの模擬者であった。ヨセフはヤコブの天の側の妻として立てられたラケルが生んだ子であり、またヤコブのサタン側の妻として立てられたレアが生んだ息子たちの末の弟であった。
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それゆえに、ヨセフはアベルの立場にいたのであるが、しかし、カインの立場にいたその兄たちが、彼を殺そうとしたのである。ところが、辛うじて死を免れ商人に売られたことから、先にエジプトに入るようになったのであった。そして、彼が三十歳になりエジプトの総理大臣になったのち、彼が幼いときに天から夢の中で啓示してくださった教示のとおり(創三七・5~11)、その兄たちと父母とがエジプトを訪ねてきて彼に屈伏した摂理路程の基台の上で、イスラエルのサタン分立のためのエジプト苦役路程が始まった。
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ヨセフのこのような路程は、将来イエスが来られて、苦難の道を通じて、三十歳で王の王としてサタン世界に君臨されたのち、全人類はいうまでもなく、その祖先たちまでも屈伏させ、サタンの世界から分立して天の側に復帰するということを、見せてくださったのである。このようなヨセフの全生涯は、とりもなおさず、イエスの模擬者としての道を行く歩みであった。
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また、モーセの生い立ちと死も、まさしくイエスのその表示路程であったのである。モーセは、生まれたときは、パロ王の手によって殺されるよりほかはない立場にあったのであるが、その母親が彼を隠して育てあげたのち、パロの宮中に入り、敵の懐の中で、怨讐を越えて安全に成長したのであった。これと同じく、イエスも、生まれるや否や、ヘロデ王の手により、殺されるほかはない立場に陥ってしまったので、その母親が彼を連れてエジプトに逃れ、隠れて育てあげたのちに、再びヘロデ王の統治圏内に戻り、敵の懐の中で安全に成長されたのである。
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そしてまた、モーセが死んだのち、その死体の行方を知る人がいなかったということも(申命三四・6)、イエスの死体もそのようになるということに対する一つの模型であった。そればかりでなく、モーセの民族的カナン復帰路程は、まさしくそのまま、次に詳しく記録されているように、将来イエスが来られて歩まれる世界的カナン復帰路程の典型であったのである。このように、モーセがイエスの模擬者であったという事実は、申命記一八章18節から19節に、神がモーセのような預言者一人(イエス)を立てると預言され、だれでも彼の言葉に聞き従わない者は罰するであろうと言われたそのみ言を見ても、十分に理解することができる。
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そしてまた、ヨハネ福音書五章19節を見れば、イエスは、父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないと言われた。このみ言もまた、神がモーセをして、将来イエスが行われることを、前もって見せてくださったということを意味するのである。
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② 信仰基台を復帰するための条件物
モーセは、既に論じたように、モーセ以前の摂理路程において、「信仰基台」を復帰してきた他の中心人物たちとは、別の立場に立っていた。それゆえに、モーセは、アベルとか、ノアとか、あるいはアブラハムのように、象徴献祭をしなくても、神のみ言を中心として、「四十日サタン分立基台」だけを立てれば、「信仰基台」を蕩減復帰することができたのである。その理由を挙げれば、まず第一に、モーセは、アベル、ノア、イサクなどが、三次にわたる象徴献祭を成功させることにより、象徴献祭による摂理を完了した基台の上に立っていたからである。
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第二には、人間始祖が堕落して、「信仰基台」を立てるための神のみ言を失ったので、堕落人間は、神のみ言を直接に受けることができなくなった。そのため、み言の代わりの条件として立てられたのが、その供え物なのである。ところがモーセのときに至ると、供え物を条件物として立てて「信仰基台」を復帰した、復帰基台摂理時代は過ぎさり、再び神のみ言に直接に対し得る、復帰摂理時代となったため、「信仰基台」のための「象徴献祭」は、必要ではなくなるのである。
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第三に、アダムの家庭を中心とした摂理が、長い歴史の期間をかけて延長されるに従い、サタンが侵入して延長されたその摂理的な期間を、蕩減復帰する条件を立てなければならなかった。ところが、ノアが箱舟をもって「信仰基台」を立てるためには、「四十日サタン分立基台」が必要であった。そして、アブラハムも、四〇〇年期間を蕩減復帰する「四十日サタン分立基台」の上に立ったのち、初めて、「信仰基台」を立てるための「象徴献祭」をささげるようになったのである。
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また、イスラエル民族が、エジプトにおいて、四〇〇年間苦役するようになったのも、「四十日サタン分立基台」を蕩減復帰することにより、アブラハムの供え物の失敗によってサタンの侵入を受けたその「信仰基台」を蕩減復帰するためであった。このように復帰摂理時代においては、「四十日サタン分立基台」の上で、供え物の代わりに神のみ言を中心として立つことができさえすれば、それをもって「信仰基台」を復帰するようになっていたのである。
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(2) 実 体 基 台
復帰基台摂理時代においては「家庭的な実体基台」を立てる摂理をなさった。しかし、復帰摂理時代になると、その次元が上がって、「民族的な実体基台」を立てる摂理をなさるようになるのである。ところで、「民族的な信仰基台」を復帰するに当たって、モーセは神の身代わりとなるので(出エ四・16、七・1)、イエスと同じ立場に立つことになる。それゆえモーセは、イスラエル民族に対しては、父母の立場に立っていたのである。また一方、モーセは、イエスに先立ってその道を開拓すべき使命を担った預言者でもあったので、その子女の立場にも立っていたのであった。
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したがって彼は、「民族的な実体基台」を立てるべき中心人物として、アベルの立場にもまた立たなければならなかったのである。アベルは、アダムの代わりに、父母の立場で献祭したので、その献祭に成功することにより、彼はアダムが立てなければならなかった「信仰基台」とともに、「実体献祭」のためのアベル自身の立場をも確立することができたのであった。
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これと同一の原理により、そのときのモーセも、父母でもあり、また子女でもあるという二つの立場に立っていたために、彼もまた、父母の立場で「信仰基台」を蕩減復帰するようになれば、同時に彼は、子女の立場で「実体献祭」をするためのアベルの位置を確立することができたのである。このようにして、モーセがアベルの位置を確立したのち、イスラエル民族がカインの立場で、モーセを通じて「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てるならば、そこに「実体基台」はつくられるのであった。
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(3) メシヤのための基台
モーセが「民族的な信仰基台」を蕩減復帰して、モーセを中心とするイスラエル民族が、「民族的な実体基台」を蕩減復帰すれば、それがすなわち、「メシヤのための民族的基台」となるのである。そして、イスラエル民族が、その基台の上に、将来来られるメシヤによって重生され、原罪を脱いで、神と心情的に一体となることにより創造本性を復帰すれば、「完成実体」となるようになっていたのである。
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(二)モーセを中心とする民族的カナン復帰路程
モーセがサタンの世界であるエジプトから、イスラエルの選民を奇跡をもって導きだし、紅海を渡り、荒野を巡って、神が約束された土地であるカナンに向かう路程は、将来、イエスがこの罪悪世界において、第二イスラエルであるキリスト教信徒を奇跡をもって導き、この罪悪世界の苦海を渡り、命の水が乾いた砂漠を巡って、神が約束された創造本然のエデンに復帰するその路程を、先に見せてくださったことにもなるのである。
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また、モーセを中心とする民族的カナン復帰路程が、イスラエル民族の不信によって、三次にわたって延長されたように、イエスを中心とする世界的カナン復帰路程も、ユダヤ人たちの不信によって、三次にわたって延長されたのであった。煩雑を避けるために、ここでは、モーセ路程とイエス路程とを細密に対照した説明は省くことにする。しかしこれは、本節と次の節とを対照してみることによって明らかにされるのである。
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(1) 第一次民族的カナン復帰路程
① 信 仰 基 台
イスラエル民族が、四〇〇年間をエジプトで苦役することにより、アブラハムの象徴献祭の失敗によって招来された、民族的な蕩減期間は終わったのである。ここにおいて、モーセがイスラエル民族を導いて、「信仰基台」を復帰する人物となるためには、民族的な蕩減期間である四〇〇年を、再び個人的に蕩減することにより、「四十日サタン分立の基台」を立てなければならなかった。モーセは、この目的とともに、堕落前のアダムの「信仰基台」のために立てなければならなかった四十数を蕩減復帰するために(後編第三章第二節(四))、サタン世界の中心であるパロの宮中に入り、四十年を送らなければならなかったのである。
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ゆえに、モーセは、他人が知らないうちにその乳母として立てられた母親から、選民意識に燃える教育を受けながら、パロ宮中生活を送ったのち、選民の血統に対する志操と忠節とを変えず、パロ宮中で、つかの間の罪悪の享楽にふけるよりは、むしろ、神の民と共に、苦難を受けることを喜びとして、宮中から脱出してしまったのであった(ヘブル一一・24~27)。このようにモーセは、パロ宮中生活の四十年をもって「四十日サタン分立基台」を立て、信仰基台を蕩減復帰したのである。
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② 実 体 基 台
モーセは、「信仰基台」を立てることによって、同時に、既に述べたような「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」をつくるのに必要な、アベルの位置をも確立していたのである。ゆえに、カインの立場にいたイスラエル民族が、彼らの父母の立場であると同時に、子女としてのアベルの立場にもいたモーセに、信仰を通じて従順に屈伏し、彼から神のみ旨を継承することによって、善を繁殖することができたならば、そのときに「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、「民族的な実体基台」を蕩減復帰するようになっていたのである。イスラエル民族が、このようにモーセに従ってエジプトを出発し、カナンの福地に入る期間は、すなわち、彼らがこの「実体基台」を立てるための期間となるのである。
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神は、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもって「出発のための摂理」をされた。モーセは、自分の同胞が、エジプト人によって虐待されるのを目撃し、火のように燃えあがる同胞愛を抑えることができず、そのエジプト人を打ち殺してしまったのである(出エ二・12)。事実これは、神が御自分の民の惨状を御覧になり(出エ三・7)、憤懣やるかたない御心情を表示されたものでもあった。それゆえに、このようなモーセを中心として、イスラエル民族が一つになるかならないかということは、彼らがモーセに従って砂漠を横断するカナンの復帰路程を、成功裏に出発できるか否かを決定する重大な問題であったのである。
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神の選ばれたモーセが、このようにエジプト人を打ち殺したということは、第一に、天使長が人間始祖を堕落させ、また、カインがアベルを殺すことによって、サタンが長子の立場で人類歴史をつくってきたため、天の側から長子の立場にいるサタンの側を打って、蕩減復帰する条件を立てなければ、カナン復帰路程を出発することができなかったからであった。そしてつぎには、モーセがパロの宮中に対する未練を断ち、再びそこに戻ることができない立場に立たせるためであり、また、一方においては、これをもってイスラエル民族に彼の愛国心を見せ、彼を信ずるようにするためでもあったのである。
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第二次民族的カナン復帰路程において、神がエジプトの長子と、その家畜の初子を全部打たれた理由も、正にここにあったのである。モーセの、このような行動を目撃していたイスラエル民族が、神と同じ心情をもって、モーセの愛国心に感動し、彼を心から尊敬し、心から信じたならば、彼らはモーセを中心として、神の導きにより、紅海を渡ったりシナイの荒野を巡るようなことをせずに、すぐペリシテの方へ行く近道を通ってカナンの土地に入り、「実体基台」をつくるはずであった。
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そして、この路程は、ヤコブのハラン二十一年路程を蕩減する二十一日路程となるはずであったのである。出エジプト記一三章17節には、「パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである」と記録されている。
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このみ言によって、神は、第一次民族的カナン復帰路程においては、ペリシテ地方の近道を通らせるつもりであったが、イスラエル民族がモーセを信じなかったために、この路程は出発することもできなかったのであり、第二次民族的カナン復帰路程のときには、第一次のときと同じく、彼らが再び不信に陥りカナン復帰の途中でエジプトに戻ることを憂慮されて、紅海を渡り、荒野を迂回していくように導かれたということを、我々は知ることができるのである。
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③ 第一次民族的カナン復帰路程の失敗
もしカインの立場にいたイスラエル民族が、アベルの立場にいたモーセに従順に屈伏し、カナンの土地に入ることができたならば、彼らは「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てて「実体基台」をつくり得たはずであった。ところが彼らは、モーセがエジプト人を打ち殺すのを見て、むしろ、彼を誤解し、そのことを口に出して非難したため、パロはこのことを聞いてモーセを亡き者にしようとしたのである(出エ二・15)。
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そこでモーセは、やむなくパロの目を避けて、イスラエル民族を離れ、ミデヤンの荒野に逃げるようになったので、その「実体基台」をつくることができず、したがって、モーセを中心とするイスラエル民族のカナン復帰路程は、二次から三次まで延長されるようになったのである。
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(2) 第二次民族的カナン復帰路程
① 信 仰 基 台
イスラエル民族の不信により、第一次民族的カナン復帰路程は失敗に終わり、モーセが彼の「信仰基台」のために立てたパロ宮中の四十年期間は、サタンの侵入を受ける結果となってしまった。それゆえに、モーセが第二次民族的カナン復帰路程を出発するためには、サタンの侵入によって失った、パロ宮中の四十年期間を蕩減復帰する期間を再び立て、「信仰基台」を復帰しなければならなかったのである。
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モーセがパロを避けてミデヤンの荒野に入り、再び、四十年期間を送るようになった目的は、とりもなおさず、ここにあったのである。この四十年期間には、イスラエル民族も、モーセを信じなかった罪によって、一層悲惨な生活をしたのであった。モーセは、ミデヤン荒野における四十年をもって「四十日サタン分立基台」を新たに立てたため、第二次の民族的カナン復帰のための「信仰基台」を復帰することができたのである。それゆえに、神はモーセの前に現れて「エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
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わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと……のおる所に至らせようとしている。いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」(出エ三・7~10)と言われたのであった。
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② 実 体 基 台
モーセは、ミデヤン荒野の四十年をもって、「四十日サタン分立基台」を再び造成し、「信仰基台」を復帰すると同時に、再び「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てるに当たってのアベルの位置をも確立したのである。したがって、第一次民族的カナン復帰路程の場合と同じく、カインの立場にいたイスラエル民族が、アベルの立場にいたモーセを絶対的に信じ、かつ、彼に従ったならば、神のみ言のとおりに、彼らは乳と蜜の流れるカナンの地に入ることができたわけであるから、ここで、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成できるようになっていたのであった。
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第一次民族的カナン復帰路程を出発しようとしたとき、モーセがエジプト人を打ち殺したのと同じ目的でもって、第二次民族的カナン復帰路程を出発するに当たって、神はモーセに、三大奇跡と十災禍を起こす権能を与えられ、エジプト人を打つことによって「出発のための摂理」をされたのである。モーセがサタンの側を打たなければならない理由は、既に明らかにしたように、第一に、サタンが侵入した長子の立場を蕩減復帰し、第二に、イスラエル民族をしてエジプトに対する未練を断つようにさせ、第三に、モーセがどこまでも、神が送られた人であるということをイスラエル民族に知らしめるためであった(出エ四・1~9)。
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さらに、モーセがエジプト人を打つことができたもう一つの理由があったのであるが、それはイスラエル民族が、神が言われたように、アブラハムの象徴献祭の失敗によるエジプト苦役四〇〇年の蕩減期間を全部満たしたにもかかわらず、その上になお、三十年間を苦役されることにより(出エ一二・ 41)、彼らの嘆きが神にまで達し、神の哀れみを呼び起こし得たという事実である(出エ二・24、25)。
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それでは、三大奇跡は、復帰摂理路程において、何を予示したのであろうか。第一の奇跡は、神が命令して見せてくださったとおり(出エ四・3~5)、モーセの命令によって、アロンがその手に持っていた杖をパロの前に投げつけたとき、それが蛇となったというものである。これを見たパロは、自分の魔術師を召し寄せてその杖を投げさせたところ、これもまた、蛇となったのである。ところが、アロンの杖の蛇は彼らの杖の蛇をのみ尽くしてしまった(出エ七・10~12)。それでは、この奇跡は、いったい何を予示したのであろうか。
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これは、とりもなおさず、イエスが救い主として来られ、サタンの世界を滅ぼすということを、象徴的に見せてくださったのである。神の代わりに、神として立てられたモーセ(出エ七・1)の前で、奇跡を起こしたその杖は、将来、神の前でこのような奇跡を起こすであろう、権能的な面から見た、イエスを象徴したのであった。それと同時にまた、杖は身代わりの支え人、身代わりの保護者として、不義を打ち、真実なる道案内人の使命をするものであるがゆえに、これは将来、イエスが全人類の前で、このような使命を担って来られるということを見せてくださったものであり、その使命の面からイエスを象徴したものであったのである。
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そして、イエスを象徴する杖が蛇になったということは、イエスもまた、蛇の役割をしなければならないということを、見せてくださったのである。イエスが「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と、御自分を蛇に例えられた理由は、実にここにあった。またイエスは、その弟子たちに、蛇のように賢くあれ(マタイ一〇・16)と言われた。これは元来、人間始祖が悪い蛇に誘惑されて堕落したのであるから、これを蕩減復帰するために、イエスは善なる知恵の蛇として来られ、悪なる人間たちを誘って善に導かなければならないし、弟子たちも善なる蛇として来られたイエスの知恵を習い、悪人たちを善導しなければならないという意味で、そのように言われたのである。
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また、モーセの蛇が魔術師の蛇をのみ尽くしたということは、イエスが天の蛇として来られ、サタンの蛇をのみ滅ぼしてしまわれるということを象徴的に見せてくださったのであった。
第二の奇跡は、神の命令によって、モーセが最初に手を懐に入れたときには、その手がらい病にかかっていた。しかし、神の命令によって、再びその手を懐に入れたときには、らい病にかかっていたその手が完全に快復して元の肉のようになっていたのである(出エ四・6、7)。この奇跡は、将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊(前編第七章第四節(一))を送られることによって、贖罪の摂理をされるということを、象徴的に見せてくださったのであった。
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最初に手を懐に入れて、不治のらい病にかかったということは、最初に天使長がエバを懐に抱くことによって、人間が救われ難い立場に堕落してしまったということを意味したのである。そして、その手を再び懐に入れたとき、病気が完全に治ってしまったということは、人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊(前編第七章第四節(一))を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように(マタイ二三・37)、全人類を、再びその懐に抱くことによって重生せしめ、完全復帰するということを表示されたのであった。
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第三の奇跡は、川の水を陸地に注いで血となるようにしたことである(出エ四・9)。これは、無機物(水)に等しい命のない存在が、有機物(血)に等しい命のある存在として復帰されるということを、象徴的に見せてくださったのであった。水は堕落して命を失った世間一般の人間を意味するのであるから(黙一七・15)、この奇跡は将来イエスと聖霊とが来られて、命を失った堕落人間を、命のある子女として復帰されるということを、見せてくださったのである。
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以上のような三つの権能を行われたのは、イスラエル民族の前に、将来イエスと聖霊とが、人類の真の父母として来られ、全人類を子女として復帰し、サタンに奪われた創造本然の四位基台を復帰することができる、象徴的な蕩減条件を立て得るようにされるためであった。
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つぎにモーセが、神に自分の言葉を代理に語れる人を要求したとき、神はその兄アロン(出エ四・14)と、アロンの姉である女預言者ミリアム(出エ一五・20)とを彼に与えられた。これは、将来み言の実体となられるイエス(ヨハネ一・14)と聖霊とが来られて、堕落によってみ言を失った人間を、み言の実体として復帰されるということを、形象的に見せてくださったのであった。
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それゆえに、アロンとミリアムとがカナンの復帰路程を通じて、神の立場にあったモーセに仕え、彼の身代わりとなって指導の使命を担ったということは、将来イエスと聖霊とが、世界的カナン復帰路程を通して、神のみ旨に従い、身代わりの贖罪使命をされるということを、形象的に見せてくださったのである。
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モーセが神の命令を受けパロの前に行く途中で、主が現れてモーセを殺そうとされた。そのときモーセは、彼の妻チッポラがその男の子に割礼を施して許しを請うたおかげで、死を免れることができたのである(出エ四・24~26)。このように、モーセは割礼をもってその試練に勝利したため、彼の家族が生き得たのであり、したがって、イスラエル民族がエジプトから出られるようになったのであるが、これもまた、将来イエスが来られたときに、イスラエルの民族が割礼の過程を経なくては、神の救いの摂理が成就されないということを、前もって見せてくださったのである。
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それでは、割礼がいかなる意味をもっているかということについて、調べてみることにしよう。人間始祖は、サタンと血縁関係を結ぶことによって、いわば、陽部を通じて死亡の血を受けたのであった。ゆえに、堕落した人間が、神の子女として復帰されるためには、その蕩減条件として、陽部の皮を切って血を流すことにより、その死亡の血を流してしまったということを示す表示的条件として、割礼を行うようになったのである。
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それゆえに、この割礼の根本意義は、第一には、死亡の血を流してしまうという表示であり、第二には、男子の主管性を復帰するという表示であり、また第三には、本然の子女の立場を復帰するという約束の表示でもあるのである。ところで、割礼の種類としては、心の割礼(申命一〇・16)と、肉身割礼(創一七・10)、万物割礼(レビ一九・23)などの三種類がある。
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つぎに神は、モーセを通じて十災禍の奇跡を行われることにより、イスラエル民族をエジプトから救いだされたのであるが(出エ七・10~一二・36)、これも将来イエスが来られて、奇跡をもって神の選民を救われるということを、見せてくださったのであった。ヤコブがハランにおいて、二十一年間の苦役をするとき、ラバンは当然ヤコブに与えなければならない報酬を与えないで、十回も彼を欺いた(創三一・7)。
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それゆえに、ヤコブの路程を歩むモーセの路程においても、パロがイスラエル民族を、限度を越えて苦役させたばかりでなく、十回も彼らを解放すると言いながら、そのつど彼らを欺いたので、その蕩減として十回の災禍を下し、パロを打つことができたのである。それでは、これらの災禍はいったい、何を予示しようとされたものであるかということについて、調べてみることにしよう。
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エジプトの側には三日間の暗黒があり、イスラエルの側には三日間の光明があったというのは、これは将来イエスが来られたら、サタンの側は暗闇となり、神の側は光明となって、サタンの側と神の側とが分岐されるということを、表示してくださったのである。つぎに神は、エジプトの長子と家畜の初子をことごとく撃ってしまわれたのであるが、イスラエルの民族は、羊の血をもってこれを免れることができた。
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これは、サタン側の長子はカインの立場であるためにこれを打ち、アベルの立場である次子をして、長子の立場を復帰するようにさせるためであった。この災禍もまた、将来イエスが来られたならば、最初に長子の立場を復帰することにより、摂理路程を先に出発したサタンの側は滅び、次子の立場である神の側はイエスの血の代贖によって救われるということを、前もって見せてくださったのである。
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モーセはまた、エジプトから多くの財物を取って出発したのであるが(出エ一二・35、36)、これも、将来にあるはずのイエスの万物復帰を、前もって表示されたのであった。神は災禍の奇跡を行われるごとに、パロの心をかたくなにされたが(出エ一〇・27)、その理由は、第一に、パロとイスラエル民族に神の能力をはっきりと見せ、神はまさしく、イスラエルの神であられるということを悟らしめるためであった(出エ一〇・1、2)。
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そして第二には、パロをして、あらん限りの力を尽くして、イスラエル民族を捕らえようと努めさせ、しかも結局は、やむなくそれを断念せざるを得ないことを体験させ、自己の無力を悟らしめ、また、イスラエル民族がエジプトを離れたのちにも、彼らに対する未練をもたしめないようにされるためであった。そして、第三には、イスラエル民族をして、パロに対する敵愾心を抱くようにさせ、エジプトに対する未練を断つようにさせるためであった。
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第一次の民族的カナン復帰路程においては、モーセがエジプト人を打ち殺すことをもってその出発のための摂理をされたのであった。しかし、彼らがかえってモーセを信じなかったために、この路程は出発することさえもできず、失敗に終わってしまったのである。ところが、第二次路程におけるイスラエル民族は、その「出発のための摂理」として見せてくださった三大奇跡と十災禍に接し、モーセはまさしく、神が遣わされた真実なるイスラエルの指導者である、ということを信ずるようになったのであった。そして、イスラエル民族は、「民族的な信仰基台」の上でアベルの立場を確立したモーセを信じ、彼に従う立場に立つようになったので、彼らはついに、第二次民族的カナン復帰路程を出発することができたのである。
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ところが、イスラエル民族がこのように一時的にモーセに従い、従順に屈伏したとしても、それだけで直ちに「堕落性を脱ぐための蕩減条件」が立てられたということにはならない。なぜかといえば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てる摂理路程にはサタンが侵入し、長い摂理の期間をサタンに奪われていたために、モーセに対してカインの立場に立っていたイスラエル民族は、このような期間を民族的に蕩減復帰するため、この荒野路程の全期間を通じ、従順と屈伏をもってモーセを信じ、彼に従わなければ、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てることができなかったからである。したがって、イスラエル民族がモーセに従い、荒野路程を経てカナンに入ってしまうまでは、「民族的な実体基台」を立てることができなかったのであった。
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このように神は、第二次のカナン復帰路程においては、その第一次のときよりももっと大きな恩賜をもって「出発のための摂理」をされたのである。しかし、これはあくまでも彼らの不信のためであったから、第二次路程においてイスラエル民族が立てるべき蕩減条件は、更に一層加重されたのであった。すなわち、第一次路程においては、彼らがモーセを信じ、彼に従ったならば、ペリシテの近道に導かれ、ヤコブのハラン路程期間数である二十一日間をもって、カナンの福地に入り得たはずであったのである。
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ところが、第二次路程においては、出エジプト記一三章17節に明示されているように、もし、彼らがペリシテ地方の近道に導かれたならば、戦争を見て恐れを抱き、第一次路程のときと同じく、再び不信に陥ってエジプトに戻るかもしれない、と心配されたので、神は彼らをこの近道に導かれないで、紅海を渡り、荒野を迂回し、二十一カ月かかってカナンに入る路程を選ばれたのであった。
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このようにして、モーセを中心とするイスラエル民族は、二十一カ月の荒野路程を出発するようになったのである。それでは、既に前もって述べたとおり、この路程がいかにして、将来来られるイエスを中心とする、世界的カナン復帰路程の表示路程になったか、ということについて調べてみることにしよう。
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モーセに屈伏したパロがイスラエル民族に、自分の国の内でなら犠牲をささげてもよいと承諾したとき、モーセは、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」(出エ八・26、27)という言葉をもってパロを欺き、自由許諾の三日間を得て、イスラエル民族を導きだしてきたのであった。
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この三日間は、すなわち、アブラハムがイサク献祭に当たってサタン分立のために要した期間であったから、そののちこれは、摂理路程を出発するたびごとに、サタン分立のために必要な蕩減期間となったのである。したがって、ヤコブがカナン復帰路程を出発しようとしたときにも、ラバンを欺いてハランを離れ、サタンを分立した三日期間があった(創三一・19~22)。これと同じく、モーセにも、彼がカナン復帰路程を出発するためには、パロを欺いて自由行動をとり、サタンを分立せしめる三日期間がなければならなかったのである。そして、これは後日、イエスの場合にも、サタン分立のための復活三日期間があったのち、初めて、霊的復帰路程の出発をされるようになるということを、表示してくださってもいるのである。
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このようにして、イスラエルの壮丁(成年に達した男子)六十万人が、ラメセスを出発したのは、正月十五日であった(出エ一二・6~37、民数三三・3)。イスラエル民族が、三日期間を神のみ意にかなうように立て、スコテに到達したのちにおいても、神は尽きない恩賜をもって、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって彼らを導かれたのである(出エ一三・21)。モーセの路程で、イスラエル民族を導いた昼(陽)の雲の柱は、将来イスラエル民族を、世界的カナン復帰路程に導かれるイエスを表示したのであり、夜(陰)の火の柱は、女性神として彼らを導くはずである聖霊を象徴したのであった。
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モーセは神の命令により、杖をもって紅海の波を分け、それを陸地のようになさしめて渡ったのであるが、彼らのあとを追撃してきたエジプトの馬と戦車と騎兵とは、みな水葬に付されてしまったのである(出エ一四・21~28)。既に説明したように、パロの前に立っていたモーセは、神を象徴したのであり(出エ七・1)、モーセが手に持っていた杖は、神の権能を現すイエスを象徴したのであった。
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それゆえに、この奇跡は将来イエスが来られるとき、サタンはイエスに従って、世界的カナン復帰路程を歩む信仰者たちのあとを追撃することになるが、杖の使命者として来られるイエスが、鉄の杖をもって(黙二・27、詩二・9)、彼らの前に横たわるこの荒海の俗世界を打つとき、この苦海も平坦な道に分けられるはずであるから、聖徒たちの道は開かれ、追撃するサタンは滅ぼされてしまうということを見せてくださったのである。前編の終末論において既に述べたように、鉄の杖は神のみ言を意味する。
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そして、黙示録一七章15節には、この罪悪世界を水に例えているのである。我々がこの俗世界を苦海と呼ぶのも、このような通念から生じてきたものと見ることができる。イスラエルの民族は、紅海を渡り、エジプトを出発してから二カ月目の十五日に、シンの荒野に到着した(出エ一六・1)。このときから神は、彼らが人の住む土地にやって来るまでマナとうずらとを与えられたのであるが(出エ一六・35)、これは将来、イエスが世界的カナン復帰路程において、人間の命の要素であるイエスの肉(マナ)と血(うずら)とが、すべての人間に与えられるということを見せてくださったのである。
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それゆえに、ヨハネ福音書六章48節以下を見ると、イエスは、「……あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった……人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」と言われたのであった。 イスラエル民族がシンの荒野を出発して、レピデムに宿営したとき、神はモーセに命ぜられて、ホレブ山の磐石(岩)を打たせ、水を出して彼らに飲ませられた(出エ一七・6)。
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ところで、コリント・一〇章4節に「岩はキリストにほかならない」と言われているのであるから、この行事は将来メシヤが来られ、「永遠の命に至る水」(ヨハネ四・14)によって、すべての人を生かすということを見せてくださったのである。つぎに、モーセがシナイ山で受けた二つの石板も、イエスと聖霊とを象徴するのであるが、磐石は石板の根であるから、これはまた神をも象徴しているのである。
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モーセが磐石を打って水を出し、イスラエル民族に飲ませて彼らを生かした基台があるので、この基台の上でモーセが石板を受けるようになったのであり、したがって契約の箱と幕屋をつくることができたのであった。ヨシュアがレピデムでアマレクと戦ったとき、モーセが手を挙げているとイスラエルが勝ち、手を下げると敗れた。それゆえに、アロンとホルは、石を取ってモーセの足もとに置き、彼をその上に座らせて、彼の手が下がらないように左右から支えることにしたので、その前で戦っていたヨシュアは、アマレク王とその民を打って勝利したのであった(出エ一七・10~13)。
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これも将来、イエスが来られるときに起こることを、前もって見せてくださったのであり、ヨシュアはイエスを信ずる信仰者を、アマレクはサタンの世界を、そしてアロンとホルはイエスと聖霊を、各々象徴したものである。そして、アロンとホルがモーセの手を支えて立っていたその前で、ヨシュアがアマレクを打って滅ぼしたということは、神を中心とするイエスと聖霊の三位神を信ずる信仰者たちは、その前に現れるあらゆるサタンを滅ぼすことができるということを予示してくださったのであった。
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③ 幕屋を中心とする復帰摂理
我々は先に、石板と幕屋と契約の箱とを受けるようになったそのいきさつを、知らなければならない。イスラエル民族は、アマレクと戦って勝利したのち、三カ月目の初めに、シナイの荒野に到着した(出エ一九・1)。ここでモーセは、長老七十人を率いて、シナイ山に登って神を見た(出エ二四・9、10)。神は特別に、モーセをシナイ山の頂に呼ばれ、石の板に記録した十戒を受けるために、四十日四十夜を断食せよと命じられた(出エ二四・18)。
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モーセは、シナイ山で断食する間に、神から契約の箱と幕屋についての指示を受けた(出エ二五~三一)。そして四十日間の断食が終わったとき、モーセは十戒を記録した二つの石板を神から受けたのである(出エ三一・18)。モーセが石板を持ってシナイ山から下り、イスラエルの民の前に出てきたとき、彼らはアロンをして金の子牛をつくらせ、それが、イスラエル民族をエジプトから導きだした神であると言って拝んでいたのであった(出エ三二・4)。これを見たモーセは大いに怒って、手に持っていた二つの石板を山の下に投げつけ、壊してしまったのである(出エ三二・19)。
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しかし、神は再びモーセに現れて、先のものと同じ石の板をつくってきたなら、そこにまた十戒のみ言を刻んでくださることを約束されたのであった(出エ三四・1)。このみ言を聞いたモーセが、再び四十日四十夜を断食したとき、神は彼の石板に再び十戒を記録してくださった(出エ三四・28)。モーセがこの石板をもって、再びイスラエル民族の前に現れたとき、初めて彼らはモーセを信じ、彼に仕えるようになって、契約の箱をつくり、幕屋を建設したのである(出エ三五~四〇)。
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(イ) 石板、幕屋、契約の箱などの意義とその目的
石板は何を意味するものであろうか。モーセがみ言を記録した二つの石板を受けたということは、堕落によって、供え物を通してのみ神と対応できた復帰基台摂理時代が既に過ぎさり、堕落人間がみ言を復帰して、それをもって神と対応することができる復帰摂理時代に入ったということを、意味するのである。そして、既に後編の緒論において明らかにしたように、み言によって創造されたアダムとエバは、完成したならば、み言の「完成実体」となるはずであった。しかし、彼らは堕落することによって、み言を失った存在となってしまったのである。
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ここにおいて、モーセが「四十日サタン分立期間」をもって、み言を記録した二つの石板を手にしたということは、サタンの世界から、失ったアダムとエバとを、象徴的なみ言の実体として復帰したということを意味するのである。したがって、み言を記録した二つの石板は、復帰したアダムとエバとの象徴体であって、将来、み言の実体として来られるイエスと聖霊とを象徴したのであった。聖書にイエスを白い石で象徴し(黙二・17)、また、岩はすなわちキリストである(コリント・一〇・4)と言われた理由はここにあるのである。
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このように、二つの石板はイエスと聖霊とを象徴するために、結局これらはまた、天と地とを象徴することにもなるのである。つぎに、幕屋にはどういう意義があるのであろうか。イエスはエルサレムの神殿を自分の体に例えられた(ヨハネ二・21)。そしてまた、イエスを信じる信徒たちのことをも、神の宮であると言われたのである(コリント・三・16)。それゆえに、神殿はイエスの形象的な表示体であるといわなければならない。モーセを中心とするイスラエル民族が、第一次カナン復帰に成功したならば、彼らはカナンの地に入ってすぐ神殿を建設し、メシヤを迎えることができる準備をするはずであった。
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ところが、彼らの不信により、第一次路程は出発することもできなかったのであり、第二次路程では、紅海を渡り荒野において流浪するようになったため、神殿を建設することができず、その代わりに、幕屋を建てたのである。それゆえに、幕屋はイエスの象徴的な表示体なのである。それゆえ、神がモーセに幕屋を建てるように命ずるとき、「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである」(出エ二五・8)と言われたのである。
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幕屋は至聖所と聖所との二つの部分からなっているのであるが、至聖所は、大祭司だけが年に一度入って献祭をする所である。そして、そこには契約の箱が安置されていて、神が親しく臨在される所であるために、これはイエスの霊人体を象徴したのであり、聖所は普通の献祭のときに入る所であって、これはイエスの肉身を象徴したのであった。したがって、至聖所は無形実体世界を、聖所は有形実体世界を象徴することになるのである。
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イエスが十字架につけられたとき、聖所と至聖所との間に掛けられていた幕が、上から下まで真っ二つに裂かれたということは(マタイ二七・51)、イエスの十字架による霊的救いの摂理の完成によって、霊人体と肉身とが、そして、天と地とが、互いに交通し得る道が開かれたということを意味するのであった。
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それでは契約の箱とはいったい何であろうか。契約の箱とは、至聖所に安置する律法の櫃であって、その中にはイエスと聖霊、すなわち天と地とを象徴する二つの石板が入っていた。そしてまた、そこには荒野路程におけるイスラエル民族の命の糧であり、また、イエスの体を象徴するマナが、神の栄光を表象する金の壺に入れられて安置されていたのであり、また、イスラエルに神の能力を見せてくださった、芽を出したアロンの杖が入っていたのである(ヘブル九・4)。このような点から見るとき、契約の箱は、大きくは天宙の、そして、小さくは幕屋の縮小体であると見なすことができる。
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そして、契約の箱の上には贖罪所がつくられていたのであるが、神が言われるには、金をもって二つのケルビムをこしらえ、贖罪所の左右に向かいあわせに置けば、二つのケルビムの間から主なる神が親しく現れて、イスラエルの人々に、命じようとするもろもろのみ言を語るであろうと言われたのである(出エ二五・16~22)。これは将来、二つの石板に表示されているイエスと聖霊とが来られて摂理されることにより、贖罪が成立すれば、その贖罪所に神が現れると同時に、エデンの園において、アダムが生命の木の前に出ていく道をふさいでしまったケルビム(創三・24)が左右に分かれて、だれでも生命の木であられるイエスの前に行って、神のみ言を受けることができるようになるということを表示してくださったのであった。
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それでは、神が石板と幕屋と契約の箱とを下し給うた目的は、いったいどこにあるのだろうか。イスラエル民族は、アブラハムの「象徴献祭」の失敗によって招来した四〇〇年蕩減期間を終えてのち、三大奇跡と十災禍をもってエジプトの民を打ち、追撃してくるエジプトの数多くの兵士と戦車とを水葬に付して紅海を渡り、荒野への道を踏みだしたのであった。神のみ旨を中心として見てもそのとおりであるが、このように仇をつくって離れたエジプトであったために、再びそこに戻ることができない立場にいたイスラエル民族にとって、カナン復帰は必然的に成就しなければならない路程であったのである。
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それゆえに、神は「出発のための摂理」を、そのような奇跡と災禍をもって行われたのであり、また、イスラエル民族をして紅海を渡らせ、再び、戻ることができないような環境へと追いつめられたのであった。しかし、イスラエル民族はみな不信に流れてしまった。そしてついには、モーセまでが不信の行動をとるかもしれないという立場に陥ってしまったのである。ここにおいて神は、たとえ人間は変わっても変わることのできないある信仰の対象を立てなければならなかったのである。
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すなわち、いかなるときにおいても、たった一人でもこれを絶対に信奉する人がいるならば、そのような人たちによって、その信仰の対象を、あたかもバトンのように継承しながら、摂理の目的をあくまでも成就していこうとされたのである。それでは、このような信仰の対象は何をもって立てなければならなかったのであろうか。石板が入っている契約の箱を安置することによって、メシヤを象徴した幕屋が、すなわち、これであったのである。それゆえに、イスラエル民族が幕屋をつくったということは、既にメシヤが象徴的に降臨されたということを意味するのであった。
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