人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

父の祈り(求める祈り)2ー1

2022年09月15日 08時44分51秒 | 学習
1.

お父様!

多くの群が命を性急に渇望し、この聖壇の前に集いましたから、集ったこの群がお父様の栄光を代身出来るようにしてくださり、喜びのこの祭壇を代身し、お父様の心廬と苦衷を体恤することができるようにお許しください。


お父様は取るに足らない者たちを相手にし、信じなければならない立場にあることを知っておりますし、取るに足らない者たちを頼りにし薬事を起こさなければならない立場にあることを知っております。


今日まで天が私たちを信じなければならない立場にあることを知りつつも、お父様が私たちを信じてくださることができるようにいたし得なかった過去の過ちをお許しください。


頼りとなって差し上げるべき責任をも果たしえなかった私たち人間でありましたから、お父様、この時間お許しくださらん事を切にお願い申し上げます。


お父様を信じ、お父様を頼りとし、私たちの命までも捨てることができ、私たちの生涯までもお父様に素直に差し出すことのできるそんな姿とならしめまして、お父様が取るに適った祭物としてお受け下さることを、愛する我がお父様、切にお願い申し上げます。


お父様、多くの人々の中、取るに足らない私たちを召してくださいましたから、受け取ってくださり、お父様の哀れみの愛で抱いて下さいませ。


お父様に身も心も全て捧げ、お父様の憂える心を体恤させてくださり、お父様が私たちに求められる一つの願いを受け、全うできる子女達とならせて下さらんことを、愛するお父様切にお願い申し上げます。


6千年間しこりとなってきた切ないあなたの事情が今日まで続いており、あなたの嘆きが今日まで続いている歴史を訪ねてみます時、今日もなお私たち自体がお父様の嘆きの根源となっていることを赦して下さいませ。


お父様の命と、お父様の願う理念の実体としてくださり、お父様の喜びえる命の根として下さらんことを切に願いながら、主のみ名を通してお祈りもう申し上げます。
アーメン 1956.05.23


2.
愛なるお父様!

哀れみのお父様!

私たちだけでは私たちの力だけを持ってしては、到底善と悪を分別し善に善を高めて行くことはできませんが、天に秘められた愛の能力を現して、天に秘められた愛の能力を表して復活の能力で役事し、足らない立場で善となり得る能力を表せるようにしてくださり、復活の栄光をまとってお父様に心身をつくし敬拝することができ、心身を尽くし栄光を表すことができますようお許し下さることを愛するお父様切にお願い申し上げます。


お父様!

私たちの心を聖別してください。
各自の心霊と心霊をすべて聖別のみ手で、役事してくださり固体固体の心と体を、お父様、露にしてくださり、一つ一つ聖別してくださいまして、正しくないあらゆる要素を取り除いて捨てなければいけませんから、お父様、直々に分別の主人公となってくださり心情の主人公となってくださいませ。


善悪を分別して悪は処置し、善だけを備えた生きた祭物として一つの中心を通してお父様の御前に捧げられますようお許しくださることを我がお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!

顕現なさるお父様の形状の御前に不足なる自我を認識させてください。

過去の善悪の力を受け死亡圏に入っている自我を発見し、お父様の御前にこの善なる栄光の祭壇の御前に自己を露にできるようにしてくださり、過去の正しくない習性、お父様を信じることのできない観念を取り払ってください。

新たな善の刺激を受けお父様の性相の新たな価値を感じ、心身から衝撃をかんじさせてくださり、悔い改めと感動の役事を広げて下さらんことを愛するお父様、切にお願い申し上げます。

お父様!

私たちを受け持って主管して下さいませ。

私たちの中に一人としてサタンに主管される子女がないようにしてくださり、お父様の再創造の苦労の役事と全能の役事を経た後、今日の惰性を捨てられるようにしてくださらんことをお父様切にお願い申し上げます。

ふさわしくない正しくないあらゆる罪悪の要素をこの時間、お父様、取り除いてください。

直々に干渉し主管できる栄光の要素だけが私たちの全体の上に満ち溢れるように役事してくださり、満ち溢れるように主管して下さらんことを切にお願い申し上げながら、主のみ名を通してお祈りいたします。
アーメン
1956.07.11


3.

お父様!


すべてをお父様だけが守ってくださり、お父様だけが受け持って主管して下さいませ。




私たちの命も、私たちのものでなく、私たちの知識も私たちのものでなく、私たちの観念すべても私たちのものではないと悟るこの時間となれますようにお許しください。




ひとえにあなたの御前に委ねられた身として、天が動ずれば私たちも動じ、天が静すれば私たちも静するようにしてください。




世のいかなる観念が偉大だとしても、天倫とは比べ物にならないと悟らしめて下さり。この世の無知さがこの地上に染み込んでいることを悟らしめて下さい。


その罪悪の影が全世界と関係を結んでいることを悟らしめて下さいませ。




そうして自分自体の足らなさを悟り、天倫の動きに感動を受け、全体に対し恐れ多い心を感じさせてください。




愛するお父様、切にお願い申し上げます。




お父様、命令してください。


勧告なさり願うところのみ言を下してください。




復活の権能を表して、塞がれた暗闇の塀を突き進める力が爆発できますようにして下さいませ。


切にお願い申し上げます。




心では願えど肉身は弱いですから、この弱き肉身を砕きえる力を現し、権能の御恵みを下賜なさるお父様の御手の前に真実に作っていただける土とならしめてください。




栄光なる形状へと作られえる温柔謙遜な私たちとならしめて下さらんことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。




今日、取るに足らない私たちを、お父様が呼んで下さいましたから、あなたの願いを果たせることをお許しください。




死に行くこの民族、塗炭の苦しみの中にあるこの民族、哀れなこの民族の生きる道を求めんがため生きた祭壇を表せますようお許しください。




今日、私たち一個体をお父様の御前に立て一問一答できる立場に立たせてくださり、私たち自体が天倫の要求する使命を受け、全うできますようにお許し下さいませ。




あらゆる悪と戦い、分別できるようにしてくださり、善悪を分別し善なる立場に立たせて下さい。




善なるものは残り、サタンの悪は精算されることを信じて正しき道に入り、あなたの栄光の中に生きる者達とならしめて下さいませ。




主の御名を通してお祈り申し上げます。




アーメン
1956年7月19日
.


お父様の御前に切にお祈りいたします。

まず第一に私たちの体と心が東方の3博士の捧げた黄金と乳香と没薬のような供え物とならなければいけないことを知っております。

まずは私たちの心と体を捧げさせて下さいませ。

この聖壇の前に憎々しい姿とならないようにして下さいますよう、愛するお父様切にお願い申し上げます。


あなたの選ばれた全員の目的がいかなるものであるかを知れば知るほどに、拙き者たちを再びお探しになったことを思えば思うほどに、私たちの至らなさをお父様の御前に痛悔ざるをえません。

私たちのあらゆる意識や観念や主義主張を洗いざらい差し出し、お父様の御前にひれ伏ましたからお父様、しっかり支えてくださいませ。

お父様!

全体を受け持って下さいませ。
心と体を完全に受け持って主管して下さり、6千年の歴史を抱きしめ、お父様の悲痛な心情を慰める事のできる姿とならせて下さり、私たちが一体となり一つの祭物として、多くの聖徒と共に喜びをもって敬拝出来ますよう
三位一体の神様が私たちの体と心を全てを主管して下さらん事を、愛するお父様、切にお願い申し上げます。

お父様!

この民族を憐れんで下さい。

この民族を愛さんがために、永い歴史過程を通して苦労なさったことを知っております。

み旨を現わさんがため、私たちをお選びになるときには人知れぬご苦労があったことを知っております。

民族の怨恨が天に染み込んでいることを知っておりますし、地上の人類の怨恨も天に染み込んでいることを知っております。

この天上の悲痛に代わって西仏となるべきものがいないことを天が嘆いていることを知っているからには、今日この全天宙間に染み込んだ怨恨を代わりとなって解かんが為に、お父様の御前に切に求める息子、娘とならしめてください。

サタンの前にお父様に代わって勇出て戦える息子、娘とならしめてくださらんことをお父様切にお願い申し上げます。

心と体が動き和合することによって、1つのみ旨を前に和動し、お父様のみ旨を謳わせてくださり、解放の恵みに感謝し、敬拝させてくださらんことを切にお願い申し上げながら、主の御名を通してお祈りいたします。
アーメン
1956.12.16


5
愛するお父様!

行かぬとしても行かざるを得ない孤独な復帰路程に置いて堕落による運命の荷を引き受けて背負いゆくものは誰でございましょうか?

かつて人間始祖の堕落によってお父様が恨を抱くようになり、人間の心と体にも怨恨が残るようになりましたし、ユダヤ民族の不信の罪悪史によってこの怨恨は世界にまで及ぼされるようになったことを知っております。

このように怨恨の叫びが天地に染み込んでいるこの時に私たちの進むべき道をお父様が切り開いてくださらんことを切にお願い申し上げます。

お父様の導く道を行くためには、まず私たちの命が安息できるところ捜さなければなりませんし、その次には私たちの心と体があなたの安息所にならなければなりませんし、それから私たちの望むお父様の愛が私たちの体と心に宿らなければならないことを知っております。


哀れみのお父様

愛のお父様

慈しみ深いお父様

私たちの内に住まわれ、あなたの御胸を表さんが為苦労なさる我がお父様!

私たちの汚れ傷ついた体と心をただそのまま携えて面目もなくお父様の膝下にやって参りましたから受け入れてくださいませ。

お父様が私たちを受け入れてくださらず、私たちの進まんとする標準となってくださらなければ、私たち程哀れなものはございません。


お父様!

私たちにとっては永遠の理想もお父様でありましたし、永遠の望みもお父様でありましたし、永遠の命もお父様でありましたから、今日の私たちが置かれた事情をご存じで、私たちの望むすべての意向をご存知のお父様、
じきじきに私たちに現れて主管してくださらなければなりません。

まずは、お父様に主管される本性的で本質的な要素を備えた私たちとなり、仰せられるみ言葉と役事の中に身も心も魅了させてください。

そうしてあなたの栄光の前に屈伏しまいとしても屈伏せざるを得ないお父様の直接的な能力の役事が現れることができるようにしてください。

また全体の体と心を弛緩なさって、あなたの容認しえない罪悪の根を私たちから除去してくださらんことを愛するお父様、切にお願い申し上げます。

死亡の怒涛が私たちを飲み込もうとしていますからその全てを阻止してください。

また私たちに募った私的な怨恨があるとするならば除去してください。

自己を中心とした何らかの心や意思や観念や主義主張が残っておりますでしょうかお父様、能力の実態として現れ、お父様だけが主管主宰なさいまして、全体の心を作り直し、お父様の形状に似た私たちとならしめてくださらんことを切にお願い申し上げながら、主の御名を通してお祈りいたします。
アーメン
1957.3.3



お父様!

今この時は私たちの心と体が完全にお父様に似通わなければならない時と知っておりますから、私たちを永遠なるお父様の懐に抱きお父様が御胸を出すため億千万の全人類を愛したそのご心情相続させてくださり、また私たちがそのようなお父様の心情を備えて現れなければならない時であることを悟らせて下さいませ。


このちわお父様の苦労をなさり血を流された値でありHeyまた人間が厳しい十字架の道、世界的なゴルゴダの露呈を行った子であることを知っておりますから、お父様、今日私たちがいかなる立場に置かれている顔自ら里れますようにご指導下さい。


イエス様が30歳あまりの生涯において苦労なさったその足跡に私たちが追従していることを認めるならば、私たちが暮らしている環境がいかなる環境であり、私たちが何を望み所願しなければならないのかと言うことをはっきりと悟れますようご指導下さいませ。


今、残された十字架の戦いが私たちの目前に迫っているこの時、私たち個体によってこのすべての苦痛と怨恨を押し出すことのできる自覚した心情を持たなければならないことを知っておりますから、

天よ、この時間、私たちを憐れみたまえ

自らのたらなさを感じ取れるよう導いてくださり、自ら至らなさを感じ取れるようにご指導下さいまして、自ら不完全さを嘆き、お父様の御前で悲痛の涙を流しえるこの時間となさしめて下さらんことを切にお願い申し上げます。


すべてを主管してくださることを願いつつ、主の御名を通してお祈り申し上げます。
ラーメン
1957.3.10






哀れみのお父様!


切ない心情をお持ちのあなたの事情と対面と威信を考えることもできず、むしろ、お父様の哀れみに任せて生きている私たちの事情をお許し下さいますよう、切にお願い申し上げます。


暗い、死亡の地の上にとどまっている私たち、生霊の力と恩恵でなければ到底勝利の栄光をお父様に帰し得ないと言うことを知っておりますから、


お父様、


約束されたる御恵を賜ってくださり摂理なさる全体のみ旨を現して私たちに見せてくださらんことを切にお願い申し上げます。


たらなき私たち


どうしてお父様の御前に出られる姿と言えましょうか


どうして犬に向かって顔が上げられましょうか


私たち自身は千万回死すとも当然な存在であり、罪悪の拷問台に縛りつけられ審判の苦難を受けても当然な人間たちでございます。


それゆえに私たちはお父様の慈悲深き愛お願い、お父様の恩赦を願いなから、自らを正直に告白する心を持ってひれ伏しましたから、私たちの持つ全てをお父様の御前に差し出し、正しくあり得ぬところがあるならばすべて清算することをお許しくださり、その許しに伴い賜った所の心性を守って、天に向かい大いなる御目御恵みを哀訴しえる私たちへとお導きくださらんことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。




お父様!


私たちをあわれんでください。


人に規定されるこの道を尋ね求めんがため、心に染みる悲しみに浸った記憶も持っておりますし、憂いと悩みに沈んだ時もあると思いますから、お父様、人に否定される立場であってもあなただけが認める恵み下賜されることをお許しください。


あなただけが支えてくださり


あなただけが慰労してくださり、


あなただけが勧告してくださらんことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


無知蒙昧な人間たちの中で店の悲痛に通じるものがあると言うならば、お父様、


彼がたとえ千万回悲痛の困窮に落ちても、彼は必ず勝利するようになることを知っております。


あなたの息子娘たち、心から身をもってお父様の悲痛を体恤させてくださり、地に対して気遣われるお父様のご心情を体恤させてさせて下さいまして、子女の道理を果たすこともできる息子娘として立たせてくださらんことを切にお願い申し上げます。


お父様!


私たちが無知ゆえに破綻し得るような場には止まらせないでくださり、自らを爆発させ、悪の根拠地を除去し、お父様の哀れみと愛のみ待ち望み得る御恵を現してくださらんことを、お父様、
切にお願い申し上げます。


私たちの身も心もあなたの仰せられるみ旨と愛のみ恵みに魅了されますようお許しくださらんことを切にお願い申し上げながら、主の御名を通してお祈り申し上げます。
アーメン
1957.4.14





お父様!


私たちを自分たちだけにしたまま放置しないでください。


この世界は人類が歴史的路程を歩んでいきながら失敗した環境であることを知っております。


信仰だけでもダメであり、私たち自身だけでもだめであることを知っております。


私たち自身を超越することができ.私たちの命の期限を見いだすことのできる宇宙理念と真理を持たしめてくださらんことをお願い申し上げます。


私たちはまた真理を持つと同時に天が私たちに挑める基準を立てなければならないと言うことを知っておりますから、絶対的な信仰路程を通して、完全にわかる立場からお父様を「お父様」と呼び得る立場にまで進むことができますよお導き下さい。


イエス様曰く、「新郎と新婦の関係で私を求めよ」と言われました。内的な面で事情に通じえるのが心情であり、内的な面で事情に通じさせてくださるのが御言であるならば、御言に通じさせてくださり、その御言を通して心理と心情をわからせてくださり、心情的な理念を通して神様の心情がわかる立場にまで、お父様、
私たちに因縁を結ばせて下さいませ。


切にお願い申し上げます。


お父様


今日私たちをこの上なく狭い環境に留まらせないでください。


ちっぽけなことに偏ることによって自らの全体的な価値を失ってしまう愚かな姿にはならせないでください。


もっと大いなるお父様の御恵みを敬慕しつつ、もっと大いなるお父様の天的な人格を仰がせてくださり、その人格が未だこの地に何らかの姿として現れませんでしたし、また天が私たちを通してそのような人格の現れることを望んでいるからには、もっと大きな信仰の標準を持ち、しかるべき真心と忠情を持って、お父様の御前に動くことができるようにしてくださり、その責任を完遂できますよう導いてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます


お父様、

今この時許されたる最後の御恵を下賜してくださり、栄光なるお父様の息子娘として、祭物的な生活を通して、永遠なるお父様の全体の信仰理念を、今日の生活理念に取り入れて実践していくことによって全万民に対し誇りえる勝利の姿となれますよう、お導きくださらんことを切に願いながら、主の御名を通してお祈り申し上げます。
アーメン
1957.9.8



お父様の深き愛の性相が私たちの心と体の上に臨みますように。
お父様の懐に抱かれましたから愛なるお父様、
満ち溢れるあなたの命にも埋もれる愛の喜びをこの息子・娘に賜って下さいませ。


お父様の心情を、お父様の貴重さを体恤できないと言うならば私たちの正しくありえないあらゆる罪悪の因縁を断ち切ることができないと言うことを知っておりますから、哀れみのお父様、
今このひと時、ただお父様の愛の中だけに浸らせてくださり、お父様の摂理の前に精誠を尽くさせてください。


お父様が主管なさることに私たちが順応し、その本然のみ意を私の心が体恤でき、本然の心情を私の心に感じ取れ、地上に立てられた私たちの全体的な責任を全うするに余りある、愛する息子・娘とならせてくださいますよう、我がお父様、切にお願い申し上げます。


今日まで険しい道を歩んでくる折に、悲しい事情のあるときは私たちが悲しむ前に悲しまれたお父様であり、私たちが失望圏内で自ら嘆くようになる時は、私たちの全ての罪を代わりになって反省なさり、サタンが讒訴すると言うときには代わりになっって戦ってくださったお父様であることを知っております。


このひと時、この身も心も全て捧げ、供え物としてお父様に捧げ切ったとしても、今まで苦労なさったお父様の恩師の前には報いる術もないと言うことを心身ともにかんじさせて下さいますよう、愛するお父様切にお願い申し上げます。


お父様!
多くの人の中でも取るに足らなき者たちを召命し、数多くの民族の中でもこの民族を召命されたお父様の御前に、堂々と自らを主張し、誇るべき何ものもございません。


今私たちが願うのは、お父様が悲痛であられる時、ともに悲痛になりえる私たちとなることであり、お父様が喜ばれる時、共に喜ぶことができ、お父様が望まれる時、私たちの身も心もみ旨のため爆発することでございます。


お父様
守ってくださいませ。


お父様だけが中心となり、お父様だけが私たちの主人となられまして、私たちが地上で誇るべきものが何もないとしましても、私たちの立っている場が孤独な場であり、私たちの行く歩みが険しい道であることを知っておりますから、お父様、受け持って主管してくださいませ。


終わりの日の戦いで倒れたとしても、「お父様!」と呼ぶその一声を通して慰労をお受けになることもできますし、私たちはお父様の愛の勧告を受け、再び戦い行くべき宣誓し覚悟したあなたの息子娘がありますから、
お父様、どうか私たちの体と心をサタンに渡さないでくださいませ。


どうかお父様の愛の圏内に抱いてくださり、
お望みのそのを築き、万民がが喜べるそのひと日を私たちを通して現わすことができますよう、お父様、最後まで支え導いてくださらんことを切にお願い申し上げます。


今私たちの全てを打ち明けます時、お父様の御旨の前に光となり、お父様の御旨の前に誇りとなり得る中心として、居残らせてくださらんことを切に願いながら
主の御名を通してお祈りいたします。
アーメン
1957.9.22



10


お父様でなければ
私たちを慰めることもできず、
あなたの栄光を私たちに授ける事はできないと
知っている私たち。


もしや私たちの心が罪悪に染まり
己を主張する事はありませんでしょうか。


己を中心として動いたことが
天倫を裏切る行動となった歴史的事実を
私たちは知っておりますから、
すべてをお父様の御前に包み隠さず打ち明げ
聖別の恵みを受けられますよう
お許しくださらんことを
愛するお父様
切にお願い申し上げます。


そうして真っ先に
私たちの心がお父様の心へと
私たちの体がお父様の体へと発現されますよう
お許しください。


お父様の動く心情が
私たちの心情を代身し、
お父様の要求する欲望が
私たちの欲望を代身し、
願しみ旨のため、お父様の闘われる心の中にも
こんにちは私たちの闘う心が
共にあるようにしてくださいまして、
百戦不屈の精神で
ひたすらお父様の御旨一つに従い仕えることができますよう
祝福してくださらんことを
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。


今まで生きてきた私たちの人生は俗的なものでありましたから、
誤った罪悪の中から
抜け出し得なかったと言うことがわかりましたから
これからは私たち、
時間と空間を超越した絶対的な価値を
求めさせてくださり、
一つの中心を通して
その価値を表そうとなさるそのみ旨の前に
自らの全てを捧げさせてください。


またそのみ旨の前に私たちの心が和動できる相対基準を造成し、
天の栄光を
自ら謳える喜びを
持たせてくださらんことを切に請い願いながら、
すべての祈りを、主の御名を通してを捧げ申し上げます。


アーメン
1957.10.20

11


罪悪に埋もれて生きている人間であるが故に
すべてを自分を中心として思案しやすく
御意でない志を立て、
それが御意であるかのように動きやすい
私たちであると思いますから
お父様、
そのような私たちを完全に諭してくださいませ。


そうして
完全なる己の中心を立て、
お父様の永遠なる命の道へと
進んでいけるようにしてくださり、
ひたすらお父様の願われるみ旨のためだけに
すべてを退け、
サタンと戦っていくことのできる息子・娘とならしめてくださらんことを
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。


私たちは未だに無知なる人間たちを導ける命の標準が
どこにあるのかわからずにおりますし、
ただ自分のためだけに
気を揉んで祈った時が多いと思いますから、
お父様!、
このように足らなき私たちを諭してくださいませ。


私たちの正しい体と心が
原理の法度に従い
最後の勝利の座まで突き進めますよう
ご指導してくださらんことを、
お父様!、
切にお願い申し上げます。


この時間もサタンは
お父様が私たちに賜らんなさるみ恵を阻止するため
様々な謀略と中傷で
混沌とさせていると思いますから、
お父様!
そのようなすべてを克服し、
サタンと闘いゆくことのできる私たちとなりますようお導き下さいませ。


そしてさらに勝利の陣の圏内で
お父様と緊密な絆を結んでいくことのできる
お父様の息子・娘とならしめてくださらんことを
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。


また今日終わりの日を迎えなければならない私たちに
すべてを分別できる
新たな眼識を持たせてくださり
私たち自体を中心としたあらゆる周りの環境が
まさに己の試練の対象であることをわからせてください。


またそれらがサタン的な要素とならないように
してくださり、
私たち自体がそれらを踏み越え
お父様の栄光を現すことに足らざることのないよう
お父様!、
私たちをご指導くださり
保護してくださることを切にお願い申し上げます。


お父様の栄光を表すことができる
勝利の1日を求めて打ち立てんがため、
新なる覚悟と決心を持って
サタンに対抗し戦える力と能力を
心身につけられますよう
この時間お許しくださり、
お父様の無限なる愛の御手が
この地の万民の上に
この国、この民族の上に現れますことを
切に請い願いながら、
すべての祈りを主の御名を通してお捧げ申し上げます。
アーメン
1957.11.1




12


お父様の御心とアダムの心が一つとなり
お父様の御意とアダムの志が一つとなっていたなら、
今日二つの世界が互いにあらそう悲痛な歴史はなかっただろうと思うものでございます。


今日、私たちの心には
お父様の悲痛な心と悲しき心がございます。


本心はこれを認めておりますが、
己を中心とする堕落性だけはこのことを違うと否定しております。


常にこのような本心と邪心の戦いに処している私たちであることを知っておりますから、
今日私たちが自ら己の心を収拾し、
お父様の心を一つになれることをお許しください。


私たち自らの心を収拾しお父様の御意と一つになるべき戦いの時が近づいておりますから、
お父様、
お父様と一つになれない心があるならば許して下さいませ。


己のすべてを忘れ、唯一お父様の心とお父様の御意と一つになるため、努力する私たちとならしめてください。


お父様の心と1つになったその心は憶千万金を与えても、換えられない心であると思いますから
すべてを犠牲にしても、
その一つを求めんがため
戦い行くことができ、
守り行くことのできる私たちとなれるよう
お導き下さらんことを
愛するお父様、
切にお願い申し上げます。


お父様!
今の時はこの上なく困難な時であり、
またサタンが私たちの一つになろうとする心を遮っておりますから
お父様の御旨を成すために
他のため自らを犠牲にする新たな条件を立てさせてくださらんことを
切にお願い申し上げます。


お父様の御旨を望みながら戦うことができ
お父様の御旨の栄光を広めることのできる摂理歴史をマットを全うさせて下さいますよう
切にお願い申し上げます。


今日集った私たちの心と志が
お父様のこの祭壇の前に一つになった姿として、
願うことも同一であると言う
お父様の因縁の条件物としておたてになり、サタンを屈服させる条件となさしめてくださらんことを切に恋願いながら、
すべての祈りを主の御名を通してお捧げ申し上げます。
アーメン
1957.11.10



13


今この時は
2千年前イスラエル民族が混乱していたその時と同じであり、
メシアが来なければならない時でございます。


そのような時に私たちが処しており、
真がどれであるか、
偽りがどれであるかを分別しにくい時に
私たちが処していると思うのでございます。


今までに
過去の歴史過程で苦労した多くの師がありましたし、
また多くの指導者たちに使えておりましたが、
今日私たちは
頼るべき心の中心を失っております。


今日の人間たちが混乱した生活環境に置かれていることを
お父様はご存じのことと思いますから
お父様、
私たちの生活を収拾し、
私たちの心を収拾し、
私たちの理念を収拾して、
天の前に頼って生きることのできる幸福な時間を
持てますようお許しください。


今日
このように混乱した世の中に生きている私たち、
私たちの心身が広めていくべき理念を
私たちの生活において体で証することができ、
私たちの心で感謝できるようにしてください。


そうして、
お父様の願われる息子・娘であると褒められ
復帰の使命を完遂した息子・娘であると言う
祝福を受けさせてくださらんことを切にお願い申し上げます。


お父様!
お父様が私たちの心を監察してくださいませ。


私たちの心は他の誰よりも
私たちの行くべき道をよく知っております。


私たちの心は
本然の真の道を行くことを願っておりますから、
お父様、
私たちの心の願いを叶えてくれる真理と宗教を与えてくださり、
救いの摂理のみ旨を成すことができますよう、
ご指導してくださいませ。


数多くの教派に分かれて
全宗教界が混乱しておりますから、
お父様、
哀れんでくださいませ。


ここではいかなる教派も、
問題でないことを知っておりますから、
お父様が認め得る内的な心情
お父様の心を体恤しえる切なる心情を
抱いていくことが真理の要点であり、
真理の全部であると言うことを
私たちにわからせてくださるんことを
お父様、
切にお願い申し上げます。


今逆境にぶつかるとしても、
お父様の御旨を成すべき時が私たちの前に迫っております。


ですからその逆境を乗り越え
お父様の栄光を仰ぎ見る自らの心身を備えさせてください。


そうして独りでも逆境に打ち勝ち、
お父様の心情を案じながら
人知れぬ祭壇を築いておき、
お父様の心に似通うため
お父様の心情を体恤せんがため、
全てを捧げるあなたの息子・娘となれますよう
お導きくださらんこと
切に恋願いながら
主の御名を通してお祈り申し上げます。

アーメン
1958.5.18



14


お父様!

多くの人たちが
行くべき方向を知らないながらも、
あなたを求めるため、
限りなくわびしい歴史路程を
喘ぎつつ歩んできたことを
私たちはよく知っております。


おられるようでありながらも
おられないようなお父様の実存、
歴史とともに生きて居られたようでも、
はっきり存在すると認識できないお父様、
私たちの心と共に一緒におられるようでも
実体的な存在として規定できないお父様を
私たちは非常に悲しい心で見つめております。


善の理念で万宇宙をお作りになって
人間に真なる良心をくださり、
知情意の感情を通して
その善の理念を体恤し得る
驚くべき祝福を賜ってくださったことを私たちはよく知っております。


しかしながら
お父様の実存性はあるひとときの時間的な限界に置いて
感じると言う事実を否めないことも
私たちはよく知っております。


私たちの心へと訪ねてこられる
お父様の性相が偲ばれる度、
私たちは自分もわからぬ侘しさに
襲われざるをえません。
凄惨なる自我の姿について
嘆かざるをえません。


このような境地に導いてくださることお父様、
それは私たちの命を
永遠な命に導いてくださるための
お父様の歴史的な心的作用であることを知っております。


歴史の背後で、
歴史を1つの実体的な理念で構成せんがため
その心情と心を通して訪ねてくださった
お父様を知りたいと願っておりますし、
お父様の心を
私たちの生活の理念と生の理念として立てる事を切に待ち望んでおります。


しかし
お父様の実存の価値がはっきり分からないことより、
私たちの生活の価値もわからず
私たちの生の価値もわからないまま、
今日も明日も喘ぎ苦しまなければならない
凄惨な立場に置かれておりますから、
死亡の線上で彷徨している今日、私たちの個体と個体を
哀れんで下さいませ。


今やお父様!


愛の御手を
のべてくださらなければならない時になったと思うものでございます。
その愛の波紋が私たちの周囲の環境と
私たちの心情の世界にまで及ばなければなりませんし、
お一人で主導的権限を持っておられる
そのお父様の心情の権限を
私たちが回復すべき時であると思う次第でございます。


心を中心として戦うべき時期が
到来することと思いますから、
今や閉ざされた心の扉を開けえる
雅量を持った者達とならしめてください。


いま体をかがめてお父様の御前に崇拝できる
準備を整えた息子・娘となるべき時となりましたから
私たちの心の扉をたたくお父様の御声を
聞かせてくださり
私たちの前に権限なさるお父様の御手を
見つめられる私たちとならしめてくださらんことを
切に願いながら、
すべての祈りを主の御名を通しておささげ申し上げます。

アーメン
1959.1.18



15


お父様!
私たちを哀れんでください。
お父様の恵みがなければ
死ぬしかない哀れな私たちでございます。


お父様!

私たちを見放さないでください。
あなたの大いなる愛の懐に抱いてくださらんことを
切にお願い申し上げます。


今まで苦労の道も、
困難とも思わずついてきたあなたの息子・娘たち、
あなたの愛がなければ彷徨するしかありませんから、
哀れんでください。


あなたの大いなる愛で抱いて
あなたの許したる栄光の恵みを
体恤出来るようにしてください。


人間を中心としたすべては終わりがありますが、
お父様を中心として動くすべては
永遠に続くことを知っておりますから、
人間を中心とした全てを除去してくださり
ただあなたを中心としたものだけが
私たちの心の園から現れるようにしてくださらんことを
お父様!
切にお願い申し上げます。


お父様を求めさまよう切なる心があればあるほど、
あなたの性相を慕えばを慕うほど、
あなたの心の御前に近づきたいと思えば思うほど、
お父様の大いなる愛は
私たちが気づかなぬ間に共にあると言う事を
私たちは忘れてしまう時が多くあります。


お父様は私たちが忙しい時や急な時を問わずして、
常に私たちと共におられると言う事実を
忘れさせないでくださり、
常に私たちと共に同居されていると言う事実を
忘れさせないでくださらんことを
お父様!
切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちを哀れんでください。


私たちの命に責任を持ってくださり、
望みに責任を持ってくださいませ。
あなたの望みを私たちに託してくださったからには
その望みの園を占有するまで
お父様と共に闘いゆける力を
私たちに授けてくださり、
恩讐との戦いにおきまして
疲れ果てることのないよう保護してくださらんことを、
愛するお父様!
切にお願い申し上げます。


死亡の世界を掻き分けてくる間に
私たちの手足は傷を負いましたから、
お父様、この時間抱いて
私たちの差し伸べる手をとってくださらんことを
切にお願い申し上げます。


お父様が私たちを知らないとおっしゃるならば、
私たちはほど哀れな者はないと思いますから
お父様、私たちをしっかりと支えてくださり
慰労してくださることを切にお願い申し上げます。


お父様の命令でなくては
命さえも放棄できない私たち、
真なる道だと言われるが故に
仰せの命令に従って参りましたから、


お父様、
お見捨てにならず、
この時間抱いてくださることを
切にお願い申し上げます。


お父様!
私たちをあわれんでください。


すべてがお父様でなければいけませんし、
お父様の御意でなければいけませんし、
お父様の役事でなければいけないと言うことを、
私たちに骨身にしみるほど感じさせてください。


お残しになったその事業
お残しになったその御旨
お残しになったその望みを一身に抱いて
最後まで戦い、
お父様の息子・娘の凛々しき姿を
表せますようお許しくださること
切に請い願いながら、
すべての祈りを主の御名を通してお捧げ申し上げます。

アーメン
1959.3.22



16


聖なる日を迎えて
準備もせずに参った身ではありますが、
廉恥にもかかわらず
お父様の御前に出て頭を下げましたから、
愛なるお父様
哀れみのお父様
寛容のお父様
私たちをお許しください。


私たちの心はお父様の心に似たいし
私たちの体はお父様の形状に似たいのでございます。


わからずしてそのことが成せなかった私たちですから、
心からわからせてくださり、
身をもって体恤させて下さいまして、
あなたの性相に倣った姿で
お父様の御前にひれ伏すことができますよう
切にお願い申し上げます。


お父様の御旨の前に、ふさわしくない息子・娘がおりますならば、
直々に訪ねてくださいまして、
訓戒してくださいませ。


耳が聞こえず、目が見えずして
あなたの御言葉を聞く術を知らず、
あなたの姿を仰ぎ見る術も知らない私たちに、
またも聞かせなければならない
またも見させなければならないあなたが、
私たち以上に悲しいのであり
私たち以上に辛いのであり
私たち以上にもどかしいと言う事を、
心から身をもって体恤させてください。


お父様は私たちを相手に、
数千万回も手招きをなさいましたが、そこに反応できなかった私たちであり、
数万回もお呼びになりましたが、聞こえなかった私たちでありますから、
なんともお父様の御前に立つ面目もございませんが、
それでも来たれと呼んでいるあなたの御声を聞き、
それでも手招きなさっているあなたがいることを知って、
ひれ伏した次第でございます。


哀れな中でも最も哀れなものであり、
拠り所ない中でも最も拠り所のないものであることを
お父様はご存じのことと信じておりますから、
醜い姿ではありますが
私たちを訪ね
愛の御手で支えてくださらなければなりません。


私たちの目が見えず、
私たちの身が傷を負い、
命の本体がわからない立場にあるとしましても
お父様、
愛で直々に抱いて下さいませ。

お疲れになった足をお止めになり、
傷心の心を喜びの心へと改め給いまして、
私たちを慰めて下さいますよう
切にお願い申し上げます。


悲しみを残しておきながらも、
お父様にまたも悲しみを感じさせてしまうのは
堕落した世の中であるが故と知るものでございます。


サタンが私たちの行く手を阻み、
死亡の権勢を持って
この世を支配していることをご存知のゆえに、
私たちには責任を任せず、
お一人で責任を負い
恩讐を相手に戦ってこられたお父様。


そのようなお父様を尊ぶ気持ちが大きければ大きいほど
私たちの罪と私たちの過ちを
赦したいお気持ちが大きくなることを知っておりますから、
その心情を通して
今一度私たちを訪ねてくださいませ。


お父様!
切にお願い申し上げます。


罪人詰まったことを悔やんで涙し、
痛噴なる心情で涙を流し、
切なる心情で悔い改める心を持つ時、
お父様は6000年間許して下さいましたし、
今日この時間も
哀れみの心情で接しようとなさることを
知っておりますから、
泣いている私たちの心の扉を叩いてください。


最悪に染まった、今までのあらゆる主義主張と観念を除去してくださり
私たちの心と体で
お父様の命に触れさせてください。


今まで感じられなかった天の愛なるみ恵み、
天の愛なる心情、
天の切なる曲折の心情を体恤し、
私たちがお父様を「お父様!」と呼び、
お父様が私たちを「息子・娘」と呼べる絆の結ばれる
この時間となさしめてくださらんことを
切に請い願いながら、
すべての祈りを主の御名を通しておささげ申し上げます。
アーメン
1959.4.19



17


お父様!
私たちが新しいことを考えようとする時
今までの動きの継続する場では
考えることすらできないと言うことがわかりましたし、
歴史の流れを停止させておき、
自分自身のことを考える習慣を持つまでは、
目覚めようとしても目覚められないことがわかりました。


眠り込んでいるこの一つの姿が
新しい衝撃を受けずしては
目が覚めないと言うことを知っておりますから
お父様、
私たちに歴史的因縁から脱することのできる
新しい衝撃を連続的に加えてください。


刺激的な心がないと言うならば
目が覚めないと言うことがわかりましたから
そのような心を求め
敬慕できる存在とならしめてください。


お父様は時代時代ごとに、
目覚めさせてくれる責任者送られました。


お父様の堕落した人間を見つめ悲しまれた
その心情を抱いて生きては行くようになさった故
ノアがそのように生きては逝き
モーセもイエスもそのようにいたしました。


お父様!
私たちの心の基に
新しい感覚の衝撃を加えてくださり、
私たち一身を超え
お父様の悲しみを体恤し、
死亡世界に飲み込まれていく民族を
憂える心をおあたえください。


このような心を持ったものが入ると言うならば
彼は民族的な解放を授かれる者であり、
さらには
世界を抱き、憂える心を持つものがあると言うならば、
彼は世界的な解放の恵みを授かるものであり、
さらには
天宙的な解放を憂えて泣き得るものがあると言うならば、
彼は歴史と共に滅びることなく、
新しい歴史世界に残る人物であることがわかりましたから
今日、自分自身の感情を取り上げて
自らにすがって泣くものにはならせないでください。


全体が望む善を行い、
私たちを見つめるお父様の切なる心情を代身できる
私たちとならしめてくださらんことを、
お父様、
切にお願い申し上げます。


私たちがついてこないのではないかと煩われたその心、
人間が堕落するのではないかと煩われたお父様の心を
代身できるようにしてくださり、
ついて来るものたちが、落ちはしないかと気遣い、
また落ちた者たちが倒れて死にはしないかと気遣われた
そのお父様の心を鑑とし、
民族を見つめ、
世界を見つめ得るようにしてください。


お父様を仰ぎ見ながら、
「お父様! 私がおりますから
お父様の心情を私が引き受けましたから
安息してくださいませ」
と言える息子・娘があると言うならば、
このような姿を通して歴史は新たな方向へ流れると言うことを知っております。


そのような方向へと出発すべき私たち、
眠りから覚めるべき私たち、
歴史的悲運のわめき声の表れに伴なって、
胸深くあらたなる決心と覚悟と誓いをなし、
新しい方向に向かって出発し得る、
万全の準備を整え
立ち上がることもできる者達と
ならしめて下さいませ。


天が目を覚ましておられる如く目を覚まし、
天倫とともに、歴史とともに悲しみ喜び得る
私たちとならしめてくださらんことを
切にお願いします時、
主の御名を通してお祈り申し上げます。


アーメン
1959.4.19



18


哀れみのお父様
愛なるお父様
哀れな者たちをそのまま放っておけば、
死亡の陰のもとから
永遠に抜け出せない有り様となります。


こんな立場の私たちが何が立派だと言って
お父様の御前に
もっともな顔で進み出られましょうか。


私たちの持つものが何があるからといって
お父様の前に己を弁明できましょうか、
何ものも無いのでございます。


あると言えば足らなき事ばかりであり、
感じるのは恐れ多いことばかりでございますから、
お父様のご慈愛と
哀れみを望む死亡の群れを
お父様、
あわれんでくださいませ。



私たちすべてが天に向かって
お父様の御手が現れることを待ち望んでおりますから
あわれんでくださいますよう
お父様
切にお願い申し上げます。



摂理の時は終わりの日を促しており、
死亡の波は私たちの周りを襲って、
私たち個体をすっかり飲み込もうとしております。


私たちが混乱した環境に置かれたことをご存知のお父様が
私たちを気遣う心情がこの地の上に残っており、
苦労なさった後が残っていることを知っております。



このようなことをご覧になるお父様のお心が
言うに言えぬほど焦燥なさる事はわかりますが、
お父様、
この時間この者たちをあわれんでくださり、
導いてくださらんことを
切にお願い申し上げます。


辛い心情を持っているならこの時間吐き出し、
お父様の心情へと心を入れ替えねばなりませんし、
悲しく言うに言えない歯痒い心情を持っているなら、
お父様の喜びと命の心情へと心を入れ替えねばならない
哀れな立場に置かれた私たちでございます。



このことをご存知のお父様
お父様の大変な立場を代わりになって担当し、
分担すべき私たちであるにもかかわらず、
むしろ私たちの大変な事情を委ね、
お父様にまた力を求めなければならない
堕落圏内にいることを
お許し下さいますよう
お父様
切にお願い申し上げます。



お父様!
私たちの心情と心情を
通じさせてくださり、
死亡圏内でもがき苦しんでいた私たちが
互いに何の縁もゆかりもなかった私たちが
一食口と言う名目を持って集まり、
お父様の天的な摂理の理念を敬慕して集まりましたから、
お父様、
哀れんでくださり、尋ねてくださらんことを
切にお願い申し上げます。



どこの誰がお父様の御前に自信を持ち得ましょうか。
お父様が自信があるといわれるが故に
私たちも自信を持ちたいと願いましたし、
お父様が「こうだ」と言われるが故に
私たちもそうであると感じることを願いましたから、
ここに誤りがございますならば
お父様
お許しくださり、
直々に主管してくださらんことを
切にお願い申し上げます。



悲しい事情におかれていても
人間を相手に
その事情を吐露できる環境を持てませんでしたし、
孤独な立場に置かれても
その心情を打ち明けられる食口を持てなかった
あなたの息子・娘たち
哀れんでくださいますよう
切にお願い申し上げます。



お父様の心情に連なる世界におきましては
時間と空間の距離を超越し、
動くことを知っておりますから
この時間も同じ心情に連なりまして
天の心が動じれば
私たちの心も動じるようにしてください。



一律的な恵みの御手を持って感激させてくださり、
お父様の心情に再び絆してくださらんことを
切に請い願いながら
主の御名を通してお祈り申し上げます。


アーメン
1959.6.7




19


お父様は
私たちが申し上げる前に私たちの心情をご存じでございます。
天が私たちのすべてを注目している時間であることを
私たちに感じさせてください。


苦労なる歴史過程を経てこられたお父様!
今日私たちの目前に現れ
新しい言葉で装わせてください。
新しい心情で私たちに接してください。


忠実でないすべてを一掃してしまい、
幼児のような心を持って
このひととき
私たちもすべてをお父様のみ前にお捧げいたします。


この世で染まった一切の意識や主義や観念を
お父様の御前に差し出し、
幼児のような心
温柔で謙遜なる心を持たせてください。




お父様が造られる通りに
造り直され得る謙遜な心を備えて
お父様のみ前にお捧げしますから、
お受けになって下さいませ。


三位一体の神様が運行をして下さいませ。


天軍天使が擁護する中、
歓喜の心情で気配を下げるこの場を、
全体の命を勝利に導き得る、
一つの福なる機関的な祭壇となさしめて下さらんことを
切にお願い申し上げます。


すべてをお委ねいたしました。


私たちの持つあらゆる主義や心情を、
お父様の御前に吐き出させてください。


そうして私たちのすべてを
お父様のものとして
改めさせてくださらんことを願いながら
主の御名を通してお祈り申し上げました。


アーメン
1959.7.5


20

お父様!
この地上に住んでいる数多くの人々は
死亡の立場にありながらも己を主張し、
宇宙の前に自慢することに奔走していると言う実状を
私たちは見ております。

このような世の中で果たして
己を誇ることができるか、
己の価値を高く評価できるか、
心情をたどり黙々と考えてみますとき、
偽りの立場に置かれた己であることを
否認できなくなります。

お父様!

今日私たちの心が何かを慕い求めており
何を目指して高まろうとしているのでしょうか。

今や、私たちの心が私たちのものとは成り得ず
私たちの体が私たちのものとはなり得ないこと
を知るべき時であり、
己を主張し誇りえない、
悲惨な立場にあることを置かれていることを
認識すべき時となりました。

私たちの心と体の価値に対する最後の決定は
私たちが下すことができませんし、
現れた現象の過程を経て
目的地まで私たち自身を導くこともできない
悲惨な自我であることを感じさせてください。

私たちに命があると言うならば
それは私たちによるものではありませんし、
ある理念があって
私たちの心を善の方向に導いてくれると言うならば、
それもまた私たちのものではない、
何かに由来していると言う事実を
感じさせて下さいませ。

お父様!

今日、我を張り弁明することにあくせくした姿と
己を目立たせ高めようとした慢心を捨て、
自我を征服する術を知る
一人の勝利者を求めていると言う事実を
私たちに悟らせて下さいませ。
主の御名を通してお祈り申し上げます。
アーメン
1959.7.19

21

私達は
御言葉のお父様を信じたいのではなく、
歴史的な理念を結んでこられた
お父様を信じたいのでございます。

今日の私達と直接的な関係、
直接的な絆を結ぶこともできるお父様、
直接的に御言葉を下さることのできるお父様を要求しております。

今日人類は
神様を対象的な存在として信じておりますが
今日、私達はそのような信仰の対象として追求する神様であることを要求はしてはおりません。
生活的で実証的な主体としておられる神様を願っておりますし、
私達の事情や生活のあらゆる事実と通じることができ、
別々になろうとしてしてもなることができず、
時間と時間を共にできる
お父様を待ち望んでおります。

こんな因縁が地上になされる一時は
人類の願う時間であると同時に神様の願う時間でございます。

今日私達は
お父様が望まれる所願の園が
観念的に何か理想の園のであろうと思って米まくりましたが、
実状はそうではありませんでした。

私達の心に染み込み、
実践を通して感じ、
現実の私自体を通して感じられ、
私の感情を通して歌うことのできる
そんな天国観念を持つべき時になったと言う事実を知っております。

そんな関係とそんな絆を結ぶためと言うのが、
救いの摂理の目的であり、
復帰歴史の目的であり、
十字架の救いの目的であったと言うことを
私達は知っております。

ですから今日は私たちが
「真実の父」と言うことができ、
「真実の息子・娘」と自認し自ら決定しても
恥ずかしさを覚えない位置で
歌うことができ、
楽しむことができ、
話が聞けますようお許し下さいませ。

すべての祈りを主の御名を通してお捧げ申し上げます。
アーメン
1959.8.30


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