老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

スペイン「銀の道」旅行記 その⑨ サラマンカ 前編(10月4日)

2024年10月28日 19時04分46秒 | 旅行/色々な風景
 「スペインの美しい村」を2か所回ってからは、ポルトガルとの国境に近いサラマンカに到着しパラドールに連泊ですが、このパラドールは古い建物を改装したものではなく近代的な建物ですが、谷を隔てて旧市街と向かい合った非常に景色の良いパラドールでした。

 このパラドールをベースにして、スペイン中西部の要衝地であり、ヨーロッパでも有数の大学都市で、由緒ある建造物も多いサラマンカの街をじっくりと見て回りました。

見所が多く、ここも2回に分けてお知らせします。(まさ)

<パラドールからの風景> 谷越えにサマランカの旧市街が正面に見えます

朝早くには霧の中の幻想的な景色でした

徐々に霧が薄くなりました

やがてはっきりと見えるようになりました  右がカテドラル、左がポンティフィシア大学の塔

夜もライトアップされた旧市街が綺麗に見えます

<ローマ橋> ここにもローマ橋がありますが、人間は通行可能です。ポルトガルンのリスボンに流れるドグロ川です。
ローマ橋

同上

同上

同上
橋のたもとにある古い石像

<サラマンカ大学>  1218年創立の世界でも屈指の歴史ある大学です
カテドラルのすぐ近くです
同上

大学の広場
古い門

正門

有名なドクロとカエルの彫刻。ドクロは死を、カエルは欲望の象徴らしいです

昭仁皇太子と美智子妃殿下が訪問された記念板
ラテン語ですが、「本学は、日本帝国の皇太子殿下ならびに同妃殿下である明仁と美智子を喜びをもって迎えたり。1985年2月28日」と書いてあるようです
中庭

部屋の天井

学内の祭壇

<カテドラル> 新旧のカテドラルが繋がっています
新カテドラル

同上

入口

内部 天井

同上

同上

ステンドグラス

祭壇

説教台へ

天井


旧カテドラル祭壇

ドーム

外壁

鐘楼

外観

同上

※ 少し長くなりますが、【日本の天皇家・岐阜県とサラマンカとの関係】のエピソードです。
・1985年2月に当時の皇太子同妃両殿下がサラマンカを初めてご訪問。

・町の大聖堂には、その中に大学が設けられていた頃からのものも含め、古いパイプオルガンが幾台か保存されているが、中央の祭壇に向かっての両側には、最も大きな2台が配置されている。一つはルネッサンス期の逸品だが、なり前から壊れたままとなっていた。
これを知った美智子妃殿下が中心になり動かれ、88年の末には東京で募金のためのコンサートが開かれたほか、スペイン進出の日本企業等が資金を提供し、日本人のオルガン制作者・辻宏氏(故人)による抜本的な大修理が約1年にわたり実施され、1990年3月、みごとに蘇って大聖堂のドームに響きわたった。

・(1989年に即位された天皇皇后両陛下は)1994年10月、スペインへの公式ご訪問の際にサラマンカへ再びお立ち寄りになり、同地の大聖堂で修復なったパイプオルガンの演奏をお聴きになった後、サラマンカ大学を再度ご訪問になった。

・一方、修復者の辻氏が在住していた岐阜県では、新しい県民会館内のコンサートホールのために、このオルガンの複製の作成を彼に依頼し、県民へのアンケートの結果に基づいて同ホールをサラマンカホールと命名した。さらに、同ホールの正面入口を飾るために、サラマンカ大学の象徴ともいうべき、プラテレスコ様式の最高傑作とされる正面玄関や大聖堂入口石彫のレリーフの複製作成斡旋をサラマンカ市に要請した。

・これを受けて、サラマンカ近郊のビリャマヨール村の石彫技術者が、日本の公共施設に相応しいようにしたいとの岐阜県の希望にしたがい、モチーフの一部を修正した上で、原物と同じ石材を使用して、彫刻にとりかかった。石彫は、3年近くの歳月をかけて97年6月にみごとに完成し、98年3月岐阜市のサラマンカホールに取り付けられました。

・2013年6月 当時の皇太子殿下(現天皇)がサラマンカ大学をご訪問。

・2018年4月、天皇皇后両陛下が、東京で開催されたスペイン最古の大学であるサラマンカ大学が創立800周年を迎えたことを祝う会に出席。



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