最近は殆ど履くことがなくなった『下駄(げた)』ですが、江戸時代から普及し始めたと言われるこの『下駄』を使った身近な慣用句はまだそのまま使用されています。
しかし、その下駄と言う言葉のニュアンスが違いますので、整理しておきましょう。
下駄を履く:
・本来は“お使いの時に、代金を誤魔化して差額をせしめる”という意味の言葉だった様です。
・勝負事などで、「結果は下駄を履くまで判らない」という事を良く言いますが、この言葉の由来は少し難しいです。
かっては決闘の時には、決闘下駄を脱いでから始め、下駄を履いて終わるというシキタリがあったようで、これから“下駄を履くまでは気が抜けない”という意味だった様です。
下駄を履かせる:
“数量や点数を加えて、実際より大きく見せること”で、下駄を履くことで背が高く見える事に由来する様です。
そう言えば、学生時代の答案用紙に「高下駄が欲しい!」と書き込んだが、及第点をもらえなかった事を思い出しました。
下駄を預ける:
“相手に一切を委ねる”という意味で遣いますが、要するに下駄を履かなければ自由に動き回れないという所から由来する様です。
もう、「下駄」を履くことが殆ど無くなり、これに関係する鼻緒(はなお)という言葉も聞かなくなりましたが、和風のレストランなどに行くと未だに下駄箱があり、木製の鍵に“い・ろ・は・に・・・”と書いてあるのは懐かしいですね。
思い出しましたが、下駄ばき住宅という言葉もありましたね。
“下層階を商店や事務所にして、上層階を住宅とした建物”の事で、現在でもこのような住宅は数多くありますが、どう呼ばれているのでしょうかね。
懐かしさついでに、思い出したのは子供の頃によくした、下駄での天気占いでした。
片方の下駄を蹴り上げて、落下して表が出れば晴れ、裏が出れば雨として、翌日の天気を占うものですが、圧倒的に雨の確率が高かったように思います。
また、下駄と言えばおもいだすのは、“雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと”という俳句ですが、今回WIKIPEDIAで確認してみるとこの句を詠んだのは、田 ステ女(1634~1698年)という江戸時代初期の俳人が作ったもので、7月22日の「下駄の日」によく紹介されるそうです。
また彼女の名前の田 ステ女(でん すてじょ/すてめの、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞と言う事です。更に、彼女は現在の兵庫県丹波市柏原地域の出身のようですが、この俳句を作ったのは何と6歳の時と言うのですから驚きました。(まさ)
※ この項は、「日本語150の秘密」(沢辺有司著) 彩図社)を参考にさせていただきました。