老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

久しぶりに映画観てきました

2020年06月04日 21時06分53秒 | その他
 昨日は久しぶりにブログを休みましたので、今朝は体調を崩したのかと心配の方3名から連絡をいただきました。

 ブログ・スキップの原因は、我が家のルーターの不調でしたが、今朝電源の入れ直しや配線関係の掃除など私にできる範囲での対応を試みたところ、無事に復旧できました。ヤレヤレ


 それはそれとして、最近ツレアイの認知症の進行が著しく、何度言い聞かせても理解できない事態が増えており、私のストレスも少し溜まっていたので、久しぶりに気分転換を図るべく、昨日は食事の準備を済ませておいて、夕方から単独で外出。

 行先は決めていなかったので、梅田までのバス中で映画でも観ようかと思いついたものの、どんな映画が上映されているのか判らず、梅田の映画館に行ったところが面白そうなものがなく、それではいっそのこと難波へということで、難波のTOHO CINEMASに行ってみました。

 丁度、『三島由紀夫とVS東大全共闘』というのが上映されており、待ち時間もそれ程なかったので、これに決め直ちに入館。館内は座席数120ほどに対して、観客は10名程度で、三密の危惧もなく、ゆったりとした座席に座りました。

 久しぶりの映画鑑賞は、自宅でのTVとは全く違って、やはり迫力満点で、映画の楽しさを満喫できました。

 この映画は、全共闘運動がピークであった50年以上も前の1969年に東大全共闘が三島由紀夫を招いての討論会の様子を、若干の当時の世相フィルムを交えながら、編集されたものです。


 当時、私は既に社会人になっていて、最初の結婚もしていましたが、当時の全共闘運動は座視できないもので、色々な形で支援活動にも拘わりましたし、その後の私の生き方にも大きな影響を与えた運動でした。

 そういう経緯もあり、この有名な討論会が映画化されたと聞いた時には何とか観てみたいと思っていたのが、思わぬ形で実現しました。


 元々は劇場上映の意図で撮影されたものではなく、ある意味では眠っていた記録フィルムを掘り起こしての編集だと思われますが、それだけに当時の討論会の雰囲気や、関係者の考え方が良くわかりました。
個々の内容についての意見は控えますが、この映画を見て改めて気付いたことを列記しておきます。

・1,000名以上の全共闘活動家や学生がいる会場に、単独乗り込んで自説を主張する三島氏も立派でしたが、
彼の主張の中には、この1年半後に起きる自衛隊基地での彼の演説と割腹自殺につながるような内容がありました。

・芥氏以下の全共闘側も、現在の学生たちがとても考えもしないような社会の仕組みに反対する立場を堂々と理論立てて論じることができるレベルの高さと、社会に対する洞察を見せてくれました。

・そして、お互いが討論会という名にふさわしく、生きた言葉のやり取りを、心を込めて丁寧に行うと共に、お互いに、相手の論点の破綻を突くのではなく、お互いの意見で何とか相手を説得できないかと、心を込めて自説を主張。

という正に知性と知性のぶつかり合いの様子が伝わってきました。

 このような質の高い討論を目にした後で、改めて思うのは現在の国会の討論(?)やSNSでの意見発表のレベルの低さです。

 国会では、お互い社会に対する展望や具体的な策もないまま、ただ次の選挙を対して如何にアピールするかという自己中心の考え方で、ある意味では「恥性と恥性のぶつかり合い」とでも呼ぶべき状態ですし、SNSの多くで自分の姿が見えないことを盾にして、堂々と名を名乗らないままの中傷誹謗が横行しています。(まさ)

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三島 (hisuinet)
2020-06-04 23:18:30
まささん、こんばんは。
映画観られたんですね。
昔、三島に興味を持ったことがあり、あらゆる映像をチェックしていました。
この討論の様子は以前youtubeで見たことがあります。
それがなぜ今頃映画になったんでしょう。
まささんがおっしゃるとおり、まさしく知性と知性のぶつかり合いです。
自分の意見を押し付けてねじ伏せるというわけではなく、
理解を求めて主張している討論は見ていてとても引き込まれます。
それにしても三島のような頭のいい人が自死する意外に道はなかったのか
残念だなと思う反面、現代の凋落ぶりを見なくて幸せだったと思う私です。
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