素振りブログ。

一般でスピーチできる話の素振りのはずなのに、無理な話がほとんどのブログ。

今日は徳島に行ってくる

2019年09月15日 05時05分42秒 | 日記
今日、徳島の事代主神社に行ってきます。
資料館はあるかな?

事代主と言えば、国譲りの神話の際「大和の国に現在居住しているのはお前たち国津神かもしれないが、元々その土地は我々天津神が創造したもの。何を好き勝手に国を作っている。見過ごせぬ。譲れ」と迫る武御雷に

「分かりました。譲りましょう」

と最初に承諾した神。
ただ、この承諾は満面の笑みで納得ずく、不満は一切なく行われたものではなく、古事記にも「事代主は去り際に手の甲と手の甲で柏手を打つ、いわば逆柏手を打っていった」との記述が残ってます。
柏手ってのは普通、良い時にしか打たないものだからそれを逆にするってことは意味が分かりますよね。ここに過去の文献やら伝統文化の説明やらは要らんわけで。直感的に分かるというか。
病気や怪我の快方を祈る千羽鶴を、わざわざ折り紙の色付きの面を裏に、本来の裏地を表にして折っていったら、そしてそれを病人や怪我人に持っていったら。
裏の意図知られますよね。別に基礎知識無くても。
普通は綺麗な表面をそのまま表にして鶴を折るのが当たり前。それをわざわざ全部表裏反対に折るって、俺の病気や怪我が治らないように、ってことか!!
てるてる坊主だって逆さに吊るすと雨乞いのおまじないになるわけだし。何かを願う行為を逆にするってことは、その何かを願わないってことですから。

だからまぁ、事代主の「分かりました。譲ります」は、額面通りに受け取るわけにはいかない言葉なわけですな。
本当は腹が立っていたけど、武御雷に歯向かっても勝てそうにないから渋々受け入れた。それが本心なんでしょね。

事代主とは反対に、真っ向から「そんなふざけた台詞は、俺を倒してから言え!」と立ち向かったのが、同じ兄弟神である建御名方。こちらは武御雷に力比べを挑むも、速攻で腕を切り落とされ、殺されそうになります。
で、「国譲りも認めますし今後諏訪から一歩も出ないので殺さないでください」と命乞い。

結果だけを見ると、戦わなかった事代主より建御名方の方が悲惨なように見えますけど、実際はどうなんでしょうね?
建御名方を祀っている諏訪大社には、上社だけだけど、以前参拝してまして。
土俵はあるし、立派な廊下もあるし。わりと立派な神社でしたわ。

神話での扱いは雑魚ですけど、実際のこの神を奉じていた部族との戦いは、決して雑魚では無かったと思うのよね。
だからこそ名前が残ったんだと思うし。

そう考えると、諏訪大社の立派さはまぁ納得できると思うのですが。
(まぁ、建御名方はミシャクジ神という別の神と融合している様子があるので、そのせいもあるかもですが)
事代主はどうなのか。
名前の面ですでに建御名方の方が扱いは良くなってますけどね。
神社と大社、実は神社の格としては一緒なんですが、聖闘士星矢に例えると、同じ青銅聖闘士でもセブンセンシズに目覚めているかそうでないかの違いがあるわけで。


……今頃ですが、ちょっと調べてみると、どうも事代主神社は事代主を祀る神社の総本山では無い様子。(それは島根県の美保神社らしい)
だったら何で神社に神様の名前をつけるのさ!!?

その辺含めてじっくり見てくるかー。