http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201402220001/から
ウクライナの反ロシア派は銃撃を始めるなど過激化、負傷者は隣国ポーランドへ運び込まれている
ポーランドはCIAの秘密刑務所が設置された国のひとつで、歴史を振り返るとアメリカの東欧戦略と深く結びついていることがわかる。1980年8月に反体制派労組「連帯」が創設され、ソ連を揺さぶる震源地はこのポーランドだった。
「連帯」の後ろ盾になったのは、ポーランド出身のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世。1978年8月にローマ教皇となったヨハネ・パウロ1世が在位1カ月余りで急死、新たに選ばれた人物である。
ヨハネ・パウロ1世の前に教皇を務めたパウロ6世は第2次世界大戦前、ジョバンニ・バティスタ・モンティニと呼ばれていた時代からアメリカの情報機関、つまりOSS(その後身がCIA)と緊密な関係にあったことが知られている。OSS/CIAでモンティニを担当していたのがヒュー・アングルトンとジェームズ・アングルトンの親子。両者ともアレン・ダレスの側近だった。
パウロ6世の右腕と呼ばれ、IOR(宗教活動協会。通称、バチカン銀行)の頭取を務めたのがシカゴ出身のポール・マルチンクス。ヨハネ・パウロ1世はこのマルチンクスと対立関係にあった。
頭取時代、マルチンクスはマフィアにアメリカ財務省証券を偽造するように注文したり、「連帯」へ不正融資を行ったりしている。この不正融資ではイタリアの大手金融機関アンブロシアーノ銀行が関与、スキャンダルが発覚後、アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビはロンドンで変死体となって発見された。
カトリックの内部には1930年代からコミュニストを敵視、バルト海からエーゲ海までを「カトリック国」にしようという団体、「インターマリウム」が存在した。創設者はフランスに亡命していたロシアの王党派で、イギリスやフランスの情報機関が支援、後にドイツにも協力したと言われている。大戦後はCIAと協力関係を結び、ナチ残党の逃走を助けている。
1981年になるとイタリアの財務警察隊がマルチンクスやカルビの不正融資を捜査、秘密結社P2の会員名簿が発見されて大きな問題になった。1979年の段階でその名簿には、43名の将軍、8名の提督、36名の国会議員を含む953名が載っていて、情報機関のトップや元トップも含まれていた。
1990年にジュリオ・アンドレオッチ首相はNATOの秘密部隊が存在、イタリアでは「グラディオ」と呼ばれていることを明らかにしたが、その秘密部隊を指揮していたのは情報機関のトップであり、「右翼団体」が手駒として破壊活動を実行していた。
1960年代から1980年頃までイタリアでは「極左のテロ」が続いたが、実際はグラディオの工作だったことが明らかになっている。人脈から見て、P2とグラディオは結びついていると考えられ、ポーランドから始まった東欧の「民主化運動」はNATOの秘密部隊が関係していたということになるだろう。
現在、ウクライナではネオ・ナチやアル・カイダが中心になって銃撃戦を始めているようだが、突然、こうした蜂起が起こったわけではない。大戦前から続くプロジェクトの続きであり、最終的にはロシアを乗っ取るつもりだろう。
しかし、思惑通りになるとは言えない。シリアでもネオコン(アメリカの親イスラエル派)はロシアを過小評価し、出方を見誤った。湾岸戦争の時と同じように、ロシアは軍事的に対抗してこないと考えたわけだが、艦隊を出して対抗している。「西側」が発射したミサイルをジャミングで海中へ落とした可能性もある。状況は変化している。イスラエルやアメリカの支援を受けたグルジア軍が奇襲攻撃したときも、ロシア軍は押し返している。ウクライナでも、オリンピックが終わるまでにネオコンが押し切れなければ、緊迫した場面があるかもしれない。
ネオコンの好戦的なプランを知り、安倍晋三首相の一派は高揚しているのかもしれないが、そうだとすれば、危険だ。
ポーランドはCIAの秘密刑務所が設置された国のひとつで、歴史を振り返るとアメリカの東欧戦略と深く結びついていることがわかる。1980年8月に反体制派労組「連帯」が創設され、ソ連を揺さぶる震源地はこのポーランドだった。
「連帯」の後ろ盾になったのは、ポーランド出身のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世。1978年8月にローマ教皇となったヨハネ・パウロ1世が在位1カ月余りで急死、新たに選ばれた人物である。
ヨハネ・パウロ1世の前に教皇を務めたパウロ6世は第2次世界大戦前、ジョバンニ・バティスタ・モンティニと呼ばれていた時代からアメリカの情報機関、つまりOSS(その後身がCIA)と緊密な関係にあったことが知られている。OSS/CIAでモンティニを担当していたのがヒュー・アングルトンとジェームズ・アングルトンの親子。両者ともアレン・ダレスの側近だった。
パウロ6世の右腕と呼ばれ、IOR(宗教活動協会。通称、バチカン銀行)の頭取を務めたのがシカゴ出身のポール・マルチンクス。ヨハネ・パウロ1世はこのマルチンクスと対立関係にあった。
頭取時代、マルチンクスはマフィアにアメリカ財務省証券を偽造するように注文したり、「連帯」へ不正融資を行ったりしている。この不正融資ではイタリアの大手金融機関アンブロシアーノ銀行が関与、スキャンダルが発覚後、アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビはロンドンで変死体となって発見された。
カトリックの内部には1930年代からコミュニストを敵視、バルト海からエーゲ海までを「カトリック国」にしようという団体、「インターマリウム」が存在した。創設者はフランスに亡命していたロシアの王党派で、イギリスやフランスの情報機関が支援、後にドイツにも協力したと言われている。大戦後はCIAと協力関係を結び、ナチ残党の逃走を助けている。
1981年になるとイタリアの財務警察隊がマルチンクスやカルビの不正融資を捜査、秘密結社P2の会員名簿が発見されて大きな問題になった。1979年の段階でその名簿には、43名の将軍、8名の提督、36名の国会議員を含む953名が載っていて、情報機関のトップや元トップも含まれていた。
1990年にジュリオ・アンドレオッチ首相はNATOの秘密部隊が存在、イタリアでは「グラディオ」と呼ばれていることを明らかにしたが、その秘密部隊を指揮していたのは情報機関のトップであり、「右翼団体」が手駒として破壊活動を実行していた。
1960年代から1980年頃までイタリアでは「極左のテロ」が続いたが、実際はグラディオの工作だったことが明らかになっている。人脈から見て、P2とグラディオは結びついていると考えられ、ポーランドから始まった東欧の「民主化運動」はNATOの秘密部隊が関係していたということになるだろう。
現在、ウクライナではネオ・ナチやアル・カイダが中心になって銃撃戦を始めているようだが、突然、こうした蜂起が起こったわけではない。大戦前から続くプロジェクトの続きであり、最終的にはロシアを乗っ取るつもりだろう。
しかし、思惑通りになるとは言えない。シリアでもネオコン(アメリカの親イスラエル派)はロシアを過小評価し、出方を見誤った。湾岸戦争の時と同じように、ロシアは軍事的に対抗してこないと考えたわけだが、艦隊を出して対抗している。「西側」が発射したミサイルをジャミングで海中へ落とした可能性もある。状況は変化している。イスラエルやアメリカの支援を受けたグルジア軍が奇襲攻撃したときも、ロシア軍は押し返している。ウクライナでも、オリンピックが終わるまでにネオコンが押し切れなければ、緊迫した場面があるかもしれない。
ネオコンの好戦的なプランを知り、安倍晋三首相の一派は高揚しているのかもしれないが、そうだとすれば、危険だ。