散歩者goo 

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榎忠展で、ほとばしる野生に圧倒された

2011年11月28日 16時47分36秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
昨日兵庫県立美術館で開かれていた榎忠展[美術館を野生化する]に行った。
現代美術の展覧会にかかわらず多くの人が来ていた。

榎忠さんとは、別の作家の個展会場で偶然、顔を合わせることがあれば挨拶する程度で、私にとって、懇意にさせてもらっている知人とまでいえない方であるが、外見に似合わず話すと気さくである。
偶然ギャラリーで一緒になった時に、ハンガリーでの伝説的な話しがどうだったのか質問したところ、そのときの状況を話してもらったこともあった。

このように、ほんのわずかだが縁があって、身近に感じられる作家の展覧会なので期待していた。
実は、美術館のそばで一日だけバーが開催される情報を掴んでいて、行く予定だったが、都合でいけなくなって残念に思っていたので、最終日までには何があっても行こうと決めていた。

美術館に行くと、入り口から入って早速、機関銃の鋳物がお出迎えだ。
質感といい、ボリューム感は、見事だった。

その後各種大砲の陳列されてある部屋に行った。
工業関係に素人の方には分らないかもしれないが、オモシロイ細工がしてある。
私は元々技術者なので、すぐそれに気付いて笑った。
一見大砲の形をしているが、よく見るとすべて兵器と無関係な部品で作り上げられている。
それらの部品も何に使われているか想像が付く。
中には配管もある、その他ギア、フランジ、エルボ、エンジン部品、ハンドル・・・いろいろ満載だ。
よくこれだけ部品を集めたと思った。
とにかく、すばらしい!と見とれていた。

次の部屋は機関銃や大砲の薬きょうを集めた物だ。
噂には、聞いていたがものすごい量である。
その存在感に圧倒された。

ドローイングもあった。
彼がこんな繊細なペン画を描くとは知らなかった。

ギロチンシャーでは大きな金属の塊が様々な形で切られていた。
金属がぶち切られた造形の持つ力強さが、ひしひしと伝わる。

その後には鋳物を中心とした作品が並んでいた。
真ん中に置かれた巨大な鋳物のオブジェの質感は、金属の溶け流れ出した状態も含め、いくつかの異種の金属を使い表現している。
昔のタタラや荒ぶる神、を連想するような激しさがあり野生の迫り来る力強い迫力を感じた。
他の箱状の坩堝のようにも見える立体(ブルーム)も存在感があった。
どうして作ったのか、技術的に作り方がわからなかったが、解説を見て分った。
機関銃の鋳型から取り出したままで整形加工し、額に収めた鋳物も美しかった。

記録ビデオも多くあった。
かなり長い間見た。(多分30分から1時間)
榎さんのパーフォーマンスは面白かった。
ハンガリーの話もビデオの中にあった。
なくなられた東門画廊オーナーの唵さんから聞いていた話にあった、榎忠さんのバーのビデオもみた。
(これの再現を見るチャンスを逃したのは、残念だった。)
作業場の鉄工所や金属廃品処理工場のビデオもあり、製作過程もかなり分った。
ビデオの中で、講演会やインタビューでの榎忠さんの語り部分もたくさんあり、考え方もよく理解できた。

又別の部屋では、古い工作機械やトースカンが置いてあった。
ベルト駆動の機械もあり、なんとなく懐かしい手作り機械の温かさが伝わる。

最後の部屋のRPM1200はすごかった。
会場中央に建てられた無数の旋盤で挽きだしたタワー状のシャフトが中洲の島のような形の範囲にびっしりと隙間無く林立している。
それぞれの塔状のものはすべて形が違い高さも様々で、その数も無数にあるように見える。
それがライトに当たり、すべて銀色に光り輝いていて、まるでSFの美しい巨大都市だ。
多分、榎忠さんの心の中の都市であろう。
インタビューの中でも一部このことに触れているようなところがあったのを思い出した。
会場の3壁面上部に取り付けられた3つの照明が時間とともに変わり、朝、昼、夕方の光景を演出してくれる。
そのスケールと、美しさに圧倒された。
(余談だがRPM1200は、これらの作品の塔状パーツは、すべて旋盤で、1200r.p.m.<毎分の回転数>で削りだされた物ではないかと想像している)

今回の展覧会は、来た甲斐があった。
ただ、会場は撮影が許可されていたが、私はカメラを持ってこなかったのが悔やまれた。
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塔本シスコさんの思い出話(修・追)

2011年11月25日 13時36分51秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
一昨日は、京都のセルフソーアートギャラリーで行われた塔本シスコ展に出かけた。
大阪市内の家から会場までは電車とバスを乗り次いでいくので随分遠く時間がかかるので、気合がいる。
それでもわざわざ出かけたのは、塔本賢一さんのシスコさんにまつわる話が聞けるからである。

会場のギャラリーは、古い京町家を改造している。
ギャラリーは入り口から奥の庭まで真直ぐ続く幅1.5mほどの長い土間と上がり框があって、土間の左には古い竈もあり炊事場や便所と連なっている。
土間の右は、上がり框に続き、畳敷きの部屋がすべてギャラリースペースとなっていて、2階もギャラリースペースだ。
座敷は入り口と奥の二間とその間に階段のある部屋があり、そこには事務机が置かれていた。

ギャラリーの奥の間には、庭に繋がる縁側に全面ガラス格子のガラス戸があり、奥の間から庭がよく見え、外の光がギャラリーの畳の間におだやかに入る。
畳敷きのギャラリーの奥には、コタツを置が置かれていて、その奥の背景にはガラス戸越しに、四季折々の花の咲く木や草花が生茂り、点々と飛び石を配置してある伝統的町家の庭が奥に広がるのが見え、風情がある。

庭を背に塔本賢一さんがコタツの前に座りながら話をしていて、その廻りを来場者が取り囲むように塔本さんのシスコさんの思い出話を聞いていた。

塔本さんが、熊本の家に残していた作品を、シスコさんが出刃包丁で賢一さんの絵を削り落として、その上に自分の絵を描いていたという話には驚かされた。
シスコさんは、本当に絵を描きたかったのだなと感じた。
その表現の欲望が、塔本シスコさんの力強い表現に繋がっていることをよく理解できる。

すべて芸術は表現に間違いないが、表現したいという物が無いのに、なんとなく義務感で作品を作るという作品が多く出回っている。
表現すべき物が無くて表現すると、表現しようとする中身以上の物が観客や聴衆に伝わらないのは明らかだ。
シスコさんが美術に関する特別な教育も受けず、人に感動を与える作品を残したことへの疑問も、このエピソード一つで氷解する。
更に、シスコさんの心の中には、小さい時の思い出や家族への愛情や、野良猫を含む身近な自然への愛情や関心がぎっしりと詰まっていて、その思いをキャンバスに自己流の表現でぶっつけたのだろう。

元々、美術でも、現代美術とか印象派とか区分し、どの学校を出たのか、どの団体に所属してどの先生が師匠かとかすべての美術関係者が気にしている。
滑稽なことに、ダダの遺伝子を持つ現代美術でも、評論家、学芸員、有名新聞やギャラリーの格や美術雑誌の評を気にし、明らかなヒエラルキーを形成している。
私もこの矛盾を受け入れていること、組み込まれていることを常に意識することが多い。

その意味ではシスコさんは、純粋に描く事の楽しみ、表現の楽しみを貫き通したといえる。
しかし芸術でも学問でもスポーツでも、平等は存在しないのだ。

簡単な話、カラオケで下手な歌を聴かされて辛抱できるだろうか。
芸術には、明らかに同じ文法を使っていれば、そこに良し悪しの評価が生まれるのだ。

ただしそれは、学歴とか経歴とか評論家の評価とか関係ない。
事実、画家や作曲家で生きている時は正当に評価されず、死後評価された人も多い。
シスコさんは、多くの人に支持され、その天衣無縫の作品は見る人の心にしみこむのだ。
直接的な表現の強さかもしれない。

芸術の場合、その表現内容がどれだけ良いかと、その表現方法・技巧で評価される。
しかも、技巧はつたなくても、内容がよければ人に大きな感動を与えられる場合もある。
例えば、私の好きな、長谷川利行の場合、彼のスケッチはうまくないが、作品は多くの人に感動を与えている。
彼は、歌読みでもあったし、評論も書いた。
それだけしっかりと物事を見つめ感じる力を持っていたのだ。

シスコさんの作品は、自分の内なる感動をしっかりと見つめ、画面と対話しつつ、あふれ出る内面の生々しい思い出や愛情や感動を掘り起こし、躍動的に何度も絵の具を塗り重ね、確認しながら、より鮮やかな内面に近い表現を、キャンバスに求めて描き進み、それが最終的に作品として結実した、といえるのではないだろうか。
賢一さんの「朝に見た絵と夕方に見た絵が、違っている場合がよくあった。」という話はそのようなことを物語る物かもしれない。

賢一さんのシスコさんの思い出語りを聞きつつ、美術についていろいろ考えさせられた。
シスコさんは晩年認知症になるが、そのときも精力的に絵を描かれていたという。
その意味で、認知症でも絵を描くことが出来るし、いろいろな効果があるのではないかという。

ところで、話の中で塔本賢一さんは、冗談も交えつつ「「(現代画家で有名な)塔本賢一さんのお母さんですか」といわれていたのが、いつの間にか「(絵描きで有名な)塔本シスコさんの息子さんですか」と言われるようになり、立場が逆転した」と苦笑いされていた。
塔本賢一さんの作品もシスコさんに負けずいい作品を作り続けていて、評価もされている。
これからの賢一さんの作品も期待したい。

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ギャラリズムから画廊めぐり20111112

2011年11月13日 21時24分48秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
昨日ギャラリズムファイナルに行った。
出品作家の多くが顔見知りや、よく知っている作家でそれらの人と話をした
各作品は、力がこもっていて見応えがあり堪能した。
このように、ギャラリーも作家も、気合を入れて開催するギャラリズムもこれで終わるのかと思うと残念だ。
府の文化行政と美術関係者とのきしみ音も聴こえてくるが、今後政治も絡んで大阪市・府の文化行政も政治で左右されるのだろうか。

ギャラリズムを見終えて、すぐに西天満に向った。
昨日は兵庫県立美術館まで足を伸ばそうと思っていた。
実は、一昨日いま美術館で開催中の榎忠さんの情報を見ていて、ついでにフェイスブックを見ていると、それと関連した怪しげな催し物(BAR)のチラシが掲載されていた。
そのBARの場所は美術館の近くだ。

榎忠さんの噂もいろいろ聞いていて、ご本人からも聞いていたが、展覧会は小規模な物しか見たことが無い。
それを見て是非行きたいと思い先を急いだが、西天満の画廊街をみて一度自転車を置いて、兵庫県立美術館までいくには、その時間ではとても間に合わないと途中であきらめた。

そのまま、いつもの週末のように老松通りの行きつけの画廊を見て廻った。
東端から見て廻るか、西から廻るかで、最後は番画廊の時とギャラリーHOTの時がある。
昨日は最後が番画廊で、番画廊を見るついでに、乙画廊も覗くことが多かった。

乙画廊では、木口木版の作家の個展を開催していた。
木口木版は懐かしいので、会場に入った。
作品も、よく見るとなかなかすばらしい作品だった。
狭い会場には何人ものお客が来ていた。
作家らしい人が声をかけてきたが、それが作家の二階武宏氏だった。

話をしているうちに、二階さんの師匠に相当する人が齋藤修氏だと分り、お互い驚いた。
齋藤氏もやはり木口木版の作家で、鉱物の結晶や宇宙といったテーマをよく扱っていて蔵書票も作っていた。
齋藤氏とはギャラリーを始めた頃に展覧会をさせてもらったことがあった。

当時ギャラリー経営のいろはも分ないまま、とりあえず初めて行った個展が、美術家として知り合いになった齋藤氏だった。
その頃、直接話しの出来る美術家は数人しかいなかったし、個展の開催の方法もわからなかった。
実は、画廊を始める前に、貸し画廊を借りて直接アメリカの画廊から輸入した版画(シルクスクリーン等のインテリアアート)販売をしたことがあったが、画家の個展はしたことが無かった。(このいきさつも後日思い出話として書く予定。)

とりあえず個展のお客さんを呼ぼうと、案内ハガキを作って、大阪や奈良の高級住宅地に、正月から一人で寒さに震えながらポスティングして廻った悲しい思い出がある。
いい作品は、ハガキでも見てもらえば分ると信じ込んでいたが、現実はそんな甘くは無かった。
今から、20年近く前の話だが、二階さんと出合って、思い出された。

そうした話は別にして、二階さんの木口木版は非常に魅力的だと思う。

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児玉泰さん・塔本シスコさんの個展案内

2011年10月29日 20時33分48秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
児玉泰さんから案内が届いた。11月15日から20日まで京都のアートスペース東山(http://www.kyoto-art.net/list/detail/103)で個展をするそうだ。タイトルは「佐紀盾列」(さきたたなみ<たてなみ>)だ。
最近は毎年ここで個展を開いている。児玉さんは、仕事以外PCをほとんど活用しないので、おせっかいだけれど、ここで紹介します。

佐紀盾列とは奈良市・平城京跡の北部に広がる古代の地名で、そこにある巨大古墳群を佐紀盾列古墳群と呼んでいる。ウワナベ・コナベや五社神古墳(ごさしこふん・神功皇后陵)が含まれている。巨大古墳群はの移動に関する研究は進みつつあるが、今も謎に包まれている。(大和・柳本古墳群<箸墓含む> 佐紀古墳群 馬見古墳群 古市古墳群 百舌古墳群)今回は佐紀古墳群(佐紀盾列と同じ)をテーマに制作されたようだ。 

彼は教育大の美術出身ながら、考古学の論文も書いていて、学術誌にも掲載されている考古学研究者でもある。美術では、茨木市の現代美術展でも、特集作家になっている。タイトルから分るように、考古学に裏打ちされた、考古学のことを扱った現代作品が多い。


それ以外に「塔本シスコ展」(http://www.shisuko.com/?p=1818)の案内も届いている。11月12日から27日までSELF-SOアートギャラリー(http://selfsoart.jp/exhibition/index.php?no=79)である。詳細は塔本シスコやセルフソーアートギャラリーをクリックするとリンク先に行きます。

今後展覧会紹介はキリがないので、紹介するかどうかも含め考えます。(例えば展覧会タイトルとリンクだけとか。)
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「視覚の現場」と橋下府政

2011年10月24日 20時02分10秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
「視覚の現場」10号が、関西の書店や画廊で販売されている。(500円)冒頭の3篇は、独裁発言した橋下府政の文化行政の実態を現場の視点から問いかけている。文化に関心のある方には是非お勧め。(3篇の執筆者:高橋亨、橋爪節也、天野和夫)

以下要約ですが正確さにかけるかもしれませんので、詳細は「視覚の現場」10号を参照ください。

高橋氏は「美術館をもっとつくろう」というタイトルで、6月20日の「美術館は、4館も必要ですか?」という大阪発行の産経新聞朝刊のコラムに対する批判から始まっている。美術館を、商品を扱う百貨店と同列に捉え、近代美術と現代美術の質の違いも分らずに批判するマスコミを批判し、これから作ろうとする大阪市立近代美術館の必要性を説いている。
(国立国際美術館は現代美術が中心の国立の美術館で大阪市の所有ではない。大阪市立天王寺美術館は中国・日本の古美術と貸し会場。サントリーミュージアムは映像中心の為改装に8億5千万円かかり、近代美術館として不適切との、外部委員会の評価が出ているという。)

橋爪節也氏は「独裁を主張する政治家の登場と 森村泰昌の<なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる)>というタイトルで、冒頭に森村泰昌氏の上記作品に触れ、翻って「独裁」発言の橋下氏の政治姿勢を批判し、それを無批判に流すマスコミを翼賛会的と批判する。そしてやはり6月20日の記事に触れ、維新の会が「このクラスの美術館は、都で作ればよい」という趣旨のコメントに対し、府の美術館計画の挫折、児童文学館の廃止、センチュリー楽団への補助金カット、現美センターの移転遅れ、等の実態から、府の文化行政への姿勢と可能性に疑問を投げかけている。

天野和夫氏は、「大阪府とのパートナーシップを続けて28年――その出会いから別れまで」というタイトルで、今年で最終回になる「画廊の視点」の経緯をつづっている。「画廊の視点」は名称の変更はあるものの、毎年開かれていて、「第一回大阪現代アートフェアー」から数えると28回目となるという。その間の大阪府のトリエンナーレ開催を含む美術行政の裏側を明らかにし、ノウハウを持たない「官の論理」を批判している。そして大阪府の文化行政に対し美術の現場にあるものとして、怒りと落胆を持って、「ギャラリズム」を終えると述べている。(ギャラリズム:10月31日から11月12日まで 10:00-18:00ただし11/3・11/5は16時  11/6休み 11/12は15:30 大阪府立現美センター)
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2kwから大阪靱公園の「花と彫刻展」へ

2011年10月22日 20時54分05秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
今日は、2kwギャラリーに行くことにした。「ギャラリーDen」から「2kwギャラリー」に変わって一度も行ったことがなかった。家を出る時は曇天であったので雨が気になった。

出発前にネットで天気予報の最新レーダー画像を見ると、淡路島から大阪湾上に強い雨雲があり、その雨雲が時速20-40km/hで移動すると仮定すると、距離的に1-2時間すれば大阪上空に到達するであろうと思った。とりあえずギャラリーの作品を見てトンボ帰りするなら、何とか1時間程度で帰れるので問題ないと思い出かけることにした。

念のため傘を用意した。それでも、雨になった場合、途中の大阪城公園の南にある法円坂の坂道の昇り降りが危険なのが、少し気がかりであった。

ギャラリーまでは天気は持ちこたえた。しかし2kwギャラリーにいるときについに雨が降り出していた。ギャラリーを出たとき、一瞬帰ろうかと迷ったが、せっかくここまで来て、傘も用意しているし、目と鼻の先の彫刻展を見逃すことはないと思い「第42回花と彫刻展」が開催されている南に隣接している靱公園に、自転車で乗り傘をさしながら入った。ただ公園の遊歩道の一部はタイル類で舗装されていて、雨にぬれたタイルでタイヤがスリップすることが心配だった。

靱公園に行ったのは、5年以上前でやはり、同じ展覧会だったが内容は余り覚えていない。その意味で今回は新鮮な感覚で「花と彫刻展」を見ることができた。

50点近く出品されている彫刻作品は公園の木々の緑と花と土に囲まれ、ギャラリーで見るのと違い、どの作品も更に存在感を増し美しく見えた。一つ一つ丁寧に作品を見ていくと、写実作品や、現代系のオブジェ・インスタレーションはそれぞれ見方は違うが、それぞれ見ごたえがあり作家の思いが伝わってくるように思えた。

「花と彫刻展」は、公園の環境と芸術作品がうまく融合したすばらしい催しだと思った。

ところが家に帰って今回の催しについて検索してみると、大阪市のHPに「花と彫刻展」の案内が短い文章だけで掲載されていた。お役所仕事に見えた。そこには見に来てもらおうという意欲が感じられない。来る人の関心を呼び起こす為に、せめていくつかの写真でも掲載して欲しかった。それに作家のコメントや苦労話でも掲載できれば更に関心が高まり良い効果が期待できるのではないかと思う。更に、大阪市の取り組みが不十分なら、もう一つの主催者である彫刻家会議がHP等を作って宣伝してもよいのではないかと思った。

マスコミでの、取り上げも少ない。このような状態では人は来ない。今はネットも発達しているのでお金を使わなくても行事をPRできる可能性は大きい。ちなみに、靱公園を管理しているのは大阪市ゆとりとみどり振興局であるが、同じ部門が運営しているサイト「MIGOHSHA」(MIGOHSHAは、大阪のアーティストおよびその活動内容を発信することにより、芸術文化に興味を持つ多くの人びとがアーティストに出会える機会を提供するサイトです。)には、この催しの記事がトップとか特集には出ていない。行政内の意思疎通はできているのだろうか。
見巧者=MIGOHSHA  http://migohsha.com/about/
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