散歩者goo 

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昨日記20241213 金 近況(退院後初めての外来)追

2024年12月13日 13時43分05秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
退院以来、自分なりの方法でリハビリを行った。
退院直後は想像以上の、筋力や体力の低下に愕然とした。
例えば、退院直後は、腕や足の皮膚はたるみ、老人らしい大きなしわが出来、皮膚をつまんでも放して戻るまで1-2秒かかった。
明らかに栄養不足と考えた。
とにかく、今まで通りの自分で考えた食事やに戻しサプリを摂取し、筋トレやリハビリをすれば元に戻ると考えた。
退院後4-5日は家事をしていても強い疲労を感じた。
そこには、2週間家を空けたため、その間の食材の廃棄や処理や食材の買い出しと、副菜や冷凍ご飯の製作、たまったメールや事務的処理、急に進んだ季節の変化(急激に寒くなった)に対する衣料や寝具の入替等様々な処理に追われたので健康な状態であっても疲労したであろう局面だった。
貧困の独居老人である私には、だれも頼れる人はいない。
(そのため普段からフレイルにならぬようジムに行き体を鍛え、図書館に行き本を借りて読み、知的能力の低下を防止した。入院時に病院に持ち込んだ荷物は現代哲学のダイジェスト版や川柳入門書で、病院のイートインスペースでコーヒーを飲みながらノートをとっていて、入院生活の楽しみの一つだった。)
大変な退院後の1週間を乗り越えたころには、疲労感もかなり減少した。
体の表面的状態も大きく変化した、
老人らしい大きな皴もなくなり、皮膚をつまんで放しても、放した瞬間に元に戻るようになり、皮膚の張り艶も回復した。
 しかし、筋力体力の回復は、時間がかかっている。
12月9日に、西長堀の大阪市立中央図書館に行き、本を返却し新しく本を借りた。
その往復には、自転車でメトロの駅まで行った後は、地下鉄の階段を上り下りをしなければならず、疲れてエスカレーターやエレベーターも使ったが、それでも家に着いた時には強い疲労感を覚えた。

その翌日の10日午後に病院の外来に行った。
病院に行くまでの歩行距離は、乗り換えがあり地下鉄のホームの端から端まで歩き
更に改札口はその先になり、改札を出てもその先にまだ長い地下道がありうんざりする。(大阪城やNHK方面への地下道)
病院に着いてからも、外来受診前に採血や心電図やX線検査を受けたが、各診療科を受けるのに長距離歩き疲れた。
待合の広いロビーで体を休めた。
かなりの時間待って、外来で受診した。
心臓血管外科のNS先生の診察を受けた。
診察前の検査データや手術後の傷の状況から、術後の回復は順調で激しい運動をしてもよいと言われた。
その時、CTの画像も見せてもらったが、手術で挿入したステントとその横に、腸骨動脈瘤の大きな球が見えた。
主治医のNK先生は、手術前に左に4.5センチ右に3.5センチ程度の腸骨動脈瘤があると言っていた。
診察を終え、次の外来(CT検査)を予約し、次の診察はNK先生が担当すると告げられた。

その後、帰りに中央図書館に寄りで本を読んでから帰宅した。
帰宅後、ステントで封鎖された4.5センチの動脈瘤の大きさを考ええたが、ステントで動脈瘤を封鎖せずに破裂した時の状況を想像すると、本当に命を落とす可能性もあることを認識し、恐ろしくなった。
(親指と人差し指で輪を作ったときの内径程度の大きさの血で満たされた風船のような瘤が、骨盤の裏に左右<右足と左足に血液供給する動脈>に一つづつ動脈の途中に動脈自身がが膨れて存在している。動脈が破損すると血圧で、血が噴き出し、止血が困難。検査をせずに突然動脈瘤が破裂すると、出血原因や出血場所がわからず、処置に手間取り、失血死や周辺組織に血液があふれかえり、内出血の処理で大変なことになることが想像される。)

現在もジムに通いリハビリに励んでいるが、体力筋力は徐々に向上していることを実感している。
だが、現在の筋力体力の回復速度を見ると、入院前の状態まで回復することは、年齢の問題もありかなり難しいように感じている。
それでも、せめて時速7から8キロ程度で、10分程度でも走れるようになりたいと思う。(現在時速5km以下、多分4.5kmで30分間程度で歩くのが限界だ。)

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