神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.253 斎藤 實

2024-08-06 00:03:15 | 君へ
(1)きょう、北アルプスの不動岳の北付近で滑落事故があったそうです。不動岳の位置は、黒部ダムがある黒部湖のいちばん南端で、湖が終る付近の東側の尾根です。そして、その不動岳を出て、北の船窪岳に向かう途中での遭難事故だそうです。
 遭難者は10人のグループ〔パーティ―〕のうちの21歳の女子学生とのことですが、どんなグループで、この遭難者はどのくらいの経験があったのか。

(2)予定では、上高地から糸魚川までを2週間ほどかけて縦走する計画だったそうです。
 このコースのうち、私が経験したのは、槍ヶ岳-上高地間の下り〔行程1日】、北の白馬大池ー白馬岳〔1泊〕ー唐松岳ー五竜岳〔1泊〕-鹿島槍ヶ岳-冷池(つべたいけ)〔1泊〕ー爺ヶ岳までの3泊4日で南下する縦走の行程です。
 残りの、白馬大池から北の朝日岳ー糸魚川と、事故のあった槍ヶ岳ー不動池-船窪岳ー爺ヶ岳は、北アルプスが御料地でなかったこともあり、計画倒れで実現していません。
 
(3)ですから推測ですが、このグループは家から不動岳まで少なくとも2泊3日はかかっていたでしょう。つまり、4日目に不動岳ー船窪岳の間を歩いたかもしれません。そうすると、ようやく体が山に慣れてきて、同時に疲労がたまり始めていたことが考えられます。しかも、ここは地図にも「滑落注意」が書かれる名所です。いわば、最初の難所だったのかもしれません。

(4)さらに、この先の爺ヶ岳ー鹿島槍ヶ岳(鹿島槍)は割合に平坦ですが、ここを過ぎると、「八峰キレット」、五竜岳付近の「赤目」、唐松岳北の「不帰の嶮(かえらずのけん)」など、気が抜けないと行程が連続します。
 言い直すと、不動岳近くまで4日の行程を経てきて、そこからさらに4~5日は気が抜けない行程が続くわけです。
 私は、南アルプスの縦走約7~8日間では、最後に林道を約40km歩いたのもあって、相当な疲労と思いましたが、北アルプスはさらに「気が休まらない」ということがあります。

(5)まあ、この危険地帯といわれるところを、40~50歳ころの私が通過できたのですから、若い人なら大丈夫ということも言えるかもしれませんが、この遭難事故の有無にかかわらず、ムリな計画はやめるべきと思います。

    
      多摩川べりにて

(6)きょうの【コレクション】はきのうの続きです。
 じつは、水沢市に行った際に「斎藤實記念館」にも行きました。そのときのパンフレットがありますから、それを載せることにします。
 この大きさは、A4判の用紙を二つ折りしたA5判で、4㌻です。
   4㌻ 裏表紙             1㌻ 表表紙


   2㌻                  3㌻ 


 天眼鏡なしでも読めそうですか。まあ、雰囲気はわかっていただけるでしょうから、良しとしましょう。
 なお、「木村栄記念館」は、時間切れで間に合いませんでした。ザンネン。

(7)ところで、私がお土産をもらったときにうれしいものは何だと思いますか。一番はまんじゅう、2番は地酒・・・と思うでしょう。でも違います。
 一番うれしいのは、あちこち(驛・刊行案内所・市役所・図書館など)によく置いてあるパンフレット・市報などです。たいがい、最良の紙を使って、最良の案内をしてくれます。しかも、「欲しい」というと相手も喜びます。タダで、労せずいろいろな情報が手に入る。
 たしか、井原西鶴の『世間胸算用』?のどこかに似た話がありますよ。
 もっとも、私には商才はありません・・・。
 きょうはここまでです。

    
     〽青年の~樹よ~
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