神足勝記は明治6年から日記を書き始め、晩年の昭和12年まで(この間の明治24・27年を除いて)ずっと日記を書いてました。もちろん、何も書いてない日や天気しか書いてない日もあります。それから『回顧録』も残しています。
60年分もありますから、本箱の2段分を軽く超えます。しかし、残念ながら『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築く―』にその全部を載せることはできませんでした。
私は、一時期、『日記』の量は膨大だが『回顧録』ならコンパクト(手頃)な1冊となるとみて、この刊行を考えたことがありました。しかし、『日記』の内容を知っているだけに、『回顧録』だけではもったいないと思わざるを得ず、考えを変えました。もちろん、両方は諸事情が許しません。そこで、日記をいくらか圧縮したものを本体とし、これを「回顧録」で補う方法をとることにしました。
たとえば、『日記』の明治6年から24年の御料局入局までを全部削りました。というのは、ここだけでも優に1冊になるくらいの量があり、もし入れるとすると1000ページを軽く超える大著になってしまうことがわかったからです。
ここには西南戦争・母姉の上京・熊本人の交友のほか、のちに各界のトップになる錚々たる人々の若き姿が記されていますから貴重なのですが、残すには量が多く、かといって『回顧録』には「何年入学」というような履歴しか書いてありません。そこで、勝記が折々に回顧する場面が『日記』にも『回顧録』にも出てきますから、そこを残すことにしました。
一方、御料局入局前の地質調査所時代に勝記自身が全国を跋渉・踏破したことを記したところがありますが、ここは歴史的事実としても重要なところなので、『日記』は後日を期して削る代わりに、幸い『回顧録』に簡潔にまとめられているので、これでまとめることにしました。まあ、いろいろと「改竄(かいざん)」したわけです。
それだけでなく、御料局の測量事業解明のために、この日記によりそって関連事項を注記し、関連資料を掲載しました。その多くは専門研究者でもめったに見られないものです。読者に媚びることはしませんでしたから、煩瑣をいとわずお読みくださるようにお願いいたします。
今日は「ブログ練習その2」です。
ところで、写真の鳥、長いこと何かをじっと見てました。
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