NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

南京事件と源義仲。 -放縱なる軍の末路-

2018-10-13 | コラム
日中戦争の南京事件は
未だに
正確で誠実な総括がなされず

南京事件まぼろし派が
散見され

東アジア友好への
障害となっている。


一般的に
南京事件の評価には

大虐殺派
中間派
まぼろし派(なかった派)

がある。


戦時下における
軍紀の厳格さでは

織田信長様が有名であり
一般人への横暴を
厳に律した。


信長公が
京都に入ったとき
武人が婦人をからかった際に
一刀に斬り捨てた事件からも

織田軍の厳しい倫理規範貫徹が
窺える。


一方で
日中戦争時の
上海戦から南京(首都)になだれ込んだ日本軍の軍紀は乱れ

軍人や一般人を含めた何万人かは
虐殺や暴行を受け

当時
近くにいた欧米の新聞記者や
宣教師らの難民キャンプのような安全地帯の人々は
それらを見聞し
失望していたようだ。


日本の歴史では
源平時代に
京都になだれ込み
一般人に乱暴狼藉をはたらき

頼朝公に滅ぼされた
源義仲の所業に相似している。


まず
信長公や
毛沢東の軍は

一般人への乱暴狼藉を
厳禁しており

そこが
他の武将や国民党軍との
大きな違いであった。


つまり
南京事件における
軍人や一般人の被害者人数は
正確には判然としないが
中間派の分析が常識的であり

なかったとする
まぼろし派の説は
やはり無理がある。


大東亜戦争時の
参謀などは
神童とか言われて勘違いした
世間知らずの頭でっかちに過ぎない。

また中央からの
命令系統の一元化などは貫徹せず
現場の軍人は
蛮勇に陥り
暴走した。


何れにせよ
南京事件は
戦争の全てが悪であることを示す歴史の真実だ。

そして
人類は
似たような罪過を
繰り返してきたことを
深く省察すべきである。


その上で
日本としては
官民協力して
南京で鎮魂と慰霊の祈りを捧げるべきだろう。





高橋記