Sengoku Jieitai / G.I. Samurai (1979) ORIGINAL TRAILER [HD]
三島由紀夫の楯の会は
全てが近代の軍隊であった。
制服、自衛隊体験入隊、硬直した身体、剣道、ボディービル。
それは
太陽と鉄の文明を志向し
月の陰影や木や土の柔弱に目を背けた
近代の特徴を帯びていた。
もし
三島が
前近代の歴史と伝統への回帰を志向するならば
神風連の乱の如く
柔術と剣術を鍛練し
甲冑と弓馬の道を服飾し
その脚本を案じ
演じる必要があった。
つまり
三島の革命とは
近代における
近代の方法による
近代の修正主義に止まり
近代の超克には至らなかったのである。
そして
丸山眞男も近代の犠牲者である。
丸山の
西欧近代への思慕は
日本の大東亜戦争が
その前近代性、封建遺制の社会倫理に起因するという認識
からもたらされた。
しかし
それは大いなる誤解である。
武士と武士団のなかで
新参者を執拗に虐める
丸山の体験した軍隊の陰湿が
頻繁にあったとは思えない。
昭和の戦争を指導した
陸軍や海軍の参謀や官僚は
近代の教育からもたらされた
人材の相を持ち
愚鈍で硬直した思想と行動は
近代が生み出したものである。
中世の
藩校、郷校、寺子屋からの人材
明治初めまでの
有為な人材の相とは
全く次元が異なる。
すなわち
丸山が崇拝し
思慕してやまない西欧近代こそが
国家主義、ファシズム、軍隊、世界戦争
原爆投下を招来したのだ。
日本が
明治以降堕落したのは
西欧の近代
覇道と世界分割に明け暮れた
悪しきためしを
真似たからだ。
本来
日本は
中国や朝鮮半島の文明を模範とし
尊崇していた。
しかし
日本は
脱亜入欧を決意した明治以降
東アジア諸国を蔑視し始めた。
丸山眞男は
軍隊経験のなかで被差別の境涯に陥り
日本の全体主義と軍国主義の顕現を観た。
そして広島で被曝し
この国の破綻を観て
絶望した。
その原体験が
丸山の思想の根源にあり
日本の前近代性、封建的社会倫理を批判し
近代の純化を憧憬したのである。
しかし
軍隊における差別と抑圧は
近代の差別構造を象徴し
昭和初期の日本の全体主義は
国家社会主義という
近代の思想と行動の果実である。
すなわち
丸山の哀しい経験の殆どは
近代の思想と行動によってもたらされたものであり
彼は
近代の犠牲者であった。
おわり
高橋記
全てが近代の軍隊であった。
制服、自衛隊体験入隊、硬直した身体、剣道、ボディービル。
それは
太陽と鉄の文明を志向し
月の陰影や木や土の柔弱に目を背けた
近代の特徴を帯びていた。
もし
三島が
前近代の歴史と伝統への回帰を志向するならば
神風連の乱の如く
柔術と剣術を鍛練し
甲冑と弓馬の道を服飾し
その脚本を案じ
演じる必要があった。
つまり
三島の革命とは
近代における
近代の方法による
近代の修正主義に止まり
近代の超克には至らなかったのである。
そして
丸山眞男も近代の犠牲者である。
丸山の
西欧近代への思慕は
日本の大東亜戦争が
その前近代性、封建遺制の社会倫理に起因するという認識
からもたらされた。
しかし
それは大いなる誤解である。
武士と武士団のなかで
新参者を執拗に虐める
丸山の体験した軍隊の陰湿が
頻繁にあったとは思えない。
昭和の戦争を指導した
陸軍や海軍の参謀や官僚は
近代の教育からもたらされた
人材の相を持ち
愚鈍で硬直した思想と行動は
近代が生み出したものである。
中世の
藩校、郷校、寺子屋からの人材
明治初めまでの
有為な人材の相とは
全く次元が異なる。
すなわち
丸山が崇拝し
思慕してやまない西欧近代こそが
国家主義、ファシズム、軍隊、世界戦争
原爆投下を招来したのだ。
日本が
明治以降堕落したのは
西欧の近代
覇道と世界分割に明け暮れた
悪しきためしを
真似たからだ。
本来
日本は
中国や朝鮮半島の文明を模範とし
尊崇していた。
しかし
日本は
脱亜入欧を決意した明治以降
東アジア諸国を蔑視し始めた。
丸山眞男は
軍隊経験のなかで被差別の境涯に陥り
日本の全体主義と軍国主義の顕現を観た。
そして広島で被曝し
この国の破綻を観て
絶望した。
その原体験が
丸山の思想の根源にあり
日本の前近代性、封建的社会倫理を批判し
近代の純化を憧憬したのである。
しかし
軍隊における差別と抑圧は
近代の差別構造を象徴し
昭和初期の日本の全体主義は
国家社会主義という
近代の思想と行動の果実である。
すなわち
丸山の哀しい経験の殆どは
近代の思想と行動によってもたらされたものであり
彼は
近代の犠牲者であった。
おわり
高橋記