『林先生の初耳』ではないがブログ管理人にとっての初耳は『焼き分け』という言葉。私
が小さい頃、日本は未だ貧しく町中に住んでいた家でもクドがあり熱源は割り木だった。
炬燵はもちろん木炭で炭俵は葦か何かで作られており炬燵の灰づくりに利用され、その
時に落葉と共にサツマイモを焼いて貰った覚えがある。もう消え去ろうとしている唱歌
『焚き火』の歌詞そのもの、年をとると昔が良かったと嘆くが物が圧倒的に少なかったその
頃の子供たち、すべての面で豊か、満たされている今の子供より遊びの発想、生活の中
で経験する幅はもっと広かったと思う。炭焼き作業の休憩時、『焼き分け』なる話題で
昔話が始まる。昔は山持の分限者(管理人は標準語だと思っていたが・・・分限者とは?
鳥取弁。 金持ち。財産家。ぶんげんしゃ。)の山を小作人たちに一時的に貸し与えそこ
で木を切り炭焼きをして、木炭にしたものの凡そ半分くらいを山の持ち主に納める。
山を持たない、他にも収入源を持たない人にとっては自分の労力だけで現金収入につ
ながる木炭を焼くことができ、いわゆる親方と小作がwin winの関係ともいえる。私の知る
町中の生活に、このような仕組みは見当たらないが、労働に対する対価の得方が異なる
だけだと分かる。
生活環境の変化で言葉も陳腐化を繰り返えしており、今の私たちの言葉もあっという間
に置き去られることだろう。