早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

宋斤 永尾利三郎と尼崎 羽間美智子著

2022-01-19 | 宋斤の俳語・句碑・俳画、書
宋斤 永尾利三郎と尼崎 羽間美智子著

2021年夏  早春社主宰南杏子氏より 羽間美智子著の「宋斤 永尾利三郎と尼崎」をいただき、早春創刊号からの記述ではわからない祖父宋斤 利三郎の尼崎時代を教えてもらいました。
宋斤ブログの紹介をしたところ、知人からこの本の書籍のネット情報を紹介してもらったので、紹介します。
紀伊國屋 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784343011183




内容説明
永尾利三郎は号を宋斤と称し、俳誌『早春』を主宰する大正・昭和期の関西俳壇の重鎮であった。しかし、司書であり郷土史研究にも携わる著者が注目したのは、もう一つの仕事―尼崎市立図書館員時代の『尼崎志』編纂だった。史料の収集、古文書の翻刻、原稿の執筆、これらをたった一人で成し遂げた利三郎の、尼崎での仕事ぶりを丹念に追い、その知られざる事跡を明らかにする。
目次
1 永尾利三郎の生涯―俳句の外に遊ばず
2 永尾利三郎と尼崎市立図書館―甚だ敬愛すべき我郷土尼崎
3 尼崎での日々―尼崎に十年住みて年賀かな
4 尼崎市史編纂の気運―我等が住める尼崎の歴史地誌の研究は既に今時に於て成さずんば 今後歳月を食むに随って愈困難の度を増すべきに至らんかと存ぜられ申候
5 尼崎郷土史料展覧会の開催―我尼崎市居住者をして郷土尊重の念を喚起せしめ以て我市の現代文化の向上に資し郷土愛の内質的自覚を宣伝する
6 市史編纂の開始と『尼崎志』の刊行―左支右吾 一日を費して一行も書き得ざることあり
7 利三郎 尼崎を去る―去り来れば蚊火の大物なつかしも
付記 図書館随想
著者等紹介
羽間美智子[ハマミチコ]
昭和9年(1934)兵庫県尼崎市生まれ。武庫川女子大学短期大学部2部国文科卒業、奈良大学通信教育部文化財歴史学科(単位不足)満期除籍。1953‐1994年尼崎市役所勤務(うち1986‐1994年、尼崎市立北図書館勤務)。司書。尼崎郷土史研究会会員・会誌『みちしるべ』を宮崎恭子氏と共同編集。令和3年(2021)没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



宋斤の俳句「早春」昭和九年九月 第十八巻三号 俳語

2021-08-24 | 宋斤の俳語・句碑・俳画、書
宋斤の俳句「早春」昭和九年九月 第十八巻三号 俳語

   私
俳句は私を詠ふのである。

わたくしの生活味到である、よそよそしい眺めごとのいはゆる

新風流に安逸しゐては俳句はつまらなくなるばかりであろう

そして然も俳句は自然讃仰の詩である。

私の上へ私をのみ積み重ねてゆくのとは俳句は根本的に於いて違ふ。

私を大自然に放つのである。

大自然から私をとらへるのである。

                  宋斤

宋斤の俳句 「早春」昭和四年八月 第八巻二号 巻頭語

2021-05-23 | 宋斤の俳語・句碑・俳画、書
宋斤の俳句 「早春」昭和四年八月 第八巻二号 巻頭語

俳句は少々無理しても絶へず作ってゐるべし。
俳句が業務の邪魔になることなし。
邪魔になる時は、實は俳句に名を藉りたる他のものが災をなしゐるなり。
朝の一句、寝るときの一句はその日の感謝と記録なり。
句が作れぬ時は、多忙の故にあらずして、人生に希望と、勇気とが缺けている時也。
この時、少し無理しても俳句を作るべし。



宋斤忌 5月十二日 

2021-05-14 | 宋斤の俳語・句碑・俳画、書


『宋斤は昭和十九年五月十二日 ついに闘病叶わず永遠に俳句の眼を閉じねばならぬ日が来た。
芸術は永く生命は短し、宋斤はこうして敗戦を知らずして逝ったのである。享年五十七歳。
    皇風萬里鯉風亦萬里
この年の正月に、宋斤が初孫東君の誕生を祝って描いた兜の色紙があって、臨終前の重態を押して筆を取り、その色紙に自画自賛したのが、宋斤の辞世句であり、絶筆である。』 藤本阿南著「俳人永尾宋斤」より


宋斤の俳句「思い出の記」より 
昭和十九年 
 病牀句
三月ある日蝶空をゆくかぎりゆく
春の露葉先おさえてそよがしぬ
春落葉川中川の汀なり
たんぽぽ土筆あざみ未だと開始中

  於病床見舞句會 (四月九日 六橋観)
舟つけてあがるいづこも蓬かな
春光に牛乳一石青きかな
磧行蓬母子と露白み

  絶句(昭和十九年五月十一日午後八時作句)
空吹ける風はれ満ちて鯉薫る
皇風萬里鯉風亦萬里


今年二月九十五周年を迎えた早春社では、毎年この時期に「宋斤忌句會」が催され、
豊中曽根崎 萩の寺の墓前・句碑にも参詣していただいています。

早春や枯れたるものに光あり 宋斤