早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

定本宋斤句集 新年 2

2018-01-31 | 永尾宋斤の句集:宋斤 思い出の記・定本宋斤句集




定本宋斤句集 新年 2

     御題 田家の雪
初 影   田の家の初影とこそ雪に伸ぶ
初 霞   初霞けさに濃きまし魚府の島
初 茜   雛そめて野の大枯れに初茜
御 振   御振りの山邊かすみと霽れにけり
井華水   井華水梅山茶花のかたはらに           
年 酒   尾についてつぶやく唄も年酒かな
大福茶   ほど注いで梅のにじみや大福茶
年賀状   年賀状に句もなくなりし彼等なれ
年 禮   くだかけの闇はらうより年の禮
双 六   双六や上がる都の紅霞
      崕の霧しらみして井華水  崕(がけ)
蓬 莱   蓬莱とならげて芭蕉座像かな
白 飾   ひつひつと今朝の雪ふる白飾り
門 松   門松や町に城下の名残りあり
繭 玉   正月の夜気繭玉のゆるる哉
手 毬   手毬歌ほのと昔が縁先に
弾始め   弾始めを旅にききゐる茶垣かな
羽子板   羽子板をあぎとの下に抱きけり
凧     野を歸る牛に踏まれて凧の糸
      凧の野や旅の湯窓に晴ればれと

      ◆井華水:中古宮中で立春の日に主水司から天皇に奉じた水 



定本宋斤句集 新年1

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新年 1

 
大 旦   大胆にたゞに東方拝しけり
元 旦   元旦や辰巳汲みたる海のみづ
      元旦やさめわたりたる門の草
元 日   開けてくる元日濱のまさごか
二 日   田の水に二日の夕日霧そむる
三 日   おもひなく火桶にゐたる三日かな
三ケ日   人毎に朱盃ぬれたり三ヶ日
新 玉   あらたまの机のうへの原稿紙
今朝の春  今朝の春かどに浦戸にいとまかな
年の春   佳き隅の矢立に沁まし年の春
今 年   松透きて今年のいろの海にあり
      門さきの年となりたる柳かな
正 月   親へ去ぬ正月の子に東風の押す
      梅椿正月ややに日をたりし
      正月やたつ草茎のくれないに

宋斤句集刊行に就いて 1 早春二代目主宰 神田南畝

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永尾宋斤

宋斤句集刊行に就いて  神田南畝

 
 宋斤句集はもっと早く刊行されるべきであった。否もっと早く刊行すべきであった。
率直に云えば昭和十九年五月居士物故の直後にも刊行すべきであった。勿論當時よりこの意思は十分持っていたのであるが、敗戦後の思うに任せぬ社会要請の阻まれて、焦燥しつつも実現に至らず遂に今日となった。しかし兎にも角も今回刊行されることになったのは何より欣しいことであり、亦いささか責任の荷を降ろした感である。
 そこで本集の内容に就いてであるが、本来厳密に云えば居士の如く四十余年を一日の空白もなく作句に精進を続けたものには、已に數冊の家集が上梓されてあるべきが當然であるが、事実は一本すらおこなわれてゐないことは全く不思議のようである。固よりその間幾度か周邊の者の慫慂、 計画もあったが毎度実現しなかった。 
 これは居士が「句集は死後において上梓すべきもの」とする信を堅くも持してゐたことが支障の素因になってゐたことは否めない。この居士の信條には種々なる議論もあるが、要は厳しい自己批判に基く藝術良心が自然的に強いて句集とすべきを好まざる潔癖性となったのであろう。それだけに今回の撰抄に付いても生前の居士の意思に惇らざるよう十分の留意を拂ったのであった。

特に苦心したのは多數の遺句中より抄出範囲を何れに限界すべきかであった。正しく作句年代に従えば、カラタチ以前、カラタチ時代、同人時代、早春時代に分類すべきであるが、それは今回企晝したる刊行想定に副うべくもないので、全句集といったものは他日に譲り、一先ず早春創成期以来物故に至るまで發表された近詠中より撰抄することに定めたのである。
 云うまでもなく早春は居士がその凡てを傾倒した句魂の凝結であり、毎号巻頭に収めた近詠はその徵象であったがためである。しかしその近詠四千餘から八百餘句に壓縮して抄出することは容易ではなかった.即ちその大部が割愛に忍びない好句が多かったことである。この為に思わざる時日を要した。漸くにして撰抄は終わったとしても猶且少なからざる當否の問題はあるものと思ふが、その大体に於て謬っていない自信は持ってゐる。従って居士の遺風を追慕するもの、句影に接せんとするものには凡てでないまでもその眞諦を知ることは出来ると思ふ。
 しかし本集刊行を契機として将来同門支流のひとびとによって、居士を偲ぶ第二第三の句集が刊行さるヽ日のあるを希念して止まないものである。
 因に本集上梓に際し、山崎冬尊、宮川宿木君は清記分類に、直原玉青君は装幀に、市川珖耳君は写真製版に、山下大庸君は題字鐫刻に、山崎布丈君、河合雲蹄君は編輯に、何れも同門の協力に據つたことは深く欣ぶと共にその厚志を謝するものである。
 昭和24年春分の日
             池鐙房書屋にて
                    神 田 南 畝