早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

宋斤の俳句 「早春」昭和四年六月 第七巻六号 近詠 俳句

2021-04-30 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句 「早春」昭和四年四六月 第七巻六号 近詠 俳句


   近詠
蘭湯に海のあかるさ増しにけり

竹の葉を掃くだけ濡れて露涼し

夏の影芭蕉ゆれ葉と張り板と

ひと筋が山めぐるなり夏の川

しら百合を幮の外なる夜更けかな

生節の木目みだしぬ杉の箸

夏の蝶舟いつまでもくだけたる

   
『生活本然の意識の上にひろがっていく大自然のありがたさを俳句はうたふのである』宋斤

春の闇我にあらねど妓がよべる

   牡丹座 五月五日北摂山本牡丹園に遊ぶ
牡丹に空なる雲のおちこちと

黒ぼたに砂のひかりに散りにけり

牡丹や不順の寒さ山にあり

牡丹畑袴の裾をたばね行く

   雛
等閑にならむおそれの雛かな

雛の夜の更くろに運ぶ火桶かな

雲雀
摘み艸に帰心いふ子夕ひばり

あけぼのゝ比枝は見へねど鳴く雲雀

蝶空にひらひらとして雲雀啼く

雲のいろ空に變れば落雲雀

   早春社五月本句會
雷の二つばかりや水の蝶

雷去て空は鷗の港町

   早春社中央句會
山里や畳にさせし風車

   早春社大鐘例會
舷に散る花ありて渡舟著く

人酔ふてつれなく雛のぞきけり

   早春社浪速例會
藤棚の何時まで冬や水ぬるむ

   早春社神戸例會
やどの背や菜種あかりに夜の丘

   早春社上町倶楽部例會
塔中や柳の小門春の夕

花寒く雲おのづから流れたり

風はれてたんぽゝにあり鐘霞む

   早春社櫻宮例會
階や花の夜を踏む夢の如

   滝口長崖氏追悼句會
春寒し一七日のなたね花

春寒し菫は傾しく花のしろ

  



 

 

宋斤の俳句 「早春」昭和四年五月 第七巻五号 紫野吟

2021-04-27 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句 「早春」昭和四年五月 第七巻五号 紫野吟

紫野
  
  春浅き寒さをものかはと、一行は残り雪を踏みしめて、紫野大徳寺の広い境内を其處彼處と歩き廻った。黄梅院では庵主好晴師の邪気のない談に時の映るを忘れ、暫く暮色迫る頃の萍水新居に足を休め此所に火鉢を囲んで句を見せ合ふ。
一行は 永尾宋斤、神田南畝、河野縣城、菅野如雨露、荒井也陶、北川萍水、飯尾峭水。
        
如月や昨日の雪の桂川    宋斤

寺餘寒比叡を廊下に仰ぎ行く 宋斤

二た時は寺にいたりし雪の冷 宋斤

枯れたるがさやか音して昨夕の雪 宋斤

残る雪寺内はさらに寒竹に 宋斤

花の實の枯れにさばりつ春寒し 宋斤

     神田 南畝
乙調の藪限りなし春の雪   神田 南畝

繪襖に日暮ひしひし冴え返る   神田 南畝

落椿茶房の障子ほがらかに   神田 南畝

たづね来て塔中に踏む雪間かな 神田 南畝
 
   萍水子新居
火に梵れば木香のしきりに冱え返る  神田 南畝

   帰路
春寒し道を歩けば道が鳴る  神田 南畝

     菅野 如雨露
木に石に残る寒さや寺の内 菅野 如雨露

藪柑子いたいけに庭雪間かな 菅野 如雨露

雪もてる庭をうしろに春火鉢 菅野 如雨露

墓地の中訪ねるとなく春寒き 菅野 如雨露

枯れ色に紫陽芽ふき雪解かな 菅野 如雨露

雪汁や徑つまりに藪ふかき 菅野 如雨露

冴え返りひとりひとりの春火鉢 菅野 如雨露

ひしひしと寒くれの寺の町 菅野 如雨露

    河野縣城
東山うちけぶる雪に春めくや 河野縣城

春浅き下枝下枝や雪の斑に 河野縣城

經蔵へ反り橋の雪踏む尊と 河野縣城

木の雪のしづれ尊とく仰がるゝ 河野縣城

残雪や枯山吹のほかはなく 河野縣城

畑の梅ばかりがぬくき蕾かな 河野縣城

     荒井也陶
残雪に曇る寺墓徑かな 荒井也陶

残雪の山が樹の間に庭暮るゝ 荒井也陶

繪襖の古び間毎の春寒く 荒井也陶

雪解来て松の寒さや大徳寺 荒井也陶

枯ぬくしあじさゐの芽の明るさも 荒井也陶

久に来て京は寺なる餘寒かな 荒井也陶

    北川 萍水
梅未だし淡雪踏んで枯れ野往く 北川 萍水

霜枯れの庭にすくめる鳩二三 北川 萍水

軒日南釣燈籠も雪解哉 北川 萍水

笹鳴の逃げては鳴きつ寺の庭 北川 萍水

    飯尾 峭水
梅林や寒さは遠き鳥の聲 飯尾 峭水

梅畑へつづく杉間の雪解かな 飯尾 峭水

下萌や鳥去って日の庭広く 飯尾 峭水

春寒や水になぞらふ庭いさご 飯尾 峭水

如月の風に空なき伽藍哉 飯尾 峭水

宋斤の俳句 「早春」昭和四年三月 第七巻三号  その日その時

2021-04-27 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句 「早春」昭和四年三月 第七巻三号 その日その時


その日その時

俳句は、その日その時を作る。
その日、その時を見据えるのそれは、現実であって、早や過去である。
現在は、過去の最も新しいものである。
俳句は、作るに過去を必要とする。
俳句は、経験を尊重すること甚だしい。
過去。現在。未来。
未来は、現在から云って、一瞬時の前方ではあるが、一歩、半歩たりとも、進んでこれを踏むことはできない。
無理を嫌う俳句は、未来を作ろうとはしないのである。
たゞ、未来をおもふことの一番自由なものは詩であり、俳句で
ある。
理想。希望。想像。
それらは、詩を即ち俳句を作るものゝ頼る豊富に持つところのものであって、同時に何ものより大切にするところのものである。
過去を尊重するが故に、未来が大切である。未来が大切であるがために、過去を尊重する。
俳句は、その日、その時を作りつゝ、明日の日、明日の時を深くおもふことにより為し得るのである。
そして、明日をおもうには、是非とも、今日、昨日の經驗を基礎として及さねばならぬのである。
昨日を多く知り、深く究むるものほど、明日を多く知り,廣く考へ得るのである。
俳句は、昨日を明日に置く。明日を昨日に於いて見る。
その經驗理想とのまん中の今日に、その日、その時の實在があるのを、凝視して外さないことに努力する。
そのことに於て、その日その時の、現在は、既に遠き未来へ踏むべき、堅きはじまりとなる。
俳句は、經験を尊重することによって遂に、自から、未来をもうたひ得るのである
昨日、今日、明日。
現在、過去、未来。
理想、經驗、實踏。
一、二、三。
二、一、三。
三、二、一。
結局は、俳句は、その日、その時を作るのである。
 



宋斤の俳句 「早春」昭和四年五月 第七巻五号 聖駕奉迎 近詠 俳句

2021-04-21 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句 「早春」昭和四年五月 第七巻五号 近詠 俳句

   聖駕奉迎

御幸まちつおほくひんかし若葉風

御幸まつ甍も海も初夏の晴れ

日の光り仰くもかしこ御幸月

御幸まします城のみつへのわかみとり

草かほり吹くにひれふし御幸まつ

  近詠

春の夏蝶々土にはやき哉

立ち賣りの卯月の小魚孕みたり

竹の秋の里はうららかすぎにけり

花の頃遠くながめて雲さびし

花ちるを闇うかべたる水の夜

春はまた柳につばめ晴つゞく

蝶の息草にかげなしかげのあり

アマリリス狐のやうな犬飼ひて

口開いて雨を食ひける烏の子  

おぼしまや扇をかざす花の陽に

邸内ひっそりと藤のつぼみかな

顔出して空知る魚や春の水

    早春社同人会
奥山や梢の蝶の麗に
 
    早春社四月本句會
あざみ地にかげするとなり春全し

    早春社四月中央句會
山雪をしめたる障子小囀り

地のさむさすみれが一ツさきにけり

囀りや水へ燈を出す町のうら

    

   

宋斤の俳句 「早春」昭和四年四月 第七巻四号 近詠 俳句

2021-04-21 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句 「早春」昭和四年四月 第七巻四号 近詠

春の夜の一方海のひかり哉

行く雁やうつろとゐたる几

春色をコップの水に窺えり

十三参り花のうしろの藪さむき

白魚や朝の光線厨にあり

水に飽き波を見てゐる花の岸

いつと木にもたれて讀むやうららかに

   焚火
焚火より見上ぐる山の松一本

ひとときの道づれなれど焚火遍に

   早春社中央句會
梅の中小さき墓のこけてある

紅梅の散る地に鳥の遊ぶかな

   早春社尼崎例會
まないたの鱗をながす春の水

   早春社神戸例會
芽柳に舟遅速して着きにけり

   早春社上町倶楽部例會
二の替用意の傘にあられ哉

   早春社浪速例會
水寒く波よせてゐる野焼哉

   早春社桜宮例會
壺焼きや角但む芦も濱ながめ