早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

宋斤の俳句「早春」昭和十九年三月 第三十七巻三号 終刊号 近詠 俳句

2023-12-08 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十九年三月 第三十七巻三号 終刊号 近詠 俳句

    近詠
三月ある日蝶空をゆくかぎりゆく

チウリップつぼみのそこに唄廻る

春の露葉先おさえてそよがしぬ

春落葉川中川の汀なき

たんぽぽ土筆あざみ未だと開始中

    春の音
春の音野に工場の夜業あり

厨晴れて何かともらす春の音

みのむしの深寐に知らず春の音

春の音百蟲出でゝ草走る

春の音背に堤の往來して

     六橋観句抄 
       宋斤を六橋観に見舞って慰問の句筵
       宋斤 南畝 冬尊 大露 雲啼 布丈 源泉 友女 明子 妙女 阿南
花萬朶散らず一閃鳥の影

見るほどに花のそよぎの遠き行く

舟つけてあがるいづこも蓬かな

磧行き蓬母子も露白み

春光に牛乳一石青きかな

    
廃刊の御挨拶
拝啓 今般本誌は本號を以て廃刊いたします。
時局下斯界の整備統合の趣旨と其方針に隋應したのであります。
宜しく諒承をお願いします。
「早春」は本年を以て正に二十周年を迎ふるに際しお互ひの此の
この機関を失ひますことは尤も残念でもあります。
創刊以來を顧てまことに感慨無量のものがあります。
素よりこの種至難なる俳誌經榮ではありましたが一意邁進よく
やってき來たとも私慮いたします。
これ偏に社友諸賢の協力と鞭撻に依るところと深甚感謝の意を
茲に表します。

國策に協力わが「早春」は一先づ無くなりますが斯道共歩の數友誌と
一元となりて親誌を創立することになって居ります。従ってお互いに
精進し來つた早春作句の精神を依然として持續される譚であります。
即ち不退轉の精神を以ってする俳句報國の一端を盡すには何等の變り
はないのであります。
此の上とも早春同信を基とする厚情を願ってやみません。
時局は愈々にして緊切さを加へて來ました。われ等は如何なる百難
にも屈せず必勝を期する俳道への健歩を續けられんことを切言いたします。
猶いろいろと申上げたいことはありますが満感迫って筆がすゝみません。
ここに擱筆しますに際し社友諸賢の健康を祈ります。
   昭和十九年三月   
                      永尾 宋斤

********************************
永尾宋斤は、その後昭和十九年五月十三日 五十七歳の生涯を閉じる。 

その後早春は、昭和二十一年八月 神田南畝早春主宰となり早春社友によって九月復刊第一号を発行。
昭和二十四年十一月 「定本宋斤選句集」が、早春社より発刊。
昭和二十六年十一月  七回忌に宋斤句碑「早春や枯れたるものに光あり 宋斤」を豊中東光院 萩の寺に建立。
           戦中編纂されていた句集の原稿が見つかり、長男要の手でガリ版刷りの『宋斤  思い出の記 俳句の部』作成。
昭和三十一年五月   十三回忌に 宋斤の墓碑を萩の寺に建立。 

その後 歴代主宰(藤本阿南 岡本香石 岡野洞之 渡辺乾魚)さらに南杏子主宰に引き継がれ、
令和7年(2025年)には、早春社100周年を迎えることになります。

定本宋斤選句集 


宋斤 思い出の記 俳句の部  










宋斤の俳句「早春」昭和十九年二月 第三十七巻二号 近詠 俳句

2023-12-06 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十九年二月 第三十七巻二号 近詠 俳句

     近詠
如月や筏によする波の皺

よべの雪いらかに濡れて春たちぬ

荒東風を見上げて空に戰果あり

栗鼠せはし春の立ちしと樹に告ぐる

眞夜の川寂々積みて冬果てる

春寒やときたま聞ゆ沖の汽笛

風の音障子に失せて春日南

土ひろく早春の風渡けり

しろ椿しろき極みに蕋を点つ

    春の音
春の音野に工場の夜業あり

厨晴れて何かともらす春の音

みのむしの深寐に知らず春の音

春の音百蟲出でゝ草走る

春の音背に堤の往來して

     六橋観句抄 
       宋斤を六橋観に見舞って慰問の句筵
       宋斤 南畝 冬尊 大露 雲啼 布丈 源泉 友女 明子 妙女 阿南
花萬朶散らず一閃鳥の影

見るほどに花のそよぎの遠き行く

舟つけてあがるいづこも蓬かな

磧行き蓬母子も露白み

春光に牛乳一石青きかな





      







宋斤の俳句「早春」昭和十九年一月 第三十七巻一号 近詠 俳句

2023-12-06 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十九年一月 第三十七巻一号 近詠 俳句

     近詠
勝ちぬかん元日に思ふこの一事

初鳥その空さらに飛機渡る

    退院
我家の朝の日南はたとへなき

冬の日は川面を二階障子照る

凍つる夜や葛湯の匕を舌に受く 

    病めば
ゆたんぽが足にさからひだぶだぶす

隙間風病みてわが鼻たかきかな


   長野同人より眞綿着を贈られて
てんとう蟲の如くに著よと背藍綿

大根煮夜陰の湯気を吸ひにけり

冬の部屋深紅の花が一輪す

石叩霜の筏を轉々と

冬のはれ鳶川に來て大いなる

川向ひ住まず冬燈幾夜亡く

枯れ草のさまも見たしと野を思ふ

熱あれば蕪のあつちやら舌によき

生駒より六甲すこし眠ろかな

年の内の燈圍ひくらすかな

   早春本句會納會  十二月五日 於 本社
題「蝋梅」即景「冬の橋」
人ひとゝき舟ひとゝきの冬の橋

冬の橋に忙人の背を見送りつ

冬の橋孤なり夕照塔にあり

冬の橋渡りて島の淺きかな

   水取り (二月堂にて)
凍泥に修二會へ参ゐる杉の下

村繼ぎに運ばるゝ霜の御松明

御松明卍字火の粉の巴なす

お水取り昨日に霜のお差懸

   矢車 
矢車の夜の空はのと舞ひにけり

矢車のかげ地にあるは舞ひにけり

矢車の音をきゝつゝ讀みすゝむ


   昭和十八年の早春回顧より
一年は捷ちて過ぎたり初仕事

初東安易を蹴つて拜しけり

初日野にかゞやかし若者ら




































宋斤の俳句「早春」昭和十八年十二月 第三十六巻六号 近詠 俳句

2023-12-05 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十八年十二月 第三十六巻六号 近詠 俳句

      近詠

十一月三日まことに畠のよき日和

飛機いさまし頃秋闌の空切つて

草紅葉人等しづかに野をめぐる

陶像の古びかろかり翁の日

残菊の咲きほつれたるながながし

柿みかん貰ひ豊年熱の舌に

畑空と入院一ヶ月冬立ちぬ

初冬の雲のいろなり雲をゆく

みちのくの香茸とこそ飾りけり

明治節より日和つゞきが冬になりぬ

山河また十二月八日感揚す

病めるものゝ八日の心誰か知らむ

病めるもを罵り去れり冬の鵙

辛子搗く工場のありて冬の夜

冬霞懐ふ神崎のかすみ橋

冬大晴れ寝て飛機仰ぐ畏れあり

冬日南ちりばめば蝶しろくゆく

(病室)南窗西窗持ちて冬入日

    ブーゲンビル島沖大戰果を詠ふ
めつむつて戰果を秋の空におもふ

街の人野の人さやか張るこころ

    氷柱
徑の上を渡り藁家へ氷柱の樋

松の根のあらは石抱き氷柱かな

汽車の窓しばらく對す氷柱あり

焚火して氷柱汚すことなきや

登校の子も杜絶へたる氷柱哉





















宋斤の俳句「早春」昭和十八年十一月 第三十六巻五号 近詠 俳句

2023-12-05 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十八年十一月 第三十六巻五号 近詠 俳句

      近詠
出來稲の風なり日なり面うつ

さわやかに寄合畠朝の聲

秋晴れの窗時となく機を迎ふ

野菊咲くむかし神崎の白拍子

遠くにも家前秋耕見ゆるかな

草風つけて見舞に來てくれし

秋大日武庫山すでに一の暮れ

増産のひびきかすかに蟲の夜

鵙の聲窗にはまりし野のせまく

菊の花このをごそかさ必必勝

秋の雲みだりに散らず人とゆく

山路見る蔓なり鉢に紅葉しぬ

秋日南筆硯われをそゝるなる

病み居れば友にも甘へ秋燈下

病めば土のむやみに戀し薯の土

秋の蚊の窗を浮き出て遠山て

秋の人空地の草をしごき出し

霽るゝ雨朝のぬけゆく秋ざくら

だれかはひとり憩ひ居る石草秋の
   
    子規忌、友善忌
    十月三日 於 河内道明寺
ことづける不参の一句子規忌かな

友善忌故友に告ぐる戰の句

    六橋觀對座吟 宋斤と布丈
       
舳蹴つて待宵草に膝つきぬ

   待宵艸川底ひろく水寢ねて 布丈

    六橋觀偶會 宋斤、松堂、妙女
夏大雨晴れて目高を涼しうす 
   夏の雨眺めて玻璃の蝿とあり 松堂 

   夏の雨たゝかれそよぐ蔓のもの

▽宋斤は 書痙を専念に治療のため去る十月六日尼崎市潮江病院に入院。