早春 俳人永尾宋斤

祖父で「早春」を大正15年2月に主宰・創刊した永尾宋斤の俳句・俳語・俳画などからひもといています

宋斤の俳句「早春」昭和十一年十一月 第二十二巻五号 近詠 東京より

2021-11-29 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十一年十一月 第二十二巻五号 近詠 

    東京より
東京や露路の奥咲く秋ざくら

燈入るころ高輪に見る秋の海

上野にて繪の秋を見ず敗荷かな

   大森
秋の燈の遊里を抜けて漁師町

   鶴見の鳩峯居にて
燈下親し瓶の小魚の名を知らず

   奥澤九品佛にて
秋の野の徑會遊に似たるかな

武蔵野や鴉の梢秋の雨

秋雨の藁屋三宇に九品佛

   百花園にて
露ならぬ花なく藪のけぶるなり

藤棚のすたれかは地に秋芽して

雨露の秋の草中往き交わし

露澄むに煙草のけむり手よりたつ

青き葉のたかきにのぼり秋の天

實のたれて露くれなゐの莖もかな

蘭のみだれ雨のおもだか枯れ枯れず

多賀の松のうつろ猶朽つ雨の蟲

われもこう袖にふれては赤かりぬ

かやのひめのくゝつちの神の露ひゞく

去り惜しみあれば夕の菊しろし

  淩艸居
ゆくに任せて泊まりし宿に夜長かな

  淩艸獨居なり
あろじまた厨に何にして夜寒かな

   東京早春社更新句會 銀座 明治製菓賣店楼上 十月十六日

   宋斤十数年ぶりの上京

秋高し窓通る雲みな丸し

秋高く塔のくらさをのぼり出し

秋高や松植ゑられて山若し

   東京通信
   出発の急行列車の様子から東京での日々を伝える十七通の通信を 要・冬尊・古麻子・竹裏・信山・沾之・古玄・壺白・雁山・草巴・大露・編集室・自宅へ送っている
霧ながら容つくりて秋の富士

柑橘に培へるあり秋山路

ビル高き窓を散るあり秋の蝶

街路樹のいまだ散らずに秋の夕

降る空と思ふてかどに秋の旅

雨蟲を顔にはらひてさはやかに

山内や銀杏ちつて雨だまり

秋の空鳥去来を失はず

秋しゞま鰐口たるゝ太き綱

雨後の秋鳥語しばらく樹々にあり



   スキー
スキー宿の廊下往来の若者よ

頂上のみな上り発つスキー哉

   冬山路
青空をすけすけ仰ぎ冬山路

冬山路茶店の爺の朝早き

よそ山のあかるさ望み冬山路

  早春社十月本句會
秋耕や力まかせの土厚く

秋耕すありて高原美女の郷

秋耕や嵐にひかる峽の水

燈の筋に舟あらはれて出水波

赤とんぼ出水の面はれわたり





宋斤の俳句「早春」昭和十一年十月 第二十二巻四号 近詠  岸和田地車祭 俳句

2021-11-28 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十一年十月 第二十二巻四号 近詠  岸和田地車祭 俳句

  岸和田地車祭
和泉路は風車にぎはし在祭

みちみちの田舎も祭尾花坂

秋暑し町地車にふさがりて

祭してこゝら古る町赤蜻蛉

來りて先づ岸和田の城に秋高し

城あとの残暑の砂に沓を入る

本丸に松疎なりけり秋の日の

城に立ち海見て海へ秋暑いく

在祭辻々に見て海へ出し

秋風の阿波淡路より崖の波

この里の祭うしろに海に佇つ

漁翁あり矍鑠としてまつり顔

入日海を祭へ戻るかな

車の岸和田の空鳥渡る

車の大綱が地に宵闇に

車の十六七臺秋夕日

走り來る殿り地車秋夕日

  貫清の叔母の家に冬尊と三人往きて世話になる
祭客となりて小庭の竹の春

  この日の祭肴に蟹を食ふと
茅海の秋の幸なる蟹祭

夕凪をきこえて地車囃かな

夜は燈の地車据えて天の川

  子規忌 
  昭和十一年九月十九日 午後五時より恒例の曽根萩の寺東光院に於いて 早や晝すぎよりの参會者もあり見頃の萩を楽しんで萩の寺の風趣は夕となり夜となる。
  『ほろほろと石にこぼれぬ萩の露』早春社建立から三年の秋を迎え、丈に茂る萩の花と芙蓉の白きに裾を埋もれて秋天に高く、碑面はやゝさびよろしくなている。 

  


  蟲の聲
まどしめて蟲一面ときこえけり

水の面に映つてきたり渡鳥

  紅詠社室生一泊行(室生吟社と合同句座)
八峰に星の花咲き佛法僧

山の闇ほのとそよぎて佛法僧

龍穴の空とも覺ゆ佛法僧

夜を出でゝ河鹿覗くや佛法僧

蛍や田植すませし村の闇

  秋六題
  天高し
天高し草にある燈の窗にゆく

天高く散りてきらめく木葉かな

  星月夜
星月夜庭にて聞ゆ浪の音

星月夜海に一列友と並ぶ

  秋時雨
秋時雨雲湧いてゐる空のあり

秋時雨簾をいまにたらす哉

  草の實
ぬれてくる雨の草の實あざやかに

草の實を庭から採つて鷽にやる

  竹の春
竹春の涼しさ顔に山の風

竹春の藪前藪後朝の水

  去来忌
去来忌や嵯峨に求めし一硯

去来忌や庭より蟲の句を申す

  早春社九月本句會
濱へ來てあることうれし鰯網

桔槹の林夕に棉畠

棉吹いて露の旦の和泉かな

野に浅く住んでむしろに棉の桃

  早春社櫻宮七月例會
かはせみの枝潜り去り雨長し

  小柳土筆氏歓迎句會 七月廿八日早春社楼上
夕顔の夜半の垣が海一重

夕顔に水のひらめき流れけり




『宋斤 利三郎と尼崎』 羽野美智子著 紹介

2021-11-22 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
『宋斤 利三郎と尼崎』 羽野美智子著  神戸新聞出版センター 紹介
        


帯のメッセージ

永尾利三郎は、号を宋斤と称し、俳誌『早春』を大正十五年二月に創刊・主宰する大正・昭和期の関西俳壇の重鎮であった。
しかし、司書であり郷土史研究に携わる著者が注目したのは、もう一つの仕事ー尼崎市立図書館員時代の『尼崎志』編纂だった。
史料の周秀、古文書の翻刻、原稿の執筆、これらをたった一人で成し遂げた利三郎の尼崎での仕事ぶりを丹念に追い、その知られざる事跡を明かにする。

目次から

一 永尾利三郎の生涯

二 永尾利三郎と尼崎市立図書館

三 尼崎での日々

四 尼崎市史編纂の気運

五 尼崎郷土史料展覧会の開催

六 市史編纂の開始とと『尼崎志』の刊行

七 利三郎 尼崎を去る

  <付記 図書館随想>
一 七十年前の尼崎市立図書館

二 図書館と「不易流行」


この本 羽間美智子さん「宋斤永尾利三郎と尼崎」を、『早春』七代主宰南杏子さんから贈られました。
 
 祖父宋斤は、大正十五年に『早春』を創刊し今月1116号を重ねていますが、『早春』創刊以前の話としては、「尼崎志」3巻が家の本棚にあり、祖父が編纂したことは父母から聞いていたのですが、尼崎時代の話は、あまりくわしく話を聞いたことがなかったのですが、この本をいただき、当時の「利三郎さらに宋斤」への日々を教えてもらいました。
 今まで宋斤の生い立ちは年表しか記録がないところ、この本で利三郎の尼崎での「尼崎志3巻」編纂60周年に記念展示、尼崎での日々など興味深い話を知ることができましたので、紹介いたします。

宋斤の俳句「早春」昭和十一年九月 第二十二巻三号 近詠 北摂六瀬にて 俳句

2021-11-13 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十一年九月 第二十二巻三号 近詠 俳句

   近詠
  北摂六瀬にて
山里は地に聞く蝉の土用かな

夏かゞやかとくさの林粛として

蝉の聲山野にしづみ午なる哉

午を撞く鐘を間近かに酷暑かな

蝉時雨雨やむときありて山無風

矚目の一枝ゆるがず蝉の山

竹の中おはぐろ蜻蛉地を吸へり

篠の子の一竿たつに青蛙

のうぜんの落花の露をひろひけり

   口吟 二十四句
枝の中合歓の花咲くはろか哉

夏座敷筆硯とみに亂しけり

空蝉をつまみ歸りし句座の人

紅き花みな名を知らず炎天下

蝉時雨渡殿の下墓へゆく

目を病みて山水よろし蝉の下

下闇は椿茂りて實のつぶら

下闇や秋海棠の莖染めて

竹の中竹倒しある夏しづか

瓦屑と秋海棠が夏の影

風少し涼し古松の蔓のもの

庭樹々の中の鬼百合塀をぬく

南天の花のかすかさ夏日かな

蝉時雨柱の釘に念珠あり

山に何か降り沈む音炎暑なる

日盛りの墓の落葉が焚かれある

日盛りを超降って來て黄なる哉

日陰來て楓浮く葉を仰ぎけり

渡殿のさすがに涼し蟻走る

句座つゝむ蝉の夕ぐれ天澤寺

夏の庭槇の常芽を夕暮れに

葭簀越しやうやく夕となりにけり

山寺の蝉に一日したりけり

稲の花
久々の晴れを香に來て稲の花

背戸々々の昏くなりけり稲の花

雲見れば旅の如しやいねの花

鳥飛んで湖景色なる稲の花

いにしへの霞秋なり稲の花

   俳句を歩む
   六甲山頂の巻
山座敷雨の浴衣を干しひろげ

山の上ふと忘れゐる松みどり

   猪名川吟行
空よりの杉の花ちりにはたづみ

初夏や薊の花に雨はれて

青嵐南天畑のさらさらと

   多田神社
磴や裾に羽蟻の風ありて

夏陰の草にうもれて萬年青畑

古門の住むとは見えて刈葱畑     刈葱カリキ 

まくなぎを眉に拂ふて句ありけり

やぶ騒のよし切鳴くとうとうとくゐる

   震災忌外
さかり塲に人あそび居る震災忌

我頭上雲押してゐる震災忌

   新涼
新涼や我厨に富む瓜茄子

   螽 イナゴ
一鉢の稲に螽もそだてむ歟

山内や螽よく飛ぶ甃

   鯊 ハゼ
鯊舟に入江のぼれば蝿多き

鯊釣や今日の日沖に入りかゝる

   宵闇
宵闇や古風酒屋の杉の丸

宵闇や雁來紅の林して

   早春社七月例會
夏日陰宮の簀の子の風もよし

遠山をしかと見てゆく日陰みち

よるべなき崖のうへなる日陰哉

日車へのばして長し牛の舌

日車の一日の空星出でぬ


  早春社洲本鐘紡七月例會
   ー宋斤先生臨場句座ー
城山へ立ちやすみては夏の海

  早春社立春五月例會
夕風を旅籠の藤に見て彳てる

  早春社立春七月例會
かくも百合きりて來りし縁の露

  浅澤句會
海棠や雨後に日ありて暮れとなる

春の夜の松の下來て冷やかに

春芝の夜のたひらかふみて入る


 



 

宋斤の俳句「早春」昭和十一年六月 第二十一巻六号 近詠 俳句

2021-11-12 | 宋斤の俳句を大正十五年「早春」創刊〜昭和十九年休刊までひもとく
宋斤の俳句「早春」昭和十一年六月 第二十一巻六号 近詠 俳句

    近詠
  信州柏原にて
蕗の臺一茶の里のよき日和

山清水走る雪解を杏散る

  一茶少年の寺社の縁下に臥せしこともありしなどいふ社頭に佇みて
囀りを聴く日のぬくゝ縁の下

幼一茶爪噛みてありし萌え遅し

村のさま本陣もありて暮春かな

柏原や雀も一茶つちくれも

  一茶が棲みしあと
家の裏の桑はほ枯れてつかねられ

春陰や一茶が蔵のひとつ窗

四代目の小林彌太郎麥青し

  一茶位牌堂建立の入佛式に列して
ゆかりの來て堂にながむる春の雲

香焚いて冷酒まはしぬ春の晝

  小丸一茶の墓
山帰來いとけなき葉に小丸山

春の日の墓銘に無くも一茶かな

  注:一茶の墓は小林家の一基中に併葬せられあり、その傍に近時見仰ぐる立派なる一茶の墓を建立せられあるも故人にふさわしからず。
古みちや日南生まれて蝶低く

残雪に來てむらさきの燕かな

とある二階に麥蕎をよばれて竹の秋

春深し山の信濃の北の端

   夏五題
  夏匂ふ
夏匂ふ月をさがして竹の中

盤石に座りて夜や夏匂ふ

  黴
黴いふて茶店女何か出してゐる

黴のものいさぎよく捨つる谷ふかし

  川蜻蛉
川とんぼ筏のあとの渦すこし

みづうみやおはぐろとんぼ浮いてくる

  鮎
鮎の水晴れて時雨のやうにかな

水迅しかげし散るもの鮎迅し

  若竹
若竹の朝を往き行く旅路かな

麓來る霧に濡れたり今年竹

   二百十日
二百十日町を歩けば脛の風

二百十日傘干し並べおだやかに

二百十日竹の青さの中にゐる

   毛絲編
末の子にみなが編むなる毛絲哉

あさあさの日南しばらく毛絲編

つゞくるや腕に膝に毛絲あみ

何になると知らで見てゐる毛絲編

   蓮如忌俳句會 福井縣吉崎霊地
芦の角朝を烏の歩りきけり

芦の芽に花のほこりをのがれ來て

網に砂にまみれて跳ねる桜鯛

鯛あみの空は眞晝の雲雀哉

花の雨ぬれぬほどこそ甍ふる

花の雨水には降って闇ぬく

   宋斤先生御來長歓迎句會 長野支社 長野市蔵春閣
   善光寺開帳奉讃全国俳句大会の選者として
人は夜は欄更けし残る春

残春の山あさくして星ぬくし

残春の乙鳥ひるがへる飜る

竹落葉家のぐるりの田舎哉

掃きよせてみなぬれにけり竹落葉

竹落葉行きてふかきに窓高し

   早春社五月本句會 「藤」「苗札」「穀雨」
藤の花それから町の夜明哉

藤の花巫女往来して雨はれし

藤棚に透く細月の夜半哉

野の音に絶間のありて穀雨哉

冷えびえとなほちる花の穀雨哉

苗札の書きにじみたるさしにけり

   雁山妹故喜子一七日追悼句座
ありしことみな夢となり淡雪の

   阪急對市電俳句會
菜の花の中に少年の志

海照りの曇つてくれば花菜にも

梟の杜の夜明けて花菜かな

諸子賣り朝日さすより來りけり