この頃近所の公園をジョギングしています。夜に1時間程度、週1~2くらい。この公園は駅から近いわりに大きくて、近所に飲み屋なんかもあるもんだから、夜でも学生や若者がそれなりにいます。走っていて思うのが、まあカップルの多いことよ。
別に嫉妬とかしているわけじゃないですし、彼らの実情は当人にしかわからないと思うんですけど、夜の公園を、手をつなぎながら静かに歩いているカップルってどこか輝いていますよね。幸せオーラを周囲に散布しているというか、ある種の「無敵感」が漂っている気がします。「私たち、幸せでーっす!!あ、そこのあなた、どうですかー!?」みたいな。考えすぎかな。…いや別にうらやましくなんかないですからね?なんだよそんな目で見るなよ。
さて前回の『Japanese Couple』に引き続き、恋愛のことを歌った作品として小沢健二の『LIFE』を。はじめ方がいつになく強引な気もしますが、強引さから始まる恋愛もあるということで、ここはひとつ。
このアルバムについて簡単に。シンプルなサウンド、祈りにも似た美しい歌詞が魅力的な1作目『犬は吠えるがキャラバンは進む』から約1年ぶり、1994年にリリースされました。たぶん彼の中では一番ヒットしたアルバム。スカパラによるホーンセクション、服部さんによるストリングスのアレンジなど、1作目とはずいぶん雰囲気違うというか、きらきらした曲が多く感じます。しっとりしているのはM4「銀杏並木のセレナーデ」と、オザケンのなかでも声に出して読みたくないタイトル第1位のM8「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」くらいかな。なんだよ、仔猫ちゃん!って。
曲の元ネタや歌詞の解釈、あるいは韻の踏み方など、本作を理解する方法がいくつかありますが、そういうのはもう他のところでたくさん書かれているし、ここは「恋愛」を主眼に置いた視点からこの作品を理解しようと試みたいかと。なんでかって?たまたまそういうテンションだったんだよ、なんだよそんな目で見るなよ!!
彼が恋愛のことを歌にするのはFlipper’s時代にもありましたが、「恋とマシンガン」や「ワイルドサマー」など、2ndアルバムでちょっと触れられているくらいだったかな(3枚目は虚無で満ちていたので恋愛どころではない感じがあります)。でもあの頃の歌詞は思春期の男の子のロマン、と言えば聞こえはいいかもしれないけど、なんだか空想的というか、昔の映画を見ているような気持ちになったものです。現実的な世界の、身近な人物との恋愛といった感じはしませんでした。
しかし本作は違うのです。
―寒い冬にダッフルコート着てきみと 原宿あたり風を切って歩いてる
M4「ドアをノックするのは誰だ?」
―ほんのちょっと誰かに会いたくなったのさ
そんな言い訳を用意して きみの住む部屋へと急ぐ
M1「愛し愛されて生きるのさ」
など、あたかもありふれた日常を切り取ったような歌詞が頻出します。
そうかと思えば
―遠くから届く宇宙の光 街中で続いていく暮らし
―美しい星に訪れた 夕暮れ時の瞬間
M7「僕らが旅に出る理由」
こんな風に視点というか、スケールの大きな歌詞も出てきます。以前『犬』について書いたときにも言及しましたが、この頃の彼のすごいところは「対象との視点の距離感」だと思います。ごく身近なこと、共感しやすいことを歌ったかと思えば、「神様」や「宇宙」と話が一気に大きくなる。でもそれが決して突飛な比喩や対比として出てくるのではなくて、そういった「人間の限界を超えたもの、手の届かないもの」があるとしても、結局は日常と地続きになっているのだな、と感じさせるところです。のちに出すシングル曲「さよならなんて云えないよ(美しさ)」でも、こんなフレーズがあります。
―左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
僕は思う この瞬間は続くと いつまでも
この瞬間と永遠を、身近なものと絶対的なものを同時に歌っているあたりが、実に彼らしい(個人的には彼の中で1、2位を争うくらい好きな曲です)。こういった対比が彼の歌詞には非常に多い。また、今作では恋愛がテーマになっていますが、恋愛と言ったらほとんどが10代や20代のような、人生のある期間に生じるごく短い体験です。しかしそういった経験がその後の私たちの人生を決定づけるというか、誰かと恋愛をして、結婚して、子どもができて…そういったことが積み重なって、このアルバムのタイトルでもある生命『LIFE』が続いていく。恋愛という誰かに対する思いが、その後の生命の営みを結果として存続させていく。そんな風にも理解できるんじゃないかな、と思うのです。あれ、なんだか結局歌詞の解釈になってしまった。
この後もシングルで恋愛のことを歌った曲をいくつかリリースしていますが、次のアルバム『球体の奏でる音楽』では、恋愛のことはほとんど歌われていません。音楽性もアルバムごとに変化する人だし、あれこれ興味が移り変わりやすい人なのでしょう。でも彼の根底にあるのは、やはり自分を含めた「身近なもの」と、「私たちの力の及ばない、大きなもの」との対比というか、対話のようなものではないのかな。
あ、一応曲紹介ということでM2「ラブリー」を。決して派手ではないんだけど、そして7分もあるんだけど、聴いていて飽きがこない納豆ご飯のような曲です。いろんな人にカバーされていますね。PVはラブリーというよりもバブリーな感じがしますが。「いつか悲しみで胸がいっぱいでもー」と、修行先のお寺で早朝の雑巾がけをしながら、よく口ずさんだものです。
小沢健二 - ラブリー
このアルバムは秋になると聴きたくなります。音はいくぶん古さを感じるし、歌詞はところどころクサいし(「空に散らばったダイアモンド」とか)、聴いていて妙にくすぐったい気持ちになるのですが、そういったこともあって私は『球体の奏でる音楽』の方が好きです。でも思春期や青年期のはじめに書いた作文を読み返しているような、ちょっと照れ臭いけどあの頃の熱い気持ちを思い出す、そんな作品なんじゃないかと思っています。
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