映画「僕が跳びはねる理由」をご覧下さった皆様、どうもありがとうございます。
僕も先日「僕が跳びはねる理由」を映画館で見ました。
映画だからこそ味わうことのできる映像や音楽、音響に改めて感動しました。多方向から響いてくるサウンド、大画面で見る映像は、その人の日常に入り込み、すぐ側にいるかのような距離感で見ることができます。
映画を見た際、僕が見ている世界観に近いと思うようなところがいくつかあったので、今回はこの中のふたつの場面について書いてみたいと思います。どちらのシーンも、一瞬ですが僕の心に強く残っています。
ひとつ目は、インドのアムリットさんが絵の具を混ぜているシーンです。筆で絵の具をグジュグジュと混ぜる手元がクローズアップされるのですが、そのとき聞こえてくる音や2つの絵の具の色が1つに溶け合う様子を目にしたとき、自分が絵の具を混ぜているかのような錯覚に陥りました。
こうして作り出す色は、使う絵の具の分量によって違ってきます。ひとつとして同じ色はないのです。普通の人が当たり前にできることが僕にはできませんが、絵の具を混ぜたり、色を塗ったりすることは、僕にもできることです。自分らしい色をつくることは、僕にとって幸せな時間と言えます。
(※下の写真は、僕が高校生の頃の写真です)
僕の世界観に近いふたつ目のシーンは、イギリスのジョスさんがブランコをこいでいる場面です。
ブランコをこいでいるジョスさん以上に僕が注目したのは、「空とブランコの鎖」が映った映像でした。
ブランコをこぎながら空を見上げたときに視界に入る風景は、僕がいつでも見ることのできる景色そのものです。
当たり前を自分の目で確認する。
ブランコの鎖の向こうに空があることが重要なのです。
空とブランコと自分。
この関係性をどう表現したらいいのでしょう。
ブランコをこいでいる時、小さい頃からずっと、僕の視界には見上げれば空が映っていました。
こう書くと「空じゃなくてビルならどうなの?」「ブランコの周りで建物が建ったり、木が育ったりしたら嫌なのかな」と質問する人がいるかもしれません。
みんなは自閉症者と健常者の思考の違いに気づいていないような気がします。
これならいいとか、この場合はどうなのか、ということにあまり意味はなく、何かをしている時「ここに自分がいる」と強く思えることが僕にとって重要なことなのです。
「自分はこの世に存在していないのではないか」と思うような不安を感じたことはありませんか。
「ここに自分がいる」と思える瞬間を拾い集めながら、僕は生きています。僕と同じような感覚で毎日を過ごしている自閉症者もいるのではないでしょうか。
映画「僕が跳びはねる理由」配信が決定しました。
5/28(金)より6/24(木)までシネマ映画.com にて配信されます。
よろしければご覧ください。
東田直樹さんのnote より
https://note.com/higashidanaoki26/n/n39113bbb5dc0
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